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はじめに

 発達障害という言葉が社会にあふれています。一昔前にはほとんど聞かなかった言葉ですが、今や発達障害の情報だけでなく、発達障害の診断を受けた人や自分が発達障害でないかと疑問に思う人が多く見られます。

 私は平成十六年から学校現場の心理職として働いています。この約十五年の間に発達障害を巡る状況は大きく変わりました。法律が変わって特別支援学級を学校につくりやすくなったり、名前としては有名なアスペルガー障害が別の診断の中に組み込まれることになったりと、発達障害を取り巻く環境は激変しました。

文科省のデータによると特別支援学級は年々増えています。認知されている発達障害は間違いなく増えているようです。

 この本では発達障害はなぜ増加したのかという理由から発達障害を考え直していきます。

 第一章では、グローバル化、生存の地滑りという二つの言葉をキーワードに、なぜ発達障害が増えたのかを説いていきます。

 第二章では、それをふまえて社会はどう変わるべきかを書いていきます。

 第三章では、自分や子どもが発達障害かもしれないと思っている人に向けてのヒントを書いています。

 この本では発達障害の個別の症状や対策ではなく、発達障害や社会の考え方をどうしていくべきかに焦点を当てています。

 それでは、発達障害を巡る考察におつきあいください。 


アスペとADHDの区別がつかない?

 発達障害が増えたということには二つの可能性があります。

 一つは本当に発達障害な人が増えている状態です。インフルエンザが流行するようにその疾患の人が単純に増えている状態です。

 え、他のパターンなんてあるの? と思った方もいることでしょう。もう一つありえることは、今まで発達障害とされていなかったものが発達障害と診断されるようになったというパターンです。

 前者の可能性も決して少なくありませんが、私は後者の可能性が高いと考えています。

 この章では、まず発達障害という枠組みがそれほど定まったものでないことを書いていきます。さらに、発達障害という枠が広がった理由についても考察していきます。キーワードは二つのグローバル化と生存の地滑りです。

 

 

 アスペルガー障害とADHD。一見二つは全く違う障害に思えることでしょう

 しかしです。今から十五年前に私が大学院で精神医学を学んだ時に、その教科書の発達障害のところにはこんな一文がありました。

「アスペルガー障害と注意欠陥多動障害では、専門家的にも鑑別に苦しむことがまれにあるが、その場合でも治療的対応は大きくは変わらない」

 落ち着きのなさなどを症状とするDHDとコミュニケーションのすれ違いを症状とするアスペルガー障害がなぜ区別がつかないことがあるのか。その時はよくわかりませんでした

 しかし、学校現場で子ども達を見てると少しずつこの言葉の意味が分かってきました。

 一部の子ども達の中には確かにアスペルガーのようなコミュニケーションの微妙な機微が苦手な子どももいれば、落ち着きのない子どももいます。しかし、両方の特徴が見られる子も少なくないのです。

 

 発達障害の判断の定まらなさについてはもう一点、症状、特性の重さも気になりました。発達障害かどうかの線引きというのはかなり難しいものだと思っています。どれくらいの症状の重さから診断を受けるべきかというのは専門家の間でもかなり意見が分かれる部分です。

 また、落ち着きのなさなどの症状はどんな場所でどんなことをしてるかといった環境に大きく左右されます。特性だから環境や気分は関係ないということはありません。

 発達障害と一口にいいますが、どんな特徴がどこから障害なのかという難しい問題があるのです。

 


DSMの功罪

 何が、どこからが病気なのか?という問いに対して不思議に思った方も多いことでしょう。

 病気とは症状ではなく原因で決まるのではないかと。そして、確かに大半の病気は、原因が存在します。ガンはがん細胞が出現したことによりガンと診断されますし、インフルエンザなどの感染症は感染したかかどうかを検査することで診断が下されます。

 しかし、精神疾患に関してはここが少し微妙なのです。

 現在の精神疾患の診断の基準はDSMというアメリカ精神医学会がつくったガイドラインが主流です。このDSMが画期的な点は、病気の診断を原因から見た目の症状で判断するようにしたことでした。これはどの医師でも共通の診断を出しやすくする為だったようです。現在でも様々な精神疾患の原因と考えられる脳の細かい部分はまだ解明しつくされておらず、脳の検査で精神疾患かどうかの判断がしづらいことを考えれば、この変更は英断だったと思われます。しかし、この変更は疾病というもののとらえ方にまで変化をもたらしました。病気を原因ではなく症状で判断する傾向が強まってしまったのです。

