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イマナの歴史

◆文氏(イマナ)の歴史

 


■400万年前 「第1次エスの大移動時代」

 


■200万年前 「イマナ誕生」

 

「第1次エスの大移動時代」によってエスが湖水地方に入植すると、クウォスが生まれ、そこから各々が各々の獲物に特化することで50cmから4mに至るバラエティ豊かな人類が揃った。「イマナ」の身長は160cmで、ミャンマー少数民族の姿をしていた。

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ニャメ誕生」「ナナブルク誕生」「ンジニ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したイマナは、現カメルーンに「ニャメ」「ンジニ」を生み、現ベナンに「ナナブルク」を生んだ。ナナブルクは、身長50cmのサグバタと混合し、獲物を小さい昆虫などに特化することで、身長が160cmから50cm~1mに縮んだ。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「マノー族誕生」「マニ族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したイマナは、ミャンマーに移住して「マノー族」を生んだ。マノーの名の由来はイマナである。イマナ=イマノー=マノーとなる。また、マレー半島に入植したイマナは、現地人のネグリトと混合して「マニ族」を成した。マニの名の由来はイマナである。イマナ=イマニ=マニとなる。

 


■40万年前 「プユマ族誕生」

 

東南アジアを離れたイマナは、して「プユマ族」を、ヴィディエと連合して「パゼッヘ族」を築いた。プユマの名の由来はアプスーとイマナの組み合わせである。アプスー+イマナ=アプイマ=プユマとななる。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって獣人、カオス、ピュグマエイがオーストラリアに到達すると、イマナはアグリオスと組み、「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオスとイマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナ=クリュメネーとなる。彼らはその後、大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「メネストー誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって獣人、カオス、ピュグマエイがオーストラリアに到達すると、イマナはステュクスと組み、「メネストー」を生んだ。メネストーの名の由来はイマナとステュクスの組み合わせである。イマナ+ステュクス=マナステュ=メネストーとなる。彼らはその後、大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ハリアクモン誕生」

 

イマナはと、プレークサウラーと組んで「ハリアクモン」を生んだ。ハリアクモンの名の由来はプレークサウラーとイマナの組み合わせである。プレークサウラー+イマナ=プレークマナ=ハリアクモンとなる。その後、ハリアクモンは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

イマナは、ゼウクソー、テレストーと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ネイロス誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって獣人、カオス、ピュグマエイがオーストラリアに到達すると、イマナはレザと組み、「ネイロス」を生んだ。ネイロスの名の由来はイマナとレザの組み合わせである。イマナ+レザ=ナレザ=ネイロスとなる。彼らはその後、河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ネソス誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって獣人、カオス、ピュグマエイがオーストラリアに到達すると、イマナはムシシと組み、「ネソス」を生んだ。ネソスの名の由来はイマナとムシシの組み合わせである。イマナ+ムシシ=ナシシ=ネソスとなる。彼らはその後、河川の娘たちに参加した。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「高天原誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。このとき、台湾は「高天原(タカマノハラ)」と呼ばれていた。タカマノの名の由来はオケアーニスに属するティケーとイマナの組み合わせである。ティケー+イマナ=ティケマナ原=高天原となる。

 


■7万年前 「天之御中主神誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。イマナは、クリュメネー、グレニコス、ペネイオスと組んで「アメノミナカヌシ」を生んだ。アメノミナカヌシの名の由来はイマナ、クリュメネー、グレニコス、ペネイオスの組み合わせである。イマナ+クリュメネー+グレニコス+ペネイオス=イマナメニコネイオス=アメノミナカヌシとなる。

 


■7万年前 「天之常立神誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。イマナは、ティケー、テテュスと組んで「アメノトコタチ」を生んだ。アメノトコタチの名の由来はイマナ、ティケー、テテュスの組み合わせである。イマナ+ティケー+テテュス=イマナティケテテ=アメノトコタチとなる。

 


■7万年前 「天布刀玉命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。イマナ、ヴィディエは連合して天布刀玉(アメノフトタマ)を生んだ。アメノフトダマのの名の由来はイマナ、ヴィディエ、ティアマトの組み合わせである。イマナ+ヴィディエ+ティアマト=アマナヴィデティアマ=アメノフトタマとなる。

 


■7万年前 「天宇受売命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。アドメテーは、イマナと連合して「天宇受売」を生んだ。アメノウズメの名の由来はイマナとアドメテーの組み合わせである。イマナ+アドメテー=イマナアゾメテ=アメノウズメとなる。

 


■7万年前 「天火明命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。エウドーラーは、カリュプソーと共にイマナと連合体を組んだ。この時に「天火明」が生まれた。アメノホアカリの名の由来はイマナ、エウドーラー、カリュプソーの組み合わせである。イマナ+エウドーラー+カリュプソー=イマナエウカリュ=アメノホアカリとなる。

 


■4万年前 「天忍穂耳命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。ミマースは、人イマナ、アシアーと混合して「アメノオシホミミ」を成した。アメノオシホミミの名の由来はイマナ、アシアー、ミマースの組み合わせである。イマナ+アシアー+ミマース=イマナアシアミマ=アメノオシホミミとなる。

 


■4万年前 「天菩卑能命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。ヒッポリュトスは、イマナと混合して「アメノホヒ」を成した。アメノホヒの名の由来はイマナとヒッポリュトスの組み合わせである。イマナ+ヒッポリュトス=イマナヒッホ=アメノホヒとなる。

 


■4万年前 「天児屋命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。アルキュオネウスは、イマナと混合して「アメノコヤネ」を成した。アメノコヤネの名の由来はイマナとアルキュオネウスの組み合わせである。イマナ+アルキュオネウス=イマナキュオネ=アメノコヤネとなる。

 


■4万年前 「天手力男命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。クリュテイオスは、イマナと混合して「アメノタヂカラ」を成した。アメノタヂカラの名の由来はイマナとテイオスクリュ(クリュテイオスの反対)の組み合わせである。イマナ+テイオスクリュ=イマナテオスクル=アメノタヂカラとなる。

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」の参加者が台湾に入植した。ギューゲースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万5千年前 「ハム誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加して南極にやってきたイマナはヴィディエと連合して「ハム」を生んだ。ハムはノアの子として知られるが、実際にはイマナとヴィディエの連合体である。ヴィディエ+イマナ=ヴィマナ=ハムとなる。「ヴィマナ(UFO)」の名の由来もヴィディエとイマナの組み合わせである。ハムはイマナではなく、ヴィディエが主導していた。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「オマーン誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加して黒龍江に移住し、その後に「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住したイマナとニャメは、その後に、メソポタミアを離れ、アラビア半島に上陸した。彼らは、当地に「オマーン」と命名した。オマーンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマーナ=ヤマーナ=オマーンとなる。

 


■1万千5百年前 「ウンマ誕生」

 

アラビア半島からメソポタミアに上陸したイマナ・ニャメは、シュメールの都市国家「ウンマ」を築いた。ウンマの名の由来はイマナとニャメの組み合わせである。イマナ+ニャメ=ナメ=ンマ=ウンマとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「太陽神アメン誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、アラビア半島の現オマーンを離れたイマナとニャメは、エジプトに進出して「太陽神アメン」を生んだ。アメンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマナ=ヤマナ=アメンとなる。アテナイ王国のサバニ人は、太陽神アメンに同行し、アナトリア半島に移住した。両者は、彼の地でタバル人と出会い、後に、神官都市「テーベ」を建設した。

 


■BC2134年 「エジプト第11王朝樹立」

 

太陽神アメンは、トバルカインと共に「エジプト第11王朝」を開き、人喰い人種スキタイ人の「エジプト第10王朝」と対立した。彼らは、この対決に勝利し、エジプトを再統一した。その時のファラオは、第11王朝のメンチュヘテプ4世であった。その後、太陽神アメンの王統を継ぐアメンエムハト1世が「エジプト第12王朝」を開いている。アメンの王統は、ヒクソスが登場するBC1663年まで続いた。

 


■BC1650年 「後期ミノス文明誕生」

 

シェルデン人・ダーナ神族の連合体「ヒクソス」がエジプトに出現すると、エジプト第14王朝は滅亡してしまった。その後、アメン神官団はエジプトを離れてクレタ島に落ち延び、避難した。だが、一部アメン神官団はテーベを拠点に新規に「エジプト第17王朝」を開き、ヒクソス王朝に対抗した。

 


■BC753年 「アルメニア人の大航海時代」

 


■BC753年 「ミネア王国誕生」

 

「アルメニア人の大航海時代」に参加したアメン神官団は、アラビア半島南部に移住した。彼らは、BC8世紀頃に「ミネア王国」を建てている。ミネアの名の由来はイマナである。イマナ=イマニア=マニア=ミネアとなる。

 


■BC282年 「ペルガモン王国誕生」

 

ミネア人がアラビアを離れてアナトリアに移住すると、ギリシアのテーバイ人と連合した。彼らは、アナトリア半島に移住した。この時に「ペルガモン」が生まれた。ペルガモンの名の由来はトバルカインとアメンの組み合わせである。トバルカイン+アメン=バルカメン=ペルガモンとなる。BC282年、ピルタウエルスが初代王に即してペルガモン王国が誕生した。

 


■AD273年 「文氏誕生」「林氏誕生」

 

マニが処刑されると、マニの残党はイランから朝鮮半島に上陸する。この時、「文(MOON)」「林(イム)」が生まれた。文(ムン)、林(イム)の名の由来はイマナである。イマナ=イマン=ムン(文)となり、イマナ=イムナ=イム(林)となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ムーン誕生」「ルナ誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した文氏は、ブリテン島に上陸し、現地人と混合した。この時に「ムーン」「ルナ」の名が生まれた。ムーンの名の由来は文(ムン)であり、ルナの名の由来はMOONである。

 


■AD357年 「オースターの大航海時代」

 


■AD6世紀 「勿吉の大航海時代」

 


■AD694年 「摩尼教誕生」

 

「勿吉の大航海時代」に参加したイギリス人ムーンは、福建に移住して「摩尼教」を生んだ。この「摩尼教」の由来はイマナであり、預言者マニの「マニ教」とは異なる。

 


■AD694年 「モン族誕生」

 

「勿吉の大航海時代」に参加したイギリス人ムーンは、ドイツ人BERGと共に満州からミャンマーに移住した。バーグは「ペグー」を築きし、ムーンは「モン族」の名を生んだ。モンの名の由来は文(ムン)である。

 


■AD1287年 ワーレルー、初代王に即位 「ペグー朝誕生」

 

AD1287年、ワーレルーが初代王に即位して「ペグー王朝」が開かれた。しかし、文氏の系統であり、スコータイ朝の援助を受けたワーレルーがペグー朝の王位に就くと、反感を持ったオリジナルのモン族が、ミャンマーを後にデカン高原に移住した。AD1757年にコンバウン朝の支配下に置かれると、ペグー族、モン族が朝鮮半島に帰還し、祖を同じくする朴氏、文氏に合流した。

 


■AD1320年 「バフマニー朝誕生」

 

4人のバイエルン公が立つと、ヴィッテルスバッハ家の一部(バッハ)がバイエルンを後にインドに移住した。一方、AD1287年、スコータイ朝の援助を受けたワーレルーがペグー朝の王位に就くと、反感を持ったモン族がミャンマーを後にデカン高原に移住した。白人の顔をしたヴィッテルスバッハ家はデカン高原に上陸し、モン族と組んで、AD1347年に「バフマニー朝」を開いた。バフマニーの名の由来はバッハとモンの組み合わせである。バッハ+モン=バッハモニ=バフマニーとなる。

 


■AD1323年 「シシマン朝(ブルガリア帝国)誕生」

 


■AD1368年 「明誕生」

 

イギリス人の摩尼教(ムーン)、アフリカ人の白蓮教(ルオ族、フォン族)、リトアニア大公国の朱元璋が「紅巾の乱」を指揮し、元を退けて「明」を開いた。明の名の由来は摩尼である。

 


■AD1433年 「鄭和の大航海時代」

 


■AD1433年 「フンジ王国誕生」

 

摩尼教は、鄭和の船団に同行してアフリカ大陸に移住した。紅海で船団を離脱した摩尼教は、単身、ナイル河を遡り、ヌビアに北アフリカ初の黒人イスラーム国家を築いた。フンジの名の由来はフージャン(福建)である。フージャン=フーンジャン=フンジとなる。

 


■AD1490年 「MANN(マン)誕生」

 

バフマニー朝が分裂を始めると、バッハはモン族と共にヨーロッパに移住した。この時に、「MANN(マン)」の名が生まれた。マンの名の由来はモン、或いはバフマニーの「マニー」である。モン=マン(MANN)となる。BERGとMANNの一族は、朴氏と文氏の末裔である。

 


■AD1539年 「ダホメー王国誕生」

 

タウングー朝がペグー朝を滅ぼすと、ペグー族、モン族がミャンマーを脱出して、遠くナイジェリアの地にまで赴いた。ペグー族とモン族は連合して「ダホメー王国」を築いた。ダホメーの名の由来はトバルカインとアメンの組み合わせである。トバルカイン=アメン=トバメン=ダホメーとなる。

 


■AD1592年 「文禄の役」「慶長の役」

 

褐色の肌を持ったフォン人(劉氏)、ルオ族(ラーオ族)が中心になって「白蓮教」を復活させ、紅巾族を指揮して大元に対して蜂起した。しかし、同盟者であった朱元璋に弾圧を加えられると、紅巾族は中国を脱出して日本に落ち延びた。その紅巾族の子孫が小西氏と宗氏である。宗義智(マニ教)、小西行長(フォン族)は、倭寇を統べる松浦鎮信(マトゥーラ族)、有馬晴信(エラム人)、大村喜前、宇久純玄(ブギス族)と共に朝鮮出兵、第一軍の一番隊を担った。つまり、「文禄の役」「慶長の役」とは、秀吉の案ではなかった。「文禄の役」「慶長の役」は小西氏、宗氏の案であり、中国大陸に改めて覇を唱え、朱氏に対する先祖の雪辱を晴らすのが目的だったのだ。二番隊は、加藤清正(イギリス人ゴドー)と鍋島直茂(ネパール人)、相良長毎(サカラバ族)が務めた。三番隊は、黒田長政(ケルト人)、大友吉統(ボルジギン家)が務めた。四番隊は、毛利勝信(マオリ族)、島津義弘(イギリス人スミス)が務めた。五番隊は、福島政則(ブギス族)、戸田勝信(ハルシュタット人)、長宗我部元親(カペー家)、蜂須賀家政(ノルマン人)、生駒親正(ユカタンのクメール人)、来島通行(釜山倭館の村上氏)が務めた。六番隊は、小早川隆景(マプングプエ人)、立花鎮虎(ニョロ人)、毛利秀包、高橋統増(ダキア人)、筑紫廣門(フェニキア人)、毛利輝元が務めた。
第二軍の七番隊は、宇喜多秀家(宇久+喜多川)、増田長盛。大谷吉継(ホータン)、加藤光泰、石田三成(ウァシュテペック家)、前野長康が務めた。八番隊以降は割愛するが、豊臣秀吉、木下氏などからしてキガ族、シク教の系統に連なっている。だが、「文禄の役」「慶長の役」に参加した面々も非常に国際色豊かであり、由緒正しい王統に属していた。また、受けて立った明の朱氏や李氏朝鮮の李氏も、リトアニア大公国の王統に連なる人々である。つまり、両者は東アジア人の姿をしてはいたものの、先祖の顔ぶれを一瞥すれば、「文禄の役」「慶長の役」が非常に国際的な戦争だったことが分かる。

 


■AD1761年 「ナヒヤーン家誕生」

 

AD18世紀になると、フンジ人がアラビア半島に移住してバニ=ヤース家に参加した。この時に、彼らは「ナヒヤーン」を称した。ナヒヤーンの名の由来はヌビアである。ヌビア=ヌビアーン=ナヒヤーンとなる。

 


■AD1918年 イングマル・ベルイマン生誕

 


■AD1937年 ダスティン・ホフマン生誕

 


■AD1939年 バリー・マン生誕

 


■AD1946年 キース・ムーン生誕 「ザ・フー誕生」

 


■AD1946年 ヤン・アッカーマン生誕

 


■AD1946年 ビガス・ルナ生誕

 


■AD1950年 シャンタル・アケルマン生誕

 


■AD1953年 文在寅生誕

 


■AD1954年 文鮮明、教団を創立 「統一協会誕生」

 


■AD1971年 「アラブ首長国連邦誕生」

 

ナヒヤーン家は、AD1761年から代々アブダビの首長の座に就いた。ザイード大帝の時代、AD1971年に「アラブ首長国連邦」の一員としてイギリスから独立した。

 


■AD1987年 ムン・グニョン生誕

 

 

 

◆マナセ(メネストー)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「メネストー誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって獣人、カオス、ピュグマエイがオーストラリアに到達すると、イマナはステュクスと組み、「メネストー」を生んだ。メネストーの名の由来はイマナとステュクスの組み合わせである。イマナ+ステュクス=マナステュ=メネストーとなる。彼らはその後、大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ニアス族誕生」

 

メネストーは、オーストラリアからマレー半島に移住し「ニアス族」を生んだ。ニアスの名の由来はメネストーである。メネストー=メニアストー=ニアスとなる。

 


■BC40世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「マナセ族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したメネストーは、「マナセ族」を称した。メナス=メナセ=マナセとなる。彼らは、イスラエルの失われた10支族として知られている。

 


■BC30世紀 「黙示録アルマゲドン」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ナジュド誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したメネストーは、アラニア半島に移住して「ナジュド」を築いた。ナジュドの名の由来はメネストーである。メネストー=メネジュドー=ナジュドとなる。

 


■BC2850年 メネス、初代ファラオに即位 「エジプト第1王朝誕生」

 

アラビアを離れたナジュドは、紅海の対岸エジプトに上陸した。彼らは、エジプトに「メネス」を生んだ。メネスの名の由来はメネストーである。彼らは、ナルメル(シュメール人、ヌビア人)と組み、初代ファラオに即位して「エジプト王国」を治めた。

 


■BC28??年 「ミノス文明誕生」

 

その後、タナトスに属するデンがファラオの座に就くと、メナス(ナルメル)の王統はこれを嫌ってエジプトを脱出し、クレタ島に避難した。この時、クレタに「ミノス文明」が発生した。ミノスの名の由来はメナスである。メナス=メネセ=ミノスとなる。

 


■BC1230年 「マナセ族復活」

 

新しいイスラエル王国(北イスラエル王国)が建設されると、メナスの残党はイスラエルに駆けつけた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「アケメネス家誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したマナセ族は、イランに移住した。マナセ族は、アッカド人と組んで「アケメネス家」を生んだ。アケメネスの名の由来はアッカドとマナセの組み合わせである。アッカド+マナセ=アッカマナセ=アケメネスとなる。アケメネス家は、後にダリウス大帝を輩出しているが、ダリウス大帝はタナトス(ミトラス教)に属していた。

 


■BC330年 「ペルシア人の大航海時代」

 


■BC330年 「伊勢神社誕生」

 

「ペルシア人の大航海時代」に参加したマナセ族は、「伊勢国」に移住した。マナセ族は、第1のイザヤを惨殺しているが、その後は、イザヤの名を借りて第2のイザヤ、第3のイザヤを称した。マナセ族は、イザヤに因んで「伊勢谷」「磯谷」などの姓を誕生させている。イザヤ=イサヤ=伊勢(いせ)となる。マナセ族は、「伊勢神社」を創建した。

 


■AD9??年 平維衡生誕 「伊勢平氏誕生」

 

マナセ族は、平貞盛に接近して自身の血統を打ちたてた。この時に「伊勢平氏」の祖、平維衡が誕生している。

 


■AD1118年 平清盛生誕

 

平清盛は、AD1159年には朝廷の警察力・軍事力を掌握して武家政権樹立の礎を築いた。清盛は全国に500余りの荘園を所有し、日宋貿易によって莫大な財貨を得ていた。しかし、「平家にあらずば人にあらず」とまで言われた平家が傾きはじめると、一族は徐々に日本を脱出してモンゴルへの移住を始めた。

 


■AD1181年 「ホシュート誕生」

 

AD1179年には平重盛が、AD1181年には病死と見せかけて平清盛が、平知度が討ち死にに見せかけてモンゴルへと旅立っている。歴史上、平家は壇ノ浦で皆殺しにされたと伝えられているが、「壇ノ浦の戦い」では、平家は誰一人死なずにモンゴルへと旅立つことが出来た。源氏側は平家に逃げられたわけだが、日本の国土に存在しないということは死んだも同然である。また、無慈悲にも平家を女子供もろとも皆殺しにしたと宣伝すれば、隠れている反対勢力に対する威嚇・脅しとなる。
とにかく、モンゴルに落ち延びた清盛、経盛、重盛、教盛、宗盛、知盛ら平家一行は、善棟王が築いた「オイラート」に参加し、落人を由来に「ホシュート」を称した。落人=オチュード=ホシュートとなる。AD1219年にチンギスの征西がはじまると、ホシュートもこれに同行した。

