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エバシの歴史

◆アパッチ(エバシ)の歴史

 


■40万年前 「エバシ誕生」

 

カメルーン沖に水生人として暮らしていたエバシは、アパッチ族に似た姿をしており、自らを「エバシ」と呼んでいた。

 


■40万年前 「エバシの大移動時代」

 


■40万年前 「バブサ族誕生」「バサイ族誕生」

 

「エバシの大移動時代」に参加したエバシは、台湾に移住した。この時、彼らは「バブサ族」「パサイ族」を生んだ。両者の名の由来はエバシである。エバシ=ヘバシ=バブサとなり、エバシ=エバサイ=パサイとなる。彼らは、人類史上初の台湾に足を踏み入れた人々である。

 


■40万年前 「プユマ族誕生」「パゼッヘ族誕生」

 

エバシは、台湾でイマナと連合して「プユマ族」を、ヴィディエと連合して「パゼッヘ族」を築いた。プユマの名の由来はアプスーとイマナの組み合わせであり、パゼッヘの名の由来はアプスーとヴィディエの組み合わせである。アプスー+イマナ=アプイマ=プユマとなり、アプスー+ヴィディエ=プスーヴィ=パゼッヘとなる。

 


■30万年前 「アパッチの大移動時代」

 


■40万年前 「エビス誕生」

 

「アパッチの大移動時代」に参加したエバシは、日本に入植した。この時、東北地方に入植したエバシは「エビス」となった。エビスの名の由来はエバシである。エバシ=エバス=エビスとなる。彼らは、人類史上初の日本列島に足を踏み入れた人々である。

 


■40万年前 「アパッチ族誕生」

 

「アパッチの大移動時代」に参加したエバシは、当時、北極圏であった北アメリカに辿り着いた。エバシは、この地で「アパッチ」となった。アパッチの名の由来はエバシである。エバシ=エパチ=アパッチとなる。北アメリカの寒流水域を拠点に水生生活を行った彼らは、ここで、髭が生えないという身体的特徴を得た。このため、彼らの子孫であるアメリカ・インディアン、中南米のインディオには髭が生えない。

 


■40万年前 「アプチ誕生」

 

「アパッチの大移動時代」に参加したエバシは、次に古代のユカタン半島に足を踏み入れた。彼らはこの地に「アプチ」を祀った。アプチの名の由来はアパッチである。アパッチ=アパチ=アプチとなる。彼らは、人類史上初のユカタン半島に足を踏み入れた人々である。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「カリュプソー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れ、オケアーニスが次々に生まれた。この時、エバシはクリュテイアーと組んで「カリュプソー」を生んだ。カリュプソーの名の由来はクリュティアーとバサイ(エバシ)の組み合わせである。クリュティアー+バサイ=クリュバサイ=クリュパサイ=-カリュプソーとなる。

 


■30万年前 「パシトエー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れ、オケアーニスが次々に生まれた。この時、エバシはトエーと組んで「パシトエー」を生んだ。パシトエーの名の由来はエバシとトエーの組み合わせである。エバシ+トエー=バシトエー=パシトエーとなる。その後、パシトエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ヴェシ族誕生」

 

パシトエーは、マレー半島に移住すると「ヴェシ族」を生んだ。ヴェシの名の由来はパシトエーである。パシトエー=ヴェシトエー=ヴェシとなる。

 


■7万年前 「瀬織津比咩神誕生」

 

東南アジアから河の種族イストロスが来ると、エバシは彼らと連合して「セオリツヒメ」を成した。セオリツの名の由来はエバシとイストロスの組み合わせである。エバシ+イストロス=スウロス=スオロツ=セオリツとなる。

 


■7万年前 「気吹戸主神誕生」

 

東南アジアからオケアーニスに属するエレクトラ、河の種族エウエノスが来ると、エバシは彼らと連合した。この時に「イブキドヌシ」が生まれた。イブキドヌシの名の由来はエバシ、エレクトラ、エウエノスの組みあわせである。エバシ+エレクトラ+エウエノス=エバクトノス=イブキドヌシとなる。

 


■1万3千年前 「古代日本人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万3千年前 「テシュプ誕生」

 

「古代日本人の大航海時代」に参加して日本を離れてモンゴルに移住し、「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに入植したエビスはメーティスと連合し、「テシュプ」を生んだ。テシュプの名の由来はメティスとエビスの組み合わせである。メティス+エビス=ティスエビー=テシュプとなる。彼らは「神々の集団アヌンナキ」に参加した。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「蝦夷(エビス)復活」

 

「ソドムとゴモラ滅亡」を機に「ドルイド教の大航海時代」に参加したテシュプ(エビス)は、出雲国に上陸すると、ムシュキ族(陸奥氏)を伴って故地である東北地方に入植した。ここに蝦夷(えびす)が復活した。と同時に、当地は「陸奥」と呼ばれるようになった。

 


■BC21世紀 「長脛彦の大移動時代」

 


■BC21世紀 「安日彦誕生」

 

「長脛彦の大移動時代」によって中国から日本に帰還した長脛彦は、東北地方に根付き、蝦夷(えびす)と連合した。蝦夷(えびす)は「安日彦(あびひこ)」を称した。安日(あび)の名の由来はエビスである。エビス=アビス=安日(あび)となる。

 


■BC1027年 「殷・商滅亡」

 


■BC1027年 「安日彦復活」

 

殷・商が滅ぶと、長脛彦は中国を離れて日本に帰還し、蝦夷に身を寄せた。この時に、彼らは安日彦と連合を組んだ。日本神話では長脛彦と安日彦は兄弟だと伝えられているが、これは彼らが同盟者だったことを示している。この兄弟は、東北地方から畿内に移住し、天孫族が訪れるまでの間、大和地方を治めた。

 


■BC6世紀 「アプスー復活」

 

天孫族が大和を制定すると、安日彦は日本を離れて、先祖の故地黒海に帰還した。日本人の顔をした安日彦は、現地人と混合してコーカサス人の顔を得た。

 


■BC6世紀 「陸奥安倍氏誕生」

 

天孫族が大和を制定すると、安日彦は大和国を離れて、故地である蝦夷に帰還した。蝦夷に帰った彼らは、「安倍氏」を生んだ。安倍の名の由来は安日である。安日=あび=あべ=安倍となる。更に彼らは、かつての同盟者であり、ネパールに移住した陸奥氏が残した名「陸奥」を冠して「陸奥安倍氏」を称する。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「アビシニア誕生」「アペデマク誕生」

 

「コラズム族の大移動時代」に参加したアプスーは、現アビシニアに渡った。この時に「アビシニア」の名が生まれた。アビシニアの名の由来はアプスーとンジニの組み合わせである。アプスー+ンジニ=アプジニ=アビシニアとなる。また、彼らはメロエ王国に進出し、「獅子神アペデマク」を生んだ。アペデマクの名の由来はラテン語「マガンのアプスー(アプス・ド・マガン)」である。アプス+ド+マガン=アプドマガ=アペデマクとなる。

 


■BC165年 「ハスモン朝誕生」

 

BC198年、セレウコス朝のアンティオコス3世がエジプト征伐を行った。彼らがヌビアに侵攻すると、メロエ王国のアプスーは、イスラエルに逃亡した。この時、彼らはムンバイ人と連合した。BC200年頃、ムンバイ人はアーンドラ朝成立を機にイスラエルに逃げていた。両社は共同で「ハスモン朝」を開いた。ハスモンの名の由来はアプスーとムンビの組み合わせである。アプスー+ムンビ=プスムン=ハスモンとなる。

 


■BC63年 「ハウサ族誕生」

 

エルサレムが陥落すると、ハスモン朝のアプスーは現チャドに逃げ込んだ。彼らは、「ハウサ族」を生んだ。ハウサの名の由来はハスモンである。ハスモン=ハウスモン=ハウサとなる。

 


■BC63年 「アッバース家誕生」

 

エルサレムが陥落すると、ハスモン朝のアプスーはアラビア半島南部に逃げ込んだ。彼らは、「アッバース族」を生んだ。アッバースの名の由来はアプスーである。アプスー=アップース=アッバースとなる。アッバース家は、「コラズム族の大移動時代」の同盟者が生んだクライシュ族に参加した。

 


■AD632年 アブー・バクル、初代カリフに即位 「イスラム帝国誕生」

 

歴史上、アブー・バクルはタイム家の出であり、アッバース家の出とはされていないが、名前から察すると、アブーの名はアプスーに関係があると考えられる。

 


■AD750年 アブル・アッバス、カリフに即位 「アッバース朝誕生」

 

アブル・アッバスは、アッバース家から輩出された。イスラム帝国は、アッバース朝の時代にバグダッドを築き、最盛期を迎えた。

 


■AD878年 「ムタパ誕生」

 

「夷浮の乱」を起こしたものの、鎮圧された陸奥安倍氏は、東北地方を離れ、城氏を率いてインド洋を横断してジンバブエに上陸した。陸奥安倍氏は、「ムタパ」を称した。ムタパの名の由来は陸奥の安倍である。陸奥+安倍=ムツアベ=ムツァペ=ムタパとなる。

 


■AD878年 「アヴィス騎士団誕生」

 

ジンバブエ組とは別行動をとった陸奥安倍氏は、城氏と共にアフリカ大陸を経てイベリア半島に上陸した。日本人の顔をした彼らは、現地人と混合して「アヴィス騎士団」を形成した。アヴィスの名の由来はエビスである。エビス=エヴィスー=アヴィスとなる。これに、テンプル騎士団の残党に加わった。その後、テンプル騎士団から独立したアヴィス騎士団は、AD1383年、総長のジョアンが初代王に即位して「アヴィス朝ポルトガル王国」を創建した。

 


■AD909年 「ハプスブルグ家誕生」

 

ファティマ朝が成立し、同時に後ウマイヤ朝がカリフを称したため、アッバース家がスイス北東部に移住した。アラビア人の顔をした彼らはスイス人と混合して「ハプスブルグ家」を形成した。ハプスブルグの名の由来は「ブルグントのアプスー」である。アプスー+ブルグント=アプスブルグ=ハプスブルグとなる。

 


■AD1040年 「マドヴァ派誕生」

 

ジンバブエ人の顔をした人々は、インドに移住して「マドヴァ」を生んだ。マドヴァの名の由来はムタパである。マドヴァは、ヒンドゥー教ヴィシュヌ派に加わり、「ヴィシュヌ教マドヴァ派」を築いた。

 


■AD1229年 「ハフス朝誕生」

 

アブー・ザカリーヤ・ヤフヤー1世が、マラウィ人、マフダリ家に継ぐスワヒリ人の王国、「ハフサ朝」をチュニジアに開いた。しかし、AD1276年に権力闘争が起きると、一部ハフス家はチュニジアを後に南北に移住した。南方組は、チャドに戻って残留組のハウサ族と組み、「ハウサ諸王国」を建設した。

 


■AD1383年 ジョアン、初代ポルトガル王に即位 「アヴィス朝誕生」

 

AD1383年、アヴィス騎士団総長のジョアンが初代王に即位して「アヴィス朝ポルトガル王国」を創建した。しかし、ポルトガルにはタナトスの宗教シトー会やクリュニー会が巣食っていたため、アヴィス朝は彼らに引きずられて世界征服の尖兵と化してしまう。ポルトガル王国は、主にアフリカ、インド、東南アジア、東アジアを縄張りにしたが、アヴィス朝は悲しいことに、祖を同じくするムタパ王国とジンバブエの地で戦火を交えている。もちろん、人喰い人種クリュニー会の指揮下であった。

 


■AD13??年 インドからジンバブエに帰還

 

ヴィジャヤナガル王国、バフマニー朝は激しい交戦を繰り広げると、これを嫌ったヴィシュヌ教マドヴァ派はインドを離れて、ジンバブエに帰還した。この系統からは、初代ムトゥパ王オドゥドゥワが輩出されている。

 


■AD1430年 オドゥドゥワ、初代王に即位 「ムタパ王国誕生」

 

AD1430年、オドゥドゥワが初代ムタパ王に即位し、ジンバブエに「ムタパ王国」を建設した。

 


■AD1430年 「オヨ王国誕生」

 

一部のムタパ人はナイジェリアに移住して「イフェ人」に連合し、「オヨ」の名を復活させた。更に、ヨルバ人(卜部氏)と組んだイフェ人は、AD15世紀頃に「オヨ王国」を建てた。オヨの名の由来は奥羽である。

 


■AD1438年 アルブレヒト2世、神聖ローマ皇帝に即位 「ハプスブルグ朝誕生」

 

AD1273年、ハプスブルグ伯ルドルフ1世が神聖ローマ皇帝に即位して「ハプスブルグ家」が発足し、AD1438年にアルブレヒト2世が神聖ローマ皇帝に即位して「ハプスブルグ朝」が開かれる。

 


■AD1519年 カール5世、神聖ローマ皇帝に即位 「太陽の沈まぬ国誕生」

 

AD1519年に即位したカール5世の治世にはスペインを掌握していたため、「ハプスブルグ帝国」は「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。ハプスブルグ家の家系は、近親結婚によって体が弱い男子が多く生まれたとされている。だが、実際には、カトリック(クリュニー会、シトー会、ドミニコ会)の医者が一服盛っていたに過ぎない。
家来、兵士、料理人、召使などは、みなカトリック信者なのでハプスブルグ家は、常にタナトス(死)に囲まれていた。その後も、タナトスの陰謀にも拘らず、ハプスブルグ家はスペインやオーストリアに分家を持った。「オーストリア=ハンガリー帝国」時代には、プロイセン帝国、オスマン・トルコ帝国と組んでタナトスが背後に隠れる白人列強に挑み、「第一次世界大戦」を戦った。

 


■AD1529年 「的場氏誕生」

 

AD1629年にムタパ王国が滅亡すると、ムタパ人はジンバブエを去り、故地である日本帰還を目指した。ジンバブエ人の顔をしたムタパ人は、日本人と混合して「的場」の名を形成した。的場の名の由来はムタパである。ムタパの系統からは特撮監督の的場徹、俳優的場浩司が輩出されている。

 


■AD1574年 「アフシャール部族連合誕生」

 

ハフス朝が滅ぶと、ハフスの人々はチュニジアを離れて故地であるコラズムに帰還した。彼らは「アフシャール」の名を復活させ、「アフシャール部族連合」を築いた。しかし、タナトスの血を引くナディル・シャーがアフシャール部族連合を指揮下に置き、AD1736年、「アフシャール朝」を開いた。だが、ナディル・シャーはタナトスの系統であるため、アフシャール連合に嫌われ、虐殺された。その後、アフシャール朝は、60年後のAD1796年に滅んでいる。

 


■AD1580年 「我孫子氏誕生」「安孫子氏誕生」

 

AD1580年、「ポルトガル・スペイン同権連合」が発足すると、これを嫌ったアヴィス家はポルトガルを後に、日本に帰還した。ポルトガル人の顔をしたアヴィス家は日本人と混合して「蛭子」「安孫子」、そして「海老」「蝦」が付く姓を多く残した。この系統からは漫画家「藤子不二雄」の安孫子素雄、漫画家・俳優蛭子能収が輩出されている。

 


■AD1918年 「バアス党誕生」

 

「第一次世界大戦」に敗北すると、ハプスブルグ家は先祖が「アッバース朝」時代に治めていた土地、シリアに帰還した。オーストリア人の顔をした彼らは、アラビア人と混合し、サギー・アル=アルスイーズイーを輩出した。彼は、ダマスカスで秘密結社「バアス党」を結成した。バアスの名の由来はアッバースである。サダム・フセインも母系ハプスブルグ家の系譜に属すると考えられる。残念ながら、白人列強の集中攻撃を受けたフセイン大統領は、「第一次世界大戦」と同様、タナトスが背後に控える白人列強に討ち取られてしまった。

 


■AD1924年 安部公房生誕

 


■AD1934年 藤子不二雄A(安孫子素雄)生誕

 


■AD1937年 安部譲二生誕

 


■AD1946年 カーマイン・アピス生誕 「ヴァニラ・ファッジ誕生」

 


■AD1957年 ヴィニー・アピス生誕 「ディオ誕生」

 


■AD1959年 スザンナ・ホフス生誕 「バングルス誕生」

 

 

 

◆ヴィスコンティ(プシケ)の歴史

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「プシケ誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」が到来し、ヘラクレスがアマゾーン王国と戦争を始めると、エバシは、オーストラリア北西部に移住した。この時に「プシケ」が生まれた。プシケの名の由来はバブサとテュケーの組み合わせである。バブサ+テュケー=ブスケ=プシケとなる。

 


■7万年前 「ピサ王国誕生」

 

当時、オーストラリア大陸南東部にはタルタロスの一族が君臨し、西部には河川の娘たちのオイノマオスが王として君臨していた。プシケーは、まずタルタロスに赴いて体勢を整え、オイノマオスの国に侵入した。彼らはオイノマオスに勝利し、別の王族ヒッポダメイアと連合した。この時に「ピサ王国」が誕生した。ピサの名の由来はバブサである。バブサ=ブサ=ピサとなる。こうして、河川の娘たちに勝利したバブサ族は、タルタロスの国と並ぶピサ王国を建設してオーストラリア大陸に君臨した。

 


■4万年前 「オリンポス神族の大航海時代」

 


■4万年前 「ペロプス誕生」

 

「オリンポス神族の大航海時代」が到来すると、メラネシア海域に根を張っていたアンボン族(アンピロー)はマレー地域に住んでいたカロ族(カリュプソー)と連合体を組んだ。この時にペロプスが生まれた。ペロプスの名の由来はアンピローとカリュプソーの組み合わせである。アンピロー+カリュプソー=ピロプソー=ペロプスとなる。ペロプスは、アトランティス王国の王族となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「原初の水アプスー誕生」

 

アトランティス王国が吹き飛び、大地殻変動でオーストラリア海岸部が荒廃に帰すと、「デウカリオンの大航海時代」に参加したピサ人はスーサに上陸し、コーカサス地方に入植した。彼らは「原初の水アプスー」を称した。アプスーの名の由来はエバシである。エバシ=エバシー=アプスーとなる。アプスーはモンゴルから来たティアマトと同盟を組み、メソポタミアから少々離れることで「神々の集団アヌンナキ」の種族とは距離を置いた。

 


■BC1026年 「ピサ建設」

 

「マハーバーラタ戦争」によって故地が荒廃すると、アプスーはインダス流域を離れてギリシアに移住した。彼らはペロポネソス半島に改めて「ピサ」を築いた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC327年 「ヴァスコン誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したヴィシュヌは、次にアドリア海らイベリア半島北部に上陸した。ヴィシュヌは、「ヴァスコン人」を称した。ヴァスコンの名の由来はプシケとガンダーラの組み合わせである。プシケ+ガンダーラ=プシガン=パシガン=ヴァスコンとなる。

 


■BC146年 「ピサ建設」

 

ギリシアがローマの属国化したのを機に、ピサ人がイタリアに移住した。ピサは交易都市として発展を遂げ、中世には「ピサ共和国」を立ち上げて、小国ながらジェノヴァ共和国やヴェネツィア共和国と凌ぎを削った。

 


■AD10??年 ピサ共和国、海洋国家のひとつとして数えられる

 

