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三 立ち恋(月)

 

まさか、こんなところで恋に落ちるなんて思ってもいなかった。それも立ったままで。

 

宮崎竜太郎は、会社の玄関を出ると、すぐにネクタイを緩め、いつもの乗降口の駅に向かう。駅へは歩いて十分ほどの距離だ。駅は、地球や水星、金星などに向かう中継基地となっており、通勤時間帯は、人類をはじめ、妖精、タコ星人、キリギリス星人などでごった返していた。その喧騒の中を、誰ともしゃべらず、改札口に入り、シャトルに乗り込むと三十分もしないうちに、地球にあるアパートのある駅に着く。そこから歩いて五分。そこが竜太郎の住処、安住の地であった。

 

竜太郎は大学を卒業した後、この月にある会社に就職した。本当は地球での就職を望んだのだが、倍率が高く、就職先は決まらなかった。そこで、目を転じ、地球から一番近い月で会社を探すことにした。以前、月は観光地として賑わっていたが、観光客等がひと回りすると、他の観光地と同じように次第に寂れていった。だが、地球に近いことが幸いして、他の星から地球に向かう際のシャトルのターミナル駅となり、ハブ都市として発展を遂げた。

 

竜太郎は月での会社に就職した後、折角仕事につけたので、クビにならないよう、前例どおりに仕事をこなすことだけに注意していた。そして、気が付けば三年の月日が経っていた。

 

いつものように、帰りの駅に向かっていると、にぎやかな声がどこからか聞こえてきた。普段からも、そんな声がしていたのだろうが、今日は、ふと、気になって立ち止まった。竜太郎の横を家族に会いたいのか、会社から一刻も離れたいのか、サラリーマンやOLたちが潮のように流れて、家路を急ぐ。海の中に浮かぶ孤島。それが、まさしく今の竜太郎であった。

 

孤島から左のほうに顔を向ける。そこにはメインロードと直角に交わるように路地が伸びていた。その路地の先の暗闇にぼんやりと明かりを照らす灯台があった。いや、灯台ではなく、赤ちょうちんだった。ちょうちんなんて、実物を見たのは初めてだった。その灯台に下に、多くの人が集っていた。自分たちの行くべき道を探しているのか、談笑する声が離れている竜太郎の耳にまで届く。

 

竜太郎はしばらくの間、その喧騒を眺めていた。あの赤ちょうちんは昔からあったのだろうか、そう、あったのだろう。遠目からだが、決して新しくは見えない。十年、いや二十年は過ぎているだろう。そうなると、自分がこの会社に就職したより前から営業していたことになる。全く、知らなかった。それに、これまでの毎日は、通勤途上では、人波に流されるようにして、駅と会社を往復していただけであったのに、狐島のように、途中で、立ち止まることはなかったのだ。

 

 行ってみよう。竜太郎は、左右の流れゆく人波の間を避けながら、あたりの空気をも暖かく包む明かりを目指した。

 

「久しぶり」

 

「昨日、来たばかりだよ。マスター」

 

「二十四時間もたてば、久しぶりだ。俺には今しかないんだ。一秒、一秒が命なんだ」

 

「じゃあ、その命のビールを注文するよ」

 

 なじみの客なのか、まだアルコールも入っていないのに軽口が飛び交っている。

 

「おおい、ハゲ。俺にもビールをくれよ」

 

 二人の会話に既に酔っている他の客がチャチャを入れる。

 

「誰がハゲだ。ハゲじゃないぞ。つるつるなんだ。太陽だって、お月さまだって、この頭だって、つるつるで、ピカピカなんだ。どうだ。まぶしいだろう。手を合わせて拝みやがれ」

 

マスターがチャチャを入れた酔客に向かって頭を突き出す。

 

「わかった。わかった。つるつる様。俺にもビールをくださいよ。喉をビールでつるつるにしたいんだ」

 

酔客は頭を下げながら、空になったグラスを突き出す。

 

「あんまり、つるつる言うな。足元が滑るだろう」

 

「はははは」

 

既に仕事を終え、店に集まっていたお客さんから笑い声が起きる。

 

