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ムンビの歴史

◆マニ教(ムンビ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ムンビ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したカゾオバは、現ケニアに「ムンビ」、現カメルーンに「エバシ」、中央アフリカに「ザムビ」を生んだ。ムンビは、現ケニアの海辺でも小魚、貝類、甲殻類に特化していたため、身長は1mのままであった。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」

 


■100万年前 「キジムナー(前身)誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」に参加したカゾオバは、北極圏であった地中海に入植した。これにより、肌は白くなり、頭髪が赤くなった。これはキジムナーの特徴であるが、沖縄の妖怪キジムナーは古代ギリシアで生まれたことがわかる。カゾオバはムンビと組み、「キジムナー(キジムン)」を生んだ。
キジムナーの名の由来はカゾオバとムンビの組み合わせである。カゾオバ+ムンビ=カゾムン=キジムン=キジムナーとなる。キジムナーは地中海に於いても獲物を変えなかったため、身長は1mのまま暮らした。キジムナーの目撃談同様、彼らは、古代地中海でも小魚、貝などを獲って食べていたと考えられる。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」

 


■100万年前 「ムンバイ誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」に参加したムンビは、インドに移住して「ムンバイ(現ボンベイ)」に住んだ。ムンバイの名の由来はムンビである。ムンビ=ムンビイ=ムンバイとなる。湖水地方時代、人口密度の影響で各々が各々の獲物に特化していたが、新天地ではその必要がなくなり、小魚、昆虫を食べていたムンビは、大型哺乳類、大型魚類など、好きな獲物を食べることで巨大化した。身長1mから160cmほどになったムンビは、インド人の祖となった。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「キジムナー誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは、沖縄諸島に入植し、洞窟に居住しながら、川で魚、虫を捕って暮らしていた。彼らは「キジムナー」の名を復活した。白い肌、赤い頭髪は、地中海時代に得たものである。古代から日本人と共存し、漁の手伝いをすることもあるという。キジムナーは妖怪として知られているが、古来から目撃談が絶えず、現地人の間では実在していると信じられている。
キジムナーは、現地人の船に乗って共同で漁を行い、夕食時にはかまどの火を借りに来る。年の瀬は一緒に過ごすなど、人間の「隣人的」な扱いを受けている。人間の家に嫁ぐこともあるといわれているほどだ。基本的に品行法制だが、棲家の古木を切り倒すと、家畜を全滅させたり、船を沈めたりなど、一旦恨みを買うと徹底的に復讐をする。

 


■30万年前 「ケンムン誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは、奄美大島に入植し、洞窟に居住しながら、川で魚、虫を捕って暮らしていた。彼らは「ケンムン」と呼ばれた。ケンムンの名の由来はキジムンである。キジムン=キンムン=ケンムンとなる。数々の目撃談から、ケンムンはキジムナーと同じ容姿であることがわかる。ケンムンは妖怪として知られているが、古来から目撃談が絶えず、現地人の間では実在していると信じられている。
ケンムンは相撲好きで、人に会えば挑戦するといわれている。薪を運ぶのを手伝ったりし、夜間は漁をする。特に魚の目玉が好き。カタツムリ、ナメクジの食べるという。キジムナーや河童に通ずる。部分も多いことから、同族だということがわかる。

 


■30万年前 「カワランベ(河童)誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したムンビは、日本に入植した。この時に、河童に参加していたムンビは「カワランベ」を生んだ。カワランベの名の由来は「河原のムンビ」である。河原+ムンビ=カワランビ=カワランベとなる。同じ河童でも、カアパコの身長は50cmであり、カワランベの身長は1mあった。

 


■30万年前 「山姥(ヤマンバ)誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したムンビは、日本に入植した。山岳部に移住した彼らは、この時に「山姥(ヤマンバ)」が生まれた。ヤマンバの名の由来は「山のムンビ」である。山+ムンビ=ヤマンビン=ヤマンバとなる。山姥は人間を獲って食うと言われ、一方では迷子の子供を助けるという。結局、彼らは干渉されるのを防ぐため、平穏な生活を守るために人を獲って食うとウソをついているのだろう。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「アーリマン誕生」

 

インドから「デウカリオンの大航海時代」に参加したムンバイ人は、メソポタミアに移住し、ワルムベと組んで「アーリマン」を生んだ。アーリマンの名の由来はワルムベとムンビの組み合わせである。ワルムベ+ムンビ=ワルムン=アーリマンとなる。

 


■BC11世紀 「ハヌマーン誕生」

 

ルハンガは、ムンバイのムンビと共に、マガン王国のラーマ皇子の要請でアラビア半島に渡った。スリランカを支配していたタナトスの一族、魔王ラーヴァナ、ラクシャサ(羅刹)を倒すためである。ハヌマーンの名の由来はルハンガとムンビの組み合わせである。ルハンガ+ムンビ=ハナムン=ハヌマーンとなる。実際には、ハヌマーンはオラン・ダラムそのままの姿をしていたと考えられる。ただ、ムンビと混合したため、身長は4mから3mに縮んだ。

