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チュクウの歴史①

◆諸葛氏(チュクウ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「チュクウ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したルハンガは、ナイジェリアに「チュクウ」を生んだ。陸を移動した彼らの遺骸は、人類学者によってギガントピテクスと呼ばれた。チュクウは、ルハンガから身長4mの身体を受け継いでいたが、彼らはニジェール川で更に4.5mにまで身長が伸びた。その巨体で、チュクウはニジェール流域の覇者となった。チュクウはまず、河川に於いて食物連鎖の頂点に位置づけられた。その後、チュクウはライオン、ハイエナ、ヒョウ、カバ、ゾウなど、天敵がいない動物の天敵として機能した。チュクウは、現ナイジェリアの沖合いに出てサメなども素手で狩っただろう。
サスカッチ、イェティ、ヨーウィなどの未確認動物、獣人などは、間違いなく、ルハンガ、チュクウの子孫である。数々のUMA専門書やロバート・マイケル・パイル著「ビッグフットの謎」では、ビッグフットらは、3mの跳躍を見せ、時速60kmで走り、岩を投げ、素手で猛獣を殺すことができる。また、彼らは円形の闘技場を作り、拳闘に励み、アジアの言葉に似た独自の言葉をしゃべるとも報告されている。チュクウは非常に卓越した身体能力を持ち合わせ、それに見合った知性も秘めている。
ただ、どんなに優れた種にもできそこないは生まれる。チンパンジーの群れでは、子供をいじめるような個体は集団で無視され、挙句に群れを追放されることがある。これにより、できそこないは野垂れ死にを迎えるが、こうしてできそこないを淘汰することでチンパンジーは平和に暮らし、種を正しく存続することが可能なのだ。
これらのことは、現代人の間ではタナトスによって廃止されたが、ビッグフットの部族内では今でも実施されている。たまに、人を殺して食べたり、女性を誘拐してレイプするサスカッチの報告があるが、これは、群れを追放されたビッグフットのできそこない(凶暴、残虐、美徳を憎む、復讐心が強い、嘘つきなど問題がある)の仕業だろう。だが、できそこないであってもグリズリーでさえ素手で殺せるわけで、サスカッチのできそこないは野垂れ死にせず、ひとりで森の中で生きているのだ。運が悪ければ、このような個体に出くわし、恐ろしい思いをすることになるかもしれないし、運が良ければ、山奥に棲む地球の王に謁見することができるかもしれない。

 


■100万年前 「チュクウの大移動時代」

 


■100万年前 「チャク族誕生」

 

「チュクウの大移動時代」に参加したチュクウは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「チャク族」を生んだ。チャクの名の由来はチュクウである。チュクウ=チャクウ=チャクとなる。当初、彼らは毛深く、3m~4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがチュクウの名残りとなった。

 


■50万年前 「ギューゲース誕生」

 

その後、クウォスがインドを通過した際、獣人チュクウの部族は、アボリジニの顔をしたクウォスと接触、親交を暖めた。お互い、姿かたちが異っていたにも拘らず、クウォスは獣人を同じヒトとして認識し、獣人もクウォスを同じヒトとして認めた。彼らは、お互いを嫌悪し、攻撃することはなかった。彼らは、見かけで判断するのではなく、内面を見抜く鋭い洞察力を備えていた。つまり、非常に知性に溢れていたのだ。
交配も可能であったため、ギガースはクウォスと混合した。この時に「ギューエース(ギューゲース)」が生まれた。ギューエースの名の由来はクウォスであり、別名ギューゲースの名の由来はチュクウとクウォスの組み合わせである。クウオス=ギャオース=ギューエースとなり、チュクウ+クウォス=チュクウォス=ギューゲースとなる。彼らが親交を持った証拠は、彼らが残した名前にある。

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「アグリオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したチュクウは、ルハンガ、クウォスと組んで「アグリオス」を生んだ。アグリオスの名の由来はチュクウ、ルハンガ、クウォスの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ+クウォス=ユクウルワォス=ユグルオス=アグリオスとなる。

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

「盤古の大移動時代」に参加して中国に移り、更に「獣人の大狩猟時代」に参加してシベリアに移住したチュクウは、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、地球の王である獣人が、通常の人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■45万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「ソーク族誕生」

 

「獣人の大狩猟時代」に参加したチュクウは、人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北東部森林地帯(現イリノイ~ニューヨーク近辺)に居を構え、「ソーク族」を称した。ソークの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=ソークとなる。

 


■35万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ステュクス誕生」

 

「キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは赤髪の白人であった。彼らは東南アジアに入植し、獣人の姿をしたチュクウ、アボリジニの姿をしたクウォスと組んで「ステュクス」を生んだ。ステュクスの名の由来はカゾオバ、チュクウ、クウォスの組み合わせである。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾオチュクウォス=ステュクスとなる。ステュクスは、大洋の娘たちに名を連ね、冥府の河として知られた。

 


■30万年前 「キュクロプス誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したチュクウは、モンゴルに帰還し、更に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに上陸した。チュクウはカリュプソーと連合し、「キュクロプス」を生んだ。キュクロプスの名の由来はチュクウとカリュプソーの組み合わせである。チュクウ+カリュプソー=チュクリュプソ=キュクロプスとなる。

 


■30万年前 「ティケー誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したチュクウは、モンゴルに帰還し、更に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに上陸した。チュクウは「ティケー」を生んだ。ティケーの名の由来はチュクウである。チュクウ=テュクウ=ティケーとる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「第1次ウラヌスの大移動時代」に参加したキュクロプスは、古代ギリシアに移住し「ティタン神族」に参加した。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「スクルド誕生」

 

オセアニアに残っていたチュクウは「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加し、現カリフォルニアに入植した。彼らは「スクルド」を生んだ。スクルドの名の由来はチュクウとエウリュトスの組み合わせである。チュクウ+エウリュトス=チュクリュト=シュクリュト=スクルドとなる。彼らは、同盟者と共に、ユグドラシル(セコイア)の林の向こう側、現ネバダ砂漠に「ミドガルド王国」を建設した。

 


■4万年前 「テュポン(タイパン)誕生」

 

クロノスの姦計により、古代ギリシアを追放されたチュクウは、オーストラリアに帰還していた、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、チュクウ(ギガース)はクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成し、古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとルハンガの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。テュポンは、オーストラリアでは「虹蛇タイパン」と呼ばれた。

 


■4万年前 「モルディブ誕生」

 

古代ギリシアに向かう途上、怪物テュポンは現モルディブに仮りの拠点を作った。この時に初めて当地は「モルディブ」と呼ばれた。モルディブの名の由来はムワリとテュポンの組み合わせである。ムワリ+テュポン=ムワリテュポ=モルディブとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したテュポンは、ギリシアから台湾に上陸した。この時、台湾は初めて「台湾」と呼ばれた。台湾の名の由来はテュポンだが、テュポンの名は「ジャパン」の語源でもある。テュポンを解散したギガースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「雷雨の神チャク誕生」「創造主クグマッツ誕生」

 

ミドガルド王国のスクルドは、古代マヤに入植し、「雷雨の神チャク」を称した。更に、ミマースと組んで「創造主クグマッツ」を生んだ。チャクの名の由来はチュクウであり、クグマッツの名の由来は、ギガースとミマースの組み合わせである。チュクウ=チャクウ=チャクとなり、ギガース+ミマース=ギガマース=クグマッツとなる。ミマースは、ペルーから来たパチャママの片割れである。
チャクは、東西南北の4つのチャクに分かれているとされる。4つのチャクとは、タルタロス(オーストラリア)のキュクロプス、ミドガルド(カリフォルニア)のスクルド、高天原(台湾)の天香語山命、そして、古代マヤの雷雨の神チャクを指している。

 


■1万3千年前 「ユグドラシルの大航海時代」

 


■1万3千年前 「出羽国誕生」

 

最終戦争ラグナロクにより、ミドガルド王国はネバダ砂漠と化した。この時、「ユグドラシルの大航海時代」に参加したチャクは、テペウと共に古代マヤを離れ、東北地方に入植して「出羽国」を建てた。出羽の名の由来はテペウである。テペウ=テヘ=出羽となる。

 


■1万3千年前 「縄文人の大航海時代」

 


■1万3千年前 ヌナカワミミ生誕 「綏康天皇誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したチュクウは、ディオーネー、ミマースと連合して「ヌナカワミミ」を生んだ。ディオーネー+チュクウ+ミマース=オネクウミマ=ヌナカワミミとなる。その後、ヌナカワミミは綏康天皇として、黒龍江付近を統治する第2代天皇として即位する。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 チュクウ、アナトリア半島に移住

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加したチュクウは、アナトリア半島に移住し、リディア王国の初代王ギゲスを輩出する。

 


■BC716年 ギゲス、初代王に即位 「リディア王国誕生」

 

BC716年、ギゲスが初代王に即位して「リディア王国」を建てた。ギゲスの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=ギュゲス=ギゲスとなる。

 


■BC604年 「蜀(古蜀)誕生」

 

BC604年、ギゲスの残党はリデイア王国を離れて中国に移住した。この時に「蜀(チュウ)」が生まれた。蜀の名の由来はチュクウである。チュクウ=チュウクウ=蜀(チュウ)となる。歴史的には、後代の蜀と区別するために古蜀と呼ばれている。

 


■BC604年 「ムアン・ギャオ誕生」「曹誕生」

 

BC604年、ギゲスの残党はリデイア王国を離れて中国に移住した。蜀の建設に参加しなかった人々は、都市国家「ムアン・ギャオ」を中国に築いた。ギャオの名の由来はチュクウである。チュクウ=チュカオ=ギャオとなる。この時に「曹氏(カオ)」が生まれた。カオの名の由来もチュクウである。チュクウ=チュカオ=カオ(曹)となる。

 


■BC1??年 諸葛豊生誕 「諸葛氏誕生」

 

BC316年、司馬氏によって古蜀が滅亡すると、蜀の残党は「諸葛氏(ジューガー)」を生んだ。諸葛の名の由来はギューゲース、或いはチュクウである。ギューゲース=ジューゲース=諸葛(ジューガー)となる。

 


■BC23年 「サクソン族誕生」

 

BC286年、宋が滅ぶと、諸葛氏の一部は宋氏と連合し、中央アジアに移住した。この時に「サクソン族」が生まれた。サクソンの名の由来は諸葛(ジューガー)と宋(ソン)の組み合わせである。ジューガー+ソン=ジュガソン=サクソンとなる。

 


■AD155年 曹操生誕

 

曹操は、大和人と共に、三国時代の「魏」を建設した。

 


■AD181年 諸葛亮生誕 「諸葛孔明誕生」

 


■AD221年 「蜀誕生」

 

諸葛孔明は、劉備玄徳と共に、三国時代の「蜀」を建設した。

 


■AD265年 「クアン誕生」

 

魏が滅ぶと、曹操の残党は雲南に移住し「クアン」を築いた。クアンの名の由来はカオである。カオ=カオン=クアンとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD304年 「蜀誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した諸葛氏は、祖を同じくするサクソン族を手助けしたが、一部は中国に帰還し、AD304年に「蜀」を建てた。しかし、AD306年に蜀が滅ぶと、再度、ゲルマニアに向かった。

 


■AD405年 「蜀誕生」

 

AD306年に蜀が滅ぶと、諸葛氏は再びゲルマニアに戻ってきた。しかし、サクソン族がユトランド半島に入植すると、再度、諸葛氏は中国にとんぼ返りし、AD405年にまた新たに「蜀」を建てた。しかし、AD413年に蜀が滅ぶと、諸葛氏は、またユトランド半島のサクソン族の元へと帰ってきた。諸葛氏は、サクソン族のブリテン島への移住を援助した。

 


■AD477年 「サセックス王国誕生」

 

セックスの名から、3つのイングランド系サクソン諸国は、諸葛氏が指揮していたことがわかる。サセックス王国は、イングランド南部に築かれた。AD860年に滅びている。

 


■AD519年 チェルディッチ、初代王に即位 「ウェセックス王国誕生」

 

セックスの名から、3つのイングランド系サクソン諸国は、諸葛氏が指揮していたことがわかる。ウェセックス王国は、イングランド西部に築かれた。AD11世紀に滅びている。ウェセックス王国は偉大な王を生み、デーン人を蹴散らし、イングランド統一を果たしている。

 


■AD527年 「エセックス王国誕生」

 

セックスの名から、3つのイングランド系サクソン諸国は、諸葛氏が指揮していたことがわかる。エセックス王国は、イングランド東部に築かれた。AD825年に滅びている。

 


■AD829年 エクバード王、イングランドを統一

 


■AD871年 アルフレッド大王、ウェセックス王に即位

 


■AD886年 アルフレッド大王、デーン人よりロンドン奪還

 


■AD892年 アルフレッド大王、デーン人の侵攻を撃退

 


■AD907年 「蜀誕生」

 

AD899年、治世の間、絶え間なく援護してきたアルフレッド大王が死去すると、諸葛氏は、中国に帰還し「蜀」を建てた。蜀はAD925年に滅ぶが、その前年に諸葛氏はイングランドに帰還している。

 


■AD924年 エセルスタン王、ウェセックス王に即位

 


■AD924年 エセルスタン王、デーン人よりデーンローを奪還 「イングランド王国誕生」

 


■AD934年 「蜀誕生」

 

エセルスタン王を支え、デーン人を皆殺しにしてきた諸葛氏は、再度、中国に帰還して「蜀」を建てた。

 


■AD965年 「伊賀国誕生」

 

AD965年に最後の蜀が滅ぶと、諸葛氏は日本に移住し、「伊賀」を築いた。伊賀の名の由来は諸葛(ジューガー)である。ジューガー=ユーガー=伊賀となる。伊賀には「惣国一揆」と呼ばれる共和的自治組織が存在した。惣国の名の由来は「ソークの国」と考えられる。ソークの国=ソウ国=惣国となる。短期間でイングランドと中国を行き来した間に蓄えられた、あらゆる知識、そして、地球の王チュクウから受け継いだ獣人の血は、その後の忍者の母体組織形成に寄与した。

 


■AD1016年 「キプチャク族誕生」

 

ウェセックスは、クヌート大王率いるデンマーク軍に敗北し、イングランドを脱出した。彼らはイギリス人ギブ(乞伏部)を連れて、中央アジアに帰還し、「キプチャク族」を生んだ。キプチャクの名の由来は乞伏(キフ)+諸葛(ジューガー)である。キフ+ジューガー=キフジュガ=キプチャクとなる。

 


■AD1034年 コンチョク・ギェルポ生誕 「サーキャ派誕生」

 

AD965年に最後の蜀が滅ぶと、諸葛氏はチベットに移住し、「コンチョク・ギェルポ」を生んだ。コンチョクの名の由来はクン族(アルキュオネウス)とチュクウの組み合わせである。クン+チュクウ=クンチュク=コンチョクとなる。サーキャの名の由来は諸葛(ジューガー)である。ジューガー=シューカー=サーキャとなる。サーキャ派は、四大チベット仏教のひとつである。

 


■AD1066年 「スカキ誕生」

 

ヨーロッパに移住したウェセックス人は「スカキ」を称した。スカキの名の由来はサカとキンメリアの組み合わせである。サカ+キンメリア=サカキ=スカキとなる。

 


■AD1066年 「榊原氏誕生」「三好氏誕生」

 

日本に上陸したサクソン人は、仁木氏に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのが「榊原氏」の祖、榊原清長である。榊原の名の由来は「サクソンの土地」である。サクソン(SAKCIN)+土地(原)=SAKCI(榊)+原=榊原となる。一方、一部のサクソン人は小笠原長興に接近して自身の血統を打ち立てる。この時に誕生したのが「三好氏」の祖、三好義長である。三好の名の由来はSAINT(三)+サクソン(好き)である。SAINT(三)+サクソン(好き)=三+好き=三好(音読みでみよし)となる。

 


■AD11世紀 「ガオ王国誕生」

 

AD938年に大理国が成立すると、曹氏は西アフリカに移住し、「ガオ王国」を築いた。ガオの名の由来は曹(カオ)である。カオ=ガオとなる。

 


■AD1156年 テムジン生誕 「チンギス・ハーン誕生」

 

キプチャク族は乞伏部が主導していたため、不満を持った一部諸葛氏はモンゴルに移住した。この時に「テムジン」が生まれた。テムジンの名の由来はテムズの宋(ソン)である。テムズ+ソン=テムソン=テムジンとなる。テムジンは長じてチンギスを名乗ったが、チンギスの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=ギュンゲス=チンギスとなる。

 


■AD1182年 サキャ・パンティタ生誕

 

サキャ派第6代目座主。サキャの名の由来は諸葛(ジューガー)である。ジューガー=シュカ=サキャとなる。

 


■AD1206年 チンギス・ハーン、モンゴル高原を統一

 


■AD1219年 チンギス・ハーン、モンゴル軍を率いて征西

 


■AD1227年 「キガ族(キクユ)誕生」

 

AD1227年、強大な征服欲を持ち、残虐の限りを指令するネストリウス派に嫌気が差したチンギスは、死んだことにして故地から遠く離れた異邦の地ケニアにまで逃れた。チンギスの残党は、現地人と混合して「キガ族(キクユ族)」を成した。キガの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=キガース=キガとなる。キガの別名に、「キクユ」という名があるが、キクユの名の由来はチュクウである。チュクウ=チクウ=キクユとなる。

 


■AD1285年 サーキャ派、ディクン・ティルを焼き討ち

 

ディグンの領主が、イルハン朝と結んで蜂起した。ディグンの名の由来はダゴンである。つまり、ディグンの領主はタナトスだった。最初は勝ち進んだが、サーキャ派の軍隊が本山ディクン・ティルを焼き討ちしている。ディクン・ティルの名の由来は、ダゴンとティラウの組み合わせと考えられる。つまり、ディクン・ティルは、タナトスの都市だったのだろう。

 


■AD1288年 「宣政院設立」

 

モンゴル帝国を築いたフビライは、サーキャ派を保護し、「宣政院」を建設した。サーキャ派の長、帝師がここで指導し、サーキャ派はモンゴル帝国が滅ぶまで、サーキャ寺院を僧院都市として中央チベットを支配した。AD1358年、勢力を伸張したカギュ派に押され、サーキャ派の長が暗殺される。

 


■AD13世紀 「カーオ王国誕生」

 

ガオ王国に、祖を同じくするチンギス・ハーンの残党がやってくると、曹氏の残党はアフリカを離れ、インドシナ半島に移住した。この時、彼らは「カーオ王国」を築いた。カーオの名の由来はガオである。この時に、タイ人に西アフリカ人の血が加えられた。ムエタイ王者のプラカーオは、その名から彼らの子孫である可能性がある。

 


■AD14世紀 「木下氏誕生」

 

アフリカ人の顔をしたキガ族は日本人と混合し、キガに「木下(キゲ)」を当て字して「木下(きのした)」と訓読みした。AD1513年、キガ族の娘、木下仲(大政所)が誕生し、AD1537年には仲の子、木下藤吉郎が生まれた。後の「豊臣秀吉」である。秀吉の他に木下小一郎、木下家定などがキガ族の系統として生まれている。

 


■AD1464年 「ガオ帝国誕生」

 

諸葛氏からガオ王国を受け継いだチンギスの残党は「ガオ帝国」を築いた。ガオ帝国は、AD1493年に滅んだ。

 


■AD1537年 豊臣秀吉生誕

 

AD1493年、ガオ帝国が滅ぶと、チンギスの残党はアフリカを離れ、戦国時代の日本に移住した。ガオ帝国の残党は、祖を同じくする木下氏に接近し、自身の血統を打ち立てた。藤吉郎を生む木下仲は、西アフリカ人と日本人の4世である。AD1554年、藤吉郎は織田信長に仕え、AD1566年には美濃攻めに於いて一夜城を築いた。AD1573年、秀吉は「羽柴」を称しているが、ハシバの名の由来はパンジャブである。パンジャブ=パンジャバ=羽柴となる。パンジャブといえば秀吉の兄弟である「シク教」の拠点である。

 


■AD1579年 「第一次伊賀の乱」

 

織田信長の息子、北畠信雄が南伊賀の丸山上を攻めたが、結集した伊賀勢がこれを退けている。しかし、AD1581年、信長が2万の大群を率いて侵攻すると、伊賀は二週間で制圧された。

 


■AD1587年 「バテレン追放令」「刀狩り令」

 

キリシタンに好意的だった秀吉が掌を返したように伴天連追放令を発布した。これは秀吉の意志ではなく、大谷の指令である。大谷は自分たちを狙っている勢力に気付き、蜂起を事前に防止するため、秀吉に命じて上記の令を発布させた。「バテレン追放令」「刀狩り令」は、正義を貶め、悪を守る法律であった。

 


■AD1590年 豊臣秀吉、天下統一

 


■AD1598年 「シン誕生」

 

科学の種族の子孫である千利休は、浄土真宗を邪教とみて、仲間を集めて攻撃の機運を探っていた。だが、それを見破った大谷は先手を打って秀吉に千利休処刑を命令した。もちろん、秀吉は利休を処刑したことにして安全な場所へと逃がした。だが、これを見逃すはずがない大谷は秀吉を排除することを考えていた。そのため、秀吉は死んだフリをしてドサクサに紛れて日本を脱出した。
パンジャブに潜伏していた秀吉は「シン」を生んだ。シンの名の由来は豊臣の音読み「ほうしん」である。秀吉は、シク教国の礎を築き、その後、後にやってきた秀頼の残党と共にロシアに向かった。

 


■AD1615年 「豊臣氏の大移動時代」

 


■AD1615年 「プーチン誕生」

 

その後、大坂の陣に敗北した豊臣秀頼の一行が龍造寺氏、千葉氏が潜伏していたパンジャブを訪れる。パンジャブには、既に秀吉一行がいたが、豊臣秀頼の一行は龍造寺隆信らを迎えてパンジャブからカスピ海に至る。日本人の顔をした千葉氏は、ここで中央アジア人と交わり、「チュヴァシ」を称した。チュヴァシ族は、豊臣秀頼の一行と共にサンクトペテルブルグに移り、「プーチン」「メドベージェフ」の名を築いた。
プーチンの名の由来は豊臣の音読み「ほうしん」であり、メドベージェフの名の由来は「千葉又兵衛」である。千葉又兵衛とは、筆者が考えた想像上の人物である。だが、九州の千葉氏は、豪傑として知られる後藤又兵衛と同時代の人々であるため、豪傑に因んだ名前を子息に命名するのはありえることだ。

 


■AD1615年 「ケニア誕生」

 

一方、木下氏の一行は現ケニアに移住し、家族であるキガ族に合流した。この時に「ケニア」が生まれた。ケニアの由来は大阪弁「(わしらの)国や」だと考えられる。

 


■AD1675年 グル・ゴービンド・シン、第10代グルの座に就く 「シク教国誕生」

 

AD1675年、グル・ゴービンド・シンが第10代グルの座に就き、AD1716年、バンダー・シンがムガール帝国に蜂起したが失敗した。AD1801年、ランジット・シンが初代マハラジャの座に就き、ムガール帝国からの独立を勝ち取って「シク教国」が築かれた。AD1845年、インド征服を目論む大英帝国との間に「第1次シク戦争」が開始される。

 


■AD1816年 シャカ、初代皇帝に即位 「ズールー帝国誕生」

 

AD1745年頃、黒人の奴隷狩りが始まると、キクユ族は南アフリカに逃れた。キクユ族から、AD1787年に「シャカ」が生まれた。シャカの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=シャカとなる。シャカの母の名はナンディだが、これはケニアから来た証といえる。シャカの祖先は奴隷狩りから逃れたものの、結局、白人に対峙する結果となった。

 


■AD1845年 「第1次シク戦争」

 


■AD1849年 「ボンジョヴィ誕生」

 

シク教国は、第1次から第2次に至る「シク戦争」を大英帝国軍と戦ったが、大敗すると、一部豊臣氏の子孫は、パンジャブからイタリアに移住した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「ボンジョヴィ」を称した。ボンジョヴィの名の由来はパンジャブである。パンジャブ=パンジャヴィ=ボンジョヴィとなる。

 


■AD1893年 ジョモ・ケニヤッタ生誕

 

AD1964年、ケニア共和国初代大統領に就任している。

 


■AD1932年 マンモハン・シン生誕

 

第17代インド首相に就任している。

 


■AD19年 ウラジミール・プーチン生誕

 

AD2000年~2008年、第2代ロシア連邦大統領、AD2012年、第4代ロシア連邦大統領に就任している。

 


■AD1960年 グレタ・スカキ生誕

 


■AD1962年 ジョン・ボンジョヴィ生誕 「ホン・ジョヴィ誕生」

 

 

 

◆ゼウス(ソーク)の歴史

 


■40万年前 「ソーク族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北東部森林地帯(現イリノイ~ニューヨーク近辺)に居を構えたチュクウは「ソーク族」を称した。ソークの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=ソークとなる。

 


■30万年前 「ツオウ族誕生」

 

アプチが、マヤから東アジアに帰還した際、ソーク族は同行していた。彼らは、台湾に入植すると「ツオウ族」を生んだ。ツオウの名の由来はソークである。ソーク=ツオウク=ツオウとなる。

 


■30万年前 「ペルセーイス(ペルセウス)誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したミマースは、パッラースや台湾から来たツオウ族と共に、オーストラリアに「ペルセウス(ペルセーイス)」を生んだ。ペルセウスの名の由来はパッラース、ツオウ、ムシシ(ミマース)の組み合わせである。パッラース+ツオウ+ムシシ=パッラツオウシ=パラソウシ=ペルセウスとなる。

 


■30万年前 「クリュセーイス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスはペルセーイスと共に「クリュセーイス」を生んだ。クリュセーイスの名の由来はクリュテイオスとペルセーイスの組み合わせである。クリュテイオス+ペルセーイス=クリュセーイスとなる。

 


■7万年前 「ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ペルセウス誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペルセーイスは、英雄ペルセウスとして、ケルケイース(ゴルゴン)、メーティス(メドゥーサ)の国に取り付いたタナトス一族を皆殺しにした。この時、一部のタナトスはクリュサウル、ペガサスとなって逃亡し、ダナオスの一族はアルゴス号に閉じ込められてオセアニアに連行され、タンナ島に封じ込められた。この時から、ペルセウスの子孫は、時期が来るとタナトスを皆殺しにするようになる。プーチン大統領、習国家主席、トランプ大統領は現代のペルセウスである。

 


■7万年前 「サイシャット族(ヘラクレス)誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペルセウスは、台湾に上陸してクリュセーイスと共に合体部族を生んだ。この合体部族の誕生に参加したのはペルセーイス側からはパッラース(ヴィディエ+レザ)、ムシシが、クリュセーイス側からはグラティオーンとムシシである。しかし、グラティオーン自体がアグリオス(チュクウ+ルワ)とディオーネー(ヴィディエ+ウラニアー)の合体部族である。つまり、ペルセーイスからは3部族、クリュセーイスからは5部族が参加している。
この時に生まれたのは、台湾少数民族として知られる「サイシャット族」である。サイシャットの名の由来はチュクウ、ムシシ、ヴィディエの組み合わせである。チュシシディ=ツォウセーイシディ=サイシャットとなる。サイシャット族は後に「ヘラクレス」と呼ばれることになる。ヘラクレスの名の由来はペルセーイスとクリュセーイスの組み合わせである。ペルセーイス+クリュセーイス=ペルクリュセ=ヘラクレスとなる。

 


■7万年前 「ヘラクレス誕生」

 

ヘラクレスとは、台湾のサイシャット族のことであるが、ヘラクレスの物語は全て、オーストラリア、メラネシア、南シナ海で起きたことである。ヘラクレスの目的は、主に、反自然の種族の成敗であった。ネメアのライオン、レルネのヒュドラ、ケリュネイアの鹿、エリュマントスの猪、アウゲイアスの家畜小屋掃除、ステュムパリデスの鳥退治、クレタの暴れ牛、ディオメデスの人喰い馬、アマゾネスとの戦闘、ゲリュオンの赤い牛、ヘスペリデスの黄金の林檎、ケルベロスの生け捕りの中でも、特にエリュマントスの猪とディオメデスの人喰い馬はタナトスの一族である。

 


■7万年前 「塩椎神誕生」「摂津国誕生」

 