ピサは、ジェノヴァ共和国、アマルフィ共和国、ヴェネツィア共和国と共に地中海を統べる海洋国家のひとつとして名を成した。ジェノヴァ人はスエビ人の子孫であり、ヴェネツィア人はフェニキア人の子孫である。

 


■AD1060年 ピサ共和国、ジェノヴァ共和国と交戦し、勝利を得る 「海の慣習法承認」

 


■AD1099年 第1次十字軍に参加し、植民地を得る

 

ピサ共和国は、エルサレム、カエサリアに所領を持ち、アンティオキア、ヤッファ、トリポリ、ティルス、ラタキア、アッコンなどに植民地を築いた。

 


■AD1119年 ピサ共和国、ジェノヴァ共和国と交戦

 

AD1133年まで戦争を続いたが、両者は陸海で争い、戦闘行為は海賊のように略奪を主としていた。

 


■AD1238年 ジェノヴァ共和国、ヴェネツィア共和国が反ピサ同盟を締結

 


■AD1290年 ジェノヴァ共和国、ピサの主要港ピサーノを破壊

 


■AD1347年 「ヴィスコンティ家誕生」

 

AD1347年、黒死病がヨーロッパを席巻するが、バスク人は、黒死病を逃れるために一時、イベリア半島からミラノに避難した。この時に「ヴィスコンティ家」が生まれた。ヴィスコンティの名の由来はバスクとカンディアーノの組み合わせである。バスク+カンディアーノ=バスカンディ=ヴィスコンティとなる。

 


■AD1395年  ジャン=ガレアッツオ・ヴィスコンティ、ミラノ公に 「ミラノ公国誕生」

 

ヴィスコンティ家は、ミラノを掌握してAD1395年に「ミラノ公国」を建設している。この系統からは映画監督ルキノ・ヴィスコンティ、ロック・プロデューサのトニー・ヴィスコンティが輩出されている。

 


■AD1447年 「バスク誕生」

 

しかし、その後の男系途絶により、ヴィスコンティ家はミラノを離れてイベリア半島に帰還した。この時、ヴィスコンティ家はカンディアーノと分離して「バスク」を称した。バスクの名の由来はヴァスコンである。ヴィスコン=バスコン=バスクとなる。

 


■AD1494年 「第2次ピサ共和国誕生」

 

フランス王シャルル8世がイタリアに侵攻すると、フィレンツェ共和国が衰退し、ピサは、自治権を再生する機会を得た。しかし、AD1509年に、ピサ共和国はフィレンツェ軍に再征服された。

 


■AD1509年 「ヴァーサ家誕生」

 

ピサを離れた人々は、スウェーデンに入植して「ヴァーサ」を称した。ヴァーサの名の由来はピサである。ピサ=ピャサ=ピャーサ=ヴァーサとなる。スウェーデン独立派の指導者ストゥーレが戦死すると、優れた指導者を喪失した独立派は、一転してデンマーク王クリスチャン2世に講和を求めた。クリスチャン2世もこれに応じ、反乱の罪を水に流すとして晩餐会を開いた。しかし、スウェーデン独立派や自由市民の有力者が集まると、クリスチャン2世は、彼らをまとめて皆殺しにした。これが「ストックホルムの血浴」である。これを機に、クリスチャン2世は、スウェーデンの独立運動はもう起きないだろうと安心した。しかし、ピサ共和国の末裔であるグスタフ・ヴァーサは、逆にストックホルムの血浴を機に立ち上がり、デンマーク人の支配を退けてスウェーデン王国を独立へと導いた。

 


■AD1523年 「ヴァーサ朝誕生」

 

AD1509年にピサ共和国が滅亡すると、ピサ人はイタリアを離れてスウェーデンに移住した。彼らはピサを由来に「ヴァーサ」を称した。ピサ=ヴィーサ=ヴァーサとなる。その後、AD1523年、グスタフ・ヴァーサが初代王に即位して「ヴァーサ朝」が開かれた。地中海で戦争ばかりしていたピサ人は、バルト海でも戦争に明け暮れた。「リヴォニア戦争」「北方七年戦争」「ロシア・ポーランド戦争」「スウェーデン・ポーランド戦争」などである。

 


■AD1611年 スウェーデンがデンマークと戦火を交える

 


■AD1613年 スウェーデンがロシアと戦火を交える

 


■AD1621年 スウェーデンがポーランドと戦火を交える

 


■AD1665年 スウェーデンがロシアと戦火を交える 「第1次北方戦争」

 


■AD1668年 「土方氏誕生」

 

AD1668年にヴァーサ朝が滅ぶと、ヴァーサ家はスウェーデンを出て日本に移住した。スウェーデン人の顔をしたヴァーサ家は、日本人と混合して「土方」の名を生んだ。土方の名の由来はヴァーサとゴートの組み合わせである。ゴートの名はスウェーデンから来たことを示している。ヴァーサ+ゴート=ヴァサゴト=土方となる。AD1833年に生まれた土方歳三は近藤勇などと共に「新撰組」に参加する。

 


■AD1833年 土方歳三生誕

 

AD1833年に生まれた土方歳三は近藤勇などと共に「新撰組」に参加するが、AD1869年に戦死している。

 


■AD1925年 「アルバニア共和国誕生」「アルバニア王国誕生」

 

AD1833年、カルリスタ戦争が発生すると、バスク人はスペインを離れてアルバニアに移住した。バスク人はアルバニアでは「ゾグー家」を称した。ゾグーの名の由来はバスクである。バスク=バゾグ=ゾグーとなる。AD1925年、アフメド・ゾグーは初代アルバニア大統領に就任して「アルバニア共和国」を建て、直後にゾグー1世を称してアルバニア王に即位し、「アルバニア王国」を建てた。しかし、AD1939年にイタリア軍が侵攻すると、ゾグー1世は王妃と共にアルバニアを脱出して海外に亡命した。

 


■AD1906年 ルキノ・ヴィスコンティ生誕

 


■AD1944年 トニー・ヴィスコンティ生誕

 

 

 

 

 

 


キャラの歴史

◆ケルケイース(キャラ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「キャラ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現タンザニアに移住して「キャラ」を生んだ。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「カウレ族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したキャラは、パプアに入植し「カウレ族」を生んだ。カウレの名の由来はキャラである。キャラ=キヤラ=カウレとなる。

 


■30万年前 「カオスの大航海時代」

 


■30万年前 「ケルケイース誕生」

 

「カオスの大航海時代」の参加者がオセアニアに訪れると、キャラはクウォスと組んで「ケルケイース」を生んだ。ケルケイースの名の由来はキャラとクウォスの組み合わせである。キャラ+クウォス=キャラクウォス=カラクウォース=ケルケイースとなる。その後、ケルケイースは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ガラクサウラー誕生」

 

ケルケイースはアシェラーフと組んで「ガラクサウラー」を生んだ。ガラクサウラーの名の由来はケルケイースとアシェラーフの組み合わせである。ケルケイース+アシェラーフ=ケルケシェラ=ガラクサウラーとなる。その後、ガラクサウラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カウレ族誕生」「セイル族誕生」

 

ガラクサウラーは、パプアに「カウレ族」「セイル族」を生んだ。カウレとセイルの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=カウレクサウラー=カウレとなり、ガラクサウラー=ガラクセイル=セイルとなる。

 


■30万年前 「グレニコス誕生」

 

「カオスの大航海時代」の参加者がオセアニアに訪れると、キャラはウラニアー、クウォスと組んで「グレニコス」を生んだ。グレニコスの名の由来はキャラ、ウラニアー、クウォスの組み合わせである。キャラ+ウラニアー+クウォス=キャラニアクウォス=グレニコスとなる。その後、グレニコスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「コルキス誕生」

 

ケルケイースは、メーティスと共にエーゲ海を離れて黒海に移住した。彼らは上陸した拠点に「コルキス」と命名した。コルキスの名の由来はケルケイースである。ケルケイース=ケルケス=コルキスとなる。後に、コルキスがタナトスに簒奪されるとコルキスは「ゴルゴン」と呼ばれた。コルキスは、現グルジアの語源でもある。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ポイニクス誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペイトーは、グレニコスと連合してフェニキア人の祖である「ポイニクス」を生んだ。ポイニクスの名の由来はペイトーとグレニコスの組み合わせである。ペイトー+グレニコス=ペイニコス=ポイニクスとなる。フェニキアの名の由来はポイニクスである。ポイニクス=ポイニキャ=フェニキアとなる。

 


■BC40世紀 「第1次シュメール人の大航海時代」

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 

■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「サウル朝誕生」「モンゴル誕生」

 

ソロモン諸島からペルーに移住し、そこから出羽国に移住した彼らは、「モーゼスの大移動時代」に参加してモンゴルに移住した。この時、この地は初めて「モンゴル」と呼ばれた。モンゴルの名の由来はクリュメネーとガラクサウラーの組み合わせである。クリュメネー+ガラクサウラー=メネガラ=モンゴルとなる。また、この時に「サウル」が誕生し、モンゴルに「サウル朝」を築いた。サウルの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=サウラー=サウルとなる。

 


■BC32世紀 「ソロモン誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したガラクサウラーは、クリュメネーと連合して、モンゴルに「ソロモン」を生んだ。ソロモンの名の由来はガラクサウラーとクリュメネーの組み合わせである。ガラクサウラー+クリュメネー=サウラメネー=ソロモンとなる。

 


■BC30世紀 「黙示録アルマゲドン」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ハルキス誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したガラクサウラーは、エウボイア島に移住し「ハルキス」を建設した。ハルキスの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=バラクサウラー=バラクサ=ハルキスとなる。

 


■BC343年 「第1次ポントス人の大航海時代」

 


■BC343年 「コルキス王国誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したハルキス人は、コーカサスに移住し「コルキス王国」を築いた。コルキスの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=カラクサウラー=コルキスとなる。

 


■AD114年 「第2次ポントス人の大航海時代」

 


■AD114年 「黒木氏誕生」「春木氏誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したコルキス人は、日本に上陸し「黒木氏」「春木氏」の名を生んだ。黒木、春木の名の由来はコルキスとハルキスである。

 


■AD114年 「ゴルカ誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したコルキス人は、満州に移住した。彼らは、現地人と混合して「ゴルカ」を生んだ。ゴルカの名の由来はコルキスである。コルキス=ゴルキス=ゴルカとなる。ゴルカは、後に、満州に移住して「野人女直」を結成する藤原氏と連合している。

 


■AD114年 「キルギス族誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したコルキス人は、モンゴルに帰還し「キルギス族」を生んだ。キルギスの名の由来はコルキスである。コルキス=コルギス=キルギスとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「クリーク族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加したキルギス族は、アメリカに移住し、「クリーク族」を生んだ。クリークの名の由来はキルギスである。キルギス=キルーギス=クリークとなる。

 


■AD668年 「グルジア王国誕生」

 

ハルキス人(コルキス人)は、かつてイベリア人(イベリア王国)、エウロペ(アルバニア王国)と共に一時的な国家「コルキス王国」を古代コーカサスに築いていた。ということで、ハルキス人の一部は、コルキス王国の跡地に移り「グルジア人」となっている。AD1008年、バグラト3世が初代王に即位して「グルジア王国」を建てている。

 


■AD1357年 「ゲルク派誕生」

 

AD1234年、金王朝の滅亡を機にゴルカが満州からチベットに逃亡した。この系統からツォンカパ・ロサンタクパが輩出され、「ゲルク派」を興してチベット仏教の一角を成すことになる。ゲルクの名の由来はゴルカである。

 


■AD1523年 「ゴルカ族誕生」

 

AD1523年、野人女直は朝鮮半島に侵入している。結果がどうなったかは記録されていないが、多分、排除されたのだろう。コルカを含む野人女直は、満州を後にネパールに移住した。彼らは、「ゴルカ族」となる。

 


■AD1559年 ドラヴィア・シャハ、初代王に即位 「ゴルカ王国誕生」

 

AD1599年、ドラヴィア・シャハは、初代ゴルカ王に即位して「シャー王朝」を開いた。シャハの名の由来は藤原と考えられる。藤原=フジハラ=フジャハラ=シャハとなる。

 


■AD1814年 「グルカ戦争」

 

ゴルカ王国と、侵略者である聖公会(クリュニー会)に率いられた大英帝国軍による戦闘である。これにより、ネパール軍は大英帝国軍を退け、「サガウリ条約」を締結している。

 


■AD1933年 マチュー・ケレク生誕

 

初代、第3代ベナン共和国大統領に就任している。

 


■AD1955年 ピーター・ギャラガー生誕

 


■AD196?年 ジョン・ギャラガー生誕 「レイヴン誕生」

 


■AD196?年 マーク・ギャラガー生誕 「レイヴン誕生」

 

 

 

 

◆カンボジア(グレニコス)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大航海時代」

 


■30万年前 「グレニコス誕生」

 

「カオスの大航海時代」の参加者がオセアニアに訪れると、キャラはディンカと組んで「グレニコス」を生んだ。グレニコスの名の由来はキャラ、ナクソスの組み合わせである。キャラ+ナクソス=キャラナクソ=グレニコスとなる。その後、グレニコスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ニュクス誕生」

 

グレニコスが誕生したものの、グレニコスの部族の中で、できそこないが集団化して王族に蜂起した。これにより、「ニュクス」が生まれた。反自然の種族の長である。やがて、反自然の種族のタナトスが、最凶最悪の人類として台頭する。

 


■30万年前 「ズルヴァーンの大移動時代」

 


■30万年前 「葦原中津国誕生」

 

「ズルヴァーンの大移動時代」に参加しなかったアシアーは、グレニコスと共に日本に移住した。八代湾に上陸した彼らは、「葦原中津国」を築いた。葦原中津国(アシハラナカツクニ)の名の由来は、アシアーとグレニコスの組み合わせである。アシアー+原+グレニコス+国=アシ原+ニコス国=葦原中津国となる。また、台湾(高天原)は、グレニコスが支配していたキレナイカとアシアーが支配していたアナトリア半島に至る海域、つまり、エーゲ海も「葦原中津国」と呼んでいた。

 


■30万年前 「伊邪那岐誕生」「伊邪那美誕生」

 

葦原中津国を建設したアシアーとグレニコスは、エウリュノメーを迎えて「伊邪那岐」「伊邪那美」の2神を誕生させた。イザナギの名の由来はアシアーとグレニコスの組み合わせであり、イザナミの名の由来はアシアーとエウリュノメーの組み合わせである。アシアー+グレニコス=アシアニコ=イザナギとなり、アシアー+エウリュノメー=アシアノメー=イザナミとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「人皇誕生」

 

「エノクの大航海時代」によって黒龍江に来たウラニアーは、オアンネスと連合して「人皇(レンホアン)」を生んだ。レンホアンの名の由来はウラニアーとオアンネスの組み合わせである。ウラニアー+オアンネス=ラニオアン=レンホアンとなる。人皇は、「古代日本人の大航海時代」で黒龍江に来たディオーネーが築いた天皇、地皇と組んで「三皇」を称した。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC1200年 「カンボジャ人誕生」

 

「海の民」の時代になり、海の民がヒッタイト人、トロイア人をイランに導くと、ベーシュタード王国が建てられた。この時に同行したフェニキア人、ヴィディエ・ワルムベ(ランブダ)は「カンボジャ人」を生んだ。カンボジャの名の由来はフェニキアとランブダの組み合わせである。フェニキア+ランブダ=キアンブダ=カンボジャとなる。

 


■BC11世紀 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「熊氏誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、長江に移住したカンボジャ人(キャラ)は、「熊氏(キャン)」を称した。キャンの名の由来はカンボジャである。カンボジャ=キャンボジャ=キャンとなる。BC9世紀頃、熊氏は「楚王」に即位した。

 


■BC771年 「キンメリア人誕生」

 

BC771年、「東周」が生まれると、楚の熊氏はタリム盆地に移住し、パミール人と組んで「キンメリア人」を生んだ。キンメリアの名の由来はキャン(熊)とパミールの組み合わせである。キャン+パミール=キャンミール=キンメリアとなる。謎の民族とされるキンメリア人は、中央アジアに覇を唱え、フルリ人のウラルトゥ王国に侵攻し、サルゴン2世が率いるアッカド帝国と戦火を交えた。また、フリギア王ミダスを自殺に追い込んだりしたが、アッシリア軍、リディア王国軍に敗北してモンゴルに帰還している。

 


■BC6??年 「羌族誕生」

 

アッシリアとリディアの連合軍に敗れたキンメリア人は。東アジアに帰還した。この時、彼らは「羌(キャン)」を称した。キャンの名の由来は熊(キャン)である。

 


■BC530年 カンビュセス、ペルシア王に即位

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加せず、イランに残留したカンボージャ人は、現地人と混合して「カンビュセス」の名を誕生させた。この系統からはカンビュセス1世、カンビュセス2世が輩出されている。アーリア人に属するカンボージャ人は「ペルシア帝国」の誕生に携わった。

 


■BC329年 「匈奴(キョンヌ)誕生」

 

BC329年に楚の家臣団が分裂すると熊氏は、黄氏と福建人を率いてモンゴルに移住した。祖を同じくする羌族や、ペルシア帝国の滅亡を機にモンゴルに来ていたアーリア人(アラン人)、タタ(タタール人)と組んだ熊氏は「匈奴(キョンヌ)」を結成した。匈奴の名の由来は熊・羌(キャン)と黄(ファン)の組み合わせである。キャン+ファン=キャン+ファンヌ=キャンヌ=匈奴となる。匈奴の名はある意味フェニキアを逆にひっくり返したものである。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「神戸誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したカンボージャ人(カンビュセス)は、日本に移住した。播磨国に上陸したカンボージャ人は、拠点に「神戸(カンボージャ)」と命名した。神戸の名の由来はカンボージャである。カンボージャ=カンボ=カンベ(神戸)=神戸(こうべ)となる。

 


■BC57年 「新羅誕生」

 

神戸から朝鮮半島に移住したカンボージャ人は、朝鮮半島に入植し、「全羅道(チョンラ)」を築いた。更に、朴氏やチュルク族と連合した。この時に新羅(シラギ、シンラ)が生まれた。チョンラとシンラの名の由来はキャンとワルムベの組み合わせである。キャラ+ワルムベ=キャンル=チョンラ=シンラとなる。日本ではチュルクに由来して新羅(シラギ)と呼ばれた。そして、新羅誕生と同時に朴氏王朝が開かれた。

 


■AD93年 「フン族誕生」

 

北匈奴が滅ぶと、羌族は匈奴を解散してフン族として中央アジアに進出を果たす。フンの名の由来は羌である。羌(キャン)=ファン=フンとなる。フン族は、アラン族と共に東ゴート族を撃破したため、東ゴート族は安全なローマ領内に避難した。これを機に「ゲルマン人の大移動」が始まる。この強靭な騎馬民族に魅了された人喰い人種(殷・能登族)は、徐々にインフラを掌握し、アッチラの時に、フン族を完全な支配下に置いた。

 


■AD262年 「眞蝋国誕生」

 

