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大立替について

 日本をみたならば近年のこの変わり方、とにかく大正以来日清事変から大東亜戦と色々起こっていますが、とにかくよくこの世の中の情勢を静かに見なければなりません。

 さて世の中がどうか変わるか。神さまのご神示では世に大立替により悪を滅ぼしてしまって、極楽の様な世を作るのが神の理想です。

それは度々言ってますが、信仰を持つ者は無論信じているでしょうが、実感していない人もありましょう。ただこんな具合に起こるとか、ただ大立替があるなと、漠然と眺めているかもしれませんが、結局は皆大自然の業とみなければならん。

 大立替は大正の初めからズンズンと起こっている。そのことに人は気が付かないんでしょう。これに気付いている人もありましょうが、とにかくここに例えば三つの山がある。真ん中の山が一番高い山です。この次にも山がある。全部で三つの山がある。そこで最初の一つの山は大正初年から始まり終わった訳です。

 また、大正年代、日本だったらどうだったでしょうか。関東大震災では、何万という人が一回に死んでいる。あの大震災につきましても、私は起こる三年前に知っていましたが、場所が関東とは神さまは教えなかった。教祖に悟れとも言わなかった。

その時、大和山では最初の神憑りをした千田きよのにお告げがあり、「三年後の旧七月二十一日より二十三日までは、世に大立替があって、一変に幾万という人が死ぬぞよ」とあった。

私が「それはどこでございましょうか」と尋ねても、結局場所は教えてくれなかった。

 ただ曖昧なことを言うだけで、とうとう場所は分からずに終わった。

それは私自身が丁度この私が山に居り、関東大震災が起こったのは、丁度九月の五日から六日までしょうか。この日は暦では、旧七月二十一日に当たる、旧二十一日から二十三日までが。ところがその一日目から三日間まで東京で関東大震災が始まった。このお告げがあったのが、その三年前です、

 このように神さまはずっと以前に言ってある。しかし、三年も経った後のことですから、解る筈はない。例えば、これから三年後なり、来年なりに起こると予言されても、一慨にとても予測する事はできない。でも、この一つ目の山が大体私らのご神示から見ると、大正年代から入っている。

どうも昭和二十年頃までにこの一つの山を越したのですが、この大正十二年に東京大震災があった。大震災にもなる色々の要因があったのでしょう。だだ、昭和に入って今年で三十二年ですから、この二つ目の大きい波が、この山のまず頂上近く四段以上差し掛かっている。

 正にこれから一年間だけはこの山を越すのですから、困ったことになったと思って覚悟しなければならない。そういう大変な世の中に我々は生きていくので、今後何年、小競り合いが起ころうとも、幾ら黄金を山と重ねても、まる焼けになり、やはり下の人間は迷わなければならない話です。

 しかし、世はこういう具合に変わるからといって生活を投げ遣りにしてはいけません。日々が下座の行なのです。何と言っても生活が第一ですから、だからいい加減な生活は生涯続きません。身を黄金の為に働いても、例え頭の上に一つ大きな弾が飛んできても、作らねばならない田は、最初から作らなければならない。そういう事が起こらない様にするのが日頃からの信仰です。

 今この様に世の中が変わってくるものだ、という事を考えると、また目前の驕る欲には、よほど考えなければいけない。生活のためよく働いても、一方の信仰にも疎くならないようにしなければならない。ここで信徒の方々を見てみますと、一家に不幸がなく、順調に儲かっているとどうも、自然に信仰から遠ざかるようであります。

私は家に居て、ちゃんと拝んでいますよ、と言っても、拝むだけが信仰でないと、前から言う事であります。それで、不幸が来たり、来ないようにするため、神さまの側に遣って来て、「伺う」訳です。

 伺って、今度は本当に願った通りいけば、世の中に困る人はない。

信仰して何かの神さまの行事があって、参山して伺って決めたらいいけれども、伺っても伺った通りにはなかなか思うような結果が出ないものです。

 それでも、結果が十も現れる人もあれば、一、二、三、五、六という様な具合に、その結果の功徳があるのは、その人たちのいわゆる心の在り方しかない。ただ困ることは、信仰した人であっても、一家の人が皆揃って信仰しないのが、一番良くない。

 子どもが信じて親が信じた。親が信じて、子が信じない、嫁が信じない。というのがあるもので、信仰という事をどんな時でも信じられる人が、一番面倒なものです。どう伺っても、何を聞いても、その結果があるですから、普段からの心得というものをよく心得なければならない。

