目次
プロローグ
暗い居場所
生きづらさと病気
涙の分だけ軽くなるよ
小さい頃の話
演技をして生き延びた
本の世界に広がる自由
家よりも学校が好き
彦星と乙姫みたいだね
料理やお菓子作り
将来の夢
優しくておおらかな性格
完璧にしたい
一人は嫌だよ
精神科的な問題が表面化した頃
始まりは自傷行為
気づいて
病気になりたい
勉強は裏切らない
褒めて伸びる子
高校の保健室の先生
精神科との付き合い
精神科遍歴
真似っこが得意
愛犬のぴよ子
大切なものはそこにあったはずなのに
この精神科医に出会って希望が見えた
甘えるための入院生活
決別、強制親離れ
肝っ玉母ちゃんみたいな女医さん
趣味っていいね
死にたい病
精神破壊
別れはいつも突然に
私にはちゃんと記憶がある
許されるならもう一度
師長さんは理想のお母さん
やさしく生きる。
食べることに苦労した
激しい過食嘔吐
仲間との出会い
自傷行為のプロフェッショナル
私は自傷行為のプロフェッショナル
救急車に憧れた
入院への逃避
飛び降り
誕生日が怖い
リストカット
瀉血
抗がん剤
その他の薬
様々な自殺未遂
初めて自殺未遂
カフェイン過剰摂取
鉄剤過剰摂取
再構築
見つけるのは難しいけど探すんだ
幸せを手放さない
前向き後ろ向き
脱線事故
頑張れるんじゃない、耐えているんだ
ミュンヒハウゼン症候群
健康オタク
ベクトルの方向
やるなら徹底的に
私が本を書いた理由
一人じゃないと思えるだけで少しは救われる。
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暗い居場所

死にたい。そう思う瞬間が増えていく。息を吸う、人間の基本的なことでさえも苦しくて空気さえもが重く私を縮こまらせていく。

夜になると1人でひとしきり泣いた。それがストレス発散方だった。苦しくて、悲しくて、つらくて、自分の嫌なことばかりが目に付いて、周囲にも適応できなくて、ひとりぼっちだった。

 

私は何度も何度も自殺未遂をした。その数は数え切れない。また自傷行為の数はそれを上回り、私の体にたくさんの傷跡を残した。

傷だらけの腕を見ると悲しくなる。きれいな腕が羨ましい。だけど傷がない腕を持つ人がどうやってここまで生きてきたのか不思議に思う。こんなことをしなければ生きてこれないなんて恥ずかしい人生だ。

 

私はこれからも生きていくのだろうか。死にたいともがき苦しんでいる今を乗り越えるのだろうか。生きていくその先には何があるのだろうか。

 

思うようにいかない人生に嫌気がさした。普通に生きていくことができないから病気に逃げることにした。でも病気に逃げて楽をしたかった訳じゃない。私が欲しかったのは私への関心。愛に飢えた心はひたむきに注目されることを求めていた。寂しい、本当はそれだけだったんだ。病気は寂しさに付け込んで私を引きずり込んだ。それが何年にも渡って私を苦しめるなんて想像すらしてなかった。


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生きづらさと病気

私の生きづらさは、生まれ持った性格そして生育環境が大きく影響しているのだろう。覚えている限り、ずっと生きづらさを感じていた。始まりは幼少期にまでもさかのぼるだろう。私の一番古い記憶の中でも私は、「生きづらい」のだ。

 

その生きづらさが後に私の精神科疾患、境界性パーソナリティ障害(BPD)に発展した。自傷行為や自殺企図。不安定な感情。その変動幅はジェットコースターに例えられることが多い。的確だと思うが、私はその表現が好きじゃない。対人関係、対人操作。見捨てられ不安。この疾患では多様な症状が現れる。私の症状の中で一番激しさを感じさせるものは、自傷行為だ。私の自傷行為の程度はひどい。自分でもひどいと思う程なのだから。そしてその行為の激しさは年々強さを増していく。

 

私はこだわりが強い。発達障害的なものがあるのかもしれないと自分では思うのだが診断されたことはない。医師に言わせると、こんなに文章を書ける人が発達障害なわけないでしょ、ということである。私のこだわりをおおまかにいうと、普通が嫌いという事と規則性が好きという事である。

例えば、前述したジェットコースター気分という表現が嫌いという話。なぜ嫌いかというと、多くの人間がむやみやたらに多用しているからである。私は人とは違う存在でありたいのだ。大衆が好んで使うような言葉で私を表現したくないのだ。医学用語として確立しているものであれば、用いるのに嫌悪感も感じないが、この言葉はそういうものではない。

次に私はリストカットという言葉も嫌いだ。これから派生するリスカ、アームカット、アムカなんて言葉はもっと嫌いだ。私がリストカットをしたときどう表現するかというと、自傷行為や腕切りやカットという言葉を用いることが多い。病院に行く時なんかも自分で前腕を切ったと説明する。リストカットという言葉を極力使いたくないのだ。理由は先ほどと同じ。また、リストカットのイメージが嫌いだ。思春期の子供がやってしまう自傷行為と捉えられることが多いのではないだろうか。私はもういい年した大人なのだ。思春期なんて何年も前に終わった。私のような大人がリストカットだなんて自分で恥ずかしいのだ。私だってこんな歳になるまで腕を切り続けているなんて思ってもいなかった。他人からしたらやっていることは同じ、言葉の意味も同じ、しかし当人の傷つきやすいプライドを守るために私はこうしているのだ。

 

