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トレの歴史

◆テレストー(トレ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「トレ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現コンゴに移住して「トレ」を生んだ。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「トル族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したトレはアフリカを離れ、チッタゴンを経由してパプアに入植した。彼らは「トル族」を生んだ。トルの名の由来はトレである。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「エウドーラー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはヴィディエと組んで「エウドーラー」を生んだ。ヴィディエ+トレ=ィエトレ=イエトーレー=エウドーラーとなる。その後、エウドーラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「エレクトラ誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはオロクンと組んで「エレクトラ」を生んだ。オロクン+トレ=オロクトレ=エレクトラとなる。その後、エレクトラは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ポリュドーラー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはヒッポリュトスと組んで「ポリュドーラー」を生んだ。ヒッポリュトス+トレ=ポリュトレ=ポリュドーラーとなる。その後、ポリュドーラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「テレストー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはステュクスと組んで「テレストー」を生んだ。テレストーの名の由来はトレとステュクスの組み合わせである。トレ+ステュクス=トレステュ=テレストーとなる。その後、テレストーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

テレストーは、ゼウクソー、イマナと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「マイアンドロス誕生」

 

テレストーは、ピュグマエイ、ウェネと組んで「マイアンドロス」を生んだ。マイアンドロスの名の由来はピュグマエイ、ウェネ、テレストーの組み合わせである。ピュグマエイ+ウェネ+テレストー=マエイウェネテレス=マイアンドロスとなる。その後、マイアンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「イストロス誕生」

 

テレストーは、クウォスと組んで「イストロス」を生んだ。イストロスの名の由来はクウォス、テレストーの組み合わせである。クウォス+テレストー=ウォステレス=イストロスとなる。その後、イストロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ドーリス誕生」

 

テレストーが生まれると、その後にトレが分離し、「ドーリス」を生んでいる。ドーリスの名の由来はテレストーである。テレストー=テーレストー=ドーリスとなる。その後、ドーリスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アラス族誕生」「トアラ族誕生」

 

ドーリスは、テレストーと共にマレー半島に移住し「アラス族」、ヴェドイドに属する「トアラ族」を生んだ。アラス、トアラの名の由来はドーリスである。ドーリス=オーリス=アラスとなり、ドーリス=トオリ=トアラとなる。

 


■30万年前 「トラキ族誕生」「トラジャ族誕生」

 

テレストーは、ドーリスと共にマレー半島に移住し「トラキ族」「トラジャ族」を生んだ。トラキ、トラジャの名の由来はテレストーである。テレストー=テレキトー=トラキとなり、テレストー=テレシュトー=トラジャとなる。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「聖地デルポイ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したテレストーは、オーストラリアから古代ギリシアに移住した。テレストーはペイトーと組んで「聖地デルポイ」を建設した。デルポイの名の由来はテレストーとペイトーの組み合わせである。テレストー+ペイトー=テレペイ=デルポイとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天照大神誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したドーリスは、聖地デルポイから台湾に移住した。白人の姿をした彼らは、ニャメ(アミ族)と連合した。この時に「天照大神」が生まれた。アマテラスの名の由来はニャメとドーリスの組み合わせである。ニャメ+ドーリス=ヤメドリス=アマテラスとなる。天照大神は、高天原(台湾)を統治した。

 


■7万年前 「ドラヴィダ族誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したテレストーは、インドに上陸して「ドラヴィダ族」を生んだ。ドラヴィダの名の由来はテレストートペイトーの組み合わせである。テレストー+ペイトー=テレペイト=ドラヴィダとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「テリピヌ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したドラヴィダ族は、メソポタミアに辿り着くとブリテン島から来たヴァナラシ人(ペルセポネ)と組んで「テリピヌ」を生んだ。テリピヌの名の由来はドラヴィダとヴァナラシの組み合わせである。ドラヴィダ+ヴァナラシ=ドラヴァナ=テリピヌとなる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「日本足彦(孝安天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加した天照大神は、全世界的な大地殻変動によって故地が巨大な津波に飲み込まれると、荒廃した台湾を離れて大陸内陸部に避難した。モンゴルに拠点を得たティアマト、オケアーニス、獣人、河の種族は連合して「クンユ」「キアンユン」と呼ばれた国を築いた。
連合したティアマトたちは、後に、天孫族が築くイェマックの王統とは異なる天皇家の王統を築いた。神武天皇から始まり、垂仁天皇に終わる系譜は「クンユ」「キャンユン」時代に生きた天皇家の系譜である。彼らの御名は、みな獣人、オケアーニス、ティアマトに纏わる名前で構成されている。
日本足彦(ヤマトタラシヒコ)の名の由来はティアマトとドーリスの組み合わせである。ティアマト+ドーリス=アマトドリス=ヤマトタラシとなる。ヤマトタラシヒコは後に孝安天皇となるが、御名から推察すると、天照大神の直系は孝安天皇だけである。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「デリー誕生」

 

モンゴルに孝安天皇を生んだドーリスは、その後「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住した。彼らは、彼の地で「テリピヌ」を生んで「神々の集団アヌンナキ」に参加していたテレストーと再会し、再結合する。この時、両者はメソポタミアを離れて、ドラヴィダ族時代の故地インドに入植し「デリー」を築いた。デリーの名の由来はテレストーである。テレストー=テレーストー=デリーとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「デリー(トロイア)誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したテラは、アイルランドに入植し、「デリー(トロイア)」を築いた。このトロイアは「神統記」に記された「トロイア戦争」の舞台となる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「テラ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したテレストーとドーリスはメソポタミアに移住した。彼らは、この時にナホルの子として知られる「テラ」を生んだ。テラの名の由来はテレストーである。テレストー=テラストー=テラとなる。

 


■BC17世紀 「トロイア誕生」

 

インドに帰還していたテラは、パンジャブの王国(シバ王国、プント王国)の勢力拡大を機に、インドを離れ、ヒッタイト帝国で賑わうアナトリア半島に移住した。現地人と混合した彼らは、「トロイア」を称した。トロイアの名の由来はドラヴィダである。ドラヴィダ=トラウィラ=トラウィア=トロイアとなる。トロイアは、海の民(デニエン人、シェルデン人)に破壊されるまで伝説の都市として繁栄した。

 


■BC1200年 「ドルヒユ族誕生」

 

海の民の侵攻によってトロイアが破壊されると、トロイア人はトゥルシア人の助けにより、イランに亡命した。その後、トロイア人は故地であるインドに帰り、「ドルヒユ族」を称して、アーリア人の軍団に参加した。ドルヒユの名の由来はトロイアである。トロイア=トロヒア=ドルヒユとなる。

 


■BC1027年 「ダルマチア誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したマツヤ族とテラは、アドリア海に落ち着いて「ダルマチア」を称した。ダルマチアの名の由来はドルヒユとマツヤの組み合わせである。ドルヒユ+マツヤ=ドルマツヤ=ダルマチアとなる。BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「タリム誕生」

 

BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「登呂誕生」

 

キンメリア人などの勢力が強まると、をダルマチア人はタリム盆地から日本に移住した。日本ではダルマチア人は一時的に解散し、テラは「登呂」を建設した。登呂の名の由来はトレである。トレ=トロ=登呂となる。名前から、登呂遺跡は、日本に入植したダルマチア人が建設したとわかる。

 


■BC6世紀 「マツヤ王国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」によってたくさんの種族が到来すると、刺激を受けたダルマチア人は、日本を離れて故郷インドに帰還した。この時にマツヤ族とドルヒユ族は共同で先祖の拠点だったデリー近郊に「マツヤ王国」を建てている。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「聖地タラ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したドルヒユ族は、インドを離れてかつての故郷であるアイルランドに上陸した。ドルヒユ族は、「聖地タラ」を設けた。タラの名の由来はテラである。このアイルランド上陸時に、ドルヒユ族はマツヤ族と離れ、マゴスを相棒に決めて合体している。

 


■BC552年 「デラウェア誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、太西洋を横断し、北アメリカに入植した。日本人の顔をした彼らは現地人と混合して「デラウェア」を称した。デラウェアの名の由来はドルヒユである。ドルヒユ=ドルヒェア=デラウェアとなる。

 


■BC552年 「タラスカ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、次にメキシコに上陸すると、「タラスカ」を築いた。タラスカの名の由来は登呂と望月の組み合わせである。トロ+モチヅキ=トロツキ=タラスカとなる。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC13年 「景行天皇誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したマゴス、ドルヒユ族は満州に上陸し、イェマックの王室に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「大足彦(オオタラシヒコ)」である。オオタラシヒコの名の由来はオメガ(オー)とタラスカである。オー+タラスカ=オオタラシ=大足彦となる。つまり、大足彦の名はマゴスとダルマチア人の連合体であることを示している。景行天皇は、弱い民衆を苦しめるタナトスの一族である土蜘蛛を皆殺しにし、日本武尊にもタナトスの一族である九頭龍の討伐を指示した。

 


■AD84年 「成務天皇誕生」

 

ワカタラシヒコの名の由来は「若」とタラスカである。ワカ+タラスカ=ワカタラシ=稚足彦となる。稚足彦は「成務天皇」として第13代天皇に即位している。成務天皇の時代、ステュクスの後裔である武内宿禰が大臣として政務を統括したと言う。

 


■AD??年 「仲哀天皇誕生」

 

タラシナカツヒコの名の由来はタラスカと河の種族グレニコスの組み合わせである。タラスカ+グレニコス=タラスナカ=足仲彦となる。足仲彦は「仲哀天皇」として第14代天皇に即位している。仲哀天皇を最後に、ポントス人の応神天皇が即位するまで、イェマック王位(天皇の座)は70年間、空位となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ダラス誕生」

 

仲哀天皇の一族は、アメリカに入植して「ダラス」を築き、「ムスコギー族」を成した。ダラスの名の由来はタラスカであり、ムスコギーの名の由来は朝鮮語「何の肉ですか?(ムスンコギヤ?)」である。

 


■AD3世紀 「ハスティンギ族誕生」

 

仲哀天皇の一族は、ブリテン島に入植し、現地人と混合して「ハスティンギ族」を成した。ハスティンギの名の由来は朝鮮語「海水の友(ハス+チング)」である。ハス+チング=ハスチング=ハスティンギとなる。ハスティンギ族は、後にブリテン島を出撃してヨーロッパに渡り、イベリア半島に覇を唱えている。
AD406年、ブリテン島を出たハスティンギ族は、バルト海に赴くと、スエビ族、ヴァンダル族と連合してライン河を越えた。AD409年にイベリア半島に侵攻して「ハスティンギ王国」を建設するが、10年後にスエビ族と対立して敗北を喫してしまう。

 


■AD409年 「ハスティンギ王国誕生」

 

AD406年、ブリテン島を出たハスティンギ族は、バルト海に赴くと、スエビ族、ヴァンダル族と連合してライン河を越えた。AD409年にイベリア半島に侵攻して「ハスティンギ王国」を建設するが、10年後にスエビ族と対立して敗北を喫してしまう。

 

 

■AD520年 「タルマヌガラ王国誕生」

 

カンボジアに拠点を得たクメール人、アンコール人、ハスティンギ族だが、アンコール人がハスティンギ族と共にジャワ島に移住した。両者はジャワ島初の王国「タルマヌガラ」を建てた。タルマヌガラの名の由来はハスティンギ族の故地のひとつ「タリム」と「アンコール」の組み合わせである。タリム+アンコール=タリマンコール=タルマヌガラとなる。

 


■AD6世紀 「ヘースティンガス王国誕生」

 

イベリア半島からブリテン島に帰還すると、彼らはAD6世紀に「ヘースティンガス王国」を築いた。ハスディンギの系統からは「デン」などが末尾に付く姓が多く残された。

 


■AD1441年 「トルワ王国誕生」

 

デラウェア族は、北アメリカからジンバブエに移住した。彼らは「トルワ」を称した。トルワの名の由来はトロイアである。トロイア=トロア=トルワとなる。トルワの首都は「カミ」である。カミの名の由来はもちろん、日本語の「神」だと考えられる。正式な国名「ブトゥワ」も日本語「武闘派」が由来だと考えられる。トルワ王国は、陸奥安倍氏が築いた「ムタパ王国」と共存し、来島村上氏の後裔「チャンガミレ族」によって滅びた。

 


■AD1879年 レフ・トロツキー生誕

 

アステカ人(アストラハン・タタール)がメキシコから中央アジアに帰還した際、タラスカ人が同行していた。トロツキーはその子孫である。トロツキーの名の由来はタラスカと同じく登呂と望月の組み合わせである。登呂+望月=登呂月=トロツキーとなる。

 


■AD1983年 エドワード・スノーデン生誕

 

 

 

◆タルタロスの歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

テレストーは、ゼウクソー、イマナと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「マイアンドロス誕生」

 

テレストーは、ピュグマエイ、ウェネと組んで「マイアンドロス」を生んだ。マイアンドロスの名の由来はピュグマエイ、ウェネ、テレストーの組み合わせである。ピュグマエイ+ウェネ+テレストー=マエイウェネテレス=マイアンドロスとなる。その後、マイアンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「タルタロス誕生」

 

スカマンドロス、マイアンドロスは、連合を組んで「タルタロス」を生んだ。タルタロスの名の由来はスカマンドロスとマイアンドロスの組み合わせである。スカマンドロス+マイアンドロス=ドロドロス=トロトロス=タルタロスとなる。タルタロスは、カオス、ガイア、エロスに次ぐ原初の神のひとりである。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「タロコ族誕生」「ケンタウロス誕生」

 

「ティタノマキア」ニ敗北し、クロノスから解放されると、ギリシアを離れたタルタロスは台湾に入植し、シベリアから来ていたウリゲンと連合した。この時に「タロコ族」「ケンタウロス」が生まれた。タロコの名の由来はタルタロスとウリゲン、ケンタウロスの名の由来はウリゲンとタルタロスの組み合わせである。タルタロス+ティケー=タルケー=タロコ、ウリゲン+タルタロス=ゲンタロス=ケンタウロスとなる。タロコとケンタウロスは不可分であり、一時期、台湾がケンタウロスと呼ばれていたことがわかる。

 


■7万年前 「ダイダロス誕生」

 

マレー半島でアドメテーと連合したタルタロスは、「ダイダロス」を生んだ。ダイダロスの名の由来はアドメテーとタルタロスの組み合わせである。アドメテー+タルタロス=テータロス=ダイダロスとなる。ダイダロスは入ったら二度と出られない迷宮「ラビュリントス」を建設した。

 


■7万年前 「アイトラ誕生」

 

アラビア半島でエウドーラーと連合したタルタロスは、「アイトラ」を生んだ。アイトラの名の由来はエウドーラーとタルタロスの組み合わせである。エウドーラー+タルタロス=エウタロ=アイトラとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「タルタル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したタルタロスは、テテュスと行動を共にし、スーサから中央アジアに分布した。タルタロスは「タルタル人」を称した。タルタルの名の由来はタルタロスである。同盟者であるテテュスは「タタ」「タタール」などを称したが、彼らは行動を共にしていたため、タタ、タタール、タルタルはひとつの民族として混同された。

 


■BC5千年 「第1次北極海ルート時代」

 


■BC5千年 「ナワトル族誕生」

 

「第1次北極海ルート時代」に参加したタルタロスは、ノアと共に北アメリカに入植した。この時に「ナワトル族」が生まれた。ナワトルの名の由来はノアとタルタロスの組み合わせである。ノア+タルタロス=ノアタル=ナワトルとなる。

 


■BC40世紀 「ナワ族誕生」

 

ナワトル族は、北アメリカからマヤに移ると「ナワ族」に名を改めた。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「那覇誕生」「ナウル誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したナワ族は、出羽国を発ち、沖縄諸島を発見した。ナワ族は当地を「那覇」と命名した。那覇の名の由来はナワである。また、彼らは太平洋に進出し、「ナウル島(ニョルド)」を発見する。ナウルの名の由来はナイルである。ナイル=ナウルとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ナフタリ族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したナワトル族は、モンゴルに移住して「ナフタリ族」を生んだ。ナフタリの名の由来はナワトルである。ナワトル=ナハトル=ナフタリとなる。

 


■BC30世紀 「黙示録アルマゲドン」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ガンダーラ(前身)誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したタルタロス(ナフタリ族)は、アラビア半島に移住した。彼らは、マガン王国に移住し、レメクと意気投合した。この時代に「ガンダーラ」の前身が生まれた。ガンダーラの名の由来はマガンとタルタロスの組み合わせである。マガン+タルタロス=ガンタル=ガンダーラとなる。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「母なる女神タウレト誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、アラビア半島を出たタルタロス(ナフタリ族)は、エジプトに移住した。彼らは、エジプトに「母なる女神タウレト」を祀ってヘリオポリスに参加した。タウレトの名の由来はタルタロスである。タルタロス=タウレタロス=タウレトとなる。

 


■BC1027年 「ナパタ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、アラビア半島を出たタルタロス(ナフタリ族)は、エジプトからヌビアに移住し「ナパタ」を生んだ。ナパタの名の由来はナフタリである。ナフタリ=ナプタリ=ナパタとなる。

 


■BC7世紀 「クシュ人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ワダラーン誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」第1の拠点はソマリアである。ここにはナフタリ族が残留を決めた。ナフタリ族は2つに分離し、ノア族の系統のナフタリ族が「ハワドレ」を称し、タルタロスの系統のナフタリ族は「ワダラーン」を称した。ハワドレ、ワダラーンのいずれの名もナワトルが由来である。ナワトル=アワタリ=ハワドレとなり、ナワトル=ナワタラン=ワダラーンとなる。

 


■BC7世紀 「ガンダーラ王国誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」に参加したマガン人とタルタロス(ナフタリ族)は、インダス流域に移住した。この時に「ガンダーラ王国」が生まれた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC327年 「フォトラ誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したワダラーン族は、ピクトランドに根付いた。この時に「フォトラ」が生まれた。フォトラの名の由来はワダラーンである。ワダラーン=ハタラーン=ファタラ=フォトラとなる。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「キンダ人誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、アラビア半島に上陸した。彼らは、アラビア人と混合して「キンダ族」を称した。キンダの名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=ギンダーラ=キンダとなる。その後、キンダ族はヨルダンに移った。

 


■BC327年 「キンダ人の大航海時代」

 


■BC327年 「ブリギンテ族誕生」

 

「キンダ人の大航海時代」に参加したキンダ族は、イベリア半島に上陸すると、「ブリギンテ」の名前を得た。ブリギンテの名の由来はイベリアのキンダである。イベリア+キンダ=ベリアキンダ=ブリギンテとなる。

 


■BC327年 ブリギンテ族、ブリテン島に入植

 


■BC327年 「女神ブリギッド誕生」

 

ブリギンテ族は、ブリテン島北部を拠点にし、一部がアイルランドに移住すると、「聖なる女神ブリギッド」を祀った。ブリギットの名の由来はブリギンテである。ブリギンテ=ブリギッテ=ブリギットとなる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC3世紀 「ブルグント族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したブリギンテ族は、キンブリ人と共にバルト海に進み、ボーンホルム島に入植した。この時に「ブルグント族」が生まれた。ブルグントの名の由来はブリギンテである。ブリギンテ=ブリギント=ブルグントとなる。

 


■BC3世紀 「第2次ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC3世紀 「ケツァルコアトル誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したケツァルコアトルは。コーサラ人と組んで「テオティワカン」が栄えていた古代メキシコに移住した。この時に「ケツァルコアトル」が生まれた。ケツアルコアトルの名の由来はコーサラとフォトラの組み合わせである。コーサラ+フォトラ=コーチャラ+クォトラ=ケツァルコアトルとなる。

 


■BC139年 「ケツァルコアトルの大航海時代」

 


■BC1世紀 「ツェルタル族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」を経て、マヤに移住したタルタル族は、間や陣と混合し、タルタルを由来に「ツェルタル」の種族を儲けた。タルタル=チェルタル=ツェルタルとなる。

 


■AD346年 「百済誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したケツァルコアトルは、バクトリアから来たバクトリア人と連合して百済(クダラ・ペクチェ)を建てた。百済の名の由来はケツァルコアトルである。ケツァルコアトル=コアトル=クダラ(百済)となる。古代朝鮮の王国、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。

 


■AD411年 グンディオク、初代ブルグント王に即位 「ブルグント王国誕生」

 

ブリテン島に拠点があったブリギンテ族は、ボーンホルム島を経てゲルマニアに上陸し、「ブルグント族」として出現した。ブリギンテ族とブルグント族は不可分である。AD411年、ブルグント王国が建てられたが、王国は、AD534年に滅亡した。

 


■AD534年 「ブガンダ誕生」「ウガンダ誕生」

 

ブルグント王国が滅ぶと、ブルグント族はヨーロッパを発ってアフリカ大陸に向かった。地中海からナイル河に入り、上流の大湖水地方に達したブルグント族は「ブガンダ王国」「ウガンダ王国」を築いた。ブガンダの名の由来はブルグントである。ブルグント=ブーグント=ブガンダ=ウガンダとなる。ウガンダ族は、大英帝国がニョロ帝国を攻略する時に大英帝国軍に従軍してニョロ帝国を滅亡させた。ブリギンテ族の後裔であるウガンダ族は、イギリス人に親近感を持っていたため加勢した。だが、残念ながら、当時のイギリス人は人喰い人種の教会「聖公会に」に掌握されていたため、征服の道具として利用されたに過ぎない。

 


■AD633年 朝鮮半島からピクトランドに帰還

 

AD663年、「白村江の戦い」で百済が滅ぶと、一部の百済人は故地であるピクトランドに帰還し、朝鮮人の顔をした百済人は白人の顔をした兄弟「フォトラ」に合流した。

 


■AD681年 「第1次ドゥロ朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD663年、「白村江の戦い」で百済が滅ぶと、一部の百済人はコーカサスに移住し、ブルガリア人を統率して「ブルガリア帝国」を建設した。「ドゥロ王朝」の名の由来はタルタロスである。タルタロス=ドロドロス=ドゥロとなる。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

