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(1) 落ちた椿の花

 

 黒澤明監督の映画『椿三十郎』

 一介の素浪人が、立派な部屋に通されて、家老の奥方から、名を問われます。

 すると、素浪人、庭をみて、白と赤の椿の花が咲き誇っているのを目にして言います。

 

 「椿三十郎。いや、もう四十郎かな。」

 

 なんとも洒落たセリフです。

 仕官できないのではなく、己の意思で仕官をしない、自由人であることを標榜する素浪人が、それでも、自分の年齢がもたらす哀愁を的確に言い当てているのです。

 

 これは、日本映画史に残る卓越したセリフの一つであると、そう思っているのです。

 

 我が宅の周囲にある大手企業の研究所、その垣根にヤブツバキが植えられています。

 その椿の花、二月頃から咲き始めます。

 

 木へんに春と書いて、椿、まさに春を告げる花ではあります。

 

 あの寒い時期に、花を咲かせるのですから、花好きにとっては嬉しい限りではあります。

 その垣根のある道を歩くときなど、みごな花が群生するのを見つけると、思わず、iPhoneを取り出して、パチリと写真を取ってしまうのです。

 

 いつだったか、町内会の方々と恒例の朝清掃に興じているときに、道端で、山茶花と椿って、どうやって見分けるんだという話になりました。

 いつでも、どこでも、物知りというものはいるもので、おしゃべりで有名な、研究所で土木検査の仕事をしている男性が、そりゃ簡単ですよ、葉っぱをみれば一目瞭然、椿は照りがあり、山茶花は照りがない、ただそれだけです。

 

 目の前にあるヤブツバキの葉を皆でじっくりと鑑賞します。 

 なるほど、この葉の照りが椿なのだと、同じような姿勢をして、うなづくのです。

 その中の一人が、山茶花がここにあれば、比べられてたのに、残念ですねと言います。

 

 で、その話は糸の切れた凧のように、遥か彼方へ流れていってしまったのです。

 

 四月になって、筑波大学病院に脳の検査のために出かけました。

 小一時間も歩けば、我が宅に帰り着きますから、帰りは、のんびりと歩いて帰ります。その道筋に、私は椿の木があるのを見つけたのです。

 

 地べたや木々の枯れ枝が敷かれたところどころに花が首から折れて落ちていました。

 椿の花は、花くびから落ちるが、山茶花の花は花びらとして落ちると、亡くなった父が言っていたのを、前触れもなく、その現場を見て思い出したのです。

 恒例の町内会の朝清掃の時には思い出さなかったのに、ここで思い出すなんてと、一人こっそりと笑みを浮かべてしまいました。

 

 この時、ちょっと、不思議な感じがしたのです。

 まるで、父がそばにいて、私の背後から声をかけて来た、そんな感じであったのです。

 

 椿は首から落ちるから、江戸の昔、椿という花は武士からは嫌われたんだ。

 でも、首から落ちるには椿の事情があるんだ。

 椿というのは、鳥に花粉を運んでもらう「鳥媒花」なんだ。

 だから、鳥につつかれても花びらが落ちないように、花びらが根元でしっかりとくっついている。

 

 そんなことを、私は覚えていたのです。

 

 北部工業団地の公園、ここにはワンちゃんを連れてよく出かけます。

 人も少ないし、ワンちゃんを放して遊ばせるので都合がいいのです。

 その北部工業団地には山茶花がたくさん植わっています。

 晩冬の寒い日、山茶花の木の下は、花びらが落ちて、あたり一面濃いピンク色に染まります。

 

 ところが、筑波大学のここは花がそのまま、あちらこちらに落ちています。

 だから、これは椿だ。

 武士たちが嫌った椿だと私は、確信的に思って、ニッコリとするのです。

 

 京の寺では、落ちた椿の花をしばらくは掃き取らずに、そのままにしておくと聞いたことがありました。

 苔の緑に、まだ生き生きとした色彩を放つ椿の花を、拾って捨てるなど無粋なことをしてはいけまへんということなのだそうです。

 椿の花が、苔の緑の上で、次第に朽ちて、茶色になって行くのを見るのが、京の風情なんやというのです。

 

