閉じる


<<最初から読む

14 / 53ページ

ルハンガの歴史(ルハンガ)

◆ルーベン(ルハンガ)の歴史

 


■400万年前 「第1次エスの大移動時代」

 


■300万年前 「ルハンガ誕生」

 

湖水地方時代、クウォスからルハンガが枝分かれした。既に言葉を知っていた彼らは、自身を「ルハンガ」と呼んでいた。彼らは毛深く、体長は4mあった。現在でいうところの未確認生物オラン・ダラムのような姿をしていたと考えられる。それにしても、彼らは他の人類に比べ、なぜこれほどまでに巨大化したのだろうか?
概して、食物連鎖の頂点にいる動物はいずれも身体が大きい。そう考えるとルハンガが巨大なのは、彼らが食物連鎖の頂点にいたからと考えてよいだろう。ルハンガは、地球に選ばれた捕食者の王なのだ。生態系のバランスが崩れると、自然にバランスを回復する動きが出る。例えば、草食動物が増えすぎると、それを捕食する肉食動物が出現するという具合だ。これは地球の意志である。
地球の意志によって巨大化した動物の例としてコモドドラゴンが挙げられる。コモド島では、小さいカナヘビの一種が巨大化し、コモド島の食物連鎖の頂点に立つべくコモドドラゴンが生まれた。ルハンガも地球規模の必然性により、巨大化した。
代表的な捕食者にはグリズリ-、ライオン、トラ、シャチ、ワシ、ワニ、サメなどが挙げられる。捕食を行う動物は、強いことが自然の摂理として定められている。当然だ。弱ければ捕食はできない。そのため、ルハンガにも強大な身体能力が与えられた。目を見張るような、比類なき力は「獲得した」というよりは、天から「与えられた」と考えた方が自然だ。ルハンガは、人類だけでなく、地球の全ての種の王として選ばれた種族なのだ。

 


■200万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「チュクウ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したルハンガは、ナイジェリアに「チュクウ」を生んだ。陸を移動したルハンガの遺骸は、人類学者によってギガントピテクスと呼ばれた。チュクウは、ルハンガから身長4mの身体を受け継いでいたが、彼らはニジェール川で更に4.5mにまで身長が伸びた。その巨体で、彼らはニジェール流域の覇者となった。チュクウはまず、河川に於いて食物連鎖の頂点に位置づけられた。その後、チュクウはライオン、ハイエナ、ヒョウ、カバ、ゾウなど、天敵がいない動物の天敵として機能した。現在でも時折、集団でライオンを狩ったり、棍棒でゾウを殴り殺す巨大な猿の報告がある。これらの巨大な猿とはチュクウの子孫だろう。彼らは、現ナイジェリアの沖合いに出てサメなども素手で狩っただろう。
サスカッチ、ヨーウィ、アルマス、イエレン、ヒバゴンなどの未確認動物、獣人などは、間違いなく、ルハンガ、チュクウの子孫である。数々のUMA専門書やロバート・マイケル・パイル著「ビッグフットの謎」では、ビッグフットらは、3mの跳躍を見せ、時速60kmで走り、岩を投げ、素手で猛獣を殺すことができる。また、彼らは円形の闘技場を作り、拳闘に励み、アジアの言葉に似た独自の言葉をしゃべるとも報告されている。チュクウは非常に卓越した身体能力を持ち合わせ、それに見合った知性も秘めている。
ただ、どんなに優れた種にもできそこないは生まれる。チンパンジーの群れでは、子供をいじめるような個体は集団で無視され、挙句に群れを追放されることがある。これにより、できそこないは野垂れ死にを迎えるが、こうしてできそこないを淘汰することでチンパンジーは平和に暮らし、種を正しく存続することが可能なのだ。
これらのことは、現代人の間ではタナトスによって廃止されたが、ビッグフットの部族内では今でも実施されている。たまに、人を殺して食べたり、女性を誘拐してレイプするサスカッチの報告があるが、これは、群れを追放されたビッグフットのできそこない(凶暴、残虐、美徳を憎む、復讐心が強い、嘘つきなど問題がある)の仕業だろう。だが、できそこないであってもグリズリーでさえ素手で殺せるわけで、サスカッチのできそこないは野垂れ死にせず、ひとりで森の中で生きているのだ。運が悪ければ、このような個体に出くわし、恐ろしい思いをすることになるかもしれないし、運が良ければ、山奥に棲む地球の王に謁見することができるかもしれない。

 


■100万年前 「チュクウの大移動時代」

 


■100万年前 「ライ誕生」

 

「チュクウの大移動時代」に参加したルハンガは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「ライ族」を生んだ。ライの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルワンガ=ルア=ライとなる。当初、彼らは毛深く、4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがルハンガの名残りとなった。

 


■100万年前 「パンコー族誕生」

 

「チュクウの大移動時代」に参加したルハンガは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「パンコー族」を生んだ。パンコーの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ハンガ=パンコーとなる。当初、彼らは毛深く、4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがルハンガの名残りとなった。パンコーの名は、盤古(パングア)の由来となる。

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「アグリオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したルハンガは、チュクウ、クウォスと組んで「アグリオス」を生んだ。アグリオスの名の由来はチュクウ、ルハンガ、クウォスの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ+クウォス=ユクウルワォス=ユグルオス=アグリオスとなる。

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キャリアー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(現アラスカ~カナダ北部)に居を構えたアグリオスは「キャリアー族」を称した。キャリアーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリアー=キャリアーとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ロディア誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加し、その後に「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアに移住すると「ロディア」を生んだ。ロディアの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クロティアス=ロディアとなる。その後、ロディアは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ラドン誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したグラティオーンは、ルワが分離することで「ラドン」を生んだ。ラドンの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=ラティオーン=ラドンとなる。その後、ラドンは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ペトライエー誕生」

 

「獣人の大移動時代」を経て「カオスの大移動時代」に参加し、オーストラリアに入植したルハンガは、ヴィディエと共にグラティオーンから抜け、新規に「ペトライエー」を生んだ。ペトライエーの名の由来はヴィディエとルワの組み合わせである。ヴィディエ+ルワ=ヴィデルワーヴィデルイワー=ペトライエーとなる。その後、ペトライエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリロエー誕生」

 

「獣人の大移動時代」を経て「カオスの大移動時代」に参加し、オーストラリアに入植したルハンガは、クリュテイオスから抜け、新規に「カリロエー」を生んだ。カリロエーの名の由来は、クリュテイオスとルワの組み合わせである。クリュテイオス+ルワ=クリュルワ=カリロエーとなる。その後、カリロエーは、大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、河川の娘たちを母体にイマナと組んで「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオス、イマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナー=クリュメネーとなる。その後、クリュメネーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ロア族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したカリロエーは台湾に移住し「ロア族」を生んだ。ロアの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルアンガ=ロアとなる。

 


■7万年前 「ボトル族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペトライエーはマレーに移住し「ボトル族」を生んだ。ボトルの名の由来はペトライエーである。ペトライエー=ペトル=ボトルとなる。

 


■4万年前 「テュポン(タイパン)誕生」

 

クロノスの姦計により、古代ギリシアを追放されたチュクウは、オーストラリアに帰還していた、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、チュクウ(ギガース)はクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成し、古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとルハンガの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。テュポンは、オーストラリアでは「虹蛇タイパン」と呼ばれた。

 


■4万年前 「モルディブ誕生」

 

古代ギリシアに向かう途上、怪物テュポンは現モルディブに仮りの拠点を作った。この時に初めて当地は「モルディブ」と呼ばれた。モルディブの名の由来はムワリとテュポンの組み合わせである。ムワリ+テュポン=ムワリテュポ=モルディブとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「亢誕生」「房誕生」

 

「ギガントマキア」を機にオセアニアに帰還し、その後「フッキとヌアの大航海時代」に参加したルハンガは、アフリカ湖水地方に入植した。この時、「亢(ハング)」「房(ファング)」などの都市を築いた。ハング、ファングの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ハンガ=ハング(亢)となり、ルハンガ=ルファング=ファング(房)となる。彼らは、ディンカの国「青龍(チンロン)」に参加している。

 


■2万年前 「禄存誕生」

 

ヴァルハラ王国を離れたオーディーンが現ベナンに入植すると、青龍のルハンガは、オーディーンの新しい国「北斗星君(ペイトーキンジュン)」の建設に協力した。ルハンガは、北斗星君に参加し、「禄存(ルワン)」を建設した。ルワンの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルワンガ=ルワンとなる。

 


■1万3千年前 「テングリの大移動時代」

 


■1万3千年前 「ローバ族誕生」「ラフ族誕生」「ハニ族誕生」「リス族誕生」「ユグル族誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したルワンは、中国に入植した。彼らが、二十八宿神、北斗星君、フッキとヌア、東方青龍、西方白虎、南方朱雀、北方現部の伝説を中国の地にに伝えた。チベットに「ローバ族」、雲南に「ラフ族」「ハニ族」「リス族」、モンゴルに「ユグル族」を生んだ。ローバ、ラフ、ハニの名の由来はルハンガであり、リス、ユグルの名の由来はアグリオスである。ルハンガ=ルーハンガ=ローバ、ルハンガ=ラフンガ=ラフ、ルハンガ=ルハニガ=ハニとなり、アグリオス=アグリウス=リス、アグリオス=ユグリオス=ユグルとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ルーベン族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」によって縄文人が中国を訪れると、チベットのローバ族と、雲南のハニ族が連合して「ルーベン族」を生んだ。ルーベンの名の由来はローバとハニの組み合わせである。ローバ+ハニ=ローバニ=ルーベンとなる。その後、ルーベン族はイスラエルの12氏族に参加している。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「バンベド誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したルハンガ(ルーベン族)は、インダス流域からインド洋に出て、ボルネオ島に移住した。彼らはここに「バンベド」を生んだ。バンベドの名の由来はルーベンとビダユの組み合わせである。ルーベン+ビダユ=ベンビダ=バンベドとなる。

 


■BC30世紀 「ヤザダ神群の大移動時代」

 


■BC30世紀 バンベド、ボルネオ島からイランに移住

 

「ヤザダ神群の大移動時代」に参加したバンベドは、ボルネオ島からイランに移住し、「ヤザダ神群」に参加した。彼らは、同じイスラエル王国時代の仲間ガ築いたマズダー神群、ダエーワ神群と共存した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「韓誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したルーベン族は、現地人と混合して「韓(ハン)」を称した。韓(ハン)の名の由来はルーベンである。ルーベン=ルーハン=韓(ハン)となる。

 


■BC230年 「返氏誕生」

 

BC230年に韓が滅ぶと、韓氏は「返氏(ファン)」を生んだ。ファンの名の由来はルハンガ、或いは韓(ハン)である。

 


■BC209年 「ラハンウェイン族誕生」

 

BC249年に魯が滅び、BC230年に韓が滅び、BC209年に衛が滅びた。この3者は「秦」による統治を機に連合し、中国を脱出して遠くソマリアに落ち延びた。中国人の顔をした彼らはソマリア人と混合して「ラハンウェイン族」を形成した。ラハンウェインの名の由来は魯(ルー)、韓(ハン)、衛(ウェイ)の組み合わせである。ルー+ハン+ウェイ=ルハンウェイ=ラハンウェインとなる。

 


■BC202年 劉邦、初代皇帝に即位 「劉氏誕生」「漢誕生」

 

中国に残った韓氏は、ルーベンに因んで「劉邦(リューバン)」を生んだ。リューバンの名の由来はルーベンである。劉邦は「劉氏」の祖となり、初代皇帝に即位して「漢」を開いた。漢は、新を挟んでBC202年からAD220年まで続き、東アジアに大きな影響力を誇った。また、シルクロードを介してパルティア王国、ローマ帝国とも交易を行った。

 


■AD2??年 「三韓誕生」

 

ラハンウェイン族を生んだ韓氏は、ソマリアを離れて朝鮮半島に移住し、「三韓」を築いた。山間には「弁韓」「馬韓」「秦韓」があった。秦韓にはソマリアのハダメ族が参加し、秦氏(はた)を生んでいる。

 


■AD220年 「扶南国誕生」

 

王氏の「新」が台頭して「前漢」が滅ぶと、一部劉氏は海南島に赴き、古の神農の子孫であるチワン族と連合した。劉氏とチワンの連合体はカンボジアに上陸して扶南国を築いた。扶南の名の由来は海南(ハイナン)である。

 


■AD221年 劉備、初代皇帝に即位 「蜀誕生」

 

「大和人の大航海時代」を指揮する多氏の「呉」、倭人の「魏」と共存して、中国に三国時代を築いた。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ターナー誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した返氏は、ブリテン島に「ターナー」の名を生んだ。

 


■AD545年 「フォン人誕生」

 

扶南国の滅亡を機に、扶南人(チワン族+劉氏)はインド洋を超えて、喜望峰を周航し、遠く大西洋側に進出してニジェールに上陸した。東南アジア人の顔をした彼らは、現地人と混合して「ベナン人」「フォン人」を形成した。ベナンの名の由来は扶南であり、フォンの名の由来はルーベン(劉氏の祖)である。ルーベン=ルーヴェン=フォンとなる。

 


■AD1351年 「紅巾軍誕生」

 

アフリカ人の顔をしたフォン人は中国に帰還すると、現地人と混合して「韓林児」を称し、ルオ族は「白蓮教」を復活させて韓林児を首領に頂いた。褐色の肌を持ったフォン人(劉氏)、ルオ族(ラーオ族)が中心になって「白蓮教」を復活させ、紅巾族を指揮して大元に対して蜂起した。、リトアニア帰りの朱元璋と協力関係を結び、紅巾軍を指揮して「元朝」をモンゴル高原に追放した。

 


■AD1351年 「小西氏誕生」

 

だが、朱元璋は中国を掌握すると、同盟者であった白蓮教を邪教として弾圧した。これを機に、中国を脱出したルオ族は、フォン人と共にアフリカの故地に帰還した。また、四散した紅巾族を構成していたアフリカ人の一部は日本に移住し、日本人と混合して「小西氏」の祖、小西行正を生んでいる。小西の名の由来は中国のラテン名「チニーズ」である。チニーズ=キニーズ=キニシ=小西となる。

 


■AD1570年 「マルーン誕生」「パルマーレス誕生」

 

フォン人の逃亡奴隷が集団化して「マルーン」と呼ばれた。マルーンは「キロンボ」と呼ばれる集落を建設し、ブラジル北東部に逃亡奴隷の国家「キロンボ・ドス・パルマーレス」を建設した。AD16??年には、マルーンの首領ズンビが独立国家としての「パルマーレス」を繁栄させた。

 


■AD1592年 「文禄の役」「慶長の役」

 

朱元璋に弾圧を加えられると、紅巾族は中国を脱出して日本に落ち延びた。その紅巾族の子孫が小西氏と宗氏である。宗義智(マニ教)、小西行長(フォン族)は、倭寇を統べる松浦鎮信(マトゥーラ族)、有馬晴信(エラム人)、大村喜前、宇久純玄(ブギス族)と共に朝鮮出兵、第一軍の一番隊を担った。つまり、「文禄の役」「慶長の役」とは、秀吉の案ではなかった。
「文禄の役」「慶長の役」は小西氏、宗氏の案であり、中国大陸に改めて覇を唱え、朱氏に対する先祖の雪辱を晴らすのが目的だったのだ。二番隊は、加藤清正(イギリス人ゴドー)と鍋島直茂(ネパール人)、相良長毎(サカラバ族)が務めた。三番隊は、黒田長政(ケルト人)、大友吉統(ボルジギン家)が務めた。四番隊は、毛利勝信(マオリ族)、島津義弘(イギリス人スミス)が務めた。五番隊は、福島政則(ブギス族)、戸田勝信(ハルシュタット人)、長宗我部元親(カペー家)、蜂須賀家政(ノルマン人)、生駒親正(ユカタンのクメール人)、来島通行(釜山倭館の村上氏)が務めた。六番隊は、小早川隆景(マプングプエ人)、立花鎮虎(ニョロ人)、毛利秀包、高橋統増(ダキア人)、筑紫廣門(フェニキア人)、毛利輝元が務めた。
第二軍の七番隊は、宇喜多秀家(宇久+喜多川)、増田長盛。大谷吉継(ホータン)、加藤光泰、石田三成(ウァシュテペック家)、前野長康が務めた。八番隊以降は割愛するが、豊臣秀吉、木下氏などからしてキガ族の系統に連なっている。だが、「文禄の役」「慶長の役」に参加した面々も非常に国際色豊かであり、由緒正しい王統に属していた。また、受けて立った明の朱氏や李氏朝鮮の李氏も、リトアニア大公国の王統に連なる人々である。つまり、両者は東アジア人の姿をしてはいたものの、先祖の顔ぶれを一瞥すれば、「文禄の役」「慶長の役」が非常に国際的な戦争だったことが分かる。

 


■AD1658年 「コンバウン誕生」

 

オリバー・クロムウェルは、死んだと見せかけて一族を率いてイギリスを脱出し、カリブ海に及んだ。クロムウェルは逃亡奴隷マルーンに出会うと、その反骨気質にほれ込み、連合して太平洋を横断した。彼らは「コンバウン」を称した。コンバウンの名の由来はクロムウェルの祖キンブリとフォン(マルーンはフォン人が多い)の組み合わせである。キンブリ+フォン=キンフォウン=コンバウンとなる。

 


■AD1752年 「コンバウン朝誕生」

 

アジアに達すると、コンバウンの連合体はミャンマーに上陸した。彼らは、しばらくモン族の世話になり、その後に、ペグー(朴氏)のモン族(文氏)と共に「タウングー朝」に攻め込み、首都を陥落させた。AD1752年、クロムウェルとマルーンの異色の連合による「コンバウン朝」がミャンマーに開かれた。
その後、コンバウン朝は、AD1757年にモン王国の首都ペグーを占領し、AD1766年に「アユタヤ朝」を滅ぼしている。その後、クロムウェルは皮肉にも同郷の人々、大英帝国と相まみえることとなる。AD1824年、「第1次英緬戦争」が起こり、「第3次英緬戦争」を経て、AD1886年に大英帝国がミャンマーを英領インドに併合したため、コンバウン朝は滅亡した。

 


■AD1907年 フランソワ・デュヴァリエ生誕

 

クロムウェルとマルーンの連合体は、AD1886年の「コンバウン朝」滅亡と共に解散した。ミャンマー人の顔をしたマルーンは、単身太平洋を横断してハイチに至り、ハイチ共和国第32代大統領フランソワ・デュヴァリエを生む母体を形成する。そして、AD1907年にフランソワ・デュヴァリエは誕生した。ハイチ共和国第32代大統領に就任すると、デュヴァリエは秘密警察を母体にした準軍組織「トントン・マクート」を創設して憲法を廃止し、終身大統領を宣言してハイチに君臨した。

 


■AD1928年 ジャン=マリー・ル・ペン生誕

 

国民戦線創始者。

 


■AD1948年 ハサン・ロウハーニー生誕

 

イラン・イスラム共和国第7代大統領に就任している。

 


■AD19年 ジェイムズ・パンコウ生誕 「シカゴ誕生」

 


■AD1951年 ジョー・リン・ターナー生誕

 

 

 

◆トバルカイン(ルハンガ)の歴史

 


■4万年前 「テュポン(タイパン)誕生」

 

クロノスの姦計により、古代ギリシアを追放されたチュクウは、オーストラリアに帰還していた、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、チュクウ(ギガース)はクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成し、古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとルハンガの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。テュポンは、オーストラリアでは「虹蛇タイパン」と呼ばれた。

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したテュポンは、ギリシアから台湾に上陸した。この時、台湾は初めて「台湾」と呼ばれた。台湾の名の由来はテュポンだが、テュポンの名は「ジャパン」の語源でもある。テュポンを解散したギガースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■3万年前 「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」

 


■3万年前 「トバルカイン誕生」

 

「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」に参加したテュポン(天香語山命)は、天津神の同僚であるアルキュオネウス(天之御中主神など)と共に「トバルカイン」を生んだ。トバルカインの名の由来はテュポンとアルキュオネウスの組み合わせである。テュポン+アルキュオネウス=テュポアルキュオネ=タパルキュオン=トバルカインとなる。

 


■3万年前 「エノクの大航海時代」

 


■3万年前 「テワ族誕生」「ティワ族誕生」「トワ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したトバルカインは、コロラド流域残留を決めた。彼らは現地人と混合して「テワ族」「ティワ族」「トワ族」など、後にプエブロ族に数えられる部族を生んでいる。トバルカイン=トワルカイン=トワ=テワ=ティワと変遷が加えられている。

 


■3万年前 「ルカイ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したトバルカインは、台湾に移住した後、「ルカイ族」を生んだ。ルカイの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ルカイとなる。

 


■3万年前 「ラガイン族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したトバルカインは、台湾に移住した後、ミャンマーに上陸して「ラガイン族」を生んだ。ラガインの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ラガインとなる。

 


■2万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■2万5千年前 「南岳衡山誕生」「西岳崋山誕生」「北岳恒山誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加したトバルカイン(ルハンガ)は、「南岳衡山(ヘンシャン)」「中岳崋山(ファシャン)」「北岳恒山(ヘンシャン)」を築いた。ヘン、ファの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルヘンガ=ヘン(衡)(恒)となり、ルハンガ=ルファンガ=ファ(崋)となる。これらの伝説的な山は中国にあるとされているが、実際には南極大陸にある。
「南岳衡山」はカークパトリック山(4528m)とマークハム山(4350m)のことであり、「西岳崋山」はシドリー山(4187m)のことであり、「北岳恒山」はプラトー山(4191m)のことである。

 


■2万年前 「ヴィマーナ誕生」

 

ヴィマナ(UFO)の開発には科学の種族だけでなく、ハムの一族が加わった。それは、ヴィマーナの名前でわかる。ヴィマーナの名前とハムの名前は成立過程が同じなのだ。ハムとヴィマーナの名は、新水生人ヴィディエとイマナの組み合わせである。ヴィディエ+イマナ=ヴィマナ=ヴィマーナとなる。

 


■2万年前 「羅ホウ山の大航海時代」

 


■2万年前 「ホウ都大帝誕生」「羅ホウ山誕生」

 

