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ガイ編4

 それは恐怖で、言葉が出なかったほどだ。
「ガイ! 何ですか、この木は!」
 この村の人は、この木の板の上で寝るのか?
 呼吸が、少し速くなったのを感じた。木の板に、足が生えている。

 

「はあ? かわいそうに。わかりやすく言うな。お前はどこからか旅してきて、たぶん行き倒れになりかけて、たまたま門を出てすぐの俺の家にたどり着きやがったんだ。ここまではいい?」
「はい」

 

 オレは床でひざに手をのせて答えた。オヤジと面と向かって話すとき、いつもそうしていたからだ。
「あんた、意外と物わかりはいいな。礼儀も俺よりいいわ。なぜかボロの服着てるけど、いい家柄の息子っぽくも見えるなー。そしてそれから、お前はそこの階段でたぶん頭を打った。ははは、知らねえけど! そして記憶喪失になったんだ。そういえば、その木が何かってのを知りたいんだろ? それは、ベッドだ。ベッドという、寝るところだ」
「寝る……ところ? 寝るところが、あの木の上なんですか?」

 

「そうだ。あとそれは、女を連れこむという役割もあるのさ。ははは! あっ、詳しくはお前は知らんでもいいよ」
 この村の人は、木の『ベッド』というものに乗って寝るらしい。不思議な習慣だ。そうわかったとたん、なんだか少し苦しくなくなった。

 

「その上にかけてあるのが、この村の毛布ですか」
「そうだよー。普通は『ふとん』とも言う」

 

 その時、目に何かが垂れてきた。汗か、土か。そいつをぬぐった。オレの手はひどく、土色に染まった。これは、汚い。それでようやく気づいた。
「ガイ――オレ、汚いですか?」
「バカ野郎!」
 ガイはオレに顔をぐっと寄せて言った。怒っているように見えた。他の人も、世話係のオヤジと喜怒哀楽の表情は変わりないようだ。

 

「てめえ、汚れすぎだろ! このシーツどうしてくれんだ! 俺は男なんかここに入れる気は無かったんだよ! 俺にはギャンブルで金がねえんだ。定職についてもいねえ。浮浪者みてえなもんだ。わかるか、お嬢さんをもてなすカクテルも、ベッドがこの有り様じゃ買えねえ。しかも俺な、お前みたいな野郎の腕まで拭いたんだぜ! 本当に後悔してる。あんた、自分を汚ねえと思うならそこらの川で体と顔洗えよ! それ以上俺は知らん!」
「えっ、じゃあ、何で助けてくれたんですか? 汚いオレをベッドに入れてくれて、その野郎という腕まで拭いて――」
「わかんねえのか、今こっそりまくしたてたのに」
 ガイは丸い目を細くして少しうつむいた。

 

「俺なんて浮浪者さ。両親からもらった家はある。でもそれだけだな。いつも後ろ指をさされてる。ここの村に俺はいるけど、それすら親の七光だ。なあ、キャメル。お前は美しかろうが汚かろうが、浮浪者さ。俺もただの、浮浪者だ。家のある浮浪者と家の無い浮浪者が出会いましたとさ。ははは! 安物の酒、飲みてえか? それなら冷たくはねえやつがあるけど。この辺は初夏でも少し曇りがちだ。気候が涼しいから放っておいたってまあまあ美味いぜ? 先祖はきっともっと南から来たんだろな。肌の色的に」

 

 塔から出た直後を思い出す。もう何もかもが、まぶしいのだ。ガイの顔は、黒光りしている。肌も。世の中は、とても広く、まぶしいところだ。

 

 

 

 黄色い水。昨日見たのと同じだ。いや、昨日なのか?
 黄色い水の上に、丈夫そうな木が渡してある。オレはその上に、棒のように立っていた。腰にボロの布を巻いて。

 

「飛びこめよ。これを入浴というんだ」
 

 ガイがせかす。
 空がだんだん赤くなってくる。黒い鳥が飛んでいく。ここが、夢のような外の世界。
 さわるというより、オレはこの世界に、包まれている。
 

  右の頬に、ただ日が当たっていた。そこだけ熱くて、他は肌寒い。
「早く、行けっての!」
 腰に巻いた布を少し引っ張っているうちに、オレの顔は水の中へ沈んでいた。

 

 かなり冷たい。黄色く濁った水。不思議な匂いがする。目を見開く。背中を、押されたのだ。
「ガイ、何するんですか!」
 首に髪がからまる。オレの髪はこんな色をしている。ガイと、違う。初めて、そう思って見たのだ。髪をどけて、息を吐く。

 

「おぅ、臆病なお前の背中を押してみただけ」


この本の内容は以上です。


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