 頼朝に政権を奪われて以降、明治維新まで、いや、維新後は天皇さまも東京にやってきてしまいましたから、この侍が嫌がると言う椿の花に対する京の寺の仕打ちは、きっと、その恨みつらみが講じてのことではないかと勘ぐりたくもなるのです。

 今、筑波大学の構内は、京の寺のように手入れの行き届いた苔の深い緑などありません。

 冬の間、風で吹きちぎられ、雪の重さで折れた枝が折れ重なり、それが何年も繰り返されて、黒くなったところに鮮やかな色をたたえて落ちています。

 

 京の椿の雅さはありまへんけれど、侘びた中に寂れた美しさはあっぺよと、そんなことを思うのです。

 

 そんなことを考えると、あの椿三十郎、いや、もうすぐ、四十郎のあの素浪人、年齢がもたらす哀愁ばかりではなく、人生の侘び寂びさえもその酔狂な名に託していたのではないかと思ったのです。


(2) ちょっとしたことで時空が違っていたら

 

 いつも通り、私はNHKの天気予報を見るために、テレビのスイッチを入れました。

 

 「おはようさんどす。いかが、お過ごしやすか。」

 

 いつものお天気お姉さんが、今日はちょっと変わった言葉で天気予報を伝えています。

 いや、その後のニュースでも、いつものアナウンサーが京言葉を使っているんです。

 

「おはようさん。今日のニュースをお伝えしまっせ。」と言い、ニュースの終わりには、「今日も、えらく気温が上がりまっせ。どうか、おきばりやす。」なんて言っているんですよ。

 

 寝ぼけているのかなと不思議に思って、チャンネルを他局に切り替えて見ます。

 ドラマをやっています。今をときめく若くて美しい女優さんが出ています。

 

 「ほんにおいしおすな」

 料理屋で、横に友人がいて、食事をしている場面です。

 「オカボやらこーておいしーわ」

 「味がよーしゅんでおいしいなぁ」

 

 おや、京都を舞台にしたドラマかなと、また、チャンネルを変えます。教育テレビの子供向け番組です。

 

 「さあ、みんなこちらにおいでやで。今日は、歌を歌うで。誰がおっきな声で、おっきなお口を開けて歌えるかな。」

 

 どの局も、皆、言葉が変です。

 

 私は新聞を広げました。

 「日本、北朝鮮に依然として強硬姿勢」

 見出しは、なんともないが次の文言を見て、私は驚きました。

 「首相、時間稼ぎは許さな述べる」

 

 私は混乱をしました。

 「こらおかしい、皆、京都弁になってん。」

 そう思ったのです。

 おや、うちも京都弁で考えてんちゃうか、と私は私の思考回路が京都弁になっていることに驚いてしまったのです。

 

 そんな馬鹿げたことを今朝の私は空想していたのです。

 

 家のまえの通りを通り過ぎる車も少なく、信号で、我が家のガレージのところまで渋滞する車が今朝はありません。

 東と西の大通りも、わたしは、先ほど、トレックのマドンに乗ってすっ飛ばして来たところです。普段だと、ダンプとか乱暴な運転をする車に寄せられて怖い思いをするのですが、今朝はど真ん中を何も恐れずにすっ飛ばして来たところです。

 

 そんなまったりとした休日の朝、明治のあの時代、政治とか経済とか、そんことばかりではなく、国の言葉を決めるにも一悶着あったに違いないと思ったのです。

 なにせ、日本国の言葉は、方言で、満ち満ちていましたから。

 津軽の人間の言葉などたいていの人が理解不能です。理解不能だから笑うしかありません。

 

 だから、江戸幕府も、明治政府も、言葉に対して、共通に理解できるよう対策をとっていたはずです。

 それこそが、江戸の言葉です。

 

 江戸の言葉といっても実に大まかな分類です。しかし、百万都市となっている江戸には諸国から様々な人間が集まり、生活をしていましたから、その人たちが江戸に残るにしても故郷に帰るにしても、皆にわかる言葉として、江戸の言葉は流布定着していったにちがいない言葉であったのです。

 

 山の手の武家言葉、下町の町人言葉、それに花魁の喋る花街の言葉、それらが明治の時代、我が国の共通の言葉、標準語に定められていったのです。

 