「羅ホウ山の大航海時代」に参加したヴィディエは、火星に降り立ち、冥府神「ホウ都大帝(フェンドゥ)」「太乙救苦天尊(タイイジュクウ)」を生んだ。フェンドゥの名の由来はルハンガとヴィディエの組み合わせであり、タイイジュクウの名の由来はヴィディエとチュクウの組み合わせである。ルハンガ+ヴィディエ=ハンディエ=フェンドゥとなり、ヴィディエ+チュクウ=ディエチュクウ=タイイジュクウとなる。
彼らは、高さが2万7000メートルもある火星の火山オリンポスを「羅ホウ山(ルオフェン)」と呼んだ。ルオフェンの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルオハンガ=ルオフェンとなる。「九幽地獄」「二十四獄」と呼ばれた施設で、反自然的な罪を裁かれたできそこないたちは、正統な種の存続を願いながら、巨大なピラミッドなどの建設に従事し、黙って死んでいった。

 


■2万年前 「変成王誕生」

 

「羅ホウ山の大航海時代」に参加したルハンガは、火星に降り立ち、十王に属する「変成王(ビァンチェン)」を築いた。ビァンチェンの名の由来はルハンガ、ジェンギの組み合わせである。ルハンガ+ジェンギ=ハンジェン=ビァンチェン(変成)となる。ルハンガは、ここに収容されたできそこないを裁き、強制労働を課していた。

 


■1万3千年前 科学の種族、核兵器を開発

 

順番としては、UFOよりも核兵器の方が先ではないか?と考える向きもあると思う。だが、科学の種族は大変平和的な人たちであるため、UFOの後に、タナトスを焼くために核兵器が開発された。

 


■1万3千年前 「アトランティス滅亡」

 

この頃、科学の種族は核爆弾を開発したが、当時、ゼウスがその一報を聞いて喜んだ。古代ギリシア・アトランティス王国(オーストラリア南)では、ディオニュソスが「エレウシス密儀」を布教する際、「入信しなければ殺す」と多くの人々を脅し、大量の信者を獲得していた。大量の信者獲得は、発言力の増大と共に、そのまま信者の離反防止につながる。そのため、タナトスの宗教は大量の信者の獲得を命題としている。
ディオニュソスは、その大量の信者たちをアトランティスのインフラ全般に送り込んで、これを掌握した。タナトスの発想では、王にならずとも、人民の生活を支配すれば、優れた王にも勝てるのだ。インフラ掌握により、ディオニュソスが何をしても人々は怒ることも暴れることも弾劾することなく、怒りを飲み込んで幸福を演じていた。人々は、悪と戦って自由を得るのではなく、自由と生活を保障してもらうために、戦いを放棄し、悪に服従していたのだ。本能・感受性・意志の放棄は、非常な罪である。
ディオニュソスの非人間じみた圧制により、多くの人々が苦しんでいた。国民は「幸福な国の国民」を演じさせられていたのだ。抑圧的な生活により、精神疾患が蔓延した。だが、精神疾患患者はディオニュソスの命を受けた信者たちよってことごとく排除されてしまった。なぜなら、幸福な国で精神疾患を患うということは、国家がウソをついている証だからだ。ギリシア神話では、ポセイドンとアテネが対立する説話が紹介されている。これは、ディオニュソスが簒奪したポセイドンの国アトランティスとアテネが君臨していた時代の古代ギリシアとの対立を意味している。
「太陽神アポロン」を祀っていたアベラム族や全能の神ゼウスも、このことを憂慮していたが、数で圧倒するディオニュソスには対抗できなかった。そこへ、科学の種族が核兵器を開発した。ゼウスは、ディオニュソスと彼らに追随する人々を皆殺しにするために、科学の種族に核兵器の使用を要請した。人喰い人種を嫌悪していた科学の種族はこれを快く承諾した。これにより、ディオニュソスが簒奪したアトランティスは滅亡した。オーストラリア南部には、テクタイトが散乱しているが、これは当地にアトランティスの都市が存在していたことを意味している。

 


■1万3千年前 科学の種族、南極大陸の北方引き上げを計画

 

虚言症を患うタナトスと共存することは不可能だと考えていた科学の種族(エラド、マハラエル、トバルカイン)は、旧世界から切り離された南極大陸の立地条件を高評価していた。そして、彼らは、半分凍結している南極大陸を有効活用すべく、核兵器で地軸を動かして南極をもっと北方に引き上げようという計画を立てた。だが、これに懸念を示したのはノア、セム、ハム、ヤペテ、メトセラ、レメク、エノス、エノクの面々であった。

 


■1万3千年前 「パンドラの箱」

 

ゼウスは、科学の種族が核爆弾によって地軸を揺らす計画を練っていることを知り、懸念を表明していた。しかし、強行組のルハンガのトバルカインはゼウスの懸念に反感を示した。ルハンガのトバルカインはタルタロス(オーストラリア東部)に隠れ、巨大核兵器の開発を進めた。この時の拠点が「パンドラ」と呼ばれた。
パンドラの名の由来はルハンガとタルタロスの組み合わせである。ルハンガ+タルタロス=ハンタル=パンドラとなる。「パンドラの箱」の説話は、世界中の王族の反対を押し切り、ルハンガのトバルカインを筆頭にチュクウ、オロクン、クウォスのトバルカインが地軸の移動計画を強行したことを意味している。つまり、パンドラの箱が開いたのだ。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「科学の種族の大移動時代」

 


■1万3千年前 科学の種族、スコットランドに移住

 

「科学の種族の大移動時代」に参加したエラド一行は、文明継承を胸に原動機付きの船舶、或いは飛行機でペルーやスコットランドに移住した。文明継承組のエラド、マハラエル、トバルカインは、いわゆる「宇宙人」の祖である。彼らは、このスコットランドに建てた基地にてUFOを発明し、科学の種族として科学文明を深化させたと考えられる。

 


■BC5千年 「初代テーバイ王国誕生」

 

火星から引き上げたルハンガは、現サハラに都市を築いた。その後、エウローペーがヨーロッパから西アフリカに移住し、カドモスも、これに倣って西アフリカに移った。エウローペーが築いたヨルバに身を寄せたカドモスは、そこから更にニジェール河を遡り、緑豊かだったサハラに入植し、科学の種族トバルカイン(ルハンガ)と共に王国を築いた。この時に「テーバイ」が生まれた。テーバイの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=トーバルカイン=テーベとなる。

 


■BC5千年 「方丈山誕生」

 

サンガリオスの招待を受けたルハンガは、現チリに移住し、「方丈山(ファンツァン)」を築いた。ファンツァンの名の由来はルハンガとジェンギの組み合わせである。ルハンガ+ジェンギ=ハンジェン=ファンツァン(方丈)となる。方丈山は中国にあるとされているが、アンデス山中に存在した。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「第2代テーバイ王国誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、トバルカインはサハラ砂漠と化した故地から逃れてインダス流域に入植した。「ソドムとゴモラ」を実施した彼らは、科学放棄を決意し、出羽国から来たダヴィデの人々に託した。その代わり、彼らは「第2代テーバイ王国」を建設し、その後、彼らの生活の痕跡は「インダス文明」と呼ばれた。

 


■BC32世紀 「プント王国誕生」

 

更に、ルハンガのトバルカインは、「シバ王国」を築いたカゾオバのトバルカインと連合し「プント王国」を築いた。プントの名の由来はパンドラである。パンドラ=パンド=プントとなる。

 


■BC32世紀 「パンジャブ誕生」

 

シバ王国は、トバルカインの子孫であるテーバイ人が建設したプント王国と連合して「パンジャブ」を生んだ。パンジャブの名の由来はプントとシバの組み合わせである。プント+シバ=プンシバ=パンジャブとなる。

 


■BC1027年 「パーンダヴァ族誕生」

 

プント人とシバ人は連合して「パーンダヴァ族」を築いた。これは、伝説のプント王国とシバの国が密接に交流を行っていた証だ。しかし、残念ながら、夜叉・羅刹(能登族・ダナーン人)が、同じインダス流域に位置する科学の種族の国「テーバイ」の簒奪を狙っていた。夜叉・羅刹は、例によってインチキ宗教を創設し、最下層にいる多くのパーンダヴァ族を信者として獲得し、パーンダヴァ族のインフラを掌握して、数で圧倒する形でパーンダヴァの有力者を排除してしまった。

 


■BC1020年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC6世紀 「パンチャーラ王国誕生」

 

BC1027年の「マハーバーラタ戦争」でパンジャブが荒廃に帰した際、パンドラはガンジス流域に避難した。インドの6王国時代、彼らはそのまま、「パンチャーラ王国」を建設している。パンチャーラの名の由来はパンドラの組み合わせである。パンドラ=パンジャーラ=バンチャーラとなる。

 


■BC317年 「パンドヤ王国誕生」

 

マウリヤ朝がインドを統一すると、パンチャーラ人は、南インドに上陸した。彼らは「パンドヤ王国」を建てた。パンドヤの名の由来はプントである。プント=プントア=パンドヤとなる。

 


■AD230年 「ヴァンダル族誕生」

 

中央アジアからバルト海に移動したアント人は、現地人と混合して「ヴァンダル族」を成した。ヴァンダルの名の由来はパンドラである。パンドラ=ヴァンドラ=ヴァンダルとなる。

 


■AD428年 ガイゼリック、初代王に即位 「ヴァンダル王国誕生」

 

AD375年にゲルマン人の大移動が始まると、ヴァンダル人はスエビ人、アラン人などと共にイベリア半島になだれ込んだ。その後、ヴァンダル人は来たアフリカに移ってチュニジアを支配下に置き、「ヴァンダル王国」を築いた。当時、北アフリカには人喰いの神モレクを祀るタナトスの血統がいたが、ヴァンダル人は彼らを皆殺しにしながらチュニジアに進軍した。

 


■AD534年 「ヴァンダル人の大航海時代」

 


■AD534年 「ビントロ誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したヴァンダル人は、ジャワ島に「ビントロ」の名を残した。ビントロの名の由来はヴァンダルである。ヴァンダル=ヴァンドロ=ビントロとなる。

 


■AD534年 「バュンドゥル誕生」

 

日本からモンゴルに渡ったケルト人とマルコマンニ人は、現地人と混合して「ケレイト」「メルキト」を形成した。ケレイトの名の由来はケルトであり、メルキトの名の由来はマルコマンニの人である。ケルト=ケルイト=ケレイトとなり、マルコマンニの人(ト)=マルコト=マルキトとなる。一方、ヴァンダル族はオグズ24氏族に参加し、「バユゥンドゥル」を称した。バユゥンドゥルの名の由来はヴァンダルである。

 


■AD11世紀 「土肥氏誕生」

 

AD11世紀頃にチョーラ朝に飲み込まれてパンドヤ王国が消滅すると、パンドヤ人はインドを離れて日本に移住した。この時に、「坂東」「土肥」「土井」などの名前が生まれた。坂東、土肥の名の由来はパンドヤである。パンドヤ=パンドア=坂東となり、パンドヤ=パンドイ=土肥となる。坂東八平氏の代表格のひとつ「土肥氏」からは土肥実平が輩出されているが、彼は「鎌倉幕府」の始祖である源頼朝に兄として頼られていた。

 


■AD1378年 カラ・ユルク・オスマン、初代君主に即位 「白羊朝誕生」

 

AD1378年、バュンドゥルのカラ・ユルク・オスマンは初代君主に即位して「白羊朝」を東部アナトリアの地に開いた。AD1508年に白羊朝が滅ぶと、バュンドゥルはヨーロッパに移住して「ファスビンダー」「ピンター」などの名を成した。この系統からは作家ハロルド・ピンター、映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが輩出されている。

 


■AD1857年 メリー・ベーカー・エディ、教会を設立 「クリスチャン・サイエンス誕生」

 

AD1857年、ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派のパンジャブ人は、セポイの乱を機に、インドを離れてアメリカに移住した。この系統からはAD1879年に「クリスチャン・サイエンス」を創立するメリー・ベーカー・エディが輩出されている。一方、インドから中国に移住した一派から「幸福の科学」の創始者大川隆法が輩出されている。クリスチャン・サイエンスは、科学つながりで「サイエントロジー」「幸福の科学」と祖を同じくしていることがわかる。彼らが科学を付け足したのは、プント国、シバの王国(パンジャブ)時代に交流を重ねていた科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)に因んでいると考えられる。

 


■AD1857年 L・ロン・ハバード、教会を設立 「サイエントロジー誕生」

 

AD1857年、ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派のパンジャブ人は、セポイの乱を機に、インドを離れてアメリカに移住した。この系統からはAD1954年に「サイエントロジー」を創立するL・ロン・ハバードが輩出されている。彼らは、科学つながりで「クリスチャン・サイエンス」「幸福の科学」と祖を同じくしていることがわかる。彼らが科学を付け足したのは、プント国、シバの王国(パンジャブ)時代に交流を重ねていた科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)に因んでいると考えられる。

 


■AD1945年 ライナー=ヴェルナー・ファスビンダー生誕

 


■AD1986年 大川隆法、神理伝道機関を設立 「幸福の科学誕生」

 

インドを脱出してアメリカに渡った仲間とは別に、中国に移住したシェルデン人は、地下教会に属した。しかし、AD1966年に文化大革命がおきると、中国を脱出して日本に移住した。この時、大川隆法はまだ少年だったと考えられる。AD1981年、大川隆法は高級霊界から啓示を受けたという。その後、AD1986年に「幸福の科学」を設立している。ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派、中国の地下教会の影響下にあるため、幸福の科学からは、雑多だが近未来的な印象を受ける。彼らは、ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派時代の家族であるクリスチャン・サイエンス、サイエントロジーに倣って、自身の名に「科学」を加えた。彼らが科学を付け足したのは、プント国、シバの王国(パンジャブ)時代に交流を重ねていた科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)に因んでいると考えられる。

 

 

 

 

 

 


ルハンガの歴史(アグリオス)

◆ラティヌス(ロディア)の歴史

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キルーテ族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北西部沿岸(現バンクーバー周辺)に居を構えたクリュテイオスは「キルーテ族」を称した。キルーテの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=キルーテイオス=キルーテとなる。獣人は、アボリジニの顔をしていたクウォスと混合することで、マヤ人の顔を得たと考えられる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ロディア誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加し、その後に「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアに移住すると「ロディア」を生んだ。ロディアの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クロティアス=ロディアとなる。その後、ロディアは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ロディ族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したロディアは、マレー半島に「ロディ族」を生んだ。ロディの名の由来はロディアである。

 


■4万年前 「ティエステス誕生」

 

ペロプスに次ぐ、ピサ王国を治める次世代のオケアーニスとして、マレー地域から来たロディアがメーティスと組んで「ティエステス」を生んだ。また、ハタミ人、セトの連合体ポセイドンがオーストラリア大陸に上陸すると、彼らはエロスと組んで「アトラス」を生んだ。アトレウス(アトラス)は、ピサ王国に進出してペロポスオケアーニスに属する「クリュシッポス」と対立した。

 


■4万年前 「アトランティス王国誕生」

 

ピサ王国の覇権を巡って、クリュシッポス、ティエステスが争っているところに、ハタミ人、セトの連合体ポセイドンが訪れた。ハタミ人はタルタロスの住人エロスと組んで「アトラス」を生んだ。その後、ポセイドンの後裔アトレウス(アトラス)は、ティエステスと連合してクリュシッポスと対立する。オケアーニスは争いを好まないが、タンナ島のタナトスが裏で糸を引き、ティエステスを焚きつけてクリュシッポスを滅ぼしている。この時に「アトランティス王国」が誕生した。アトランティスの名の由来はアトラスとティエステスの組み合わせである。アトラス+ティエステス=アトラテス=アトランティスとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ルデ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」によってオーストラリアからメソポタミアに移住し、その後、「アヌンナキの大移動時代」に参加したロディアは、スカンジナビア半島に移住し「ルデ」を生んだ。ルデの名の由来はロディアである。ロディア=ロディ=ルデとなる。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレスの戦い」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「ラティウム誕生」「ラティヌス誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したルデは、エノスと共にカスピ海沿岸に入植した。その後、エノス(アイネイエース)と組んで「ラティヌス」を祀り、「ラティウム王国」を建設した。ラテン、ラティヌスの名の由来はルデとエノスの組み合わせである。ルデ+エノス=ルディノス=ラティヌス=ラテンとなる。伝説のラテン王国は、イタリアではなく、現在のカラクーム砂漠、キジルクーム砂漠辺りに存在した。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「スファラディ(パルティア)誕生」

 

ゼブルン族は、ラテン人(ロディア)と組んで「スファラディ」を生んだ。この時に「パルティア」の名も同時に生まれた。スファラディ、パルティアの名の由来はゼブルンとロディアの組み合わせである。ゼブルン+ロディア=ゼブロディア=セフロティア=スファラディとなり、ゼブルン+ロディア=ゼブロティア=プロティア=パルティアとなる。

 


■BC32世紀 「レディン人誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、モルディブ諸島に移住したラテン人は、「レディン人」を称した。レディンの名の由来はラテンである。ラテン=ラデン=レディンとなる。

 


■BC32世紀 「ロードス島誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、ロードス島に移住したラテン人(ロト)は、この島を初めて「ロードス島」と命名した。ロードスの名の由来はロトである。また、ロトの名の由来はルデである。

 


■BC1072年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1072年 ラテン人、イタリア半島に移住

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、ラテン人、サビニ人、ローマ人はイタリア半島に移住した。

 


■BC753年 「ブルトゥス家誕生」

 

スファラディからは、元老院を作った「ブルートゥス家」が輩出されている。ブルトゥスの名の由来はスバルとロードスの組み合わせである。スバル+ロードス=バロードス=ブルトゥスとなる。

 


■BC753年 「リディア人誕生」

 

共和制ローマが誕生すると、これを嫌ったスファラディは、アナトリア半島に移住した。この時に「リディア人」が生まれた。リディアの名の由来はロディアである。ロディア=リディアとなる。

 


■BC716年 「リディア王国誕生」

 

リディア人は、チュクウの子孫であるギゲスと組んで「リディア王国」を建てた。

 


■BC7世紀 「パルティア人誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したスファラディは、中央アジアに移住した。スファラディは「パルティア」を称した。パルティアの名の由来はスファラディである。スファラディ=スパラディア=パルティアとなる。その後、パルティア人は、BC250年にセレウコス朝から独立して「パルティア王国」を建設している。

 


■BC546年 「リトアニア人誕生」

 

リディア人は、リディア王国が滅ぶと、バルト海に移住した。この時に「リトアニア人」が生まれた。リトアニアの名の由来はリディアである。リディア=リディアニア=リトアニアとなる。

 


■AD10世紀 「モルドバ誕生」

 

モルディブ諸島を離れたレティン人は、故地であるカスピ海に近いロシアに移住した。この時に「モルドバ人」が生まれた。モルドバの名の由来はモルディブである。モルディブ=モルディバ=モルドバとなる。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD11世紀 「リトアニア公国誕生」

 

「ゲルマン人の大移動」、「ヴァイキング」の登場、そしてシトー会が指揮する「北方十字軍」の到来を機に平和な日常は一変し、戦争が常となった。更に、中国・朝鮮から「唐」「新羅」「高句麗」「宋」を建てた李氏、金氏、閔氏、朱氏、趙氏などの王族が到来したことによって一瞬の内にリトアニアは大国となり、ロシア帝国・ポーランド王国と肩を並べる強国となった。

 


■AD12世紀 「モルダヴィア誕生」

 

デーン人は、スウェード人に混じってロシア地域を汚染し始めていた。デーン人は、優れた者を「神のため」と称して殺していた。これを見たトバルカインは激怒し、汚染地域を核兵器で爆破し、焼き払った。ロシア地域は砂漠化していないので、この時、使用された核兵器は少量である。ただ、現地には、核兵器でしか出来ないテクタイトが無数に転がっている。この時、混乱の内にロシアを離れたモルドバ人は黒海のほとりに「モルダヴィア公国」を建設した。

 


■AD13世紀 「ラトビア誕生」

 

AD13世紀、モンゴル軍がロシアに侵攻すると、モルダヴィア人は、祖を同じくするリトアニア人の地に赴き、バルト海に移住して「ラトビア人」を称した。ラトビアの名の由来はモルダヴィアである。モルダヴィア=ルダヴィア=ラトビアとなる。

 


■AD14世紀 「リトアニア大公国誕生」

 


■AD1853年 セシル・ローズ生誕 「イギリス南アフリカ会社誕生」

 


■AD1962年 W・アクセル・ローズ生誕 「ガンズ・アンド・ローゼズ誕生」

 

 

 

◆ラドンの歴史

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■45万年前 「獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「クリー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(アラスカ~カナダ北部)に居を構えたグラティオーンは「クリー族」を称した。クリーの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=クリティオーン=クリーとなる。

 


■40万年前 「シャイアン族誕生」

 

亜北極圏(アラスカ~カナダ北部)から大平原(ユタ周辺)に居を構えたグラティオーンは「シャイアン族」を称した。シャイアンの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=グラチェイオーン=チャイアン=シャイアンとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ラドン誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したグラティオーンは、ルハンガが分離することで「ラドン」を生んだ。ラドンの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=ラティオーン=ラドンとなる。その後、ラドンは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■AD1840年 オーギュスト・ロダン生誕

 

ロダンの名の由来はラドンである。ラドン=ラダン=ロダンとなる。ロダンは「考える人」を製作した彫刻家として知られている。当初、「考える人」は、「地獄の門」を覗き込む男というテーマで製作され、「詩想を練るダンテ」と呼ばれていた。だが、この像を鋳造したリュディエによって「考える人」と命名された。リュディエの名の由来はグラティオーンである。奇しくも、彼はロダンと祖を同じくする人である。

 


■AD1840年 オディロン・ルドン生誕

 

ルドンの名の由来はラドンである。ラドン=ルドンとなる。画家であり、リトグラフの製作で知られている。リトグラフ作品集に「夢の中で」「エドガー・ポー」がある。

 

 

 

 

 

 


ルハンガの歴史(ズルヴァーン)

◆エウローペーの歴史

 


■40万年前 「エバシの大航海時代」

 


■40万年前 「エウローペー誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したアシアーは、ルハンガと組んで東南アジアに「エウローペー」を生んだ。エウローペーの名の由来はアシアーとルハンガの組み合わせである。アシアー+ルハンガ=アールハ=アールーハー=エウローペーとなる。その後、エウローペーは大洋の娘たちに参加した。