 


■BC165年 「ハスモン朝誕生」

 

BC198年、セレウコス朝のアンティオコス3世がエジプト征伐を行った。彼らがヌビアに侵攻すると、メロエ王国のアプスーは、イスラエルに逃亡した。この時、彼らはムンバイ人と連合した。BC200年頃、ムンバイ人はアーンドラ朝成立を機にイスラエルに逃げていた。両社は共同で「ハスモン朝」を開いた。ハスモンの名の由来はアプスーとムンビの組み合わせである。アプスー+ムンビ=プスムン=ハスモンとなる。

 


■AD216年 預言者マニ生誕 「マニ教誕生」

 

AD67年、ユダヤ戦争を機にハスモン朝の残党はイランに逃亡した。その後、ハスモン朝(ムンビ)の残党から「マニ」が生まれた。マニの名の由来はムンビである。ムンビ=ムナビ=マニとなる。

 


■AD8世紀 マニ教、ウイグル汗国の国教に制定

 

中国からウイグル汗国に渡ると、マニ教は地元のタナトスと組み、念願の国教指定を受けた。

 


■AD883年 「惟宗氏誕生」

 

AD848年、ウイグル汗国が滅ぶと、マニ教は讃岐国に移住し、そこから京に移った。秦氏に接近した彼らは、自身の血統を打ち立てた。ここに「惟宗氏」の祖、惟宗直宗・直本の兄弟が生まれた。惟宗の名の由来は「ウイグルから来たマニ」である。ウイグル+マニ=グルマニ=クルマニ=惟宗となる。

 


■AD12世紀 「宗氏誕生」

 

AD845年、「会昌の廃仏」がはじまると、摩尼教は福建に逃れ、「福建海賊」として近海を荒らした。その福建海賊から、対馬に拠点を得た「宗氏」が生まれた。宗の名の由来は摩尼である。摩尼=マニ=宗(むね)となる。

 


■AD1290年 「香宗我部氏誕生」

 

香宗我部の名の由来は惟宗(ウイグルとマニ)とカペーの組み合わせである。惟宗+カペー=惟(香)+マニ(宗)+カペー(我部)=香宗我部(こうそかべ)となる。カペー家の残党と組んだ、惟宗氏の末裔部族である。

 


■AD1290年 「長宗我部氏誕生」

 

長宗我部の名の由来はナコタ、マニ、カペーの組み合わせである。ナコタ(長)+マニ(宗)+カペー(我部)=長宗我部(ちょうそかべ)となる。長宗我部氏は、カペー家の残党と組みつつ、マニトゥを祀ってナコタ族を支配した預言者マニの直系と、福建の摩尼教の直系宗氏による連合部族である。

 


■AD1386年 「ミナンカバウ族誕生」

 

長宗我部能重が吉原庄全域を支配下に置くと、香宗我部氏は土佐国を後にスマトラ島に移住した、彼らは「ミナンカバウ」を称した。ミナンカバウの名の由来は宗我部(ムネカベ)である。ムネカベ=ムネンカバエ=ミナンカバウとなる。AD1651年、オランダ東インド会社がミナンカバウ族の土地で金を発掘して以来、タナトスの家族ということで、ミナンカバウ族はオランダと親交をもった。その後、AD1585年、豊臣秀吉の四国征伐で敗北すると、長宗我部氏は土佐国を後に、兄弟であるミナンカバウの地に移住し、両者は連合した。

 


■AD1958年 「インドネシア共和国革命政府誕生」

 

近年では、ミナンカバウ族は「インドネシア共和国革命政府」を立ち上げて反乱を頻発し、ゲリラ戦を展開した。この反乱は、AD1961年に終焉を迎えているが、背後でオランダ王国、パプア系華僑と連合していた可能性も高い。

 

 

 

 

 


アブクの歴史

◆ピュグマエイ(アブク)の歴史

 


■400万年前 「第1次エスの大移動時代」

 


■400万年前 「アブク誕生」

 

「第1次エスの大移動時代」に参加したエスは、湖水地方に入植し、各々が各々の獲物に特化することで、バラエティに飛んだ人類を生み出した。その中に、オリジナル人類のひとつアブクがいる。彼らは、クウォスよりも小さい獲物に特化していたため、身長が140cmになり、現在のピグミー族に似た容姿をしていた。

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ムワリ誕生」「モリモ誕生」「モディモ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。

 


■200万年前 「モリモの大移動時代」

 


■200万年前 「パグ族誕生」「ムユ族誕生」

 