AD753年、ドゥロ王朝が滅ぶと、ドゥロ家はインドに入植し、ラーシュトラクと連合した。この時に「ラーシュトラクータ朝」が生まれた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラクと百済の組み合わせである。ラーシュトラク+百済=ラーシュトラク+クダラ=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD825年 「マーシア人の大航海時代」

 


■AD825年 「バートリ家誕生」

 

「マーシア人の大航海時代」に参加したフォトラは、トランシルヴァニアに移ってフォトラを由来に「バートリ家」を築いた。バートリの名の由来はフォトラである。フォトラ=フォートラ=バートリとなる。バートリ家は、トランシルヴァニア公、ハンガリー王、ポーランド王を数多く輩出した東欧貴族の名家である。

 


■AD852年 ボリス1世、ブルガリア皇帝に即位 「第2次ドゥロ朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

ラーシュトラクータ朝のドゥロ家は、再度、ブルガリアに侵入し「ドゥロ王朝」を開いた。この王朝はAD997年まで続いた。

 


■AD868年 「トゥールーン朝誕生」

 

AD663年、百済が滅ぶと、百済人は朝鮮半島を離れてエジプトに移住した。彼らは「トゥールーン」を称した。トゥールーンの名の由来はフォトラである。フォトラ=フォトラーン=トラーン=トゥルーンとなる。AD868年、アッバース朝治世下、アフマド・イブン=トゥールーンが初代王に即位して「トゥールーン朝」を開き、事実上の独立政権を樹立している。

 


■AD1092年 「アルスラーン誕生」

 

その後、AD905年にトゥールーン朝が滅ぶと、トゥールーン王家はイラクに逃れて「アルスラーン」を称した。アルスラーンの名の由来はアルとトゥールーンの組み合わせである。アル+トゥールーン=アルツルーン=アルスラーンとなる。AD1092年、アルプ・アルスラーンがスライマン1世を倒し、「ルーム・セルジューク朝」に君臨した。

 


■AD1192年 「ラ・トゥール家誕生」

 

AD1192年にクルチ・アルスラーン2世が死去すると、一族はイラクを去り、カペー朝治世下のフランス王国に移住した。彼らは、ここで「ラ・トゥール」を称した。ラ・トゥールの名の由来はラとトゥールーンの組み合わせである。ラ+トゥールーン=ラ・トゥールとなる。
 

 

■AD1280年 「テルテル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD1192年にクルチ・アルスラーン2世が死去すると、一族はイラクを去り、ブルガリア帝国に移住した。AD663年に分裂した百済人がドゥロ朝を開いたことを知った彼らは、「テルテル朝」を開いた。テルテルの名の由来はタルタロスである。タルタロス=テルテルス=テルテルとなる。この王朝は、AD1322年まで続いた。

 


■AD1490年 「ビーダル王国誕生」

 

オスマン・トルコ帝国がバルカン半島に進軍すると、トランシルヴァニアにいた一部のバートリ家がこれを嫌ってインドに移住した。白人の顔をした彼らは、インド人と混合して「ビーダル」の名を生んだ。バフマニー朝最後の王カリームッラー・シャーが死去すると宰相アミール・バリードがアミール・バリード・シャー1世を名乗り、バフマニー朝を廃した。ビーダルの人々は、「ビーダル王国」を建てた。ビーダルの名の由来はバートリである。バートリ=バードリ=ビーダルとなる。その後、ビーダル王国がAD1619年に滅ぶと、ビーダルの人々は、ナフタリ族時代の同盟者である服部氏に、日本への亡命を手助けしてもらった。

 


■AD1611年 エリザベート・バートリ逮捕

 

マラーター族を一時的に抜け出してインドからトランシルヴァニアに移り住んだルオ族は、ヴラド公の後釜としてエリザベート・バートリを選び、彼女の地位を利用して、近隣から子女を誘拐し、残虐な享楽の果てに殺害し、食べていた。しかし、余りにも近隣の少女に手を出しすぎたため、悪事が近隣住民に知れ渡ることになった。この時、ルオ族は家族であるルター派に相談し、エリザベートをハメ、全ての責任を転嫁して逃げる算段をつけた。
610人もの少女が惨殺されたといわれているが、責任は全てエリザベートに転嫁された。エリザベートは使用人たちが何をしているか知っていた。だが、恐ろしくてやめさせることは不可能だった。また、周りがルター派の信者で固められていたため、名門バートリ家の家族に相談しても、逆に、頭がおかしいとしてエリザベートは家族にさえ退けられていた。逮捕されたエリザベートは、窓も出入り口も塗り固められた穴倉に幽閉され、汚物と害虫に塗れて暗闇の中で果てたとされている。バートリ家だけでなく、近隣住民、被害者の遺族でさえ、エリザベートが犯人でないことは知っていた。しかし、パンノニアのインフラを掌握しているルター派に安定した生活と平穏な日常を保障してもらうため、仕方なかったのだ。このように、人喰い人種が君臨する世の中では「生きているのに口なし」ということがしばしば起きる。
現在、エリザベート・バートリの猟奇事件は、若さを妬み、少女を憎んだ年増の暴君が復讐心を満たすために行った身勝手で残虐な所業とされている。だが、実際にはソーニー・ビーンとしてイギリスで300人もの人間を殺して喰い、ジル・ド・レ、ヴラド公に寄生して、たくさんの人々を惨殺した人喰い人種の所業であった。エリザベートは「鋼鉄の処女」で殺した少女の血を浴び、拷問器具で指を切断して苦痛にゆがむ表情を見て笑い、使用人に命じて娘の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出して興奮していたという。しかし、これらは全て使用人(ルオ族)の所業である。このあと、ルオ族はインドに帰還してマラーター族に合流するが、一部はトランシルヴァニアからロシア帝国に移り、ダリヤ・サルトゥイコヴァ伯爵夫人に寄生している。

 


■AD1918年 ヘルマン・ポール、創設 「トゥーレ協会誕生」

 


■AD1922年 ピエル=パオロ・パゾリーニ生誕

 

バートリの家系からは映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニが輩出されている。バートリ=バーソリ=パゾリーニとなる。

 

 

 

 

◆トゥルシア(ティルス)の歴史

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千2百年 「神々の集団アヌンナキ誕生」

 


■BC7千2百年 「ティルス誕生」

 

タルタル人(タルタロス)は、中央アジアからメソポタミアに赴いて「ティルス」を生んでいる。ティルスはヤペテの子と伝えられているが、名前から察するに、トレに属している。ティルスの名の由来はタルタロスである。タルタロス=タルティルス=ティルスとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大航海時代」

 


■BC7千年 「トラキア誕生」

 

「アヌンナキの大航海時代」に参加したティルスは、マルドゥクと共にバルカン半島に移住した。この時、彼らは「トラキア」を築いた。トラキアの名の由来はティルスとカオス(マルドゥク)の組み合わせである。ティルス+カオス=ティルカオ=トラキアとなる。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「セロス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したティルスは、シルックと共にマヤに移住した。この時に「セロス」を築いている。セロスの名の由来はシルックとティルスの組み合わせである。シルック+ティルス=シルス=セロスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「トゥルシア人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したセロス人(ティルス)は、ベリーズ人(ホルス)と共にマヤで船団に加わった。セロス人は、イランに入植して「トゥルシア人」を名乗り、海の民の連合国、伝説の「ベーシュタード王国」を築いた。トゥルシアの名の由来はティルスである。ティルス=ティルシア=トゥルシアとなる。

 


■BC19世紀 「テュロス誕生」

 

地中海の番人としての役割を果たしたトゥルシア人は、タナトスの海の民(シェルデン人、デニエン人)を成敗し、ラムセス2世を助け、ミケーネ人、ヒッタイト人、トロイア人などの亡命者をイランに導いた。、トゥルシア人はカナンに「テュロス」を築いた。テュロスの名の由来はティルスである。海の民の時代が終わった後も、テュロスは、そのままフェニキア人の都市として、アレキサンダー大王の侵攻まで存続した。

 


■BC19世紀 「トリツ族誕生」

 

トゥルシア人は、インドに移住し、「トリツ族」を生んだ。トリツの名の由来はティルスである。ティルス=ティルツ=トリツとなる。トリツ族は、アーリア人の軍団に参加した。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「トラキア王国誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したトラキア人は、バルカン半島に移住した。彼らは「トラキア王国」を築いた。

 


■BC1027年 「ラーシュトラク誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したゾロアスター教はインド西岸に「ラーシュトラク」の土地を得た。ラーシュトラクの名の由来はトゥルシアとトラキアの組み合わせである。トゥルシア+トラキア=ルシアトラキア+ラーシュトラクとなる。

 


■BC332年 「ユリウス家誕生」

 

アレクサンドル大王がティルスを占領すると、ティルス人はイタリア半島に逃亡した。この時に「ユリウス家」が生まれた。ユリウスの名の由来はティルスである。ティルス=ティリウス=イリウス=ユリウスとなる。

 


■BC273年 「ラジア誕生」

 

マウリア朝がラーシュトラクの領土を席巻すると、ラーシュトラク人は黒海東岸に移住した。この時に「ラジア」を建設した。ラジアの名の由来はラーシュトラクである。ラーシュトラク=ラージアトラク=ラジアとなる。

 


■BC年 ユリウス・カエサル生誕

 


■AD68年 「葛城氏誕生」

 

ローマ帝国の覇権を喪失すると、ユリウス家は、日本に上陸して現地人と混合し、「葛城氏」を形成した。葛城の名の由来は「カエサルの城」である。カエサル+城=カサル+城=葛城となる。葛城氏は、後に満州に赴いてイェマック王統を簒奪した托跋部に接近して自身の血統を打ち建てた。葛城襲津彦の娘、磐之媛が仁徳天皇に接近して、履中天皇、反正天皇、允恭天皇を生んでいる。履中天皇の御名「大兄去来穂別尊」の大兄(おおえの)は、ヨーロッパの名「オーウェン」の当て字である。

 


■AD68年 「フォルト・リウ誕生」

 

ローマ帝国の覇権を喪失すると、ユリウス家は、クラウディウス家、プルトゥス家を率いてスコットランドに移住した。ユリウス家は、プルトゥス家と組んで「フォルト・リウ」を建てた。フォルト・リウの名の由来はプルトゥスとユリウスの組み合わせである。プルトゥス+ユリウス=プルトゥ+リウ=フォルト・リウとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 葛城氏、ジャワ島に移住

 

「大和人の大航海時代」に参加した葛城氏は、後に、山田氏と共に「マタラム王国」を築いた。

 


■AD470年 「マイトラカ朝誕生」

 

ゴート族、フン族が乱入してきたため、トラキア人はバルカン半島を離れて、グジャラートに居つき、ニュージーランドからインドに来ていたマオリ族と連合して「マイトラカ帝国」を建国した。マイトラカの名の由来はマオリとトラキアの組み合わせである。マオリ+トラキア=マオトラカ=マイトラカとなる。

 


■AD703年 「ラーシュトラクータ(前身)誕生」

 

イスラム軍がアルメニアに迫ると、ラジア人は黒海を脱出した。彼らは、「ラーシュトラク」の跡地に移住し、チャールキア朝に配下として参加した。一方、彼らはAD663年に滅亡した百済の残党と合体し、連合体「ラーシュトラクータ」を築いた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラクと百済の組み合わせである。ラーシュトラク+クダラ=ラーシュトラクダー=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

AD753年、ダンティドゥルガがチャールキアの君主を倒して「ラーシュトラクータ朝」を開き、デカン高原の支配者となる。

 


■AD864年 「マタラム王国誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した葛城氏は、山田氏と共に「マタラム王国」を築いた。マタラムの名の由来はティアマト(山田氏)とローマ(葛城氏)の組み合わせである。ティアマト+ローマ=マトローマ=マタラムとなる。

 


■AD929年 「ジャワ人の大航海時代」

 


■AD929年 「有吉氏誕生」「有安氏誕生」

 

マタラム王国が滅ぶと、ジャワから日本に帰還した葛城氏は、現地人と混合して「有吉氏」「有安氏」などを生んだ。2つの名の由来はいずれもユリウスである。ユリウス=ウリヤス=有吉=有安となる。

 


■AD973年 「龍造寺氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に上陸した。インド人の顔をしたラジア人は現地人と混合して「龍造寺氏」を称した。龍造寺の名の由来はラーシュトラである。ラーシュトラ=リューゾーテラ=龍造寺となる。龍造寺氏の子孫には怪奇作家夢野久作(杉山直樹)がいると伝えられている(母方が龍造寺氏なのかもしれない)。

 


■AD973年 「寺沢氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に上陸した。トラキア人は「寺沢氏」を称した。トラキア=トラシワ=寺沢となる。

 


■AD973年 「リスト誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々はヨーロッパに移住した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「リスト」の名を生んだ。リストの名の由来はラーシュトラである。ラーシュトラ=ラーシュト=リストとなる。

 


■AD1584年 龍造寺隆信、千葉氏と共にパンジャブに移住

 

千葉氏はラージプート時代にパンジャブで生活していたため、一行は日本を発つとパンジャブに侵入し、一時的に潜伏した。

 


■AD1615年 「豊臣氏の大移動時代」

 


■AD1615年 「ルソー誕生」

 

「豊臣氏の大移動時代」に参加した龍造寺隆信の一行は、コーカサスを通過してスイスに移って現地人と交わり、「ルソー」「リスト」の名を生んだ。ルソーの名の由来は龍造寺であり、リストの名の由来はラーシュトラクータである。龍造寺(りゅうぞうじ)=りゅうぞう=ルソーとなる。

 


■AD1712年 ジャン=ジャック・ルソー生誕

 


■AD1811年 フランツ・リスト生誕

 


■AD1844年 アンリ・ルソー生誕

 


■AD1848年 グイド=フォン・リスト生誕 「リスト協会誕生」

 


■AD1889年 夢野久作(杉山直樹)生誕

 


■AD1932年 リチャード・レスター生誕

 


■AD1955年 寺沢武一生誕

 

 

 

 

◆バクトリア(エウドーラー)の歴史

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にハタミ人がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らは、グリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの祖モリモのことである。

 


■BC5千年 「ヘクトル誕生」

 

ブリテン島からアイルランドに渡ったヘカテは、デリーに「ヘクトル」を生んだ。ヘクトルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトラ=ヘクトルとなる。神話では、「トロイア戦争」でアキレウスに殺されている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「バクトリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したヘクトルの残党は、中央アジアに入植し「バクトリア」を築いた。バクトリアの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC250年 ディオドトス1世、初代王に即位 「バクトリア王国誕生」

 

ピクト人の子孫であるバクトリア人は、BC250年、セレウコス朝から独立して「バクトリア王国」を築いている。バクトリアの名の由来はピクトと同じく、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ビクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC139年 「カタール誕生」

 

王国が滅ぶと、バクトリア人はアラビア半島に移住した。彼らは「カタール」を築いた。カタールの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バクトーリア=クターリア=カタールとなる。

 


■AD320年 「キダーラ誕生」

 

サーサーン朝がアラビアを攻撃すると、エウドーラーが主導するカタールの人々はアラビア半島を離れてパンジャブに入植した。彼らは
パンジャブに「キダーラ朝」を開いた。キダーラの名の由来はカタールである。

 


■AD500年 「ゴダール誕生」

 

キダーラ朝が滅ぶと、キダーラ人はフランスに入植した。パンジャブ人の顔をした彼らは現地人と混合して「ゴダール」の名を生んだ。ゴダールの名の由来はキダーラである。キダーラ=ギダーラ=ゴダールとなる。この系統からは映画監督ジャン=リュック・ゴダール、チャップリン夫人ポーレット・ゴダードが輩出されている。

 


■AD500年 「カタリ派誕生」

 

キダーラ朝がAD500年に滅ぶと、キダーラ人はフランスに移り、キリスト教徒になった。しかし、人食い人種タナトスの団体クリュニー会、シトー会などが仕切るカトリックに嫌悪を覚えたキダーラ人は独自のキリスト教を切り拓いた。それが「カタリ派」である。カタリの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バカタリア=カタリとなる。AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。

 


■AD1244年 「ドゥラニ族誕生」

 

タナトスの宗教シトー会が「カタリ派」を敵視し、異端と称して執拗に攻撃した。AD1209年、カタリ派を壊滅させるために、シトー会は「アルビジョワ十字軍」を編成した。AD1244年、最後の砦モンセギュールが陥落すると、壊滅を機に、カタリ派はフランスを脱出してパンジャブに移住した。フランス人の顔をしたカタリ派は、パシュトゥーン人の傘下に入り「ドゥラニ族」を生んだ。ドゥラニの名の由来はエウドーラーである。エウドーラー=エウドーラーン=ドゥラニとなる。

 


■AD13世紀 「ドロン誕生」「ディロン誕生」

 

AD13世紀、モンゴル軍の侵攻を機に、ドゥラニ族は一時的にヨーロッパに避難した。この時に「ドロン」「ディロン」などの名が生まれた。これらの名はドゥラニが由来である。この系統からは俳優アラン・ドロン、俳優マット・ディロンが輩出されている。

 


■AD17世紀 「トゥーラーン族誕生」

 

その後、ドゥラニ族がヨーロッパからアフガンに戻ると、パシュトゥーン人がギルザイ族を乗っ取ったため、ギルザイ族が「ドゥラニ」の名を簒奪していた。そのため彼らは、代わりにパシュトゥーン人が簒奪した「ギルザイ族」に参加して「トゥーラーン族」を称した。トゥーラーンの名の由来はドゥラニである。

 


■AD1930年 ジャン=リュック・ゴダール生誕

 


■AD1935年 アラン・ドロン生誕

 


■AD1964年 マット・ディロン生誕

 


■AD1964年 「西パプア国独立闘争組織誕生」

 

穢多やニュクスの子、エリスの子がニューギニア島に帰還し、西パプア独立運動を指揮した。独立運動に関わった人々の名は日本語の名残りが見受けられる。カイセポ(飼いせば)、ジョウエ(女王)、ウォムシウォル(青虫おる)、ジョク(邪気)、マンダチャン(まんだしゃん)、メイドガ(毎度か)、ワンマ(あんま)、ミリノ(いみりの)、ワルサ(悪さ)、インディ(いんで)、アジャミセバ(味見せば)、ペケイ(破壊)、プライ(無頼)、ワダンボ(わだんば)、テゲイ(てーげー)、ワインガイ(わいんかい)などである。以上、標準語もあるが、下北半島、名古屋、関西地方、静岡、徳島、岩手、甲州、沖縄、宮崎、北海道などの方言に因んだ名前が多く見受けられる。
また、パプアの独立運動家には、アンダマン諸島のジャラワ族(黒人ダン族)やミャンマー、アフリカを経て帰ってきたトンガ人(タンナ人)なども混在している。アンダマン諸島の名に因んだ「ヒンドム」はスウェーデンに拠点を設け、ミャンマー、アフリカを経たタンナ人は「タンガフマ」を称して、セネガルに拠点を設けている。アンダマン=ハンダマ=ヒンドムとなり、トンガ(リンポポ流域)+バマー(ビルマ)=トンガバマ=タンガフマとなる。
AD1973年、ヤコブ・プライは「西パプア共和国暫定政府」を宣言し、AD1988年にはトーマス・ワインガイが「西メラネシア国」の独立を宣言している。穢多の子孫は非常に活発に活動しているが、インドネシア共和国に君臨している華僑が彼らの独立を許さない。一部の華僑にはダニ族の血が流れている。つまり、ニューギニア島は「ダニ族の血を引く華僑のものだ」という考えがあるのだ。ダニ族の血を引く華僑も、もともとは大谷に誘われてアステカ帝国に渡った人々の子孫である。つまり、華僑VS西パプアの構図は、故地に帰還した、祖を同じくする人々による、故地を巡る抗争と捉えることができる。因みに、トーマス・ワインガイは日本人女性の妻を娶っている。これは彼の先祖が日本にいた証拠だ。

 

 

 

◆平氏(ガンダーラ)の歴史

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「関氏(グァン)誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、中国に上陸した。彼らは、中国人と混合して「関氏(グァン)」を称した。関(グァン)の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=グアンダーラ=関(グアン)となる。関氏からは、三国時代に活躍した「関羽」が輩出されている。

 


■AD3世紀 関羽生誕

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ディアラ(前身)誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した関氏は、イングランドに入植し、ガンダーラを由来に「ディアラ王国」を築いた。ガンダーラ=ガンディアラ=ディアラとなる。

 


■AD559年 「ディアラ王国誕生」

 

AD559年、アエラという人物が初代ディアラ王に即位している。AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は日本に移住することを決める。このイギリス人の顔をしたディアラ家が、日本人と混合して「源氏」「平氏」を生むことになる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「平氏(前身)誕生」

 

AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は「ヨハネスの大航海時代」に参加した。イギリス人の顔をしたディアラ王家は、多治比氏・安倍氏、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた上で、天皇家に接近した。ディアラ王家は、日本に初上陸した時の同盟者であるカンボージャ人の後裔「桓武天皇」に娘たちを接近させた。源氏と平氏の名の由来はガンダーラを2つに分割したものであるが、特に、平氏(タイラ)のネーミングはディアラに因んでいる。

 


■AD712年 「金刀比羅神社誕生」

 

「オースターの大航海時代」「勿吉の大航海時代」に参加したイギリス人ストーン(石氏)は、「ヨハネスの大航海時代」に参加したイギリス人スミス(司馬氏)と組んで「石清水神社」を建立し、「オースターの大航海時代」に参加したイギリス人キャッシュ(銭氏)は、ディアラ王家と組んで「金刀比羅神社」を建立した。石清水の名の由来はロック(石)とスミス(清水)の組み合わせであり。金刀比羅の名の由来は刀銭とディアラ(平)の組み合わせである。

 


■AD年 高棟王生誕

 

AD804年、ディアラ王家は直々に葛原親王に接近して桓武平氏の祖「高棟王」を生んだ。

 


■AD年 善棟王生誕

 

AD804年、ディアラ王家は直々に葛原親王に接近してオイラートの祖「善棟王」を生んだ。

 


■AD829年 「オイラート誕生」

 