その間、竜太郎は赤ちょうちんの前で佇んでいた。その場に入ろうにも、マスターとお客さんたちの会話が続いていたので、入るタイミングが掴めなかったからだ。だが、笑い声が収まった後、一瞬の静寂が訪れた。今だ。竜太郎は一人分の隙間には少し狭いものの、わずかに開いていたカウンターに体を斜めにしてすべりこんだ。

 

「いらっしゃい。久しぶりだな」

 

マスターは俯いたまま、まな板の上で刺身を作っている。自分の姿が見えるのか。一瞬、驚く竜太郎。いや。見えないだろう。長年仕事をやってきているので、感でわかるのだろう。そう、何事にも年季が必要なのだ。

 

 

 

「宮崎さん。ちょっと」

 

竜太郎は課長に呼ばれた。そこは十人根程度が入れる会議室だった。長机はロの字の形に並べられ、その長机を取り囲むように椅子が配置されていた。中には誰もいなかった。

 

「うちで働きだして、何年?」

 

課長はファイルを見ながら確認している。そこには、竜太郎の経歴でも書いているのか。

 

「三年です」

 

竜太郎は課長の顔とファイルの表紙を見比べる。もちろん、竜太郎からはファイルの中身は見えない。

 

「そう。仕事は真面目にやっていて、頑張っていることは認めるよ」

 

「ありがとうございます」

 

課長の言葉を額面通り受け取り、頭を下げる竜太郎。

 

「これからは、今までの殻を打ち破って、大きく羽ばたいてよ。君ならできるよ」

 

課長はファイルを閉じると、竜太郎の顔を見てほほ笑んだ。

 

「はい」

 

会話はそれだけだった。振り返って思う。課長は自分の仕事は認めてくれているものの、物足らなさを感じているのだろう。だからこそ、殻を破って、大きく羽ばたいてくれとアドバイスしたんだ。

 

だけど、殻を破るって、どういうこと?

 

大きく羽ばたくって、どういうこと?

 

君ならできるって、本当なのか?

 

誰にでも言っていることじゃないのか?

 

課長との面談が終わった後、その四つの疑問への解答が出ないまま、疑問だけが竜太郎の頭の中で渦巻いていた。

 

 

 

「初めてなんですけど」

 

なぜだか、すまなそうに竜太郎は答えた。

 

「この店は初めてでも、この街で働いていたり、住んでいたりするんだろ?」

 

マスターは相変わらず、俯いたまま手を動かしている。

 

「ええ。この街で働いています」

 

「じゃあ。どこかで会ったり、見かけたりしたかもしれないじゃないか。だとしたら、初めてじゃない」

 

「そうですね。でも、マスターの顔は覚えていませんけど」

 

「今、覚えたらいいじゃないか。こんな顔だよ」

 

ようやくマスターが顔を上げた。強面だが、目だけはやさしそうだ。

 

「できたよ」

 

目の前には焼き鳥が四本、皿の上に乗っていた。ねぎま、かわ、レバーにすり身だ。竜太郎はまだ注文をしていないのに、料理が出されたので少し驚いた。だけど、マスターは他の客にもできた料理をその都度出している。この店は、いわゆるおまかせの店なんだ。竜太郎はそう納得した。納得した以上、店のしきたりに従うしかない。

 

「飲み物はビールでいいかい?」

 

「はい。お願いします」

 

「ビール一丁」

 

マスターは再び俯き、何かしらの料理を作りだした。

 

「はい。ビールです」

 

従業員の若い女性が背中の後ろからジョッキを差し出す。急いで持ってきたのか、ジョッキからは白い泡が飛び出してガラスの面をすべり落ちていた。その泡が竜太郎の手を濡らす。

 

「ありがとうございます」

 

ひと口、口につける。泡の中から黄金の液体が、それこそ貴重品のように竜太郎の喉に流れ込んだ。

 

うまい。家で缶ビールを飲むこともあるが、こうして見知らぬ人たちと、喧騒の中、飲むビールもうまい。知らない人なのに、妙な連帯感がある。だから、こうして、サラリーマンたちは、家路の前に、途中、寄り道をしてまで、立ち飲み屋に寄るのであろう。もちろん、こうして、立ち飲み屋でビールを飲むことで、殻を破れるとは思っていない。だけど、いつもと同じように、家と会社をただ往復しているだけでは、変わらないのではないかと思っていた。空を飛ぶためには助走が必要だ。