 


■AD1241年 「パシュトゥーン人誕生」

 

AD1219年にチンギスの征西がはじまると、ホシュートもこれに同行した。ホシュートは、ホラサン帝国攻撃の際、一部がアフガンに残留した。彼らは「パシュトゥーン人」となる。パシュトゥーンの名の由来はホシュートである。ホシュート=ホシュートーン=パシュトゥーンとなる。彼らは、ギルザイ族を乗っ取って「ブーラーン族」「スライマン・ヘール族」「アリー・ヘール族」「タラキ族ー」などを形成した。ヘールの名の由来は平(ひら)であり、タラキーの名の由来は平氏(タイラシ)である。

 


■AD1359年 「モルダヴィア候国誕生」

 

その後、「ワールシュタットの戦い」に参加したホシュートは、モルダヴィア人を支配下に置き、ボグダン公がハンガリー軍を退けて「モルダヴィア公国」を黒海沿岸に打ち建てた。ボグダンの名の由来は日本語の「爆弾」である。

 


■AD1425年 ハージー1世ギレイ、クリミアを掌握 「クリミア・ハン国誕生」

 

また、ハージー1世ギレイがリトアニア大公国の支援を受けて自立し、「クリミア・ハン国」を建てている。ハージーの名の由来は平氏(へいし)であり、ギレイの由来は日本語の「綺麗」である。

 


■AD147?年 「コサック誕生」

 

その後、クリミア・ハン国を拠点にウクライナにも進出すると、ホシュートは現地の農民を「コサック」と呼んだ。コサックの名の由来は日本語の「小作人」である。コサックには、ドン・コサックやウクライナ・コサックがいたが、ホシュートは「ウクライナ・コサック」として活動した。コサックの首長は「アタマン」と呼ばれたが、これは日本語の頭(あたま)に由来している。

 


■AD1582年 首長イェルマク、シベリアに進出

 


■AD1587年 トボルスク城建設

 

コサックは、シベリアに「トボルスク城」を建設した。コサックは、この時代に、シベリアに住んでいた宇宙人(トバルカイン)と交流を持った。その時の記憶が宮崎駿の身体の隅々に刻まれている。つまり、宮崎駿の映画の情景には、シベリア時代の景色が刷り込まれている。彼の世界観は作られたものではなく、思い出されたもの、記憶、フラッシュバックで成立している。

 


■AD1598年  ボリス・ゴドゥノフ、モスクワ大公に即位

 

ゴドゥノフの名の由来はボグダンである。ボグダン+フ=グダノフ=ゴドゥノフとなる。ゴドゥノフ家は、モルダヴィアを支配していたボグダン公の子孫である。ボリス・ゴドゥノフの妹は、フヨードル1世の后である。ということで、イヴァン4世が死去したあと、ボリスは、モスクワ大公国事実上の支配者として君臨していた。その後、フヨードル1世が死去し、リューリクの王統が途絶えたため、ボリスはツァーリとして即位した。

 


■AD1638年 シベリア遠征軍、太平洋に達する

 

コサックは太平洋に達すると、南下し、波状的に江戸時代の日本に移住した。壇ノ浦以来の故国への帰還である。この時に「崎」が付く姓が量産された。「崎」は、ロシアで使われる、人を意味する「ツク」「スク」「スキー」などと同様のものである。どこかの谷に住んでいたコサックは「谷崎」を、聖地に住んでいたコサックは「宮崎」を称した。フヴォスト(ロシア姓)と名乗っていたコサックは「尾崎」を、オストロフスキー(ロシア姓)を名乗っていたコサックは「島崎」を、ホルムスク(地名)から来たコサックは「岡崎」を称した。
また、ホータン人と交流していたコサックは、ホータン人も同行させていた。ホータン人からは「大滝」「大竹」「太田」「大谷」などの名が生まれた。いずれも「ホータキ、ホータニキ(ホータンの人)」に由来する。ホータンを由来にしている人々はヒッタイト人の末裔だが、オータンを由来にしている人々はタナトスである。

 


■AD1648年 ボグダン・フメリニツキー、大規模な反乱を指揮 「ヘーチマン国家誕生」

 

ウクライナ・コサックは、「ポーランド・コサック戦争」「フェドローヴィチの蜂起」「フメリニツキーの乱」などの反乱軍を指揮した。AD1648年には、フメリニツキーが「ヘーチマン国家」を築いている。ヘーチマンとは「平氏の男」の意である。

 


■AD1821年 フヨードル・ドストエフスキー生誕

 


■AD1839年 モデスト・ムソルグスキー生誕

 


■AD1872年 島崎藤村生誕

 


■AD1882年 イーゴリ・ストラヴィンスキー生誕

 


■AD1886年 谷崎潤一郎生誕

 


■AD19??年 マルタン・モネスティエ生誕

 

モネスティエの名の由来はメネストーである。メネストー=メネストエ=モネスティエとなる。

 


■AD1938年 ウラジミール・ヴィソツキー生誕

 


■AD1939年 ピーター・ボグダノビッチ生誕

 

ボグダン+ビッチ=ボグダノビッチとなる。

 


■AD1941年 宮崎駿生誕 「ジブリ誕生」

 

ジブリの名の由来はシベリアである。当人たちは、そうは言っていないが(笑)。「崎」が名前につく人々はシベリア探検を行ったコサックの末裔だ。もっと遡れば平家であり、もっともっと遡れば初代ファラオ、メネスの子孫である。

 


■AD1948年 大滝詠一生誕

 


■AD1963年 岡崎京子生誕

 


■AD1966年 尾崎豊生誕

 


■AD1972年 YUKI(磯谷有希)生誕

 

 

 

◆マンデラ(スカマンドロス)の歴史

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

イマナは、ゼウクソー、テレストーと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「アンダマン諸島発見」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したスカマンドロスは、マイアンドロスと共にアンダマン諸島に入植した。この時に、「アンダマン諸島」の名が生まれた。アンダマンの名の由来はマイアンドロスとスカマンドロスの組み合わせである。マイアンドロス+スカマンドロス=アンドマンド=アンダマンとなる。

 


■30万年前 「ミンドロ島発見」

 

スカマンドロスは、アンダマン諸島からフィリピンに向かい、「ミンドロ島」を発見した。ミンドロの名の由来はスカマンドロスである。スカマンドロス=スカミンドロス=ミンドロとなる。

 


■30万年前 「スカマンデル川誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加してヨーロッパに帰還したスカマンドロスは、トロイア近辺の河川流域に居住し、当地の河川を「スカマンデル川」と命名した。スカマンデルの名の由来はスカマンドロスである。スカマンドロス=スカマンデルス=スカマンデルとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■3万年前 「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」

 


■3万年前 「マントゥーロ誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加して東南アジアに帰還し、その後「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」に参加したスカマンドロスはペルーに移住した。彼らは「マントゥーロ川」を拠点にした。マントゥーロの名の由来はスカマンドロスである。スカマンドロス=マンドロ=マントゥーロとなる。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「曼荼羅誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したスカマンドロスは、「曼荼羅」をもたらした。曼荼羅の名の由来はスカマンドロスである。スカマンドロス=マンドロ=曼荼羅となる。スカマンドロスが製作した曼荼羅は、真言宗に奪われた。その後、スカマンドロスは、チベットに移住した。

 


■AD1572年 「インカ人の大航海時代」

 


■AD1572年 「マンデラ誕生」

 

「インカ人の大航海時代」に参加したマントゥーロは、南アフリカを目指した。南アフリカに到達すると、ケチュア族は「コサ族」を継承して復活させ、マントゥーロからは「マンデラ」の名が生まれた。マンデラの名の由来はマントゥーロである。

 


■AD1572年 「三大提携部族(MHA)誕生」

 

インカ帝国が滅ぶと、マントゥーロ族、ワラカ氏、望月氏、奥州藤原氏がインカ帝国を脱出して北アメリカ大平原地帯に侵入した。マントゥーロ族は「マンダン族」を、ワラカ氏が「アリカラ族」を、望月氏が「ヒダーツァ族」を形成した。ヒダーツァの名の由来は望月氏と縁がある飛騨である。この3者は、AD1851年にアメリカ合衆国と不可侵条約「ララミー砦の条約」を結び、「三大提携部族(MHA)」を結成している。

 


■AD1572年 「グズムンズドッティル誕生」

 

奥州藤原氏らは、アメリカには上陸せずにそのまま北上し、アイスランドに至った。インカ人の顔をした奥州藤原氏はアイスランド人と混合して「グズムンズドッティル」の名を成した。グズムンズドッティルの名の由来は、ケチュアとマントゥーロと鳥取(奥州藤原氏)の組み合わせである。全てインカに纏わる名前である。ケチュア+マントゥーロ+鳥取=ケチュマントトットリ=グズムンズドッティルとなる。

 


■AD1918年 ネルソン・マンデラ生誕

 

南アフリカ共和国第8代大統領

 


■AD1918年 ジョアン・セザール・モンテイロ生誕

 


■AD1965年 ビヨーク生誕

 

 

 

◆天孫族(レメク)の歴史

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万3千年前 「澳門誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したレメクは、エノクと共に広東に入植した。彼らは拠点を「澳門(マカオ)」と命名した。マカオの名の由来はレメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエ=マカオとなる。澳門のレメクは、台湾に赴いて祖を同じくするマカタオ族を迎え入れた。

 


■1万3千年前 「メコン誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したレメクは、エノクと共にインドシナ半島に上陸した。両者は、大河のひとつに「メコン」と命名している。メコンの名の由来はレメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=メコンとなる。

 


■1万3千年前 「マガン王国(ミケーネ文明)誕生」

 

エノクと分離したレメクは、メコン河を離れてアラビア半島にまで足を伸ばし、伝説の「マガン王国」を建設した。マゴンの名の由来はメコンである。メコン=メゴン=マゴンとなる。マゴンとは「ミケーネ」のことでもあるが、ミケーネ文明は、ギリシアではなくアラビア半島に存在したのだ。ミケーネの名の由来もマガンと同じく、レメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=ミケーネとなる。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「メガラ誕生」「マゴ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出し、ペロポネソス半島に上陸したミケーネ人とチェケル人は「メガラ」を築いた。メガラの名の由来はミケーネとチェケルの組み合わせである。ミケーネ+チェケル=ミケル=メガラとなる。メガラ人は船人として地中海を縦横無尽に駆け、カルタゴ人やフェニキア人と交流をし、BC685年には植民都市カルケドンを築き、BC667年には植民都市ビザンティオンを建設した。メガラ人は、カルタゴでは「マゴ」を称した。マゴの名の由来はメガラである。メガラ=マゴラ=マゴとなる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「天孫族誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したマゴは、澳門に移住した。この時に「天孫族」が生まれた。天孫の名の由来は、天とマゴの組み合わせである。天+マゴ(孫)=天孫となる。

 


■BC7世紀 「天孫降臨」

 

九州から澳門に天孫族を出迎えに来た大伴氏・久米氏(フェニキア人)は、猿田彦の案内で天孫族を日向国に先導した。

 


■BC7世紀 「イェマック(ワイヒャク)誕生」

 

しかし、天孫族は日本には留まらず、北上して満州に赴いた。神武天皇率いる天孫族は、多氏の時と同様に現地人にフェニキア文字のひとつオメガを冠した。やがて、オメガは変遷を重ねて「イェマック(日本の呼称ワイヒャク)」となる。オメガ=ウォメッガ=イェマックとなる。イェマック(天孫族)は、1万3千年前に、古の獣人やオケアーニスが築いた天皇家の系譜を継承した。神武天皇から垂仁天皇に至る天皇の系譜は、獣人とティアマト、オケアーニスなどの連合体であり、天孫族とは無関係である。

 


■BC6世紀 「マゴ朝誕生」

 

BC6世紀、メガラ人はカルタゴに「マゴ王朝」を開いた。

 


■BC409年 将軍ハンニバル・マゴ、シチリア侵攻

 

BC409年、将軍ハンニバル・マゴは、カルタゴ軍をシチリアに侵攻させて「第2次ヒメラの戦い」を指揮した。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「ムスコギー誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したイェマックは、北米北東部森林地帯に移住した。イェマックは、現地人と混合して「ムスコギー族」を形成した。ムスコギーの名の由来は朝鮮語「何の肉ですか?(ムスンコギヤ?)」である。ムスンコギヤ=ムスコギヤ=ムスコギーとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「モーガン誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加したイェマックは、現地人と混合して「モーガン」の名を生んだ。モーガンの名の由来はマゴンである。マゴン=マーゴン=モーガンとなる。その後、天孫族はAD656年にジュート人と連合して「マゴンサエテ王国」を築いている。マゴンサエテの名の由来はマゴとジュートの組み合わせである。マゴ+ジュート=マゴンジュート=マゴンサエテとなる。

 


■AD507年 「継体天皇誕生」

 

柔然に参加して力を蓄えた継体天皇は、主戦力を失って弱体化した宇文部から皇位継承権を奪い返した。武烈天皇(ワカサザキ)は托跋部出身、鮮卑最後の天皇である。当時、インド・サカ王朝滅亡を機にインドから落ち延びた蘇我氏(ソグド人)が満州を訪ずれ、継体天皇の一族と親交を温めていた。AD521年に柔然は分裂しているが、これはローラン主導の柔然とイェマック主導(継体天皇)の柔然に分裂したことを示す。これを機に、柔然(ローラン主導)はパンノニアに侵攻して「アヴァール王国」王位を簒奪することになる。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動」

 

「マクリア人の大移動」の参加者:安閑天皇(マクリア)、ハルハ部(アルワ)、北狄(ノバティア)、丁零(ドンゴラ)。彼らは、ヌビアに王国を建設し、パンノニア、中央アジアにアールパード家、マジャール人、クマン人、ペチェネグ族などの有力な騎馬民族を生んでいる。

 


■AD531年 「マクリア人誕生」

 

マクリアの名の由来は安閑天皇の御名「匂大兄広国押武金日尊(まがりおおえひろくにおしたけかなひのみこと)」のマガリに由来する。このマガリはマゴの故地メガラに由来している。欽明天皇、宣化天皇は日本行きを決めたが、安閑天皇だけはモンゴル残留を決めた。この時に「マクリア人」が誕生した。マクリア人は、ハルハ部、北狄、丁零と連合体を結成し、柔然や突厥帝国の台頭を機にモンゴルを離れて西方を目指した。
オリエント地方に足を踏み入れた一行は、何を思ったか、更に南下して未知の領域であるアフリカ大陸に至り、エジプトを通過した。そして、彼らはナイル上流域ヌビアにまで足を伸ばした。モンゴル人の顔をした安閑天皇の一族はヌビア人と混合し、「マクリア王国」を建設した。

 


■AD628年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD628年 「ハワイ誕生」「渤海誕生」

 

マーシア王国の属国家を機に、天孫族、ジュート人、スミス(司馬氏)、スティルス(尚氏)、段部を率いてブリテン島を脱出する。アメリカ通過時にモヒカン族を、マヤ通過時にククルカン神族を迎えた彼らは、新航路の開発を目的に広大な太平洋を冒険中、偶然にも「ハワイ諸島」を発見した。次いで、一行は「グアム諸島」も発見した。ハワイの名の由来は魏(ウェイ)であり、グァムの名の由来は日本語「神」である。ウェイ=フエイ=ハワイとなる。ハワイ人には、イギリス人、マヤ人、日本人の血が流れていることになる。ハワイを発った一行は、第二の拠点として満州に上陸した。当時、満州は唐の支配下にあったが、倭人は現地人と混合して、AD698年に「渤海国(ボハイ)」を建てた。ボハイの名の由来はハワイである。ボハイ=ボワイ=ハワイとなる。一方、スティルス(尚氏)は単身、満州から故地である中国に帰還した。

 


■AD825年 「マーシア人の大航海時代」

 


■AD825年 「マジャール人誕生」「クマン人誕生」

 

「マーシア人の大航海時代」に参加したマーシア人は、エクバードによるイングランド統一を機に、フォトラ(エフタル)を率いてイングランドを離れ、パンノニアに移住する。この時、マーシア人は安閑天皇の後裔マクリア人と合体し、「マジャール人」が誕生した。マジャールの名の由来はマーシアとマクリアの組み合わせである。マーシア+マクリア=マーシアリア=マジャールトなる。一方、天孫族とガド族は差別化のために「クマン人」を称した。クマンの名の由来は熊野国である。熊野=クマノ=クマンとなる。

 


■AD905年 「ヒメノ朝誕生」

 

マジャール人と袂を分かったクマン人は、更に分裂した。ガド族は「コムネーノス」を名乗ったが、天孫族は「ヒメノ」を名乗った。ヒメノの名の由来は熊野である(ハ行はカ行を兼ねる法則が用いられている)。クマノ=フマノ=ヒメノとなる。AD905年、サンチョ1世がアリスタ家のトダと結婚して「ヒメノ朝ナバラ王国」を建設している。AD1004年には、「大王ヒスパニア皇帝」と呼ばれたサンチョ3世が輩出された。

 


■AD1131年 「中山家誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加したイギリス人モーガンは、ハワイを発って満州に立ち寄った。彼らは、契丹(キタイ)に肖ろうと、「刀伊(トイ)の賊」を称して九州に侵攻した。刀伊の名の由来は契丹(キタイ)である。キタイ=キトイ=トイ(刀伊)となる。
イギリス人モーガンは、九州から京都に移り、藤原家保に接近して女児を儲けている。この女児が成長すると、藤原忠宗に接近して自身の血統を打ち立てている。この時に誕生したのが「中山家」の祖、中山忠親である。
中山の名の由来は女真である。女真(ジュシャン)=チュウサン=中山(チュウサン)となる。中山家からは明治天皇が輩出されている。

 


■AD1187年 「天孫氏誕生」「舜天王統誕生」

 

沖縄に入植したイギリス人モーガンは、先祖である天孫族の名を採り「天孫氏」を称した。天孫(てんそん)を反対にした舜天(しゅんてん)が「舜天王統」を創始した。

 


■AD12世紀 「ホメイニー誕生」「ハーメネイー誕生」

 

AD12世紀頃にヒメノ家が覇権を喪失すると、彼らの一部はカシミールに落ち延びて「ホメイニ」「ハーメネイー」の名を形成した。2つの名はヒメノに由来する。ヒメノ=ヒメイニー=ホメイニー=ハーメネイーとなる。

 


■AD1260年 「英祖王統誕生」

 

AD1260年、天孫氏の末裔である英祖が「英祖王統」を開いているが、英祖の名の由来はイギリスである。

 


■AD1340年 「モグーリスタン・ハン国誕生」

 

AD1185年、コムネーノス朝が滅ぶと、コムネーノス家を離脱した天孫族はマクリアの名を復活させ、「モグーリ」を称した。モグーリの名の由来はマクリアである。マクリア=マクーリア=マグーリア=モグーリとなる。チャガタイハン国が分裂すると、彼らは「モグーリスタン・ハン国/東チャガタイ・ハン国」を建てた。

 


■AD1349年 「孫氏誕生」

 

AD1349年に英祖王統が滅ぶと、天孫氏は広東地方に渡り、「孫氏」を称する。孫氏からは「辛亥革命」の指揮者、孫文が輩出されている。

 


■AD1526年 「ムガール帝国誕生」

 

AD1483年、モグーリ・スタンにバーブルと名付けられた男子が誕生している。これが、後のインドに覇を唱え、「ムガール帝国」を築くことになる初代ムガール皇帝バーブルである。ムガールの名の由来はモグーリである。モグーリ=モグール=ムガールとなる。

 


■AD1860年 「回民蜂起」

 

AD1803年、首都デリーが大英帝国に占領されると、ムガール帝国に斜陽の季節が訪れる。AD1860年、「セポイの乱」を機に、ムガール王家は故地であるモンゴルへの帰還を実施する。しかし、モンゴルの代わりにタリム盆地に拠点を得たらは、ホータンに独立政権を築いて「清」に挑戦した。これが、「回民蜂起」である。

 


■AD1837年 J・P・モーガン生誕 「モーガン財閥誕生」

 


■AD1852年 明治天皇生誕

 

天皇家は、長いこと藤原氏に簒奪されていたが、明治天皇の即位によって天皇家(イェマックの王統)は天孫族の手に戻った。

 


■AD1866年 孫文生誕

 

若き日の孫文は、先祖の声に耳を傾けるように、天孫族の足取りを辿るようにハワイ、イギリス、日本と拠点を転々とした。

 


■AD1898年 ルネ・マグリット生誕

 

マグリットの名の由来は「マクリアの人」である。マクリア+ト(人)=マクリアット=マグリットとなる。

 


■AD1902年 アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー生誕

 

アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニーは、イラン・イスラム共和国初代最高指導者に就任した。

 


■AD1920年 エレイン・モーガン生誕

 


■AD1939年 アーヤトッラー・セイイェド・アリー・ホセイニー・ハーメネイー生誕

 