サイシャット族は日本に上陸し、現地人に「塩椎神(しおつち)」と呼ばれた。しおつちの名の由来はサイシャットである。サイシャット=サイシャツ=しおつちとなる。その後、彼らは「摂津」に拠点を得た。摂津の名の由来はサイシャットである。サイシャット=シャツ=摂津となる。高天原と摂津は、塩椎神(サイシャット族)の勢力圏だった。

 


■7万年前 「素戔鳴尊誕生」

 

サイシャット族(塩椎神)は、新規の合体部族天照大神(ニャメ+ドーリス)に敗北し、台湾を離れた。この時にチュクウとムシシは「素戔鳴尊」と呼ばれた。素戔鳴尊の名の由来はサイシャットとウラニアーの組み合わせである。サイシャット+ウラニアー=サイシャニアー=素戔鳴尊(すさのお)となる。素戔鳴尊はチュクウとムシシ、ウラニアーによる合体部族である。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ヴァルハラ誕生」「戦士の守護神ワルキューレ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加した素戔鳴尊、筒之男命は、神話通り、葦原中津国に向かった。葦原中津国は2種類あるが、ひとつめは八代湾~天草諸島に跨る地域であり、2つめはアナトリア半島~ナクソス島に跨る地域である。彼らが目指したのは2つめの葦原中津国である。
アルゴス号は、途上の北アメリカで常世国、ミドガルド王国などを残しつつ、メキシコに到達した。大西洋側に出た彼らは、上陸ポイントを「ベラクルス」と命名した。更に、北メキシコに入植した塩椎神の勢力は「ヴァルハラ王国」を築いた。ヴァルハラの名の由来はペルセウスとヘラクレスの組み合わせである。ペルセウス+ヘラクレス=ペルヘラ=ヴァルハラとなる。
ベラクルスには、「ワルキューレ」が生まれた。ベラクルス、ワルキューレの名の由来は共にヘラクレスである。ヘラクレス=エラクーレス=ワルキューレとなる。北アメリカにあったミドガルド王国、北メキシコにあったヴァルハラ王国名は北欧神話に出てくるため、ミドガルド、ヴァルハラは北欧に存在したと考える人も多いだろう。しかし、大概の場合、神話の舞台は神話が編まれた土地で起きた事柄ではない。タナトスを皆殺しにするため、科学の種族は核兵器によってミドガルド、ヴァルハラを消滅させたが、北欧神話は、その時の生存者が何万年もさすらったあげく、北欧に辿り着き、現地人に伝えたものである。

 


■4万年前 「オリンポス神族誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したサイシャット族は、メキシコを離れ、葦原中津国を目指した。クロノスはケルンを拠点にし、インチキ宗教により、大量の弱者を信者として擁し、ヨーロッパを支配していた。これに対抗するべく、現オリンポス山付近に入植したサイシャット族は「オリンポス神族」を結成した。オリンポスの名の由来はウラヌスとポセイドンの組み合わせである。ウラヌス+ポセイドン=ウラヌポセ=オリンポスとなる。ご存知のように、オリンポス神族には「ゼウス」「ポセイドン」「ハデス」「ヘスティア」「デメテル」「ヘラ」がいる。ヘスティア、デメテル以外はサイシャット族の合体部族から生まれた。

 


■4万年前 「全能神ゼウス誕生」

 

現オリンポス山付近に拠点を構えたサイシャット族は、「ゼウス」を生んだ。ゼウスの名の由来はサイシャットである。サイシャット=サイシャ=ザイシ=ゼウスとなる。

 


■4万年前 クロノスに呑み込まれる

 

クロノスは、大量の信者を強い発言力・強固な城壁として動員し、オリンポス神族を退けた。優れたオリンポス神族は、だが、数で勝るできそこないに敗北した。間違っていても、誰にも好かれていなくても頭数で勝れば勝てるということをクロノスは証明した。ヘシオドスは、この敗北を「クロノスに呑み込まれた」と表現した。

 


■4万年前 「オリンポス神族の大航海時代」

 


■4万年前 全能神ゼウス、クレタに潜伏

 

「オリンポス神族の大航海時代」に参加しなかったゼウスは、神統記の通りにクレタに潜伏した。ただ、このクレタはエーゲ海のクレタ島のことではなく、マレー半島~ソロモン諸島の間に存在したクレタ王国のことである。

 


■4万年前 「アトランティス王国誕生」

 

ゼウス以外は「オリンポス神族の大航海時代」に参加し、北アメリカ、マヤ、南アメリカ、南極大陸の発見を経てオーストラリアに入植した。デメテルを生んだアドメテーはエロスと組んで「アトラス」を生んだ。その後、アトラスはタナトスと組んで「アトランティス王国」を築いた。アトランティスの名の由来はアトラス、タナトスの組み合わせである。アトラス+タナトス=アトラナトス=アトランティスとなる。後に、タナトスがアトランティスの王統を簒奪すると、かつての大英帝国のように世界侵略を標榜し、残虐の限りを尽くした。

 


■4万年前 「アトランティス人の大航海時代」

 


■4万年前 「スエズ誕生」

 

クロノスを倒すべく、全能神ゼウスは、エジプトに拠点「スエズ」を築いた。スエズの名の由来はゼウスである。ゼウス=セウズ=スエズとなる。ゼウスは、クロノスの一族を皆殺しにするために史上初の武器を製作した。それまでも、石器のナイフ、弓矢、槍などはあったが、ゼウスは投石器などを作った。

 


■4万年前 全能神ゼウス、クロノスをギリシアから追放

 

「アトランティス人の大航海時代」に参加したゼウスは、「アベルの大航海時代」の人々と連合し、エジプトで体制を整えてからギリシアに侵攻した。クロノスが掌握していた大量の愚か者たちは、しかし、単なる頭数を上回るゼウスたちの実力に翻弄され、容易に退けられた。クロノスはギリシアからパプアに逃亡し、ダニ族となる。クロノスは「できそこないでも数で圧倒すれば優れた者に勝てる」と信じていたが、この時は、優れた者ができそこないの「数で圧倒する方法」を凌駕したため、敗北を喫した。

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「スワジ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したゼウスは、スエズから南アフリカに移り、「スワジ」を築いた。スワジは宿神(スシェン)、朱雀(ツークエ)とも呼ばれた。スワジの名の由来はスエズであり、スシェンの名の由来はシュシャンである。スエズ=スワズ=スワジとなる。ツークエの名の由来はチュクウである。チュクウ=チュークエ=ツークエとなる。
ゼウスは、カアングと共に「キンシャサ」を築き、白虎(ベイフー)と共に「アジスアベベ」も築いた。キンシャサの名の由来はカアングとゼウスの組み合わせであり、アジスアベベの名の由来はゼウスとベイフーの組み合わせである。カアング+ゼウス=カアンセウス=キンシャサとなり、ゼウス+ベイフー=アゼウス+アベイフ=アジスアベベとなる。

 


■2万年前 「オデュッセウス(テセウス)誕生」

 

オデュッセウスの物語は、実際には「トロイア戦争」ではなく、「最終戦争ラグナロク」の後に、ゼウスが世界中を巡り、諸国のタナトスを成敗して回ったた話である。当時のゼウスは、現スワジやキンシャサに住んでいた。オデュッセウスの名の由来は、ヴィディエ、ゼウスの組み合わせである。ヴィディエ+ゼウス=ヴィディゼウス=オデュッセウスとなる。
シベリア・モンゴル(キコネス人、パイエケス人、アルキノオス王、ナウシカ姫)、コンゴ(ロトパゴイ人)、カリブ海(カリュプソー島)、ナイジェリア(キュクロプス)、セネガル(アイオロス)、ナミビア(人喰いライストリュゴン)、黒海(魔女キルケ)、オーストラリア(海の怪物スキュラ)、ヨーロッパ(ヘリオス島)というように、名前を精査すると舞台が見えてくる。
一方、オデュッセウスは「テセウス」とも呼ばれた。テセウスの名の由来はヴィディエ、ゼウスの組み合わせである。ヴィディエ+ゼウス=ディエゼウス=テセウスとなる。アテナイの王子テセウスの物語も、オデュッセウス同様に、ヴォドゥン王国に取り付いたタナトスと反自然の種族を退治して回る話である。ここでは割愛するが、鉄の棍棒男ペリペテス、四つ裂き男シニス、牝猪パイア、蹴落とし男スケイロン、レスリング男ケルキュオン、引き伸ばし男ポリュペモンの名は、みな、反自然の種族に属していることがわかる。

 


■1万3千年前 全能神ゼウス、デウカリオンとピュラに助言を与える

 

ギリシア神話に「デウカリオンとピュラ」の説話がある。これは、実際には、ゼウスが、単身タルタロス(オーストラリア)に赴き、「デウカリオン」と「ピュラ」に対し、緊急脱出用の大型船を造るように進言したことを意味している。

 


■1万3千年前 「ヘリオポリスの大航海時代」

 


■1万3千年前 「スーサ誕生」

 

「ヘリオポリスの大航海時代」に参加したゼウスは、メソポタミアに入植し、「スーサ」を築いた。スーサの名の由来は素戔鳴尊である。素戔(すさ)=スーサとなる。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「スイス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したゼウスは、ライン流域を遡り、アルプス山脈のふもとにまで及んだ。彼らは当地を「スイス」と命名した。スイスの名の由来はゼウスである。ゼウス=ゼイス=スイスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「ウェシュシュ人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加した粛慎は、祖を同じくするスイス人と連合した。この時に「ウェシュシュ人」が生まれた。ウェシュシュの名の由来はスイスとシュシャンの組み合わせである。スイス+シュシャン=ウイスシャン=ウェシュシュとなる。彼らは、トゥルシア人らと共にイランに入植し、デニエン人、シェルデン人とは異なる、正義の側の海の民に参加した。

 


■BC19世紀 「女神イシス誕生」「エフェソス誕生」

 

ウェシュシュ人は、トゥルシア人、ペリシテ人、チェケル人、ルカ人らと共にラムセス3世に加勢し、海の民(デニエン人・シェルデン人)を退けた。その後、ウェシュシュ人はエジプトに入植して「女神イシス」を祀った。イシスの名の由来はウェシュシュである。ウェシュシュ=エスス=イシスとなる。また、彼らはギリシアにも入植し、「エフェソス」を築いた。エフェソスの名の由来はウェシュシュである。ウェシュシュ=ウエシュシュ=エヘスス=エフェソスとなる。

 


■BC1700年 ウェシュシュ人、アテナイ王国と対立

 

「海の民の大航海時代」に参加したウェシュシュ人は、司神タナトスに支配されたアテナイ王国と対立した。この模様は、ギリシア神話では、ゼウス(ウェシュシュ人)とアテーナイ(司神タナトスと大量の信者たち)の対立として記されている。この戦争は、スエズ(エジプト)対アデン(アラビア半島)の戦いであった。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「周誕生」

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加したウェシュシュ人は、東アジアに帰還した。彼らは中国に上陸すると、殷に寄生していた人身御供の種族、能登族を皆殺しにした。その後、ウェシュシュ人は、蚩尤が生んだ「周氏(チョウ)」に参加し、共同で「周」を開いた。周(チョウ)の名の由来はツオウである。ツオウ=チオウ=周(チョウ)となる。

 


■BC967年 「エジプト第22王朝樹立」

 

南征した「周」の昭王は、急に故地帰還を思い立った。つまり、中国人の顔をした昭王の軍団はシルクロードを経てエジプトにまで足を伸ばしたのだ。ひとまず、リビアに根を下ろして警察としての地位を得てリビア人を指揮下に置いていた昭王の軍団は、22年後のBC945年にリビア人王朝を古代エジプトに打ち建てている。シュシャン人(スーサ)の子孫である昭王は、シルクロードを通過した際に「シュシャンキ(シュシャン人)」を称した。それが、シェションク1世の名の由来である。

 


■BC663年 プサメティコス1世、初代ファラオに即位 「サイス朝(エジプト第26王朝)樹立」

 

中国から逃亡した「周」の王族に属する2つの王統が合体し、「第26王朝(サイス朝)」を樹立した。サイスの名の由来はスイス(周氏の祖ウェシュシュ人の故地)、或いはゼウスである。ゼウス=セウス=サイスとなる。

 


■BC341年 「スイス復活」

 

ペルシア帝国に飲み込まれたサイス王家は、故地スイス(シュヴィーツ)に帰還して、スイスの名を復活させた。エジプト人の顔をした彼らは現地のヨーロッパ人と混合して「スイス人」を形成する。スイスの名の由来はサイスである。

 


■BC341年 「朱氏誕生」

 

ペルシア帝国のエジプト王位簒奪に続いてアレキサンダー大王の侵略に晒されたエジプトから脱出した東方組サイス王家は、故地である中国に帰還した。エジプト人の顔をしたサイス王家は中国人と混合して「朱氏」を形成した。朱(チュ)の名の由来はスーサである。スーサ=チューサ=チュ(朱)となる。蚩尤、周氏、趙氏に続き、中国に上陸したゼウスの系統として、朱氏は4世代目にあたる。朱氏からは朱蒙が登場し、彼は、マヤから来たククルカン神族と組んで、BC37年、朝鮮半島に「高句麗(ゴグリョ)」を建設している。

 


■BC1世紀 「高句麗誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したククルカン(加賀氏)は、ケツァルコアトルと共に満州から朝鮮半島に赴いた。ククルカンは、ゼウスの末裔である朱蒙(朱氏)と組んで「高句麗(ゴグリョ)」を建てた。ゴグリョ(高句麗)の名の由来はククルカンである。ククルカン=ゴグリョカン=ゴグリョとなる。古代朝鮮の王国、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ロス誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した朱氏は、ブリテン島に上陸した。朝鮮人の顔をした朱氏は現地人と混合して「ロス」を成した。ロス(ROTH)の名の由来は「朱」である。

 


■AD6世紀 「勿吉の大航海時代」

 


■AD870年 「東林書院誕生」「朱子学誕生」

 

デーンローの成立、デーン税の取立てを機に、イギリス人の一族、ロス、キング、ロード、ウィロウ、ハンター、リー、スイスの氏族がイングランドを発ち、中国へ帰還した。イギリス人の顔をした彼らは中国人と混合して先祖の姓を復活させた。スイス(SWISS)は「周」を、ロス(ROTH)は「朱」を、キング(KING)は「王」を、ロード(ROAD)は「程」を、ウイロウ(WILLOW)は「楊」を、リー(LEIGH)は「李」を、ハンター(HUNTER)は「羅」の名を復活させた。
周氏からは周敦イ、程氏からは「東林書院」を設立した程コウ、程イが、王氏からは「新法党」の指導者であり「新学」の創始者王安石が、楊氏からは楊時が、羅氏からは羅従彦が、李氏からは李トウが、朱氏からは「朱子学」を築いた朱熹が輩出された。その後、非東林派の首領に就任したタナトスの血を継ぐ魏忠賢は、AD1623年に秘密警察を掌握し、東林書院に弾圧を加えた。この「東林書院」の人々が、中国を脱出してイングランドに帰り、「イーストウッド」の姓を称したかどうかは定かではない。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD1236年 シュヴァルナス、第4代大公に即位 「リトアニア大公国誕生」

 

「東アジア王族のリトアニア大移住」に参加した中国人・朝鮮人の顔をした唐・高句麗・新羅王家の人々は、現地人と混合してリトアニアの統率を始めた。その後、リトアニアはAD1236年に大公国としてポーランド王国と共に中欧を統べ、ロシア帝国、スウェーデン王国と肩を並べる大国となるまで成長を遂げた。
古代中国や朝鮮半島を統一した王族がリトアニアを統治するのだから強大化も当然だろう。李氏からはパレモナス、金氏からはギムプタス、朱氏からは第4代リトアニア大公シュヴァルナス、閔氏からは初代リトアニア大公ミンダウガス、第2代リトアニア大公ミンガイラスなどの王が輩出された。

 


■AD1331年 「スイス原初同盟誕生」

 

スイス人は、後に「原初同盟」を結成して、AD1331年にハプスブルグ家から独立を果たしている。周、サイス朝の子孫であるスイス農民が「モルガルテンの戦い」でハプスブルグ家の軍隊を退けたため、スイス歩兵の勇名が全ヨーロッパに轟いたといわれている。

 


■AD1368年 朱元璋、初代皇帝に即位 「明誕生」

 

劉氏がアフリカに残したフォン人(韓山童、韓林児)が中国に帰還し、紅巾族を指揮して元朝に対して蜂起した。それを利用したのがリトアニア大公国から帰還した朱元璋であった。AD1269年にリトアニアに権力闘争が発生すると、シュヴァルナスはリトアニアを脱出して故地東アジアに帰還した。リトアニア人の顔をした彼は元朝治世下の中国に移り、中国人と混合を繰り返して朱元璋が誕生する母体を築いた。明の皇帝「朱元璋」は、第4代リトアニア大公シュヴァルナスの子孫なのだ。

 


■AD1368年 「シュヴィトリガイラ誕生」

 

その後も、朱氏とリトアニアの縁は継続した。AD1424年、永楽帝が第三次タタール遠征にて死す、と見せかけてリトアニアに逆戻りしているのだ。永楽帝はシュヴィトリガイラを名乗り、リトアニア大公の座に返り咲いた。

 


■AD1744年 マイアー・アムシェル・ロスチャイルド生誕 「ロスチャイルド財閥誕生」

 

明が1646年に滅亡すると、朱氏は子氏(チー)を連れて再度、ヨーロッパに落ち延びた。当時、リトアニア大公国はポーランド王国に飲み込まれて消滅していたため、彼らは、神聖ローマ帝国治世下のドイツに根を下ろした。中国人の顔をした朱氏と子氏は、「大和人の大航海時代」を経てドイツにやってきた諸子百家「農家」の子孫バウアー家に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのがマイアー・アムシェル・ロスチャイルドである。ロスチャイルドの名の由来は朱(チュ)と子(チー)の組み合わせである。

 


■AD1773年 アムシェル・マイアー・ロスチャイルド生誕 「フランクフルト家誕生」

 


■AD1774年 ザロモン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ウィーン家誕生」

 


■AD1777年 ネイサン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ロンドン家誕生」

 


■AD1788年 カール・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ナポリ家誕生」

 


■AD1792年 ヤーコブ・マイアー・ロスチャイルド生誕 「パリ家誕生」

 


■AD1930年 クリント・イーストウッド生誕

 


■AD1954年 ジョン・ウリ・ロート生誕 「エレクトリック・サン誕生」

 


■AD1954年 デヴィッド・リー・ロス生誕 「ヴァン・ヘイレン誕生」

 

 

◆ツオウ(ソーク)の歴史

 


■BC32世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC32世紀 「蚩尤誕生」

 

「シュメール人の大航海時代」に参加したゼウスは、長江流域に入植して「蚩尤(チユウ)」と呼ばれた。「蚩尤(チユウ)」の名の由来はツォウである。ツォウ=チオウ=チユウとなる。蚩尤は、人類史上初めて武器を作った戦いの神とされているが、真相は、クロノス、ティタン神族、ギガースとの戦いのため、史上初の弓矢、戦斧、盾を作ったゼウスのことを指している。

 


■BC1027年 「周誕生」

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加したウェシュシュ人は、東アジアに帰還した。彼らは中国に上陸すると、殷に寄生していた人身御供の種族、能登族を皆殺しにした。その後、ウェシュシュ人は、蚩尤が生んだ「周氏(チョウ)」に参加し、共同で「周」を開いた。周(チョウ)の名の由来はツオウである。ツオウ=チオウ=周(チョウ)となる。

 


■BC1027年 「楚誕生」

 

蚩尤の残党は、祖を同じくするウェシュシュ人と共に「周」を開いたが、不満を表明した一部は長江流域に「楚(チュ)」を築いた。楚の名の由来はツオウである。ツオウ=チヨウ=チョ=チュとなる。

 


■BC841年 「エジプト第23王朝樹立」

 

貴族層に侵入して汚職を奨励し、役人の堕落を指揮している能登族を排除するために、厲王(蚩尤の子孫)は改革を決行した。しかし、能登族は大量の農民を指揮して一揆を発生させた。これを機に、厲王は中国を脱出し、昭王の後を追ってシルクロードを越え、エジプトに歩を進めた。中国人の顔をした厲王の一族はエジプト人と混合し、23年後、BC818年にペディバステトを輩出して「第23王朝」を古代エジプトの地に建てた。この第23王朝は、昭王の「第22王朝」と並行してエジプトに存続した。

 


■BC771年 スサノオ、ヤマタノオロチを皆殺しに

 

ウェシュシュ人が到来すると、周の王統を簒奪して「東周」を建てた。周氏は、これを機に一時的にに出雲国を訪れる。彼らは「スサノオ」を称した。スサノオの名の由来は「粛慎(スーシェン)の王」である。スーシェンの王=スーシェノ王=スサノオとなる。彼らは、処女の生贄を求める非情な能登族の神官を皆殺しにし、ヤマタノオロチの人身御供教団を壊滅させた。
神話によると、スサノオは櫛名田比売命と結婚しているが、これはスサノオとヤマタノオロチの残党の同盟を意味している。しかし、櫛名田比売命がヤマタノオロチの残党ということを知ると、スサノオは彼らを全滅させ、長江流域に移住した。ただ、スサノオが中国に帰還するとき、能登族の残党が忍び込んでいた。ヤマタノオロチの生き残りは黄河流域に移り、「河伯」を祀って黄河流域で人身御供の儀式を再開した。

 


■BC525年 「趙氏誕生」

 

ペルシア帝国によるエジプト征服を機に、一部サイス王家が中国に帰還した。ゼウスに因んだ名前には、既に「周(チョウ)」があるので、彼らは「趙(ツァオ)」を選んだ。趙の名の由来はゼウスである。ゼウス=ツァオス=ツァオ(趙)となる。エジプト人の顔をしたサイス王家は中国人と混合して趙氏を形成し、BC500年頃に「趙」を建てている。

 


■BC228年 「西氏誕生」「石氏誕生」「習氏誕生」「子氏誕生」「植氏誕生」「札氏誕生」

 

趙は秦の侵攻を受けてBC228年に滅亡してしまう。これを機に、趙氏は、中国各地に四散し、「西」「石」「習」「子」「植」「札」などの名を生んだ。それぞれの名は「チー、ツィー、シー、ツァ」と発音する。これらの名の由来はツオウ、或いは蚩尤である。

 


■BC3??年 西門豹生誕

 

西門豹は、河伯の人身御供の儀式をインチキとし、教団関係者を問答無用で皆殺しにした。ただ、河伯は仲間を官僚として魏の国の中枢に送り込んでいた。そのため、彼らは魏の王を操り、西門豹を左遷させた挙句、正義漢の彼に民に圧政を敷くことを強要した。これに嫌気が差した西門豹は、自から官職を辞退し、後に「大和人の大航海時代」に参加してブリテン島に渡った。

 


■BC203年 趙佗、南越王に即位 「南越国誕生」

 

南海郡尉に就任した趙佗は、秦が滅ぶと南越国を築いた。BC111年に滅亡したが、趙氏はインドシナ半島に移住したと考えられる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ストーン誕生」「ロック誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した石氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした石氏は現地人と混合して「ロック」「ストーン」を成した。ロック、ストーンの名の由来は「石」である。

 


■AD3世紀 「ウェスト誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した西氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした西氏は現地人と混合して「ウェスト」を成した。ウェストの名の由来は「西」である。

 


■AD3世紀 「ラーナー誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した習氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした習氏は現地人と混合して「ラーナー」を成した。ラーナーの名の由来は「習」である。

 


■AD3世紀 「チャイルド誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した子氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした子氏は現地人と混合して「チャイルド」を成した。チャイルドの名の由来は「子」である。

 


■AD3世紀 「プラント誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した植氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした植氏は現地人と混合して「プラント」を成した。プラントの名の由来は「植」である。

 


■AD3世紀 「トランプ誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した札氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした札氏は現地人と混合して「トランプ」を成した。トランプの名の由来は「札」である。

 


■AD3世紀 「リトル誕生」「スモール誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した趙氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした趙氏は現地人と混合して「リトル」「スモール」を成した。リトル、スモールの名の由来は「趙」である。

 


■AD661年 「ハリプンチャイ王国誕生」

 

インドシナ半島に集った小野妹子(遣唐使)、フラニ族(イスラム教伝来)、趙氏(南越国)は、合同で「ハリプンチャイ王国」を築いた。ハリプンチャイの名の由来はヴァラナシ(フラニ族)、ヴァナラシ(小野氏)、ゼウス(趙氏)の組み合わせである。ヴァラナシ+ヴァナラシ+ゼウス=ヴァラヴァンゼウ=ハラパンジェウ=ハリプンチャイとなる。ハリプンの部分は、ブルボンの名の由来と同じである。

 


■AD960年 趙匡胤、初代皇帝に即位 「宋誕生」

 

サクソニア戦争で、シャルルマーニュ大帝に敗北したザクセン王国の残党(宋氏)は、イギリス人リトル、スモール(趙氏)を率いて中国に帰還した。宋氏は満州に移住したが、趙氏は中国に移住し、同盟者の名を借りて新規に「宋」を開いた。

 


■AD1276年 「ヨガイラ家誕生」

 

南宋が滅びると、趙氏の恭帝、端宗、衛王の氏族が中国を脱出し、チンギスの征西に同行してリトアニアに向かった。趙氏は、先発隊である李氏、金氏、朱氏、閔氏らが構成していたリトアニア王家に接触した。趙氏の系統からはヨガイラが誕生し、AD1377年にヨガイラがリトアニア大公の座に就いた。ヨガイラの名の由来は「趙ガイラ」である。

 


■AD1377年 ヨガイラ、ヤギェヴォ朝初代王に即位 「ヤギェヴォ家誕生」

 

AD1377年にヨガイラがリトアニア大公の座に就いた。ヨガイラの名の由来は「趙ガイラ」である。この時に「ヤギェヴォ家」が誕生した。ヤギェヴォ家は、数多くのポーランド王、ハンガリー王、ボヘミア王を輩出したが、ジグムント2世の男系断絶を機に、李氏、金氏、朱氏、閔氏らを率いて東アジアに帰還した。このリトアニア帰還組が、東アジアに於ける共産党勢力の母体となる。

 


■AD1572年 「柳生氏誕生」

 

ヨーロッパ人の顔をしたヤギェヴォ家の一部は、日本に移住して現地人と混合して「柳生氏」を形成した。柳生の名の由来はヤギェヴォである。ヤギェヴォ=ヤギェー=柳生となる。

 


■AD1571年 柳生宗矩生誕

 

徳川家光の兵法指南役に選ばれた。

 


■AD1630年 ジョサイア・チャイルド生誕

 


■AD1632年 ジョン・ロック生誕

 


■AD1744年 マイアー・アムシェル・ロスチャイルド生誕 「ロスチャイルド財閥誕生」

 

明が1646年に滅亡すると、朱氏は子氏(チー)を連れて再度、ヨーロッパに落ち延びた。当時、リトアニア大公国はポーランド王国に飲み込まれて消滅していたため、彼らは、神聖ローマ帝国治世下のドイツに根を下ろした。中国人の顔をした朱氏と子氏は、「大和人の大航海時代」を経てドイツにやってきた諸子百家「農家」の子孫バウアー家に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのがマイアー・アムシェル・ロスチャイルドである。ロスチャイルドの名の由来は朱(チュ)と子(チー)の組み合わせである。

 


■AD1773年 アムシェル・マイアー・ロスチャイルド生誕 「フランクフルト家誕生」

 


■AD1774年 ザロモン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ウィーン家誕生」

 


■AD1777年 ネイサン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ロンドン家誕生」

 


■AD1788年 カール・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ナポリ家誕生」

 


■AD1792年 ヤーコブ・マイアー・ロスチャイルド生誕 「パリ家誕生」

 


■AD1883年 フランツ・カフカ生誕

 


■AD1898年 周恩来生誕

 


■AD1919年 趙紫陽生誕

 

党総書記や党中央軍事委員会第一副主席に就任した

 


■AD1937年 柳生博生誕

 


■AD1945年 レズリー・ウェスト生誕 「マウンテン誕生」

 


■AD1946年 ドナルド・トランプ生誕

 


■AD1946年 オリバー・ストーン生誕

 