 ただ目前の利に走る。ただ儲けて取る、ただ取るという事を考える。それだけしか考えていないと、必ず次には取られて損をするものです。なるべく悪は作らないようにしなければなりません。

だが、何と言っても、ただ儲ける、取るという考えは悪となり、罪を作る様な世の中になっておるから、どういう風な事をしましても、幾ら神の前で白衣を着ましても、少しも悪がなく、罪がなく世の中を渡るという事ができない。

なおその申し上げますが、大半の人は真の救いに至らない。我が大和山では、大和山の手伝い、神の方に使える本部員であっても、神はこう見ている。そういう人たちの心の底に皆泥、隙があるぞとこう言っております。だからまだまだ一層磨かなければなりません。

皆さんは大和山本部の人は、神さまや仏さまの様に思っています。特に肉体を持っている人間は、教祖先生でも、生まれから霊感によって相当の功徳を持っておる。ところが功徳の強い人と功徳の薄い人もありましょうが、どこの誰でも伺って、これで良いと言われてもなお心を磨かねばなりません。

なお大和山に関わらず大和山でなくても、宗教界にある人は、安閑としているから、心に油断ができています。いずれ皆が目覚める時が、必ず来ると私は見ています。いちいち一人一人に言いませんが、とにかく神の前にある者、本部員ですら、皆功徳が強い者であるのではありません。

まして俗界にある皆さんが、色々な事故もあり、荒波を渡っているのですから、杖一つで渡れという訳には無論行かない。なるべく悪なる心をおこさない様に、罪を作らん様にしなければいけない。

罪を作るのはどういうことか。それは、自分で自分の手で穴をこしらえる様なものだと神さまはおっしゃる。だから、ただ今年の作柄を聞いて、ただ米を採る採るとこう考えないで、一心にこの神さまにどの様に進んだらいいかと言う事を静かに考える事が非常に必要であります。

年頭のご神示は余りにも長く行われているんですから、お知らせはしますが、ただその事、神のご神示にのみにこだわらない様に、よく結果を見れる様にしなければならない。それが第一であります。まだお前はいい、伺ったものがその通りにいくかと言えばいかない。昔から伺わなくても、神さまにご加護してもらう様にしなければなりません。

 今の神さまの信仰のお話は皆さん大体ここに書いてあるからして、お互いに悟ってもらう事です。昨年の熊は、なるほど、立ち上がったのみで、わが日本には危害がなかった。だが、ハンガリー等の情勢は、確かに熊が立ち上がった。私の言った事は、どういう情勢であろうと、当たらなくはないのです。

 一体私の悟りを言う事はよくない。それは当たるかはずれるか分かるからです。それを世界情勢としたならば、日本という国は、ニワトリとしたらどうでしょう。一番先に夜明けには、コケコッコーと鳴くから、どうものこのニワトリは私には日本の匂いがする。そういう点から皆さんこう悟ってみる。

今度は国際連盟で、日本がこのお仲間入りをしたといってワイヤイ騒いでいます。ところが、片一方にはソ連があります。片一方に米国が付いており、この因果のもとに、全て武器を整えたりしている。

また、国連に入って一角の富があるのだという訳で、この鶏、コケコッコーは日本だぞと。これは余り人中に言っても歌えないじゃないか。篭の中に入って黙ってこう見ている日本の柄じゃない。

情勢から考えるというと、どっちもソ連というものは悪い。日本に米国が付いてあるからして、ニワトリも余りしゃべらないでしょう。生きているけれども、その位片づけておかねばいいが、片づくものじゃあないかとこう考える。後のサルの顔の絵について私は申し上げません。悟りが外れると困るからして言いません。

天候状況は春は大表者は誰だろう、鎌は何だろう? 鎌は五、六本もあるんだそうです。それをずっとただ悟っておく訳です。各年ですから、余り皆さんどう思うか悟れないんでしょう。こうなると言えばいいが、それは言えない。神さまは色々と余計な事は言うなよ、と分からない様にする。いよいよ時が来たら分かるけども、確かにこれは外国情勢を教えになったものだろうと思う。それで、今も申します様に世の中が非常にこれからより以上変わるとみねばなりません。

 それで、神の立替の時が、何時頃から始まったかと言えば大正年代に入ってから始まっている。山が三つあると、一つの山を越してしまった。一つの山を越した中で、大きい事は日本としては、何と言っても東京の大震災でしょう。あれは大正十三年ですか。

