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永遠、死、自由《愛する人》7

 

 

 

 

 

 

 

経過報告を待つ。新宿の喫茶店で。誰からの報告もない。インターネットの記事で、経過を知っていく。そんなものだろう、と一樹は思う、喫茶店の従業員に、不審を感じる。通報したに違いない。一樹は疑った。立ち上がって、店を出ようとする。従業員が駆け寄ってきたとき、彼は身構えた。すみません。従業員が言った。お会計が、まだ。声を立てて笑う従業員に、ややあって、遅れて一樹も笑いかけた。金を払う。立ち去る。皇居へ? 辿り着けない気がする。困難な死か? 確実な死か? 一樹は後者を選択した。タクシーで近場の原宿に向かう。身に着けた衣類は、日向葬儀立会い時の喪服一式。感傷的だ、と一樹は思った。過剰に、感傷的だ。明治神宮に向かい、もはや記憶されていない言葉の群れを途切れ途切れに、それらは時に笑わせる。小さく、声を立てて、わたしを。ささやかれ、理沙を。耳元で、それらの、声は、それらが発された瞬間に、軽蔑的な瞬間。思われた。こんなものじゃない、言いたかったことは。わたしが、こんなことじゃない。言いたかったことは。理沙の豊かな胸に顔をうずめて、言うべきだったことは。わざと甘えてみせてやりながら、理沙は許す。それら、女性の身体に対してなされるべき、彼女を愛する男性のしぐさの一つ一つを。裏切りを、許容してやり乍ら。自分の身体に対する自然な、ねぇ。あまりに自然な愛撫のしぐさの一つ一つを。ね。

しようよ。

なに?

しない? なにを? んー。ん? なに?

なに、わらってんの? なに? わらってない。ないから。わらって、ないから。さ。ね?

革命しようよ。

なに? かくめい。しようよ。しってる?

ん? いま。

ね、いま。ねぇ。ね、いちばん、このよのなかで、いちばんうつくしいの、やっぱ。かくめいなんだよ。で。

ん。ん?でね、じゅんきょうしゃ。んー。ね。んね?

え? ね。ん、

は?

ね? ささやかれる。耳元で、ときに、距離を隔てた、皮膚と皮膚とがその体温を感じあわない距離の間においてさえも。ね。こども、つくろうよ。

理沙のささやき声を聞いた。うめくように、かすかに身をもがいて、やさしく羽交い絞めにした彼女の腕の中で、わたしの頭部の感じた彼女のぬくもり。温度。体温。眼を開けば、一樹が死んで、もう、一週間もたっていた。窓越しの陽光が見えるはずだった。昼下がりの。会社に行ったはるかは、夕方まで帰っては来ない。わたしたちは、夕方には出て行く。一樹は死んだ。もはや、だれも思い出しはしなかった。ときに彼を思い出す瞬間以外には。インターネットの物見高い記事だけが、かろうじてわたしたちにかつて一樹が存在したことの想起を強制した。ね、と、その声を聞く。理沙の、なんで? 怯えながら、わたしが言うのを、声を立てて笑い乍ら、理沙は言った。見つめながら、わたしを。身をくねらせて、上半身だけ起こした彼女は、素肌を直接わたしに触れながら。その素肌に。朝方の交尾。そのまま、ずっと、まるで原始人か何かのように、さらされた素肌のままで、絡まりあったままで、いいじゃん。ほしい。こども。

まじ? やだよ。

まだ。まだ、なに? はやいって。

はやいよ。まだ、

はやい。「わかんないじゃん。」なにが? と、そして、理沙は言った。ほんの少しの沈黙の中で、わかんないじゃん。思い出したように。不意に、どうなるのか。ね? 試してみよう? なんで? ほしいから。なんで? ね。

 

試してみようよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い花々に埋め尽くされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それらは、それらがはかなくも一切の色彩を失ってしまっているかのように錯覚させた瞬間に、すぐに、わたしたちは目の前の白の鮮烈さに、気付くのだった。