死去に見せかけた善棟王が中臣氏を伴って満州を訪れ、女真族と接触を図る。だが、善棟王はそのままモンゴルに向かい、現地人と混合して「オイラート」を称する。オイラートの名の由来は「平の人(タイラート)」である。タイラート=アイラート=オイラートとなる。

 


■AD829年 「ラージプート誕生」

 

その後、遼朝が発足すると、オイラートは遼朝の人(リョウチョウビト)を意味する「ラージプート」を称した。その後、インドに侵入したラージプートからはタイラ2世が輩出された。タイラの名の由来は平(たいら)である。ラーシュトラクータ朝を滅ぼしたタイラ2世は、デカン高原に「後期チャールキア朝」を開いた。

 


■AD9??年 タイラ2世、チャールキヤ王に即位 「後チャールキヤ朝誕生」

 

AD10世紀には、ラージプート出身のタイラ2世が王位を簒奪し、「後チャールキヤ朝」が開かれた。

 


■AD1068年 「千葉氏誕生」「秩父氏誕生」

 

一部チェチェン人がコーカサスを離れて日本に向かった。彼らは、途中のインド洋辺りで善棟王の子孫ラージプートと合流すると、連合体を組んで房総半島に上陸し、チェチェン人は「上総氏(かずさ)」を称した。上総の名の由来はコーカサスであり、コーカサス=コーカズス=かずさ(上総)となる。そして、ラージプートは「破壊神シヴァ」を由来に「千葉氏」を称した。更に、上総氏は千葉氏と連合して「秩父氏」を結成した。秩父の名の漢字表記の由来は「父なるゼウス(秩)」であり、読みの由来は「チェチェンと千葉」の組み合わせである。チェチェン+千葉=チェ千葉=ちちぶ(秩父)となる。彼ら、千葉氏、上総氏、秩父氏は先発隊である中村氏、土屋氏、土肥氏と連合して「坂東八平氏」の中核を担い、鎌倉幕府の成立に邁進することとなる。
また、一部チェチェン人はシルクロードを介して満州に移住している。長孫氏の子孫であるチェチェン人は、兄弟である朱氏の女真族に合流することを考えていた。だが、その頃には既に正統な女真族は日本に移って「中村党」を組織して活動していた。更に、女真族自体は日本から来た中臣氏に簒奪されていた。その後、チェチェン人は「ジェチェン」を称し、中臣氏が築いた「建州女直」に参加した。その後、明治時代に建州女直が大挙して日本に移住すると、ジェチェンも日本の地を踏み、主に「塩」を由来にした姓を名乗った。

 


■AD11世紀 「坂東八平氏誕生」

 

上記のように、満州人の顔をした「中村氏」「土屋氏」が満州から、インド人の顔をしたラージプートの系統「千葉氏」「土肥氏」はインドから、そして中央アジア人の顔をした「上総氏」はコーカサスから来た。また、「秩父氏」は千葉氏と上総氏の連合体、つまり、中央アジア人とインド人の混血連合体である。
ここに、インドネシアから来たシャイレーンドラ王家の「三浦氏」、中央アジアから来たハザール王家の「梶原氏」、インドから来たカーマルーパとアンコールの連合体「鎌倉氏」、インドを経てジャワから来た安曇氏(アーズミー)の後裔「江戸氏」、イスパニアから来たスペイン人の顔をした「伊勢氏」、アラビアから来たハドラミーの系統「和田氏」が加わっている。このように「坂東八平氏」は国際色豊かな軍事集団だったことが分かる。

 


■AD1206年 「松平家誕生」

 

デリー・スルタン朝がパンジャブを覆い尽くすと、ラージプートは日本への帰還を実施した。インド人の顔をしたラージプートは日本人と混合して「松平家」を形成した。松平の名の由来は「マツヤの平」である。マツヤ+平=マツ平=松平となる。AD1360年、松平信重が家督を継いで、初めて「松平家」を称した。AD1529年、松平清康が三河を統一している。

 


■AD1584年 「チュヴァシ誕生」

 

千葉氏はラージプート時代にパンジャブで生活していたため、一行は日本を発つとパンジャブに侵入した。その後、大坂の陣に敗北した豊臣秀頼の一行がパンジャブを訪れる。龍造寺氏は、豊臣秀頼の一行を迎えてパンジャブからカスピ海に至る。日本人の顔をした千葉氏は、ここで中央アジア人と交わり、「チュヴァシ」を称した。チュヴァシの名の由来は千葉氏(ちばし)である。チュヴァシ族は、豊臣秀頼の一行と共にサンクトペテルブルグに移り、「メドベージェフ」の名を築いた。メドベージェフの名の由来は「千葉又兵衛」である。

 


■AD1939年 ちばてつや生誕

 


■AD1943年 ちばあきお生誕

 


■AD1965年 ドミートリー・メドベージェフ生誕

 

AD2008年、ロシア連邦第3代大統領に就任している。

 


■AD1999年 エフゲニア・メドベージェワ生誕

 

 

 

 

 

 


ニャメの歴史

◆ヤペテ(ニャメ)の歴史

 


■40万年前 「ニャメ誕生」

 

ガボン沖で水生生活を送っていた水生人が上陸した。彼らは「ニャメ」を称した。ニャメはガボンで今尚、崇拝されている。彼らは、アミ族の姿をしていた。台湾少数民族の祖のひとつとなる。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「アミ族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したニャメは、台湾に移住して「アミ族」を生んだ。アミの名の由来はニャメである。ニャメ=ニャミ=アミとなる。高天原(台湾)の人々が呼んだ「黄泉の国」とは、ニャメの故地であるガボン(西アフリカ)を指す。「黄泉の国」とは、「ニャメの国」のことである。古代人は、生きている間にたどり着けないような、とんでもない遠方の地を冥界などと言い表していた。

 


■40万年前 「アマゾーン誕生」

 

アミ族は、ミャンマーに住んでいたジェンギと連合し、現福建に「アマゾーン」を築いた。アマゾーンの名の由来はニャメとジェンギの組み合わせである。ニャメ+ジェンギ=ヤメジェン=アマゾーンとなる。アマゾーンは胸がない女性だとされているが、これはゲイ男性を意味している。彼らの子孫といえる福建海賊も、ゲイは多かったようだ。因みに、福建で祀られている「馬姐(マソ)」の名の由来はアマゾンである。超古代、南シナ海はアマゾーンと呼ばれていたのだ。

 


■7万年前 「第1次イマナの大航海時代」

 


■7万年前 「月読神誕生」

 

「第1次イマナの大航海時代」に参加したジョクタは、台湾に入植し、アミ族と混合して「ツクヨミ」を生んだ。ツクヨミの名の由来はジョクタとニャメの組み合わせである。ジョクタ+ニャメ=ジョクヤメ=ツクヨミとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天照大神誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」によって、オケアーニスたちが台湾に上陸すると、アミ族は彼らを仲間に迎えた。ニャメは、ドーリスと連合して「天照大神」を祀った。アマテラスの名の由来はニャメとドーリスの組み合わせである。ニャメ+ドーリス=ヤメドリス=アマテラスとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したギューゲースは、台湾に移住した。彼らは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「金山毘古神誕生」「金山毘売神誕生」「思金神誕生」

 

「ギガントマキア」ニ敗北したアルキュオネウスは、ニャメと混合して「カナヤマ」「オモイカネ」を成した。カナヤマ、オモイカネの名の由来はアルキュオネウスとニャメの組み合わせである。アルキュオネウス+ニャメ=キュオネヤメ=カナヤマとなり、ニャメ+アルキュオネウス=ヤメキュオネ=オモイカネとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万5千年前 「ヤペテ誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加して南極にやってきたニャメは、ヴィディエと連合して「ヤペテ」を生んだ。ヤペテはノアのことして知られているが、実際にはニャメとヴィディエの連合体である。ニャメ+ヴィディエ=ニャヴィデ=ヤペテとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ハイダ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したヤペテは、アメリカ北西部沿岸に入植した。ヤペテは現地人と混合して「ハイダ族」を生んだ。ヤペテ=ヤペイテ=ハイダとなる。以上、南北アメリカ大陸に残留を決めた人々は「文明放棄」の意志を頑なに守った。インディオたち(栄光の南極の種族の文明放棄組)は鉄、車輪の不使用を徹底させていたが、これは大陸規模の暗黙の了解であった。

 


■1万3千年前 「北狄誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したヤペテは、黒龍江に到達した。ヤペテは、内陸部に進出して蒙古に移り、入植した。ヤペテ族は、現地人と混合して「北狄(ベイディ)」を生んだ。ベイディの名の由来はヤペテである。ヤペテ=ヤベイディ=ベイディ(北狄)となる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「オマーン誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加して黒龍江に移住し、その後に「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住したイマナとニャメは、その後に、メソポタミアを離れ、アラビア半島に上陸した。彼らは、当地に「オマーン」と命名した。オマーンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマーナ=ヤマーナ=オマーンとなる。

 


■1万千5百年前 「ウンマ誕生」

 

アヌは、ニャメと組んでメソポタミアにシュメール都市国家「ウンマ」を築いた。ウンマの名の由来はアヌトニャメの組み合わせである。アヌ+ニャメ=アヌメ=アンメ=ウンマとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「太陽神アメン誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、アラビア半島の現オマーンを離れたイマナとニャメは、エジプトに進出して「太陽神アメン」を生んだ。アメンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマナ=ヤマナ=アメンとなる。アテナイ王国のサバニ人は、太陽神アメンに同行し、アナトリア半島に移住した。両者は、彼の地でタバル人と出会い、後に、神官都市「テーベ」を建設した。

 


■BC2134年 「エジプト第11王朝樹立」

 

太陽神アメンは、トバルカインと共に「エジプト第11王朝」を開き、人喰い人種スキタイ人の「エジプト第10王朝」と対立した。彼らは、この対決に勝利し、エジプトを再統一した。その時のファラオは、第11王朝のメンチュヘテプ4世であった。その後、太陽神アメンの王統を継ぐアメンエムハト1世が「エジプト第12王朝」を開いている。アメンの王統は、ヒクソスが登場するBC1663年まで続いた。

 


■BC1650年 「エジプト第17王朝成立」

 

「ヒクソス」がエジプトに出現すると、エジプト第14王朝は滅亡してしまった。その後、イマナのアメン神官団は、エジプトを離れてクレタ島に落ち延び、避難した。だが、ニャメのアメン神官団は、テーベを拠点に新規に「エジプト第17王朝」を開き、ヒクソス王朝に対抗した。

 


■BC945年 「アルメニア人誕生」

 

アラム人はサビニ人(サバエ人)と共にコーカサスに移住し、エジプトから亡命していたアメン神官団と連合体を築いた。それが「アルメニア人」である。アルメニアの名の由来はアラムとアメンの組み合わせである。アラム+イマナ(アメン)=アラマナ=アラマニア=アルメニアとなる。更に、アルメニア人の別称「ハヤ」の名の由来はサバエである。サバエ=サハヤ=ハヤとなる。だが、残念なことにアルメニア人はその後、タナトスに簒奪されてしまう。

 


■BC829年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC829年 「ヤマン誕生」「イエメン誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したアメン神官団は、アラビア半島に移住した。アメン神官団は「ヤマン」「イエメン」などの名を残した。ヤマン、イエメンの名の由来はいずれもアメンである。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動時代」

 


■AD531年 「ノバティア王国誕生」

 

「マクリア人の大移動時代」に参加した北狄は、モンゴルからヌビアに移住し、「ノバティア王国」を築いた。ノバティアの名の由来はヌビアと北狄(ベイディ)の組み合わせである。ヌビア+ベイディ=ヌビアティ=ノバティアとなる。

 


■AD641年 「ペチェネグ族誕生」

 

イスラム教がヌビアに伝えられると、マクリア、アルワ、ノバティアのキリスト教国はヌビアを脱出して一旦、中央アジアに集結した。ノバティア人は、マクリア人、アルワ人とは行動を異にし、焉耆(エンギ)の末裔袁氏と組んで「ペチェネグ族」を結成した。ペチェネグの名の由来は北狄(ベイディ)と袁氏(エンギ)の祖エノクの組み合わせである。ベイディ+エノク=ベイチェノク=ペチェネグとなる。ペチェネグ族は、強力な騎馬軍団としてハザール帝国、キエフ大公国、ビザンツ帝国などの名だたる強国と渡り合った。

 


■AD641年 「ヴェッティン家誕生」

 

一部のペチェネグ族は、中央アジアからヨーロッパに移住し、「ヴェッティン家」を形成した。ヴェッティンの名の由来は北狄(ベイディ)とエノクの組み合わせである。ベイディ+エノク=ベイディエノ=ヴェッティンとなる。ヴェッティン家は有力な諸侯としてザクセン、チューリンゲンを支配した。

 


■AD1094年 「山名氏誕生」

 

AD1094年にジャード朝が滅ぶと、アル・ヤマンの人々はジャード王家に同行し、日本に移住した。彼らは「山名氏」を生んだ。山名の由来はヤマンである。ヤマン=ヤマノ=山名となる。アル・ヤマンの人々は、新田義重に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「山名氏」の祖、山名義範である。

 


■AD12世紀 「ボヤジュ誕生」

 

その後、AD12世紀頃にペチェネグ族は分解し、バルカン半島に逃れた。彼らは「ボヤジュ」の名を生んだ。ボヤジュの名の由来はペチェネグである。ペチェネグ=ペイチェネグ=ペイチェ=ボヤジュとなる。

 


■AD1250年 「シュワルツネッガー誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は黒澤氏を同行させた。その後、黒海に入って中央アジアに上陸したスヴェルケル家は解散したペチェネグ族の残党と合体し、「シュワルツネッガー」を結成した。シュワルツネッガーの名の由来は、スヴェルケルとペチェネグの組み合わせである。スヴェルケル+ペチェネグ=スヴェルチェネグ=シュワルツネッガーとなる。この系統からは俳優アーノルド・シュワルツネッガーが輩出されている。

 


■AD1250年 「スフォルツァ誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は、黒澤と共にイタリアの地を踏み、現地人と混合して「スフォルツァ家」を形成した。スフォルツァの名の由来はシュワルツネッガーである。シュワルツネッガー=シュワルツェ=スフォルツァとなる。スフォルツァ家は、ヴィスコンティ家の配下から這い上がり、ミラノ公の地位を得た。

 


■AD1439年 「林氏誕生」

 

AD1439年、オスマントルコ帝国がセルビアに侵攻すると、ボヤジュを称する人々はセルビアを離れて日本に移住し、ボヤジュに漢字の「林」を当て字して「ハヤシ」を名乗っている。

 


■AD1535年 「沢辺氏誕生」「沢田氏誕生」「沢中氏誕生」

 

スフォルツァ家は、ミラノ公位喪失を機に、ミラノを離れて日本に移住した。イタリア人の顔をした彼らは、日本人と混合して「沢辺(スフォ+ペ)」「沢田(スフォ+チェ)」「沢中(スフォ+ネグ)」の名を育んだ。いずれの名もスフォルツァとペチェネグの組み合わせである。

 


■AD1535年 「川端氏誕生」「川中氏誕生」「川辺氏誕生」「川瀬氏誕生」「川田氏誕生」

 

托跋部と同盟していたペチェネグ族はスフォルツァ家から分離・独立を申し出、その代わりに、過去にウイグル・ヴァイキング時代に托跋部の同盟者であったカウィール家に接触した。両者は合体して5つの名を生んだ。いずれもカウィールとペチェネグの組み合わせである。「川端(カウィ+ペチェ)」「川中(カウィ+ネグ)」「川辺(カウィ+ペ)」「川瀬(カウィ+チェ)」「川田(カウィ+チェ)」となる。更に、川田からは「桑田」の名も派生している。この5つの姓を持つ人々は、日本人を人種母体に持ちながら、イタリア人、北欧人、マヤ人、中央アジア人など多様な民族の血を継承している。

 


■AD1615年 「ヤマナ族(ヤーガン族)誕生」

 

「大坂の陣」に参戦した山名尭政は、死去と見せかけ、代々の臣下であった八木氏と共に日本を脱出した。一行は、太平洋を越えてペルーに至るが、戦争に懲りた彼らは、争いの無い土地を目指して南米大陸を南下した。南アメリカ最南端に達した彼らは、フエゴ島に上陸した。
先住民であるセルクナム族と混合した彼らは「ヤマナ族(ヤーガン族)」を形成した。ヤマナの名の由来は山名であり、ヤーガンの名の由来は八木である。ヤギ=ヤーギン=ヤーガンとなる。ヤマナ族は、ウルトラマンのような、前衛的で奇抜なボディペイントで知られた謎の民族であった。しかし、現在では彼らは絶滅してしまった。或いは、ヤマナ族は日本に帰還しているのかもしれない。

 


■AD1826年 「ザクセン=コーブルク=ゴータ家誕生」

 

ヴェッティン家が生んだ、ヨーロッパ貴族の名家である。彼らは、タナトスの「顔」として利用されている。議会政府はタナトスの「声」であり、王族はタナトスの「顔」を司っている。つまり、王族としての権限はそれほどない。レオポルド2世のように、反逆すればたちまち消されるのだ。

 


■AD1835年 レオポルド2世、ベルギー王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。「コンゴ自由国」を建てた。

 


■AD1853年 ペドロ5世、ポルトガル王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1861年 フェルディナンド1世、ブルガリア王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1910年 ジョージ5世、イングランド王に即位 「ウィンザー家誕生」

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1910年 マザー・テレサ(アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)生誕

 


■AD1916年 小林正樹生誕

 


■AD1952年 エリザベス2世、イングランド女王に即位

 


■AD1938年 庭野日敬、長沼佼成と共に立教 「立正佼成会誕生」

 

彼らは、AD1930年の中国共産党の長征を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。教祖、庭野日敬の名の由来は「丹羽」だと考えられるが、信仰指導を担当した長沼妙校の姓「長沼」の由来は、イザナギとイザナミの組み合わせである。イザナギ+イザナミ=ナギナミ=長沼となる。
また、長沼妙校の「妙校」の名の由来は白山修験の明峰「妙高山」である。つまり、立正佼成会の基盤は白山修験によって形成された。この、庭野日敬、長沼妙校の先祖を含む白山修験の修験者集団は、AD1868年の「北越戦争」を機に日本を脱出して一時的に清治世下の中国に渡っていた。

 


■AD1931年 高林陽一生誕

 


■AD1938年 大林宣彦生誕

 

 

 

 

 


モディモの歴史

◆メーティス(モディモ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「モディモ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。モディモは川に住み、水生生活に特化していた。また、モリモは身長140cmだったが、モリモよりも大きな獲物をとることにより、身長は180cmにまでなった。彼らは、イラク人、イラン人、アラビア人の顔をしていた。

 


■30万年前 「メディナ誕生」

 

水生人として生きていたモディモは、南アフリカの海から紅海に入植した。この時に、彼らの生活圏は「メディナ」と呼ばれた。メディナの名の由来はモディモである。モディモ=モディノ=メディナとなる。

 


■30万年前 モディモ、黒海に移住

 

紅海から地中海に入り、黒海に入植したモディモは、水生人として暮らした。現在、現地人に「ルナンシャア」と呼ばれる半漁人が棲んでいるが、彼らはモディモの子孫の可能性がある。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「メーティス誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したモディモは、黒海からオーストラリア大陸に上陸すると、クリュテイオスと連合し「メーティス」を生んだ。メーティスの名の由来はモディモとクリュテイオスの組み合わせである。モディモ+クリュテイオス=モディオス=メーティスとなる。その後、メーティスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アドメテー誕生」

 

オーストラリアに生まれたメーティスは、イデュイアと組んで「アドメテー」を生んだ。アドメテーの名の由来はイデュイアとメーティスの組み合わせである。イデュイア+メーティス=イデュメーティ=アドメテーとなる。その後、アドメテーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「メドゥーサ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したメーティスは、ケルケイースと共にオーストラリアから黒海に移った。彼らは黒海沿岸に都市を建設したが、タナトスに簒奪されてしまう。タナトスが支配するメーティスの都市は恐ろしい惨劇の舞台となり、「メドゥーサ」と呼ばれた。メドゥーサの名の由来はメーティスである。メーティス=メディース=メドゥーサとなる。その後、ケルケイースの都市ゴルゴンと共にタナトスに簒奪されたメドゥーサの都市は、不名誉なことに、魔物ゴルゴン、怪物メドゥーサとしてギリシア神話に記される。

 


■7万年前 「第1次アルゴスの大航海時代」

 


■7万年前 「大年神誕生」

 

「アルゴスの大航海時代」に参加したメーティスは、アドメテー(但馬国)とティアマト(大和国)が住む日本に上陸し、後に「出雲国」と呼ばれる土地に拠点を得た。彼らは、現地人と混合して「大年神」を祀った。大年(オオトシ)の名の由来はメーティスである。メーティス=エーティス=大年(オオトシ)となる。

 


■7万年前 「第2次アルゴスの大航海時代」

 


■7万年前 「マティス族誕生」

 

「アルゴスの大航海時代」に参加して黒海沿岸を訪れた英雄ペルセウスがタナトスを皆殺しにすると、解放されたメーティスとケルケイースは「アルゴスの大航海時代」に参加した。メーティスは台湾に上陸し、一部は遠くアマゾンにまで足を伸ばし、「マティス族」を生んでいる。マティスの名の由来はメーティスである。マーティス=メティス=マティスとなる。

 


■4万年前 「ヒッポダメイア誕生」「ティエステス誕生」

 

台湾からオーストラリアに移住したメーティスは、アトランティス王国の王族「ヒッポダメイア」と「ティエステス」を生んでいる。ティエステスの名の由来はクリュテイオスとメーティスの組み合わせであり、ヒッポダメイアの名の由来はヒッポー、ロディア、メーティスの組み合わせである。クリュテイオス+メーティス=テイオスティス=ティエステスとなり、ヒッポー+ロディア+メーティス=ヒッポディアメー=ヒッポダメイアとなる。ティエステスはヒッポダメイアの王子である。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「テシュプ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したメーティスは、アプスーの拠点である黒海に入植した。メーティスは、アプスーと連合し、「テシュプ」を生んだ。テシュプの名の由来はメティスとアプスーの組み合わせである。メティス+アプスー=ティスアプー=テシュプとなる。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「マツヤ族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したテシュプは、エニセイ河に進出し、南下してインド北部に「マツヤ族」を生んだ。マツヤの名の由来はメーティスとイデュイアの組み合わせである。メーティス+イデュイア=メーティイア=メチ=マツヤとなる。その後、マツヤ族はアーリア人の集団に参加した。

