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登場人物

   【登場人物】
●荻の葉(おぎのは)
地下(じげ)の笛吹、下人のデン、犬のたろうと暮らしている
●将監(しょうげん)
四年前に亡くなった荻の葉の祖父、南朝の笛一者であった
●外記(げき)
荻の葉のもとに通ってくる男ともだち。笛吹の仲間
●彦次郎
赤松家に仕える若い武士。外記を殺めてしまう
●後小松院(法皇)
南北朝統一を果たした天皇。将軍義教を嫌っていて、柯亭を聴かせない
●足利義教(あしかが よしのり)
第六代将軍(公方)。悪御所と呼ばれ、独裁のために宿老の失脚を狙う
●赤松満祐(あかまつ みつすけ)
幕府の宿老。赤松家取り潰しを狙う将軍に対抗し、弟左馬頭や嫡男教康とともに、将軍暗殺を図る
●赤松貞村(あかまつ さだむら)
赤松の分家筋で、将軍義教の寵臣。赤松宗家の家督を狙う
●金沢源助
赤松教康に仕える武士
●大館上総介(おおだち かずさのすけ)
将軍の親衛隊である奉公衆、五番を率いる武将
●市ノ三郎(いちの さぶろう)
将軍護衛を勤める走衆の頭
●中山宰相(なかやま さいしょう)
朝廷内で年に一度、柯亭を奏すことが許されている公家
●山井雅楽頭(やまのい うたのかみ)
朝廷の楽団である大内楽所で、笛方を率いる楽師。笛一者

 

草加市在住の音楽家、宮川悦子さん、山本典子さん、山本さんの愛犬のじろう君には多大なご協力をいただきました。深く感謝いたします。

 

 

 

 


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龍笛 1

   【龍笛】
 京の郊外の小径を、荻の葉はたどっていた。日が暮れる前に、洛中に入らなければならない。年の暮れで、日の落ちるのも早い。遮るものが少ない荒野とあって、寒風が肌を刺す。
 御室寺の法要で、笛を奏した帰り道である。法要の後、僧侶たちに引き留められてしまったのが誤算だった。
(もっと早く帰れるはずだったのに)
 下人と犬を連れているとはいえ、このあたりは物騒である。室町時代の中ごろで、まだ治安はいい。だが郊外は別だ。かつては右京といって都の一部だった場所だが、今は荒れ果てて見るかげもない。田畑の中に村が散在していた。
 さらにこのあたりは、水はけが悪く、あちこちに沼が残っている。葦や葭の陰に物盗りが潜んでいるかもしれない。夕暮れに若い女が歩いていい場所ではない。荻の葉は足を早めた。
 荻の葉は前を行く犬のたろうの背中を、見下ろしながら歩いていた。四本の足で、地を踏みしめながら歩くたろうは頼もしい。腰を振りながら、あたりに気を配っていてくれるのが分かる。
 そのたろうが、ふと立ち止まった。耳をしきりに動かしている。なにか聞こえるようだ。たろうが荻の葉のほうに振り返って、なにか言いたげな顔をした。
 その時、荻の葉にも聞こえる音があった。笛である。
(これは)
 かすかな音だった。かなり遠くで吹いているのだろう。だが、はっきり聞こえる。
 名のある笛は「遠音がさす」という。はるか彼方まで、聞こえるというのだ。これほど小さな音にもかかわらず、はっきり聞こえるということは尋常な笛ではない。
 荻の葉は音のする方へ歩きはじめた。そんな荻の葉を、たろうが導こうとしていた。
「ひい(姫)さま、お待ちください。日が暮れてしまいますぞ」
 下人のデンがあわてている。だが下人の立場では、それ以上のことはいえない。荻の葉の祖父に買われてきた男である。今の主人である荻の葉に、無条件で従うことが務めだった。
 荻の葉は紙屋川に沿って、南にくだる。笛の音は、はっきり聞こえてきた。物悲しい調べである。
「盤渉調(短調の一種)の曲のようだけど、何という曲かしら」
 聞いたことのない曲だったが、胸を打つ調べだった。人の辛さ、悲しさが心に染み込んでくる。これほどの笛は、今まで聞いたことがなかった。
 だが近づくにつれて、笛はどんどん弱々しくなる。もうすぐそこに居るはずだが、笛の音は、かすれがちになっていた。
(死にかかっている)
 荻の葉は確信した。笛は断末魔の叫びをあげて止まった。

 

 

 