 


■40万年前 「エウリュノメー誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したエウローペーは、ニャメと組んで東南アジアに「エウリュノメー」を生んだ。エウリュノメーの名の由来はエウローペーとニャメの組み合わせである。エウローペー+ニャメ=エウロニャメとなる。その後、エウリュノメーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アルペイオス誕生」

 

「エバシの大航海時代」に参加したエウローペーは、東クウォスと組んで南アジアに「アルペイオス」を生んだ。アルペイオスの名の由来はエウローペーとクウォスの組み合わせである。エウローペー+クウォス=エウローペウォス=アルペイオスとなる。その後、アルペイオスは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「アラペシュ族誕生」

 

アルペイオスは、パプアに入植して「アラペシュ族」を生んだ。アラペシュの名の由来はアルペイオスである。アルペイオス=アラペイオシュ=アラペシュとなる。

 


■30万年前 「ズルヴァーンの大移動時代」

 


■30万年前 「ズルヴァーン誕生」

 

「ズルヴァーンの大移動時代」に参加したアシアーは、ルハンガと共にイランに入植した。彼らは「ズルヴァーン」を生んだ。ズルヴァーンの名の由来はアシアーとルハンガの組み合わせである。アシアー+ルハンガ=シアルハン=サルハーン=ズルヴァーンとなる。彼らは、ズルヴァーンの統治による永遠なる平和の時代、光の楽園の時代を作った。

 


■30万年前 「アシェラーフ族誕生」

 

「ズルヴァーンの大移動時代」に参加したアシアーは、現ソマリアに移住し、ルハンガと共に「アシェラーフ」を生んだ。アシェラーフの名の由来はアシアーとルハンガの組み合わせである。アシアー+ルハンガ=アシアルハ=アシャルーハ=アシェラーフとなる。彼らは、ソマリア人の祖となる。身長が4mのルハンガと身長が140cmのエスが混合することにより、ソマリア人~セネガル人は身長が2mくらいになった。

 


■30万年前 「ウォロフ族誕生」

 

「ズルヴァーンの大移動時代」に参加したアシアーは、現セネガルに移住し、ルハンガと共に「ウォロフ」を生んだ。ウォロフの名の由来はアシアーとルハンガの組み合わせである。アシアー+ルハンガ=アルハ=ウァルハ=ウォロフとなる。彼らは、セネガル人の祖となる。身長が4mのルハンガと身長が140cmのエスが混合することにより、ソマリア人~セネガル人は身長が2mくらいになった。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「ヌミディア誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したエウリュノメーは、ディオーネーと共に北アフリカに移住し、当地を「ヌミディア」と命名した。ヌミディアの名の由来はエウリュノメーとディオーネーの組み合わせである。エウリュノメー+ディオーネー=ノメーディオ=ヌミディアとなる。

 


■30万年前 「アルプス誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したアルペイオスは、パプアを離れてスイスに入植した。この時に「アルプス」の名が生まれた。アルプスの名の由来はアルペイオスである。アルペイオス=アルポス=アルプスとなる。

 


■30万年前 「ヨーロッパ誕生」「エウリュディケ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したエウローペーは、テュケーと共にヨーロッパに移住した。この時から、彼の地は「ヨーロッパ」と呼ばれるようになった。この時、エウローペーはテュケーと組んで「エウリュディケ」を生んだ。エウリュディケの名の由来はエウローペーとティケーの組み合わせである。エウローペー+ティケー=エウロティケ=エウリュディケとなる。

 


■30万年前 「オルペウス誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したエウローペーは、ケルケーイスと共にヨーロッパに移住した。オルペウスの名の由来はエウローペーとケルケイースの組み合わせである。エウローペー+ケルケイース=エウロペイース=オルペウスとなる。オルペウスは、妻を冥界から連れ戻そうとする説話で知られている。これは、オルペウスが、タナトスに支配されたエウリュディケをタナトスから解放しようと試みた話である。
しかし、知られているように、オルペウスは、エウリュディケの女たちに八つ裂きにされて殺される。タナトスにインフラを掌握されていたエウリュディケは、生活と自由の保障のために悪に従い、家族を殺す以外の選択肢がなかったということだ。タナトスの信者、恐怖に支配された人間に意志はないのだ。

 


■7万年前 「第1次アルゴスの大航海時代」

 


■7万年前 「オレステス誕生」

 

「アルゴスの大航海時代」に参加したエウローペーは、ギリシアからオーストラリアに移住した。時が経ち、タナトスは、優れた王アガメムノンを排除したいと常々考えていた。そこで、タナトスは卑怯な手段でアガメムノンの同盟者であるクリュタイムネストラをタネ崇拝の信者として獲得し、アガメムノンに対して離反させ、姦計によって滅ぼした。クリュタイムネストラの名の由来はクリュティア、クリュメネー、エレクトラの組み合わせである。クリュティア+クリュメネー+エレクトラ=クリュティアメネクトラ=クリュタイムネストラとなる。
しかし、アガメムノンの次世代を担う同盟者であるオレステス、エレクトラがアガメムノンの雪辱を果たし、タナトスと裏切り者のクリュタイムネストラを討っている。オレステスの名の由来はエウローペーとアカステーの組み合わせである。エウローペー+アカステー=エウロステー=オレステスとなる。以上、ギリシア神話に収められている、呪われたアトレウス王家の説話は、じつは、ギリシアで起きた話ではない。伝説のアトランティス王国で起きた話である。

 


■7万年前 「宇迦之御魂神誕生」

 

一部のオケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「宇迦之御魂神」が誕生した。「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」の名の由来はオケアーノスとエウリュノメーとティアマトの組み合わせである。オケアーノス+エウリュノメー+ティアマト=オケノメーティアマ=ウカノミタマとなる。

 


■7万年前 「玉依毘売命誕生」

 

一部のオケアーニスが東南アジアから日本に大移動を実施すると、ティアマトは彼らを受け入れ、いくつかの連合体を築いた。この時に「玉依毘売命」が誕生した。「玉依毘売命(タマヨリ)」の名の由来はティアマトとエウリュノメーの組み合わせである。ティアマト+エウリュノメー=ティアマエウリュ=タマヨリとなる。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「ヨルバ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したエウローペーは、西アフリカに入植した。彼らは、現地人と混合して「ヨルバ」を築いた。ヨルバの名の由来はエウローペーである。エウローペー=ヨーロッパ=ヨルバとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千年 「アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「アルパクシャデ誕生」

 

「アヌンナキの大移動時代」に参加したエウローペーは、クサンテーと連合して「アルパクシャデ」を生んだ。アルパクシャデの名の由来はエウローペーとクサンテーの組み合わせである。エウローペー+クサンテー=エウロペクサンテ=アルパクシャデとなる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「クマルビ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したアルパクシャデは、メソポタミアの地でゴメルと連合し、「クマルビ」を生んだ。クマルビの名の由来はゴメルとアルパクシャデの組み合わせである。ゴメル+アルパクシャデ=ゴメルパ=クマルビとなる。

 


■BC5千年 「ソドム誕生」

 

「バビロンの塔」を機に、アルパクシャデはルデと共にチャドに入植し、「ソドム」を建てた。ソドムの名の由来は、クマルビと同じく、アルパクシャデとゴメルの組み合わせである。アルパクシャデ+ゴメル=シャデメ=ソドムとなる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「エウロペ誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、アルパクシャデはソドムから脱出し、ギリシアに移住した。アルパクシャデは分離し、エウローペーはエウボイア島に入植して「エウロペ」を名乗り、クサンテーはフォキスに入植した。

 


■BC343年 「ポントス人の大航海時代」

 


■BC343年 「アルバニア王国誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したエウロペは、ピテュニアを拠点に周辺に自身の拠点を求めた。エウロペは「アルバニア王国」を築いた。アルバニアの名の由来はエウロペである。エウロペ=エウロペニア=アルバニアとなる。

 


■AD114年 「ポントス人の大航海時代」

 


■AD114年 「卜部氏誕生」

 

「ポントス人の大航海時代」に参加したアルバニア人は、現地人と混合して「卜部氏」を生んだ。卜部の名の由来はアルバニアである。アルバニア=ウラベニア=卜部となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ヨルバ人誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した卜部氏は、ブリテン島を発ち、西アフリカに移住した。日本人、イギリス人の混合体である卜部氏は、先祖が築いた「ヨルバ」の地に入植し、アフリカ人と混合して「ヨルバ人」を形成した。ヨルバの名の由来は卜部と同じくエウロペである。

 


■AD848年 ケネス・マカルピン、スコットランド統一 「マカルピン家誕生」「アルバ王国誕生」

 

AD7世紀頃、ヨルバ人がナイジェリアからブリテン島に帰還し、スコットランドに拠点を移した。マカルピンの名の由来はマックとヨルバの組み合わせである。マック+ヨルバ=マックヨルバン=マカルピンとなる。マカルピン家からは第19代スコットランド王マクベスなどが出た。

 


■AD14世紀 「カルヴァン誕生」

 

アサル朝滅亡を機に、マカルピン家はスコットランドを離れてフランスに移住した。彼らは「カルヴァン」を称した。カルヴァンの名の由来はマカルピンである。マカルピン=マカルヴァン=カルヴァンとなる。

 


■AD14世紀 「アルバニア人誕生」

 

アサル朝滅亡を機に、マカルピン家はスコットランドを離れてアドリア海に移住した。彼らは「アルバニア人」を称した。

 


■AD1546年 ジャン・カルヴァン、改革派教会を設立 「改革派誕生」

 

マカルピン家の血統に属するジャン・カルヴァンが輩出され、ツヴィングリから「改革派」を受け継いで改革派教会を建設している。カルヴァンは、マルティン・ルター、トマス・クロムウェルと共に「宗教改革」を指揮し、タナトスが建てたクリュニー会、シトー会、ドミニコ会など、ヨーロッパから有害なカトリックを根絶することを目指していた。

 


■AD1931年 レナード・ニモイ生誕

 

ニモイの名の由来はエウリュノメーである。エウリュノメー=エウリュノメイ=ニモイとなる。

 

 

 

 

◆スラヴ(シェラフ)の歴史

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「シェラフ誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したアシェルは、メソポタミアに移住すると、「シェラフ」を生んだ。シェラフの名の由来はアシェラーフである。アシェラーフ=シェラーフ=シェラフとなる。

 


■BC11世紀 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「スラヴ人誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したシェラフは、新天地を求めて亡命した。1部は北上して中央アジアに逃れ、「スラブ人」の祖となった。スラヴの名の由来はシェラフである。シェラフ=スラフ=スラヴとなる。つまり、イラン人の顔をした人々が、スラヴ民族の母体を築いた。

 


■BC1027年 「リビア誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、イランを脱出したシェラフは、新天地を求めて亡命した。1部はエジプト方面に逃亡して「リビア」を築いた。リビアの名の由来はシェラフである。シェラフ=シェラブ=シェラビア=ラビア=リビアとなる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「シューラセーナ誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したレビ族は、晋と組んで「シューラセーナ王国」を建設している。シューラセーナの名の由来は、シェラフと晋(ジン)の組み合わせである。シェラフ+ジン=シェーラジーナ=シューラセーナとなる。

 


■BC4世紀 「ヒッタイト人が大航海時代」

 


■BC4世紀 「ジルシン誕生」

 

「ヒッタイト人の大航海時代」に参加したシューラセーナは、箕子(ギジャ)と共にピクトランドに残留した。粛慎は、現地人と混合して「ジルシン」を築いた。ジルシンの名の由来はシューラセーナである。シューラセーナ=シュラセン=ジルシンとなる。

 


■BC168年 「スラヴ人の大移動時代」

 


■BC168年 「疏勒誕生」

 

「スラヴ人の大移動時代」に参加したスラヴ人は、イリュリア人、ダキア人、ダルダニア人と共にタリム盆地に亡命した。この時、スラヴ人は「疏勒(シューレ)」を建設した。シューレの名の由来はシェラフである。シェラフ=シェーラフ=シューレとなる。

 


■BC75年 「リプアリ族誕生」

 

リビアがローマに占領されると、リビア人はライン河畔に逃れて「リプアリ族」となった。リプアリ族はフランク族と組んで「リプアリ・フランク族」を結成した。

 


■AD224年 アルダシール1世、初代サーサーン皇帝に即位 「サーサーン朝誕生」

 

スコットランドから来たジルシンの血統が「サーサーン」を称し、ペルシアを統べた。サーサーンの名の由来はジルシンである。ジルシン=ジールシン=サーサーンとなる。サーサーン朝では、第4代皇帝バハラム1世がミトラス教に操られ、「マニ教」の教祖、マニなどを処刑している。

 


■AD642年 「佐々木氏誕生」

 

サーサーン朝が滅ぶと、サーサーン人は同盟者であったイベリア人、タタを連れてイランを出発し、日本に移住した。イラン人の顔をした彼らは日本人と混合して「佐々木氏」を形成した。佐々木の名の由来はサザキ(サーサーン人)である。サーサーン人は、源成頼に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に「佐々木氏」の祖、佐々木義経が誕生した。
サーサーン人の系統からは、日本船舶振興会の会長だった笹川良一が輩出されている。笹川の名の由来は「サーサーンの河」である。サーサーンの河とは、サーサーン朝時代に治めていたチグリス・ユーフラテスのことを指している。佐々木姓からは俳優・声優佐々木功、女優佐々木希が輩出されている。

 


■AD642年 「チチェン・イツァー誕生」

 

サーサーン朝が滅ぶと、サーサーン人はゾロアスター教の神官を務めていたマゴス、そして、ビザンツ帝国に「イサウリア朝」を開く前の一部イサウリア家を率いてマヤに移住した。イサウリア家は「イツァー」の名を復活させた。イラン人の顔をしたサーサーン人はイサウリア家と連合し、現地人と混合し、拠点を「チチェン・イツァー」と称した。チチェンの名の由来はサーサーンである。サーサーン=チャチャン=チチェンとなる。チチェン・イツァーは、ティカル人に「魔法使いのピラミッド」の建造を要請している。

 


■AD922年 「ロベール朝誕生」

 

「メロヴィング朝」を開いたサリー・フランク族のライバルであった「リプアリ族」は、その後、AD732年頃にハスペンゴウ公ロベールを輩出して「ロベール家」を生んでいた。ロベールの名の由来はリプアリである。リプアリ=リプアル=ロベールとなる。AD922年、ロベール家のロベール1世が、西フランク王に即位して「ロベール朝」を開き、サリー族に対して雪辱を果たした。しかし、シャルル3世を破って勝利するも、ロベール1世の戦死を機に一族が西フランク王国からバルト海に移住した。

 


■AD923年 「リューベック誕生」

 

「ソワソンの戦い」で、戦死したと見せかけて、ロベールの残党はバルト海に移った。リプアリの人(リプアキ)を由来に拠点を「リューベック」と命名した。リプアキ=リュープアキ=リューベックとなる。

 


■AD1093年 「アストゥリアス家の大航海時代」

 


■AD1093年 「イングーシ誕生」

 

「アストゥリアス家の大航海時代」に参加したジルシンは国が解散すると、アストゥリアス家と共に、スコットランドを離れて中央アジアに移住した。ジルシンは「イングーシ」を築いた。イングーシの名の由来はアンガスである。アンガス=アンガース=イングーシとなる。

 


■AD1093年 「ジョロフ王国誕生」

 

「アストゥリアス家の大航海時代」に参加したジルシンは、アフリカ大陸に進出してセネガルに上陸した。ジルシンは、シェラフの名を由来に「ジョロフ王国」を建設した。シェラフ=ジェラフ=ジョロフとなる。AD1200年に建てられたジョロフ王国は、その後、AD16世紀のカヤル、バオルの分裂、AD19世紀のアマドゥ・シャイク帝国の併合を経て、フランス支配の時に消滅している。

 


■AD1210年 「ラヴァル家誕生」

 

リューベックからカペー朝治世下のフランス王国に帰還したリューベック人からは、AD1210年に「ラヴァル公」となるギュイ5世を輩出した。ラヴァルの名の由来はロベールである。ロベール=ロヴェール=ラヴァルとなる。ラヴァル家からは「百年戦争」で活躍した名将ジル・ド・レ、

 


■AD1237年 「アストラハンの大航海時代」

 


■AD1237年 「チチメカ族誕生」

 

「アストラハンの大航海時代」に参加したチチェン人は、AD1224年にチチェン・イツァーを放棄すると、イツァー人との連合を解消し、次はマゴスと連合して「チチメカ族」を形成した。チチメカの名の由来はサーサーンとマゴスの組み合わせである。サーサーン+マゴス=ササ+マゴ=チチメカとなる。チチメカ族は、メキシコに移住し、王族に従事したメシコ族と組んだ。

 


■AD1237年 「タヤサル王国誕生」

 

「アストラハンの大航海時代」に参加したイツァー人は、AD1224年にチチェン・イツァーを放棄すると、一部チチェン人と共に現グアテマラに移住し、「タヤサル王国」を建てている。タヤサルの名の由来は、チチェンとイサウリアの組み合わせである。チチェン+イサウリア=チチェ+サウリア=チエサウル=タヤサルとなる。

 


■AD1237年 「ツィリーツァン誕生」

 

「アストラハンの大航海時代」に参加したチチメカ族は、アステカ人と共に、メキシコを離れて中央アジアに移住した。チチメカ族は「ツィリーツァン」を築いた。ツィリーツァンの名の由来はジルシンである。ジルシン=ジィルーシン=ツィリーツァンとなる。

 


■AD1237年 「ルバ族誕生」「スースー族誕生」

 

「アストラハンの大航海時代」に参加したチチメカ族は、大西洋を横断してザイール流域に住み着き、現地人と混合して「スースー族」を形成し、一部チチェン人は「ルバ族」を称した。ルバの名の由来はシェラフである。シェラフ=スラブ=ルバとなる。スースーの名の由来はシェラフ(チチェン)とイサウリア(イツァー)の組み合わせである。シェラフ+イサウリア=シェサウ=シェーサウー=スースーとなる。

 


■AD1358年 ロベール1世、フランス王に即位 「ハンザ同盟誕生」

 

バルト海に移ったロベール家はリプアリの人(リプアキ)を由来に拠点を「リューベック」と命名した。リプアキ=リュープアキ=リューベックとなる。AD1227年、帝国都市の地位を入手したリューベックはハンブルグと商業同盟を結び、AD1358年に都市ハンザを統合し、「ハンザ同盟」が設立された。、

 


■AD1377年 「スールー王国誕生」

 

シュリーヴィジャヤ王国が滅ぶと、疏勒はスマトラ島を離れてフィリピン近海に浮かぶスールー諸島を訪れた。彼らはスールー諸島に「スールー王国」を建てた。スールーの名の由来はシューレである。シューレ=シューレー=スールーとなる。

 


■AD15世紀 「ルンダ王国誕生」

 

ルバ族は、ピクトランドに因んだ「ルンダ王国」をAD15世紀に建てている。ピクトランド=ピクトルンダ=ルンダとなる。

 


■AD1539年 「スール朝誕生」

 

AD16世紀にスペインがフィリピンに進出すると、一部スールー家は新天地を求めて北インドの地を踏み、AD1539年、シェール・シャーが初代王に即位して「スール朝」を開いた。スールの名の由来はスールーである。AD1555年、スール朝が滅ぶ。

 


■AD1795年 「ラバー帝国誕生」

 

フランス革命を機に、ブルボン家と共に故国フランスを後にしたラヴァル家はナイル流域に至り、単身、スーダン方面に南下して定住した。フランス人の顔をしたラヴァル家は現地人と混合して「ラバー」と命名された男子を産んだ。ラバーの名の由来はラヴァルである。AD1879年、ラバーは主要部隊を率いてチャドに侵攻し「ダルフールの乱」を引き起こした。ダルフールの名の由来は「De ラヴァル」である。ド+ラヴァル=ドラヴァール=ダルフールとなる。その後、AD1893年にボルヌ帝国を滅ぼし、「ラバー帝国」をチャドの地に打ち建てている。

 


■AD1817年 「スロベニア誕生」

 

コーカサスに居住していたチチメカ族は「コーカサス戦争」を機に、ボルガ川に居住していた祖を同じくするツィリーツァン人を率いてヨーロッパに移住した。ツィリーツァン人もシェラフの人(シェラフニキ)を称し、それが変遷を重ねてスロベン(スロベニア)となった。シェラフニキ=シェラベンニキ=スロベンとなる。その後、AD1991年には「スロベニア共和国」が、AD1993年には「スロバキア共和国」が独立を果たしている。

 


■AD1817年 「スロバキア誕生」

 

コーカサスに居住していたジルシンは「コーカサス戦争」を機に、ボルガ川に居住していた祖を同じくするツィリーツァン人を率いてヨーロッパに移住した。イングーシ人は、シェラフの人(シェラフキ)を称し、それが変遷を重ねて「スロバキア」となった。シェラフキ=シェラフキア=スロバキアとなる。その後、AD1991年には「スロベニア共和国」が、AD1993年には「スロバキア共和国」が独立を果たしている。

 


■AD1922年 スタン・リー(スタン・リーパー)生誕 「マーヴェル・コミックス誕生」

 


■AD1932年 オマー・シャリフ生誕

 


■AD1933年 ロマン・ポランスキー(ローマン・リープリンク)生誕

 


■AD1949年 ナワーズ・シャリーフ生誕

 

パキスタン共和国第13代、第27代大統領に就任している。

 


■AD1950年 セルゲイ・ラブロフ生誕

 

ロシア連邦第4代外務大臣に就任している。

 

 

 

 

 


