閉じる


<<最初から読む

19 / 53ページ

チュクウの歴史(アグリオス)①

◆老子(アグリオス)の歴史

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「アグリオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したチュクウは、ルワ、クウォスと組んで「アグリオス」を生んだ。アグリオスの名の由来はチュクウ、ルワ、クウォスの組み合わせである。チュクウ+ルワ+クウォス=ユクウルワォス=ユグルオス=アグリオスとなる。

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キャリアー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(現アラスカ~カナダ北部)に居を構えたアグリオスは「キャリアー族」を称した。キャリアーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリアー=キャリアーとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「オーキュロエー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、「オーキュロエー」を生んだ。オーキュロエーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アーグリオー=オーキュロエーとなる。その後、オーキュロエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリュプソー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、アプスーと組んで「カリュプソー」を生んだ。カリュプソーの名の由来はアグリオス、アプスーの組み合わせである。アグリオス+アプスー=グリオプスー=カリュプソーとなる。その後、カリュプソーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「クリュセーイス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ムシシと組んで「クリュセーイス」を生んだ。クリュセーイスの名の由来はアグリオス、ムシシの組み合わせである。アグリオス+ムシシ=グリオシシ=クリオシーシ=クリュセーイスとなる。その後、クリュセーイスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、イマナと組んで「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオス、イマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナー=クリュメネーとなる。その後、クリュメネーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「サンガリオス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ジェンギと組んで「サンガリオス」を生んだ。サンガリオスの名の由来はジェンギ、アグリオスの組み合わせである。ジェンギ+アグリオス=ジェンギリオス=サンガリオスとなる。その後、サンガリオスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ブリアレオース誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ポルピュリオーンと組んで「ブリアレオース」を生んだ。ブリアレオースの名の由来はポルピュリオーン、アグリオスの組み合わせである。ポルピュリオーン+アグリオス=ピュリオリオス=ピュリオリオース=ブリアレオースとなる。その後、ブリアレオースはヘカトンケイルに参加した。

 


■30万年前 「サンガリオスの大移動時代」

 


■30万年前 「アクリャ誕生」「ワカ誕生」

 

サンガリオスの片割れとして「サンガリオスの大移動時代」を指揮したアグリオスは、ペルーに入植すると「アクリャ(巫女)」を生み、「ワカ」を祀った。アクリャ、ワカの名の由来はアグリオスである。

 


■BC5千年 「アキレウス誕生」

 

ギリシア軍に請われてペルーからアイルランドに渡ったアグリオスは、ギリシア軍に「アキレウス」と呼ばれた。アキレウスの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アクリオス=アキレウスとなる。アキレウスは、「トロイア戦争」の英雄として知られている。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「羅浮山誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したアキレウスは、カリブ海に移住し「羅浮山(ルオフ)」を築いた。ルオフの名の由来はアグリオストアプスの組み合わせである。アグリオス+アプス=ルオプ=ルオフとなる。羅浮山は中国にあるとされているが、実際にはカリブ海に程近いシトラルテペトル山のことである。

 


■BC40世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC40世紀 アクンタ、初代王に即位 「チムー王国誕生」

 

どの神話に於いても、個人と思われている神や英雄は、実際には「ひとつの部族」である。つまり、アキレウスの死は、部族としての敗北である。その後、アキレウスは「アイルランドの神々の大航海時代」に参加してメソポタミアに移住し、その後「シュメール人の大航海時代」に参加してペルーニ帰還した。アキレウスは、ダニ族と組んで「アクンタ」を生んだ。アクンタの名の由来はアグリオスとタナトスの組み合わせである。アグリオス+タナトス=アグナト=アクンタとなる。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「老子誕生」「道教誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したアグリオスは、日本に到着すると、伊勢国で「神道」を築いたイデュイアと連合し、夏時代の中国に移住した。イデュイアの神道は中国で「道教」と呼ばれ、アグリオスは「老子」と呼ばれた。老子(ラオツィ)の名の由来はアグリオスである。アグリオス=リオス=ラオツィ(老子)となる。

 


■BC7世紀 「遼東半島誕生」

 

「春秋戦国時代」が始まると、老子の子孫は、現遼東半島を訪れ、当地を初めて「遼東半島」と命名した。遼東(リャオドン)の名の由来はアグリオスとディオーネーの組み合わせである。アグリオス+ディオーネー=リオディオネ=リャオドン(遼東)となる。

 


■BC226年 「ユーロー(前身)誕生」

 

BC226年、遼東半島を治めていた燕が滅亡すると、道教の種族、ペー族は満州に移った。アグリオスは、イデュイアと組んで「ユーロー」を生んだ。ユーローの名の由来はイデュイアとアグリオスの組み合わせである。イデュイア+アグリオス=ユイアリオ=ユーローとなる。

 


■BC1??年 「ラーオ族誕生」

 

匈奴に参加しなかったユーローは、インドシナ半島に移住して「タイ族」となり、老子(アグリオス)は「ラーオ族」となった。両者は、「ムアン・ギャオ」に移住した。タイの名の由来はタオ(道)である。タオ=タウ=タイとなる。彼らは、「タイ・ルー族」などと呼ばれた。ギャオの名の由来はチュクウである。

 


■BC215年 「ムアン・ペーガイ誕生」

 

秦の侵攻により、ムアン・ギャオを離れたタイ族は、雲南に移住して「ムアン・ペーガイ」を築いた。ペーガイの名の由来はヴィディエとチュクウの組み合わせである。ヴィディエ+チュクウ=ヴィクウ=ブイークウ=ペーガイとなる。

 


■BC87年 タイ族、モンゴルに帰還

 

BC87年、ムアン・ペーガイ国王クンメンが、漢の通行を許可しなかったため、武帝の攻撃により、ムアン・ペーガイは滅んだ。その後、タイ族はモンゴルに帰還した。

 


■AD45年 「南匈奴誕生」

 

タイ族(道教)、扶余は、匈奴に参加した。この時に、匈奴は「北匈奴」と「南匈奴」に分裂した。ペー族の連合体は「南匈奴」に身を寄せていた。

 


■AD166年 「太平道誕生」

 

「党錮の禁」が起きると、タナトスの宦官が後漢を私物化したため、社会は腐敗し、何事も賄賂で決められる事態になった。南匈奴に属していた扶余、道教、張角は、タナトスを皆殺しにするために「太平道(タイピンタオ)」「五斗米道(ウートミタオ)」を設立した。太平道の名の由来はヴィディエ(張氏)、ペー、道教(ヴィディエ)の組み合わせであり、五斗米道の名の由来はヴィディエとミン(閔)、ヴィディエの組み合わせである。

 


■AD450年 「ラヴォ王国誕生」

 

太平道が天師道に吸収されると、太平道(アグリオス、ヴィディエ)はインドシナ半島に移住し、「ラヴォ王国」を建設した。ラヴォの名の由来はアグリオスとヴィディエの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ=リオヴィ=ロヴィ=ラヴァとなる。ラヴァ王国はAD1388年まで続いている。

 


■AD6世紀 「大賀氏誕生」

 

AD5世紀頃、中国仏教が簒奪した新天師道が誕生すると、道教、張氏はこれを嫌ってモンゴルに移住した。この時に「大賀(ダへ)氏」が生まれた。ダヘの名の由来はヴィディエ(張氏)とヴィディエ(道教)の組み合わせである。ヴィディエ+ヴィディエ=ディエヴィ=デビ=ダヘとなる。大賀氏は、AD8世紀まで、王として契丹を統率した。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

アグリオスは、リオスの部分をラーシュトラ(ツァラストラ)に重ね合わせ、名前を継承しつつ、百済の残党と共に「ラーシュトラクータ朝」を開いた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラと百済の組み合わせである。ラーシュトラ+クダラ=ラーシュトラクダ=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD973年 「龍造寺氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、アグリオスは日本に向かい、九州に上陸した。アグリオスは「龍造寺氏」を称した。龍造寺氏の名の由来はラーシュトラクータである。ラーシュトラクータ=ラーシュトラ=リューゾーテラ=龍造寺(りゅうぞうじ)となる。

 


■AD973年 「五十嵐氏誕生」「小栗氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、アグリオスはインドから日本に移住し、「五十嵐氏」「小栗氏」を生んだ。五十嵐、小栗の名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリョス=五十嵐(いがらし)となり、アグリオス=オグリオス=小栗となる。

 


■AD1168年 結城朝光生誕 「結城氏誕生」

 

結城の名の由来はチュクウである。チュクウ=ユクウ=結城となる。結城朝光は親鸞に心酔し、念仏に傾倒したと伝えられる。匈奴時代にタナトスの血が流れ込んだのだろう。

 


■AD1338年 「ルオ族誕生」

 

パヤオ王国賀滅ぶと、王国の中核を成していたピュー族はパヤオ王国(符氏)と連合して西方に向かう計画を立てた。AD1253年に滅んだ大理国の段部、ラーオ族もこの旅に参加した。ラーオ族は紅海で一行から分離し、東アフリカに至って現ケニアに移住し、「ルオ族」を残した。ルオの名の由来はラーオである。

 


■AD1363年 「ラーンサーン王国誕生」

 

AD1124年、西遼(カラキタイ)が建つと、モンゴルを離れたタイ・ルー族は現ラオスに帰還し、ラーンサーン王国などのラオス王国の建設に参加した。

 


■AD1584年 「ルソー誕生」「レスター誕生」「リスト誕生」

 

九州を離れた龍造寺氏は、パンジャブで豊臣秀頼の一行を迎え、カスピ海に至る。その後、龍造寺隆信の一行は、カスピ海からスイスに移った。彼らは現地人と交わり、「ルソー」「レスター」「リスト」の名を形成した。ルソーの名の由来は龍造寺であり、リスト、レスターの名の由来はラーシュトラクータである。龍造寺(りゅうぞうじ)=りゅうぞう=ルソーとなり、ラーシュトラクータ=ラーシュトラ=レスター=リストとなる。

 


■AD1669年 紀伊国屋文左衛門生誕

 

紀伊国屋文左衛門の元姓は、五十嵐氏である。つまり、紀伊国屋文左衛門はアグリオスの子孫である。彼は、材木商として成り上がったが、タナトスの血を引く三井家、住友家に目をつけられたためか、一代で消滅してしまった。その後、紀伊国屋文左衛門の残党は、祖を同じくする日本人が移住したラオスに入植した。

 


■AD18世紀 「ルアンパバーン王国誕生」

 

倭寇に参加し、後に華僑に参加してスペイン人などと戦っていた宇久氏は、フィリピン遠征時にインドシナ半島に移住した。彼らは、祖を同じくするラーンサーン王国の結城氏と連合して「ルアンパバーン王国」を築いた。ルアンパバーンの名の由来は蓮(リャン)と八幡(バハン)の組み合わせである。リャン+バハン=リャンバハーン=ルアンパバーンとなる。倭寇は、常に「八幡神」ののぼりを掲げていたため、中国人に中国語読みで「八幡(バハン)」と呼ばれた。

 


■AD1945年 「ラオス王国誕生」

 

結城氏(鎌倉幕府)、宇久氏(倭寇)、五十嵐氏(紀伊国屋文左衛門)など、アグリオスの血を引く日本人の子孫が「ラオス王国」を建設した。ラオスの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグラオス=ラオスとなる。

 

 

 

 

 

◆ソクラテス(クリュテイオス)の歴史

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「エウリュトス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んだ。その後、クリュテイオスはウェネと組んで「エウリュトス」を生んでいる。エウリュトスの名の由来はウェネとクリュテイオスの組み合わせである。ウェネ+クリュテイオス=ウェリュテイオス=エウリュトスとなる。

 


■45万年前 「ヒッポリュトス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んだ。その後、クリュテイオスはヴィディエ、パッラースと組んで「ヒッポリュトス」を生んでいる。ヒッポリュトスの名の由来はヴィディエ、パッラース、クリュテイオスの組み合わせである。ヴィディエ+パッラ-ス+クリュテイオス=ヴィパッラーテイオス=ヒッポリュトスとなる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キルーテ族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北西部沿岸(現バンクーバー周辺)に居を構えたクリュテイオスは「キルーテ族」を称した。キルーテの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=キルーテイオス=キルーテとなる。獣人は、アボリジニの顔をしていたクウォスと混合することで、マヤ人の顔を得たと考えられる。

 


■40万年前 「クリー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(アラスカ~カナダ北部)に居を構えたグラティオーンは「クリー族」を称した。クリーの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=クリティオーン=クリーとなる。

 


■40万年前 「シャイアン族誕生」

 

亜北極圏(アラスカ~カナダ北部)から大平原(ユタ周辺)に居を構えたグラティオーンは「シャイアン族」を称した。シャイアンの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=グラチェイオーン=チャイアン=シャイアンとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「クリュティアー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアで「クリュティアー」を生んだ。クリュティアーの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュテイオ=クリュティアーとなる。その後、クリュティアーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリロエー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアではルワと連合し、「カリロエー」を生んだ。カリロエ-の名の由来はクリュテイオスとルワの組み合わせである。クリュテイオス+ルワ=クリュルワ=カリロエーとなる。その後、カリロエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリュプソー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュティアーは、オーストラリアでアプスーと連合し、「カリュプソー」を生んだ。カリュプソーの名の由来はクリュティアーとアプスーの組み合わせである。クリュティアー+アプスー=クリュプスー=カリュプソーとなる。

 


■30万年前 「ロディオス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアで「ロディオス」を生んだ。ロディオスの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュデイオス=ロディオスとなる。その後、ロディオスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ブロンテース誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアではウラニアーと連合し、「ブロンテース」を生んだ。ブロンテースの名の由来はウラニアーとクリュテイオスの組み合わせである。ウラニアー+クリュテイオス=ウランテイオス=ブロンテースとなる。その後、ブロンテースはキュクロプスに参加した。

 


■30万年前 「タナトス誕生」

 

クリュテイオスの下層集団には知能が高い個体がおり、「できそこないの方が多いんだから、全員で組めばクリュテイオスの王族を退けることができる」ということに気づいた。ディオーネーでも同じことが起きていたが、クリュテイオスの下層集団はディオーネーの下層集団と連合し、合体部族「タナトス」を生んだ。タナトスの名の由来はディオーネーとクリュテイオスの組み合わせである。ディオーネー+クリュテイオス=ディオネテイオス=タナトスとなる。このタナトスは知能によって淘汰を免れることを覚えたできそこないの集団であり、クリュテイオスの王統とは無関係である。※詳細はタナトスの本で

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「カール族誕生」「カロ族誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したカリュプソーは、マレー半島に「カール族」「カロ族」を生んだ。カール、カロの名の由来はカリュプソーである。

 


■30万年前 「クレタ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加して地中海に入植したクリュティアーは、その後、クレタ島に上陸した。この時に初めてこの島は「クレタ島」と呼ばれた。クレタの名の由来はクリュティアーである。クリュティアー=クリュタ=クレタとなる。

 


■7万年前 「ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティア誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したグラティオーンは「ティア」を祀り、ティタン神族に参加した。ティアの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=グラティアン=ティアとなる。

 


■7万年前 「テテュス誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、トエーと組んで古代ギリシアに「テテュス」を生んだ。テテュスの名の由来はトエーとクリュテイオスの組み合わせである。トエー+クリュテイオス=トエテイオス=テテュスとなる。

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

古代ギリシアに生まれたテテュスは、ウラヌスと組んで「ティタン神族」を結成した。ティタンの名の由来はテテュスとウラヌスの組み合わせである。テテュス+ウラヌス=テテュヌス=ティタヌス=ティタンとなる。

 


■7万年前 「レティ族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、マレー半島に「レティ族」を生んだ。レティの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=リュテイ=レティとなる。

 


■7万年前 「アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「クリュシッポス誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したクリュティアーはオーストラリアに入植し、ヒッポーと組んでピサ王国の王族「クリュシッポス」を生んだ。クリュシッポスの名の由来はクリュティアーとヒッポーの組み合わせである。クリュティアー+ヒッポー=クリュティッポー=クリュシッポスとなる。彼らは、タナトスに属するティエステスと対立していた。

 


■7万年前 「ミドガルド誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したクリュテイオスは、巨木セコイア(ユグドラシルと呼ばれた)の森林に魅せられ、現カリフォルニアに降り立った。彼らは、アドメテーと共に「ミドガルド王国」をカリフォルニア~ネバダにかけて建設した。ミドガルドの名の由来はアドメテーとクリュテイオスの組み合わせである。アドメテー+クリュテイオス=メテクリュテ=メデグリュデ=ミドガルドとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天手力男命誕生」

 

「ギガントマキア」に参加し、ゼウスに敗北したクリュティオスはオーストラリアに帰還した。更に、「命令を聞け」と迫るタナトスを殴り殺し、台湾に移住し、イマナと連合し「天手力男命」を生んだ。天手力男の名の由来はイマナとテイオスクリュ(クリュテイオスの反対)の組み合わせである。イマナ+テイオスクリュ=イマナテスカリオ=アメノタジカラオとなる。

 


■2万年前 「ユグドラシルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「ゴリアテ誕生」

 

「ユグドラシルの大航海時代」に参加して出羽国に入植し、「モーゼスの大移動時代」に参加して中国に入植したクリュテイオスは、カナン(夏時代の中国)に「ゴリアテ」を生んだ。ゴリアテの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=グリユテイオス=ゴリアテとなる。ゴリアテはペリシテの巨人として知られているが、知力にも長けていた。タナトスの理不尽な命令に嫌気がさしていた彼は、わざと少年ダヴィデに敗北することでタナトスを討つことを考えた。

 


■BC30世紀 「ダエーワ神群の大移動時代」

 


■BC469年 ソクラテス生誕

 

「ダエーワ神群の大移動時代」に参加してイランに入植したクリュテイオスは、その後に古代ギリシアに移り「ソクラテス」を生んだ。ソクラテスの名の由来はジョクとクリュテイオスの組み合わせである。ジョク+クリュテイオス=ジョクリュテイオス=ソクラテスとなる。善良なソクラテスは、タナトスから生まれた如何わしいソフィストのやり方に疑念を持ち、できそこないの集団に身一つで挑戦した。彼は「こんなウソつきのできそこないに負けるはずがない」と考えていたのだ。
その通り、質vs質では間違いなくソクラテスが勝っていた。だが、タナトスはできそこないしか勝てない土俵でしか戦わない。ソクラテスがその土俵に上がると、大量のできそこないに圧倒され、哀れにも敗北を喫した。死刑を宣告するために開かれた裁判では、さしもの、ソクラテスも力及ばずであった。もともと、キュベレー密儀、ディオニュソス密儀の息がかかった女を娶った時点で、ソクラテスは勝機を失っしていた。

 


■BC1世紀 「スパルタカス誕生」

 

奴隷を解放することは良いことだと考えていたブロンテースは、キュクロプス時代の同僚ステロペース、アルゲースと共に「スパルタカス」を生んだ。スパルタカスの名の由来はステロペース、ブロンテース、アルゲースの組み合わせである。ステロペース+ブロンテース+アルゲース=スブロンテゲース=スパルタカスとなる。第三次奴隷戦争の指揮者となったが、彼らは残念ながら、奴隷戦争の背後にいたアタルガティス教の人々の悪意に気づいていなかった。

 


■AD768年 シャルルマーニュ大帝、フランク王に即位 「カロリング朝誕生」

 

時を経て、ソクラテスの子孫はギリシアからガリアに移っていた。彼らの系統からはシャルルマーニュが生まれた。シャルルマーニュの名の由来は獣人クリュテイオスとルーマニアの組み合わせである。クリュテイオス+ルーマニア=クリュルーマニア=シャルルマーニュとなる。このように不世出の偉大な英雄は常に獣人の血統から輩出されている。

 


■AD771年 シャルルマーニュ大帝、ランゴバルト王国を滅ぼし、イタリア王を兼ねる

 


■AD772年 シャルルマーニュ大帝、サクソン人と交戦 「サクソニア戦争」

 


■AD794年 シャルルマーニュ大帝、イスパニア出征

 


■AD795年 シャルルマーニュ大帝、アヴァール人の本拠地を急襲

 


■AD803年 シャルルマーニュ大帝、ローマで戴冠

 


■AD814年 シャルルマーニュ大帝、死去

 

シャルルマーニュ大帝統治時代の後期にノルマン人が出現したが、シャルルマーニュ大帝の生前には目立つ攻撃はなかった。しかし、シャルルマーニュ大帝が死去した途端にノルマン人、デーン人の連合はシャルルマーニュ大帝の子息3兄弟の王位継承権争いに介入し、ロタール1世を傀儡に仕立ててフランク王国の簒奪を謀った。これにより、フランク王国はフランス、ドイツ、イタリアに分離した。

 

 

 

◆クリュセーイスの歴史

 


■30万年前 「クリュセーイス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ムシシと組んで「クリュセーイス」を生んだ。クリュセーイスの名の由来はアグリオス、ムシシの組み合わせである。アグリオス+ムシシ=グリオシシ=クリオシーシ=クリュセーイスとなる。その後、クリュセーイスは大洋の娘たちに参加した。

 


■7万年前 「サイシャット族(ヘラクレス)誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペルセウスは、台湾に上陸してクリュセーイスと共に合体部族を生んだ。この合体部族の誕生に参加したのはペルセーイス側からはパッラース(ヴィディエ+レザ)、ムシシが、クリュセーイス側からはグラティオーンとムシシである。しかし、グラティオーン自体がアグリオス(チュクウ+ルワ)とディオーネー(ヴィディエ+ウラニアー)の合体部族である。つまり、ペルセーイスからは3部族、クリュセーイスからは5部族が参加している。
この時に生まれたのは、台湾少数民族として知られる「サイシャット族」である。サイシャットの名の由来はチュクウ、ムシシ、ヴィディエの組み合わせである。チュシシディ=ツォウセーイシディ=サイシャットとなる。サイシャット族は後に「ヘラクレス」と呼ばれることになる。ヘラクレスの名の由来はペルセーイスとクリュセーイスの組み合わせである。ペルセーイス+クリュセーイス=ペルクリュセ=ヘラクレスとなる。

 


■7万年前 「ヘラクレス誕生」

 