あざやかな、白の氾濫。気付く。すでに、ずっと、それらは失われた色彩ではなく、獲得された色彩に他ならないことに。もはや。わたしたちの、目配せしあい、おたがいに沈黙しあった意識の、意識された繊細さと、いま、目の前に見いだされたそれら、病的なまでの苛烈な正確さで獲得されたこれら、色彩。白。無際限の繊細さで構築され、かすかなグラデーションをえがいて。花々。百合、菊、薔薇、かすみ草、それらはかさなりあった。黄色づく寸前で拒絶された黄彩の微細な痕跡から、それらを抹消し尽くす無慈悲な白の推移、ときとして、逆光の中で透明さの可能性さえ獲得され、誰も見向きもしない葉と茎の緑は、白の中に自らを埋没させていた。火葬場に、炎に包まれるためにおしこめられていく。渋谷区の葬祭場は、見事なまでに清楚で、飾り気も無いままに、ただ、清潔だった。壁際に、まるで理沙とは、あるいは彼女を葬送する十人程度の人間たちとは無関係であるような距離を置いて、わたしは立って、それらの葬送の儀式を見る。風間と木村が、親友のように寄り添い、最早わたしには眼もくれない。だれも彼もが、初めてであった人のように希薄で、親密な挨拶をかわしたすぐ後に、わたしと彼らとの距離は断絶したかのように感じる。わたしが望んだのか、彼らが臨んだのか、もはや、ふと、こぼれ落ちて、発生して仕舞った距離感が埋め難かった。なにも話すべきことはなかった。何も話し獲ない気がした。彼らの知っている理沙と、わたしの知っている理沙との、それはまったく違う体験だったが、確かに、同じ人間だった。わたしたちはお互いに、自分勝手に体験された理沙を消費して仕舞ったのだった。いまも、記憶の中に消費しつづけながら。無残な気がした。その、祖父らしい人間が、その棺に寄り添うようで、寄り添わない、繊細な距離のなかを、さまようように行き来した。無残なほどに痩せた、衰えた男。腐ったものが日差しの中で乾ききったような匂いがした。しずかな、声さえ潜められた空間の中に、無数の呼吸音と、衣擦れ、疎らなささやきの点在が、絡み合わない音響の空間を形づくっていた。はるかは泣いていた。誰のものであっても、涙のどうしようもない自慰じみた穢さはかわらない。しゃくりあげながら、時に、嗚咽を漏らし、その自慰じみた昂揚。射精されたあとのような、こころの浄化。お前、どうする? 口の中だけで言う。はるかに。彼女との、数メートル離れた距離の中で。彼女に聞き取られないですむように。口の中だけで、どうする? 泣く女たち。花恵が泣いていた。お前、生きていられる? 理沙なしで。あの、あまりにも凄惨な轢死体。ちぎれ、傷ついた身体の残骸。花々が隠し、いま、炎がすべてを隠しつくした。大丈夫だよ、と、ややあって、「死なないだろ?」思った。わたしは、「お前は。」言って、はるかの肩を抱きながら、「生きつづけるんだろ?」どうせ。理沙の肢体が棺ごと、焼却炉の中に閉じ込められてしまったときに。死んだのだろうか? 彼らは? 彼女は、理沙は? それが信じられない。死ぬことができたのだろうか? 死ぬことさえ、できはしなかったに違いない。この世界が、滅びきっているのと同じ強度で。わたしさえも。はるかの身体、その、わたしの腕の中に抱きしめられた、彼女を理沙は愛したのだった。その、やわらかい身体と、体温を、例えばその豊満な乳房を、理沙は時に戯れにつかんで見せて、エッチ、やだ、と、そのときはるかは言ったのだった。声を立てて笑い乍ら、その、わたしの皮膚が服越しに感じた、彼女の身体の触感。愛したのだった。それを確認する。彼らは、死に獲はしなかった。生きていた。あくまでも。あきもせずに。あまりの貪欲さのままで、わたしたちは。

 

 

 

 

 

 

 

 

* *

 

 

 

 

海。夕方の、朱に染まりかけた海。波。どうして、海はこんなにも惨めで、ちっぽけで、穢らしく、臭いのだろう。地表の表面にたまった、巨大な、潮に澱んだ水溜り。幸せ? あのとき、振り向き見た理沙が言った。背後に、一樹たちのバーベキューのささやかな歓声が聞こえた。俺は、さ。彼女の声を聞く。しあわせ、かな。

 

いま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.01.07-10.

 

Seno-Lê Ma

 

 

 

 

後記

この小説は、《愛する》という、不可解な動詞をめぐる小説です。

《愛する》というのはありふれた言葉だし、概念なのですが、

結局のところ、何をどうすれば《愛する》ことになるのか、

わたしたちはまだ知らないのではないか。

事実、知りえないのではないか、と。

 

非常に定義が困難で、難解な概念だと想うのです。

LGBTの問題も絡まりますが、この作品ではそれほどではありません。

LGBTに関して言うと、この言葉が個人的には嫌いで。

LもGもBもTも、まるで別の問題だと想うのです。

同性愛に関してはセクシュアリティをめぐる問題ですが、

Tに関しては、人間がその肉体ではなくして精神に重きを置くならば、

(そしてこれは精神をめぐる問題なのですが、)

単純に精神は女だったり男だったりするのだから、

いいわゆる身体障害の問題であって、セクシュアリティの問題じゃないと想う。

 

身体障害者は尊重しなければならないんでしょう?

だったら、尊重されるのが当たり前。

 

B、バイセクシュアルに関しては、これは、要するに私自身がそうですが、

やっぱり、性の越境者と言うか、自分の倫理として、

同性愛ないし異性愛をまで取り込んだ人たち、と言うことなんじゃないかなと。

うまれながらのBというのは、かなりレアケースだと想う。

もっとも、そういう方も中にはいらっしゃると想います。

これはあくまで、自分の経験を基にした印象に過ぎませんが。

かれらは自分で決断したはずなんですね。

単なるストレート(同性愛というストレート及び、

異性愛というストレート)にとどまることを、

あえて拒否する決断を。

美学的な決断であれ、倫理的な決断であれ。

 

LGの同性愛に関して、これは深刻な、内面的な問題だと想う。

哺乳類の生態によって、生物学的に正当化することが出来ない、

精神の愛そのものしか持ち得ない以上。

 

それに関しては、人は《愛する》ことの意味について、思考するしかない。

安易に認めることも、ましてや否定することも出来ない。

だから、僕は《愛》について考えるとき、いつも同性愛についてついて考えます。

 

あるいは、人間、という、特殊性について考えるとき。

 

格好をつけて言うと、傷付いた魂のために、ささげられた小説です。

 

Seno-Le Ma

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


奥付

 

愛する人


http://p.booklog.jp/book/121883


著者 : Seno Le Ma
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