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九.土壇場

 自分を産んでくれた人を母親というのなら、私には母親の記憶がない。


 幼い頃、父親から「お母さんは死んだ」と言われたことがあるのだけど、今にして思えば暴力的だった父親に耐えかねて出て行っただけなのかも知れない。ともかく、小さい頃の私は父親一人に育てられていた。


 私が小学校に入る頃、父親が再婚して、新しい女性が我が家に加わった。
 自分を育ててくれた人を母親というのなら……残念ながら、この女性も母親とは言えない。何故なら彼女は私を育ててはくれなかったからだ。ただ父親の妻になった人というだけだった。

 新しく同じ家に住むことになったその女性は、私を産んだ母親と古い知り合いのようで、そしてとても憎んでいたようで、大きくなるにつれて産みの母親に似ていく私が気に食わないようだった。

「本当に、あの女に似てかわいくない顔だ」

 顔を合わせるたびにそう言われ、私はどんどん自分の顔が嫌いになった。


 ◇


 それでも、父親が家にいる頃はまだマシだった。
 食卓を囲み、家族みたいなことをしていた。

 私が小学3年生の頃、父は外に恋人を作ったようであまり家に帰らなくなった。
 残されたのは、血のつながらない女と私。

 同じ家に住む女は、私と顔を合わせるのを嫌い、私を2階の奥の部屋に押し込み、別の男を家に連れ込むことも多くなった。
 たまに帰ってくる父親も、私のそんな境遇を気にすることもなく、お酒を飲み、男を連れ込む女に怒鳴ったり暴力をふるったりするようになった。それは逆ギレでしかないだろうと思いつつ、関わりたくなかったので私も家の中で2階の自室にこもるようになった。




 決して多くはなかったが、食費というか生活費のようなものが毎月封筒に入れて階段に置かれる―――これが、私と、私の“両親のような人達”との唯一の交流になった。

 その中からやりくりをして、毎月の給食費と食費と、その他にも生活に必要な諸経費を出していった。
 台所は使わせてもらえなかったから、コンビニやスーパーでお弁当を買ってくるのが主な食事だったが、お金がないときは一つのパンを何食かに分けて食べることもあったし、そのお金すらないときは何日か食事を我慢することもあった。コンビニのチャーハン弁当は特にお気に入りだったので、やりくりがうまくいった時などに奮発して食べていた。

 洗濯やシャワーなどは、同じ家に住む女が出かけている間にササッと済ませる。時々、女が数日ずっと外出しない日が続くと、私は体も洗えず、服も同じものを着るしかないので学校で「くさい」と陰口を叩かれたこともあった。


 それが、およそ小学4年生の頃だ。

 おじさんがたまたま道端で私を見かけ、気になったというのは、単に私の見た目がかわいかったからだけではないだろう(繰り返すが、私は本当に自分の顔がかわいいとは思えない)。


     世界に拒絶された存在――――――


 私とおじさんは似ていたんだ。 


 しかし、私はこの生活が不自由だとは思わなかった。
 テレビは、この部屋に押し込められたときに小さいやつを置いていってくれたので、夜はそれを観て時間をつぶした。生活費をやりくりしてDVDプレイヤーを買ったので、図書館でDVDを借りてきて昔の映画を観ることも多かった。お金はないので、本は図書館で借りたり、コンビニで立ち読みしたり。

 この部屋の中でだけは、私の暮らしは充実していた。

 授業参観に誰も来なかったとか、積立金が払えなくて修学旅行に行けなかったとか、そういうこともあったけれど。元々、友達はいなかったし、さほど気にならなかった。中学を卒業して高校生になれば、アルバイトも出来るようになるし、今より楽になるだろうなんて考えていた。

 あの日までは。


 ◇


 その一週間は珍しく、毎日のように父親が帰ってきて、私と一緒に住んでいる女と口論していた。そのせいでおじさんは私を拉致できなかったのだが、その話は置いといて……

 どうやら二人はそれぞれ別に再婚したい人がいるので、正式に離婚をしたいということだった。
 なんだよ、すごくめでたいことじゃんかよとはいかないのが「私」の存在だ。どちらが「私」を引き取るのかで揉めているのだ。

