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ディンカの歴史

◆テングリ(ディンカ)の歴史

 


■50万年前 「ディンカ誕生」

 

ビクトリア湖沿岸部には巨大ワニが生息しているため、彼らは湖の中心部を生活の拠点としていた。そのため、水生生活に特化していたディンカは、頭部が小さく、手足、指が長いという身体的特徴を得た。これらの身体的変化により、彼らは、水中で大きな推進力を得ることができた。その二次的な結果として、彼らは2m近い身長を手に入れた。

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「マサイ誕生」「ムルング誕生」「ハダメ誕生」「イサック誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したディンカは、現ケニアに「マサイ」、現タンザニアに「ムルング」、現ソマリアに「ハダメ」「イサック」を生んだ。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■40万年前 「タンジール誕生」「サルディニャ誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したディンカは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「タンジール」「サルディニャ島」「シェラネバダ」「メッサニア」「チャンネル諸島」「アルデンヌ」「セーヌ川」などである。残念ながら、サルディニャ島はその後、シェルデン人に簒奪され、タナトスの拠点となっている。
タンジール、サルディニャの名の由来はディンカとシルックの組み合わせ、メッサニア、セーヌの名の由来はマサイとディンカの組み合わせ、ナクソスの名の由来はディンカとゼウスの組み合わせである。ディンカ+シルック=ディンシル=タンジールとなり、シルック+ディンカ=シルディン=サルディニャとなる。マサイ+ディンカ=マサイン=マサイナ=メッサニア=サニア=セーヌとなる。

 


■30万年前 「第2次ディンカの大航海時代」

 


■30万年前 「グレニコス誕生」

 

「ディンカの大航海時代」に参加したディンカがオセアニアに訪れると、ディンカは、キャラ、ムシシと組んで「グレニコス」を生んだ。グレニコスの名の由来はキャラ、ディンカ、ムシシの組み合わせである。キャラ+ディンカ+ムシシ=キャラナコシ=グレニコスとなる。その後、グレニコスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「伊邪那岐誕生」「伊邪那美誕生」

 

葦原中津国を建設したアシアーとグレニコスは、エウリュノメーを迎えて「伊邪那岐」「伊邪那美」の2神を誕生させた。イザナギの名の由来はアシアーとグレニコスの組み合わせであり、イザナミの名の由来はアシアーとエウリュノメーの組み合わせである。アシアー+グレニコス=アシアニコ=イザナギとなり、アシアー+エウリュノメー=アシアノメー=イザナミとなる。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「守護蛇ピュトン誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したディンカは、ペイトーと組み、ナイル流域からエーゲ海へ移った。この時に、彼らは聖地デルポイの守護蛇「ピュトン」を生んだ。ピュトンの名の由来はペイトーとディンカの組み合わせである。ペイトー+ディンカ=ペイディン=ピュトンとなる。頭部が小さく、手足、指が長いディンカは、北極圏に近いエーゲ海に暮らすことで、背の高い金髪・碧眼の白人(北欧人)の祖となった。

 


■30万年前 「ナクソス誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したグレニコスは、エーゲ海に「ナクソス」の名を生んだ。ナクソスの名の由来はディンカとムシシの組み合わせである。ディンカ+ムシシ=ンカシシ=ナクソスとなる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大航海時代」

 


■7万年前 「タウマス誕生」「デイモス誕生」

 

「第1次ウラヌスの大航海時代」の参加者がオーストラリアから地中海に訪れると、ディンカはマサイと組んで「タウマス」「デイモス」「ステンノ」を生んだ。タウマス、デイモス、ステンノの名の由来はディンカとマサイの組み合わせである。ディンカ+マサイ=テイマサ=タウマスとなり、ディンカ+マサイ=テイマサ=デイモスとなり、マサイ+ディンカ=サイディン=サイテンノ=ステンノとなる。「神統記」では、タウマスはポントスとガイアの子、デイモスはアフロディテとアレスの子、ステンノはゴルゴたちとして知られている。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「チン族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したディンカは、ミャンマーに入植し「チン族」を生んだ。チンの名の由来はディンカである。ディンカ=チンカ=チンとなる。

 


■7万年前 「トゥングル族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したムルングはディンカと連合して、インドネシアに「トゥングル族」を生んだ。トゥングルの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=トゥングルとなる。また、ミャンマーに足場を得たトゥングル族は、「カレン族」を生んだ。カレンの名の由来はディンカとムルングの組み合わせであり、ムルングが主導していた。ディンカ+ムルング=カルン=カレンとなる。

 


■7万年前 「ケタガラン族誕生」「クーロン族誕生」

 

台湾に入植したトゥングル族(カレン族)は、単独で「クーロン」を称し、エレクトラと連合して「ケタガラン」を成した。クーロンの名の由来はカレンであり、ケタガランの名の由来はエレクトラとカレンの組み合わせである。カレン=カーレン=クーロンとなり、エレクトラ+カレン=クトカレン=ケタガランとなる。

 


■7万年前 「天界神テングリ誕生」

 

セデック族(台湾)は、意気投合したトゥングル族(カレン族)と共にシベリアに移住した。両者は、ウリゲン、テングリ、エルリクなどの子孫である現地人と交わり「チュクチ」「ディングリング」を形成し、同時に「天界神テングリ」も生まれた。ディングリング、テングリの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=ディングリング=ディングリ=テングリとなる。犬戒(キロン)はカロンの渡し守であり、チュクチ族が住んだ黒龍江はステュクスである。ということで、同盟者である天界神テングリ(ディングリング)も、黒龍江辺りに住んでいた。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「オーディーン誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したペイトーは、古代マヤに入植し、「オーディーン」を生んだ。オーディーンの名の由来はペイトーとディンカの組み合わせである。ペイトー+ディンカ=オーディン=オーディーンとなる。オーディーンは、ヴァルハラ王国を統治した。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「テイ誕生」「東方青龍誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したテングリは、ディンカの故郷である湖水地方に帰還し、テイを生んだ。彼らは、同盟者と共に「東方青龍(チンロン)」を建設した、チンロンの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンルン=チンロンとなる。

 


■2万年前 「最終戦争ラグナロク」

 


■2万年前 「貪狼誕生」「北斗星君誕生」

 

「最終戦争ラグナロク」により、オーディーンがヴァルハラから現ベナン辺りに入植し、青龍(湖水地方)のディンカと組んで「北斗星君(ペイトーキンジュン)」を建設した。ディンカは、「貪狼(タンラン)」を生んだ。タンランの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンルン=タンロンとなる。テングリは、この時にテーバイ王国のトバルカインと接触を持ち、交流した。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「テングリの大移動時代」

 


■1万3千年前 「六十元辰誕生」「長江誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したテングリは、大地殻変動を機に、アフリカ湖水地方から長江流域に逃げてきた。彼らは、メラネシアから逃げてきた人々と連合して60もの神々を生んだ。「六十元辰」と呼ばれた彼らは「元辰(ユェンチェン)」を築いた。元辰(ユェンチェン)の名の由来は長江(チャンジャン)であり、長江(チャンジャン)の名の由来は丁零(ディングリング)とジェンギの組み合わせである。ディングリング+ジェンギ=ディンジェン=チャンジャン=ヤンジャン=ユェンチェンとなる。

 


■1万3千年前 「チェケル人(前身)誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したテングリは、長江から瀬戸内海に移住した。この時に、テングリはチュクチと組んで「チェケル人」を生んだ。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千年 「アヌンナキの大航海時代」

 


■BC7千年 「ユングリング(前身)誕生」

 

「アヌンナキの大航海時代」に参加したディンカは、スカンジナビアに移住し「ユングリング(前身)」を生んだ。ユングリングの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングリング=ユングリングとなる。8千年後、ユングリング家がノルウェー王、スウェーデン王としてスカンジナビア半島に返り咲いている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレスの戦い」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「洞庭湖誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したディンカは、故地であるビクトリア湖に帰還し、「洞庭(ドンティン)」と命名した。ドンティンの名の由来はディンカとテングリの組み合わせである。ディンカ+テングリ=ディンテン=ドンティン(洞庭)となる。その後、ディンカがモンゴルに帰還すると、「洞庭」の名前が中国に伝えられた。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「チェケル人誕生」

 

無法なシェルデン人は、地中海を我がもの顔で荒らしていた。これを懸念した科学の種族は、だが、これ以上核兵器を使用したくなかったため、タガログ族(チェケル人)にシェルデン人退治を依頼した。「海の民の大航海時代」を指揮したタガログ族は、太平洋、マヤ、アイルランドを経て地中海に進出した。タガログ族は、地中海では「チェケル人」と呼ばれた。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「アーンギラサ誕生」

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加したシェクレシュ人は、ガンジス流域に入植した。シェクレシュ人は、カアングと連合し「アーンギラサ」を称した。アーンギラサの名の由来はカアングとシェクレシュの組み合わせである。カアング+シェクレシュ=アンクレシュ=アーンギラサとなる。アーンギラサ族は、マハーバーラタ、リグ・ヴェーダなど、「ヴェーダ神話」の編纂を手がけた。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

「海の民」の時代が終焉を迎えると、シェクレシュ人はクレタ島を離れた。彼らは、チュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルとマルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「テイ族誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、ガンジス流域に入植した。その後、チベットに移住し、「テイ族(ディ)」を生んだ。ディの名の由来はディンカである。ディンカ=ディ(テイ族)となる。

 


■BC2世紀 「丁零誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、黒龍江に入植し、その後、モンゴルに移住した。彼らは、「丁零(ディングリング)」を生んだ。丁零(ディングリング)の名の由来は、テングリと同じくディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=ディングリングとなる。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動」

 


■AD531年 「ドンゴラ誕生」

 

「マクリア人の大移動」に参加した丁零は、安閑天皇が築いたマクリア王国の首都として「ドンゴラ」を建設した。ドンゴラの名の由来はディングリングである。ディングリング=ディングロ=ドンゴラとなる。

 


■AD641年 「ドンゴ誕生」

 

イスラム教徒がヌビアに侵入しはじめると、一部「ドンゴラ」の丁零は、ヌビア脱出時に、マクリア人とアルワ人の中央アジア行きには同行せず、単身モンゴルに帰還し、満州に移住して女真族に参加した。ヌビア人の顔をした彼らは。現地人と混合して「ドンゴ」を生んだ。ドンゴの名の由来はドンゴラである。

 


■AD641年 「ユングリング家誕生」

 

イスラム教徒がヌビアに侵入しはじめると、「ドンゴラ」の丁零は、アルワ王国の人々と共にスカンジナビア半島に移住した。この時に「ユングリング家」が生まれた。ユングリングの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングリング=ユングリングとなる。

 


■AD7世紀 「タングート誕生」

 

テイ族は、「ディンカの人」を意味する「タングート」を生んだ。ディンカト=ディンカート=タングートとなる。タングートは、テイ族と同じく、チベット付近を根城にしていた。

 


■AD872年 ハーラル1世、ノルウェー初代国王に即位 「ノルウェー王国誕生」

 


■AD985年 エリク6世、スウェーデン国王に即位 「スウェーデン王国誕生」

 

ユングリング朝は、祖を同じくするステンキル朝の王、ステンキルがスウェーデン王に即位するAD1060年まで存続した。

 


■AD1015年 オーラフ2世、ノルウェー国王に即位

 


■AD1035年 マグヌス1世、ノルウェー国王に即位

 


■AD1060年 「中島氏誕生」「長島氏誕生」「長瀬氏誕生」

 

ユングリング家は、スウェーデン王位を失うと、日本に入植した。彼らは「中島」「長島」「永島」「永瀬」「長瀬」などの名を儲けた。3つの名の由来は「ナクソス島」である。ナクソスの島=ナカ+島=長島、中島、永島となり、ナクソス=ナクソ=永瀬、長瀬となる。

 


■AD1287年 「タウングー朝誕生」

 

AD1277年、フビライのビルマ侵攻に従軍したタングートは、ビルマに根付いて「タウングー朝」を開いた。タウングーの名の由来はタングートである。タングート=タウングート=タウングーとなる。当初、タングートはパガン朝治世下のビルマで村を築いていた。しかし、首都パガンが陥落し、シャン族が王朝を乱立すると各地で発生した大量の難民が村に流入した。これを機に、ティンカバーが初代王に即位し、AD1347年に「タウングー朝」を開いた。
AD1551年に即位したバインナウンはモン族、シャン族を制圧してミャンマーの大半を掌握した。AD1548年、第一次緬泰戦争ではアユタヤ朝に侵攻し、AD1558年にラーンナー王国を占領し、第二次緬泰戦争、第三次緬泰戦争ではアユタヤを属国化した。その後、ペグー朝や明と交戦するが、AD1752年に滅びている。

 


■AD1630年 「トンガ族誕生」

 