「モリモの大移動時代」に参加したアブクとムワリは、チッタゴンからマレー、インドネシア、パプアに四散した。アブクはパプアに「パグ族」を残し、ムワリもパプアに「ムユ族」を残している。永年の時を経て彼らはパプア人に吸収されたが、当初は小人族だったと考えられる。パグの名の由来はアブクであり、ムユの名の由来はムワリである。両者はピュグマエイ(ピグミー)の前身である。パグ+ムユ=パグムユイ=ピュグマエイとなる。

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■30万年前 「ヘカトンケイル誕生」「コットス誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイは、「ヘカトンケイル」「コットス」を生んだ。ヘカトンケイルの名の由来はベカタン、キャラの組み合わせであり、コットスの名の由来はブカット+エウリュトスの組み合わせである。ベカタン+キャラ=ベカタンキャラー=ヘカトンケイルとなり、ブカット+エウリュトス=カットス=コットスとなる。コットスは、バントゥー族(ピグミー族の愛嬌のある顔と獣人の身体能力)の姿をしていた。当時のコットスの姿をした人々が未だに東南アジア、フィリピン辺りに住んでいる。好奇心の強い人々は、彼らを見て「なぜアフリカ人が東南アジアにいるんだ?」と不思議がっている。

 


■30万年前 「日向国誕生」

 

ヘカトンケイルは、コットスと共に大和国に移住した。この時、ヘカトンケイルは九州に入植し「日向国」を築いた。日向(ひゅうが)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ヒュグマエイ=ひゅうが(日向)となる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したコットスは、ヘカトンケイルに属し、ティタン神族にも参加した。

 


■4万年前 「第2次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 鶴(ゲラノス)と戦う

 

「第2次ウラヌスの大移動時代」を機に、クロノスの陰謀に巻き込まれたヘカトンケイルはパプアに帰還した。その後、クロノスはゼウスに敗北すると、パプア・ニューギニアに落ち延びて「ダニ族」となった。しかし、ピュグマエイは故地にやってきたクロノスに怒りをあらわにし、何度も戦闘を挑んだ。当時のパプアニューギニアは「ペガサス」と呼ばれていた。アブクとムシシの国という意味だ。アブク+ムシシ=ブクシシ=プグシシ=ペガサスとなる。
ホメロスは、ピュグマエイについて書き残している。「小人族である彼らは、鶴と戦っていた。鶴は毎年略奪に訪れるため、毎年春になると、小人族は矢を携え、羊に乗って大集団を成し、鶴の雛や卵を殺しに進軍する」という。ところで、この意味ありげな「鶴」とは何を意味するのだろう?疑問に思ったときは、ギリシア語で「鶴」を何と呼ぶのか知ることだ。何の意味も無く鶴と名づけたりはしないからだ。
しかして、鶴はギリシア語でゲラノスである。「ゲラノスってどこかで聞いたことあるな。どこで聞いたかな。クロノスだ!」ということで、ゲラノス(鶴)とは、クロノスのことを意味していると考えて良い。つまり、ピュグマエイが戦っていた「鶴」とは、人喰い人種のダニ族のことである。小人族と呼ばれたピュグマエイは、凶悪な新参者であるダニ族を嫌い、頻繁に戦火を交えていた勇敢な人々だったのだ。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ユカタン誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したヘカトンケイルは、ユカタン半島に上陸し、ヴァルハラ王国の建設に協力した。この時に、初めて「ユカタン半島」と呼ばれた。ユカタンの名の由来はベカタンである。ベカタン=エカタン=ユカタンとなる。

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にテミスを生んだディンカ族、マサイ族がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らはグリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの同盟者モリモのことである。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「尾(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アフリカに上陸し、湖水地方に「尾」を生んだ。彼らは、「東方青龍」の建設に参加した。尾(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグアエイ=ウェイとなる。

 


■4万年前 「ビ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アジスアベベに「ビ」を生んだ。彼らは、「西方白虎」の建設に参加した。ピの名の由来はピュグマエイである。

 


■4万年前 「翼(イー)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現スワジに入植し「翼」を生んだ。彼らは、「南方朱雀」の建設に参加した。翼(イー)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマエイー=イーとなる。

 


■4万年前 「危(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現ケニアに入植し「危」を生んだ。彼らは「北方玄武」の建設に参加した。危(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマウェイ=ウェイとなる。

 


■4万年前 「バカ族誕生」「アカ族誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、故地であるアフリカに帰還し、コンゴに入植した。彼らは、現在知られているピグミー族の母体を築いた。この時に「バカ族」「アカ族」が生まれた。バカ、アカの名の由来はピュグマエイである。ピクト=バカト=バカ=アカとなる。「バカ」と「馬鹿」は似ているため、バカ族はその名前のせいで日本人におもしろがられているが、実際には「バカ」の名は、オリジナル人類の名に起源を持つ高貴な名前である。