続いてもうひとつのこだわりについても説明する。規則性が好き。簡単に言うと、同じことを続けていたいということだ。小学生の頃算数で単位を教えてもらった時、mlやdlは小文字で書くのに対し、Lは大文字で書くことを理解できなかった。私は単位は小文字で書くものだと理解していたのに、いきなり大文字で書くことを習い戸惑った。だから最初はLも小文字のように小さく書いて、もっと大きく書くように指導され、どうして?という疑問が解けなかったのだ。テストでLを小さく書いてバツにされたこともある。でも私は直さなかった。

また小さい頃道路のブロックを選んで踏んで歩いたり、影を踏んで歩いたり、したことはないだろうか?多くの人が小さい頃やったことだと思うが私はそれを今でもやってしまう。小さい頃は今よりもっとこだわりが強かったため、ブロックが途切れたり、踏んでいた色が無くなったりすると、前に進むことができなくなった。

布団に入って眠るときにもこだわりがあった。体を掛け布団で全て覆い隠すということを徹底していた。はみ出している部分は夜中に切り落とされてしまうという強迫観念があったのだ。当然隠れていなくても切り落とされることはないのだが、子供のときはそれを信じていた。大人になった今では気にしなくなった。規則性というか、マイルールを徹底してしまうという話かもしれない。

 

これらの話は一例でこの二つのこだわりは私の生活の隅々まで浸透している。困ることも多いが、譲ることはできないのである。理解できれば、多少は薄れることもある。

このこだわりの強さも私の生きづらさに影響しているのだろう。これは生まれもった性質の問題だ。


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涙の分だけ軽くなるよ

私は泣くのが得意。元来、泣き虫。泣くことが嫌いじゃない。すっきりするから。

今までにどれだけの涙を流したのか、計り知れない。声を殺して泣くことも、大声でわんわんと泣くことも、泣き疲れて眠ってしまったこともある。いろいろな経験をしていろいろな人と知り合っていろいろな泣き方をするようになった。前は誰にも気づかれないように声を殺して泣くことが多かったのに。そしてある時、涙が枯れないことに驚いたんだ。こんなに泣いても涙があふれてくるから、脱水にでもなってしまうんじゃないかと思ったよ。

 

友達に「泣いただけ、軽くなったんじゃない?」って言われたことがある。確かに。体重を測っても変化はなかったけど、心は軽くなった。その言葉にずいぶん救われた。だから私も泣いている人を見ると、「涙の分、軽くなるよ」と言ってしまう。

 

泣くという人間の仕組みはとても合理的だと思う。それだけで楽になれる時もあるから。私も泣くだけでストレス発散をしていた頃はまだ健康的だったと思う。その方法がいつしか自傷行為に取って代わり私は傷だらけになってしまったから。でも泣くだけでストレスが発散できないほど私の心が困窮していたのも事実。

 

泣けない時期もあった。感情が麻痺してしまって何も感じることができていなかった。心が疲れはてて身を守るために、感情を感じることをやめていたんだと思う。その時の私は言葉も喋れなかった。簡単な返事すらできなかった。

 


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一人じゃないと思えるだけで少しは救われる。

私は読書が好きだ。その中でも忘れられない本がる。それは「Itと呼ばれた子」。私がその本を読んだのは小学6年生の頃だが、何度も何度も読んだ覚えがある。

その内容の痛みが何故か私の気持ちとリンクしたんだ。そして私は一人じゃないと安心感を覚えたんだ。こんなに苦しい人生だけど、もっと苦しい人生を送っている人がいる。でもその人は大人になって本を書いて、その本は世界中で販売されるほどのヒットを記録している。それが希望にもなった。

 

全ての生きづらさを抱える人に、こういう生き方をしている人がいることを伝えたい。自分とは違うかもしれない、でも自分もこういうことあったなぁと共感してもらえると嬉しい。

 

私は精神疾患との共存を選んだ。完寛したとしても、生きづらさは消えないだろう。生きづらさに殺されてしまう前に、自分がひとりぼっちじゃないことを知ってほしい。そのひとりぼっちの寂しさとうまく付き合えるようになったとき、「生きやすさ」が生まれるから。

 

そして精神的な整理がしたかった。そのために自伝を書いた。

今までの生き方を見直して、まだ気づいていない生き癖を見つけたい。そして私という人間を少しでも理解したいと思ったから。

 

私が私らしく生きていくためにはまだまだ時間が必要なんだ。時間だけがあればいいって訳じゃないけど、私が自分の感情を大事にしてこなかった時間の長さに比例するように、私は確実に傷ついている。私の傷はまだ生々しくグロテスクなんだよ。カサブタができた所もあるけど、膿が溜まってジュクジュクしてるんだ。

 

生きることも死ぬことも、できなかった。何者にもなれなかった。

 

私が苦手なのは、考えなしに喋ること。物事をうまく説明すること。興味が無いことを理解すること。人にアドバイスをすること。自分の心身を大事にすること。数を数えること。

得意なのは、人の気持ちを察すること。人の気持ちを考えること。人の痛みに共感すること。自分の好きな事を見つけること。前向きに考えること。キラキラした文章を書くこと。

 

歳を重ねて、対処法や代換え法を学んだ。経験とともに少しずつ精神症状が緩和していく。

大事なのは、自分の機嫌は自分でとるという事だよ。セルフケア。

疲れたら休む。お腹がすいたらご飯を食べる。気分転換のためにスイーツを食べる。気心がしれた人に会いにいく。

 

赤ちゃんじゃないんだから、おぎゃーと泣いて、お母さんが自分が何して欲しいのかを察してくれることはないんだ。お母さんという存在は大事だけど、本来の私たちには自分で自分のことをやる能力が備わっているんだから。

 

今の私に一番大事なのは、自分をけなさないことなんだろうな。

自己肯定感、高めていきたい。

 

おわり

 


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

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