AD262年、金氏が新羅を掌握すると、カンボージャ人は朝鮮半島を後に、インドシナ半島に移住した。彼らは、カンボジアに上陸して「眞蝋(チャンラ)」を築いた。この時に初めて当地は「カンボジア」と呼ばれた。チャンラの名の由来はチョンラ(全羅道)であり、カンボジアの名の由来はカンボージャである。チョンラ(全羅)=チャンラ(眞蝋)となる。

 


■AD3世紀 「シュリーヴィジャヤ誕生」

 

太平道の残党は、スマトラ島に移住して「シュリーヴィジャヤ王国」を築いた。シュリーヴィジャヤの名の由来はキャラ、ワルムベ、ヴィディエの組み合わせである。キャラ+ワルムベ+ヴィディエ=キャラワヴィディエ=シャラワヴィジエ=シュリーヴィジャヤとなる。

 


■AD445年 「河野氏誕生」

 

人身御供の種族であるアッチラを嫌ったフン族は、ヨーロッパ支配を放棄して東方に帰還した。中国に上陸したフン族は「黄(ファン)」の名を継承した。また、日本に上陸したフン族は「河野氏」を称した。羌(キャン)に河(かわ)を当て字し、「キャンの土地」の意を含んだ「河野氏」を冠した。

 


■AD581年 「ソンツェン・ガンポ誕生」

 

烏孫は、西域を離れてチベットに移住した。彼らはヤルルンの族長ナムリ・ソンツェンに接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのがソンツェン・ガンポである。ガンポの名の由来はカンボージャである。AD593年、ソンツェン・ガンポは、チベット初の統一国家「吐藩王国/チベット王国」を築いた。

 


■AD550年 「眞蝋国復活」

 

AD550年頃に劉氏、海南島民がカンボジアに扶南国を建てると、眞蝋は隷属した。しかし、数十年ぶりに眞蝋は独立を勝ち取った。眞蝋国は、AD802年まで続いた。

 


■AD727年 「ウイグル人の大航海時代」

 


■AD727年 「キエフ(前身)誕生」

 

AD675年、新羅人は、金氏が勢力を伸張して「統一新羅」を完成させると、朝鮮半島を出てモンゴルに移住した。「ウイグル人の大航海時代」に参加した新羅人は、北極海の航行を経てバルト海に到達すると、スウェード人、ワリアギ、ルス人、リューリクと組んだ。

 


■AD752年 「シャイレーンドラ朝誕生」

 

AD713年に眞蝋国が分裂すると、一部はカンボジアからジャワ島に移住し、新羅人に合流した。眞蝋人は、モンゴル時代の仲間、アラン人、タタール人と共に「シャイレーンドラ朝」を開いた。シャイレーンドラの名の由来はチャンラ、アラン、タタールの組み合わせである。チャンラ+アラン+タタール=チャアランタール=シャイレーンドラとなる。その後、AD802年に眞蝋国が滅び、AD998年に新羅が滅ぶと、カンボジアの眞蝋人、朝鮮半島の新羅人がシャイレーンドラ朝に参加した。

 


■AD832年 「ジャライル族誕生」

 

シャイレーンドラ朝が滅ぶと、シャイレーンドラ人はモンゴルに帰還した。眞蝋人・新羅人は、現地人と混合して「ジャライル」を生んだ。ジャライルの名の由来はキャラとワルムベの組み合わせである。キャラ+ワルムベ=キャラワラ=キャラアラ=ジャライルとなる。

 


■AD862年 「キエフ公国誕生」

 

リューリクはモンゴル人(柔然/ローラン)であり、スウェード人はインド人(チェーティ王国)であり、ルス人はマヤ人(セロス)であり、ワリアギはアラビア人(ナパタ王国)であった。この国際的な連合体は、リューリクを指揮者にスウェード人傭兵の力でノヴゴロドを支配下に置いた。同時に、リューリクは「リューリク朝」を開き、ロシアの建国者となった。ロシア人の母体人種は、は宇宙人(科学の種族トバルカイン)である。
ロシアの名の由来はトゥルシア人の末裔「ルス」である。後にワリアギがキエフを占領し、首都に設定している。キエフの名の由来はキャラとヴィディエの組み合わせである。キャラ+ヴィディエ=キャヴィ=キエフとなる。AD913年にはイーゴリ1世が初代キエフ大公に就任して「キエフ大公国」を築いている。

 


■AD877年 「神保氏誕生」「坪内氏誕生」

 

反乱軍がヤルルンを占領したため、これを機にヤルルン家はチベットを発ち、日本に移住した。ヤルルン家は惟宗氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「神保氏」である。神保の名の由来はカンボージャである。カンボージャ=神保(カンボ)=神保(じんぼ)となる。また、ヤルルン家は祖を同じくする富樫氏にも接近して自身の血統を打ちたてている。この時に誕生したのが「坪内氏」である。坪内の名の由来は「ツォボ(チベット)のカンボージャ人」である。ツォボ(坪)+カンボージャ(内)=坪内となる。

 


■AD1025年 「ギュンポ氏誕生」

 

チョーラ人がシュリーヴィジャヤを攻めると、一部カンボジア人はスマトラを後に東西に新天地を求めて旅立った。西方組はチベットに赴き、「ギュンポ」を称した。ギュンポの名の由来はカンボジアである。カンボジア=ギャンボジア=ギュンポとなる。ギュンポ氏からは、「チベット仏教カギュ派」の創始者ミラレパが誕生している。また、ギュンポ氏の分流「キェンパ氏」からは、ツルプ寺院を建立しる。

 


■AD1025年 「関氏誕生」

 

チョーラ人がシュリーヴィジャヤを攻めると、一部カンボジア人はスマトラを後に東西に新天地を求めて旅立った。東方組は日本に上陸し、河内源氏の源清光に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのが「武田氏」の祖、武田信義である。一部は平維衡に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「関氏(せき)」の祖、関実忠である。関の名の由来はガンダーラである。彼らは、ガンダーラの「ガン」に「関(かん)」を当て字し、訓読みで「関(せき)」と呼んだ。

 


■AD1336年 「神戸氏誕生」

 

関氏を頼って日本に移住した一部カンボジア人は関盛政に接近して自身の血統を打ち立てた、この時に誕生したのが「神戸氏(かんべ)」の祖、関盛澄である。神戸(かんべ)の名の由来はカンボジアである。カンボジア=カンベジア=かんべ(神戸)となる。

 


■AD1431年 「カンボジア王国誕生」

 

AD1334年、マジャパヒト王国の勢力がスマトラ島に及ぶと、シュリーヴィジャヤ王国の中枢を成していたカンボジア人は、インドシナ半島に移住した。この時に「カンボジア王国」が建てられた。カンボジア王国は、AD1953年まで続いた。

 

 

 

 

 


トレの歴史

◆テレストー(トレ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「トレ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現コンゴに移住して「トレ」を生んだ。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「トル族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したトレはアフリカを離れ、チッタゴンを経由してパプアに入植した。彼らは「トル族」を生んだ。トルの名の由来はトレである。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「エウドーラー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはヴィディエと組んで「エウドーラー」を生んだ。ヴィディエ+トレ=ィエトレ=イエトーレー=エウドーラーとなる。その後、エウドーラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「エレクトラ誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはオロクンと組んで「エレクトラ」を生んだ。オロクン+トレ=オロクトレ=エレクトラとなる。その後、エレクトラは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ポリュドーラー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはヒッポリュトスと組んで「ポリュドーラー」を生んだ。ヒッポリュトス+トレ=ポリュトレ=ポリュドーラーとなる。その後、ポリュドーラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「テレストー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはステュクスと組んで「テレストー」を生んだ。テレストーの名の由来はトレとステュクスの組み合わせである。トレ+ステュクス=トレステュ=テレストーとなる。その後、テレストーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

テレストーは、ゼウクソー、イマナと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「マイアンドロス誕生」

 

テレストーは、ピュグマエイ、ウェネと組んで「マイアンドロス」を生んだ。マイアンドロスの名の由来はピュグマエイ、ウェネ、テレストーの組み合わせである。ピュグマエイ+ウェネ+テレストー=マエイウェネテレス=マイアンドロスとなる。その後、マイアンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「イストロス誕生」

 

テレストーは、クウォスと組んで「イストロス」を生んだ。イストロスの名の由来はクウォス、テレストーの組み合わせである。クウォス+テレストー=ウォステレス=イストロスとなる。その後、イストロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ドーリス誕生」

 

テレストーが生まれると、その後にトレが分離し、「ドーリス」を生んでいる。ドーリスの名の由来はテレストーである。テレストー=テーレストー=ドーリスとなる。その後、ドーリスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アラス族誕生」「トアラ族誕生」

 

ドーリスは、テレストーと共にマレー半島に移住し「アラス族」、ヴェドイドに属する「トアラ族」を生んだ。アラス、トアラの名の由来はドーリスである。ドーリス=オーリス=アラスとなり、ドーリス=トオリ=トアラとなる。

 


■30万年前 「トラキ族誕生」「トラジャ族誕生」

 

テレストーは、ドーリスと共にマレー半島に移住し「トラキ族」「トラジャ族」を生んだ。トラキ、トラジャの名の由来はテレストーである。テレストー=テレキトー=トラキとなり、テレストー=テレシュトー=トラジャとなる。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「聖地デルポイ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したテレストーは、オーストラリアから古代ギリシアに移住した。テレストーはペイトーと組んで「聖地デルポイ」を建設した。デルポイの名の由来はテレストーとペイトーの組み合わせである。テレストー+ペイトー=テレペイ=デルポイとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天照大神誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したドーリスは、聖地デルポイから台湾に移住した。白人の姿をした彼らは、ニャメ(アミ族)と連合した。この時に「天照大神」が生まれた。アマテラスの名の由来はニャメとドーリスの組み合わせである。ニャメ+ドーリス=ヤメドリス=アマテラスとなる。天照大神は、高天原(台湾)を統治した。

 


■7万年前 「ドラヴィダ族誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したテレストーは、インドに上陸して「ドラヴィダ族」を生んだ。ドラヴィダの名の由来はテレストートペイトーの組み合わせである。テレストー+ペイトー=テレペイト=ドラヴィダとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「テリピヌ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したドラヴィダ族は、メソポタミアに辿り着くとブリテン島から来たヴァナラシ人(ペルセポネ)と組んで「テリピヌ」を生んだ。テリピヌの名の由来はドラヴィダとヴァナラシの組み合わせである。ドラヴィダ+ヴァナラシ=ドラヴァナ=テリピヌとなる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「日本足彦(孝安天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加した天照大神は、全世界的な大地殻変動によって故地が巨大な津波に飲み込まれると、荒廃した台湾を離れて大陸内陸部に避難した。モンゴルに拠点を得たティアマト、オケアーニス、獣人、河の種族は連合して「クンユ」「キアンユン」と呼ばれた国を築いた。
連合したティアマトたちは、後に、天孫族が築くイェマックの王統とは異なる天皇家の王統を築いた。神武天皇から始まり、垂仁天皇に終わる系譜は「クンユ」「キャンユン」時代に生きた天皇家の系譜である。彼らの御名は、みな獣人、オケアーニス、ティアマトに纏わる名前で構成されている。
日本足彦(ヤマトタラシヒコ)の名の由来はティアマトとドーリスの組み合わせである。ティアマト+ドーリス=アマトドリス=ヤマトタラシとなる。ヤマトタラシヒコは後に孝安天皇となるが、御名から推察すると、天照大神の直系は孝安天皇だけである。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「デリー誕生」

 

モンゴルに孝安天皇を生んだドーリスは、その後「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住した。彼らは、彼の地で「テリピヌ」を生んで「神々の集団アヌンナキ」に参加していたテレストーと再会し、再結合する。この時、両者はメソポタミアを離れて、ドラヴィダ族時代の故地インドに入植し「デリー」を築いた。デリーの名の由来はテレストーである。テレストー=テレーストー=デリーとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「デリー(トロイア)誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したテラは、アイルランドに入植し、「デリー(トロイア)」を築いた。このトロイアは「神統記」に記された「トロイア戦争」の舞台となる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「テラ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したテレストーとドーリスはメソポタミアに移住した。彼らは、この時にナホルの子として知られる「テラ」を生んだ。テラの名の由来はテレストーである。テレストー=テラストー=テラとなる。

 


■BC17世紀 「トロイア誕生」

 

インドに帰還していたテラは、パンジャブの王国(シバ王国、プント王国)の勢力拡大を機に、インドを離れ、ヒッタイト帝国で賑わうアナトリア半島に移住した。現地人と混合した彼らは、「トロイア」を称した。トロイアの名の由来はドラヴィダである。ドラヴィダ=トラウィラ=トラウィア=トロイアとなる。トロイアは、海の民(デニエン人、シェルデン人)に破壊されるまで伝説の都市として繁栄した。

 


■BC1200年 「ドルヒユ族誕生」

 

海の民の侵攻によってトロイアが破壊されると、トロイア人はトゥルシア人の助けにより、イランに亡命した。その後、トロイア人は故地であるインドに帰り、「ドルヒユ族」を称して、アーリア人の軍団に参加した。ドルヒユの名の由来はトロイアである。トロイア=トロヒア=ドルヒユとなる。

 


■BC1027年 「ダルマチア誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したマツヤ族とテラは、アドリア海に落ち着いて「ダルマチア」を称した。ダルマチアの名の由来はドルヒユとマツヤの組み合わせである。ドルヒユ+マツヤ=ドルマツヤ=ダルマチアとなる。BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「タリム誕生」

 

BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「登呂誕生」

 

キンメリア人などの勢力が強まると、をダルマチア人はタリム盆地から日本に移住した。日本ではダルマチア人は一時的に解散し、テラは「登呂」を建設した。登呂の名の由来はトレである。トレ=トロ=登呂となる。名前から、登呂遺跡は、日本に入植したダルマチア人が建設したとわかる。

 


■BC6世紀 「マツヤ王国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」によってたくさんの種族が到来すると、刺激を受けたダルマチア人は、日本を離れて故郷インドに帰還した。この時にマツヤ族とドルヒユ族は共同で先祖の拠点だったデリー近郊に「マツヤ王国」を建てている。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「聖地タラ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したドルヒユ族は、インドを離れてかつての故郷であるアイルランドに上陸した。ドルヒユ族は、「聖地タラ」を設けた。タラの名の由来はテラである。このアイルランド上陸時に、ドルヒユ族はマツヤ族と離れ、マゴスを相棒に決めて合体している。

 


■BC552年 「デラウェア誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、太西洋を横断し、北アメリカに入植した。日本人の顔をした彼らは現地人と混合して「デラウェア」を称した。デラウェアの名の由来はドルヒユである。ドルヒユ=ドルヒェア=デラウェアとなる。

 


■BC552年 「タラスカ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、次にメキシコに上陸すると、「タラスカ」を築いた。タラスカの名の由来は登呂と望月の組み合わせである。トロ+モチヅキ=トロツキ=タラスカとなる。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC13年 「景行天皇誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したマゴス、ドルヒユ族は満州に上陸し、イェマックの王室に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「大足彦(オオタラシヒコ)」である。オオタラシヒコの名の由来はオメガ(オー)とタラスカである。オー+タラスカ=オオタラシ=大足彦となる。つまり、大足彦の名はマゴスとダルマチア人の連合体であることを示している。景行天皇は、弱い民衆を苦しめるタナトスの一族である土蜘蛛を皆殺しにし、日本武尊にもタナトスの一族である九頭龍の討伐を指示した。

 


■AD84年 「成務天皇誕生」

 

ワカタラシヒコの名の由来は「若」とタラスカである。ワカ+タラスカ=ワカタラシ=稚足彦となる。稚足彦は「成務天皇」として第13代天皇に即位している。成務天皇の時代、ステュクスの後裔である武内宿禰が大臣として政務を統括したと言う。

 


■AD??年 「仲哀天皇誕生」

 

タラシナカツヒコの名の由来はタラスカと河の種族グレニコスの組み合わせである。タラスカ+グレニコス=タラスナカ=足仲彦となる。足仲彦は「仲哀天皇」として第14代天皇に即位している。仲哀天皇を最後に、ポントス人の応神天皇が即位するまで、イェマック王位(天皇の座)は70年間、空位となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ダラス誕生」

 

仲哀天皇の一族は、アメリカに入植して「ダラス」を築き、「ムスコギー族」を成した。ダラスの名の由来はタラスカであり、ムスコギーの名の由来は朝鮮語「何の肉ですか?(ムスンコギヤ?)」である。

 


■AD3世紀 「ハスティンギ族誕生」

 

仲哀天皇の一族は、ブリテン島に入植し、現地人と混合して「ハスティンギ族」を成した。ハスティンギの名の由来は朝鮮語「海水の友(ハス+チング)」である。ハス+チング=ハスチング=ハスティンギとなる。ハスティンギ族は、後にブリテン島を出撃してヨーロッパに渡り、イベリア半島に覇を唱えている。
AD406年、ブリテン島を出たハスティンギ族は、バルト海に赴くと、スエビ族、ヴァンダル族と連合してライン河を越えた。AD409年にイベリア半島に侵攻して「ハスティンギ王国」を建設するが、10年後にスエビ族と対立して敗北を喫してしまう。

 


■AD409年 「ハスティンギ王国誕生」

 

AD406年、ブリテン島を出たハスティンギ族は、バルト海に赴くと、スエビ族、ヴァンダル族と連合してライン河を越えた。AD409年にイベリア半島に侵攻して「ハスティンギ王国」を建設するが、10年後にスエビ族と対立して敗北を喫してしまう。

 

 

■AD520年 「タルマヌガラ王国誕生」

 

カンボジアに拠点を得たクメール人、アンコール人、ハスティンギ族だが、アンコール人がハスティンギ族と共にジャワ島に移住した。両者はジャワ島初の王国「タルマヌガラ」を建てた。タルマヌガラの名の由来はハスティンギ族の故地のひとつ「タリム」と「アンコール」の組み合わせである。タリム+アンコール=タリマンコール=タルマヌガラとなる。

 


■AD6世紀 「ヘースティンガス王国誕生」

 

イベリア半島からブリテン島に帰還すると、彼らはAD6世紀に「ヘースティンガス王国」を築いた。ハスディンギの系統からは「デン」などが末尾に付く姓が多く残された。

 


■AD1441年 「トルワ王国誕生」

 

デラウェア族は、北アメリカからジンバブエに移住した。彼らは「トルワ」を称した。トルワの名の由来はトロイアである。トロイア=トロア=トルワとなる。トルワの首都は「カミ」である。カミの名の由来はもちろん、日本語の「神」だと考えられる。正式な国名「ブトゥワ」も日本語「武闘派」が由来だと考えられる。トルワ王国は、陸奥安倍氏が築いた「ムタパ王国」と共存し、来島村上氏の後裔「チャンガミレ族」によって滅びた。

 


■AD1879年 レフ・トロツキー生誕

 

アステカ人(アストラハン・タタール)がメキシコから中央アジアに帰還した際、タラスカ人が同行していた。トロツキーはその子孫である。トロツキーの名の由来はタラスカと同じく登呂と望月の組み合わせである。登呂+望月=登呂月=トロツキーとなる。

 


■AD1983年 エドワード・スノーデン生誕

 

 

 