 


■BC1027年 「ダルマチア誕生」

 

「十王戦争」を機に、イランを脱出したマツヤ族とドルヒユ族は、アドリア海に落ち着いて「ダルマチア」を称した。ダルマチアの名の由来はドルヒユとマツヤの組み合わせである。ドルヒユ+マツヤ=ドルマツヤ=ダルマチアとなる。BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「タリム誕生」

 

BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「多摩誕生」

 

キンメリア人などの勢力が強まると、をダルマチア人はタリム盆地から日本に移住した。日本ではダルマチア人は一時的に解散し、テラは「登呂」を建設し、マツヤ族は「多摩」を築いた。多摩の名の由来はモディモである。モディモ=モティモ=多摩となる。

 


■BC6世紀 「マツヤ王国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に刺激を受けたダルマチア人は、日本を離れてインドに入植した。この時にマツヤ族は「マツヤ王国」を建てた。テラはマツヤ王国に参加していた。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「マー(マーメイド)誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族は、アイルランドで水生生活に戻った。この時に「マー」と呼ばれた。マーの名の由来はモディモである。モディモ=モーディモ=モー=マーとなる。女性はマーメイド、男性はマーマンと呼ばれた。

 


■BC552年 「タラスカ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、次にメキシコに上陸すると、「タラスカ」を築いた。タラスカの名の由来は登呂と望月の組み合わせである。トロ+モチヅキ=トロツキ=タラスカとなる。

 


■BC552年 「モズナ誕生」

 

メディア人は「モズナ川」に拠点を得た。モズナの名の由来はメディーナである。メディーナ=メディナ=モズナとなる。

 


■BC3世紀 「モチェ文化誕生」

 

「ガスコン人の大航海時代」に参加したマツヤ族は、タラスカを離れ、マヤを通過してペルーに居を定めた。マツヤ族は「モチェ川」に拠点を得た。モチェの名の由来は松屋である。マツヤ=マチャ=モチェとなる。マツヤ族は、モチェ川を舞台に「モチェ文化」を牽引することとなる。この時に、マーも一緒にカリブ海に移住している。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「望月氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマツヤ族は、太平洋を横断して房総半島に上陸し、諏訪国に入植した。マツヤ族は諏訪国に「望月氏」を生んだ。望月の名の由来は「メーティスキ(メーティスの人)」である。メーティスキ=メチスキ=望月となる。

 


■AD8世紀 「ユナイタマ誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマーは、現沖縄県宮古島市下地島に移住した。彼らは「ユナイタマ」と呼ばれた。ユナイタマの名の由来は「海(ユナイ)のモディモ」である。ユナイ+モディモ=ユナイディモ=ユナイタマとなる。

 


■AD8世紀 「アカマタ誕生」「クロマタ誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマーは、八重島諸島に移住した。水生人として暮らした彼らは、現地人に「アカマタ」「クロマタ」と呼ばれた。マタの名の由来はモディモである。モディモ=モディ=モテ=マタとなる。人魚神社の祭儀は、部外者の立ち入り禁止、写真撮影ご法度と、秘密結社並みの秘密主義に貫かれている。AD1968年には、殺人事件も起きているほどだ。現地人は、先祖を守るために必死なのだろう。このような人としての美徳、崇高な発想は、資本主義社会では理解されない。

 


■AD1430年 海人、オランダ人に捕獲される

 

AD1430年、オランダでひどい嵐により堤防が破壊された。翌日、乳絞りの娘が海に沈んだ牧場を通りかかると、水は引いていた。だが、泥の中に「海の女」が見えた。娘は、その女を街に連れていき、着物を着せて食物を与えた。人々は女に糸の紡ぎ方を教え、ハーレムに住まわせた。女は数年生きていたが、言葉を習得できず、水に惹かれる本能を持ち続けたという。

 


■AD1531年 海人、ポーランド人に捕獲される 「海の司教誕生」

 

AD1531年、闘争に疲れて水生生活を送っていたプロイセン人のひとりが、ポーランドで捕獲された。彼は「海の司教」と呼ばれた。記録によれば、海の司教は国王の元に運ばれたが、海に帰りたいというジェスチャーをした。ポーランド人は彼を海辺に導くとただちに海中に身を投じて見えなくなったという。

 


■AD1671年 海人、マルティニック島に出現

 

男の海人が出現し、黒人奴隷が網で捕獲を試みている。

 


■AD1758年 海人、フランス人に捕獲される

 

フランスで捕獲された水生人の女性は、大きな水槽に飼われていて、食事、水中での生活、特に性器が非常に良く観察され、詳細に報告されている。しかし、女の下半身は鱗で覆われた魚の尻尾だったという。尻尾以外の観察は詳細であるにもかかわらず、尻尾の部分は付け足された感がある。後世に付け加えられた可能性がある。

 


■AD1768年 海人、西インド諸島で目撃される

 

スペイン人の水夫が女の海人を目撃している。

 


■AD1950年 ナレンドラ・モディ生誕

 

第18代インド首相に就任している。

 


■AD1964年 望月峯太郎生誕

 

望月峯太郎のデビュー作は、トップスイマーを夢見る少年が主人公の、少々シュールな「バタアシ金魚」だった。

 


■AD1964年 逆柱いみり(望月勝広)生誕

 

逆柱いみりの主人公は、大概、知らない土地を散歩をしているが、海中を漂っていることがある。「はたらくカッパ」などがある。

 


■AD1970年代~ 水死者の霊?

 

水生生活をやめ、地上に上陸した人々を「35の異なる人類」としてカウントしているわけだが、もし、その後も、そのまま水生生活を続けている種族がいるとすれば、知られざる人類が大海の片隅のどこかに暮らしていることになる、そのような、知られざる人類がいるのかもしれない。そうだとすれば、異なる人類はもっと増えることになるだろう。
もし今でもまだ水生生活をしている人々がいるとしたら、彼らは今、どんな姿をしているだろう?時折、「半魚人が出た」などとオカルト界隈で騒がれることがある。だが、その半魚人らは、もしかしたら水生人の成れの果てなのかもしれない。
例えば、怪談話で、ひとりで夜釣りしていたら海面から無数の手が出た、海面に浮かぶ無数の顔がこっちを見た。泳いでいたら足を引っ張られた、それで誰かが死んだ、などの話も良く聞かれる。だが、それらは水生人の仕業かもしれない。イルカのように完全な魚の姿をしていない彼らは、アザラシやペンギンのように、寝るときは陸上で寝る習慣があるのだろう。しかし、人がいては寝られない。ということで霊のふりをして、釣り人を脅かし、追い払っているのだ。
また、足を引っ張って脅すくらいはいいが、人を殺すとなると、これは尋常ではない。だが、タナトスの化学企業が垂れ流す農薬やゴルフ場に撒かれる除草剤に汚染された水によって、彼らの生活圏が破壊されているとしたら…、それが原因で顔が崩れた水生人を目撃して霊だ!とか、半魚人だ!と騒いでいるのかもしれない。つまり、足を掴んで溺れさせるなどの殺人行為は、彼らにとっては復讐なのだ。点が線で結ばれる試みがされなかっただけである。いろいろな報告がある以上、「彼らを見ていないから彼らは存在しない」ということにはならない。 

 

 

 

 

◆マダイ(アドメテー)の歴史

 


■30万年前 「アドメテー誕生」

 

ミマースとクリュテイオスの合体部族メーティスは、イデュイアと組んで「アドメテー」を生んでいる。アドメテーの名の由来はイデュイアとメーティスの組み合わせである。イデュイア+メーティス=イデュメーティ=アドメテーとなる。その後、アドメテーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「ティアマト誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加した一部アドメテーは、ヨーロッパには移らず、古代日本に入植した。この時に「ティアマト」が生まれた。ティアマトの名の由来はヴィディエとメーティスの組み合わせである。ヴィディエ+メーティス=ディエメーテ=ティアマトとなる。

 


■30万年前 「綿津見神誕生」

 

但馬国に入植したアドメテーは、ヤマトに赴いてティアマトと連合し「綿津見神」を生んだ。ワタツミの名の由来はアドメテーとティアマトの組み合わせである。アドメテー+ティアマト=アドティアマ=アドチャマ=ワタツミとなる。綿津見は「但馬国」の語源となる。ワタツミ=ワダチマ=但馬となる。綿津見神は但馬国に住み、海宮神(わたつみかみのみや)の国は但馬国にあった。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天宇受売命誕生」

 

イデュイアが指揮するアドメテーは「アルゴス号の大航海時代」に参加したが、メーティスが指揮するアドメテーは、逆に台湾に上陸した。台湾先住者のアミ族(ニャメ)とバブサ族(エバシ)は彼らを仲間に迎えた。アドメテーは、イマナと連合して「天宇受売」を生んだ。アメノウズメの名の由来はイマナとアドメテーの組み合わせである。イマナ+アドメテー=イマナアゾメテ=アメノウズメとなる。

 


■4万年前 「アンドロメダ誕生」

 

高天原を離れたアドメテーは東南アジア(エチオピア王国)に移住し、マイアンドロスと組んで「アンドロメダ」を生んだ。アンドロメダの名の由来はマイアンドロスとメーティス(アドメテーの祖)の組み合わせである。マイアンドロス+メーティス=アンドロメーティ=アンドロメダとなる。アンドロメダはエチオピア王国の王女として知られている。

 


■4万年前 「メトセラ誕生」

 

エチオピア王国にアンドロメダを生んだアドメテーは、更にエチオピア王国を築いたエウローペーと組んで「メトセラ」を生んだ。メトセラの名の由来はメーティス(アドメテーの祖)とアシェラーフ(エウローペーの祖)の組み合わせである。メーティス+アシェラーフ=メーティシェラ=メトセラとなる。

 


■4万年前 「アトランティス人の大航海時代」

 


■4万年前 「思慮の女神メティス誕生」

 

「アトランティス人の大航海時代」に参加したメトセラは、エジプトに上陸し、オリンポス神族に加わった。ギリシア侵攻時、メトセラは「女神メティス」を称した。メティスの名の由来はメーティスである。メティスはゼウスと結婚したが、神々の結婚は、優れた部族の連合・同盟を意味している。

 


■4万年前 「クロマニョン人の大航海時代」

 


■3万年前 「ティアワナク誕生」

 

「クロマニョン人の大航海時代」に参加したメトセラは、ペルーに拠点を得た。当地は「ティアワナク」と呼ばれた。ティアワナクの名の由来はメーティス、イデュイア、エノクの組み合わせである。メーティス+イデュイア+エノク=メーテイアエノク=ティアワナクとなる。また、ティアワナクは「ティル・ナ・ノーグ」としてアイルランド神話に語り継がれている。ティアワナク=ティア・ワ・ナーク=ティル・ナ・ノーグとなる。
エノクとメトセラは、アンデスを越えてアマゾン流域に下ると、雨季になると広大な森林地帯が氾濫したアマゾン河の水底に沈むモホス平原を発見する。この神秘の平原に魅せられたエノクは、モホス平原に定住を試みることで文明の発想を得た。文明の基幹産業である農業や魚の養殖に開眼すると共に、用水路、運河、排水設備建設の必要性に気付いたのだ。それに伴って、土木・建築技術が向上し、計画的な都市建設が可能になった。
アマゾン上流域に位置するモホス文明は、ティアワナクと共に常世の国「ティル・ナ・ノーグ」と呼ばれた。ティル・ナ・ノーグは、高天原、エティオピア王国や、オーストラリアの国々(ピサ王国、テュロス王国、アトランティス王国)とも交易を行っていた。ティル・ナ・ノーグは、「ハイ・ブラジル」とも呼ばれている。ブラジルの名は、もっと後世になって生まれたものだ。

 


■1万3千年前 「エノスの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ニジェール誕生」

 

「エノスの大航海時代」に参加したメトセラは、南極大陸から大西洋を横断し、西アフリカに入植した。メトセラはエノスと組んで拠点を「ニジェール」と呼んだ。ニジェールの名の由来はエノスとメトセラの組み合わせである。エノス+メトセラ=ノスセラ=ノスエラ=ニジェールとなる。

 


■BC7千5百年 「ナザレ誕生」

 

その後、ニジェール人は更に北上し、現イスラエルに入植した。この時に「ナザレ」が生まれた。ナザレの名の由来はニジェールである。ニジェール=ニジエラ=ナザレとなる。その後、ナザレ人はメソポタミアに渡った。

 


■BC7千5百年 「マダイ誕生」

 

メソポタミアに入植したナザレ人は、ヤペテの子として知られる「マダイ」を生んだ。マダイの名の由来はアドメテーである。アドメテー=アドメテイ=マダイとなる。つまり、マダイはメーティスが主導していた。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ヌミディア誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したマダイは、北アフリカに入植し「ヌミディア」を生んだ。ヌミディアの名の由来はカナンとマダイの組み合わせである。カナン+マダイ=ナンマダイ=ヌミディアとなる。

 


■BC5千年 「セネガル人の大航海時代」

 


■BC5千年 「異界の王ミディール誕生」「ネメズ族誕生」

 

「セネガル人の大航海時代」に参加したニヌミディア人は「ネメズ族」を結成し、一方でエロス(アムル人)と組んで「異界の王ミディール」を祀っている。ヌミディア=ヌミジ=ネメズとなり、マダイ+エロス=マダイエロ=ミディールとなる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「テッサリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したマダイは、古代ギリシアに上陸して「テッサリア」の地を得た。メトセラ=メトッセリア=テッサリアとなる。

 


■BC344年 「タジク人誕生」

 

マケドニア王フィリップがテッサリア同盟の盟主となると、テッサリア人は中央アジアに向かった。彼らは「タジク人」になった。タジクの名の由来は「テッサキ(テッサリアの人)」である。テッサキ=テザキ=タジクとなる。

 


■AD114年 「ポントス人の大航海時代」

 


■AD114年 「多治比氏誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したタジク人は、日本に移住して「多治比氏」を生んだ。多治比氏の名の由来はタジクである。タジク=タジフ=多治比となる(ハ行はカ行を兼ねる法則)。

 


■AD941年 「第1次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD941年 「タヒチ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加した多治経明は、太平洋に「タヒチ」を発見し、入植した。タヒチの名の由来は多治比である。多治比=タヒジ=タヒチとなる。

 


■AD11世紀 「第2次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「勅使河原氏誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したタヒチ人は、平安時代末期の日本に帰還した。彼らは、武蔵国に上陸した。タヒチ人は先祖である多治の名を由来に「勅使河原」を称した。多治(タジ)+河原=タジ河原=勅使河原となる。

 


■AD11世紀 「デラ・トーザ誕生」「トスカーナ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したタヒチ人は、神聖ローマ帝国治世下にあったイタリア半島に上陸した。ポリネシア人の顔をした彼らは、イタリア人と混合し、多治を由来に「デラ・トーザ家」を形成した。彼らは上陸した土地を「トスカーナ」と命名した。デラトーザの名の由来は平(タイラ)と多治の組み合わせである。タイラ+タジ=ダイラ+タージ=デラ・トーザとなる。また、トスカーナの名の由来はタジクである。タジク=タジカーナ=トスカーナとなる。

 


■AD1569年 「手塚氏誕生」

 

メディチ家のコジモ1世が、AD1569年に「トスカーナ大公国」の大公に就任すると、オリジナルの「トスカーナ」を築いたデラ・トーザ家は不満を持ち、日本への帰還を試みた。戦国時代が続いていた日本に上陸したデラ・トーザ家は「手塚」を生んだ。手塚の名の由来はトスカーナである。

 


■AD1856年 ニコラ・テスラ生誕

 

テスラの名の由来はテッサリアである。テッサリア=テサラ=テスラとなる。

 


■AD1927年 勅使河原宏生誕

 


■AD1928年 手塚治虫生誕

 


■AD1961年 手塚眞生誕

 

 

 

 

◆メディア(アドメテー)の歴史

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「メディア人誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したアドメテーは、オビ河流域に入植した。その後、南下したアドメテーは、現地人と混合して「メディア人」を生んだ。メディアの名の由来はメーティスとヴィディエの組み合わせである。メーティス+ヴィディエ=メーディエ=メディアとなる。

 

 

■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ミディアン誕生」

 

メディア人は、司神タナトスと連合し「ミディアン」と呼ばれた。ミディアンの名の由来はメディアとディオーネーの組み合わせである。メディア+ディオーネー=メディオネ=ミディアンとなる。士師の時代、ミディアン人はギデオンに歯向かったが、皆殺しにされた。

 


■BC1700年 「ミタンニ王国誕生」

 

ミディアン人(司神タナトス)は、「アルマゲドン」によってモンゴルを追われ、中央アジアにやってきた預言者ナタンの残党と遭遇する。すると、司神タナトスは彼らが家族であることを知り、すぐに連合し、「ミタンニ人」に加えた。ミタンニの名の由来はメディアとディオーネーの組み合わせである。メディア+ディオーネー=メディオーネー=メテオンネ=ミタンニとなる。

 


■BC700年 ディオケス、初代メディア王に即位 「メディア王国誕生」

 

初代王ディオケスの名の由来はヴィディエである。キュアクサレス王の時、メディア王国は新バビロニア帝国と組んで古代オリエントに君臨したアッシリア帝国を撃破した。BC612年のことである。

 


■BC552年 「サルマタイ人誕生」

 

メディア王国が滅ぶと、メディア人は中央アジアに向かった。彼らは「サルマタイ人」になった。サルマタイの名の由来はメトセラ(メーティス+アシェラーフ)である。アシェラーフ+マダイ(メーティス)=シェラマダイ=サルマタイとなる。サルマタイ人の詳細は不明だが、彼らはフン族が登場した頃に新天地を求めて北東に移住している。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「ミード誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族は、現地人と混合して「ミード」を築いた。ミードの名の由来はメーティスである。メーティス=メーディ=ミードとなる。

 


■BC3世紀 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC3世紀 「モチェ文化誕生」

 

「ガスコン人の大航海時代」に参加したマツヤ族は、タラスカを離れ、マヤを通過してペルーに居を定めた。マツヤ族は「モチェ川」に拠点を得た。モチェの名の由来は松屋である。マツヤ=マチャ=モチェとなる。マツヤ族は、モチェ川を舞台に「モチェ文化」を牽引することとなる。この時に、マーも一緒にカリブ海に移住している。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「望月氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマツヤ族は、太平洋を横断して房総半島に上陸し、諏訪国に入植した。マツヤ族は諏訪国に「望月氏」を生んだ。望月の名の由来は「メーティスキ(メーティスの人)」である。メーティスキ=メチスキ=望月となる。

 


■AD1360年 「メディチ家誕生」

 

AD1335年の「中先代の乱」を機に、望月氏が諏訪国を出てペルーのモチェ流域に帰還した。その後、望月氏は更に大西洋を超えて地中海に入り、ルネサンス前期のイタリア半島に侵入した。望月氏は、AD1360年にメディチ家の祖であるジョヴァンニ・ディ・ビッチを誕生させた。メディチの名の由来は「メーティスキ(メーティスの人)」である。メーティスキ=メーディジ=メディチとなる。
メディチ家には「コジモ」「コジマ」などのファーストネームが多く見受けられるが、これは「鹿島」の名に因んでいる。つまり、メディチ家=望月氏である。望月氏は、「鹿島神社」を創建した同盟者コサ族(アクスム人)の名に因んで「コジモ」の名を継承し続けた。AD1569年、コジモ1世が「トスカーナ大公国」の初代大公に就任している。

 


■AD1569年 コジモ1世、トスカーナ初代大公に就任 「トスカーナ大公国誕生」

 

AD1569年、コジモ1世が「トスカーナ大公国」の初代大公に就任している。コジモの名の由来は鹿島(アクスム)である。かしま=カジマ=コジモとなる。

 


■AD1831年 「青年イタリア誕生」

 

マツヤ族の後裔であるジュゼッペ・マッツイーニがカルボナリに限界を感じたため、新規に秘密結社を結成した。彼らはメディチ家の子孫であるため、イタリアにこだわった。マッツイーニの名の由来はマツヤである。マツヤ=マツヤーニ=マッツイーニとなる。

 


■AD1902年 トイエン(マリー・チェルミノヴァ)生誕

 


■AD1964年 鶴見済生誕

 

 

 

 

◆大和(ティアマト)の歴史

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「ティアマト誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加した一部アドメテーは、ヨーロッパには移らず、古代日本に入植した。この時に「ティアマト」が生まれた。ティアマトの名の由来はヴィディエとメーティスの組み合わせである。ヴィディエ+メーティス=ディエメーテ=ティアマトとなる。

 


■30万年前 「大和国誕生」

 

ティアマトは日本上陸後、畿内に「大和国」を築いた。ヤマトの名の由来はティアマトである。ティアマト=アマト=ヤマトとなる。「大和」の漢字表記は、魏・呉・蜀の三国時代まで待たねばならない。

 


■30万年前 「大綿津見神誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「大綿津見神」が誕生した。「大綿津見神(オオワタツミ)」の名の由来はアドメテーとティアマトの組み合わせである。アドメテー+ティアマト=アドティアマ=アドチャマ=ワタツミとなる。

 


■30万年前 「大山津見神誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「大山津見神」が誕生した。「大山津見神誕(オオヤマツミ)の名の由来はクリュメネーとティアマトの組み合わせである。クリュメネー+ティアマト=ユメティアマ=ユメチャマ=ヤマツミとなる。

 


■30万年前 「宇迦之御魂神誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「宇迦之御魂神」が誕生した。「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」の名の由来はオケアーノスとエウリュノメーとティアマトの組み合わせである。オケアーノス+エウリュノメー+ティアマト=オケノメーティアマ=ウカノミタマとなる。

 