デンケなどの人々は、狼男としてヨーロッパで忌み嫌われ、魔女狩りを機に、フランスを逃れてジンバブエにまで落ち延びた。ヨーロッパ人の顔をした彼らは現地人と混合して「トンガ」を称した。トンガの名の由来はタングートである。タングート=タンガ=トンガとなる。トンガ人はジンバブエからマラウィ、ザンビアにまで拡大した。後に、兄弟であるタウングー朝の残党がジンバブエを訪れると、彼らは連合し、中央アフリカに進出して「豹の部族」などを形成し、カニバリズムによってアフリカを汚染していく。

 


■AD1767年 「トンブリー朝誕生」

 

AD1758年、清によるジュンガル部大虐殺が起きると、女真族のドンゴはタイに移住した。その後、AD1767年に武将ピヤ・タークシンが「トンブリー朝」を開いた。トンブリーの名の由来はテングリである。テングリ=テンブリ=トンブリーとなる。ハ行がカ行を兼ねる法則が採用されている。トンブリー朝は、すぐに「チャックリー朝」にとって変えられている。

 


■AD1794年 「マフディー国家誕生」

 

AD1767年に武将ピヤ・タークシンが「トンブリー朝」を開いたが、すぐに暗殺されてしまった。その後、残党はタイを脱出してヌビアに帰還した。ドンゴラに生まれたドンゴの子孫ムハンマド・アフマドは、自らを「マフディー」と呼び習わし、軍勢を率いてエジプト軍を壊滅させ、大英帝国軍を退けて、AD1885年に「マフディー国家」をスーダンに打ち建てた。

 


■AD1904年 鄧小平生誕

 

鄧(デング)の名の由来はテングリである。テングリ=デングリ=デング(鄧)となる。

 


■AD1938年 庭野日敬、長沼佼成と共に立教 「立正佼成会誕生」

 

彼らは、AD1930年の中国共産党の長征を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。教祖、庭野日敬の名の由来は「丹羽」だと考えられるが、信仰指導を担当した長沼妙校の姓「長沼」の由来は、イザナギとイザナミの組み合わせである。イザナギ+イザナミ=ナギナミ=長沼となる。
また、長沼妙校の「妙校」の名の由来は白山修験の明峰「妙高山」である。つまり、立正佼成会の基盤は白山修験によって形成された。この、庭野日敬、長沼妙校の先祖を含む白山修験の修験者集団は、AD1868年の「北越戦争」を機に日本を脱出して一時的に清治世下の中国に渡っていた。

 


■AD1934年 中島貞夫生誕

 


■AD1936年 長嶋茂雄生誕

 


■AD1937年 永島慎二生誕

 


■AD1945年 テイン・セイン生誕

 

テイン・セインは、ミャンマー連邦共和国第8代大統領に就任した。テインの名の由来は、タウングートだと考えられる。タウングート=タウン=テインとなる。つまり、テイ族がビルマ人の祖というのは当たっている。

 


■AD1952年 中島みゆき生誕

 


■AD1953年 テレサ・テン生誕

 


■AD1966年 永瀬正敏生誕

 

 

 

 

◆ガリア(チェケル)の歴史

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「チェケル人誕生」

 

無法なシェルデン人は、地中海を我がもの顔で荒らしていた。これを懸念した科学の種族は、だが、これ以上核兵器を使用したくなかったため、イスラエル王国時代に知り合ったタガログ族にシェルデン人退治を依頼した。「海の民の大航海時代」を指揮したタガログ族は、太平洋、マヤ、アイルランドを経て地中海に進出した。タガログ族は、地中海では「チェケル人」と呼ばれた。チェケルの名の由来は、タガログの由来と同じく、チュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュグリ=チェケルとなる。

 


■BC19世紀 「オルメカ文明誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したチェケル人の一部は、中米通過の際、マヤに残留している。彼らが築いた文明は、「オルメカ文明」として知られている。中でも、巨石で造られた巨大な黒人の頭部が有名だ。ただ、あの顔は黒人の顔ではなく、ルソン島に住んでいたチェケル人、つまり、タガログ族(フィリピン人)の顔である。海の民の脅威に曝されたラムセス2世の時代に製作されたレリーフがあるが、このレリーフにはチェケル人の姿が刻まれている。このレリーフに刻まれたチェケル人の顔も黒人に見えるが、じつはフィリピン人の顔である。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

フィリピン人の顔をしたチェケル人、ポリネシア人の顔をしたマルドゥクは連合してチュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルとマルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ガリア誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、ビュブロス人、ダン族と共にライン河畔に上陸する。この時、カルタゴ人は2つに分離して、それぞれが「ガリア」「ダキア」を称した。ガリアの名の由来はカルタゴである。カルタゴ=カリャタゴ=ガリアとなる。

 


■BC7世紀 「カレドニア誕生」

 

ガリア人は、ダン族と組んで「カレドニア」を結成し、ガリアからスコットランドに移った。カレドニアの名の由来はガリアとダンの組み合わせである。ガリア+ダン=ガレダンニア=カレドニアとなる。

 


■BC7世紀 「ケルト人誕生」

 

しかし、人喰い人種であるダン族を嫌悪したガリア人は早々にカレドニアを解散し、ガリアに帰還して「ケルト人」を称した。ケルトの名の由来はカレドニアである。カレドニア=ケルトニア=ケルトとなる。

 


■BC390年 「ウェル・サクレム」

 

クロノスとタナトスの連合体であるドルイド僧による「一向一揆」の原型がこれである。「数で優れた者を圧倒する」という戦法が、古代ローマ相手に実施されていたのだ。多数の愚か者を指揮して少数の優れた者を数で圧倒する。これは、確かに賢い方法ではあるが、優れた者が多数である時、この方法は機能しない。ドルイド教が指揮した「ウェル・サクレム」は、それを教えてくれる。ローマには優れた兵士が大勢いたのだ。この時、ドルイド教は、強い敵と戦う前には、強い者たちを弱体化しなければならない、ということを学んだ(そして、その研究と実践は、中世ヨーロッパ、アメリカ合衆国、日本で発揮されることになる)。

 


■BC335年 「アレキサンダー大王暗殺」

 

BC335年、ドルイド僧の指揮下にあったガリア人は、ドナウ川とモラヴァ川の合流地点で、かのアレキサンダー大王と会見している。強い者と初めて対面する時、いい顔をして必ず下手に出る彼らは、大王に忠誠を示す品々を贈った。アレキサンダー大王は、自身の名声がガリアにまで轟いていることを期待して「おまえたちが一番恐ろしいと思う人物は誰だ?」と問うた。これに対し、ガリア人は「自分たちに怖いものは何もない」と答えた。この時、感銘を受けたアレキサンダー大王はガリア人を友と呼び、同盟を築こうとした。だが、大王は後にこの発言を撤回し「あいつらはただのホラ吹きだ」と一蹴し、ガリア人を追放している。この報復としてドルイド僧はアレキサンダーを暗殺した。これにより、マケドニア帝国という障害が除去されたガリア軍は、バルカン半島になだれ込んだ。

 


■BC279年 「ガラティア王国誕生」

 

BC279年、ついにガリア人は聖地デルポイを蹂躙し、略奪の限りを尽くした。だが、聖地デルポイを治めていたディオニュソス密儀と対立することになる。ディオニュソス密儀のダルダニア人は、ドルイド教とは「神託」を学んだ師と弟子の間柄であった。だが、彼らは、ガリア人の侵攻をドルイド教の裏切りと判断し、「アポロンの呪い」とウソぶいて、ガリア人の指揮官を暗殺した。ドルイド僧は、これを単なるウソと見抜いたが、何も知らないガリア人兵士は恐れおののき、軍団は周囲に四散した。後に、人喰い人種を嫌っていた正統なケルト人は、ドルイド僧から逃れるようにアナトリア半島に落ち延び、独自に「ガラティア王国」を建てた。ガラティアの名の由来はケルトである。ケルト=ゲルティア=ガラティアとなる。

 


■AD534年 「ヴァンダル人の大航海時代」

 


■AD534年 「ノヴゴロド誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したケルト人は、バルト海に入植し、ノヴゴロドを築いた。その後、「ノヴゴロド公国」が建設された。ノヴゴロドの名の由来は「ヌオヴォ・ケルト(新しいケルト)」である。ヌオヴォケルト=ノヴォゲルド=ノヴゴロドとなる。

 


■AD534年 「黒田氏誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したケルト人は、日本に上陸し、現地人と混合して「黒田氏」を生み、マルコマンニ人は「丸子氏」を生んだ。黒田の名の由来はケルトである。ケルト=ケルド=黒田となる。

 


■AD534年 「ケレイト誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したケルト人は、更に、日本からモンゴルに渡った。ケルト人とマルコマンニ人は、現地人と混合して「ケレイト」「メルキト」を形成した。ケレイトの名の由来はケルトであり、メルキトの名の由来はマルコマンニの人である。ケルト=ケルイト=ケレイトとなり、マルコマンニの人(ト)=マルコト=マルキトとなる。

 


■AD1219年 「シュレイダー誕生」

 

チンギス・ハーンの征西に同行し、「ワールシュタットの戦い」に参加したケレイトは、ドイツに入植して「シュレイダー」「シュレイター」「ブットゲライト」などの名を残した、

 


この系統からは、戦国武将として知られる黒田如水、黒田長政が輩出されている。

 


■AD1940年 テリー・ギリアム生誕 「モンティ・パイソン誕生」

 

ギリアムの名の由来はガリアである。ガリア=ガリアン=ギリアムとなる。

 


■AD1942年 ポール・マッカートニー生誕 「ビートルズ誕生」

 

マッカートニーの名の由来はマックとカレドニアの組み合わせである。マック+カレドニア=マッカレドニア=マッカートニーとなる。

 


■AD1943年 レナード・シュレイダー生誕

 

ケレイト=シェレイト=シュレイダーとなる。

 


■AD1945年 ヴェルナー・シュレーター生誕

 

ケレイト=シェレイト=シュレイダー=シュレーターとなる。

 


■AD1946年 ポール・シュレイダー生誕

 


■AD1963年 ユルグ・ブットゲライト生誕

 

 

 

 

◆天狗(ディンカ)の歴史

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「東胡誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴは、モンゴルに移住し、「東胡(トングー)」を築いた。トングの名の由来はテングリである。テングリ=テングー=トングー(東胡)となる。

 


■BC2世紀 「修験道誕生」

 

匈奴が勢力を拡大すると、東胡は瀬戸内海に移住した。この時、彼らはチュクチと組み、「修験道」を生んだ。修験道の名の由来はチュクチとディンカの組み合わせである。チュクチ+ディンカ+道=チュクイン+道=修験道(しゅげんどう)となる。

 


■BC2世紀 「天狗誕生」

 

日本中に分布した修験道の拠点に住んだディンカは「天狗」を称した。天狗の名の由来はテングリである。テングリ=テング=天狗となる。初代テーバイ王国時代に、科学の種族トバルカインと交流があった彼らは、山岳部に暮らしながら、最先端の科学力を取り入れた生活をしていた。天狗は、仏教の僧侶を敵視し、「神隠し」として、仏教信者の有力者の子息を連れ出し、自分たちの力を見せ付けた。目的は、仏教僧侶の驕り、思い上がりの払拭である。天狗たちは、仏教が人類の頂点ではないこと、仏教を遥かに上回る力が存在することを教えた。
しかし、狡猾な大谷は「神隠し」を利用した。大谷は、殺したい敵を拉致し、人知れず惨殺して遺体が目立つようにばらまいた。これにより、見せしめとして敵を威嚇した。また、天狗の脅威から保護してもらうためと称して、仏教に帰依した農民も大勢いただろう。大谷は、都合の悪いこと、悪事は全て天狗のせいにした。つまり、一口に「神隠し」と言っても、真相には2通りあるわけだ。

 


■AD681年 「真言宗室生寺派誕生」

 

役小角の創建、空海が再興したと伝えられている。真言密教。

 


■AD7世紀 「金峯山修験本宗誕生」

 

金峯山は、古来から山岳信仰の霊山であり、役小角が1000日の苦行の果てに金剛蔵王権現を感得したのが「金峯山修験本宗」の始まりである。天台密教。

 


■AD7世紀 「修験道誕生」

 

役小角が伊豆に流罪となった時、熊野から吉備の児島に移住した五大弟子のひとり義学が開祖である。天台密教。

 


■AD8世紀 「愛宕太郎坊誕生」

 

太郎坊は、八天狗の中で最もよく知られている。愛宕山は、京都を取り囲む山の中では最も高く、天狗の山として有名である。

 


■AD8世紀 「鞍馬山僧正坊誕生」

 


■AD8世紀 「比良山次郎坊誕生」

 

西の愛宕の大天狗太郎坊に対する大天狗が次郎坊だという。

 


■AD8世紀 「飯綱三郎誕生」

 


