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昭和のすたれじぃ

*はじめに

 

 今の子供に昭和の話をしてもわかんないよね。ちょっとエロ話みたいだったり、エッチな話(死語かな)もあるけれど、その時代の表現ならいいじゃない。モラルだセクハラだ恥だって封じ込めないで、まじめに認める文化もあっていい。表向きに赤線が消えても、陰で手を変え品を変えたビジネスが増えているじゃないか。ちゃんとした公認の職業やライセンスとして、表に出す文化の方がいいと、おいらは思うのだよ。

 男女平等、多様性の時代って何。何かってえとやれ差別だセクハラだって、小難しいことを言われる。偏見?それを言っちゃあ御仕舞だよって、誰が決めるの。おっさんにはよくわからねえ時代になっちまった。男は男で女は女、じゃあいけねえ訳がわからない。そりゃあ人を人として認めることはいいよ。でもね、いくら頑張ったって男に子供は産めねえよ。お互いを認め合うことが平等であって、同じことをする、同じ扱いをしなきゃと画一化すことじゃあねえと思うんだ。みんなこうしなさいって言っても、体も心も違うものがあることは事実なんだ。それを認めることくらい、いいじゃねえか。

 昭和と今と、人間そのものに違いなんてあるわきゃない。あんまりに科学が進んで、世界中の情報の垣根がなくなって、日本のいいところまでもが消えていく、と言うより、浸食されちゃってきてるみてえだね。狭い世界でそれなりの楽しみ方があったものも、否定だけされて、かえって裏で陰湿なコソコソとしたものなってやしないか。昭和の良さを大人になったら楽しめると思っていたのに、おっさんになったら昭和は消えちまっていた。このままじゃあ、おいらもすたれた爺さんさ。昭和のすたれじぃ、だよ。桑原、桑原。

 


目次

*目 次

週刊誌裸絵話

パチンコ昔話その1、その2

温泉裸劇場話

祖母の雪隠

白いカレーライス

漫画本の時代

なんか屋

子供の小遣い

車は憧れか

人生に酒あり

・・・

あとがき

 


週刊誌裸絵話

*ヌード写真は隠すもの

 

 いまだに恥ずかしくて堂々とエロ本を本屋で買えないけれど、今は電子ブックもあって、家で買える時代だ。便利になったもんだ。ただ、紙の印刷じゃあなくて画面だから、昔みたいに透かして見るとか裏から見るなんてできないね。そのかわり拡大ができるか、な。でもね、床屋なんかに置いてあるフツーの週刊誌のヌード写真。お毛毛が丸見えだ。おいらの少年時代は黒塗りで、いわゆる修正されていた。ただ真ん丸く黒塗りされていて、色気はなく、せめて三角とかきわどく塗ってほしかったものさ。きわどくだと、今のお毛毛がみえるのと、さして変わらないか。当時でも芸術ならOKで、週刊誌は猥褻だからNGで、芸術誌では無修正だった。あからさまはだめだけど、芸術志向のおいらは、当然芸術誌を立ち読みした。だって高くて買えないよ。週刊誌は、大人の読み物という概念があり、少年は隠れて読んでいたな。なのに初めて週刊誌のアンダーヘアーが解禁になって、ドキドキして見たら、やっぱり黒塗りとそんなに変わらねえじゃないか。昔、黒塗りを剥がそうと空しい努力をしていた若者もいたのに。ガッカリしたね。なぜか。

 おいらの余計な心配かもしれないけれど、今の週刊誌、大ぴら過ぎないかい。袋綴じになっている写真もあるけれど、床屋でもパッと開けば直ぐ見える。昔は黒墨で隠れて、見えそうで見えない。おっぱいも星のマークで乳首を隠したりしてさ。見えないおかげで想像力が膨らみ、大人になったらっていう変な目標もできたりして。まあ、週刊誌だけの問題じゃあないのだろうけど、あふれる情報のほんの一部に埋もれかかって、ヌード自体が軽くなっているのかねえ。それくらい今は大したことないよ、当たり前、ということになることが怖いのは、やっぱりおいらが年を取った証拠かなあ。