 しかし、あの時代です。

 天子様が政を行う時代になったのだからと、これからは京の言葉を使うようお達しがあっても不思議ではありませんでした。

 そうなれば、先ほどのように、テレビもドラマも、日本全国で、京都の言葉が喋られ、日本人は誰しも京都の言葉で哲学するということになっていたのです。

 

 私は東京生まれで、今は、茨城のつくばに暮らしています。

 よく、「ひ」と「し」の発音が混同しますから、きっと、東京の言葉が根っこに根ざしているのです。だって、自分の名前「ひろし」が言えないのですから、それに、パソコンで調べ物をしていて、なかなか出てこないと思っていると、発音を取り違えているのですから「やになって」しまいます。

 つくばの地の人の言葉では「え」と「い」の混同し、私はそれを笑います。

 「あんたはイライ」なんて言われて、バカにすんなと不機嫌になります。

 それだけ、私たちは生まれ育った土地の言葉が根付いているのです。

 

 それが時代のあおりで、京の言葉を標準の言葉にするなどと政令が出てもおかしくはないと。

 

 でも、千年の都、京都の言葉ならまだしも、天下を取った薩摩人が薩摩の言葉をと、強硬に主張しなくてよかったと思っているのです。

 

 <ニュースをお伝えすっ。

 五万人が海外に休暇を楽しみに出ちょっ。

 こんたこれまで最高ん渡航者数になっ。

 さぁ、あたはどけお出ちょっか。

 おいどんは今日もこうしてニュースをお伝えしちょります。>ってね。

 


(3) 炎を手にした大工

 

 炎を手にしたヒトは、無敵になり、哲学をすることを手に入れたのです。

 

 私は、つくばのこの家を増築するときに、ついでにと、大工さんに言って、暖炉を書斎に設置してもらいました。

 しかし、暖炉を設置したことのない大工さんは、さぁ、困ったと考え込んだのです。

 彼にとっては、初めての経験だったからです。

 でも、さすがにプロです。

 「私は、家具職人としても活動をしていますが、今回の暖炉設置で、もう一つ大工としての幅を広げさせてもらいます。」と、それからはいろいろ研究をしてくれて、安全で格好いい暖炉を作ってくれたのです。

 

 屋根から煙突だけ出すのも格好が悪いから、レンガで大きな煙突を作りましょう。

 そうそう、薪を入れる場所も確保しましょう。

 そうすると、こうなりますから、その上のこの空間、どうしますか、と私に問います。

 違い棚を作って、飾り物をおくようにしますよ、と私。

 そうそう、その違い棚は私が作りますから、棟梁は何もしないでください、と私、言葉を継ぎました。

 大工の棟梁あっけにとられています。

 

 そんなやりとりの中で、床に耐熱タイルを貼って、そこにストーブを置くというのも良いですよ。暖炉より、ストーブの方が、鍋を置いておけば煮物もできますし、いろいろ調理道具もあって、楽しめますよと、勉強した成果を私に披瀝をしますが、私は、ストーブはダメ。暖炉の一点張り。

 

 そんなわけで、我が家にはアメリカ製のさほど高くはない、そこそこの暖炉が設置されたというわけです。

 

 棟梁と二人、暖炉の前に腰掛け、火を灯します。

 ナラの木の薪を三本くべます。五徳の下から着火材に火をつけます。乾いて、大きな薪に訳もなく火が着きます。

 煙は上昇気流に乗って、煙突の穴に吸い込まれて行きます。

 棟梁、すかさず、できたばかりの彼が作り上げた自慢のバルコニーに飛び出して行きます。

 私も後を追います。

 

 煙突から、煙が出ています。

 実に美しい、心地よい白い煙です。

 風の吹く感じで、こちらにも煙が流れてきます。そして、薪の燃えるいい匂いがしてきました。

 棟梁も私も、思い切り鼻の穴を膨らませます。

 

 暖炉に戻り、炎の燃え盛る周りの耐熱レンガに問題はないかを見たいと棟梁、暖炉の前にどかっと腰をおろします。私もその横に腰をそっとおろします。

 しばし、いや、結構長い間、沈黙が続きます。

 真新しい薪掴みでもって、棟梁、ナラの薪をくべます。

 

 「いいですね。暖炉。」そう言って、また、沈黙が続きます。

 