■AD8世紀 「大山伯耆坊誕生」

 

伯耆坊が棲む相模山の頂上には、大天狗祠があり、相当古い時代から祀られていたという。

 


■AD8世紀 「彦山豊前坊誕生」

 

豊前坊は、九州天狗の元締めといわれている。

 


■AD8世紀 「大峯前鬼坊誕生」

 

前鬼坊は、愛宕山の太郎坊よりも、古くから名前が知られているという。

 


■AD8世紀 「白峯相模坊誕生」

 

讃岐松山山塊の主峰で、相模坊は、崩御した祟得院を慰めていたという。

 


■AD8世紀 「羽黒山三光坊誕生」

 

三光坊は、出羽三山に棲む多くの天狗を統率する大天狗だった。

 


■AD8世紀 「秋葉山三尺坊誕生」

 

戸隠で修行し、越後の修験道場三尺坊で荒行をし、生身のまま天狗と化したという。

 


■AD8世紀 「象頭山金剛坊誕生」

 

松雄寺金光院の院主実盛上人が山上で霊感に触れて天狗と化したという。

 


■AD8世紀 「富士太郎誕生」

 

富士に君臨し、役行者を支援したといわれている。

 


■AD8世紀 「鞍馬山魔王尊誕生」

 

有名な八天狗の一人で、牛若丸に武術を指南したとされている。

 


■AD8世紀 「加波山石切大神誕生」

 

加波山は、寅吉に、筑波山の中で最も天狗が多いといわれた。石切はイエス・キリストを意味する。

 


■AD8世紀 「道了薩タ誕生」

 

大雄山最上寺の開祖の弟子で、山を守護しようと請願を立てると虚空に舞い上がりその姿をけしたという。

 


■AD8世紀 「水天狗円光坊誕生」

 

水天狗と呼ばれたのは円光坊だけだという。

 


■AD8世紀 「奥山半僧坊誕生」

 

遠州奥山の方廣寺の開祖は半僧坊と呼ばれていたが、天狗だったといわれている。

 


■AD8世紀 「比叡山法性坊誕生」

 

法性坊は、比叡山第13座主が、尸解してなったとされている。

 


■AD8世紀 「白峯大僧正誕生」

 

白峯大僧正は、大天狗として白山全体を支配していた。

 


■AD8世紀 「御嶽山六尺坊誕生」

 

六尺坊は、富士山よりも登山が困難な御獄を統括していた。

 


■AD8世紀 「黒眷属金毘羅坊誕生」

 

金毘羅坊は、四国象頭山で、金刀比羅宮の信者を守護し、参拝者の道中安全の役目を請け負っている。

 


■AD8世紀 「石槌山法起坊誕生」

 

法起坊は、西日本随一の高峰、石鎚山で、大小数万の天狗を統率していた。

 


■AD8世紀 「高野山高林坊誕生」

 

高林坊は、空海が金剛峰寺を建てる以前から高野山の地主神で、護法の天狗を統率していた。

 


■AD8世紀 桃太郎、鬼退治

 

黒人ダン族は、ナイジェリアを発ち、故国ダナーンを目指して東南アジアを訪れ、アンダマン諸島(ジャラワ族)、スラウェシ島、ミンダナオ島、台湾(サアロア族)に拠点を得ていた。黒人ダン族は、それらの島を出撃し、日本にまで足を伸ばして盗賊行為を行い、奈良時代、平安時代の子女を拉致して食べていた。これに対し、得体の知れない盗賊集団に縄張りを荒らされたと感じた百地氏は、腕利きの山伏、修験者を集め、キジを食糧として船に積み込み、台湾、ミンダナオ島、スラウェシ島、アンダマン諸島にまで行脚し、人喰い人種の黒人ダン族を成敗した。
これは百地氏による鬼退治であった。つまり、昔話「桃太郎」の原話である。桃太郎(百地氏)、犬(天狗=山伏)、猿(猿田彦の子孫=修験者)、キジ(遠征の際の食糧)、キビ団子(吉備国、丹後国)、鬼(黒人ダン族)ということになる。後山の修験者は吉備国を、比叡山の修験者は丹後国を出発したが、「吉備丹後」が変遷を重ねて「キビ団子」となった。或いは、鬼退治に参加した修験者に対する報奨として吉備国、丹後国が与えられる約束があったのかもしれない。

 


■AD1090年 「本山修験宗誕生」

 

総本山聖護院は役小角を開祖とし、円珍が開基とされている。天台密教。

 


■AD16世紀 「羽黒山修験本宗誕生」

 

出羽三山修験道の中心地で、16世紀には2500坊を数えるほど隆盛を極めた。天台密教。

 


■AD1602年 犬の早太郎、アステカの大谷を皆殺しに

 

ところで、見付天神の人身御供は、いつ終焉を迎えたのだろうか?見付天神の伝説によると、生贄を求めた猿神は信濃に住む「犬の早太郎」に成敗されたとされている。犬が出てきた時点で一般人の発想は分断され、「へえ、すごい犬だな」としか言えないだろう。しかし、名前を知れば大方の謎は解ける。ずばり、この犬の早太郎は、修験者であったと考えられる。「犬」とは天狗のことを指しているのは間違いがない。そして、天狗は山伏、修験者の別名である。ということで、犬の早太郎の正体は、戸隠山修験、或いは秋葉山修験に属する優れた修験者である。もちろん、早太郎は個人ではなく、集団でやってきただろう。つまり、早太郎は修験者集団の首領だった可能性が高い。
修験者の早太郎に皆殺しにされた大谷は、遠江国を脱出し、命からがら兄弟が住む京都にまで逃げ延びた。彼ら、アステカ帰りの大谷は、日本に残留して本願寺を営んでいた大谷に接触し、自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが准如である。時折りしも、顕如が織田信長相手に一向一揆を仕掛けていた真っ最中である。だが、アステカ組の准如は、本願寺組の教如と対立し、本願寺は西本願寺と東本願寺に分離する。日本に残留した大谷は「東本願寺」を称し、アステカ組は「西本願寺」を称した。
ここで、最初の問いに戻りたい。見付天神の人身御供が終焉を迎えたのはいつか?それは、准如が生まれたAD1577年よりも数年前と推定される。つまり、見付天神の生贄の儀式は、AD1520年代から約50年ほど続いたのだ。人喰い人種である大谷は顔が醜い。そのため、彼らは良い顔を求めて器量良しの娘をさらい、子供を生ませた。顔が良ければ第一印象が改善される。「初対面で悪人に見えない」、これは悪党にとっての命題である。現在、磐田市近辺にはその時の生贄の娘の子孫がインフラ全般に渡ってごろごろしている。

 

 

 

 

◆アングル人(ガリア)の歴史

 


■BC6世紀 「フィン人の大航海時代」

 


■BC6世紀 「アンカラ誕生」

 

「フィン人の大航海時代」に参加したカレドニア人(ガリア人)は、オビ河流域に足を止め、そこから南下してコラズムに移住した。その後、南下した彼らはアナトリア半島に上陸して「アンカラ」を得た。アンカラの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングリ=アンカラとなる。

 


■BC334年 「アングル人誕生」

 

BC2世紀、エンゲル人はユトランド半島の付け根に「アンゲルン半島」を得た。アンゲルンの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングルン=アングルンとなる。また、彼らは「アングル人」を称した。アングルの名の由来はエンゲルである。エンゲル=アンゲル=アングルとなる。

 


■AD5世紀 「イースト・アングリア王国誕生」

 

アングル人、ジュート人、サクソン人がユトランド半島からブリテン島に移動する。アングル人は「イースト・アングリア王国」を建てた。

 


■AD520年 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD520年 「アンコール人誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したアングル人は、乞伏部(カーン王家)はカウィール家(クール人)、ベリーズ人と共にブリテン島を目指した。一方、賀茂氏はアングル人を連れてカンボジアを目指した。賀茂氏は、アングル人と共にカンボジアに入植し、両者は現地人と混合して「クメール人(ゴメル)」「アンコール人(アングル)」となった。

 


■AD520年 「タルマヌガラ王国誕生」

 

カンボジアに拠点を得たクメール人、アンコール人だが、アンコール人がジャワ島に移住した。彼らはジャワ島初の王国「タルマヌガラ」を建てた。タルマヌガラの名の由来は「ダルマチア」と「アンコール」の組み合わせである。ダルマチア+アンコール=タリマンコール=タルマヌガラとなる。この後、ドルヒユ族はジャワ島を離れて中国に渡り、「達磨」を称した。

 


■AD8世紀 「ステンキル家誕生」

 

アングル人はマーシア王国の領域に進出して「ミドル・アングリア」も建設したが、マーシア王国編入を機に、一部ジュート人と共にブリテン島を離れ、バルト海に移住した。彼らは「ステンキル家」を称した。ステンキルの名の由来はサエテとアングルの組み合わせである。サエテ+アングル=サエテングル=ステンキルとなる。

 


■AD8世紀 「カンディアーノ家誕生」

 

「マーシア王国」に服属したことを機に、ケント人はアングル人と共にヴェネツイア共和国に渡り、連合して「カンディアーノ」を称した。カンディアーノの名の由来はケントとアングルの組み合わせである。ケント+アングル=ケントアン=ケントアヌ=カンディアーノとなる。

 


■AD8世紀 「ンコロ誕生」「アンゴラ誕生」

 

ザイール流域に根付いたケント人は「ガンダ族」を称し、アングル人は「ンコロ族」を称した。ンコロの名の由来はアングルである。古代ホモサピエンスの有力部族ジェンギやウリゲンの後裔であるテングリにとって、この移住は30万年ぶりとなる帰郷であった。両者は、ザイール流域を遡って大湖水地方に移って、伝説の「ニョロ帝国」の傘下に入った。
また、その後に大湖水地方から帰還したンコロ族は、アフリカ西海岸に「アンゴラ」を築いた。アンゴラの名の由来はアングルである。AD19世紀、イギリス人の血が流れるガンダ族(ケント人)は、大湖水地方に進出してきた大英帝国と結び、伝説の「ニョロ帝国」に進撃した。

 


■AD880年 「アンコール・トム建設」

 

カンボジア王スリ=ヤソヴァルマンは、巨石の種族ピラミッド派に要請して「アンコール・トム」の建造を依頼している。

 


■AD1060年 ステンキル、スウェーデン国王に即位 「ステンキル朝誕生」

 

ステンキル朝は、AD1120年まで存続した。

 


■AD1112年 「アンコール・ワット建設」

 

カンボジア王スール=ヤソヴァルマン2世は、巨石の種族ピラミッド派に要請して「アンコール・ワット」の建造を依頼している。

 


■AD1336年 「ヴィジャヤナガル王国誕生」

 

AD1377年にシュリーヴィジャヤ朝は滅ぶが、カンボジア人は既にスマトラ島を脱してインドに移住を完了していた。カンボジア人はカンボジア王国の同僚アンコール人と組んで「ヴィジャヤナガル王国」を建てた(本国カンボジアはクメール人の支配下にあった)。カンボジア+アンコール=ボジア+ンコール=ヴィジャヤナガルとなる。

 


■AD1490年 アーマド・ニザーム・シャー1世、初代王に即位 「アーマドナガル王国誕生」

 

ジャワを拠点に活動していた山田氏は「ヴィジャヤナガル」のアンコール人と共にインドに移住した。AD1490年頃、「バフマニー朝」が崩壊した隙を見計らって両者は自身の王国を開いた。アーマドナガルの名の由来は山田(ティアマト)とアンコールの組み合わせである。ヤマダ+アンコール=ヤーマダンコル=アーマドナガルとなる。

 


■AD1490年 スルターン・クリー・クトゥブ・シャー、初代王に即位 「ゴールコンダ王国誕生」

 

ヴィジャヤナガルが分裂してアンコール人がゴンドワナ人と組んで出来た国。アンゲロス+ゴンドワナ=ゲルゴンドワ=ゴールコンダとなる。AD1687年に王国が滅ぶと、アンゲロス家はエチオピアに移って「ゲラ王国」を築き、更に、湖水地方に進出して「ニャンコロ王国」を建てた。

 


■AD1636年 「名倉氏誕生」

 

AD1636年、ムガール帝国の侵攻を機に、「アーマドナガル」は崩壊したが、山田氏とアンコール人の連合体は、インドを離れて江戸幕府治世下の日本に移住した。山田氏は残留していた山田氏と合流し、アンコール人は「名倉」を称した。名倉の名の由来はナガルである。

 


■AD18世紀 「ゲラ王国誕生」

 

ゴールコンダの王家はエチオピアに「ゲラ王国」を建てた。ゲラの名の由来はアングルである。アングル=アンゲラ=ゲラとなる。

 


■AD18世紀 「ニャンコレ王国誕生」

 