■30万年前 「豊玉毘売命誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「豊玉毘売命」が誕生した。「豊玉毘売命(トヨタマ)」の名の由来はテテュスとティアマトの組み合わせである。テテュス+ティアマト=テエテティアマ=テイティアマ=トヨタマとなる。

 


■30万年前 「玉依毘売命誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「玉依毘売命」が誕生した。「玉依毘売命(タマヨリ)」の名の由来はティアマトとエウリュノメーの組み合わせである。ティアマト+エウリュノメー=ティアマエウリュ=タマヨリとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「日子穂穂手見命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が東南アジアに到達すると、ティアマトは日本から台湾に移住した。この時に、彼らは「日子穂穂手見命」を生んだ。穂穂手見(ホホデミ)の名の由来はオケアーニスに属するヒッポーとティアマトの組み合わせである。ヒッポー+ティアマト=ヒッホティアマ=ヒホタマ=ホホデミとなる。

 


■7万年前 「天布刀玉命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が東南アジアに到達すると、ティアマトは日本から台湾に移住した。ティアマトは台湾に「天布刀玉」を生んだ。天布刀玉(アメノフトタマ)の名の由来はイマナ、ヴィディエ、ティアマトの組み合わせである。イマナ+ヴィディエ+ティアマト=アマナヴィデティアマ=アメノフトタマとなる。

 


■7万年前 「テテュス誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が東南アジアに到達すると、ティアマトは日本から台湾に移住した。ティアマトは、クリュテイオスと組んで「テテュス」を生んだ。テテュスの名の由来はティアマトとクリュテイオスの組み合わせである。モディモ+クリュテイオス=ディテイオス=テテュスとなる。

 


■1万3千年前 「縄文人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「大日本彦(イ徳天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエーと組んで「大日本彦」を生んだ。大日本彦の名の由来はオーキュロエーとティアマトの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト=オーアマト=大日本(おおやまと)となる。大日本彦は、「イ徳天皇」として天皇に即位している。

 


■1万3千年前 「大日本根子彦(孝霊天皇、孝元天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「大日本根子彦」を生んだ。大日本根子彦の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーアマトニコ=大日本根子(おおやまとねこ)となる。大日本根子彦は、「孝霊天皇」「孝元天皇」として天皇に即位している。

 


■1万3千年前 「稚日本根子彦(開化天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「稚日本根子」を生んだ。稚日本根子の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーキュアマトニコ=稚日本根子(わかやまとねこ)となる。稚日本根子彦は、「開化天皇」として天皇に即位している。

 

 

■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千2百年前 「神々の集団アヌンナキ誕生」

 


■BC7千2百年前 「原初の水ティアマト誕生」

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加して、モンゴルからメソポタミアに移ると、「アプスー」となる蝦夷(えびす)と共に黒海に入植し、「ティアマト」を復活させた。アプスーとティアマトはメソポタミア神話で原初の水として知られている。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大移動時代」

 


■BC7世紀 「大和国誕生」

 

「フェニキア人の大移動時代」に参加したティアマトは、メソポタミアを離れて日本に帰還し、「大和国」を再建した。

 


■BC473年 「大和朝廷誕生」

 

呉がBC473年に滅ぶと、呉(多氏)は日本に帰還した。彼らは大和国に移住してティアマトと組み、「大和朝廷(前身)」を作った。その後、BC222年に滅んだ魏(倭人)が、大和国を訪れれて初めて「大和朝廷」が誕生する。大和の漢字表記の由来は、大(多)と和(魏)の組み合わせである。大和国は、古来から「ヤマト」と呼ばれていたが、「大和」の漢字表記はこの時が最初である。

 


■BC330年 「ペルシア人の大移動時代」

 


■BC330年 「山田氏誕生」

 

ペルシア帝国が滅ぶと、ティアマトの種族はアケメネス家と共に日本にやってきた。イラン人の顔をした彼らは、現地人と混合して「山田氏」を成した。山田の名の由来はティアマトである。ティアマト=ティヤマダ=山田となる。「山田」の名は、しばしば茶化されることがあるが、結構古い、由緒ある名前である。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「タイム家誕生」

 

アレキサンダー大王の侵攻から逃れてアラビア半島に上陸したティアマトの種族は、現地人と混合して「タイム家」を築いた。タイムの名の由来はティアマトである。ティアマト=テイアマ=タイムとなる。クライシュ族に属したタイム家からは、初代カリフに即位したアブー・バクルが輩出されている。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「デヴォン誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した大和人は、ブリテン島に上陸し、「デヴォン」を築いた。デヴォンの名の由来は「大和」の音読み「だいわ」である。だいわ=ダイワン=デヴォンとなる。大和人は、みな、現地人のファーストネームで呼び合い、「さん」付けをした。例として、リチャードを称した大和人は仲間に「リチャードサン」と呼ばれた。これが後に「リチャードソン」となる。ジョンソン、ロビンソンなどの名も、みなそうして生まれた。
ただ、「大和人」とひとことで言っても、実にいろんな種族が参加していた。だが、ブリテン島での「さん」付けで名前のトラッキングは途絶えてしまった。ただ、「ソン」が付く人々からは優れた人が多く生まれている。イギリス、アイスランド、スウェーデンでは「SON」であり、デンマーク、ノルウェーでは「SEN」と変遷が加えられている。

 


■AD717年 サンジャヤ、初代王に即位 「マタラム王国誕生」

 

「大和人の大航海時代」の西方組に参加した大和人は、ジャワに上陸した。大和人は、葛城氏と共に「マタラム王国」を築いた。マタラムの名の由来はヤマト(ティアマト)とローマ(葛城)の組み合わせである。ティアマト+ローマ=マトロマ=マタラムとなる。なぜ、ローマの名が出てくるかといえば、葛城氏が、かの「ユリウス家」の出だからだ。AD68年、日本を訪れたユリウス家は、カエサルの名を由来に「カエサルの城」を意味する「葛城」の名を称した。カエサル+城=カサル+城=葛城となる。

 


■AD1490年 アーマド・ニザーム・シャー1世、初代王に即位 「アーマドナガル王国誕生」

 

ジャワを拠点に活動していた大和は、「ヴィジャヤナガル」のアンコール人と共にインドに移住した。AD1490年頃、「バフマニー朝」が崩壊した隙を見計らい、両者は自身の王国を開いた。アーマドナガルの名の由来はティアマトとアンコールの組み合わせである。ヤマト+アンコール=ヤーマトナコル=アーマドナガルとなる。

 


■AD1636年 「山田氏誕生」

 

AD1636年、ムガール帝国の侵攻を機に、「アーマドナガル」が滅亡すると、大和人とアンコール人の連合体は、インドを離れて江戸幕府治世下の日本に移住した。大和人は「山田氏」を生み、アンコール人は「名倉」を生んだ。山田の名の由来はティアマト、名倉の名の由来はナガルである。

 


■AD1636年 ディマデ、ゲルゲル王に即位

 

AD1636年、ムガール帝国の侵攻を機に、「アーマドナガル」が滅亡すると、大和人ディマデの名の由来はティアマトである。ティアマト=ティアマデ=ディマデとなる。

 


■AD1651年 「オラン・イカン(他称)誕生」

 

ディマデ王の時代、クーデターが起きたため、ディマデ王の子息デワ・アグン・ジャンベは「クルンクン王国」を建てたが、ディマデ王は死んだことにして、水生生活に戻ったと考えられる。インドネシアでは、「オラン・イカン」と呼ばれる水生人が目撃されている。

 


■AD1913年 ヴェラ・クルーゾー(ヴェラ=ギブソン・アマド)生誕

 


■AD1931年 山田洋次生誕

 


■AD1936年 ジョー・ダマト生誕

 


■AD1963年 NOKKO(山田信子)生誕 「レベッカ誕生」

 


■AD1964年 MASAKI(山田雅樹)生誕 「フラットバッカー誕生」「EZO誕生」

 

 

 

 

 

◆伊達氏(テテュス)の歴史

 


■7万年前 「テテュス誕生」

 

モディモは、クリュテイオスと組んで「テテュス」を生んだ。テテュスの名の由来はモディモとクリュテイオスの組み合わせである。モディモ+クリュテイオス=ディテイオス=テテュスとなる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したウラヌスは、テテュスと連合して「ティタン神族」を生んでいる。ティタン(ティタヌス)の名の由来はテテュスとウラヌスの組み合わせである。テテュス+ウラヌス=テテヌス=ティタヌス=ティタンとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「豊玉毘売命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が、東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「豊玉毘売命」が誕生した。「豊玉毘売命(トヨタマ)」の名の由来はテテュスとティアマトの組み合わせである。テテュス+ティアマト=テエテティアマ=テイティアマ=トヨタマとなる。

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「ディジリデュー誕生」

 

「ティタノマキア」に敗北したティタン神族だったが、ゼウスのおかげでクロノスの支配から解放されたティタン神族は、ピサ(オーストラリア北西部)やアトランティス(オーストラリア南部)で製鉄を始めた。その痕跡は、アトランティス滅亡、大地殻変動時代に洗い流されたが、製鉄技術はデウカリオンが亡命しげたメソポタミアに伝えられ、ヒッタイト帝国時代になって復活している。オーストラリア時代に使用されていたふいごは、後に、楽器に転化し、アボリジニの伝統楽器ディジリデューに姿を変えている。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「叡智の神トート誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加してメソポタミアに到達したデウカリオンは、その後、エジプトに上陸した。この時に「叡智の神トト」が生まれた。トートの名の由来はティタンである。ティタン=ティータ=トートとなる。彼らは製鉄の種族タタでもある。

 


■BC5千年 「ヒッタイト人誕生」

 

「第1次北極海ルート時代」に参加したハッティ人は、シベリアから南下し、製鉄の種族として古代オリエント地域で活動していたタタと出会い、連合体を築いた。それが「ヒッタイト人」である。ヒッタイトの名の由来はハッティとティタンの組み合わせである。ハッティ+ティタン=ハッテイタ=ヒッタイトとなる。古代タルタロス(オーストラリア)で製鉄を営んでいたティタン神族は、アナトリアで製鉄技術を発展させたため、「ヒッタイト帝国」は鉄器を振るい、最強の古代軍事国家として繁栄した。

 


■BC1900年 「ヒッタイト帝国誕生」

 

製鉄の種族タタを味方に付け、鉄器という武器を得たハッティ人の帝国は、エジプト王国に匹敵する大帝国としてオリエント地域に覇を唱えた。

 


■BC1200年 「ベーシュタード王国誕生」

 

ヒッタイト帝国が滅ぶと、彼らはトゥルシア人の援助により、イランに亡命を果たした。ヒッタイト人を解散したタタは、パルシュ族と連合して「ベーシュタード王国」を建設した。ベーシュタードの名の由来はパルシュとティタン(タタ)の組み合わせである。パルシュ+ティタン=パーシュ+テイタ=ベーシュタードとなる。
当時、イランには「至高神ズルヴァーン」が治める国があり、イランの東のインダス流域には善神デーヴァの国「第2代テーバイ王国」が栄えており、またその隣のインドには「雷神神インドラ」を祀る「アーンドラ人」が君臨し、またその隣のガンジス流域には、クウォスのトバルカイン「クル族(プール族)」が指揮する「アーリア人」の一団が暮らしていた。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 ティタン神族、イランに残留

 

「マハーバーラタ戦争」が起き、パンジャブ、インダス流域が核兵器によって荒廃すると、多くの人々は「ベーシュタードの大航海味代」に参加して故地を後にした。だが、ティタン神族(タタ)、カンボージャ人、ブリグ族、パルシュ族、クル族、アリナ族、バラーナ族がイランに残留している。彼らが「ペルシア帝国」の礎を築くことになる。

 


■BC525年 「ペルシア帝国誕生」

 


■BC330年 「ペルシア人の大移動時代」

 


■BC330年 「タタール人誕生」

 

ペルシア帝国滅亡を機に、イランからモンゴルに移住したアーリア人とタタは、現地人と混合して「タタール人」を成した。タタールの名の由来はタタとアーリアの組み合わせである。タタ+アーリア=タターリア=タタールとなる。タタール人は「匈奴」に参加するが、匈奴が滅ぶと、アーリア人はアラン族となる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「テオティワカン誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したタタール人は、現地人と混合し、ククルカンと共に「テオティワカン」を築いた。テオティワカンの名の由来はティタン(タタール)とククルカンの組み合わせである。ティタン+ククルカン=テゥタ+ウガン=テオティワカンとなる。

 


■BC4世紀 「テウトニ族誕生」

 

タタール人はユトランド半島に根付いて「テウトニ族」を称した。テウトニの名の由来はティタンである。ティタン=テイタン=テウトにとなる。因みに、ホータン人は「ゴート人」となった。その後、ドルイド教の支配下に置かれたテウトニ族は、キンブリ人と連合してローマ共和国に侵入し、ローマ軍と戦火を交えている。

 


■BC1世紀 「ツォツィル族誕生」「チャーチル誕生」

 

メキシコからマヤに到達したタタールは、マヤ人と混合して自身の名を由来に「ツォツィル」の種族を儲けた。タタール=チャチャール=ツォツィルとなる。その後、マヤパンが滅ぶと、ツォツィル族はマヤを後に遠くブリテン島にまで及んだ。マヤ人の顔をしたツォツィル族はイギリス人と混合して「チャーチル」を形成した。チャーチルの名の由来はツォツィルである。ツォツィル=ツォーツィル=チャーチルとなる。

 


■BC113年 「アラウジオの惨劇」

 

カルヌーテース族が操るドルイド教の信者となっていたテウトニ族は、キンブリ人と共に、カルヌーテース族からローマ共和国に攻め込む指令を受けた。カルヌーテース族は、カルタゴのバアル・ハンモン崇拝、シリアのアタルガティス教と協力し、合同で信者の軍団をローマ共和国に攻め込ませた。テウトニ族、キンブリ人の侵攻は「ウェル・サクレム」「ポエニ戦争」「シチリア奴隷戦争」に次ぐ、ローマ侵攻作戦の第四弾であった。

 


■BC73年 「キンブリ人の大航海時代」

 


■BC23年 「タタール人復活」

 

BC102年にテウトニ族が、BC101年にキンブリ人がたて続けに、ローマ共和国によって打ち破られた。彼らは、スパルタクスの大乱の際にはスパルタクスの反乱軍に加わっていたが、ローマ軍に破れると、テウトニ族はキンブリ人、バタヴィア族と共にインドに立ちより、その後にタタール人の故地であるモンゴルに入植した。この時、テウトニ族は「タタール人」に同化した。

 


■AD319年 「鳥取氏誕生」

 

「鮮卑」が消滅すると、托跋部、慕容部、乞伏部、禿髪部は中国に「代」「前燕」「北魏」「西秦」「南涼」などの短命な国家を建設する。だが、鮮卑の時代が終焉を迎えると、宇文部、一部托跋部、タタール人はモンゴルを発って日本に移住した。タタール人は、タタールを由来に「鳥取」を称した。

 


■AD319年 「豊田氏誕生」

 

「鮮卑」が消滅すると、托跋部、慕容部、乞伏部、禿髪部は中国に「代」「前燕」「北魏」「西秦」「南涼」などの短命な国家を建設する。だが、鮮卑の時代が終焉を迎えると、宇文部、一部托跋部、タタール人はモンゴルを発って日本に移住した。タタール人は、テウトニを由来に「豊田」を称した。テウトニ=テウト=トヨタとなる。
製鉄の種族であったティタン神族(デウカリオン族)の子孫であるタタールは日本に「多田羅製鉄」を伝えた。この時の大移動の参加者にホンダ、トヨタ、スズキなど、代表的な日本の自動車企業の名前が並んでいるのは興味深い。

 


■AD642年 「タタ誕生」

 

サーサーン朝が滅ぶと、拝火教の信者であるタタは、イランを離れてグジャラートに入植した。彼らは「タタ財閥」の祖となる。

 


■AD642年 「多田氏誕生」

 

サーサーン人は同盟者であったイベリア人、タタを連れてイランを出発し、日本に移住した。イラン人の顔をしたタタは、日本人と混合して「多田氏」を成した。多田の名の由来はタタである。この時に「多田氏は「多田神社」を建立した。

 


■AD1125年 「伊達氏誕生」

 

遼が滅ぶと、タタール人はモンゴルを発って日本に上陸した。当初、タタール人は「下野中村氏」を称した。その後、「常陸入道念西」と呼ばれた中村念西が「伊達」を称した。伊達の名の由来はタタールである。タタール=ダテール=伊達となる。

 


■AD1425年 「タイスン・ハーン誕生」

 

AD1400年に伊達政宗が大崎氏と同盟して結城氏、上杉氏と交戦した「伊達政宗の乱」が発生した。伊達政宗は鎌倉幕府と抗争を続けたが、敗北すると、政宗は伊達氏宗と共に死去に見せかけてモンゴルに逃亡した。そして、政宗の系統はアダイ・ハーンに接近して自身の血統を打ち立てた。AD1425年、政宗の血を継ぐタイスン・ハーンが誕生した。タイスンの名の由来は西山城である。西山=タイスンとなる。こうして、政宗の系統は、モンゴルの地を治めていた「北元」の王位を簒奪した。

 


■AD1548年 「阮氏簒奪」「阮氏地方政権樹立」

 

AD1542年に「天文の乱」が起きると、敗北を喫した伊達稙宗がモンゴルへと逃亡している。この時、伊達政宗の血を引く北元王室と対立した伊達稙宗は、代わりにベトナムへと落ち延びた。北元王室は、伊達政宗に敗北するとモンゴルを後にベトナムに来て「阮氏」を復活させていた。だが、ベトナムを訪れた伊達稙宗は、北元王室を簒奪した伊達政宗と同じように阮氏の名を簒奪した。これを機に、正統な阮氏はアイルランドへと旅立った。

 


■AD1635年 「伊達宗純誕生」「伊達宗勝誕生」

 

伊達政宗の血を引く北元が滅ぶと、北元王室がモンゴルを後に仙台に帰還してきた。彼らは伊達氏に合流して伊達宗純、宗勝の兄弟を生んだ。宗純は宇和島藩から3万石を分知され、伊予吉田藩を得た。また、宗勝は仙台藩から3万石を分知され、一関藩を得た。しかし、伊達家の勢力を監視していた大谷家は陰謀を駆使し、「伊達騒動」を演出した。これにより、北元の直系、宗純と宗勝の一族は仙台を脱してベトナムに逃げ込んだ。彼らは、伊達稙宗の子孫に合流して同じく阮氏」を称した。

 


■AD1778年 「西山朝樹立」「阮朝誕生」

 

伊達稙宗の子孫と対立したため、伊達宗純、宗勝の子孫が「西山朝(タイソン)」を開いた。タイソンの名の由来はタイスン・ハーンである。劣勢を喫していた伊達稙宗の子孫だったが、AD1782年に「天明の飢饉」が発生すると、伊達家が大挙してベトナムに移住してきた。援軍を得た伊達稙宗の子孫は西山朝を滅ぼし、AD1802年に「阮朝」を開いた

 


■AD1802年 西山朝の残党、フィリピン・イタリアに移住

 

阮朝が成立すると、西山朝の残党は東西に分離して船出した。東方組はフィリピンに上陸し、「ドゥテルテ」の姓を称した。ドゥテルテの名の由来は「タタールの人(タタ-ルト)」である。タタールト=ドゥタールト=ドゥテルテとなる。一方、ベトナムからイタリア半島に移住した西山朝の残党はイタリア人と混合して「タトゥーロ」の姓を形成した。タトゥーロの名の由来はタタールである。タタール=タトゥール=タトゥーロとなる。

 


■AD1874年 ウィンストン・チャーチル生誕

 


■AD1890年 阮生恭生誕 「ホー・チミン誕生」

 


■AD1945年 ロドリゴ・ドゥテルテ生誕

 

フィリピン共和国第16代大統領に就任している。

 


■AD1957年 ジョン・タトゥーロ生誕

 

 

 

 

 

 


ディンカの歴史

◆テングリ(ディンカ)の歴史

 


■50万年前 「ディンカ誕生」

 

ビクトリア湖沿岸部には巨大ワニが生息しているため、彼らは湖の中心部を生活の拠点としていた。そのため、水生生活に特化していたディンカは、頭部が小さく、手足、指が長いという身体的特徴を得た。これらの身体的変化により、彼らは、水中で大きな推進力を得ることができた。その二次的な結果として、彼らは2m近い身長を手に入れた。

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「マサイ誕生」「ムルング誕生」「ハダメ誕生」「イサック誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したディンカは、現ケニアに「マサイ」、現タンザニアに「ムルング」、現ソマリアに「ハダメ」「イサック」を生んだ。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■40万年前 「タンジール誕生」「サルディニャ誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したディンカは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「タンジール」「サルディニャ島」「シェラネバダ」「メッサニア」「チャンネル諸島」「アルデンヌ」「セーヌ川」などである。残念ながら、サルディニャ島はその後、シェルデン人に簒奪され、タナトスの拠点となっている。
タンジール、サルディニャの名の由来はディンカとシルックの組み合わせ、メッサニア、セーヌの名の由来はマサイとディンカの組み合わせ、ナクソスの名の由来はディンカとゼウスの組み合わせである。ディンカ+シルック=ディンシル=タンジールとなり、シルック+ディンカ=シルディン=サルディニャとなる。マサイ+ディンカ=マサイン=マサイナ=メッサニア=サニア=セーヌとなる。

 


■30万年前 「第2次ディンカの大航海時代」

 


■30万年前 「グレニコス誕生」

 

「ディンカの大航海時代」に参加したディンカがオセアニアに訪れると、ディンカは、キャラ、ムシシと組んで「グレニコス」を生んだ。グレニコスの名の由来はキャラ、ディンカ、ムシシの組み合わせである。キャラ+ディンカ+ムシシ=キャラナコシ=グレニコスとなる。その後、グレニコスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「伊邪那岐誕生」「伊邪那美誕生」

 