チュクウの歴史①

◆諸葛氏(チュクウ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「チュクウ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したルハンガは、ナイジェリアに「チュクウ」を生んだ。陸を移動した彼らの遺骸は、人類学者によってギガントピテクスと呼ばれた。チュクウは、ルハンガから身長4mの身体を受け継いでいたが、彼らはニジェール川で更に4.5mにまで身長が伸びた。その巨体で、チュクウはニジェール流域の覇者となった。チュクウはまず、河川に於いて食物連鎖の頂点に位置づけられた。その後、チュクウはライオン、ハイエナ、ヒョウ、カバ、ゾウなど、天敵がいない動物の天敵として機能した。チュクウは、現ナイジェリアの沖合いに出てサメなども素手で狩っただろう。
サスカッチ、イェティ、ヨーウィなどの未確認動物、獣人などは、間違いなく、ルハンガ、チュクウの子孫である。数々のUMA専門書やロバート・マイケル・パイル著「ビッグフットの謎」では、ビッグフットらは、3mの跳躍を見せ、時速60kmで走り、岩を投げ、素手で猛獣を殺すことができる。また、彼らは円形の闘技場を作り、拳闘に励み、アジアの言葉に似た独自の言葉をしゃべるとも報告されている。チュクウは非常に卓越した身体能力を持ち合わせ、それに見合った知性も秘めている。
ただ、どんなに優れた種にもできそこないは生まれる。チンパンジーの群れでは、子供をいじめるような個体は集団で無視され、挙句に群れを追放されることがある。これにより、できそこないは野垂れ死にを迎えるが、こうしてできそこないを淘汰することでチンパンジーは平和に暮らし、種を正しく存続することが可能なのだ。
これらのことは、現代人の間ではタナトスによって廃止されたが、ビッグフットの部族内では今でも実施されている。たまに、人を殺して食べたり、女性を誘拐してレイプするサスカッチの報告があるが、これは、群れを追放されたビッグフットのできそこない(凶暴、残虐、美徳を憎む、復讐心が強い、嘘つきなど問題がある)の仕業だろう。だが、できそこないであってもグリズリーでさえ素手で殺せるわけで、サスカッチのできそこないは野垂れ死にせず、ひとりで森の中で生きているのだ。運が悪ければ、このような個体に出くわし、恐ろしい思いをすることになるかもしれないし、運が良ければ、山奥に棲む地球の王に謁見することができるかもしれない。

 


■100万年前 「チュクウの大移動時代」

 


■100万年前 「チャク族誕生」

 

「チュクウの大移動時代」に参加したチュクウは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「チャク族」を生んだ。チャクの名の由来はチュクウである。チュクウ=チャクウ=チャクとなる。当初、彼らは毛深く、3m~4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがチュクウの名残りとなった。

 


■50万年前 「ギューゲース誕生」

 

その後、クウォスがインドを通過した際、獣人チュクウの部族は、アボリジニの顔をしたクウォスと接触、親交を暖めた。お互い、姿かたちが異っていたにも拘らず、クウォスは獣人を同じヒトとして認識し、獣人もクウォスを同じヒトとして認めた。彼らは、お互いを嫌悪し、攻撃することはなかった。彼らは、見かけで判断するのではなく、内面を見抜く鋭い洞察力を備えていた。つまり、非常に知性に溢れていたのだ。
交配も可能であったため、ギガースはクウォスと混合した。この時に「ギューエース(ギューゲース)」が生まれた。ギューエースの名の由来はクウォスであり、別名ギューゲースの名の由来はチュクウとクウォスの組み合わせである。クウオス=ギャオース=ギューエースとなり、チュクウ+クウォス=チュクウォス=ギューゲースとなる。彼らが親交を持った証拠は、彼らが残した名前にある。

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「アグリオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したチュクウは、ルハンガ、クウォスと組んで「アグリオス」を生んだ。アグリオスの名の由来はチュクウ、ルハンガ、クウォスの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ+クウォス=ユクウルワォス=ユグルオス=アグリオスとなる。

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

「盤古の大移動時代」に参加して中国に移り、更に「獣人の大狩猟時代」に参加してシベリアに移住したチュクウは、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、地球の王である獣人が、通常の人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■45万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「ソーク族誕生」

 

「獣人の大狩猟時代」に参加したチュクウは、人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北東部森林地帯(現イリノイ~ニューヨーク近辺)に居を構え、「ソーク族」を称した。ソークの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=ソークとなる。

 


■35万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ステュクス誕生」

 

「キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは赤髪の白人であった。彼らは東南アジアに入植し、獣人の姿をしたチュクウ、アボリジニの姿をしたクウォスと組んで「ステュクス」を生んだ。ステュクスの名の由来はカゾオバ、チュクウ、クウォスの組み合わせである。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾオチュクウォス=ステュクスとなる。ステュクスは、大洋の娘たちに名を連ね、冥府の河として知られた。

 


■30万年前 「キュクロプス誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したチュクウは、モンゴルに帰還し、更に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに上陸した。チュクウはカリュプソーと連合し、「キュクロプス」を生んだ。キュクロプスの名の由来はチュクウとカリュプソーの組み合わせである。チュクウ+カリュプソー=チュクリュプソ=キュクロプスとなる。

 


■30万年前 「ティケー誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加したチュクウは、モンゴルに帰還し、更に「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリアに上陸した。チュクウは「ティケー」を生んだ。ティケーの名の由来はチュクウである。チュクウ=テュクウ=ティケーとる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「第1次ウラヌスの大移動時代」に参加したキュクロプスは、古代ギリシアに移住し「ティタン神族」に参加した。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「スクルド誕生」

 

オセアニアに残っていたチュクウは「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加し、現カリフォルニアに入植した。彼らは「スクルド」を生んだ。スクルドの名の由来はチュクウとエウリュトスの組み合わせである。チュクウ+エウリュトス=チュクリュト=シュクリュト=スクルドとなる。彼らは、同盟者と共に、ユグドラシル(セコイア)の林の向こう側、現ネバダ砂漠に「ミドガルド王国」を建設した。

 


■4万年前 「テュポン(タイパン)誕生」

 

クロノスの姦計により、古代ギリシアを追放されたチュクウは、オーストラリアに帰還していた、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、チュクウ(ギガース)はクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成し、古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとルハンガの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。テュポンは、オーストラリアでは「虹蛇タイパン」と呼ばれた。

 


■4万年前 「モルディブ誕生」

 

古代ギリシアに向かう途上、怪物テュポンは現モルディブに仮りの拠点を作った。この時に初めて当地は「モルディブ」と呼ばれた。モルディブの名の由来はムワリとテュポンの組み合わせである。ムワリ+テュポン=ムワリテュポ=モルディブとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したテュポンは、ギリシアから台湾に上陸した。この時、台湾は初めて「台湾」と呼ばれた。台湾の名の由来はテュポンだが、テュポンの名は「ジャパン」の語源でもある。テュポンを解散したギガースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「雷雨の神チャク誕生」「創造主クグマッツ誕生」

 

ミドガルド王国のスクルドは、古代マヤに入植し、「雷雨の神チャク」を称した。更に、ミマースと組んで「創造主クグマッツ」を生んだ。チャクの名の由来はチュクウであり、クグマッツの名の由来は、ギガースとミマースの組み合わせである。チュクウ=チャクウ=チャクとなり、ギガース+ミマース=ギガマース=クグマッツとなる。ミマースは、ペルーから来たパチャママの片割れである。
チャクは、東西南北の4つのチャクに分かれているとされる。4つのチャクとは、タルタロス(オーストラリア)のキュクロプス、ミドガルド(カリフォルニア)のスクルド、高天原(台湾)の天香語山命、そして、古代マヤの雷雨の神チャクを指している。

 


■1万3千年前 「ユグドラシルの大航海時代」

 


■1万3千年前 「出羽国誕生」

 

最終戦争ラグナロクにより、ミドガルド王国はネバダ砂漠と化した。この時、「ユグドラシルの大航海時代」に参加したチャクは、テペウと共に古代マヤを離れ、東北地方に入植して「出羽国」を建てた。出羽の名の由来はテペウである。テペウ=テヘ=出羽となる。

 


■1万3千年前 「縄文人の大航海時代」

 


■1万3千年前 ヌナカワミミ生誕 「綏康天皇誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加したチュクウは、ディオーネー、ミマースと連合して「ヌナカワミミ」を生んだ。ディオーネー+チュクウ+ミマース=オネクウミマ=ヌナカワミミとなる。その後、ヌナカワミミは綏康天皇として、黒龍江付近を統治する第2代天皇として即位する。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■1万千5百年前 チュクウ、アナトリア半島に移住

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加したチュクウは、アナトリア半島に移住し、リディア王国の初代王ギゲスを輩出する。

 


■BC716年 ギゲス、初代王に即位 「リディア王国誕生」

 

BC716年、ギゲスが初代王に即位して「リディア王国」を建てた。ギゲスの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=ギュゲス=ギゲスとなる。

 


■BC604年 「蜀(古蜀)誕生」

 

BC604年、ギゲスの残党はリデイア王国を離れて中国に移住した。この時に「蜀(チュウ)」が生まれた。蜀の名の由来はチュクウである。チュクウ=チュウクウ=蜀(チュウ)となる。歴史的には、後代の蜀と区別するために古蜀と呼ばれている。

 


■BC604年 「ムアン・ギャオ誕生」「曹誕生」

 

BC604年、ギゲスの残党はリデイア王国を離れて中国に移住した。蜀の建設に参加しなかった人々は、都市国家「ムアン・ギャオ」を中国に築いた。ギャオの名の由来はチュクウである。チュクウ=チュカオ=ギャオとなる。この時に「曹氏(カオ)」が生まれた。カオの名の由来もチュクウである。チュクウ=チュカオ=カオ(曹)となる。

 


■BC1??年 諸葛豊生誕 「諸葛氏誕生」

 

BC316年、司馬氏によって古蜀が滅亡すると、蜀の残党は「諸葛氏(ジューガー)」を生んだ。諸葛の名の由来はギューゲース、或いはチュクウである。ギューゲース=ジューゲース=諸葛(ジューガー)となる。

 


■BC23年 「サクソン族誕生」

 

BC286年、宋が滅ぶと、諸葛氏の一部は宋氏と連合し、中央アジアに移住した。この時に「サクソン族」が生まれた。サクソンの名の由来は諸葛(ジューガー)と宋(ソン)の組み合わせである。ジューガー+ソン=ジュガソン=サクソンとなる。

 


■AD155年 曹操生誕

 

曹操は、大和人と共に、三国時代の「魏」を建設した。

 


■AD181年 諸葛亮生誕 「諸葛孔明誕生」

 


■AD221年 「蜀誕生」

 

諸葛孔明は、劉備玄徳と共に、三国時代の「蜀」を建設した。

 


■AD265年 「クアン誕生」

 

魏が滅ぶと、曹操の残党は雲南に移住し「クアン」を築いた。クアンの名の由来はカオである。カオ=カオン=クアンとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD304年 「蜀誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した諸葛氏は、祖を同じくするサクソン族を手助けしたが、一部は中国に帰還し、AD304年に「蜀」を建てた。しかし、AD306年に蜀が滅ぶと、再度、ゲルマニアに向かった。

 


■AD405年 「蜀誕生」

 

AD306年に蜀が滅ぶと、諸葛氏は再びゲルマニアに戻ってきた。しかし、サクソン族がユトランド半島に入植すると、再度、諸葛氏は中国にとんぼ返りし、AD405年にまた新たに「蜀」を建てた。しかし、AD413年に蜀が滅ぶと、諸葛氏は、またユトランド半島のサクソン族の元へと帰ってきた。諸葛氏は、サクソン族のブリテン島への移住を援助した。

 


■AD477年 「サセックス王国誕生」

 

セックスの名から、3つのイングランド系サクソン諸国は、諸葛氏が指揮していたことがわかる。サセックス王国は、イングランド南部に築かれた。AD860年に滅びている。

 


■AD519年 チェルディッチ、初代王に即位 「ウェセックス王国誕生」

 

セックスの名から、3つのイングランド系サクソン諸国は、諸葛氏が指揮していたことがわかる。ウェセックス王国は、イングランド西部に築かれた。AD11世紀に滅びている。ウェセックス王国は偉大な王を生み、デーン人を蹴散らし、イングランド統一を果たしている。

 


■AD527年 「エセックス王国誕生」

 

セックスの名から、3つのイングランド系サクソン諸国は、諸葛氏が指揮していたことがわかる。エセックス王国は、イングランド東部に築かれた。AD825年に滅びている。

 


■AD829年 エクバード王、イングランドを統一

 


■AD871年 アルフレッド大王、ウェセックス王に即位

 


■AD886年 アルフレッド大王、デーン人よりロンドン奪還

 


■AD892年 アルフレッド大王、デーン人の侵攻を撃退

 


■AD907年 「蜀誕生」

 

AD899年、治世の間、絶え間なく援護してきたアルフレッド大王が死去すると、諸葛氏は、中国に帰還し「蜀」を建てた。蜀はAD925年に滅ぶが、その前年に諸葛氏はイングランドに帰還している。

 


■AD924年 エセルスタン王、ウェセックス王に即位

 


■AD924年 エセルスタン王、デーン人よりデーンローを奪還 「イングランド王国誕生」

 


■AD934年 「蜀誕生」

 

エセルスタン王を支え、デーン人を皆殺しにしてきた諸葛氏は、再度、中国に帰還して「蜀」を建てた。

 


■AD965年 「伊賀国誕生」

 

AD965年に最後の蜀が滅ぶと、諸葛氏は日本に移住し、「伊賀」を築いた。伊賀の名の由来は諸葛(ジューガー)である。ジューガー=ユーガー=伊賀となる。伊賀には「惣国一揆」と呼ばれる共和的自治組織が存在した。惣国の名の由来は「ソークの国」と考えられる。ソークの国=ソウ国=惣国となる。短期間でイングランドと中国を行き来した間に蓄えられた、あらゆる知識、そして、地球の王チュクウから受け継いだ獣人の血は、その後の忍者の母体組織形成に寄与した。

 


■AD1016年 「キプチャク族誕生」

 

ウェセックスは、クヌート大王率いるデンマーク軍に敗北し、イングランドを脱出した。彼らはイギリス人ギブ(乞伏部)を連れて、中央アジアに帰還し、「キプチャク族」を生んだ。キプチャクの名の由来は乞伏(キフ)+諸葛(ジューガー)である。キフ+ジューガー=キフジュガ=キプチャクとなる。

 


■AD1034年 コンチョク・ギェルポ生誕 「サーキャ派誕生」

 

AD965年に最後の蜀が滅ぶと、諸葛氏はチベットに移住し、「コンチョク・ギェルポ」を生んだ。コンチョクの名の由来はクン族(アルキュオネウス)とチュクウの組み合わせである。クン+チュクウ=クンチュク=コンチョクとなる。サーキャの名の由来は諸葛(ジューガー)である。ジューガー=シューカー=サーキャとなる。サーキャ派は、四大チベット仏教のひとつである。

 


■AD1066年 「スカキ誕生」

 

ヨーロッパに移住したウェセックス人は「スカキ」を称した。スカキの名の由来はサカとキンメリアの組み合わせである。サカ+キンメリア=サカキ=スカキとなる。

 


■AD1066年 「榊原氏誕生」「三好氏誕生」

 

日本に上陸したサクソン人は、仁木氏に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのが「榊原氏」の祖、榊原清長である。榊原の名の由来は「サクソンの土地」である。サクソン(SAKCIN)+土地(原)=SAKCI(榊)+原=榊原となる。一方、一部のサクソン人は小笠原長興に接近して自身の血統を打ち立てる。この時に誕生したのが「三好氏」の祖、三好義長である。三好の名の由来はSAINT(三)+サクソン(好き)である。SAINT(三)+サクソン(好き)=三+好き=三好(音読みでみよし)となる。

 


■AD11世紀 「ガオ王国誕生」

 

AD938年に大理国が成立すると、曹氏は西アフリカに移住し、「ガオ王国」を築いた。ガオの名の由来は曹(カオ)である。カオ=ガオとなる。

 


■AD1156年 テムジン生誕 「チンギス・ハーン誕生」

 

キプチャク族は乞伏部が主導していたため、不満を持った一部諸葛氏はモンゴルに移住した。この時に「テムジン」が生まれた。テムジンの名の由来はテムズの宋(ソン)である。テムズ+ソン=テムソン=テムジンとなる。テムジンは長じてチンギスを名乗ったが、チンギスの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=ギュンゲス=チンギスとなる。

 


■AD1182年 サキャ・パンティタ生誕

 

サキャ派第6代目座主。サキャの名の由来は諸葛(ジューガー)である。ジューガー=シュカ=サキャとなる。

 


■AD1206年 チンギス・ハーン、モンゴル高原を統一

 


■AD1219年 チンギス・ハーン、モンゴル軍を率いて征西

 


■AD1227年 「キガ族(キクユ)誕生」

 

AD1227年、強大な征服欲を持ち、残虐の限りを指令するネストリウス派に嫌気が差したチンギスは、死んだことにして故地から遠く離れた異邦の地ケニアにまで逃れた。チンギスの残党は、現地人と混合して「キガ族(キクユ族)」を成した。キガの名の由来はギューゲースである。ギューゲース=キガース=キガとなる。キガの別名に、「キクユ」という名があるが、キクユの名の由来はチュクウである。チュクウ=チクウ=キクユとなる。

 


■AD1285年 サーキャ派、ディクン・ティルを焼き討ち

 

ディグンの領主が、イルハン朝と結んで蜂起した。ディグンの名の由来はダゴンである。つまり、ディグンの領主はタナトスだった。最初は勝ち進んだが、サーキャ派の軍隊が本山ディクン・ティルを焼き討ちしている。ディクン・ティルの名の由来は、ダゴンとティラウの組み合わせと考えられる。つまり、ディクン・ティルは、タナトスの都市だったのだろう。

 


■AD1288年 「宣政院設立」

 

モンゴル帝国を築いたフビライは、サーキャ派を保護し、「宣政院」を建設した。サーキャ派の長、帝師がここで指導し、サーキャ派はモンゴル帝国が滅ぶまで、サーキャ寺院を僧院都市として中央チベットを支配した。AD1358年、勢力を伸張したカギュ派に押され、サーキャ派の長が暗殺される。

 


■AD13世紀 「カーオ王国誕生」

 

ガオ王国に、祖を同じくするチンギス・ハーンの残党がやってくると、曹氏の残党はアフリカを離れ、インドシナ半島に移住した。この時、彼らは「カーオ王国」を築いた。カーオの名の由来はガオである。この時に、タイ人に西アフリカ人の血が加えられた。ムエタイ王者のプラカーオは、その名から彼らの子孫である可能性がある。

 


■AD14世紀 「木下氏誕生」

 

アフリカ人の顔をしたキガ族は日本人と混合し、キガに「木下(キゲ)」を当て字して「木下(きのした)」と訓読みした。AD1513年、キガ族の娘、木下仲(大政所)が誕生し、AD1537年には仲の子、木下藤吉郎が生まれた。後の「豊臣秀吉」である。秀吉の他に木下小一郎、木下家定などがキガ族の系統として生まれている。

 


■AD1464年 「ガオ帝国誕生」

 

諸葛氏からガオ王国を受け継いだチンギスの残党は「ガオ帝国」を築いた。ガオ帝国は、AD1493年に滅んだ。

 


■AD1537年 豊臣秀吉生誕

 

AD1493年、ガオ帝国が滅ぶと、チンギスの残党はアフリカを離れ、戦国時代の日本に移住した。ガオ帝国の残党は、祖を同じくする木下氏に接近し、自身の血統を打ち立てた。藤吉郎を生む木下仲は、西アフリカ人と日本人の4世である。AD1554年、藤吉郎は織田信長に仕え、AD1566年には美濃攻めに於いて一夜城を築いた。AD1573年、秀吉は「羽柴」を称しているが、ハシバの名の由来はパンジャブである。パンジャブ=パンジャバ=羽柴となる。パンジャブといえば秀吉の兄弟である「シク教」の拠点である。

 


■AD1579年 「第一次伊賀の乱」

 

織田信長の息子、北畠信雄が南伊賀の丸山上を攻めたが、結集した伊賀勢がこれを退けている。しかし、AD1581年、信長が2万の大群を率いて侵攻すると、伊賀は二週間で制圧された。

 


■AD1587年 「バテレン追放令」「刀狩り令」

 

キリシタンに好意的だった秀吉が掌を返したように伴天連追放令を発布した。これは秀吉の意志ではなく、大谷の指令である。大谷は自分たちを狙っている勢力に気付き、蜂起を事前に防止するため、秀吉に命じて上記の令を発布させた。「バテレン追放令」「刀狩り令」は、正義を貶め、悪を守る法律であった。

 


■AD1590年 豊臣秀吉、天下統一

 


■AD1598年 「シン誕生」

 

科学の種族の子孫である千利休は、浄土真宗を邪教とみて、仲間を集めて攻撃の機運を探っていた。だが、それを見破った大谷は先手を打って秀吉に千利休処刑を命令した。もちろん、秀吉は利休を処刑したことにして安全な場所へと逃がした。だが、これを見逃すはずがない大谷は秀吉を排除することを考えていた。そのため、秀吉は死んだフリをしてドサクサに紛れて日本を脱出した。
パンジャブに潜伏していた秀吉は「シン」を生んだ。シンの名の由来は豊臣の音読み「ほうしん」である。秀吉は、シク教国の礎を築き、その後、後にやってきた秀頼の残党と共にロシアに向かった。

 


■AD1615年 「豊臣氏の大移動時代」

 


■AD1615年 「プーチン誕生」

 

その後、大坂の陣に敗北した豊臣秀頼の一行が龍造寺氏、千葉氏が潜伏していたパンジャブを訪れる。パンジャブには、既に秀吉一行がいたが、豊臣秀頼の一行は龍造寺隆信らを迎えてパンジャブからカスピ海に至る。日本人の顔をした千葉氏は、ここで中央アジア人と交わり、「チュヴァシ」を称した。チュヴァシ族は、豊臣秀頼の一行と共にサンクトペテルブルグに移り、「プーチン」「メドベージェフ」の名を築いた。
プーチンの名の由来は豊臣の音読み「ほうしん」であり、メドベージェフの名の由来は「千葉又兵衛」である。千葉又兵衛とは、筆者が考えた想像上の人物である。だが、九州の千葉氏は、豪傑として知られる後藤又兵衛と同時代の人々であるため、豪傑に因んだ名前を子息に命名するのはありえることだ。

 


■AD1615年 「ケニア誕生」

 

一方、木下氏の一行は現ケニアに移住し、家族であるキガ族に合流した。この時に「ケニア」が生まれた。ケニアの由来は大阪弁「(わしらの)国や」だと考えられる。

 


■AD1675年 グル・ゴービンド・シン、第10代グルの座に就く 「シク教国誕生」

 

AD1675年、グル・ゴービンド・シンが第10代グルの座に就き、AD1716年、バンダー・シンがムガール帝国に蜂起したが失敗した。AD1801年、ランジット・シンが初代マハラジャの座に就き、ムガール帝国からの独立を勝ち取って「シク教国」が築かれた。AD1845年、インド征服を目論む大英帝国との間に「第1次シク戦争」が開始される。