ヘラクレスとは、台湾のサイシャット族のことであるが、ヘラクレスの物語は全て、オーストラリア、メラネシア、南シナ海で起きたことである。ヘラクレスの目的は、主に、反自然の種族の成敗であった。ネメアのライオン、レルネのヒュドラ、ケリュネイアの鹿、エリュマントスの猪、アウゲイアスの家畜小屋掃除、ステュムパリデスの鳥退治、クレタの暴れ牛、ディオメデスの人喰い馬、アマゾネスとの戦闘、ゲリュオンの赤い牛、ヘスペリデスの黄金の林檎、ケルベロスの生け捕りの中でも、特にエリュマントスの猪とディオメデスの人喰い馬はタナトスの一族である。

 


■7万年前 「ヴァルハラ誕生」「戦士の守護神ワルキューレ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加した素戔鳴尊、筒之男命は、神話通り、葦原中津国に向かった。葦原中津国は2種類あるが、ひとつめは八代湾~天草諸島に跨る地域であり、2つめはアナトリア半島~ナクソス島に跨る地域である。彼らが目指したのは2つめの葦原中津国である。
アルゴス号は、途上の北アメリカで常世国、ミドガルド王国などを残しつつ、メキシコに到達した。大西洋側に出た彼らは、上陸ポイントを「ベラクルス」と命名した。更に、北メキシコに入植した塩椎神の勢力は「ヴァルハラ王国」を築いた。ヴァルハラの名の由来はペルセウスとヘラクレスの組み合わせである。ペルセウス+ヘラクレス=ペルヘラ=ヴァルハラとなる。
ベラクルスには、「ワルキューレ」が生まれた。ベラクルス、ワルキューレの名の由来は共にヘラクレスである。ヘラクレス=エラクーレス=ワルキューレとなる。北アメリカにあったミドガルド王国、北メキシコにあったヴァルハラ王国名は北欧神話に出てくるため、ミドガルド、ヴァルハラは北欧に存在したと考える人も多いだろう。しかし、大概の場合、神話の舞台は神話が編まれた土地で起きた事柄ではない。タナトスを皆殺しにするため、科学の種族は核兵器によってミドガルド、ヴァルハラを消滅させたが、北欧神話は、その時の生存者が何万年もさすらったあげく、北欧に辿り着き、現地人に伝えたものである。

 


■4万年前 「アトランティス人の大航海時代」

 


■4万年前 「カリス誕生」

 

「アトランティス人の大航海時代」に参加したクリュセーイスは、「カリス」を生んだ。カリスの名の由来はクリュセーイスである。クリュセーイス=クリュセ=カリスとなる。

 


■BC1530年 「クルズ人誕生」「カッシート朝成立」

 

シェクレシュ人は、BC1530年に「カッシート朝」を築いた。カッシート朝を開いた謎の「クルズ人」の正体はシェクレシュ人である。また、BC1150年にカッシート朝が滅ぶと、シェクレシュ人(クルズ人)はクレタ島に帰還し、神官「クーレース」となる。また、クーレースは「ギリシア(グリース」)」の語源でもある。

 


■BC6世紀 「フィン人の大航海時代」

 


■BC6世紀 「コラズム誕生」

 

「フィン人の大航海時代」に参加したカレリア族とスオミ族は、現地を初めて「コラズム」と呼んだ。コラズムの名の由来はカレリアとスオミの組み合わせである。カレリア+スオミ=カレスオミ=コラズムとなる。コラズムは、ハ行がカ行を兼ねる法則により、ホラズム、ホラサンとも呼ばれている。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「クライシュ族誕生」

 

「コラズム族の大移動時代」に参加したコラズム人は、アラビア人と混合して「クライシュ家」を形成している。クライシュの名の由来はコラズムである。コラズム=コライズム=クライシュとなる。ヒムヤル人を除き、「コラズム族の大移動時代」に加わったほとんどの種族が、クライシュ族に参加している。残念ながら、その後に、人身御供の種族タナトスがアラビア半島を訪れると、クライシュ族以下、アラビア人は人喰い人種の支配下に置かれ、人身御供を強要された。

 


■AD634年 「ギルザイ族誕生」

 

イスラム軍がアラビア半島を統一すると、これを機に、クライシュ族はコラズムに帰還する。彼らは「ギルザイ」を称した。ギルザイの名の由来はクライシュである。クライシュ=クラシャイ=ギルザイとなる。

 


■AD1231年 「黒澤氏誕生」

 

AD1231年、コラズムがチンギスによって完全に破壊されると、一部ギルザイ族は日本に逃亡した。コラサン人の顔をした彼らは日本人と混合して「黒澤氏」を形成した。黒澤の名の由来はアグリオスとシヴァの組み合わせである。アグリオス+シヴァ=グリオシヴァ=黒澤となる。

 


■AD1231年 「カルザイ誕生」

 

AD1231年、コラズムがチンギスによって完全に破壊されると、ギルザイ族は伊勢平氏の子孫パシュトゥーン人に「ギルザイ」の名を簒奪されたため、ヨーロッパに移住した「ドゥラニ」の名を拝借し、ドゥラニ族の中に「カルザイ」の名を成した。

 


■AD1907年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー生誕

 

クルーゾーの名の由来はクライシュである。クライシュ=クレエシュー=クルーゾーとなる。

 


■AD1910年 黒澤明生誕

 


■AD1939年 ジョン・クリーズ生誕 「モンティ・パイソン誕生」

 

クリーズの名の由来はクルーゾーである。クルーゾー=クルーゾ=クリーズとなる。

 


■AD1957年 ハーミド・カルザイ生誕

 

アフガニスタン・イスラム共和国初代大統領に就任している。

 


■AD1955年 黒沢清生誕

 

 

 

◆レメク(クリュメネー)の歴史

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、河川の娘たちを母体にイマナと組んで「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオス、イマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナー=クリュメネーとなる。その後、クリュメネーは大洋の娘たちに参加した。

 


■7万年前 「ムナ族誕生」「リオ族誕生」「モニ族誕生」

 

オーストラリアから東南アジアに移住したクリュメネーは、マレー半島に「ムナ族」「リオ族」を、パプアに「モニ族」を生んだ。ムナ、モニ、リオの名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クリオメネー=リオとなり、クリュメネー=クリュムナー=ムナ、クリュメネー=クリュモニー=モニとなる。

 


■7万年前 「大山津見神誕生」

 

一部のオケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、大和地方に住んでいたティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「大綿津見神」「大山津見神」「宇迦之御魂神」「豊玉毘売命」「玉依毘売命」が誕生した。「大綿津見神(オオワタツミ)」の名の由来はアドメテーとティアマト、「大山津見神誕(オオヤマツミ)の名の由来はクリュメネーとティアマトの組み合わせである。クリュメネー+ティアマト=ユメティアマ=ユメチャマ=ヤマツミとなる。

 


■7万年前 「久留米誕生」

 

大和国に「大山津見神」を生んだクリュメネーは、単身、九州に入植して拠点を「久留米」と命名した。久留米の名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クルメネー=久留米となる。

 


■7万年前 「天之御中主神誕生」

 

イマナは、台湾に来たオケアーニスと連合して「アメノミナカヌシ」を生んだ。アメノミナカヌシの名の由来はイマナ、クリュメネー、ペネイオスの組み合わせである。イマナ+クリュメネー+ペネイオス=イマナメネーケネイオス=アメノミナカヌシとなる。

 


■4万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「レメク誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したクリュメネーは、ペルーに移住してカイコスと連合した。この時に「レメク」が生まれた。レメクの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=リュメカー=レメクとなる。このコンビは、他にもマゴグ、マゴ、マゴス、マゴイを生んでいる。レメクは、ペルーの拠点に「リマック」と命名した。リマックとは、ペルーの首都リマの古名である。

 


■3万年前 「ムー帝国(ローマ帝国)誕生」

 

レメクは、アマゾン上流のモホス文明を継承し、科学・技術力を発展させた。ティル・ナ・ノーグ(ティアワナク)、モホス文明(アマゾン上流)、五岳神(南極大陸)で展開された文明の追及の記憶は、ムー帝国幻想に重ね合わせられている。ムー帝国を統治したユピテルなどの王族の名は、後世、イタリアに伝えられ、ローマの神々としてローマ帝国で祀られた。ローマ、ラ・ムーなどの名はレメクが由来である。

 


■3万年前 「エノクの大航海時代」

 


■3万年前 「マカタオ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加した一部のレメクは、エノクたちと共に台湾に入植した。この時に「マカタオ族」が生まれた。マカタオの名の由来はレメクとヴィディエの組み合わせである。レメク+ヴィディエ=メクディエ=マカタオとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ケルマ王国誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したレメクは、ナイル上流域に進出してヌビアに至り、「ケルマ王国」を建てている。ケルマの名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クリュメ=ケルマとなる。

 


■BC40世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「ライマ誕生」

 

「シュメール人の大航海時代」に参加したケルマ人はメソポタミアからペルーに移住し、その後に「サムエルの大航海時代」に参加して出羽国に入植した。その時、ケルマ人はガラクサウラーと組んで出羽国の王族「ライマ」を生んだ。ライマの名の由来はガラクサウラーとクリュメネーの組み合わせである。ガラクサウラー+クリュメネー=サウラメネ=ソロモン=ソロイモン=ライマとなる。ライマは、ラトビア神話に記された神の一人であるが、ラトビア神話には、出羽国を治めていた王族の名が神として記されている。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「モンゴル誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したメネストーは、現モンゴルに移住し、ガラクサウラーと組んで「モンゴル」の名を生んだ。モンゴルの名の由来はメネストーとガラクサウラーの組み合わせである。メネストー+ガラクサウラー=メネガラ=モンゴルとなる。

 


■BC32世紀 ソロモン、第3代イスラエル王に即位 「ソロモン朝誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したメネストーは、ガラクサウラーと組んでモンゴルの名を生んだ。更に、両者は「ソロモン朝」を築いた。ソロモンの名の由来はガラクサウラーとメネストーの組み合わせである。ガラクサウラー+メネストー=サウラメネ=ソロモンとなる。ソロモン王は、モンゴル高原を治めた。ソロモン朝の都は、タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠辺りに存在したと考えられる。

 


■BC32世紀 「エルサレム誕生」

 

この時に「エルサレム」の名も生まれた。エルサレムの名の由来はサウルとソロモンの組み合わせである。サウル+ソロモン=ウルソロモ=エルサレムとなる。ただ、残念ながらサウル王やソロモン王は、タナトスの一族である預言者ナタンにいいように操られ、悪の為に働き、ダヴィデ王を敵視した。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「エルズルム誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したソロモンは、核攻撃で荒廃した故地を脱出して黒海南部のほとりに辿り着いた。ソロモンの残党はここに「エルズルム」を建設した。エルズルムの名の由来はエルサレムである。この地名は今でも現存している。その後、サウルの残党はヨーロッパに移住し、ソロモンの残党は現イスラエルに、ヨシュア(アシアー)は現エジプトに移住した。この時に、北ヨーロッパは「ゲルマニア」と呼ばれ、カナンに「イスラエル(葦原中津国と高天原による連邦国家)」「エルサレム」の名がもたらされ、「エジプト(葦原中津国と十和田による連邦国家)」は初めてエジプトと呼ばれた。

 


■BC27世紀 「マガダ王国誕生」

 

イスラエル王国(高天原と葦原中津国の連邦国家)が滅ぶと、マカタオ族は台湾を離れた。彼らは、ガンジス流域に根城を得て「マガダ王国」の下地を築いた。マガダの名の由来はマカタオである。マカタオ=マガダオ=マガダとなる。その後、BC18世紀頃、マガダ人から輩出されたピリハドラータが初代王に即位して「マガダ王国」を建てている。

 


■BC882年 「マケドニア人誕生」

 

第24代マガダ王リプンジャヴァの時代に正統なマガダ王国が滅亡すると、マガダ人はインドを後にしてギリシア方面に進出し、「マケドニア」に上陸した。マケドニアの名の由来はマガダである。マガダ=マガダン=マガダンニア=マケドニアとなる。BC808年、カラノスが初代王に即位して「マケドニア王国」が建てられた。

 


■BC336年 「アレキサンダー帝国誕生」

 

BC336年にはアレキサンダー大王が第26代マケドニア王に即位している。アレキサンダー大王は、古代ギリシア、シリア、エジプト王国、ペルシア帝国を侵略して領土に組み込み、「アレキサンダー帝国」を儲けた。アレキサンダー大王の目的は、タナトスの系譜に属するインチキ宗教を壊滅させることであった。

 


■BC148年 「マギンダナオ族誕生」

 

「第4次マケドニア戦争」の敗北を機に、マケドニア人は故地を出て東方に赴いた。まず、フィリピンのミンダナオ島に上陸した一行は当地を「マギンダナオ」と命名した。マギンダナオの名の由来はマケドニアである。マケドニア=マケンドニア=マギンダナオとなる。マギンダナオ族は、AD16世紀にマラウィを首都に据えて「マギンダナオ王国」を建てている。スペインの支配時、AD1619年に彼らは、ミンダナオに侵攻したスペイン軍を退けている。更に、AD1645年にはスペインとオランダに主権を認めさせ、講和条約を結んでいる。

 


■BC148年 「段部誕生」

 

「第4次マケドニア戦争」の敗北を機に、マケドニア人は故地を出て東方に赴いた。マケドニア人はフィリピンの次に黒龍江に入り、モンゴルに至った。マケドニア人は「段部(ドゥアン)」を称した。ドゥアンの名の由来はマケドニアである。マケドニア=マケドゥアンニア=ドゥアンとなる。段部は、宇文部・托跋部が指揮する「鮮卑」に参加した。その後、段部はAD471年の「鮮卑の大航海時代」を経て太平洋を横断し、ブリテン島にまで移住している。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「タナー誕生」「ドナー誕生」「ターナー誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した段部は、イギリスに上陸し、現地人と混合して「タナー」「ドナー」の名を生んだ。これらの名の由来は段(ドゥアン)である。ドゥアン=ドゥアナー=ドナー=タナー=ターナーとなる。

 


■AD628年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD768年 「クルム朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加していたイギリス人ドナーは、ブルガリア帝国に侵入し、「クルム王朝」を開いた。クルムの名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クリュメ=クルムとなる。マケドニア人の末裔である彼らは、プレシアン1世の時代にマケドニアを領有し、故地の奪還を果たした。

 


■AD906年 段思平、初代王に即位 「大理国誕生」

 

AD852年、ドゥロ王朝が復活を遂げると、ブルガリア帝国を去ったクルム家は雲南に移住し、「段部」の名を復活させた。段思平は南詔国を倒し、タイ族、ユワン族、ラーオ族を支配下に置いた。その後、段部は、タイ族、ラーオ族と組んで「大理国(ダーリ)」を立てた。ダーリの名の由来はヴィディエとアグリオスの組み合わせである。ヴィディエ+アグリオス=ディエリオ=ダーリとなる。

 


■AD1096年 段正淳、初代後大理国王に即位 「後大理国誕生」

 

AD1253年、段興智の代に後大理国は滅んだ。その後、彼らは「ピュー族の大航海時代」に参加した。

 


■AD1338年 「ピュー族の大航海時代」

 


■AD1338年 「テュニカ族誕生」

 

「ピュー族の大航海時代」に参加した段部は、ピュー族と共に西方に向かい、地中海に入った。段部は故地であるマケドニアに居を定める方針だったが、当時はビザンツ帝国の治世下にあったため、ピュー族と共に更に西方に向かった。イングランドを通過した段部は、アイルランド、アイスランドの航路を経て大西洋を超え、北アメリカに至った。アメリカ南東部に居を構えた段部は、マケドニア人(マケドニキ)を由来に「テュニカ族」を形成した。マケドニキ=ドニキ=テュニカとなる。

 


■AD1338年 「田中氏誕生」

 

「ピュー族の大航海時代」に参加したテュニカ族は、アメリカ南東部を出て東アジアを目指し、太平洋を横断して室町時代の日本に進出した。インディアンの顔をしたテュニカ族は、大和国・近江国に上陸して現地人と混合した。テュニカ族は「田中」を称した。テュニカ=タナカ=田中となる。AD1585年には、田中忠政が誕生している。マケドニア由来の「田中」の他にも、田中にはサタンの人(サタニカ)、大谷の人(オオタニカ)などを由来にしたものがある。

 


■AD16世紀 「マギンダナオ王国誕生」

 

マケドニア人の子孫であるマギンダナオ族は、AD16世紀にマラウィを首都に据えて「マギンダナオ王国」を建てている。

 


■AD1619年 マギンダナオ王国、スペイン軍を撃退

 

スペインの支配時、AD1619年に彼らは、ミンダナオに侵攻したスペイン軍を退けている。

 


■AD1645年 マギンダナオ王国、講和条約を締結

 

AD1645年にはスペインとオランダに主権を認めさせ、講和条約を結んでいる。

 


■AD1841年 田中正造生誕

 


■AD1929年 アラン・タネール生誕

 


■AD1930年 リチャード・ドナー生誕

 

 

 

 

 


チュクウの歴史(アグリオス)②

◆李氏(オーキュロエー)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「オーキュロエー誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加してモンゴルに移住し、その後に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに移住したアグリオスは、ルワが抜けたことで「オーキュロエー」を生んだ。オーキュロエーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アーグリオエース=オーキュロエーとなる。

 


■30万年前 「コロワイ族誕生」

 

エティオピア王国の繁栄を聞いたオーキュロエーは、パプアに移住して「コロワイ族」を生んだ。コロワイの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=オーキュロア=キュロアイ=コロワイとなる。

 


■4万年前 「大綿津見神誕生」

 

ギリシアから台湾に上陸したギューゲースは、新世代水生人イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「大山津見神誕生」

 


■7万年前 「天手力男神誕生」

 

高天原が繁栄すると、オーキュロエーは台湾に移住し、「天手力男神」を生んだ。天手力男神の名の由来は、イマナ、クリュテイオス、オーキュロエーの組み合わせである。イマナ+クリュテイオス+オーキュロエー=アマナテイオスキュロエ=アメノタジカラオとなる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「大日本根子彦(孝霊天皇、孝元天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「大日本根子彦」を生んだ。大日本根子彦の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーアマトニコ=大日本根子(おおやまとねこ)となる。大日本根子彦は、「孝霊天皇」「孝元天皇」として天皇に即位している。

 


■1万3千年前 「稚日本根子彦(開化天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「稚日本根子」を生んだ。稚日本根子の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーキュアマトニコ=稚日本根子(わかやまとねこ)となる。稚日本根子彦は、「開化天皇」として天皇に即位している。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万3千年前 「ロウヒ誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加し、その後に「垂仁天皇の大移動時代」に参加したオーキュロエーは、メソポタミアに入植した。彼らは「ロウヒ」を生んだ。ロウヒの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=ロエヘ=ロウヒとなる。

 


■BC5千年 「レウ誕生」

 

その後、オーキュロエーは、メソポタミアに「レウ」を生んだ。レウの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=ロエー=レウとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC2???年 ジェドエフラー、ファラオに即位

 

「ソドムとゴモラ」を機に、エジプトに移住していたレウからジェドエフラーが生まれ、ファラオに即位した。

 


■BC2???年 カフラー、ファラオに即位

 


■BC2???年 メンカウラー、ファラオに即位

 


■BC2490年 「太陽神ラー誕生」

 

レウは、「太陽神ラー」を生んだ。ラーの名の由来はオーキュロエーである。ラーの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=オーキュロアー=ロアー=ラーとなる。その後、ファラオは「ラーの息子」の称号を冠した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「黎族誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したレウは、澳門から海南島に移って「黎族」となる。黎(レイ)の名の由来はレウである。レウ=レイ=黎となる。

 


■BC222年 「李氏誕生」

 

秦が中国を統一して南越を掌握すると、黎族は中国に移って「李氏」を称した。李(リー)の名の由来はレウである。レウ=レウー=リーとなる。

 


■AD4世紀 「柔玄(ルークシャン)誕生」

 

柔玄(ルークシャン)の名の由来は李(リー)と亀慈(クチャ)の組み合わせである。柔玄(ルークシャン)に所属していた李淵が「唐」を開いている。

 


■AD457年 レオ1世、ビザンツ皇帝に即位

 

AD4世紀頃、再度、ギリシアに覇を唱えることを考えたチワン族は、今回は黎族を率いてビザンツ帝国治世下のギリシアに向かった。彼らは、「東晋」の治世に海南島を発ち、地中海に進出している。中国人の顔をした黎族、チワン族はイサウリア家に自身の血統を打ち立てた。黎族は、先祖であるレウに因んで「レオ」と命名し、チワン族は神農(シェンノン)に肖って「ゼノン」と命名した。シェンノン=シェノン=ゼノンとなる。レオは「レオ1世」を称してAD457年にビザンツ皇帝に即位し、「ゼノン」はAD474年、レオ1世に続いてビザンツ皇帝に即位した。

 


■AD554年 「李朝誕生」

 

その後、レオ、ゼノンの一族が457年頃にビザンツ帝国の王位を喪失すると、彼らは、ビザンツ帝国を後に東アジアに帰還した。レオの一族はベトナムに上陸して「李氏」を称した。李氏は、AD554年に「前李朝」を開いた。彼らは、ベトナムの李氏や朝鮮半島の李氏(イー)の祖となった。

 


■AD618年 李渕、初代皇帝に即位 「唐誕生」

 

柔玄を生んだ李氏は、アテネ人の後裔である唐氏と連合し、「唐」を建設した。

 


■AD980年 「黎朝誕生」

 

唐が滅ぶと、李氏はベトナムに帰還して黎族を復活させた。黎族はデーン人の「丁朝」を滅ぼした。この時、彼らは「黎朝」をベトナムに開いた。その後、AD1009年に王朝が滅ぶと、ベトナムを離れた李氏は中国に戻っている。

 


■AD1006年 「李朝誕生」

 

ビザンツ帝国から戻ったレオの一族(ベトナムの李氏)は、黎朝(中国の李氏)を退けて、ベトナムに「李朝」を開いた。この時に、黎族(中国の李氏)は中国に帰還した。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD1038年 李継遷、初代王に即位 「西夏誕生」

 

「東アジア王族のリトアニア大移住」に参加した李継遷は、遼朝によって西夏王に封ぜられた。AD1227年、チンギスの侵攻によって西夏が滅びると、李氏はチンギスの征西に同行してヨーロッパに至る。

 


■AD12世紀 パレモナス、リトアニア大公に即位 「パレモナス朝誕生」

 

パレモナスは、唐の王族である李氏の子孫である。パレモナスの名の由来はハオと李モナスの組み合わせである。ハオ(好)+リモナス=ハオリモナス=パレモナスとなる。

 


■AD1225年 「李馬鴻誕生」

 