その後、エチオピアから湖水地方に移ったアンコール人は「ニャンコレ王国」を築いた。ニャンコレはアンコーレともンコロとも呼ばれる。どちらにしても名前の由来はアンコールである。アンコール=ニャンコール=ニャンコレとなる。

 


■AD1927年 ケネス・アンガー生誕

 


■AD1956年 「アンゴラ人民同盟誕生」

 

AD1962年、アングル人主体の「アンゴラ人民同盟」が祖を同じくするコンゴ人の支援を受けて組織された。

 


■AD1962年 ホールデン・ロベルト、指導者に就任 「アンゴラ民族解放戦線誕生」

 

「アンゴラ人民同盟」に参加したニャンコレ族は「アンゴラ民族解放戦線」を組織した。

 

 

 

 

 


シルックの歴史

◆チュルク(シルック)の歴史

 


■50万年前 「シルック誕生」

 

ビクトリア湖沿岸部には巨大ワニが生息しているため、彼らは湖の中心部を生活の拠点としていた。そのため、水生生活に特化していたシルックは、頭部が小さく、手足、指が長いという身体的特徴を得た。これらの身体的変化により、彼らは、水中で大きな推進力を得ることができた。その二次的な結果として、彼らは2m近い身長を手に入れた。

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「トレ誕生」「キャラ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現コンゴに「トレ」、現タンザニアに「キャラ」を生んだ。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■40万年前 「シラクサ誕生」「チューリッヒ誕生」「チューリンゲン誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したシルックは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「タンジール」「サルディニャ島」「シェラネバダ」「シェラモレナ」「シラクサ」「サラミス」「ルカニア」「チャンネル諸島」「アドリア海」「アルデンヌ」「チューリンゲン」「ロアール」「チューリッヒ」などである。
シラクサ、トラキアの名の由来はシルックとマサイの組み合わせ、チューリンゲンの名の由来はシルックとムルングの組み合わせであり、チューリッヒの名の由来はシルックである。シルック+マサイ=シルックサイ=シラクサ、シルック+マサイ=シルサイ=テルカイ=トラキアとなる。シルック+ムルング=シルング=シールング=チューリンゲンとなり、シルック=シールック=チューリッヒとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「セレグ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したシルックは、メソポタミアに移住して「セレグ」を生んだ、セレグの名の由来はシルックである。シルック=セレック=セレグとなる。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「チュルク族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したセレグは、レナ流域に入植した。セレグは、現地人と混合して「チュルク族」を成した。チュルクの名の由来はセレグである。セレグ=チェレグ=チュルクとなる。

 


■BC32世紀 チュルク族、北狄に参加

 

黒龍江に到達したチュルク族は、「北狄(ベイディ)」に参加した。

 


■BC2180年 「高車誕生」

 

チュルク族は、高車に参加した。彼らは、高車の指揮によりアジア各地にドルメン、メンヒル、ストーンサークルを建設した。、モンゴルに「立石」、朝鮮半島に「支石墓」、大湯に「環状列石」、明日香村に「石舞台」「亀石」「猿石」「酒船石」、台湾に「卑南文化」、メラネシアに「ラピタ文化」を残した。

 


■BC2世紀 「丁零誕生」

 

チュルク族は、丁零に参加した。この時に騎馬民族の生活を覚えた。

 


■BC317年 「チューリンギア族誕生」

 

チューリンギアに住んでいたシルックは、ゲルマン時代に「チューリンギア族」を称した。チューリンギアの名の由来はチューリンゲンである。チューリンゲン=チューリンギアン=チューリンギアとなる。AD5世紀に「チューリンギア王国」を建てた際、チューリンギア族はフン族を奴隷として徴用した。

 


■AD552年 トメン、初代帝王に即位 「突厥帝国誕生」

 

AD552年、チュルク族を指揮下に置いた土門が、柔然を撃破して伊利可汗として初代可汗に即位した。この時に「突厥帝国」が生まれた。

 


■AD6世紀 「トゥアレグ族誕生」

 

スワヒリから来たアザニアー海賊(阿史那氏)がチュルク族を支配下に置くと、これを嫌った一部のチュルク族はインダス流域からインド洋に出て、南アフリカを周航した。その後、チュルク族は西アフリカに上陸し、サハラ砂漠に根付いた。この時に、チュルク族は「トゥアレグ族」を生んだ。トゥアレグの名の由来はチュルクである。チュルク=チュアレグ=トゥアレグとなる。現在、トゥアレグ族は、マリで軍事クーデターを起こし「アザワド独立宣言」を表明した。

 


■AD6世紀 「セラクレ族誕生」

 

その後、トゥアレグ族はサハラからニジェール流域に移り、「セラクレ族」を称した。セラクレの名の由来はチュルクである。チュルク=チュルクレ=セラクレとなる。

 


■AD6世紀 「トルテカ人誕生」

 

その後、セラクレ族は大西洋を横断し、メキシコに渡った。メキシコに到着したセラクレ族は、ティカル人と組んで「トルテカ人」を生んだ。トルテカの名の由来はチュルクとティカルの組み合わせである。チュルク+ティカル=チュルティカ=トルテカとなる。彼らは、「トルテカ帝国」を建てた。首都「トゥーラ」の名の由来もチュルクである。チュルク=トゥルク=トゥーラとなる。

 


■AD557年 「チャールキヤ朝誕生」

 

スワヒリから来たアザニアー海賊(阿史那氏)がチュルク族を支配下に置くと、これを嫌った一部のチュルク族はインドに移住した。彼らは、マイトラカ朝のトラキア人と連合し、AD6世紀に「チャールキヤ朝」を開いた。チャールキヤの名の由来はチュルクとトラキアの組み合わせである。チュルク+トラキア=チュルキア=チャールキヤとなる。AD7世紀には「東チャールキヤ朝」が、AD10世紀には、ラージプート出身のタイラ2世が王位を簒奪し、「後チャールキヤ朝」が開かれた。

 


■AD10世紀 「トルテカ帝国誕生」

 

AD10世紀、トルテカ人の戦士集団は、羽毛ある蛇を奉るトピルツィン王に率いられ、ユカタン半島を掌握した。

 


■AD1156年 「チェロキー族誕生」

 

AD1156年にチチェン・イツァーの侵攻によって首都トゥーラが破壊されると、トルテカ族はメキシコを後に北米大陸に向かった。北米南東部に居住したトルテカ族は「チュロキー」を称した。チェロキーの名の由来はチュルクである。チュルク=チュルキー=チェロキーとなる。

 


■AD15世紀 「シルック帝国誕生」

 

AD11世紀、ムラービト朝によってガーナ帝国が滅ぶと、セラクレ族は白ナイル流域に侵入した。セラクレ族は、先祖の名「シルック」を復活させた。セラクレ族は、何万年も前から現地に残っていたシルック族を統率し、AD15世紀に連邦制の国家「シルック王国」を建てている。

 


■AD15??年 フランシス・ドレイク生誕

 

一部のチェロキー族は、雨利他を離れて大西洋を渡り、ブリテン島に移住した。インデイアンの顔をした彼らはイギリス人と混合して「ドレイク」の名を生んだ。ドレイクの名の由来はチュルクである。チュルク=テルイク=ドレイクとなる。フランシス・ドレイクは海賊として鳴らした。一方で、ドレイクはイングランド王国のために働き、スペイン無敵艦隊を撃破した。

 


■AD17世紀 「イロコイ連邦誕生」

 

その後、北東部森林地帯に移住したチェロキー族は「イロコイ族」を称した。イロコイの名の由来はチェロキーである。チェロキー=チェロコイ=イロコイとなる。AD17世紀には、イロコイ族は6部族連合の連邦国家「イロコイ連邦」を築いたた。イロコイ連邦は「ビーバー戦争」で、チェロキー族は「セミノール戦争」で大々的に白人に対して抗戦した。

 


■AD1932年 ジャック・シラク生誕

 

シラクの名の由来はシルックである。シルック=シルク=シラクとなる。30万年前からヨーロッパに住んでいた人々の後裔である。

 


■AD1939年 グレース・スリック生誕 「ジェファーソン・エアプレイン誕生」

 

スリックの名の由来はシルックである。シルック=スルック=スリックとなる。30万年前からヨーロッパに住んでいた人々の後裔である。

 


■AD1948年 ニック・ドレイク生誕

 


■AD1952年 アール・スリック生誕

 

スリックの名の由来はシルックである。シルック=スルック=スリックとなる。30万年前からヨーロッパに住んでいた人々の後裔である。

 

 

 

 

◆猿田彦の歴史

 


■30万年前 「ディンカの大移動時代」

 


■30万年前 「サルディニャ誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したシルックは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「タンジール」「サルディニャ島」「シェラネバダ」「シェラモレナ」「シラクサ」「トラキア」「サラミス」「ルカニア」「チャンネル諸島」「アドリア海」「アルデンヌ」「チューリンゲン」「ロアール」「チューリッヒ」などである。サルディニャの名の由来はシルックとディンカの組み合わせである。。シルック+ディンカ=シルディンナ=サルディニャとなる。

 


■BC945年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC945年 「猿田彦誕生」「五十鈴誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」の東方組に参加したシェルデン人はモレヤ族と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人の混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。シェルデン人は伊勢国に赴いて「五十鈴川」を拠点に「猿田彦」を称した。猿田彦の系統は、後に熊野三山を中心に日本中の山岳地帯に「修験道」を簒奪する。五十鈴の名の由来はイシスであり、猿田の名の由来はシェルデン、或いはサルディーニャである。
修験道の祖である役小角は賀茂氏の系統といわれるが、ステュクスとタナトスの2系統がある。タナトスの場合、名前を紐解くと、役(えんの)は「ディオニュソス」、小角は「小さいタナトス(タナトスの子)」に因んでいることがわかる。ディオニュソス=ディオンニュソス=オンニュ=えんの(役)、小+タナトス=小+ツナトス=小角となる。鬼の子といわれる小綱の名も同様の由来を持っている。

 


■AD461年 ヒラルス、フェリクス3世、シンマクス、ローマ教皇に就任

 

AD3世紀、「大和人の大航海時代」に刺激を受けた猿田彦の子孫は日本を離れて故地であるサルディーニャ島に帰還した。彼らは、対岸のローマ帝国の繁栄を眺めながらサルディーニャ人として暮らし、ローマ掌握の機を狙っていた。サルディーニャ人はローマ教皇の座を簒奪することでローマを掌握する方法を考えた。そして、その思惑とおりにヒラルスがローマ教皇の座を得た。その後、フェリクス3世、シンマクスなどのローマ教皇を得るが、ゴート族、フランク族がローマ帝国を滅ぼしてしまう。また、サルディーニャ人は同時にローマ教皇の座を喪失した。
ゲルマン人に対する復讐を胸にサルディーニャ人は再度、シェルデン人の秘儀「黒死病」戦法を持ち出した。AD540年からAD591年の間、エジプトからマルセイユ、ローヌ河、アイルランドにいたる広範囲にペスト菌を撒いたサルディーニャ人だが、フランク王国を破壊するには至らなかった。ローマ掌握が夢と消えたサルディーニャ人は、フランク王国の破壊を断念し、日本に帰還して、修験者としての修行を継続した。

 


■AD10世紀 「アササン教団誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った阿蘇修験は、クルディスタンに居を据えて「アササン」を称した。アササンの名の由来は阿蘇山(あそさん)である。阿蘇山の名がイタリア語アサシーノ、フランス語アササン(暗殺、殺人)の由来になっているのだ。阿蘇山修験の修験者たちは、ニザール派、イスマイール派にイスラムを学び、暗殺教団を組織した。
その後、アササンは十字軍・イスラム世界双方の要人暗殺を中心に、イスラム世界・十字軍、双方と交戦を続けた。日本に於いて、山岳に親しんできた彼らは、険しい山岳地帯を拠点に選んだ。カスピ海南岸に連なるエルブールズ山脈に「鷲の巣城」を築いた。また、修験者だけあり、アササンの首領は「山の長老」と呼ばれた。彼らは、十字軍・イスラム世界双方の有力者たちを震え上がらせていたが、AD1250年、フラグ率いるモンゴル軍によって、あっさりとやられてしまった。
ということになっているが、いくら相手が無敵のモンゴル軍でも、天狗がそんなにあっさりとやられるわけがない。真相はこうだ。任務を果たしたと考えた彼らは、トバルカインに頼んで日本に帰還したのだ。空っぽの鷲の巣城を発見したモンゴル軍は、アササン教団を全滅させたと公言した。これにより、もともと最強と知られていたモンゴル軍の株も上がったわけだ。

 


■AD1125年 「サラディン誕生」

 