アーヤトッラー・セイイェド・アリー・ホセイニー・ハーメネイーは、イラン・イスラム共和国第2代最高指導者に就任した。

 

 

◆多氏の歴史

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「多氏誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したマゴは、澳門に移住し、天孫族となった、天孫族は、澳門の現地人にフェニキア文字のひとつ「オメガ」を冠して「多氏」を生んだ。多の名の由来はオメガの読み「オー」である。因みにオミクロンの読みは「オ」である。オー(大、多)とオ(小)は、日本語に影響を与えていることがわかる。

 


■BC7世紀 「大国主命誕生」

 

澳門から出雲国にやって来た多氏は、賀茂氏、安曇氏を廃して出雲国に巣食い、人身御供を強要していたインドの悪魔ナムチ(大己貴神)を皆殺しにした。その後、多氏は「大国主神」を祀って出雲の民を正しく導いた。

 


■BC7世紀 「呉(春秋戦国時代)誕生」

 

「国譲り」が実行されると、多氏は前身である天孫族に出雲国を譲り、自身は長江下流域に拠点を移し、「呉(ウー)」を築いた。呉(ウー)の名の由来は多(オー)である。多氏の「呉(ウー)」は、長江水系の覇権を巡ってヤワン族の越(ユエ)やの楚(チュ)と激しく対立した。

 


■BC473年 「大和朝廷誕生」

 

呉がBC473年に滅ぶと、呉(多氏)は日本に帰還した。彼らは大和国に移住してティアマトと組み、「大和朝廷(前身)」を作った。その後、BC222年に滅んだ魏(倭人)が、大和国を訪れれて初めて「大和朝廷」が誕生する。大和の漢字表記の由来は、大(多)と和(魏)の組み合わせである。大和国は、古来から「ヤマト」と呼ばれていたが、「大和」の漢字表記はこの時が最初である。

 


■AD222年 「呉(三国時代)誕生」

 

「大和人の大航海時代」前夜、大和国の多氏は、再度中国に覇を唱えるべく、日本を後に中国に出撃した。AD222年、多氏は「呉」を再建した。

 


■AD280年 呉、大和国に帰還

 

AD280年に「呉」が司馬炎に率いられた「晋」の軍に敗れると、多氏は日本に帰還し、「大和人の大航海時代」の準備に入った。この大航海時代の計画は、中国の地にいた頃から多氏が温めていたものと考えられる。そのため、多氏と倭人が日本に帰還する際、計画に賛同した中国・朝鮮の有志をたくさん連れて戻っている。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「オースター誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した多氏は、スコットランド北部に「オークニー諸島」を発見し、そのまま現オーストリア近辺に足を踏み入れると当地を「オースター」と呼んだ。オークニーの名の由来は「大国主命」であり、オースターの名の由来は「多氏の土地」である。多(オー)+土地(スター)=オースターとなる。

 


■AD357年 「オースターの大航海時代」

 


■AD357年 「エステ誕生」

 

「オースターの大航海時代」に参加したオースターは、イタリアに移住し「エステ」の名を生んだ。エステの名の由来はオースターである。オースター=オスタ=エステとなる。

 


■AD357年 「アサド家(前身)誕生」

 

「オースターの大航海時代」に参加したオースターは、アラビア半島に移住し、ヒムヤル王国に侵入した。この時に「アサド」が生まれた。アサドの名の由来はオースターである。オースター=アースター=アサドとなる。

 


■AD357年 「ダイフェド王国誕生」

 

「オースターの大航海時代」に参加したオースターは、ブリテン島に帰還し、ウェールズに拠点を得た。彼らは「ダイフェド王国」を築いたが、ダイフェドの名の由来は大和人(やまとじん)の別読み「ダイワビト」である。ダイワビト=ダイファド=ダイフェドとなる。アンワンなる人物が、初代ダイフェド王に即位している。

 


■AD357年 「勿吉(ウージ)誕生」

 

「オースターの大航海時代」に参加したオースターは、太平洋を渡って満州に移住した。オースターは、満州人と混合して「勿吉(ウージ)」を形成した。ウージの名の由来はオースターである。オースター=オージター=ウージとなる。

 


■AD357年 「ウズベク誕生」

 

「オースターの大航海時代」に参加して「勿吉」を生んだオースターは、オースターの大航海時代に参加していたドイツ人BERGと組んで「ウズベク族」を生んだ。ウズベクの名の由来は勿吉(ウージ)と朴(バーグ)である。ウージ+バーグ=ウジバグ=ウズベクとなる。ムーン(文氏)もウズベク族と行動を共にした。

 


■AD357年 「ヤジディー誕生」

 

「オースターの大航海時代」に参加したエステ人は、ヒムヤル王国を統治したアサド家を追い、アラビアを訪問した。その後、エステは北上してクルディスタンに至り、「ヤジディー」を生み、「ヤジディー教」を創始した。ヤジディーの名の由来はエステである。エステ=エズデ=ヤジディーとなる。

 


■AD385年 アビ・カリバ・アサド、ヒムヤル王に即位

 


■AD420年 「アサド家の大航海時代」

 


■AD420年 「朝戸氏誕生」

 

アビ・カリバ・アサドが王位を失うと、アサド家は「アサド家の大航海時代」を実施した。アラビア半島を離れた彼らは「沖泳良部島」に上陸し、現地人と混合して「朝戸氏」を称した。泳良部の名の由来はアラブであり、朝戸の名の由来は文字通りアサドである。

 


■AD420年 「他田氏誕生」「長田氏誕生」「永田氏誕生」「中田氏誕生」

 

その後、日本本土に上陸した朝戸氏は、諏訪国に「他田氏(おさだ)」「長田氏(おさだ)」「浅田氏」「佐田氏」を、長田氏(ながた)は近江国に「永田氏」を、遠江国に「中田氏」を誕生させた。

 


■AD420年 「佐藤氏誕生」「安田氏誕生」「吉田氏誕生」「芦田氏誕生」「志田氏誕生」

 

アサド家と共に日本本土に上陸したヤジディーは、山城国に「佐藤氏」を、甲斐国に「安田氏」を、近江国に「吉田氏」を残している。更に、備後国に「芦田氏」を、常陸国に「志田氏」を残した。ヤジディー=ジディー=シティー=佐藤となり、ヤジディー=ヤジデ=安田=吉田=芦田=志田となる。

 


■AD712年 「勿吉の大航海時代」

 


■AD712年 「小津神社誕生」「小津氏誕生」

 

「勿吉の大航海時代」に参加した勿吉は、日本人と混合して「小津」の名を形成した。小津の名の由来は勿吉(ウージ)である。ウージ=ウジ=ウズ=小津となる。小津氏は小規模な「小津神社」を展開した。だが、小規模な「小津神社」からは考えもつかないほど、世界的な名声を博した映画監督、小津安二郎が輩出されている。

 


■AD712年 「宇佐神宮誕生」

 

「勿吉の大航海時代」に参加した勿吉は、日本人と混合して「宇佐」の名を生んだ。宇佐の名の由来は勿吉(ウージ)である。ウージ=ウーシ=ウシ=宇佐となる。宇佐氏は、八幡信仰を展開していた禿髪部と連合して「宇佐神宮」を建立した。

 


■AD712年 「氷川神社誕生」「寒川神社誕生」「高千穂神社誕生」「新田氏誕生」

 

「勿吉の大航海時代」に参加したロス(朱氏)は、「赤城神社」「赤神神社」を建立し、ライダー(馬氏)は、馬の守り神を奉る「子眉嶺神社」を建立した。グラス(芝氏)は、「浅草神社」を建立し、ロック(石氏)は、「石上神社」を建立した。そして、ニート(高氏)は、「高千穂神社」を建立した。高千穂の名の由来は、イギリス人と混合した高氏の子孫ジョン・ニートである。ジョンに「千穂」を当て字して「高(ニート)」と組み合わせ、「高千穂」の名を組み立てた。
また、彼らは全員で共同して「氷川神社」「寒川神社」を建立している。氷の川、寒い川の名の由来は黒龍江である。つまり、彼らは勿吉時代に満州に暮らしていたことを暗に示している。ニート(高氏)は、日本人と混合して「新田」の名を残している。新田の名の由来はニートである。ニート=ニト=新田となる。英語の「ニート(NEAT)」には「小奇麗な、さっぱりした、格好良い」などの意味がある。そのため、彼らは「新」を当て字したと考えられる。

 


■AD712年 「石清水神社誕生」「金刀比羅神社誕生」

 

「勿吉の大航海時代」に参加したストーン(石氏)は、「ヨハネスの大航海時代」に参加したスミス(司馬氏)と組んで「石清水神社」を建立し、「オースターの大航海時代」に参加したキャッシュ(銭氏)は、「ガンダーラ人の大航海時代」のディアラ王家と組んで「金刀比羅神社」を建立した。石清水の名の由来はロック(石)とスミス(清水)の組み合わせであり。金刀比羅の名の由来は刀銭とディアラ(平)の組み合わせである。

 


■AD907年 「五代十国時代」

 

「勿吉の大航海時代」に参加したイギリス人一族は、日本を発っていよいよ故地である中国に帰還を果たした。当時の中国は、「唐」の治世で下であった。ここに、ロート(朱氏)、リー(李氏)、ストーン(石氏)、ルーベンス(劉氏)、ホール(郭氏)、キング(王氏)、ウィンター(孟氏)、ウィロウ(楊氏)、ニート(高氏)、キャッシュ(銭氏)、ライダー(馬氏)、ブッシュ(柴氏)の面々が戻ってきたのだ。これによって唐は崩壊し、中国は「五代十国」の時代に突入する。
イギリスで生まれた姓を名乗っていた彼らは、中国の名を復活させた。その上で、彼らは国家を乱立した。朱氏は「後梁」を、李氏は「後唐」を、石氏は「後晋」を、劉氏は「後漢」を、郭氏は「後周」を建設した。王氏は「前蜀」を、孟氏は「後蜀」を、楊氏は「呉」を、李氏は「南唐」を、高氏は「荊南」を、銭氏は「呉越」を、王氏は「ビン」を、馬氏は「楚」を、劉氏は「南漢」「北漢」を建設した。また、ブッシュ(柴氏)は、名君と呼ばれた柴栄がAD954年に後周の王に即位している。しかし、イギリス帰りの中国人が中国に覇を唱えた時代は、趙匡胤が「宋」を開いたことにより、わずか72年で終焉を迎えた。

 


■AD909年 「大内氏(前身)誕生」「多々良氏誕生」

 

ダイフェド王国が滅ぶと、ダイフェド王家はブリテン島を発ち、中央アジアに向かった。シルクロートの通過中、彼らは、勿吉と朴氏、文氏の連合体「ウズベク族」に出会い、祖を同じくする者として意気投合し、連合する。この時に「大内」の名が生まれた。大内の名の由来はダイフェド側の多(大)と勿吉側のウズベクの組み合わせである。大+ウズ(内)=大内となる。
現ウズベキスタン辺りで生まれた大内氏は、モンゴルを経て、朝鮮半島から日本に渡った。大内ウジは、周防国に上陸すると、「多々良氏」を称した。多々良の名の由来はタタールである。AD11??年、多々良盛房が「大内介」を称して、ここに「大内」の名が復活した。

 


■AD996年 「エステ家誕生」

 

ヒムヤル王国が滅ぶと、アラビア半島を離れたアサド家は、ヤジディーが築いた「エステ」に移住した。アサド家はイタリア人と交わって「アッツォ家」を形成した。アッツォの名の由来はアサドである。アサド=アッツァド=アッツォとなる。AD996年、アッツォ家のアルベルトアッツォ2世はエステのシニョーレに就任し、「エステ家」を称した。

 


■AD11??年 多々良盛房、「大内介」を称す 「大内氏誕生」

 

AD11??年、多々良盛房が「大内介」を称して、ここに「大内」の名が復活した。

 


■AD1182年 「ウァシュテペック誕生」

 

ウズベク族は、大内氏と共に日本に移住すると、その後、ウズベク族だけがメキシコに移住した。彼らは、「ウァシュテペック」を称した。ウァシュテペックの名の由来はオースターとバーグの組み合わせである。オースター+バーグ=ウァシュタバーグ=ウァシュテペックとなる。

 


■AD1240年 「フェラーラ侯国誕生」

 

アッツォ7世がフェラーラ侯に就任し、フェラーラを掌握する。エステ家は、AD1240年に「フェラーラ侯国」を開いた。

 


■AD1351年 「尼子氏誕生」

 

大内氏から鷲頭氏に養子に出された鷲頭長弘(大内長弘)の子、鷲頭弘直は大内宗家に強い不満を抱いていた。彼は、近江国に移住して京極氏に接近して、自身の血統を打ち立てた。鷲頭弘直は、自身の血統にフェニキア文字のひとつオメガを冠した。これを由来に、彼らは「尼子氏」を称した。尼子の名の由来はフェニキア文字のひとつオメガである。オメガ=アメゴ=尼子となる。
ここに、大内氏と尼子氏の肉親同士の骨肉の争いが展開されることになる。大内義弘と尼子高久の争いに始まり、大内義興と尼子経久を経て、大内義隆と尼子晴久の時代、この対立は終焉を迎えている。配下であった陶隆房の謀反により、大内義隆は日本を脱出することを決意する。大内氏は、大友宗麟に焼き討ちをされた宇佐氏に中央アジアへの移住を打診する。その後、祖を同じくする両者はウズベクの地に足を運び、「ウズベク族」に改めて加わっている。

 


■AD1440年 モクテスマ、第3代アステカ皇帝に即位

 

AD1398年、ウァシュテペック族は一族の娘をアステカ帝国第2代皇帝ウィツィリウィトルに接近させ、自身の血統を打ち立てた。この時に、モクテスマが誕生した。AD1440年、モクテスマは第3代アステカ帝国皇帝に即位した。こうして、ウァシュテペック族が天下を取ったことにより、アステカ族(アストラハン)、メシカ族(ムシュキ)はアステカ帝国を後にする。ウァシュテペックの王統は、最後の皇帝モクテスマ2世の治世まで続いている。

 


■AD1521年 「サド誕生」

 

タナトスの血を引くエルナン・コルテスがアステカ帝国に侵入し、アステカ貴族を1万人も殺害すると、ウァシュテペックはメキシコを後にした。アステカ人の顔をしたウァシュテペックはブリテン島に渡り、イギリス人と混合して「サド」の名を生んだ。サドの名の由来はウァシュテペックである。ウェシュテペック=シュテ=サドとなる。

 


■AD1521年 「オスターバーグ誕生」

 

タナトスの血を引くエルナン・コルテスがアステカ帝国に侵入し、アステカ貴族を1万人も殺害すると、ウァシュテペックはメキシコを後にした。アステカ人の顔をしたウァシュテペックはブリテン島に渡り、イギリス人と混合して「オスターバーグ」の名を生んだ。オスターバーグの名の由来はウァシュテペックである。ウァシュテペック=ウァシュターベーク=オスターバーグとなる。

 


■AD1521年 「石田氏継承」

 

タナトスの血を引くエルナン・コルテスがアステカ帝国に侵入し、アステカ貴族を1万人も殺害すると、ウァシュテペックはメキシコを後にした。アステカ人の顔をしたウァシュテペックは日本に渡り、イシュタルが生んだ「石田」の名を継承した。この系統からは石田三成が輩出されている。

 


■AD1521年 石田光成生誕

 

14歳の頃から豊臣秀吉に仕えていた石田三成は、AD1600年に上杉家の家老と秘密裏に対家康挙兵の計画を練った。これが「関ヶ原の戦い」であるが、浄土真宗の信者、小早川秀秋が大谷家の命令で西軍を裏切ったため、西軍は敗北を喫してしまう。

 


■AD1740年 マルキ・ド・サド生誕

 


■AD1861年 「アサド家復活」

 

イタリア半島が統一され、サヴォイア家による「イタリア王国」が成立すると、エステ家はイタリアからシリアに移住した。エステ家は「アサド」の名を復活させた。この系統からは、シリア・アラブ共和国第4代大統領ハフェズ・アル=アサド、シリア・アラブ共和国第5代大統領パッシャール・アル=アサドが輩出された。

 


■AD1903年 小津安二郎生誕

 


■AD1930年 ハフェズ・アル=アサド生誕

 

シリア・アラブ共和国第4代大統領に就任している。

 


■AD1933年 吉田喜重生誕

 


■AD1952年 さだまさし生誕

 


■AD1947年 イギー・ポップ(ジェイムズ・オスターバーグ生)誕

 

オスターバーグは、ウァシュテペックの直系である。つまり、イギー・ポップは、アステカ帝国を統治した王族の末裔である。

 


■AD1946年 ジョン・ウー生誕

 


■AD1960年 佐藤優生誕

 


■AD1965年 パッシャール・アル=アサド生誕

 

シリア・アラブ共和国第5代大統領に就任している。

 


■AD1961年 中田秀夫生誕

 


■AD1963年 吉田戦車生誕

 


■AD1991年 「ウズベキスタン共和国誕生」

 

ウズベク族は、AD1991年にソ連から独立して「ウズベキスタン共和国」を立てている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エバシの歴史

◆アパッチ(エバシ)の歴史

 


■40万年前 「エバシ誕生」

 

カメルーン沖に水生人として暮らしていたエバシは、アパッチ族に似た姿をしており、自らを「エバシ」と呼んでいた。

 


■40万年前 「エバシの大移動時代」

 


■40万年前 「バブサ族誕生」「バサイ族誕生」

 

「エバシの大移動時代」に参加したエバシは、台湾に移住した。この時、彼らは「バブサ族」「パサイ族」を生んだ。両者の名の由来はエバシである。エバシ=ヘバシ=バブサとなり、エバシ=エバサイ=パサイとなる。彼らは、人類史上初の台湾に足を踏み入れた人々である。

 


■40万年前 「プユマ族誕生」「パゼッヘ族誕生」

 

エバシは、台湾でイマナと連合して「プユマ族」を、ヴィディエと連合して「パゼッヘ族」を築いた。プユマの名の由来はアプスーとイマナの組み合わせであり、パゼッヘの名の由来はアプスーとヴィディエの組み合わせである。アプスー+イマナ=アプイマ=プユマとなり、アプスー+ヴィディエ=プスーヴィ=パゼッヘとなる。

 


■30万年前 「アパッチの大移動時代」

 


■40万年前 「エビス誕生」

 

「アパッチの大移動時代」に参加したエバシは、日本に入植した。この時、東北地方に入植したエバシは「エビス」となった。エビスの名の由来はエバシである。エバシ=エバス=エビスとなる。彼らは、人類史上初の日本列島に足を踏み入れた人々である。

 


■40万年前 「アパッチ族誕生」

 

「アパッチの大移動時代」に参加したエバシは、当時、北極圏であった北アメリカに辿り着いた。エバシは、この地で「アパッチ」となった。アパッチの名の由来はエバシである。エバシ=エパチ=アパッチとなる。北アメリカの寒流水域を拠点に水生生活を行った彼らは、ここで、髭が生えないという身体的特徴を得た。このため、彼らの子孫であるアメリカ・インディアン、中南米のインディオには髭が生えない。

 


■40万年前 「アプチ誕生」

 

「アパッチの大移動時代」に参加したエバシは、次に古代のユカタン半島に足を踏み入れた。彼らはこの地に「アプチ」を祀った。アプチの名の由来はアパッチである。アパッチ=アパチ=アプチとなる。彼らは、人類史上初のユカタン半島に足を踏み入れた人々である。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「カリュプソー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れ、オケアーニスが次々に生まれた。この時、エバシはクリュテイアーと組んで「カリュプソー」を生んだ。カリュプソーの名の由来はクリュティアーとバサイ(エバシ)の組み合わせである。クリュティアー+バサイ=クリュバサイ=クリュパサイ=-カリュプソーとなる。

 


■30万年前 「パシトエー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れ、オケアーニスが次々に生まれた。この時、エバシはトエーと組んで「パシトエー」を生んだ。パシトエーの名の由来はエバシとトエーの組み合わせである。エバシ+トエー=バシトエー=パシトエーとなる。その後、パシトエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ヴェシ族誕生」

 

パシトエーは、マレー半島に移住すると「ヴェシ族」を生んだ。ヴェシの名の由来はパシトエーである。パシトエー=ヴェシトエー=ヴェシとなる。

 


■7万年前 「瀬織津比咩神誕生」

 

東南アジアから河の種族イストロスが来ると、エバシは彼らと連合して「セオリツヒメ」を成した。セオリツの名の由来はエバシとイストロスの組み合わせである。エバシ+イストロス=スウロス=スオロツ=セオリツとなる。

 


■7万年前 「気吹戸主神誕生」

 

東南アジアからオケアーニスに属するエレクトラ、河の種族エウエノスが来ると、エバシは彼らと連合した。この時に「イブキドヌシ」が生まれた。イブキドヌシの名の由来はエバシ、エレクトラ、エウエノスの組みあわせである。エバシ+エレクトラ+エウエノス=エバクトノス=イブキドヌシとなる。