 


■2万年前 「武曲(ウーク)誕生」

 

オーディーンが、ヴァルハラから現ベナンに移住した際、ピグミー族は、「武曲」を生んだ。彼らは「北斗星君」の建設に参加した。武曲(ウーク)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピューグマエイ=ウークとなる。

 


■1万5千年前 「日子番能邇邇芸命誕生」

 

台湾に入植したエノクは、ピュグマエイと共にインドから来たヴァナラシ族と連合して「日子番能邇邇芸命」を誕生させた。ヒコホノニニギの名の由来はピュグマエイ(コロボックルの祖)、ヴァナラシとエノクの組み合わせである。ピュグマエイ+ヴァナラシ+エノク=ピュグヴァナ+ネノク=ヒコホノニニギとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万3千年前 「大地殻変動の時代」

 


■1万3千年前 「テングリの大航海時代」

 


■1万3千年前 「神武天皇誕生」

 

「テングリの大航海時代」に参加したピグミー族は、テングリと共に長江に移住した。その後、彼らは黒龍江に移った。ピグミー族は、そこでティアマト、エウリュトスと連合して初代天皇「神武天皇」を生んだ。御名カムヤマトイワレ彦の名の由来は、ピュグマエイ、ティアマト、エウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+ティアマト+エウリュトス=グマアマトエウリュ彦=カムヤマトイワレ彦となる。神武天皇は、大地殻変動後にモンゴルに集った亡命者をまとめ、統治した。神武天皇がはじめた「天皇家」は、獣人の王族でもあった。ピュグマエイの名は、日本語の「神(かみ)」の語源でもある。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千2百年 「ゴメル誕生」

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加した神武天皇の残党は、モンゴルからメソポタミアに移住して「ゴメル」を生んだ。ゴメルの名の由来はピュグマエイとエウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+エウリュトス=グマエウリュ=ゴメルとなる。ティアマトがいない以外は、ゴメルの名は神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)と同じ構成である。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「熊野国誕生」「ガド族誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したユカタン人は、出羽国に移住した。その後、紀伊半島に移った。この時に「熊野国」を築いた。熊野の名の由来は「ピュグマエイの土地(野)」である。ピュグマエイ+野=グマ野=熊野となる。同時に、「ガド族」が生まれている。ガドの名の由来はユカタンである。ユカタン=ユガダン=ガドとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ヤクート族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したガド族は、ツングースで「ヤクート族」を生んだ。ヤクートの名の由来はユカタンである。ユカタン=ユカータン=ヤクートとなる。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「アッカド人誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したヤクート族は、メソポタミアに入植し「アッカド人」を生んだ。アッカドの名の由来はヤクートである。ヤクート=ヤックート=アッカドとなる。

 


■BC30世紀 「安倍晴明誕生」

 

アブク(ピグミー族)から「安倍晴明」が生まれた。安倍の名の由来はウバンギである。ウバンギ=ウバノギ=あべの(安倍)となる。当時、イフェの神官(オニ)が「陰陽道」を築いた。陰陽道の名の由来は「モンゴル王国のオニ(神官)」である。オニ+モンゴル=オンモン=オンミョン=オンミョウ(陰陽道)となる。安倍(あべの)晴明を名乗っていたピグミー族(アブク)は、アテナイ王国を操る司神タナトスに支配され、蘆屋道満(アシル・ボグドー)と対立した。安倍晴明に関する全ての話は、アフリカに住んでいたツチ族(土御門家)が、日本に伝え、自分の格を上げるために利用した。

 


■BC30世紀 「弓削道鏡誕生」

 

陰陽道の人物として知られる「弓削道鏡」もアフリカで生まれた。弓削(ゆげ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピユゲマエイ=ユゲ(弓削)となる。

 


■BC2350年 サルゴン、初代アッカド王に即位 「アッカド帝国誕生」

 


■BC2150年 「ゲシル・ボグドー誕生」

 

BC2150年、グチウム族に王位を簒奪されると、アッカド人はアフリカに踏み入り、コンゴに移住した。この時、アッカド人は、バラク(プレークサウラー)と組み、「ゲシル・ボグドー」を生んだ。ゲシル・ボグドーの名の由来はプレークサウラーとピクドの組み合わせである。プレークサウラー+ピクト=クサウラ+ビグドー=ゲシル・ボグドーとなる。モンゴル国の英雄として知られるゲシル・ボグドーは、現アンゴラに「モンゴル王国」を築いた。

 


■BC1020年 「第2次黙示録アルマゲドン」

 


■BC1020年 「北イスラエル王国誕生」

 

「第2次アルマゲドン」により、モンゴル王国がナミブ砂漠、カラハリ砂漠と化すと、ガド族とアシェル族(アシル・ボグドー)は新しいイスラエル王国に移住した。

 