■AD1949年 ロバート・プラント生誕 「レッド・ツェッペリン誕生」

 


■AD1953年 習近平生誕

 

第7代国家主席に就任している。

 


■AD1955年 チョウ・ユンファ生誕

 


■AD1956年 ドワイト・H・リトル生誕

 

 

 

 

 

 


チュクウの歴史②

◆チュクチ(ステュクス)の歴史

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「ステュクス誕生」

 

「キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは赤髪の白人であった。彼らは東南アジアに入植し、獣人の姿をしたチュクウ、アボリジニの姿をしたクウォスと組んで「ステュクス」を生んだ。ステュクスの名の由来はカゾオバ、チュクウ、クウォスの組み合わせである。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾオチュクウォス=ステュクスとなる。ステュクスは、大洋の娘たちに名を連ね、冥府の河として知られた。

 


■30万年前 「セデック族誕生」

 

マレー半島から台湾に上陸したステュクスは、現地人と混合して「セデック族」を生んだ。セデックの名の由来はステュクスである。ステュクス=セデュクス=セデックとなる。

 


■7万年前 「チュクチ族誕生」

 

セデック族(台湾)は、意気投合したトゥングル族(カレン族)と共にシベリアに移住した。両者は、ウリゲン、テングリ、エルリクなどの子孫である現地人と交わり「チュクチ」「ディングリング」を形成した。チュクチの名の由来はステュクスである。ステュクス=スチュクチ=チュクチとなる。チュクチ族、丁零(ディングリング)は、黒龍江辺りに住んだ。黒龍江は「神統記」では「冥府の川ステュクス」と呼ばれた。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「速秋津日子誕生」「速秋津日売誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したステュクスは、フィリピンを離れたチュクチ族は、台湾に帰還して獣人エピアルテースと連合した。彼らは「ハヤアキヒコ」「ハヤアキツヒメ」を生んだ。ハヤアキツの名の由来はエピアルテースとステュクスの組み合わせである。エピアルテース+ステュクス=ピアユクス=ハヤアキツとなる。

 


■7万年前 「常世国誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したステュクスは、ウェダ族(エウドーラー)と共に現ユタ州に入植している。彼らは「常世国」を築いた。常世の名の由来はステュクス、エウドーラーの組み合わせである。ステュクス+エウドーラー=テュクエウ=常世(とこよ)となる。

 


■7万年前 「ダグザ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したステュクスは、アイルランドに「ダグザ」の名を残した。ダグザの名の由来はステュクスである。ステュクス=スデュグズ=デュグズ=ダグザとなる。ダグザは、後にダーナ神族の支配下に置かれ、「マー・トゥーレスの戦い」では首領として持ち上げられ、ダーナ神族の命を受けて仲間と戦う羽目になる。

 


■3万年前 「チュクチの大航海時代」

 


■3万年前 「生口島誕生」

 

「チュクチの大航海時代」に参加したチュクチ族は、瀬戸内海に移住し、神の島と呼ばれた「生口島」に拠点を得た。生口(いくち)の名の由来はチュクチである。チュクチ=ユクチ=生口(いくち)となる。更に、この時に瀬戸内海は初めて「瀬戸」と呼ばれた。瀬戸の名の由来はステュクスである。この時の大航海時代は、古事記、日本書紀では山幸彦の説話として記されている。当時、チュクチ族は台湾人に「幸(さち)」と呼ばれていた。幸の名の由来はステュクスである。ステュクス=スチュクス=スチュ=幸(さち)となる。つまり、海幸彦、山幸彦とはチュクチ族のことである。

 


■1万3千年前 「テングリの大移動時代」

 


■1万3千年前 「チェケル人(前身)誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したテングリは、長江から瀬戸内海に移住した。この時に、テングリはチュクチと組んで「チェケル人」を生んだ。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■BC32世紀 「タガログ族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は出羽国に入植し、トバルカインと共に試験的にピラミッドの建造を始めた。彼らが、広島に「葦獄山」を築いた時、ティカル人はチェケル人と交流を持ち、両者はフィリピンに移住して「タガログ族」を生んだ。タガログの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュケルグ=タガログとなる。

 


■BC2180年 「ピラミッド派の大航海時代」

 


■BC2180年 「武内宿禰誕生」

 

「ピラミッド派の大航海時代」に参加したダグザは、ルソン島で合流したタガログ族、コイオス(マルドゥク)と共にルソン島を離れた。彼らは、そのまま北上して黒龍江に入り、故地モンゴルに帰還した。ダグザは、シベリアに移って祖を同じくするチュクチに出会い、合流している。この時に、「武内宿禰」が生まれた。武内の名の由来はダグザである。ダグザ=ダグウザ=武内(タケウチ)となる。武内宿禰は孝元天皇の子孫を称した。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「チェケル人誕生」

 

無法なシェルデン人は、地中海を我がもの顔で荒らしていた。これを懸念した科学の種族は、だが、これ以上核兵器を使用したくなかったため、タガログ族(チェケル人)にシェルデン人退治を依頼した。「海の民の大航海時代」を指揮したタガログ族は、太平洋、マヤ、アイルランドを経て地中海に進出した。タガログ族は、地中海では「チェケル人」と呼ばれた。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■BC19世紀 「オルメカ文明誕生」

 

チェケル人の一部は、マヤ通過の際、マヤに残留している。彼らが築いた文明は、「オルメカ文明」として知られている。中でも、巨石で造られた巨大な黒人の頭部が有名だ。ただ、あの顔は黒人の顔ではなく、ルソン島に住んでいたチェケル人、つまり、タガログ族(フィリピン人)の顔である。海の民の脅威に曝されたラムセス2世の時代に製作されたレリーフがあるが、このレリーフにはチェケル人の姿が刻まれている。このレリーフに刻まれたチェケル人の顔も黒人に見えるが、じつはフィリピン人の顔である。

 


■BC1550年 「シェクレシュ人誕生」

 

チェケル人は、「海の民の大航海時代」に参加していた高車(ガオチェ)と共にクレタ島に入植した。この時に、新規の海の民「シェクレシュ人」が生まれた。シェクレシュの名の由来はチェケルとガオチェの組み合わせである。チェケル+ガオチェ=チェケルチェ=シェクレシュとなる。

 


■BC1550年 「チグリス誕生」「サグロス誕生」

 

シェクレシュ人は、クレタ島からメソポタミアに移り、「ザグロス」「チグリス」などの地名を残している。ザグロス、チグリスの名の由来はシェクレシュである。シェクレシュ=チクレシュ=チグリス、シェクレシュ=ジェグレシュ=ザグロスとなる。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

「海の民」の時代が終焉を迎えると、シェクレシュ人はクレタ島を離れた。彼らは、チュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルとマルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■AD3世紀 「武内氏誕生」「竹内氏誕生」「武市氏誕生」「高市氏誕生」「田口氏誕生」「出口氏誕生」

 

騎馬軍団が台頭すると、イェマックの王族である天皇家をはじめ、武内宿禰の残党は、満州から日本に移住した。この系統からは「土佐勤皇党」の武市瑞山、「大本教」の出口なお、学者の竹内均、脚本家の田口成光、俳優田口トモロウ、漫画家高市由美(山田花子)、漫画家武内直子が輩出されている。

 


■AD534年 「ヴァンダル人の大航海時代」

 


■AD534年 「スクスフ誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したガリア人は、満州に移住した。この時、ガリア人は、ジブチ人と組んで「スクスフ」を生んだ。スクスフの名の由来はチュクチとジブチの組み合わせである。チュクチ+ジブチ=チュクジブ=ツクソハ=スクスフとなる。その後、スクスフは建州女直に参加した。

 


■AD997年  「レイフ・エリクソンの大航海時代」

 


■AD997年 「シェイクスピア誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したスクスフは、ブリテン島に移住した。アイルランドは、先祖であるダグザ縁の地だからだ。満州人の顔をしたスクスフは、イギリス人と混合して「シェイクスピア」の名を生んだ。シェイクスピアの名の由来はスクスフである。スクスフ=スークスハ=シェイクスピアとなる。

 


■AD1168年 「結城氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したチュクチ族は、北九州に赴き、現地人と混合して「結城氏」を生んだ。結城の名の由来はチュクチである。チュクチ=チュークチ=ユーク=結城となる。AD1168年生まれの結城朝光が「結城氏」の祖である。

 


■AD1338年 「ピュー族の大航海時代」

 


■AD15??年 「宇久氏誕生」

 

「ピュー族の大航海時代」に参加したチェケル人(オルメカ文明)は、地球を一周したピュー族の船団に、途中のマヤから参加した。太平洋を越えた彼らは、北九州に赴き、現地人と混合して「宇久氏」を生んだ。宇久の名の由来はチュクチである。チュクチ=ユク=宇久となる。AD16世紀の初頭に生まれた宇久盛定が「宇久氏」の祖となる。その後、宇久氏は倭寇に参加した。

 


■AD1564年 ウィリアム・シェイクスピア生誕

 


■AD1577年 戸隠山修験、見付天神にてアステカ人を成敗

 

「犬の早太郎」が、見付天神でアステカ帝国時代の生贄の風習を存続させていた大谷を皆殺しにする。「犬」とは天狗のことを指しているが、天狗は山伏、修験者の別名である。犬の早太郎の正体は、戸隠山修験、或いは秋葉山修験に属する優れた修験者である。もちろん、早太郎は個人ではなく、集団でやってきただろう。つまり、早太郎は修験者集団の首領だった可能性が高い。修験者の早太郎に皆殺しにされた大谷は、遠江国を脱出し、命からがら兄弟が住む京都にまで逃げ延びた。彼ら、アステカ帰りの大谷は、日本に残留して本願寺を営んでいた大谷に接触し、自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「西本願寺」を築く准如である。

 


■AD16世紀 「江口氏誕生」「井口氏誕生」「池内氏誕生」

 

その後、宇久氏は倭寇に参加したが、彼らは日本中に四散し、「江口」「井口」「池内」などの名を生んだと考えられる。全ての名の由来はチュクチである。

 


■AD17世紀 「フルイストゥイ派誕生」

 

伊達氏の東北地方に於ける台頭を機に、出羽修験は日本を発ち、ロシア帝国に向かった。ヴォルガ河上流に根付いた彼らは、現地人と混合して「フルイストゥイ派」を形成した。フルイストゥイの名の由来は古い死体である。古い死体=フルイシタイ=フルイストゥイとなる。古い死体とはミイラ、つまり、出羽三山の聖地に収められている奥州藤原氏3代のミイラのことである。これがフルイストゥイ派の正体が出羽修験である証に他ならない。
ただ、彼らの中に、タナトスが築いた日本仏教に携わる天台密教、或いは真言密教の関係者が紛れ込んでいた。タナトスは、「ディオニュソスの密儀」を再現し、淫靡で残虐な密儀集団としてフルイストゥイ派をロシア内外に知らしめた。フルイストゥイ派のタナトスは「罪を犯せば犯すほどより深く悔い改めることができる。真の意味で救済されるにはより罪を犯すべし」ということを旨にしていた。

 


■AD1785年 「カルボナリ誕生」

 

覚明が慣例の掟を破って登拝したのを機に、木曽御岳修験は日本を発ち、イタリアに移住した。彼らは現地人の混合し、AD1800年代初頭に「カルボナリ」を設立した。カルボナリは、その名から「炭焼きの結社」だと考えられているが、実際の名の由来は修験道の護摩祈祷である。ローマ教皇を輩出したサルディーニャ人や神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世の子孫である木曽御岳修験は、先祖の名に懸けてイタリア半島を掌握するために「カルボナリ」を組織した。カルボナリは、祖を同じくするサルディーニャ人の血統にカルボナリ入党を打診したため、会員数はあっという間に30万~60万を超えた。カルボナリは、「青年イタリア」のマッツイーニ、「赤シャツ隊」のガリバルディ、「サルディーニャ王国」のサヴォイア家と連合してイタリア王国の独立に関与した。
カルボナリは、AD1820年、ナポリ軍を巻き込んで一斉蜂起して「ナポリ革命」を起こし、翌年にサルディーニャ軍の決起を指導して「ピエモンテ革命」を指揮した。カルボナリはサルディーニャ人の子孫であるため、サルディーニャ王国に親近感を抱いていた。だが、実際にはサヴォイア家は土着のサルディーニャ人とは無関係であり、スウェード人の血統に連なっている。また、AD1821年にはフランス支部「シャルボンヌリー」を創立し、AD1830年に市民、学生、労働者と連携してパリで「フランス7月革命」に関与した。また、翌年には教皇領、ボローニャ、モデナで蜂起して「中部イタリア革命」を指揮するが、オーストリア軍に敗北した。彼らは、「ザーリアー朝」時代の神聖ローマ帝国領の奪還・復活を試みて一連の革命を指揮したが、これに失敗すると、カルボナリはヨーロッパを後に日本に帰還した。

 


■AD1908年 「大塚氏誕生」「大槻氏誕生」

 

シベリア大爆発を機に、一部チュクチ族はシベリアを逃れて日本に移住した。日本人と混合した彼らは、オホーツクを由来に「大塚」「大槻」などの姓を称した。オホーツク=オーツク=大塚、大槻となる。この関係から、若槻、赤塚など、「塚」「槻」が付く姓が彼らによって日本に量産されたと考えられる。科学の種族とツングース人の血を引く大槻教授が、プラズマを研究しているのは興味深い。また、赤塚不二夫が満州で生まれたことも興味深い。個人の記憶は脳に蓄えられるが、家族、民族、種としての記憶は身体に刻まれているのだ。

 


■AD1837年 出口なお生誕 「大本教誕生」

 


■AD1920年 竹内均生誕

 


■AD1933年 伊丹十三(池内万作)生誕

 


■AD1935年 赤塚不二夫生誕

 


■AD1944年 田口成光生誕

 


■AD1956年 江口寿史生誕

 


■AD1957年 田口トモロウ生誕

 


■AD1966年 大槻ケンヂ生誕 「筋肉少女帯誕生」

 


■AD1967年 山田花子(高市由美)生誕

 


■AD1967年 武内直子生誕

 


■AD1982年 大塚愛生誕

 

 

 

◆トバルカイン(テュポン)の歴史

 


■4万年前 「テュポン誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したギガースは、しかし、クロノスの姦計により古代ギリシアを追放され、オーストラリアに帰還している、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、ギガースはクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成して古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとヴァナラシの組み合わせである。チュクウ+ヴァナラシ=チュヴァナ=テュポンとなる。

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したテュポンは、ギリシアから台湾に上陸した。この時、台湾は初めて「台湾」と呼ばれた。台湾の名の由来はテュポンだが、テュポンの名は「ジャパン」の語源でもある。テュポンを解散したギガースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「トバルカイン誕生」

 

「ギガントマキア」で敗北したアルキュオネウスは、台湾に帰還した。アルキュオネウスは、テュポンと組んで「トバルカイン」を生んだ。トbルカインの名の由来はテュポントアルキュオネウスの組み合わせである。テュポン+アルキュオネウス=テュポアルキュオネ=タパルキュオン=トバルカインとなる。

 


■3万年前 「ルカイ族誕生」

 

トバルカインは、台湾に「ルカイ族」を生んだ。ルカイの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ルカイとなる。

 


■3万年前 「ラガイン族誕生」

 

トバルカインは、台湾からミャンマーに移住して「ラガイン族」を生んだ。ラガインの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ラガインとなる。

 


■2万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■2万5千年前 「五岳神誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加したトバルカイン(チュクウ)は、「五岳神(ウーユエ)」を生んだ。ウーユエとは、南極大陸にあった科学の種族の国の名である。ウーユエの名の由来はチュクウとヴィディエの組み合わせである。チュクウ+ヴィディエ=ウイエ=ウーユエとなる。五岳と呼ばれた伝説的な山は、中国にあるとされているが、実際には南極大陸にあった。
「南岳衡山」はカークパトリック山(4528m)とマークハム山(4350m)のことであり、「西岳崋山」はシドリー山(4187m)のことであり、「北岳恒山」はプラトー山(4191m)のことである。

 


■2万年前 「ヴィマーナ誕生」

 

ヴィマナ(UFO)の開発には科学の種族だけでなく、ハムの一族が加わった。それは、ヴィマーナの名前でわかる。ヴィマーナの名前とハムの名前は成立過程が同じなのだ。ハムとヴィマーナの名は、新水生人ヴィディエとイマナの組み合わせである。ヴィディエ+イマナ=ヴィマナ=ヴィマーナとなる。

 


■2万年前 「羅ホウ山の大航海時代」

 


■2万年前 「太乙救苦天尊誕生」

 

「羅ホウ山の大航海時代」に参加したヴィディエは、火星に降り立ち、冥府神「ホウ都大帝(フェンドゥ)」「太乙救苦天尊(タイイジュクウ)」を生んだ。フェンドゥの名の由来はルハンガとヴィディエの組み合わせであり、タイイジュクウの名の由来はヴィディエとチュクウの組み合わせである。ルハンガ+ヴィディエ=ハンディエ=フェンドゥとなり、ヴィディエ+チュクウ=ディエチュクウ=タイイジュクウとなる。
彼らは、高さが2万7000メートルもある火星の火山オリンポスを「羅ホウ山(ルオフェン)」と呼んだ。ルオフェンの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルオハンガ=ルオフェンとなる。「九幽地獄」「二十四獄」と呼ばれた施設で、反自然的な罪を裁かれたできそこないたちは、正統な種の存続を願いながら、巨大なピラミッドなどの建設に従事し、黙って死んでいった。

 


■2万年前 「テペウ誕生」

 

火星に住んでいたトバルカインは、雷雨の神チャク、創造主クグマッツが支配する古代マヤに基地を築いた。この時に「テペウ」が生まれた。テペウの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=テペウカイン=テペウとなる。テペウは、創造主として崇められ、王として古代マヤを統治したと考えられる。彼らは、基本的に科学文明を放棄していた。マヤ人が、宇宙人の子孫を自称するのは、これがゆえである。

 


■2万年前 「テワ族誕生」「ティワ族誕生」「トワ族誕生」

 

その後、テペウはコロラド流域残留に移り住んだ。彼らは現地人と混合して「テワ族」「ティワ族」「トワ族」など、後にプエブロ族に数えられる部族を生んでいる。トバルカイン=トワルカイン=トワ=テワ=ティワとなる。アメリカインディアンが、宇宙人の子孫を自称するのは、これがゆえである。

 


■2万年前 科学の種族、核兵器を開発

 

順番としては、UFOよりも核兵器の方が先ではないか?と考える向きもあると思う。だが、科学の種族は大変平和的な人たちであるため、UFOの後に、タナトスを焼くために核兵器が開発された。

 


■2万年前 「ユグドラシルの大移動時代」

 


■2万年前 「出羽国誕生」

 

最終戦争ラグナロクにより、ミドガルド王国はネバダ砂漠と化した。この時、「ユグドラシルの大航海時代」に参加したチャクは、テペウと共に古代マヤを離れ、東北地方に入植して「出羽国」を建てた。出羽の名の由来はテペウである。テペウ=テヘ=出羽となる。

 


■1万3千年前 「縄文人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千年 「トバル誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加してモンゴルに移住し、その後「垂仁天皇の大移動時代」に参加したテペウは、メソポタミアに移ると「トバル」と呼ばれた。トバルの名の由来はトバルカインである。トナルカイン=トバルとなる。

 


■BC5千年 トバル、出羽国に帰還

 

「バベルの塔」を機に、トバルは出羽国に帰還した。

 


■BC32世紀 「十和田誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したプテ、ティカル人が出羽国を訪れると、トバルカインはプテと連合し、「十和田」を生んだ。十和田の名の由来はトバルカインとプテの組み合わせである。トバルカイン+プテ=トバテ=トワテ=十和田となる。

 


■BC32世紀 「イスラエル王国誕生」

 

葦原中津国(八代湾~天草諸島)のアシアーと高天原(台湾)のブリアレオース(ロア族)が組んで「イスラエル王国」を築いた。イスラエルの名の由来はアシアーとブリアレオースの組み合わせである。アシアー+ブリアレオース=アシリアレ=イスラエルとなる。ムシシの武蔵国、イデュイアの伊勢国、トバルカインの出羽国、十和田、ティカル人の津軽、エドム人の出雲国、ティアマトの大和国などが参加し、縄文人による連邦王国を築いていた。イスラエルの12支族も、みな、縄文時代の日本、夏時代の中国で生まれた。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ダヴィデ朝誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加した十和田人は、夏時代の中国に渡り、そこから現チベットに移った。十和田人はここに「ダヴィデ朝」を築いた。ダヴィデの名の由来は十和田である。十和田=トヴァタ=トヴァダ=ダヴィデとなる。ダヴィデ王とは、十和田の縄文人の首長のことである。チベット人が日本人に似ているのは、この時の大移動時代の縄文人の大量移住によるものである。また、ツォボット(チベット)の名もダヴィデ、或いは十和田が由来となっている。十和田=トヴァッダ=ツォボット=チベットとなる。

 


■BC32世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC32世紀 「善神デーヴァ誕生」

 

アルマゲドンを機に「ヨシュアの大移動時代」に参加したダヴィデは、文明放棄を決めた人々だったが、インダス流域に入植し、竜飛岬に住んでいた科学の種族から科学力を継承した。更に、テーバイ王国から来たトバルカインと連合し「善神デーヴァ」を生んだ。デーヴァの名の由来は出羽である。出羽=出え羽=デーヴァとなる。彼らが監督となり、ハラッパーやモヘンジョ・ダロなど、インダス流域に洗練された都市を築いた。彼らの生活の痕跡が、後に「インダス文明」と呼ばれた。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 善神デーヴァ、古代ロシアに移住

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、善神デーヴァはインダス流域を離れ、古代ロシアに移住した。彼らが入植した人跡未踏の土地は、後に、モルディブから訪れたレティン人が「モルダヴィア」と呼んだ。特に、ロシア人女性には、一般的な白人女性とは異なる印象があるが、それは宇宙人(科学の種族トバルカイン)がもたらしたものなのだろう。それは、この時にもたらされたのだ。

 


■AD6世紀 「シベリア誕生」

 

AD6世紀頃、ブルガリア人、ハザール人、ペチェネク族などの騎馬軍団が北上すると、その中にタナトスが混じっていることを発見した善神デーヴァ族は核兵器で自身が築いた基地や施設を爆破し、タナトスが文明を悪用できないように自分たちの痕跡を跡形もなく消滅させた。現地には、核兵器でしか出来ないテクタイトが無数に転がっている。
この時、トバルカインはUFOでシベリア奥地に飛来し、人跡未踏であることを確認して拠点に定めた。彼らは、先祖でもあるシベリア人を尊敬し、交流を重ねた。彼らが訪れたことにより、シベリアは初めて「シベリア」と呼ばれた。シベリアの名の由来はスバルである。スバル=スバリア=シベリアとなる。しかし、当時、心を読む機械を発明していなかった彼らは、シベリア人が既にタナトスに汚染されていたことを知らなかった。そのため、科学の種族の科学力と、タナトスのできそこないの心を持った人間が誕生してしまう。科学の力を、悪に使う種族の誕生である。

 


■AD11世紀 「和田氏誕生」

 

宇宙人は、杉本氏に接近して自身の血統を打ち立てた、この時に生まれた杉本義盛は「和田義盛」と改名し、和田氏の祖として武蔵国に渡った。

 


■AD11??年 「里見氏誕生」「蒲生氏誕生」「瀬田氏誕生」

 

モルドバの大爆発以降、科学の種族(エラド、マハラエル、トバルカイン)は、シベリアに移住したが、一部が日本に降臨した。一部の科学の種族はヴィマーナ(UFO)を捨て、地上に降りて日本人と混合した。科学の種族は、まず新田氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「里見氏」の祖、里見義俊である。里見の名の由来はソドムである。ソドム=サドム=里見となる。
また、一部の科学の種族(多分トバルカイン)は、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた、この時に誕生したのが「蒲生氏」の祖、蒲生舜清である。蒲生の名の由来はゴモラである。ゴモラ=ゴモウラ=蒲生となる。また、一部の科学の種族は、「瀬田氏」を形成した。瀬田の名の由来はソドムである。ソドム=セダム=瀬田となる。その後、里見氏から「千利休」が輩出され、蒲生氏と瀬田氏が「利休七哲」に加わっている。

 


■AD1522年 千利休生誕

 


■AD15??年 「利休七哲誕生」

 

蒲生氏郷、細川忠興、古田重然、芝山宗綱、瀬田正忠、高山右近、牧村利貞などの武将が千利休に師事した。後世になって彼らは「利休七哲」と呼ばれた。この他にも織田長益、千道安、荒木村重、前田利長、有馬豊氏、金森長近が含まれることがある。千利休(里見氏)、蒲生氏郷、瀬田正忠は科学の種族の血統に属している。また、細川忠興はマプーチェ族、古田重然はラコタ族、芝山宗綱、高山右近はカンボージャ人(武田氏)、牧村利貞はマゴス(三木氏)、織田長益は西ゴート族、荒木村重はレイフ・エリクソン、前田利長はマイドゥー族、有馬豊氏はエラム人に属している。
細川忠興の娘であり、明智光秀の奥方であったガラシャの名は興味深い。ガラシャの名は、古の種族、「ヴェーダ神話」を編んだアーンギラサの名前に因んでいる。一方で、科学の種族は虚言症を患う大谷に目をつけ、動向を監視していた。大谷は、袈裟を羽織った人喰い人種であり、日本人を蝕む癌であると科学の種族は認識していた。利休は、大谷の影響を排除するために宗教ではなく、「茶」を編み出し、大谷や日本仏教に対抗するための強い組織の形成を急いだ。
また、利休七哲は、みなキリスト教に改宗し、イエズス会に接触している。彼らの、悪に屈しない意志、諸悪の根源日本仏教に対抗する強い意志を感じる。しかし、残念ながらこれに気付いた大谷に先手を打たれ、「茶」は、大谷の血統に属する利休の後妻の連れ子、千少庵に簒奪されてしまった。利休の子、千道安の本家「堺千家」は消滅し、千少庵が築いたニセモノ「三千家」武者小路千家・表千家・裏千家は存続し、「日本会議」にも関与している。

 


■AD1591年 千利休刑死

 

大谷の世では、優れていることが罪となる。自分たちの正体を探っている千利休と、利休に傾倒する武将たちの動きに警戒感を覚えた大谷は、秀吉に千利休の切腹をすぐに命じた。秀吉は一向一揆の正体が大谷の指揮であることを知っていた。大谷や農民の如きは怖くも何とも無いが、それにしても数が多い。数で圧倒する。これが一揆の唯一の利点である。それに作物を作るのは農民である。簡単に皆殺しにすることはできない。せっかく天下統一を果たした秀吉である。大谷の要請を受け入れないと厄介なことになると踏んだ。しかし、崇敬する利休は殺せない。
そこで秀吉は、一計を案じて別人を処刑させ、忍びの者に命じて利休を安全な地へ導いた。しかし、鬼の如く狡猾な大谷の目はごまかせない。「文禄の役」「慶長の役」の間、制裁として大谷の医者に体調を操作された秀吉はAD1598年に急死した。更に、大谷は家康に入れ知恵をし、秀頼と豊臣一門を殲滅するための罠にはめた。その後の利休がどうなったかは定かではない。だが、彼は科学の種族に迎え入れられた可能性がある。日本上空を飛来する不審な飛行物体に、利休の子孫が搭乗しているかもしれない(先日、筆者はケムトレイルで描かれた「千」の文字を空中に発見した)。

 


■AD1908年 「ツングース大爆発」

 

モルドバ大爆発以降、科学の種族はシベリアに居住していた。人食い人種タナトスとそれに追随する無力で無知な「文明人」を嫌悪する科学の種族は、彼ら「シベリア人」と交流することを好んでいた。しかし、2000年前からタナトスがシベリア人の遺伝体系を汚染し、ナナイ族、オロチ族、オロチョン族、イテリメン族、ユカギール族などのタナトスに属するシベリア人を生んでいた。
当時、まだ思考を読む装置を開発していなかった科学の種族は知らない内にタナトス系シベリア人と交流し、子孫を成していた。科学の種族の遺伝子を得たタナトス系シベリア人は、科学の種族にウソと欺瞞で取り入り、悪用目的で科学の種族の科学力を簒奪し、世界征服用の巨大な要塞を建設していた、
これを察知した科学の種族はすぐに未知の兵器(放射能が検出されないことから核兵器ではない、人類が知らない巨大な爆発力を誇る兵器)で彼らの要塞を爆破した。これが「ツングース大爆発」の真相である。しかし、災害を生き延びたタナトス系シベリア人は、ツングースを逃れてドイツ、アメリカに移住した。彼らは科学者となり、ナチスに協力して「V2ロケット」を開発し、デーン人に協力して「原子爆弾」を開発した。一部は「MIB」を組織して宇宙人(科学の種族)に接触した人々に圧力をかけている。