 


■1万3千年前 「古代日本人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万3千年前 「テシュプ誕生」

 

「古代日本人の大航海時代」に参加して日本を離れてモンゴルに移住し、「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに入植したエビスはメーティスと連合し、「テシュプ」を生んだ。テシュプの名の由来はメティスとエビスの組み合わせである。メティス+エビス=ティスエビー=テシュプとなる。彼らは「神々の集団アヌンナキ」に参加した。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「蝦夷(エビス)復活」

 

「ソドムとゴモラ滅亡」を機に「ドルイド教の大航海時代」に参加したテシュプ(エビス)は、出雲国に上陸すると、ムシュキ族(陸奥氏)を伴って故地である東北地方に入植した。ここに蝦夷(えびす)が復活した。と同時に、当地は「陸奥」と呼ばれるようになった。

 


■BC21世紀 「長脛彦の大移動時代」

 


■BC21世紀 「安日彦誕生」

 

「長脛彦の大移動時代」によって中国から日本に帰還した長脛彦は、東北地方に根付き、蝦夷(えびす)と連合した。蝦夷(えびす)は「安日彦(あびひこ)」を称した。安日(あび)の名の由来はエビスである。エビス=アビス=安日(あび)となる。

 


■BC1027年 「殷・商滅亡」

 


■BC1027年 「安日彦復活」

 

殷・商が滅ぶと、長脛彦は中国を離れて日本に帰還し、蝦夷に身を寄せた。この時に、彼らは安日彦と連合を組んだ。日本神話では長脛彦と安日彦は兄弟だと伝えられているが、これは彼らが同盟者だったことを示している。この兄弟は、東北地方から畿内に移住し、天孫族が訪れるまでの間、大和地方を治めた。

 


■BC6世紀 「アプスー復活」

 

天孫族が大和を制定すると、安日彦は日本を離れて、先祖の故地黒海に帰還した。日本人の顔をした安日彦は、現地人と混合してコーカサス人の顔を得た。

 


■BC6世紀 「陸奥安倍氏誕生」

 

天孫族が大和を制定すると、安日彦は大和国を離れて、故地である蝦夷に帰還した。蝦夷に帰った彼らは、「安倍氏」を生んだ。安倍の名の由来は安日である。安日=あび=あべ=安倍となる。更に彼らは、かつての同盟者であり、ネパールに移住した陸奥氏が残した名「陸奥」を冠して「陸奥安倍氏」を称する。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「アビシニア誕生」「アペデマク誕生」

 

「コラズム族の大移動時代」に参加したアプスーは、現アビシニアに渡った。この時に「アビシニア」の名が生まれた。アビシニアの名の由来はアプスーとンジニの組み合わせである。アプスー+ンジニ=アプジニ=アビシニアとなる。また、彼らはメロエ王国に進出し、「獅子神アペデマク」を生んだ。アペデマクの名の由来はラテン語「マガンのアプスー(アプス・ド・マガン)」である。アプス+ド+マガン=アプドマガ=アペデマクとなる。

 


■BC165年 「ハスモン朝誕生」

 

BC198年、セレウコス朝のアンティオコス3世がエジプト征伐を行った。彼らがヌビアに侵攻すると、メロエ王国のアプスーは、イスラエルに逃亡した。この時、彼らはムンバイ人と連合した。BC200年頃、ムンバイ人はアーンドラ朝成立を機にイスラエルに逃げていた。両社は共同で「ハスモン朝」を開いた。ハスモンの名の由来はアプスーとムンビの組み合わせである。アプスー+ムンビ=プスムン=ハスモンとなる。

 


■BC63年 「ハウサ族誕生」

 

エルサレムが陥落すると、ハスモン朝のアプスーは現チャドに逃げ込んだ。彼らは、「ハウサ族」を生んだ。ハウサの名の由来はハスモンである。ハスモン=ハウスモン=ハウサとなる。

 


■BC63年 「アッバース家誕生」

 

エルサレムが陥落すると、ハスモン朝のアプスーはアラビア半島南部に逃げ込んだ。彼らは、「アッバース族」を生んだ。アッバースの名の由来はアプスーである。アプスー=アップース=アッバースとなる。アッバース家は、「コラズム族の大移動時代」の同盟者が生んだクライシュ族に参加した。

 


■AD632年 アブー・バクル、初代カリフに即位 「イスラム帝国誕生」

 

歴史上、アブー・バクルはタイム家の出であり、アッバース家の出とはされていないが、名前から察すると、アブーの名はアプスーに関係があると考えられる。

 


■AD750年 アブル・アッバス、カリフに即位 「アッバース朝誕生」

 

アブル・アッバスは、アッバース家から輩出された。イスラム帝国は、アッバース朝の時代にバグダッドを築き、最盛期を迎えた。

 


■AD878年 「ムタパ誕生」

 

「夷浮の乱」を起こしたものの、鎮圧された陸奥安倍氏は、東北地方を離れ、城氏を率いてインド洋を横断してジンバブエに上陸した。陸奥安倍氏は、「ムタパ」を称した。ムタパの名の由来は陸奥の安倍である。陸奥+安倍=ムツアベ=ムツァペ=ムタパとなる。

 


■AD878年 「アヴィス騎士団誕生」

 

ジンバブエ組とは別行動をとった陸奥安倍氏は、城氏と共にアフリカ大陸を経てイベリア半島に上陸した。日本人の顔をした彼らは、現地人と混合して「アヴィス騎士団」を形成した。アヴィスの名の由来はエビスである。エビス=エヴィスー=アヴィスとなる。これに、テンプル騎士団の残党に加わった。その後、テンプル騎士団から独立したアヴィス騎士団は、AD1383年、総長のジョアンが初代王に即位して「アヴィス朝ポルトガル王国」を創建した。

 


■AD909年 「ハプスブルグ家誕生」

 

ファティマ朝が成立し、同時に後ウマイヤ朝がカリフを称したため、アッバース家がスイス北東部に移住した。アラビア人の顔をした彼らはスイス人と混合して「ハプスブルグ家」を形成した。ハプスブルグの名の由来は「ブルグントのアプスー」である。アプスー+ブルグント=アプスブルグ=ハプスブルグとなる。

 


■AD1040年 「マドヴァ派誕生」

 

ジンバブエ人の顔をした人々は、インドに移住して「マドヴァ」を生んだ。マドヴァの名の由来はムタパである。マドヴァは、ヒンドゥー教ヴィシュヌ派に加わり、「ヴィシュヌ教マドヴァ派」を築いた。

 


■AD1229年 「ハフス朝誕生」

 

アブー・ザカリーヤ・ヤフヤー1世が、マラウィ人、マフダリ家に継ぐスワヒリ人の王国、「ハフサ朝」をチュニジアに開いた。しかし、AD1276年に権力闘争が起きると、一部ハフス家はチュニジアを後に南北に移住した。南方組は、チャドに戻って残留組のハウサ族と組み、「ハウサ諸王国」を建設した。

 


■AD1383年 ジョアン、初代ポルトガル王に即位 「アヴィス朝誕生」

 

AD1383年、アヴィス騎士団総長のジョアンが初代王に即位して「アヴィス朝ポルトガル王国」を創建した。しかし、ポルトガルにはタナトスの宗教シトー会やクリュニー会が巣食っていたため、アヴィス朝は彼らに引きずられて世界征服の尖兵と化してしまう。ポルトガル王国は、主にアフリカ、インド、東南アジア、東アジアを縄張りにしたが、アヴィス朝は悲しいことに、祖を同じくするムタパ王国とジンバブエの地で戦火を交えている。もちろん、人喰い人種クリュニー会の指揮下であった。

 


■AD13??年 インドからジンバブエに帰還

 

ヴィジャヤナガル王国、バフマニー朝は激しい交戦を繰り広げると、これを嫌ったヴィシュヌ教マドヴァ派はインドを離れて、ジンバブエに帰還した。この系統からは、初代ムトゥパ王オドゥドゥワが輩出されている。

 


■AD1430年 オドゥドゥワ、初代王に即位 「ムタパ王国誕生」

 

AD1430年、オドゥドゥワが初代ムタパ王に即位し、ジンバブエに「ムタパ王国」を建設した。

 


■AD1430年 「オヨ王国誕生」

 

一部のムタパ人はナイジェリアに移住して「イフェ人」に連合し、「オヨ」の名を復活させた。更に、ヨルバ人(卜部氏)と組んだイフェ人は、AD15世紀頃に「オヨ王国」を建てた。オヨの名の由来は奥羽である。

 


■AD1438年 アルブレヒト2世、神聖ローマ皇帝に即位 「ハプスブルグ朝誕生」

 

AD1273年、ハプスブルグ伯ルドルフ1世が神聖ローマ皇帝に即位して「ハプスブルグ家」が発足し、AD1438年にアルブレヒト2世が神聖ローマ皇帝に即位して「ハプスブルグ朝」が開かれる。

 


■AD1519年 カール5世、神聖ローマ皇帝に即位 「太陽の沈まぬ国誕生」

 

AD1519年に即位したカール5世の治世にはスペインを掌握していたため、「ハプスブルグ帝国」は「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。ハプスブルグ家の家系は、近親結婚によって体が弱い男子が多く生まれたとされている。だが、実際には、カトリック(クリュニー会、シトー会、ドミニコ会)の医者が一服盛っていたに過ぎない。
家来、兵士、料理人、召使などは、みなカトリック信者なのでハプスブルグ家は、常にタナトス(死)に囲まれていた。その後も、タナトスの陰謀にも拘らず、ハプスブルグ家はスペインやオーストリアに分家を持った。「オーストリア=ハンガリー帝国」時代には、プロイセン帝国、オスマン・トルコ帝国と組んでタナトスが背後に隠れる白人列強に挑み、「第一次世界大戦」を戦った。

 


■AD1529年 「的場氏誕生」

 

AD1629年にムタパ王国が滅亡すると、ムタパ人はジンバブエを去り、故地である日本帰還を目指した。ジンバブエ人の顔をしたムタパ人は、日本人と混合して「的場」の名を形成した。的場の名の由来はムタパである。ムタパの系統からは特撮監督の的場徹、俳優的場浩司が輩出されている。

 


■AD1574年 「アフシャール部族連合誕生」

 

ハフス朝が滅ぶと、ハフスの人々はチュニジアを離れて故地であるコラズムに帰還した。彼らは「アフシャール」の名を復活させ、「アフシャール部族連合」を築いた。しかし、タナトスの血を引くナディル・シャーがアフシャール部族連合を指揮下に置き、AD1736年、「アフシャール朝」を開いた。だが、ナディル・シャーはタナトスの系統であるため、アフシャール連合に嫌われ、虐殺された。その後、アフシャール朝は、60年後のAD1796年に滅んでいる。

 


■AD1580年 「我孫子氏誕生」「安孫子氏誕生」

 

AD1580年、「ポルトガル・スペイン同権連合」が発足すると、これを嫌ったアヴィス家はポルトガルを後に、日本に帰還した。ポルトガル人の顔をしたアヴィス家は日本人と混合して「蛭子」「安孫子」、そして「海老」「蝦」が付く姓を多く残した。この系統からは漫画家「藤子不二雄」の安孫子素雄、漫画家・俳優蛭子能収が輩出されている。

 


■AD1918年 「バアス党誕生」

 

「第一次世界大戦」に敗北すると、ハプスブルグ家は先祖が「アッバース朝」時代に治めていた土地、シリアに帰還した。オーストリア人の顔をした彼らは、アラビア人と混合し、サギー・アル=アルスイーズイーを輩出した。彼は、ダマスカスで秘密結社「バアス党」を結成した。バアスの名の由来はアッバースである。サダム・フセインも母系ハプスブルグ家の系譜に属すると考えられる。残念ながら、白人列強の集中攻撃を受けたフセイン大統領は、「第一次世界大戦」と同様、タナトスが背後に控える白人列強に討ち取られてしまった。

 


■AD1924年 安部公房生誕

 


■AD1934年 藤子不二雄A(安孫子素雄)生誕

 


■AD1937年 安部譲二生誕

 


■AD1946年 カーマイン・アピス生誕 「ヴァニラ・ファッジ誕生」

 


■AD1957年 ヴィニー・アピス生誕 「ディオ誕生」

 


■AD1959年 スザンナ・ホフス生誕 「バングルス誕生」

 

 

 

◆ヴィスコンティ(プシケ)の歴史

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「プシケ誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」が到来し、ヘラクレスがアマゾーン王国と戦争を始めると、エバシは、オーストラリア北西部に移住した。この時に「プシケ」が生まれた。プシケの名の由来はバブサとテュケーの組み合わせである。バブサ+テュケー=ブスケ=プシケとなる。

 


■7万年前 「ピサ王国誕生」

 

当時、オーストラリア大陸南東部にはタルタロスの一族が君臨し、西部には河川の娘たちのオイノマオスが王として君臨していた。プシケーは、まずタルタロスに赴いて体勢を整え、オイノマオスの国に侵入した。彼らはオイノマオスに勝利し、別の王族ヒッポダメイアと連合した。この時に「ピサ王国」が誕生した。ピサの名の由来はバブサである。バブサ=ブサ=ピサとなる。こうして、河川の娘たちに勝利したバブサ族は、タルタロスの国と並ぶピサ王国を建設してオーストラリア大陸に君臨した。

 


■4万年前 「オリンポス神族の大航海時代」

 


■4万年前 「ペロプス誕生」

 

「オリンポス神族の大航海時代」が到来すると、メラネシア海域に根を張っていたアンボン族(アンピロー)はマレー地域に住んでいたカロ族(カリュプソー)と連合体を組んだ。この時にペロプスが生まれた。ペロプスの名の由来はアンピローとカリュプソーの組み合わせである。アンピロー+カリュプソー=ピロプソー=ペロプスとなる。ペロプスは、アトランティス王国の王族となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「原初の水アプスー誕生」

 

アトランティス王国が吹き飛び、大地殻変動でオーストラリア海岸部が荒廃に帰すと、「デウカリオンの大航海時代」に参加したピサ人はスーサに上陸し、コーカサス地方に入植した。彼らは「原初の水アプスー」を称した。アプスーの名の由来はエバシである。エバシ=エバシー=アプスーとなる。アプスーはモンゴルから来たティアマトと同盟を組み、メソポタミアから少々離れることで「神々の集団アヌンナキ」の種族とは距離を置いた。

 


■BC1026年 「ピサ建設」

 

「マハーバーラタ戦争」によって故地が荒廃すると、アプスーはインダス流域を離れてギリシアに移住した。彼らはペロポネソス半島に改めて「ピサ」を築いた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC327年 「ヴァスコン誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したヴィシュヌは、次にアドリア海らイベリア半島北部に上陸した。ヴィシュヌは、「ヴァスコン人」を称した。ヴァスコンの名の由来はプシケとガンダーラの組み合わせである。プシケ+ガンダーラ=プシガン=パシガン=ヴァスコンとなる。

 


■BC146年 「ピサ建設」

 

ギリシアがローマの属国化したのを機に、ピサ人がイタリアに移住した。ピサは交易都市として発展を遂げ、中世には「ピサ共和国」を立ち上げて、小国ながらジェノヴァ共和国やヴェネツィア共和国と凌ぎを削った。

 


■AD10??年 ピサ共和国、海洋国家のひとつとして数えられる

 

ピサは、ジェノヴァ共和国、アマルフィ共和国、ヴェネツィア共和国と共に地中海を統べる海洋国家のひとつとして名を成した。ジェノヴァ人はスエビ人の子孫であり、ヴェネツィア人はフェニキア人の子孫である。

 


■AD1060年 ピサ共和国、ジェノヴァ共和国と交戦し、勝利を得る 「海の慣習法承認」

 


■AD1099年 第1次十字軍に参加し、植民地を得る

 

ピサ共和国は、エルサレム、カエサリアに所領を持ち、アンティオキア、ヤッファ、トリポリ、ティルス、ラタキア、アッコンなどに植民地を築いた。

 


■AD1119年 ピサ共和国、ジェノヴァ共和国と交戦

 

AD1133年まで戦争を続いたが、両者は陸海で争い、戦闘行為は海賊のように略奪を主としていた。

 


■AD1238年 ジェノヴァ共和国、ヴェネツィア共和国が反ピサ同盟を締結

 


■AD1290年 ジェノヴァ共和国、ピサの主要港ピサーノを破壊

 


■AD1347年 「ヴィスコンティ家誕生」

 

AD1347年、黒死病がヨーロッパを席巻するが、バスク人は、黒死病を逃れるために一時、イベリア半島からミラノに避難した。この時に「ヴィスコンティ家」が生まれた。ヴィスコンティの名の由来はバスクとカンディアーノの組み合わせである。バスク+カンディアーノ=バスカンディ=ヴィスコンティとなる。

 


■AD1395年  ジャン=ガレアッツオ・ヴィスコンティ、ミラノ公に 「ミラノ公国誕生」

 

ヴィスコンティ家は、ミラノを掌握してAD1395年に「ミラノ公国」を建設している。この系統からは映画監督ルキノ・ヴィスコンティ、ロック・プロデューサのトニー・ヴィスコンティが輩出されている。

 


■AD1447年 「バスク誕生」

 

しかし、その後の男系途絶により、ヴィスコンティ家はミラノを離れてイベリア半島に帰還した。この時、ヴィスコンティ家はカンディアーノと分離して「バスク」を称した。バスクの名の由来はヴァスコンである。ヴィスコン=バスコン=バスクとなる。

 


■AD1494年 「第2次ピサ共和国誕生」

 

フランス王シャルル8世がイタリアに侵攻すると、フィレンツェ共和国が衰退し、ピサは、自治権を再生する機会を得た。しかし、AD1509年に、ピサ共和国はフィレンツェ軍に再征服された。

 


■AD1509年 「ヴァーサ家誕生」

 

ピサを離れた人々は、スウェーデンに入植して「ヴァーサ」を称した。ヴァーサの名の由来はピサである。ピサ=ピャサ=ピャーサ=ヴァーサとなる。スウェーデン独立派の指導者ストゥーレが戦死すると、優れた指導者を喪失した独立派は、一転してデンマーク王クリスチャン2世に講和を求めた。クリスチャン2世もこれに応じ、反乱の罪を水に流すとして晩餐会を開いた。しかし、スウェーデン独立派や自由市民の有力者が集まると、クリスチャン2世は、彼らをまとめて皆殺しにした。これが「ストックホルムの血浴」である。これを機に、クリスチャン2世は、スウェーデンの独立運動はもう起きないだろうと安心した。しかし、ピサ共和国の末裔であるグスタフ・ヴァーサは、逆にストックホルムの血浴を機に立ち上がり、デンマーク人の支配を退けてスウェーデン王国を独立へと導いた。

 


■AD1523年 「ヴァーサ朝誕生」

 

AD1509年にピサ共和国が滅亡すると、ピサ人はイタリアを離れてスウェーデンに移住した。彼らはピサを由来に「ヴァーサ」を称した。ピサ=ヴィーサ=ヴァーサとなる。その後、AD1523年、グスタフ・ヴァーサが初代王に即位して「ヴァーサ朝」が開かれた。地中海で戦争ばかりしていたピサ人は、バルト海でも戦争に明け暮れた。「リヴォニア戦争」「北方七年戦争」「ロシア・ポーランド戦争」「スウェーデン・ポーランド戦争」などである。

 


■AD1611年 スウェーデンがデンマークと戦火を交える

 


■AD1613年 スウェーデンがロシアと戦火を交える

 


■AD1621年 スウェーデンがポーランドと戦火を交える

 


■AD1665年 スウェーデンがロシアと戦火を交える 「第1次北方戦争」

 


■AD1668年 「土方氏誕生」

 

AD1668年にヴァーサ朝が滅ぶと、ヴァーサ家はスウェーデンを出て日本に移住した。スウェーデン人の顔をしたヴァーサ家は、日本人と混合して「土方」の名を生んだ。土方の名の由来はヴァーサとゴートの組み合わせである。ゴートの名はスウェーデンから来たことを示している。ヴァーサ+ゴート=ヴァサゴト=土方となる。AD1833年に生まれた土方歳三は近藤勇などと共に「新撰組」に参加する。

 


■AD1833年 土方歳三生誕

 

AD1833年に生まれた土方歳三は近藤勇などと共に「新撰組」に参加するが、AD1869年に戦死している。

 


■AD1925年 「アルバニア共和国誕生」「アルバニア王国誕生」

 

AD1833年、カルリスタ戦争が発生すると、バスク人はスペインを離れてアルバニアに移住した。バスク人はアルバニアでは「ゾグー家」を称した。ゾグーの名の由来はバスクである。バスク=バゾグ=ゾグーとなる。AD1925年、アフメド・ゾグーは初代アルバニア大統領に就任して「アルバニア共和国」を建て、直後にゾグー1世を称してアルバニア王に即位し、「アルバニア王国」を建てた。しかし、AD1939年にイタリア軍が侵攻すると、ゾグー1世は王妃と共にアルバニアを脱出して海外に亡命した。