 


■AD1816年 シャカ、初代皇帝に即位 「ズールー帝国誕生」

 

AD1745年頃、黒人の奴隷狩りが始まると、キクユ族は南アフリカに逃れた。キクユ族から、AD1787年に「シャカ」が生まれた。シャカの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=シャカとなる。シャカの母の名はナンディだが、これはケニアから来た証といえる。シャカの祖先は奴隷狩りから逃れたものの、結局、白人に対峙する結果となった。

 


■AD1845年 「第1次シク戦争」

 


■AD1849年 「ボンジョヴィ誕生」

 

シク教国は、第1次から第2次に至る「シク戦争」を大英帝国軍と戦ったが、大敗すると、一部豊臣氏の子孫は、パンジャブからイタリアに移住した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「ボンジョヴィ」を称した。ボンジョヴィの名の由来はパンジャブである。パンジャブ=パンジャヴィ=ボンジョヴィとなる。

 


■AD1893年 ジョモ・ケニヤッタ生誕

 

AD1964年、ケニア共和国初代大統領に就任している。

 


■AD1932年 マンモハン・シン生誕

 

第17代インド首相に就任している。

 


■AD19年 ウラジミール・プーチン生誕

 

AD2000年~2008年、第2代ロシア連邦大統領、AD2012年、第4代ロシア連邦大統領に就任している。

 


■AD1960年 グレタ・スカキ生誕

 


■AD1962年 ジョン・ボンジョヴィ生誕 「ホン・ジョヴィ誕生」

 

 

 

◆ゼウス(ソーク)の歴史

 


■40万年前 「ソーク族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北東部森林地帯(現イリノイ~ニューヨーク近辺)に居を構えたチュクウは「ソーク族」を称した。ソークの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=ソークとなる。

 


■30万年前 「ツオウ族誕生」

 

アプチが、マヤから東アジアに帰還した際、ソーク族は同行していた。彼らは、台湾に入植すると「ツオウ族」を生んだ。ツオウの名の由来はソークである。ソーク=ツオウク=ツオウとなる。

 


■30万年前 「ペルセーイス(ペルセウス)誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したミマースは、パッラースや台湾から来たツオウ族と共に、オーストラリアに「ペルセウス(ペルセーイス)」を生んだ。ペルセウスの名の由来はパッラース、ツオウ、ムシシ(ミマース)の組み合わせである。パッラース+ツオウ+ムシシ=パッラツオウシ=パラソウシ=ペルセウスとなる。

 


■30万年前 「クリュセーイス誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスはペルセーイスと共に「クリュセーイス」を生んだ。クリュセーイスの名の由来はクリュテイオスとペルセーイスの組み合わせである。クリュテイオス+ペルセーイス=クリュセーイスとなる。

 


■7万年前 「ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ペルセウス誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペルセーイスは、英雄ペルセウスとして、ケルケイース(ゴルゴン)、メーティス(メドゥーサ)の国に取り付いたタナトス一族を皆殺しにした。この時、一部のタナトスはクリュサウル、ペガサスとなって逃亡し、ダナオスの一族はアルゴス号に閉じ込められてオセアニアに連行され、タンナ島に封じ込められた。この時から、ペルセウスの子孫は、時期が来るとタナトスを皆殺しにするようになる。プーチン大統領、習国家主席、トランプ大統領は現代のペルセウスである。

 


■7万年前 「サイシャット族(ヘラクレス)誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペルセウスは、台湾に上陸してクリュセーイスと共に合体部族を生んだ。この合体部族の誕生に参加したのはペルセーイス側からはパッラース(ヴィディエ+レザ)、ムシシが、クリュセーイス側からはグラティオーンとムシシである。しかし、グラティオーン自体がアグリオス(チュクウ+ルワ)とディオーネー(ヴィディエ+ウラニアー)の合体部族である。つまり、ペルセーイスからは3部族、クリュセーイスからは5部族が参加している。
この時に生まれたのは、台湾少数民族として知られる「サイシャット族」である。サイシャットの名の由来はチュクウ、ムシシ、ヴィディエの組み合わせである。チュシシディ=ツォウセーイシディ=サイシャットとなる。サイシャット族は後に「ヘラクレス」と呼ばれることになる。ヘラクレスの名の由来はペルセーイスとクリュセーイスの組み合わせである。ペルセーイス+クリュセーイス=ペルクリュセ=ヘラクレスとなる。

 


■7万年前 「ヘラクレス誕生」

 

ヘラクレスとは、台湾のサイシャット族のことであるが、ヘラクレスの物語は全て、オーストラリア、メラネシア、南シナ海で起きたことである。ヘラクレスの目的は、主に、反自然の種族の成敗であった。ネメアのライオン、レルネのヒュドラ、ケリュネイアの鹿、エリュマントスの猪、アウゲイアスの家畜小屋掃除、ステュムパリデスの鳥退治、クレタの暴れ牛、ディオメデスの人喰い馬、アマゾネスとの戦闘、ゲリュオンの赤い牛、ヘスペリデスの黄金の林檎、ケルベロスの生け捕りの中でも、特にエリュマントスの猪とディオメデスの人喰い馬はタナトスの一族である。

 


■7万年前 「塩椎神誕生」「摂津国誕生」

 

サイシャット族は日本に上陸し、現地人に「塩椎神(しおつち)」と呼ばれた。しおつちの名の由来はサイシャットである。サイシャット=サイシャツ=しおつちとなる。その後、彼らは「摂津」に拠点を得た。摂津の名の由来はサイシャットである。サイシャット=シャツ=摂津となる。高天原と摂津は、塩椎神(サイシャット族)の勢力圏だった。

 


■7万年前 「素戔鳴尊誕生」

 

サイシャット族(塩椎神)は、新規の合体部族天照大神(ニャメ+ドーリス)に敗北し、台湾を離れた。この時にチュクウとムシシは「素戔鳴尊」と呼ばれた。素戔鳴尊の名の由来はサイシャットとウラニアーの組み合わせである。サイシャット+ウラニアー=サイシャニアー=素戔鳴尊(すさのお)となる。素戔鳴尊はチュクウとムシシ、ウラニアーによる合体部族である。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ヴァルハラ誕生」「戦士の守護神ワルキューレ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加した素戔鳴尊、筒之男命は、神話通り、葦原中津国に向かった。葦原中津国は2種類あるが、ひとつめは八代湾~天草諸島に跨る地域であり、2つめはアナトリア半島~ナクソス島に跨る地域である。彼らが目指したのは2つめの葦原中津国である。
アルゴス号は、途上の北アメリカで常世国、ミドガルド王国などを残しつつ、メキシコに到達した。大西洋側に出た彼らは、上陸ポイントを「ベラクルス」と命名した。更に、北メキシコに入植した塩椎神の勢力は「ヴァルハラ王国」を築いた。ヴァルハラの名の由来はペルセウスとヘラクレスの組み合わせである。ペルセウス+ヘラクレス=ペルヘラ=ヴァルハラとなる。
ベラクルスには、「ワルキューレ」が生まれた。ベラクルス、ワルキューレの名の由来は共にヘラクレスである。ヘラクレス=エラクーレス=ワルキューレとなる。北アメリカにあったミドガルド王国、北メキシコにあったヴァルハラ王国名は北欧神話に出てくるため、ミドガルド、ヴァルハラは北欧に存在したと考える人も多いだろう。しかし、大概の場合、神話の舞台は神話が編まれた土地で起きた事柄ではない。タナトスを皆殺しにするため、科学の種族は核兵器によってミドガルド、ヴァルハラを消滅させたが、北欧神話は、その時の生存者が何万年もさすらったあげく、北欧に辿り着き、現地人に伝えたものである。

 


■4万年前 「オリンポス神族誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したサイシャット族は、メキシコを離れ、葦原中津国を目指した。クロノスはケルンを拠点にし、インチキ宗教により、大量の弱者を信者として擁し、ヨーロッパを支配していた。これに対抗するべく、現オリンポス山付近に入植したサイシャット族は「オリンポス神族」を結成した。オリンポスの名の由来はウラヌスとポセイドンの組み合わせである。ウラヌス+ポセイドン=ウラヌポセ=オリンポスとなる。ご存知のように、オリンポス神族には「ゼウス」「ポセイドン」「ハデス」「ヘスティア」「デメテル」「ヘラ」がいる。ヘスティア、デメテル以外はサイシャット族の合体部族から生まれた。

 


■4万年前 「全能神ゼウス誕生」

 

現オリンポス山付近に拠点を構えたサイシャット族は、「ゼウス」を生んだ。ゼウスの名の由来はサイシャットである。サイシャット=サイシャ=ザイシ=ゼウスとなる。

 


■4万年前 クロノスに呑み込まれる

 

クロノスは、大量の信者を強い発言力・強固な城壁として動員し、オリンポス神族を退けた。優れたオリンポス神族は、だが、数で勝るできそこないに敗北した。間違っていても、誰にも好かれていなくても頭数で勝れば勝てるということをクロノスは証明した。ヘシオドスは、この敗北を「クロノスに呑み込まれた」と表現した。

 


■4万年前 「オリンポス神族の大航海時代」

 


■4万年前 全能神ゼウス、クレタに潜伏

 

「オリンポス神族の大航海時代」に参加しなかったゼウスは、神統記の通りにクレタに潜伏した。ただ、このクレタはエーゲ海のクレタ島のことではなく、マレー半島~ソロモン諸島の間に存在したクレタ王国のことである。

 


■4万年前 「アトランティス王国誕生」

 

ゼウス以外は「オリンポス神族の大航海時代」に参加し、北アメリカ、マヤ、南アメリカ、南極大陸の発見を経てオーストラリアに入植した。デメテルを生んだアドメテーはエロスと組んで「アトラス」を生んだ。その後、アトラスはタナトスと組んで「アトランティス王国」を築いた。アトランティスの名の由来はアトラス、タナトスの組み合わせである。アトラス+タナトス=アトラナトス=アトランティスとなる。後に、タナトスがアトランティスの王統を簒奪すると、かつての大英帝国のように世界侵略を標榜し、残虐の限りを尽くした。

 


■4万年前 「アトランティス人の大航海時代」

 


■4万年前 「スエズ誕生」

 

クロノスを倒すべく、全能神ゼウスは、エジプトに拠点「スエズ」を築いた。スエズの名の由来はゼウスである。ゼウス=セウズ=スエズとなる。ゼウスは、クロノスの一族を皆殺しにするために史上初の武器を製作した。それまでも、石器のナイフ、弓矢、槍などはあったが、ゼウスは投石器などを作った。

 


■4万年前 全能神ゼウス、クロノスをギリシアから追放

 

「アトランティス人の大航海時代」に参加したゼウスは、「アベルの大航海時代」の人々と連合し、エジプトで体制を整えてからギリシアに侵攻した。クロノスが掌握していた大量の愚か者たちは、しかし、単なる頭数を上回るゼウスたちの実力に翻弄され、容易に退けられた。クロノスはギリシアからパプアに逃亡し、ダニ族となる。クロノスは「できそこないでも数で圧倒すれば優れた者に勝てる」と信じていたが、この時は、優れた者ができそこないの「数で圧倒する方法」を凌駕したため、敗北を喫した。

 


■4万年前 「ティタノマキア」

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「スワジ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したゼウスは、スエズから南アフリカに移り、「スワジ」を築いた。スワジは宿神(スシェン)、朱雀(ツークエ)とも呼ばれた。スワジの名の由来はスエズであり、スシェンの名の由来はシュシャンである。スエズ=スワズ=スワジとなる。ツークエの名の由来はチュクウである。チュクウ=チュークエ=ツークエとなる。
ゼウスは、カアングと共に「キンシャサ」を築き、白虎(ベイフー)と共に「アジスアベベ」も築いた。キンシャサの名の由来はカアングとゼウスの組み合わせであり、アジスアベベの名の由来はゼウスとベイフーの組み合わせである。カアング+ゼウス=カアンセウス=キンシャサとなり、ゼウス+ベイフー=アゼウス+アベイフ=アジスアベベとなる。

 


■2万年前 「オデュッセウス(テセウス)誕生」

 

オデュッセウスの物語は、実際には「トロイア戦争」ではなく、「最終戦争ラグナロク」の後に、ゼウスが世界中を巡り、諸国のタナトスを成敗して回ったた話である。当時のゼウスは、現スワジやキンシャサに住んでいた。オデュッセウスの名の由来は、ヴィディエ、ゼウスの組み合わせである。ヴィディエ+ゼウス=ヴィディゼウス=オデュッセウスとなる。
シベリア・モンゴル(キコネス人、パイエケス人、アルキノオス王、ナウシカ姫)、コンゴ(ロトパゴイ人)、カリブ海(カリュプソー島)、ナイジェリア(キュクロプス)、セネガル(アイオロス)、ナミビア(人喰いライストリュゴン)、黒海(魔女キルケ)、オーストラリア(海の怪物スキュラ)、ヨーロッパ(ヘリオス島)というように、名前を精査すると舞台が見えてくる。
一方、オデュッセウスは「テセウス」とも呼ばれた。テセウスの名の由来はヴィディエ、ゼウスの組み合わせである。ヴィディエ+ゼウス=ディエゼウス=テセウスとなる。アテナイの王子テセウスの物語も、オデュッセウス同様に、ヴォドゥン王国に取り付いたタナトスと反自然の種族を退治して回る話である。ここでは割愛するが、鉄の棍棒男ペリペテス、四つ裂き男シニス、牝猪パイア、蹴落とし男スケイロン、レスリング男ケルキュオン、引き伸ばし男ポリュペモンの名は、みな、反自然の種族に属していることがわかる。

 


■1万3千年前 全能神ゼウス、デウカリオンとピュラに助言を与える

 

ギリシア神話に「デウカリオンとピュラ」の説話がある。これは、実際には、ゼウスが、単身タルタロス(オーストラリア)に赴き、「デウカリオン」と「ピュラ」に対し、緊急脱出用の大型船を造るように進言したことを意味している。

 


■1万3千年前 「ヘリオポリスの大航海時代」

 


■1万3千年前 「スーサ誕生」

 

「ヘリオポリスの大航海時代」に参加したゼウスは、メソポタミアに入植し、「スーサ」を築いた。スーサの名の由来は素戔鳴尊である。素戔(すさ)=スーサとなる。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「スイス誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したゼウスは、ライン流域を遡り、アルプス山脈のふもとにまで及んだ。彼らは当地を「スイス」と命名した。スイスの名の由来はゼウスである。ゼウス=ゼイス=スイスとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「ウェシュシュ人誕生」

 

「海の民の大航海時代」に参加した粛慎は、祖を同じくするスイス人と連合した。この時に「ウェシュシュ人」が生まれた。ウェシュシュの名の由来はスイスとシュシャンの組み合わせである。スイス+シュシャン=ウイスシャン=ウェシュシュとなる。彼らは、トゥルシア人らと共にイランに入植し、デニエン人、シェルデン人とは異なる、正義の側の海の民に参加した。

 


■BC19世紀 「女神イシス誕生」「エフェソス誕生」

 

ウェシュシュ人は、トゥルシア人、ペリシテ人、チェケル人、ルカ人らと共にラムセス3世に加勢し、海の民(デニエン人・シェルデン人)を退けた。その後、ウェシュシュ人はエジプトに入植して「女神イシス」を祀った。イシスの名の由来はウェシュシュである。ウェシュシュ=エスス=イシスとなる。また、彼らはギリシアにも入植し、「エフェソス」を築いた。エフェソスの名の由来はウェシュシュである。ウェシュシュ=ウエシュシュ=エヘスス=エフェソスとなる。

 


■BC1700年 ウェシュシュ人、アテナイ王国と対立

 

「海の民の大航海時代」に参加したウェシュシュ人は、司神タナトスに支配されたアテナイ王国と対立した。この模様は、ギリシア神話では、ゼウス(ウェシュシュ人)とアテーナイ(司神タナトスと大量の信者たち)の対立として記されている。この戦争は、スエズ(エジプト)対アデン(アラビア半島)の戦いであった。

 


■BC1027年 「ベーシュタードの大航海時代」

 


■BC1027年 「周誕生」

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加したウェシュシュ人は、東アジアに帰還した。彼らは中国に上陸すると、殷に寄生していた人身御供の種族、能登族を皆殺しにした。その後、ウェシュシュ人は、蚩尤が生んだ「周氏(チョウ)」に参加し、共同で「周」を開いた。周(チョウ)の名の由来はツオウである。ツオウ=チオウ=周(チョウ)となる。

 


■BC967年 「エジプト第22王朝樹立」

 

南征した「周」の昭王は、急に故地帰還を思い立った。つまり、中国人の顔をした昭王の軍団はシルクロードを経てエジプトにまで足を伸ばしたのだ。ひとまず、リビアに根を下ろして警察としての地位を得てリビア人を指揮下に置いていた昭王の軍団は、22年後のBC945年にリビア人王朝を古代エジプトに打ち建てている。シュシャン人(スーサ)の子孫である昭王は、シルクロードを通過した際に「シュシャンキ(シュシャン人)」を称した。それが、シェションク1世の名の由来である。

 


■BC663年 プサメティコス1世、初代ファラオに即位 「サイス朝(エジプト第26王朝)樹立」

 

中国から逃亡した「周」の王族に属する2つの王統が合体し、「第26王朝(サイス朝)」を樹立した。サイスの名の由来はスイス(周氏の祖ウェシュシュ人の故地)、或いはゼウスである。ゼウス=セウス=サイスとなる。

 


■BC341年 「スイス復活」

 

ペルシア帝国に飲み込まれたサイス王家は、故地スイス(シュヴィーツ)に帰還して、スイスの名を復活させた。エジプト人の顔をした彼らは現地のヨーロッパ人と混合して「スイス人」を形成する。スイスの名の由来はサイスである。

 


■BC341年 「朱氏誕生」

 

ペルシア帝国のエジプト王位簒奪に続いてアレキサンダー大王の侵略に晒されたエジプトから脱出した東方組サイス王家は、故地である中国に帰還した。エジプト人の顔をしたサイス王家は中国人と混合して「朱氏」を形成した。朱(チュ)の名の由来はスーサである。スーサ=チューサ=チュ(朱)となる。蚩尤、周氏、趙氏に続き、中国に上陸したゼウスの系統として、朱氏は4世代目にあたる。朱氏からは朱蒙が登場し、彼は、マヤから来たククルカン神族と組んで、BC37年、朝鮮半島に「高句麗(ゴグリョ)」を建設している。

 


■BC1世紀 「高句麗誕生」

 

「ケツァルコアトルの大航海時代」に参加したククルカン(加賀氏)は、ケツァルコアトルと共に満州から朝鮮半島に赴いた。ククルカンは、ゼウスの末裔である朱蒙(朱氏)と組んで「高句麗(ゴグリョ)」を建てた。ゴグリョ(高句麗)の名の由来はククルカンである。ククルカン=ゴグリョカン=ゴグリョとなる。古代朝鮮の王国、高句麗と百済はユカタン半島から来たのだ。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ロス誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した朱氏は、ブリテン島に上陸した。朝鮮人の顔をした朱氏は現地人と混合して「ロス」を成した。ロス(ROTH)の名の由来は「朱」である。

 


■AD6世紀 「勿吉の大航海時代」

 


■AD870年 「東林書院誕生」「朱子学誕生」

 

デーンローの成立、デーン税の取立てを機に、イギリス人の一族、ロス、キング、ロード、ウィロウ、ハンター、リー、スイスの氏族がイングランドを発ち、中国へ帰還した。イギリス人の顔をした彼らは中国人と混合して先祖の姓を復活させた。スイス(SWISS)は「周」を、ロス(ROTH)は「朱」を、キング(KING)は「王」を、ロード(ROAD)は「程」を、ウイロウ(WILLOW)は「楊」を、リー(LEIGH)は「李」を、ハンター(HUNTER)は「羅」の名を復活させた。
周氏からは周敦イ、程氏からは「東林書院」を設立した程コウ、程イが、王氏からは「新法党」の指導者であり「新学」の創始者王安石が、楊氏からは楊時が、羅氏からは羅従彦が、李氏からは李トウが、朱氏からは「朱子学」を築いた朱熹が輩出された。その後、非東林派の首領に就任したタナトスの血を継ぐ魏忠賢は、AD1623年に秘密警察を掌握し、東林書院に弾圧を加えた。この「東林書院」の人々が、中国を脱出してイングランドに帰り、「イーストウッド」の姓を称したかどうかは定かではない。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD1236年 シュヴァルナス、第4代大公に即位 「リトアニア大公国誕生」

 

「東アジア王族のリトアニア大移住」に参加した中国人・朝鮮人の顔をした唐・高句麗・新羅王家の人々は、現地人と混合してリトアニアの統率を始めた。その後、リトアニアはAD1236年に大公国としてポーランド王国と共に中欧を統べ、ロシア帝国、スウェーデン王国と肩を並べる大国となるまで成長を遂げた。
古代中国や朝鮮半島を統一した王族がリトアニアを統治するのだから強大化も当然だろう。李氏からはパレモナス、金氏からはギムプタス、朱氏からは第4代リトアニア大公シュヴァルナス、閔氏からは初代リトアニア大公ミンダウガス、第2代リトアニア大公ミンガイラスなどの王が輩出された。

 


■AD1331年 「スイス原初同盟誕生」

 

スイス人は、後に「原初同盟」を結成して、AD1331年にハプスブルグ家から独立を果たしている。周、サイス朝の子孫であるスイス農民が「モルガルテンの戦い」でハプスブルグ家の軍隊を退けたため、スイス歩兵の勇名が全ヨーロッパに轟いたといわれている。

 


■AD1368年 朱元璋、初代皇帝に即位 「明誕生」

 

劉氏がアフリカに残したフォン人(韓山童、韓林児)が中国に帰還し、紅巾族を指揮して元朝に対して蜂起した。それを利用したのがリトアニア大公国から帰還した朱元璋であった。AD1269年にリトアニアに権力闘争が発生すると、シュヴァルナスはリトアニアを脱出して故地東アジアに帰還した。リトアニア人の顔をした彼は元朝治世下の中国に移り、中国人と混合を繰り返して朱元璋が誕生する母体を築いた。明の皇帝「朱元璋」は、第4代リトアニア大公シュヴァルナスの子孫なのだ。

