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橋のない川は、上(かみ)にある。

橋のない川は、上(かみ)にある。

“嫌われ”の名を冠するに相応しく、マスコは異端であった。

膿狂痂雌の跳ねっ返り、醜怪かつ腐臭を放っていた。

しかも語彙(ボキャブラリー)が廃人的に払底、

己(おのれ)が唾棄した言葉の落としどころさえ理解できていない。

我が儘と我欲は育ちの所為(せい)だが、

洗濯板のような体型はいかんともし難く、オンナさえ感じられず。



禍々(まがまが)しさの予感


禍々しく穢多擬(もど)きの存在そのものが、

私の繊細で軟弱なナーバスに刺しこんで燻(くすぶ)り続けている。

性根を含めてそのアウトラインは、銭への凄まじい執着、もしくは、

 

母親のおどろおどろしい薫陶でカタチづくられた毒襖(どくぶすま)。

そうこうしたことを鑑(かんが)みて、恐らくこのオンナだと、

幼児期から陰湿な苛め体質(我欲と表裏一体)を持っていると得心。

・・・氏素性を云々するのなら、

橋のない川は、上(かみ)にある。決して川下ではないのだ。



汚物を吐くオンナ


「・・・同僚にいるのよね、青学出ててるのに、仕事がトロクサイのがさ、

バッカじゃないの、ホント出来ないオトコなのよぉ!」

正月、家族全員コタツのなか、居間で団らん時。

マスコの一人喋(しゃべ)りの独壇場。

醜く聞き苦しい巻き舌方言に、家族のキモチ穏やかならず、波立つ。

さらに「この人ったら給料安いのよお、酷い会社よねえ!

これじゃ生活できないわよぉお!」と、

同胞(はらから)*の稼ぎの少なさを大仰に、かつ無神経に嘆く、

汚物のようなオンナを家族に引き入れる手先になったのは誰だ。(汗)

眞田蟯虫(さなだむし)のような触手が、

五臓六腑に張り巡らせられる、前哨の夜だったのか。



根っこの話


祖先は仏壇の過去帳を見ることがあれば数代前、慶応、元治

さらに明和、宝暦辺りまで溯(さかの)ることができるだろうが、

根っこ(ルーツ)は分からない。

寺子屋をしていた跡地に居を構えたとか、

三代前、一人娘もしくは長女(コイシ)に養子(政次朗)を貰ったとか、

嫁ぎ先だったこの家の祖母、近所の嫗などから聞きとったのか、母の話。

いずれにしろ、大昔からの農村落である此の地では

新参の類(たぐい)だったようだ。



くぬぎの原


地名からは『柞(クヌギ)が繁る雑木林』といった景色が思い浮かぶが、

物心ついたころにクヌギの雑木林はなく、

四方に田畑、すぐ近くに大きな溜め池があり、夏の遊び場はもっぱらここ、

近所の子どもや同胞(はらから)*と遊んでいたが、

水の事故は一度もなかったし、聞いたこともなかった。

まだこの頃は、狂猫マスコとの絶縁が生涯のテーマになるとは、

夢想だにしなかった。


*  同胞(はらから)=弟 


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最終更新日 : 2018-09-07 16:11:22

狂猫の蜘蛛の巣

狂猫の蜘蛛の巣

初夏、仕事の区切りも良く気分上々。

一人夕食を待つ事務所へ嬉々とした顔付きをしてやってきた、

近所で片手間に赤提灯の店を営んでいる旧知の女史。

「ねね私いま英会話習っているんだけど、その講師の女性がさ、

金刀比羅(琴平)の有名な占いの先生に占ってもらったらね、

最初のお見合いの相手が運命の男性(ひと)です、と言われたって」

「話を聞いているとね、

なんとそのお見合いの相手が東京にいるあなたのオトウトさん*なのよ、

すごいでしょ、これって!」と舞いあがり気味、

というかこの女史、かなりおっちょこちょい(軽はずみ)な性格、

 

ま、かく言う私もだが。

細君の制止をうっちゃって、お祭り騒ぎですぐ長距離電話をしてしまった。

すると同胞(はらから)*は電話口で、「おお、ええやないか」と、

 