 


■AD1906年 ルキノ・ヴィスコンティ生誕

 


■AD1944年 トニー・ヴィスコンティ生誕

 

 

 

 

 

 


キャラの歴史

◆ケルケイース(キャラ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「キャラ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現タンザニアに移住して「キャラ」を生んだ。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「カウレ族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したキャラは、パプアに入植し「カウレ族」を生んだ。カウレの名の由来はキャラである。キャラ=キヤラ=カウレとなる。

 


■30万年前 「カオスの大航海時代」

 


■30万年前 「ケルケイース誕生」

 

「カオスの大航海時代」の参加者がオセアニアに訪れると、キャラはクウォスと組んで「ケルケイース」を生んだ。ケルケイースの名の由来はキャラとクウォスの組み合わせである。キャラ+クウォス=キャラクウォス=カラクウォース=ケルケイースとなる。その後、ケルケイースは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ガラクサウラー誕生」

 

ケルケイースはアシェラーフと組んで「ガラクサウラー」を生んだ。ガラクサウラーの名の由来はケルケイースとアシェラーフの組み合わせである。ケルケイース+アシェラーフ=ケルケシェラ=ガラクサウラーとなる。その後、ガラクサウラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カウレ族誕生」「セイル族誕生」

 

ガラクサウラーは、パプアに「カウレ族」「セイル族」を生んだ。カウレとセイルの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=カウレクサウラー=カウレとなり、ガラクサウラー=ガラクセイル=セイルとなる。

 


■30万年前 「グレニコス誕生」

 

「カオスの大航海時代」の参加者がオセアニアに訪れると、キャラはウラニアー、クウォスと組んで「グレニコス」を生んだ。グレニコスの名の由来はキャラ、ウラニアー、クウォスの組み合わせである。キャラ+ウラニアー+クウォス=キャラニアクウォス=グレニコスとなる。その後、グレニコスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「コルキス誕生」

 

ケルケイースは、メーティスと共にエーゲ海を離れて黒海に移住した。彼らは上陸した拠点に「コルキス」と命名した。コルキスの名の由来はケルケイースである。ケルケイース=ケルケス=コルキスとなる。後に、コルキスがタナトスに簒奪されるとコルキスは「ゴルゴン」と呼ばれた。コルキスは、現グルジアの語源でもある。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ポイニクス誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペイトーは、グレニコスと連合してフェニキア人の祖である「ポイニクス」を生んだ。ポイニクスの名の由来はペイトーとグレニコスの組み合わせである。ペイトー+グレニコス=ペイニコス=ポイニクスとなる。フェニキアの名の由来はポイニクスである。ポイニクス=ポイニキャ=フェニキアとなる。

 


■BC40世紀 「第1次シュメール人の大航海時代」

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 

■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「サウル朝誕生」「モンゴル誕生」

 

ソロモン諸島からペルーに移住し、そこから出羽国に移住した彼らは、「モーゼスの大移動時代」に参加してモンゴルに移住した。この時、この地は初めて「モンゴル」と呼ばれた。モンゴルの名の由来はクリュメネーとガラクサウラーの組み合わせである。クリュメネー+ガラクサウラー=メネガラ=モンゴルとなる。また、この時に「サウル」が誕生し、モンゴルに「サウル朝」を築いた。サウルの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=サウラー=サウルとなる。

 


■BC32世紀 「ソロモン誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したガラクサウラーは、クリュメネーと連合して、モンゴルに「ソロモン」を生んだ。ソロモンの名の由来はガラクサウラーとクリュメネーの組み合わせである。ガラクサウラー+クリュメネー=サウラメネー=ソロモンとなる。

 


■BC30世紀 「黙示録アルマゲドン」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ハルキス誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したガラクサウラーは、エウボイア島に移住し「ハルキス」を建設した。ハルキスの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=バラクサウラー=バラクサ=ハルキスとなる。

 


■BC343年 「第1次ポントス人の大航海時代」

 


■BC343年 「コルキス王国誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したハルキス人は、コーカサスに移住し「コルキス王国」を築いた。コルキスの名の由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=カラクサウラー=コルキスとなる。

 


■AD114年 「第2次ポントス人の大航海時代」

 


■AD114年 「黒木氏誕生」「春木氏誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したコルキス人は、日本に上陸し「黒木氏」「春木氏」の名を生んだ。黒木、春木の名の由来はコルキスとハルキスである。

 


■AD114年 「ゴルカ誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したコルキス人は、満州に移住した。彼らは、現地人と混合して「ゴルカ」を生んだ。ゴルカの名の由来はコルキスである。コルキス=ゴルキス=ゴルカとなる。ゴルカは、後に、満州に移住して「野人女直」を結成する藤原氏と連合している。

 


■AD114年 「キルギス族誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したコルキス人は、モンゴルに帰還し「キルギス族」を生んだ。キルギスの名の由来はコルキスである。コルキス=コルギス=キルギスとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「クリーク族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加したキルギス族は、アメリカに移住し、「クリーク族」を生んだ。クリークの名の由来はキルギスである。キルギス=キルーギス=クリークとなる。

 


■AD668年 「グルジア王国誕生」

 

ハルキス人(コルキス人)は、かつてイベリア人(イベリア王国)、エウロペ(アルバニア王国)と共に一時的な国家「コルキス王国」を古代コーカサスに築いていた。ということで、ハルキス人の一部は、コルキス王国の跡地に移り「グルジア人」となっている。AD1008年、バグラト3世が初代王に即位して「グルジア王国」を建てている。

 


■AD1357年 「ゲルク派誕生」

 

AD1234年、金王朝の滅亡を機にゴルカが満州からチベットに逃亡した。この系統からツォンカパ・ロサンタクパが輩出され、「ゲルク派」を興してチベット仏教の一角を成すことになる。ゲルクの名の由来はゴルカである。

 


■AD1523年 「ゴルカ族誕生」

 

AD1523年、野人女直は朝鮮半島に侵入している。結果がどうなったかは記録されていないが、多分、排除されたのだろう。コルカを含む野人女直は、満州を後にネパールに移住した。彼らは、「ゴルカ族」となる。

 


■AD1559年 ドラヴィア・シャハ、初代王に即位 「ゴルカ王国誕生」

 

AD1599年、ドラヴィア・シャハは、初代ゴルカ王に即位して「シャー王朝」を開いた。シャハの名の由来は藤原と考えられる。藤原=フジハラ=フジャハラ=シャハとなる。

 


■AD1814年 「グルカ戦争」

 

ゴルカ王国と、侵略者である聖公会(クリュニー会)に率いられた大英帝国軍による戦闘である。これにより、ネパール軍は大英帝国軍を退け、「サガウリ条約」を締結している。

 


■AD1933年 マチュー・ケレク生誕

 

初代、第3代ベナン共和国大統領に就任している。

 


■AD1955年 ピーター・ギャラガー生誕

 


■AD196?年 ジョン・ギャラガー生誕 「レイヴン誕生」

 


■AD196?年 マーク・ギャラガー生誕 「レイヴン誕生」

 

 

 

 

◆カンボジア(グレニコス)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大航海時代」

 


■30万年前 「グレニコス誕生」

 

「カオスの大航海時代」の参加者がオセアニアに訪れると、キャラはディンカと組んで「グレニコス」を生んだ。グレニコスの名の由来はキャラ、ナクソスの組み合わせである。キャラ+ナクソス=キャラナクソ=グレニコスとなる。その後、グレニコスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ニュクス誕生」

 

グレニコスが誕生したものの、グレニコスの部族の中で、できそこないが集団化して王族に蜂起した。これにより、「ニュクス」が生まれた。反自然の種族の長である。やがて、反自然の種族のタナトスが、最凶最悪の人類として台頭する。

 


■30万年前 「ズルヴァーンの大移動時代」

 


■30万年前 「葦原中津国誕生」

 

「ズルヴァーンの大移動時代」に参加しなかったアシアーは、グレニコスと共に日本に移住した。八代湾に上陸した彼らは、「葦原中津国」を築いた。葦原中津国(アシハラナカツクニ)の名の由来は、アシアーとグレニコスの組み合わせである。アシアー+原+グレニコス+国=アシ原+ニコス国=葦原中津国となる。また、台湾(高天原)は、グレニコスが支配していたキレナイカとアシアーが支配していたアナトリア半島に至る海域、つまり、エーゲ海も「葦原中津国」と呼んでいた。

 


■30万年前 「伊邪那岐誕生」「伊邪那美誕生」

 

葦原中津国を建設したアシアーとグレニコスは、エウリュノメーを迎えて「伊邪那岐」「伊邪那美」の2神を誕生させた。イザナギの名の由来はアシアーとグレニコスの組み合わせであり、イザナミの名の由来はアシアーとエウリュノメーの組み合わせである。アシアー+グレニコス=アシアニコ=イザナギとなり、アシアー+エウリュノメー=アシアノメー=イザナミとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「人皇誕生」

 

「エノクの大航海時代」によって黒龍江に来たウラニアーは、オアンネスと連合して「人皇(レンホアン)」を生んだ。レンホアンの名の由来はウラニアーとオアンネスの組み合わせである。ウラニアー+オアンネス=ラニオアン=レンホアンとなる。人皇は、「古代日本人の大航海時代」で黒龍江に来たディオーネーが築いた天皇、地皇と組んで「三皇」を称した。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC1200年 「カンボジャ人誕生」

 

「海の民」の時代になり、海の民がヒッタイト人、トロイア人をイランに導くと、ベーシュタード王国が建てられた。この時に同行したフェニキア人、ヴィディエ・ワルムベ(ランブダ)は「カンボジャ人」を生んだ。カンボジャの名の由来はフェニキアとランブダの組み合わせである。フェニキア+ランブダ=キアンブダ=カンボジャとなる。

 


■BC11世紀 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「熊氏誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、長江に移住したカンボジャ人(キャラ)は、「熊氏(キャン)」を称した。キャンの名の由来はカンボジャである。カンボジャ=キャンボジャ=キャンとなる。BC9世紀頃、熊氏は「楚王」に即位した。

 


■BC771年 「キンメリア人誕生」

 

BC771年、「東周」が生まれると、楚の熊氏はタリム盆地に移住し、パミール人と組んで「キンメリア人」を生んだ。キンメリアの名の由来はキャン(熊)とパミールの組み合わせである。キャン+パミール=キャンミール=キンメリアとなる。謎の民族とされるキンメリア人は、中央アジアに覇を唱え、フルリ人のウラルトゥ王国に侵攻し、サルゴン2世が率いるアッカド帝国と戦火を交えた。また、フリギア王ミダスを自殺に追い込んだりしたが、アッシリア軍、リディア王国軍に敗北してモンゴルに帰還している。

 


■BC6??年 「羌族誕生」

 

アッシリアとリディアの連合軍に敗れたキンメリア人は。東アジアに帰還した。この時、彼らは「羌(キャン)」を称した。キャンの名の由来は熊(キャン)である。

 


■BC530年 カンビュセス、ペルシア王に即位

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加せず、イランに残留したカンボージャ人は、現地人と混合して「カンビュセス」の名を誕生させた。この系統からはカンビュセス1世、カンビュセス2世が輩出されている。アーリア人に属するカンボージャ人は「ペルシア帝国」の誕生に携わった。

 


■BC329年 「匈奴(キョンヌ)誕生」

 

BC329年に楚の家臣団が分裂すると熊氏は、黄氏と福建人を率いてモンゴルに移住した。祖を同じくする羌族や、ペルシア帝国の滅亡を機にモンゴルに来ていたアーリア人(アラン人)、タタ(タタール人)と組んだ熊氏は「匈奴(キョンヌ)」を結成した。匈奴の名の由来は熊・羌(キャン)と黄(ファン)の組み合わせである。キャン+ファン=キャン+ファンヌ=キャンヌ=匈奴となる。匈奴の名はある意味フェニキアを逆にひっくり返したものである。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「神戸誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したカンボージャ人(カンビュセス)は、日本に移住した。播磨国に上陸したカンボージャ人は、拠点に「神戸(カンボージャ)」と命名した。神戸の名の由来はカンボージャである。カンボージャ=カンボ=カンベ(神戸)=神戸(こうべ)となる。

 


■BC57年 「新羅誕生」

 

神戸から朝鮮半島に移住したカンボージャ人は、朝鮮半島に入植し、「全羅道(チョンラ)」を築いた。更に、朴氏やチュルク族と連合した。この時に新羅(シラギ、シンラ)が生まれた。チョンラとシンラの名の由来はキャンとワルムベの組み合わせである。キャラ+ワルムベ=キャンル=チョンラ=シンラとなる。日本ではチュルクに由来して新羅(シラギ)と呼ばれた。そして、新羅誕生と同時に朴氏王朝が開かれた。

 


■AD93年 「フン族誕生」

 

北匈奴が滅ぶと、羌族は匈奴を解散してフン族として中央アジアに進出を果たす。フンの名の由来は羌である。羌(キャン)=ファン=フンとなる。フン族は、アラン族と共に東ゴート族を撃破したため、東ゴート族は安全なローマ領内に避難した。これを機に「ゲルマン人の大移動」が始まる。この強靭な騎馬民族に魅了された人喰い人種(殷・能登族)は、徐々にインフラを掌握し、アッチラの時に、フン族を完全な支配下に置いた。

 


■AD262年 「眞蝋国誕生」

 

AD262年、金氏が新羅を掌握すると、カンボージャ人は朝鮮半島を後に、インドシナ半島に移住した。彼らは、カンボジアに上陸して「眞蝋(チャンラ)」を築いた。この時に初めて当地は「カンボジア」と呼ばれた。チャンラの名の由来はチョンラ(全羅道)であり、カンボジアの名の由来はカンボージャである。チョンラ(全羅)=チャンラ(眞蝋)となる。

 


■AD3世紀 「シュリーヴィジャヤ誕生」

 

太平道の残党は、スマトラ島に移住して「シュリーヴィジャヤ王国」を築いた。シュリーヴィジャヤの名の由来はキャラ、ワルムベ、ヴィディエの組み合わせである。キャラ+ワルムベ+ヴィディエ=キャラワヴィディエ=シャラワヴィジエ=シュリーヴィジャヤとなる。

 


■AD445年 「河野氏誕生」

 

人身御供の種族であるアッチラを嫌ったフン族は、ヨーロッパ支配を放棄して東方に帰還した。中国に上陸したフン族は「黄(ファン)」の名を継承した。また、日本に上陸したフン族は「河野氏」を称した。羌(キャン)に河(かわ)を当て字し、「キャンの土地」の意を含んだ「河野氏」を冠した。

 


■AD581年 「ソンツェン・ガンポ誕生」

 

烏孫は、西域を離れてチベットに移住した。彼らはヤルルンの族長ナムリ・ソンツェンに接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのがソンツェン・ガンポである。ガンポの名の由来はカンボージャである。AD593年、ソンツェン・ガンポは、チベット初の統一国家「吐藩王国/チベット王国」を築いた。

 


■AD550年 「眞蝋国復活」

 

AD550年頃に劉氏、海南島民がカンボジアに扶南国を建てると、眞蝋は隷属した。しかし、数十年ぶりに眞蝋は独立を勝ち取った。眞蝋国は、AD802年まで続いた。

 


■AD727年 「ウイグル人の大航海時代」

 


■AD727年 「キエフ(前身)誕生」

 

AD675年、新羅人は、金氏が勢力を伸張して「統一新羅」を完成させると、朝鮮半島を出てモンゴルに移住した。「ウイグル人の大航海時代」に参加した新羅人は、北極海の航行を経てバルト海に到達すると、スウェード人、ワリアギ、ルス人、リューリクと組んだ。

 


■AD752年 「シャイレーンドラ朝誕生」

 

AD713年に眞蝋国が分裂すると、一部はカンボジアからジャワ島に移住し、新羅人に合流した。眞蝋人は、モンゴル時代の仲間、アラン人、タタール人と共に「シャイレーンドラ朝」を開いた。シャイレーンドラの名の由来はチャンラ、アラン、タタールの組み合わせである。チャンラ+アラン+タタール=チャアランタール=シャイレーンドラとなる。その後、AD802年に眞蝋国が滅び、AD998年に新羅が滅ぶと、カンボジアの眞蝋人、朝鮮半島の新羅人がシャイレーンドラ朝に参加した。

 


■AD832年 「ジャライル族誕生」

 

シャイレーンドラ朝が滅ぶと、シャイレーンドラ人はモンゴルに帰還した。眞蝋人・新羅人は、現地人と混合して「ジャライル」を生んだ。ジャライルの名の由来はキャラとワルムベの組み合わせである。キャラ+ワルムベ=キャラワラ=キャラアラ=ジャライルとなる。

 


■AD862年 「キエフ公国誕生」

 

リューリクはモンゴル人(柔然/ローラン)であり、スウェード人はインド人(チェーティ王国)であり、ルス人はマヤ人(セロス)であり、ワリアギはアラビア人(ナパタ王国)であった。この国際的な連合体は、リューリクを指揮者にスウェード人傭兵の力でノヴゴロドを支配下に置いた。同時に、リューリクは「リューリク朝」を開き、ロシアの建国者となった。ロシア人の母体人種は、は宇宙人(科学の種族トバルカイン)である。
ロシアの名の由来はトゥルシア人の末裔「ルス」である。後にワリアギがキエフを占領し、首都に設定している。キエフの名の由来はキャラとヴィディエの組み合わせである。キャラ+ヴィディエ=キャヴィ=キエフとなる。AD913年にはイーゴリ1世が初代キエフ大公に就任して「キエフ大公国」を築いている。

 


■AD877年 「神保氏誕生」「坪内氏誕生」

 

反乱軍がヤルルンを占領したため、これを機にヤルルン家はチベットを発ち、日本に移住した。ヤルルン家は惟宗氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「神保氏」である。神保の名の由来はカンボージャである。カンボージャ=神保(カンボ)=神保(じんぼ)となる。また、ヤルルン家は祖を同じくする富樫氏にも接近して自身の血統を打ちたてている。この時に誕生したのが「坪内氏」である。坪内の名の由来は「ツォボ(チベット)のカンボージャ人」である。ツォボ(坪)+カンボージャ(内)=坪内となる。

 


■AD1025年 「ギュンポ氏誕生」

 

チョーラ人がシュリーヴィジャヤを攻めると、一部カンボジア人はスマトラを後に東西に新天地を求めて旅立った。西方組はチベットに赴き、「ギュンポ」を称した。ギュンポの名の由来はカンボジアである。カンボジア=ギャンボジア=ギュンポとなる。ギュンポ氏からは、「チベット仏教カギュ派」の創始者ミラレパが誕生している。また、ギュンポ氏の分流「キェンパ氏」からは、ツルプ寺院を建立しる。

 


■AD1025年 「関氏誕生」

 

チョーラ人がシュリーヴィジャヤを攻めると、一部カンボジア人はスマトラを後に東西に新天地を求めて旅立った。東方組は日本に上陸し、河内源氏の源清光に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのが「武田氏」の祖、武田信義である。一部は平維衡に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「関氏(せき)」の祖、関実忠である。関の名の由来はガンダーラである。彼らは、ガンダーラの「ガン」に「関(かん)」を当て字し、訓読みで「関(せき)」と呼んだ。

 


■AD1336年 「神戸氏誕生」

 

関氏を頼って日本に移住した一部カンボジア人は関盛政に接近して自身の血統を打ち立てた、この時に誕生したのが「神戸氏(かんべ)」の祖、関盛澄である。神戸(かんべ)の名の由来はカンボジアである。カンボジア=カンベジア=かんべ(神戸)となる。

 


■AD1431年 「カンボジア王国誕生」

 

AD1334年、マジャパヒト王国の勢力がスマトラ島に及ぶと、シュリーヴィジャヤ王国の中枢を成していたカンボジア人は、インドシナ半島に移住した。この時に「カンボジア王国」が建てられた。カンボジア王国は、AD1953年まで続いた。

 

 

 

 

 


トレの歴史

◆テレストー(トレ)の歴史

 


■50万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■50万年前 「トレ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したシルックは、現コンゴに移住して「トレ」を生んだ。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「トル族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したトレはアフリカを離れ、チッタゴンを経由してパプアに入植した。彼らは「トル族」を生んだ。トルの名の由来はトレである。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「エウドーラー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはヴィディエと組んで「エウドーラー」を生んだ。ヴィディエ+トレ=ィエトレ=イエトーレー=エウドーラーとなる。その後、エウドーラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「エレクトラ誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはオロクンと組んで「エレクトラ」を生んだ。オロクン+トレ=オロクトレ=エレクトラとなる。その後、エレクトラは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ポリュドーラー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはヒッポリュトスと組んで「ポリュドーラー」を生んだ。ヒッポリュトス+トレ=ポリュトレ=ポリュドーラーとなる。その後、ポリュドーラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「テレストー誕生」

 