 どちらが引き取るもなにも、一緒に住んでいるだけの女は血もつながっていなければ、お互いに避けあって会話すらしていない。
 しかし、父親の方も、再婚したい相手には高校生の娘がいて、どうやら新しい家族3人でこの家で暮らしたいとのことで―――「私」というババを夫婦で押し付けあっているのだった。



 そして、その日が来た。 
 一週間も話し合ったが(怒鳴り合った、の間違いかも)、押し付け合いが終わらなかった2人は、互いの再婚相手(予定)を同席させることにしたのだ。

 私が一緒に住んでいた女の再婚相手(予定)の男は急な用事で来られなくなってしまったため、1階では「父親」と「その現在の妻(私が一緒に住んでいる女)」と「父親の再婚相手(予定)の女」と「その娘」の4人が話し合っていた。当人である私には選択権がないので、ただ決められた答えに従うだけだと、2階の自室に引きこもってテレビを観ていた。

 すると、突然ドアが開いて、そこに知らない娘が立っていた。 


「せっまい部屋」

 それが、その娘の第一声だった。
 見た目からすると、恐らくこの娘が父親の再婚相手(予定)の連れ子なのだろう。高校生というから私より少し年上なのだろう、高圧的な態度で私に話しかけてきた。

 「失礼な人だ」と思ったが、私は言葉を飲み込んだ。ひょっとしたら、この娘は私の義姉になるかも知れないし、一緒に暮らしていくことになるのかも知れない。なるべく波風を立てないようにしよう。

「それと、なんかくさくない?」

 あっちから波風立ててきやがった。

「ごめんなさい。でも、アナタには関係ないでしょう。」と、私は答えた。


「は? 聞いてないの? 来週から、ここは私の部屋になるんだよ?」

 えー……1階ではそういう話になっていたのか。 
 ということは、私は一緒に住むだけだった女の方に引き取られるのか。

「私と、私のお母さんも、来週からこの家で住むんだけど、4人で暮らすには部屋が足りないじゃん。アンタの部屋は私が使うから、今週中に机とか片づけておいてよ」

 ん……? やはり父親の方に引き取られるのか……?

「それだと私の部屋はどこに……?」
「アンタの部屋はないから、廊下かなんかで寝てなよ」

 何かが私の全身をかけめぐった。
 “両親らしき人”からどれだけほったらかしにされても、私は“この部屋”があれば満足だった。ここが世界で唯一の居場所だった。


 でも、 
 でも、
 それすら、私には残されないのか――――


 娘が一歩、部屋に入ってくる。

「ちょっと……勝手に入らないでください……」

「は? ここは来週から私の部屋だって言ってんだろ。
アンタこそさっさと出てけよ」

 娘が睨みをきかせて顔を近づけたとたん、私は机の上に置いてあった果物ナイフで娘の首をかっきった。
 台所に入ることを許されない私は、簡単な刃物を買って自室に置いていたのだ。果物は滅多に食べられないのだが、良かった、役に立った。


「うがややああああああああああああ」

  唸り声のような悲鳴をあげて、娘は尻餅をついた。
 血が飛び散ったが、致命傷ではない。そりゃそうだ。私のような素人に、一撃で人を殺せるワケがない。


「なに? なに!? 信じらんない!!」 

 娘は必死に這いつくばりながら廊下に逃げる。
 あー、良かった。このまま“この部屋”でトドメを刺したら、掃除するのが難しいくらい汚れちゃうよなーと思っていたので、廊下に出てくれたのはありがたい。私は娘を追って廊下まで出て、娘の頭を踏みつけ、床に押しつけ、馬乗りになる。

 