AD1125年に神聖ローマ帝国の「ザーリアー朝」が滅ぶと、サリ家は、22年後に「第2次十字軍」の行軍に紛れてイスラム世界に旅立った。サリ家は、10歳のサラディン(AD1137年生)を連れ、神聖ローマ帝国からクルディスタンに移住した。サラディンの名の由来はシェルデンである。「第1次十字軍」にも参加したサリ家の残党であるサラディンが、イスラム世界の王になり、「第3次十字軍」と戦ってキリスト教徒に英雄と呼ばれたことは興味深い。更に、サラディンが仕えたアレッポの君主ヌーレッディーンは碧眼・金髪の男だったと言われている。サラディンだけでなく、彼もサリ家に関係が深い人物だったのだろう。

 


■AD1273年 「聖フェーメ団誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った葉山修験は、神聖ローマ帝国治世下のヴェストファーレンに移住した。彼らは「聖フェーメ団」を結成した。フェーメの名の由来は葉山である。葉山=ハヤマ=ヒャーマ=フェーメとなる。彼らは、街にうごめく悪を狩り、権力者に畏怖された。彼らは、ナポレオンがドイツに侵攻したAD1811年まで存続した。

 


■AD1502年 「阿蘇講誕生」「鷲津氏誕生」

 

アササン教団は、トバルカインの計らいにより、阿蘇山に帰還した。AD16??年、彼らは、加藤清正に呼応して山上本堂を修復し、三十五坊を復興して「阿蘇講」を開いた。また、イラン人の顔をした彼らは日本人と混合し、アササンの要塞「鷲の巣城」を由来に「鷲津氏」を称した。鷲+巣=鷲巣(わしず)=鷲津(わしづ)となる。

 


■AD1614年 「薔薇十字団誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った英彦山修験は、神聖ローマ帝国領内に侵入した。彼らは、「薔薇十字団」を結成した。薔薇十字団の首領クリスチャン・ローゼンクロイツ(106歳亡)のモデルは修験者として知られる常陸坊海尊(108歳亡)である。
また、薔薇十字団の名の由来は、英彦山修験の一拠点松尾山の名産品「薔薇」と「十字」の組み合わせである。彼らは、怪文書「全世界の普遍的かつ総体的改革」「友愛団の信仰告白」「化学の結婚」を流布して世間を騒がせ、現在に於いても尚、オカルトファンの夢を掻き立ててやまない。これらの怪文書は、3冊まとめて「薔薇十字団の宣言書」と呼ばれている。

 


■AD1696年 「天台修験別格本山誕生」

 

その後、薔薇十字団は目立った活動もせず、トバルカインの計らいで日本に帰還した。一方、彼らが留守の間、英彦山修験は焼き討ち・寺領廃止によって衰微していた。だが、薔薇十字団の帰還をもって英彦山は「天台修験別格本山」となり、AD1696年に「英彦山神宮」が建立された。

 


■AD17世紀 「フルイストゥイ派誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った出羽修験は、ピョートル大帝が統治するロシア帝国に入植した。ヴォルガ河上流に根付いた彼らは、「フルイストゥイ派」を形成した。フルイストゥイの名の由来は「古い死体」である。古い死体=フルイシタイ=フルイストゥイとなる。
古い死体とはミイラ、つまり、出羽三山の聖地に収められている奥州藤原氏3代のミイラのことである。これがフルイストゥイ派の正体が出羽修験である証に他ならない。彼らは、淫靡で残虐な密儀集団として知られ、「罪を犯せば犯すほどより深く悔い改めることができる。真の意味で救済されるにはより罪を犯すべし」ということを旨にしていた。だが、ピョートル大帝の背後には古儀式派がいた。そのため、フルイストゥイ派を正義と認定した古儀式派は、あることないこと風評を撒き散らしたに過ぎない。

 


■AD1733年 「スコプチ誕生」

 

食行身禄なる修験者は富士山北口7合目で断食行に入り、そのまま入定…と見せかけ、世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った、ロシアに渡った富士修験は「スコプチ」を創始するコンドラティ・セリワノフを称した。スコプチの名の由来は修験と富士の組み合わせである。修験+富士=シュゲフジ=スコプチとなる。
セリワノフは、「諸悪の根源は肉欲」であるとし、それを根絶するために「人は去勢すべきだ」と説いたという。しかし、当時のロシア帝国は、古儀式派に属するエカチェリーナ2世の治世だった。そのため、彼らはあることないこと風評を撒き散らされたのだ。指導者アンドレイ・イワノフは、13人の信者を去勢したという冤罪によってシベリアに流され、教祖セリワノフは100歳で亡くなるまで監獄で過ごした。

 


■AD1776年 「イルミナティ誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った厳島弥山修験に属する太光山・千光寺の修験者は、バイエルンに移住した。修験者たちは、アダム・ヴァイスハウプトを称した。彼は、AD1776年に「バイエルン啓明結社(イルミナティ)」を設立した。イルミナティの名の由来は太光山や千光寺の「光」、またイルミナティが言う「知の炎」の由来は千年消えない常火堂の「消えずの霊火」である。

 


■AD1785年 「弥山大聖院誕生」

 

イルミナティを結成した修験者たちは多くの知識人を取り込むことに成功。ヨーロッパの中心に位置するバイエルンに拠点を据えてヨーロッパに覇を唱える準備をしていたが、AD1784年から1785年にかけて、バイエルン王国(というよりはカトリック)から3度の禁止令を通達された。これを機に、厳島弥山修験の人々はイルミナティを解散して日本に帰還した。広島に帰還したイルミナティの残党は、「弥山大聖院」を建てている。

 


■AD1800年 「カルボナリ誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った木曽御岳修験は日本を発ち、イタリアに移住した。彼らは、AD1800年代初頭に「カルボナリ」を設立した。カルボナリは、その名から「炭焼きの結社」だと考えられているが、実際の名の由来は修験道の護摩祈祷である。天狗の祖はサルディーニャ島を初めて「サルディニャ」と命名した人々だ。そのため、カルボナリは「サルディーニャ王国」のサヴォイア家と連合してイタリア王国の独立に関与した。
カルボナリは、祖を同じくするサルディーニャ人の血統にカルボナリ入党を打診したため、会員数はあっという間に30万~60万を超えた。カルボナリは、「青年イタリア」のマッツイーニ、「赤シャツ隊」のガリバルディと組んだ。カルボナリは、AD1820年、ナポリ軍を巻き込んで一斉蜂起して「ナポリ革命」を起こし、翌年にサルディーニャ軍の決起を指導して「ピエモンテ革命」を指揮した。
また、AD1821年にはフランス支部「シャルボンヌリー」を創立し、AD1830年に市民、学生、労働者と連携してパリで「フランス7月革命」に関与した。また、翌年には教皇領、ボローニャ、モデナで蜂起して「中部イタリア革命」を指揮するが、オーストリア軍に敗北した。

 


■AD1814年 「フィリキ・エテリア誕生」

 

AD1758年、ジュンガル大虐殺を機に、ウイグル人がモンゴルからオスマン・トルコ治世下のギリシアへ移住した。この時のジュンガル・ウイグル人の子孫がギリシアに秘密結社を結成することになる。それが「フィリキ・エテリア」である。フィリキ・エテリアの名の由来はフリギアとイタリアの組み合わせである。フリギアからイタリア(ローマ)を支配していた「ディニュソス密儀」に因んでいるのだ。
解散したばかりのイルミナティ(松尾山修験千光寺)は、世直しのために参加した。しかし、心を読む装置が開発されていなかった当時、彼らは「フィリキ・エテリア」がタナトスの連合体だと言うことを知らなかった。
「フィリキ・エテリア」には、テンプル騎士団、ドン・コサック、マラーター同盟(マルタ騎士団)などのタナトス一族に属する集団が参加していた。しかし、ロシア帝国の援助を得るのに失敗したフィリキ・エテリアはAD1822年に解散し、マラーター同盟は2つに分離して、一部はアイルランド(IRA)に、一部はコーカサス(カフカース首長国)に移住している。また、イルミナティも2つに分離し、一部は日本(弥山大聖院)に帰還し、一部はスペイン(バスク祖国と自由)に移住した。

 


■AD1832年 「扶桑教誕生」

 

ロシア人の顔をしたスコプチの残党は、富士修験に合流した。現地人と混合した彼らは、富士修験と共に「富士一山講社」を築いた。その後、彼らは「富士一山教会」に改名し、AD1875年に太祠を建立して「扶桑教会」を称した。その後、AD1882年に扶桑教会は教派神道の一派として独立し、経典「扶桑教」を発行し、「扶桑教」となった。傘下の丸山教会が離脱すると、扶桑教の勢力は半減したが、信者は4万5千人を数えている。

 


■AD1869年 グレゴリー・ラスプーチン生誕

 

その名からラスプーチンはもともとはスコプチに席を置いていた富士修験の子孫だということがわかる。ラスプーチンの名の由来は「富士の龍神」である。龍神+富士=リュジフージ=ラスプーチンとなる。後に、フルイストゥイ派に席を置いた彼は、単独でロマノフ家に取り入り、ロシア帝国の簒奪を画策していたと考えられる。

 


■AD1911年 「黒手組誕生」

 

黒い手は「炭で汚れた手」を意味している。つまり、黒手組はカルボナリの後身である。カルボナリ時代、オーストリア帝国に敗北した彼らは、オーストリアに一矢報いたいと考えていた。ということで、タナトスと知らずに白人列強と組んだ黒手組は、ハプスブルグ家(オーストリア帝国)、オットマン家(オスマン・トルコ帝国)、ホーエンツォレルン家(プロイセン帝国)の掃討を旨に、セルビア皇太子夫妻を襲撃した。「第一次世界大戦」のはじまりである。オットマン家、ハプスブルグ家は、黒手組の思惑通り、見事に滅んだ。ナポレオン皇帝に次ぐ、英雄時代の終焉である。

 


■AD1953年 ニキータ・フルシチョフ、ソ連邦第4代最高指導者就任

 

フルシチョフの名の由来はフルイストゥイである。フルイストゥイ=フルストゥイフ=フルシチョフとなる。フルイストゥイ派は、日本から来た出羽修験の人々がロシアに築いた邪教集団である。フルイストゥイの名の由来は「古い死体」である。古い死体とはミイラを意味しているが、ミイラといえば奥州藤原氏のミイラを納めている出羽三山である。フルシチョフは、タナトスの手先としてスターリン批判を繰り返して東欧各地を動揺させ、中国との間にイデオロギー論争を生じさせた。また、フルシチョフはAD1959年にアメリカを訪問した。彼は、アイゼンハワー大統領を差し置いてデーン人と接触を持ち、その後は、ロシア正教会の聖堂を3割方破壊してロシアを内側から蝕み、一方ではインドに武器を援助して中国と交戦させた(中印国境紛争)。

 


■AD1993年 ポール・ニューロップ・ラスムセン、第38代デンマーク首相就任

 

ラスムセンの名の由来は龍神と魔神の組み合わせである。龍神+魔神=リュシ+マシン=ルシマセン=ラスムセンとなる。つまり、彼らは富士修験の子孫だと考えられる。

 


■AD2001年 アナス・フォー・ラスムセン、第39代デンマーク首相就任

 


■AD2009年 ラース・ロッケ・ラスムセン、第40代デンマーク首相就任

 

ラース・ロッケ・ラスムセンは、第41代トーニング首相の後に、再度、AD2015年にデンマーク首相に返り咲いている。

 

 

 

 

◆ゾロアスター(セロス)の歴史

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「セロス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したティルスは、シルックと共にマヤに移住した。彼らは、この時に「セロス」を築いている。セロスの名の由来はシルックとティルスの組み合わせである。シルック+ティルス=シルス=セロスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「トゥルシア人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したセロス人(ティルス)は、ベリーズ人(ホルス)と共にマヤで船団に加わった。セロス人は、イランに入植して「トゥルシア人」を名乗り、海の民の連合国、伝説の「ベーシュタード王国」を築いた。トゥルシアの名の由来はティルスである。ティルス=ティルシア=トゥルシアとなる。

 


■BC19世紀 「ゾロアスター(ツァラストラ)誕生」

 

トゥルシア人は、ベーシュタード王国を訪れたトラキア人と連合した。この時に「ゾロアスター(ツアラストラ)」が誕生した。ツアラストラの名の由来はセロスとトラキアの組み合わせである。セロス+トラキア=セロストラ=ツアラストラとなる。

 


■BC1200年 「サラスヴァティー誕生」

 

トロイア、ミケーネ、ヒッタイト帝国が滅ぶと、トゥルシア人は彼らをイランに導いた。この時、セロス人はヒッタイト人と組んで「サラスヴァティー」を生んだ。サラスヴァティーの名の由来はセロスとハッティ(ヒッタイト)の組み合わせである。セロス+ハッティ=セロスハッティー=サラスヴァティーとなる。

 