「カオスの大移動時代」の参加者がオーストラリアを訪れると、トレはステュクスと組んで「テレストー」を生んだ。テレストーの名の由来はトレとステュクスの組み合わせである。トレ+ステュクス=トレステュ=テレストーとなる。その後、テレストーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

テレストーは、ゼウクソー、イマナと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「マイアンドロス誕生」

 

テレストーは、ピュグマエイ、ウェネと組んで「マイアンドロス」を生んだ。マイアンドロスの名の由来はピュグマエイ、ウェネ、テレストーの組み合わせである。ピュグマエイ+ウェネ+テレストー=マエイウェネテレス=マイアンドロスとなる。その後、マイアンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「イストロス誕生」

 

テレストーは、クウォスと組んで「イストロス」を生んだ。イストロスの名の由来はクウォス、テレストーの組み合わせである。クウォス+テレストー=ウォステレス=イストロスとなる。その後、イストロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ドーリス誕生」

 

テレストーが生まれると、その後にトレが分離し、「ドーリス」を生んでいる。ドーリスの名の由来はテレストーである。テレストー=テーレストー=ドーリスとなる。その後、ドーリスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アラス族誕生」「トアラ族誕生」

 

ドーリスは、テレストーと共にマレー半島に移住し「アラス族」、ヴェドイドに属する「トアラ族」を生んだ。アラス、トアラの名の由来はドーリスである。ドーリス=オーリス=アラスとなり、ドーリス=トオリ=トアラとなる。

 


■30万年前 「トラキ族誕生」「トラジャ族誕生」

 

テレストーは、ドーリスと共にマレー半島に移住し「トラキ族」「トラジャ族」を生んだ。トラキ、トラジャの名の由来はテレストーである。テレストー=テレキトー=トラキとなり、テレストー=テレシュトー=トラジャとなる。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「聖地デルポイ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したテレストーは、オーストラリアから古代ギリシアに移住した。テレストーはペイトーと組んで「聖地デルポイ」を建設した。デルポイの名の由来はテレストーとペイトーの組み合わせである。テレストー+ペイトー=テレペイ=デルポイとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天照大神誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したドーリスは、聖地デルポイから台湾に移住した。白人の姿をした彼らは、ニャメ(アミ族)と連合した。この時に「天照大神」が生まれた。アマテラスの名の由来はニャメとドーリスの組み合わせである。ニャメ+ドーリス=ヤメドリス=アマテラスとなる。天照大神は、高天原(台湾)を統治した。

 


■7万年前 「ドラヴィダ族誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したテレストーは、インドに上陸して「ドラヴィダ族」を生んだ。ドラヴィダの名の由来はテレストートペイトーの組み合わせである。テレストー+ペイトー=テレペイト=ドラヴィダとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「テリピヌ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したドラヴィダ族は、メソポタミアに辿り着くとブリテン島から来たヴァナラシ人(ペルセポネ)と組んで「テリピヌ」を生んだ。テリピヌの名の由来はドラヴィダとヴァナラシの組み合わせである。ドラヴィダ+ヴァナラシ=ドラヴァナ=テリピヌとなる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「日本足彦(孝安天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加した天照大神は、全世界的な大地殻変動によって故地が巨大な津波に飲み込まれると、荒廃した台湾を離れて大陸内陸部に避難した。モンゴルに拠点を得たティアマト、オケアーニス、獣人、河の種族は連合して「クンユ」「キアンユン」と呼ばれた国を築いた。
連合したティアマトたちは、後に、天孫族が築くイェマックの王統とは異なる天皇家の王統を築いた。神武天皇から始まり、垂仁天皇に終わる系譜は「クンユ」「キャンユン」時代に生きた天皇家の系譜である。彼らの御名は、みな獣人、オケアーニス、ティアマトに纏わる名前で構成されている。
日本足彦(ヤマトタラシヒコ)の名の由来はティアマトとドーリスの組み合わせである。ティアマト+ドーリス=アマトドリス=ヤマトタラシとなる。ヤマトタラシヒコは後に孝安天皇となるが、御名から推察すると、天照大神の直系は孝安天皇だけである。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「デリー誕生」

 

モンゴルに孝安天皇を生んだドーリスは、その後「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住した。彼らは、彼の地で「テリピヌ」を生んで「神々の集団アヌンナキ」に参加していたテレストーと再会し、再結合する。この時、両者はメソポタミアを離れて、ドラヴィダ族時代の故地インドに入植し「デリー」を築いた。デリーの名の由来はテレストーである。テレストー=テレーストー=デリーとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「デリー(トロイア)誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したテラは、アイルランドに入植し、「デリー(トロイア)」を築いた。このトロイアは「神統記」に記された「トロイア戦争」の舞台となる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「テラ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したテレストーとドーリスはメソポタミアに移住した。彼らは、この時にナホルの子として知られる「テラ」を生んだ。テラの名の由来はテレストーである。テレストー=テラストー=テラとなる。

 


■BC17世紀 「トロイア誕生」

 

インドに帰還していたテラは、パンジャブの王国(シバ王国、プント王国)の勢力拡大を機に、インドを離れ、ヒッタイト帝国で賑わうアナトリア半島に移住した。現地人と混合した彼らは、「トロイア」を称した。トロイアの名の由来はドラヴィダである。ドラヴィダ=トラウィラ=トラウィア=トロイアとなる。トロイアは、海の民(デニエン人、シェルデン人)に破壊されるまで伝説の都市として繁栄した。

 


■BC1200年 「ドルヒユ族誕生」

 

海の民の侵攻によってトロイアが破壊されると、トロイア人はトゥルシア人の助けにより、イランに亡命した。その後、トロイア人は故地であるインドに帰り、「ドルヒユ族」を称して、アーリア人の軍団に参加した。ドルヒユの名の由来はトロイアである。トロイア=トロヒア=ドルヒユとなる。

 


■BC1027年 「ダルマチア誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したマツヤ族とテラは、アドリア海に落ち着いて「ダルマチア」を称した。ダルマチアの名の由来はドルヒユとマツヤの組み合わせである。ドルヒユ+マツヤ=ドルマツヤ=ダルマチアとなる。BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「タリム誕生」

 

BC7世紀頃、ダルマチア人は、シルクロードを介してタリム盆地に及んだ。この時、一部ハッティ人が同行した。ダルマチア人の到来により、この地は初めて「タリム」と呼ばれた。タリムの名の由来はダルマチアである。ダルマチア=ダルマ=タリムとなる。

 


■BC7世紀 「登呂誕生」

 

キンメリア人などの勢力が強まると、をダルマチア人はタリム盆地から日本に移住した。日本ではダルマチア人は一時的に解散し、テラは「登呂」を建設した。登呂の名の由来はトレである。トレ=トロ=登呂となる。名前から、登呂遺跡は、日本に入植したダルマチア人が建設したとわかる。

 


■BC6世紀 「マツヤ王国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」によってたくさんの種族が到来すると、刺激を受けたダルマチア人は、日本を離れて故郷インドに帰還した。この時にマツヤ族とドルヒユ族は共同で先祖の拠点だったデリー近郊に「マツヤ王国」を建てている。

 


■BC552年 「マゴスの大航海時代」

 


■BC552年 「聖地タラ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したドルヒユ族は、インドを離れてかつての故郷であるアイルランドに上陸した。ドルヒユ族は、「聖地タラ」を設けた。タラの名の由来はテラである。このアイルランド上陸時に、ドルヒユ族はマツヤ族と離れ、マゴスを相棒に決めて合体している。

 


■BC552年 「デラウェア誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、太西洋を横断し、北アメリカに入植した。日本人の顔をした彼らは現地人と混合して「デラウェア」を称した。デラウェアの名の由来はドルヒユである。ドルヒユ=ドルヒェア=デラウェアとなる。

 


■BC552年 「タラスカ誕生」

 

「マゴスの大航海時代」に参加したマツヤ族、ドルヒユ族は、次にメキシコに上陸すると、「タラスカ」を築いた。タラスカの名の由来は登呂と望月の組み合わせである。トロ+モチヅキ=トロツキ=タラスカとなる。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC13年 「景行天皇誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したマゴス、ドルヒユ族は満州に上陸し、イェマックの王室に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「大足彦(オオタラシヒコ)」である。オオタラシヒコの名の由来はオメガ(オー)とタラスカである。オー+タラスカ=オオタラシ=大足彦となる。つまり、大足彦の名はマゴスとダルマチア人の連合体であることを示している。景行天皇は、弱い民衆を苦しめるタナトスの一族である土蜘蛛を皆殺しにし、日本武尊にもタナトスの一族である九頭龍の討伐を指示した。

 


■AD84年 「成務天皇誕生」

 

ワカタラシヒコの名の由来は「若」とタラスカである。ワカ+タラスカ=ワカタラシ=稚足彦となる。稚足彦は「成務天皇」として第13代天皇に即位している。成務天皇の時代、ステュクスの後裔である武内宿禰が大臣として政務を統括したと言う。

 


■AD??年 「仲哀天皇誕生」

 

タラシナカツヒコの名の由来はタラスカと河の種族グレニコスの組み合わせである。タラスカ+グレニコス=タラスナカ=足仲彦となる。足仲彦は「仲哀天皇」として第14代天皇に即位している。仲哀天皇を最後に、ポントス人の応神天皇が即位するまで、イェマック王位(天皇の座)は70年間、空位となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ダラス誕生」

 

仲哀天皇の一族は、アメリカに入植して「ダラス」を築き、「ムスコギー族」を成した。ダラスの名の由来はタラスカであり、ムスコギーの名の由来は朝鮮語「何の肉ですか?(ムスンコギヤ?)」である。

 


■AD3世紀 「ハスティンギ族誕生」

 

仲哀天皇の一族は、ブリテン島に入植し、現地人と混合して「ハスティンギ族」を成した。ハスティンギの名の由来は朝鮮語「海水の友(ハス+チング)」である。ハス+チング=ハスチング=ハスティンギとなる。ハスティンギ族は、後にブリテン島を出撃してヨーロッパに渡り、イベリア半島に覇を唱えている。
AD406年、ブリテン島を出たハスティンギ族は、バルト海に赴くと、スエビ族、ヴァンダル族と連合してライン河を越えた。AD409年にイベリア半島に侵攻して「ハスティンギ王国」を建設するが、10年後にスエビ族と対立して敗北を喫してしまう。

 


■AD409年 「ハスティンギ王国誕生」

 

AD406年、ブリテン島を出たハスティンギ族は、バルト海に赴くと、スエビ族、ヴァンダル族と連合してライン河を越えた。AD409年にイベリア半島に侵攻して「ハスティンギ王国」を建設するが、10年後にスエビ族と対立して敗北を喫してしまう。

 

 

■AD520年 「タルマヌガラ王国誕生」

 

カンボジアに拠点を得たクメール人、アンコール人、ハスティンギ族だが、アンコール人がハスティンギ族と共にジャワ島に移住した。両者はジャワ島初の王国「タルマヌガラ」を建てた。タルマヌガラの名の由来はハスティンギ族の故地のひとつ「タリム」と「アンコール」の組み合わせである。タリム+アンコール=タリマンコール=タルマヌガラとなる。

 


■AD6世紀 「ヘースティンガス王国誕生」

 

イベリア半島からブリテン島に帰還すると、彼らはAD6世紀に「ヘースティンガス王国」を築いた。ハスディンギの系統からは「デン」などが末尾に付く姓が多く残された。

 


■AD1441年 「トルワ王国誕生」

 

デラウェア族は、北アメリカからジンバブエに移住した。彼らは「トルワ」を称した。トルワの名の由来はトロイアである。トロイア=トロア=トルワとなる。トルワの首都は「カミ」である。カミの名の由来はもちろん、日本語の「神」だと考えられる。正式な国名「ブトゥワ」も日本語「武闘派」が由来だと考えられる。トルワ王国は、陸奥安倍氏が築いた「ムタパ王国」と共存し、来島村上氏の後裔「チャンガミレ族」によって滅びた。

 


■AD1879年 レフ・トロツキー生誕

 

アステカ人(アストラハン・タタール)がメキシコから中央アジアに帰還した際、タラスカ人が同行していた。トロツキーはその子孫である。トロツキーの名の由来はタラスカと同じく登呂と望月の組み合わせである。登呂+望月=登呂月=トロツキーとなる。

 


■AD1983年 エドワード・スノーデン生誕

 

 

 

◆タルタロスの歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「スカマンドロス誕生」

 

テレストーは、ゼウクソー、イマナと組んで「スカマンドロス」を生んだ。スカマンドロスの名の由来はゼウクソー、イマナ、テレストーの組み合わせである。ゼウクソー+イマナ+テレストー=ゼウクマナテレス=スカマンドロスとなる。その後、スカマンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「マイアンドロス誕生」

 

テレストーは、ピュグマエイ、ウェネと組んで「マイアンドロス」を生んだ。マイアンドロスの名の由来はピュグマエイ、ウェネ、テレストーの組み合わせである。ピュグマエイ+ウェネ+テレストー=マエイウェネテレス=マイアンドロスとなる。その後、マイアンドロスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「タルタロス誕生」

 

スカマンドロス、マイアンドロスは、連合を組んで「タルタロス」を生んだ。タルタロスの名の由来はスカマンドロスとマイアンドロスの組み合わせである。スカマンドロス+マイアンドロス=ドロドロス=トロトロス=タルタロスとなる。タルタロスは、カオス、ガイア、エロスに次ぐ原初の神のひとりである。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「タロコ族誕生」「ケンタウロス誕生」

 

「ティタノマキア」ニ敗北し、クロノスから解放されると、ギリシアを離れたタルタロスは台湾に入植し、シベリアから来ていたウリゲンと連合した。この時に「タロコ族」「ケンタウロス」が生まれた。タロコの名の由来はタルタロスとウリゲン、ケンタウロスの名の由来はウリゲンとタルタロスの組み合わせである。タルタロス+ティケー=タルケー=タロコ、ウリゲン+タルタロス=ゲンタロス=ケンタウロスとなる。タロコとケンタウロスは不可分であり、一時期、台湾がケンタウロスと呼ばれていたことがわかる。

 


■7万年前 「ダイダロス誕生」

 

マレー半島でアドメテーと連合したタルタロスは、「ダイダロス」を生んだ。ダイダロスの名の由来はアドメテーとタルタロスの組み合わせである。アドメテー+タルタロス=テータロス=ダイダロスとなる。ダイダロスは入ったら二度と出られない迷宮「ラビュリントス」を建設した。

 


■7万年前 「アイトラ誕生」

 

アラビア半島でエウドーラーと連合したタルタロスは、「アイトラ」を生んだ。アイトラの名の由来はエウドーラーとタルタロスの組み合わせである。エウドーラー+タルタロス=エウタロ=アイトラとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「タルタル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したタルタロスは、テテュスと行動を共にし、スーサから中央アジアに分布した。タルタロスは「タルタル人」を称した。タルタルの名の由来はタルタロスである。同盟者であるテテュスは「タタ」「タタール」などを称したが、彼らは行動を共にしていたため、タタ、タタール、タルタルはひとつの民族として混同された。

 


■BC5千年 「第1次北極海ルート時代」

 


■BC5千年 「ナワトル族誕生」

 

「第1次北極海ルート時代」に参加したタルタロスは、ノアと共に北アメリカに入植した。この時に「ナワトル族」が生まれた。ナワトルの名の由来はノアとタルタロスの組み合わせである。ノア+タルタロス=ノアタル=ナワトルとなる。

 


■BC40世紀 「ナワ族誕生」

 

ナワトル族は、北アメリカからマヤに移ると「ナワ族」に名を改めた。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「那覇誕生」「ナウル誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したナワ族は、出羽国を発ち、沖縄諸島を発見した。ナワ族は当地を「那覇」と命名した。那覇の名の由来はナワである。また、彼らは太平洋に進出し、「ナウル島(ニョルド)」を発見する。ナウルの名の由来はナイルである。ナイル=ナウルとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ナフタリ族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したナワトル族は、モンゴルに移住して「ナフタリ族」を生んだ。ナフタリの名の由来はナワトルである。ナワトル=ナハトル=ナフタリとなる。

 


■BC30世紀 「黙示録アルマゲドン」

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ガンダーラ(前身)誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したタルタロス(ナフタリ族)は、アラビア半島に移住した。彼らは、マガン王国に移住し、レメクと意気投合した。この時代に「ガンダーラ」の前身が生まれた。ガンダーラの名の由来はマガンとタルタロスの組み合わせである。マガン+タルタロス=ガンタル=ガンダーラとなる。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「母なる女神タウレト誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、アラビア半島を出たタルタロス(ナフタリ族)は、エジプトに移住した。彼らは、エジプトに「母なる女神タウレト」を祀ってヘリオポリスに参加した。タウレトの名の由来はタルタロスである。タルタロス=タウレタロス=タウレトとなる。

 


■BC1027年 「ナパタ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、アラビア半島を出たタルタロス(ナフタリ族)は、エジプトからヌビアに移住し「ナパタ」を生んだ。ナパタの名の由来はナフタリである。ナフタリ=ナプタリ=ナパタとなる。

 


■BC7世紀 「クシュ人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ワダラーン誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」第1の拠点はソマリアである。ここにはナフタリ族が残留を決めた。ナフタリ族は2つに分離し、ノア族の系統のナフタリ族が「ハワドレ」を称し、タルタロスの系統のナフタリ族は「ワダラーン」を称した。ハワドレ、ワダラーンのいずれの名もナワトルが由来である。ナワトル=アワタリ=ハワドレとなり、ナワトル=ナワタラン=ワダラーンとなる。

 


■BC7世紀 「ガンダーラ王国誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」に参加したマガン人とタルタロス(ナフタリ族)は、インダス流域に移住した。この時に「ガンダーラ王国」が生まれた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC327年 「フォトラ誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したワダラーン族は、ピクトランドに根付いた。この時に「フォトラ」が生まれた。フォトラの名の由来はワダラーンである。ワダラーン=ハタラーン=ファタラ=フォトラとなる。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「キンダ人誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、アラビア半島に上陸した。彼らは、アラビア人と混合して「キンダ族」を称した。キンダの名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=ギンダーラ=キンダとなる。その後、キンダ族はヨルダンに移った。

 


■BC327年 「キンダ人の大航海時代」

 


■BC327年 「ブリギンテ族誕生」

 

「キンダ人の大航海時代」に参加したキンダ族は、イベリア半島に上陸すると、「ブリギンテ」の名前を得た。ブリギンテの名の由来はイベリアのキンダである。イベリア+キンダ=ベリアキンダ=ブリギンテとなる。

 


■BC327年 ブリギンテ族、ブリテン島に入植

 


■BC327年 「女神ブリギッド誕生」

 

ブリギンテ族は、ブリテン島北部を拠点にし、一部がアイルランドに移住すると、「聖なる女神ブリギッド」を祀った。ブリギットの名の由来はブリギンテである。ブリギンテ=ブリギッテ=ブリギットとなる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC3世紀 「ブルグント族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したブリギンテ族は、キンブリ人と共にバルト海に進み、ボーンホルム島に入植した。この時に「ブルグント族」が生まれた。ブルグントの名の由来はブリギンテである。ブリギンテ=ブリギント=ブルグントとなる。

 


■BC3世紀 「第2次ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC3世紀 「ケツァルコアトル誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したケツァルコアトルは。コーサラ人と組んで「テオティワカン」が栄えていた古代メキシコに移住した。この時に「ケツァルコアトル」が生まれた。ケツアルコアトルの名の由来はコーサラとフォトラの組み合わせである。コーサラ+フォトラ=コーチャラ+クォトラ=ケツァルコアトルとなる。

 


■BC139年 「ケツァルコアトルの大航海時代」

 


■BC1世紀 「ツェルタル族誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」を経て、マヤに移住したタルタル族は、間や陣と混合し、タルタルを由来に「ツェルタル」の種族を儲けた。タルタル=チェルタル=ツェルタルとなる。

 


■AD346年 「百済誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したケツァルコアトルは、バクトリアから来たバクトリア人と連合して百済(クダラ・ペクチェ)を建てた。百済の名の由来はケツァルコアトルである。ケツァルコアトル=コアトル=クダラ(百済)となる。古代朝鮮の王国、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。

 


■AD411年 グンディオク、初代ブルグント王に即位 「ブルグント王国誕生」

 

ブリテン島に拠点があったブリギンテ族は、ボーンホルム島を経てゲルマニアに上陸し、「ブルグント族」として出現した。ブリギンテ族とブルグント族は不可分である。AD411年、ブルグント王国が建てられたが、王国は、AD534年に滅亡した。

 


■AD534年 「ブガンダ誕生」「ウガンダ誕生」

 

ブルグント王国が滅ぶと、ブルグント族はヨーロッパを発ってアフリカ大陸に向かった。地中海からナイル河に入り、上流の大湖水地方に達したブルグント族は「ブガンダ王国」「ウガンダ王国」を築いた。ブガンダの名の由来はブルグントである。ブルグント=ブーグント=ブガンダ=ウガンダとなる。ウガンダ族は、大英帝国がニョロ帝国を攻略する時に大英帝国軍に従軍してニョロ帝国を滅亡させた。ブリギンテ族の後裔であるウガンダ族は、イギリス人に親近感を持っていたため加勢した。だが、残念ながら、当時のイギリス人は人喰い人種の教会「聖公会に」に掌握されていたため、征服の道具として利用されたに過ぎない。