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龍笛 2

 葭の陰にその男は倒れていた。両足を小さな沼に突っ込んだまま、仰向けになっている。高価ではないが、仕立てのしっかりした水干をまとい、立烏帽子を被っていた。
「官人でございますね」
 デンがささやいた。殿上人とも思えないが、朝廷に仕える官人に間違いない。
 かたわらに膝をついた荻の葉は、はっとした。男の太股には小刀が深々と突き刺さっている。男の履く袴は血で黒くなっていた。この傷のために死にかかっているのだ。
「もし、大丈夫でございますか?」
 男の肩に手をあてて、声をかけた。
 男はうっすらと目をあけた。
「物盗りに襲われたのでございますね」
 この様子では、他に考えようがない。だが、男は首を振った。
「い・・いや、わしは・・この笛に殺されるのじゃ」
 その時はじめて、男の手に龍笛が握られているのに気づいた。
「笛に?」
「ああ・・この笛を、元のところに戻してくれ。きっと返してやって欲しい」
 力を振り絞って、男は起きあがろうとした。しかし、男には力が残っていない。笛を取り落として、また倒れそうになった。背中が沼の水面に当たって飛沫があがる。荻の葉は、あわてて男の両手を握った。力を入れて、体を起こしてやる。男は、ひどく驚いた顔をした。
 荻の葉の手の平を、男は撫でさすっている。
「女、おまえは笛吹か?」
 荻の葉は目を見張った。
「この指のタコ、こんな所にタコができるなど、笛吹であるとしか考えられぬ」
 指孔を押さえる場所は決まっている。毎日、数百回も修練をしていれば、指も変形してしまう。だが一瞬で分かるものなのだろうか。
「これほど修練を積んでいるのであれば、かなりの腕であろう・・」
 男は、絶句したまま荻の葉を見つめた。
「おそろしい事じゃ。笛が呼びよせたに相違あるまい。女・・」
「はい」
「その笛を吹いてはならぬ。吹いてはならんぞ」
 死にかけているとは思えない力で、荻の葉の手を握ってきた。
「痛い!」
 思わず叫んだ。

 

 男は荻の葉の両手を握ったまま、体を反らせた。男の上半身が、沼に沈んだ。
 それでも、男は荻の葉の手を引いている。荻の葉を沼に引きずり込もうとしている。荻の葉は悲鳴をあげた。
「デン、デン。助けて!」
 デンは、あまりの事に腰を抜かしていた。
 荻の葉には、沼の中にある男の顔が見える。暗くなりかかっているにもかかわらず。はっきり見えた。男の両目はらんらんと輝き、荻の葉を射すくめていた。
「きゃあ」
 そのとき、たろうが飛びかかってきた。男の腕に噛みつくと、首をふって噛みきろうとしている。ばしゃばしゃと、水しぶきがあがった。
 男が突然手を離したので、荻の葉は尻もちをついた。それでも、たろうは沼の中に顔を突っ込んで、噛み続けていた。
「たろう、たろう」
 水しぶきが収まって、たろうは顔をあげた。上半身を沼の中に沈めたまま、男は死んでいた。

 

 


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龍笛 3

 われに返ると、夕闇がすぐそこまでやって来ている。赤い陽が、双ケ岡の向こうにさしかかっていた。魔性の者が跳梁する刻限である。
 たろうは、まだ唸っている。死んだはずの官人が、生き返って襲ってくることを恐れているようだ。
「ひ、ひいさま、早く逃げましょう」
 デンの言うことは、荻の葉にも分かる。
 この時代、人が死んでも事件にはならない。訴える人がいて、初めて事件になる。だが死んだ男は、どう見ても官人だった。しかるべき身分の男を殺したとなれば、侍所(京の治安機構)が黙っていないだろう。太股に小刀を刺し、犬に噛まれた官人の死骸のそばにいて良いはずがない。
 荻の葉は、あわてて立ち上がった。
 その時、落ちている笛が目にはいった。笛を入れる箱もある。荻の葉は、迷わず拾いあげた。
「ひいさま、お止めください」
 デンはほとんど懇願している。そんな物を持っていったら、見つかったときに言い逃れができない。
 それでも、荻の葉は捨てる気がなかった。あれほどの調べを聞いたのである。笛吹として、なんで捨てることができるだろう。
 荻の葉は、小走りに逃げた。たろうとデンが後を追った。

 