AD1225年に李朝が滅ぶと、李氏はベトナムを離れて「倭寇」誕生前夜の北九州に移住した。倭寇の李氏からは「李馬鴻」が輩出されている。李馬鴻は、シオコと連合艦隊を組み、フィリピンに進出してスペイン駐屯軍を襲撃した。

 


■AD1358年 「ジャックリーの反乱」

 

西夏の残党は、モンゴル軍の征西に同行してフランスにまで到達した。ジャックリーは、彼らの子孫である。彼は、農民を搾取する邪教カトリック教会(クリュニー会、シトー会、ドミニコ会)を打倒するべく、農民を指揮して蜂起したが鎮圧されてしまう。骨の髄までカトリックに支配されていたフランス農民は、英雄ジャックリーの忠実な手足とはならなかったようだ。

 


■AD1358年 「五十嵐氏誕生」

 

ジャックリーの乱が失敗すると、残党はイギリスに逃れたが、一部が日本に移住した。この時に「五十嵐氏」を形成した。五十嵐の名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリョス=五十嵐となる。

 


■AD1392年 「李氏朝鮮誕生」

 

AD1279年に南宋の趙氏がリトアニアに到達すると、パレモナスの王統を継ぐ李氏は中央アジアに拠点を移した。中央アジア人の顔を得た李氏からは、李成桂が誕生した。中央アジアを出て東アジアへの帰還を実施した李成桂はAD1364年とAD1383年に女真族を討伐した。その後、朝鮮半島に侵入した一行は、AD1392年に「李氏朝鮮」を開いた。漢字を廃してハングル文字を朝鮮半島に導入した李成桂は、ヨーロッパに先駆けて活字印刷も発明した。朝鮮半島の李氏(イー)の名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=ロエー=エー=イーとなる。

 


■AD1866年 「丙寅洋擾」

 

クリュニー会に率いられたフランス軍が李氏朝鮮に侵攻した。クリュニー会は、フランス人神父殺害を口実に軍艦7隻、兵員1300名を動員して江華島を占領した。しかし、漢城に向かうフランス軍進軍の途上、李氏朝鮮は2度の襲撃を行い、フランス軍を撤退させた。

 


■AD1871年 「辛未洋擾」

 

通商を求めてきたジェネラルシャーマン号を李氏朝鮮が沈没させると、バプティスト率いるアメリカ軍は、これを口実に軍艦5隻を率いて損害賠償を求めてきた。これに奇襲攻撃を加えた李氏朝鮮だが、アメリカ軍はこれを口実に江華島を占領した。しかし、大院君の強硬な開国拒否により、アメリカ軍は撤退した。この、2度の侵略者との戦闘により、首都付近が荒廃すると、その際の写真を持ち出して「朝鮮人は遅れている」と笑う日本人がいるが、恥ずかしいことだ。

 


■AD1875年 「江華島事件」

 

タナトスの一族である朝鮮儒教老論派は、少論派によって李氏朝鮮を追放された。その際、老論派は長州藩に移住し、伊藤博文、山縣有朋を輩出している。この2人が建国した大日本帝国軍が江華島に侵入し、開国を迫った。李氏朝鮮を追放された恨みを忘れない、執念深い老論派による復讐の始まりである。

 


■AD1913年 ヴィヴィアン・リー生誕

 

フランスからイギリスに移住したジャックリーの子孫と考えられる。女優ヴィヴィアン・リーは「風と共に去りぬ」「欲望という名の電車」で知られている。

 


■AD1921年 サタジット・レイ生誕

 


■AD1923年 リー・クアンユー生誕 「シンガポール誕生」

 


■AD1927年 ジャネット・リー生誕

 

フランスからイギリスに移住したジャックリーの子孫と考えられる。女優ジャネット・リーは「サイコ」で知られている。

 


■AD1940年 ブルース・リー(李小龍)生誕

 

真の英雄は、みな獣人の子孫だが、映画で英雄を演じたブルース・リーも、実際にカンフーの達人だったので、間違いなく獣人の子孫だった。

 


■AD1954年 フレッド・オーレン・レイ生誕

 


■AD1955年 李克強生誕

 

AD2013年、第7代国務院総理に就任している。

 


■AD1957年 ジェイク・E・リー生誕

 


■AD1963年 ジェット・リー生誕

 

 

 

◆マウンド派(デウカリオン)の歴史

 


■4万年前 「デウカリオン誕生」

 

テュポンは、アグリオスと連合し、「デウカリオン」を生んだ。デウカリオンの名の由来はテュポンとアグリオスの組み合わせである。テュポン+アグリオス=テユグリオ=テウグリオ=デウカリオンとなる。その後、大地殻変動時代を経てメソポタミアに入植すると、デウカリオンは巨石の種族ティカル人となる。この時、チュクウはピラミッド派になり、アグリオスはマウンド派となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ティカル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したデウカリオンは、オーストラリアからスーサに身を寄せた。その後、デウカリオンは「巨石の種族ティカル人」となる。ティカルの名の由来はデウカリオンである。デウカリオン=テイカリオン=ティカルとなる。

 


■1万千5百年前 「ギョベクリ・テペ」

 

「垂仁天皇の大移動時代」で、モンゴルから来た獣人ギューエースは、デウカリオン族と連合すると、偉大な先祖カオスを祀るため、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。ストーンサークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化の種族」の始まりである。獣人ギューエースは、後にタナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「神々の集団アヌンナキ」

 

大地殻変動を機に、世界各地から神々の血統がメソポタミアに集った。ブリテン島から来たテミス、モンゴルから来た三皇、垂仁天皇、獣人たち、オケアーニスたち、エビス(アプスー)、ヤマト(ティアマト)、エジプトから来たアトゥム、カイン、マハラレル、カイナン、南極から来たエノク、レメク、ヤペテの4者が連合して「神々の集団アヌンナキ」を築いた。また、彼らはヤペテの子として知られる一族を共同で生んだ。

 


■BC7千5百年 「ギョベクリ・テペ」

 

コイオスは、デウカリオン族と連合すると、偉大な先祖カオスを祀るため、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。ストーンサークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化の種族」の始まりである。獣人ギューエースは、後にタナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「チャタル・ヒュユク」

 

チャタル・ヒュユクは、過去にスフィンクスを建造した巨石の種族の萌芽である。ここには、8000人もの人々が住んでいたといわれている。デウカリオンの街として発展したのだろう。この頃、ウソつきの人喰い人種ダーナ神族がヨーロッパからオリエント地域を訪れ、見事な巨石建造物を見て、巨石建造物を建造するためにデウカリオン族をヨーロッパに招待した。だが、ダーナ神族が人喰い人種だと知ると嫌悪を示したデウカリオンは、ダーナ神族を皆殺しにしている。しかし、この時にコイオスが、ダーナ神族と共にオリエントに来ていたシェルデン人の要請を受けた。

 


■BC3200年 「ニューグレンジ製作」

 

ティカル人は2派に分離・独立し、ピラミッド派とマウンド派に分かれた。マウンド派は、シェルデン人、ダーナ神族らタナトスの一族に誘われてヨーロッパに向かった獣人ギューエースと共に、ヨーロッパに移住した。この時、人喰い人種を嫌った彼らは、アイルランドに移って「ニューグレンジ」を製作した。建造目的は、「原初の神カオス」を祀る「聖なる洞窟」の建造である。獣人ギューエースのように、巨石を組み合わせるだけの武骨な印象を与える建造物ではなく、ティカル人は一歩踏み込んだ、デザイン的にも洗練された「聖なる洞窟」の建造を試みた。ここにマウンド派の礎が築かれた。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「ティカル建設」

 

ティカル人はマヤに「ティカル」を建設した。「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は、ピラミッド派となり、「ドルイド教の大航海時代」に参加したティカル人は、マウンド派として活躍することになる。マウンド派は、古代マヤに都市(ティカル)を建設するが、後にピラミッド派に簒奪されている。

 


■BC26世紀 「ワカ・プリエタ製作」

 

マウンド派は、ティカルからペルーに移住すると、チカマ川に「ワカ・プリエタ」と呼ばれるマウンドを製作した。その後も、チャンカイ川に「リオセコ」と呼ばれるマウンドを建造した。

 


■BC2500年 「シルベリー・ヒル製作」

 

ペルーを発ったティカル人は、マヤには戻らず、ブリテン島に至り、巨大なマウンド「シルベリーヒル」を建造している。

 


■BC221年 「始皇帝稜製作」

 

宗教都市エル・ミラドール建設など、マウンド派はピラミッド派の精力的な活動に不満を示し、故地を離れて東アジアに向かうことを決意し、太平洋を横断した。東アジアに到達したマウンド派は、需要と新天地を求めて中国に移住すると、「始皇帝稜」の製作を始皇帝に打診した。始皇帝稜の建設が開始された。始皇帝稜は、基本的にピラミッド型の巨大なマウンドであった。

 


■AD72年 「日本武尊誕生」

 

「始皇帝稜」建設後、中国には需要が無いことを悟ったマウンド派は、次なる新天地として、イェマック王家が統べる満州の地に進出した。一方、マウンド派はイェマック王、景行天皇に接近して自身の血統を打ち立てた。「日本武尊」の誕生である。クマソもヤマトも武(タケル)の名の由来は同じティカルである。ティカル=タカル=タケルとなる。
マウンド擁護派としてイェマックを味方に付けるべく、日本武尊は満州を後にして日本列島に上陸し、ピラミッド黄金時代を標榜する熊襲武尊を討伐するために九州に向けて出陣する。その後、熊襲武尊を倒した日本武尊は、日本全土にマウンドを築く権利をイェマック王家に認められた。「古墳時代」の到来である。マウンド派は、九州南部から吉備国、大和国、武蔵国、東北地方に至るまで、広範な地域に渡って大型から小型のものまで、前方後円墳を多数残した。

 


■AD1世紀 「前方後円墳誕生」

 

長らく前方後円墳と呼ばれているが、これらの建築物は古墳ではなく、地母神ガイアを祀るために建設された子宮型のモニュメントである。ガイアの血を引くマウンド派は、ニューグレンジの頃から女神の子宮を念頭にモニュメントを建設していたが、日本でデザインに変化が現れ、現在知られる前方後円墳のデザインが完成した。
現在、日本では祭りの際には山車を引くことが通例となっているが、これは当時、古墳建設の際に人々が土砂を運搬していた様子が山車を引く形に昇華されたものである。当時、日本武尊(マウンド派)は、九頭龍などのタナトス一族を皆殺しにしていたので、喜んだ民衆は進んで古墳建設に従事した。そのような背景が、この「日本の祭り」を存続させている。

 


■AD1世紀 「古墳時代」

 

身の程知らずの人身御供の種族は、古墳時代、日本武尊の古墳製作に干渉し、「古墳は王の墓であるべきだ」「王の墓を築く時は側近・奴隷を人柱として埋めるべきだ」と主張した。もちろん、日本武尊はこんなたわごとに耳は貸さない。だが、人身御供の種族は隠れて人柱を実施した。目的は、先代王の優れた側近を皆殺しにし、次世代の王の側近を自分の息がかかった者で固めるためである。しかし、これを知った日本武尊は彼らを皆殺しにし、九頭龍の信者たちを納得させるために、代わりに「埴輪」を埋めるようになった。こうして、土蜘蛛を皆殺しにした景行天皇の偉業を引き継いだ日本武尊は、日本各地で古墳製作を指揮しながら、同じく土蜘蛛の邪教詐欺集団、九頭龍の人身御供の種族を皆殺しにするようになった。
鹿野山麓には、九つの頭を持つ大蛇が村人を貪り食っていたという伝説が伝えられている。しかし、伝説によると、日本武尊(マウンド派ティカル人)がこの大蛇を退治している。当時、マウンド派ティカル人は、日本各地に前方後円墳を築いていた。村人は、古墳制作の指揮を執る彼らに大蛇の成敗を要請したのだろう。マウンド派ティカル人が大蛇探索に出かけた3日後、川下で洗濯物をしていた娘が川がだんだん赤く染まっていくのを見た。マウンド派ティカル人は、九頭龍崇拝の人々の拠点を急襲し、皆殺しにしたのだ。

 


■AD4世紀 古墳時代の終焉

 

古墳の需要が激減すると、マウンド派は日本を後にしてマヤに舞い戻った。そこには、日本時代にライバルとして争ったピラミッド派が既に勢力伸張を謀っていた。マヤのピラミッド時代である。

 


■AD4世紀 「イサパ文化誕生」

 

ピラミッド派に敗北したマウンド派は、マヤから太平洋岸に移って、縄文人の影響を受けた「イサパ文化」を生んだ。その後、故地のひとつアイルランドに帰還することを目的に、マウンド派はマヤを後に大西洋岸を北上した。

 


■AD4世紀 「ミシシッピ文化誕生」

 

ミシシッピ流域に侵入して上流に拠点を得たマウンド派は、「カホキア遺跡」を残している。約120基のマウンドが残されているが、中でも「モンクス・マウンド」は、長さ316m、高さ30mを誇る。底面積だけを比べても「ギザのピラミッド」、テオティワカンの「太陽のピラミッド」を凌ぐ巨大な遺物である。この大きさから「ピラミッド派に負けたくない」というマウンド派の心意気と、両者を隔てる亀裂の深さが伝わってくる。

 


■AD800年 「トゥクロール族誕生」

 

ついに、マウンドの製作を断念したティカル人は、ミシシッピ流域を後に、故地のひとつセネガルに帰還して現地人と混合した。トゥクロールの名の由来はティカルとダカールの組み合わせである。ティカル+ダカール=ティカルール=トゥクロールとなる。その後、トゥクロール族は、「テクルール王国」をセネガルの地に建設した。

 


■AD9世紀 「ドゥクリャ人誕生」

 

一方、AD10世紀頃にダカールを離れた一部トゥクロール族はアドリア海に侵入し、「ドゥクリャ人」を称した。ドゥクリャの名の由来はトゥククロールである。トゥクロール=トゥクリャール=ドゥクリャとなる。

 


■AD925年 「アストゥリアス家の大航海時代」

 


■AD925年 「ディゴル人誕生」

 

ディゴルの名の由来はドゥクリャである。ドゥクリャ=ドゥグリャ=ディゴルとなる。AD1285年、テクルール王国がマリ帝国に征服されると、トゥクロール族は兄弟であるドゥクリャ人を頼ってコーカサスに移住し、ディゴル人に合流している。

 


■AD年 「ティグレ人誕生」

 

ヴァカタカ朝が滅ぶと、相棒の縣氏は日本に帰還したが、ピラミッド派である熊襲武尊は故国エジプトに帰還を試みるが、代わりにアビシニアに上陸する。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「ティグレ人」を称した。ティグレの名の由来はティカルである。

 


■AD11世紀 「加治氏誕生」「阿保氏誕生」「大岡氏誕生」「青木氏誕生」

 

「丹治氏」の名の由来は丹氏と多治氏の組み合わせである。あとの4氏族はみなカホキア起源である。カホキア遺跡とは、マウンド派のティカル人がミシシッピに残した巨大マウンドである。インディアンの顔をしたマウンド派ティカル人は、ミシシッピ流域を出て、古墳時代以来遠く離れていた日本に帰還した。彼らは日本人と混合してカホキアを由来に「加治」「青木」「阿保」の名を築いた。カホキア=クワジア=加治、カホキア=アホキア=青木、カホキア=アホキア=阿保となる。また、一部は巨大マウンドに因んで「大岡氏」を称した。以上、「加治氏」「阿保氏」「大岡氏」「青木氏」は、日本武尊の子孫だということになる。こうして見ると、「丹党」はポリネシア人、インディアンで構成されていたことになる。以上、「武蔵七党」は「サイボーグ009」のように、国際色豊かなメンバーで構成されていたことが分かる。

 

 

 

◆カレリア(アグリオス)の歴史

 


■BC1270年頃 「カレリア族誕生」

 

一部ヘールル族はフィンランドに移って「カレリア族」を称し、フィン人(フェニキア人)、スオミ族(サーミ人)と共に北極海ルートの航海に出発する。カレリアの名の由来はカ行がハ行を兼ねる法則である。ヘールル=ケールル=ケーレリア=カレリアとなる。ブリアレオースは、ポルピュリオーンとアグリオスの合体部族だが、カレリア族はアグリオスが主導した。

 


■BC6世紀 「フィン人の大航海時代」

 


■BC6世紀 「コラズム誕生」

 

「フィン人の大航海時代」に参加したカレリア族とスオミ族は、現地を初めて「コラズム」と呼んだ。コラズムの名の由来はカレリアとスオミの組み合わせである。カレリア+スオミ=カレスオミ=コラズムとなる。コラズムは、ハ行がカ行を兼ねる法則により、ホラズム、ホラサンとも呼ばれている。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「ケーララ誕生」

 

「コラズム族の大移動時代」に参加したカレリア族は、単身南インドに移住し、上陸したポイントに「ケーララ」と命名した。ケーララの名の由来はカレリアである。カレリア=ケラリア=ケーララとなる。

 


■AD1102年 「吉良氏誕生」

 

チョーラ人の侵攻を機に、南インドを脱出した東方組ケーララ族は日本に上陸して現地人と混合し、「吉良氏」を称した。吉良の名の由来はケーララである。ケーララ=キーララ=吉良となる。

 


■AD1102年 「コロロ王国誕生」

 

チョーラ人の侵攻を機に、南インドを脱出した西方組ケーララ族は西アフリカに赴いて「コロロ王国」を建てた、コロロの名の由はケーララである。ケーララ=コーララ=コロロとなる。コロロ王国が滅亡すると、コロロ人はヨーロッパに移住した。

 


■AD1560年 「戦国大名の大航海時代」

 


■AD1560年 吉良氏、ルネサンス後期のイタリアに移住

 

「戦国大名の大航海時代」に参加した吉良氏は、キャンディ王国が築かれたスリランカを離れ、インド洋、紅海を経た吉良氏は、地中海に入ってルネサンス後期真っ只中のイタリア半島に上陸した。吉良氏は、現地人と混合して「グエッラ」を称した。その後、イングランド、スコットランドに渡って「ギラ」「ギア(Gere)」などの名を残した。

 


■AD1564年 ガリレオ・ガリレイ生誕

 

ガリレイの名の由来はカレリアである。カレリア=カリレア=ガリレイとなる。

 


■AD1875年 アレイスター・クロウリー生誕

 

クロウリーの名の由来はコロロである。コロロ=コローロ=クロウリーとなる。

 


■AD1920年 トニーノ・グェッラ生誕

 

グェッラの名の由来は吉良である。吉良=キェッラ=グェッラとなる。

 


■AD1949年 リチャード・ギア生誕

 

ギアの名の由来は吉良である。吉良=KIRA=GIRA=GERE=ギアとなる。

 


■AD1954年 マイケル・ギラ生誕 「スワンズ誕生」

 

ギラの名の由来は吉良である。吉良=キラ=ギラとなる。

 

 

 

 

 

 

 


チュクウの歴史(ティケー)

◆クスコ(プシケ)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ティケー誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したチュクウは、モンゴルに帰還し、更に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに上陸した。チュクウは「ティケー」を生んだ。ティケーの名の由来はチュクウである。チュクウ=テュクウ=ティケーとる。

 


■AD3世紀 「壱岐誕生」「隠岐誕生」

 

「大和人の大航海時代」に触発されたブギス族は、スラウェシ島から北九州に赴き、現地人と混合して「宇久氏」を形成した。宇久、結城、壱岐、隠岐などの名の由来はみなブギスである。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「プシケ誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」が到来し、ヘラクレスがアマゾーン王国と戦争を始めると、エバシは、オーストラリア北西部に移住した。この時に「プシケ」が生まれた。プシケの名の由来はバブサとテュケーの組み合わせである。バブサ+テュケー=ブスケ=プシケとなる。

 


■7万年前 「ピサ王国誕生」

 

当時、オーストラリア大陸南東部にはタルタロスの一族が君臨し、西部には河川の娘たちのオイノマオスが王として君臨していた。プシケーは、まずタルタロスに赴いて体勢を整え、オイノマオスの国に侵入した。彼らはオイノマオスに勝利し、別の王族ヒッポダメイアと連合した。この時に「ピサ王国」が誕生した。ピサの名の由来はバブサである。バブサ=ブサ=ピサとなる。こうして、河川の娘たちに勝利したバブサ族は、タルタロスの国と並ぶピサ王国を建設してオーストラリア大陸に君臨した。

 


■4万年前 「オリンポス神族の大航海時代」

 


■4万年前 「ペロプス誕生」

 

「オリンポス神族の大航海時代」が到来すると、メラネシア海域に根を張っていたアンボン族(アンピロー)はマレー地域に住んでいたカロ族(カリュプソー)と連合体を組んだ。この時にペロプスが生まれた。ペロプスの名の由来はアンピローとカリュプソーの組み合わせである。アンピロー+カリュプソー=ピロプソー=ペロプスとなる。ペロプスは、アトランティス王国の王族となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「原初の水アプスー誕生」

 

アトランティス王国が吹き飛び、大地殻変動でオーストラリア海岸部が荒廃に帰すと、「デウカリオンの大航海時代」に参加したピサ人はスーサに上陸し、コーカサス地方に入植した。彼らは「原初の水アプスー」を称した。アプスーの名の由来はエバシである。エバシ=エバシー=アプスーとなる。アプスーはモンゴルから来たティアマトと同盟を組み、メソポタミアから少々離れることで「神々の集団アヌンナキ」の種族とは距離を置いた。

 


■BC11世紀 「太陽神ヴィシュヌ誕生」

 

魔神アスラ、ヤクシャ、ラクシャサなどのタナトス勢力が勢力を増すと、アプスーは雷神インドラ(マイアンドロス)と組んで「太陽神ヴィシュヌ」を祀った。ヴィシュヌの名の由来はアプスーとウェネの組み合わせである。アプスー+ウェネ=プスウェネ=ヴィシュヌとなる。

 


■BC1026年 「ピサ建設」

 

「マハーバーラタ戦争」によって故地が荒廃すると、アプスーはインダス流域を離れてギリシアに移住した。彼らはペロポネソス半島に改めて「ピサ」を築いた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■AD327年 「ボスニア誕生」

 

アレキサンダー大王のパンジャブ征服を機に、「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したヴィシュヌは、インドを離れてアドリア海に移っている。彼らは、「ボスニア」の地を得た。ボスニアの名の由来はヴィシュヌである。ヴィシュヌ=ヴィシュニア=ボスニアとなる。

 