■BC11世紀 「衛誕生」

 

インド人の顔をした彼らは、中国人と混合して「衛氏(ウェイ)」を形成した。衛の名の由来はヤクートである。ヤクート=ウェイクート=ウェイ(衛)となる。衛は、後に魯(ルー)、韓(ハン)と共にソマリアに入植し、ラハンウェイン族を形成している。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「オック誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代/西方組」第1の拠点はフランス南部である。ここには、アッカド人が入植を決めている。アキタニア、オックの名の由来はアッカドである。アッカド=オックド=オックとなる。

 


■BC7世紀 「アケメネス家誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したマナセ族は、イランに移住した。マナセ族は、アッカド人と組んで「アケメネス家」を生んだ。アケメネスの名の由来はアッカドとマナセの組み合わせである。アッカド+マナセ=アッカマナセ=アケメネスとなる。アケメネス家は、後にダリウス大帝を輩出しているが、ダリウス大帝はタナトス(ミトラス教)に属していた。

 


■BC7世紀 「熊襲誕生」「日向国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したガド族は、アシェル族と共に九州に入植した。この時に「熊襲」が生まれた。熊襲の名の由来はピュグマエイとアシェルの組み合わせである。ピュグマエイ+アシェル=グマアシェ=クマソ(熊襲)となる。また、ガド族は、単独で「日向国」を築いた。日向(ひゅうが)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ヒュウグマエイ=日向(ひゅうが)となる。更に、漢字表記の「日向」の由来はピュグマエイとマゴの組み合わせである。ピュグマエイ+マゴ=ピ(日)+ムカ(向)=日向となる。

 


■BC7世紀 「神武の東征」

 

熊襲から分離したガド族は、日向国にやってきた天孫族と組み、先祖の故地である熊野国に移った。更に、ガド族と天孫族は大和国を経て、満州に入植した。この時に「イエマック」が生まれた。これが所謂「神武天皇の東征」である。ガド族は、神武天皇を生んだ3部族(ピュグマエイ、ティアマト、エウリュトス)のひとつである。

 


■BC330年 「ペルシア人の大航海時代」

 


■BC330年 「縣氏誕生」

 

「ペルシア人の大航海時代」に参加したアケメネス家は、日本に上陸して分裂した。アッカド人は「縣氏」を生んだ。縣の名の由来はアッカドである。アッカド=アカド=縣となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ヴァカタカ朝誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した縣氏は、熊襲武尊の残党と共にインドに移住した。彼らは「ヴァカタカ朝」を開いた。ヴァカタカの名の由来はアッカドとティカルの組み合わせである。アッカド+ティカル=アッカティカ=ヴァカタカとなる。

 


■AD500年 「岡田氏誕生」「芥川氏誕生」

 

ヴァカタカ朝が滅ぶと、インド人の顔をした縣氏は日本に帰還して現地人と交わり、「岡田氏」「芥川氏」を生んだ。岡田の名の由来はヴァカタカである。ヴァカタカ=ァカタ=岡田となる。芥川の名の由来は「ヴァカタカの川」である。ヴァカタカ朝は、デカン高原のド真ん中、マハナジ川からキストナ川までの間を統べていた。つまり、ヴァカタカの川とは、マハナジ川とキストナ川のことである。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動時代」

 


■AD531年 「マクリア王国誕生」

 

「マクリア人の大移動時代」に参加したマクリア人は、アフリカ大陸に至り、エジプトを通過した。そして、彼らはナイル上流域ヌビアにまで足を伸ばした。モンゴル人の顔をした安閑天皇の一族はヌビア人と混合し、「マクリア王国」を建設した。

 


■AD753年 「ヴォキル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD641年頃、ヌビアにイスラム教が伝えられると、マクリア人はヌビアを離れて中央アジアに移住した。ブルガリア帝国が建つと、ガド族はブルガリアに侵入し、「ヴォキル王朝」を開いた。ヴォキルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグラ=ヴォキルとなる。この王朝は、AD762年まで続いた。

 


■AD825年 「クマン人誕生」

 

エクバードによるイングランド統一を機に、マーシア人がフォトラ(エフタル)を率いてイングランドを離れ、パンノニアに移住する。この時、マーシア人は安閑天皇の後裔マクリア人と合体し、「マジャール人」が誕生した。一方、天孫族とガド族は差別化のために「クマン人」を称した。クマンの名の由来は熊野国である。熊野=クマノ=クマンとなる。

 


■AD9??年 平将門生誕

 


■AD9??年 平将平生誕

 


■AD941年 「第1次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD941年 「トンガ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加した平将門は、死んだと見せかけて縣氏、藤原純友、多治経明、平将平の氏族を率いて太平洋に移住を試みた。この時に、平将門はトンガを発見し、「天下」と命名した。この天下島は変遷を重ねて「トンガ」と呼ばれるようになる。