 


■AD633年 朝鮮半島からピクトランドに帰還

 

AD663年、「白村江の戦い」で百済が滅ぶと、一部の百済人は故地であるピクトランドに帰還し、朝鮮人の顔をした百済人は白人の顔をした兄弟「フォトラ」に合流した。

 


■AD681年 「第1次ドゥロ朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD663年、「白村江の戦い」で百済が滅ぶと、一部の百済人はコーカサスに移住し、ブルガリア人を統率して「ブルガリア帝国」を建設した。「ドゥロ王朝」の名の由来はタルタロスである。タルタロス=ドロドロス=ドゥロとなる。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

AD753年、ドゥロ王朝が滅ぶと、ドゥロ家はインドに入植し、ラーシュトラクと連合した。この時に「ラーシュトラクータ朝」が生まれた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラクと百済の組み合わせである。ラーシュトラク+百済=ラーシュトラク+クダラ=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD825年 「マーシア人の大航海時代」

 


■AD825年 「バートリ家誕生」

 

「マーシア人の大航海時代」に参加したフォトラは、トランシルヴァニアに移ってフォトラを由来に「バートリ家」を築いた。バートリの名の由来はフォトラである。フォトラ=フォートラ=バートリとなる。バートリ家は、トランシルヴァニア公、ハンガリー王、ポーランド王を数多く輩出した東欧貴族の名家である。

 


■AD852年 ボリス1世、ブルガリア皇帝に即位 「第2次ドゥロ朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

ラーシュトラクータ朝のドゥロ家は、再度、ブルガリアに侵入し「ドゥロ王朝」を開いた。この王朝はAD997年まで続いた。

 


■AD868年 「トゥールーン朝誕生」

 

AD663年、百済が滅ぶと、百済人は朝鮮半島を離れてエジプトに移住した。彼らは「トゥールーン」を称した。トゥールーンの名の由来はフォトラである。フォトラ=フォトラーン=トラーン=トゥルーンとなる。AD868年、アッバース朝治世下、アフマド・イブン=トゥールーンが初代王に即位して「トゥールーン朝」を開き、事実上の独立政権を樹立している。

 


■AD1092年 「アルスラーン誕生」

 

その後、AD905年にトゥールーン朝が滅ぶと、トゥールーン王家はイラクに逃れて「アルスラーン」を称した。アルスラーンの名の由来はアルとトゥールーンの組み合わせである。アル+トゥールーン=アルツルーン=アルスラーンとなる。AD1092年、アルプ・アルスラーンがスライマン1世を倒し、「ルーム・セルジューク朝」に君臨した。

 


■AD1192年 「ラ・トゥール家誕生」

 

AD1192年にクルチ・アルスラーン2世が死去すると、一族はイラクを去り、カペー朝治世下のフランス王国に移住した。彼らは、ここで「ラ・トゥール」を称した。ラ・トゥールの名の由来はラとトゥールーンの組み合わせである。ラ+トゥールーン=ラ・トゥールとなる。
 

 

■AD1280年 「テルテル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD1192年にクルチ・アルスラーン2世が死去すると、一族はイラクを去り、ブルガリア帝国に移住した。AD663年に分裂した百済人がドゥロ朝を開いたことを知った彼らは、「テルテル朝」を開いた。テルテルの名の由来はタルタロスである。タルタロス=テルテルス=テルテルとなる。この王朝は、AD1322年まで続いた。

 


■AD1490年 「ビーダル王国誕生」

 

オスマン・トルコ帝国がバルカン半島に進軍すると、トランシルヴァニアにいた一部のバートリ家がこれを嫌ってインドに移住した。白人の顔をした彼らは、インド人と混合して「ビーダル」の名を生んだ。バフマニー朝最後の王カリームッラー・シャーが死去すると宰相アミール・バリードがアミール・バリード・シャー1世を名乗り、バフマニー朝を廃した。ビーダルの人々は、「ビーダル王国」を建てた。ビーダルの名の由来はバートリである。バートリ=バードリ=ビーダルとなる。その後、ビーダル王国がAD1619年に滅ぶと、ビーダルの人々は、ナフタリ族時代の同盟者である服部氏に、日本への亡命を手助けしてもらった。

 


■AD1611年 エリザベート・バートリ逮捕

 

マラーター族を一時的に抜け出してインドからトランシルヴァニアに移り住んだルオ族は、ヴラド公の後釜としてエリザベート・バートリを選び、彼女の地位を利用して、近隣から子女を誘拐し、残虐な享楽の果てに殺害し、食べていた。しかし、余りにも近隣の少女に手を出しすぎたため、悪事が近隣住民に知れ渡ることになった。この時、ルオ族は家族であるルター派に相談し、エリザベートをハメ、全ての責任を転嫁して逃げる算段をつけた。
610人もの少女が惨殺されたといわれているが、責任は全てエリザベートに転嫁された。エリザベートは使用人たちが何をしているか知っていた。だが、恐ろしくてやめさせることは不可能だった。また、周りがルター派の信者で固められていたため、名門バートリ家の家族に相談しても、逆に、頭がおかしいとしてエリザベートは家族にさえ退けられていた。逮捕されたエリザベートは、窓も出入り口も塗り固められた穴倉に幽閉され、汚物と害虫に塗れて暗闇の中で果てたとされている。バートリ家だけでなく、近隣住民、被害者の遺族でさえ、エリザベートが犯人でないことは知っていた。しかし、パンノニアのインフラを掌握しているルター派に安定した生活と平穏な日常を保障してもらうため、仕方なかったのだ。このように、人喰い人種が君臨する世の中では「生きているのに口なし」ということがしばしば起きる。
現在、エリザベート・バートリの猟奇事件は、若さを妬み、少女を憎んだ年増の暴君が復讐心を満たすために行った身勝手で残虐な所業とされている。だが、実際にはソーニー・ビーンとしてイギリスで300人もの人間を殺して喰い、ジル・ド・レ、ヴラド公に寄生して、たくさんの人々を惨殺した人喰い人種の所業であった。エリザベートは「鋼鉄の処女」で殺した少女の血を浴び、拷問器具で指を切断して苦痛にゆがむ表情を見て笑い、使用人に命じて娘の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出して興奮していたという。しかし、これらは全て使用人(ルオ族)の所業である。このあと、ルオ族はインドに帰還してマラーター族に合流するが、一部はトランシルヴァニアからロシア帝国に移り、ダリヤ・サルトゥイコヴァ伯爵夫人に寄生している。

 


■AD1918年 ヘルマン・ポール、創設 「トゥーレ協会誕生」

 


■AD1922年 ピエル=パオロ・パゾリーニ生誕

 

バートリの家系からは映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニが輩出されている。バートリ=バーソリ=パゾリーニとなる。

 

 

 

 

◆トゥルシア(ティルス)の歴史

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千2百年 「神々の集団アヌンナキ誕生」

 


■BC7千2百年 「ティルス誕生」

 

タルタル人(タルタロス)は、中央アジアからメソポタミアに赴いて「ティルス」を生んでいる。ティルスはヤペテの子と伝えられているが、名前から察するに、トレに属している。ティルスの名の由来はタルタロスである。タルタロス=タルティルス=ティルスとなる。

 


■BC7千年 「アヌンナキの大航海時代」

 


■BC7千年 「トラキア誕生」

 

「アヌンナキの大航海時代」に参加したティルスは、マルドゥクと共にバルカン半島に移住した。この時、彼らは「トラキア」を築いた。トラキアの名の由来はティルスとカオス(マルドゥク)の組み合わせである。ティルス+カオス=ティルカオ=トラキアとなる。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「セロス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したティルスは、シルックと共にマヤに移住した。この時に「セロス」を築いている。セロスの名の由来はシルックとティルスの組み合わせである。シルック+ティルス=シルス=セロスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「トゥルシア人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加したセロス人(ティルス)は、ベリーズ人(ホルス)と共にマヤで船団に加わった。セロス人は、イランに入植して「トゥルシア人」を名乗り、海の民の連合国、伝説の「ベーシュタード王国」を築いた。トゥルシアの名の由来はティルスである。ティルス=ティルシア=トゥルシアとなる。

 


■BC19世紀 「テュロス誕生」

 

地中海の番人としての役割を果たしたトゥルシア人は、タナトスの海の民(シェルデン人、デニエン人)を成敗し、ラムセス2世を助け、ミケーネ人、ヒッタイト人、トロイア人などの亡命者をイランに導いた。、トゥルシア人はカナンに「テュロス」を築いた。テュロスの名の由来はティルスである。海の民の時代が終わった後も、テュロスは、そのままフェニキア人の都市として、アレキサンダー大王の侵攻まで存続した。

 


■BC19世紀 「トリツ族誕生」

 

トゥルシア人は、インドに移住し、「トリツ族」を生んだ。トリツの名の由来はティルスである。ティルス=ティルツ=トリツとなる。トリツ族は、アーリア人の軍団に参加した。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「トラキア王国誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したトラキア人は、バルカン半島に移住した。彼らは「トラキア王国」を築いた。

 


■BC1027年 「ラーシュトラク誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したゾロアスター教はインド西岸に「ラーシュトラク」の土地を得た。ラーシュトラクの名の由来はトゥルシアとトラキアの組み合わせである。トゥルシア+トラキア=ルシアトラキア+ラーシュトラクとなる。

 


■BC332年 「ユリウス家誕生」

 

アレクサンドル大王がティルスを占領すると、ティルス人はイタリア半島に逃亡した。この時に「ユリウス家」が生まれた。ユリウスの名の由来はティルスである。ティルス=ティリウス=イリウス=ユリウスとなる。

 


■BC273年 「ラジア誕生」

 

マウリア朝がラーシュトラクの領土を席巻すると、ラーシュトラク人は黒海東岸に移住した。この時に「ラジア」を建設した。ラジアの名の由来はラーシュトラクである。ラーシュトラク=ラージアトラク=ラジアとなる。

 


■BC年 ユリウス・カエサル生誕

 


■AD68年 「葛城氏誕生」

 

ローマ帝国の覇権を喪失すると、ユリウス家は、日本に上陸して現地人と混合し、「葛城氏」を形成した。葛城の名の由来は「カエサルの城」である。カエサル+城=カサル+城=葛城となる。葛城氏は、後に満州に赴いてイェマック王統を簒奪した托跋部に接近して自身の血統を打ち建てた。葛城襲津彦の娘、磐之媛が仁徳天皇に接近して、履中天皇、反正天皇、允恭天皇を生んでいる。履中天皇の御名「大兄去来穂別尊」の大兄(おおえの)は、ヨーロッパの名「オーウェン」の当て字である。

 


■AD68年 「フォルト・リウ誕生」

 

ローマ帝国の覇権を喪失すると、ユリウス家は、クラウディウス家、プルトゥス家を率いてスコットランドに移住した。ユリウス家は、プルトゥス家と組んで「フォルト・リウ」を建てた。フォルト・リウの名の由来はプルトゥスとユリウスの組み合わせである。プルトゥス+ユリウス=プルトゥ+リウ=フォルト・リウとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 葛城氏、ジャワ島に移住

 

「大和人の大航海時代」に参加した葛城氏は、後に、山田氏と共に「マタラム王国」を築いた。

 


■AD470年 「マイトラカ朝誕生」

 

ゴート族、フン族が乱入してきたため、トラキア人はバルカン半島を離れて、グジャラートに居つき、ニュージーランドからインドに来ていたマオリ族と連合して「マイトラカ帝国」を建国した。マイトラカの名の由来はマオリとトラキアの組み合わせである。マオリ+トラキア=マオトラカ=マイトラカとなる。

 


■AD703年 「ラーシュトラクータ(前身)誕生」

 

イスラム軍がアルメニアに迫ると、ラジア人は黒海を脱出した。彼らは、「ラーシュトラク」の跡地に移住し、チャールキア朝に配下として参加した。一方、彼らはAD663年に滅亡した百済の残党と合体し、連合体「ラーシュトラクータ」を築いた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラクと百済の組み合わせである。ラーシュトラク+クダラ=ラーシュトラクダー=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

AD753年、ダンティドゥルガがチャールキアの君主を倒して「ラーシュトラクータ朝」を開き、デカン高原の支配者となる。

 


■AD864年 「マタラム王国誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した葛城氏は、山田氏と共に「マタラム王国」を築いた。マタラムの名の由来はティアマト(山田氏)とローマ(葛城氏)の組み合わせである。ティアマト+ローマ=マトローマ=マタラムとなる。

 


■AD929年 「ジャワ人の大航海時代」

 


■AD929年 「有吉氏誕生」「有安氏誕生」

 

マタラム王国が滅ぶと、ジャワから日本に帰還した葛城氏は、現地人と混合して「有吉氏」「有安氏」などを生んだ。2つの名の由来はいずれもユリウスである。ユリウス=ウリヤス=有吉=有安となる。

 


■AD973年 「龍造寺氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に上陸した。インド人の顔をしたラジア人は現地人と混合して「龍造寺氏」を称した。龍造寺の名の由来はラーシュトラである。ラーシュトラ=リューゾーテラ=龍造寺となる。龍造寺氏の子孫には怪奇作家夢野久作(杉山直樹)がいると伝えられている(母方が龍造寺氏なのかもしれない)。

 


■AD973年 「寺沢氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々は日本に移住した。ラジア人、トラキア人は九州に上陸した。トラキア人は「寺沢氏」を称した。トラキア=トラシワ=寺沢となる。

 


■AD973年 「リスト誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、ラーシュトラクータの人々はヨーロッパに移住した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「リスト」の名を生んだ。リストの名の由来はラーシュトラである。ラーシュトラ=ラーシュト=リストとなる。

 


■AD1584年 龍造寺隆信、千葉氏と共にパンジャブに移住

 

千葉氏はラージプート時代にパンジャブで生活していたため、一行は日本を発つとパンジャブに侵入し、一時的に潜伏した。

 


■AD1615年 「豊臣氏の大移動時代」

 


■AD1615年 「ルソー誕生」

 

「豊臣氏の大移動時代」に参加した龍造寺隆信の一行は、コーカサスを通過してスイスに移って現地人と交わり、「ルソー」「リスト」の名を生んだ。ルソーの名の由来は龍造寺であり、リストの名の由来はラーシュトラクータである。龍造寺(りゅうぞうじ)=りゅうぞう=ルソーとなる。

 


■AD1712年 ジャン=ジャック・ルソー生誕

 


■AD1811年 フランツ・リスト生誕

 


■AD1844年 アンリ・ルソー生誕

 


■AD1848年 グイド=フォン・リスト生誕 「リスト協会誕生」

 


■AD1889年 夢野久作(杉山直樹)生誕

 


■AD1932年 リチャード・レスター生誕

 


■AD1955年 寺沢武一生誕

 

 

 

 

◆バクトリア(エウドーラー)の歴史

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にハタミ人がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らは、グリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの祖モリモのことである。

 


■BC5千年 「ヘクトル誕生」

 

ブリテン島からアイルランドに渡ったヘカテは、デリーに「ヘクトル」を生んだ。ヘクトルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトラ=ヘクトルとなる。神話では、「トロイア戦争」でアキレウスに殺されている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「バクトリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したヘクトルの残党は、中央アジアに入植し「バクトリア」を築いた。バクトリアの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC250年 ディオドトス1世、初代王に即位 「バクトリア王国誕生」

 

ピクト人の子孫であるバクトリア人は、BC250年、セレウコス朝から独立して「バクトリア王国」を築いている。バクトリアの名の由来はピクトと同じく、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ビクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC139年 「カタール誕生」

 

王国が滅ぶと、バクトリア人はアラビア半島に移住した。彼らは「カタール」を築いた。カタールの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バクトーリア=クターリア=カタールとなる。

 


■AD320年 「キダーラ誕生」

 

サーサーン朝がアラビアを攻撃すると、エウドーラーが主導するカタールの人々はアラビア半島を離れてパンジャブに入植した。彼らは
パンジャブに「キダーラ朝」を開いた。キダーラの名の由来はカタールである。

 


■AD500年 「ゴダール誕生」

 

キダーラ朝が滅ぶと、キダーラ人はフランスに入植した。パンジャブ人の顔をした彼らは現地人と混合して「ゴダール」の名を生んだ。ゴダールの名の由来はキダーラである。キダーラ=ギダーラ=ゴダールとなる。この系統からは映画監督ジャン=リュック・ゴダール、チャップリン夫人ポーレット・ゴダードが輩出されている。

 


■AD500年 「カタリ派誕生」

 

キダーラ朝がAD500年に滅ぶと、キダーラ人はフランスに移り、キリスト教徒になった。しかし、人食い人種タナトスの団体クリュニー会、シトー会などが仕切るカトリックに嫌悪を覚えたキダーラ人は独自のキリスト教を切り拓いた。それが「カタリ派」である。カタリの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バカタリア=カタリとなる。AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。

 


■AD1244年 「ドゥラニ族誕生」

 

タナトスの宗教シトー会が「カタリ派」を敵視し、異端と称して執拗に攻撃した。AD1209年、カタリ派を壊滅させるために、シトー会は「アルビジョワ十字軍」を編成した。AD1244年、最後の砦モンセギュールが陥落すると、壊滅を機に、カタリ派はフランスを脱出してパンジャブに移住した。フランス人の顔をしたカタリ派は、パシュトゥーン人の傘下に入り「ドゥラニ族」を生んだ。ドゥラニの名の由来はエウドーラーである。エウドーラー=エウドーラーン=ドゥラニとなる。

 


■AD13世紀 「ドロン誕生」「ディロン誕生」

 

AD13世紀、モンゴル軍の侵攻を機に、ドゥラニ族は一時的にヨーロッパに避難した。この時に「ドロン」「ディロン」などの名が生まれた。これらの名はドゥラニが由来である。この系統からは俳優アラン・ドロン、俳優マット・ディロンが輩出されている。

 


■AD17世紀 「トゥーラーン族誕生」

 

その後、ドゥラニ族がヨーロッパからアフガンに戻ると、パシュトゥーン人がギルザイ族を乗っ取ったため、ギルザイ族が「ドゥラニ」の名を簒奪していた。そのため彼らは、代わりにパシュトゥーン人が簒奪した「ギルザイ族」に参加して「トゥーラーン族」を称した。トゥーラーンの名の由来はドゥラニである。

 


■AD1930年 ジャン=リュック・ゴダール生誕

 


■AD1935年 アラン・ドロン生誕

 


■AD1964年 マット・ディロン生誕

 


■AD1964年 「西パプア国独立闘争組織誕生」

 

穢多やニュクスの子、エリスの子がニューギニア島に帰還し、西パプア独立運動を指揮した。独立運動に関わった人々の名は日本語の名残りが見受けられる。カイセポ(飼いせば)、ジョウエ(女王)、ウォムシウォル(青虫おる)、ジョク(邪気)、マンダチャン(まんだしゃん)、メイドガ(毎度か)、ワンマ(あんま)、ミリノ(いみりの)、ワルサ(悪さ)、インディ(いんで)、アジャミセバ(味見せば)、ペケイ(破壊)、プライ(無頼)、ワダンボ(わだんば)、テゲイ(てーげー)、ワインガイ(わいんかい)などである。以上、標準語もあるが、下北半島、名古屋、関西地方、静岡、徳島、岩手、甲州、沖縄、宮崎、北海道などの方言に因んだ名前が多く見受けられる。
また、パプアの独立運動家には、アンダマン諸島のジャラワ族(黒人ダン族)やミャンマー、アフリカを経て帰ってきたトンガ人(タンナ人)なども混在している。アンダマン諸島の名に因んだ「ヒンドム」はスウェーデンに拠点を設け、ミャンマー、アフリカを経たタンナ人は「タンガフマ」を称して、セネガルに拠点を設けている。アンダマン=ハンダマ=ヒンドムとなり、トンガ(リンポポ流域)+バマー(ビルマ)=トンガバマ=タンガフマとなる。
AD1973年、ヤコブ・プライは「西パプア共和国暫定政府」を宣言し、AD1988年にはトーマス・ワインガイが「西メラネシア国」の独立を宣言している。穢多の子孫は非常に活発に活動しているが、インドネシア共和国に君臨している華僑が彼らの独立を許さない。一部の華僑にはダニ族の血が流れている。つまり、ニューギニア島は「ダニ族の血を引く華僑のものだ」という考えがあるのだ。ダニ族の血を引く華僑も、もともとは大谷に誘われてアステカ帝国に渡った人々の子孫である。つまり、華僑VS西パプアの構図は、故地に帰還した、祖を同じくする人々による、故地を巡る抗争と捉えることができる。因みに、トーマス・ワインガイは日本人女性の妻を娶っている。これは彼の先祖が日本にいた証拠だ。