◆タルタロスの歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

テレストーは、ゼウクソー、イマナと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「マイアンドロス誕生」

 

テレストーは、ピュグマエイ、ウェネと組んで「マイアンドロス」を生んだ。マイアンドロスの名の由来はピュグマエイ、ウェネ、テレストーの組み合わせである。ピュグマエイ+ウェネ+テレストー=マエイウェネテレス=マイアンドロスとなる。その後、マイアンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「タルタロス誕生」

 

スカマンドロス、マイアンドロスは、連合を組んで「タルタロス」を生んだ。タルタロスの名の由来はスカマンドロスとマイアンドロスの組み合わせである。スカマンドロス+マイアンドロス=ドロドロス=トロトロス=タルタロスとなる。タルタロスは、カオス、ガイア、エロスに次ぐ原初の神のひとりである。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「タロコ族誕生」「ケンタウロス誕生」

 

「ティタノマキア」ニ敗北し、クロノスから解放されると、ギリシアを離れたタルタロスは台湾に入植し、シベリアから来ていたウリゲンと連合した。この時に「タロコ族」「ケンタウロス」が生まれた。タロコの名の由来はタルタロスとウリゲン、ケンタウロスの名の由来はウリゲンとタルタロスの組み合わせである。タルタロス+ティケー=タルケー=タロコ、ウリゲン+タルタロス=ゲンタロス=ケンタウロスとなる。タロコとケンタウロスは不可分であり、一時期、台湾がケンタウロスと呼ばれていたことがわかる。

 


■7万年前 「ダイダロス誕生」

 

マレー半島でアドメテーと連合したタルタロスは、「ダイダロス」を生んだ。ダイダロスの名の由来はアドメテーとタルタロスの組み合わせである。アドメテー+タルタロス=テータロス=ダイダロスとなる。ダイダロスは入ったら二度と出られない迷宮「ラビュリントス」を建設した。

 


■7万年前 「アイトラ誕生」

 

アラビア半島でエウドーラーと連合したタルタロスは、「アイトラ」を生んだ。アイトラの名の由来はエウドーラーとタルタロスの組み合わせである。エウドーラー+タルタロス=エウタロ=アイトラとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「タルタル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したタルタロスは、テテュスと行動を共にし、スーサから中央アジアに分布した。タルタロスは「タルタル人」を称した。タルタルの名の由来はタルタロスである。同盟者であるテテュスは「タタ」「タタール」などを称したが、彼らは行動を共にしていたため、タタ、タタール、タルタルはひとつの民族として混同された。

 


■BC5千年 「第1次北極海ルート時代」

 


■BC5千年 「ナワトル族誕生」

 

「第1次北極海ルート時代」に参加したタルタロスは、ノアと共に北アメリカに入植した。この時に「ナワトル族」が生まれた。ナワトルの名の由来はノアとタルタロスの組み合わせである。ノア+タルタロス=ノアタル=ナワトルとなる。

 


■BC40世紀 「ナワ族誕生」

 

ナワトル族は、北アメリカからマヤに移ると「ナワ族」に名を改めた。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「那覇誕生」「ナウル誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したナワ族は、出羽国を発ち、沖縄諸島を発見した。ナワ族は当地を「那覇」と命名した。那覇の名の由来はナワである。また、彼らは太平洋に進出し、「ナウル島(ニョルド)」を発見する。ナウルの名の由来はナイルである。ナイル=ナウルとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ナフタリ族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したナワトル族は、モンゴルに移住して「ナフタリ族」を生んだ。ナフタリの名の由来はナワトルである。ナワトル=ナハトル=ナフタリとなる。

 


■BC30世紀 「黙示録アルマゲドン」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ガンダーラ(前身)誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したタルタロス(ナフタリ族)は、アラビア半島に移住した。彼らは、マガン王国に移住し、レメクと意気投合した。この時代に「ガンダーラ」の前身が生まれた。ガンダーラの名の由来はマガンとタルタロスの組み合わせである。マガン+タルタロス=ガンタル=ガンダーラとなる。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「母なる女神タウレト誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、アラビア半島を出たタルタロス(ナフタリ族)は、エジプトに移住した。彼らは、エジプトに「母なる女神タウレト」を祀ってヘリオポリスに参加した。タウレトの名の由来はタルタロスである。タルタロス=タウレタロス=タウレトとなる。

 


■BC1027年 「ナパタ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、アラビア半島を出たタルタロス(ナフタリ族)は、エジプトからヌビアに移住し「ナパタ」を生んだ。ナパタの名の由来はナフタリである。ナフタリ=ナプタリ=ナパタとなる。

 


■BC7世紀 「クシュ人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ワダラーン誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」第1の拠点はソマリアである。ここにはナフタリ族が残留を決めた。ナフタリ族は2つに分離し、ノア族の系統のナフタリ族が「ハワドレ」を称し、タルタロスの系統のナフタリ族は「ワダラーン」を称した。ハワドレ、ワダラーンのいずれの名もナワトルが由来である。ナワトル=アワタリ=ハワドレとなり、ナワトル=ナワタラン=ワダラーンとなる。

 


■BC7世紀 「ガンダーラ王国誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」に参加したマガン人とタルタロス(ナフタリ族)は、インダス流域に移住した。この時に「ガンダーラ王国」が生まれた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC327年 「フォトラ誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したワダラーン族は、ピクトランドに根付いた。この時に「フォトラ」が生まれた。フォトラの名の由来はワダラーンである。ワダラーン=ハタラーン=ファタラ=フォトラとなる。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「キンダ人誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、アラビア半島に上陸した。彼らは、アラビア人と混合して「キンダ族」を称した。キンダの名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=ギンダーラ=キンダとなる。その後、キンダ族はヨルダンに移った。

 


■BC327年 「キンダ人の大航海時代」

 


■BC327年 「ブリギンテ族誕生」

 

「キンダ人の大航海時代」に参加したキンダ族は、イベリア半島に上陸すると、「ブリギンテ」の名前を得た。ブリギンテの名の由来はイベリアのキンダである。イベリア+キンダ=ベリアキンダ=ブリギンテとなる。

 


■BC327年 ブリギンテ族、ブリテン島に入植

 


■BC327年 「女神ブリギッド誕生」

 

ブリギンテ族は、ブリテン島北部を拠点にし、一部がアイルランドに移住すると、「聖なる女神ブリギッド」を祀った。ブリギットの名の由来はブリギンテである。ブリギンテ=ブリギッテ=ブリギットとなる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC3世紀 「ブルグント族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したブリギンテ族は、キンブリ人と共にバルト海に進み、ボーンホルム島に入植した。この時に「ブルグント族」が生まれた。ブルグントの名の由来はブリギンテである。ブリギンテ=ブリギント=ブルグントとなる。

 


■BC3世紀 「第2次ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC3世紀 「ケツァルコアトル誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したケツァルコアトルは。コーサラ人と組んで「テオティワカン」が栄えていた古代メキシコに移住した。この時に「ケツァルコアトル」が生まれた。ケツアルコアトルの名の由来はコーサラとフォトラの組み合わせである。コーサラ+フォトラ=コーチャラ+クォトラ=ケツァルコアトルとなる。

 


■BC139年 「ケツァルコアトルの大航海時代」

 


■BC1世紀 「ツェルタル族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」を経て、マヤに移住したタルタル族は、間や陣と混合し、タルタルを由来に「ツェルタル」の種族を儲けた。タルタル=チェルタル=ツェルタルとなる。

 


■AD346年 「百済誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したケツァルコアトルは、バクトリアから来たバクトリア人と連合して百済(クダラ・ペクチェ)を建てた。百済の名の由来はケツァルコアトルである。ケツァルコアトル=コアトル=クダラ(百済)となる。古代朝鮮の王国、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。

 


■AD411年 グンディオク、初代ブルグント王に即位 「ブルグント王国誕生」

 

ブリテン島に拠点があったブリギンテ族は、ボーンホルム島を経てゲルマニアに上陸し、「ブルグント族」として出現した。ブリギンテ族とブルグント族は不可分である。AD411年、ブルグント王国が建てられたが、王国は、AD534年に滅亡した。

 


■AD534年 「ブガンダ誕生」「ウガンダ誕生」

 

ブルグント王国が滅ぶと、ブルグント族はヨーロッパを発ってアフリカ大陸に向かった。地中海からナイル河に入り、上流の大湖水地方に達したブルグント族は「ブガンダ王国」「ウガンダ王国」を築いた。ブガンダの名の由来はブルグントである。ブルグント=ブーグント=ブガンダ=ウガンダとなる。ウガンダ族は、大英帝国がニョロ帝国を攻略する時に大英帝国軍に従軍してニョロ帝国を滅亡させた。ブリギンテ族の後裔であるウガンダ族は、イギリス人に親近感を持っていたため加勢した。だが、残念ながら、当時のイギリス人は人喰い人種の教会「聖公会に」に掌握されていたため、征服の道具として利用されたに過ぎない。

 


■AD633年 朝鮮半島からピクトランドに帰還

 

AD663年、「白村江の戦い」で百済が滅ぶと、一部の百済人は故地であるピクトランドに帰還し、朝鮮人の顔をした百済人は白人の顔をした兄弟「フォトラ」に合流した。

 


■AD681年 「第1次ドゥロ朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD663年、「白村江の戦い」で百済が滅ぶと、一部の百済人はコーカサスに移住し、ブルガリア人を統率して「ブルガリア帝国」を建設した。「ドゥロ王朝」の名の由来はタルタロスである。タルタロス=ドロドロス=ドゥロとなる。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

AD753年、ドゥロ王朝が滅ぶと、ドゥロ家はインドに入植し、ラーシュトラクと連合した。この時に「ラーシュトラクータ朝」が生まれた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラクと百済の組み合わせである。ラーシュトラク+百済=ラーシュトラク+クダラ=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD825年 「マーシア人の大航海時代」

 


■AD825年 「バートリ家誕生」

 

「マーシア人の大航海時代」に参加したフォトラは、トランシルヴァニアに移ってフォトラを由来に「バートリ家」を築いた。バートリの名の由来はフォトラである。フォトラ=フォートラ=バートリとなる。バートリ家は、トランシルヴァニア公、ハンガリー王、ポーランド王を数多く輩出した東欧貴族の名家である。

 


■AD852年 ボリス1世、ブルガリア皇帝に即位 「第2次ドゥロ朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

ラーシュトラクータ朝のドゥロ家は、再度、ブルガリアに侵入し「ドゥロ王朝」を開いた。この王朝はAD997年まで続いた。

 


■AD868年 「トゥールーン朝誕生」

 

AD663年、百済が滅ぶと、百済人は朝鮮半島を離れてエジプトに移住した。彼らは「トゥールーン」を称した。トゥールーンの名の由来はフォトラである。フォトラ=フォトラーン=トラーン=トゥルーンとなる。AD868年、アッバース朝治世下、アフマド・イブン=トゥールーンが初代王に即位して「トゥールーン朝」を開き、事実上の独立政権を樹立している。

 


■AD1092年 「アルスラーン誕生」

 

その後、AD905年にトゥールーン朝が滅ぶと、トゥールーン王家はイラクに逃れて「アルスラーン」を称した。アルスラーンの名の由来はアルとトゥールーンの組み合わせである。アル+トゥールーン=アルツルーン=アルスラーンとなる。AD1092年、アルプ・アルスラーンがスライマン1世を倒し、「ルーム・セルジューク朝」に君臨した。

 


■AD1192年 「ラ・トゥール家誕生」

 

AD1192年にクルチ・アルスラーン2世が死去すると、一族はイラクを去り、カペー朝治世下のフランス王国に移住した。彼らは、ここで「ラ・トゥール」を称した。ラ・トゥールの名の由来はラとトゥールーンの組み合わせである。ラ+トゥールーン=ラ・トゥールとなる。
 

 

■AD1280年 「テルテル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD1192年にクルチ・アルスラーン2世が死去すると、一族はイラクを去り、ブルガリア帝国に移住した。AD663年に分裂した百済人がドゥロ朝を開いたことを知った彼らは、「テルテル朝」を開いた。テルテルの名の由来はタルタロスである。タルタロス=テルテルス=テルテルとなる。この王朝は、AD1322年まで続いた。

 


■AD1490年 「ビーダル王国誕生」

 

オスマン・トルコ帝国がバルカン半島に進軍すると、トランシルヴァニアにいた一部のバートリ家がこれを嫌ってインドに移住した。白人の顔をした彼らは、インド人と混合して「ビーダル」の名を生んだ。バフマニー朝最後の王カリームッラー・シャーが死去すると宰相アミール・バリードがアミール・バリード・シャー1世を名乗り、バフマニー朝を廃した。ビーダルの人々は、「ビーダル王国」を建てた。ビーダルの名の由来はバートリである。バートリ=バードリ=ビーダルとなる。その後、ビーダル王国がAD1619年に滅ぶと、ビーダルの人々は、ナフタリ族時代の同盟者である服部氏に、日本への亡命を手助けしてもらった。

 


■AD1611年 エリザベート・バートリ逮捕

 

マラーター族を一時的に抜け出してインドからトランシルヴァニアに移り住んだルオ族は、ヴラド公の後釜としてエリザベート・バートリを選び、彼女の地位を利用して、近隣から子女を誘拐し、残虐な享楽の果てに殺害し、食べていた。しかし、余りにも近隣の少女に手を出しすぎたため、悪事が近隣住民に知れ渡ることになった。この時、ルオ族は家族であるルター派に相談し、エリザベートをハメ、全ての責任を転嫁して逃げる算段をつけた。
610人もの少女が惨殺されたといわれているが、責任は全てエリザベートに転嫁された。エリザベートは使用人たちが何をしているか知っていた。だが、恐ろしくてやめさせることは不可能だった。また、周りがルター派の信者で固められていたため、名門バートリ家の家族に相談しても、逆に、頭がおかしいとしてエリザベートは家族にさえ退けられていた。逮捕されたエリザベートは、窓も出入り口も塗り固められた穴倉に幽閉され、汚物と害虫に塗れて暗闇の中で果てたとされている。バートリ家だけでなく、近隣住民、被害者の遺族でさえ、エリザベートが犯人でないことは知っていた。しかし、パンノニアのインフラを掌握しているルター派に安定した生活と平穏な日常を保障してもらうため、仕方なかったのだ。このように、人喰い人種が君臨する世の中では「生きているのに口なし」ということがしばしば起きる。
現在、エリザベート・バートリの猟奇事件は、若さを妬み、少女を憎んだ年増の暴君が復讐心を満たすために行った身勝手で残虐な所業とされている。だが、実際にはソーニー・ビーンとしてイギリスで300人もの人間を殺して喰い、ジル・ド・レ、ヴラド公に寄生して、たくさんの人々を惨殺した人喰い人種の所業であった。エリザベートは「鋼鉄の処女」で殺した少女の血を浴び、拷問器具で指を切断して苦痛にゆがむ表情を見て笑い、使用人に命じて娘の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出して興奮していたという。しかし、これらは全て使用人(ルオ族)の所業である。このあと、ルオ族はインドに帰還してマラーター族に合流するが、一部はトランシルヴァニアからロシア帝国に移り、ダリヤ・サルトゥイコヴァ伯爵夫人に寄生している。

 


■AD1918年 ヘルマン・ポール、創設 「トゥーレ協会誕生」

 


■AD1922年 ピエル=パオロ・パゾリーニ生誕

 

バートリの家系からは映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニが輩出されている。バートリ=バーソリ=パゾリーニとなる。

 

 

 

 

◆トゥルシア(ティルス)の歴史

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千2百年 「神々の集団アヌンナキ誕生」

 


■BC7千2百年 「ティルス誕生」

 

タルタル人(タルタロス)は、中央アジアからメソポタミアに赴いて「ティルス」を生んでいる。ティルスはヤペテの子と伝えられているが、名前から察するに、トレに属している。ティルスの名の由来はタルタロスである。タルタロス=タルティルス=ティルスとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大航海時代」

 


■BC7千年 「トラキア誕生」

 

「アヌンナキの大航海時代」に参加したティルスは、マルドゥクと共にバルカン半島に移住した。この時、彼らは「トラキア」を築いた。トラキアの名の由来はティルスとカオス(マルドゥク)の組み合わせである。ティルス+カオス=ティルカオ=トラキアとなる。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「セロス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したティルスは、シルックと共にマヤに移住した。この時に「セロス」を築いている。セロスの名の由来はシルックとティルスの組み合わせである。シルック+ティルス=シルス=セロスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「トゥルシア人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したセロス人(ティルス)は、ベリーズ人(ホルス)と共にマヤで船団に加わった。セロス人は、イランに入植して「トゥルシア人」を名乗り、海の民の連合国、伝説の「ベーシュタード王国」を築いた。トゥルシアの名の由来はティルスである。ティルス=ティルシア=トゥルシアとなる。

 


■BC19世紀 「テュロス誕生」

 

地中海の番人としての役割を果たしたトゥルシア人は、タナトスの海の民(シェルデン人、デニエン人)を成敗し、ラムセス2世を助け、ミケーネ人、ヒッタイト人、トロイア人などの亡命者をイランに導いた。、トゥルシア人はカナンに「テュロス」を築いた。テュロスの名の由来はティルスである。海の民の時代が終わった後も、テュロスは、そのままフェニキア人の都市として、アレキサンダー大王の侵攻まで存続した。

 


■BC19世紀 「トリツ族誕生」

 

トゥルシア人は、インドに移住し、「トリツ族」を生んだ。トリツの名の由来はティルスである。ティルス=ティルツ=トリツとなる。トリツ族は、アーリア人の軍団に参加した。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「トラキア王国誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したトラキア人は、バルカン半島に移住した。彼らは「トラキア王国」を築いた。

 


■BC1027年 「ラーシュトラク誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したゾロアスター教はインド西岸に「ラーシュトラク」の土地を得た。ラーシュトラクの名の由来はトゥルシアとトラキアの組み合わせである。トゥルシア+トラキア=ルシアトラキア+ラーシュトラクとなる。

 


■BC332年 「ユリウス家誕生」

 

アレクサンドル大王がティルスを占領すると、ティルス人はイタリア半島に逃亡した。この時に「ユリウス家」が生まれた。ユリウスの名の由来はティルスである。ティルス=ティリウス=イリウス=ユリウスとなる。

 


■BC273年 「ラジア誕生」

 

マウリア朝がラーシュトラクの領土を席巻すると、ラーシュトラク人は黒海東岸に移住した。この時に「ラジア」を建設した。ラジアの名の由来はラーシュトラクである。ラーシュトラク=ラージアトラク=ラジアとなる。

 


■BC年 ユリウス・カエサル生誕

 


■AD68年 「葛城氏誕生」

 

ローマ帝国の覇権を喪失すると、ユリウス家は、日本に上陸して現地人と混合し、「葛城氏」を形成した。葛城の名の由来は「カエサルの城」である。カエサル+城=カサル+城=葛城となる。葛城氏は、後に満州に赴いてイェマック王統を簒奪した托跋部に接近して自身の血統を打ち建てた。葛城襲津彦の娘、磐之媛が仁徳天皇に接近して、履中天皇、反正天皇、允恭天皇を生んでいる。履中天皇の御名「大兄去来穂別尊」の大兄(おおえの)は、ヨーロッパの名「オーウェン」の当て字である。