 


■AD1368年 「シュヴィトリガイラ誕生」

 

その後も、朱氏とリトアニアの縁は継続した。AD1424年、永楽帝が第三次タタール遠征にて死す、と見せかけてリトアニアに逆戻りしているのだ。永楽帝はシュヴィトリガイラを名乗り、リトアニア大公の座に返り咲いた。

 


■AD1744年 マイアー・アムシェル・ロスチャイルド生誕 「ロスチャイルド財閥誕生」

 

明が1646年に滅亡すると、朱氏は子氏(チー)を連れて再度、ヨーロッパに落ち延びた。当時、リトアニア大公国はポーランド王国に飲み込まれて消滅していたため、彼らは、神聖ローマ帝国治世下のドイツに根を下ろした。中国人の顔をした朱氏と子氏は、「大和人の大航海時代」を経てドイツにやってきた諸子百家「農家」の子孫バウアー家に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのがマイアー・アムシェル・ロスチャイルドである。ロスチャイルドの名の由来は朱(チュ)と子(チー)の組み合わせである。

 


■AD1773年 アムシェル・マイアー・ロスチャイルド生誕 「フランクフルト家誕生」

 


■AD1774年 ザロモン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ウィーン家誕生」

 


■AD1777年 ネイサン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ロンドン家誕生」

 


■AD1788年 カール・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ナポリ家誕生」

 


■AD1792年 ヤーコブ・マイアー・ロスチャイルド生誕 「パリ家誕生」

 


■AD1930年 クリント・イーストウッド生誕

 


■AD1954年 ジョン・ウリ・ロート生誕 「エレクトリック・サン誕生」

 


■AD1954年 デヴィッド・リー・ロス生誕 「ヴァン・ヘイレン誕生」

 

 

◆ツオウ(ソーク)の歴史

 


■BC32世紀 「シュメール人の大航海時代」

 


■BC32世紀 「蚩尤誕生」

 

「シュメール人の大航海時代」に参加したゼウスは、長江流域に入植して「蚩尤(チユウ)」と呼ばれた。「蚩尤(チユウ)」の名の由来はツォウである。ツォウ=チオウ=チユウとなる。蚩尤は、人類史上初めて武器を作った戦いの神とされているが、真相は、クロノス、ティタン神族、ギガースとの戦いのため、史上初の弓矢、戦斧、盾を作ったゼウスのことを指している。

 


■BC1027年 「周誕生」

 

「ベーシュタードの大航海時代」に参加したウェシュシュ人は、東アジアに帰還した。彼らは中国に上陸すると、殷に寄生していた人身御供の種族、能登族を皆殺しにした。その後、ウェシュシュ人は、蚩尤が生んだ「周氏(チョウ)」に参加し、共同で「周」を開いた。周(チョウ)の名の由来はツオウである。ツオウ=チオウ=周(チョウ)となる。

 


■BC1027年 「楚誕生」

 

蚩尤の残党は、祖を同じくするウェシュシュ人と共に「周」を開いたが、不満を表明した一部は長江流域に「楚(チュ)」を築いた。楚の名の由来はツオウである。ツオウ=チヨウ=チョ=チュとなる。

 


■BC841年 「エジプト第23王朝樹立」

 

貴族層に侵入して汚職を奨励し、役人の堕落を指揮している能登族を排除するために、厲王(蚩尤の子孫)は改革を決行した。しかし、能登族は大量の農民を指揮して一揆を発生させた。これを機に、厲王は中国を脱出し、昭王の後を追ってシルクロードを越え、エジプトに歩を進めた。中国人の顔をした厲王の一族はエジプト人と混合し、23年後、BC818年にペディバステトを輩出して「第23王朝」を古代エジプトの地に建てた。この第23王朝は、昭王の「第22王朝」と並行してエジプトに存続した。

 


■BC771年 スサノオ、ヤマタノオロチを皆殺しに

 

ウェシュシュ人が到来すると、周の王統を簒奪して「東周」を建てた。周氏は、これを機に一時的にに出雲国を訪れる。彼らは「スサノオ」を称した。スサノオの名の由来は「粛慎(スーシェン)の王」である。スーシェンの王=スーシェノ王=スサノオとなる。彼らは、処女の生贄を求める非情な能登族の神官を皆殺しにし、ヤマタノオロチの人身御供教団を壊滅させた。
神話によると、スサノオは櫛名田比売命と結婚しているが、これはスサノオとヤマタノオロチの残党の同盟を意味している。しかし、櫛名田比売命がヤマタノオロチの残党ということを知ると、スサノオは彼らを全滅させ、長江流域に移住した。ただ、スサノオが中国に帰還するとき、能登族の残党が忍び込んでいた。ヤマタノオロチの生き残りは黄河流域に移り、「河伯」を祀って黄河流域で人身御供の儀式を再開した。

 


■BC525年 「趙氏誕生」

 

ペルシア帝国によるエジプト征服を機に、一部サイス王家が中国に帰還した。ゼウスに因んだ名前には、既に「周(チョウ)」があるので、彼らは「趙(ツァオ)」を選んだ。趙の名の由来はゼウスである。ゼウス=ツァオス=ツァオ(趙)となる。エジプト人の顔をしたサイス王家は中国人と混合して趙氏を形成し、BC500年頃に「趙」を建てている。

 


■BC228年 「西氏誕生」「石氏誕生」「習氏誕生」「子氏誕生」「植氏誕生」「札氏誕生」

 

趙は秦の侵攻を受けてBC228年に滅亡してしまう。これを機に、趙氏は、中国各地に四散し、「西」「石」「習」「子」「植」「札」などの名を生んだ。それぞれの名は「チー、ツィー、シー、ツァ」と発音する。これらの名の由来はツオウ、或いは蚩尤である。

 


■BC3??年 西門豹生誕

 

西門豹は、河伯の人身御供の儀式をインチキとし、教団関係者を問答無用で皆殺しにした。ただ、河伯は仲間を官僚として魏の国の中枢に送り込んでいた。そのため、彼らは魏の王を操り、西門豹を左遷させた挙句、正義漢の彼に民に圧政を敷くことを強要した。これに嫌気が差した西門豹は、自から官職を辞退し、後に「大和人の大航海時代」に参加してブリテン島に渡った。

 


■BC203年 趙佗、南越王に即位 「南越国誕生」

 

南海郡尉に就任した趙佗は、秦が滅ぶと南越国を築いた。BC111年に滅亡したが、趙氏はインドシナ半島に移住したと考えられる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ストーン誕生」「ロック誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した石氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした石氏は現地人と混合して「ロック」「ストーン」を成した。ロック、ストーンの名の由来は「石」である。

 


■AD3世紀 「ウェスト誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した西氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした西氏は現地人と混合して「ウェスト」を成した。ウェストの名の由来は「西」である。

 


■AD3世紀 「ラーナー誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した習氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした習氏は現地人と混合して「ラーナー」を成した。ラーナーの名の由来は「習」である。

 


■AD3世紀 「チャイルド誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した子氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした子氏は現地人と混合して「チャイルド」を成した。チャイルドの名の由来は「子」である。

 


■AD3世紀 「プラント誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した植氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした植氏は現地人と混合して「プラント」を成した。プラントの名の由来は「植」である。

 


■AD3世紀 「トランプ誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した札氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした札氏は現地人と混合して「トランプ」を成した。トランプの名の由来は「札」である。

 


■AD3世紀 「リトル誕生」「スモール誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した趙氏は、ブリテン島に上陸した。中国人の顔をした趙氏は現地人と混合して「リトル」「スモール」を成した。リトル、スモールの名の由来は「趙」である。

 


■AD661年 「ハリプンチャイ王国誕生」

 

インドシナ半島に集った小野妹子(遣唐使)、フラニ族(イスラム教伝来)、趙氏(南越国)は、合同で「ハリプンチャイ王国」を築いた。ハリプンチャイの名の由来はヴァラナシ(フラニ族)、ヴァナラシ(小野氏)、ゼウス(趙氏)の組み合わせである。ヴァラナシ+ヴァナラシ+ゼウス=ヴァラヴァンゼウ=ハラパンジェウ=ハリプンチャイとなる。ハリプンの部分は、ブルボンの名の由来と同じである。

 


■AD960年 趙匡胤、初代皇帝に即位 「宋誕生」

 

サクソニア戦争で、シャルルマーニュ大帝に敗北したザクセン王国の残党(宋氏)は、イギリス人リトル、スモール(趙氏)を率いて中国に帰還した。宋氏は満州に移住したが、趙氏は中国に移住し、同盟者の名を借りて新規に「宋」を開いた。

 


■AD1276年 「ヨガイラ家誕生」

 

南宋が滅びると、趙氏の恭帝、端宗、衛王の氏族が中国を脱出し、チンギスの征西に同行してリトアニアに向かった。趙氏は、先発隊である李氏、金氏、朱氏、閔氏らが構成していたリトアニア王家に接触した。趙氏の系統からはヨガイラが誕生し、AD1377年にヨガイラがリトアニア大公の座に就いた。ヨガイラの名の由来は「趙ガイラ」である。

 


■AD1377年 ヨガイラ、ヤギェヴォ朝初代王に即位 「ヤギェヴォ家誕生」

 

AD1377年にヨガイラがリトアニア大公の座に就いた。ヨガイラの名の由来は「趙ガイラ」である。この時に「ヤギェヴォ家」が誕生した。ヤギェヴォ家は、数多くのポーランド王、ハンガリー王、ボヘミア王を輩出したが、ジグムント2世の男系断絶を機に、李氏、金氏、朱氏、閔氏らを率いて東アジアに帰還した。このリトアニア帰還組が、東アジアに於ける共産党勢力の母体となる。

 


■AD1572年 「柳生氏誕生」

 

ヨーロッパ人の顔をしたヤギェヴォ家の一部は、日本に移住して現地人と混合して「柳生氏」を形成した。柳生の名の由来はヤギェヴォである。ヤギェヴォ=ヤギェー=柳生となる。

 


■AD1571年 柳生宗矩生誕

 

徳川家光の兵法指南役に選ばれた。

 


■AD1630年 ジョサイア・チャイルド生誕

 


■AD1632年 ジョン・ロック生誕

 


■AD1744年 マイアー・アムシェル・ロスチャイルド生誕 「ロスチャイルド財閥誕生」

 

明が1646年に滅亡すると、朱氏は子氏(チー)を連れて再度、ヨーロッパに落ち延びた。当時、リトアニア大公国はポーランド王国に飲み込まれて消滅していたため、彼らは、神聖ローマ帝国治世下のドイツに根を下ろした。中国人の顔をした朱氏と子氏は、「大和人の大航海時代」を経てドイツにやってきた諸子百家「農家」の子孫バウアー家に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのがマイアー・アムシェル・ロスチャイルドである。ロスチャイルドの名の由来は朱(チュ)と子(チー)の組み合わせである。

 


■AD1773年 アムシェル・マイアー・ロスチャイルド生誕 「フランクフルト家誕生」

 


■AD1774年 ザロモン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ウィーン家誕生」

 


■AD1777年 ネイサン・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ロンドン家誕生」

 


■AD1788年 カール・マイアー・ロスチャイルド生誕 「ナポリ家誕生」

 


■AD1792年 ヤーコブ・マイアー・ロスチャイルド生誕 「パリ家誕生」

 


■AD1883年 フランツ・カフカ生誕

 


■AD1898年 周恩来生誕

 


■AD1919年 趙紫陽生誕

 

党総書記や党中央軍事委員会第一副主席に就任した

 


■AD1937年 柳生博生誕

 


■AD1945年 レズリー・ウェスト生誕 「マウンテン誕生」

 


■AD1946年 ドナルド・トランプ生誕

 


■AD1946年 オリバー・ストーン生誕

 


■AD1949年 ロバート・プラント生誕 「レッド・ツェッペリン誕生」

 


■AD1953年 習近平生誕

 

第7代国家主席に就任している。

 


■AD1955年 チョウ・ユンファ生誕

 


■AD1956年 ドワイト・H・リトル生誕

 

 

 

 

 

 


チュクウの歴史②

◆チュクチ(ステュクス)の歴史

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「ステュクス誕生」

 

「キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは赤髪の白人であった。彼らは東南アジアに入植し、獣人の姿をしたチュクウ、アボリジニの姿をしたクウォスと組んで「ステュクス」を生んだ。ステュクスの名の由来はカゾオバ、チュクウ、クウォスの組み合わせである。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾオチュクウォス=ステュクスとなる。ステュクスは、大洋の娘たちに名を連ね、冥府の河として知られた。

 


■30万年前 「セデック族誕生」

 

マレー半島から台湾に上陸したステュクスは、現地人と混合して「セデック族」を生んだ。セデックの名の由来はステュクスである。ステュクス=セデュクス=セデックとなる。

 


■7万年前 「チュクチ族誕生」

 

セデック族(台湾)は、意気投合したトゥングル族(カレン族)と共にシベリアに移住した。両者は、ウリゲン、テングリ、エルリクなどの子孫である現地人と交わり「チュクチ」「ディングリング」を形成した。チュクチの名の由来はステュクスである。ステュクス=スチュクチ=チュクチとなる。チュクチ族、丁零(ディングリング)は、黒龍江辺りに住んだ。黒龍江は「神統記」では「冥府の川ステュクス」と呼ばれた。

 


■7万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「速秋津日子誕生」「速秋津日売誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したステュクスは、フィリピンを離れたチュクチ族は、台湾に帰還して獣人エピアルテースと連合した。彼らは「ハヤアキヒコ」「ハヤアキツヒメ」を生んだ。ハヤアキツの名の由来はエピアルテースとステュクスの組み合わせである。エピアルテース+ステュクス=ピアユクス=ハヤアキツとなる。

 


■7万年前 「常世国誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したステュクスは、ウェダ族(エウドーラー)と共に現ユタ州に入植している。彼らは「常世国」を築いた。常世の名の由来はステュクス、エウドーラーの組み合わせである。ステュクス+エウドーラー=テュクエウ=常世(とこよ)となる。

 


■7万年前 「ダグザ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したステュクスは、アイルランドに「ダグザ」の名を残した。ダグザの名の由来はステュクスである。ステュクス=スデュグズ=デュグズ=ダグザとなる。ダグザは、後にダーナ神族の支配下に置かれ、「マー・トゥーレスの戦い」では首領として持ち上げられ、ダーナ神族の命を受けて仲間と戦う羽目になる。

 


■3万年前 「チュクチの大航海時代」

 


■3万年前 「生口島誕生」

 

「チュクチの大航海時代」に参加したチュクチ族は、瀬戸内海に移住し、神の島と呼ばれた「生口島」に拠点を得た。生口(いくち)の名の由来はチュクチである。チュクチ=ユクチ=生口(いくち)となる。更に、この時に瀬戸内海は初めて「瀬戸」と呼ばれた。瀬戸の名の由来はステュクスである。この時の大航海時代は、古事記、日本書紀では山幸彦の説話として記されている。当時、チュクチ族は台湾人に「幸(さち)」と呼ばれていた。幸の名の由来はステュクスである。ステュクス=スチュクス=スチュ=幸(さち)となる。つまり、海幸彦、山幸彦とはチュクチ族のことである。

 


■1万3千年前 「テングリの大移動時代」

 


■1万3千年前 「チェケル人(前身)誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したテングリは、長江から瀬戸内海に移住した。この時に、テングリはチュクチと組んで「チェケル人」を生んだ。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■BC32世紀 「タガログ族誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は出羽国に入植し、トバルカインと共に試験的にピラミッドの建造を始めた。彼らが、広島に「葦獄山」を築いた時、ティカル人はチェケル人と交流を持ち、両者はフィリピンに移住して「タガログ族」を生んだ。タガログの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュケルグ=タガログとなる。

 


■BC2180年 「ピラミッド派の大航海時代」

 


■BC2180年 「武内宿禰誕生」

 

「ピラミッド派の大航海時代」に参加したダグザは、ルソン島で合流したタガログ族、コイオス(マルドゥク)と共にルソン島を離れた。彼らは、そのまま北上して黒龍江に入り、故地モンゴルに帰還した。ダグザは、シベリアに移って祖を同じくするチュクチに出会い、合流している。この時に、「武内宿禰」が生まれた。武内の名の由来はダグザである。ダグザ=ダグウザ=武内(タケウチ)となる。武内宿禰は孝元天皇の子孫を称した。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「チェケル人誕生」

 

無法なシェルデン人は、地中海を我がもの顔で荒らしていた。これを懸念した科学の種族は、だが、これ以上核兵器を使用したくなかったため、タガログ族(チェケル人)にシェルデン人退治を依頼した。「海の民の大航海時代」を指揮したタガログ族は、太平洋、マヤ、アイルランドを経て地中海に進出した。タガログ族は、地中海では「チェケル人」と呼ばれた。チェケルの名の由来はチュクチとディングリングの組み合わせである。チュクチ+ディングリング=チュクリン=チェケルとなる。

 


■BC19世紀 「オルメカ文明誕生」

 

チェケル人の一部は、マヤ通過の際、マヤに残留している。彼らが築いた文明は、「オルメカ文明」として知られている。中でも、巨石で造られた巨大な黒人の頭部が有名だ。ただ、あの顔は黒人の顔ではなく、ルソン島に住んでいたチェケル人、つまり、タガログ族(フィリピン人)の顔である。海の民の脅威に曝されたラムセス2世の時代に製作されたレリーフがあるが、このレリーフにはチェケル人の姿が刻まれている。このレリーフに刻まれたチェケル人の顔も黒人に見えるが、じつはフィリピン人の顔である。

 


■BC1550年 「シェクレシュ人誕生」

 

チェケル人は、「海の民の大航海時代」に参加していた高車(ガオチェ)と共にクレタ島に入植した。この時に、新規の海の民「シェクレシュ人」が生まれた。シェクレシュの名の由来はチェケルとガオチェの組み合わせである。チェケル+ガオチェ=チェケルチェ=シェクレシュとなる。

 


■BC1550年 「チグリス誕生」「サグロス誕生」

 

シェクレシュ人は、クレタ島からメソポタミアに移り、「ザグロス」「チグリス」などの地名を残している。ザグロス、チグリスの名の由来はシェクレシュである。シェクレシュ=チクレシュ=チグリス、シェクレシュ=ジェグレシュ=ザグロスとなる。

 


■BC10世紀 「カルタゴ誕生」

 

「海の民」の時代が終焉を迎えると、シェクレシュ人はクレタ島を離れた。彼らは、チュニジアに入植し、「カルタゴ」を建設した。カルタゴの名の由来はチェケルとマルドゥクの組み合わせである。チェケル+マルドゥク=ケルドゥク=カルタゴとなる。カルタゴは、テュロスと並んで正しく優れた人々の中継地として発展した。美しく、優れた人々を非常に憎悪ずるタナトスは、ローマ共和国に巣食い、カルタゴ打倒に対して異常なまでの熱意を傾けた。

 


■AD3世紀 「武内氏誕生」「竹内氏誕生」「武市氏誕生」「高市氏誕生」「田口氏誕生」「出口氏誕生」

 

騎馬軍団が台頭すると、イェマックの王族である天皇家をはじめ、武内宿禰の残党は、満州から日本に移住した。この系統からは「土佐勤皇党」の武市瑞山、「大本教」の出口なお、学者の竹内均、脚本家の田口成光、俳優田口トモロウ、漫画家高市由美(山田花子)、漫画家武内直子が輩出されている。

 


■AD534年 「ヴァンダル人の大航海時代」

 


■AD534年 「スクスフ誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したガリア人は、満州に移住した。この時、ガリア人は、ジブチ人と組んで「スクスフ」を生んだ。スクスフの名の由来はチュクチとジブチの組み合わせである。チュクチ+ジブチ=チュクジブ=ツクソハ=スクスフとなる。その後、スクスフは建州女直に参加した。

 


■AD997年  「レイフ・エリクソンの大航海時代」

 


■AD997年 「シェイクスピア誕生」

 

「レイフ・エリクソンの大航海時代」に参加したスクスフは、ブリテン島に移住した。アイルランドは、先祖であるダグザ縁の地だからだ。満州人の顔をしたスクスフは、イギリス人と混合して「シェイクスピア」の名を生んだ。シェイクスピアの名の由来はスクスフである。スクスフ=スークスハ=シェイクスピアとなる。

 


■AD1168年 「結城氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したチュクチ族は、北九州に赴き、現地人と混合して「結城氏」を生んだ。結城の名の由来はチュクチである。チュクチ=チュークチ=ユーク=結城となる。AD1168年生まれの結城朝光が「結城氏」の祖である。

 


■AD1338年 「ピュー族の大航海時代」

 


■AD15??年 「宇久氏誕生」

 

「ピュー族の大航海時代」に参加したチェケル人(オルメカ文明)は、地球を一周したピュー族の船団に、途中のマヤから参加した。太平洋を越えた彼らは、北九州に赴き、現地人と混合して「宇久氏」を生んだ。宇久の名の由来はチュクチである。チュクチ=ユク=宇久となる。AD16世紀の初頭に生まれた宇久盛定が「宇久氏」の祖となる。その後、宇久氏は倭寇に参加した。

 


■AD1564年 ウィリアム・シェイクスピア生誕

 


■AD1577年 戸隠山修験、見付天神にてアステカ人を成敗

 

「犬の早太郎」が、見付天神でアステカ帝国時代の生贄の風習を存続させていた大谷を皆殺しにする。「犬」とは天狗のことを指しているが、天狗は山伏、修験者の別名である。犬の早太郎の正体は、戸隠山修験、或いは秋葉山修験に属する優れた修験者である。もちろん、早太郎は個人ではなく、集団でやってきただろう。つまり、早太郎は修験者集団の首領だった可能性が高い。修験者の早太郎に皆殺しにされた大谷は、遠江国を脱出し、命からがら兄弟が住む京都にまで逃げ延びた。彼ら、アステカ帰りの大谷は、日本に残留して本願寺を営んでいた大谷に接触し、自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「西本願寺」を築く准如である。

 


■AD16世紀 「江口氏誕生」「井口氏誕生」「池内氏誕生」

 

その後、宇久氏は倭寇に参加したが、彼らは日本中に四散し、「江口」「井口」「池内」などの名を生んだと考えられる。全ての名の由来はチュクチである。

 