■BC1027年 「シュレースヴィヒ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したセロス人は、ユトランド半島に入植して「シュレースヴィヒ」を建設した。シュレースヴィヒの名の由来はサラスヴァティーである。サラスヴァティー=サラースヴァヒ=シュレースヴィヒとなる。しかし、後年、ゲルマン人の大移動により、シュレースヴィヒを脱出した彼らは、「シラジ人」としてスワヒリに再登場し、ガリアに因んで「キルワ王国」を建設する。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD375年 「シーラーズ誕生」

 

「ゲルマン人の大移動」が始まると、チューリンギア族を離脱したトゥルシア人は故地イランに逃亡した。彼らは「シーラーズ」を建設したシーラーズの名の由来はシュレースヴィヒである。シュレースヴィヒ=シューレース=シーラーズとなる。

 


■AD375年 「シラジ人誕生」「キルワ王国(前身)誕生」

 

シーラーズ人は、商人としてイランとスワヒリを往来し、「シラジ人」を称した。シラジの名の由来はシーラーズである。シラジ人は、スワヒリに伝説の王国「キルワ」を建てた。キルワの名の由来はガリアである。ガリア=ガリワ=キルワとなる。

 


■AD375年 「チェーラ人誕生」

 

スワヒリ、アラビア、イラン、インドを往来していたシラジ人はラーシュトラク時代の故地インドに入植し、「チェーラ人」となった。チェーラの名の由来はシーラーズである。シーラーズ=チェーラーズ=チェーラとなる。

 


■AD642年 「ルス人誕生」

 

サーサーン朝がイスラム帝国の侵攻によって滅ぶと、シーラーズ人は、故地シュレースヴィヒを目指してイランを離れ、ヨーロッパを北上した。この時に、バルト海でリューリク、スウェード人、ワリアギと知り合ったシーラーズ人は、彼らの軍事連合に参加し「ルス人」を称した。ルスの名の由来はセロスである。セロス=ロス=ルスとなる。ルスの名は「ロシア」の語源でもある。

 


■AD8世紀 「ザイール誕生」

 

チェーラ人はAD8世紀にチャールキア王朝が滅ぶと、インドを出てアフリカ大陸に向かった。南アフリカを周航してコンゴに至った彼らは現地をザイールと命名した。ザイールの名の由来はチェーラである。チェーラ=チェイール=ザイールとなる。

 


■AD973年 「ズイール朝誕生」

 

その後、北アフリカに移ったザイール人は、「ファティマ朝」の支配層に参加した。AD973年、ブルッギーン・イブン・スイーリが初代君主に即位し、チュニジアに「ズイール朝」を開いた。ズイール、スイーリの名の由来はザイールである。

 


■AD973年 「世良氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、セロス人の系統に属するラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に入植したが、セロス人は瀬戸内海に入植した。インド人の顔をしたセロス人は現地人と混合して「世良氏」を称した。世良の名の由来はセロスである。セロス=セラス=世良となる。

 


■AD9??年 「セルジューク家誕生」

 

その後、カニクはズイール朝のチェーラ人と組んで「セルジューク」を称し、騎馬民族を統合して騎馬軍団を組織した。セルジュークの名の由来はセロスとチャールキアの組み合わせである。セロス+チャールキア=セロスキア=セロスーキア=セルジュークとなる。

 


■AD1041年 カーヴルト・ベグ、初代スルタンに即位 「セルジューク朝誕生」

 

セルジューク家のカーヴルト・ペグは、セルジューク朝初代スルタンに即位した。セルジューク朝は、コラズム、イラン、アナトリア、シリアに渡って広大な領土を誇った。一方、ビザンツの領土を奪ったため、セルジューク朝はビザンツ帝国を弱体化に導いたが、エルサレムを治めていたことから、約150年に渡る「十字軍」の脅威に晒された、その後、セルジューク朝は、モンゴル軍の侵攻を機にAD1243年に滅亡している。

 


■AD1243年 「佐々氏誕生」「志方氏誕生」

 

AD1243年、セルジューク・トルコ帝国が滅ぶと、セルジューク家は九州を訪れた。この時、彼らは「佐々氏」「志方氏」を生んだ。佐々、志方の名の由来はセルジュークである。セルジューク=セルジュ=セルシュ=佐々となり、セルジュークトルコ=ジュークト=シュクト=志方となる。佐々氏、志方氏は「倭寇」に参加した。

 


■AD1892年 ブルーノ・シュルツ生誕

 


■AD1922年 チャールズ・シュルツ生誕 「スヌーピー誕生」

 


■AD1926年 サティヤ・サイ・ババ(サティヤ・ナーラーヤナ・ラージェ)生誕

 


■AD1947年 トム・ショルツ生誕 「ボストン誕生」

 


■AD1955年 世良公則生誕

 

 

 

 

 


ハダメの歴史

◆秦氏(ハダメ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「ハダメ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したディンカは、現ケニアに「マサイ」、現タンザニアに「ムルング」、現ソマリアに「ハダメ」「イサック」を生んだ。ハダメは、ソマリア人の姿をしていた。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■40万年前 「ポーツマス誕生」「アドリア誕生」「アムステルダム誕生」「ロッテルダム誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したハダメは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「ポーツマス」「アドリア」「シェラネバダ」「メッサビ」などである。ポーツマスの名の由来はハダメとマサイの組み合わせ、アドリアの名の由来はハダメとシルックである。ハダメ+マサイ=ハダマサイ=ハーダマサ=ポーツマスとなり、ハダメ+シルック=ハダリャク=アドリアとなる。アムステルダムやロッテルダムは、もっと後世に築かれるが、ダムの名の由来はハダメである。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大航海時代」

 


■7万年前 「テミス誕生」

 

「第1次ウラヌスの大航海時代」の参加者がオーストラリアから地中海に訪れると、ハダメはマサイと組んで「テミス」を生んだ。テミスの名の由来はハダメ、マサイの組み合わせである。ハダメ+マサイ=ダメサイ=タメサ=テミスとなる。テミスは、ロンドンを流れる「テムズ川」の由来であるが、それにより、彼らが古代のブリテン島ので生まれたことがわかる。その後、テミスはティタン神族に参加している。

 


■7万年前 「ハデス誕生」「デメテル誕生」

 

「第1次ウラヌスの大航海時代」の参加者がオーストラリアから地中海に訪れると、ハダメはマサイと組んで「ハデス」を生んだ。ハデスの名の由来はハダメとマサイの組み合わせである。ハダメ+マサイ=ハダサイ=ハデスとなる。ハデスはテミスと同じ組み合わせであるが、「テミス+ハデス」ということになる。その後、ハデスはオリンポス神族に参加している。また、テミスはタルタロスと組んで「デメテル」を生んでいる。デメテルの名の由来はハダメとタルタロスの組み合わせである。ハダメ+タルタロス=ダメタル=デメテルとなる、デメテルも、オリンポス神族に参加している。

 


■1万3千年前 「テミスの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ドゥムジ誕生」

 

「テミスの大航海時代」に参加してメソポタミアに逃れたテミスは、現地人と交わって「ドゥムジ」を生み、神々の集団アヌンナキに参加した。ドゥムジの名の由来はテミスである。テミス=デミズ=ドゥムジとなる。

 


■BC539年 「ハドラマウト王国誕生」

 

共和制ローマが台頭すると、エトルリア人はイスラエルに移住した。この時に「エドム王国」が生まれた。同じ頃、エラム王国を喪失したエラム人は、ソマリアに移住してハダメ族と連合した。エドム人は、このハダメ族とエラム人の連合に参加し、3者は共同で「ハドラマウト王国」をアラビア半島南部に築いた。ハドラマウトの名の由来はハダメ、エラム、エドムの組み合わせである。ハダメ+エラム+エドム=ハダラムエド=ハドラマウトとなる。

 


■BC206年 ハダメ族、秦氏と合体

 

「秦」が滅ぶと、秦氏はラハンウェイン族の後を追い、中国を後にした。ソマリアに移住した秦氏は、ここでハダメ族と知り合い、連合体を築いている。この時に、「秦(シナ)」が「秦(ハタ)」と読まれるようになった。ハタ(秦)の名の由来はハダメである。ハダメ=ハタメ=秦(ハタ)となる

 


■BC206年 「秦韓誕生」

 

秦氏は、ラハンウェイン族の構成部族である衛氏、韓氏を連れ、ソマリアを離れて朝鮮半島に移住した。彼らは「衛氏朝鮮」「韓」を築いた。その後、秦氏は「秦韓(唇韓)」を築き、韓から分かれた2つの国、馬韓、弁韓と共に「三韓」と呼ばれた。

 


■BC206年 「グァナファト誕生」

 

一方、朝鮮半島に残留せずに太平洋を渡った秦氏は、メキシコに上陸し、拠点を「グァナファト」と命名した。グァナファトの名の由来はキナ(秦)とハタ(ハダメ)の組み合わせである。キナ+ハタ=キャナファト=グァナファトとなる。

 


■BC206年 「コナート誕生」

 

更に、メキシコを後にしたグァナファト人は北アメリカ大陸を北上し、アイスランドを経てアイルランドに辿り着いた。この時、彼らは上陸地点を「コナート」と呼んだ。コナートの名の由来はグァナファトである。グァナファト=ガナハト=コナートとなる。AD116年頃には、既に「コナート王国」がアイルランドに築かれていた。

 


■AD1世紀頃 「タミール人誕生」

 

ハドラマウト王国が滅ぶと、ハドラミーは南インドに足場を得て「タミール」を称した。タミールの名の由来はハドラミーと同じくハダメとエラムの組み合わせである。ハダメ+エラム=ダメエラ=タミールとなる。

 


■AD1世紀頃 「穂積氏誕生」

 

一方、一部ハダメ族はインドから日本に足を伸ばし、現地人と混合して「穂積氏」を形成している。穂積の名の由来はハダメである。ハダメ=ハザメ=穂積(ほずみ)となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■BC296年 「ワルメイ川誕生」

 

中山国が趙の攻撃によって滅ぶと、エラム人、ハダメ族はは「大和人の大航海時代」に参加して太平洋を横断して古代ペルーに移住した。彼らは拠点である河川に「ワルメイ」と命名した。ワルメイの名の由来はエラムとハダメの組み合わせである。エラム+ハダメ=エラメ=ワルメイとなる。エラム人、ハダメ族は、後にペルーを訪れるマオリ族と連合して「ワリ帝国」を建設する。

 


■AD648年 秦河勝、常世神を皆殺しに

 

常世(トコヨ)の名の由来はダキアである。シルクロードを通過したヴァルダーナは蚕の幼虫を本尊に設定して農民たちから有り金を巻き上げることを思いついた。人々は喜びながら全財産を常世神に納めたが、これを淫祀と見抜いた秦河勝が常世神を壊滅させ、解放された農民たちから真の英雄として祭り上げられた。金を取られて喜ぶ人間はいない。つまり常世神にインフラを支配された無力な農民たちは喜ぶフリをしていたのだ。河勝はそれを見抜いた。さもなければ一旦離反者(神を信じない不信心者)として教団にマークされた信者は、家族であれ、友人であれ、そして世間であれ、完全に無視されてしまうのだ。それは、生活・自由の保障を喪失すること、孤独のまま野垂れ死にすることを意味した。

 


■AD851年 「ケネディ誕生」

 

AD850年、黒い異邦人デーン人がダブリンを襲撃すると、コナート人はデーン人の側に付いた。翌年、ノルウェー王オーラフが率いるヴァイキング軍に敗北すると、コナート人はデーン人と共にアイルランドを離れた。コナート人は、一部がスコットランド西部に移住した。この時に「ケネディ」の名が生まれた。ケネディの名の由来はコナートである。コナート=コナーティ=ケネディとなる。

 


■AD997年 「レイフ・エリクソンの大航海時代」

 


■AD997年 「金田氏誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したコナート人は、日本人と混合して「金田氏」を形成した。金田の名の由来はケネディ、或いはコナートである。コナート人は、他にも「金(かね)」が付く「金村」「金本」「金山」などの姓を多く残している。

 


■AD9??年 ハーデクヌーズ1世、デンマーク王に即位

 

AD851年、デーン人と共にアイルランドを離れ、デンマークに移住したコナート人から「ハーデクヌーズ1世」が生まれた。ハーデクヌーズの名の由来はハダメとキナの組み合わせである。ハダメ+キナ=ハダキナ=ハーダキナーズ=ハーデクヌーズとなる。

 


■AD1028年 クヌード1世、デンマーク王に即位 「クヌード帝国誕生」

 

ハーデクヌーズ1世の子息ゴームは能登族の系統である。ゴームは、「ゴーム・デン・ガムレ家」を創始した。その後、そのゴーム・デン・ガムレ家から正統なハーデクヌーズの血を引く「クヌード1世」が生まれた。クヌードの名の由来はコナートである。コナート=クナート=クヌードとなる。イングランド、デンマーク、ノルウェーに至る地域を掌握したクヌード1世の帝国は、北海帝国と呼ばれた。

 


■AD11世紀 「ペルー人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「波多美氏誕生」

 