 


■AD1935年 和田誠生誕

 


■AD1960年 チュエレイ人、安井氏と接触

 

「チュエレイ」を称する宇宙人が日本人に接触した。チュエレイの名の由来はニジェールだと考えられる。ニジェール=ニジェーレイ=チェレイとなる。ニジェールの名はエノスとメトセラが作った。つまり、このチュエレイ人は獣人アルキュオネウスの子孫である。

 


■AD1978年 ジャノス人、ジョン・マン家と接触

 

「ジャノス」を称する宇宙人がアメリカ人に接触した。ジャノスの名の由来はエノスだと考えられる。エノス=ジェノス=ジャノスとなる。つまり、このジャノス人は獣人アルキュオネウスの子孫である。

 


■AD198?年 「ケムトレイル散布」

 

科学の種族は、タナトスの化学企業が地球上に撒き散らす有毒な化学物質による汚染を憂いている。地球は、彼らの故郷でもあるからだ。永年の除草剤散布によって汚染された郊外の住宅街(特にアメリカ)、ゴルフ場、競技場、競馬場、公園、線路。殺虫剤散布によって汚染された公園、山岳地帯。これによって汚染された地下水は川に流れ込み、海に流れ出ている。これはタナトスによる人類の攻撃であるが、いらないものを強制的に使わせる法律を整備することで、同時に巨万の富を得ている。
パラコートは1965年に、ラウンドアップは1970年に発売開始された。これ以降、汚染は蓄積し、年々重度を増している。70年代後半から、除草剤・殺虫剤によるアレルギーが顕在化すると、タナトスは自分の血統の医者に「有毒な化学物質に起因するアレルギー」を「食物成分に起因する食物アレルギー」「植物の花粉に起因する花粉症」であるとウソをつかせている。これにより、化学企業は責任をとることも断罪されることもなく、人々を攻撃し続けることができる。タナトスの横暴に拍車をかけているのが、タナトスのウソを信じている無知な一般大衆である。
有毒な化学物質による汚染を食い止めるために科学の種族は除草剤、殺虫剤を中和するための未知の物質を撒き始めた。これが「ケムトレイル」である(農薬を使わないロシア・中国での発見報告はない)。ケムトレイルの発見は1990年代とされているが、60年代のアメリカ映画「ファスタープシキャット キル!キル!(監督ラス・メイヤー)」に、既に空中にケムトレイルを見つけることができる。この映画のロケ地は砂漠であったが、もしネバダ近辺であるなら、この時のケムトレイルは放射能の危険性を指摘していただろう。
近年、科学の種族は、この害に気づかない大量の無知な人々とタナトスを共に亡き者にしようと考えている。彼らは、ソドムとゴモラの時にも躊躇することなく無知な人々とタナトスを共に焼き殺した(狡猾なタナトスはうまく逃げ出しているが)。科学の種族は、加害者であれ被害者であれ、愚かな人間が許せない。彼らは、わかりやすくいえば「バイオレンスジャック」のような存在である。

 


■AD2003年 「空飛ぶ黒いステッキ」

 

カナダのオンタリオ州でミステリーサークルの見学に来ていた見物客が、この奇妙な、空中に浮かぶ棒状の物体を偶然カメラに収めている。空飛ぶステッキの写真は「UFO現象ファイル」という本に載っているが、この本を買った当時、この写真を見ても「は?」としか思わなかった。しかし、その一年後、2016年初頭に同じものを見たのだ。いい気なもんで、実際にこの目で見てしまうと人間変わるもんです。これ、間違いなく存在します。
筆者は、これを見つけた時、山の上(舗装整備されている)を散策しており、とある大学の敷地の上空にこれが浮かんでいるのを見た。丁度、その一ヶ月くらい前から、筆者は科学の種族が乗る飛行機(ケムトレイルを撒いている)を見ていたため、冷静だったが、思わず目を疑った。見た感じは黒い棒で、冬場で風が強かったにもかかわらず、空中に突き刺さっているかのようにピクリとも動かない。そして、2ヶ所でヌメッとした赤い光が点滅していた。
何か、監視されている気がして不快な気分になった。ある種の圧力を感じたのだ。機械というよりは、何か得体の知れない生き物のような感じだった。もっと良く見ようと双眼鏡を取り出している内にそれは消えてしまった。しかして、これは科学の種族が作ったものに間違いない。当時はまだ認識していなかったが、彼らが赤い光を点滅させる時は「警戒しろ」と言っている。確かに、この時に筆者が向かおうとしていた先には大きな競技場があるし、帰り道にはゴルフ場付近を通過しなければならなかった。科学の種族は「競技場、ゴルフ場で撒かれている除草剤に警戒しろ」と、無言の語りで筆者に伝えていたのだ。オンタリオ州の空飛ぶステッキ撮影現場も広大な麦畑であることに留意したい。科学の種族は、除草剤を「非常に危険な物質」だと考えている。

 


■AD2015年 彼らの飛行機が筆者の前に出現

 

午前中、たまに散歩をする筆者は、この年の12月に彼らが乗る飛行機を発見した。前から飛んでいたのかどうかは定かではないが、山(舗装整備されている)を登っていたら、ふと空中で静止している飛行機を見たのだ。実際には静止しているのではなく、非常にゆっくりだが、飛んでいた。更に、双眼鏡で見ると飛行機の形をしているのだが、白銀色の機体はボヤッとしていてハッキリとは見えない。何度も観察するうちに、彼らは、筆者を中心にして南北の空を飛んでいることがわかった。北の空を飛ぶ場合は東から西へ、南の空を飛ぶ場合は西から東へ飛んでいる。この法則はきっちり守られている。通常通り飛んでいれば安全を意味する。
しかし、筆者が知らずの内に危険な場所に向かっている時、或いは向かおうとしている時(この場合は思考を読んでいる)、彼らは反対方向から飛んでくる。北の空の場合は西から東へ飛び、南の空の場合は東から西へ飛んでいく。また、東西から飛んでくる機がすれ違うときがある。北の空の場合、西から東へ向かう機が東から西へ向かう機とすれ違うのだ。これは「来た方向へ戻れ」と言うことを示している。時にはすれ違う機がテレポートで消えるときがある。これも「すぐにそこから離れろ」と言うことを示している(何回か見たが、いずれもゴルフ場の近くや田んぼの真ん中にいた)。彼らは、見世物のように、遊びで消えて見せたりはしない。必ず何か意味を込めている。
また、ケムトレイルを撒く彼らはケムトレイルで巨大なバツを描いて危険を知らせたり、ケムトレイルで迂回しろという警告もくれる。他にも、飛んでいる生物を操って危険を知らせることがある。「先へ行くな」という警告の時には、あらゆる鳥類、トンボ、蝶、蜂が横切る。「早くそこから離れろ」というときにはスズメバチがスッ飛んでくることも多い。これは怖い。スズメバチが目に入ったこともある。今思えば、スズメバチが目に入った場所は水産加工場地帯だったため、殺菌剤にひどく汚染された場所だった。よほど危険なのだろう(そこで働いている人たちがいるが)。

 

 

 

 

◆ピラミッド派(デウカリオン)の歴史

 


■4万年前 「デウカリオン誕生」

 

テュポンは、アグリオスと連合し、「デウカリオン」を生んだ。デウカリオンの名の由来はテュポンとアグリオスの組み合わせである。テュポン+アグリオス=テユグリオ=テウグリオ=デウカリオンとなる。その後、大地殻変動時代を経てメソポタミアに入植すると、デウカリオンは巨石の種族ティカル人となる。この時、チュクウはピラミッド派になり、アグリオスはマウンド派となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ティカル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したデウカリオンは、オーストラリアからスーサに身を寄せた。その後、デウカリオンは「巨石の種族ティカル人」となる。ティカルの名の由来はデウカリオンである。デウカリオン=テイカリオン=ティカルとなる。

 


■1万千5百年前 「ギョベクリ・テペ建設」

 

偉大な先祖カオスを祀るため、デウカリオン族とピュラ族は、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。ストーンサークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化の種族」の始まりである。デウカリオン族は、後にマルタ人と連合して「マルドゥク族」を築き、タナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「チャタル・ヒュユク建設」

 

チャタル・ヒュユクは、過去にスフィンクスを建造した巨石の種族の萌芽である。ここには、8000人もの人々が住んでいたといわれている。ティカル人の街として発展したのだろう。この頃、デウカリオンは、ヨーロッパからオリエントに進出していたウソつきの人喰い人種ディオニュソスを皆殺しにしている。

 


■BC3700年頃 「ジュンガンディーヤ神殿製作」

 

ピラミッド派は、同盟者マルタ人の拠点であるマルタ島に上陸し、「ジュンガンディーヤ神殿」を築いた。彼らの製作目的は、マルドゥクと同様に「聖なる洞窟」の建立であった。だが、窓が無く、屋内は昼間でも漆黒の闇であるため、製作法や製作の動機が謎とされている。彼らは、「原初の神カオス」を祀るため、真に洞窟の製作を志していた。そのために、真の闇が必要だったのだ。彼らは、後に「第2次北極海ルート」を立ち上げて、大航海時代に突入している。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「ロシア巨石文明誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は、オビ河に到着する。このオビ河には、ティカル人、メトセラ、スバル人、マダイ族、アシェル、マハラエルが残留を決めた。オビ河がつなぐ4つの支流の1つはカザフスタンとモンゴルの境に端を発するが、AD2014年3月、近辺であるショリア山中で40mを越える花崗岩でできた人工の壁が発見された。人類史を覆す巨石オーパーツ、ロシアの巨石文明として話題になっているが、この巨石建造物に関わったのがピラミッド建造前夜のティカル人と考えられる。文明放棄組の行く末を常に見守っていた善神デーヴァ族は、巨石の種族であるティカル人に協力して創りあげたモノと考えられる。この時に、ティカル人はピラミッド建造のヒントを得たのではないか。

 


■BC32世紀 「津軽誕生」「十和田湖命名」「黒又山製作」

 

「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は、ショリア山中でピラミッド建造のヒントをくれた善神デーヴァ族と共に津軽に移り住んだ。この時に初めて、この地は「津軽」と呼ばれた。津軽の名の由来はティカルである。ティカル=チカル=つがる(津軽)となる。ティカル人と善神デーヴァ族は現地人と混合し、ここで日本人の顔を得た。
また、金髪・碧眼の白人である善神デーヴァ族も一部が日本人の顔を得たと考えられる。ティカル人は、早速ピラミッドの試作品を現青森県に残した。十和田湖の水中ピラミッドと黒又山である。十和田の名の由来はトバルカインとティカルの組み合わせであり、黒又の名の由来はティカルとメトセラの組み合わせである。トバルカイン+ティカル=トバティ=十和田となり、ティカル+メトセラ=カルメト=クロマンタ(黒又)となる。

 


■BC32世紀 「葦嶽山製作」

 

ティカル人は現広島県にピラミッドと噂されている「葦嶽山」も残している。この名の由来はアシェルとティカルの組み合わせで、アシェル+ティカル=アシェティカ=葦嶽となる。

 


■BC32世紀 「タガログ族誕生」

 

科学の種族と分かれたティカル人は、日本を離れてルソン島に入植した。この時に、ティカルク(ティカルの人)を由来に「タガログ族」を成した。ティカルク=ティガルグ=タガログとなる。

 


■BC32世紀 「イースター島発見」

 

ティカル人は、ルソン島を発して太平洋横断に挑んだ。彼らは、メラネシアに到着するとトンガ、サモアなどに「タンガロア」「ティキ」などの神を祀った。タンガロアの名の由来はタガログであり、ティキの名の由来はティカルである。タガログ=タンガログ=タンガロアとなり、ティカル=ティキル=ティキとなる。その後、ティカル人はイースター島を発見した。

 


■BC29世紀 「パラトアリ・ピラミッド群製作」

 

更に、イースター島から古代ペルーに到達し、スーペ川を拠点にしたティカル人はアンデス山脈を越えた。その後、アマゾン流域に達すると、彼らは津軽で善神デーヴァ族と共に培ったピラミッド建造技術を単独で実践しはじめた。その結果が「パラトアリ・ピラミッド群」である。人工的な遺物とされる小山が、密林のド真ん中に10基も整然と並んでいるのだが、この時も「黒又山」の時と同様に、ティカル人は善神デーヴァ族の手を少々借りたかもしれない。

 


■BC29世紀 「カラル遺跡製作」

 

ティカル人はアマゾン流域からペルー側に戻ると、パラトアリで得た技術を用いて、単独でカラル砂漠に9基の試作品を製作した。それが「カラル遺跡」である。カラルのピラミッドは、エジプト初の階段ピラミッドよりも古い時代に作られたことで謎を呼んだ。

 


■BC29世紀 「ダカール誕生」

 

手応えを感じたティカル人は、南米を離れると大西洋をそのまま横断して古代セネガルに辿り着いた。ティカル人はここに「ダカール」の名を残した。ダカールの名の由来はティカルである。ティカル=ディカール=ダカールとなる。その後、ピラミッド技術を携えたティカル人は、ダカールを離れて北上し、地中海に侵入した。以上、お分かりのように、巨石建造の種族は、並々ならぬ冒険家の集団でもあった。

 


■BC2620年 「サッカラ誕生」「階段ピラミッド製作」

 

地中海に入ったティカル人は、古代エジプトに上陸した。そこで、ピラミッド派は自身の拠点「サッカラ」を得た。サッカラの名の由来はティカルである。ティカル=シィカル=サッカラとなる。ティカル人は拠点サッカラにて「階段ピラミッド」の建造を開始する。このエジプト初のピラミッドは、ジェセル王のために作られたといわれている。だが、ティカル人のピラミッド建造の目的は、常に「原初の神カオス」を祀るための「聖なる洞窟」の建立であった。ただ、洞窟を造るためには、まず、山を造らねばならない。ピラミッド派は、その後もエジプトに「ピラミッド」を築き、また、シュメールに赴いて「ジグラット」などを建設した。

 


■BC2180年 「ピラミッド派の大航海時代」

 


■BC2180年 「ラピタ文化誕生」

 

タナトスから解放したマルドゥクを連れた。ピラミッド派はタガログ族の拠点ルソン島を中心に、マルドゥクと共に太平洋地域一帯に小型ピラミッドを多数残した。マルドゥクは多数のメンヒルを島々に残している。ピラミッド派は「ティキ」を祀った。ティキの名の由来はティカルである。ティカル=ティキル=ティキとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「オルメカ文明誕生」

 

タガログ族は、マヤ通過の際、マヤに残留している。彼らが築いた文明は、「オルメカ文明」として知られている。中でも、巨石で造られた黒人の頭部が有名だ。ただ、あの顔は黒人の顔ではなく、ルソン島に住んでいたタガログ族、つまり、フィリピン人の顔である。海の民の脅威に曝されたラムセス2世の時代に製作されたレリーフがある。このレリーフにはチェケル人の姿が刻まれているが、黒人に見えるあの顔も、じつはフィリピン人(タガログ族)の顔である。また、巨石の種族マルドゥク(高車)と同盟関係にあったタガログ族は、見よう見まねで、オルメカ文明で土製ピラミッドの建造を試みている。

 


■BC1250年頃 「ラス・アルダス製作」

 

ルソン島に入植したチェケル人と分かれ、ペルーに残留していたティカル人は、ペルー・カスマ川に「ラス・アルダス」と呼ばれるピラミッドを製作した。また、ピラミッド派は一度、マウンド派との連合を試み、BC10世紀に巨大な土製のピラミッドをエル・サルバドル、ホンジュラスに建造した。
同年代に、ピラミッド派がチャビン・デ・ワンタルに宗教都市を建設すると、それを境にピラミッド派の活動が活発化する。ピラミッド派は、マラニョン川、カハマルカ地域にピラミッドを建設し、ネペニャ川に神殿を建設した。その後も、カスマ川、アヤクーチョ地方、ピルー川、チャンカイ川、チンチャ川と次々にピラミッドを製作した。

 


■BC582年 「ピタゴラス誕生」

 

BC9世紀頃に精力的にピラミッドを残したピラミッド派は、BC3世紀になるまで500年間、ペルーでのピラミッド建造を中止している。この間、彼らはギリシアに移住して「ピタゴラス」を生んでいた。ピタゴラスの名の由来はペルーのティカルである。ペルー+ティカル=ペタカル=ピタゴラスとなる。
彼は、古代よりピラミッド建造に携わってきた種族の末裔であるがゆえ、先鋭的な数学者として知られた。また、ピタゴラスは神秘主義的な側面を持ち、密儀結社「ピタゴラス教団」を結成した。しかし、クロトン成立の歴史的背景を知らないピタゴラスは、この地に及んで伝道活動を行うも、人喰い人種「ダン族」の末裔であるクロトン人に嫌われて虐殺されてしまう。

 


■BC582年 「テオティワカン宗教都市建設」

 

虐殺を機に、ピタゴラスの一族はクロトンを逃れてペルーに帰還した。だが、新たな新天地を求めた彼らは、故地を離れて古代メキシコに移住した。ピラミッド派は、ギリシアで得た知識を導入し、「死者の大通り」「太陽と月のピラミッド」を含む、洗練された巨大な宗教都市を現出させた。この後、200年後に「イェマックの大航海時代」を機に河伯がメキシコに到来すると、この人身御供の種族を嫌ったピラミッド派は故地ペルーに帰還した。

 


■BC3世紀 「エル・ミラドール建設」

 

ペルーでは、ピラミッド派は「ガイナソ文化」に属するピラミッドをピルー川に築き、グアテマラに赴いてスペイン人に「エル・ミラドール」と呼ばれた宗教都市を築いた。時は、BC3世紀頃のことである。この時期、マウンド派はピラミッド派の精力的な活動に不満を示し、故地を離れて東アジアに向かうことを決意し、太平洋を横断して、秦統治下の中国に赴いている。

 


■BC221年 「万里の長城製作」

 

ピラミッド派は、マウンド派を追って東アジアに移住し、ピラミッドの需要を求めて中国各地の王族に接触した。匈奴の侵入を防ぐために始皇帝は、ピラミッド派に長城の製作を依頼した。しかし、ピラミッド派は長城建設に乗り気でなかったのか、故地に帰還してオアハカ盆地に鎮座する宗教都市「モンテ・アルバン」や、ボリビアに宗教都市「ティワナク」の建設を指揮した。

 


■AD72年 「熊襲武尊誕生」

 

「万里の長城」建設の途中でペルーに逃げたピラミッド派は、再度、東アジアの地を踏むべく、ペルーを後にした。ピラミッド派は、九州に上陸し、熊襲国に身を寄せた。ピラミッド擁護派として熊襲を味方に付けた彼らは「熊襲武尊」を称した。クマソもヤマトも武(タケル)の名の由来は同じティカルである。ティカル=タカル=タケルとなる。その後、熊襲武尊が日本武尊に敗北すると、マウンド派は、熊襲を離れて、吉備国に移住した。現岡山県赤磐市に小型ピラミッドを一基(熊山遺跡)しか残せなかったピラミッド派は、「大和人の大航海時代」に参加して東方に旅立った。

 


■AD3世紀 「マラエ製作」

 

「大和人の大航海時代」に参加して故地への帰還を計った熊襲武尊は、途上のタヒチ島に上陸し、ティキを祀るための小型ピラミッド「マラエ」を製作した。ここから、単独での航海がスタートする。

 


■AD3世紀 「太陽のワカ製作」「月のワカ製作」

 

ピラミッド派はポリネシアからペルーに移住し、モチェ川付近に「太陽のワカ」「月のワカ」と呼ばれるピラミッドを建造した。

 


■AD3世紀 「グイマーのピラミッド製作」

 

更に、そこからマヤに至り、大西洋側に出ると、大西洋を横断してカナリア諸島に上陸する。彼らはここに「グイマーのピラミッド」を建設した。このピラミッドは、誰が建造したのか不明だとされている。

 


■AD4世紀 「伯爵の神殿製作」「碑銘の神殿製作」

 

カナリア諸島から帰還したピラミッド派は、折りしも、古墳時代の終焉を機にマヤに移っていたマウンド派と再度対立した。熊襲武尊と日本武尊の対立の再現である。ところが、今回はピラミッド派が勝利し、マウンド派を退けてマヤ全域にピラミッドを建設する権利を得た。ピラミッド派はパレンケに「伯爵の神殿」「碑銘の神殿」を建造している。

 


■AD5世紀 「エローラの石窟寺院製作」

 

その後は、太平洋再度横断してインドに移り、AD5世紀に「エローラの石窟寺院」の製作を指揮している。この後、AD8世紀になるまで300年の間、ピラミッド派は東南アジアに移住してヒンズー様式の巨石建造物を建造している。

 


■AD8世紀 「魔法使いのピラミッド製作」「ティカル・ピラミッド群製作」

 

AD8世紀にインドから帰還すると、ピラミッド派は「魔法使いのピラミッド」をウシュマルに建設し、ティカルに「第1神殿」~「第4神殿」に至るシリーズを建立している。

 


■AD8世紀 「ボロブドゥール寺院製作」

 

その後、ピラミッド派は再度マヤを離れてシャイレーンドラ朝治世下のジャワ島に渡り、AD9世紀に「ボロブドゥール寺院」を建造している。

 


■AD10世紀 「ククルカンの神殿製作」

 

マヤに帰還したピラミッド派は、チチェン・イツァーに「ククルカンの神殿」を建立した。

 


■AD1113年 「アンコールワット寺院製作」

 

しかし、三度、マヤを後にすると、ピラミッド派はAD1113年にはカンボジアにヒンドゥー寺院「アンコール・ワット」を建立している。

 


■AD13世紀 「ナンマドール遺跡製作」

 

AD13世紀頃にはポナペ島に「ナンマドール遺跡」を建立している。ムー大陸の痕跡だとかいろいろ言われている。自由を愛する彼らは、自由を奪い、人間の尊厳を否定する文明を広めているタナトスを嫌い、自分たちだけの島を人工的に作ろうとしたのかもしれない。

 


■AD1320年 「トゥグルク朝誕生」

 

AD10世紀、ティカル人破魔矢を拠点に世界中に進出して巨石建造物の建築を依頼されていた。この時、オルメカ文明の時代からマヤにいたタガログ族は彼らに同行してアジアに帰還した。その後、彼らはパンジャブに進出した。タガログ族は「トゥグルク」を称し、ハルジー朝を倒してAD1320年に「トゥグルク朝」を開いた。トゥグルクの名の由来はタガログである。タガログ=トグルク=トゥグルクとなる。AD1323年、トゥグルク朝はカーカティヤ朝、ホイサラ朝を倒してインド全域を獲得した。

 


■AD15世紀 「万里の長城製作」

 

その後、ピラミッド派は明の治世下にある中国を訪れ、「万里の長城」の建設を指揮した。万里の長城は、蛮族の侵入を防ぐために築かれた長城は、宇宙からも見える一大モニュメントとして知られている。

 


■AD15世紀 「モアイ製作」

 

しかし、それが終わると、ピラミッド派はイースター島に閉じこもり、巨石の建造に纏わる技術の継承を目的に「モアイ」の製作を人知れず継続した。ところで、筆者は美大に通っていたが、画力を上達させるには人物デッサンを多く手がけることである。人物は、いろんな形の集合体である。つまり、人物を描破できるようになれば、何でも描けるようになるのだ。それは彫刻も同様である。つまり、イースター島の職人たちが、人物の石造を彫り続けたのは巨石建造物の建造に纏わる諸々の技術継承が目的である。いつでも、どんなものでも造れるように、どんな注文が舞い込んでもいいように人物を彫り続け、巨石の運搬技術の伝統を伝えるために、モアイを建て続けたのだ。

 


■AD1722年 「ダゴール誕生」

 

AD1722年、白人がイースター島に到来すると、ピラミッド派はイースター島を離れてインドに移った。彼らは「ダゴール」の姓を成した。ダゴールの名の由来はテイカルである。ティカル=ディガル=ダゴールとなる。

 


■AD1742年 カリーム・ハーン、イラン王に即位 「ザンド朝誕生」

 

AD1413年、トゥグルク朝が滅ぶと、トゥグルク家はイランに移住した。その後、トゥグルクの血統から生まれたカリーム・ハーンは、トゥグルク時代に治めていたシンドを由来に「ザンド朝」をイランに開いた。ザンドの名の由来はシンドである。ザンド朝の系統は、イランからヨーロッパに移住した。

 


■AD1861年 詩聖ダゴール生誕

 

AD1861年には詩聖ダゴールが誕生している。ダゴールは、アインシュタイン、ガンジーなど時代の寵児たちと親交を温めた。これをもって、ピラミッド派の大航海時代は終焉を迎えた。

 


■AD1890年 シャルル・ドゴール生誕

 


■AD1944年 タウンズ・ヴァン・ザント生誕

 


■AD1945年 ピート・タウンシェンド生誕 「ザ・フー誕生」

 

 

 

 

 

 


チュクウの歴史(アグリオス)①

◆老子(アグリオス)の歴史

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「アグリオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したチュクウは、ルワ、クウォスと組んで「アグリオス」を生んだ。アグリオスの名の由来はチュクウ、ルワ、クウォスの組み合わせである。チュクウ+ルワ+クウォス=ユクウルワォス=ユグルオス=アグリオスとなる。

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キャリアー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(現アラスカ~カナダ北部)に居を構えたアグリオスは「キャリアー族」を称した。キャリアーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリアー=キャリアーとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「オーキュロエー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、「オーキュロエー」を生んだ。オーキュロエーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アーグリオー=オーキュロエーとなる。その後、オーキュロエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリュプソー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、アプスーと組んで「カリュプソー」を生んだ。カリュプソーの名の由来はアグリオス、アプスーの組み合わせである。アグリオス+アプスー=グリオプスー=カリュプソーとなる。その後、カリュプソーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「クリュセーイス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ムシシと組んで「クリュセーイス」を生んだ。クリュセーイスの名の由来はアグリオス、ムシシの組み合わせである。アグリオス+ムシシ=グリオシシ=クリオシーシ=クリュセーイスとなる。その後、クリュセーイスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、イマナと組んで「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオス、イマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナー=クリュメネーとなる。その後、クリュメネーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「サンガリオス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ジェンギと組んで「サンガリオス」を生んだ。サンガリオスの名の由来はジェンギ、アグリオスの組み合わせである。ジェンギ+アグリオス=ジェンギリオス=サンガリオスとなる。その後、サンガリオスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ブリアレオース誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ポルピュリオーンと組んで「ブリアレオース」を生んだ。ブリアレオースの名の由来はポルピュリオーン、アグリオスの組み合わせである。ポルピュリオーン+アグリオス=ピュリオリオス=ピュリオリオース=ブリアレオースとなる。その後、ブリアレオースはヘカトンケイルに参加した。

 


■30万年前 「サンガリオスの大移動時代」

 


■30万年前 「アクリャ誕生」「ワカ誕生」

 

サンガリオスの片割れとして「サンガリオスの大移動時代」を指揮したアグリオスは、ペルーに入植すると「アクリャ(巫女)」を生み、「ワカ」を祀った。アクリャ、ワカの名の由来はアグリオスである。

 


■BC5千年 「アキレウス誕生」

 

ギリシア軍に請われてペルーからアイルランドに渡ったアグリオスは、ギリシア軍に「アキレウス」と呼ばれた。アキレウスの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アクリオス=アキレウスとなる。アキレウスは、「トロイア戦争」の英雄として知られている。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「羅浮山誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したアキレウスは、カリブ海に移住し「羅浮山(ルオフ)」を築いた。ルオフの名の由来はアグリオストアプスの組み合わせである。アグリオス+アプス=ルオプ=ルオフとなる。羅浮山は中国にあるとされているが、実際にはカリブ海に程近いシトラルテペトル山のことである。