 最初の一つの山は越したが、どうも真ん中の高い山はまだ越していない。私から見ますと、丁度今は山の中腹からやはり頂上に向かっております。今幾年か経ったならば、この頂上にかかる時、どんな深刻が来るかそれはわからん。この大きな山を一つ越して、又向こうにまた一つの山がある。

 

 世の中の大掃除はそう軽々にはできないものらしい。何と言っても最後の勝利者がこの山々を満足に越してゆく人が幸福者です。ところが平坦な地を行きまして、この三つ山を越えたならば、ああ今年も風はどうだ、水はどうだ、地震がどうの、あらどうのこうのという様な心配がない世の中が確かに来る事になっております。まず一辺から生きた極楽という世の中をつくるのですから、神さまの言う事に決して嘘でないと神さまはおっしゃる。ただ人間がそういう時を迎えるには、まだまだ時が遠いのであります。よく落ち着いて信仰をした方がよろしい。ただ伺う、拝むという簡単な考えばかりもたないことです。その人の信仰、その人の心の如何によって結果が決まるものです。


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年頭のご神示について

 今回、昭和三十一年の大晦日での歳元旦祈願祭のご垂教のご教話をお届けする。途中から年頭のご神示の解説は、十一月に行われる感謝祭と合わせて行われるようになったが、本来は年越しに行われていた。

 昭和三十一年はどんな年かは、小松風先生の開催挨拶にある通り、日本が昭和二十九年独立を果たし、念願の国際連盟に加入を果たし、国際社会に復帰できた。小松風先生の挨拶で分かる通り、アメリカの日本占領は三十年続くだろうと見解を述べているが、これは誇張をでもなんでもない。

当初のアメリカ軍の占領方針は日本の弱体化にあった。その証拠に教育への関与、軍国主義の台頭の根源は天皇制にあると廃止に踏み切り、教育勅語、終身(今でいう道徳)を廃止させ、教育に関与し、日本の弱体化を狙った。そして軍隊を廃止し、平和憲法を押し付け、軍隊を持たない弱体国家を図った。

平和憲法の下、統帥権を持つ天皇を象徴天皇へと変貌させた。天皇が軍隊に関与しないのは、大和山の教義で現人神である天皇が武器を持つのは疑問であったが、統帥権のない天皇はある意味では理想的な形態なのかもしれない。なぜ明治憲法で天皇に統帥権を持たせたかは意外に知られていない。明治憲法を作る時問題になったのが、軍の機動性である。

攻撃する好機に即座に行動できなければ好機を失う。議会の承認を得る間にその機会が失われる。そのため議会の承認なしで行動できる機動性から設けられたのが統帥権である。この制度は明治時代の元老たちの存命中はうまく機能した。

だがこの制度の抜け穴に気が付いたのは、昭和の軍人たちである。自分たちの首に首輪が付いていないことに気が付いた。つまり怖いものがないことに気が付いた。

ここに昭和の軍人たちの暴走が始まる。

政府の戦局不拡大の方針に従うことなく、中国で戦局を拡大させていく。軍人たちは天皇の軍隊の名の下、中国大陸で戦火を繰り広げる。満州帝国は関東軍の傀儡政権である。関東軍が政府の方針に従わない強みは、独自の資金源を満洲国から得ていたためである。

かつて石原莞爾が五族協和の願いの下、建国しようとしたのが満洲国だが、彼の思惑から満洲国は財閥の権益と軍部の資金源と化し、莞爾の願いとは別の物となった。

それでも満州帝国は第二次世界大戦が日本の敗戦で終わる事がなければ、今では東洋一の帝国になっていた。ソビエトを結ぶシベリア鉄道「アジア号」は東洋一の鉄道であり、満州帝国が誇る鉄道でもあった。そして日本の財閥は皆、満州に膨大な資金をつぎ込み、施設の拡充に努めた。

戦後中国は日本への賠償金の請求を放棄したが、満州に残した工場施設の財産からすれば賠償金は遥かに超えていた。

満鉄の技術は戦後新幹線の技術として、復活する。満州の遺産はこんな形で開花している。戦前、拡大した領土を総て失った日本を二度と戦前の姿に戻すまいとするのが、アメリカの占領政策の狙いだった。そのため平和憲法のもと、再軍備の途を断った。