 

 

 

◆平氏(ガンダーラ)の歴史

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「関氏(グァン)誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、中国に上陸した。彼らは、中国人と混合して「関氏(グァン)」を称した。関(グァン)の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=グアンダーラ=関(グアン)となる。関氏からは、三国時代に活躍した「関羽」が輩出されている。

 


■AD3世紀 関羽生誕

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ディアラ(前身)誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した関氏は、イングランドに入植し、ガンダーラを由来に「ディアラ王国」を築いた。ガンダーラ=ガンディアラ=ディアラとなる。

 


■AD559年 「ディアラ王国誕生」

 

AD559年、アエラという人物が初代ディアラ王に即位している。AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は日本に移住することを決める。このイギリス人の顔をしたディアラ家が、日本人と混合して「源氏」「平氏」を生むことになる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「平氏(前身)誕生」

 

AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は「ヨハネスの大航海時代」に参加した。イギリス人の顔をしたディアラ王家は、多治比氏・安倍氏、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた上で、天皇家に接近した。ディアラ王家は、日本に初上陸した時の同盟者であるカンボージャ人の後裔「桓武天皇」に娘たちを接近させた。源氏と平氏の名の由来はガンダーラを2つに分割したものであるが、特に、平氏(タイラ)のネーミングはディアラに因んでいる。

 


■AD712年 「金刀比羅神社誕生」

 

「オースターの大航海時代」「勿吉の大航海時代」に参加したイギリス人ストーン(石氏)は、「ヨハネスの大航海時代」に参加したイギリス人スミス(司馬氏)と組んで「石清水神社」を建立し、「オースターの大航海時代」に参加したイギリス人キャッシュ(銭氏)は、ディアラ王家と組んで「金刀比羅神社」を建立した。石清水の名の由来はロック(石)とスミス(清水)の組み合わせであり。金刀比羅の名の由来は刀銭とディアラ(平)の組み合わせである。

 


■AD年 高棟王生誕

 

AD804年、ディアラ王家は直々に葛原親王に接近して桓武平氏の祖「高棟王」を生んだ。

 


■AD年 善棟王生誕

 

AD804年、ディアラ王家は直々に葛原親王に接近してオイラートの祖「善棟王」を生んだ。

 


■AD829年 「オイラート誕生」

 

死去に見せかけた善棟王が中臣氏を伴って満州を訪れ、女真族と接触を図る。だが、善棟王はそのままモンゴルに向かい、現地人と混合して「オイラート」を称する。オイラートの名の由来は「平の人(タイラート)」である。タイラート=アイラート=オイラートとなる。

 


■AD829年 「ラージプート誕生」

 

その後、遼朝が発足すると、オイラートは遼朝の人(リョウチョウビト)を意味する「ラージプート」を称した。その後、インドに侵入したラージプートからはタイラ2世が輩出された。タイラの名の由来は平(たいら)である。ラーシュトラクータ朝を滅ぼしたタイラ2世は、デカン高原に「後期チャールキア朝」を開いた。

 


■AD9??年 タイラ2世、チャールキヤ王に即位 「後チャールキヤ朝誕生」

 

AD10世紀には、ラージプート出身のタイラ2世が王位を簒奪し、「後チャールキヤ朝」が開かれた。

 


■AD1068年 「千葉氏誕生」「秩父氏誕生」

 

一部チェチェン人がコーカサスを離れて日本に向かった。彼らは、途中のインド洋辺りで善棟王の子孫ラージプートと合流すると、連合体を組んで房総半島に上陸し、チェチェン人は「上総氏(かずさ)」を称した。上総の名の由来はコーカサスであり、コーカサス=コーカズス=かずさ(上総)となる。そして、ラージプートは「破壊神シヴァ」を由来に「千葉氏」を称した。更に、上総氏は千葉氏と連合して「秩父氏」を結成した。秩父の名の漢字表記の由来は「父なるゼウス(秩)」であり、読みの由来は「チェチェンと千葉」の組み合わせである。チェチェン+千葉=チェ千葉=ちちぶ(秩父)となる。彼ら、千葉氏、上総氏、秩父氏は先発隊である中村氏、土屋氏、土肥氏と連合して「坂東八平氏」の中核を担い、鎌倉幕府の成立に邁進することとなる。
また、一部チェチェン人はシルクロードを介して満州に移住している。長孫氏の子孫であるチェチェン人は、兄弟である朱氏の女真族に合流することを考えていた。だが、その頃には既に正統な女真族は日本に移って「中村党」を組織して活動していた。更に、女真族自体は日本から来た中臣氏に簒奪されていた。その後、チェチェン人は「ジェチェン」を称し、中臣氏が築いた「建州女直」に参加した。その後、明治時代に建州女直が大挙して日本に移住すると、ジェチェンも日本の地を踏み、主に「塩」を由来にした姓を名乗った。

 


■AD11世紀 「坂東八平氏誕生」

 

上記のように、満州人の顔をした「中村氏」「土屋氏」が満州から、インド人の顔をしたラージプートの系統「千葉氏」「土肥氏」はインドから、そして中央アジア人の顔をした「上総氏」はコーカサスから来た。また、「秩父氏」は千葉氏と上総氏の連合体、つまり、中央アジア人とインド人の混血連合体である。
ここに、インドネシアから来たシャイレーンドラ王家の「三浦氏」、中央アジアから来たハザール王家の「梶原氏」、インドから来たカーマルーパとアンコールの連合体「鎌倉氏」、インドを経てジャワから来た安曇氏(アーズミー)の後裔「江戸氏」、イスパニアから来たスペイン人の顔をした「伊勢氏」、アラビアから来たハドラミーの系統「和田氏」が加わっている。このように「坂東八平氏」は国際色豊かな軍事集団だったことが分かる。

 


■AD1206年 「松平家誕生」

 

デリー・スルタン朝がパンジャブを覆い尽くすと、ラージプートは日本への帰還を実施した。インド人の顔をしたラージプートは日本人と混合して「松平家」を形成した。松平の名の由来は「マツヤの平」である。マツヤ+平=マツ平=松平となる。AD1360年、松平信重が家督を継いで、初めて「松平家」を称した。AD1529年、松平清康が三河を統一している。

 


■AD1584年 「チュヴァシ誕生」

 

千葉氏はラージプート時代にパンジャブで生活していたため、一行は日本を発つとパンジャブに侵入した。その後、大坂の陣に敗北した豊臣秀頼の一行がパンジャブを訪れる。龍造寺氏は、豊臣秀頼の一行を迎えてパンジャブからカスピ海に至る。日本人の顔をした千葉氏は、ここで中央アジア人と交わり、「チュヴァシ」を称した。チュヴァシの名の由来は千葉氏(ちばし)である。チュヴァシ族は、豊臣秀頼の一行と共にサンクトペテルブルグに移り、「メドベージェフ」の名を築いた。メドベージェフの名の由来は「千葉又兵衛」である。

 


■AD1939年 ちばてつや生誕

 


■AD1943年 ちばあきお生誕

 


■AD1965年 ドミートリー・メドベージェフ生誕

 

AD2008年、ロシア連邦第3代大統領に就任している。

 


■AD1999年 エフゲニア・メドベージェワ生誕

 

 

 

 

 

 


ニャメの歴史

◆ヤペテ(ニャメ)の歴史

 


■40万年前 「ニャメ誕生」

 

ガボン沖で水生生活を送っていた水生人が上陸した。彼らは「ニャメ」を称した。ニャメはガボンで今尚、崇拝されている。彼らは、アミ族の姿をしていた。台湾少数民族の祖のひとつとなる。

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「アミ族誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したニャメは、台湾に移住して「アミ族」を生んだ。アミの名の由来はニャメである。ニャメ=ニャミ=アミとなる。高天原(台湾)の人々が呼んだ「黄泉の国」とは、ニャメの故地であるガボン(西アフリカ)を指す。「黄泉の国」とは、「ニャメの国」のことである。古代人は、生きている間にたどり着けないような、とんでもない遠方の地を冥界などと言い表していた。

 


■40万年前 「アマゾーン誕生」

 

アミ族は、ミャンマーに住んでいたジェンギと連合し、現福建に「アマゾーン」を築いた。アマゾーンの名の由来はニャメとジェンギの組み合わせである。ニャメ+ジェンギ=ヤメジェン=アマゾーンとなる。アマゾーンは胸がない女性だとされているが、これはゲイ男性を意味している。彼らの子孫といえる福建海賊も、ゲイは多かったようだ。因みに、福建で祀られている「馬姐(マソ)」の名の由来はアマゾンである。超古代、南シナ海はアマゾーンと呼ばれていたのだ。

 


■7万年前 「第1次イマナの大航海時代」

 


■7万年前 「月読神誕生」

 

「第1次イマナの大航海時代」に参加したジョクタは、台湾に入植し、アミ族と混合して「ツクヨミ」を生んだ。ツクヨミの名の由来はジョクタとニャメの組み合わせである。ジョクタ+ニャメ=ジョクヤメ=ツクヨミとなる。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「天照大神誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」によって、オケアーニスたちが台湾に上陸すると、アミ族は彼らを仲間に迎えた。ニャメは、ドーリスと連合して「天照大神」を祀った。アマテラスの名の由来はニャメとドーリスの組み合わせである。ニャメ+ドーリス=ヤメドリス=アマテラスとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したギューゲースは、台湾に移住した。彼らは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「金山毘古神誕生」「金山毘売神誕生」「思金神誕生」

 

「ギガントマキア」ニ敗北したアルキュオネウスは、ニャメと混合して「カナヤマ」「オモイカネ」を成した。カナヤマ、オモイカネの名の由来はアルキュオネウスとニャメの組み合わせである。アルキュオネウス+ニャメ=キュオネヤメ=カナヤマとなり、ニャメ+アルキュオネウス=ヤメキュオネ=オモイカネとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万5千年前 「ヤペテ誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加して南極にやってきたニャメは、ヴィディエと連合して「ヤペテ」を生んだ。ヤペテはノアのことして知られているが、実際にはニャメとヴィディエの連合体である。ニャメ+ヴィディエ=ニャヴィデ=ヤペテとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ハイダ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したヤペテは、アメリカ北西部沿岸に入植した。ヤペテは現地人と混合して「ハイダ族」を生んだ。ヤペテ=ヤペイテ=ハイダとなる。以上、南北アメリカ大陸に残留を決めた人々は「文明放棄」の意志を頑なに守った。インディオたち(栄光の南極の種族の文明放棄組)は鉄、車輪の不使用を徹底させていたが、これは大陸規模の暗黙の了解であった。

 


■1万3千年前 「北狄誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したヤペテは、黒龍江に到達した。ヤペテは、内陸部に進出して蒙古に移り、入植した。ヤペテ族は、現地人と混合して「北狄(ベイディ)」を生んだ。ベイディの名の由来はヤペテである。ヤペテ=ヤベイディ=ベイディ(北狄)となる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 「オマーン誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加して黒龍江に移住し、その後に「垂仁天皇の大移動時代」に参加してメソポタミアに移住したイマナとニャメは、その後に、メソポタミアを離れ、アラビア半島に上陸した。彼らは、当地に「オマーン」と命名した。オマーンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマーナ=ヤマーナ=オマーンとなる。

 


■1万千5百年前 「ウンマ誕生」

 

アヌは、ニャメと組んでメソポタミアにシュメール都市国家「ウンマ」を築いた。ウンマの名の由来はアヌトニャメの組み合わせである。アヌ+ニャメ=アヌメ=アンメ=ウンマとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「太陽神アメン誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、アラビア半島の現オマーンを離れたイマナとニャメは、エジプトに進出して「太陽神アメン」を生んだ。アメンの名の由来はニャメとイマナの組み合わせである。ニャメ+イマナ=ニャマナ=ヤマナ=アメンとなる。アテナイ王国のサバニ人は、太陽神アメンに同行し、アナトリア半島に移住した。両者は、彼の地でタバル人と出会い、後に、神官都市「テーベ」を建設した。

 


■BC2134年 「エジプト第11王朝樹立」

 

太陽神アメンは、トバルカインと共に「エジプト第11王朝」を開き、人喰い人種スキタイ人の「エジプト第10王朝」と対立した。彼らは、この対決に勝利し、エジプトを再統一した。その時のファラオは、第11王朝のメンチュヘテプ4世であった。その後、太陽神アメンの王統を継ぐアメンエムハト1世が「エジプト第12王朝」を開いている。アメンの王統は、ヒクソスが登場するBC1663年まで続いた。

 


■BC1650年 「エジプト第17王朝成立」

 

「ヒクソス」がエジプトに出現すると、エジプト第14王朝は滅亡してしまった。その後、イマナのアメン神官団は、エジプトを離れてクレタ島に落ち延び、避難した。だが、ニャメのアメン神官団は、テーベを拠点に新規に「エジプト第17王朝」を開き、ヒクソス王朝に対抗した。

 


■BC945年 「アルメニア人誕生」

 

アラム人はサビニ人(サバエ人)と共にコーカサスに移住し、エジプトから亡命していたアメン神官団と連合体を築いた。それが「アルメニア人」である。アルメニアの名の由来はアラムとアメンの組み合わせである。アラム+イマナ(アメン)=アラマナ=アラマニア=アルメニアとなる。更に、アルメニア人の別称「ハヤ」の名の由来はサバエである。サバエ=サハヤ=ハヤとなる。だが、残念なことにアルメニア人はその後、タナトスに簒奪されてしまう。

 


■BC829年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC829年 「ヤマン誕生」「イエメン誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したアメン神官団は、アラビア半島に移住した。アメン神官団は「ヤマン」「イエメン」などの名を残した。ヤマン、イエメンの名の由来はいずれもアメンである。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動時代」

 


■AD531年 「ノバティア王国誕生」

 

「マクリア人の大移動時代」に参加した北狄は、モンゴルからヌビアに移住し、「ノバティア王国」を築いた。ノバティアの名の由来はヌビアと北狄(ベイディ)の組み合わせである。ヌビア+ベイディ=ヌビアティ=ノバティアとなる。

 


■AD641年 「ペチェネグ族誕生」

 

イスラム教がヌビアに伝えられると、マクリア、アルワ、ノバティアのキリスト教国はヌビアを脱出して一旦、中央アジアに集結した。ノバティア人は、マクリア人、アルワ人とは行動を異にし、焉耆(エンギ)の末裔袁氏と組んで「ペチェネグ族」を結成した。ペチェネグの名の由来は北狄(ベイディ)と袁氏(エンギ)の祖エノクの組み合わせである。ベイディ+エノク=ベイチェノク=ペチェネグとなる。ペチェネグ族は、強力な騎馬軍団としてハザール帝国、キエフ大公国、ビザンツ帝国などの名だたる強国と渡り合った。

 


■AD641年 「ヴェッティン家誕生」

 

一部のペチェネグ族は、中央アジアからヨーロッパに移住し、「ヴェッティン家」を形成した。ヴェッティンの名の由来は北狄(ベイディ)とエノクの組み合わせである。ベイディ+エノク=ベイディエノ=ヴェッティンとなる。ヴェッティン家は有力な諸侯としてザクセン、チューリンゲンを支配した。

 


■AD1094年 「山名氏誕生」

 

AD1094年にジャード朝が滅ぶと、アル・ヤマンの人々はジャード王家に同行し、日本に移住した。彼らは「山名氏」を生んだ。山名の由来はヤマンである。ヤマン=ヤマノ=山名となる。アル・ヤマンの人々は、新田義重に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「山名氏」の祖、山名義範である。

 


■AD12世紀 「ボヤジュ誕生」

 

その後、AD12世紀頃にペチェネグ族は分解し、バルカン半島に逃れた。彼らは「ボヤジュ」の名を生んだ。ボヤジュの名の由来はペチェネグである。ペチェネグ=ペイチェネグ=ペイチェ=ボヤジュとなる。

 


■AD1250年 「シュワルツネッガー誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は黒澤氏を同行させた。その後、黒海に入って中央アジアに上陸したスヴェルケル家は解散したペチェネグ族の残党と合体し、「シュワルツネッガー」を結成した。シュワルツネッガーの名の由来は、スヴェルケルとペチェネグの組み合わせである。スヴェルケル+ペチェネグ=スヴェルチェネグ=シュワルツネッガーとなる。この系統からは俳優アーノルド・シュワルツネッガーが輩出されている。

 


■AD1250年 「スフォルツァ誕生」

 

「スヴェルケル家の大航海時代」を続行したスヴェルケル家は、黒澤と共にイタリアの地を踏み、現地人と混合して「スフォルツァ家」を形成した。スフォルツァの名の由来はシュワルツネッガーである。シュワルツネッガー=シュワルツェ=スフォルツァとなる。スフォルツァ家は、ヴィスコンティ家の配下から這い上がり、ミラノ公の地位を得た。

 


■AD1439年 「林氏誕生」

 

AD1439年、オスマントルコ帝国がセルビアに侵攻すると、ボヤジュを称する人々はセルビアを離れて日本に移住し、ボヤジュに漢字の「林」を当て字して「ハヤシ」を名乗っている。

 


■AD1535年 「沢辺氏誕生」「沢田氏誕生」「沢中氏誕生」

 

スフォルツァ家は、ミラノ公位喪失を機に、ミラノを離れて日本に移住した。イタリア人の顔をした彼らは、日本人と混合して「沢辺(スフォ+ペ)」「沢田(スフォ+チェ)」「沢中(スフォ+ネグ)」の名を育んだ。いずれの名もスフォルツァとペチェネグの組み合わせである。

 


■AD1535年 「川端氏誕生」「川中氏誕生」「川辺氏誕生」「川瀬氏誕生」「川田氏誕生」

 

托跋部と同盟していたペチェネグ族はスフォルツァ家から分離・独立を申し出、その代わりに、過去にウイグル・ヴァイキング時代に托跋部の同盟者であったカウィール家に接触した。両者は合体して5つの名を生んだ。いずれもカウィールとペチェネグの組み合わせである。「川端(カウィ+ペチェ)」「川中(カウィ+ネグ)」「川辺(カウィ+ペ)」「川瀬(カウィ+チェ)」「川田(カウィ+チェ)」となる。更に、川田からは「桑田」の名も派生している。この5つの姓を持つ人々は、日本人を人種母体に持ちながら、イタリア人、北欧人、マヤ人、中央アジア人など多様な民族の血を継承している。

 


■AD1615年 「ヤマナ族(ヤーガン族)誕生」

 

「大坂の陣」に参戦した山名尭政は、死去と見せかけ、代々の臣下であった八木氏と共に日本を脱出した。一行は、太平洋を越えてペルーに至るが、戦争に懲りた彼らは、争いの無い土地を目指して南米大陸を南下した。南アメリカ最南端に達した彼らは、フエゴ島に上陸した。
先住民であるセルクナム族と混合した彼らは「ヤマナ族(ヤーガン族)」を形成した。ヤマナの名の由来は山名であり、ヤーガンの名の由来は八木である。ヤギ=ヤーギン=ヤーガンとなる。ヤマナ族は、ウルトラマンのような、前衛的で奇抜なボディペイントで知られた謎の民族であった。しかし、現在では彼らは絶滅してしまった。或いは、ヤマナ族は日本に帰還しているのかもしれない。

 


■AD1826年 「ザクセン=コーブルク=ゴータ家誕生」

 

ヴェッティン家が生んだ、ヨーロッパ貴族の名家である。彼らは、タナトスの「顔」として利用されている。議会政府はタナトスの「声」であり、王族はタナトスの「顔」を司っている。つまり、王族としての権限はそれほどない。レオポルド2世のように、反逆すればたちまち消されるのだ。

 


■AD1835年 レオポルド2世、ベルギー王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。「コンゴ自由国」を建てた。

 


■AD1853年 ペドロ5世、ポルトガル王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1861年 フェルディナンド1世、ブルガリア王に即位

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1910年 ジョージ5世、イングランド王に即位 「ウィンザー家誕生」

 

ザクセン=コーブルク=ゴータ家に属している。

 


■AD1910年 マザー・テレサ(アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)生誕

 


■AD1916年 小林正樹生誕

 


■AD1952年 エリザベス2世、イングランド女王に即位

 


■AD1938年 庭野日敬、長沼佼成と共に立教 「立正佼成会誕生」

 

彼らは、AD1930年の中国共産党の長征を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。教祖、庭野日敬の名の由来は「丹羽」だと考えられるが、信仰指導を担当した長沼妙校の姓「長沼」の由来は、イザナギとイザナミの組み合わせである。イザナギ+イザナミ=ナギナミ=長沼となる。
また、長沼妙校の「妙校」の名の由来は白山修験の明峰「妙高山」である。つまり、立正佼成会の基盤は白山修験によって形成された。この、庭野日敬、長沼妙校の先祖を含む白山修験の修験者集団は、AD1868年の「北越戦争」を機に日本を脱出して一時的に清治世下の中国に渡っていた。

 


■AD1931年 高林陽一生誕

 


■AD1938年 大林宣彦生誕

 

 

 

 

 



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