 


■BC40世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC40世紀 アクンタ、初代王に即位 「チムー王国誕生」

 

どの神話に於いても、個人と思われている神や英雄は、実際には「ひとつの部族」である。つまり、アキレウスの死は、部族としての敗北である。その後、アキレウスは「アイルランドの神々の大航海時代」に参加してメソポタミアに移住し、その後「シュメール人の大航海時代」に参加してペルーニ帰還した。アキレウスは、ダニ族と組んで「アクンタ」を生んだ。アクンタの名の由来はアグリオスとタナトスの組み合わせである。アグリオス+タナトス=アグナト=アクンタとなる。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「老子誕生」「道教誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したアグリオスは、日本に到着すると、伊勢国で「神道」を築いたイデュイアと連合し、夏時代の中国に移住した。イデュイアの神道は中国で「道教」と呼ばれ、アグリオスは「老子」と呼ばれた。老子(ラオツィ)の名の由来はアグリオスである。アグリオス=リオス=ラオツィ(老子)となる。

 


■BC7世紀 「遼東半島誕生」

 

「春秋戦国時代」が始まると、老子の子孫は、現遼東半島を訪れ、当地を初めて「遼東半島」と命名した。遼東(リャオドン)の名の由来はアグリオスとディオーネーの組み合わせである。アグリオス+ディオーネー=リオディオネ=リャオドン(遼東)となる。

 


■BC226年 「ユーロー(前身)誕生」

 

BC226年、遼東半島を治めていた燕が滅亡すると、道教の種族、ペー族は満州に移った。アグリオスは、イデュイアと組んで「ユーロー」を生んだ。ユーローの名の由来はイデュイアとアグリオスの組み合わせである。イデュイア+アグリオス=ユイアリオ=ユーローとなる。

 


■BC1??年 「ラーオ族誕生」

 

匈奴に参加しなかったユーローは、インドシナ半島に移住して「タイ族」となり、老子(アグリオス)は「ラーオ族」となった。両者は、「ムアン・ギャオ」に移住した。タイの名の由来はタオ(道)である。タオ=タウ=タイとなる。彼らは、「タイ・ルー族」などと呼ばれた。ギャオの名の由来はチュクウである。

 


■BC215年 「ムアン・ペーガイ誕生」

 

秦の侵攻により、ムアン・ギャオを離れたタイ族は、雲南に移住して「ムアン・ペーガイ」を築いた。ペーガイの名の由来はヴィディエとチュクウの組み合わせである。ヴィディエ+チュクウ=ヴィクウ=ブイークウ=ペーガイとなる。

 


■BC87年 タイ族、モンゴルに帰還

 

BC87年、ムアン・ペーガイ国王クンメンが、漢の通行を許可しなかったため、武帝の攻撃により、ムアン・ペーガイは滅んだ。その後、タイ族はモンゴルに帰還した。

 


■AD45年 「南匈奴誕生」

 

タイ族(道教)、扶余は、匈奴に参加した。この時に、匈奴は「北匈奴」と「南匈奴」に分裂した。ペー族の連合体は「南匈奴」に身を寄せていた。

 


■AD166年 「太平道誕生」

 

「党錮の禁」が起きると、タナトスの宦官が後漢を私物化したため、社会は腐敗し、何事も賄賂で決められる事態になった。南匈奴に属していた扶余、道教、張角は、タナトスを皆殺しにするために「太平道(タイピンタオ)」「五斗米道(ウートミタオ)」を設立した。太平道の名の由来はヴィディエ(張氏)、ペー、道教(ヴィディエ)の組み合わせであり、五斗米道の名の由来はヴィディエとミン(閔)、ヴィディエの組み合わせである。

 


■AD450年 「ラヴォ王国誕生」

 

太平道が天師道に吸収されると、太平道(アグリオス、ヴィディエ)はインドシナ半島に移住し、「ラヴォ王国」を建設した。ラヴォの名の由来はアグリオスとヴィディエの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ=リオヴィ=ロヴィ=ラヴァとなる。ラヴァ王国はAD1388年まで続いている。

 


■AD6世紀 「大賀氏誕生」

 

AD5世紀頃、中国仏教が簒奪した新天師道が誕生すると、道教、張氏はこれを嫌ってモンゴルに移住した。この時に「大賀(ダへ)氏」が生まれた。ダヘの名の由来はヴィディエ(張氏)とヴィディエ(道教)の組み合わせである。ヴィディエ+ヴィディエ=ディエヴィ=デビ=ダヘとなる。大賀氏は、AD8世紀まで、王として契丹を統率した。

 


■AD753年 「ラーシュトラクータ朝誕生」

 

アグリオスは、リオスの部分をラーシュトラ(ツァラストラ)に重ね合わせ、名前を継承しつつ、百済の残党と共に「ラーシュトラクータ朝」を開いた。ラーシュトラクータの名の由来はラーシュトラと百済の組み合わせである。ラーシュトラ+クダラ=ラーシュトラクダ=ラーシュトラクータとなる。

 


■AD973年 「龍造寺氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、アグリオスは日本に向かい、九州に上陸した。アグリオスは「龍造寺氏」を称した。龍造寺氏の名の由来はラーシュトラクータである。ラーシュトラクータ=ラーシュトラ=リューゾーテラ=龍造寺(りゅうぞうじ)となる。

 


■AD973年 「五十嵐氏誕生」「小栗氏誕生」

 

ラーシュトラクータ朝が滅ぶと、アグリオスはインドから日本に移住し、「五十嵐氏」「小栗氏」を生んだ。五十嵐、小栗の名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリョス=五十嵐(いがらし)となり、アグリオス=オグリオス=小栗となる。

 


■AD1168年 結城朝光生誕 「結城氏誕生」

 

結城の名の由来はチュクウである。チュクウ=ユクウ=結城となる。結城朝光は親鸞に心酔し、念仏に傾倒したと伝えられる。匈奴時代にタナトスの血が流れ込んだのだろう。

 


■AD1338年 「ルオ族誕生」

 

パヤオ王国賀滅ぶと、王国の中核を成していたピュー族はパヤオ王国(符氏)と連合して西方に向かう計画を立てた。AD1253年に滅んだ大理国の段部、ラーオ族もこの旅に参加した。ラーオ族は紅海で一行から分離し、東アフリカに至って現ケニアに移住し、「ルオ族」を残した。ルオの名の由来はラーオである。

 


■AD1363年 「ラーンサーン王国誕生」

 

AD1124年、西遼(カラキタイ)が建つと、モンゴルを離れたタイ・ルー族は現ラオスに帰還し、ラーンサーン王国などのラオス王国の建設に参加した。

 


■AD1584年 「ルソー誕生」「レスター誕生」「リスト誕生」

 

九州を離れた龍造寺氏は、パンジャブで豊臣秀頼の一行を迎え、カスピ海に至る。その後、龍造寺隆信の一行は、カスピ海からスイスに移った。彼らは現地人と交わり、「ルソー」「レスター」「リスト」の名を形成した。ルソーの名の由来は龍造寺であり、リスト、レスターの名の由来はラーシュトラクータである。龍造寺(りゅうぞうじ)=りゅうぞう=ルソーとなり、ラーシュトラクータ=ラーシュトラ=レスター=リストとなる。

 


■AD1669年 紀伊国屋文左衛門生誕

 

紀伊国屋文左衛門の元姓は、五十嵐氏である。つまり、紀伊国屋文左衛門はアグリオスの子孫である。彼は、材木商として成り上がったが、タナトスの血を引く三井家、住友家に目をつけられたためか、一代で消滅してしまった。その後、紀伊国屋文左衛門の残党は、祖を同じくする日本人が移住したラオスに入植した。

 


■AD18世紀 「ルアンパバーン王国誕生」

 

倭寇に参加し、後に華僑に参加してスペイン人などと戦っていた宇久氏は、フィリピン遠征時にインドシナ半島に移住した。彼らは、祖を同じくするラーンサーン王国の結城氏と連合して「ルアンパバーン王国」を築いた。ルアンパバーンの名の由来は蓮(リャン)と八幡(バハン)の組み合わせである。リャン+バハン=リャンバハーン=ルアンパバーンとなる。倭寇は、常に「八幡神」ののぼりを掲げていたため、中国人に中国語読みで「八幡(バハン)」と呼ばれた。

 


■AD1945年 「ラオス王国誕生」

 

結城氏(鎌倉幕府)、宇久氏(倭寇)、五十嵐氏(紀伊国屋文左衛門)など、アグリオスの血を引く日本人の子孫が「ラオス王国」を建設した。ラオスの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグラオス=ラオスとなる。

 

 

 

 

 

◆ソクラテス(クリュテイオス)の歴史

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「エウリュトス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んだ。その後、クリュテイオスはウェネと組んで「エウリュトス」を生んでいる。エウリュトスの名の由来はウェネとクリュテイオスの組み合わせである。ウェネ+クリュテイオス=ウェリュテイオス=エウリュトスとなる。

 


■45万年前 「ヒッポリュトス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んだ。その後、クリュテイオスはヴィディエ、パッラースと組んで「ヒッポリュトス」を生んでいる。ヒッポリュトスの名の由来はヴィディエ、パッラース、クリュテイオスの組み合わせである。ヴィディエ+パッラ-ス+クリュテイオス=ヴィパッラーテイオス=ヒッポリュトスとなる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キルーテ族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北西部沿岸(現バンクーバー周辺)に居を構えたクリュテイオスは「キルーテ族」を称した。キルーテの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=キルーテイオス=キルーテとなる。獣人は、アボリジニの顔をしていたクウォスと混合することで、マヤ人の顔を得たと考えられる。

 


■40万年前 「クリー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(アラスカ~カナダ北部)に居を構えたグラティオーンは「クリー族」を称した。クリーの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=クリティオーン=クリーとなる。

 


■40万年前 「シャイアン族誕生」

 

亜北極圏(アラスカ~カナダ北部)から大平原(ユタ周辺)に居を構えたグラティオーンは「シャイアン族」を称した。シャイアンの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=グラチェイオーン=チャイアン=シャイアンとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「クリュティアー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアで「クリュティアー」を生んだ。クリュティアーの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュテイオ=クリュティアーとなる。その後、クリュティアーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリロエー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアではルワと連合し、「カリロエー」を生んだ。カリロエ-の名の由来はクリュテイオスとルワの組み合わせである。クリュテイオス+ルワ=クリュルワ=カリロエーとなる。その後、カリロエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリュプソー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュティアーは、オーストラリアでアプスーと連合し、「カリュプソー」を生んだ。カリュプソーの名の由来はクリュティアーとアプスーの組み合わせである。クリュティアー+アプスー=クリュプスー=カリュプソーとなる。

 


■30万年前 「ロディオス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアで「ロディオス」を生んだ。ロディオスの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュデイオス=ロディオスとなる。その後、ロディオスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ブロンテース誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアではウラニアーと連合し、「ブロンテース」を生んだ。ブロンテースの名の由来はウラニアーとクリュテイオスの組み合わせである。ウラニアー+クリュテイオス=ウランテイオス=ブロンテースとなる。その後、ブロンテースはキュクロプスに参加した。

 


■30万年前 「タナトス誕生」

 

クリュテイオスの下層集団には知能が高い個体がおり、「できそこないの方が多いんだから、全員で組めばクリュテイオスの王族を退けることができる」ということに気づいた。ディオーネーでも同じことが起きていたが、クリュテイオスの下層集団はディオーネーの下層集団と連合し、合体部族「タナトス」を生んだ。タナトスの名の由来はディオーネーとクリュテイオスの組み合わせである。ディオーネー+クリュテイオス=ディオネテイオス=タナトスとなる。このタナトスは知能によって淘汰を免れることを覚えたできそこないの集団であり、クリュテイオスの王統とは無関係である。※詳細はタナトスの本で

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「カール族誕生」「カロ族誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したカリュプソーは、マレー半島に「カール族」「カロ族」を生んだ。カール、カロの名の由来はカリュプソーである。

 


■30万年前 「クレタ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加して地中海に入植したクリュティアーは、その後、クレタ島に上陸した。この時に初めてこの島は「クレタ島」と呼ばれた。クレタの名の由来はクリュティアーである。クリュティアー=クリュタ=クレタとなる。

 


■7万年前 「ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティア誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したグラティオーンは「ティア」を祀り、ティタン神族に参加した。ティアの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=グラティアン=ティアとなる。

 


■7万年前 「テテュス誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、トエーと組んで古代ギリシアに「テテュス」を生んだ。テテュスの名の由来はトエーとクリュテイオスの組み合わせである。トエー+クリュテイオス=トエテイオス=テテュスとなる。

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

古代ギリシアに生まれたテテュスは、ウラヌスと組んで「ティタン神族」を結成した。ティタンの名の由来はテテュスとウラヌスの組み合わせである。テテュス+ウラヌス=テテュヌス=ティタヌス=ティタンとなる。

 


■7万年前 「レティ族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、マレー半島に「レティ族」を生んだ。レティの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=リュテイ=レティとなる。

 


■7万年前 「アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「クリュシッポス誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したクリュティアーはオーストラリアに入植し、ヒッポーと組んでピサ王国の王族「クリュシッポス」を生んだ。クリュシッポスの名の由来はクリュティアーとヒッポーの組み合わせである。クリュティアー+ヒッポー=クリュティッポー=クリュシッポスとなる。彼らは、タナトスに属するティエステスと対立していた。

 


■7万年前 「ミドガルド誕生」

 

「アルゴス号の大航海時代」に参加したクリュテイオスは、巨木セコイア(ユグドラシルと呼ばれた)の森林に魅せられ、現カリフォルニアに降り立った。彼らは、アドメテーと共に「ミドガルド王国」をカリフォルニア~ネバダにかけて建設した。ミドガルドの名の由来はアドメテーとクリュテイオスの組み合わせである。アドメテー+クリュテイオス=メテクリュテ=メデグリュデ=ミドガルドとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天手力男命誕生」

 

「ギガントマキア」に参加し、ゼウスに敗北したクリュティオスはオーストラリアに帰還した。更に、「命令を聞け」と迫るタナトスを殴り殺し、台湾に移住し、イマナと連合し「天手力男命」を生んだ。天手力男の名の由来はイマナとテイオスクリュ(クリュテイオスの反対)の組み合わせである。イマナ+テイオスクリュ=イマナテスカリオ=アメノタジカラオとなる。

 


■2万年前 「ユグドラシルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「ゴリアテ誕生」

 

「ユグドラシルの大航海時代」に参加して出羽国に入植し、「モーゼスの大移動時代」に参加して中国に入植したクリュテイオスは、カナン(夏時代の中国)に「ゴリアテ」を生んだ。ゴリアテの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=グリユテイオス=ゴリアテとなる。ゴリアテはペリシテの巨人として知られているが、知力にも長けていた。タナトスの理不尽な命令に嫌気がさしていた彼は、わざと少年ダヴィデに敗北することでタナトスを討つことを考えた。

 


■BC30世紀 「ダエーワ神群の大移動時代」

 


■BC469年 ソクラテス生誕

 

「ダエーワ神群の大移動時代」に参加してイランに入植したクリュテイオスは、その後に古代ギリシアに移り「ソクラテス」を生んだ。ソクラテスの名の由来はジョクとクリュテイオスの組み合わせである。ジョク+クリュテイオス=ジョクリュテイオス=ソクラテスとなる。善良なソクラテスは、タナトスから生まれた如何わしいソフィストのやり方に疑念を持ち、できそこないの集団に身一つで挑戦した。彼は「こんなウソつきのできそこないに負けるはずがない」と考えていたのだ。
その通り、質vs質では間違いなくソクラテスが勝っていた。だが、タナトスはできそこないしか勝てない土俵でしか戦わない。ソクラテスがその土俵に上がると、大量のできそこないに圧倒され、哀れにも敗北を喫した。死刑を宣告するために開かれた裁判では、さしもの、ソクラテスも力及ばずであった。もともと、キュベレー密儀、ディオニュソス密儀の息がかかった女を娶った時点で、ソクラテスは勝機を失っしていた。

 


■BC1世紀 「スパルタカス誕生」

 

奴隷を解放することは良いことだと考えていたブロンテースは、キュクロプス時代の同僚ステロペース、アルゲースと共に「スパルタカス」を生んだ。スパルタカスの名の由来はステロペース、ブロンテース、アルゲースの組み合わせである。ステロペース+ブロンテース+アルゲース=スブロンテゲース=スパルタカスとなる。第三次奴隷戦争の指揮者となったが、彼らは残念ながら、奴隷戦争の背後にいたアタルガティス教の人々の悪意に気づいていなかった。

 


■AD768年 シャルルマーニュ大帝、フランク王に即位 「カロリング朝誕生」

 

時を経て、ソクラテスの子孫はギリシアからガリアに移っていた。彼らの系統からはシャルルマーニュが生まれた。シャルルマーニュの名の由来は獣人クリュテイオスとルーマニアの組み合わせである。クリュテイオス+ルーマニア=クリュルーマニア=シャルルマーニュとなる。このように不世出の偉大な英雄は常に獣人の血統から輩出されている。

 


■AD771年 シャルルマーニュ大帝、ランゴバルト王国を滅ぼし、イタリア王を兼ねる

 


■AD772年 シャルルマーニュ大帝、サクソン人と交戦 「サクソニア戦争」

 


■AD794年 シャルルマーニュ大帝、イスパニア出征

 


■AD795年 シャルルマーニュ大帝、アヴァール人の本拠地を急襲

 


■AD803年 シャルルマーニュ大帝、ローマで戴冠

 


■AD814年 シャルルマーニュ大帝、死去

 

シャルルマーニュ大帝統治時代の後期にノルマン人が出現したが、シャルルマーニュ大帝の生前には目立つ攻撃はなかった。しかし、シャルルマーニュ大帝が死去した途端にノルマン人、デーン人の連合はシャルルマーニュ大帝の子息3兄弟の王位継承権争いに介入し、ロタール1世を傀儡に仕立ててフランク王国の簒奪を謀った。これにより、フランク王国はフランス、ドイツ、イタリアに分離した。

 

 

 

◆クリュセーイスの歴史

 


■30万年前 「クリュセーイス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、ムシシと組んで「クリュセーイス」を生んだ。クリュセーイスの名の由来はアグリオス、ムシシの組み合わせである。アグリオス+ムシシ=グリオシシ=クリオシーシ=クリュセーイスとなる。その後、クリュセーイスは大洋の娘たちに参加した。

 


■7万年前 「サイシャット族(ヘラクレス)誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペルセウスは、台湾に上陸してクリュセーイスと共に合体部族を生んだ。この合体部族の誕生に参加したのはペルセーイス側からはパッラース(ヴィディエ+レザ)、ムシシが、クリュセーイス側からはグラティオーンとムシシである。しかし、グラティオーン自体がアグリオス(チュクウ+ルワ)とディオーネー(ヴィディエ+ウラニアー)の合体部族である。つまり、ペルセーイスからは3部族、クリュセーイスからは5部族が参加している。
この時に生まれたのは、台湾少数民族として知られる「サイシャット族」である。サイシャットの名の由来はチュクウ、ムシシ、ヴィディエの組み合わせである。チュシシディ=ツォウセーイシディ=サイシャットとなる。サイシャット族は後に「ヘラクレス」と呼ばれることになる。ヘラクレスの名の由来はペルセーイスとクリュセーイスの組み合わせである。ペルセーイス+クリュセーイス=ペルクリュセ=ヘラクレスとなる。

 


■7万年前 「ヘラクレス誕生」

 

ヘラクレスとは、台湾のサイシャット族のことであるが、ヘラクレスの物語は全て、オーストラリア、メラネシア、南シナ海で起きたことである。ヘラクレスの目的は、主に、反自然の種族の成敗であった。ネメアのライオン、レルネのヒュドラ、ケリュネイアの鹿、エリュマントスの猪、アウゲイアスの家畜小屋掃除、ステュムパリデスの鳥退治、クレタの暴れ牛、ディオメデスの人喰い馬、アマゾネスとの戦闘、ゲリュオンの赤い牛、ヘスペリデスの黄金の林檎、ケルベロスの生け捕りの中でも、特にエリュマントスの猪とディオメデスの人喰い馬はタナトスの一族である。

 


■7万年前 「ヴァルハラ誕生」「戦士の守護神ワルキューレ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加した素戔鳴尊、筒之男命は、神話通り、葦原中津国に向かった。葦原中津国は2種類あるが、ひとつめは八代湾~天草諸島に跨る地域であり、2つめはアナトリア半島~ナクソス島に跨る地域である。彼らが目指したのは2つめの葦原中津国である。
アルゴス号は、途上の北アメリカで常世国、ミドガルド王国などを残しつつ、メキシコに到達した。大西洋側に出た彼らは、上陸ポイントを「ベラクルス」と命名した。更に、北メキシコに入植した塩椎神の勢力は「ヴァルハラ王国」を築いた。ヴァルハラの名の由来はペルセウスとヘラクレスの組み合わせである。ペルセウス+ヘラクレス=ペルヘラ=ヴァルハラとなる。
ベラクルスには、「ワルキューレ」が生まれた。ベラクルス、ワルキューレの名の由来は共にヘラクレスである。ヘラクレス=エラクーレス=ワルキューレとなる。北アメリカにあったミドガルド王国、北メキシコにあったヴァルハラ王国名は北欧神話に出てくるため、ミドガルド、ヴァルハラは北欧に存在したと考える人も多いだろう。しかし、大概の場合、神話の舞台は神話が編まれた土地で起きた事柄ではない。タナトスを皆殺しにするため、科学の種族は核兵器によってミドガルド、ヴァルハラを消滅させたが、北欧神話は、その時の生存者が何万年もさすらったあげく、北欧に辿り着き、現地人に伝えたものである。

 


■4万年前 「アトランティス人の大航海時代」

 


■4万年前 「カリス誕生」

 

「アトランティス人の大航海時代」に参加したクリュセーイスは、「カリス」を生んだ。カリスの名の由来はクリュセーイスである。クリュセーイス=クリュセ=カリスとなる。

 


■BC1530年 「クルズ人誕生」「カッシート朝成立」

 

シェクレシュ人は、BC1530年に「カッシート朝」を築いた。カッシート朝を開いた謎の「クルズ人」の正体はシェクレシュ人である。また、BC1150年にカッシート朝が滅ぶと、シェクレシュ人(クルズ人)はクレタ島に帰還し、神官「クーレース」となる。また、クーレースは「ギリシア(グリース」)」の語源でもある。

 


■BC6世紀 「フィン人の大航海時代」

 


■BC6世紀 「コラズム誕生」

 

「フィン人の大航海時代」に参加したカレリア族とスオミ族は、現地を初めて「コラズム」と呼んだ。コラズムの名の由来はカレリアとスオミの組み合わせである。カレリア+スオミ=カレスオミ=コラズムとなる。コラズムは、ハ行がカ行を兼ねる法則により、ホラズム、ホラサンとも呼ばれている。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「クライシュ族誕生」

 

「コラズム族の大移動時代」に参加したコラズム人は、アラビア人と混合して「クライシュ家」を形成している。クライシュの名の由来はコラズムである。コラズム=コライズム=クライシュとなる。ヒムヤル人を除き、「コラズム族の大移動時代」に加わったほとんどの種族が、クライシュ族に参加している。残念ながら、その後に、人身御供の種族タナトスがアラビア半島を訪れると、クライシュ族以下、アラビア人は人喰い人種の支配下に置かれ、人身御供を強要された。

 


■AD634年 「ギルザイ族誕生」

 

イスラム軍がアラビア半島を統一すると、これを機に、クライシュ族はコラズムに帰還する。彼らは「ギルザイ」を称した。ギルザイの名の由来はクライシュである。クライシュ=クラシャイ=ギルザイとなる。

 


■AD1231年 「黒澤氏誕生」

 

AD1231年、コラズムがチンギスによって完全に破壊されると、一部ギルザイ族は日本に逃亡した。コラサン人の顔をした彼らは日本人と混合して「黒澤氏」を形成した。黒澤の名の由来はアグリオスとシヴァの組み合わせである。アグリオス+シヴァ=グリオシヴァ=黒澤となる。

 


■AD1231年 「カルザイ誕生」

 

AD1231年、コラズムがチンギスによって完全に破壊されると、ギルザイ族は伊勢平氏の子孫パシュトゥーン人に「ギルザイ」の名を簒奪されたため、ヨーロッパに移住した「ドゥラニ」の名を拝借し、ドゥラニ族の中に「カルザイ」の名を成した。

 


■AD1907年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー生誕

 

クルーゾーの名の由来はクライシュである。クライシュ=クレエシュー=クルーゾーとなる。

 


■AD1910年 黒澤明生誕

 


■AD1939年 ジョン・クリーズ生誕 「モンティ・パイソン誕生」

 

クリーズの名の由来はクルーゾーである。クルーゾー=クルーゾ=クリーズとなる。

 


■AD1957年 ハーミド・カルザイ生誕

 

アフガニスタン・イスラム共和国初代大統領に就任している。

 


■AD1955年 黒沢清生誕

 

 

 

◆レメク(クリュメネー)の歴史

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、河川の娘たちを母体にイマナと組んで「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオス、イマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナー=クリュメネーとなる。その後、クリュメネーは大洋の娘たちに参加した。

 


■7万年前 「ムナ族誕生」「リオ族誕生」「モニ族誕生」

 

オーストラリアから東南アジアに移住したクリュメネーは、マレー半島に「ムナ族」「リオ族」を、パプアに「モニ族」を生んだ。ムナ、モニ、リオの名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クリオメネー=リオとなり、クリュメネー=クリュムナー=ムナ、クリュメネー=クリュモニー=モニとなる。

 


■7万年前 「大山津見神誕生」

 

一部のオケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、大和地方に住んでいたティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「大綿津見神」「大山津見神」「宇迦之御魂神」「豊玉毘売命」「玉依毘売命」が誕生した。「大綿津見神(オオワタツミ)」の名の由来はアドメテーとティアマト、「大山津見神誕(オオヤマツミ)の名の由来はクリュメネーとティアマトの組み合わせである。クリュメネー+ティアマト=ユメティアマ=ユメチャマ=ヤマツミとなる。

 


■7万年前 「久留米誕生」

 

大和国に「大山津見神」を生んだクリュメネーは、単身、九州に入植して拠点を「久留米」と命名した。久留米の名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クルメネー=久留米となる。

 


■7万年前 「天之御中主神誕生」

 

イマナは、台湾に来たオケアーニスと連合して「アメノミナカヌシ」を生んだ。アメノミナカヌシの名の由来はイマナ、クリュメネー、ペネイオスの組み合わせである。イマナ+クリュメネー+ペネイオス=イマナメネーケネイオス=アメノミナカヌシとなる。

 


■4万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「レメク誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したクリュメネーは、ペルーに移住してカイコスと連合した。この時に「レメク」が生まれた。レメクの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=リュメカー=レメクとなる。このコンビは、他にもマゴグ、マゴ、マゴス、マゴイを生んでいる。レメクは、ペルーの拠点に「リマック」と命名した。リマックとは、ペルーの首都リマの古名である。

 


■3万年前 「ムー帝国(ローマ帝国)誕生」

 

レメクは、アマゾン上流のモホス文明を継承し、科学・技術力を発展させた。ティル・ナ・ノーグ(ティアワナク)、モホス文明(アマゾン上流)、五岳神(南極大陸)で展開された文明の追及の記憶は、ムー帝国幻想に重ね合わせられている。ムー帝国を統治したユピテルなどの王族の名は、後世、イタリアに伝えられ、ローマの神々としてローマ帝国で祀られた。ローマ、ラ・ムーなどの名はレメクが由来である。

 


■3万年前 「エノクの大航海時代」

 


■3万年前 「マカタオ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加した一部のレメクは、エノクたちと共に台湾に入植した。この時に「マカタオ族」が生まれた。マカタオの名の由来はレメクとヴィディエの組み合わせである。レメク+ヴィディエ=メクディエ=マカタオとなる。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ケルマ王国誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したレメクは、ナイル上流域に進出してヌビアに至り、「ケルマ王国」を建てている。ケルマの名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クリュメ=ケルマとなる。

 


■BC40世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「ライマ誕生」

 