 

「焼き鳥もつまみなよ。熱いうちが一番うまいんだ」

 

マスターは他の客を相手にしながらも、初めての客の、竜太郎のことを何かと気にかけてくれる。

 

「ありがとうございます」

 

こちらがお金を払うのに、ありがとうございます、は変だなと思いながらも、つい、口から出る。それだけ、今も、殻を破る、大きく羽ばたく、ためにはどうすればよいのか、を模索中なので、他のことを考える暇がないのだ。だが、頭が考え事でいっぱいでも、お腹はすく。取り合えず、喉の渇きはいやせたので、今度は、胃の中に何かを詰め込む必要がある。マスターの、熱いうちに、という言葉にも応じたかった。

 

まずは、ねぎまだ。少し焼けて炭となった串を折れないように持ち、口に運んだ。うまい。うまさとは、唇ではさんだ瞬間、噛み締めた瞬間、舌で味わった瞬間、それぞれで旨さを感じるものなのだ。竜太郎は、あっという間に、四本の串を平らげた。

 

「ほら。おまけだ」

 

 マスターが竜太郎に何かを放り投げてきた。本能的に両手でそれを受け取る。

 

「あっちっちっち」

 

 両手の中で落とさないように転がす。それはゆで卵だった。

 

「そりゃ、熱いだろう。ゆでたてだからな」

 

 マスターは平気な顔で卵の殻をむいていた。竜太郎はゆで卵をカウンターの上に置いた。下の殻がぐしゃりと割れて、ゆで卵は転がらずに立ち上がった。その卵の殻の割れ目から湯気が吹き出ていた。まさか、マスターは竜太郎の心の中の、殻を破るにはどうしたらいいのか、という悩みを見抜いていたのか。ゆで卵をじっと見つめる竜太郎。

 

「あら。美味しそうね」

 

 誰かの白い手が伸びてきた。その白い手の人差し指が卵の割れた殻を突く。竜太郎はその白い指が何をするのか、様子をじっと見つめていた。白い指が卵の殻を突くたびに、殻は秘密のベールを脱ぐように剥がれていった。中からは、白い手以上に白い卵の白身が現れた。その白さを吸収するかのように白い手は卵を口に運んだ。ようやく竜太郎は、その白い卵から白い指の先から白い腕、白い首、白いうなじへと目を転じ、最後には、白い女の顔と赤い唇を眺めた。顔が白い分だけ、唇の赤さがより際立っていた。

 

「ごめんなさい。このゆで卵はあなたが注文したの?」

 

 白い顔の女は自分の間違いに気がついたのか、頬がほんのりと赤くなった。その素直な態度は竜太郎にとって好ましく思えた。

 

「いえ。いいんですよ。僕も注文したのじゃなく、マスターから貰ったんです」

 

 その声を聞いてか、「ほらよ」と、マスターから二個目のゆで卵が宙を飛んだ。

 

「あっちっちっち」

 

 どこかで叫んだような声が再び出た。竜太郎はもてあますようにゆで卵を両手の中で転がす。

 

「うふふ」

 

 竜太郎の慌てた様子を見て、白い女が赤い口に白い手を当てて笑った。

 

「いやあ」

 

 竜太郎はおどけながらも、女が笑ってくれたことで、親近感が増した。それをきっかけに、竜太郎は自分の仕事のことや趣味、家族のことなどを話した。白い顔の女は、うなずきながら、竜太郎の話を最後まで聞いてくれた。

 

「どうした。いやに盛り上がっているな」

 

 マスターは相変わらず下を向いたまま調理をしていたが、竜太郎のことは気に掛けてくれていたようだった。

 

「あら、こんな時間」

 

 女は店の柱に掛けられてある時計を見た。

 

「今日は楽しかったわ」

 

 女は笑う。笑った顔のほうれい線まで白かった。

 

「それじゃあ」

 

 女は軽く会釈をする。

 

「楽しかったお礼に、今日の代金は僕が支払いますよ」

 

 竜太郎は思わず口に出した。

 

 女は一瞬、戸惑ったようだが、すぐに笑顔に戻ると

 