■BC327年 「ヴァスコン誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したヴィシュヌは、次にアドリア海らイベリア半島北部に上陸した。ヴィシュヌは、「ヴァスコン人」を称した。ヴァスコンの名の由来はプシケとガンダーラの組み合わせである。プシケ+ガンダーラ=プシガン=パシガン=ヴァスコンとなる。

 


■BC327年 「ガスコン誕生」

 

ヴィシュヌは、「ヴァスコン人」を称したが、同盟者であるティケーは、差別化のために独自に「ガスコン人」を称した。ガスコンの名の由来はハ行がカ行を兼ねる法則によっている。ヴァスコン=グァスコン=ガスコンとなる。

 


■BC327年 「クスコ誕生」「ビスコ川誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したガスコン人は、ペルーに入植し、「クスコ人」を生んだ。クスコの名の由来はガスコンである。ガスコン=グスコン=クスコとなる。また、拠点の川には「ビスコ」と命名した。ビスコの名の由来はヴァスコンである。ヴァスコン=ヴァスコ=ビスコとなる。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「上野国誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したクスコ人は、単独で上野国に移住した。グアム島から日本に上陸したイギリス人ジョーンズが「上野国(うえの)」を築いたが、クスコ人が到来すると、上野(うえの)は、クスコ、或いはガスコンに因んで上野(こうずけ)と呼ばれた。クスコ=クーズコ=上野(こうずけ)となる。

 


■AD8世紀 「山伏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したクスコ人は、上野国で役小角の仲間と出会い、「山伏」を結成する。山伏の名の由来は山のプシケーである。山+プシケー=山プシ=山伏となる。修験道は、主に山伏が継承し、修験道を生んだ天狗とは生活圏を異にしていた。

 


■AD1087年 藤原清衡生誕 「奥州藤原氏誕生」

 

山伏は、藤原秀郷の子孫を称して藤原経清を生んだ。その後、藤原経清は陸奥豪族、安倍頼時の娘と結婚して「奥州藤原氏」の祖、藤原清衡を生んだ。藤原の名の由来はカシュガルであるが、奥州藤原氏の場合、山伏の土地(原)である。山伏+原=ぶし原=藤原となる。

 


■AD1189年 「奥州藤原氏の大航海時代」

 


■AD1260年 「クスコ王国誕生」

 

奥州藤原氏は、故地ペルーに帰還し「クスコ人」を復活させた。クスコ人は、ケチュア族と連合し「クスコ王国」を建設した。

 


■AD1369年 ヤン・フス生誕 「フス派誕生」

 

AD1350年、インカ人、ケチュア族の連合体がインカ帝国を築くと、クスコ人はペルーを去った。クスコ人は、大西洋を渡り、チェコに入植した。この時に「ヤン・フス」が生まれた。フスの名の由来は山伏である。山伏=ふし=フスとなる。

 


■AD13??年 「カザフ族誕生」

 

AD1350年、インカ人、ケチュア族の連合体がインカ帝国を築くと、クスコ人はペルーを去った。クスコ人は中央アジアに、奥州藤原氏は大西洋を超えてジンバブエに移住した。中央アジアに拠点を得たクスコ人は、「カザフ」を称した。カザフの名の由来はクスコである(ハ行がカ行を兼ねる法則)。クスコ=クスホ=カザフとなる。

 


■AD1469年 ケレイ・ハン、初代君主に即位 「カザフ・ハン国誕生」

 


■AD1572年 「允氏誕生」「具志堅氏誕生」

 

インカ帝国が滅ぶと、クスコ人はペルーから沖縄島に帰還した。クスコ人は、インカ帝国の威光を借り、当初、「允氏(いん)」を称していた。しかし、AD1638年、允顕徳が真和志間切り具志堅の島を賜って具志堅用易を称し、「具志堅」の名を生んだ。具志堅の名の由来はガスコンである。ガスコン=グスコン=具志堅となる。グスクなどの言葉もガスコン、或いはクスコが由来である。

 


■AD19年 エリア・カザン生誕

 


■AD1942年 ムアンマル・アル=カザッフィー生誕

 

リビアに移住したカザフ族は、「リビア・アラブ共和国」を築いたムアンマル・アル=カザッフィーを輩出した。優れた指導者であるため、タナトスに凶悪な人物扱いをされ、挙句にできそこないの革命が起きた。そのため、彼は、優れた指導者に似つかわしくない死を遂げた。

 


■AD1955年 具志堅用高生誕

 

世界王座防衛13度は日本人男子世界王者の最多記録

 

 

 

◆マゴグ(カイコス)の歴史

 


■30万年前 「カイコス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したギューゲースは、オーストラリアで「カイコス」を生んだ。カイコスの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=キユケス=カイコスとなる。その後、カイコスは河川の娘たちに参加した。

 


■3万年前 「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」

 


■3万年前 「レメク誕生」

 

「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」に参加したクリュメネーは、ペルーに移住してカイコスと連合した。この時に「レメク」が生まれた。レメクの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=リュメカー=レメクとなる。このコンビは、他にもマゴグ、マゴ、マゴス、マゴイを生んでいる。レメクは、ペルーの拠点に「リマック」と命名した。リマックとは、ペルーの首都リマの古名である。

 


■3万年前 「レメクの大移動時代」

 


■3万年前 「ムー帝国(ローマ王国)誕生」

 

「レメクの大移動時代」を企画したレメクは、南極大陸に移住した。アトランティス人から南極大陸のことを耳にしていたレメクは、エラド、マハラエル、トバルカイン、エノス、メトセラを率いてペルーから南極大陸に移った。しかし、異を唱えたエノクは一部エラド、マハラエル、トバルカインを率いて東アジアを目指すことになる。南極に移り住んだレメクは、アトランティス人が築いた土地を継承し、モホス、ペルーで得た文明を南極で開花させた。
この時の栄光の時代が、ムー大陸、アトランティス大陸の伝説として現在に伝えられている。「ラ・ムー」などの名はレメクが由来と考えられる。つまり、レメクの血統が王族として南極に君臨した。アトランティス人が残した跡地に築かれた南極文明、南極の王国は「ムー帝国」或いは「ローマ王国」と呼ばれた。いずれも名の由来はレメクである。

 


■3万年前 「エノクの大航海時代」

 


■3万年前 「マカタオ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加した一部のレメクは、エノクたちと共に台湾に入植した。この時に「マカタオ族」が生まれた。マカタオの名の由来はレメクとヴィディエの組み合わせである。レメク+ヴィディエ=メクディエ=マカタオとなる。

 


■1万年3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万年3千年前 「澳門誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加して南極大陸を後にしたレメクは、沖縄に向かったエノクと共に広東に入植した。彼らは拠点を「澳門(マカオ)」と命名した。マカオの名の由来はレメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエ=マカオとなる。澳門のレメクは、台湾に赴いて祖を同じくするマカタオ族を迎え入れた。

 


■1万年3千年前 「メコン誕生」

 

澳門のレメクとエノクは、インドシナ半島にも上陸した。両者は、大河のひとつに「メコン」と命名している。メコンの名の由来はレメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=メコンとなる。

 


■1万年3千年前 「マガン王国(ミケーネ文明)誕生」

 

エノクと別れたレメクは、メコン河を離れてアラビア半島にまで足を伸ばし、伝説の「マガン王国」を建設している。マゴンの名の由来はメコンである。メコン=メゴン=マゴンとなる。マゴンとは「ミケーネ」のことでもあるが、ミケーネ文明は、ギリシアではなくアラビア半島に存在したのだ。ミケーネの名の由来もマガンと同じく、レメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=ミケーネとなる。

 


■7千2百年前 「マゴグ誕生」

 

一方、アラビア半島から来たマガン人は神々の集団アヌンナキと組み、ヤペテの子として知られる「マゴグ」を生んだ。マゴグの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=メカイコ=メガイゴ=マゴグとなる。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「加賀氏誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したマゴグは、出雲国の現地人と混合して「加賀氏」を称した。加賀の名の由来はマゴグである。マゴグ=マガガ=加賀となる。能登族が出雲国を訪れた際、能登に興味を持った加賀氏は、能登方面に入植して「加賀国」を築いている。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「ククルカン誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加した加賀氏は、オロク族、一部タタール人、河伯と共にマヤに入植した。日本人の顔をした加賀氏は、オロク族と組んで「ククルカン」を祀った。ククルカンの名の由来は、加賀とウリゲン(オロク)の組み合わせである。加賀+ウリゲン=カガリゲン=ククルカンとなる。

 


■BC1世紀 「ケツァルコアトルの大航海時代」

 


■BC1世紀 「高句麗誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したククルカンは、ケツァルコアトルと共に太平洋を横断し、満州から朝鮮半島に赴いた。ククルカンは、ゼウスの末裔である朱蒙(朱氏)と組んで「高句麗(ゴグリョ)」を建てた。ゴグリョ(高句麗)の名の由来はククルカンである。ククルカン=ゴグリョカン=ゴグリョとなる。古代朝鮮の王朝、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。そういえば、韓国俳優にはメキシコ人に似た顔の人もいる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「モホーク族誕生」「モヒカン族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した加賀氏は、北アメリカに「モホーク族」を残した。モホークの名の由来はマゴグである。マゴグ=マホグ=モホークとなる。モホークからはモヒカン族が派生する。モヒカンの名の由来はモホークである。

 


■AD3世紀 「クリーク族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した高句麗(ククルカン)は、アメリカに「クリーク族」を残した。クリークの名の由来はククルカンである。ククルカン=ククルーカン=クルーカ=クリークとなる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「九十九里誕生」「菊理媛神誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加したククルカンは単独で行動し、中国から日本に向かった。彼らは房総半島に上陸すると、上陸した海岸に「九十九里」と命名した。九十九里の名の由来はククルカンである。房総半島から故地である加賀国に向かったククルカン神族は「菊理媛神(くくりひめ)」を祀り、「白山比咩大神」の信仰を形成した。

 


■AD651年 「舜氏誕生」「閤氏誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加した段部は、故地であるモンゴルに帰還したかったが、契丹が君臨していたため、代わりに加賀国に立ち寄ってククルカンを誘い、雲南に移住した。段部(ドゥアン)は「舜氏(トゥアン)」を称し、ククルカン神族は「閤氏(カク)」を称した。閤氏はAD748年に南詔王に即位し、舜氏はAD897年に南詔王に即位している。

 


■AD651年 「パガン族誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加したモヒカン族は、ククルカンと共に一旦満州に上陸し、その後に南方に向かった。ククルカンは加賀国に帰還するが、モヒカン族はミャンマーに足を伸ばしている。彼らは「パガン族」を称した。パガンの名の由来はモヒカンである。モヒカン=モピカン=ピカン=パガンとなる。

 


■AD668年 「ブルガリア人誕生」「コーブルク誕生」

 

高句麗が滅亡するとククルカンは、柔然の創始者である長孫氏(ツァンスン)、日本から来た黒木氏(キルギス人)を率いて西方に向かった。彼らが中央アジアに到達して初めて当地は「コーカサス」と呼ばれた。コーカサスの名の由来はククルカンとツァンスンの組み合わせである。ククルカン+ツァンスン=ククツァンス=クークツァス=コーカサスとなる。
また、ククルカンはフリギア人と組んで「ブルガリア人」と「コーブルク」の2つの連合体を結成した。ブルガリアの名の由来はフリギアとゴグリョの組合わせであり、コーブルクの名の由来もゴグリョとフリギアの組み合わせである。フリギア+ゴグリョ=フリグリョ=ブルガリアとなり、ゴグリョ+フリギア=ゴーフリギ=コーブルクとなる。

 


■AD668年 「大蔵氏誕生」「大倉氏誕生」「小倉氏誕生」

 

高句麗が滅亡するとククルカンは、東漢氏と共に、朝鮮半島から日本に渡った。ククルカンは、日本人と混合して「大蔵氏」の祖、大蔵広隅を誕生させた。大蔵の名の由来はゴグリョである。ゴグリョ=オグリョ=オーグリョ=大蔵となる。その後、大蔵氏から「大倉氏」「小倉氏」が派生したと考えられる。

 


■AD906年 「曲氏誕生」「大理国誕生」

 

閤氏は、AD779年に失脚すると、雲南を出て単身ベトナムに向かった。閤氏は、ベトナムでは「曲氏(クック)」を称した。ククルカンが由来である。AD906年、曲承裕がベトナム帝王に即位している。曲氏の王統は、数十年間ベトナムに君臨した。舜氏の統治の後、ここで、段部は本家「段」の名を復活させた。段思平は南詔国を倒し、タイ族、ユワン族、ラーオ族、張氏、シャーナ族を改めて支配下に置いた。その後、段部は、タイ族、ラーオ族と組んで「大理国(ダーリ)」を立てた。

 


■AD1000年 「カーカティヤ朝誕生」

 

曲氏の王統は、数十年間ベトナムに君臨した。その後、彼らはベトナムからインドに移住し「カーカティヤ朝」を開いた。カーカティヤの名の由来は加賀と。

 


■AD1044年 「パガン朝誕生」

 


■AD1168年 「菊池氏誕生」「六角氏誕生」「甲賀誕生」

 

ロスチスラフ1世とキエフ大公の座を巡って争ったイジャスラフ3世は敗北したのを機に、東西に新天地を求めて旅立った。西方組はロシアからスコットランドに移って「ロージア王国」を築いた。東方組はロシアから遠く日本にまで旅立った。その途上で、彼らはインドに立ち寄り、AD12世紀に滅びたカーカティヤ朝の人々を船団に迎えた。まず、一行は九州に上陸した。インド人の顔をしたカーカティヤの人々は、藤原政則に接近して自身の血統を打ち立てている。この時に生まれたのが「菊池氏」の祖、菊池則隆である。菊池の名の由来はカーカティヤである。カーカティヤ=カーカティ=菊池となる。
また、リューリク家とカーカティヤの一部は九州から近江国に至り、共同で「六角氏」を形成した。六角の名の由来はリューリクとカーカティヤの組み合わせである。リューリク+カーカティヤ=リク(六)+カーカ(角)=六角となる。近江国を治めていた六角氏は、「甲賀衆」を掌握し、伊賀にも「六角派」を置いて北畠氏、仁木氏と共に伊賀国を3分割して「伊賀衆」を支配下に置いていた。甲賀の名の由来はカーカティヤである。カーカティヤ=カーカ=甲賀となる。AD1487年、甲賀忍者は、六角高頼征伐のために、足利氏が幕府軍を派遣した「鈎の陣」で、特異な存在感をアピールした。

 


■AD1314年 「ベーコン誕生」「ペキンパー誕生」

 

王国の滅亡を機に、パガン族は故地帰還を目指して船出を開始した。一旦、モヒカン族の故地アメリカに帰ったものの、パガン族はそこから更に先へ進み、ブリテン島に上陸した。ミャンマー人の顔をしたパガン族は、イギリス人と混合して「ベーコン」「ペキンパー」などの名前を生んだ。
ベーコンの名の由来はパガン、ペキンパーの名の由来はパガンとピューの組み合わせである。パガン=パーガン=ベーコンとなり、パガン+ピュー=パガンピュー=ペキンパーとなる。この系統からはシュルレアリスムの画家フランシス・ベーコン、映画作家サム・ペキンパーが輩出されている。ハードボイルドな作風で知られるサム・ペキンパーはこのような言葉を残している。「真実とはバレないウソだ」。

 


■AD1836年 「クリーク戦争」

 

AD1813年、アッパー・クリークの宗教指導者たちは合衆国の文明化プログラムに抵抗し、「レッドスティック戦争」を引き起こした。AD1825年には、デーン人がクリーク族に「インディアン・スプリングス条約」を突きつけて締結させ、サギ同然にジョージアなど多くの土地を割譲した。AD1843年には、土地の投機者と不法侵入者に土地を騙し取られ、「1836年のクリーク戦争」を引き起こしている。

 


■AD1909年 フランシス・ベーコン生誕

 


■AD1925年 サム・ペキンパー生誕

 


■AD1928年 スタンリー・キューブリック生誕

 

高句麗とフリギア人の合体部族コーブルクは、神聖ローマ帝国治世下のドイツに移住し、一部はイギリスに移住した。この系統からは「2001年宇宙の旅」「アイズ・ワイド・シャット」で知られる映画監督スタンリー・キューブリックが輩出された。キューブリックの名の由来はコーブルクである。コーブルク=コーブルック=キューブリックとなる。

 

 

 

◆ガンダーラ(カイコス)の歴史

 


■BC7世紀 「クシュ人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ガンダーラ王国誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」に参加したマガン人とタルタロス(ナフタリ族)は、インダス流域に移住した。この時に「ガンダーラ王国」が生まれた。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「キンダ族誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、アラビア半島に上陸した。彼らは、アラビア人と混合して「キンダ族」を称した。キンダの名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=ギンダーラ=キンダとなる。その後、キンダ族はヨルダンに移った。

 


■BC327年 「キンダ人の大航海時代」

 


■BC327年 「ブリギンテ族誕生」

 

「キンダ人の大航海時代」に参加したキンダ族は、イベリア半島に上陸すると、「ブリギンテ」の名前を得た。ブリギンテの名の由来はイベリアのキンダである。イベリア+キンダ=ベリアキンダ=ブリギンテとなる。

 


■BC327年 ブリギンテ族、ブリテン島に入植

 


■BC327年 「キンブリ人(前身)誕生」「カンブリア誕生」

 

ブリギンテ族は、ブリテン島北部を拠点にし、カイコスのブリギンテ族はスコットランドに入植し、「カンブリア」を築いた。この時に「キンブリ人」が生まれた。カンブリア、キンブリの名の由来はブリギンテと同じくイベリアのキンダである。キンダ+イベリア=キンベリア=カンブリア=キンブリとなる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC3世紀 「キンブリ人誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したキンブリ人は、ユトランド半島に入植し、「キンブリ人」を称した。彼らは、「ヒッタイト人の大航海時代」の同盟者テウトニ人と連合し、女神ダヌの信者として管理・支配されていた。

 


■BC3世紀 「カンタブリア誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加しなかったキンブリ人は、単身イベリア半島に帰還し、「カンタブリア」を築いた。カンタブリアの名の由来はブリギンテの反対である。ブリギンテ(イベリア+キンダ)=カンタブリア(キンダ+イベリア)となる。

 


■BC3世紀 「シンハラ人誕生」

 

イベリア半島に帰還したキンブリ人は、更に東方に向かい、ランカー島に上陸している。この時に「シンハラ人」が誕生した。シンハラの名の由来はキンブリである。キンブリ=シンフリ=シンハラとなる。

 


■BC133年 「ケント人誕生」「カンタベリー誕生」

 

ローマ共和国がイベリア半島を領有すると、それを機に、カンタブリア人はブリテン島に帰還した。この時に「ケント人」が生まれ、「カンタベリー」が築かれた。ケント、カンタベリーの名の由来はカンタブリアである。カンタブリア=カンタベリー=ケントベリー=ケントとなる。

 


■BC101年 「ヴェルケレの戦い」

 

女神ダヌに指揮されたキンブリ人とテウトニ族の連合体は、BC113年にローマに侵入し、健闘するが、撃退されてしまう。その後、BC102年の「アクェセクスチェの戦い」でテウトニ族はローマ軍の前に粉砕され、BC101年の「ヴェルケレの戦い」ではキンブリ人が大いに敗れた。

 


■BC69年 「カーンヴァ朝誕生」

 

キンブリ人・テウトニ族は、BC73年の「スパルタクスの大乱(第3次奴隷戦争)」にも参加したが、バタヴィア族のローマ蜂起が失敗すると、3者は連合して地中海を脱出した。そして、インドに上陸した3者は、マガダ王国を訪問し、シュンガ朝に仕えた。その後、キンブリ人の主導でシュンガ朝の王位を簒奪した一行は「カーンヴァ朝」を開いている。カーンヴァの名の由来はカンブリアである。カンブリア=カンバリア=カーンヴァとなる。

 


■BC23年 「乞伏部誕生」

 

バタヴィア族と共にモンゴルに移住したキンブリ人は「乞伏部(キフ)」を結成した。乞伏(キフ)の名の由来はキンブリであり、禿髪(トゥファ)の名の由来はバタヴィアである。キンブリ=キンフリ=キフとなる。乞伏部は、後に「鮮卑」に加わっている。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「ギブ誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した乞伏部は、ブリテン島に上陸すると現地人と混合して「ギブ(GIBB)」の名を生んだ。ギブの名の由来はキフ(乞伏)である。この系統からは「ビージーズ」のアンディ・ギブなどが輩出されている。

 


■AD5世紀 「ケント王国誕生」

 


■AD8世紀 「カンディアーノ家(前身)誕生」

 

「マーシア王国」に服属したことを機に、ケント人はアングル人と連合して「カンディアーノ」を称した。カンディアーノの名の由来はケントとアングルの組み合わせである。ケント+アングル=ケントアン=ケントアヌ=カンディアーノとなる。
カンディアーノ家はヴェネツイア共和国に渡り、AD887年にピエトロ・カンディアーノ1世がヴェネツイア第16代ドージェに就任している。しかし、AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世が市民の蜂起を招いて殺害されている。カンディアーノ家はこれを機に、マヤとインドに移住した。

 


■AD8世紀 「ガンダ誕生」「ンコロ誕生」

 

「マーシア王国」に服属したことを機に、ザイール流域に根付いたケント人は「ガンダ族」を称し、アングル人は「ンコロ族」を称した。両者は、ザイール流域を遡って大湖水地方に移って、伝説の「ニョロ帝国」の傘下に入った。また、その後に大湖水地方から帰還したンコロ族は、アフリカ西海岸に「アンゴラ」を継承した。

 


■AD887年 ピエトロ・カンディアーノ1世、ヴェネツイア第16代ドージェに就任

 

カンディアーノ家はヴェネツイア共和国に渡り、AD887年にピエトロ・カンディアーノ1世がヴェネツイア第16代ドージェに就任している。しかし、AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世が市民の蜂起を招いて殺害されている。カンディアーノ家はこれを機に、マヤとインドに移住した。

 


■AD976年 ピエトロ・カンディアーノ4世、ヴェネツイア第22代ドージェに就任

 

AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世が市民の蜂起を招いて殺害されている。市民に意志はない。実際には、タナトスの宗教が陰謀によってカンディアーノを陥れている。カンディアーノ家はこれを機に、マヤとインドに移住した。

 


■AD976年 「フナク誕生」

 

AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世の殺害を機に、カンディアーノ家は2手に分離してマヤに移住した。マヤに至った人々は「フナク」を称した。フナクの名の由来はヴェネツィアである。ヴェネツィア=ヘネキア=フナクとなる。マヤの将軍フナク・セエルは、チチェン・イツァーの支配者を倒したと伝えられている。

 


■AD976年 「ゴンドワナ誕生」

 

AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世の殺害を機に、カンディアーノ家は2手に分離してインドに移住した。インドに上陸した人々は「ゴンドワナ」を称した。ゴンドワナの名の由来はカンディアーノである。カンディアーノ=ガンディアナ=ゴンドワナとなる。

 


■AD1016年 「キプチャク族誕生」

 

ウェセックスは、クヌート大王率いるデンマーク軍に敗北し、イングランドを脱出した。彼らはイギリス人ギブ(乞伏部)を連れて、中央アジアに帰還し、「キプチャク族」を生んだ。キプチャクの名の由来は乞伏(キフ)+諸葛(ジューガー)である。キフ+ジューガー=キフジュガ=キプチャクとなる。

 


■AD1236年 「キンボール誕生」「キャンベル誕生」

 

AD1236年、モンゴル軍の総司令官バトゥの大遠征軍の前にキプチャク族は滅んでしまう。これを機に、キプチャク族は再度、故地であるイングランドへの帰還を試みた。キンブリ人の子孫である乞伏部は、キンブリを由来に「キンボール」「キャンベル」のなを生んだ。キンブリ=キンブーリ=キンボールとなり、キンブリ=キャンブリ=キャンベルとなる。

 


■AD1519年 「コンティ家誕生」

 

スペイン人がマヤ・アステカに侵攻すると、フナク家は地中海に帰還した。彼らは「コンティ家」を称した。コンティの名の由来はカンディアーノである。カンディアーノ=コンディアーノ=コンティとなる。コンティ家は「黒い貴族」と呼ばれた。

 


■AD1564年 「近藤氏誕生」

 

AD1564年、アクバルによって「ゴンドワナ王国」は滅亡している。この時に、日本に移住したゴンドワナ人は、「近藤氏」を生んだ。近藤の名の由来はゴンドワナである。ゴンドワナ=ゴンドワ=近藤となる。

 


■AD1724年 イマヌエル・カント生誕

 

AD1564年、アクバルによって「ゴンドワナ王国」は滅亡している。この時に、ヨーロッパに移住した人々は「カント」を称した。

 


■AD19世紀 ガンダ族、ニョロ帝国に侵攻

 

AD19世紀、イギリス人の血が流れるガンダ族(ケント人)は、大湖水地方に進出してきた大英帝国と結び、伝説の「ニョロ帝国」に進撃した。

 


■AD1834年 近藤勇生誕 「新撰組誕生」

 


■AD1942年 ビル・コンティ生誕

 


■AD1946年 バリー・ギブ生誕 「ビージーズ誕生」

 


■AD1947年 パトリス・ルコント生誕

 


■AD1947年 ボビー・キンボール生誕 「TOTO誕生」

 


■AD1948年 近藤誠生誕

 


■AD1958年 ブルース・キャンベル生誕

 

幼馴染であるサム・ライミ監督のホラー映画「死霊のはらわた」で知られている。

 


■AD1959年 リッチー・サンボラ生誕 「ボン・ジョヴィ誕生」

 


■AD1964年 ジュゼッペ・コンテ生誕

 

AD2018年、第65代首相に就任している。

 

 

 

 

◆関氏(カイコス)の歴史

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「関氏(グァン)誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、中国に上陸した。彼らは、中国人と混合して「関氏(グァン)」を称した。関(グァン)の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=グアンダーラ=関(グアン)となる。関氏からは、三国時代に活躍した「関羽」が輩出されている。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD471年 「カーン王朝誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した乞伏部は、マヤに入植すると「カーン王朝」を開いた。

 


■AD471年 「コーンウォール誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した乞伏部は、マヤを経てブリテン島に移住すると拠点を「コーンウォール」と命名した。コーンウォールの名の由来はキンブリである。キンブリ=キーンヴォーリ=コーンウォールとなる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「源氏(前身)誕生」

 

AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は「ヨハネスの大航海時代」に参加した。イギリス人の顔をしたディアラ王家は、多治比氏・安倍氏、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた上で、天皇家に接近した。
AD823年、大原真室女が嵯峨天皇に接近して嵯峨源氏の祖「源融」を生み、藤原時平女が敦実親王に接近して宇多源氏の祖「源雅信」を生み、源俊女が源満仲に接近して摂津源氏の祖「源頼光」を生み、源能有女が貞純親王に接近して清和源氏の祖「源経基」を生んでいる。源氏と平氏の名の由来はガンダーラを2つに分割したものであるが、ガンダーラのガンに「源(げん)」を当て字し、訓読みで「みなもと氏」と読まれた。

 


■AD1534年 トマス・クロムウェル、宗教改革を指揮 「聖公会誕生」

 

トマス・クロムウェルはカトリックの影響下から脱するために「聖公会」を生んだ。クロムウェルの名の由来はコーンウォールである。コーンウォール=クロンウェル=クロムウェルとなる。

 


■AD1560年 「キャンディ王国誕生」

 

安芸氏、小早川氏、越智氏、尼子氏、今川氏、吉川氏、浅井氏、吉良氏、武田氏など、織田信長に敗れた人々が日本を脱出してスリランカに移住する。彼らは連合体を形成してキャンディ王家を作った。キャンディの名の由来は「源氏」である。ゲンジ=ギェンチィ=キャンディとなる。その後、吉良氏、武田氏、一部安芸氏は独自の行動を取ってスリランカを離れた。

 


■AD1560年 「神田氏誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、日本に上陸した。彼らは、日本人と混合して「神田」を称した。神田の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=カンダーラ=神田となる。

 


■AD1560年 「ガンディー誕生」

 

一部キャンディ王家はスリランカを出てグジャラートを経て西アフリカに辿り着いた。グジャラートにはキャンディ、或いは源氏を由来に「ガンディー」の名が残されている。キャンディ王国の系統からは、インド独立の父マハトマ・ガンディーが輩出されている.

 


■AD1560年 「アシャンティ帝国誕生」

 

西アフリカでは安芸氏、小早川氏、越智氏、尼子氏、今川氏、吉川氏、浅井氏が「オツムフォ・ナナ」なる連合体を結成した。オツムフォ・ナナの名の由来は日本語「頭は7」である。更に、アカン人(ガンダーラ人の子孫)と連合した彼らは「アシャンティ」を称した。アシャンティの名の由来はアカンとキャンディの組み合わせである。アカン+キャンディ=アキャンディ=アシャンティとなる。アシャンティの歴代の王はアカン人とオツムフォ・ナナが交替で勤めた。

 


■AD1649年 オリバー・クロムウェル、共和制を採用 「共和制イングランド誕生」

 

オリバー・クロムウェルは、トマス・クロムウェルが推進した脱カトリックを支持していた。しかし、クリュニー会に聖公会が簒奪されると、次に共和制を採用してカトリックの影響力から脱しようと考えた。

 


■AD1658年 「コンバウン(前身)誕生」

 

タナトスの反撃にあうとオリバー・クロムウェルは、死んだと見せかけて一族を率いてイギリスを脱出し、カリブ海に及んだ。クロムウェルは逃亡奴隷マルーンに出会うと、その反骨気質に惚れ込み、連合して太平洋を横断した。彼らは「コンバウン」を称した。コンバウンの名の由来はクロムウェルの祖キンブリとフォン(マルーンはフォン人が多い)の組み合わせである。キンブリ+フォン=キンフォウン=コンバウンとなる。

 


■AD1752年 「コンバウン朝誕生」

 

アジアに達すると、コンバウンの連合体はミャンマーに上陸した。彼らは、しばらくモン族の世話になり、その後に、ペグー(朴氏)のモン族(文氏)と共に「タウングー朝」に攻め込み、首都を陥落させた。AD1752年、クロムウェルとマルーンの異色の連合による「コンバウン朝」がミャンマーに開かれた。
その後、コンバウン朝は、AD1757年にモン王国の首都ペグーを占領し、AD1766年に「アユタヤ朝」を滅ぼしている。その後、クロムウェルは皮肉にも同郷の人々、大英帝国と相まみえることとなる。AD1824年、「第1次英緬戦争」が起こり、「第3次英緬戦争」を経て、AD1886年に大英帝国がミャンマーを英領インドに併合したため、コンバウン朝は滅亡した。

 


■AD1869年 マハトマ・ガンディー生誕

 


■AD1908年 サルバドール・アジェンデ生誕

 

第29代チリ大統領

 


■AD1940年 ダリオ・アルジェント生誕

 

アルジェントの名の由来はアシャンティである。アシャンティ=アーシャンテ=アルジェントとなる。AD1824年~1863年に大英帝国との衝突が起きると、一部のアシャンティ人はイタリアに逃亡した。この時に「アルジェント」の名が生まれた。

 


■AD1971年 ジュリアン・アサンジ生誕 「ウィキリークス誕生」

 


■AD1975年 アーシア・アルジェント生誕

 

 

 

◆フス派(プシケ)の歴史

 


■AD1369年 ヤン・フス生誕 「フス派誕生」

 

AD1350年、インカ人、ケチュア族の連合体がインカ帝国を築くと、クスコ人はペルーを去った。クスコ人は、大西洋を渡り、チェコに入植した。この時に「ヤン・フス」が生まれた。ヤン・フスの名の由来は山伏である。山伏=やんぶし=ヤン・フスとなる。

 


■AD1374年 ヤン・ジシュカ生誕 「ターボル派誕生」

 

AD1347年、黒死病がヨーロッパを席巻するが、バスク人は、背後にカトリック(クリュニー会)がいることを突き止めた。バスク人は、黒死病を逃れるために一時、イベリア半島からチェコに避難した。この時に「ヤン・ジシュカ」が生まれた。ジシュカの名の由来はプシケーである。プシケーは、もともとエバシとティケーの合体部族だが、ヤン・ジシュカは、ジシュカを名乗ることで、ティケー側の出自であることを示している。ジシュカの名の由来は鈴鹿である。鈴鹿=シジュカ=ジシュカとなる。

 


■AD1415年 ヤン・フス、梵刑

 

ヤン・フスは、犯罪者・悪党の巣であるカトリック(クリュニー会・シトー会・ドミニコ会)を舌鋒鋭く批判した。彼は、「形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない」と語った。フスは、カトリック教会がタナトスであるとの認識は無かったと思うが、カトリック教会が善を装った悪党の集団であることを見抜いていた。

 


■AD1419年 「フス戦争」

 

ジギスムントがボヘミア王に即位すると、ジシュカ率いるターボル派は蜂起した。「ターボル派」の名はターボルという土地名に由来しているが、一方で、科学の種族トバルカインの存在を、少々ながら示唆しているのではないか。銃器の使用は、画期的ではある。だが、その銃器は一体誰が持ち込んだのだろう?銃器の出所については不明な点が多いのだが、科学の種族の関与があったとしか考えられない。汚らわしいカトリック教会(クロノス)を倒そうとする優れた人々の出現に科学の種族は喜び、進んで手を貸したのだ。

 


■AD1437年 「雑賀衆誕生」

 

ハプスブルグ家が神聖ローマ帝国の覇権を掌握すると、ルクセンブルグ家はヨーロッパを離れて日本に帰還した。ルクセンブルグ家は、フス派の英雄ヤン・ジシュカの残党を同行させた。ルクセンブルク家の雑賀衆はタナトスだが、鈴木氏、土橋氏やその子孫である斉賀氏、才賀氏はフス派、ヤン・シジュカの子孫であり、タナトスとは無関係である。鈴木孫一をはじめ、土橋氏、雑賀衆はチェコ人、ドイツ人のような顔をしていただろう。
日本語の呼び方「さいが」、漢字表記の「雑賀(ざつが)」もジシュカの名に因んでいる。ジシュカ=ジシュイカ=シュイガ=さいがとなり、ジシュカ=ジシュ(雑)+カ(賀)=雑賀となる。とにかく、フス派は、鉄砲を世界で最初に戦争に用いた人々である。そのため、雑賀衆は当然のように銃撃戦を得意とした。だが、ルクセンブルク家は、家族である大谷家と共謀し、フス派(鈴木氏)を支配下に置き、偉大な英雄である織田信長に対抗した。つまり信長は、神聖ローマ帝国、シトー会をてこずらせて名を馳せたフス派の鉄砲隊と一戦交えていたようなものだ。
また、「一水会」の鈴木邦男、ロシアと親交が深い鈴木宗男などもフス派の英雄ヤン・ジシュカの子孫だと考えられる。鈴木氏は戦国時代の後、雑賀衆(ルキフェル)に随行してモンゴルに赴き、サーキャ派に侵入し、その後、モンゴルから帰還して創価学会、生長の家などの創立にも携わっている。浄土真宗はタナトスによる邪教であり、創価学会、生長の家も半分はタナトスの一面を持つが、それらの団体の正義の一面を支えているのがフス派の子孫である。

 


■AD1437年 鈴木孫一生誕 「鈴木氏誕生」

 

ルクセンブルグ家と共にヨーロッパを発ち、シルクロードを伝って日本に移住したジシュカの残党は「鈴木孫一」を称し、「鈴木氏」を生んだ。ジシュカ=シジュカ=鈴木となる。また、鈴木孫一の「孫一」の名はジシュカの「最初の孫」、或いは「最高の孫」であることを示している。鈴木の名の由来には、他に

 


■AD1437年 「土橋氏誕生」

 

この時に「土橋氏」が同時に生まれた。土橋の名の由来はジシュカとフスの組み合わせである。つまり、彼らは自分たちがフス派の英雄ジシュカに傾倒していることをアピールしている。ジシュカ+フス=ツチカ+フシ=ツチ(土)+ハシ(橋)=土橋(どばし)となる。土橋氏からは土橋守重が誕生している。

 


■AD1439年 「バルバリア海賊誕生」

 

ヤギェヴォ朝ポーランド王国がフス派を一掃すると、フス派の残党は大挙してボヘミアを脱出し、故地である北アフリカに向かった。ここで、一部がレスボス島に立ち寄り、後に「バルバリア海賊」として悪名を轟かせるウルージ、フズールの兄弟が誕生する。AD1504年、彼らは祖を同じくするハフス朝に接触してスルターンと交渉の末、チュニジアに拠点を得た。

 


■AD1439年 「ブルンジ王国誕生」「フツ族誕生」

 

その後、AD1517年にウルージはアルジェを占領している。だが、マリキ派に指示されたアルジェ住民の蜂起と、一万人規模のスペイン軍襲来により、ウルージはアフリカ湖水地方に移住し、「ブルンジ王国」を築いた。ブルンジの名の由来はウルージである。ウルージ=ウルンジ=ブルンジとなる。また、フス派の子孫でもある彼らは現地人と混合して「フツ族」を称した。フツの名の由来はフスである。

 


■AD15??年 「サーキャ派簒奪」

 

石山戦争が終了すると、雑賀衆はモンゴルに移住した。彼らは、チベット仏教の「サーキャ派」に侵入し、一部を簒奪した。もともと、サーキャの名の由来は諸葛(ジューガー)だったが、雑賀衆たちはサーキャの由来を雑賀であると定めた。

 


■AD15??年 「ジャコバン修道院誕生」

 

日本人の顔をした雑賀衆は、フランス人と混合してドミニコ会に入信し、「ジャコバン修道院」を建立した。ジャコバンの名の由来は雑賀とヴァイシュラーヴァナの組み合わせである。雑賀+ヴァイシュラーヴァナ=サィガヴァナ=ジャコバンとなる。

 


■AD1年 ロベスピエール生誕

 


■AD1785年 「ジャコバン派誕生」

 

ジャコバンの名の由来は雑賀とヴァイシュラーヴァナの組み合わせである。ジャコバン派の由来、ジャコバン修道院はドミニコ会の修道院である。ドミニコ会の先祖にはヴァイシュラーヴァナがいる。そのため、雑賀とヴァイシュラーヴァナの組み合わせとなった。雑賀衆とドミニコ会の連合という趣である。雑賀+ヴァイシュラーヴァナ=サイガヴァナ=ジャコバンとなる。
過去、フス派を率いて神聖ローマ帝国と戦い、石山戦争時代に織田信長と戦った雑賀衆は戦術面を担当し、アテネに民主制を敷いたクレイステネス、奴隷の自由を謳い「シチリア奴隷戦争」を指揮してローマに蜂起したアタルガティス教の子孫であるドミニコ会が民主主義を担当した。

 


■AD1789年 「フランス革命」

 

「フランス革命」は、実際にはマリー=アントワネットの「ダイアモンド首飾り事件」から、既に始まっていた。王政を倒す口実として、まず、敵に汚名を着せることが先決であるが、そのために、ジャコバン派は、このダイアモンド首飾り事件を作りあげた。基本的にフランス革命には、雑賀衆(ルクセンブルグ家)、雑賀衆(フス派)、ドミニコ会が関与していた。3者には、三者三様の異なる思惑があった。雑賀衆(ルクセンブルグ家)は、神聖ローマ帝国ルクセンブルグ朝の再興があり、ドミニコ会には、シチリア奴隷戦争の完遂、或いは民主制アテネの再興があった。
しかし、雑賀衆(フス派)には、真の人民の解放が頭にあった。リーダーはロベスピエールである。ロベスピエールの名は通常ファーストネームであるが、姓に使用しているため、彼は、日本人の子孫と考えられる。雑賀衆に加わっていたフス派の子孫だ。ほぼ現生人類でありながら、タナトスの手の内を見てきた彼は、タナトスに協力しながら漁夫の利を得る形でタナトスを裏切った。彼は、王政などの権威を廃止し、ダントンなど、タナトスの血を引く者もみな処刑した。特にカトリック廃止に力をいれ、「最高存在の祭典」を催して人民の精神的な解放を画策した。
しかし、英雄時代の名残りであるナポレオン・ポナパルトが出現すると、タナトスにとってはノーマークだったようで、乗りに乗ったナポレオンは、あっという間にヨーロッパを席巻した。ただ、クリュニー会が悪であるという認識が無かったナポレオンは、せっかくロベスピエールが追放したクリュニー会を呼び戻し、以前の権限を取り戻してしまう。これが仇となりナポレオンは、征服本能に滾るクリュニー会の手先となり、ロシア帝国に侵攻した。クリュニー会にとっては、ロシア帝国とナポレオン皇帝という2つの敵を一度に弱体化、願わくば同士討ちという思惑があった。

 


■AD1840年 ピヨートル・チャイコフスキー生誕

 

チャイコフスキーの名の由来は雑賀とフスとスキーの組み合わせである。雑賀+フス+スキー=サイガフスキー=チャイコフスキーとなる。「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「交響曲第6番悲愴」などで知られる音楽家チャイコフスキーは、タナトスの血統ではないが、タナトスに近い位置にいるフス派の子孫である。

 


■AD1869年 「チャイコフスキー団誕生」

 

チャイコフスキーの名の由来は雑賀とフスとスキーの組み合わせである。雑賀+フス+スキー=サイガフスキー=チャイコフスキーとなる。ニコライ・チャイコフスキーは、マルク・ナタンソン、オリガ・ナタンソンと共に「チャイコフスキー団」を結成した。「フランス革命」でもそうだったが、雑賀衆のフス派は、ロシア人農民の真の解放を企図していたと考えられる。

 


■AD1863年 「ポーランド人の反乱」「ポーランド人の暴動」

 

AD1863年、フランス革命、ナロードニキ運動などを経てポーランドに帰還していたフス派が「ポーランド人の反乱」「ポーランド人の暴動」を指揮した。しかし、これに敗れると、彼らは雑賀衆時代の故地である日本に帰還した。このポーランドからの帰還で古河財閥、鈴木商店、藤田財閥、神戸川崎財閥、東京川崎財閥などが生まれた。彼らが故地を同じくする同志である証拠に、古河財閥、鈴木商店、神戸川崎財閥は戦後、連合して「第一勧銀グループ」を生んでいる。

 


■AD1874年 鈴木岩治郎、商店を開業 「鈴木商店誕生」

 

樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立し、製糖、製粉、製鋼、タバコ、ビールなどの事業を展開した。更に、保険、海運、造船などの分野にも進出したが、タナトスの直系、三井財閥の陰謀により、焼き討ちを被っている。焼き討ちの実行者は時宗、浄土真宗などの信者だろう。

 


■AD1930年 「創価学会誕生」

 

内モンゴル周辺に居住していた一部の「サーキャ派」は、もともとは諸葛氏(ジューガー)の子孫が築いたものだが、一部は雑賀衆の末裔である。諸葛氏、雑賀衆で構成されたサーキャ派は、中国共産党の台頭と軍閥戦争を機に、内モンゴルから日本に逃れた。一方、ルーマニアがオーストリアに宣戦して第一次世界大戦に参加すると、源義経の子孫(ヴラド家)はルーマニアを発って日本に帰還した。サーキャ派(諸葛氏)は、教育者であった牧口常三郎を教祖に据えて「創価教育学会」を設立した。創価の名の由来はサーキャである。彼らは、「サーキャ」に「創価」を当て字したのだ。
一方、浄土真宗と関係が深い雑賀衆は、ヴラド家と組んで加賀出身の戸田城聖を自身の代表者に据え、犬養毅などに教義を評価されていた牧口常三郎に接近させた。ヴラド家が戸田城聖に接触したのは、戸田の名の由来がタタールだと考えたからだろう。その後、創価教育学会に加わったヴラド家は、「創価」の由来にルーマニア語「ソッカ(ショック)」を独自に加え、ルーマニアと同じデザインの旗を教団の旗として設定した。
一方、浄土真宗の信徒であり、雑賀衆と組んでいた戸田城聖は、ヴラド家の意向に沿わずに大谷の指示により独自に動いた。彼は、浄土真宗の信者で占められた特高警察と結び、牧口常三郎と共に「治安維持法違反で逮捕される」と、いう芝居を演じた。その後、獄中で牧口が殺害されると、戦後、無事に出所した戸田は、浄土真宗の信者を大量に創価学会に入信させた。こうして、教団は一気に巨大化した。
一方、牧口常三郎を失ったサーキャ派(諸葛氏)は、雑賀衆に裏切られたヴラド家と組み、今度は金融業を営んでいた池田大作を代表に据え、戸田城聖を暗殺し、大きく成長した教団を取り戻した。満州に縁がある彼らは、女真に因んで「潮」という名の雑誌を刊行した。女真(ジュシャン)=シャン=シアン=シオン=シオ=潮(読みはうしお)となる。しかし、半分以上が浄土真宗の信者であるため、創価学会の半分は浄土真宗のものということができる。そのため、創価学会に入信した浄土真宗の信者は独自に動き、「公明党」を結党した。太田昭宏氏などは、大谷の直系だと考えられる。創価学会の名はひとつだが、様々な歴史的背景を持つ集団が右往左往している複雑な集団である。