 


■AD941年 「マフダリ家誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加した平将平は、インド洋を横断してマフィア島に入植した。この時に「マフダリ家」が生まれた。マフダリの名の由来は「マフィアの平(タイラ)」である。マフィア+タイラ=マフタラ=マフダリとなる。

 


■AD997年 「コメトプル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

クマン人に参加していたヴォキル家は、再度、ブルガリアに侵入し、「コメトプル朝」を開いた。コメトプルの名の由来はクマンとトバルカインの組み合わせである。クマン+トバルカイン=クマトバル=コメトプルとなる。コメトプルの名から察するに、クマン人は、ロシアに住んでいたトバルカインと交流をしていた可能性がある。この王朝は、AD1018年まで続いた。

 


■AD1040年 「スワヒリ人の大移動時代」

 


■AD10??年 「コムネーノス家誕生」

 

コメトプル朝が滅ぶと、クマン人が分裂した。天孫族は「ヒメノ」を名乗り、ガド族は「コムネーノス」を名乗った。コムネーノスの名の由来は熊野とウラヌスの組み合わせである。クマノ+ウラヌス=クマノーヌス=コムネーノスとなる。

 


■AD1081年 アレクシオス・コムネーノス、ビザンツ皇帝に即位 「コムネーノス朝誕生」

 

AD1081年、アレクシオス・コムネーノス将軍がビザンツ皇帝ニケフォロス3世を倒し、「コムネーノス朝」を開いている。ヒメノは天孫族が主導し、コムネーノスはガド族が主導していた。

 


■AD11世紀 「第2次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「丹氏誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したトンガ人は、平安時代末期の日本に帰還した。トンガ人は、トンガを由来に「丹氏」を称した。トンガ=タンガ=丹となる。丹氏は「丹党」を結成して「武蔵七党」に参加する。

 


■AD11世紀 「丹治氏誕生」

 

丹党を結成した丹氏と勅使河原氏は連合して「丹治氏」を生んだ。丹治の名の由来は丹氏と多治氏の組み合わせである。

 


■AD11世紀 「タンガニーカ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したトンガ人は、東アフリカに上陸した。この時に「タンガニーカ」が築かれた。タンガニーカの名の由来はトンガである。日本人の血を引くトンガ人は、タンザニアで得た土地に「バガモヨ」「キサワレ」「ムクランガ」などと命名した。これらの地名は日本語が由来である。「バガモヨ(ばか者)」「キサワレ(きさまら)」「ムクランガ(わからんか)」となる。つまり、将門の子孫は、言葉が通じないタンザニア人に対し、頻繁に怒っていたのだろう。

 


■AD11世紀 「プトゥン人誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したトンガ人は、「プトゥン人」を生んだ。プトゥンの名の由来は超古代にヴァルハラ王国を治めていたヴォドゥン(オーディーン)の名に因んでいる。しかも、トンガの名にもかかっている。ヴォドゥン=プォトゥン==プトゥンとなる。

 


■AD11世紀 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「タイラー誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したプトゥン人は、ブリテン島に上陸して「タイラー」の名を生んだ。タイラーの名の由来は、平将門の平(タイラ)である。

 


■AD11世紀 「後藤氏誕生」「工藤氏誕生」「加藤氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加した縣氏は、縣を由来に「ゴドー」の姓を残した。アガタ=アガター=ゴドーとなる。その後、イングランドを発った縣氏は、フランスに移住した後、ヨーロッパを離れて西アフリカにまで足を伸ばした。現カメルーン辺りに上陸した縣氏は「コトー」の名を残している。更に、現カメルーンを発った縣氏は南アフリカを周航し、インド洋を越えて日本に戻ってきた。ヨーロッパ人、アフリカ人の顔を得た縣氏は、日本に上陸すると現地人と混合して「後藤」「工藤」「加藤」の名を生んだ。3つの名の由来はゴドー、或いはコトーである。

 


■AD11世紀 「生田氏誕生」「池田氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したユカタン人は、日本に上陸すると「生田氏」「池田氏」を生んだ。生田、池田の名の由来はユカタン半島である。ユカタン=イクタン=生田、池田となる。生田氏は「生田神社」を創建している。

 


■AD11世紀 「スワヒリ人の大移動時代」

 


■AD1130年 アブド・アルムーミンが初代アミールに即位 「アルモハード帝国誕生」

 

「スワヒリ人の大移動時代」に参加したマフダリ家は、アブド・アルムーミンを生んだ。彼が、初代アミールに即位して「アルモハード帝国」が誕生した。アルモハードの名の由来はアルと「マフィアート(マフィアの人)」の組み合わせである。アル+マフィアート=アルマフィアード=アルモハードとなる。アブド・アルムーミンは、アンダルシアを支配下に置き、ズイール朝、ハンマード朝を滅ぼした。