「シュメール人の大航海時代」に参加したケルマ人はメソポタミアからペルーに移住し、その後に「サムエルの大航海時代」に参加して出羽国に入植した。その時、ケルマ人はガラクサウラーと組んで出羽国の王族「ライマ」を生んだ。ライマの名の由来はガラクサウラーとクリュメネーの組み合わせである。ガラクサウラー+クリュメネー=サウラメネ=ソロモン=ソロイモン=ライマとなる。ライマは、ラトビア神話に記された神の一人であるが、ラトビア神話には、出羽国を治めていた王族の名が神として記されている。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「モンゴル誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したメネストーは、現モンゴルに移住し、ガラクサウラーと組んで「モンゴル」の名を生んだ。モンゴルの名の由来はメネストーとガラクサウラーの組み合わせである。メネストー+ガラクサウラー=メネガラ=モンゴルとなる。

 


■BC32世紀 ソロモン、第3代イスラエル王に即位 「ソロモン朝誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したメネストーは、ガラクサウラーと組んでモンゴルの名を生んだ。更に、両者は「ソロモン朝」を築いた。ソロモンの名の由来はガラクサウラーとメネストーの組み合わせである。ガラクサウラー+メネストー=サウラメネ=ソロモンとなる。ソロモン王は、モンゴル高原を治めた。ソロモン朝の都は、タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠辺りに存在したと考えられる。

 


■BC32世紀 「エルサレム誕生」

 

この時に「エルサレム」の名も生まれた。エルサレムの名の由来はサウルとソロモンの組み合わせである。サウル+ソロモン=ウルソロモ=エルサレムとなる。ただ、残念ながらサウル王やソロモン王は、タナトスの一族である預言者ナタンにいいように操られ、悪の為に働き、ダヴィデ王を敵視した。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「エルズルム誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したソロモンは、核攻撃で荒廃した故地を脱出して黒海南部のほとりに辿り着いた。ソロモンの残党はここに「エルズルム」を建設した。エルズルムの名の由来はエルサレムである。この地名は今でも現存している。その後、サウルの残党はヨーロッパに移住し、ソロモンの残党は現イスラエルに、ヨシュア(アシアー)は現エジプトに移住した。この時に、北ヨーロッパは「ゲルマニア」と呼ばれ、カナンに「イスラエル(葦原中津国と高天原による連邦国家)」「エルサレム」の名がもたらされ、「エジプト(葦原中津国と十和田による連邦国家)」は初めてエジプトと呼ばれた。

 


■BC27世紀 「マガダ王国誕生」

 

イスラエル王国(高天原と葦原中津国の連邦国家)が滅ぶと、マカタオ族は台湾を離れた。彼らは、ガンジス流域に根城を得て「マガダ王国」の下地を築いた。マガダの名の由来はマカタオである。マカタオ=マガダオ=マガダとなる。その後、BC18世紀頃、マガダ人から輩出されたピリハドラータが初代王に即位して「マガダ王国」を建てている。

 


■BC882年 「マケドニア人誕生」

 

第24代マガダ王リプンジャヴァの時代に正統なマガダ王国が滅亡すると、マガダ人はインドを後にしてギリシア方面に進出し、「マケドニア」に上陸した。マケドニアの名の由来はマガダである。マガダ=マガダン=マガダンニア=マケドニアとなる。BC808年、カラノスが初代王に即位して「マケドニア王国」が建てられた。

 


■BC336年 「アレキサンダー帝国誕生」

 

BC336年にはアレキサンダー大王が第26代マケドニア王に即位している。アレキサンダー大王は、古代ギリシア、シリア、エジプト王国、ペルシア帝国を侵略して領土に組み込み、「アレキサンダー帝国」を儲けた。アレキサンダー大王の目的は、タナトスの系譜に属するインチキ宗教を壊滅させることであった。

 


■BC148年 「マギンダナオ族誕生」

 

「第4次マケドニア戦争」の敗北を機に、マケドニア人は故地を出て東方に赴いた。まず、フィリピンのミンダナオ島に上陸した一行は当地を「マギンダナオ」と命名した。マギンダナオの名の由来はマケドニアである。マケドニア=マケンドニア=マギンダナオとなる。マギンダナオ族は、AD16世紀にマラウィを首都に据えて「マギンダナオ王国」を建てている。スペインの支配時、AD1619年に彼らは、ミンダナオに侵攻したスペイン軍を退けている。更に、AD1645年にはスペインとオランダに主権を認めさせ、講和条約を結んでいる。

 


■BC148年 「段部誕生」

 

「第4次マケドニア戦争」の敗北を機に、マケドニア人は故地を出て東方に赴いた。マケドニア人はフィリピンの次に黒龍江に入り、モンゴルに至った。マケドニア人は「段部(ドゥアン)」を称した。ドゥアンの名の由来はマケドニアである。マケドニア=マケドゥアンニア=ドゥアンとなる。段部は、宇文部・托跋部が指揮する「鮮卑」に参加した。その後、段部はAD471年の「鮮卑の大航海時代」を経て太平洋を横断し、ブリテン島にまで移住している。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「タナー誕生」「ドナー誕生」「ターナー誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した段部は、イギリスに上陸し、現地人と混合して「タナー」「ドナー」の名を生んだ。これらの名の由来は段(ドゥアン)である。ドゥアン=ドゥアナー=ドナー=タナー=ターナーとなる。

 


■AD628年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD768年 「クルム朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加していたイギリス人ドナーは、ブルガリア帝国に侵入し、「クルム王朝」を開いた。クルムの名の由来はクリュメネーである。クリュメネー=クリュメ=クルムとなる。マケドニア人の末裔である彼らは、プレシアン1世の時代にマケドニアを領有し、故地の奪還を果たした。

 


■AD906年 段思平、初代王に即位 「大理国誕生」

 

AD852年、ドゥロ王朝が復活を遂げると、ブルガリア帝国を去ったクルム家は雲南に移住し、「段部」の名を復活させた。段思平は南詔国を倒し、タイ族、ユワン族、ラーオ族を支配下に置いた。その後、段部は、タイ族、ラーオ族と組んで「大理国(ダーリ)」を立てた。ダーリの名の由来はヴィディエとアグリオスの組み合わせである。ヴィディエ+アグリオス=ディエリオ=ダーリとなる。

 


■AD1096年 段正淳、初代後大理国王に即位 「後大理国誕生」

 

AD1253年、段興智の代に後大理国は滅んだ。その後、彼らは「ピュー族の大航海時代」に参加した。

 


■AD1338年 「ピュー族の大航海時代」

 


■AD1338年 「テュニカ族誕生」

 

「ピュー族の大航海時代」に参加した段部は、ピュー族と共に西方に向かい、地中海に入った。段部は故地であるマケドニアに居を定める方針だったが、当時はビザンツ帝国の治世下にあったため、ピュー族と共に更に西方に向かった。イングランドを通過した段部は、アイルランド、アイスランドの航路を経て大西洋を超え、北アメリカに至った。アメリカ南東部に居を構えた段部は、マケドニア人(マケドニキ)を由来に「テュニカ族」を形成した。マケドニキ=ドニキ=テュニカとなる。

 


■AD1338年 「田中氏誕生」

 

「ピュー族の大航海時代」に参加したテュニカ族は、アメリカ南東部を出て東アジアを目指し、太平洋を横断して室町時代の日本に進出した。インディアンの顔をしたテュニカ族は、大和国・近江国に上陸して現地人と混合した。テュニカ族は「田中」を称した。テュニカ=タナカ=田中となる。AD1585年には、田中忠政が誕生している。マケドニア由来の「田中」の他にも、田中にはサタンの人(サタニカ)、大谷の人(オオタニカ)などを由来にしたものがある。

 


■AD16世紀 「マギンダナオ王国誕生」

 

マケドニア人の子孫であるマギンダナオ族は、AD16世紀にマラウィを首都に据えて「マギンダナオ王国」を建てている。

 


■AD1619年 マギンダナオ王国、スペイン軍を撃退

 

スペインの支配時、AD1619年に彼らは、ミンダナオに侵攻したスペイン軍を退けている。

 


■AD1645年 マギンダナオ王国、講和条約を締結

 

AD1645年にはスペインとオランダに主権を認めさせ、講和条約を結んでいる。

 


■AD1841年 田中正造生誕

 


■AD1929年 アラン・タネール生誕

 


■AD1930年 リチャード・ドナー生誕

 

 

 

 

 


チュクウの歴史(アグリオス)②

◆李氏(オーキュロエー)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「オーキュロエー誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加してモンゴルに移住し、その後に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに移住したアグリオスは、ルワが抜けたことで「オーキュロエー」を生んだ。オーキュロエーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アーグリオエース=オーキュロエーとなる。

 


■30万年前 「コロワイ族誕生」

 

エティオピア王国の繁栄を聞いたオーキュロエーは、パプアに移住して「コロワイ族」を生んだ。コロワイの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=オーキュロア=キュロアイ=コロワイとなる。

 


■4万年前 「大綿津見神誕生」

 

ギリシアから台湾に上陸したギューゲースは、新世代水生人イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「大山津見神誕生」

 


■7万年前 「天手力男神誕生」

 

高天原が繁栄すると、オーキュロエーは台湾に移住し、「天手力男神」を生んだ。天手力男神の名の由来は、イマナ、クリュテイオス、オーキュロエーの組み合わせである。イマナ+クリュテイオス+オーキュロエー=アマナテイオスキュロエ=アメノタジカラオとなる。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「大日本根子彦(孝霊天皇、孝元天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「大日本根子彦」を生んだ。大日本根子彦の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーアマトニコ=大日本根子(おおやまとねこ)となる。大日本根子彦は、「孝霊天皇」「孝元天皇」として天皇に即位している。

 


■1万3千年前 「稚日本根子彦(開化天皇)誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したティアマトは、オーキュロエー、グレニコスと組んで「稚日本根子」を生んだ。稚日本根子の名の由来はオーキュロエー、ティアマト、グレニコスの組み合わせである。オーキュロエー+ティアマト+グレニコス=オーキュアマトニコ=稚日本根子(わかやまとねこ)となる。稚日本根子彦は、「開化天皇」として天皇に即位している。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万3千年前 「ロウヒ誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加し、その後に「垂仁天皇の大移動時代」に参加したオーキュロエーは、メソポタミアに入植した。彼らは「ロウヒ」を生んだ。ロウヒの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=ロエヘ=ロウヒとなる。

 


■BC5千年 「レウ誕生」

 

その後、オーキュロエーは、メソポタミアに「レウ」を生んだ。レウの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=ロエー=レウとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC2???年 ジェドエフラー、ファラオに即位

 

「ソドムとゴモラ」を機に、エジプトに移住していたレウからジェドエフラーが生まれ、ファラオに即位した。

 


■BC2???年 カフラー、ファラオに即位

 


■BC2???年 メンカウラー、ファラオに即位

 


■BC2490年 「太陽神ラー誕生」

 

レウは、「太陽神ラー」を生んだ。ラーの名の由来はオーキュロエーである。ラーの名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=オーキュロアー=ロアー=ラーとなる。その後、ファラオは「ラーの息子」の称号を冠した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「黎族誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したレウは、澳門から海南島に移って「黎族」となる。黎(レイ)の名の由来はレウである。レウ=レイ=黎となる。

 


■BC222年 「李氏誕生」

 

秦が中国を統一して南越を掌握すると、黎族は中国に移って「李氏」を称した。李(リー)の名の由来はレウである。レウ=レウー=リーとなる。

 


■AD4世紀 「柔玄(ルークシャン)誕生」

 

柔玄(ルークシャン)の名の由来は李(リー)と亀慈(クチャ)の組み合わせである。柔玄(ルークシャン)に所属していた李淵が「唐」を開いている。

 


■AD457年 レオ1世、ビザンツ皇帝に即位

 

AD4世紀頃、再度、ギリシアに覇を唱えることを考えたチワン族は、今回は黎族を率いてビザンツ帝国治世下のギリシアに向かった。彼らは、「東晋」の治世に海南島を発ち、地中海に進出している。中国人の顔をした黎族、チワン族はイサウリア家に自身の血統を打ち立てた。黎族は、先祖であるレウに因んで「レオ」と命名し、チワン族は神農(シェンノン)に肖って「ゼノン」と命名した。シェンノン=シェノン=ゼノンとなる。レオは「レオ1世」を称してAD457年にビザンツ皇帝に即位し、「ゼノン」はAD474年、レオ1世に続いてビザンツ皇帝に即位した。

 


■AD554年 「李朝誕生」

 

その後、レオ、ゼノンの一族が457年頃にビザンツ帝国の王位を喪失すると、彼らは、ビザンツ帝国を後に東アジアに帰還した。レオの一族はベトナムに上陸して「李氏」を称した。李氏は、AD554年に「前李朝」を開いた。彼らは、ベトナムの李氏や朝鮮半島の李氏(イー)の祖となった。

 


■AD618年 李渕、初代皇帝に即位 「唐誕生」

 

柔玄を生んだ李氏は、アテネ人の後裔である唐氏と連合し、「唐」を建設した。

 


■AD980年 「黎朝誕生」

 

唐が滅ぶと、李氏はベトナムに帰還して黎族を復活させた。黎族はデーン人の「丁朝」を滅ぼした。この時、彼らは「黎朝」をベトナムに開いた。その後、AD1009年に王朝が滅ぶと、ベトナムを離れた李氏は中国に戻っている。

 


■AD1006年 「李朝誕生」

 

ビザンツ帝国から戻ったレオの一族(ベトナムの李氏)は、黎朝(中国の李氏)を退けて、ベトナムに「李朝」を開いた。この時に、黎族(中国の李氏)は中国に帰還した。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD1038年 李継遷、初代王に即位 「西夏誕生」

 

「東アジア王族のリトアニア大移住」に参加した李継遷は、遼朝によって西夏王に封ぜられた。AD1227年、チンギスの侵攻によって西夏が滅びると、李氏はチンギスの征西に同行してヨーロッパに至る。

 


■AD12世紀 パレモナス、リトアニア大公に即位 「パレモナス朝誕生」

 

パレモナスは、唐の王族である李氏の子孫である。パレモナスの名の由来はハオと李モナスの組み合わせである。ハオ(好)+リモナス=ハオリモナス=パレモナスとなる。

 


■AD1225年 「李馬鴻誕生」

 

AD1225年に李朝が滅ぶと、李氏はベトナムを離れて「倭寇」誕生前夜の北九州に移住した。倭寇の李氏からは「李馬鴻」が輩出されている。李馬鴻は、シオコと連合艦隊を組み、フィリピンに進出してスペイン駐屯軍を襲撃した。

 


■AD1358年 「ジャックリーの反乱」

 

西夏の残党は、モンゴル軍の征西に同行してフランスにまで到達した。ジャックリーは、彼らの子孫である。彼は、農民を搾取する邪教カトリック教会(クリュニー会、シトー会、ドミニコ会)を打倒するべく、農民を指揮して蜂起したが鎮圧されてしまう。骨の髄までカトリックに支配されていたフランス農民は、英雄ジャックリーの忠実な手足とはならなかったようだ。

 


■AD1358年 「五十嵐氏誕生」

 

ジャックリーの乱が失敗すると、残党はイギリスに逃れたが、一部が日本に移住した。この時に「五十嵐氏」を形成した。五十嵐の名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリョス=五十嵐となる。

 


■AD1392年 「李氏朝鮮誕生」

 

AD1279年に南宋の趙氏がリトアニアに到達すると、パレモナスの王統を継ぐ李氏は中央アジアに拠点を移した。中央アジア人の顔を得た李氏からは、李成桂が誕生した。中央アジアを出て東アジアへの帰還を実施した李成桂はAD1364年とAD1383年に女真族を討伐した。その後、朝鮮半島に侵入した一行は、AD1392年に「李氏朝鮮」を開いた。漢字を廃してハングル文字を朝鮮半島に導入した李成桂は、ヨーロッパに先駆けて活字印刷も発明した。朝鮮半島の李氏(イー)の名の由来はオーキュロエーである。オーキュロエー=ロエー=エー=イーとなる。

 


■AD1866年 「丙寅洋擾」

 

クリュニー会に率いられたフランス軍が李氏朝鮮に侵攻した。クリュニー会は、フランス人神父殺害を口実に軍艦7隻、兵員1300名を動員して江華島を占領した。しかし、漢城に向かうフランス軍進軍の途上、李氏朝鮮は2度の襲撃を行い、フランス軍を撤退させた。

 


■AD1871年 「辛未洋擾」

 

通商を求めてきたジェネラルシャーマン号を李氏朝鮮が沈没させると、バプティスト率いるアメリカ軍は、これを口実に軍艦5隻を率いて損害賠償を求めてきた。これに奇襲攻撃を加えた李氏朝鮮だが、アメリカ軍はこれを口実に江華島を占領した。しかし、大院君の強硬な開国拒否により、アメリカ軍は撤退した。この、2度の侵略者との戦闘により、首都付近が荒廃すると、その際の写真を持ち出して「朝鮮人は遅れている」と笑う日本人がいるが、恥ずかしいことだ。

 


■AD1875年 「江華島事件」

 

タナトスの一族である朝鮮儒教老論派は、少論派によって李氏朝鮮を追放された。その際、老論派は長州藩に移住し、伊藤博文、山縣有朋を輩出している。この2人が建国した大日本帝国軍が江華島に侵入し、開国を迫った。李氏朝鮮を追放された恨みを忘れない、執念深い老論派による復讐の始まりである。

 


■AD1913年 ヴィヴィアン・リー生誕

 

フランスからイギリスに移住したジャックリーの子孫と考えられる。女優ヴィヴィアン・リーは「風と共に去りぬ」「欲望という名の電車」で知られている。

 


■AD1921年 サタジット・レイ生誕

 


■AD1923年 リー・クアンユー生誕 「シンガポール誕生」

 


■AD1927年 ジャネット・リー生誕

 

フランスからイギリスに移住したジャックリーの子孫と考えられる。女優ジャネット・リーは「サイコ」で知られている。

 


■AD1940年 ブルース・リー(李小龍)生誕

 

真の英雄は、みな獣人の子孫だが、映画で英雄を演じたブルース・リーも、実際にカンフーの達人だったので、間違いなく獣人の子孫だった。

 


■AD1954年 フレッド・オーレン・レイ生誕

 


■AD1955年 李克強生誕

 

AD2013年、第7代国務院総理に就任している。

 


■AD1957年 ジェイク・E・リー生誕

 


■AD1963年 ジェット・リー生誕

 

 

 

◆マウンド派(デウカリオン)の歴史

 


■4万年前 「デウカリオン誕生」

 

テュポンは、アグリオスと連合し、「デウカリオン」を生んだ。デウカリオンの名の由来はテュポンとアグリオスの組み合わせである。テュポン+アグリオス=テユグリオ=テウグリオ=デウカリオンとなる。その後、大地殻変動時代を経てメソポタミアに入植すると、デウカリオンは巨石の種族ティカル人となる。この時、チュクウはピラミッド派になり、アグリオスはマウンド派となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ティカル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したデウカリオンは、オーストラリアからスーサに身を寄せた。その後、デウカリオンは「巨石の種族ティカル人」となる。ティカルの名の由来はデウカリオンである。デウカリオン=テイカリオン=ティカルとなる。

 


■1万千5百年前 「ギョベクリ・テペ」

 

「垂仁天皇の大移動時代」で、モンゴルから来た獣人ギューエースは、デウカリオン族と連合すると、偉大な先祖カオスを祀るため、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。ストーンサークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化の種族」の始まりである。獣人ギューエースは、後にタナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「神々の集団アヌンナキ」

 

大地殻変動を機に、世界各地から神々の血統がメソポタミアに集った。ブリテン島から来たテミス、モンゴルから来た三皇、垂仁天皇、獣人たち、オケアーニスたち、エビス(アプスー)、ヤマト(ティアマト)、エジプトから来たアトゥム、カイン、マハラレル、カイナン、南極から来たエノク、レメク、ヤペテの4者が連合して「神々の集団アヌンナキ」を築いた。また、彼らはヤペテの子として知られる一族を共同で生んだ。

 


■BC7千5百年 「ギョベクリ・テペ」

 

コイオスは、デウカリオン族と連合すると、偉大な先祖カオスを祀るため、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。ストーンサークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化の種族」の始まりである。獣人ギューエースは、後にタナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「チャタル・ヒュユク」

 

チャタル・ヒュユクは、過去にスフィンクスを建造した巨石の種族の萌芽である。ここには、8000人もの人々が住んでいたといわれている。デウカリオンの街として発展したのだろう。この頃、ウソつきの人喰い人種ダーナ神族がヨーロッパからオリエント地域を訪れ、見事な巨石建造物を見て、巨石建造物を建造するためにデウカリオン族をヨーロッパに招待した。だが、ダーナ神族が人喰い人種だと知ると嫌悪を示したデウカリオンは、ダーナ神族を皆殺しにしている。しかし、この時にコイオスが、ダーナ神族と共にオリエントに来ていたシェルデン人の要請を受けた。

 


■BC3200年 「ニューグレンジ製作」

 

ティカル人は2派に分離・独立し、ピラミッド派とマウンド派に分かれた。マウンド派は、シェルデン人、ダーナ神族らタナトスの一族に誘われてヨーロッパに向かった獣人ギューエースと共に、ヨーロッパに移住した。この時、人喰い人種を嫌った彼らは、アイルランドに移って「ニューグレンジ」を製作した。建造目的は、「原初の神カオス」を祀る「聖なる洞窟」の建造である。獣人ギューエースのように、巨石を組み合わせるだけの武骨な印象を与える建造物ではなく、ティカル人は一歩踏み込んだ、デザイン的にも洗練された「聖なる洞窟」の建造を試みた。ここにマウンド派の礎が築かれた。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「ティカル建設」

 

ティカル人はマヤに「ティカル」を建設した。「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は、ピラミッド派となり、「ドルイド教の大航海時代」に参加したティカル人は、マウンド派として活躍することになる。マウンド派は、古代マヤに都市(ティカル)を建設するが、後にピラミッド派に簒奪されている。

 


■BC26世紀 「ワカ・プリエタ製作」

 

マウンド派は、ティカルからペルーに移住すると、チカマ川に「ワカ・プリエタ」と呼ばれるマウンドを製作した。その後も、チャンカイ川に「リオセコ」と呼ばれるマウンドを建造した。

 


■BC2500年 「シルベリー・ヒル製作」

 

ペルーを発ったティカル人は、マヤには戻らず、ブリテン島に至り、巨大なマウンド「シルベリーヒル」を建造している。

 


■BC221年 「始皇帝稜製作」

 

宗教都市エル・ミラドール建設など、マウンド派はピラミッド派の精力的な活動に不満を示し、故地を離れて東アジアに向かうことを決意し、太平洋を横断した。東アジアに到達したマウンド派は、需要と新天地を求めて中国に移住すると、「始皇帝稜」の製作を始皇帝に打診した。始皇帝稜の建設が開始された。始皇帝稜は、基本的にピラミッド型の巨大なマウンドであった。

 


■AD72年 「日本武尊誕生」

 

「始皇帝稜」建設後、中国には需要が無いことを悟ったマウンド派は、次なる新天地として、イェマック王家が統べる満州の地に進出した。一方、マウンド派はイェマック王、景行天皇に接近して自身の血統を打ち立てた。「日本武尊」の誕生である。クマソもヤマトも武(タケル)の名の由来は同じティカルである。ティカル=タカル=タケルとなる。
マウンド擁護派としてイェマックを味方に付けるべく、日本武尊は満州を後にして日本列島に上陸し、ピラミッド黄金時代を標榜する熊襲武尊を討伐するために九州に向けて出陣する。その後、熊襲武尊を倒した日本武尊は、日本全土にマウンドを築く権利をイェマック王家に認められた。「古墳時代」の到来である。マウンド派は、九州南部から吉備国、大和国、武蔵国、東北地方に至るまで、広範な地域に渡って大型から小型のものまで、前方後円墳を多数残した。

 


■AD1世紀 「前方後円墳誕生」

 

長らく前方後円墳と呼ばれているが、これらの建築物は古墳ではなく、地母神ガイアを祀るために建設された子宮型のモニュメントである。ガイアの血を引くマウンド派は、ニューグレンジの頃から女神の子宮を念頭にモニュメントを建設していたが、日本でデザインに変化が現れ、現在知られる前方後円墳のデザインが完成した。
現在、日本では祭りの際には山車を引くことが通例となっているが、これは当時、古墳建設の際に人々が土砂を運搬していた様子が山車を引く形に昇華されたものである。当時、日本武尊(マウンド派)は、九頭龍などのタナトス一族を皆殺しにしていたので、喜んだ民衆は進んで古墳建設に従事した。そのような背景が、この「日本の祭り」を存続させている。

 


■AD1世紀 「古墳時代」

 

身の程知らずの人身御供の種族は、古墳時代、日本武尊の古墳製作に干渉し、「古墳は王の墓であるべきだ」「王の墓を築く時は側近・奴隷を人柱として埋めるべきだ」と主張した。もちろん、日本武尊はこんなたわごとに耳は貸さない。だが、人身御供の種族は隠れて人柱を実施した。目的は、先代王の優れた側近を皆殺しにし、次世代の王の側近を自分の息がかかった者で固めるためである。しかし、これを知った日本武尊は彼らを皆殺しにし、九頭龍の信者たちを納得させるために、代わりに「埴輪」を埋めるようになった。こうして、土蜘蛛を皆殺しにした景行天皇の偉業を引き継いだ日本武尊は、日本各地で古墳製作を指揮しながら、同じく土蜘蛛の邪教詐欺集団、九頭龍の人身御供の種族を皆殺しにするようになった。
鹿野山麓には、九つの頭を持つ大蛇が村人を貪り食っていたという伝説が伝えられている。しかし、伝説によると、日本武尊(マウンド派ティカル人)がこの大蛇を退治している。当時、マウンド派ティカル人は、日本各地に前方後円墳を築いていた。村人は、古墳制作の指揮を執る彼らに大蛇の成敗を要請したのだろう。マウンド派ティカル人が大蛇探索に出かけた3日後、川下で洗濯物をしていた娘が川がだんだん赤く染まっていくのを見た。マウンド派ティカル人は、九頭龍崇拝の人々の拠点を急襲し、皆殺しにしたのだ。

 


■AD4世紀 古墳時代の終焉

 

古墳の需要が激減すると、マウンド派は日本を後にしてマヤに舞い戻った。そこには、日本時代にライバルとして争ったピラミッド派が既に勢力伸張を謀っていた。マヤのピラミッド時代である。

 


■AD4世紀 「イサパ文化誕生」

 

ピラミッド派に敗北したマウンド派は、マヤから太平洋岸に移って、縄文人の影響を受けた「イサパ文化」を生んだ。その後、故地のひとつアイルランドに帰還することを目的に、マウンド派はマヤを後に大西洋岸を北上した。

 


■AD4世紀 「ミシシッピ文化誕生」

 

ミシシッピ流域に侵入して上流に拠点を得たマウンド派は、「カホキア遺跡」を残している。約120基のマウンドが残されているが、中でも「モンクス・マウンド」は、長さ316m、高さ30mを誇る。底面積だけを比べても「ギザのピラミッド」、テオティワカンの「太陽のピラミッド」を凌ぐ巨大な遺物である。この大きさから「ピラミッド派に負けたくない」というマウンド派の心意気と、両者を隔てる亀裂の深さが伝わってくる。

 


■AD800年 「トゥクロール族誕生」

 

ついに、マウンドの製作を断念したティカル人は、ミシシッピ流域を後に、故地のひとつセネガルに帰還して現地人と混合した。トゥクロールの名の由来はティカルとダカールの組み合わせである。ティカル+ダカール=ティカルール=トゥクロールとなる。その後、トゥクロール族は、「テクルール王国」をセネガルの地に建設した。

 


■AD9世紀 「ドゥクリャ人誕生」

 

一方、AD10世紀頃にダカールを離れた一部トゥクロール族はアドリア海に侵入し、「ドゥクリャ人」を称した。ドゥクリャの名の由来はトゥククロールである。トゥクロール=トゥクリャール=ドゥクリャとなる。

 


■AD925年 「アストゥリアス家の大航海時代」

 


■AD925年 「ディゴル人誕生」

 