「ペルー人の大航海時代」に参加した一行は日本人と混合した。エラム人は「有馬氏」を称し、「波多美氏」を称したハタミ人、「毛利氏」を称したマオリ族と共に北九州に向かった、波多美氏の名の由来はハダメである。ハダメ=ハタメ=波多美となる。

 


■AD1370年 ティムール、初代皇帝に即位 「ティムール帝国誕生」

 

AD1213年、「和田合戦」を機に日本を脱出した和田氏は祖を同じくするタミルの地に落ち延びた。その後、タミール人と化した和田氏はソグディアナに進出した。その後、AD1336年に和田氏の系統に属するティムールが誕生する。ティムールの名の由来はタミールである。ティムールは、ソグディアナを首都に強大な大帝国を打ち建てたが、AD1507年に滅亡してしまう。この後、ティムール王家はイランからインドネシアに移って「ティモール」を得る。

 


■AD1881年 セシル・B・デミル生誕

 


■AD1928年 ロジェ・ヴァディム生誕

 


■AD1943年 モハンマド・ハータミー生誕

 

イラン・イスラム共和国第5代大統領に就任している。1997年~2005年

 


■AD1948年 川勝平太生誕

 


■AD1958年 玉置浩二生誕 「安全地帯誕生」

 


■AD1967年 エレン・テン・ダム生誕

 


■AD2002年 「東ティモール民主共和国誕生」

 

 

 

 

 


マサイの歴史

◆釈迦(マサイ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「マサイ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したディンカは、現ケニアに「マサイ」、現タンザニアに「ムルング」、現ソマリアに「ハダメ」「イサック」を生んだ。マサイは、現マサイ族のような姿をしていた。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■30万年前 「メッサニア誕生」「メッサビ誕生」「セーヌ誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したマサイは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「シラクサ」「トラキア」「メッサニア」「サラミス」「メッサビ」「プリマス」「ポーツマス」「マルセイユ」「サンマロ」「セーヌ」などである。メッサニア、セーヌの名の由来はマサイとディンカの組み合わせ、メッサビの名の由来はマサイとハダメの組み合わせである。マサイ+ディンカ=マサインカ=マサイナ=メッサニア=サニア=セーヌとなり、マサイ+ハダメ=マサバ=メッサビとなる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大航海時代」

 


■7万年前 「ムネーモシュネー誕生」「ステンノ誕生」

 

「第1次ウラヌスの大航海時代」の参加者がオーストラリアから地中海に訪れると、マサイはクリュメネー、ウラニアーと組んで「ムネーモシュネー」を生んだ。ムネーモシュネーの名の由来はクリュメネー、マサイ、ウラニアーの組み合わせである。クリュメネー+マサイ+ウラニアー=メネーマサイニアー=ムネーモシュネーとなる。ムネーモシュネーの娘たちは「ムウサ」と呼ばれたが、この名もマサイに由来している。その後、ムネーモシュネーはティタン神族に参加している。
一方、マサイはディンカと組んで「タウマス」「デイモス」を生んでいる。ディンカ+マサイ=テイマサ=タウマスとなり、ディンカ+マサイ=デイマサ=デイモスとなる。タウマスはポントスとガイアの子として、デイモスはアフロディテとアレスの子として知られている。また、マサイはディンカと組んで「ステンノ」を生んでいる。ステンノの名の由来はマサイとディンカの組み合わせである。マサイ+ディンカ=サイディン=サイデンノ=ステンノとなる。だが、ステンノはタナトスの掌中に落ち、一味の一角として「ゴルゴたち」と呼ばれた。

 


■1万3千年前 「メシェク誕生」

 

「マサイの大移動時代」に参加したマサイは、メソポタミアの地に「メシェク」を生んだ。メシェクの名の由来は「マサイク(マサイの人)」である。マサイク=メサイク=メシェクとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ミツライム誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したマサイ族は、北アフリカに入植した。彼らは、クリュメネーと連合し、北アフリカに「ミツライム」を生んだ。ミツライムの名の由来はマサイとクリュメネーの組み合わせである。マサイ+クリュメネー=マサリウメ=マチャリウメ=ミツライムとなる。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「陸奥氏誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したメシュクは、日本に上陸し「陸奥氏」を生んだ。出雲国を離れた陸奥氏は、東北地方に入植し、拠点を「陸奥」と命名した。陸奥の名の由来はメシュキである。メシュキ=ムシュキ=陸奥となる。ドルイド教関連でストーンサークルを知っていた陸奥氏は、足跡として「大湯環状列石」など、小規模な遺跡を築いた。

 


■BC21世紀 「長脛彦の大移動時代」

 


■BC21世紀 「シャカ族誕生」

 

「長脛彦の大移動時代」に参加した陸奥氏は、人身御供の能登族を嫌い、モンゴルを離れてネパールに入植し、「シャカ族」を生んだ。シャカの名の由来はメシェクである。メシェク=メシャカ=シャカとなる。

 


■BC1000年 「ムシュキ族誕生」

 

メシェクは、フリギア王国に「ムシュキ族」を生んだ。ムシュキの名の由来はメシェクである。メシェク=ムシェク=ムシュキとなる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「マスカット誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」を経て、フリギア人の同盟者だったムシュキ族は、インダス流域からアラビア半島に移って「マスカット」の地を得た。マスカットの名の由来はムシュキである。ムシュキ=ムシュキット=マスカットとなる。マスカット人は後にモスクワを建設している。

 


■BC566年 ゴータマ・シッダールタ誕生 「仏教誕生」

 

陸奥氏の後裔シャカ族から仏教の祖であるゴータマ・シッダールタが誕生した。しかし、父方はスッドーダナというサトゥルヌス由来の名を持っていた。つまり、当時のシャカ王国はサトゥルヌスの血統によって王位を簒奪されていた。ただ、シッダールタにシャカ族の血が甦り、能登族の血統バラモン教を批判して「仏教」を創始した。彼自身は、偉大な人物であったが、仏教は後にタナトス一族に簒奪されてしまう。

 


■AD634年 「モスクワ誕生」

 

イスラム軍がアラビア半島を統一すると、一部ムシュキ族はオマーンを発ち、ロシアに移住して「モスクワ」を築いた。モスクワの名の由来はマスカットである。マスカット=マスクワット=モスクワとなる。

 


■AD1237年 「アストラハンの大航海時代」

 


■AD1237年 「メシコ族誕生」

 

「アストラハンの大航海時代」に参加したメシェクは、アステカに入植し、「メシコ族」となった。メシコの名の由来はメシェクである。メシェク=メシェコ=メシコとなる。メシコの名はメキシコの語源でもある。アストラハンの系統からは初代アステカ皇帝アカマピチトリ、第2代アステカ皇帝ウィツィリウィトルが輩出され、第4皇帝にメシコ族の系統のイツコアトルが輩出されている。

 


■AD13世紀 「ニョロ帝国の大航海時代」

 


■AD13世紀 「松井氏誕生」「増井氏誕生」

 

「ニョロ帝国の大航海時代」に参加したマサイ族は、日本に上陸し、現地人と混合して「松井氏」「増井氏」などの名を生んだ。いずれの名もマサイが由来である。マサイ=増井=松井となる。

 


■AD1427年 イツコアトル、第4代アステカ皇帝に即位

 


■AD1440年 「ミスキート族誕生」

 

AD1440年、ウァシュテペック族出身のモクテスマが第3代アステカ帝国皇帝に即位した。ウァシュテペック族が天下を取ったことにより、アステカ族(アストラハン)、メシカ族(ムシュキ)はアステカ帝国を後にする。南方組のムシュキ族は現ニカラグアに移住し、逃亡奴隷と交わって「ミスキート族」を形成した。ミスキートの名の由来はマスカットである。マスカット=マスカート=ミスキートとなる。

 


■AD1440年 「益子氏誕生」

 

イスラム軍がアラビア半島を統一すると、一部ムシュキ族は日本に向かったギルザイ族の船団に加わった。アラビア人の顔をしたムシュキ族は、日本人と混合して「益子」の姓を形成した。益子の名の由来はマスカットである、マスカット=マスコット=益子となる。

 


■AD1521年 松井忠次生誕 「松平康親誕生」

 


■AD1699年 「モスキート王国誕生」

 

AD1699年、ミスキート族は「モスキート王国」を築いている。モスキートを称しているとはいえ、「蚊」とは無縁である。ミスキート族は、スペイン人入植者を度々攻撃した。

 


■AD18??年 ジェスラン・ド・メスキータ生誕

 

メスキータの名の由来はモスキートである。メスキータは、不可能な世界の創造に熱中したM・C・エッシャーの師である。

 


■AD1922年 水木しげる生誕 「ゲゲゲの鬼太郎誕生」

 

水木の名の由来はミスキートである。ミスキート=ミズキート=水木となる、水木しげるは、ジャングルの描写に卓越しているが、これは身体に眠っていた、ミスキート時代を生きた先祖の記憶によるものだろう。

 

 

 

 

◆弥勒(ミツライム)の歴史

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ミツライム誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したマサイ族は、北アフリカに入植した。彼らは、クリュメネーと連合し、北アフリカに「ミツライム」を生んだ。ミツライムの名の由来はマサイとクリュメネーの組み合わせである。マサイ+クリュメネー=マサリウメ=マチャリウメ=ミツライムとなる。

 


■BC5千年 「セネガル人の大航海時代」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレス誕生」

 

「セネガル人の大航海時代」に参加したミツライムは、アイルランドから古代ヨーロッパに移り、現ツールを訪れ「マー・トゥーレス」を築いた。マー・トゥーレスの名の由来はミツライムである。ミツライム=ミートゥーラ=マー・トゥーレスとなる。マー・トゥーレスは、後に「ツール」として知られるようになる。

 


■BC5千年 「戦闘の神テュール誕生」

 

「セネガル人の大航海時代」に参加したミツライムは、ヴァン神族に参加して「戦闘の神テュール」を祀っている。テュールの名の由来はミツライムである。ミツライム=ミトゥライム=トゥーラ=テュールとなる。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレスの戦い」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「太陽神ミトラ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したミツライムは、メソポタミアに帰還し、「太陽神ミトラ」を祀った。ミトラの名の由来はミツライムである。ミツライム=ミトライム=ミトラとなる。その後、残念ながら、ミトラはローマ帝国時代にミトラスとして、タナトス(ドーリス人)によって簒奪されている。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「マトゥーラ誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したミツライムは、エニセイ河流域に残留したが、その後、インドに南下して「マトゥーラ」を築いた。マトゥーラの名の由来はミツライムである。ミツライム=ミトゥーライム=マトゥーラとなる。

 


■BC1027年 「マドゥラ王国誕生」

 

BC1027年、「マハーバーラタ戦争」「十王戦争」の後に、パンジャブに入植し「マドゥラ王国」を建設している。マドゥラの名の由来はマドゥーラである。

 


■BC521年 「マトゥーラ誕生」

 

ダリウス大帝の即位を機にイランを去ったマドゥーラ族(太陽神ミトラ)は、次にインドに赴いて「マトゥーラ」を築いた。彼らは、シューラセーナ人と連合し、マトゥーラをシューラセーナ王国の首都に設定した。

 


■BC451年 インドから満州に移住

 

マガダ王国がガンジス流域を統一すると、シューラセーナ王国は滅び、シューラセーナ人とマトゥーラ人はインドを離れて満州に入植した。この時にシューラセーナ人は「粛慎」となる。そして、マトゥーラ人は「ヒッタイト人の大航海時代」に参加して北アメリカに移住する。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「マイドゥー族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」を経て、マトゥーラ族は現カリフォルニアで足を止めた。彼らは、そのまま現地人と混合して「マイドゥー族」となった。マイドゥーの名の由来はマトゥーラである。マトゥーラ=マイドゥーラ=マイドゥーとなる。マイドゥー族は「前田氏」の祖となる。

 


■AD10世紀 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD9??年 「日奉氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加して現カリフォルニアを離れたマイドゥー族は、日本に上陸し、現地人と混合して「日奉氏」を成した。日奉の名の由来は太陽神ミトラである。太陽神(日)+ミトラ(まつり)=日奉となる。日奉宗頼は、武蔵七党「西党」の党祖として知られている。日奉氏の西党だけでなく、児玉氏(カドモス)の児玉党など、獣人ミマースの後裔が武蔵に集って「武蔵七党」を築いたことは興味深い。

 


■AD1358年 「前田氏誕生」

 

サキャパンディタの系統に属するサーキャ派の一部は、チベットを離れて三河国に移住した。この時に「前田氏」が生まれた。前田の名の由来は日奉氏の前身マイドゥー族である。マイドゥー=マエドゥー=前田となる。前田氏からは戦国時代に活躍した前田玄以、前田利家、前田利長などが輩出された。

 


■AD1539年 前田利家生誕

 