「うそっ……うそ、冗談でsy


 母音を言い終わる前に今度はちゃんと頸動脈を切断する。
 血が噴き出し、やかましかった娘はただの肉塊になった。 


「ちょっとー、 どうかしたのー?」

 ハッとした。
 1階から誰かが上がってくる。

 聞いたことのない声なので、恐らく「父親の再婚相手(予定)」だろう。
 これはマズイ。この状況を見られたら「ちょっと怒られる」くらいでは済まない。

 どうするべきか考える前に、体が動いた。
 2階の廊下に飛び散った血を見て固まっていた女の首をかっきると、あっさりと知らない女が死んだ。こういったことは、初めて行う時はなかなか上手くいかないものだが、一回でも経験していれば二回目以降は案外カンタンに出来てしまうものなんだなと思った。



 さて……
 ここで冷静になる。

 1階では、「父親」と「その現在の妻(私が一緒に住んでいる女)」が2階の騒動など知ったこっちゃなく相変わらず怒鳴り合っている。どうしようかと考えたが、これはもう誤魔化しようもないので、2人とも殺すことにした。

  居間の扉を開けてもこちらに背中を向けている父親は、私が返り血にまみれていることにも、既に2人を殺しているナイフがにぎられていることにも気が付かなかった。最後の最後まで、父親は私に無関心のまま死んだ。


 最後に残された一緒に住んでいるだけだった女は、驚き、恐怖におびえ、その後ひたすら私を罵った。ここまで育ててやったのにとか、あの女に似てどーのこーのとか、気色悪いとか、そんなことを。確かに毎月の「食費」をもらっていた恩はあるのだが、「育ててやった」は言い過ぎだろう。その言葉を私に言ってイイ人間なんて、この世界に一人もいない。

 そうして、かつて一緒に住んでいるだけだった女も死体になった。



 家が広くなった。
 人間だったものが4つほどそこらに転がっているが、これで存分に台所も浴室も使えるぞ!

 鏡に映った私を見ると、「赤い」と思った。服も顔も返り血に染まっていた。

「とりあえずシャワーかな……」 

 今までは一緒に住むだけだった女が帰ってくる前にと慌ただしく浴びるしかなかったシャワーが、今日からはじっくり浴びられるぞ。浴槽にお湯を張って湯船につかるなんてこともその内に試してみたいが、一週間ほど体を洗っていなかったからまずは念入りに隅々まで洗わなくては。


 しかし、浴室から出てきた私が聴いたのは、電話が鳴る音だった。
 といっても、私はケータイ電話を持っていない。ということは……鳴っていたのは、一緒に住んでいた女のケータイだった。


 しまった。


 本来なら、今日ここに来るはずだった人物がもう一人いたんだ。
 一緒に住んでいた女の、再婚相手(予定)の男だ。

 せっかくこれでこの家を広々と使えるぞと思ったが、その男がここに来てしまえばただじゃ済まないだろう。


 「もう この家にはいられない」と考えた私は、家を出ることに決めた。
 “あの部屋”を離れるのは惜しかったが、こうなってしまえば仕方ない。出来るだけ遠くに逃げよう。所持金を全て集め、服も比較的汚れていないものを探したら中学の制服になった。それを着て、私は家出を決行した。

 その直後、お腹を空かせてコンビニの前で立ち往生しているところ、おじさんに声をかけられたのだ。
 後におじさんがあの部屋を監視していることを知った私は、「一部始終をおじさんに見られていたのでは?」と思ったのだが、おじさんの仕事が終わって家に帰ってくる時間を考えると恐らく「監視用のアパート」に帰る途中で私を見かけておかしいと声をかけたのだろう。


 私の事件は、三連休の後の火曜日にはワイドショーで取り上げられていたので、きっと一緒に住んでいただけの女の再婚相手(予定)があの家を訪ねて異変に気付いて通報したのだろう。
 その時点で警察が犯人を「外からの侵入者」ではなく「あの家に住む私」だと確信していたのは、おじさんが私の部屋に仕掛けたカメラがばっちりと私の最初の殺人を記録していたからだと思われる。偶然にもおじさんは、自分の仕掛けたカメラで身の潔白を証明したことになる。よかったね、おじさん。もう死んじゃったけど。


 そう。
 もう、死んじゃったけど…… 


 to be continued...


この本の内容は以上です。


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