「ありがとう。ご馳走様でした」と小首をかしげた。斜めからの視線が竜太郎の心を射抜いた。女は背中を向けるとその場から立ち去ろうとした。

 

「また、会えますかね」

 

 その後姿に竜太郎は名残惜しそうに声を掛けた。女が振り向いた。顔とは対照的な黒くて長い髪が女の顔を半分隠した。

 

「ええ。縁があれば」

 

 そういい残すと、女は店の裏側のほうに向かった。竜太郎は女の白さだけに目を奪われていたが、女の後姿を見ると豊麗さが際立っていた。

 

 それ以来、竜太郎は毎日が充実したように感じた。

 

「どうしたんだ。何かいいことでもあったのか」

 

以前、殻を破れと指導した課長も竜太郎の変化に気づいた。

 

「いいえ。仕事が楽しいんです」

 

竜太郎は真面目に返答をする。

 

「おっ。それはいいことだ」

 

課長はそれ以上何も言わなかった。竜太郎は仕事を終えると立ち飲み屋に立ち寄ることが日課になった。ビールを飲み、焼き鳥を注文し、マスターから投げられた出来立てのゆでたまごを両手で転がすように受けた。すると、それを待っていたかのように、白い女が現れて、竜太郎と他の客との間に滑り込んできた。

 

竜太郎はつかの間、立ったままで女との会話を楽しむ。しばらくすると女は立ち疲れたのか、お腹が一杯になったのか、立ち去る。その度ごとに、竜太郎は女が食べた食事代を支払った。こうした逢瀬が何回か続いた。

 

だが、ある日、店を訪れたものの、女はいつもの時刻には現れなかった。シャトルの最終便まで待ったものの、女は来なかった。それから、何回も店に立ち寄るものの、女には二度と会えなかった。来る時間が異なるのか。マスターに尋ねてみようかと思ったものの、女を待っていると思われるのが嫌で聞かなかった。

 

 だが、内心はとても落ち込んでいた。そのため、立ち飲み屋に寄る回数は、一日おきから二日おき、一週間おきへと間隔が広がっていった。また、会社での振る舞いも以前と同じように覇気がなくなっていった。

 

「どうしたんだ。元気がないじゃないか」

 

 課長から声を掛けられるものの、「いいえ。変わりないです」と無理やりに力を込めて答えるのが精一杯だった。

 

 女と出会ってから一か月が過ぎようとしていた。竜太郎はいつものように仕事を終えると駅に向かった。自宅と会社の往復だけの毎日になっていた。あの立ち飲み屋の路地を覗くこともなくなった。

 

そんなある日、何の気なしに路地を覗いた。白い女が立ち飲み屋のカウンターの前に立っていた。目を何回かしばたたかせる。やはりあの女の後姿だ。竜太郎は店を目指す。本当は走っていきたかったが、荒い息をしたまま女に話し掛けるのは気が引けた。

 

あせる気持ちを抑えながら、大股で一歩、一歩、店に近づく竜太郎。それとともに、女の姿も大きくなっていく。もうすぐだ。こんにちわ、がいいのか、それとも、久しぶりがいいのか、竜太郎は声を掛ける言葉に悩んだ。その悩んだ隙ではないけれど、女は店の奥のほうに隠れてしまった。

 

トイレか。まさか、もう帰るのか。足を速める竜太郎。自分の息が荒くなるのもかまわず、走り出した。店のカウンターで立ち止まった。周りを見る。やはり、女はいない。

 

「店はまだだよ」

 

 竜太郎に気がついたのか、あのマスターが調理台から顔を上げた。

 

「おう。久しぶりじゃないか」

 

「ええ。こんにちわ」

 

「どうした。息が荒いじゃないか。そんなに急がなくても店はまだ開いていないぞ。料理はまだだけど、ビールでも飲むか」

 

 マスターの相変わらずの話しぶりに、竜太郎はほっとするものの、白い女の行方が気になって仕方がない。マスターに気がつかれないように、店の奥のほうに目を転じ、女の姿を探す。見つからない。マスターは、店はまだオープンしていないと言っていた。それじゃあ、あの女は見間違いなのか。女のことばかりを気にしていたので、その願望が女の幻影を見させたのか。

 