ディゴルの名の由来はドゥクリャである。ドゥクリャ=ドゥグリャ=ディゴルとなる。AD1285年、テクルール王国がマリ帝国に征服されると、トゥクロール族は兄弟であるドゥクリャ人を頼ってコーカサスに移住し、ディゴル人に合流している。

 


■AD年 「ティグレ人誕生」

 

ヴァカタカ朝が滅ぶと、相棒の縣氏は日本に帰還したが、ピラミッド派である熊襲武尊は故国エジプトに帰還を試みるが、代わりにアビシニアに上陸する。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「ティグレ人」を称した。ティグレの名の由来はティカルである。

 


■AD11世紀 「加治氏誕生」「阿保氏誕生」「大岡氏誕生」「青木氏誕生」

 

「丹治氏」の名の由来は丹氏と多治氏の組み合わせである。あとの4氏族はみなカホキア起源である。カホキア遺跡とは、マウンド派のティカル人がミシシッピに残した巨大マウンドである。インディアンの顔をしたマウンド派ティカル人は、ミシシッピ流域を出て、古墳時代以来遠く離れていた日本に帰還した。彼らは日本人と混合してカホキアを由来に「加治」「青木」「阿保」の名を築いた。カホキア=クワジア=加治、カホキア=アホキア=青木、カホキア=アホキア=阿保となる。また、一部は巨大マウンドに因んで「大岡氏」を称した。以上、「加治氏」「阿保氏」「大岡氏」「青木氏」は、日本武尊の子孫だということになる。こうして見ると、「丹党」はポリネシア人、インディアンで構成されていたことになる。以上、「武蔵七党」は「サイボーグ009」のように、国際色豊かなメンバーで構成されていたことが分かる。

 

 

 

◆カレリア(アグリオス)の歴史

 


■BC1270年頃 「カレリア族誕生」

 

一部ヘールル族はフィンランドに移って「カレリア族」を称し、フィン人(フェニキア人)、スオミ族(サーミ人)と共に北極海ルートの航海に出発する。カレリアの名の由来はカ行がハ行を兼ねる法則である。ヘールル=ケールル=ケーレリア=カレリアとなる。ブリアレオースは、ポルピュリオーンとアグリオスの合体部族だが、カレリア族はアグリオスが主導した。

 


■BC6世紀 「フィン人の大航海時代」

 


■BC6世紀 「コラズム誕生」

 

「フィン人の大航海時代」に参加したカレリア族とスオミ族は、現地を初めて「コラズム」と呼んだ。コラズムの名の由来はカレリアとスオミの組み合わせである。カレリア+スオミ=カレスオミ=コラズムとなる。コラズムは、ハ行がカ行を兼ねる法則により、ホラズム、ホラサンとも呼ばれている。

 


■BC327年 「コラズム族の大移動時代」

 


■BC327年 「ケーララ誕生」

 

「コラズム族の大移動時代」に参加したカレリア族は、単身南インドに移住し、上陸したポイントに「ケーララ」と命名した。ケーララの名の由来はカレリアである。カレリア=ケラリア=ケーララとなる。

 


■AD1102年 「吉良氏誕生」

 

チョーラ人の侵攻を機に、南インドを脱出した東方組ケーララ族は日本に上陸して現地人と混合し、「吉良氏」を称した。吉良の名の由来はケーララである。ケーララ=キーララ=吉良となる。

 


■AD1102年 「コロロ王国誕生」

 

チョーラ人の侵攻を機に、南インドを脱出した西方組ケーララ族は西アフリカに赴いて「コロロ王国」を建てた、コロロの名の由はケーララである。ケーララ=コーララ=コロロとなる。コロロ王国が滅亡すると、コロロ人はヨーロッパに移住した。

 


■AD1560年 「戦国大名の大航海時代」

 


■AD1560年 吉良氏、ルネサンス後期のイタリアに移住

 

「戦国大名の大航海時代」に参加した吉良氏は、キャンディ王国が築かれたスリランカを離れ、インド洋、紅海を経た吉良氏は、地中海に入ってルネサンス後期真っ只中のイタリア半島に上陸した。吉良氏は、現地人と混合して「グエッラ」を称した。その後、イングランド、スコットランドに渡って「ギラ」「ギア(Gere)」などの名を残した。

 


■AD1564年 ガリレオ・ガリレイ生誕

 

ガリレイの名の由来はカレリアである。カレリア=カリレア=ガリレイとなる。

 


■AD1875年 アレイスター・クロウリー生誕

 

クロウリーの名の由来はコロロである。コロロ=コローロ=クロウリーとなる。

 


■AD1920年 トニーノ・グェッラ生誕

 

グェッラの名の由来は吉良である。吉良=キェッラ=グェッラとなる。

 


■AD1949年 リチャード・ギア生誕

 

ギアの名の由来は吉良である。吉良=KIRA=GIRA=GERE=ギアとなる。

 


■AD1954年 マイケル・ギラ生誕 「スワンズ誕生」

 

ギラの名の由来は吉良である。吉良=キラ=ギラとなる。

 

 

 

 

 

 

 


チュクウの歴史(ティケー)

◆クスコ(プシケ)の歴史

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ティケー誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したチュクウは、モンゴルに帰還し、更に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに上陸した。チュクウは「ティケー」を生んだ。ティケーの名の由来はチュクウである。チュクウ=テュクウ=ティケーとる。

 


■AD3世紀 「壱岐誕生」「隠岐誕生」

 

「大和人の大航海時代」に触発されたブギス族は、スラウェシ島から北九州に赴き、現地人と混合して「宇久氏」を形成した。宇久、結城、壱岐、隠岐などの名の由来はみなブギスである。

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「プシケ誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」が到来し、ヘラクレスがアマゾーン王国と戦争を始めると、エバシは、オーストラリア北西部に移住した。この時に「プシケ」が生まれた。プシケの名の由来はバブサとテュケーの組み合わせである。バブサ+テュケー=ブスケ=プシケとなる。

 


■7万年前 「ピサ王国誕生」

 

当時、オーストラリア大陸南東部にはタルタロスの一族が君臨し、西部には河川の娘たちのオイノマオスが王として君臨していた。プシケーは、まずタルタロスに赴いて体勢を整え、オイノマオスの国に侵入した。彼らはオイノマオスに勝利し、別の王族ヒッポダメイアと連合した。この時に「ピサ王国」が誕生した。ピサの名の由来はバブサである。バブサ=ブサ=ピサとなる。こうして、河川の娘たちに勝利したバブサ族は、タルタロスの国と並ぶピサ王国を建設してオーストラリア大陸に君臨した。

 


■4万年前 「オリンポス神族の大航海時代」

 


■4万年前 「ペロプス誕生」

 

「オリンポス神族の大航海時代」が到来すると、メラネシア海域に根を張っていたアンボン族(アンピロー)はマレー地域に住んでいたカロ族(カリュプソー)と連合体を組んだ。この時にペロプスが生まれた。ペロプスの名の由来はアンピローとカリュプソーの組み合わせである。アンピロー+カリュプソー=ピロプソー=ペロプスとなる。ペロプスは、アトランティス王国の王族となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「原初の水アプスー誕生」

 

アトランティス王国が吹き飛び、大地殻変動でオーストラリア海岸部が荒廃に帰すと、「デウカリオンの大航海時代」に参加したピサ人はスーサに上陸し、コーカサス地方に入植した。彼らは「原初の水アプスー」を称した。アプスーの名の由来はエバシである。エバシ=エバシー=アプスーとなる。アプスーはモンゴルから来たティアマトと同盟を組み、メソポタミアから少々離れることで「神々の集団アヌンナキ」の種族とは距離を置いた。

 


■BC11世紀 「太陽神ヴィシュヌ誕生」

 

魔神アスラ、ヤクシャ、ラクシャサなどのタナトス勢力が勢力を増すと、アプスーは雷神インドラ(マイアンドロス)と組んで「太陽神ヴィシュヌ」を祀った。ヴィシュヌの名の由来はアプスーとウェネの組み合わせである。アプスー+ウェネ=プスウェネ=ヴィシュヌとなる。

 


■BC1026年 「ピサ建設」

 

「マハーバーラタ戦争」によって故地が荒廃すると、アプスーはインダス流域を離れてギリシアに移住した。彼らはペロポネソス半島に改めて「ピサ」を築いた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■AD327年 「ボスニア誕生」

 

アレキサンダー大王のパンジャブ征服を機に、「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したヴィシュヌは、インドを離れてアドリア海に移っている。彼らは、「ボスニア」の地を得た。ボスニアの名の由来はヴィシュヌである。ヴィシュヌ=ヴィシュニア=ボスニアとなる。

 


■BC327年 「ヴァスコン誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したヴィシュヌは、次にアドリア海らイベリア半島北部に上陸した。ヴィシュヌは、「ヴァスコン人」を称した。ヴァスコンの名の由来はプシケとガンダーラの組み合わせである。プシケ+ガンダーラ=プシガン=パシガン=ヴァスコンとなる。

 


■BC327年 「ガスコン誕生」

 

ヴィシュヌは、「ヴァスコン人」を称したが、同盟者であるティケーは、差別化のために独自に「ガスコン人」を称した。ガスコンの名の由来はハ行がカ行を兼ねる法則によっている。ヴァスコン=グァスコン=ガスコンとなる。

 


■BC327年 「クスコ誕生」「ビスコ川誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したガスコン人は、ペルーに入植し、「クスコ人」を生んだ。クスコの名の由来はガスコンである。ガスコン=グスコン=クスコとなる。また、拠点の川には「ビスコ」と命名した。ビスコの名の由来はヴァスコンである。ヴァスコン=ヴァスコ=ビスコとなる。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD8世紀 「上野国誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したクスコ人は、単独で上野国に移住した。グアム島から日本に上陸したイギリス人ジョーンズが「上野国(うえの)」を築いたが、クスコ人が到来すると、上野(うえの)は、クスコ、或いはガスコンに因んで上野(こうずけ)と呼ばれた。クスコ=クーズコ=上野(こうずけ)となる。

 


■AD8世紀 「山伏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したクスコ人は、上野国で役小角の仲間と出会い、「山伏」を結成する。山伏の名の由来は山のプシケーである。山+プシケー=山プシ=山伏となる。修験道は、主に山伏が継承し、修験道を生んだ天狗とは生活圏を異にしていた。

 


■AD1087年 藤原清衡生誕 「奥州藤原氏誕生」

 

山伏は、藤原秀郷の子孫を称して藤原経清を生んだ。その後、藤原経清は陸奥豪族、安倍頼時の娘と結婚して「奥州藤原氏」の祖、藤原清衡を生んだ。藤原の名の由来はカシュガルであるが、奥州藤原氏の場合、山伏の土地(原)である。山伏+原=ぶし原=藤原となる。

 


■AD1189年 「奥州藤原氏の大航海時代」

 


■AD1260年 「クスコ王国誕生」

 

奥州藤原氏は、故地ペルーに帰還し「クスコ人」を復活させた。クスコ人は、ケチュア族と連合し「クスコ王国」を建設した。

 


■AD1369年 ヤン・フス生誕 「フス派誕生」

 

AD1350年、インカ人、ケチュア族の連合体がインカ帝国を築くと、クスコ人はペルーを去った。クスコ人は、大西洋を渡り、チェコに入植した。この時に「ヤン・フス」が生まれた。フスの名の由来は山伏である。山伏=ふし=フスとなる。

 


■AD13??年 「カザフ族誕生」

 

AD1350年、インカ人、ケチュア族の連合体がインカ帝国を築くと、クスコ人はペルーを去った。クスコ人は中央アジアに、奥州藤原氏は大西洋を超えてジンバブエに移住した。中央アジアに拠点を得たクスコ人は、「カザフ」を称した。カザフの名の由来はクスコである(ハ行がカ行を兼ねる法則)。クスコ=クスホ=カザフとなる。

 


■AD1469年 ケレイ・ハン、初代君主に即位 「カザフ・ハン国誕生」

 


■AD1572年 「允氏誕生」「具志堅氏誕生」

 

インカ帝国が滅ぶと、クスコ人はペルーから沖縄島に帰還した。クスコ人は、インカ帝国の威光を借り、当初、「允氏(いん)」を称していた。しかし、AD1638年、允顕徳が真和志間切り具志堅の島を賜って具志堅用易を称し、「具志堅」の名を生んだ。具志堅の名の由来はガスコンである。ガスコン=グスコン=具志堅となる。グスクなどの言葉もガスコン、或いはクスコが由来である。

 


■AD19年 エリア・カザン生誕

 


■AD1942年 ムアンマル・アル=カザッフィー生誕

 

リビアに移住したカザフ族は、「リビア・アラブ共和国」を築いたムアンマル・アル=カザッフィーを輩出した。優れた指導者であるため、タナトスに凶悪な人物扱いをされ、挙句にできそこないの革命が起きた。そのため、彼は、優れた指導者に似つかわしくない死を遂げた。

 


■AD1955年 具志堅用高生誕

 

世界王座防衛13度は日本人男子世界王者の最多記録

 

 

 

◆マゴグ(カイコス)の歴史

 


■30万年前 「カイコス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したギューゲースは、オーストラリアで「カイコス」を生んだ。カイコスの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=キユケス=カイコスとなる。その後、カイコスは河川の娘たちに参加した。

 


■3万年前 「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」

 


■3万年前 「レメク誕生」

 

「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」に参加したクリュメネーは、ペルーに移住してカイコスと連合した。この時に「レメク」が生まれた。レメクの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=リュメカー=レメクとなる。このコンビは、他にもマゴグ、マゴ、マゴス、マゴイを生んでいる。レメクは、ペルーの拠点に「リマック」と命名した。リマックとは、ペルーの首都リマの古名である。

 


■3万年前 「レメクの大移動時代」

 


■3万年前 「ムー帝国(ローマ王国)誕生」

 

「レメクの大移動時代」を企画したレメクは、南極大陸に移住した。アトランティス人から南極大陸のことを耳にしていたレメクは、エラド、マハラエル、トバルカイン、エノス、メトセラを率いてペルーから南極大陸に移った。しかし、異を唱えたエノクは一部エラド、マハラエル、トバルカインを率いて東アジアを目指すことになる。南極に移り住んだレメクは、アトランティス人が築いた土地を継承し、モホス、ペルーで得た文明を南極で開花させた。
この時の栄光の時代が、ムー大陸、アトランティス大陸の伝説として現在に伝えられている。「ラ・ムー」などの名はレメクが由来と考えられる。つまり、レメクの血統が王族として南極に君臨した。アトランティス人が残した跡地に築かれた南極文明、南極の王国は「ムー帝国」或いは「ローマ王国」と呼ばれた。いずれも名の由来はレメクである。

 


■3万年前 「エノクの大航海時代」

 


■3万年前 「マカタオ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加した一部のレメクは、エノクたちと共に台湾に入植した。この時に「マカタオ族」が生まれた。マカタオの名の由来はレメクとヴィディエの組み合わせである。レメク+ヴィディエ=メクディエ=マカタオとなる。

 


■1万年3千年前 「エノクの大航海時代」

 


■1万年3千年前 「澳門誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加して南極大陸を後にしたレメクは、沖縄に向かったエノクと共に広東に入植した。彼らは拠点を「澳門(マカオ)」と命名した。マカオの名の由来はレメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエ=マカオとなる。澳門のレメクは、台湾に赴いて祖を同じくするマカタオ族を迎え入れた。

 


■1万年3千年前 「メコン誕生」

 

澳門のレメクとエノクは、インドシナ半島にも上陸した。両者は、大河のひとつに「メコン」と命名している。メコンの名の由来はレメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=メコンとなる。

 


■1万年3千年前 「マガン王国(ミケーネ文明)誕生」

 

エノクと別れたレメクは、メコン河を離れてアラビア半島にまで足を伸ばし、伝説の「マガン王国」を建設している。マゴンの名の由来はメコンである。メコン=メゴン=マゴンとなる。マゴンとは「ミケーネ」のことでもあるが、ミケーネ文明は、ギリシアではなくアラビア半島に存在したのだ。ミケーネの名の由来もマガンと同じく、レメクとエノクの組み合わせである。レメク+エノク=メクエノ=ミケーネとなる。

 


■7千2百年前 「マゴグ誕生」

 

一方、アラビア半島から来たマガン人は神々の集団アヌンナキと組み、ヤペテの子として知られる「マゴグ」を生んだ。マゴグの名の由来はクリュメネーとカイコスの組み合わせである。クリュメネー+カイコス=メカイコ=メガイゴ=マゴグとなる。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「加賀氏誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したマゴグは、出雲国の現地人と混合して「加賀氏」を称した。加賀の名の由来はマゴグである。マゴグ=マガガ=加賀となる。能登族が出雲国を訪れた際、能登に興味を持った加賀氏は、能登方面に入植して「加賀国」を築いている。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC4世紀 「ククルカン誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加した加賀氏は、オロク族、一部タタール人、河伯と共にマヤに入植した。日本人の顔をした加賀氏は、オロク族と組んで「ククルカン」を祀った。ククルカンの名の由来は、加賀とウリゲン(オロク)の組み合わせである。加賀+ウリゲン=カガリゲン=ククルカンとなる。

 


■BC1世紀 「ケツァルコアトルの大航海時代」

 


■BC1世紀 「高句麗誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したククルカンは、ケツァルコアトルと共に太平洋を横断し、満州から朝鮮半島に赴いた。ククルカンは、ゼウスの末裔である朱蒙(朱氏)と組んで「高句麗(ゴグリョ)」を建てた。ゴグリョ(高句麗)の名の由来はククルカンである。ククルカン=ゴグリョカン=ゴグリョとなる。古代朝鮮の王朝、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。そういえば、韓国俳優にはメキシコ人に似た顔の人もいる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「モホーク族誕生」「モヒカン族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した加賀氏は、北アメリカに「モホーク族」を残した。モホークの名の由来はマゴグである。マゴグ=マホグ=モホークとなる。モホークからはモヒカン族が派生する。モヒカンの名の由来はモホークである。

 


■AD3世紀 「クリーク族誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した高句麗(ククルカン)は、アメリカに「クリーク族」を残した。クリークの名の由来はククルカンである。ククルカン=ククルーカン=クルーカ=クリークとなる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「九十九里誕生」「菊理媛神誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加したククルカンは単独で行動し、中国から日本に向かった。彼らは房総半島に上陸すると、上陸した海岸に「九十九里」と命名した。九十九里の名の由来はククルカンである。房総半島から故地である加賀国に向かったククルカン神族は「菊理媛神(くくりひめ)」を祀り、「白山比咩大神」の信仰を形成した。

 


■AD651年 「舜氏誕生」「閤氏誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加した段部は、故地であるモンゴルに帰還したかったが、契丹が君臨していたため、代わりに加賀国に立ち寄ってククルカンを誘い、雲南に移住した。段部(ドゥアン)は「舜氏(トゥアン)」を称し、ククルカン神族は「閤氏(カク)」を称した。閤氏はAD748年に南詔王に即位し、舜氏はAD897年に南詔王に即位している。

 


■AD651年 「パガン族誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加したモヒカン族は、ククルカンと共に一旦満州に上陸し、その後に南方に向かった。ククルカンは加賀国に帰還するが、モヒカン族はミャンマーに足を伸ばしている。彼らは「パガン族」を称した。パガンの名の由来はモヒカンである。モヒカン=モピカン=ピカン=パガンとなる。

 


■AD668年 「ブルガリア人誕生」「コーブルク誕生」

 

高句麗が滅亡するとククルカンは、柔然の創始者である長孫氏(ツァンスン)、日本から来た黒木氏(キルギス人)を率いて西方に向かった。彼らが中央アジアに到達して初めて当地は「コーカサス」と呼ばれた。コーカサスの名の由来はククルカンとツァンスンの組み合わせである。ククルカン+ツァンスン=ククツァンス=クークツァス=コーカサスとなる。
また、ククルカンはフリギア人と組んで「ブルガリア人」と「コーブルク」の2つの連合体を結成した。ブルガリアの名の由来はフリギアとゴグリョの組合わせであり、コーブルクの名の由来もゴグリョとフリギアの組み合わせである。フリギア+ゴグリョ=フリグリョ=ブルガリアとなり、ゴグリョ+フリギア=ゴーフリギ=コーブルクとなる。

 


■AD668年 「大蔵氏誕生」「大倉氏誕生」「小倉氏誕生」

 

高句麗が滅亡するとククルカンは、東漢氏と共に、朝鮮半島から日本に渡った。ククルカンは、日本人と混合して「大蔵氏」の祖、大蔵広隅を誕生させた。大蔵の名の由来はゴグリョである。ゴグリョ=オグリョ=オーグリョ=大蔵となる。その後、大蔵氏から「大倉氏」「小倉氏」が派生したと考えられる。

 


■AD906年 「曲氏誕生」「大理国誕生」

 

閤氏は、AD779年に失脚すると、雲南を出て単身ベトナムに向かった。閤氏は、ベトナムでは「曲氏(クック)」を称した。ククルカンが由来である。AD906年、曲承裕がベトナム帝王に即位している。曲氏の王統は、数十年間ベトナムに君臨した。舜氏の統治の後、ここで、段部は本家「段」の名を復活させた。段思平は南詔国を倒し、タイ族、ユワン族、ラーオ族、張氏、シャーナ族を改めて支配下に置いた。その後、段部は、タイ族、ラーオ族と組んで「大理国(ダーリ)」を立てた。

 


■AD1000年 「カーカティヤ朝誕生」

 

曲氏の王統は、数十年間ベトナムに君臨した。その後、彼らはベトナムからインドに移住し「カーカティヤ朝」を開いた。カーカティヤの名の由来は加賀と。

 


■AD1044年 「パガン朝誕生」

 


■AD1168年 「菊池氏誕生」「六角氏誕生」「甲賀誕生」

 

ロスチスラフ1世とキエフ大公の座を巡って争ったイジャスラフ3世は敗北したのを機に、東西に新天地を求めて旅立った。西方組はロシアからスコットランドに移って「ロージア王国」を築いた。東方組はロシアから遠く日本にまで旅立った。その途上で、彼らはインドに立ち寄り、AD12世紀に滅びたカーカティヤ朝の人々を船団に迎えた。まず、一行は九州に上陸した。インド人の顔をしたカーカティヤの人々は、藤原政則に接近して自身の血統を打ち立てている。この時に生まれたのが「菊池氏」の祖、菊池則隆である。菊池の名の由来はカーカティヤである。カーカティヤ=カーカティ=菊池となる。
また、リューリク家とカーカティヤの一部は九州から近江国に至り、共同で「六角氏」を形成した。六角の名の由来はリューリクとカーカティヤの組み合わせである。リューリク+カーカティヤ=リク(六)+カーカ(角)=六角となる。近江国を治めていた六角氏は、「甲賀衆」を掌握し、伊賀にも「六角派」を置いて北畠氏、仁木氏と共に伊賀国を3分割して「伊賀衆」を支配下に置いていた。甲賀の名の由来はカーカティヤである。カーカティヤ=カーカ=甲賀となる。AD1487年、甲賀忍者は、六角高頼征伐のために、足利氏が幕府軍を派遣した「鈎の陣」で、特異な存在感をアピールした。

 


■AD1314年 「ベーコン誕生」「ペキンパー誕生」

 

王国の滅亡を機に、パガン族は故地帰還を目指して船出を開始した。一旦、モヒカン族の故地アメリカに帰ったものの、パガン族はそこから更に先へ進み、ブリテン島に上陸した。ミャンマー人の顔をしたパガン族は、イギリス人と混合して「ベーコン」「ペキンパー」などの名前を生んだ。
ベーコンの名の由来はパガン、ペキンパーの名の由来はパガンとピューの組み合わせである。パガン=パーガン=ベーコンとなり、パガン+ピュー=パガンピュー=ペキンパーとなる。この系統からはシュルレアリスムの画家フランシス・ベーコン、映画作家サム・ペキンパーが輩出されている。ハードボイルドな作風で知られるサム・ペキンパーはこのような言葉を残している。「真実とはバレないウソだ」。

 


■AD1836年 「クリーク戦争」

 

AD1813年、アッパー・クリークの宗教指導者たちは合衆国の文明化プログラムに抵抗し、「レッドスティック戦争」を引き起こした。AD1825年には、デーン人がクリーク族に「インディアン・スプリングス条約」を突きつけて締結させ、サギ同然にジョージアなど多くの土地を割譲した。AD1843年には、土地の投機者と不法侵入者に土地を騙し取られ、「1836年のクリーク戦争」を引き起こしている。

 


■AD1909年 フランシス・ベーコン生誕

 


■AD1925年 サム・ペキンパー生誕

 


■AD1928年 スタンリー・キューブリック生誕

 

高句麗とフリギア人の合体部族コーブルクは、神聖ローマ帝国治世下のドイツに移住し、一部はイギリスに移住した。この系統からは「2001年宇宙の旅」「アイズ・ワイド・シャット」で知られる映画監督スタンリー・キューブリックが輩出された。キューブリックの名の由来はコーブルクである。コーブルク=コーブルック=キューブリックとなる。

 

 

 

◆ガンダーラ(カイコス)の歴史

 


■BC7世紀 「クシュ人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「ガンダーラ王国誕生」

 

「クシュ人の大航海時代」に参加したマガン人とタルタロス(ナフタリ族)は、インダス流域に移住した。この時に「ガンダーラ王国」が生まれた。

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「キンダ族誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、アラビア半島に上陸した。彼らは、アラビア人と混合して「キンダ族」を称した。キンダの名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=ギンダーラ=キンダとなる。その後、キンダ族はヨルダンに移った。

 


■BC327年 「キンダ人の大航海時代」

 


■BC327年 「ブリギンテ族誕生」

 

「キンダ人の大航海時代」に参加したキンダ族は、イベリア半島に上陸すると、「ブリギンテ」の名前を得た。ブリギンテの名の由来はイベリアのキンダである。イベリア+キンダ=ベリアキンダ=ブリギンテとなる。

 


■BC327年 ブリギンテ族、ブリテン島に入植

 


■BC327年 「キンブリ人(前身)誕生」「カンブリア誕生」

 

ブリギンテ族は、ブリテン島北部を拠点にし、カイコスのブリギンテ族はスコットランドに入植し、「カンブリア」を築いた。この時に「キンブリ人」が生まれた。カンブリア、キンブリの名の由来はブリギンテと同じくイベリアのキンダである。キンダ+イベリア=キンベリア=カンブリア=キンブリとなる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人の大航海時代」

 


■BC3世紀 「キンブリ人誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したキンブリ人は、ユトランド半島に入植し、「キンブリ人」を称した。彼らは、「ヒッタイト人の大航海時代」の同盟者テウトニ人と連合し、女神ダヌの信者として管理・支配されていた。

 


■BC3世紀 「カンタブリア誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加しなかったキンブリ人は、単身イベリア半島に帰還し、「カンタブリア」を築いた。カンタブリアの名の由来はブリギンテの反対である。ブリギンテ(イベリア+キンダ)=カンタブリア(キンダ+イベリア)となる。

 


■BC3世紀 「シンハラ人誕生」

 

イベリア半島に帰還したキンブリ人は、更に東方に向かい、ランカー島に上陸している。この時に「シンハラ人」が誕生した。シンハラの名の由来はキンブリである。キンブリ=シンフリ=シンハラとなる。

 


■BC133年 「ケント人誕生」「カンタベリー誕生」

 

ローマ共和国がイベリア半島を領有すると、それを機に、カンタブリア人はブリテン島に帰還した。この時に「ケント人」が生まれ、「カンタベリー」が築かれた。ケント、カンタベリーの名の由来はカンタブリアである。カンタブリア=カンタベリー=ケントベリー=ケントとなる。

 


■BC101年 「ヴェルケレの戦い」

 

女神ダヌに指揮されたキンブリ人とテウトニ族の連合体は、BC113年にローマに侵入し、健闘するが、撃退されてしまう。その後、BC102年の「アクェセクスチェの戦い」でテウトニ族はローマ軍の前に粉砕され、BC101年の「ヴェルケレの戦い」ではキンブリ人が大いに敗れた。

 


■BC69年 「カーンヴァ朝誕生」

 