■AD17世紀 「フルイストゥイ派誕生」

 

伊達氏の東北地方に於ける台頭を機に、出羽修験は日本を発ち、ロシア帝国に向かった。ヴォルガ河上流に根付いた彼らは、現地人と混合して「フルイストゥイ派」を形成した。フルイストゥイの名の由来は古い死体である。古い死体=フルイシタイ=フルイストゥイとなる。古い死体とはミイラ、つまり、出羽三山の聖地に収められている奥州藤原氏3代のミイラのことである。これがフルイストゥイ派の正体が出羽修験である証に他ならない。
ただ、彼らの中に、タナトスが築いた日本仏教に携わる天台密教、或いは真言密教の関係者が紛れ込んでいた。タナトスは、「ディオニュソスの密儀」を再現し、淫靡で残虐な密儀集団としてフルイストゥイ派をロシア内外に知らしめた。フルイストゥイ派のタナトスは「罪を犯せば犯すほどより深く悔い改めることができる。真の意味で救済されるにはより罪を犯すべし」ということを旨にしていた。

 


■AD1785年 「カルボナリ誕生」

 

覚明が慣例の掟を破って登拝したのを機に、木曽御岳修験は日本を発ち、イタリアに移住した。彼らは現地人の混合し、AD1800年代初頭に「カルボナリ」を設立した。カルボナリは、その名から「炭焼きの結社」だと考えられているが、実際の名の由来は修験道の護摩祈祷である。ローマ教皇を輩出したサルディーニャ人や神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世の子孫である木曽御岳修験は、先祖の名に懸けてイタリア半島を掌握するために「カルボナリ」を組織した。カルボナリは、祖を同じくするサルディーニャ人の血統にカルボナリ入党を打診したため、会員数はあっという間に30万~60万を超えた。カルボナリは、「青年イタリア」のマッツイーニ、「赤シャツ隊」のガリバルディ、「サルディーニャ王国」のサヴォイア家と連合してイタリア王国の独立に関与した。
カルボナリは、AD1820年、ナポリ軍を巻き込んで一斉蜂起して「ナポリ革命」を起こし、翌年にサルディーニャ軍の決起を指導して「ピエモンテ革命」を指揮した。カルボナリはサルディーニャ人の子孫であるため、サルディーニャ王国に親近感を抱いていた。だが、実際にはサヴォイア家は土着のサルディーニャ人とは無関係であり、スウェード人の血統に連なっている。また、AD1821年にはフランス支部「シャルボンヌリー」を創立し、AD1830年に市民、学生、労働者と連携してパリで「フランス7月革命」に関与した。また、翌年には教皇領、ボローニャ、モデナで蜂起して「中部イタリア革命」を指揮するが、オーストリア軍に敗北した。彼らは、「ザーリアー朝」時代の神聖ローマ帝国領の奪還・復活を試みて一連の革命を指揮したが、これに失敗すると、カルボナリはヨーロッパを後に日本に帰還した。

 


■AD1908年 「大塚氏誕生」「大槻氏誕生」

 

シベリア大爆発を機に、一部チュクチ族はシベリアを逃れて日本に移住した。日本人と混合した彼らは、オホーツクを由来に「大塚」「大槻」などの姓を称した。オホーツク=オーツク=大塚、大槻となる。この関係から、若槻、赤塚など、「塚」「槻」が付く姓が彼らによって日本に量産されたと考えられる。科学の種族とツングース人の血を引く大槻教授が、プラズマを研究しているのは興味深い。また、赤塚不二夫が満州で生まれたことも興味深い。個人の記憶は脳に蓄えられるが、家族、民族、種としての記憶は身体に刻まれているのだ。

 


■AD1837年 出口なお生誕 「大本教誕生」

 


■AD1920年 竹内均生誕

 


■AD1933年 伊丹十三(池内万作)生誕

 


■AD1935年 赤塚不二夫生誕

 


■AD1944年 田口成光生誕

 


■AD1956年 江口寿史生誕

 


■AD1957年 田口トモロウ生誕

 


■AD1966年 大槻ケンヂ生誕 「筋肉少女帯誕生」

 


■AD1967年 山田花子(高市由美)生誕

 


■AD1967年 武内直子生誕

 


■AD1982年 大塚愛生誕

 

 

 

◆トバルカイン(テュポン)の歴史

 


■4万年前 「テュポン誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したギガースは、しかし、クロノスの姦計により古代ギリシアを追放され、オーストラリアに帰還している、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、ギガースはクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成して古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとヴァナラシの組み合わせである。チュクウ+ヴァナラシ=チュヴァナ=テュポンとなる。

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したテュポンは、ギリシアから台湾に上陸した。この時、台湾は初めて「台湾」と呼ばれた。台湾の名の由来はテュポンだが、テュポンの名は「ジャパン」の語源でもある。テュポンを解散したギガースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■4万年前 「トバルカイン誕生」

 

「ギガントマキア」で敗北したアルキュオネウスは、台湾に帰還した。アルキュオネウスは、テュポンと組んで「トバルカイン」を生んだ。トbルカインの名の由来はテュポントアルキュオネウスの組み合わせである。テュポン+アルキュオネウス=テュポアルキュオネ=タパルキュオン=トバルカインとなる。

 


■3万年前 「ルカイ族誕生」

 

トバルカインは、台湾に「ルカイ族」を生んだ。ルカイの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ルカイとなる。

 


■3万年前 「ラガイン族誕生」

 

トバルカインは、台湾からミャンマーに移住して「ラガイン族」を生んだ。ラガインの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ラガインとなる。

 


■2万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■2万5千年前 「五岳神誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加したトバルカイン(チュクウ)は、「五岳神(ウーユエ)」を生んだ。ウーユエとは、南極大陸にあった科学の種族の国の名である。ウーユエの名の由来はチュクウとヴィディエの組み合わせである。チュクウ+ヴィディエ=ウイエ=ウーユエとなる。五岳と呼ばれた伝説的な山は、中国にあるとされているが、実際には南極大陸にあった。
「南岳衡山」はカークパトリック山(4528m)とマークハム山(4350m)のことであり、「西岳崋山」はシドリー山(4187m)のことであり、「北岳恒山」はプラトー山(4191m)のことである。

 


■2万年前 「ヴィマーナ誕生」

 

ヴィマナ(UFO)の開発には科学の種族だけでなく、ハムの一族が加わった。それは、ヴィマーナの名前でわかる。ヴィマーナの名前とハムの名前は成立過程が同じなのだ。ハムとヴィマーナの名は、新水生人ヴィディエとイマナの組み合わせである。ヴィディエ+イマナ=ヴィマナ=ヴィマーナとなる。

 


■2万年前 「羅ホウ山の大航海時代」

 


■2万年前 「太乙救苦天尊誕生」

 

「羅ホウ山の大航海時代」に参加したヴィディエは、火星に降り立ち、冥府神「ホウ都大帝(フェンドゥ)」「太乙救苦天尊(タイイジュクウ)」を生んだ。フェンドゥの名の由来はルハンガとヴィディエの組み合わせであり、タイイジュクウの名の由来はヴィディエとチュクウの組み合わせである。ルハンガ+ヴィディエ=ハンディエ=フェンドゥとなり、ヴィディエ+チュクウ=ディエチュクウ=タイイジュクウとなる。
彼らは、高さが2万7000メートルもある火星の火山オリンポスを「羅ホウ山(ルオフェン)」と呼んだ。ルオフェンの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルオハンガ=ルオフェンとなる。「九幽地獄」「二十四獄」と呼ばれた施設で、反自然的な罪を裁かれたできそこないたちは、正統な種の存続を願いながら、巨大なピラミッドなどの建設に従事し、黙って死んでいった。

 


■2万年前 「テペウ誕生」

 

火星に住んでいたトバルカインは、雷雨の神チャク、創造主クグマッツが支配する古代マヤに基地を築いた。この時に「テペウ」が生まれた。テペウの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=テペウカイン=テペウとなる。テペウは、創造主として崇められ、王として古代マヤを統治したと考えられる。彼らは、基本的に科学文明を放棄していた。マヤ人が、宇宙人の子孫を自称するのは、これがゆえである。

 


■2万年前 「テワ族誕生」「ティワ族誕生」「トワ族誕生」

 

その後、テペウはコロラド流域残留に移り住んだ。彼らは現地人と混合して「テワ族」「ティワ族」「トワ族」など、後にプエブロ族に数えられる部族を生んでいる。トバルカイン=トワルカイン=トワ=テワ=ティワとなる。アメリカインディアンが、宇宙人の子孫を自称するのは、これがゆえである。

 


■2万年前 科学の種族、核兵器を開発

 

順番としては、UFOよりも核兵器の方が先ではないか?と考える向きもあると思う。だが、科学の種族は大変平和的な人たちであるため、UFOの後に、タナトスを焼くために核兵器が開発された。

 


■2万年前 「ユグドラシルの大移動時代」

 


■2万年前 「出羽国誕生」

 

最終戦争ラグナロクにより、ミドガルド王国はネバダ砂漠と化した。この時、「ユグドラシルの大航海時代」に参加したチャクは、テペウと共に古代マヤを離れ、東北地方に入植して「出羽国」を建てた。出羽の名の由来はテペウである。テペウ=テヘ=出羽となる。

 


■1万3千年前 「縄文人の大航海時代」

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千年 「トバル誕生」

 

「縄文人の大航海時代」に参加してモンゴルに移住し、その後「垂仁天皇の大移動時代」に参加したテペウは、メソポタミアに移ると「トバル」と呼ばれた。トバルの名の由来はトバルカインである。トナルカイン=トバルとなる。

 


■BC5千年 トバル、出羽国に帰還

 

「バベルの塔」を機に、トバルは出羽国に帰還した。

 


■BC32世紀 「十和田誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したプテ、ティカル人が出羽国を訪れると、トバルカインはプテと連合し、「十和田」を生んだ。十和田の名の由来はトバルカインとプテの組み合わせである。トバルカイン+プテ=トバテ=トワテ=十和田となる。

 


■BC32世紀 「イスラエル王国誕生」

 

葦原中津国(八代湾~天草諸島)のアシアーと高天原(台湾)のブリアレオース(ロア族)が組んで「イスラエル王国」を築いた。イスラエルの名の由来はアシアーとブリアレオースの組み合わせである。アシアー+ブリアレオース=アシリアレ=イスラエルとなる。ムシシの武蔵国、イデュイアの伊勢国、トバルカインの出羽国、十和田、ティカル人の津軽、エドム人の出雲国、ティアマトの大和国などが参加し、縄文人による連邦王国を築いていた。イスラエルの12支族も、みな、縄文時代の日本、夏時代の中国で生まれた。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ダヴィデ朝誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加した十和田人は、夏時代の中国に渡り、そこから現チベットに移った。十和田人はここに「ダヴィデ朝」を築いた。ダヴィデの名の由来は十和田である。十和田=トヴァタ=トヴァダ=ダヴィデとなる。ダヴィデ王とは、十和田の縄文人の首長のことである。チベット人が日本人に似ているのは、この時の大移動時代の縄文人の大量移住によるものである。また、ツォボット(チベット)の名もダヴィデ、或いは十和田が由来となっている。十和田=トヴァッダ=ツォボット=チベットとなる。

 


■BC32世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC32世紀 「善神デーヴァ誕生」

 

アルマゲドンを機に「ヨシュアの大移動時代」に参加したダヴィデは、文明放棄を決めた人々だったが、インダス流域に入植し、竜飛岬に住んでいた科学の種族から科学力を継承した。更に、テーバイ王国から来たトバルカインと連合し「善神デーヴァ」を生んだ。デーヴァの名の由来は出羽である。出羽=出え羽=デーヴァとなる。彼らが監督となり、ハラッパーやモヘンジョ・ダロなど、インダス流域に洗練された都市を築いた。彼らの生活の痕跡が、後に「インダス文明」と呼ばれた。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 善神デーヴァ、古代ロシアに移住

 

「マハーバーラタ戦争」を機に、善神デーヴァはインダス流域を離れ、古代ロシアに移住した。彼らが入植した人跡未踏の土地は、後に、モルディブから訪れたレティン人が「モルダヴィア」と呼んだ。特に、ロシア人女性には、一般的な白人女性とは異なる印象があるが、それは宇宙人(科学の種族トバルカイン)がもたらしたものなのだろう。それは、この時にもたらされたのだ。

 


■AD6世紀 「シベリア誕生」

 

AD6世紀頃、ブルガリア人、ハザール人、ペチェネク族などの騎馬軍団が北上すると、その中にタナトスが混じっていることを発見した善神デーヴァ族は核兵器で自身が築いた基地や施設を爆破し、タナトスが文明を悪用できないように自分たちの痕跡を跡形もなく消滅させた。現地には、核兵器でしか出来ないテクタイトが無数に転がっている。
この時、トバルカインはUFOでシベリア奥地に飛来し、人跡未踏であることを確認して拠点に定めた。彼らは、先祖でもあるシベリア人を尊敬し、交流を重ねた。彼らが訪れたことにより、シベリアは初めて「シベリア」と呼ばれた。シベリアの名の由来はスバルである。スバル=スバリア=シベリアとなる。しかし、当時、心を読む機械を発明していなかった彼らは、シベリア人が既にタナトスに汚染されていたことを知らなかった。そのため、科学の種族の科学力と、タナトスのできそこないの心を持った人間が誕生してしまう。科学の力を、悪に使う種族の誕生である。

 


■AD11世紀 「和田氏誕生」

 

宇宙人は、杉本氏に接近して自身の血統を打ち立てた、この時に生まれた杉本義盛は「和田義盛」と改名し、和田氏の祖として武蔵国に渡った。

 


■AD11??年 「里見氏誕生」「蒲生氏誕生」「瀬田氏誕生」

 

モルドバの大爆発以降、科学の種族(エラド、マハラエル、トバルカイン)は、シベリアに移住したが、一部が日本に降臨した。一部の科学の種族はヴィマーナ(UFO)を捨て、地上に降りて日本人と混合した。科学の種族は、まず新田氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「里見氏」の祖、里見義俊である。里見の名の由来はソドムである。ソドム=サドム=里見となる。
また、一部の科学の種族(多分トバルカイン)は、藤原氏に接近して自身の血統を打ち立てた、この時に誕生したのが「蒲生氏」の祖、蒲生舜清である。蒲生の名の由来はゴモラである。ゴモラ=ゴモウラ=蒲生となる。また、一部の科学の種族は、「瀬田氏」を形成した。瀬田の名の由来はソドムである。ソドム=セダム=瀬田となる。その後、里見氏から「千利休」が輩出され、蒲生氏と瀬田氏が「利休七哲」に加わっている。

 


■AD1522年 千利休生誕

 


■AD15??年 「利休七哲誕生」

 

蒲生氏郷、細川忠興、古田重然、芝山宗綱、瀬田正忠、高山右近、牧村利貞などの武将が千利休に師事した。後世になって彼らは「利休七哲」と呼ばれた。この他にも織田長益、千道安、荒木村重、前田利長、有馬豊氏、金森長近が含まれることがある。千利休(里見氏)、蒲生氏郷、瀬田正忠は科学の種族の血統に属している。また、細川忠興はマプーチェ族、古田重然はラコタ族、芝山宗綱、高山右近はカンボージャ人(武田氏)、牧村利貞はマゴス(三木氏)、織田長益は西ゴート族、荒木村重はレイフ・エリクソン、前田利長はマイドゥー族、有馬豊氏はエラム人に属している。
細川忠興の娘であり、明智光秀の奥方であったガラシャの名は興味深い。ガラシャの名は、古の種族、「ヴェーダ神話」を編んだアーンギラサの名前に因んでいる。一方で、科学の種族は虚言症を患う大谷に目をつけ、動向を監視していた。大谷は、袈裟を羽織った人喰い人種であり、日本人を蝕む癌であると科学の種族は認識していた。利休は、大谷の影響を排除するために宗教ではなく、「茶」を編み出し、大谷や日本仏教に対抗するための強い組織の形成を急いだ。
また、利休七哲は、みなキリスト教に改宗し、イエズス会に接触している。彼らの、悪に屈しない意志、諸悪の根源日本仏教に対抗する強い意志を感じる。しかし、残念ながらこれに気付いた大谷に先手を打たれ、「茶」は、大谷の血統に属する利休の後妻の連れ子、千少庵に簒奪されてしまった。利休の子、千道安の本家「堺千家」は消滅し、千少庵が築いたニセモノ「三千家」武者小路千家・表千家・裏千家は存続し、「日本会議」にも関与している。

 


■AD1591年 千利休刑死

 

大谷の世では、優れていることが罪となる。自分たちの正体を探っている千利休と、利休に傾倒する武将たちの動きに警戒感を覚えた大谷は、秀吉に千利休の切腹をすぐに命じた。秀吉は一向一揆の正体が大谷の指揮であることを知っていた。大谷や農民の如きは怖くも何とも無いが、それにしても数が多い。数で圧倒する。これが一揆の唯一の利点である。それに作物を作るのは農民である。簡単に皆殺しにすることはできない。せっかく天下統一を果たした秀吉である。大谷の要請を受け入れないと厄介なことになると踏んだ。しかし、崇敬する利休は殺せない。
そこで秀吉は、一計を案じて別人を処刑させ、忍びの者に命じて利休を安全な地へ導いた。しかし、鬼の如く狡猾な大谷の目はごまかせない。「文禄の役」「慶長の役」の間、制裁として大谷の医者に体調を操作された秀吉はAD1598年に急死した。更に、大谷は家康に入れ知恵をし、秀頼と豊臣一門を殲滅するための罠にはめた。その後の利休がどうなったかは定かではない。だが、彼は科学の種族に迎え入れられた可能性がある。日本上空を飛来する不審な飛行物体に、利休の子孫が搭乗しているかもしれない(先日、筆者はケムトレイルで描かれた「千」の文字を空中に発見した)。

 


■AD1908年 「ツングース大爆発」

 

モルドバ大爆発以降、科学の種族はシベリアに居住していた。人食い人種タナトスとそれに追随する無力で無知な「文明人」を嫌悪する科学の種族は、彼ら「シベリア人」と交流することを好んでいた。しかし、2000年前からタナトスがシベリア人の遺伝体系を汚染し、ナナイ族、オロチ族、オロチョン族、イテリメン族、ユカギール族などのタナトスに属するシベリア人を生んでいた。
当時、まだ思考を読む装置を開発していなかった科学の種族は知らない内にタナトス系シベリア人と交流し、子孫を成していた。科学の種族の遺伝子を得たタナトス系シベリア人は、科学の種族にウソと欺瞞で取り入り、悪用目的で科学の種族の科学力を簒奪し、世界征服用の巨大な要塞を建設していた、
これを察知した科学の種族はすぐに未知の兵器(放射能が検出されないことから核兵器ではない、人類が知らない巨大な爆発力を誇る兵器)で彼らの要塞を爆破した。これが「ツングース大爆発」の真相である。しかし、災害を生き延びたタナトス系シベリア人は、ツングースを逃れてドイツ、アメリカに移住した。彼らは科学者となり、ナチスに協力して「V2ロケット」を開発し、デーン人に協力して「原子爆弾」を開発した。一部は「MIB」を組織して宇宙人(科学の種族)に接触した人々に圧力をかけている。

 


■AD1935年 和田誠生誕

 


■AD1960年 チュエレイ人、安井氏と接触

 

「チュエレイ」を称する宇宙人が日本人に接触した。チュエレイの名の由来はニジェールだと考えられる。ニジェール=ニジェーレイ=チェレイとなる。ニジェールの名はエノスとメトセラが作った。つまり、このチュエレイ人は獣人アルキュオネウスの子孫である。

 


■AD1978年 ジャノス人、ジョン・マン家と接触

 

「ジャノス」を称する宇宙人がアメリカ人に接触した。ジャノスの名の由来はエノスだと考えられる。エノス=ジェノス=ジャノスとなる。つまり、このジャノス人は獣人アルキュオネウスの子孫である。

 


■AD198?年 「ケムトレイル散布」

 

科学の種族は、タナトスの化学企業が地球上に撒き散らす有毒な化学物質による汚染を憂いている。地球は、彼らの故郷でもあるからだ。永年の除草剤散布によって汚染された郊外の住宅街(特にアメリカ)、ゴルフ場、競技場、競馬場、公園、線路。殺虫剤散布によって汚染された公園、山岳地帯。これによって汚染された地下水は川に流れ込み、海に流れ出ている。これはタナトスによる人類の攻撃であるが、いらないものを強制的に使わせる法律を整備することで、同時に巨万の富を得ている。
パラコートは1965年に、ラウンドアップは1970年に発売開始された。これ以降、汚染は蓄積し、年々重度を増している。70年代後半から、除草剤・殺虫剤によるアレルギーが顕在化すると、タナトスは自分の血統の医者に「有毒な化学物質に起因するアレルギー」を「食物成分に起因する食物アレルギー」「植物の花粉に起因する花粉症」であるとウソをつかせている。これにより、化学企業は責任をとることも断罪されることもなく、人々を攻撃し続けることができる。タナトスの横暴に拍車をかけているのが、タナトスのウソを信じている無知な一般大衆である。
有毒な化学物質による汚染を食い止めるために科学の種族は除草剤、殺虫剤を中和するための未知の物質を撒き始めた。これが「ケムトレイル」である(農薬を使わないロシア・中国での発見報告はない)。ケムトレイルの発見は1990年代とされているが、60年代のアメリカ映画「ファスタープシキャット キル!キル!(監督ラス・メイヤー)」に、既に空中にケムトレイルを見つけることができる。この映画のロケ地は砂漠であったが、もしネバダ近辺であるなら、この時のケムトレイルは放射能の危険性を指摘していただろう。
近年、科学の種族は、この害に気づかない大量の無知な人々とタナトスを共に亡き者にしようと考えている。彼らは、ソドムとゴモラの時にも躊躇することなく無知な人々とタナトスを共に焼き殺した(狡猾なタナトスはうまく逃げ出しているが)。科学の種族は、加害者であれ被害者であれ、愚かな人間が許せない。彼らは、わかりやすくいえば「バイオレンスジャック」のような存在である。

 


■AD2003年 「空飛ぶ黒いステッキ」

 