終戦後、進駐軍の日本上陸と共に小松風の恩師岸本秀雄教授は、アメリカで学んだため、持ち前の語学力を買われ進駐軍の通詞に抜擢された。これが小松風先生の進路を決定づける契機となった。恩師から持たされる進駐軍の情報は、アメリカは日本を長期占領する予定だという腹だった。

 日本の弱体化を進めるアメリカ軍の政策に、小松風先生は帰郷後教育による国家の再建を描く。

これが後に私塾松風塾の開設となり、松風塾高校の前進となる。小松風先生の祖国再建の希望は、昭和二十五年の朝鮮戦争で現実のものとなる。朝鮮戦争の勃発により、共産圏の余波を食い止めるため、日本を防衛ラインとする方策に迫られ、日本の再軍備が始まる。これが自衛隊の前進、警察予備隊である。そして、軍需産業の拠点として日本は栄え、これを契機として日本は活力を取り戻す。昭和二十六年日本は独立し、ついに昭和三十一年には国連に加盟し、国際社会の仲間入りを果たす。そんな意義のある年であった。

 熊が立ちあがった絵の年頭のご神示の意味は、この年の十月のハンガリー動乱を暗示していた。

 さて年頭のご神示の解説は何時から行われていたか。恐らく戦前からではないかと思われるが、残念ながら父栄造に確認しないまま終わってしまった。不徳のいたすところである。

現在は行われなくなった年頭のご神示だが、世界情勢などは分かったようで分からない絵で示される。終わってみてあの事かと言わればそうかも知れないというものばかりである。毎年絵を眺めては首を傾げるのが毎度のことだった。教祖さまご在世の時は、教祖さま自ら年始の年頭ご神示の解説をされたが、ご昇天後は新しい年頭のご神示の解説は、小松風先生。古い方は松邦先生がそれぞれ担当していた。

私は差ほど興味がなかったが、農家の人には死活問題であるから無関心という訳にはいかない。

このために信者になっている人もいたと言っても過言ではない。実際、感謝祭で年頭のご神示の解説の時間になると会場は参加申し込み人数以上の参加者で溢れ、担当者も対応に苦慮するのが毎回のことであった。

 つまり会費を払わず年頭のご神示だけを目的に参加する人がいる事になる。如何にそういう人が悪質かは、(はん)(てん)を着用して何食わぬ顔で当時会場の天峰閣ご神前に参列する。

 半纏は売店で信者でなくとも買えるから、それを手に入れて着用すればいい。それが会費を払わず、年頭のご神示を拝見する方法である。信者でない人もいるが、中には信者で会費を払わず、それだけを拝見して帰る人もいた。

 

 悪質な話だが、信仰はしなくてもご利益だけはほしい。そんな人たちが如何に多いか分かる。教祖さまが病気治しで治した病人には、こんな人がいたのは確かである。


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大立替三つの山

さて教祖さまは大立替三つの山について、このご教話の中で述べている。私も松風高校時代舎監からこの大立替三つの山について聞いたことがある。本部員は当時、この話をよく話題にしていた。教祖さまの話ではという説明だったが、今がこの三つの山に入っているという内容だった。

 だがその根拠がこのご教話の中にあったとは知らなかった。

 さて、このご話話を根拠として大立替三つの山について触れたい。

 手掛かりは昭和二十年終戦を一つ目の山の終わりと述べている点にある。大立替は三十三年を一区切りとする。そしてその真中、十六年六カ月を山の頂点ピークとする。

 すると昭和二十年は西暦では一九四五年であり、三十三年前を始まりとすると一九一二年が一つ目の山の始まりと解る。この年が大正元年であり、恐らく教祖さまは大正元年を一つ目の山の始まりと捉えたのは、改元に基づいてであろう。関東大震災は一九二三年であり、大立替の山の頂点に向かう途中である。第一次世界大戦は一九一四年であり、一つ目の山が入って間もない頃である。さてピークの一九二八年以後に目を向けると、この年昭和天皇の大嘗祭が行われている。

 大和山の神典では天皇は、現人神として現界を治める神と定めている。天皇の即位は霊的な体制の変動でもある。即位の礼により、天皇は霊的な輝きを増す。この年は変動を物語るように、激動の昭和史の幕開けと言ってもいい。翌年最大のピークに達すると、世界大恐慌が起こる。

 関東軍が満州を拠点に暴走を始めるのも、即位の礼の年からである。そして、一九三九年の第二次世界大戦勃発と共に日本も戦火に巻き込まれ、終戦の年に一つ目の山は終焉を迎える。