 


■AD68年 「フォルト・リウ誕生」

 

ローマ帝国の覇権を喪失すると、ユリウス家は、クラウディウス家、プルトゥス家を率いてスコットランドに移住した。ユリウス家は、プルトゥス家と組んで「フォルト・リウ」を建てた。フォルト・リウの名の由来はプルトゥスとユリウスの組み合わせである。プルトゥス+ユリウス=プルトゥ+リウ=フォルト・リウとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 葛城氏、ジャワ島に移住

 

「大和人の大航海時代」に参加した葛城氏は、後に、山田氏と共に「マタラム王国」を築いた。

 


■AD470年 「マイトラカ朝誕生」

 

ゴート族、フン族が乱入してきたため、トラキア人はバルカン半島を離れて、グジャラートに居つき、ニュージーランドからインドに来ていたマオリ族と連合して「マイトラカ帝国」を建国した。マイトラカの名の由来はマオリとトラキアの組み合わせである。マオリ+トラキア=マオトラカ=マイトラカとなる。

 


■AD703年 「ラーシュトラクータ(前身)誕生」

 

イスラム軍がアルメニアに迫ると、ラジア人は黒海を脱出した。彼らは、「ラーシュトラク」の跡地に移住し、チャールキア朝に配下として参加した。一方、彼らはAD663年に滅亡した百済の残党と合体し、連合体「ラーシュトラクータ」を築いた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラクと百済の組み合わせである。ラーシュトラク+クダラ=ラーシュトラクダー=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

AD753年、ダンティドゥルガがチャールキアの君主を倒して「ラーシュトラクータ朝」を開き、デカン高原の支配者となる。

 


■AD864年 「マタラム王国誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した葛城氏は、山田氏と共に「マタラム王国」を築いた。マタラムの名の由来はティアマト(山田氏)とローマ(葛城氏)の組み合わせである。ティアマト+ローマ=マトローマ=マタラムとなる。

 


■AD929年 「ジャワ人の大航海時代」

 


■AD929年 「有吉氏誕生」「有安氏誕生」

 

マタラム王国が滅ぶと、ジャワから日本に帰還した葛城氏は、現地人と混合して「有吉氏」「有安氏」などを生んだ。2つの名の由来はいずれもユリウスである。ユリウス=ウリヤス=有吉=有安となる。

 


■AD973年 「龍造寺氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に上陸した。インド人の顔をしたラジア人は現地人と混合して「龍造寺氏」を称した。龍造寺の名の由来はラーシュトラである。ラーシュトラ=リューゾーテラ=龍造寺となる。龍造寺氏の子孫には怪奇作家夢野久作(杉山直樹)がいると伝えられている(母方が龍造寺氏なのかもしれない)。

 


■AD973年 「寺沢氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に上陸した。トラキア人は「寺沢氏」を称した。トラキア=トラシワ=寺沢となる。

 


■AD973年 「リスト誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々はヨーロッパに移住した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「リスト」の名を生んだ。リストの名の由来はラーシュトラである。ラーシュトラ=ラーシュト=リストとなる。

 


■AD1584年 龍造寺隆信、千葉氏と共にパンジャブに移住

 

千葉氏はラージプート時代にパンジャブで生活していたため、一行は日本を発つとパンジャブに侵入し、一時的に潜伏した。

 


■AD1615年 「豊臣氏の大移動時代」

 


■AD1615年 「ルソー誕生」

 

「豊臣氏の大移動時代」に参加した龍造寺隆信の一行は、コーカサスを通過してスイスに移って現地人と交わり、「ルソー」「リスト」の名を生んだ。ルソーの名の由来は龍造寺であり、リストの名の由来はラーシュトラクータである。龍造寺(りゅうぞうじ)=りゅうぞう=ルソーとなる。

 


■AD1712年 ジャン=ジャック・ルソー生誕

 


■AD1811年 フランツ・リスト生誕

 


■AD1844年 アンリ・ルソー生誕

 


■AD1848年 グイド=フォン・リスト生誕 「リスト協会誕生」

 


■AD1889年 夢野久作(杉山直樹)生誕

 


■AD1932年 リチャード・レスター生誕

 


■AD1955年 寺沢武一生誕

 

 

 

 

◆バクトリア(エウドーラー)の歴史

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にハタミ人がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らは、グリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの祖モリモのことである。

 


■BC5千年 「ヘクトル誕生」

 

ブリテン島からアイルランドに渡ったヘカテは、デリーに「ヘクトル」を生んだ。ヘクトルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトラ=ヘクトルとなる。神話では、「トロイア戦争」でアキレウスに殺されている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「バクトリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したヘクトルの残党は、中央アジアに入植し「バクトリア」を築いた。バクトリアの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC250年 ディオドトス1世、初代王に即位 「バクトリア王国誕生」

 

ピクト人の子孫であるバクトリア人は、BC250年、セレウコス朝から独立して「バクトリア王国」を築いている。バクトリアの名の由来はピクトと同じく、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ビクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC139年 「カタール誕生」

 

王国が滅ぶと、バクトリア人はアラビア半島に移住した。彼らは「カタール」を築いた。カタールの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バクトーリア=クターリア=カタールとなる。

 


■AD320年 「キダーラ誕生」

 

サーサーン朝がアラビアを攻撃すると、エウドーラーが主導するカタールの人々はアラビア半島を離れてパンジャブに入植した。彼らは
パンジャブに「キダーラ朝」を開いた。キダーラの名の由来はカタールである。

 


■AD500年 「ゴダール誕生」

 

キダーラ朝が滅ぶと、キダーラ人はフランスに入植した。パンジャブ人の顔をした彼らは現地人と混合して「ゴダール」の名を生んだ。ゴダールの名の由来はキダーラである。キダーラ=ギダーラ=ゴダールとなる。この系統からは映画監督ジャン=リュック・ゴダール、チャップリン夫人ポーレット・ゴダードが輩出されている。

 


■AD500年 「カタリ派誕生」

 

キダーラ朝がAD500年に滅ぶと、キダーラ人はフランスに移り、キリスト教徒になった。しかし、人食い人種タナトスの団体クリュニー会、シトー会などが仕切るカトリックに嫌悪を覚えたキダーラ人は独自のキリスト教を切り拓いた。それが「カタリ派」である。カタリの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バカタリア=カタリとなる。AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。

 


■AD1244年 「ドゥラニ族誕生」

 

タナトスの宗教シトー会が「カタリ派」を敵視し、異端と称して執拗に攻撃した。AD1209年、カタリ派を壊滅させるために、シトー会は「アルビジョワ十字軍」を編成した。AD1244年、最後の砦モンセギュールが陥落すると、壊滅を機に、カタリ派はフランスを脱出してパンジャブに移住した。フランス人の顔をしたカタリ派は、パシュトゥーン人の傘下に入り「ドゥラニ族」を生んだ。ドゥラニの名の由来はエウドーラーである。エウドーラー=エウドーラーン=ドゥラニとなる。

 


■AD13世紀 「ドロン誕生」「ディロン誕生」

 

AD13世紀、モンゴル軍の侵攻を機に、ドゥラニ族は一時的にヨーロッパに避難した。この時に「ドロン」「ディロン」などの名が生まれた。これらの名はドゥラニが由来である。この系統からは俳優アラン・ドロン、俳優マット・ディロンが輩出されている。

 


■AD17世紀 「トゥーラーン族誕生」

 

その後、ドゥラニ族がヨーロッパからアフガンに戻ると、パシュトゥーン人がギルザイ族を乗っ取ったため、ギルザイ族が「ドゥラニ」の名を簒奪していた。そのため彼らは、代わりにパシュトゥーン人が簒奪した「ギルザイ族」に参加して「トゥーラーン族」を称した。トゥーラーンの名の由来はドゥラニである。

 


■AD1930年 ジャン=リュック・ゴダール生誕

 


■AD1935年 アラン・ドロン生誕

 


■AD1964年 マット・ディロン生誕

 


■AD1964年 「西パプア国独立闘争組織誕生」

 

穢多やニュクスの子、エリスの子がニューギニア島に帰還し、西パプア独立運動を指揮した。独立運動に関わった人々の名は日本語の名残りが見受けられる。カイセポ(飼いせば)、ジョウエ(女王)、ウォムシウォル(青虫おる)、ジョク(邪気)、マンダチャン(まんだしゃん)、メイドガ(毎度か)、ワンマ(あんま)、ミリノ(いみりの)、ワルサ(悪さ)、インディ(いんで)、アジャミセバ(味見せば)、ペケイ(破壊)、プライ(無頼)、ワダンボ(わだんば)、テゲイ(てーげー)、ワインガイ(わいんかい)などである。以上、標準語もあるが、下北半島、名古屋、関西地方、静岡、徳島、岩手、甲州、沖縄、宮崎、北海道などの方言に因んだ名前が多く見受けられる。
また、パプアの独立運動家には、アンダマン諸島のジャラワ族(黒人ダン族)やミャンマー、アフリカを経て帰ってきたトンガ人(タンナ人)なども混在している。アンダマン諸島の名に因んだ「ヒンドム」はスウェーデンに拠点を設け、ミャンマー、アフリカを経たタンナ人は「タンガフマ」を称して、セネガルに拠点を設けている。アンダマン=ハンダマ=ヒンドムとなり、トンガ(リンポポ流域)+バマー(ビルマ)=トンガバマ=タンガフマとなる。
AD1973年、ヤコブ・プライは「西パプア共和国暫定政府」を宣言し、AD1988年にはトーマス・ワインガイが「西メラネシア国」の独立を宣言している。穢多の子孫は非常に活発に活動しているが、インドネシア共和国に君臨している華僑が彼らの独立を許さない。一部の華僑にはダニ族の血が流れている。つまり、ニューギニア島は「ダニ族の血を引く華僑のものだ」という考えがあるのだ。ダニ族の血を引く華僑も、もともとは大谷に誘われてアステカ帝国に渡った人々の子孫である。つまり、華僑VS西パプアの構図は、故地に帰還した、祖を同じくする人々による、故地を巡る抗争と捉えることができる。因みに、トーマス・ワインガイは日本人女性の妻を娶っている。これは彼の先祖が日本にいた証拠だ。

 

 

 

◆平氏(ガンダーラ)の歴史

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「関氏(グァン)誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、中国に上陸した。彼らは、中国人と混合して「関氏(グァン)」を称した。関(グァン)の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=グアンダーラ=関(グアン)となる。関氏からは、三国時代に活躍した「関羽」が輩出されている。

 


■AD3世紀 関羽生誕

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ディアラ(前身)誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した関氏は、イングランドに入植し、ガンダーラを由来に「ディアラ王国」を築いた。ガンダーラ=ガンディアラ=ディアラとなる。

 


■AD559年 「ディアラ王国誕生」

 

AD559年、アエラという人物が初代ディアラ王に即位している。AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は日本に移住することを決める。このイギリス人の顔をしたディアラ家が、日本人と混合して「源氏」「平氏」を生むことになる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「平氏(前身)誕生」

 

AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は「ヨハネスの大航海時代」に参加した。イギリス人の顔をしたディアラ王家は、多治比氏・安倍氏、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた上で、天皇家に接近した。ディアラ王家は、日本に初上陸した時の同盟者であるカンボージャ人の後裔「桓武天皇」に娘たちを接近させた。源氏と平氏の名の由来はガンダーラを2つに分割したものであるが、特に、平氏(タイラ)のネーミングはディアラに因んでいる。

 


■AD712年 「金刀比羅神社誕生」

 

「オースターの大航海時代」「勿吉の大航海時代」に参加したイギリス人ストーン(石氏)は、「ヨハネスの大航海時代」に参加したイギリス人スミス(司馬氏)と組んで「石清水神社」を建立し、「オースターの大航海時代」に参加したイギリス人キャッシュ(銭氏)は、ディアラ王家と組んで「金刀比羅神社」を建立した。石清水の名の由来はロック(石)とスミス(清水)の組み合わせであり。金刀比羅の名の由来は刀銭とディアラ(平)の組み合わせである。

 


■AD年 高棟王生誕

 

AD804年、ディアラ王家は直々に葛原親王に接近して桓武平氏の祖「高棟王」を生んだ。

 


■AD年 善棟王生誕

 

AD804年、ディアラ王家は直々に葛原親王に接近してオイラートの祖「善棟王」を生んだ。

 


■AD829年 「オイラート誕生」

 

死去に見せかけた善棟王が中臣氏を伴って満州を訪れ、女真族と接触を図る。だが、善棟王はそのままモンゴルに向かい、現地人と混合して「オイラート」を称する。オイラートの名の由来は「平の人(タイラート)」である。タイラート=アイラート=オイラートとなる。

 


■AD829年 「ラージプート誕生」

 

その後、遼朝が発足すると、オイラートは遼朝の人(リョウチョウビト)を意味する「ラージプート」を称した。その後、インドに侵入したラージプートからはタイラ2世が輩出された。タイラの名の由来は平(たいら)である。ラーシュトラクータ朝を滅ぼしたタイラ2世は、デカン高原に「後期チャールキア朝」を開いた。

 


■AD9??年 タイラ2世、チャールキヤ王に即位 「後チャールキヤ朝誕生」

 

AD10世紀には、ラージプート出身のタイラ2世が王位を簒奪し、「後チャールキヤ朝」が開かれた。

 


■AD1068年 「千葉氏誕生」「秩父氏誕生」

 

一部チェチェン人がコーカサスを離れて日本に向かった。彼らは、途中のインド洋辺りで善棟王の子孫ラージプートと合流すると、連合体を組んで房総半島に上陸し、チェチェン人は「上総氏(かずさ)」を称した。上総の名の由来はコーカサスであり、コーカサス=コーカズス=かずさ(上総)となる。そして、ラージプートは「破壊神シヴァ」を由来に「千葉氏」を称した。更に、上総氏は千葉氏と連合して「秩父氏」を結成した。秩父の名の漢字表記の由来は「父なるゼウス(秩)」であり、読みの由来は「チェチェンと千葉」の組み合わせである。チェチェン+千葉=チェ千葉=ちちぶ(秩父)となる。彼ら、千葉氏、上総氏、秩父氏は先発隊である中村氏、土屋氏、土肥氏と連合して「坂東八平氏」の中核を担い、鎌倉幕府の成立に邁進することとなる。
また、一部チェチェン人はシルクロードを介して満州に移住している。長孫氏の子孫であるチェチェン人は、兄弟である朱氏の女真族に合流することを考えていた。だが、その頃には既に正統な女真族は日本に移って「中村党」を組織して活動していた。更に、女真族自体は日本から来た中臣氏に簒奪されていた。その後、チェチェン人は「ジェチェン」を称し、中臣氏が築いた「建州女直」に参加した。その後、明治時代に建州女直が大挙して日本に移住すると、ジェチェンも日本の地を踏み、主に「塩」を由来にした姓を名乗った。

 


■AD11世紀 「坂東八平氏誕生」

 

上記のように、満州人の顔をした「中村氏」「土屋氏」が満州から、インド人の顔をしたラージプートの系統「千葉氏」「土肥氏」はインドから、そして中央アジア人の顔をした「上総氏」はコーカサスから来た。また、「秩父氏」は千葉氏と上総氏の連合体、つまり、中央アジア人とインド人の混血連合体である。
ここに、インドネシアから来たシャイレーンドラ王家の「三浦氏」、中央アジアから来たハザール王家の「梶原氏」、インドから来たカーマルーパとアンコールの連合体「鎌倉氏」、インドを経てジャワから来た安曇氏(アーズミー)の後裔「江戸氏」、イスパニアから来たスペイン人の顔をした「伊勢氏」、アラビアから来たハドラミーの系統「和田氏」が加わっている。このように「坂東八平氏」は国際色豊かな軍事集団だったことが分かる。

 


■AD1206年 「松平家誕生」

 

デリー・スルタン朝がパンジャブを覆い尽くすと、ラージプートは日本への帰還を実施した。インド人の顔をしたラージプートは日本人と混合して「松平家」を形成した。松平の名の由来は「マツヤの平」である。マツヤ+平=マツ平=松平となる。AD1360年、松平信重が家督を継いで、初めて「松平家」を称した。AD1529年、松平清康が三河を統一している。

 


■AD1584年 「チュヴァシ誕生」

 

千葉氏はラージプート時代にパンジャブで生活していたため、一行は日本を発つとパンジャブに侵入した。その後、大坂の陣に敗北した豊臣秀頼の一行がパンジャブを訪れる。龍造寺氏は、豊臣秀頼の一行を迎えてパンジャブからカスピ海に至る。日本人の顔をした千葉氏は、ここで中央アジア人と交わり、「チュヴァシ」を称した。チュヴァシの名の由来は千葉氏(ちばし)である。チュヴァシ族は、豊臣秀頼の一行と共にサンクトペテルブルグに移り、「メドベージェフ」の名を築いた。メドベージェフの名の由来は「千葉又兵衛」である。

 


■AD1939年 ちばてつや生誕

 


■AD1943年 ちばあきお生誕

 


■AD1965年 ドミートリー・メドベージェフ生誕

 

AD2008年、ロシア連邦第3代大統領に就任している。

 


■AD1999年 エフゲニア・メドベージェワ生誕

 

 

 

 

 

 


ニャメの歴史

◆ヤペテ(ニャメ)の歴史

 


■40万年前 「ニャメ誕生」

 

ガボン沖で水生生活を送っていた水生人が上陸した。彼らは「ニャメ」を称した。ニャメはガボンで今尚、崇拝されている。彼らは、アミ族の姿をしていた。台湾少数民族の祖のひとつとなる。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「アミ族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したニャメは、台湾に移住して「アミ族」を生んだ。アミの名の由来はニャメである。ニャメ=ニャミ=アミとなる。高天原(台湾)の人々が呼んだ「黄泉の国」とは、ニャメの故地であるガボン(西アフリカ)を指す。「黄泉の国」とは、「ニャメの国」のことである。古代人は、生きている間にたどり着けないような、とんでもない遠方の地を冥界などと言い表していた。

 


■40万年前 「アマゾーン誕生」

 

アミ族は、ミャンマーに住んでいたジェンギと連合し、現福建に「アマゾーン」を築いた。アマゾーンの名の由来はニャメとジェンギの組み合わせである。ニャメ+ジェンギ=ヤメジェン=アマゾーンとなる。アマゾーンは胸がない女性だとされているが、これはゲイ男性を意味している。彼らの子孫といえる福建海賊も、ゲイは多かったようだ。因みに、福建で祀られている「馬姐(マソ)」の名の由来はアマゾンである。超古代、南シナ海はアマゾーンと呼ばれていたのだ。

 


■7万年前 「第1次イマナの大航海時代」

 


■7万年前 「月読神誕生」

 

「第1次イマナの大航海時代」に参加したジョクタは、台湾に入植し、アミ族と混合して「ツクヨミ」を生んだ。ツクヨミの名の由来はジョクタとニャメの組み合わせである。ジョクタ+ニャメ=ジョクヤメ=ツクヨミとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天照大神誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」によって、オケアーニスたちが台湾に上陸すると、アミ族は彼らを仲間に迎えた。ニャメは、ドーリスと連合して「天照大神」を祀った。アマテラスの名の由来はニャメとドーリスの組み合わせである。ニャメ+ドーリス=ヤメドリス=アマテラスとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したギューゲースは、台湾に移住した。彼らは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「金山毘古神誕生」「金山毘売神誕生」「思金神誕生」