葦原中津国を建設したアシアーとグレニコスは、エウリュノメーを迎えて「伊邪那岐」「伊邪那美」の2神を誕生させた。イザナギの名の由来はアシアーとグレニコスの組み合わせであり、イザナミの名の由来はアシアーとエウリュノメーの組み合わせである。アシアー+グレニコス=アシアニコ=イザナギとなり、アシアー+エウリュノメー=アシアノメー=イザナミとなる。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「守護蛇ピュトン誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したディンカは、ペイトーと組み、ナイル流域からエーゲ海へ移った。この時に、彼らは聖地デルポイの守護蛇「ピュトン」を生んだ。ピュトンの名の由来はペイトーとディンカの組み合わせである。ペイトー+ディンカ=ペイディン=ピュトンとなる。頭部が小さく、手足、指が長いディンカは、北極圏に近いエーゲ海に暮らすことで、背の高い金髪・碧眼の白人(北欧人)の祖となった。

 


■30万年前 「ナクソス誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したグレニコスは、エーゲ海に「ナクソス」の名を生んだ。ナクソスの名の由来はディンカとムシシの組み合わせである。ディンカ+ムシシ=ンカシシ=ナクソスとなる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大航海時代」

 


■7万年前 「タウマス誕生」「デイモス誕生」

 

「第1次ウラヌスの大航海時代」の参加者がオーストラリアから地中海に訪れると、ディンカはマサイと組んで「タウマス」「デイモス」「ステンノ」を生んだ。タウマス、デイモス、ステンノの名の由来はディンカとマサイの組み合わせである。ディンカ+マサイ=テイマサ=タウマスとなり、ディンカ+マサイ=テイマサ=デイモスとなり、マサイ+ディンカ=サイディン=サイテンノ=ステンノとなる。「神統記」では、タウマスはポントスとガイアの子、デイモスはアフロディテとアレスの子、ステンノはゴルゴたちとして知られている。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「チン族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したディンカは、ミャンマーに入植し「チン族」を生んだ。チンの名の由来はディンカである。ディンカ=チンカ=チンとなる。

 


■7万年前 「トゥングル族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したムルングはディンカと連合して、インドネシアに「トゥングル族」を生んだ。トゥングルの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=トゥングルとなる。また、ミャンマーに足場を得たトゥングル族は、「カレン族」を生んだ。カレンの名の由来はディンカとムルングの組み合わせであり、ムルングが主導していた。ディンカ+ムルング=カルン=カレンとなる。

 


■7万年前 「ケタガラン族誕生」「クーロン族誕生」

 

台湾に入植したトゥングル族(カレン族)は、単独で「クーロン」を称し、エレクトラと連合して「ケタガラン」を成した。クーロンの名の由来はカレンであり、ケタガランの名の由来はエレクトラとカレンの組み合わせである。カレン=カーレン=クーロンとなり、エレクトラ+カレン=クトカレン=ケタガランとなる。

 


■7万年前 「天界神テングリ誕生」

 

セデック族(台湾)は、意気投合したトゥングル族(カレン族)と共にシベリアに移住した。両者は、ウリゲン、テングリ、エルリクなどの子孫である現地人と交わり「チュクチ」「ディングリング」を形成し、同時に「天界神テングリ」も生まれた。ディングリング、テングリの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=ディングリング=ディングリ=テングリとなる。犬戒(キロン)はカロンの渡し守であり、チュクチ族が住んだ黒龍江はステュクスである。ということで、同盟者である天界神テングリ(ディングリング)も、黒龍江辺りに住んでいた。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「オーディーン誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したペイトーは、古代マヤに入植し、「オーディーン」を生んだ。オーディーンの名の由来はペイトーとディンカの組み合わせである。ペイトー+ディンカ=オーディン=オーディーンとなる。オーディーンは、ヴァルハラ王国を統治した。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「テイ誕生」「東方青龍誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したテングリは、ディンカの故郷である湖水地方に帰還し、テイを生んだ。彼らは、同盟者と共に「東方青龍(チンロン)」を建設した、チンロンの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンルン=チンロンとなる。

 


■2万年前 「最終戦争ラグナロク」

 


■2万年前 「貪狼誕生」「北斗星君誕生」

 

「最終戦争ラグナロク」により、オーディーンがヴァルハラから現ベナン辺りに入植し、青龍(湖水地方)のディンカと組んで「北斗星君(ペイトーキンジュン)」を建設した。ディンカは、「貪狼(タンラン)」を生んだ。タンランの名の由来はディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンルン=タンロンとなる。テングリは、この時にテーバイ王国のトバルカインと接触を持ち、交流した。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「テングリの大移動時代」

 


■1万3千年前 「六十元辰誕生」「長江誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したテングリは、大地殻変動を機に、アフリカ湖水地方から長江流域に逃げてきた。彼らは、メラネシアから逃げてきた人々と連合して60もの神々を生んだ。「六十元辰」と呼ばれた彼らは「元辰(ユェンチェン)」を築いた。元辰(ユェンチェン)の名の由来は長江(チャンジャン)であり、長江(チャンジャン)の名の由来は丁零(ディングリング)とジェンギの組み合わせである。ディングリング+ジェンギ=ディンジェン=チャンジャン=ヤンジャン=ユェンチェンとなる。

 


■1万3千年前 「チェケル人(前身)誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したテングリは、長江から瀬戸内海に移住した。この時に、テングリはチュクチと組んで「チェケル人」を生んだ。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千年 「アヌンナキの大航海時代」

 


■BC7千年 「ユングリング(前身)誕生」

 

「アヌンナキの大航海時代」に参加したディンカは、スカンジナビアに移住し「ユングリング(前身)」を生んだ。ユングリングの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングリング=ユングリングとなる。8千年後、ユングリング家がノルウェー王、スウェーデン王としてスカンジナビア半島に返り咲いている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレスの戦い」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「洞庭湖誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したディンカは、故地であるビクトリア湖に帰還し、「洞庭(ドンティン)」と命名した。ドンティンの名の由来はディンカとテングリの組み合わせである。ディンカ+テングリ=ディンテン=ドンティン(洞庭)となる。その後、ディンカがモンゴルに帰還すると、「洞庭」の名前が中国に伝えられた。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「チェケル人誕生」

 

無法なシェルデン人は、地中海を我がもの顔で荒らしていた。これを懸念した科学の種族は、だが、これ以上核兵器を使用したくなかったため、タガログ族(チェケル人)にシェルデン人退治を依頼した。「海の民の大航海時代」を指揮したタガログ族は、太平洋、マヤ、アイルランドを経て地中海に進出した。タガログ族は、地中海では「チェケル人」と呼ばれた。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「アーンギラサ誕生」

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加したシェクレシュ人は、ガンジス流域に入植した。シェクレシュ人は、カアングと連合し「アーンギラサ」を称した。アーンギラサの名の由来はカアングとシェクレシュの組み合わせである。カアング+シェクレシュ=アンクレシュ=アーンギラサとなる。アーンギラサ族は、マハーバーラタ、リグ・ヴェーダなど、「ヴェーダ神話」の編纂を手がけた。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

「海の民」の時代が終焉を迎えると、シェクレシュ人はクレタ島を離れた。彼らは、チュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルとマルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「テイ族誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、ガンジス流域に入植した。その後、チベットに移住し、「テイ族(ディ)」を生んだ。ディの名の由来はディンカである。ディンカ=ディ(テイ族)となる。

 


■BC2世紀 「丁零誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、黒龍江に入植し、その後、モンゴルに移住した。彼らは、「丁零(ディングリング)」を生んだ。丁零(ディングリング)の名の由来は、テングリと同じくディンカとムルングの組み合わせである。ディンカ+ムルング=ディンカルング=ディングリングとなる。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動」

 


■AD531年 「ドンゴラ誕生」

 

「マクリア人の大移動」に参加した丁零は、安閑天皇が築いたマクリア王国の首都として「ドンゴラ」を建設した。ドンゴラの名の由来はディングリングである。ディングリング=ディングロ=ドンゴラとなる。

 


■AD641年 「ドンゴ誕生」

 

イスラム教徒がヌビアに侵入しはじめると、一部「ドンゴラ」の丁零は、ヌビア脱出時に、マクリア人とアルワ人の中央アジア行きには同行せず、単身モンゴルに帰還し、満州に移住して女真族に参加した。ヌビア人の顔をした彼らは。現地人と混合して「ドンゴ」を生んだ。ドンゴの名の由来はドンゴラである。

 


■AD641年 「ユングリング家誕生」

 

イスラム教徒がヌビアに侵入しはじめると、「ドンゴラ」の丁零は、アルワ王国の人々と共にスカンジナビア半島に移住した。この時に「ユングリング家」が生まれた。ユングリングの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングリング=ユングリングとなる。

 


■AD7世紀 「タングート誕生」

 

テイ族は、「ディンカの人」を意味する「タングート」を生んだ。ディンカト=ディンカート=タングートとなる。タングートは、テイ族と同じく、チベット付近を根城にしていた。

 


■AD872年 ハーラル1世、ノルウェー初代国王に即位 「ノルウェー王国誕生」

 


■AD985年 エリク6世、スウェーデン国王に即位 「スウェーデン王国誕生」

 

ユングリング朝は、祖を同じくするステンキル朝の王、ステンキルがスウェーデン王に即位するAD1060年まで存続した。

 


■AD1015年 オーラフ2世、ノルウェー国王に即位

 


■AD1035年 マグヌス1世、ノルウェー国王に即位

 


■AD1060年 「中島氏誕生」「長島氏誕生」「長瀬氏誕生」

 

ユングリング家は、スウェーデン王位を失うと、日本に入植した。彼らは「中島」「長島」「永島」「永瀬」「長瀬」などの名を儲けた。3つの名の由来は「ナクソス島」である。ナクソスの島=ナカ+島=長島、中島、永島となり、ナクソス=ナクソ=永瀬、長瀬となる。

 


■AD1287年 「タウングー朝誕生」

 

AD1277年、フビライのビルマ侵攻に従軍したタングートは、ビルマに根付いて「タウングー朝」を開いた。タウングーの名の由来はタングートである。タングート=タウングート=タウングーとなる。当初、タングートはパガン朝治世下のビルマで村を築いていた。しかし、首都パガンが陥落し、シャン族が王朝を乱立すると各地で発生した大量の難民が村に流入した。これを機に、ティンカバーが初代王に即位し、AD1347年に「タウングー朝」を開いた。
AD1551年に即位したバインナウンはモン族、シャン族を制圧してミャンマーの大半を掌握した。AD1548年、第一次緬泰戦争ではアユタヤ朝に侵攻し、AD1558年にラーンナー王国を占領し、第二次緬泰戦争、第三次緬泰戦争ではアユタヤを属国化した。その後、ペグー朝や明と交戦するが、AD1752年に滅びている。

 


■AD1630年 「トンガ族誕生」

 

デンケなどの人々は、狼男としてヨーロッパで忌み嫌われ、魔女狩りを機に、フランスを逃れてジンバブエにまで落ち延びた。ヨーロッパ人の顔をした彼らは現地人と混合して「トンガ」を称した。トンガの名の由来はタングートである。タングート=タンガ=トンガとなる。トンガ人はジンバブエからマラウィ、ザンビアにまで拡大した。後に、兄弟であるタウングー朝の残党がジンバブエを訪れると、彼らは連合し、中央アフリカに進出して「豹の部族」などを形成し、カニバリズムによってアフリカを汚染していく。

 


■AD1767年 「トンブリー朝誕生」

 

AD1758年、清によるジュンガル部大虐殺が起きると、女真族のドンゴはタイに移住した。その後、AD1767年に武将ピヤ・タークシンが「トンブリー朝」を開いた。トンブリーの名の由来はテングリである。テングリ=テンブリ=トンブリーとなる。ハ行がカ行を兼ねる法則が採用されている。トンブリー朝は、すぐに「チャックリー朝」にとって変えられている。

 


■AD1794年 「マフディー国家誕生」

 

AD1767年に武将ピヤ・タークシンが「トンブリー朝」を開いたが、すぐに暗殺されてしまった。その後、残党はタイを脱出してヌビアに帰還した。ドンゴラに生まれたドンゴの子孫ムハンマド・アフマドは、自らを「マフディー」と呼び習わし、軍勢を率いてエジプト軍を壊滅させ、大英帝国軍を退けて、AD1885年に「マフディー国家」をスーダンに打ち建てた。

 


■AD1904年 鄧小平生誕

 

鄧(デング)の名の由来はテングリである。テングリ=デングリ=デング(鄧)となる。

 


■AD1938年 庭野日敬、長沼佼成と共に立教 「立正佼成会誕生」

 

彼らは、AD1930年の中国共産党の長征を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。教祖、庭野日敬の名の由来は「丹羽」だと考えられるが、信仰指導を担当した長沼妙校の姓「長沼」の由来は、イザナギとイザナミの組み合わせである。イザナギ+イザナミ=ナギナミ=長沼となる。
また、長沼妙校の「妙校」の名の由来は白山修験の明峰「妙高山」である。つまり、立正佼成会の基盤は白山修験によって形成された。この、庭野日敬、長沼妙校の先祖を含む白山修験の修験者集団は、AD1868年の「北越戦争」を機に日本を脱出して一時的に清治世下の中国に渡っていた。

 


■AD1934年 中島貞夫生誕

 


■AD1936年 長嶋茂雄生誕

 


■AD1937年 永島慎二生誕

 


■AD1945年 テイン・セイン生誕

 

テイン・セインは、ミャンマー連邦共和国第8代大統領に就任した。テインの名の由来は、タウングートだと考えられる。タウングート=タウン=テインとなる。つまり、テイ族がビルマ人の祖というのは当たっている。

 


■AD1952年 中島みゆき生誕

 


■AD1953年 テレサ・テン生誕

 


■AD1966年 永瀬正敏生誕

 

 

 

 

◆ガリア(チェケル)の歴史

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「チェケル人誕生」

 

無法なシェルデン人は、地中海を我がもの顔で荒らしていた。これを懸念した科学の種族は、だが、これ以上核兵器を使用したくなかったため、イスラエル王国時代に知り合ったタガログ族にシェルデン人退治を依頼した。「海の民の大航海時代」を指揮したタガログ族は、太平洋、マヤ、アイルランドを経て地中海に進出した。タガログ族は、地中海では「チェケル人」と呼ばれた。チェケルの名の由来は、タガログの由来と同じく、チュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュグリ=チェケルとなる。

 


■BC19世紀 「オルメカ文明誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したチェケル人の一部は、中米通過の際、マヤに残留している。彼らが築いた文明は、「オルメカ文明」として知られている。中でも、巨石で造られた巨大な黒人の頭部が有名だ。ただ、あの顔は黒人の顔ではなく、ルソン島に住んでいたチェケル人、つまり、タガログ族(フィリピン人)の顔である。海の民の脅威に曝されたラムセス2世の時代に製作されたレリーフがあるが、このレリーフにはチェケル人の姿が刻まれている。このレリーフに刻まれたチェケル人の顔も黒人に見えるが、じつはフィリピン人の顔である。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

フィリピン人の顔をしたチェケル人、ポリネシア人の顔をしたマルドゥクは連合してチュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルとマルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ガリア誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴ人は、ビュブロス人、ダン族と共にライン河畔に上陸する。この時、カルタゴ人は2つに分離して、それぞれが「ガリア」「ダキア」を称した。ガリアの名の由来はカルタゴである。カルタゴ=カリャタゴ=ガリアとなる。

 


■BC7世紀 「カレドニア誕生」

 

ガリア人は、ダン族と組んで「カレドニア」を結成し、ガリアからスコットランドに移った。カレドニアの名の由来はガリアとダンの組み合わせである。ガリア+ダン=ガレダンニア=カレドニアとなる。

 


■BC7世紀 「ケルト人誕生」

 

しかし、人喰い人種であるダン族を嫌悪したガリア人は早々にカレドニアを解散し、ガリアに帰還して「ケルト人」を称した。ケルトの名の由来はカレドニアである。カレドニア=ケルトニア=ケルトとなる。

 


■BC390年 「ウェル・サクレム」

 

クロノスとタナトスの連合体であるドルイド僧による「一向一揆」の原型がこれである。「数で優れた者を圧倒する」という戦法が、古代ローマ相手に実施されていたのだ。多数の愚か者を指揮して少数の優れた者を数で圧倒する。これは、確かに賢い方法ではあるが、優れた者が多数である時、この方法は機能しない。ドルイド教が指揮した「ウェル・サクレム」は、それを教えてくれる。ローマには優れた兵士が大勢いたのだ。この時、ドルイド教は、強い敵と戦う前には、強い者たちを弱体化しなければならない、ということを学んだ(そして、その研究と実践は、中世ヨーロッパ、アメリカ合衆国、日本で発揮されることになる)。

 


■BC335年 「アレキサンダー大王暗殺」

 

BC335年、ドルイド僧の指揮下にあったガリア人は、ドナウ川とモラヴァ川の合流地点で、かのアレキサンダー大王と会見している。強い者と初めて対面する時、いい顔をして必ず下手に出る彼らは、大王に忠誠を示す品々を贈った。アレキサンダー大王は、自身の名声がガリアにまで轟いていることを期待して「おまえたちが一番恐ろしいと思う人物は誰だ?」と問うた。これに対し、ガリア人は「自分たちに怖いものは何もない」と答えた。この時、感銘を受けたアレキサンダー大王はガリア人を友と呼び、同盟を築こうとした。だが、大王は後にこの発言を撤回し「あいつらはただのホラ吹きだ」と一蹴し、ガリア人を追放している。この報復としてドルイド僧はアレキサンダーを暗殺した。これにより、マケドニア帝国という障害が除去されたガリア軍は、バルカン半島になだれ込んだ。

 


■BC279年 「ガラティア王国誕生」

 

BC279年、ついにガリア人は聖地デルポイを蹂躙し、略奪の限りを尽くした。だが、聖地デルポイを治めていたディオニュソス密儀と対立することになる。ディオニュソス密儀のダルダニア人は、ドルイド教とは「神託」を学んだ師と弟子の間柄であった。だが、彼らは、ガリア人の侵攻をドルイド教の裏切りと判断し、「アポロンの呪い」とウソぶいて、ガリア人の指揮官を暗殺した。ドルイド僧は、これを単なるウソと見抜いたが、何も知らないガリア人兵士は恐れおののき、軍団は周囲に四散した。後に、人喰い人種を嫌っていた正統なケルト人は、ドルイド僧から逃れるようにアナトリア半島に落ち延び、独自に「ガラティア王国」を建てた。ガラティアの名の由来はケルトである。ケルト=ゲルティア=ガラティアとなる。

 


■AD534年 「ヴァンダル人の大航海時代」

 


■AD534年 「ノヴゴロド誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したケルト人は、バルト海に入植し、ノヴゴロドを築いた。その後、「ノヴゴロド公国」が建設された。ノヴゴロドの名の由来は「ヌオヴォ・ケルト(新しいケルト)」である。ヌオヴォケルト=ノヴォゲルド=ノヴゴロドとなる。

 


■AD534年 「黒田氏誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したケルト人は、日本に上陸し、現地人と混合して「黒田氏」を生み、マルコマンニ人は「丸子氏」を生んだ。黒田の名の由来はケルトである。ケルト=ケルド=黒田となる。

 


■AD534年 「ケレイト誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したケルト人は、更に、日本からモンゴルに渡った。ケルト人とマルコマンニ人は、現地人と混合して「ケレイト」「メルキト」を形成した。ケレイトの名の由来はケルトであり、メルキトの名の由来はマルコマンニの人である。ケルト=ケルイト=ケレイトとなり、マルコマンニの人(ト)=マルコト=マルキトとなる。

 


■AD1219年 「シュレイダー誕生」

 

チンギス・ハーンの征西に同行し、「ワールシュタットの戦い」に参加したケレイトは、ドイツに入植して「シュレイダー」「シュレイター」「ブットゲライト」などの名を残した、

 


この系統からは、戦国武将として知られる黒田如水、黒田長政が輩出されている。

 


■AD1940年 テリー・ギリアム生誕 「モンティ・パイソン誕生」

 

ギリアムの名の由来はガリアである。ガリア=ガリアン=ギリアムとなる。

 


■AD1942年 ポール・マッカートニー生誕 「ビートルズ誕生」

 

マッカートニーの名の由来はマックとカレドニアの組み合わせである。マック+カレドニア=マッカレドニア=マッカートニーとなる。

 


■AD1943年 レナード・シュレイダー生誕

 

ケレイト=シェレイト=シュレイダーとなる。

 


■AD1945年 ヴェルナー・シュレーター生誕

 

ケレイト=シェレイト=シュレイダー=シュレーターとなる。

 


■AD1946年 ポール・シュレイダー生誕

 


■AD1963年 ユルグ・ブットゲライト生誕

 

 

 

 

◆天狗(ディンカ)の歴史

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「東胡誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカルタゴは、モンゴルに移住し、「東胡(トングー)」を築いた。トングの名の由来はテングリである。テングリ=テングー=トングー(東胡)となる。

 


■BC2世紀 「修験道誕生」

 

匈奴が勢力を拡大すると、東胡は瀬戸内海に移住した。この時、彼らはチュクチと組み、「修験道」を生んだ。修験道の名の由来はチュクチとディンカの組み合わせである。チュクチ+ディンカ+道=チュクイン+道=修験道(しゅげんどう)となる。

 


■BC2世紀 「天狗誕生」

 

日本中に分布した修験道の拠点に住んだディンカは「天狗」を称した。天狗の名の由来はテングリである。テングリ=テング=天狗となる。初代テーバイ王国時代に、科学の種族トバルカインと交流があった彼らは、山岳部に暮らしながら、最先端の科学力を取り入れた生活をしていた。天狗は、仏教の僧侶を敵視し、「神隠し」として、仏教信者の有力者の子息を連れ出し、自分たちの力を見せ付けた。目的は、仏教僧侶の驕り、思い上がりの払拭である。天狗たちは、仏教が人類の頂点ではないこと、仏教を遥かに上回る力が存在することを教えた。
しかし、狡猾な大谷は「神隠し」を利用した。大谷は、殺したい敵を拉致し、人知れず惨殺して遺体が目立つようにばらまいた。これにより、見せしめとして敵を威嚇した。また、天狗の脅威から保護してもらうためと称して、仏教に帰依した農民も大勢いただろう。大谷は、都合の悪いこと、悪事は全て天狗のせいにした。つまり、一口に「神隠し」と言っても、真相には2通りあるわけだ。