独り身の淋しさに陽が射したかのような声で応えた。

いや、“陽”ではなく“魔が差した”のか、

時刻もちょうど“逢魔が時”(おうまがとき)のことだった。

再会といえる代物(しろもの)だったのかどうか、

占い師の話に換えて、

 

しかもそそっかしい性格の女史を媒介にして語らせる、

おのれは高見もしくは後方で、投げかけた話の行方眺め。

これは小利口に仕組まれた雌蜘蛛の巣ではなかったのか。

あとに続く同胞*(はらから)の酷薄な暮らし向きと、

足蹴にして鞭打つマスコの悪し様な暴言、

さらには肝癌での夭折を鑑(かんが)みると、既に確信を通り越している。

男兄弟にありがちな競らい*

それによる疎遠状態は10数歳から続いていたが、

ふとフラッシュバックする一つの記憶がいつまで経っても咀嚼できずにいる。

暮れだったか正月帰省の時だったか、それはまた後述するが。

いつもの年と同じく夕食の団らんを終えて、ひとり酒を飲っていると。

「あにき、わし、あのオンナのこと、別に好きでなかったんや」と。

「・・・」(な、なにを今さら!)

同胞が話しかけてくるのはごくたま、

それもいつも私が酔っぱらっている(酩酊している)ときだった。

 


* 同胞(はらから)=弟 
* 方言の“せらい”よりも、“競争心”といった意味合いの感情か。


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最終更新日 : 2018-06-16 10:50:00

怒りのマグマ

 

怒りのマグマ

父の『記録帳』(日記)は、時折の感想を織りまぜて、

B5大学ノートや手帖、十数冊にびっしりと細かい仮名文字で綴られていた。

それは病院で亡くなる二ヵ月前で終えていた。


1980年(昭和55年)7月10日

 
より 川の話 むしかえし きかされる

父の『記録帳』(日記)に綴られた簡潔な一行から、

怒りのマグマが噴きだしている。その対象は他ならぬ私だ!


むしかえし*とは、一度破談になった見合い話を弄(いじ)ること。


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最終更新日 : 2018-08-26 17:03:38

むしかえし

むしかえし

いき遅れの焦りから昔の見合い話を“蒸し返し”て、

同胞(はらから)* の嫁として潜りこんできた狂猫マスコ、

しかもその橋渡しの片棒を担がされたという、土壁に塗り込めたくなる記憶。

狂猫マスコ、嫁ぎ先の母からは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われ、

頼みの綱の父は胃がん転移で砂時計でカウントするように命を減らしていく。

さらに夫である同胞(はらから)
* も前後して肝がん発覚、

最早手術ができない状態。

遙か遠く離れた2つの場所でなんという理不尽な。

同時に二つの気がかりを抱えてしまった私、

告知をしない時代だったからなおのこと。

このとき、狂猫マスコの脳内は我が身の行く末、お金の行方だけだったろう。

時間は止まってくれず容赦なく過ぎていく。

家族それぞれの人生、右往左往があって同胞(はらから)
* が先に逝った。

無理強いてあちら(彼岸)へ連れて行かれるような臨終だった。

その日季節はなんだったか、二階の病窓までのびた樹が葉を茂らせていた。

これで慌てた狂猫女、

「お義父さんも同じなんだから、気をつけてよねえ」

(意訳=どうせ死んじゃうんだから、遺言書*をきちんと書いといてよねえ)と、

家族みんなで固く伏せていた父の病状を知らせてしまった!

あまりに無分別、もしくは下賤な言いよう。

すでに手書きの遺言状
が書かれてあったことを後で知るが。

地方(田舎)の常だかどうか、二人以上の兄弟がいる場合、

 

『新家』(しんや)と云う住み家を親が用意するときがある。

同胞
* には父が、

結婚して間もなく世田谷区に中古4LDKマンションを買い与えていた。

「ええマンションがあっての、お父さんは気にいっとるんや」

 

などと或る日、父が語りかけてきたが詳しく聞き返しもしなかった。

初めてそこを訪れたとき遙か遠くに環八が見えていたが、

そこから最寄り駅までの道すじも何も、すでに記憶にない。

 

同胞(はらから)* =弟

 


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最終更新日 : 2018-09-02 11:07:47

看取りの場汚し

看取りの場汚し

1993年(平成5年)

4月6日(土) 父死去、静かに息を吐ききって(もしくは吸って)逝く。

マスコ、病床の枕元を占拠。
垢穢芸で臨終の場を汚す!