 

「ギガントマキア」ニ敗北したアルキュオネウスは、ニャメと混合して「カナヤマ」「オモイカネ」を成した。カナヤマ、オモイカネの名の由来はアルキュオネウスとニャメの組み合わせである。アルキュオネウス+ニャメ=キュオネヤメ=カナヤマとなり、ニャメ+アルキュオネウス=ヤメキュオネ=オモイカネとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万5千年前 「ヤペテ誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加して南極にやってきたニャメは、ヴィディエと連合して「ヤペテ」を生んだ。ヤペテはノアのことして知られているが、実際にはニャメとヴィディエの連合体である。ニャメ+ヴィディエ=ニャヴィデ=ヤペテとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ハイダ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したヤペテは、アメリカ北西部沿岸に入植した。ヤペテは現地人と混合して「ハイダ族」を生んだ。ヤペテ=ヤペイテ=ハイダとなる。以上、南北アメリカ大陸に残留を決めた人々は「文明放棄」の意志を頑なに守った。インディオたち(栄光の南極の種族の文明放棄組)は鉄、車輪の不使用を徹底させていたが、これは大陸規模の暗黙の了解であった。

 


■1万3千年前 「北狄誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したヤペテは、黒龍江に到達した。ヤペテは、内陸部に進出して蒙古に移り、入植した。ヤペテ族は、現地人と混合して「北狄(ベイディ)」を生んだ。ベイディの名の由来はヤペテである。ヤペテ=ヤベイディ=ベイディ(北狄)となる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「オマーン誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加して黒龍江に移住し、その後に「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住したイマナとニャメは、その後に、メソポタミアを離れ、アラビア半島に上陸した。彼らは、当地に「オマーン」と命名した。オマーンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマーナ=ヤマーナ=オマーンとなる。

 


■1万千5百年前 「ウンマ誕生」

 

アヌは、ニャメと組んでメソポタミアにシュメール都市国家「ウンマ」を築いた。ウンマの名の由来はアヌトニャメの組み合わせである。アヌ+ニャメ=アヌメ=アンメ=ウンマとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「太陽神アメン誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、アラビア半島の現オマーンを離れたイマナとニャメは、エジプトに進出して「太陽神アメン」を生んだ。アメンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマナ=ヤマナ=アメンとなる。アテナイ王国のサバニ人は、太陽神アメンに同行し、アナトリア半島に移住した。両者は、彼の地でタバル人と出会い、後に、神官都市「テーベ」を建設した。

 


■BC2134年 「エジプト第11王朝樹立」

 

太陽神アメンは、トバルカインと共に「エジプト第11王朝」を開き、人喰い人種スキタイ人の「エジプト第10王朝」と対立した。彼らは、この対決に勝利し、エジプトを再統一した。その時のファラオは、第11王朝のメンチュヘテプ4世であった。その後、太陽神アメンの王統を継ぐアメンエムハト1世が「エジプト第12王朝」を開いている。アメンの王統は、ヒクソスが登場するBC1663年まで続いた。

 


■BC1650年 「エジプト第17王朝成立」

 

「ヒクソス」がエジプトに出現すると、エジプト第14王朝は滅亡してしまった。その後、イマナのアメン神官団は、エジプトを離れてクレタ島に落ち延び、避難した。だが、ニャメのアメン神官団は、テーベを拠点に新規に「エジプト第17王朝」を開き、ヒクソス王朝に対抗した。

 


■BC945年 「アルメニア人誕生」

 

アラム人はサビニ人(サバエ人)と共にコーカサスに移住し、エジプトから亡命していたアメン神官団と連合体を築いた。それが「アルメニア人」である。アルメニアの名の由来はアラムとアメンの組み合わせである。アラム+イマナ(アメン)=アラマナ=アラマニア=アルメニアとなる。更に、アルメニア人の別称「ハヤ」の名の由来はサバエである。サバエ=サハヤ=ハヤとなる。だが、残念なことにアルメニア人はその後、タナトスに簒奪されてしまう。

 


■BC829年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC829年 「ヤマン誕生」「イエメン誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したアメン神官団は、アラビア半島に移住した。アメン神官団は「ヤマン」「イエメン」などの名を残した。ヤマン、イエメンの名の由来はいずれもアメンである。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動時代」

 


■AD531年 「ノバティア王国誕生」

 

「マクリア人の大移動時代」に参加した北狄は、モンゴルからヌビアに移住し、「ノバティア王国」を築いた。ノバティアの名の由来はヌビアと北狄(ベイディ)の組み合わせである。ヌビア+ベイディ=ヌビアティ=ノバティアとなる。

 


■AD641年 「ペチェネグ族誕生」

 

イスラム教がヌビアに伝えられると、マクリア、アルワ、ノバティアのキリスト教国はヌビアを脱出して一旦、中央アジアに集結した。ノバティア人は、マクリア人、アルワ人とは行動を異にし、焉耆(エンギ)の末裔袁氏と組んで「ペチェネグ族」を結成した。ペチェネグの名の由来は北狄(ベイディ)と袁氏(エンギ)の祖エノクの組み合わせである。ベイディ+エノク=ベイチェノク=ペチェネグとなる。ペチェネグ族は、強力な騎馬軍団としてハザール帝国、キエフ大公国、ビザンツ帝国などの名だたる強国と渡り合った。

 


■AD641年 「ヴェッティン家誕生」

 

一部のペチェネグ族は、中央アジアからヨーロッパに移住し、「ヴェッティン家」を形成した。ヴェッティンの名の由来は北狄(ベイディ)とエノクの組み合わせである。ベイディ+エノク=ベイディエノ=ヴェッティンとなる。ヴェッティン家は有力な諸侯としてザクセン、チューリンゲンを支配した。

 


■AD1094年 「山名氏誕生」

 

AD1094年にジャード朝が滅ぶと、アル・ヤマンの人々はジャード王家に同行し、日本に移住した。彼らは「山名氏」を生んだ。山名の由来はヤマンである。ヤマン=ヤマノ=山名となる。アル・ヤマンの人々は、新田義重に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「山名氏」の祖、山名義範である。

 


■AD12世紀 「ボヤジュ誕生」

 

その後、AD12世紀頃にペチェネグ族は分解し、バルカン半島に逃れた。彼らは「ボヤジュ」の名を生んだ。ボヤジュの名の由来はペチェネグである。ペチェネグ=ペイチェネグ=ペイチェ=ボヤジュとなる。

 


■AD1250年 「シュワルツネッガー誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は黒澤氏を同行させた。その後、黒海に入って中央アジアに上陸したスヴェルケル家は解散したペチェネグ族の残党と合体し、「シュワルツネッガー」を結成した。シュワルツネッガーの名の由来は、スヴェルケルとペチェネグの組み合わせである。スヴェルケル+ペチェネグ=スヴェルチェネグ=シュワルツネッガーとなる。この系統からは俳優アーノルド・シュワルツネッガーが輩出されている。

 


■AD1250年 「スフォルツァ誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は、黒澤と共にイタリアの地を踏み、現地人と混合して「スフォルツァ家」を形成した。スフォルツァの名の由来はシュワルツネッガーである。シュワルツネッガー=シュワルツェ=スフォルツァとなる。スフォルツァ家は、ヴィスコンティ家の配下から這い上がり、ミラノ公の地位を得た。

 


■AD1439年 「林氏誕生」

 

AD1439年、オスマントルコ帝国がセルビアに侵攻すると、ボヤジュを称する人々はセルビアを離れて日本に移住し、ボヤジュに漢字の「林」を当て字して「ハヤシ」を名乗っている。

 


■AD1535年 「沢辺氏誕生」「沢田氏誕生」「沢中氏誕生」

 

スフォルツァ家は、ミラノ公位喪失を機に、ミラノを離れて日本に移住した。イタリア人の顔をした彼らは、日本人と混合して「沢辺(スフォ+ペ)」「沢田(スフォ+チェ)」「沢中(スフォ+ネグ)」の名を育んだ。いずれの名もスフォルツァとペチェネグの組み合わせである。

 


■AD1535年 「川端氏誕生」「川中氏誕生」「川辺氏誕生」「川瀬氏誕生」「川田氏誕生」

 

托跋部と同盟していたペチェネグ族はスフォルツァ家から分離・独立を申し出、その代わりに、過去にウイグル・ヴァイキング時代に托跋部の同盟者であったカウィール家に接触した。両者は合体して5つの名を生んだ。いずれもカウィールとペチェネグの組み合わせである。「川端(カウィ+ペチェ)」「川中(カウィ+ネグ)」「川辺(カウィ+ペ)」「川瀬(カウィ+チェ)」「川田(カウィ+チェ)」となる。更に、川田からは「桑田」の名も派生している。この5つの姓を持つ人々は、日本人を人種母体に持ちながら、イタリア人、北欧人、マヤ人、中央アジア人など多様な民族の血を継承している。

 


■AD1615年 「ヤマナ族(ヤーガン族)誕生」

 

「大坂の陣」に参戦した山名尭政は、死去と見せかけ、代々の臣下であった八木氏と共に日本を脱出した。一行は、太平洋を越えてペルーに至るが、戦争に懲りた彼らは、争いの無い土地を目指して南米大陸を南下した。南アメリカ最南端に達した彼らは、フエゴ島に上陸した。
先住民であるセルクナム族と混合した彼らは「ヤマナ族(ヤーガン族)」を形成した。ヤマナの名の由来は山名であり、ヤーガンの名の由来は八木である。ヤギ=ヤーギン=ヤーガンとなる。ヤマナ族は、ウルトラマンのような、前衛的で奇抜なボディペイントで知られた謎の民族であった。しかし、現在では彼らは絶滅してしまった。或いは、ヤマナ族は日本に帰還しているのかもしれない。

 


■AD1826年 「ザクセン=コーブルク=ゴータ家誕生」

 

ヴェッティン家が生んだ、ヨーロッパ貴族の名家である。彼らは、タナトスの「顔」として利用されている。議会政府はタナトスの「声」であり、王族はタナトスの「顔」を司っている。つまり、王族としての権限はそれほどない。レオポルド2世のように、反逆すればたちまち消されるのだ。

 


■AD1835年 レオポルド2世、ベルギー王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。「コンゴ自由国」を建てた。

 


■AD1853年 ペドロ5世、ポルトガル王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1861年 フェルディナンド1世、ブルガリア王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1910年 ジョージ5世、イングランド王に即位 「ウィンザー家誕生」

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1910年 マザー・テレサ(アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)生誕

 


■AD1916年 小林正樹生誕

 


■AD1952年 エリザベス2世、イングランド女王に即位

 


■AD1938年 庭野日敬、長沼佼成と共に立教 「立正佼成会誕生」

 

彼らは、AD1930年の中国共産党の長征を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。教祖、庭野日敬の名の由来は「丹羽」だと考えられるが、信仰指導を担当した長沼妙校の姓「長沼」の由来は、イザナギとイザナミの組み合わせである。イザナギ+イザナミ=ナギナミ=長沼となる。
また、長沼妙校の「妙校」の名の由来は白山修験の明峰「妙高山」である。つまり、立正佼成会の基盤は白山修験によって形成された。この、庭野日敬、長沼妙校の先祖を含む白山修験の修験者集団は、AD1868年の「北越戦争」を機に日本を脱出して一時的に清治世下の中国に渡っていた。

 


■AD1931年 高林陽一生誕

 


■AD1938年 大林宣彦生誕

 

 

 

 

 


モディモの歴史

◆メーティス(モディモ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「モディモ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。モディモは川に住み、水生生活に特化していた。また、モリモは身長140cmだったが、モリモよりも大きな獲物をとることにより、身長は180cmにまでなった。彼らは、イラク人、イラン人、アラビア人の顔をしていた。

 


■30万年前 「メディナ誕生」

 

水生人として生きていたモディモは、南アフリカの海から紅海に入植した。この時に、彼らの生活圏は「メディナ」と呼ばれた。メディナの名の由来はモディモである。モディモ=モディノ=メディナとなる。

 


■30万年前 モディモ、黒海に移住

 

紅海から地中海に入り、黒海に入植したモディモは、水生人として暮らした。現在、現地人に「ルナンシャア」と呼ばれる半漁人が棲んでいるが、彼らはモディモの子孫の可能性がある。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「メーティス誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したモディモは、黒海からオーストラリア大陸に上陸すると、クリュテイオスと連合し「メーティス」を生んだ。メーティスの名の由来はモディモとクリュテイオスの組み合わせである。モディモ+クリュテイオス=モディオス=メーティスとなる。その後、メーティスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アドメテー誕生」

 

オーストラリアに生まれたメーティスは、イデュイアと組んで「アドメテー」を生んだ。アドメテーの名の由来はイデュイアとメーティスの組み合わせである。イデュイア+メーティス=イデュメーティ=アドメテーとなる。その後、アドメテーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「メドゥーサ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したメーティスは、ケルケイースと共にオーストラリアから黒海に移った。彼らは黒海沿岸に都市を建設したが、タナトスに簒奪されてしまう。タナトスが支配するメーティスの都市は恐ろしい惨劇の舞台となり、「メドゥーサ」と呼ばれた。メドゥーサの名の由来はメーティスである。メーティス=メディース=メドゥーサとなる。その後、ケルケイースの都市ゴルゴンと共にタナトスに簒奪されたメドゥーサの都市は、不名誉なことに、魔物ゴルゴン、怪物メドゥーサとしてギリシア神話に記される。

 


■7万年前 「第1次アルゴスの大航海時代」

 


■7万年前 「大年神誕生」

 

「アルゴスの大航海時代」に参加したメーティスは、アドメテー(但馬国)とティアマト(大和国)が住む日本に上陸し、後に「出雲国」と呼ばれる土地に拠点を得た。彼らは、現地人と混合して「大年神」を祀った。大年(オオトシ)の名の由来はメーティスである。メーティス=エーティス=大年(オオトシ)となる。

 


■7万年前 「第2次アルゴスの大航海時代」

 


■7万年前 「マティス族誕生」

 

「アルゴスの大航海時代」に参加して黒海沿岸を訪れた英雄ペルセウスがタナトスを皆殺しにすると、解放されたメーティスとケルケイースは「アルゴスの大航海時代」に参加した。メーティスは台湾に上陸し、一部は遠くアマゾンにまで足を伸ばし、「マティス族」を生んでいる。マティスの名の由来はメーティスである。マーティス=メティス=マティスとなる。

 


■4万年前 「ヒッポダメイア誕生」「ティエステス誕生」

 

台湾からオーストラリアに移住したメーティスは、アトランティス王国の王族「ヒッポダメイア」と「ティエステス」を生んでいる。ティエステスの名の由来はクリュテイオスとメーティスの組み合わせであり、ヒッポダメイアの名の由来はヒッポー、ロディア、メーティスの組み合わせである。クリュテイオス+メーティス=テイオスティス=ティエステスとなり、ヒッポー+ロディア+メーティス=ヒッポディアメー=ヒッポダメイアとなる。ティエステスはヒッポダメイアの王子である。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「テシュプ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したメーティスは、アプスーの拠点である黒海に入植した。メーティスは、アプスーと連合し、「テシュプ」を生んだ。テシュプの名の由来はメティスとアプスーの組み合わせである。メティス+アプスー=ティスアプー=テシュプとなる。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「マツヤ族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したテシュプは、エニセイ河に進出し、南下してインド北部に「マツヤ族」を生んだ。マツヤの名の由来はメーティスとイデュイアの組み合わせである。メーティス+イデュイア=メーティイア=メチ=マツヤとなる。その後、マツヤ族はアーリア人の集団に参加した。

 


■BC1027年 「ダルマチア誕生」

 

「十王戦争」を機に、イランを脱出したマツヤ族とドルヒユ族は、アドリア海に落ち着いて「ダルマチア」を称した。ダルマチアの名の由来はドルヒユとマツヤの組み合わせである。ドルヒユ+マツヤ=ドルマツヤ=ダルマチアとなる。BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「タリム誕生」

 

BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「多摩誕生」

 

キンメリア人などの勢力が強まると、をダルマチア人はタリム盆地から日本に移住した。日本ではダルマチア人は一時的に解散し、テラは「登呂」を建設し、マツヤ族は「多摩」を築いた。多摩の名の由来はモディモである。モディモ=モティモ=多摩となる。

 


■BC6世紀 「マツヤ王国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に刺激を受けたダルマチア人は、日本を離れてインドに入植した。この時にマツヤ族は「マツヤ王国」を建てた。テラはマツヤ王国に参加していた。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「マー(マーメイド)誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族は、アイルランドで水生生活に戻った。この時に「マー」と呼ばれた。マーの名の由来はモディモである。モディモ=モーディモ=モー=マーとなる。女性はマーメイド、男性はマーマンと呼ばれた。

 


■BC552年 「タラスカ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、次にメキシコに上陸すると、「タラスカ」を築いた。タラスカの名の由来は登呂と望月の組み合わせである。トロ+モチヅキ=トロツキ=タラスカとなる。

 


■BC552年 「モズナ誕生」

 

メディア人は「モズナ川」に拠点を得た。モズナの名の由来はメディーナである。メディーナ=メディナ=モズナとなる。

 


■BC3世紀 「モチェ文化誕生」

 

「ガスコン人の大航海時代」に参加したマツヤ族は、タラスカを離れ、マヤを通過してペルーに居を定めた。マツヤ族は「モチェ川」に拠点を得た。モチェの名の由来は松屋である。マツヤ=マチャ=モチェとなる。マツヤ族は、モチェ川を舞台に「モチェ文化」を牽引することとなる。この時に、マーも一緒にカリブ海に移住している。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「望月氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマツヤ族は、太平洋を横断して房総半島に上陸し、諏訪国に入植した。マツヤ族は諏訪国に「望月氏」を生んだ。望月の名の由来は「メーティスキ(メーティスの人)」である。メーティスキ=メチスキ=望月となる。

 


■AD8世紀 「ユナイタマ誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマーは、現沖縄県宮古島市下地島に移住した。彼らは「ユナイタマ」と呼ばれた。ユナイタマの名の由来は「海(ユナイ)のモディモ」である。ユナイ+モディモ=ユナイディモ=ユナイタマとなる。

 


■AD8世紀 「アカマタ誕生」「クロマタ誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマーは、八重島諸島に移住した。水生人として暮らした彼らは、現地人に「アカマタ」「クロマタ」と呼ばれた。マタの名の由来はモディモである。モディモ=モディ=モテ=マタとなる。人魚神社の祭儀は、部外者の立ち入り禁止、写真撮影ご法度と、秘密結社並みの秘密主義に貫かれている。AD1968年には、殺人事件も起きているほどだ。現地人は、先祖を守るために必死なのだろう。このような人としての美徳、崇高な発想は、資本主義社会では理解されない。

 


■AD1430年 海人、オランダ人に捕獲される

 

AD1430年、オランダでひどい嵐により堤防が破壊された。翌日、乳絞りの娘が海に沈んだ牧場を通りかかると、水は引いていた。だが、泥の中に「海の女」が見えた。娘は、その女を街に連れていき、着物を着せて食物を与えた。人々は女に糸の紡ぎ方を教え、ハーレムに住まわせた。女は数年生きていたが、言葉を習得できず、水に惹かれる本能を持ち続けたという。

 


■AD1531年 海人、ポーランド人に捕獲される 「海の司教誕生」

 

AD1531年、闘争に疲れて水生生活を送っていたプロイセン人のひとりが、ポーランドで捕獲された。彼は「海の司教」と呼ばれた。記録によれば、海の司教は国王の元に運ばれたが、海に帰りたいというジェスチャーをした。ポーランド人は彼を海辺に導くとただちに海中に身を投じて見えなくなったという。

 


■AD1671年 海人、マルティニック島に出現

 

男の海人が出現し、黒人奴隷が網で捕獲を試みている。

 


■AD1758年 海人、フランス人に捕獲される

 

フランスで捕獲された水生人の女性は、大きな水槽に飼われていて、食事、水中での生活、特に性器が非常に良く観察され、詳細に報告されている。しかし、女の下半身は鱗で覆われた魚の尻尾だったという。尻尾以外の観察は詳細であるにもかかわらず、尻尾の部分は付け足された感がある。後世に付け加えられた可能性がある。

 


■AD1768年 海人、西インド諸島で目撃される

 

スペイン人の水夫が女の海人を目撃している。

 


■AD1950年 ナレンドラ・モディ生誕

 

第18代インド首相に就任している。

 


■AD1964年 望月峯太郎生誕

 

望月峯太郎のデビュー作は、トップスイマーを夢見る少年が主人公の、少々シュールな「バタアシ金魚」だった。

 


■AD1964年 逆柱いみり(望月勝広)生誕

 

逆柱いみりの主人公は、大概、知らない土地を散歩をしているが、海中を漂っていることがある。「はたらくカッパ」などがある。

 


■AD1970年代~ 水死者の霊?