 


■AD12世紀 「コルシカ誕生」

 

AD12世紀、一部がアルモハード帝国を離れて、コルシカ島に移住した。コルシカの名の由来は日本語「殺す」である。コルシカ人もジェノヴァの支配に抵抗して蜂起をしばしば繰り返している。そんな中、コルシカ人はAD1769年にコルシカからマルセイユに移って「コルシカン・マフィア」を形成している。コルシカの人々は将門の末裔である。

 


■AD1269年 「マフィア誕生」

 

AD1269年にアルモハード朝がマリーン朝の台頭によって滅ぶと、マフダリ家はシチリア島に移った。この時に、「マフィア」の母体がシチリアに誕生した。マフィアの名の由来はマフィア島である。アルモハードの残党は、シチリアを掌握していたアンジュー家を追放するために「シチリアの晩鐘事件」を指揮し、アンジュー家の支配を弱体化した。
マフダリ家の子孫は、農地を管理するガベロットに転身し、マフィア組織の土台を形成した。シチリア・マフィアは、後にアメリカに移民し、AD1930年代から40年代にかけてラッキー・ルチアーノなどが登場し、ニューヨーク、シカゴに勢力を拡大させた。マフィアは、将平の末裔である。

 


■AD1381年 ワット・タイラーの乱

 


■AD1381年 「平岡氏誕生」「奥平氏誕生」

 

平将門の血を引くワット・タイラーは農民を指揮して「ワット・タイラーの乱」を指導したが、不発に終わった。これを機に、処刑に見せかけたワット・タイラーの一族郎党は、ブリテン島を脱出し、マヤを経て太平洋を横断した。一行は、プトゥン人の拠点トンガ島を通過して将門の故地、日本に上陸した。
イギリス人、マヤ人、ポリネシア人の血を引くワット・タイラーは日本人と混合して「平岡」「奥平」の名を生んだ。平岡の名の由来はタイラー(平)とアッカド(岡)の組み合わせであり、奥平はアッカド(奥)とタイラー(平)が反対になっている。奥平氏は、後に「児玉党」に参加している。

 


■AD1892年 芥川龍之介生誕

 


■AD1925年 三島由紀夫(平岡公威)生誕

 


■AD1945年 奥平剛士生誕 「日本赤軍誕生」

 


■AD1948年 スティーヴン・タイラー生誕 「エアロスミス誕生」

 


■AD1959年 ロザンナ・アークェット生誕

 

アークェットの名の由来はアッカドである。アッカド=アーグアッド=アークェットとなる。

 


■AD1964年 「タンザニア共和国誕生」

 

AD1964年、タンガニーカ人はザンジバル革命を指揮して「ザンジバル共和国」を建て、ジュリウス・ニエレレが汎アフリカ精神の下、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」を建設した。その後、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」は、改名して「タンザニア共和国」となった。

 


■AD1968年 パトリシア・アークェット生誕

 

 

 

 

◆賀茂氏(ゴメル)の歴史

 


■BC7千2百年 「ゴメル誕生」

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加した神武天皇の残党は、モンゴルからメソポタミアに移住して「ゴメル」を生んだ。ゴメルの名の由来はピュグマエイとエウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+エウリュトス=グマエウリュ=ゴメルとなる。ティアマトがいない以外は、ゴメルの名は神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)と同じ構成である。

 


■BC5千年 「天空神クマルビ誕生」「ゴモラ誕生」

 

ゴメルが、バルト海から来たセムの子アルパクシャデと組んで「最高神クマルビ」を祀った。クマルビの名の由来はゴメルとアルパクシャデの組み合わせである。ゴメル+アルパクシャデ=ゴメアルパ=クマルビとなる。ゴメルはカッパドキア周辺に「ゴモラ」を築いた。アルパクシャデは後にチャド方面に「ソドム」を築くが、「クマルビ」の名の由来によってソドム(アルパクシャデ)とゴモラ(ゴメル)は友好関係にあったことがわかる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「賀茂氏誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したゴメルは、日本に移住して出雲国を建てた。現地人と混合し「賀茂氏」を称した。賀茂の名の由来はゴメルである。ゴメル=ガモル=賀茂となる。賀茂氏は、クマルビを祀り、伝説の国ゴモラを建設した人々の子孫である。

 


■BC248年 「出雲国の大航海時代」

 


■BC248年 「カーマルーパ誕生」

 

「出雲国の大航海時代」に参加した賀茂氏は、日本を発ってインドに達すると「カーマルーパ」を築いた。カーマルーパの名の由来はクマルビである。クマルビ=クーマルービ=カーマルーパとなる。

 