静寂を引き裂いて家中に響きわたる電話の呼び出し音!

・・・M労災病院に詰めている母からの電話が突如鳴ったのは、

明け方5時過ぎだった。

しばらく前から、

 

父もいよいよ、といった予感がしていた所為でか、反射的に飛び起きた。

着替えも早々に、10数分後には暗い国道バイパスを西へと車を走らせていた。

臨終に間に合わなければと、車中妻の母と携帯で連絡を取り合い、

タクシーで駆けつけてもらうように伝えた。

時折、深夜便トラックと行き交うぐらいで、ハイウェイの往き来はまばら、

早暁の外気はまだ冷たい。

M労災病院の空き部屋。父のベッドはすでに病室からここへ運ばれていた。

治療を本分とする病院は死期が迫った患者には頓着しないのか、

それとも相部屋の患者たちに死の間際を見せるのは酷なのだろう。

ドラマで観るような器具もなにも父の体に繋がっていず、

看護師さえも付き添っていなかった。衝立(ついたて)で 遮られた奥に、

もう一人の患者が最期の呼吸をしているようだったが、

まわりに誰もいない、家族さえも。この部屋は一体何のための部屋だ !?

狭い病室には私たち家族とそれぞれの母、狂猫マスコと団子婆
*さん、

父の従姉たちが急きょ集まっていた。

看取りの場であることはみんな理解していた。

いまどんな状態なのか、

 

担当医師や看護師が姿を見せないので皆目分からない。

病院の理不尽な対応に憤りを感じ始めていたが、

経緯(いきさつ)が分からないので五里霧中であった。

狭い病室には丸椅子ひとつとして置いてない。

当然のことだが、誰もみなこのような場には不慣れだから、

視線を病床に落として立ち尽くすだけだった。

ベッドに父の従妹が近づくと、ひと言小さく「美代子か」*と声を発した。

この言葉が最期になった、あとは臨終まで弱い呼吸を繰り返すだけだった。

病室に居合わせた人たちの誰も気付いていなかっただろうが、

そのとき狂猫マスコは、

嫁ぎ先での唯一の後ろ盾*である義父を失うことに狼狽(うろた)えていた。

臨終の時が迫っていることは明らかだったから・・・。 

マスコがやおら動いた。看取りに集まってきた親戚を前にして、

狂い猫のような常軌を逸した“演技”が始まった。

「どうしてこんなになるまで放っておいたのよお!」

乾いた空泣(からな)き声が病室に響いた、突然何を言いだすのか。

常識からかい離した唐突な言葉遣いに、病室に異様な空気が醸し出された。

「こんなになるまで放っておいたのよお!」とは一体どういうこと !?

語彙の足りない女の言うことは理解を超えて、魯鈍(ろどん)を極める。

そして父の長年の連れあい(私の母)を差し置いて、枕元へ。

そのまま座り込んで動こうとしない。

先年連れ合いを亡くした女、
垢穢一流のパフォーマンスであることか!

このような場で蹴飛ばして引き剥がすわけにもいかず。

さらに団子婆さんまでが、私の母への気遣いなどどこ吹く風と、

枕元へ歩み寄って「我が儘な娘*をいままで有り難うございました」と、

既に亡くなっている父の耳元で無理聞かせ。

清々(せいせい)と臨終の場を立ち去る狂猫母娘に、

悲しみの表情など微塵も感じられず、ただ唖然とする!

・・・これが
垢穢母娘の性根か!!

未来永劫、私が墓の中に入っても許せない『看取りの場汚し』、

前代未聞の乞食芸であったことか。

 

* 後ろ盾:は同胞(はらから)を慈しんでいた。

* 美代子:父の従妹

* 団子婆さん:シニヨン白髪頭の、マスコの醜母

* 自覚が発した“我が儘”の2字


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最終更新日 : 2018-08-29 14:23:39


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