「ほら、これでも飲んで落ち着いたらどうだ」

 

 気持ちの整理がつかない竜太郎の目の前にビールが出された。マスターの言う通りだ。落ち着いて、もう一度考えよう。竜太郎はグラスを手に取り、息を吐き、息を吸うと同時にビールを飲んだ。

 

「ほら。あてだ」

 

 できたての熱々のゆでたまごが竜太郎にむかって放物線を描いた。

 

「あっちっちっちっ」

 

 竜太郎は、以前と同じように、熱いゆでたまごをもてますように両手の手のひらの中で転がした。

 

「よほど、ゆでたまごが好きなんだな。いつも二個も三個も食べていたよな」

 

 マスターが何気なく呟いた。

 

「二個も三個も?」

 

竜太郎の記憶では、ゆでたまごは一個しか食べていなかった。ただし、あの女は二個以上は食べていたような気がする。

 

「ああ。一人でゆでたまごのお代わりなんて珍しいからな。うちには、もっとうまい焼き鳥もあるんだけどな」

 

 マスターは相変わらずうつむいたまま料理の仕込み中だ。

 

「一人で、ですか?」

 

最初は、マスターが冗談を言っているのかと思っていたが、そうではない様子だ。

 

「そうだよ。いつも一人でやってきて、独り言を言いながら、ゆでたまごを何個もあてにして、ビールを飲む客は少ないからな。でも、うちの店は、そうしたサラリーマンの憩いの場所なんだ。好きなものを食べて、好きなものを飲んで、好きな愚痴を言って満足してくれたらそれでいいんだ。ほら、焼き鳥もできたぞ」

 

マスターから焼き鳥が四本並んだ皿が出された。竜太郎の頭の中はそれこそ、卵の白身と同じように真っ白になっていた。殻をひとつ、ひとつと剥いていくものの、やはり白身しか出てこなかった。

 

「早く取ってくれ。次の料理を作るから」

 

 竜太郎はマスターの言葉にはっとする。手を伸ばした瞬間、竜太郎の手からゆでたまごが滑り落ちた。

 

「あっ」

 

ゆでたまごは地面に何回かバウンドして竜太郎の足元で止まった。たまごの殻にひびが入り、殻が何箇所か剥けていた。そこからは白身があらわになっていた。その時だ。白く細長い物体が素早くカウンターの下から出てきた。

 

ヘビだ。白ヘビだ。ヘビは異様なほどに白かった。ヘビはたまごを一気に飲み込むと、鎌首を持ち上げて、口からチロチロッと赤い舌を出した。体が白い分、舌の赤さが際立って見えた。お礼を言っているのか、それとも、たまごのお代わりを求めているのか。しばらくすると、ヘビは、再びカウンターの下に隠れた。

 

「マスター。この店にヘビはいるの?」

 

 竜太郎に何気なく尋ねた。

 

「何で知っているんだ。だけど、今はいないはずだ。白ヘビだったよ。地球からのシャトルに紛れ込んでいたのかな?でも、ここは月だからな。普通の白ヘビじゃなく、ヘビ星人かも知れないな。確か、一か月前だったかな、カウンターの下で見つけたんだよ。別段、信仰心はないけれど、地球では白ヘビは神様のお使いとも言われているので、殺すのはやめて、店から追い出してやったよ。でも、同じように地球からやってきたネズミなのか、ネズミ星人なのかわからないけれど、害獣を食べてくれていたはずだから本音としては追い出したくなかったんだけどな。うちも客商売だからな。ヘビがいたんじゃ、お客さんがよりつかなくなる。特に、女性は嫌がるからな」

 

マスターは下を向いたままだ。

 

「月にヘビが竜太郎に笑顔が戻った。

 

「マスター。焼き鳥もいいけど、また、ゆでたまごをお代わりしたいんだけど」

 

 マスターは竜太郎の声を聞くと、またかというような顔だが、嫌がりもせずに、「ほらよ」とできたての熱々のゆでたまごを竜太郎に放り投げた。

 

「あっちっちっつ」

 

 竜太郎は、再び、独り言のような声を出した。カウンターの下から白いヘビの赤い舌がチロッチロッと見えたような気がした。

 


この本の内容は以上です。


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