 


■AD681年 「真言宗室生寺派誕生」

 

役小角の創建、空海が再興したと伝えられている。真言密教。

 


■AD7世紀 「金峯山修験本宗誕生」

 

金峯山は、古来から山岳信仰の霊山であり、役小角が1000日の苦行の果てに金剛蔵王権現を感得したのが「金峯山修験本宗」の始まりである。天台密教。

 


■AD7世紀 「修験道誕生」

 

役小角が伊豆に流罪となった時、熊野から吉備の児島に移住した五大弟子のひとり義学が開祖である。天台密教。

 


■AD8世紀 「愛宕太郎坊誕生」

 

太郎坊は、八天狗の中で最もよく知られている。愛宕山は、京都を取り囲む山の中では最も高く、天狗の山として有名である。

 


■AD8世紀 「鞍馬山僧正坊誕生」

 


■AD8世紀 「比良山次郎坊誕生」

 

西の愛宕の大天狗太郎坊に対する大天狗が次郎坊だという。

 


■AD8世紀 「飯綱三郎誕生」

 


■AD8世紀 「大山伯耆坊誕生」

 

伯耆坊が棲む相模山の頂上には、大天狗祠があり、相当古い時代から祀られていたという。

 


■AD8世紀 「彦山豊前坊誕生」

 

豊前坊は、九州天狗の元締めといわれている。

 


■AD8世紀 「大峯前鬼坊誕生」

 

前鬼坊は、愛宕山の太郎坊よりも、古くから名前が知られているという。

 


■AD8世紀 「白峯相模坊誕生」

 

讃岐松山山塊の主峰で、相模坊は、崩御した祟得院を慰めていたという。

 


■AD8世紀 「羽黒山三光坊誕生」

 

三光坊は、出羽三山に棲む多くの天狗を統率する大天狗だった。

 


■AD8世紀 「秋葉山三尺坊誕生」

 

戸隠で修行し、越後の修験道場三尺坊で荒行をし、生身のまま天狗と化したという。

 


■AD8世紀 「象頭山金剛坊誕生」

 

松雄寺金光院の院主実盛上人が山上で霊感に触れて天狗と化したという。

 


■AD8世紀 「富士太郎誕生」

 

富士に君臨し、役行者を支援したといわれている。

 


■AD8世紀 「鞍馬山魔王尊誕生」

 

有名な八天狗の一人で、牛若丸に武術を指南したとされている。

 


■AD8世紀 「加波山石切大神誕生」

 

加波山は、寅吉に、筑波山の中で最も天狗が多いといわれた。石切はイエス・キリストを意味する。

 


■AD8世紀 「道了薩タ誕生」

 

大雄山最上寺の開祖の弟子で、山を守護しようと請願を立てると虚空に舞い上がりその姿をけしたという。

 


■AD8世紀 「水天狗円光坊誕生」

 

水天狗と呼ばれたのは円光坊だけだという。

 


■AD8世紀 「奥山半僧坊誕生」

 

遠州奥山の方廣寺の開祖は半僧坊と呼ばれていたが、天狗だったといわれている。

 


■AD8世紀 「比叡山法性坊誕生」

 

法性坊は、比叡山第13座主が、尸解してなったとされている。

 


■AD8世紀 「白峯大僧正誕生」

 

白峯大僧正は、大天狗として白山全体を支配していた。

 


■AD8世紀 「御嶽山六尺坊誕生」

 

六尺坊は、富士山よりも登山が困難な御獄を統括していた。

 


■AD8世紀 「黒眷属金毘羅坊誕生」

 

金毘羅坊は、四国象頭山で、金刀比羅宮の信者を守護し、参拝者の道中安全の役目を請け負っている。

 


■AD8世紀 「石槌山法起坊誕生」

 

法起坊は、西日本随一の高峰、石鎚山で、大小数万の天狗を統率していた。

 


■AD8世紀 「高野山高林坊誕生」

 

高林坊は、空海が金剛峰寺を建てる以前から高野山の地主神で、護法の天狗を統率していた。

 


■AD8世紀 桃太郎、鬼退治

 

黒人ダン族は、ナイジェリアを発ち、故国ダナーンを目指して東南アジアを訪れ、アンダマン諸島(ジャラワ族)、スラウェシ島、ミンダナオ島、台湾(サアロア族)に拠点を得ていた。黒人ダン族は、それらの島を出撃し、日本にまで足を伸ばして盗賊行為を行い、奈良時代、平安時代の子女を拉致して食べていた。これに対し、得体の知れない盗賊集団に縄張りを荒らされたと感じた百地氏は、腕利きの山伏、修験者を集め、キジを食糧として船に積み込み、台湾、ミンダナオ島、スラウェシ島、アンダマン諸島にまで行脚し、人喰い人種の黒人ダン族を成敗した。
これは百地氏による鬼退治であった。つまり、昔話「桃太郎」の原話である。桃太郎(百地氏)、犬(天狗=山伏)、猿(猿田彦の子孫=修験者)、キジ(遠征の際の食糧)、キビ団子(吉備国、丹後国)、鬼(黒人ダン族)ということになる。後山の修験者は吉備国を、比叡山の修験者は丹後国を出発したが、「吉備丹後」が変遷を重ねて「キビ団子」となった。或いは、鬼退治に参加した修験者に対する報奨として吉備国、丹後国が与えられる約束があったのかもしれない。

 


■AD1090年 「本山修験宗誕生」

 

総本山聖護院は役小角を開祖とし、円珍が開基とされている。天台密教。

 


■AD16世紀 「羽黒山修験本宗誕生」

 

出羽三山修験道の中心地で、16世紀には2500坊を数えるほど隆盛を極めた。天台密教。

 


■AD1602年 犬の早太郎、アステカの大谷を皆殺しに

 

ところで、見付天神の人身御供は、いつ終焉を迎えたのだろうか?見付天神の伝説によると、生贄を求めた猿神は信濃に住む「犬の早太郎」に成敗されたとされている。犬が出てきた時点で一般人の発想は分断され、「へえ、すごい犬だな」としか言えないだろう。しかし、名前を知れば大方の謎は解ける。ずばり、この犬の早太郎は、修験者であったと考えられる。「犬」とは天狗のことを指しているのは間違いがない。そして、天狗は山伏、修験者の別名である。ということで、犬の早太郎の正体は、戸隠山修験、或いは秋葉山修験に属する優れた修験者である。もちろん、早太郎は個人ではなく、集団でやってきただろう。つまり、早太郎は修験者集団の首領だった可能性が高い。
修験者の早太郎に皆殺しにされた大谷は、遠江国を脱出し、命からがら兄弟が住む京都にまで逃げ延びた。彼ら、アステカ帰りの大谷は、日本に残留して本願寺を営んでいた大谷に接触し、自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが准如である。時折りしも、顕如が織田信長相手に一向一揆を仕掛けていた真っ最中である。だが、アステカ組の准如は、本願寺組の教如と対立し、本願寺は西本願寺と東本願寺に分離する。日本に残留した大谷は「東本願寺」を称し、アステカ組は「西本願寺」を称した。
ここで、最初の問いに戻りたい。見付天神の人身御供が終焉を迎えたのはいつか?それは、准如が生まれたAD1577年よりも数年前と推定される。つまり、見付天神の生贄の儀式は、AD1520年代から約50年ほど続いたのだ。人喰い人種である大谷は顔が醜い。そのため、彼らは良い顔を求めて器量良しの娘をさらい、子供を生ませた。顔が良ければ第一印象が改善される。「初対面で悪人に見えない」、これは悪党にとっての命題である。現在、磐田市近辺にはその時の生贄の娘の子孫がインフラ全般に渡ってごろごろしている。

 

 

 

 

◆アングル人(ガリア)の歴史

 


■BC6世紀 「フィン人の大航海時代」

 


■BC6世紀 「アンカラ誕生」

 

「フィン人の大航海時代」に参加したカレドニア人(ガリア人)は、オビ河流域に足を止め、そこから南下してコラズムに移住した。その後、南下した彼らはアナトリア半島に上陸して「アンカラ」を得た。アンカラの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングリ=アンカラとなる。

 


■BC334年 「アングル人誕生」

 

BC2世紀、エンゲル人はユトランド半島の付け根に「アンゲルン半島」を得た。アンゲルンの名の由来はディングリングである。ディングリング=イングルン=アングルンとなる。また、彼らは「アングル人」を称した。アングルの名の由来はエンゲルである。エンゲル=アンゲル=アングルとなる。

 


■AD5世紀 「イースト・アングリア王国誕生」

 

アングル人、ジュート人、サクソン人がユトランド半島からブリテン島に移動する。アングル人は「イースト・アングリア王国」を建てた。

 


■AD520年 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD520年 「アンコール人誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したアングル人は、乞伏部(カーン王家)はカウィール家(クール人)、ベリーズ人と共にブリテン島を目指した。一方、賀茂氏はアングル人を連れてカンボジアを目指した。賀茂氏は、アングル人と共にカンボジアに入植し、両者は現地人と混合して「クメール人(ゴメル)」「アンコール人(アングル)」となった。

 


■AD520年 「タルマヌガラ王国誕生」

 

カンボジアに拠点を得たクメール人、アンコール人だが、アンコール人がジャワ島に移住した。彼らはジャワ島初の王国「タルマヌガラ」を建てた。タルマヌガラの名の由来は「ダルマチア」と「アンコール」の組み合わせである。ダルマチア+アンコール=タリマンコール=タルマヌガラとなる。この後、ドルヒユ族はジャワ島を離れて中国に渡り、「達磨」を称した。

 


■AD8世紀 「ステンキル家誕生」

 

アングル人はマーシア王国の領域に進出して「ミドル・アングリア」も建設したが、マーシア王国編入を機に、一部ジュート人と共にブリテン島を離れ、バルト海に移住した。彼らは「ステンキル家」を称した。ステンキルの名の由来はサエテとアングルの組み合わせである。サエテ+アングル=サエテングル=ステンキルとなる。

 


■AD8世紀 「カンディアーノ家誕生」

 

「マーシア王国」に服属したことを機に、ケント人はアングル人と共にヴェネツイア共和国に渡り、連合して「カンディアーノ」を称した。カンディアーノの名の由来はケントとアングルの組み合わせである。ケント+アングル=ケントアン=ケントアヌ=カンディアーノとなる。

 


■AD8世紀 「ンコロ誕生」「アンゴラ誕生」

 

ザイール流域に根付いたケント人は「ガンダ族」を称し、アングル人は「ンコロ族」を称した。ンコロの名の由来はアングルである。古代ホモサピエンスの有力部族ジェンギやウリゲンの後裔であるテングリにとって、この移住は30万年ぶりとなる帰郷であった。両者は、ザイール流域を遡って大湖水地方に移って、伝説の「ニョロ帝国」の傘下に入った。
また、その後に大湖水地方から帰還したンコロ族は、アフリカ西海岸に「アンゴラ」を築いた。アンゴラの名の由来はアングルである。AD19世紀、イギリス人の血が流れるガンダ族(ケント人)は、大湖水地方に進出してきた大英帝国と結び、伝説の「ニョロ帝国」に進撃した。

 


■AD880年 「アンコール・トム建設」

 

カンボジア王スリ=ヤソヴァルマンは、巨石の種族ピラミッド派に要請して「アンコール・トム」の建造を依頼している。

 


■AD1060年 ステンキル、スウェーデン国王に即位 「ステンキル朝誕生」

 

ステンキル朝は、AD1120年まで存続した。

 


■AD1112年 「アンコール・ワット建設」

 

カンボジア王スール=ヤソヴァルマン2世は、巨石の種族ピラミッド派に要請して「アンコール・ワット」の建造を依頼している。

 


■AD1336年 「ヴィジャヤナガル王国誕生」

 

AD1377年にシュリーヴィジャヤ朝は滅ぶが、カンボジア人は既にスマトラ島を脱してインドに移住を完了していた。カンボジア人はカンボジア王国の同僚アンコール人と組んで「ヴィジャヤナガル王国」を建てた(本国カンボジアはクメール人の支配下にあった)。カンボジア+アンコール=ボジア+ンコール=ヴィジャヤナガルとなる。

 


■AD1490年 アーマド・ニザーム・シャー1世、初代王に即位 「アーマドナガル王国誕生」

 

ジャワを拠点に活動していた山田氏は「ヴィジャヤナガル」のアンコール人と共にインドに移住した。AD1490年頃、「バフマニー朝」が崩壊した隙を見計らって両者は自身の王国を開いた。アーマドナガルの名の由来は山田(ティアマト)とアンコールの組み合わせである。ヤマダ+アンコール=ヤーマダンコル=アーマドナガルとなる。

 


■AD1490年 スルターン・クリー・クトゥブ・シャー、初代王に即位 「ゴールコンダ王国誕生」

 

ヴィジャヤナガルが分裂してアンコール人がゴンドワナ人と組んで出来た国。アンゲロス+ゴンドワナ=ゲルゴンドワ=ゴールコンダとなる。AD1687年に王国が滅ぶと、アンゲロス家はエチオピアに移って「ゲラ王国」を築き、更に、湖水地方に進出して「ニャンコロ王国」を建てた。

 


■AD1636年 「名倉氏誕生」

 

AD1636年、ムガール帝国の侵攻を機に、「アーマドナガル」は崩壊したが、山田氏とアンコール人の連合体は、インドを離れて江戸幕府治世下の日本に移住した。山田氏は残留していた山田氏と合流し、アンコール人は「名倉」を称した。名倉の名の由来はナガルである。

 


■AD18世紀 「ゲラ王国誕生」

 

ゴールコンダの王家はエチオピアに「ゲラ王国」を建てた。ゲラの名の由来はアングルである。アングル=アンゲラ=ゲラとなる。

 


■AD18世紀 「ニャンコレ王国誕生」

 

その後、エチオピアから湖水地方に移ったアンコール人は「ニャンコレ王国」を築いた。ニャンコレはアンコーレともンコロとも呼ばれる。どちらにしても名前の由来はアンコールである。アンコール=ニャンコール=ニャンコレとなる。

 


■AD1927年 ケネス・アンガー生誕

 


■AD1956年 「アンゴラ人民同盟誕生」

 

AD1962年、アングル人主体の「アンゴラ人民同盟」が祖を同じくするコンゴ人の支援を受けて組織された。

 


■AD1962年 ホールデン・ロベルト、指導者に就任 「アンゴラ民族解放戦線誕生」

 

「アンゴラ人民同盟」に参加したニャンコレ族は「アンゴラ民族解放戦線」を組織した。

 

 

 

 

 


シルックの歴史

◆チュルク(シルック)の歴史

 


■50万年前 「シルック誕生」

 

ビクトリア湖沿岸部には巨大ワニが生息しているため、彼らは湖の中心部を生活の拠点としていた。そのため、水生生活に特化していたシルックは、頭部が小さく、手足、指が長いという身体的特徴を得た。これらの身体的変化により、彼らは、水中で大きな推進力を得ることができた。その二次的な結果として、彼らは2m近い身長を手に入れた。

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「トレ誕生」「キャラ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現コンゴに「トレ」、現タンザニアに「キャラ」を生んだ。

 


■40万年前 「第1次ディンカの大移動時代」

 


■40万年前 「シラクサ誕生」「チューリッヒ誕生」「チューリンゲン誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したシルックは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「タンジール」「サルディニャ島」「シェラネバダ」「シェラモレナ」「シラクサ」「サラミス」「ルカニア」「チャンネル諸島」「アドリア海」「アルデンヌ」「チューリンゲン」「ロアール」「チューリッヒ」などである。
シラクサ、トラキアの名の由来はシルックとマサイの組み合わせ、チューリンゲンの名の由来はシルックとムルングの組み合わせであり、チューリッヒの名の由来はシルックである。シルック+マサイ=シルックサイ=シラクサ、シルック+マサイ=シルサイ=テルカイ=トラキアとなる。シルック+ムルング=シルング=シールング=チューリンゲンとなり、シルック=シールック=チューリッヒとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「セレグ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したシルックは、メソポタミアに移住して「セレグ」を生んだ、セレグの名の由来はシルックである。シルック=セレック=セレグとなる。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「チュルク族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したセレグは、レナ流域に入植した。セレグは、現地人と混合して「チュルク族」を成した。チュルクの名の由来はセレグである。セレグ=チェレグ=チュルクとなる。

 


■BC32世紀 チュルク族、北狄に参加

 

黒龍江に到達したチュルク族は、「北狄(ベイディ)」に参加した。

 


■BC2180年 「高車誕生」

 

チュルク族は、高車に参加した。彼らは、高車の指揮によりアジア各地にドルメン、メンヒル、ストーンサークルを建設した。、モンゴルに「立石」、朝鮮半島に「支石墓」、大湯に「環状列石」、明日香村に「石舞台」「亀石」「猿石」「酒船石」、台湾に「卑南文化」、メラネシアに「ラピタ文化」を残した。

 


■BC2世紀 「丁零誕生」

 

チュルク族は、丁零に参加した。この時に騎馬民族の生活を覚えた。

 


■BC317年 「チューリンギア族誕生」

 

チューリンギアに住んでいたシルックは、ゲルマン時代に「チューリンギア族」を称した。チューリンギアの名の由来はチューリンゲンである。チューリンゲン=チューリンギアン=チューリンギアとなる。AD5世紀に「チューリンギア王国」を建てた際、チューリンギア族はフン族を奴隷として徴用した。

 


■AD552年 トメン、初代帝王に即位 「突厥帝国誕生」

 

AD552年、チュルク族を指揮下に置いた土門が、柔然を撃破して伊利可汗として初代可汗に即位した。この時に「突厥帝国」が生まれた。

 


■AD6世紀 「トゥアレグ族誕生」

 

スワヒリから来たアザニアー海賊(阿史那氏)がチュルク族を支配下に置くと、これを嫌った一部のチュルク族はインダス流域からインド洋に出て、南アフリカを周航した。その後、チュルク族は西アフリカに上陸し、サハラ砂漠に根付いた。この時に、チュルク族は「トゥアレグ族」を生んだ。トゥアレグの名の由来はチュルクである。チュルク=チュアレグ=トゥアレグとなる。現在、トゥアレグ族は、マリで軍事クーデターを起こし「アザワド独立宣言」を表明した。

 


■AD6世紀 「セラクレ族誕生」

 

その後、トゥアレグ族はサハラからニジェール流域に移り、「セラクレ族」を称した。セラクレの名の由来はチュルクである。チュルク=チュルクレ=セラクレとなる。

 


■AD6世紀 「トルテカ人誕生」

 

その後、セラクレ族は大西洋を横断し、メキシコに渡った。メキシコに到着したセラクレ族は、ティカル人と組んで「トルテカ人」を生んだ。トルテカの名の由来はチュルクとティカルの組み合わせである。チュルク+ティカル=チュルティカ=トルテカとなる。彼らは、「トルテカ帝国」を建てた。首都「トゥーラ」の名の由来もチュルクである。チュルク=トゥルク=トゥーラとなる。

 


■AD557年 「チャールキヤ朝誕生」

 

スワヒリから来たアザニアー海賊(阿史那氏)がチュルク族を支配下に置くと、これを嫌った一部のチュルク族はインドに移住した。彼らは、マイトラカ朝のトラキア人と連合し、AD6世紀に「チャールキヤ朝」を開いた。チャールキヤの名の由来はチュルクとトラキアの組み合わせである。チュルク+トラキア=チュルキア=チャールキヤとなる。AD7世紀には「東チャールキヤ朝」が、AD10世紀には、ラージプート出身のタイラ2世が王位を簒奪し、「後チャールキヤ朝」が開かれた。

 


■AD10世紀 「トルテカ帝国誕生」

 

AD10世紀、トルテカ人の戦士集団は、羽毛ある蛇を奉るトピルツィン王に率いられ、ユカタン半島を掌握した。

 


■AD1156年 「チェロキー族誕生」

 

AD1156年にチチェン・イツァーの侵攻によって首都トゥーラが破壊されると、トルテカ族はメキシコを後に北米大陸に向かった。北米南東部に居住したトルテカ族は「チュロキー」を称した。チェロキーの名の由来はチュルクである。チュルク=チュルキー=チェロキーとなる。

 


■AD15世紀 「シルック帝国誕生」

 

AD11世紀、ムラービト朝によってガーナ帝国が滅ぶと、セラクレ族は白ナイル流域に侵入した。セラクレ族は、先祖の名「シルック」を復活させた。セラクレ族は、何万年も前から現地に残っていたシルック族を統率し、AD15世紀に連邦制の国家「シルック王国」を建てている。

 


■AD15??年 フランシス・ドレイク生誕

 

一部のチェロキー族は、雨利他を離れて大西洋を渡り、ブリテン島に移住した。インデイアンの顔をした彼らはイギリス人と混合して「ドレイク」の名を生んだ。ドレイクの名の由来はチュルクである。チュルク=テルイク=ドレイクとなる。フランシス・ドレイクは海賊として鳴らした。一方で、ドレイクはイングランド王国のために働き、スペイン無敵艦隊を撃破した。

 


■AD17世紀 「イロコイ連邦誕生」

 

その後、北東部森林地帯に移住したチェロキー族は「イロコイ族」を称した。イロコイの名の由来はチェロキーである。チェロキー=チェロコイ=イロコイとなる。AD17世紀には、イロコイ族は6部族連合の連邦国家「イロコイ連邦」を築いたた。イロコイ連邦は「ビーバー戦争」で、チェロキー族は「セミノール戦争」で大々的に白人に対して抗戦した。

 


■AD1932年 ジャック・シラク生誕

 

シラクの名の由来はシルックである。シルック=シルク=シラクとなる。30万年前からヨーロッパに住んでいた人々の後裔である。

 


■AD1939年 グレース・スリック生誕 「ジェファーソン・エアプレイン誕生」

 