 

水生生活をやめ、地上に上陸した人々を「35の異なる人類」としてカウントしているわけだが、もし、その後も、そのまま水生生活を続けている種族がいるとすれば、知られざる人類が大海の片隅のどこかに暮らしていることになる、そのような、知られざる人類がいるのかもしれない。そうだとすれば、異なる人類はもっと増えることになるだろう。
もし今でもまだ水生生活をしている人々がいるとしたら、彼らは今、どんな姿をしているだろう?時折、「半魚人が出た」などとオカルト界隈で騒がれることがある。だが、その半魚人らは、もしかしたら水生人の成れの果てなのかもしれない。
例えば、怪談話で、ひとりで夜釣りしていたら海面から無数の手が出た、海面に浮かぶ無数の顔がこっちを見た。泳いでいたら足を引っ張られた、それで誰かが死んだ、などの話も良く聞かれる。だが、それらは水生人の仕業かもしれない。イルカのように完全な魚の姿をしていない彼らは、アザラシやペンギンのように、寝るときは陸上で寝る習慣があるのだろう。しかし、人がいては寝られない。ということで霊のふりをして、釣り人を脅かし、追い払っているのだ。
また、足を引っ張って脅すくらいはいいが、人を殺すとなると、これは尋常ではない。だが、タナトスの化学企業が垂れ流す農薬やゴルフ場に撒かれる除草剤に汚染された水によって、彼らの生活圏が破壊されているとしたら…、それが原因で顔が崩れた水生人を目撃して霊だ!とか、半魚人だ!と騒いでいるのかもしれない。つまり、足を掴んで溺れさせるなどの殺人行為は、彼らにとっては復讐なのだ。点が線で結ばれる試みがされなかっただけである。いろいろな報告がある以上、「彼らを見ていないから彼らは存在しない」ということにはならない。 

 

 

 

 

◆マダイ(アドメテー)の歴史

 


■30万年前 「アドメテー誕生」

 

ミマースとクリュテイオスの合体部族メーティスは、イデュイアと組んで「アドメテー」を生んでいる。アドメテーの名の由来はイデュイアとメーティスの組み合わせである。イデュイア+メーティス=イデュメーティ=アドメテーとなる。その後、アドメテーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「ティアマト誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加した一部アドメテーは、ヨーロッパには移らず、古代日本に入植した。この時に「ティアマト」が生まれた。ティアマトの名の由来はヴィディエとメーティスの組み合わせである。ヴィディエ+メーティス=ディエメーテ=ティアマトとなる。

 


■30万年前 「綿津見神誕生」

 

但馬国に入植したアドメテーは、ヤマトに赴いてティアマトと連合し「綿津見神」を生んだ。ワタツミの名の由来はアドメテーとティアマトの組み合わせである。アドメテー+ティアマト=アドティアマ=アドチャマ=ワタツミとなる。綿津見は「但馬国」の語源となる。ワタツミ=ワダチマ=但馬となる。綿津見神は但馬国に住み、海宮神(わたつみかみのみや)の国は但馬国にあった。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天宇受売命誕生」

 

イデュイアが指揮するアドメテーは「アルゴス号の大航海時代」に参加したが、メーティスが指揮するアドメテーは、逆に台湾に上陸した。台湾先住者のアミ族(ニャメ)とバブサ族(エバシ)は彼らを仲間に迎えた。アドメテーは、イマナと連合して「天宇受売」を生んだ。アメノウズメの名の由来はイマナとアドメテーの組み合わせである。イマナ+アドメテー=イマナアゾメテ=アメノウズメとなる。

 


■4万年前 「アンドロメダ誕生」

 

高天原を離れたアドメテーは東南アジア(エチオピア王国)に移住し、マイアンドロスと組んで「アンドロメダ」を生んだ。アンドロメダの名の由来はマイアンドロスとメーティス(アドメテーの祖)の組み合わせである。マイアンドロス+メーティス=アンドロメーティ=アンドロメダとなる。アンドロメダはエチオピア王国の王女として知られている。

 


■4万年前 「メトセラ誕生」

 

エチオピア王国にアンドロメダを生んだアドメテーは、更にエチオピア王国を築いたエウローペーと組んで「メトセラ」を生んだ。メトセラの名の由来はメーティス(アドメテーの祖)とアシェラーフ(エウローペーの祖)の組み合わせである。メーティス+アシェラーフ=メーティシェラ=メトセラとなる。

 


■4万年前 「アトランティス人の大航海時代」

 


■4万年前 「思慮の女神メティス誕生」

 

「アトランティス人の大航海時代」に参加したメトセラは、エジプトに上陸し、オリンポス神族に加わった。ギリシア侵攻時、メトセラは「女神メティス」を称した。メティスの名の由来はメーティスである。メティスはゼウスと結婚したが、神々の結婚は、優れた部族の連合・同盟を意味している。

 


■4万年前 「クロマニョン人の大航海時代」

 


■3万年前 「ティアワナク誕生」

 

「クロマニョン人の大航海時代」に参加したメトセラは、ペルーに拠点を得た。当地は「ティアワナク」と呼ばれた。ティアワナクの名の由来はメーティス、イデュイア、エノクの組み合わせである。メーティス+イデュイア+エノク=メーテイアエノク=ティアワナクとなる。また、ティアワナクは「ティル・ナ・ノーグ」としてアイルランド神話に語り継がれている。ティアワナク=ティア・ワ・ナーク=ティル・ナ・ノーグとなる。
エノクとメトセラは、アンデスを越えてアマゾン流域に下ると、雨季になると広大な森林地帯が氾濫したアマゾン河の水底に沈むモホス平原を発見する。この神秘の平原に魅せられたエノクは、モホス平原に定住を試みることで文明の発想を得た。文明の基幹産業である農業や魚の養殖に開眼すると共に、用水路、運河、排水設備建設の必要性に気付いたのだ。それに伴って、土木・建築技術が向上し、計画的な都市建設が可能になった。
アマゾン上流域に位置するモホス文明は、ティアワナクと共に常世の国「ティル・ナ・ノーグ」と呼ばれた。ティル・ナ・ノーグは、高天原、エティオピア王国や、オーストラリアの国々(ピサ王国、テュロス王国、アトランティス王国)とも交易を行っていた。ティル・ナ・ノーグは、「ハイ・ブラジル」とも呼ばれている。ブラジルの名は、もっと後世になって生まれたものだ。

 


■1万3千年前 「エノスの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ニジェール誕生」

 

「エノスの大航海時代」に参加したメトセラは、南極大陸から大西洋を横断し、西アフリカに入植した。メトセラはエノスと組んで拠点を「ニジェール」と呼んだ。ニジェールの名の由来はエノスとメトセラの組み合わせである。エノス+メトセラ=ノスセラ=ノスエラ=ニジェールとなる。

 


■BC7千5百年 「ナザレ誕生」

 

その後、ニジェール人は更に北上し、現イスラエルに入植した。この時に「ナザレ」が生まれた。ナザレの名の由来はニジェールである。ニジェール=ニジエラ=ナザレとなる。その後、ナザレ人はメソポタミアに渡った。

 


■BC7千5百年 「マダイ誕生」

 

メソポタミアに入植したナザレ人は、ヤペテの子として知られる「マダイ」を生んだ。マダイの名の由来はアドメテーである。アドメテー=アドメテイ=マダイとなる。つまり、マダイはメーティスが主導していた。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ヌミディア誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したマダイは、北アフリカに入植し「ヌミディア」を生んだ。ヌミディアの名の由来はカナンとマダイの組み合わせである。カナン+マダイ=ナンマダイ=ヌミディアとなる。

 


■BC5千年 「セネガル人の大航海時代」

 


■BC5千年 「異界の王ミディール誕生」「ネメズ族誕生」

 

「セネガル人の大航海時代」に参加したニヌミディア人は「ネメズ族」を結成し、一方でエロス(アムル人)と組んで「異界の王ミディール」を祀っている。ヌミディア=ヌミジ=ネメズとなり、マダイ+エロス=マダイエロ=ミディールとなる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「テッサリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したマダイは、古代ギリシアに上陸して「テッサリア」の地を得た。メトセラ=メトッセリア=テッサリアとなる。

 


■BC344年 「タジク人誕生」

 

マケドニア王フィリップがテッサリア同盟の盟主となると、テッサリア人は中央アジアに向かった。彼らは「タジク人」になった。タジクの名の由来は「テッサキ(テッサリアの人)」である。テッサキ=テザキ=タジクとなる。

 


■AD114年 「ポントス人の大航海時代」

 


■AD114年 「多治比氏誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したタジク人は、日本に移住して「多治比氏」を生んだ。多治比氏の名の由来はタジクである。タジク=タジフ=多治比となる(ハ行はカ行を兼ねる法則)。

 


■AD941年 「第1次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD941年 「タヒチ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加した多治経明は、太平洋に「タヒチ」を発見し、入植した。タヒチの名の由来は多治比である。多治比=タヒジ=タヒチとなる。

 


■AD11世紀 「第2次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「勅使河原氏誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したタヒチ人は、平安時代末期の日本に帰還した。彼らは、武蔵国に上陸した。タヒチ人は先祖である多治の名を由来に「勅使河原」を称した。多治(タジ)+河原=タジ河原=勅使河原となる。

 


■AD11世紀 「デラ・トーザ誕生」「トスカーナ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したタヒチ人は、神聖ローマ帝国治世下にあったイタリア半島に上陸した。ポリネシア人の顔をした彼らは、イタリア人と混合し、多治を由来に「デラ・トーザ家」を形成した。彼らは上陸した土地を「トスカーナ」と命名した。デラトーザの名の由来は平(タイラ)と多治の組み合わせである。タイラ+タジ=ダイラ+タージ=デラ・トーザとなる。また、トスカーナの名の由来はタジクである。タジク=タジカーナ=トスカーナとなる。

 


■AD1569年 「手塚氏誕生」

 

メディチ家のコジモ1世が、AD1569年に「トスカーナ大公国」の大公に就任すると、オリジナルの「トスカーナ」を築いたデラ・トーザ家は不満を持ち、日本への帰還を試みた。戦国時代が続いていた日本に上陸したデラ・トーザ家は「手塚」を生んだ。手塚の名の由来はトスカーナである。

 


■AD1856年 ニコラ・テスラ生誕

 

テスラの名の由来はテッサリアである。テッサリア=テサラ=テスラとなる。

 


■AD1927年 勅使河原宏生誕

 


■AD1928年 手塚治虫生誕

 


■AD1961年 手塚眞生誕

 

 

 

 

◆メディア(アドメテー)の歴史

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「メディア人誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したアドメテーは、オビ河流域に入植した。その後、南下したアドメテーは、現地人と混合して「メディア人」を生んだ。メディアの名の由来はメーティスとヴィディエの組み合わせである。メーティス+ヴィディエ=メーディエ=メディアとなる。

 

 

■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ミディアン誕生」

 

メディア人は、司神タナトスと連合し「ミディアン」と呼ばれた。ミディアンの名の由来はメディアとディオーネーの組み合わせである。メディア+ディオーネー=メディオネ=ミディアンとなる。士師の時代、ミディアン人はギデオンに歯向かったが、皆殺しにされた。

 


■BC1700年 「ミタンニ王国誕生」

 

ミディアン人(司神タナトス)は、「アルマゲドン」によってモンゴルを追われ、中央アジアにやってきた預言者ナタンの残党と遭遇する。すると、司神タナトスは彼らが家族であることを知り、すぐに連合し、「ミタンニ人」に加えた。ミタンニの名の由来はメディアとディオーネーの組み合わせである。メディア+ディオーネー=メディオーネー=メテオンネ=ミタンニとなる。

 


■BC700年 ディオケス、初代メディア王に即位 「メディア王国誕生」

 

初代王ディオケスの名の由来はヴィディエである。キュアクサレス王の時、メディア王国は新バビロニア帝国と組んで古代オリエントに君臨したアッシリア帝国を撃破した。BC612年のことである。

 


■BC552年 「サルマタイ人誕生」

 

メディア王国が滅ぶと、メディア人は中央アジアに向かった。彼らは「サルマタイ人」になった。サルマタイの名の由来はメトセラ(メーティス+アシェラーフ)である。アシェラーフ+マダイ(メーティス)=シェラマダイ=サルマタイとなる。サルマタイ人の詳細は不明だが、彼らはフン族が登場した頃に新天地を求めて北東に移住している。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「ミード誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族は、現地人と混合して「ミード」を築いた。ミードの名の由来はメーティスである。メーティス=メーディ=ミードとなる。

 


■BC3世紀 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC3世紀 「モチェ文化誕生」

 

「ガスコン人の大航海時代」に参加したマツヤ族は、タラスカを離れ、マヤを通過してペルーに居を定めた。マツヤ族は「モチェ川」に拠点を得た。モチェの名の由来は松屋である。マツヤ=マチャ=モチェとなる。マツヤ族は、モチェ川を舞台に「モチェ文化」を牽引することとなる。この時に、マーも一緒にカリブ海に移住している。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「望月氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したマツヤ族は、太平洋を横断して房総半島に上陸し、諏訪国に入植した。マツヤ族は諏訪国に「望月氏」を生んだ。望月の名の由来は「メーティスキ(メーティスの人)」である。メーティスキ=メチスキ=望月となる。

 


■AD1360年 「メディチ家誕生」

 

AD1335年の「中先代の乱」を機に、望月氏が諏訪国を出てペルーのモチェ流域に帰還した。その後、望月氏は更に大西洋を超えて地中海に入り、ルネサンス前期のイタリア半島に侵入した。望月氏は、AD1360年にメディチ家の祖であるジョヴァンニ・ディ・ビッチを誕生させた。メディチの名の由来は「メーティスキ(メーティスの人)」である。メーティスキ=メーディジ=メディチとなる。
メディチ家には「コジモ」「コジマ」などのファーストネームが多く見受けられるが、これは「鹿島」の名に因んでいる。つまり、メディチ家=望月氏である。望月氏は、「鹿島神社」を創建した同盟者コサ族(アクスム人)の名に因んで「コジモ」の名を継承し続けた。AD1569年、コジモ1世が「トスカーナ大公国」の初代大公に就任している。

 


■AD1569年 コジモ1世、トスカーナ初代大公に就任 「トスカーナ大公国誕生」

 

AD1569年、コジモ1世が「トスカーナ大公国」の初代大公に就任している。コジモの名の由来は鹿島(アクスム)である。かしま=カジマ=コジモとなる。

 


■AD1831年 「青年イタリア誕生」

 

マツヤ族の後裔であるジュゼッペ・マッツイーニがカルボナリに限界を感じたため、新規に秘密結社を結成した。彼らはメディチ家の子孫であるため、イタリアにこだわった。マッツイーニの名の由来はマツヤである。マツヤ=マツヤーニ=マッツイーニとなる。

 


■AD1902年 トイエン(マリー・チェルミノヴァ)生誕

 


■AD1964年 鶴見済生誕

 

 

 

 

◆大和(ティアマト)の歴史

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「ティアマト誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加した一部アドメテーは、ヨーロッパには移らず、古代日本に入植した。この時に「ティアマト」が生まれた。ティアマトの名の由来はヴィディエとメーティスの組み合わせである。ヴィディエ+メーティス=ディエメーテ=ティアマトとなる。

 


■30万年前 「大和国誕生」

 

ティアマトは日本上陸後、畿内に「大和国」を築いた。ヤマトの名の由来はティアマトである。ティアマト=アマト=ヤマトとなる。「大和」の漢字表記は、魏・呉・蜀の三国時代まで待たねばならない。

 


■30万年前 「大綿津見神誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「大綿津見神」が誕生した。「大綿津見神(オオワタツミ)」の名の由来はアドメテーとティアマトの組み合わせである。アドメテー+ティアマト=アドティアマ=アドチャマ=ワタツミとなる。

 


■30万年前 「大山津見神誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「大山津見神」が誕生した。「大山津見神誕(オオヤマツミ)の名の由来はクリュメネーとティアマトの組み合わせである。クリュメネー+ティアマト=ユメティアマ=ユメチャマ=ヤマツミとなる。

 


■30万年前 「宇迦之御魂神誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「宇迦之御魂神」が誕生した。「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」の名の由来はオケアーノスとエウリュノメーとティアマトの組み合わせである。オケアーノス+エウリュノメー+ティアマト=オケノメーティアマ=ウカノミタマとなる。

 


■30万年前 「豊玉毘売命誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「豊玉毘売命」が誕生した。「豊玉毘売命(トヨタマ)」の名の由来はテテュスとティアマトの組み合わせである。テテュス+ティアマト=テエテティアマ=テイティアマ=トヨタマとなる。

 


■30万年前 「玉依毘売命誕生」

 

オケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「玉依毘売命」が誕生した。「玉依毘売命(タマヨリ)」の名の由来はティアマトとエウリュノメーの組み合わせである。ティアマト+エウリュノメー=ティアマエウリュ=タマヨリとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「日子穂穂手見命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が東南アジアに到達すると、ティアマトは日本から台湾に移住した。この時に、彼らは「日子穂穂手見命」を生んだ。穂穂手見(ホホデミ)の名の由来はオケアーニスに属するヒッポーとティアマトの組み合わせである。ヒッポー+ティアマト=ヒッホティアマ=ヒホタマ=ホホデミとなる。