 冬、長女の孫たちが遊びにくると、必ず、暖炉を所望してきます。

 男の子二人の兄弟は、静かな我が家には、嵐のようなざわめきをもたらします。

 喧嘩する、泣く、わめく、走る、大きな声を出す、そして、私に絡みついてくるなど、私はどっと疲れを増すのです。

 

 そんなとき、暖炉に火を入れますと、二人の男の子が揺らぐ炎、家の中で見ることのできる火をじっと見はじめるのです。

 一言も言わずに、二人並んで、炎を見ているのです。

 さっきまでのあの騒々しさはなんだったのだと思うのです。

 

 きっと、大昔、さらに大昔、人類は、炎を手にして、二つのものを手に入れたのではないかと想像するのです。

 

 一つは、炎があれば、ヒトの大敵である猛獣もヒトに害を及ぼす虫も来ないと知ったこと。その側に入れば、漆黒の闇の中で、あかりと安全と手に入れることができたこと、です。

 

 そして、いま一つは、考える時間を手に入れたことではないかと思っているのです。

 

 炎は揺らめき、まるで生きているかのように、舌を伸ばし、引っ込めます。

 その炎を見ながら、安全に、思考にふけることができたのです。

 二足歩行に加えて、哲学する時間を得たことが、人類の脳をさらに大きくしたのだと私は確信をするのです。

 

 「大丈夫ですね。たまに、点検に来ますよ。」と棟梁。

 ワインを持って、たまに我が家にやって来ては、暖炉の前で、二人してグラスを重ねたのです。

 何の挨拶もなく、その棟梁が来なくなって久しくなりました。

 暖炉を焚いていて、たまに思い出すことがあります。

 きっと、忙しくしていて、あちらこちらで暖炉を作っているに違いない。随分と手慣れて、我が宅以上の素敵な暖炉を作れるようになっただろうなと思うのです。

 

 その棟梁が、先日、我が家の玄関に立っていたのです。

 「ご無沙汰です。いや、なに、ちょっとアメリカに行っていたんですよ。お宅の暖炉のおかげで、ニッポンの名もなき大工が、あっちでカーペンターをやっているんですよ。」

 そんなことを言うのです。

 アメリカでは、大工の仕事は、コンピューターできちんと切られたパーツを設計図に従ってはめ込んで行くのが仕事。私のように、隙間にあった家具を作ったり、暖炉を設置したりはなかなかやれる大工はいないですよと、だから、重宝がられて、いまはアメリカはシアトルでカーペンターをやっていると言うのです。

 我が宅の暖炉は一人の大工の人生も変えたのかと思うと、感慨ひとしおです。

 連休中、ちょっと寒くなる一日があると言いますから、その日、私はシーズン最後の炎をたいて、掃除をして、また来るべき初冬の寒さを待ちたいと思っているのです。 

 


(4) たった一羽の反乱

 

 この季節になりますと、朝の食事をわたしはバルコニーで摂ることが多くなります。

 春から秋の中ごろまで、わたしは外で食事を摂ることを、殊の外、楽しみにしているのです。

 

 今の時期、山から降りてきて、私の住むあたりにもウグイスがやってきます。その清々しい声を聞きながらの朝食は、わたしにとって贅沢この上ないものなのです。

 

 夏も盛りになりますと、ヤマバトが道向こうの研究所の森で、リズミカルな鳴き声を響かせます。若い時分、一ヶ月ほど滞在した練馬の宿舎で聞いた声です。

 ヤマバトの声にどこか寂しさを感じるのはそのためかと思っているのです。

 

 そうそう、毎朝、二羽の白鷺が飛んでくるのです。

 南東の方から北西に向けて、程よい距離を保ちながら、私の食事するバルコニーのちょうど真上を、ほぼ毎日飛んでいくのです。

 

 南東から北西に、毎朝、何の用事があるのだろうか。

 一体全体、彼らは夫婦なのだろうか。

 

 土浦を流れる桜川が霞ヶ浦に注ぐ一角に、白鷺の営巣地があります。

 土浦の花火大会が行われる場所で、橋を挟んで反対側にあります。

 夕方など、木々の上に白鷺の群れが、時に羽を広げ、時に二羽が寄り添っているのを見るのです。あまりに多くの白鷺がここにはいるので、濃い緑の樹木の先端が白いペンキを飛ばしたように彩られるのです。

 