 四条油小路にある家にたどり着いたときには、日はすっかり暮れていた。粗末な門をくぐって、やっと気持ちが落ち着いた。走りながら、ずっとあの官人が追いかけて来ているような気がしていた。
 デンが門を閉めたあと、荻の葉は門に篠を立て、縄を巡らした。結界を作ったのである。魔性の者が入ってこないためのマジナイだった。
「これで安心だわ」
 家を囲む垣には篠を植えてある。暗闇の中とはいえ、魑魅魍魎のたぐいも、襲ってこれないだろう。
 そのとき、荻の葉はふと気づいた。家を出るときになかった物を、ひとつだけ持ち帰っている。
 笛だった。
 あの官人は、笛に殺されると言っていた。まるで笛に魔物が棲んでいるような言い方だった。
(まさか・・・たかが笛じゃないの)
 荻の葉は、無理に自分を納得させようとしていた。おそらく自分がこれまで触れたことのないような、笛なのだろう。あれほどの音が出せる笛は初めてだった。
 荻の葉は、奥の部屋にはいると、遣戸を固く閉めた。
 これほど暗くなっていては、笛を調べることもできない。吹いてみることも、はばかられる。明日の朝一番で調べることにして、荻の葉は床についた。
 疲れているはずなのに、なかなか寝付けない。何度も笛をいれた桐の箱を確かめた。桐の箱は、もちろん置いた場所から動くはずもない。そんなことを繰り返して、なかなか眠りにつけなかった。
 明け方近くになって、ようやくまどろんだ荻の葉は、夢をみた。
 あの沼のほとりに、自分はたたずんでいる。風もなく、天空には鋭い三日月かかかっていた。
「笛をかえせ」
 呻くような声が、地の底から聞こえる。荻の葉は逃げようとするのだが、体が動かない。金縛りにあったまま、呆然と立ち尽くしている。
「笛をかえせ」
 叫び声すら、あげることができない。荻の葉は、恐怖に震えていた。
 そのとき、沼から何かが上がってくる。真っ黒な塊が、沼に生い茂っている藻にからまれながら、ズブズブと上がってくる。
「きゃーっ」
 荻の葉は、自分の声で目覚めた。

 

 

 


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龍笛 4

 朝になっている。日の光が、隙間から差し込んでいた。
 桐の箱は、もとあった場所にある。ほっとした荻の葉は、おそるおそる箱を手にとった。
 立派な箱だった。箱だけでも値打ちがあるように思う。蓋を開けると、絹につつまれた笛があった。
 黒みがかった龍笛である。
 しっかりとした造りで、樺巻きも狂いがない。
 しかし、だからといって何か変わった所があるわけでもなかった。かなり古い物ではあるが、荻の葉が使っている龍笛と、違うところがあるようには思えない。
 そもそも龍笛は、二百年の間煤で燻された篠竹で造る。素材は、とてつもなく古いのである。さらに生漆や朱を塗り、樺や藤を巻き付けるという点では、どの龍笛も同じである。比べようのないものだった。
 荻の葉は、箱の中に紙が入っていることに気づいた。上等な紙である。開いた荻の葉は、目を見張った。

 

柯亭 幹仁

 

 その四文字と方三寸の朱印が、押してある。
「かてい!この笛が柯亭なのね」
 荻の葉は紙を握りしめると、龍笛を見つめた。
 柯亭は知られた名笛である。源博雅が朱雀門で鬼から盗んだという「葉二(はふたつ)」も有名である。だが、この柯亭も負けてはいない。葉二などと並んで「天下の五笛」と呼ばれていた。
 今は亡き後小松天皇が、荘園の安堵と引き替えに、皇族から召し上げたと聞いている。広大な荘園と引き替えにするほど、値打ちのある笛だった。
(そうすると、この「幹仁」というのは、後小松院の御名かしら)
 気に入った芸術品には、権力者の署名が書かれることがある。柯亭に惚れた天皇が、宸筆を寄せても不思議ではない。
(そうだ、お祖父さまの・・)
 荻の葉は、部屋の隅の祭壇から箱を持ってきた。その箱には、祖父が大事にしていた書付が入っている。荻の葉は、それを開いてみた。

 

任 左近将監 熙成

 

 そう書かれている。当時の後亀山天皇から与えられた書付である。天皇から左近将監に任命されたときの書付だった。その後ろにカテイの書付にあったのと似た印が押してあった。「天皇御璽」と読める。柯亭につけられていた書付と、形式がそっくりだ。
(間違いない。ミカドが書かれた宸翰(書付)だわ)
 この柯亭という龍笛は、祖父が呼び寄せたものなのだ。荻の葉は確信した。

 

 

 

 

 


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