 


パチンコ昔話その1

*手打ちは遠くなりにけり

 

 今や青息吐息のパチンコ業界だと思うけど、これもれっきとした日本生まれの文化だ。中学卒業と同時に親元を離れたおいらは、パチンコ台を攻略する技術に興味があって、研究をしたもんさ。もちろん十八才からだけど、そのころの台はみんな手打ちだった。打つのは一玉づつだから、ゆっくりと時間つぶしもできたね。地方でも、パチンコ屋は駅前に2、3軒あって、庶民の娯楽だった。でも、その頃は景品交換が主流で、もちろんお金にも替えられたけれど、換金率は六割くらいしかなかったよ。だから等価の煙草やお菓子、缶詰なんかに交換してさ。お父さんが持って帰る食料品が、子供へのお土産にもなったんだ。今みたいに、ケーキやスイーツがあふれてる時代じゃないからね。

 昔のパチンコは立って打つもので、台も釘とチューリップのシンプルなものだった。ただ釘師とパチプロの戦いがあって、毎日のように釘の広げ方、曲げ方が変わったのだよ。打つ方も、レバーのはじき方で玉の回転を変えて、ねらった釘に命中させる手加減が必要だった。「釘師サブやん」なんてマンガがあって、チューリップに玉がストンと落ちる秘技なんてのを、おいらも研究したもんさ。

 アルバイトの時給が二百数十円で、煙草も確かハイライトが八十円、喫茶店のコーヒーが一杯二百円位の時代さ。百円玉を玉貸し機、そう貸すんだね、そこに入れて手でジャラジャラと玉を受け、出そうな台を探しに行く。本当のところ釘なんてよくわからないけれど、釘の広がり具合から玉の流れを自分なりにシミュレーションして打っていた。玉が釘にくるんと絡む打ち方があって、面白かったんだ。だから、未だに止められない。依存症と言うより、パチンコが好きなんだね。好きだから、ゲーム機化させた今の業界に、文句も言いたくなるのさ。


パチンコ昔話その2

*パチンコ裏話

 

 おいらの学校のあった街も、駅前に三軒のパチンコ屋があった。詳しくは知らないけど、その頃のパチンコ屋の経営者は、たいてい朝鮮系かヤクザ系が多かったみたい。おいらのアルバイトをしてた喫茶店が近かったから、パチンコ屋の従業員とも顔見知りになってね。店が三つ並ぶと、おのずと流行っている店とそうでない店ができて、おいらは端っこの流行っていない店の人達と仲良くなった。そのパチンコ屋の二階は焼肉屋で、経営は一緒。店長の小指はなかったけど、優しかったな普段は。だから従業員もそっち関係の人が多く、橋本さんていう主任は大阪の人だった。本人曰く、某有名姉ちゃんが組に暴れこんできたとき、反対にどついてやって、彼女が階段をころげ落ちてったそうだ。そういう人ほど仁義というか礼儀には細かいところがあって、はずれると注意されたな、やんわりと。流れの従業員用に寮があって、何回か泊まったり一緒にマージャンをしたりしたよ。おいらが学生ということもあってか、本当にみんな優しかった。喫茶店にも来てくれて、そこで働いていたウエイトレスに誰かが惚れた、なんて話もあったっけ。

 今考えれば、その店は関西と繋がっていたわけで、チェーン店だったのかな。夫婦で転勤して来た人もいたしね。若いおいらは恐れを知らなかったんだな、あの頃。若いと言えば、夏休みに一緒に働いた高校生が二人いて、一人は柔道をやっていたごつい奴だった。そいつらも恐れを知らず、相方も飲み屋の女の子を平気で口説ける奴だった。その二人が卒業して間もなくだったか、久しぶりにナンパの方の奴と会って、相方はって聞いたら、やくざの女に手を出して殺されちゃったと話した。新聞にも載っていたらしい。恐れを知らないのもほどほどにしないと、と思ったね。桑原桑原。

 



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