 


■7万年前 「天布刀玉命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が東南アジアに到達すると、ティアマトは日本から台湾に移住した。ティアマトは台湾に「天布刀玉」を生んだ。天布刀玉(アメノフトタマ)の名の由来はイマナ、ヴィディエ、ティアマトの組み合わせである。イマナ+ヴィディエ+ティアマト=アマナヴィデティアマ=アメノフトタマとなる。

 


■7万年前 「テテュス誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が東南アジアに到達すると、ティアマトは日本から台湾に移住した。ティアマトは、クリュテイオスと組んで「テテュス」を生んだ。テテュスの名の由来はティアマトとクリュテイオスの組み合わせである。モディモ+クリュテイオス=ディテイオス=テテュスとなる。

 


■1万3千年前 「縄文人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「大日本彦(イ徳天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエーと組んで「大日本彦」を生んだ。大日本彦の名の由来はオーキュロエーとティアマトの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト=オーアマト=大日本(おおやまと)となる。大日本彦は、「イ徳天皇」として天皇に即位している。

 


■1万3千年前 「大日本根子彦(孝霊天皇、孝元天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「大日本根子彦」を生んだ。大日本根子彦の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーアマトニコ=大日本根子(おおやまとねこ)となる。大日本根子彦は、「孝霊天皇」「孝元天皇」として天皇に即位している。

 


■1万3千年前 「稚日本根子彦(開化天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「稚日本根子」を生んだ。稚日本根子の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーキュアマトニコ=稚日本根子(わかやまとねこ)となる。稚日本根子彦は、「開化天皇」として天皇に即位している。

 

 

■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千2百年前 「神々の集団アヌンナキ誕生」

 


■BC7千2百年前 「原初の水ティアマト誕生」

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加して、モンゴルからメソポタミアに移ると、「アプスー」となる蝦夷(えびす)と共に黒海に入植し、「ティアマト」を復活させた。アプスーとティアマトはメソポタミア神話で原初の水として知られている。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大移動時代」

 


■BC7世紀 「大和国誕生」

 

「フェニキア人の大移動時代」に参加したティアマトは、メソポタミアを離れて日本に帰還し、「大和国」を再建した。

 


■BC473年 「大和朝廷誕生」

 

呉がBC473年に滅ぶと、呉(多氏)は日本に帰還した。彼らは大和国に移住してティアマトと組み、「大和朝廷(前身)」を作った。その後、BC222年に滅んだ魏(倭人)が、大和国を訪れれて初めて「大和朝廷」が誕生する。大和の漢字表記の由来は、大(多)と和(魏)の組み合わせである。大和国は、古来から「ヤマト」と呼ばれていたが、「大和」の漢字表記はこの時が最初である。

 


■BC330年 「ペルシア人の大移動時代」

 


■BC330年 「山田氏誕生」

 

ペルシア帝国が滅ぶと、ティアマトの種族はアケメネス家と共に日本にやってきた。イラン人の顔をした彼らは、現地人と混合して「山田氏」を成した。山田の名の由来はティアマトである。ティアマト=ティヤマダ=山田となる。「山田」の名は、しばしば茶化されることがあるが、結構古い、由緒ある名前である。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「タイム家誕生」

 

アレキサンダー大王の侵攻から逃れてアラビア半島に上陸したティアマトの種族は、現地人と混合して「タイム家」を築いた。タイムの名の由来はティアマトである。ティアマト=テイアマ=タイムとなる。クライシュ族に属したタイム家からは、初代カリフに即位したアブー・バクルが輩出されている。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「デヴォン誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した大和人は、ブリテン島に上陸し、「デヴォン」を築いた。デヴォンの名の由来は「大和」の音読み「だいわ」である。だいわ=ダイワン=デヴォンとなる。大和人は、みな、現地人のファーストネームで呼び合い、「さん」付けをした。例として、リチャードを称した大和人は仲間に「リチャードサン」と呼ばれた。これが後に「リチャードソン」となる。ジョンソン、ロビンソンなどの名も、みなそうして生まれた。
ただ、「大和人」とひとことで言っても、実にいろんな種族が参加していた。だが、ブリテン島での「さん」付けで名前のトラッキングは途絶えてしまった。ただ、「ソン」が付く人々からは優れた人が多く生まれている。イギリス、アイスランド、スウェーデンでは「SON」であり、デンマーク、ノルウェーでは「SEN」と変遷が加えられている。

 


■AD717年 サンジャヤ、初代王に即位 「マタラム王国誕生」

 

「大和人の大航海時代」の西方組に参加した大和人は、ジャワに上陸した。大和人は、葛城氏と共に「マタラム王国」を築いた。マタラムの名の由来はヤマト(ティアマト)とローマ(葛城)の組み合わせである。ティアマト+ローマ=マトロマ=マタラムとなる。なぜ、ローマの名が出てくるかといえば、葛城氏が、かの「ユリウス家」の出だからだ。AD68年、日本を訪れたユリウス家は、カエサルの名を由来に「カエサルの城」を意味する「葛城」の名を称した。カエサル+城=カサル+城=葛城となる。

 


■AD1490年 アーマド・ニザーム・シャー1世、初代王に即位 「アーマドナガル王国誕生」

 

ジャワを拠点に活動していた大和は、「ヴィジャヤナガル」のアンコール人と共にインドに移住した。AD1490年頃、「バフマニー朝」が崩壊した隙を見計らい、両者は自身の王国を開いた。アーマドナガルの名の由来はティアマトとアンコールの組み合わせである。ヤマト+アンコール=ヤーマトナコル=アーマドナガルとなる。

 


■AD1636年 「山田氏誕生」

 

AD1636年、ムガール帝国の侵攻を機に、「アーマドナガル」が滅亡すると、大和人とアンコール人の連合体は、インドを離れて江戸幕府治世下の日本に移住した。大和人は「山田氏」を生み、アンコール人は「名倉」を生んだ。山田の名の由来はティアマト、名倉の名の由来はナガルである。

 


■AD1636年 ディマデ、ゲルゲル王に即位

 

AD1636年、ムガール帝国の侵攻を機に、「アーマドナガル」が滅亡すると、大和人ディマデの名の由来はティアマトである。ティアマト=ティアマデ=ディマデとなる。

 


■AD1651年 「オラン・イカン(他称)誕生」

 

ディマデ王の時代、クーデターが起きたため、ディマデ王の子息デワ・アグン・ジャンベは「クルンクン王国」を建てたが、ディマデ王は死んだことにして、水生生活に戻ったと考えられる。インドネシアでは、「オラン・イカン」と呼ばれる水生人が目撃されている。

 


■AD1913年 ヴェラ・クルーゾー(ヴェラ=ギブソン・アマド)生誕

 


■AD1931年 山田洋次生誕

 


■AD1936年 ジョー・ダマト生誕

 


■AD1963年 NOKKO(山田信子)生誕 「レベッカ誕生」

 


■AD1964年 MASAKI(山田雅樹)生誕 「フラットバッカー誕生」「EZO誕生」

 

 

 

 

 

◆伊達氏(テテュス)の歴史

 


■7万年前 「テテュス誕生」

 

モディモは、クリュテイオスと組んで「テテュス」を生んだ。テテュスの名の由来はモディモとクリュテイオスの組み合わせである。モディモ+クリュテイオス=ディテイオス=テテュスとなる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したウラヌスは、テテュスと連合して「ティタン神族」を生んでいる。ティタン(ティタヌス)の名の由来はテテュスとウラヌスの組み合わせである。テテュス+ウラヌス=テテヌス=ティタヌス=ティタンとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「豊玉毘売命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が、東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「豊玉毘売命」が誕生した。「豊玉毘売命(トヨタマ)」の名の由来はテテュスとティアマトの組み合わせである。テテュス+ティアマト=テエテティアマ=テイティアマ=トヨタマとなる。

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「ディジリデュー誕生」

 

「ティタノマキア」に敗北したティタン神族だったが、ゼウスのおかげでクロノスの支配から解放されたティタン神族は、ピサ(オーストラリア北西部)やアトランティス(オーストラリア南部)で製鉄を始めた。その痕跡は、アトランティス滅亡、大地殻変動時代に洗い流されたが、製鉄技術はデウカリオンが亡命しげたメソポタミアに伝えられ、ヒッタイト帝国時代になって復活している。オーストラリア時代に使用されていたふいごは、後に、楽器に転化し、アボリジニの伝統楽器ディジリデューに姿を変えている。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「叡智の神トート誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加してメソポタミアに到達したデウカリオンは、その後、エジプトに上陸した。この時に「叡智の神トト」が生まれた。トートの名の由来はティタンである。ティタン=ティータ=トートとなる。彼らは製鉄の種族タタでもある。

 


■BC5千年 「ヒッタイト人誕生」

 

「第1次北極海ルート時代」に参加したハッティ人は、シベリアから南下し、製鉄の種族として古代オリエント地域で活動していたタタと出会い、連合体を築いた。それが「ヒッタイト人」である。ヒッタイトの名の由来はハッティとティタンの組み合わせである。ハッティ+ティタン=ハッテイタ=ヒッタイトとなる。古代タルタロス(オーストラリア)で製鉄を営んでいたティタン神族は、アナトリアで製鉄技術を発展させたため、「ヒッタイト帝国」は鉄器を振るい、最強の古代軍事国家として繁栄した。

 


■BC1900年 「ヒッタイト帝国誕生」

 

製鉄の種族タタを味方に付け、鉄器という武器を得たハッティ人の帝国は、エジプト王国に匹敵する大帝国としてオリエント地域に覇を唱えた。

 


■BC1200年 「ベーシュタード王国誕生」

 

ヒッタイト帝国が滅ぶと、彼らはトゥルシア人の援助により、イランに亡命を果たした。ヒッタイト人を解散したタタは、パルシュ族と連合して「ベーシュタード王国」を建設した。ベーシュタードの名の由来はパルシュとティタン(タタ)の組み合わせである。パルシュ+ティタン=パーシュ+テイタ=ベーシュタードとなる。
当時、イランには「至高神ズルヴァーン」が治める国があり、イランの東のインダス流域には善神デーヴァの国「第2代テーバイ王国」が栄えており、またその隣のインドには「雷神神インドラ」を祀る「アーンドラ人」が君臨し、またその隣のガンジス流域には、クウォスのトバルカイン「クル族(プール族)」が指揮する「アーリア人」の一団が暮らしていた。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 ティタン神族、イランに残留

 

「マハーバーラタ戦争」が起き、パンジャブ、インダス流域が核兵器によって荒廃すると、多くの人々は「ベーシュタードの大航海味代」に参加して故地を後にした。だが、ティタン神族(タタ)、カンボージャ人、ブリグ族、パルシュ族、クル族、アリナ族、バラーナ族がイランに残留している。彼らが「ペルシア帝国」の礎を築くことになる。

 


■BC525年 「ペルシア帝国誕生」

 


■BC330年 「ペルシア人の大移動時代」

 


■BC330年 「タタール人誕生」

 

ペルシア帝国滅亡を機に、イランからモンゴルに移住したアーリア人とタタは、現地人と混合して「タタール人」を成した。タタールの名の由来はタタとアーリアの組み合わせである。タタ+アーリア=タターリア=タタールとなる。タタール人は「匈奴」に参加するが、匈奴が滅ぶと、アーリア人はアラン族となる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「テオティワカン誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したタタール人は、現地人と混合し、ククルカンと共に「テオティワカン」を築いた。テオティワカンの名の由来はティタン(タタール)とククルカンの組み合わせである。ティタン+ククルカン=テゥタ+ウガン=テオティワカンとなる。

 


■BC4世紀 「テウトニ族誕生」

 

タタール人はユトランド半島に根付いて「テウトニ族」を称した。テウトニの名の由来はティタンである。ティタン=テイタン=テウトにとなる。因みに、ホータン人は「ゴート人」となった。その後、ドルイド教の支配下に置かれたテウトニ族は、キンブリ人と連合してローマ共和国に侵入し、ローマ軍と戦火を交えている。

 


■BC1世紀 「ツォツィル族誕生」「チャーチル誕生」

 

メキシコからマヤに到達したタタールは、マヤ人と混合して自身の名を由来に「ツォツィル」の種族を儲けた。タタール=チャチャール=ツォツィルとなる。その後、マヤパンが滅ぶと、ツォツィル族はマヤを後に遠くブリテン島にまで及んだ。マヤ人の顔をしたツォツィル族はイギリス人と混合して「チャーチル」を形成した。チャーチルの名の由来はツォツィルである。ツォツィル=ツォーツィル=チャーチルとなる。

 


■BC113年 「アラウジオの惨劇」

 

カルヌーテース族が操るドルイド教の信者となっていたテウトニ族は、キンブリ人と共に、カルヌーテース族からローマ共和国に攻め込む指令を受けた。カルヌーテース族は、カルタゴのバアル・ハンモン崇拝、シリアのアタルガティス教と協力し、合同で信者の軍団をローマ共和国に攻め込ませた。テウトニ族、キンブリ人の侵攻は「ウェル・サクレム」「ポエニ戦争」「シチリア奴隷戦争」に次ぐ、ローマ侵攻作戦の第四弾であった。

 


■BC73年 「キンブリ人の大航海時代」

 


■BC23年 「タタール人復活」

 

BC102年にテウトニ族が、BC101年にキンブリ人がたて続けに、ローマ共和国によって打ち破られた。彼らは、スパルタクスの大乱の際にはスパルタクスの反乱軍に加わっていたが、ローマ軍に破れると、テウトニ族はキンブリ人、バタヴィア族と共にインドに立ちより、その後にタタール人の故地であるモンゴルに入植した。この時、テウトニ族は「タタール人」に同化した。

 


■AD319年 「鳥取氏誕生」

 

「鮮卑」が消滅すると、托跋部、慕容部、乞伏部、禿髪部は中国に「代」「前燕」「北魏」「西秦」「南涼」などの短命な国家を建設する。だが、鮮卑の時代が終焉を迎えると、宇文部、一部托跋部、タタール人はモンゴルを発って日本に移住した。タタール人は、タタールを由来に「鳥取」を称した。

 


■AD319年 「豊田氏誕生」

 

「鮮卑」が消滅すると、托跋部、慕容部、乞伏部、禿髪部は中国に「代」「前燕」「北魏」「西秦」「南涼」などの短命な国家を建設する。だが、鮮卑の時代が終焉を迎えると、宇文部、一部托跋部、タタール人はモンゴルを発って日本に移住した。タタール人は、テウトニを由来に「豊田」を称した。テウトニ=テウト=トヨタとなる。
製鉄の種族であったティタン神族(デウカリオン族)の子孫であるタタールは日本に「多田羅製鉄」を伝えた。この時の大移動の参加者にホンダ、トヨタ、スズキなど、代表的な日本の自動車企業の名前が並んでいるのは興味深い。

 


■AD642年 「タタ誕生」

 

サーサーン朝が滅ぶと、拝火教の信者であるタタは、イランを離れてグジャラートに入植した。彼らは「タタ財閥」の祖となる。

 


■AD642年 「多田氏誕生」

 

サーサーン人は同盟者であったイベリア人、タタを連れてイランを出発し、日本に移住した。イラン人の顔をしたタタは、日本人と混合して「多田氏」を成した。多田の名の由来はタタである。この時に「多田氏は「多田神社」を建立した。

 


■AD1125年 「伊達氏誕生」

 

遼が滅ぶと、タタール人はモンゴルを発って日本に上陸した。当初、タタール人は「下野中村氏」を称した。その後、「常陸入道念西」と呼ばれた中村念西が「伊達」を称した。伊達の名の由来はタタールである。タタール=ダテール=伊達となる。

 


■AD1425年 「タイスン・ハーン誕生」

 

AD1400年に伊達政宗が大崎氏と同盟して結城氏、上杉氏と交戦した「伊達政宗の乱」が発生した。伊達政宗は鎌倉幕府と抗争を続けたが、敗北すると、政宗は伊達氏宗と共に死去に見せかけてモンゴルに逃亡した。そして、政宗の系統はアダイ・ハーンに接近して自身の血統を打ち立てた。AD1425年、政宗の血を継ぐタイスン・ハーンが誕生した。タイスンの名の由来は西山城である。西山=タイスンとなる。こうして、政宗の系統は、モンゴルの地を治めていた「北元」の王位を簒奪した。

 


■AD1548年 「阮氏簒奪」「阮氏地方政権樹立」

 

AD1542年に「天文の乱」が起きると、敗北を喫した伊達稙宗がモンゴルへと逃亡している。この時、伊達政宗の血を引く北元王室と対立した伊達稙宗は、代わりにベトナムへと落ち延びた。北元王室は、伊達政宗に敗北するとモンゴルを後にベトナムに来て「阮氏」を復活させていた。だが、ベトナムを訪れた伊達稙宗は、北元王室を簒奪した伊達政宗と同じように阮氏の名を簒奪した。これを機に、正統な阮氏はアイルランドへと旅立った。

 


■AD1635年 「伊達宗純誕生」「伊達宗勝誕生」

 

伊達政宗の血を引く北元が滅ぶと、北元王室がモンゴルを後に仙台に帰還してきた。彼らは伊達氏に合流して伊達宗純、宗勝の兄弟を生んだ。宗純は宇和島藩から3万石を分知され、伊予吉田藩を得た。また、宗勝は仙台藩から3万石を分知され、一関藩を得た。しかし、伊達家の勢力を監視していた大谷家は陰謀を駆使し、「伊達騒動」を演出した。これにより、北元の直系、宗純と宗勝の一族は仙台を脱してベトナムに逃げ込んだ。彼らは、伊達稙宗の子孫に合流して同じく阮氏」を称した。

 


■AD1778年 「西山朝樹立」「阮朝誕生」

 

伊達稙宗の子孫と対立したため、伊達宗純、宗勝の子孫が「西山朝(タイソン)」を開いた。タイソンの名の由来はタイスン・ハーンである。劣勢を喫していた伊達稙宗の子孫だったが、AD1782年に「天明の飢饉」が発生すると、伊達家が大挙してベトナムに移住してきた。援軍を得た伊達稙宗の子孫は西山朝を滅ぼし、AD1802年に「阮朝」を開いた

 


■AD1802年 西山朝の残党、フィリピン・イタリアに移住

 

阮朝が成立すると、西山朝の残党は東西に分離して船出した。東方組はフィリピンに上陸し、「ドゥテルテ」の姓を称した。ドゥテルテの名の由来は「タタールの人(タタ-ルト)」である。タタールト=ドゥタールト=ドゥテルテとなる。一方、ベトナムからイタリア半島に移住した西山朝の残党はイタリア人と混合して「タトゥーロ」の姓を形成した。タトゥーロの名の由来はタタールである。タタール=タトゥール=タトゥーロとなる。

 


■AD1874年 ウィンストン・チャーチル生誕

 


■AD1890年 阮生恭生誕 「ホー・チミン誕生」

 


■AD1945年 ロドリゴ・ドゥテルテ生誕

 

フィリピン共和国第16代大統領に就任している。

 


■AD1957年 ジョン・タトゥーロ生誕

 

 

 

 

 

 



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