スリックの名の由来はシルックである。シルック=スルック=スリックとなる。30万年前からヨーロッパに住んでいた人々の後裔である。

 


■AD1948年 ニック・ドレイク生誕

 


■AD1952年 アール・スリック生誕

 

スリックの名の由来はシルックである。シルック=スルック=スリックとなる。30万年前からヨーロッパに住んでいた人々の後裔である。

 

 

 

 

◆猿田彦の歴史

 


■30万年前 「ディンカの大移動時代」

 


■30万年前 「サルディニャ誕生」

 

「ディンカの大移動時代」に参加したシルックは、ヨーロッパ各地に拠点を得た。「タンジール」「サルディニャ島」「シェラネバダ」「シェラモレナ」「シラクサ」「トラキア」「サラミス」「ルカニア」「チャンネル諸島」「アドリア海」「アルデンヌ」「チューリンゲン」「ロアール」「チューリッヒ」などである。サルディニャの名の由来はシルックとディンカの組み合わせである。。シルック+ディンカ=シルディンナ=サルディニャとなる。

 


■BC945年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC945年 「猿田彦誕生」「五十鈴誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」の東方組に参加したシェルデン人はモレヤ族と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人の混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。シェルデン人は伊勢国に赴いて「五十鈴川」を拠点に「猿田彦」を称した。猿田彦の系統は、後に熊野三山を中心に日本中の山岳地帯に「修験道」を簒奪する。五十鈴の名の由来はイシスであり、猿田の名の由来はシェルデン、或いはサルディーニャである。
修験道の祖である役小角は賀茂氏の系統といわれるが、ステュクスとタナトスの2系統がある。タナトスの場合、名前を紐解くと、役(えんの)は「ディオニュソス」、小角は「小さいタナトス(タナトスの子)」に因んでいることがわかる。ディオニュソス=ディオンニュソス=オンニュ=えんの(役)、小+タナトス=小+ツナトス=小角となる。鬼の子といわれる小綱の名も同様の由来を持っている。

 


■AD461年 ヒラルス、フェリクス3世、シンマクス、ローマ教皇に就任

 

AD3世紀、「大和人の大航海時代」に刺激を受けた猿田彦の子孫は日本を離れて故地であるサルディーニャ島に帰還した。彼らは、対岸のローマ帝国の繁栄を眺めながらサルディーニャ人として暮らし、ローマ掌握の機を狙っていた。サルディーニャ人はローマ教皇の座を簒奪することでローマを掌握する方法を考えた。そして、その思惑とおりにヒラルスがローマ教皇の座を得た。その後、フェリクス3世、シンマクスなどのローマ教皇を得るが、ゴート族、フランク族がローマ帝国を滅ぼしてしまう。また、サルディーニャ人は同時にローマ教皇の座を喪失した。
ゲルマン人に対する復讐を胸にサルディーニャ人は再度、シェルデン人の秘儀「黒死病」戦法を持ち出した。AD540年からAD591年の間、エジプトからマルセイユ、ローヌ河、アイルランドにいたる広範囲にペスト菌を撒いたサルディーニャ人だが、フランク王国を破壊するには至らなかった。ローマ掌握が夢と消えたサルディーニャ人は、フランク王国の破壊を断念し、日本に帰還して、修験者としての修行を継続した。

 


■AD10世紀 「アササン教団誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った阿蘇修験は、クルディスタンに居を据えて「アササン」を称した。アササンの名の由来は阿蘇山(あそさん)である。阿蘇山の名がイタリア語アサシーノ、フランス語アササン(暗殺、殺人)の由来になっているのだ。阿蘇山修験の修験者たちは、ニザール派、イスマイール派にイスラムを学び、暗殺教団を組織した。
その後、アササンは十字軍・イスラム世界双方の要人暗殺を中心に、イスラム世界・十字軍、双方と交戦を続けた。日本に於いて、山岳に親しんできた彼らは、険しい山岳地帯を拠点に選んだ。カスピ海南岸に連なるエルブールズ山脈に「鷲の巣城」を築いた。また、修験者だけあり、アササンの首領は「山の長老」と呼ばれた。彼らは、十字軍・イスラム世界双方の有力者たちを震え上がらせていたが、AD1250年、フラグ率いるモンゴル軍によって、あっさりとやられてしまった。
ということになっているが、いくら相手が無敵のモンゴル軍でも、天狗がそんなにあっさりとやられるわけがない。真相はこうだ。任務を果たしたと考えた彼らは、トバルカインに頼んで日本に帰還したのだ。空っぽの鷲の巣城を発見したモンゴル軍は、アササン教団を全滅させたと公言した。これにより、もともと最強と知られていたモンゴル軍の株も上がったわけだ。

 


■AD1125年 「サラディン誕生」

 

AD1125年に神聖ローマ帝国の「ザーリアー朝」が滅ぶと、サリ家は、22年後に「第2次十字軍」の行軍に紛れてイスラム世界に旅立った。サリ家は、10歳のサラディン(AD1137年生)を連れ、神聖ローマ帝国からクルディスタンに移住した。サラディンの名の由来はシェルデンである。「第1次十字軍」にも参加したサリ家の残党であるサラディンが、イスラム世界の王になり、「第3次十字軍」と戦ってキリスト教徒に英雄と呼ばれたことは興味深い。更に、サラディンが仕えたアレッポの君主ヌーレッディーンは碧眼・金髪の男だったと言われている。サラディンだけでなく、彼もサリ家に関係が深い人物だったのだろう。

 


■AD1273年 「聖フェーメ団誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った葉山修験は、神聖ローマ帝国治世下のヴェストファーレンに移住した。彼らは「聖フェーメ団」を結成した。フェーメの名の由来は葉山である。葉山=ハヤマ=ヒャーマ=フェーメとなる。彼らは、街にうごめく悪を狩り、権力者に畏怖された。彼らは、ナポレオンがドイツに侵攻したAD1811年まで存続した。

 


■AD1502年 「阿蘇講誕生」「鷲津氏誕生」

 

アササン教団は、トバルカインの計らいにより、阿蘇山に帰還した。AD16??年、彼らは、加藤清正に呼応して山上本堂を修復し、三十五坊を復興して「阿蘇講」を開いた。また、イラン人の顔をした彼らは日本人と混合し、アササンの要塞「鷲の巣城」を由来に「鷲津氏」を称した。鷲+巣=鷲巣(わしず)=鷲津(わしづ)となる。

 


■AD1614年 「薔薇十字団誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った英彦山修験は、神聖ローマ帝国領内に侵入した。彼らは、「薔薇十字団」を結成した。薔薇十字団の首領クリスチャン・ローゼンクロイツ(106歳亡)のモデルは修験者として知られる常陸坊海尊(108歳亡)である。
また、薔薇十字団の名の由来は、英彦山修験の一拠点松尾山の名産品「薔薇」と「十字」の組み合わせである。彼らは、怪文書「全世界の普遍的かつ総体的改革」「友愛団の信仰告白」「化学の結婚」を流布して世間を騒がせ、現在に於いても尚、オカルトファンの夢を掻き立ててやまない。これらの怪文書は、3冊まとめて「薔薇十字団の宣言書」と呼ばれている。

 


■AD1696年 「天台修験別格本山誕生」

 

その後、薔薇十字団は目立った活動もせず、トバルカインの計らいで日本に帰還した。一方、彼らが留守の間、英彦山修験は焼き討ち・寺領廃止によって衰微していた。だが、薔薇十字団の帰還をもって英彦山は「天台修験別格本山」となり、AD1696年に「英彦山神宮」が建立された。

 


■AD17世紀 「フルイストゥイ派誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った出羽修験は、ピョートル大帝が統治するロシア帝国に入植した。ヴォルガ河上流に根付いた彼らは、「フルイストゥイ派」を形成した。フルイストゥイの名の由来は「古い死体」である。古い死体=フルイシタイ=フルイストゥイとなる。
古い死体とはミイラ、つまり、出羽三山の聖地に収められている奥州藤原氏3代のミイラのことである。これがフルイストゥイ派の正体が出羽修験である証に他ならない。彼らは、淫靡で残虐な密儀集団として知られ、「罪を犯せば犯すほどより深く悔い改めることができる。真の意味で救済されるにはより罪を犯すべし」ということを旨にしていた。だが、ピョートル大帝の背後には古儀式派がいた。そのため、フルイストゥイ派を正義と認定した古儀式派は、あることないこと風評を撒き散らしたに過ぎない。

 


■AD1733年 「スコプチ誕生」

 

食行身禄なる修験者は富士山北口7合目で断食行に入り、そのまま入定…と見せかけ、世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った、ロシアに渡った富士修験は「スコプチ」を創始するコンドラティ・セリワノフを称した。スコプチの名の由来は修験と富士の組み合わせである。修験+富士=シュゲフジ=スコプチとなる。
セリワノフは、「諸悪の根源は肉欲」であるとし、それを根絶するために「人は去勢すべきだ」と説いたという。しかし、当時のロシア帝国は、古儀式派に属するエカチェリーナ2世の治世だった。そのため、彼らはあることないこと風評を撒き散らされたのだ。指導者アンドレイ・イワノフは、13人の信者を去勢したという冤罪によってシベリアに流され、教祖セリワノフは100歳で亡くなるまで監獄で過ごした。

 


■AD1776年 「イルミナティ誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った厳島弥山修験に属する太光山・千光寺の修験者は、バイエルンに移住した。修験者たちは、アダム・ヴァイスハウプトを称した。彼は、AD1776年に「バイエルン啓明結社(イルミナティ)」を設立した。イルミナティの名の由来は太光山や千光寺の「光」、またイルミナティが言う「知の炎」の由来は千年消えない常火堂の「消えずの霊火」である。

 


■AD1785年 「弥山大聖院誕生」

 

イルミナティを結成した修験者たちは多くの知識人を取り込むことに成功。ヨーロッパの中心に位置するバイエルンに拠点を据えてヨーロッパに覇を唱える準備をしていたが、AD1784年から1785年にかけて、バイエルン王国(というよりはカトリック)から3度の禁止令を通達された。これを機に、厳島弥山修験の人々はイルミナティを解散して日本に帰還した。広島に帰還したイルミナティの残党は、「弥山大聖院」を建てている。

 


■AD1800年 「カルボナリ誕生」

 

世直しのため、トバルカインのテレポート装置によって日本を発った木曽御岳修験は日本を発ち、イタリアに移住した。彼らは、AD1800年代初頭に「カルボナリ」を設立した。カルボナリは、その名から「炭焼きの結社」だと考えられているが、実際の名の由来は修験道の護摩祈祷である。天狗の祖はサルディーニャ島を初めて「サルディニャ」と命名した人々だ。そのため、カルボナリは「サルディーニャ王国」のサヴォイア家と連合してイタリア王国の独立に関与した。
カルボナリは、祖を同じくするサルディーニャ人の血統にカルボナリ入党を打診したため、会員数はあっという間に30万~60万を超えた。カルボナリは、「青年イタリア」のマッツイーニ、「赤シャツ隊」のガリバルディと組んだ。カルボナリは、AD1820年、ナポリ軍を巻き込んで一斉蜂起して「ナポリ革命」を起こし、翌年にサルディーニャ軍の決起を指導して「ピエモンテ革命」を指揮した。
また、AD1821年にはフランス支部「シャルボンヌリー」を創立し、AD1830年に市民、学生、労働者と連携してパリで「フランス7月革命」に関与した。また、翌年には教皇領、ボローニャ、モデナで蜂起して「中部イタリア革命」を指揮するが、オーストリア軍に敗北した。

 


■AD1814年 「フィリキ・エテリア誕生」

 

AD1758年、ジュンガル大虐殺を機に、ウイグル人がモンゴルからオスマン・トルコ治世下のギリシアへ移住した。この時のジュンガル・ウイグル人の子孫がギリシアに秘密結社を結成することになる。それが「フィリキ・エテリア」である。フィリキ・エテリアの名の由来はフリギアとイタリアの組み合わせである。フリギアからイタリア(ローマ)を支配していた「ディニュソス密儀」に因んでいるのだ。
解散したばかりのイルミナティ(松尾山修験千光寺)は、世直しのために参加した。しかし、心を読む装置が開発されていなかった当時、彼らは「フィリキ・エテリア」がタナトスの連合体だと言うことを知らなかった。
「フィリキ・エテリア」には、テンプル騎士団、ドン・コサック、マラーター同盟(マルタ騎士団)などのタナトス一族に属する集団が参加していた。しかし、ロシア帝国の援助を得るのに失敗したフィリキ・エテリアはAD1822年に解散し、マラーター同盟は2つに分離して、一部はアイルランド(IRA)に、一部はコーカサス(カフカース首長国)に移住している。また、イルミナティも2つに分離し、一部は日本(弥山大聖院)に帰還し、一部はスペイン(バスク祖国と自由)に移住した。

 


■AD1832年 「扶桑教誕生」

 

ロシア人の顔をしたスコプチの残党は、富士修験に合流した。現地人と混合した彼らは、富士修験と共に「富士一山講社」を築いた。その後、彼らは「富士一山教会」に改名し、AD1875年に太祠を建立して「扶桑教会」を称した。その後、AD1882年に扶桑教会は教派神道の一派として独立し、経典「扶桑教」を発行し、「扶桑教」となった。傘下の丸山教会が離脱すると、扶桑教の勢力は半減したが、信者は4万5千人を数えている。

 


■AD1869年 グレゴリー・ラスプーチン生誕

 

その名からラスプーチンはもともとはスコプチに席を置いていた富士修験の子孫だということがわかる。ラスプーチンの名の由来は「富士の龍神」である。龍神+富士=リュジフージ=ラスプーチンとなる。後に、フルイストゥイ派に席を置いた彼は、単独でロマノフ家に取り入り、ロシア帝国の簒奪を画策していたと考えられる。

 


■AD1911年 「黒手組誕生」

 

黒い手は「炭で汚れた手」を意味している。つまり、黒手組はカルボナリの後身である。カルボナリ時代、オーストリア帝国に敗北した彼らは、オーストリアに一矢報いたいと考えていた。ということで、タナトスと知らずに白人列強と組んだ黒手組は、ハプスブルグ家(オーストリア帝国)、オットマン家(オスマン・トルコ帝国)、ホーエンツォレルン家(プロイセン帝国)の掃討を旨に、セルビア皇太子夫妻を襲撃した。「第一次世界大戦」のはじまりである。オットマン家、ハプスブルグ家は、黒手組の思惑通り、見事に滅んだ。ナポレオン皇帝に次ぐ、英雄時代の終焉である。

 


■AD1953年 ニキータ・フルシチョフ、ソ連邦第4代最高指導者就任

 

フルシチョフの名の由来はフルイストゥイである。フルイストゥイ=フルストゥイフ=フルシチョフとなる。フルイストゥイ派は、日本から来た出羽修験の人々がロシアに築いた邪教集団である。フルイストゥイの名の由来は「古い死体」である。古い死体とはミイラを意味しているが、ミイラといえば奥州藤原氏のミイラを納めている出羽三山である。フルシチョフは、タナトスの手先としてスターリン批判を繰り返して東欧各地を動揺させ、中国との間にイデオロギー論争を生じさせた。また、フルシチョフはAD1959年にアメリカを訪問した。彼は、アイゼンハワー大統領を差し置いてデーン人と接触を持ち、その後は、ロシア正教会の聖堂を3割方破壊してロシアを内側から蝕み、一方ではインドに武器を援助して中国と交戦させた(中印国境紛争)。

 


■AD1993年 ポール・ニューロップ・ラスムセン、第38代デンマーク首相就任

 

ラスムセンの名の由来は龍神と魔神の組み合わせである。龍神+魔神=リュシ+マシン=ルシマセン=ラスムセンとなる。つまり、彼らは富士修験の子孫だと考えられる。

 


■AD2001年 アナス・フォー・ラスムセン、第39代デンマーク首相就任

 


■AD2009年 ラース・ロッケ・ラスムセン、第40代デンマーク首相就任

 

ラース・ロッケ・ラスムセンは、第41代トーニング首相の後に、再度、AD2015年にデンマーク首相に返り咲いている。

 

 

 

 

◆ゾロアスター(セロス)の歴史

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「セロス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したティルスは、シルックと共にマヤに移住した。彼らは、この時に「セロス」を築いている。セロスの名の由来はシルックとティルスの組み合わせである。シルック+ティルス=シルス=セロスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「トゥルシア人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したセロス人(ティルス)は、ベリーズ人(ホルス)と共にマヤで船団に加わった。セロス人は、イランに入植して「トゥルシア人」を名乗り、海の民の連合国、伝説の「ベーシュタード王国」を築いた。トゥルシアの名の由来はティルスである。ティルス=ティルシア=トゥルシアとなる。

 


■BC19世紀 「ゾロアスター(ツァラストラ)誕生」

 

トゥルシア人は、ベーシュタード王国を訪れたトラキア人と連合した。この時に「ゾロアスター(ツアラストラ)」が誕生した。ツアラストラの名の由来はセロスとトラキアの組み合わせである。セロス+トラキア=セロストラ=ツアラストラとなる。

 


■BC1200年 「サラスヴァティー誕生」

 

トロイア、ミケーネ、ヒッタイト帝国が滅ぶと、トゥルシア人は彼らをイランに導いた。この時、セロス人はヒッタイト人と組んで「サラスヴァティー」を生んだ。サラスヴァティーの名の由来はセロスとハッティ(ヒッタイト)の組み合わせである。セロス+ハッティ=セロスハッティー=サラスヴァティーとなる。

 


■BC1027年 「シュレースヴィヒ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したセロス人は、ユトランド半島に入植して「シュレースヴィヒ」を建設した。シュレースヴィヒの名の由来はサラスヴァティーである。サラスヴァティー=サラースヴァヒ=シュレースヴィヒとなる。しかし、後年、ゲルマン人の大移動により、シュレースヴィヒを脱出した彼らは、「シラジ人」としてスワヒリに再登場し、ガリアに因んで「キルワ王国」を建設する。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD375年 「シーラーズ誕生」

 

「ゲルマン人の大移動」が始まると、チューリンギア族を離脱したトゥルシア人は故地イランに逃亡した。彼らは「シーラーズ」を建設したシーラーズの名の由来はシュレースヴィヒである。シュレースヴィヒ=シューレース=シーラーズとなる。

 


■AD375年 「シラジ人誕生」「キルワ王国(前身)誕生」

 

シーラーズ人は、商人としてイランとスワヒリを往来し、「シラジ人」を称した。シラジの名の由来はシーラーズである。シラジ人は、スワヒリに伝説の王国「キルワ」を建てた。キルワの名の由来はガリアである。ガリア=ガリワ=キルワとなる。

 


■AD375年 「チェーラ人誕生」

 

スワヒリ、アラビア、イラン、インドを往来していたシラジ人はラーシュトラク時代の故地インドに入植し、「チェーラ人」となった。チェーラの名の由来はシーラーズである。シーラーズ=チェーラーズ=チェーラとなる。

 


■AD642年 「ルス人誕生」

 

サーサーン朝がイスラム帝国の侵攻によって滅ぶと、シーラーズ人は、故地シュレースヴィヒを目指してイランを離れ、ヨーロッパを北上した。この時に、バルト海でリューリク、スウェード人、ワリアギと知り合ったシーラーズ人は、彼らの軍事連合に参加し「ルス人」を称した。ルスの名の由来はセロスである。セロス=ロス=ルスとなる。ルスの名は「ロシア」の語源でもある。

 


■AD8世紀 「ザイール誕生」

 

チェーラ人はAD8世紀にチャールキア王朝が滅ぶと、インドを出てアフリカ大陸に向かった。南アフリカを周航してコンゴに至った彼らは現地をザイールと命名した。ザイールの名の由来はチェーラである。チェーラ=チェイール=ザイールとなる。

 


■AD973年 「ズイール朝誕生」

 

その後、北アフリカに移ったザイール人は、「ファティマ朝」の支配層に参加した。AD973年、ブルッギーン・イブン・スイーリが初代君主に即位し、チュニジアに「ズイール朝」を開いた。ズイール、スイーリの名の由来はザイールである。

 


■AD973年 「世良氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、セロス人の系統に属するラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に入植したが、セロス人は瀬戸内海に入植した。インド人の顔をしたセロス人は現地人と混合して「世良氏」を称した。世良の名の由来はセロスである。セロス=セラス=世良となる。

 


■AD9??年 「セルジューク家誕生」

 

その後、カニクはズイール朝のチェーラ人と組んで「セルジューク」を称し、騎馬民族を統合して騎馬軍団を組織した。セルジュークの名の由来はセロスとチャールキアの組み合わせである。セロス+チャールキア=セロスキア=セロスーキア=セルジュークとなる。

 


■AD1041年 カーヴルト・ベグ、初代スルタンに即位 「セルジューク朝誕生」

 

セルジューク家のカーヴルト・ペグは、セルジューク朝初代スルタンに即位した。セルジューク朝は、コラズム、イラン、アナトリア、シリアに渡って広大な領土を誇った。一方、ビザンツの領土を奪ったため、セルジューク朝はビザンツ帝国を弱体化に導いたが、エルサレムを治めていたことから、約150年に渡る「十字軍」の脅威に晒された、その後、セルジューク朝は、モンゴル軍の侵攻を機にAD1243年に滅亡している。

 


■AD1243年 「佐々氏誕生」「志方氏誕生」

 

AD1243年、セルジューク・トルコ帝国が滅ぶと、セルジューク家は九州を訪れた。この時、彼らは「佐々氏」「志方氏」を生んだ。佐々、志方の名の由来はセルジュークである。セルジューク=セルジュ=セルシュ=佐々となり、セルジュークトルコ=ジュークト=シュクト=志方となる。佐々氏、志方氏は「倭寇」に参加した。

 


■AD1892年 ブルーノ・シュルツ生誕

 


■AD1922年 チャールズ・シュルツ生誕 「スヌーピー誕生」

 


■AD1926年 サティヤ・サイ・ババ(サティヤ・ナーラーヤナ・ラージェ)生誕

 


■AD1947年 トム・ショルツ生誕 「ボストン誕生」

 


■AD1955年 世良公則生誕

 

 

 

 

 



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