 二つ目の山の突入は何時かだが、昭和三十二年が二つ目の山の頂点近くと述べている事から、終戦の翌年一九四六年を始めとみてもほぼ間違いない。

 すると昭和三十一年は二つ目の山に入って、十年を過ぎたばかりとなる。教祖さまがこの時期を二つ目の山と捉えているとすれば、以後何が起こったかになる。日本近辺で注目すべきなのは、昭和三十三年の中国、台湾による戦争であろうか。人民軍が奪われた金門島の取り返すため国民軍に戦闘を行った事だろうか。そして大局的に見ると、二つ目の山が終わる昭和五十四年(一九七九)頃までに注目するべき紛争は昭和四十五年(一九七〇)の中東戦争であろうか。

 第二次世界大戦のような大規模な戦争はない。すると体制の変動とすれば、世界各地の植民地が続々と独立したこと以外注目すべきものはない。

 教祖さまは二つ目の山が最大の大立替と考え、信徒にその覚悟をこの教話では促している。この大立替を乗り切るため、自分の祈願した茶碗を信徒に配っていると考えた方がいい。教祖さまはこの二つ目の山が第二次世界大戦以上の大立替と考えていた。

 そのため一人でも多くの信徒を助けたいとの願いから、茶碗を配布した。その有効期限を三年間としたのも、この期間が一番ひどい時期と判断したためであろう。教祖さまは大立替に備えて準備していた。昭和三十三年(一九五八)の支部長会議では神柱の出現を話された。

 神柱とは神から使命を与えられた身魂が夫婦一組となり、奇跡を行う。その使命を持った人間が大和山に来て、教祖の指導の下身魂を磨き、全国各地、そして世界各地に散らばり、神の実在を衆人の前で再現する。そして神の実在を納得させ、人々に善の道を説く。

 何も教祖さまは思いつきでこんな話をしたのではない。教祖さまはこの神業はやり直しがきかないと慎重であられた。神柱の出現の証明がなければ話をする訳はない。

天峰閣落慶後のある日、教祖さまは受付の係に、今日来る参山者は受付を通さず、部屋に通すようにと指示された。そしてこの日参山した人たちは竜宮の間に通された。

その参山者が皆共通していたのは、夢、霊示で米を持参の上参山するようにとの指示だった。

中にはその指示を受け、参山しようと弘前駅に向かったが教師のため、農家のように自由に米が手に入らなかった。ところが駅で出くわした信徒の人が同じ夢を見て、その人の参山用の米の分まで持参していた。こうして訳も解らず集まった信徒の報告に、教祖さまは自分が神柱出現の証明を神に願った結果と受け止めた。

教祖さまは大立替で多くの人が絶望の淵に立たされた時、神の実在を見せ、希望を与えるのが神柱の使命と考えていた。そのため、神柱出現の前段階の予行演習として、このような霊示で集められた人に神柱出現の前兆としてとらえた。だがその証明にも関わらず、神柱は出現しなかった。

教祖さまは二つ目の山の時こそが自分の活躍の時期と考えていた。自分が百十五歳まで生き通すと言明したのは、この二つ目の山を終え、三つ目の山を迎えるためである。

大立替の二つ目の山が終わる時期は、昭和五十四年以後であり、この時点で教祖さまは九十七歳である。昭和五十五年(一九八〇)以後を三つ目の山に入る時期とすれば、平成二十六年(二〇一三)に終わることになる。

なぜこのような見解を示すかだが、教祖さまが亡くなられた時、書簡を整理していると大きな定型の封筒が見つかり、他見厳禁と書かれていた。中を改めると一枚の図面があり、それに大立替の三つの山が何時入るか、西暦と昭和の年号で記されていた。そのコピーは父から見せられたが、残念ながら何時三つの山が終わるか記憶していなかったが、三つ目の山の図に一九八九年の地点で、これより神代に入ると記されていた。

この年の象徴的な事件は、ベルリンの壁崩壊である。この事件以後、東西ドイツは併合し、一ソビエト連邦は崩壊する。どうも教祖さまのこの大立替の表は、三つの山が連続して続いていたと考えた方がいい。教祖さまは大正十三年教祖天小屋改築の時、この神業達成は六十六年かかると悟られたことにある。何を根拠に六十六年かかると悟られたかは、大立替の一つの山が三十三年かかるとすれば、二つ合わせると、六十六年になりピッタリ合致する。