カナダのオンタリオ州でミステリーサークルの見学に来ていた見物客が、この奇妙な、空中に浮かぶ棒状の物体を偶然カメラに収めている。空飛ぶステッキの写真は「UFO現象ファイル」という本に載っているが、この本を買った当時、この写真を見ても「は?」としか思わなかった。しかし、その一年後、2016年初頭に同じものを見たのだ。いい気なもんで、実際にこの目で見てしまうと人間変わるもんです。これ、間違いなく存在します。
筆者は、これを見つけた時、山の上(舗装整備されている)を散策しており、とある大学の敷地の上空にこれが浮かんでいるのを見た。丁度、その一ヶ月くらい前から、筆者は科学の種族が乗る飛行機(ケムトレイルを撒いている)を見ていたため、冷静だったが、思わず目を疑った。見た感じは黒い棒で、冬場で風が強かったにもかかわらず、空中に突き刺さっているかのようにピクリとも動かない。そして、2ヶ所でヌメッとした赤い光が点滅していた。
何か、監視されている気がして不快な気分になった。ある種の圧力を感じたのだ。機械というよりは、何か得体の知れない生き物のような感じだった。もっと良く見ようと双眼鏡を取り出している内にそれは消えてしまった。しかして、これは科学の種族が作ったものに間違いない。当時はまだ認識していなかったが、彼らが赤い光を点滅させる時は「警戒しろ」と言っている。確かに、この時に筆者が向かおうとしていた先には大きな競技場があるし、帰り道にはゴルフ場付近を通過しなければならなかった。科学の種族は「競技場、ゴルフ場で撒かれている除草剤に警戒しろ」と、無言の語りで筆者に伝えていたのだ。オンタリオ州の空飛ぶステッキ撮影現場も広大な麦畑であることに留意したい。科学の種族は、除草剤を「非常に危険な物質」だと考えている。

 


■AD2015年 彼らの飛行機が筆者の前に出現

 

午前中、たまに散歩をする筆者は、この年の12月に彼らが乗る飛行機を発見した。前から飛んでいたのかどうかは定かではないが、山(舗装整備されている)を登っていたら、ふと空中で静止している飛行機を見たのだ。実際には静止しているのではなく、非常にゆっくりだが、飛んでいた。更に、双眼鏡で見ると飛行機の形をしているのだが、白銀色の機体はボヤッとしていてハッキリとは見えない。何度も観察するうちに、彼らは、筆者を中心にして南北の空を飛んでいることがわかった。北の空を飛ぶ場合は東から西へ、南の空を飛ぶ場合は西から東へ飛んでいる。この法則はきっちり守られている。通常通り飛んでいれば安全を意味する。
しかし、筆者が知らずの内に危険な場所に向かっている時、或いは向かおうとしている時(この場合は思考を読んでいる)、彼らは反対方向から飛んでくる。北の空の場合は西から東へ飛び、南の空の場合は東から西へ飛んでいく。また、東西から飛んでくる機がすれ違うときがある。北の空の場合、西から東へ向かう機が東から西へ向かう機とすれ違うのだ。これは「来た方向へ戻れ」と言うことを示している。時にはすれ違う機がテレポートで消えるときがある。これも「すぐにそこから離れろ」と言うことを示している(何回か見たが、いずれもゴルフ場の近くや田んぼの真ん中にいた)。彼らは、見世物のように、遊びで消えて見せたりはしない。必ず何か意味を込めている。
また、ケムトレイルを撒く彼らはケムトレイルで巨大なバツを描いて危険を知らせたり、ケムトレイルで迂回しろという警告もくれる。他にも、飛んでいる生物を操って危険を知らせることがある。「先へ行くな」という警告の時には、あらゆる鳥類、トンボ、蝶、蜂が横切る。「早くそこから離れろ」というときにはスズメバチがスッ飛んでくることも多い。これは怖い。スズメバチが目に入ったこともある。今思えば、スズメバチが目に入った場所は水産加工場地帯だったため、殺菌剤にひどく汚染された場所だった。よほど危険なのだろう(そこで働いている人たちがいるが)。

 

 

 

 

◆ピラミッド派(デウカリオン)の歴史

 


■4万年前 「デウカリオン誕生」

 

テュポンは、アグリオスと連合し、「デウカリオン」を生んだ。デウカリオンの名の由来はテュポンとアグリオスの組み合わせである。テュポン+アグリオス=テユグリオ=テウグリオ=デウカリオンとなる。その後、大地殻変動時代を経てメソポタミアに入植すると、デウカリオンは巨石の種族ティカル人となる。この時、チュクウはピラミッド派になり、アグリオスはマウンド派となる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「ティカル人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したデウカリオンは、オーストラリアからスーサに身を寄せた。その後、デウカリオンは「巨石の種族ティカル人」となる。ティカルの名の由来はデウカリオンである。デウカリオン=テイカリオン=ティカルとなる。

 


■1万千5百年前 「ギョベクリ・テペ建設」

 

偉大な先祖カオスを祀るため、デウカリオン族とピュラ族は、古代アナトリアに「ギョベクリ・テペ」の神殿を築いた。ストーンサークル、ドルメン、前方後円墳、ピラミッドなど、すべての「巨石文化の種族」の始まりである。デウカリオン族は、後にマルタ人と連合して「マルドゥク族」を築き、タナトスの要請でメンヒルを、単独でドルメンなどをヨーロッパに築くことになる。

 


■BC7千2百年 「チャタル・ヒュユク建設」

 

チャタル・ヒュユクは、過去にスフィンクスを建造した巨石の種族の萌芽である。ここには、8000人もの人々が住んでいたといわれている。ティカル人の街として発展したのだろう。この頃、デウカリオンは、ヨーロッパからオリエントに進出していたウソつきの人喰い人種ディオニュソスを皆殺しにしている。

 


■BC3700年頃 「ジュンガンディーヤ神殿製作」

 

ピラミッド派は、同盟者マルタ人の拠点であるマルタ島に上陸し、「ジュンガンディーヤ神殿」を築いた。彼らの製作目的は、マルドゥクと同様に「聖なる洞窟」の建立であった。だが、窓が無く、屋内は昼間でも漆黒の闇であるため、製作法や製作の動機が謎とされている。彼らは、「原初の神カオス」を祀るため、真に洞窟の製作を志していた。そのために、真の闇が必要だったのだ。彼らは、後に「第2次北極海ルート」を立ち上げて、大航海時代に突入している。

 


■BC32世紀 「第2次北極海ルート時代」

 


■BC32世紀 「ロシア巨石文明誕生」

 

「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は、オビ河に到着する。このオビ河には、ティカル人、メトセラ、スバル人、マダイ族、アシェル、マハラエルが残留を決めた。オビ河がつなぐ4つの支流の1つはカザフスタンとモンゴルの境に端を発するが、AD2014年3月、近辺であるショリア山中で40mを越える花崗岩でできた人工の壁が発見された。人類史を覆す巨石オーパーツ、ロシアの巨石文明として話題になっているが、この巨石建造物に関わったのがピラミッド建造前夜のティカル人と考えられる。文明放棄組の行く末を常に見守っていた善神デーヴァ族は、巨石の種族であるティカル人に協力して創りあげたモノと考えられる。この時に、ティカル人はピラミッド建造のヒントを得たのではないか。

 


■BC32世紀 「津軽誕生」「十和田湖命名」「黒又山製作」

 

「第2次北極海ルート」に参加したティカル人は、ショリア山中でピラミッド建造のヒントをくれた善神デーヴァ族と共に津軽に移り住んだ。この時に初めて、この地は「津軽」と呼ばれた。津軽の名の由来はティカルである。ティカル=チカル=つがる(津軽)となる。ティカル人と善神デーヴァ族は現地人と混合し、ここで日本人の顔を得た。
また、金髪・碧眼の白人である善神デーヴァ族も一部が日本人の顔を得たと考えられる。ティカル人は、早速ピラミッドの試作品を現青森県に残した。十和田湖の水中ピラミッドと黒又山である。十和田の名の由来はトバルカインとティカルの組み合わせであり、黒又の名の由来はティカルとメトセラの組み合わせである。トバルカイン+ティカル=トバティ=十和田となり、ティカル+メトセラ=カルメト=クロマンタ(黒又)となる。

 


■BC32世紀 「葦嶽山製作」

 

ティカル人は現広島県にピラミッドと噂されている「葦嶽山」も残している。この名の由来はアシェルとティカルの組み合わせで、アシェル+ティカル=アシェティカ=葦嶽となる。

 


■BC32世紀 「タガログ族誕生」

 

科学の種族と分かれたティカル人は、日本を離れてルソン島に入植した。この時に、ティカルク(ティカルの人)を由来に「タガログ族」を成した。ティカルク=ティガルグ=タガログとなる。

 


■BC32世紀 「イースター島発見」

 

ティカル人は、ルソン島を発して太平洋横断に挑んだ。彼らは、メラネシアに到着するとトンガ、サモアなどに「タンガロア」「ティキ」などの神を祀った。タンガロアの名の由来はタガログであり、ティキの名の由来はティカルである。タガログ=タンガログ=タンガロアとなり、ティカル=ティキル=ティキとなる。その後、ティカル人はイースター島を発見した。

 


■BC29世紀 「パラトアリ・ピラミッド群製作」

 

更に、イースター島から古代ペルーに到達し、スーペ川を拠点にしたティカル人はアンデス山脈を越えた。その後、アマゾン流域に達すると、彼らは津軽で善神デーヴァ族と共に培ったピラミッド建造技術を単独で実践しはじめた。その結果が「パラトアリ・ピラミッド群」である。人工的な遺物とされる小山が、密林のド真ん中に10基も整然と並んでいるのだが、この時も「黒又山」の時と同様に、ティカル人は善神デーヴァ族の手を少々借りたかもしれない。

 


■BC29世紀 「カラル遺跡製作」

 

ティカル人はアマゾン流域からペルー側に戻ると、パラトアリで得た技術を用いて、単独でカラル砂漠に9基の試作品を製作した。それが「カラル遺跡」である。カラルのピラミッドは、エジプト初の階段ピラミッドよりも古い時代に作られたことで謎を呼んだ。

 


■BC29世紀 「ダカール誕生」

 

手応えを感じたティカル人は、南米を離れると大西洋をそのまま横断して古代セネガルに辿り着いた。ティカル人はここに「ダカール」の名を残した。ダカールの名の由来はティカルである。ティカル=ディカール=ダカールとなる。その後、ピラミッド技術を携えたティカル人は、ダカールを離れて北上し、地中海に侵入した。以上、お分かりのように、巨石建造の種族は、並々ならぬ冒険家の集団でもあった。

 


■BC2620年 「サッカラ誕生」「階段ピラミッド製作」

 

地中海に入ったティカル人は、古代エジプトに上陸した。そこで、ピラミッド派は自身の拠点「サッカラ」を得た。サッカラの名の由来はティカルである。ティカル=シィカル=サッカラとなる。ティカル人は拠点サッカラにて「階段ピラミッド」の建造を開始する。このエジプト初のピラミッドは、ジェセル王のために作られたといわれている。だが、ティカル人のピラミッド建造の目的は、常に「原初の神カオス」を祀るための「聖なる洞窟」の建立であった。ただ、洞窟を造るためには、まず、山を造らねばならない。ピラミッド派は、その後もエジプトに「ピラミッド」を築き、また、シュメールに赴いて「ジグラット」などを建設した。

 


■BC2180年 「ピラミッド派の大航海時代」

 


■BC2180年 「ラピタ文化誕生」

 

タナトスから解放したマルドゥクを連れた。ピラミッド派はタガログ族の拠点ルソン島を中心に、マルドゥクと共に太平洋地域一帯に小型ピラミッドを多数残した。マルドゥクは多数のメンヒルを島々に残している。ピラミッド派は「ティキ」を祀った。ティキの名の由来はティカルである。ティカル=ティキル=ティキとなる。

 


■BC19世紀 「海の民の大航海時代」

 


■BC19世紀 「オルメカ文明誕生」

 

タガログ族は、マヤ通過の際、マヤに残留している。彼らが築いた文明は、「オルメカ文明」として知られている。中でも、巨石で造られた黒人の頭部が有名だ。ただ、あの顔は黒人の顔ではなく、ルソン島に住んでいたタガログ族、つまり、フィリピン人の顔である。海の民の脅威に曝されたラムセス2世の時代に製作されたレリーフがある。このレリーフにはチェケル人の姿が刻まれているが、黒人に見えるあの顔も、じつはフィリピン人(タガログ族)の顔である。また、巨石の種族マルドゥク(高車)と同盟関係にあったタガログ族は、見よう見まねで、オルメカ文明で土製ピラミッドの建造を試みている。

 


■BC1250年頃 「ラス・アルダス製作」

 

ルソン島に入植したチェケル人と分かれ、ペルーに残留していたティカル人は、ペルー・カスマ川に「ラス・アルダス」と呼ばれるピラミッドを製作した。また、ピラミッド派は一度、マウンド派との連合を試み、BC10世紀に巨大な土製のピラミッドをエル・サルバドル、ホンジュラスに建造した。
同年代に、ピラミッド派がチャビン・デ・ワンタルに宗教都市を建設すると、それを境にピラミッド派の活動が活発化する。ピラミッド派は、マラニョン川、カハマルカ地域にピラミッドを建設し、ネペニャ川に神殿を建設した。その後も、カスマ川、アヤクーチョ地方、ピルー川、チャンカイ川、チンチャ川と次々にピラミッドを製作した。

 


■BC582年 「ピタゴラス誕生」

 

BC9世紀頃に精力的にピラミッドを残したピラミッド派は、BC3世紀になるまで500年間、ペルーでのピラミッド建造を中止している。この間、彼らはギリシアに移住して「ピタゴラス」を生んでいた。ピタゴラスの名の由来はペルーのティカルである。ペルー+ティカル=ペタカル=ピタゴラスとなる。
彼は、古代よりピラミッド建造に携わってきた種族の末裔であるがゆえ、先鋭的な数学者として知られた。また、ピタゴラスは神秘主義的な側面を持ち、密儀結社「ピタゴラス教団」を結成した。しかし、クロトン成立の歴史的背景を知らないピタゴラスは、この地に及んで伝道活動を行うも、人喰い人種「ダン族」の末裔であるクロトン人に嫌われて虐殺されてしまう。

 


■BC582年 「テオティワカン宗教都市建設」

 

虐殺を機に、ピタゴラスの一族はクロトンを逃れてペルーに帰還した。だが、新たな新天地を求めた彼らは、故地を離れて古代メキシコに移住した。ピラミッド派は、ギリシアで得た知識を導入し、「死者の大通り」「太陽と月のピラミッド」を含む、洗練された巨大な宗教都市を現出させた。この後、200年後に「イェマックの大航海時代」を機に河伯がメキシコに到来すると、この人身御供の種族を嫌ったピラミッド派は故地ペルーに帰還した。

 


■BC3世紀 「エル・ミラドール建設」

 

ペルーでは、ピラミッド派は「ガイナソ文化」に属するピラミッドをピルー川に築き、グアテマラに赴いてスペイン人に「エル・ミラドール」と呼ばれた宗教都市を築いた。時は、BC3世紀頃のことである。この時期、マウンド派はピラミッド派の精力的な活動に不満を示し、故地を離れて東アジアに向かうことを決意し、太平洋を横断して、秦統治下の中国に赴いている。

 


■BC221年 「万里の長城製作」

 

ピラミッド派は、マウンド派を追って東アジアに移住し、ピラミッドの需要を求めて中国各地の王族に接触した。匈奴の侵入を防ぐために始皇帝は、ピラミッド派に長城の製作を依頼した。しかし、ピラミッド派は長城建設に乗り気でなかったのか、故地に帰還してオアハカ盆地に鎮座する宗教都市「モンテ・アルバン」や、ボリビアに宗教都市「ティワナク」の建設を指揮した。

 


■AD72年 「熊襲武尊誕生」

 

「万里の長城」建設の途中でペルーに逃げたピラミッド派は、再度、東アジアの地を踏むべく、ペルーを後にした。ピラミッド派は、九州に上陸し、熊襲国に身を寄せた。ピラミッド擁護派として熊襲を味方に付けた彼らは「熊襲武尊」を称した。クマソもヤマトも武(タケル)の名の由来は同じティカルである。ティカル=タカル=タケルとなる。その後、熊襲武尊が日本武尊に敗北すると、マウンド派は、熊襲を離れて、吉備国に移住した。現岡山県赤磐市に小型ピラミッドを一基(熊山遺跡)しか残せなかったピラミッド派は、「大和人の大航海時代」に参加して東方に旅立った。

 


■AD3世紀 「マラエ製作」

 

「大和人の大航海時代」に参加して故地への帰還を計った熊襲武尊は、途上のタヒチ島に上陸し、ティキを祀るための小型ピラミッド「マラエ」を製作した。ここから、単独での航海がスタートする。

 


■AD3世紀 「太陽のワカ製作」「月のワカ製作」

 

ピラミッド派はポリネシアからペルーに移住し、モチェ川付近に「太陽のワカ」「月のワカ」と呼ばれるピラミッドを建造した。

 


■AD3世紀 「グイマーのピラミッド製作」

 

更に、そこからマヤに至り、大西洋側に出ると、大西洋を横断してカナリア諸島に上陸する。彼らはここに「グイマーのピラミッド」を建設した。このピラミッドは、誰が建造したのか不明だとされている。

 


■AD4世紀 「伯爵の神殿製作」「碑銘の神殿製作」

 

カナリア諸島から帰還したピラミッド派は、折りしも、古墳時代の終焉を機にマヤに移っていたマウンド派と再度対立した。熊襲武尊と日本武尊の対立の再現である。ところが、今回はピラミッド派が勝利し、マウンド派を退けてマヤ全域にピラミッドを建設する権利を得た。ピラミッド派はパレンケに「伯爵の神殿」「碑銘の神殿」を建造している。

 


■AD5世紀 「エローラの石窟寺院製作」

 

その後は、太平洋再度横断してインドに移り、AD5世紀に「エローラの石窟寺院」の製作を指揮している。この後、AD8世紀になるまで300年の間、ピラミッド派は東南アジアに移住してヒンズー様式の巨石建造物を建造している。

 


■AD8世紀 「魔法使いのピラミッド製作」「ティカル・ピラミッド群製作」

 

AD8世紀にインドから帰還すると、ピラミッド派は「魔法使いのピラミッド」をウシュマルに建設し、ティカルに「第1神殿」~「第4神殿」に至るシリーズを建立している。

 


■AD8世紀 「ボロブドゥール寺院製作」

 

その後、ピラミッド派は再度マヤを離れてシャイレーンドラ朝治世下のジャワ島に渡り、AD9世紀に「ボロブドゥール寺院」を建造している。

 


■AD10世紀 「ククルカンの神殿製作」

 

マヤに帰還したピラミッド派は、チチェン・イツァーに「ククルカンの神殿」を建立した。

 


■AD1113年 「アンコールワット寺院製作」

 

しかし、三度、マヤを後にすると、ピラミッド派はAD1113年にはカンボジアにヒンドゥー寺院「アンコール・ワット」を建立している。

 


■AD13世紀 「ナンマドール遺跡製作」

 

AD13世紀頃にはポナペ島に「ナンマドール遺跡」を建立している。ムー大陸の痕跡だとかいろいろ言われている。自由を愛する彼らは、自由を奪い、人間の尊厳を否定する文明を広めているタナトスを嫌い、自分たちだけの島を人工的に作ろうとしたのかもしれない。

 


■AD1320年 「トゥグルク朝誕生」

 

AD10世紀、ティカル人破魔矢を拠点に世界中に進出して巨石建造物の建築を依頼されていた。この時、オルメカ文明の時代からマヤにいたタガログ族は彼らに同行してアジアに帰還した。その後、彼らはパンジャブに進出した。タガログ族は「トゥグルク」を称し、ハルジー朝を倒してAD1320年に「トゥグルク朝」を開いた。トゥグルクの名の由来はタガログである。タガログ=トグルク=トゥグルクとなる。AD1323年、トゥグルク朝はカーカティヤ朝、ホイサラ朝を倒してインド全域を獲得した。

 


■AD15世紀 「万里の長城製作」

 

その後、ピラミッド派は明の治世下にある中国を訪れ、「万里の長城」の建設を指揮した。万里の長城は、蛮族の侵入を防ぐために築かれた長城は、宇宙からも見える一大モニュメントとして知られている。

 


■AD15世紀 「モアイ製作」

 

しかし、それが終わると、ピラミッド派はイースター島に閉じこもり、巨石の建造に纏わる技術の継承を目的に「モアイ」の製作を人知れず継続した。ところで、筆者は美大に通っていたが、画力を上達させるには人物デッサンを多く手がけることである。人物は、いろんな形の集合体である。つまり、人物を描破できるようになれば、何でも描けるようになるのだ。それは彫刻も同様である。つまり、イースター島の職人たちが、人物の石造を彫り続けたのは巨石建造物の建造に纏わる諸々の技術継承が目的である。いつでも、どんなものでも造れるように、どんな注文が舞い込んでもいいように人物を彫り続け、巨石の運搬技術の伝統を伝えるために、モアイを建て続けたのだ。

 


■AD1722年 「ダゴール誕生」

 

AD1722年、白人がイースター島に到来すると、ピラミッド派はイースター島を離れてインドに移った。彼らは「ダゴール」の姓を成した。ダゴールの名の由来はテイカルである。ティカル=ディガル=ダゴールとなる。

 


■AD1742年 カリーム・ハーン、イラン王に即位 「ザンド朝誕生」

 

AD1413年、トゥグルク朝が滅ぶと、トゥグルク家はイランに移住した。その後、トゥグルクの血統から生まれたカリーム・ハーンは、トゥグルク時代に治めていたシンドを由来に「ザンド朝」をイランに開いた。ザンドの名の由来はシンドである。ザンド朝の系統は、イランからヨーロッパに移住した。

 


■AD1861年 詩聖ダゴール生誕

 

AD1861年には詩聖ダゴールが誕生している。ダゴールは、アインシュタイン、ガンジーなど時代の寵児たちと親交を温めた。これをもって、ピラミッド派の大航海時代は終焉を迎えた。

 


■AD1890年 シャルル・ドゴール生誕

 


■AD1944年 タウンズ・ヴァン・ザント生誕

 


■AD1945年 ピート・タウンシェンド生誕 「ザ・フー誕生」

 

 

 

 

 

 



読者登録

大本正さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について