キンブリ人・テウトニ族は、BC73年の「スパルタクスの大乱(第3次奴隷戦争)」にも参加したが、バタヴィア族のローマ蜂起が失敗すると、3者は連合して地中海を脱出した。そして、インドに上陸した3者は、マガダ王国を訪問し、シュンガ朝に仕えた。その後、キンブリ人の主導でシュンガ朝の王位を簒奪した一行は「カーンヴァ朝」を開いている。カーンヴァの名の由来はカンブリアである。カンブリア=カンバリア=カーンヴァとなる。

 


■BC23年 「乞伏部誕生」

 

バタヴィア族と共にモンゴルに移住したキンブリ人は「乞伏部(キフ)」を結成した。乞伏(キフ)の名の由来はキンブリであり、禿髪(トゥファ)の名の由来はバタヴィアである。キンブリ=キンフリ=キフとなる。乞伏部は、後に「鮮卑」に加わっている。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「ギブ誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した乞伏部は、ブリテン島に上陸すると現地人と混合して「ギブ(GIBB)」の名を生んだ。ギブの名の由来はキフ(乞伏)である。この系統からは「ビージーズ」のアンディ・ギブなどが輩出されている。

 


■AD5世紀 「ケント王国誕生」

 


■AD8世紀 「カンディアーノ家(前身)誕生」

 

「マーシア王国」に服属したことを機に、ケント人はアングル人と連合して「カンディアーノ」を称した。カンディアーノの名の由来はケントとアングルの組み合わせである。ケント+アングル=ケントアン=ケントアヌ=カンディアーノとなる。
カンディアーノ家はヴェネツイア共和国に渡り、AD887年にピエトロ・カンディアーノ1世がヴェネツイア第16代ドージェに就任している。しかし、AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世が市民の蜂起を招いて殺害されている。カンディアーノ家はこれを機に、マヤとインドに移住した。

 


■AD8世紀 「ガンダ誕生」「ンコロ誕生」

 

「マーシア王国」に服属したことを機に、ザイール流域に根付いたケント人は「ガンダ族」を称し、アングル人は「ンコロ族」を称した。両者は、ザイール流域を遡って大湖水地方に移って、伝説の「ニョロ帝国」の傘下に入った。また、その後に大湖水地方から帰還したンコロ族は、アフリカ西海岸に「アンゴラ」を継承した。

 


■AD887年 ピエトロ・カンディアーノ1世、ヴェネツイア第16代ドージェに就任

 

カンディアーノ家はヴェネツイア共和国に渡り、AD887年にピエトロ・カンディアーノ1世がヴェネツイア第16代ドージェに就任している。しかし、AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世が市民の蜂起を招いて殺害されている。カンディアーノ家はこれを機に、マヤとインドに移住した。

 


■AD976年 ピエトロ・カンディアーノ4世、ヴェネツイア第22代ドージェに就任

 

AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世が市民の蜂起を招いて殺害されている。市民に意志はない。実際には、タナトスの宗教が陰謀によってカンディアーノを陥れている。カンディアーノ家はこれを機に、マヤとインドに移住した。

 


■AD976年 「フナク誕生」

 

AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世の殺害を機に、カンディアーノ家は2手に分離してマヤに移住した。マヤに至った人々は「フナク」を称した。フナクの名の由来はヴェネツィアである。ヴェネツィア=ヘネキア=フナクとなる。マヤの将軍フナク・セエルは、チチェン・イツァーの支配者を倒したと伝えられている。

 


■AD976年 「ゴンドワナ誕生」

 

AD976年には封建領主と化した第22代ドージェ、ピエトロ・カンディアーノ4世の殺害を機に、カンディアーノ家は2手に分離してインドに移住した。インドに上陸した人々は「ゴンドワナ」を称した。ゴンドワナの名の由来はカンディアーノである。カンディアーノ=ガンディアナ=ゴンドワナとなる。

 


■AD1016年 「キプチャク族誕生」

 

ウェセックスは、クヌート大王率いるデンマーク軍に敗北し、イングランドを脱出した。彼らはイギリス人ギブ(乞伏部)を連れて、中央アジアに帰還し、「キプチャク族」を生んだ。キプチャクの名の由来は乞伏(キフ)+諸葛(ジューガー)である。キフ+ジューガー=キフジュガ=キプチャクとなる。

 


■AD1236年 「キンボール誕生」「キャンベル誕生」

 

AD1236年、モンゴル軍の総司令官バトゥの大遠征軍の前にキプチャク族は滅んでしまう。これを機に、キプチャク族は再度、故地であるイングランドへの帰還を試みた。キンブリ人の子孫である乞伏部は、キンブリを由来に「キンボール」「キャンベル」のなを生んだ。キンブリ=キンブーリ=キンボールとなり、キンブリ=キャンブリ=キャンベルとなる。

 


■AD1519年 「コンティ家誕生」

 

スペイン人がマヤ・アステカに侵攻すると、フナク家は地中海に帰還した。彼らは「コンティ家」を称した。コンティの名の由来はカンディアーノである。カンディアーノ=コンディアーノ=コンティとなる。コンティ家は「黒い貴族」と呼ばれた。

 


■AD1564年 「近藤氏誕生」

 

AD1564年、アクバルによって「ゴンドワナ王国」は滅亡している。この時に、日本に移住したゴンドワナ人は、「近藤氏」を生んだ。近藤の名の由来はゴンドワナである。ゴンドワナ=ゴンドワ=近藤となる。

 


■AD1724年 イマヌエル・カント生誕

 

AD1564年、アクバルによって「ゴンドワナ王国」は滅亡している。この時に、ヨーロッパに移住した人々は「カント」を称した。

 


■AD19世紀 ガンダ族、ニョロ帝国に侵攻

 

AD19世紀、イギリス人の血が流れるガンダ族(ケント人)は、大湖水地方に進出してきた大英帝国と結び、伝説の「ニョロ帝国」に進撃した。

 


■AD1834年 近藤勇生誕 「新撰組誕生」

 


■AD1942年 ビル・コンティ生誕

 


■AD1946年 バリー・ギブ生誕 「ビージーズ誕生」

 


■AD1947年 パトリス・ルコント生誕

 


■AD1947年 ボビー・キンボール生誕 「TOTO誕生」

 


■AD1948年 近藤誠生誕

 


■AD1958年 ブルース・キャンベル生誕

 

幼馴染であるサム・ライミ監督のホラー映画「死霊のはらわた」で知られている。

 


■AD1959年 リッチー・サンボラ生誕 「ボン・ジョヴィ誕生」

 


■AD1964年 ジュゼッペ・コンテ生誕

 

AD2018年、第65代首相に就任している。

 

 

 

 

◆関氏(カイコス)の歴史

 


■BC327年 「ガンダーラ人の大航海時代」

 


■BC327年 「関氏(グァン)誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、中国に上陸した。彼らは、中国人と混合して「関氏(グァン)」を称した。関(グァン)の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=グアンダーラ=関(グアン)となる。関氏からは、三国時代に活躍した「関羽」が輩出されている。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD471年 「カーン王朝誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した乞伏部は、マヤに入植すると「カーン王朝」を開いた。

 


■AD471年 「コーンウォール誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した乞伏部は、マヤを経てブリテン島に移住すると拠点を「コーンウォール」と命名した。コーンウォールの名の由来はキンブリである。キンブリ=キーンヴォーリ=コーンウォールとなる。

 


■AD651年 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD651年 「源氏(前身)誕生」

 

AD651年、バーニシア王国がディアラ王位を簒奪すると、ディアラ王家は「ヨハネスの大航海時代」に参加した。イギリス人の顔をしたディアラ王家は、多治比氏・安倍氏、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた上で、天皇家に接近した。
AD823年、大原真室女が嵯峨天皇に接近して嵯峨源氏の祖「源融」を生み、藤原時平女が敦実親王に接近して宇多源氏の祖「源雅信」を生み、源俊女が源満仲に接近して摂津源氏の祖「源頼光」を生み、源能有女が貞純親王に接近して清和源氏の祖「源経基」を生んでいる。源氏と平氏の名の由来はガンダーラを2つに分割したものであるが、ガンダーラのガンに「源(げん)」を当て字し、訓読みで「みなもと氏」と読まれた。

 


■AD1534年 トマス・クロムウェル、宗教改革を指揮 「聖公会誕生」

 

トマス・クロムウェルはカトリックの影響下から脱するために「聖公会」を生んだ。クロムウェルの名の由来はコーンウォールである。コーンウォール=クロンウェル=クロムウェルとなる。

 


■AD1560年 「キャンディ王国誕生」

 

安芸氏、小早川氏、越智氏、尼子氏、今川氏、吉川氏、浅井氏、吉良氏、武田氏など、織田信長に敗れた人々が日本を脱出してスリランカに移住する。彼らは連合体を形成してキャンディ王家を作った。キャンディの名の由来は「源氏」である。ゲンジ=ギェンチィ=キャンディとなる。その後、吉良氏、武田氏、一部安芸氏は独自の行動を取ってスリランカを離れた。

 


■AD1560年 「神田氏誕生」

 

「ガンダーラ人の大航海時代」に参加したガンダーラ人は、日本に上陸した。彼らは、日本人と混合して「神田」を称した。神田の名の由来はガンダーラである。ガンダーラ=カンダーラ=神田となる。

 


■AD1560年 「ガンディー誕生」

 

一部キャンディ王家はスリランカを出てグジャラートを経て西アフリカに辿り着いた。グジャラートにはキャンディ、或いは源氏を由来に「ガンディー」の名が残されている。キャンディ王国の系統からは、インド独立の父マハトマ・ガンディーが輩出されている.

 


■AD1560年 「アシャンティ帝国誕生」

 

西アフリカでは安芸氏、小早川氏、越智氏、尼子氏、今川氏、吉川氏、浅井氏が「オツムフォ・ナナ」なる連合体を結成した。オツムフォ・ナナの名の由来は日本語「頭は7」である。更に、アカン人(ガンダーラ人の子孫)と連合した彼らは「アシャンティ」を称した。アシャンティの名の由来はアカンとキャンディの組み合わせである。アカン+キャンディ=アキャンディ=アシャンティとなる。アシャンティの歴代の王はアカン人とオツムフォ・ナナが交替で勤めた。

 


■AD1649年 オリバー・クロムウェル、共和制を採用 「共和制イングランド誕生」

 

オリバー・クロムウェルは、トマス・クロムウェルが推進した脱カトリックを支持していた。しかし、クリュニー会に聖公会が簒奪されると、次に共和制を採用してカトリックの影響力から脱しようと考えた。

 


■AD1658年 「コンバウン(前身)誕生」

 

タナトスの反撃にあうとオリバー・クロムウェルは、死んだと見せかけて一族を率いてイギリスを脱出し、カリブ海に及んだ。クロムウェルは逃亡奴隷マルーンに出会うと、その反骨気質に惚れ込み、連合して太平洋を横断した。彼らは「コンバウン」を称した。コンバウンの名の由来はクロムウェルの祖キンブリとフォン(マルーンはフォン人が多い)の組み合わせである。キンブリ+フォン=キンフォウン=コンバウンとなる。

 


■AD1752年 「コンバウン朝誕生」

 

アジアに達すると、コンバウンの連合体はミャンマーに上陸した。彼らは、しばらくモン族の世話になり、その後に、ペグー(朴氏)のモン族(文氏)と共に「タウングー朝」に攻め込み、首都を陥落させた。AD1752年、クロムウェルとマルーンの異色の連合による「コンバウン朝」がミャンマーに開かれた。
その後、コンバウン朝は、AD1757年にモン王国の首都ペグーを占領し、AD1766年に「アユタヤ朝」を滅ぼしている。その後、クロムウェルは皮肉にも同郷の人々、大英帝国と相まみえることとなる。AD1824年、「第1次英緬戦争」が起こり、「第3次英緬戦争」を経て、AD1886年に大英帝国がミャンマーを英領インドに併合したため、コンバウン朝は滅亡した。

 


■AD1869年 マハトマ・ガンディー生誕

 


■AD1908年 サルバドール・アジェンデ生誕

 

第29代チリ大統領

 


■AD1940年 ダリオ・アルジェント生誕

 

アルジェントの名の由来はアシャンティである。アシャンティ=アーシャンテ=アルジェントとなる。AD1824年~1863年に大英帝国との衝突が起きると、一部のアシャンティ人はイタリアに逃亡した。この時に「アルジェント」の名が生まれた。

 


■AD1971年 ジュリアン・アサンジ生誕 「ウィキリークス誕生」

 


■AD1975年 アーシア・アルジェント生誕

 

 

 

◆フス派(プシケ)の歴史

 


■AD1369年 ヤン・フス生誕 「フス派誕生」

 

AD1350年、インカ人、ケチュア族の連合体がインカ帝国を築くと、クスコ人はペルーを去った。クスコ人は、大西洋を渡り、チェコに入植した。この時に「ヤン・フス」が生まれた。ヤン・フスの名の由来は山伏である。山伏=やんぶし=ヤン・フスとなる。

 


■AD1374年 ヤン・ジシュカ生誕 「ターボル派誕生」

 

AD1347年、黒死病がヨーロッパを席巻するが、バスク人は、背後にカトリック(クリュニー会)がいることを突き止めた。バスク人は、黒死病を逃れるために一時、イベリア半島からチェコに避難した。この時に「ヤン・ジシュカ」が生まれた。ジシュカの名の由来はプシケーである。プシケーは、もともとエバシとティケーの合体部族だが、ヤン・ジシュカは、ジシュカを名乗ることで、ティケー側の出自であることを示している。ジシュカの名の由来は鈴鹿である。鈴鹿=シジュカ=ジシュカとなる。

 


■AD1415年 ヤン・フス、梵刑

 

ヤン・フスは、犯罪者・悪党の巣であるカトリック(クリュニー会・シトー会・ドミニコ会)を舌鋒鋭く批判した。彼は、「形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない」と語った。フスは、カトリック教会がタナトスであるとの認識は無かったと思うが、カトリック教会が善を装った悪党の集団であることを見抜いていた。

 


■AD1419年 「フス戦争」

 

ジギスムントがボヘミア王に即位すると、ジシュカ率いるターボル派は蜂起した。「ターボル派」の名はターボルという土地名に由来しているが、一方で、科学の種族トバルカインの存在を、少々ながら示唆しているのではないか。銃器の使用は、画期的ではある。だが、その銃器は一体誰が持ち込んだのだろう?銃器の出所については不明な点が多いのだが、科学の種族の関与があったとしか考えられない。汚らわしいカトリック教会(クロノス)を倒そうとする優れた人々の出現に科学の種族は喜び、進んで手を貸したのだ。

 


■AD1437年 「雑賀衆誕生」

 

ハプスブルグ家が神聖ローマ帝国の覇権を掌握すると、ルクセンブルグ家はヨーロッパを離れて日本に帰還した。ルクセンブルグ家は、フス派の英雄ヤン・ジシュカの残党を同行させた。ルクセンブルク家の雑賀衆はタナトスだが、鈴木氏、土橋氏やその子孫である斉賀氏、才賀氏はフス派、ヤン・シジュカの子孫であり、タナトスとは無関係である。鈴木孫一をはじめ、土橋氏、雑賀衆はチェコ人、ドイツ人のような顔をしていただろう。
日本語の呼び方「さいが」、漢字表記の「雑賀(ざつが)」もジシュカの名に因んでいる。ジシュカ=ジシュイカ=シュイガ=さいがとなり、ジシュカ=ジシュ(雑)+カ(賀)=雑賀となる。とにかく、フス派は、鉄砲を世界で最初に戦争に用いた人々である。そのため、雑賀衆は当然のように銃撃戦を得意とした。だが、ルクセンブルク家は、家族である大谷家と共謀し、フス派(鈴木氏)を支配下に置き、偉大な英雄である織田信長に対抗した。つまり信長は、神聖ローマ帝国、シトー会をてこずらせて名を馳せたフス派の鉄砲隊と一戦交えていたようなものだ。
また、「一水会」の鈴木邦男、ロシアと親交が深い鈴木宗男などもフス派の英雄ヤン・ジシュカの子孫だと考えられる。鈴木氏は戦国時代の後、雑賀衆(ルキフェル)に随行してモンゴルに赴き、サーキャ派に侵入し、その後、モンゴルから帰還して創価学会、生長の家などの創立にも携わっている。浄土真宗はタナトスによる邪教であり、創価学会、生長の家も半分はタナトスの一面を持つが、それらの団体の正義の一面を支えているのがフス派の子孫である。

 


■AD1437年 鈴木孫一生誕 「鈴木氏誕生」

 

ルクセンブルグ家と共にヨーロッパを発ち、シルクロードを伝って日本に移住したジシュカの残党は「鈴木孫一」を称し、「鈴木氏」を生んだ。ジシュカ=シジュカ=鈴木となる。また、鈴木孫一の「孫一」の名はジシュカの「最初の孫」、或いは「最高の孫」であることを示している。鈴木の名の由来には、他に

 


■AD1437年 「土橋氏誕生」

 

この時に「土橋氏」が同時に生まれた。土橋の名の由来はジシュカとフスの組み合わせである。つまり、彼らは自分たちがフス派の英雄ジシュカに傾倒していることをアピールしている。ジシュカ+フス=ツチカ+フシ=ツチ(土)+ハシ(橋)=土橋(どばし)となる。土橋氏からは土橋守重が誕生している。

 


■AD1439年 「バルバリア海賊誕生」

 

ヤギェヴォ朝ポーランド王国がフス派を一掃すると、フス派の残党は大挙してボヘミアを脱出し、故地である北アフリカに向かった。ここで、一部がレスボス島に立ち寄り、後に「バルバリア海賊」として悪名を轟かせるウルージ、フズールの兄弟が誕生する。AD1504年、彼らは祖を同じくするハフス朝に接触してスルターンと交渉の末、チュニジアに拠点を得た。

 


■AD1439年 「ブルンジ王国誕生」「フツ族誕生」

 

その後、AD1517年にウルージはアルジェを占領している。だが、マリキ派に指示されたアルジェ住民の蜂起と、一万人規模のスペイン軍襲来により、ウルージはアフリカ湖水地方に移住し、「ブルンジ王国」を築いた。ブルンジの名の由来はウルージである。ウルージ=ウルンジ=ブルンジとなる。また、フス派の子孫でもある彼らは現地人と混合して「フツ族」を称した。フツの名の由来はフスである。

 


■AD15??年 「サーキャ派簒奪」

 

石山戦争が終了すると、雑賀衆はモンゴルに移住した。彼らは、チベット仏教の「サーキャ派」に侵入し、一部を簒奪した。もともと、サーキャの名の由来は諸葛(ジューガー)だったが、雑賀衆たちはサーキャの由来を雑賀であると定めた。

 


■AD15??年 「ジャコバン修道院誕生」

 

日本人の顔をした雑賀衆は、フランス人と混合してドミニコ会に入信し、「ジャコバン修道院」を建立した。ジャコバンの名の由来は雑賀とヴァイシュラーヴァナの組み合わせである。雑賀+ヴァイシュラーヴァナ=サィガヴァナ=ジャコバンとなる。

 


■AD1年 ロベスピエール生誕

 


■AD1785年 「ジャコバン派誕生」

 

ジャコバンの名の由来は雑賀とヴァイシュラーヴァナの組み合わせである。ジャコバン派の由来、ジャコバン修道院はドミニコ会の修道院である。ドミニコ会の先祖にはヴァイシュラーヴァナがいる。そのため、雑賀とヴァイシュラーヴァナの組み合わせとなった。雑賀衆とドミニコ会の連合という趣である。雑賀+ヴァイシュラーヴァナ=サイガヴァナ=ジャコバンとなる。
過去、フス派を率いて神聖ローマ帝国と戦い、石山戦争時代に織田信長と戦った雑賀衆は戦術面を担当し、アテネに民主制を敷いたクレイステネス、奴隷の自由を謳い「シチリア奴隷戦争」を指揮してローマに蜂起したアタルガティス教の子孫であるドミニコ会が民主主義を担当した。

 


■AD1789年 「フランス革命」

 

「フランス革命」は、実際にはマリー=アントワネットの「ダイアモンド首飾り事件」から、既に始まっていた。王政を倒す口実として、まず、敵に汚名を着せることが先決であるが、そのために、ジャコバン派は、このダイアモンド首飾り事件を作りあげた。基本的にフランス革命には、雑賀衆(ルクセンブルグ家)、雑賀衆(フス派)、ドミニコ会が関与していた。3者には、三者三様の異なる思惑があった。雑賀衆(ルクセンブルグ家)は、神聖ローマ帝国ルクセンブルグ朝の再興があり、ドミニコ会には、シチリア奴隷戦争の完遂、或いは民主制アテネの再興があった。
しかし、雑賀衆(フス派)には、真の人民の解放が頭にあった。リーダーはロベスピエールである。ロベスピエールの名は通常ファーストネームであるが、姓に使用しているため、彼は、日本人の子孫と考えられる。雑賀衆に加わっていたフス派の子孫だ。ほぼ現生人類でありながら、タナトスの手の内を見てきた彼は、タナトスに協力しながら漁夫の利を得る形でタナトスを裏切った。彼は、王政などの権威を廃止し、ダントンなど、タナトスの血を引く者もみな処刑した。特にカトリック廃止に力をいれ、「最高存在の祭典」を催して人民の精神的な解放を画策した。
しかし、英雄時代の名残りであるナポレオン・ポナパルトが出現すると、タナトスにとってはノーマークだったようで、乗りに乗ったナポレオンは、あっという間にヨーロッパを席巻した。ただ、クリュニー会が悪であるという認識が無かったナポレオンは、せっかくロベスピエールが追放したクリュニー会を呼び戻し、以前の権限を取り戻してしまう。これが仇となりナポレオンは、征服本能に滾るクリュニー会の手先となり、ロシア帝国に侵攻した。クリュニー会にとっては、ロシア帝国とナポレオン皇帝という2つの敵を一度に弱体化、願わくば同士討ちという思惑があった。

 


■AD1840年 ピヨートル・チャイコフスキー生誕

 

チャイコフスキーの名の由来は雑賀とフスとスキーの組み合わせである。雑賀+フス+スキー=サイガフスキー=チャイコフスキーとなる。「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「交響曲第6番悲愴」などで知られる音楽家チャイコフスキーは、タナトスの血統ではないが、タナトスに近い位置にいるフス派の子孫である。

 


■AD1869年 「チャイコフスキー団誕生」

 

チャイコフスキーの名の由来は雑賀とフスとスキーの組み合わせである。雑賀+フス+スキー=サイガフスキー=チャイコフスキーとなる。ニコライ・チャイコフスキーは、マルク・ナタンソン、オリガ・ナタンソンと共に「チャイコフスキー団」を結成した。「フランス革命」でもそうだったが、雑賀衆のフス派は、ロシア人農民の真の解放を企図していたと考えられる。

 


■AD1863年 「ポーランド人の反乱」「ポーランド人の暴動」

 

AD1863年、フランス革命、ナロードニキ運動などを経てポーランドに帰還していたフス派が「ポーランド人の反乱」「ポーランド人の暴動」を指揮した。しかし、これに敗れると、彼らは雑賀衆時代の故地である日本に帰還した。このポーランドからの帰還で古河財閥、鈴木商店、藤田財閥、神戸川崎財閥、東京川崎財閥などが生まれた。彼らが故地を同じくする同志である証拠に、古河財閥、鈴木商店、神戸川崎財閥は戦後、連合して「第一勧銀グループ」を生んでいる。

 


■AD1874年 鈴木岩治郎、商店を開業 「鈴木商店誕生」

 

樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立し、製糖、製粉、製鋼、タバコ、ビールなどの事業を展開した。更に、保険、海運、造船などの分野にも進出したが、タナトスの直系、三井財閥の陰謀により、焼き討ちを被っている。焼き討ちの実行者は時宗、浄土真宗などの信者だろう。

 


■AD1930年 「創価学会誕生」

 

内モンゴル周辺に居住していた一部の「サーキャ派」は、もともとは諸葛氏(ジューガー)の子孫が築いたものだが、一部は雑賀衆の末裔である。諸葛氏、雑賀衆で構成されたサーキャ派は、中国共産党の台頭と軍閥戦争を機に、内モンゴルから日本に逃れた。一方、ルーマニアがオーストリアに宣戦して第一次世界大戦に参加すると、源義経の子孫(ヴラド家)はルーマニアを発って日本に帰還した。サーキャ派(諸葛氏)は、教育者であった牧口常三郎を教祖に据えて「創価教育学会」を設立した。創価の名の由来はサーキャである。彼らは、「サーキャ」に「創価」を当て字したのだ。
一方、浄土真宗と関係が深い雑賀衆は、ヴラド家と組んで加賀出身の戸田城聖を自身の代表者に据え、犬養毅などに教義を評価されていた牧口常三郎に接近させた。ヴラド家が戸田城聖に接触したのは、戸田の名の由来がタタールだと考えたからだろう。その後、創価教育学会に加わったヴラド家は、「創価」の由来にルーマニア語「ソッカ(ショック)」を独自に加え、ルーマニアと同じデザインの旗を教団の旗として設定した。
一方、浄土真宗の信徒であり、雑賀衆と組んでいた戸田城聖は、ヴラド家の意向に沿わずに大谷の指示により独自に動いた。彼は、浄土真宗の信者で占められた特高警察と結び、牧口常三郎と共に「治安維持法違反で逮捕される」と、いう芝居を演じた。その後、獄中で牧口が殺害されると、戦後、無事に出所した戸田は、浄土真宗の信者を大量に創価学会に入信させた。こうして、教団は一気に巨大化した。
一方、牧口常三郎を失ったサーキャ派(諸葛氏)は、雑賀衆に裏切られたヴラド家と組み、今度は金融業を営んでいた池田大作を代表に据え、戸田城聖を暗殺し、大きく成長した教団を取り戻した。満州に縁がある彼らは、女真に因んで「潮」という名の雑誌を刊行した。女真(ジュシャン)=シャン=シアン=シオン=シオ=潮(読みはうしお)となる。しかし、半分以上が浄土真宗の信者であるため、創価学会の半分は浄土真宗のものということができる。そのため、創価学会に入信した浄土真宗の信者は独自に動き、「公明党」を結党した。太田昭宏氏などは、大谷の直系だと考えられる。創価学会の名はひとつだが、様々な歴史的背景を持つ集団が右往左往している複雑な集団である。

 


■AD1930年 「生長の家誕生」

 

彼らは、AD1918年~AD1928年まで続いた軍閥戦争を機に、中国から日本に逃れてきた人々である。彼らは、石山戦争が一段落し、織田信長が本能寺の変で死亡したのを機に、モンゴルに移住した雑賀衆の末裔である。その後、ロシア帝国が中国に南下すると、雑賀衆はサーキャ派と共に中国に潜伏していた。モンゴルから帰還した雑賀衆から輩出された谷口雅治は、恩師である大谷家(西本願寺)に接触し、浄土真宗信者を大量に貸与してもらい、教団を急速に発展させた。

 


■AD1943年 鈴木邦男生誕 「一水会誕生」

 


■AD1948年 鈴木宗男生誕

 


■AD1948年 鈴木敏夫生誕

 


■AD1951年 押井守生誕

 

映画監督の押井守は、フス派の子孫である。ポーランドのオシーという地名、或いはオシーという東欧に多いファーストネームが「押井」の名の由来となっている。押井は実写映画「アヴァロン」をポーランドで撮影したり、たびたびポーランドに言及している。彼がポーランドに親近感を持ち、且つ関係が深いのは、ポーランド、チェコに暮らし、ボヘミアの独立を守るために神聖ローマ帝国と戦ったフス派の子孫である証だ。戦術、軍事兵器にも造詣が深い彼だが、先祖の影響がうかがえるその趣味は充分彼の仕事に活かされている。

 


■AD1960年 土橋安騎夫生誕 「レベッカ誕生」

 


■AD2004年 「フーシ派誕生」

 

AD1990年代、フセイン・パドルッディーン・フーシは、イエメン北部でザイード派宗教運動「信仰する若者」を指揮し、発展させた。しかし、AD2004年にフーシが殺害されると、異母弟のアブドルマリク・フーシが指揮し、「フーシ派」が生まれた。フーシの名の由来はフスである。イランが支援し、アルカイダ、ISISが敵視しているということは、彼らは正義である。

 

 

 

 

 

 

 

 



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