 橋の上からだと、木々のてっぺんのその絵のような光景が見られるのです。

 

 でも、そちらの方角は南東ではありません。

 南東を地図で探ってみると牛久沼がありました。きっと、あのいつも同じ時刻に飛来してくる二羽の白鷺は牛久の沼地から飛んでくるに違いないと思ったのです。

 さて、北西には一体何があるのだろうと今度は、そっちが気になり出します。

 取り立てて、めぼしいものを見つけることはできません。せいぜい、小貝川があり、その向こうには鬼怒川があるくらいです。

 牛久沼で餌を摂っているはずですが、それでも、水の異なる川を目指して、今日は小貝川、明日は鬼怒川と場所を変えているのかもしれません。

 

 それにしても、鳥というのは二羽で飛んでいるのを多く見かけます。

 

 水を張って、筑波の山を映しこむつくばの田んぼにも、つがいの鳥たちが舞い降りては、田んぼをついばみ、何かを食べています。カエルでしょうか、タニシでしょうか。仲良く二羽で、周りを警戒しつつ食事をしているのです。

 

 そうそう、ロンドンのソーホーの中華街での出来事を思い出しました。

 テムズに暮らすカモメが、遠征してきて、中華街のとある店の日差しを避けるためのビニール製の日よけの上で、一羽の鴨を餌食にしていたあの光景です。

 お昼時、昼食を取りに出てきた人たちが、皆、上を見て、その残酷な食事風景を眺めていました。

 足で、鴨を押さえ、あの大きめの先が曲がったくちばしで、鴨の腹を引き裂き、内臓を引っ張り出して食べているのです。

 時折、顔を向けている人間どもに怖い視線を送りながら、内臓をついばんでいます。

 わたしは、カモメがあのように同じ鳥の仲間をむしゃぶりついばむ姿を見て、ショックを受けたことを思い出したのです。

 

 私が勝手に名をつけている鳥がいます。

 カーコと言います。バルコニーのちょっと先の電線に佇んで、こちらを見ています。

 カーコという名からおわかりのように、この鳥はカラスです。

 この辺りはカラスが非常に多いのです。それも集団でこられると不吉な思いにさせられますから、柏手を打って脅したりするのです。

 でも、私の家のバルコニーのそばに佇むカーコはいつも一羽なのです。

 その世界にも、仲間と群れない変わり者がいるのだなと思っているのです。

 ですから、私はこのカーコが好きなのです。

 一度、パンの耳をカーコにわかるように道端に投げたことがありました。

 確かに、カーコはその私の姿を見、美味しいパンの一切れが道端に転がったのを見たのですが、私は、同時に、そっぽを向いたカーコも見て取ることができたのです。

 

 お前さんに恵んでもらう謂れはない。

 おいらは、お前さんが一人で、いつも朝に、食事をしているのを哀れんでいるだけなんだ。

 きっと、寂しかろうと、おいらはお前さんに付き添ってやっているだけなんだ。

 カラスをバカにしてはいけないよ、おいらはたった一羽の反乱鳥なんだ。

 反乱者は他の誰からも援助は受けないものさ。

 お前さんもまだまだ甘いなぁ。

 そんな風に私にはカーコが言っているように見えたのです。

 

 たった一羽の反乱鳥か。

 だったら、私はたった一人の反乱者ということになるのか。

 なかなか格好いいではないか。

 

 ある日、ちょっと寒いなぁと感じる朝のことでした。

 私はバルコニーでの食事をやめて、キッチンで立ったまま食事を取り、早々に書斎に入ったのです。

 私の背には大きなガラス窓があります。

 仕事を始めたのですが、ふと、外に異様な気配を感じたのです。

 私は、回転椅子を回し、窓から外を見ました。

 カーコが斜め向こうにある電信柱の真上に佇んでこちらを見ています。

 そして、黒々とした羽を広げると、私の座っている窓めがけて滑空してきたのです。そして、窓の手前で急上昇し、その時、一声、カァーと叫んだのでした。

 以来、私はカーコを見ることはないのです。

 あの「カァー」は、きっとカーコが「あばよ」と言ったのかも知れないと思っているのです。


奥付



落ちた椿の花


http://p.booklog.jp/book/122171


著者 : nkgwhiro
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/nkgwhiro/profile


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