■AD1918年 ニコラス・マドゥロ生誕

 

ベネズエラ共和国第54代大統領に就任している。

 

 

 

 

 


ムルングの歴史

◆フランク(ムルング)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「ムルング誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したディンカは、現ケニアに「マサイ」、現タンザニアに「ムルング」、現ソマリアに「ハダメ」「イサック」を生んだ。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■40万年前 「ミラノ誕生」「リヨン誕生」「マルセイユ誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したムルングは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「ミラノ」「リヨン」「マルセイユ」「シェラモレナ」「サンマロ」「チューリンゲン」「ロアール」などである。「ミラノ」「リヨン」の名の由来はムルングであり、「マルセイユ」の名の由来はムルングとマサイの組み合わせである。ムルング=ムルノ=ミラノとなり、ムルング=ムリョング=リヨンとなり、ムルング+マサイ=ムルサイ=マルセイユとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ムル族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したムルングは、ミャンマーに移住した。この時、彼らは「ムル族」を称した。ムルの名の由来はムルングである。ムルング=ムルとなる。

 


■7万年前 「トゥングル族誕生」「カレン族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したムルングはディンカと連合して、インドネシアに「トゥングル族」を生んだ。トゥングルの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=トゥングルとなる。また、ミャンマーに足場を得たトゥングル族は、「カレン族」を生んだ。カレンの名の由来はディンカとムルングの組み合わせであり、ムルングが主導していた。ディンカ+ムルング=カルン=カレンとなる。

 


■7万年前 「ケタガラン族誕生」「クーロン族誕生」

 

台湾に入植したトゥングル族(カレン族)は、単独で「クーロン」を称し、エレクトラと連合して「ケタガラン」を成した。クーロンの名の由来はカレンであり、ケタガランの名の由来はエレクトラとカレンの組み合わせである。カレン=カーレン=クーロンとなり、エレクトラ+カレン=クトカレン=ケタガランとなる。

 


■7万年前 「犬戒誕生」

 

セデック族(台湾)は、意気投合したトゥングル族(カレン族)と共にシベリアに移住した。両者は、ウリゲン、テングリ、エルリクなどの子孫である現地人と交わり「チュクチ」「ディングリング」を形成した。一方、カレン族は「犬戒(キロン)」を築いた。キロンの名の由来はカレンである。犬戒(キロン)は、黒龍江辺りに築かれた。「神統記」では、犬戒(カレン族)は「カロンの渡し守」と呼ばれた。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「アルバ・ロンガ王国誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したムルングは、エジプトの途上、ソドム王国とゴモラ王国を築いたアルパクシャデと組んで「アルバ・ロンガ王国」を築いた。アルバロンガの名の由来はアルパクシャデ、ムルングの組み合わせである。アルパクシャデ+ムルング=アルパルング=アルバロンガとなる。アルパクシャデがアラビア半島を統治し、ムルングがランカー島を統治することで、アルバ・ロンガ王国は成立していた。アルバロンガ人は、アラビア半島でローマ人、サビニ人、ラテン人と出会った。

 


■BC30世紀 「ランカー誕生」

 

アラビア半島に拠点があったアルバロンガ王国は、セイロン島に移住し、セイロン島を「ランカー」と命名した。ランカーの名の由来はロンガである。ロンガ=ロンガー=ランカーとなる。その後、タナトスの一族、ラクシャサ、魔王ラーヴァナがランカー島を征服する。マハーバーラタ戦争の一環である「ラーマーヤナ」の舞台は、ランカー島とアラビア半島(アルバ・ロンガ)である。

 


■BC1134年 「カリンガ誕生」

 

魔王ラーヴァナがランカー島を支配すると、タナトス一族を嫌ったランカー人は、人跡未踏だった古代ジャワ島に移住し、「カリンガ」と命名した。カリンガの名の由来はディングリングである。ディングリング=グリング=カリンガとなる。カリンガの名はムルングが主導している証である。カリンガ王国は、「マハーバーラタ戦争」にも関わっていた。

 


■BC1134年 「パレンケ誕生」

 

魔王ラーヴァナがランカー島を支配すると、タナトス一族を嫌ったランカー人は、ジャワ島を経て、太平洋を横断した。彼らは、遠くユカタン半島にまで足を伸ばし、「パレンケ」を築いた。パレンケの名の由来はアルバロンガである。アルバロンガ=バロンガ=パレンケとなる。

 


■BC7世紀 「カリンガ王国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」ニ影響され、ジャワ島からインド東岸に移住したカリンガ人は「カリンガ王国」を築いた。カリンガ王国は、正体不明ながら、経済大国として繁栄した。カリンガ王国は、ヴァカタカ朝がデカン高原を制覇するAD5世紀まで続いた。しかし、その後も折に触れ、AD7世紀、AD11世紀と、何度か復活を遂げている。

 


■BC523年 「夜郎誕生」

 

シスナーガ朝が始まり、マガダ王国が強大になると、ムルングは、雲南に移住し「夜郎(イエラン)」を築いた。イエランの名の由来はムルングである。ムルング=ウルング=イエラングとなる。夜郎は、BC27年に滅んでいるが、夜郎は同族の国であるカリンガと共栄共存したと考えられる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「フランク族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したパレンケ人は、マヤからヨーロッパに移り、ライン河畔に「フランク族」を形成した。フランクの名の由来はパレンケである。パレンケ=ハレンケ=フランクとなる。

 


■BC146年 「ランゴバルト人誕生」

 

ローマとの抗争が激化すると、一部のフランク人はゲルマニアを逃れてバルト海に移住した。彼らは、バーラタ族と連合して「ランゴバルト人」を形成した。ランゴバルトの名の由来はフランクとバーラタ(エピアルテース)の組み合わせである。フランク+バーラタ=ランクバラタ=ランゴバルトとなる。

 


■AD114年 「慕容部(ムーロング)誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加せずに、陸路を選んだポントス人、パルティア人は正統な鮮卑を追放し、騎馬軍団を簒奪した。この時、犬戒(キロン)に住んでいたムルングは、慕容部(ムーロング)を称した。ムーロングの名の由来はムルングである。ムルング=ムールング=ムーロングとなる。その後、慕容部は宇文部(ポントス人)、托跋部(パルティア人)の鮮卑に参加している。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 慕容部、ピクトランドに入植

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した慕容部は、ピクトランドに入植した。彼らは、そこで「鮮卑の大航海時代」の同盟者であるカイトと連合を組んだ。

 


■AD568年 アルボイン、初代王に即位 「ランゴバルト王国誕生」

 

ランゴバルト人は、東ゴート王国を滅ぼした東ローマ帝国を退けてイタリア半島に「ランゴバルト王国」を築いた。AD774年になると、シャルルマーニュ大帝率いるフランク王国軍の侵攻によって滅んでいる。

 


■AD751年 ピピン、初代フランク王に即位 「カロリング朝誕生」

 


■AD768年 シャルルマーニュ、第2代フランク王に即位

 


■AD843年 シャルル1世、初代西フランク王に即位 「西フランク王国誕生」

 


■AD843年 ロタール、初代中フランク王に即位 「中フランク王国誕生」

 


■AD843年 ルートヴィヒ、初代東フランク王に即位 「東フランク王国誕生」

 


■AD877年 隆舜、第12代南詔王に即位

 

夜郎の残党は「隆氏(ロング)」を生んだ。ロングの名の由来はムルングである。ムルング=ムロング=ロングとなる。隆舜は、第12代南詔王に即位し、「大封民」と呼ばれた。治世はAD897年まで続いた。

 


■AD911年 コンラード1世、第5代東フランク王に即位 「フランコニア家誕生」

 


■AD987年 「パレンゲー家誕生」

 

AD888年、パリ伯ウードに西フランク王位を簒奪されると、フランク人はバルセロナに移住して「パレンゲー」を称した。パレンゲーの名の由来はフランク人の祖パレンケである。彼らは、バルセロナ伯ラモン・ボレイに接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのがバルセロナ伯を簒奪したパランゲー・ラモン1世である。

 


■AD1150年 ラモン・バランゲー4世、アラゴン王女と結婚 「アラゴン連合王国誕生」

 

AD1150年、ラモン・バランゲー4世はアラゴン王女と結婚することにより、「アラゴン連合王国」を手中にした。アラゴン連合王国は、サルディーニャ島、シチリア島を領有した。

 


■AD1195年 「マリーン王朝誕生」

 

ヴァイキング時代、慕容部は、カイトと共にピクトランドを発ち、モロッコに入植した。彼らは、「マリーン朝」を開いた。マリーンの名の由来は、慕容部(ムーロン)である。ムーロン=マーロン=マーリンとなる。AD1463年、ポルトガル王国がカサブランカを占領すると、7年後にマリーン朝は滅んだ。

 


■AD1230年 「フランシスコ会誕生」

 

AD1230年、カスティーリャ王国とレオン王国が合同すると、パランゲー家はウンブリアに入植した。AD13世紀、アッシジのフランシスコが誕生した。フランシスコの名の由来はフランスシカ(フランスの人)である。フランシスコは後に「フランシスコ会」を創設する。

 


■AD1235年 スンジャータ・ケイタ、初代帝王に即位 「マリ帝国誕生」

 

AD1224年、アルモハード帝国が崩壊し、タナトス一族によるグラナダ王国が建つと、マリーン朝の残党は南下し、ガーナ王国に移住した。その後、スンジャータ・ケイタが帝王に即位し、「マリ帝国」が建てられた。マリの名の由来はマリーンであり、ケイタの名の由来はカイトである。カイト=ケイト=ケイタとなる。

 


■AD17??年 「カランガスム王国誕生」

 

AD1555年、武田信玄に敗北した木曽義康は、バリ島に移住した。その後、カリンガを後にしたカリンガ人は、木曽氏と組んで、バリ島に「カランガスム王国」を築いた。バリ8王国のひとつに数えられる。

 


■AD1710年 「クルンクン王国誕生」

 

カリンガ人は、デワ・アグン・ジャンベと共に「クルンクン王国」を築いた。クルンクンの名の由来はカリンガである。カリンガ=カリンガン=クルンクンとなる。

 


■AD1753年 「シルカル誕生」

 

シュリーヴィジャヤ時代のジャワ島に潜伏していたカリンガ人は、オランダ東インド会社によって植民地化されたジャワを離れ、故地であるカリンガに帰還した。この時、彼らはカリンガの跡地に「シルカル」を築いた。シルカルの名の由来は「シュリーヴィジャヤのカリンガ」である。シュリーヴィジャヤ+カリンガ=シュリカリ=シルカルとなる。

 


■AD1810年 ラダマ1世、マダガスカル王に即位に即位 「メリナ王国誕生」

 

AD1470年、マリーン朝が滅ぶと、マリーン王家は北アフリカを去り、西アフリカ、南アフリカを周航してマダガスカル島に上陸した。AD16世紀に「アンドレアナ王国」を建てたが、後にラダマ1世が初代即位して「メリナ王国」を建国している。メリナの名の由来はマリーンである。マリーン=マリヌ=メリナとなる。AD19世紀、大英帝国とフランスがマダガスカルを巡って争っていたが、メリナ王家はこれに抵抗した。

 


■AD1830年 オーギュスト・ブランキ生誕 「季節協会誕生」

 

メリナ王国にフランス軍が訪れると、ブランキはフランスに帰還した。この時に「ブランキ」を称した。ブランキの名の由来はフランク、或いはパレンケである。彼は、故国メリナ王国を救うために「季節協会(四季の会)」を設立し、革命運動を指揮した。

 


■AD1839年 季節協会、警察を襲撃

 

ブランキは、「真の市民革命を起こそう」と呼びかけ、パリ市庁舎と警察署を襲撃した。逮捕されたブランキは、死刑判決を受けたが、減刑されて釈放された。彼はすぐに二月革命に参加し、王制を廃したが臨時政府と対立して逮捕された。アフリカに追放された彼は、帰還するとナポレオン3世に逮捕され、33年を獄中で過ごした。ブランキの不屈の闘志は民衆に賞賛され、彼が議員に立候補すると、絶大な人気を博し、当選した。

 


■AD1890年 フリッツ・ラング生誕

 

ラングの名の由来はフランク、或いはパレンケである。

 


■AD1892年 フランシスコ・フランコ生誕

 

フランコの名の由来はフランクである。フランコは、AD1936年にスペイン国家主席に就任し、AD1939年に独裁権を掌握した。

 


■AD1948年 グレン・ブランカ生誕

 

ブランカの名の由来はフランク、或いはパレンケである。

 


■AD1960年 「マルガシュ共和国誕生」

 

AD1960年、メリナ家は「マルガシュ共和国」を建てるが、マラガシュの名は、自分たちがマラケシュ(モロッコ)から来たことを示している。メリナ家は、マリーン朝時代にモロッコを統治していた。

 

 

 

 

 



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