 


■AD1930年 「生長の家誕生」

 

彼らは、AD1918年~AD1928年まで続いた軍閥戦争を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。彼らは、石山戦争が一段落し、織田信長が本能寺の変で死亡したのを機に、モンゴルに移住した雑賀衆の末裔である。その後、ロシア帝国が中国に南下すると、雑賀衆はサーキャ派と共に中国に潜伏していた。モンゴルから帰還した雑賀衆から輩出された谷口雅治は、恩師である大谷家(西本願寺)に接触し、浄土真宗信者を大量に貸与してもらい、教団を急速に発展させた。

 


■AD1943年 鈴木邦男生誕 「一水会誕生」

 


■AD1948年 鈴木宗男生誕

 


■AD1948年 鈴木敏夫生誕

 


■AD1951年 押井守生誕

 

映画監督の押井守は、フス派の子孫である。ポーランドのオシーという地名、或いはオシーという東欧に多いファーストネームが「押井」の名の由来となっている。押井は実写映画「アヴァロン」をポーランドで撮影したり、たびたびポーランドに言及している。彼がポーランドに親近感を持ち、且つ関係が深いのは、ポーランド、チェコに暮らし、ボヘミアの独立を守るために神聖ローマ帝国と戦ったフス派の子孫である証だ。戦術、軍事兵器にも造詣が深い彼だが、先祖の影響がうかがえるその趣味は充分彼の仕事に活かされている。

 


■AD1960年 土橋安騎夫生誕 「レベッカ誕生」

 


■AD2004年 「フーシ派誕生」

 

AD1990年代、フセイン・パドルッディーン・フーシは、イエメン北部でザイード派宗教運動「信仰する若者」を指揮し、発展させた。しかし、AD2004年にフーシが殺害されると、異母弟のアブドルマリク・フーシが指揮し、「フーシ派」が生まれた。フーシの名の由来はフスである。イランが支援し、アルカイダ、ISISが敵視しているということは、彼らは正義である。

 

 

 

 

 

 

 

 


クウォスの歴史(クウォス)

◆カオス(クウォス)の歴史

 


■400万年前 「第1次エスの大移動時代」

 


■400万年前 「クウォス誕生」

 

「第1次エスの大移動時代」に参加したエスは、湖水地方に入植して「クウォス」を生んだ。エスは身長が140cmほどだったが、水陸両用の生活を送る人類が多い中、クウォスは、人類で一番最初に陸上生活にスイッチし、大型哺乳類などを狩るようになった。そのため、彼らの身長は160cmほどになった。

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ヴィディエ誕生」「ウェネ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したクウォスは、現コンゴに移住して「ヴィディエ」を、現ニジェール流域に移住して「ウェネ」を生んだ。

 


■50万年前 「クウォスの大移動時代」

 


■50万年前 「ギューエース誕生」

 

「クウォスの大移動時代」を指揮したクウォスは、チッタゴンを通過した際、チュクウと接触、親交を暖めた。お互い、姿かたちが異っていたにも拘らず、クウォスは獣人を同じヒトとして認識し、獣人もクウォスを同じヒトとして認めた。彼らは、姿が異なるからと、お互いを嫌悪し、攻撃することはなかった。彼らは、見かけで判断するのではなく、内面を見抜く鋭い洞察力を備えていた。つまり、非常に知性に溢れていたのだ。
交配も可能であったため、チュクウはクウォスと混合した。この時に「ギューエース(ギューゲース)」が生まれた。ギューエースの名の由来はクウォスであり、別名ギューゲースの名の由来はチュクウとクウォスの組み合わせである。クウオス=グゥオース=ギューエースとなり、チュクウ+クウォス=チュクウォス=ギューゲースとなる。彼らが親交を持った証拠は、彼らが残した名前にある。

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キユース族誕生」

 

「獣人の大狩猟時代」に参加したギューエースは、人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、現シアトル近辺に居を構えた。ギューエースは「キユース族」を称した。キユースの名の由来はギューエースである。ギューエース=ギェユース=キユースとなる。

 


■35万年前 「獣人の大移動時代」

 


■35万年前 「カオス誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したキユース族は、家畜を釣れ、カウィア族(アルキュオネウス)、ブリアレオース(ポルピュリオーン、アグリオスの合体部族)と共にモンゴルに移住し、遊牧民として暮らし始めた。当時のシベリアは現在の日本の位置にあり、日本はもっと赤道に接近していた(だからワニの化石が発見される)。この時、キユース族は「カオス」を称した。カオスの名の由来はクウォスである。クウォス=クオス=カオスとなる。

 


■35万年前 「犬誕生」「遊牧民族誕生」

 

当時の北アメリカには、アルカオテリウム(猪の祖)、ウィンタテリウム(サイに似ていた)、ブロントテリウム(サイの祖)、メソヒップス(馬の祖)、アルティカメルス(ラクダの祖)、モロプス(大きな馬くらいの大きさ)、ジャイアントパイソン、メガテリウム(なまけものの祖)などの巨大装飾哺乳類が存在していた。獣人は、その比類なき身体能力でスミロドン(サーベルタイガー)などの大型肉食動物と戦いながら、これらの巨大哺乳類を狩った。一方、乱獲によって大型哺乳類が絶滅すると、古代人類の中でも知性に秀でたクウォスはアルカオテリウム(猪の祖)、メソヒップス(馬の祖)、アルティカメルス(らくだの祖)を飼いならして家畜化し、現在知られている豚、馬、らくだを生んだ。
エバシのアメリカ大陸訪問を機に、争いを好まない獣人ギガースの集団は、家畜化した豚、馬、らくだを携えて、アメリカ大陸からモンゴルに帰還した。この時に、東アジアに馬やらくだがもたらされ、モンゴルから中央アジアに広がっていった。この時、クウォスは、獣人アルキュオネウス、獣人ブリアレオースと連合して神統記に記された「原初の神々」の種族を生んだ。「カオス」「ガイア」「エロス」である。家畜をモンゴルに持ち込んだ彼らは、人類初の遊牧民として暮らした。また、狼を飼いならして「犬(ディンゴ)」を生んだ。
遊牧により、定期的に栄養価の高い食事を摂るようになった事で、カオスらは急速に知能を発達させる機会を得た。ここで、現代人でさえ、なかなか理解できない彼らの「知恵」について触れてみたい。遊牧民であった彼らは、時折、家畜による反乱に悩まされていた。しかし、カオスは、ここで、反乱が起きてから対処するのではなく、反乱を事前に防止する、という発想を得るに至る。つまり、リーダー格になる素質を持つ個体を幼い内に見極め、間引くことで、集団で暴れると手が付けられない大型哺乳類の反乱を防止し、凶暴な狼を人間の友たらしめた。これが真に「知る」ということである。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ギヤ族誕生」「グワ族誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したカオスは、モンゴルを発ち、人類史上初のオーストラリア大陸上陸を果たすと、現在でもアボリジニの一部族として知られる「ギヤ族」「グワ族」を生んだ。ギヤ、グワの名の由来はカオスである。カオス=ギヤス=ギヤとなり、カオス=グワス=グワとなる。現在、アボリジニには多数の部族がいるが、すべてギヤ族、グワ族から分離し、生まれたと考えられる。

 


■30万年前 「虹蛇誕生」

 

オケアーニスには、知能によって自然淘汰を免れたできそこないたちが潜んでいた。知能が低ければ淘汰を免れることは無いが、知能が高ければ淘汰を免れようとする個体が出てくる。これは知能を持った人類に付きまとう課題である。カオスは遊牧技術を応用して「虹蛇信仰」を創り上げ、できそこないたちを統治した。彼らは、知能を悪用する者には、天罰として制裁を加え、できそこないたちを管理した。遊牧民であるカオスたちは、大型哺乳類がいないオーストラリアでは生産能力を持たなかったが、できそこないたちが困った時には優れた知恵・力によって救いの手を差し伸べた。一方、知恵・力を授けられたできそこないたちは狩猟・採集に従事し、生産者としてカオスたちに貢物を供えた。こうして、両者はお互いの欠けた部分を補いあい、共存した。これが正しい人類の暮らし方であり、宗教の形である。

 


■30万年前 「ウォルンクア誕生」

 

カオスはエレボスと組んで虹蛇「ウォルンクア」を祀った。エレボス=ウェレンボス=ウォロンビとなり、エレボス+カオス=ウェレンボス+クアス=ウォルンクアとなる。

 


■30万年前 「ステュクス誕生」

 

「キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは赤髪の白人であった。彼らは東南アジアに入植し、獣人の姿をしたチュクウ、アボリジニの姿をしたクウォスと組んで「ステュクス」を生んだ。ステュクスの名の由来はカゾオバ、チュクウ、クウォスの組み合わせである。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾオチュクウォス=ステュクスとなる。ステュクスは、大洋の娘たちに名を連ね、冥府の河として知られた。

 


■20万年前 タナトスを皆殺しにする

 

知能によって自然淘汰を免れたできそこないの王タナトスは、虹蛇信仰に対抗してタネ崇拝を創り上げ、大量のできそこないを信者として獲得し、大量の信者にウソを強要することで、ウソを真実に作り変えた。タナトスの信者たちは悪を正義と呼び、正義を悪と呼んで攻撃した、自然界では出来損ないの方が多く生まれることに気づいたタナトスは、数で圧倒する形で少数派の知性を貶めたのだ。彼らは真の王を退け、人類の美徳をゆがめた。これに激怒した正しき者たちはタナトスを皆殺しにし、残党はヨーロッパに流すことを決定した。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「コイオス誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したカオスは、古代ギリシアの地を踏んだ。この時に「コイオス」が生まれた。コイオスの名の由来はカオスである。カオス=カイオス=コイオスとなる。その後、彼らはティタン神族に属した。

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 ギリシアからオーストラリアに移住

 

「ティタノマキア」に参加したコイオスは、ゼウスに敗北すると、ギリシアを脱出してオーストラリア(タルタロス)に帰還した。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 オーストラリアからスーサに入植

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したコイオスは、メソポタミアで巨石の種族となったデウカリオンと連合した。デウカリオンはメーロポシスと共に「マルドゥク」を生んでいたが、デウカリオンとの連合を機に、コイオスはこのマルドゥクの名を継承した。

 


■BC7千5百年 「ギョベクリ・テペ」

 

コイオスは、デウカリオンと連合すると、偉大な先祖カオスを祀るため、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。これが、ストーンークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化」の始まりである。巨石の種族となったコイオスは、後にタナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「チャタル・ヒュユク」

 

チャタル・ヒュユクは、過去にスフィンクスを建造した古(いにしえ)の巨石の種族の復活である。ここには、8000人もの人々が住んでいたといわれている。デウカリオンの街として発展したのだろう。この頃、ウソつきの人喰い人種ダーナ神族がヨーロッパからオリエント地域を訪れ、見事な巨石建造物を見て、巨石建造物を建造するためにデウカリオンをヨーロッパに招待した。だが、ダーナ神族が人喰い人種だと知ると嫌悪を示したデウカリオンは、ダーナ神族を皆殺しにしている。しかし、この時にコイオスが、ダーナ神族と共にオリエントに来ていたシェルデン人の要請を受けた。

 


■BC5千年 「メンヒル誕生」「ストーンヘンジ誕生」

 

メンヒルは、永遠に朽ちることがない「聖なる樹木」であり、ストーンサークルは「聖なる森」である。多くのメンヒルには立筋が刻まれているが、これは侵食によるものではない。これは樹木であることをアピールするため、製作者が意図的に刻んだものだ。大量の信者を獲得するため、ダーナ神族は「我々は小さな石を巨石にまで育てることができる。偉大な魔術師である」とウソをついて布教を行っていた。彼らはその都度、民が見ていない間にコイオス(マルドゥク)に命じて小さな石を大きな石に段々と取り返させた。こうして、無知な弱者を畏怖させ、権勢を誇った。さも、小石が樹木のように巨石へと育つサマを演出するため、コイオス(マルドゥク)は骨を折った。二次的な副産物として土木・建築技術が発展した。

 


■BC5千年 「ドルメン誕生」

 

一方、「ドルメン」は、コイオス(マルドゥク)が自分たちの意志で建設していた。ドルメンは、偉大な先祖「カオス」を祀るために造られた「聖なる洞窟」なのだ。ピラミッドの建設動機もこれと同じである。洞窟を作るためには、まず、山を作らなければならないのだ。そのため、ドルメン建造の際、コイオス(マルドゥク)は巨石を積み重ねた。ピラミッドは高度な数学の知識を元に計算して建造され、洗練されたデザインが特徴だが、それに比べてドルメンは非常に無骨な印象を与える。

 


■BC36世紀 「マルタ島誕生」「ジュンガンディーヤ神殿建造」

 

マルドゥクの名を継承したコイオスは、「マルタ島」に入植し、ゴゾ島に「ジュンガンディーヤ神殿」を建てた。この神殿は、マウンド派ティカル人と協力し、建造したと考えられる。目的は、原初の神カオスを祀るためである。この時に、マルタ島は初めて「マルタ」と呼ばれた。マルタの名の由来はマルドゥクである。マルドゥク=マルド=マルタとなる。

 


■BC2180年 「ピラミッド派の大航海時代」

 


■BC2180年 「ラピタ文化」

 

ダーナ神族の言いなりになってメンヒルを作っていたコイオス(マルドゥク)は、かつての同僚であり、一時的にピラミッド建造を中止したティカル人(デウカリオン)の誘いを受け入れ、「ピラミッド派の大航海時代」に参加してヨーロッパを離れ、遠くペルーに移住した。この時期を境に、メンヒルやドルメンがヨーロッパで製作されなくなった。更に、彼らはルソン島を拠点に、太平洋各地の島々に進出してメンヒルなどの巨石遺物を残した。彼らの残した仕事は、ソロモン諸島、バヌアツ諸島、フィジー、トンガ、サモアにまで広く分布している。彼らが、太平洋を股にかけて活動した時代は考古学者によって「ラピタ文化」と呼ばれている。

 


■BC2180年 「高車誕生」

 

その後、コイオス(マルドゥク)はタガログ族と共にルソン島からモンゴルに移住した。モンゴルのコイオス(マルドゥク)は「高車(ガオチェ)」を生んだ。ガオチェの名の由来はカオスである。カオス=カオシェ=ガオチェとなる。高車は、モンゴル各地に「立石」「石人」「鹿石」などの石造遺物を設けた。一方、ドルメンを作りたくなった高車は朝鮮半島にも赴き、ドルメンの一種である「支石墓」を数多く残している。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC1550年 「シェクレシュ人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加した高車(ガオチェ)はチェケル人と連合し、クレタに「シェクレシュ人」が生まれた。チェケル+ガオチェ=チェケルチェ=シェクレシュとなる。

 


■BC1150年 「シェクレシュ人の大航海時代」

 


■BC1150年 「クリシュナ誕生」

 

カッシート朝が滅んだ後、「シェクレシュ人の大航海時代」に参加してインドに移住したシェクレシュ人は現地人と混合して「クリシュナ」を祀った。クリシュナの名の由来はシェクレシュとヴィシュヌの組み合わせである。シェクレシュ+ヴィシュヌ=クレシュヌ=クリシュナとなる。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したチェケル人(タガログ族)はフィリピン人の顔をしていた。彼らは、高車と連合してチュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルと高車の別名マルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継基地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「河内氏誕生」「石舞台誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加した高車(元カルタゴ人)はインド洋を越えて日本に入植した。チュニジア人の顔をした高車は日本人と混合して「河内氏」を称した。カワチの名の由来は高車(ガオチェ)である。ガオチェ=ガワチェ=河内となる。蘇我馬子の墓として有名な明日香村の石舞台は、実際にはドルメンであり、河内氏が建造したものである。巨石を運搬する作業は、その後に「だんじり祭り」として河内地方で昇華された。だんじりの名の由来は、高車の同盟者であり、チェケル人(タガログ族、丁零)の祖の名、テングリである。デングリ=テンジリ=だんじりとなる。

 


■BC7世紀 「ダキア人誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、地中海を越えてライン河畔に入植したが、高車はカルタゴ人から離脱して単独でパンノニアに赴いた。このとき、彼らは「ダキア人」を称した。ダキアの名の由来はカルタゴ、或いはマルドゥクである。マルドゥク=マルドゥキア=ダキアとなる。

 


■BC6世紀 「支石墓誕生」

 

河内氏は、BC6世紀頃に朝鮮半島に渡り、西部に基盤式支石墓を築いている。白人の大航海時代以前に、人類は大規模な航海を行っていないと信じる学者たちは、全く同じ構造を持つヨーロッパのドルメンと朝鮮半島の支え石墓を異なるものと考えている。学者は、朝鮮半島に最初にやってきた人類だけが朝鮮人であり、それ以来、朝鮮人は朝鮮半島から出たことがないと考えている。これと同じ発想を、世界各国の人々に当てはめているが、じつに滑稽である。古代人はもっとダイナミックな活動をしていた。

 


■BC5世紀 「カッパドキア人誕生」

 

黒海の対岸からアナトリアを訪れたダキア人は、ヤコブの子孫と連合し「カッパドキア」を称した。カッパドキアの名の由来はフェニキア文字のひとつカッパとダキアの組み合わせである。カッパ+ダキア=カッパドキアとなる。カッパドキア人は、ペルガモン王国、ガラテア王国、ビチニア王国、ポントス王国などと並んで「カッパドキア王国」を建設した。

 


■BC168年 「スラヴ人の大移動時代」

 


■BC168年 「大夏誕生」

 

「スラヴ人の大移動時代」に参加したダキア人は、タリム盆地に亡命した。ダキア人は「大夏(ダキア)」を建設した。大夏(ダキア)の名の由来はそのまま、ダキアである。

 


■BC133年 「カッパドキア人の大航海時代」

 


■BC133年 「香夜氏誕生」

 

「カッパドキア人の大航海時代」に参加したダキア人は、ダキアの名前を2つに分離して「道氏」「香夜氏」を称した。道氏は吉備氏と共同で「大和人の大航海時代」に参加した。吉備氏、道氏はインドに「グプタ朝」を開いている。また、香夜氏は、単独で朝鮮半島に渡り、「伽耶諸国」を築いている。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「マドック族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した高車は、現カリフォリニアに入植し、マルドゥクの名を継承していた高車は「マドック族」を名乗った。マドックの名の由来はマルドゥクである。マルドゥク=マードゥク=マドックとなる。

 


■AD3世紀 「ニート誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した高車は、現地人と混合して「ニート」の名を生んだ。ニートの名の由来は「高」である。英語の「ニート(NEAT)」には「小奇麗な、さっぱりした、格好良い」などの意味がある。

 


■AD3世紀 「伽耶誕生」

 

吉備氏、道氏は「大和人の大航海時代」に参加して東西に移住したが、香夜氏は単独で朝鮮半島に入植した。この時に「伽耶」が生まれた。伽耶の名の由来は香夜(かや)である。

 


■AD3世紀 「カワチ遺跡製作」

 

「大和人の大航海時代」に参加した河内氏は、ペルーに上陸して「ナスカ文化」に参加し、カワチ遺跡を残した。また、カワチを拠点に軍事主義体制を敷いた。この軍事国家カワチは、後に「インカ帝国」の母体となる。

 


■AD562年 「コヤ族誕生」「チンチャ王国誕生」

 

伽耶が新羅の侵攻によって滅ぶと、伽耶人は朝鮮半島を脱出して太平洋を横断し、ペルーに上陸した。朝鮮人の顔をした彼らは、現地人と混合して「コヤ」を称した。コヤの名の由来は伽耶である。彼らは、「チンチャ王国」を建てているが、チンチャの名の由来は朝鮮語の「チンチャ(本当か?)」である。無事に太平洋を横断できた彼らは、余りの驚きと喜びから、思わず「チンチャ!?」と叫んだ。

 


■AD581年 「高橋氏誕生」「富樫氏誕生」

 

フージャンの子孫である烏孫(ウースン)は大夏(ダキア)と共に日本に移住し、連合して「高橋」「富樫」の名を成した。高橋、富樫の名の由来はダキアとフージャンの組み合わせである。ダキア(高)+フージャン(橋)=高橋となり、ダキア(トガ)フージャン(ジャ)=トガジャ=富樫となる。その後、大夏は「高山」「高村」「高木」など「高」が付く姓を多く成し、烏孫は「橋田」「橋野」「石橋」など「橋」が付く姓を多く残した。また、富樫氏からは「富田」「富山」「富永」など「富」が付く姓が多く残された。

 


■AD712年 「勿吉の大航海時代」

 


■AD712年 「高千穂神社誕生」「新田氏誕生」

 

ニート(高氏)は、「高千穂神社」を建立した。高千穂の名の由来は、イギリス人と混合した高氏の子孫ジョン・ニートである。ジョンに「千穂」を当て字して「高(ニート)」と組み合わせ、「高千穂」の名を組み立てた。また、ニート(高氏)は、日本人と混合して「新田」の名を残している。新田の名の由来はニートである。ニート=ニット=新田となる。英語の「ニート(NEAT)」には「小奇麗な、さっぱりした、格好良い」などの意味がある。そのため、彼らは「新」を当て字したと考えられる。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「根津氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加した河内氏は、諏訪に到着すると、現地人と混合して「根津氏」を形成した。一時期、河内氏はナスカ高原に「カワチ」と呼ばれる軍事国家を形成していた。そのため、河内氏はナスカを由来に「根津」を称した。ナスカ=ネズカ=根津となる。「根津氏」からは「根津財閥」を築いた根津嘉一郎、俳優根津甚八が輩出されている。

 


■AD11世紀 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「マードック誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したマドック族は、イギリス人と混合して「マードック」の名を成した。マードックの名の由来はマドックである。マドック=マードックとなる。

 