 発達障害に限らず全ての病気、障害にいえることですが、病気というのは何もなく存在するのではなく、定義することで生まれるものなのです。

 この点の問題点を考える上で必読の本があります。


疾病概念のグローバル化

『クレイジーライクアメリカ』という本は、「こういう現象は○○病である」という定義が輸入されたことでその国でのその病気を取り巻く環境がどう変わったのかを書いた本です。香港の摂食障害、スマトラのPTSD、ザンジバルの統合失調症、日本のうつ病の四つついて書かれています。

 普通ならやせることはいいことだという感覚が輸入されたことで摂食障害が増えたと考えることでしょう。しかし、香港ではやせることや太ることへの感情と関係なく、摂食障害という病気があるという情報こそが摂食障害を増加させました。津波のあったスマトラでは欧米から来た支援者がPTSDという概念を持ち込んだことが、元々スマトラの人が持っていた死別の作業を混乱させることになってしまいました。ザンジバルではそれまで悪霊の仕業とされていたものが統合失調症という病名がついたことで、患者の社会的な位置が悪い方向に変化してしまいました。日本では九十年代を境にSSRIという新型のうう病治療薬が入ってきたタイミングでうつ病が急増してしまいました。

 今まで病気以外の別の現象とされていたものが病気であるとされることによって、その現象の意味が変わってしまうのです。

 新しく病気や障害と認定されることにはプラスの変化もマイナスの変化もありますが、病気というものは決して定まったものでなく、ルールによって決められるようなものだという認識は必要です。ルールが変わればその対象や範囲も変わるのです。

 

 『クレイジーライクアメリカ』で書かれているように、病気は定義されることで生まれたり、存在の意味が変わることがあります。

 近年になってDSMなどによって精神疾患の概念が世界中で統一されるようになりました。発達障害についても、発達障害という概念が世界中で共通のものとなりつつあることで発達障害が増えたという側面はあるはずです。

 

 これが発達障害が増えた理由の一つ目のグローバル化です。


社会の何が変わったのか 経済のグローバル化

 病気の定義がグローバル化したという話を書きましたが、日本で発達障害が増えたとされるのにはこの疾病概念のグローバル化の影響だけでなく、もう一つはいわゆるグローバル化そのものが影響したと考えています。

 グローバル化とは人、物、金の三つが国境を越えてそれまでよりも自由に動くようになることを言います。別にここ何十年だけのことではありません。長い歴史の中で世界は何度もグローバル化をしています。ただ、今回のグローバル化はその中でも大きいものです。

 いつからというのも難しいですが、九十年代のバブル崩壊から回復する間もなく九十年代後半から二千年代、そして現在である十年代の変化を考えていきます。

 グローバル化によって何が変わるのか。ビジネスの競合相手は世界中になりますので、安価な労働力に引きずられます。労働者より企業が、中小企業より大企業が強くなっていきます。

 その結果、人々の暮らしはどうなるか。単純に年収が下がることになりました。これには、正規雇用が減って非正規雇用が増えたことも大きく関係しています。さらに仕事の中身にも変化が起きています。給料が下がらなかった人も様々な変化があります。今まで十人でやっていた仕事を八人でやるといった仕事の効率化が多くなりました。企業から見れば効率化ですが、働く人から見れば仕事がきつくなったということになります。労働時間が増えたり、仕事量が増えたり。仕事のストレスが増えたことで、仕事での対人関係ストレスがさらに増えるという悪循環もあるでしょう。ブラック企業の問題が目立つようになった一因もこういった変化にあると考えられます。

 さらに、グローバル化によって一部の企業が強くなったことと関係して、国は財政の健全化が優先され、社会保障の削減や利用者負担増が世界中で見られるようになりました。お金を稼ぐのが難しくなっただけでなく、必要なお金の額が増えてしまっているのです。



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