教祖さまが二つの山を重ねて、六十六年かかると考えたのは、二つ目の山が最大の山との見解をしていることから、二つの山で大体の大立替が終わり、三つ目の山は最終仕上げの段階と考えていたとすればいい。すると、三つ目の山にこれより神代に入ると記されているのも、また世界人口が三分の一になり、松の世の建設段階と考えていたとすれば理解しやすい。

教祖さまは二つ目の山で自分が活躍すると考えていたから、百十五歳まで生き通すとしても、三つ目の山の途中で他界しても、もう大方の立替は終っているから、最後まで生きる必要はない。三つの山を換算すると九十九ヵ年になるのだから、百十五歳まで生きたところで生きられる訳はない。三つの山を合計すると、二〇一一年に大立替は終了する計算になる。今年は二〇一七年でもう既に終わったことになる。

残念ながら世界人口は三分の一に減らなかったことから、まだ三つ目の山は終了していないことになる。

この大立替の表は、何を根拠に教祖さまが作ったか不明だ。だが教祖天小屋の改築から六十六年で神業は完成すると悟られたことから、開教当初からこの見解を持っていのは想像に難くない。

この表は、小松風先生に多大な影響を与えた。小松風先生はこの表に基づき、大立替に備えた。本部で収穫した米は備蓄し、三年前の古米から食べるようにしたのも、大立替で食糧難になるのに備えてのことである。当然保存食の備蓄に欠かさず、乾燥麺のうどんも蓄えた。我々がまずいうどんを食べさせられたのも、古くなったうどんだからである。小松風先生が生き残りの道をと、ソ連が攻めてくると警鐘を鳴らしたのも、この二つ目の大立替の山にある。

幸か不幸か、この二つ目の山は最大級の山ではなかった。期待に反して人口の激減が起こらなかったことにより、小松風先生の大立替の期待は消滅した。悪くいうと父親の予言は外れたことになる。以後の小松風先生は大立替に対する期待を捨て、自分独自の宗教観を模索するようになる。比叡山に傾倒するのも、小松風先生独自の宗教観に基づいてである。

小松風先生を一概に非難する訳にはいかない。小松風先生は二つ目の大立替の山の終了まで真面目に、父親の意志を守り続けた。その意味では立派だったと思う。だが、大立替三つの山は大幅に時期を修正すれば、かなり正確なものになる。

教祖さまは自分の生前に大立替が起こると信じて疑わなかった。しかし、『済度教典』にある通り、大立替が何時起こるかは、天照大神以外は知らないことになっている。配下の神はその指示があるまでは知らない。その機密を教祖さまですら知ることはできない。

巷の預言書が的中しないのも、明かされることのない最高機密だからである。終わった世界情勢を検証して、二つ目の山まで解明した方が賢明である。

まず一つ目の山が何時から何時までかを検証しよう。考えられるのは一つ目の山には当然第一次世界大戦が含まれることにある。第一次世界大戦は一九一四年に勃発している。これを起点に考えると、三十三年を加えると一九四七年になり、第二次世界大戦の終結まで含まれる。

これを一つ目の山と考えると、二つ目の山は何時終るかだ。するとヒントはソビエト連邦の崩壊まで含むとすれば、一九九一年までの三十三年間とするしかない。すると一九五八年が二つ目の山になる。すると昭和三十三年からになり、昭和二十五年朝鮮戦争が含まれない。また震災もまた大立替の警鐘とすれば、一九九五年の阪神淡路大震災も加えないといけなくなる。

三つ目の山をすぐ加えればいいのだろうが、東日本大震災の二〇一一年を三つ目の山とすれば、かなり後にずらす以外三つ目の山には無理がある。考えられる方法は震災がそれぞれの山の印と考えると、一つ目の山は関東大震災。二つ目の山は阪神淡路大震災。三つ目の山は東日本大震災とすればぴったり一致する。関東大震災は一九二三年とすれば、三十三を加えると一九五五年になり、昭和三十年までが一つ目の山になる。すると、第一次世界大戦は無理でも第二次世界大戦、朝鮮戦争まで入る。二つ目の山の終わりを一九九五年から三十三年前までとすると、一九六二年からになる。すると、ソビエト崩壊、ベルリンの壁崩壊もきれいに収まる。

すると三つ目の山が何時からかであるが、これに関しては神さまからご注意があり、特定した時期を提示するのは止めさせてもらう。

 

第三の山がいつから始まるかは、各自の悟りに任せるとして、第三の山が何時になるかは触れないまま、第三の山に起こった現象を列挙させてもらう。ご了承頂きたい。


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