■AD11世紀 「マタギ誕生」「本木氏誕生」「元木氏誕生」「茂木氏誕生」」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したアドック族は日本に移住した。インディアンの頃からの生活を続けたかったマドック族は、日本人が住む都市部や農村部は避けて山岳部に暮らした。彼らは、「マタギ」と呼ばれた。マタギの名の由来はマドックである。マドック=マドク=マタギとなる。マタギは夏季は農業を営み、冬季は集団で山間部に入り、数日間に渡って狩猟を行った。初期の頃、マタギはヤリや毒矢を用いていたという。ここに、彼らがインディアンの末裔であったことを確認できる。現在でも東北部にマタギと呼ばれている人々が暮らしていることが確認できる。だが、大方は都市部に降りた。彼らは、マタギに「本木」「元木」「茂木(もてぎ)」などの漢字を当て字した。また、一部のマタギは太祖マルドゥクの名を由来に「森高」「丸高」「森継」などの姓も作った。

 


■AD1141年 「賀陽氏誕生」「臨済宗誕生」

 

ペルー人の顔をしたコヤ族は日本人と混合して「賀陽氏」を形成した。賀陽の名の由来は伽耶、或いはコヤである。AD1141年、賀陽氏から「臨済宗」を手がける栄西が誕生する。

 


■AD1399年 「ウォディアール家誕生」「マイソール王国誕生」

 

AD1392年に李氏朝鮮が成立すると、落胆した伽耶の末裔が朝鮮半島を出てインドに移住した。朝鮮人の顔をした伽耶人はインド人と混合して「ウォディアール家」を形成した。ウォディアールの名の由来は朝鮮語「ウォディヤ?(どこ?)」である。ヤドゥラーヤが初代王に即位して「マイソール王国」を築いている。マイソールの名の由来は朝鮮語「ムイソウル(ソウルじゃない)」である。李氏朝鮮時代、李成桂は「漢城」の呼称を廃して「ソウル」に改めた。そのため、これを気に入らない伽耶人は、新しい国に「マイソール」を冠した。

 


■AD1300年 新田義貞生誕

 


■AD1572年 「インカ人の大航海時代」

 


■AD1572年 「ガウチョ誕生」

 

「インカ人の大航海時代」に参加したマントゥーロ族、ケチュア族、カワチ族はインカ帝国を脱出して東方を目指した。アンデス山脈を越えてラ・プラタ地域に出ると、カワチ族が同地に残留した。彼らはガオチェ(高車)を由来に「ガウチョ」を称した。勇敢かつ自由な気風で知られるガウチョは、イギリスのラ・プラタ侵略時、英国軍をブエノス・アイレスから追放している。

 


■AD17世紀 「ゴヤ誕生」「ドガ誕生」「デュカス誕生」

 

AD17世紀、マイソール王国はマラーター同盟と交戦状態に陥る。これを機に、一部ウォディアール家はヨーロッパに移住し、ダキアを由来に「ゴヤ」「ドガ」「デュカス」などの名を生んだ。

 


■AD1746年 フランチェスコ・デ・ゴヤ生誕

 


■AD1834年 エドガー・ドガ生誕

 


■AD1865年 ポール・デュカス生誕

 


■AD1920年 川内康範生誕 「月光仮面誕生」

 


■AD1931年 ルパート・マードック生誕

 


■AD1956年 高橋葉介生誕

 


■AD1957年 高橋留美子生誕 「うる星やつら誕生」

 


■AD1966年 富樫義博生誕

 


■AD1940年 ジョルジオ・モロダー生誕

 

 

 

 

◆イシュタル(イストロス)の歴史

 


■30万年前 「イストロス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したカオスは、テレストーと連合して、オセアニアに「イストロス」を生んだ。イストロスの名の由来はクウォスとテレストーの組み合わせである。クウォス+テレストー=ウォステレス=イストロスとなる。その後、イストロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「イステル川誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したイストロスは、オーストラリアを後に、黒海西岸に入植した。この時にドナウの古名「イステル川」が生まれた。イステルの名の由来はイストロスである。イストロス=イステルス=イステルとなる。

 


■7万年前 「アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「瀬織津比咩神誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したイストロスは、台湾に上陸してアプスーと連合し「セオリツヒメ」を成した。セオリツの名の由来はアプスーとイストロスの組み合わせである。アプスー+イストロス=スウロス=スオロツ=セオリツとなる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万3千年前 「イシュタル誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加してモンゴルに移住したイストロスは、次に「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに入植した。この時に、イストロスは「イシュタル」を生んだ。イシュタルの名の由来はイストロスである。イストロス=イシュトロス=イシュタルとなる。

 


■AD7世紀 「オーストリア誕生」

 

イスラム帝国台頭を機に、イシュタルはメソポタミアを離れてライン河畔に移住し、オースターを継承して拠点を「オーストリア」と命名する。オーストリアの名の由来はオースターとイシュタルの組み合わせである。オースター+イシュタル=オーシュタール=オーストリアとなる。

 


■AD7世紀 「石田氏誕生」

 

イスラム帝国台頭を機に、イシュタルは日本に上陸して山城国に居を構え「石田」の名を称する。石田の名の由来はイシュタルである。イシュタル=イシダル=石田となる。

 


■AD718年 「アストゥリアス家誕生」

 

現ナバラ州に「エステラ」の名を残したオーストリア人から、AD718年に「アストゥリアス王国」を建設するペラーヨが輩出される。アストゥリアスの名の由来はオーストリアである。オーストリア=オストリアス=アストゥリアスとなる。アストゥリアス家が滅亡すると、アストゥリアスの名を継承した人々はヨーロッパを中心に拡散した。

 


■AD827年 「ストラスクライド王国誕生」

 

AD757年にイベリア半島を出た一部アストゥリアス家は、スコットランドに落ち延びていたローマ皇帝の血統クラウディウス家と連合する。ストラスクライドの名の由来はアストゥリアスとクラウディウスの組み合わせである。アストゥリアス+クラウディウス=ストゥリアスクラウディ=ストラスクライドとなる。ラン・マク・アースガルが初代ストラスクライド王に即位している。

 


■AD925年 「アストゥリアス家の大航海時代」

 


■AD925年 「オセット族誕生」

 

「アストゥリアス家の大航海時代」に参加したアストゥリアス家は、現オセチアに移住してアストゥリアスの名に因んだ「オセット人」を称した。オセットの名の由来はアストゥリアスである。アストゥリアス=オセットゥリアス=オセットとなる。AD13世紀、モンゴル軍の襲来を機に、オセット人はハンガリーと中国に逃亡した。ハンガリーのオセット人は、「ヤース人」を称し、中国のオセット人は「アスト人」を称した。ヤースとアストの名の由来はどちらもアストゥリアスである。アストゥリアス=トゥリアース=ヤースとなり、アストゥリアス=アストとなる。

 


■AD1093年 「ストラスクライドの大航海時代」

 


■AD1093年 「アストラハン誕生」

 

「ストラスクライドの大航海時代」に参加したクラウディス家は、イシュタルの故地に近い、中央アジアにやって来た。クラウディウス家は先祖の名イシュタルに因んで「アストラハン」となった。イシュタル=イシュトラ=アストラとなる。

 


■AD1237年 「アストラハンの大航海時代」

 


■AD1237年 「アステカ族誕生」

 

「アストラハンの大航海時代」に参加したアストラハン・タタールは、ムシュキ族を伴って中央アジアから大西洋に出てメキシコに渡った。アストラハン・タタールは「アステカ族」を称し、マスカットやモスクワの由来になったムシュキ族が「メシコ族」となった。アステカの名の由来はアストラとティカルの組み合わせである。アストラ+ティカル=アスティカ=アステカとなる。アストラハンの系統からは初代アステカ皇帝アカマピチトリ、第2代アステカ皇帝ウィツィリウィトルが輩出され、第4皇帝にメシコ族の系統のイツコアトルが輩出されている。

 


■AD1年 アカマピチトリ、初代アステカ皇帝に即位 「アステカ帝国誕生」

 


■AD1466年 カシム1世、初代王に即位 「アストラハン・タタール国誕生」

 

AD1440年、ウァシュテペック族出身のモクテスマが第3代アステカ帝国皇帝に即位した。ウァシュテペック族が天下を取ったことにより、アステカ族(アストラハン)、メシカ族(ムシュキ)はアステカ帝国を後にする。東方組のアステカ族、メシカ族は、故地であるアストラハンに帰還した。アステカ帰還組から生まれたカシム1世は、AD1466年に「アストラ・ハン国」の初代王に即位する。アストラ・ハン国は、AD1556年に滅亡している。

 


■AD1825年 ヨハン・シュトラウス2世生誕

 

シュトラウスの名の由来はアストゥリウスである。アストゥリウス=アシュトラウス=シュトラウスとなる。

 


■AD1878年 ヨシフ・スターリン生誕

 

スターリンの名の由来はイシュタルである。イシュタル=イシュターリン=スターリンとなる。

 


■AD1940年 リンゴ・スター(リチャード・スターキー)生誕 「ザ・ビートルズ誕生」

 

アスタルキ(アスタルテの人)=シュタールキー=スターキーとなる。

 


■AD1946年 シルヴェスター・スタローン生誕

 

アストラン=アストラーン=スタローンとなる。

 


■AD1956年 ラース・フォン・トリアー生誕

 

トリアーの名の由来はオーストリアである。オーストリア=オーストリアー=トリアーとなる。

 

 

 

◆マゴス(カイコス)の歴史

 


■1万3千年前 「マガン王国(ミケーネ文明)誕生」

 

エノクと別れたレメクは、メコン河を離れてアラビア半島にまで足を伸ばし、伝説の「マガン王国」を建設している。マゴンの名の由来はメコンである。メコン=メゴン=マゴンとなる。マゴンとは「ミケーネ」のことでもあるが、ミケーネ文明は、ギリシアではなくアラビア半島に存在したのだ。ミケーネの名の由来もマガンと同じく、レメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=ミケーネとなる。

 


■BC5千年 「女神モコシェ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加してマガン王国の王統を簒奪したアラムは、ローマ王国を築いたが、レメクから分離したカイコスは「豊穣の女神モコシェ」を祀った。モコシェの名の由来はレメクやマゴスと同じくクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=メコス=モコシェとなる。

 


■BC1027年 「メガラ誕生」「マゴ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出し、ペロポネソス半島に上陸したミケーネ人とチェケル人は「メガラ」を築いた。メガラの名の由来はミケーネとチェケルの組み合わせである。ミケーネ+チェケル=ミケル=メガラとなる。メガラ人は船人として地中海を縦横無尽に駆け、カルタゴ人やフェニキア人と交流をし、BC685年には植民都市カルケドンを築き、BC667年には植民都市ビザンティオンを建設した。メガラ人は、カルタゴでは「マゴ」を称した。マゴの名の由来はメガラである。メガラ=マゴラ=マゴとなる。
マゴは、「フェニキア人の大航海時代」に参加してイランに「マゴス」、日本に「天孫族」を残した。一方、カルタゴに残留したマゴは、BC6世紀にカルタゴに「マゴ王朝」を開き、100年後には、将軍ハンニバル・マゴを輩出している。BC409年、将軍ハンニバル・マゴは、カルタゴ軍をシチリアに侵攻させて「第2次ヒメラの戦い」を指揮した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「マゴス誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したマゴは、フェニキア人、アッカド人、マナセ族と共にペルシアに入植を決めた。マゴは「マゴス」となって祭祀を取り仕切った。マゴスの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=メイコス=マゴスとなる。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「聖地メッカ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマゴスは、メディア人と共に、紅海に入ってアラビア半島に根付いた。先祖の故地マガン王国への帰還である。マゴスはメディーナの隣に「メッカ」を築いた。メッカの名の由来はマゴである。マゴ=マッゴ=メッカとなる。

 


■BC552年 「ハイ・キング誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマゴスは、西方に向かい、アイルランドに上陸した。現地人と混合したマゴスは、「O’」と「Mac」の氏族を形成した。O’、Macの名の由来はオメガである。その後、「聖地タラ」と「ミード」は、代々、古代アイルランドを統べるハイ・キングたちの重要な拠点となる。更に、マゴスはドルヒユ族と合体し、ひとつの王統を形成する。

 


■BC3世紀 「ガスコン人の大航海時代」

 


■BC13年 「景行天皇誕生」

 

「ガスコン人の大航海時代」に参加したマゴスは、ドルヒユ族と共に満州に上陸し、イェマックの王室に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「大足彦(オオタラシヒコ)」である。オオタラシヒコの名の由来はオメガ(オー)とタラスカである。オー+タラスカ=オオタラシ=大足彦となる。つまり、大足彦の名はマゴスとドルヒユ族の連合体であることを示している。景行天皇は、弱い民衆を苦しめるタナトスの一族である土蜘蛛を皆殺しにし、日本武尊にもタナトスの一族である九頭龍の討伐を指示した。

 


■AD84年 「成務天皇誕生」

 

ワカタラシヒコの名の由来は「若」とタラスカである。ワカ+タラスカ=ワカタラシ=稚足彦となる。稚足彦は「成務天皇」として第13代天皇に即位している。成務天皇の時代、ステュクスの後裔である武内宿禰が大臣として政務を統括したと言う。

 


■AD??年 「仲哀天皇誕生」

 

タラシナカツヒコの名の由来はタラスカと河の種族グレニコスの組み合わせである。タラスカ+グレニコス=タラスナカ=足仲彦となる。足仲彦は「仲哀天皇」として第14代天皇に即位している。仲哀天皇を最後に、ポントス人の応神天皇が即位するまで、イェマック王位(天皇の座)は70年間、空位となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「アプリマック誕生」

 

「マゴスの大航海時代」マゴスはペルーに上陸し、アベルと組んで「アプリマック川」を拠点に定めた。アベル+マック=アベルマック=アプリマックとなる。

 


■AD3世紀 「ムスコギー族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した仲哀天皇の一族は、アメリカに入植して「ダラス」を築き、「ムスコギー族」を成した。ダラスの名の由来はタラスカであり、ムスコギーの名の由来は朝鮮語「何の肉ですか?(ムスンコギヤ?)」である。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「三木氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマゴスは、房総半島に上陸し、諏訪に到着すると、「三木氏」を生んだ。三木氏の名の由来はマゴスである。マゴス+マコス=ミコス=三木氏となる。

 


■AD1871年 御木徳一、初代教祖 「パーフェクト・リバティー教団誕生」

 


■AD1907年 三木武夫生誕

 

第66代内閣総理大臣に就任している。

 

 

 

 

◆プール(トバルカイン)の歴史

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート」

 


■BC32世紀 「プール族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したスバル人は、エニセイ河流域に降り立ち、現地人と混合して「プール族」を形成した。プールの名の由来はスバルである。スバル=スバアル=プールとなる。その後、プール族はアーリア人に参加している。

 


■BC1027年 「十王戦争」

 


■BC1027年 「クル族誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」で使用された核兵器によってアーリア人の連合体は崩壊し、一族は四散した。だが、祖を同じくするプール族とバーラタ族は合体して「クル族」を結成している。クルの名の由来はプールである。プール=グール=クルとなる。

 


■BC1027年 「アーリア人の大移動時代」

 


■BC1027年 「キュロス誕生」

 

「十王戦争」の後、イランにやって来たクル族は、現地人と混合して「キュロス」の名を誕生させた。この系統からはキュロス1世、キュロス2世が輩出されている。アーリア人に属するクル族は「ペルシア帝国」の誕生に携わった。

 


■BC529年 「太陽神ミトラの大航海時代」

 


■BC529年 「クール人誕生」

 

「太陽神ミトラの大航海時代」に参加したクル族は、ヨーロッパ人と混合して「クール人」を形成する。クールの名の由来はクルである。彼らは、拠点として「クールラント」を築いた。

 


■BC529年 「カウィール家誕生」

 

「太陽神ミトラの大航海時代」に参加したクル族はマヤ人と混合して「カウィール家」を形成した。カウィールの名の由来はクールである。クール=クイール=カウィールとなる。

 


■AD520年 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD520年 「クール人復活」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したカウィール家は、ベリーズ人と共にリトアニアに赴き、「クール人」を復活させた。土地柄もあり、クールの名は英語の「冷たい」を連想させるが、実際には、「クール人の土地」に由来している。AD1228年、クール人はセムガル族と連合してリガを襲撃し(リヴォニア十字軍)、AD1260年には十字軍側に参加したがリヴォニアに敗北している(ドゥルペの戦い)。

 


■AD603年 「ウイグル人誕生」

 

托跋部は、マヤから来たカウィール家と連合して「ウイグル人」を結成する。ウイグルの名の由来はウェイ(魏)とクール(カウィール)の組み合わせである。ウェイ+クール=ウェイクル=ウイグルとなる。ウイグル人はイングランドで誕生したことになる。

 


■AD603年 「スヴェルケル誕生」

 

ウイグル人は、ブリテン島を離れて、オーディーンを祀る植民地スカンジナビアに移動した。この時、新たに「スヴェルケル」の名が誕生している。だが、この名はAD1161年まで封印される。スヴェルケルの名の由来はスバルとカウィールの組み合わせである。スバル+カウィール=スヴァルカウィル=スヴェルケルとなる。

 


■AD6??年 「ウイグル汗国誕生」

 

その後、ウイグル人は、スカンジナビアを後に北極海ルートに入った。レナ河に到達したウイグル人はそのままシベリアを南下し、モンゴルの地を踏む。白人とマヤ人の顔をした連合体はモンゴル人と混合して、AD6??年に「ウイグル汗国(回鶻)」を建てた。

 


■AD727年 「ウイグル人の大航海時代」

 


■AD727年 「ヴァイキング誕生」

 

「ウイグル人の大航海時代」に参加したウイグル人は、先祖の托跋部が「北魏」を支配していたことから「魏(ウェイ)の王」を由来に「ヴァイキング」を称した。ウェイ(魏)+キング=ヴァイキングとなる。また、ナイマン人は「ノルマン人」となり、大宛(黒人ダン族)は「デーン人」となった。ヴァイキングの話になると、すべての名前がごっちゃになっていたが、ヴァイキングとは托跋部を指し、ノルマン人はナイマン人を指し、デーン人は大宛(黒人ダン族)を指している、と理解したい。ヴァイキングやノルマン人は、基本的に暴力的で残虐なデーン人とは対立していた。

 


■AD997年 「レイフ・エリクソンの大航海時代」

 


■AD997年 「荒木氏誕生」「北島家誕生」「千家家誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したアイスランド人は「北島家」を、デンマーク人・スウェーデン人は「千家家」を、エリクソンは「荒木氏」を、スヴェルケル家は「佐原氏」を成した。北島の名の由来はずばりアイスランドであり、千家の名の由来は「SENの家」である。「SENの家」は、クリスチャンセン、ヘンリクセン、マイケルセンなど、セン(SEN)が付く名前の人々による連合体である。

 


■AD997年 「佐原氏誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したヴァイキングは、現地人と混合して「佐原氏」を生んだ。佐原氏からは、「一の谷の合戦」で一番乗りを果たした佐原義連が輩出されている。

 


■AD997年 「エリク家誕生」「スヴェルケル家誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したヴァイキングとレイフ・エリクソンは、長い時間と労力をかけて故地である日本に到着したものの、トンボ帰りを決意する。エルクソンはヴァイキングと共にスカンジナビアに上陸すると、ヴァイキングは「スヴェルケル」の名を解禁し、レイフ・エリクソンは「エリク家」を築いた。AD1161年、スヴェルケル家のカール1世がスウェーデン王に即位すると、その後はエリク家とスヴェルケル家が仲良く交代で王位に就いた。

 


■AD1235年 「ジャーン朝誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したイギリス人は、日本から足を伸ばしてきたアフリカに移住した。ジャーンの名の由来は「SON(ソン)」である。ソン=ショーン=ジャーンとなる。ヤグムラサン・イブン・ジャーンが初代君主に即位した。その後、AD1555年にジャーン朝が滅亡すると、ジャーン王家は北アフリカから中央アジア・アストラハンに移り、AD1599年に同じ名前で、新しく「ジャーン朝」を開いている。このジャーン朝は、AD1756年に滅亡している。

 


■AD1250年 「スヴェルケル家の大航海時代」

 


■AD1250年 「川原氏誕生」「川井氏誕生」「川平氏誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」に参加したスヴェルケル家は、「ウイグル人」以来、永らく同盟関係にあったカウィール家が分離・独立を申し出て、日本に残留を決めた。金髪・碧眼の白人の姿をしたカウィール家は日本人と混合して「川原」「川井」「川平」などの姓を作った。すべての名はカウィールが由来である。

 


■AD1535年 「川端氏誕生」「川中氏誕生」「川辺氏誕生」「川瀬氏誕生」「川田氏誕生」

 

托跋部と同盟していたペチェネグ族はスフォルツァ家から分離・独立を申し出、その代わりに、過去にウイグル・ヴァイキング時代に托跋部の同盟者であったカウィール家に接触した。両者は合体して5つの名を生んだ。いずれもカウィールとペチェネグの組み合わせである。「川端(カウィ+ペチェ)」「川中(カウィ+ネグ)」「川辺(カウィ+ペ)」「川瀬(カウィ+チェ)」「川田(カウィ+チェ)」となる。更に、川田からは「桑田」の名も派生している。この5つの姓を持つ人々は、日本人を人種母体に持ちながら、イタリア人、北欧人、マヤ人、中央アジア人など多様な民族の血を継承している。

 


■AD1899年 川端康成生誕

 


■AD1954年 ニール・ショーン生誕 「ジャーニー誕生」

 


■AD1956年 桑田桂祐生誕 「サザンオールスターズ誕生」

 


■AD1957年 川井憲次生誕

 


■AD1969年 河瀬直美生誕

 

 

 

◆ゼブルン(トバルカイン)の歴史

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート」

 


■BC32世紀 「スバールバル諸島誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したスバル人はまず、北極点を通過する冒険を試みて、第1の拠点スバールバル諸島に辿り着く。スバールバルの名の由来はスバルである。しかし、北極点通過は困難だと分かると、一行は、第2の拠点であるオビ河に到着する。

 


■BC32世紀 「プール族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したスバル人は、エニセイ河流域に降り立ち、現地人と混合して「プール族」を形成した。プールの名の由来はスバルである。スバル=スバアル=プールとなる。その後、プール族はアーリア人に参加している。

 


■BC32世紀 「ツバル誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したスバル人はシベリアを通過すると、樺太を南下し、単身、太平洋に漕ぎ出て「ツバル諸島」を発見した。ツバルの名の由来はスバルである。

 


■BC32世紀 「ゼブルン族誕生」

 

ツバル人は、太平洋の孤島を出発し、遠くイスラエルの地に上陸し、「ゼブルン族」を形成した。ゼブルンの名の由来はツバルとトバルカインの組み合わせである。ツバル+トバルカイン=ツヴァライン=ゼブルンとなる。

 


■BC32世紀 「スファラディ(パルティア)誕生」

 

ゼブルン族は、ラテン人(ロディア)と組んで「スファラディ」を生んだ。この時に「パルティア」の名も同時に生まれた。スファラディ、パルティアの名の由来はゼブルンとロディアの組み合わせである。ゼブルン+ロディア=ゼブロディア=セフロティア=スファラディとなり、ゼブルン+ロディア=ゼブロティア=プロティア=パルティアとなる。

 


■BC248年 アルサケス2世、初代王に即位 「パルティア王国誕生」

 

その後、イオニア人、パルティア人はインドを離れてイランに帰還した。この時、イオニア人は「ポントス王国」を築き、パルティア人は「パルティア王国」を建設している。BC281年、マケドニアから独立したミトリダテス1世が、初代王に即位して「ポントス王国」を黒海南岸に打ち立て、BC247年には、アルサケス2世が初代王に即位して「パルティア王国」をイランの地に打ち立てた。

 


■AD114年 「ポントス人の大航海時代」

 


■AD114年 「托跋部誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したパルティア人は、チベットからモンゴルに移り、現地人と混合して「托跋部(ツォバ)」を結成した。ツォバの名の由来はゼブルンである。ゼブルン=ズェブルン=ツォバとなる。宇文部、托跋部は同盟して正統な鮮卑(シェンヴェイ)をモンゴルから追放した。

 


■AD432年 「北魏誕生」

 

托跋部は、この時に魏(ウェイ)の名を戴いた。この名前からウイグル、ヴァイキングの名が生まれることになる。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「ゴドジン王国誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した托跋部は、慕容部、乞伏部、段部、宇文部、甲斐氏と共にブリテン島に移住した。モンゴル人の顔をした托跋部は、イングランドの地に「ゴドジン王国」を建設した。ゴドジン(GODDODIN)の名の由来は「応神の神」の英語訳である。ゴッド+オージン=ゴッドージン=ゴッドジンとなる。

 


■AD471年 「最高神オーディン誕生」

 

ゴドジン王国を出撃した托跋部は、応神天皇の名を借りて「オーディン」を称し、スカンジナビアの地に出現した。オージン=オージーン=オーディーンとなる。この時に、北欧神話の全容が確立された。新参者であるはずの托跋部は、先発隊である「悪神ロキとヘル(ルキフェル)」「雷神トール(ドルヒユ)」「戦神テュール(ミツライム)」「太陽神フレイ(マハラエル)」などを退けて最高神の位を簒奪した。

 


■AD603年 「ウイグル人誕生」

 

托跋部は、マヤから来たカウィール家と連合して「ウイグル人」を結成する。ウイグルの名の由来はウェイ(魏)とクール(カウィール)の組み合わせである。ウェイ+クール=ウェイクル=ウイグルとなる。ウイグル人はイングランドで誕生したことになる。

 


■AD603年 「スヴェルケル誕生」

 

ウイグル人は、ブリテン島を離れて、オーディーンを祀る植民地スカンジナビアに移動した。この時、新たに「スヴェルケル」の名が誕生している。だが、この名はAD1161年まで封印される。スヴェルケルの名の由来はスバルとカウィールの組み合わせである。スバル+カウィール=スヴァルカウィル=スヴェルケルとなる。

 


■AD6??年 「ウイグル汗国誕生」

 

その後、ウイグル人は、スカンジナビアを後に北極海ルートに入った。レナ河に到達したウイグル人はそのままシベリアを南下し、モンゴルの地を踏む。白人とマヤ人の顔をした連合体はモンゴル人と混合して、AD6??年に「ウイグル汗国(回鶻)」を建てた。その後のウイグル汗国は、後に大谷家、ドミニコ会などを生む大宛人に支配されている。

 


■AD727年 「ウイグル人の大航海時代」

 


■AD727年 「ヴァイキング誕生」

 

「ウイグル人の大航海時代」に参加したウイグル人は、先祖の托跋部が「北魏」を支配していたことから「魏(ウェイ)の王」を由来に「ヴァイキング」を称した。ウェイ(魏)+キング=ヴァイキングとなる。また、ナイマン人は「ノルマン人」となり、大宛(黒人ダン族)は「デーン人」となった。ヴァイキングの話になると、すべての名前がごっちゃになっていたが、ヴァイキングとは托跋部を指し、ノルマン人はナイマン人を指し、デーン人は大宛(黒人ダン族)を指している、と理解したい。ヴァイキングやノルマン人は、基本的に暴力的で残虐なデーン人とは対立していた。

 


■AD997年 「レイフ・エリクソンの大航海時代」

 


■AD997年 「荒木氏誕生」「北島家誕生」「千家家誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したアイスランド人は「北島家」を、デンマーク人・スウェーデン人は「千家家」を、エリクソンは「荒木氏」を、スヴェルケル家は「佐原氏」を成した。北島の名の由来はずばりアイスランドであり、千家の名の由来は「SENの家」である。「SENの家」は、クリスチャンセン、ヘンリクセン、マイケルセンなど、セン(SEN)が付く名前の人々による連合体である。

 


■AD997年 「佐原氏誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したヴァイキングは、現地人と混合して「佐原氏」を生んだ。佐原氏からは、「一の谷の合戦」で一番乗りを果たした佐原義連が輩出されている。

 


■AD997年 「エリク家誕生」「スヴェルケル家誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したヴァイキングとレイフ・エリクソンは、長い時間と労力をかけて故地である日本に到着したものの、トンボ帰りを決意する。エルクソンはヴァイキングと共にスカンジナビアに上陸すると、ヴァイキングは「スヴェルケル」の名を解禁し、レイフ・エリクソンは「エリク家」を築いた。AD1161年、スヴェルケル家のカール1世がスウェーデン王に即位すると、その後はエリク家とスヴェルケル家が仲良く交代で王位に就いた。

 


■AD1235年 「ジャーン朝誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したイギリス人は、日本から足を伸ばしてきたアフリカに移住した。ジャーンの名の由来は「SON(ソン)」である。ソン=ショーン=ジャーンとなる。ヤグムラサン・イブン・ジャーンが初代君主に即位した。その後、AD1555年にジャーン朝が滅亡すると、ジャーン王家は北アフリカから中央アジア・アストラハンに移り、AD1599年に同じ名前で、新しく「ジャーン朝」を開いている。このジャーン朝は、AD1756年に滅亡している。

 


■AD1250年 「スヴェルケル家の大航海時代」

 


■AD1250年 「円谷氏誕生」「渋谷氏誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」に参加したスヴェルケル家は、スカンジナビアを発って西方に向かい、ブリテン島、アイスランド、北アメリカ、マヤを経て太平洋に出た。パルティア人と共に「托跋部」の中核を成していた「ゼブルン族」は、祖を同じくする人々が棲むツバル諸島に赴いた。スヴェルケル家は、意気投合したツバル人を船団に加えて日本に向かった。日本に上陸したツバル人は現地人と混合して「円谷」を形成した。円谷の名の由来はツバル(円)とタネ(谷)の組み合わせである。

 


■AD1250年 「シュワルツネッガー誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は黒澤氏を同行させた。その後、黒海に入って中央アジアに上陸したスヴェルケル家は解散したペチェネグ族の残党と合体し、「シュワルツネッガー」を結成した。シュワルツネッガーの名の由来は、スヴェルケルとペチェネグの組み合わせである。スヴェルケル+ペチェネグ=スヴェルチェネグ=シュワルツネッガーとなる。この系統からは俳優アーノルド・シュワルツネッガーが輩出されている。

 


■AD1250年 「スフォルツァ誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は、黒澤と共にイタリアの地を踏み、現地人と混合して「スフォルツァ家」を形成した。スフォルツァの名の由来はシュワルツネッガーである。シュワルツネッガー=シュワルツェ=スフォルツァとなる。スフォルツァ家は、ヴィスコンティ家の配下から這い上がり、ミラノ公の地位を得た。

 


■AD1320年 ジョン・ウィクリフ生誕 「ウィクリフ派誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は、ゴドジン王国時代の故地、ブリテン島に移住した。現地人と混合して「ウィクリフ」を称した。ウィクリフの名の由来はウイグルである。ウイグル=ウイグルフ=ウィクリフとなる。

 


■AD1384年 ジョン・ウィクリフ死去 「ロラード運動誕生」

 

ウィクリフが死ぬと、ウィクリフ派の人々は「ロラード運動」を展開した。ロラードの名の由来は托跋部が宇文部と共に繁栄させた鮮卑を滅ぼした柔然(ローラン)の名に肖っている。ロラードの名の由来はローランの人である。ローラン+ト=ローラント=ロラードとなる。

 


■AD1535年 「沢辺氏誕生」「沢田氏誕生」「沢中氏誕生」

 

スフォルツァ家は、ミラノ公位喪失を機に、ミラノを離れて日本に移住した。イタリア人の顔をした彼らは、日本人と混合して「沢辺(スフォ+ペ)」「沢田(スフォ+チェ)」「沢中(スフォ+ネグ)」の名を育んだ。いずれの名もスフォルツァとペチェネグの組み合わせである。

 


■AD1838年 フェルディナント・フォン・ツェッペリン生誕

 

ツェッペリンの名の由来はゼブルンである。ゼブルン=ゼッブルン=ツェッペリンとなる。

 


■AD1901年 円谷英二生誕 「円谷プロ誕生」

 


■AD1947年 アーノルド・シュワルツネッガー生誕

 


■AD1948年 沢田研二生誕

 

 

 

 


クウォスの歴史(ヴァナラシ)

◆ヴァナラシ(ウラヌス)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「天空神ウラヌス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したアルキュオネウスは、オーストラリアに「ウラヌス」を生んだ。ウラヌスの名の由来はアルキュオネウスである。アルキュオネウス=アルネウス=ウラヌスとなる。ウラヌスはガイアの息子とされているが、ガイア、ウラヌス、共にアルキュオネウスの分身である。

 


■30万年前 「事代主神誕生」

 

ウラヌスは獣人コットスと連合、ギリシアに向かう前にインドから日本に移住した。彼らは、ティアマトの国ヤマトに入植して「事代主神」を祀った。コトシロヌシの名の由来はコットス、ウラヌスの組み合わせである。コットス+ウラヌス=コットスラヌス=コトシロヌシとなる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ヴァナラシ誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加しなかったクウォスのウラヌスは、ガンジス流域に入植した。彼らは、ウラヌスと差別化するため、自らを「ヴァナラシ」と呼んだ。ヴァラナシの「ナ」と「ラ」の位置を変えてヴァナラシとしている。

 


■7万年前 「ブヌン族誕生」

 

ガンジス流域でカアングと知り合ったヴァナラシは、彼らと共に台湾に入植した。彼らは現地人と混合して「ブヌン」を成した。ブヌンの名の由来はパニとアヌの組み合わせである。パニ+アヌ=パニアン=ブヌンとなる。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ペルセポネ誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したブヌン族は、ブリテン島南部に入植し、獣人ペルセウスと連合して「ペルセポネ」を生んだ。ペルセポネの名の由来はペルセウスとブヌンの組み合わせである。ペルセウス+ブヌン=ペルセブヌン=ペリセポネとなる。

 


■1万5千年前 「日子番能邇邇芸命誕生」

 

台湾に入植したエノクは、ピュグマエイと共にインドから来たヴァナラシ族と連合して「日子番能邇邇芸命」を誕生させた。ヒコホノニニギの名の由来はピュグマエイ(コロボックルの祖)、ヴァナラシとエノクの組み合わせである。ピュグマエイ+ヴァナラシ+エノク=ピュグヴァナ+ネノク=ヒコホノニニギとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万3千年前 「テミスの大航海時代」

 


■1万3千年前 「テリピヌ誕生」

 

「テミスの大航海時代」に参加したペルセポネは、メソポタミアに移住し「テリピヌ」を生んだ。テリピヌの名の由来はデルポイとヴァナラシの組み合わせである。デルポイ+ヴァナラシ=デルヴァナ=テリピヌとなる。テリピヌは、後にアーリア人に参加している。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「至高神アヌ誕生」

 

「台湾人の大航海時代」「垂仁天皇の大移動時代」に参加したブヌン族はメソポタミアに移住した。この時、彼らは「至高神アヌ」を生んだ。アヌの名の由来はヴァナラシである。ヴァナラシ=アナラシ=アヌとなる。アヌは、後にアーリア人に参加している。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「ウンマ誕生」

 

アヌは、ニャメと組んでメソポタミアにシュメール都市国家「ウンマ」を築いた。ウンマの名の由来はアヌトニャメの組み合わせである。アヌ+ニャメ=アヌメ=アンメ=ウンマとなる。

 


■BC1200年 アヌ族、パニ族と共にアーリア人に参加

 

ヴァラナシの子孫であるバラーナ族は、祖を同じくするヴァナラシの子孫であるアヌ族、パニ族と共にアーリア人の軍団に参加した。

 


■BC1027年 「十王戦争」

 


■BC1027年 「パルニ人誕生」

 

「十王戦争」の後、アヌ族、パニ族と共にイランにやって来たバラーナ族は、現地人と混合して「パルニ人」を誕生させた。パルニの名の由来はバラーナである。バラーナ=バラニ=パルニとなる。

 


■BC330年 「ペルシア人の大移動時代」

 


■BC330年 「匈奴誕生」

 

ペルシア帝国が滅亡すると、アヌ族、パニ族はタタール人と共にモンゴルに移住した。アヌ族、パニ族は連合し、羌族と合体し「匈奴(キョンヌ)」を結成した。キョンヌの名の由来は、羌(キャン)とアヌの組み合わせである。キャン+アヌ=キャンヌ(匈奴)となる。

 


■AD124年 「奈良誕生」「和珥氏誕生」

 

匈奴が滅び、アラン人(アーリア人)が西方に移住すると、アヌ族はモンゴルを離れて日本に入植した。アヌ族は、現地人と混合して「和珥氏」を生み、拠点を「奈良」と命名した。奈良、和珥の名の由来はヴァナラシである。ヴァナラシ=ワナラシ=ワニ(和珥)、ヴァナラシ=ナラ=奈良なる。

 


■AD124年 「橘氏(前身)誕生」

 

匈奴が滅び、アラン人(アーリア人)が西方に移住すると、パニ族はモンゴルを離れて日本に入植した。日本に上陸したパニ族は、現地人と混合して「橘氏」を生んだ。橘の名の由来はタタールとヴァナラシの組み合わせである。タタール+ヴァナラシ=タタヴァナ=橘となる。タタールの名を組みあわせたのは、彼らがモンゴルから来た証である。

 


■AD6世紀 「小野氏誕生」

 

和珥氏は、春日山山麓に移住し「小野氏」を生んだ。小野の名の由来はアヌである。アヌ=アノ=小野となる。

 


■AD602年 小野妹子、遣隋使に参加

 

小野妹子は、インドシナ半島に移住し「ハリプンチャイ王国」の礎を築く。

 


■AD661年 「ハリプンチャイ王国誕生」

 

インドシナ半島に集った小野妹子(遣唐使)、フラニ族(イスラム教伝来)、趙氏(南越国)は、合同で「ハリプンチャイ王国」を築いた。ハリプンチャイの名の由来はヴァラナシ(フラニ族)、ヴァナラシ(小野氏)、ゼウス(趙氏)の組み合わせである。ヴァラナシ+ヴァナラシ+ゼウス=ヴァラヴァンゼウ=ハラパンジェウ=ハリプンチャイとなる。ハリプンの部分は、ブルボンの名の由来と同じである。

 


■AD69?年 橘諸兄生誕 「橘氏誕生」

 


■AD721年 橘奈良麻呂生誕

 


■AD782年 橘逸勢生誕

 


■AD842年 「橘氏の大航海時代」

 


■AD842年 「ニョロ帝国誕生」

 

「承和の変」により、橘逸勢は伊豆に流される途上、三ヶ日辺りで船で逃亡すると、AD713年、律令制により、丹波国が丹後国と但馬国に分割されたのを機に、海外逃亡を考えていた丹波氏はこれに参加した。丹波氏は、橘逸勢の残党と共に日本を後にしてアフリカ大陸に向かった。
一行はナイル河を遡って湖水地方に進出し、「ニョロ帝国」を建てた。ニョロは「ブニョロ」とも呼ばれたが、ヴァナラシが由来である。ヴァナラシ=ヴァニョロシ=ブニョロ=ニョロとなる。また、900年頃にニョロ帝国に「テンブジ朝」が開かれた。この、テンブジの名の由来は丹波氏である。丹波氏=タンバジ=テンブジとなる。

 


■AD922年 橘恒平生誕

 

橘恒平を最後に橘氏の流れは止まるが、橘恒平の残党は「ニョロ帝国」に向かったものと考えられる。

 


■AD11世紀 「猪俣氏誕生」

 

「猪俣氏」の名の由来は、ヴァナラシと小俣の組み合わせである。プラティハーラ朝が滅ぶと、プラティハーラ王家は北インドから日本に移住した。彼らは、マタラム王国を喪失した小俣氏(山田氏)と組んで「猪俣」の名を形成した。ヴァナラシ+小俣=アナ+俣=猪俣となる。猪俣氏は武士団「猪俣党」を結成している。

 


■AD13世紀 「ニョロ帝国の大航海時代」

 


■AD13世紀 「立花氏誕生」

 

AD1200年代末期、つまり、チュエジ朝が開かれた頃、ニョロ帝国の橘氏は百地氏の後裔モシ族(マサイ)を率いて湖水地方を離れ、日本に帰還している。アフリカ人の顔をした橘氏は、大友氏に接近し、自身の系統を打ち立てた。この時に誕生したのが「立花氏」の祖、大友貞戴。後の立花貞戴である。肖像画を見ると、立花氏の顔は非常に黒い。これは、彼らがアフリカ人の血を引いていた証だ。一方、マサイ族は、有名な伊賀忍者「百地丹波」を輩出した。忍者の世界に、身体能力が高いアフリカ人の血が導入されると、忍者の世界はにわかに活気付いた。

 


■AD13世紀 「ブルボン家誕生」

 

AD1292年、タイに建てられたハリプンチャイ王国が滅ぶと、彼らはインドシナ半島を離れ、ヨーロッパに移住した。彼らは、ヨーロッパに「ブルボン家」を生んだ。ブルボンの名の由来はハリプンチャイの名の由来と同じく、ヴァラナシ(フラニ族)とヴァナラシ(小野氏)の組み合わせである。ヴァラナシ+ヴァナラシ=ヴァラヴァナ=ブルボンとなる。

 


■AD1475年 ミケランジェロ・ブオナローティ生誕

 

レオナルド・ダ・ビンチと共に「ルネッサンス」の時代を牽引し、彫刻と天井画に多くの傑作を残した。

 


■AD1513年 立花道雪生誕

 


■AD1594年 アンリ4世、ブルボン朝初代フランス国王に即位 「ブルボン朝誕生」

 

ブルボン朝は、聖公会(ポルトガル・クリュニー会)が掌握した大英帝国の侵略軍から世界を救うため、世界に進出し、大英帝国が現れるところに出現した。イロコイ連邦(アメリカ・カナダ)、ベンガル(インド)などで原住民を軍事的に援助した。もっとも、ベンガルは先祖の故地ヴァラナシを含んでいるため、特に支援を惜しまなかった。また、彼らはもともとハリプンチャイ王国の子孫で、インドシナ半島の出身のため、インドシナ半島の支配にこだわった。
一方、ブルボン家は、病気がちな男系が続いたことで知られ、近親相姦が原因などという風評に苦しんだ。だが、これはフランス・クリュニー会による優れたブルボン家に対する攻撃であった。これは、ハプスブルグ家でも同様であったが。クリュニー会は、クリュニー会に属する医者に命じ、ブルボン家代々の男系メンバーに一服盛り、弱体化、ゆくゆくはブルボン家の滅亡を謀っていた。

 


■AD1793年 ルイ16世、処刑 「フランス革命」

 

タナトスのキリスト教ドミニコ会が指揮したフランス革命により、ルイ16世は理不尽にも処刑された。淘汰されるべきできそこないが、数で圧倒することで優れた者に勝利した瞬間である。できそこないの勝利は、人類にとって、果てしない悲劇である。

 


■AD1814年 ルイ18世、フランス王に即位 「王政復古」

 

聖公会、フランス・クリュニー会、ドミニコ会の連合が皇帝ナポレオンを失脚させると、フランス・クリュニー会がルイ18世を即位させ、王政復古を実現した。だがこの時、既にルイ18世に決定権は無く、ハノーヴァ朝と聖公会の関係のように、隠れているクリュニー会のための「顔」を司る役割しかなかった。AD1852年、ナポレオン3世の皇帝即位を機に、ブルボン家は再び王座を去った。ルイ18世は、ヴァナラシの系統と考えられる。

 


■AD1838年 安田善次郎生誕 「安田財閥誕生」

 

AD1795年、「フランス革命」を機に、ブルボン家(ヴァナラシ)の残党は中央アジアに赴いてヤジディーと接触した。ブルボン家は、ヤジディーの祖が日本に移住したことを聞くと、彼らも日本への移住を決意した。この時に「安田氏」が生まれた。安田の名の由来はヤジディーである。ヤジディー=ヤジデ=安田となる。実質、彼らはブルボン家(ヴァナラシ)の血を引いていた。

 


■AD1886年 吉田吉造生誕 「ブルボン製菓誕生」

 

AD1795年、「フランス革命」を機に、ブルボン家(ヴァナラシ)の残党は中央アジアに赴いてヤジディーと接触した。ブルボン家は、ヤジディーの祖が日本に移住したことを聞くと、彼らも日本への移住を決意した。ブルボン家はヤジディーの子孫吉田氏に接触して自身の血統を打ち立てた。この時に、「株式会社ブルボン」の創立者、吉田吉造が誕生した。故地に対する郷愁が、彼を洋菓子作りにまい進させた。

 


■AD1900年 ルイス・ブニュエル生誕

 

ブニュエルの名の由来はヴァナラシである。ヴァナラシ=ヴァニャエルシ=ブニュエルとなる。

 


■AD1933年 ヨーコ・オノ生誕

 

小野の名の由来はアヌである。アヌ=アノ=小野となる。ヴァナラシの子孫であるヨーコ・オノが、ヴァラナシの子孫であるジョン・レノンと出会い、意気投合したのは興味深い出来事である。

 

 

 

 

 

 



読者登録

大本正さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について