■BC248年 「巨摩誕生」

 

「出雲国の大航海時代」に参加した賀茂氏は、この後、すぐにインドからモンゴルに移ることを決意し、ミャンマーに立ち寄って、古のカイン族に出会い、彼らを船団に迎え入れた。モンゴルに辿り着く途中、彼らはで甲斐国に立ち寄った。一部カイン族が「甲斐国」に残留を申し出たが、この時に賀茂の名を由来に「巨摩(こま)」の名が甲斐国に残された。巨摩の名の由来はゴメルである。ゴメル=ゴマル=巨摩となる。

 


■BC248年 「姑墨(グモ)誕生」

 

「出雲国の大航海時代」に参加した賀茂氏は、甲斐国から黒龍江に進入し、モンゴルに入植した。一方、一部の賀茂氏はタリム盆地に及んで「姑墨(グモ)」を建てた。姑墨の名の由来は賀茂である。かも=がも=姑墨(ぐも)となる。

 


■AD262年 「金氏誕生」「統一新羅樹立」

 

後漢の西域侵入を機に、姑墨がタリムを離れて朝鮮半島に移住した。彼らは「金氏(キム)」を称した。キム(金)の名の由来はグモ(姑墨)である。新羅に足場を得た金氏から、AD262年に味スウ尼師今が第13代新羅王に即位して「金氏王朝」を新羅に開いた。AD602年、第29代新羅王、武烈が朝鮮半島を統一して「統一新羅」を成立させた。
朝鮮語には「コマ」という言葉があるが、これは小人族ピュグマエイに由来している。ピュグマエイ=グマ=コマとなる。コマの意味は「小さい」であり、年長の者が年少の者に「ちびっこ」などの意味合いで用いることがある。これは金氏が朝鮮半島を統一した際にもたらされたものだろう。また日本でも、広島弁では小さい子供を「こま」と呼ぶ。広島だけでなく、その周辺地域でも「こま」と呼ばれるなら、出雲国を建てた賀茂氏がもたらしたものだろう。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「カーマルーパ復活」

 

「大和人の大航海時代」に参加した賀茂氏はジャワを発ち、安曇氏、吉備氏、道氏、縣氏、熊襲武尊と共にインドに移住した。賀茂氏は「クマルビ」の名を復活させて「カーマルーパ王国」を築いた。クマルビ=クーマルービ=カーマルーパとなる。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「カーン王朝カラクムル誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した姑墨は、慕容部(ムーロング)、乞伏部(キフ)と共にマヤに「カーン王朝カラクムル」を築いた。カーンの名の由来は乞伏部の祖キンブリ人から取り、カラクムルの名の由来はアングル人、姑墨、慕容部の組み合わせである。キンブリ=カーンブリ=カーンとなり、アングル+グモ+ムーロング=グルグムロン=カラクムルとなる。

 


■AD520年 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD520年 「クメール人誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加した姑墨は、アングル人、ドルヒユ族を連れてカンボジアを目指した。姑墨は、アングル人と共にカンボジアに入植し、両者は現地人と混合し、両者は「クメール人」「アンコール人」を生んだ。クメールの名の由来はゴメルである。ゴメル=ゴメール=クメールとなる。

 


■AD802年 「クメール王国誕生」

 

AD780年に金志良の乱が起きると、一部の金氏は朝鮮半島を脱出し、カンボジアに移住した。金氏は、アンコール人や祖を同じくするクメール人を統率し、「クメール王国」を築いた。クメール王国は、AD1431年まで続いた。

 


■AD832年 「スマトラ人の大航海時代」

 


■AD832年 「三浦氏誕生」

 

「スマトラ人の大航海時代」に参加した金氏は、ジャワを発って日本に上陸した。彼らは、平忠光に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「三浦氏」の祖、三浦為通である。三浦の名の由来はゴメルと同じくピュグマエイと獣人エウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+エウリュトス=マエイリュ=マエイリャ=三浦(みうら)となる。

 


■AD929年 「ジャワ人の大航海時代」

 


■AD929年 「鎌倉氏誕生」

 

「ジャワ人の大航海時代」に参加したカーマルーパ人は、平忠道に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのが、鎌倉章名である。鎌倉の名の由来は「アンコールから来たカーマルーパ」である。カーマルーパ+アンコール=カーマコール=鎌倉となる。

 


■AD935年 「神氏誕生」「金刺氏誕生」

 

新羅が滅亡すると、金氏は朝鮮半島を後に諏訪国に移住した。金氏は2つに分離して氏族を形成した。1組目は金(キム)に似た日本語、神(かみ)を当て字して「神氏(じん)」を生んだ。2組目は「金」と女真(ジュシャン)を意味する「刺(さし)」の組み合わせで、「金刺氏」を形成した。この2つの氏族は、あまり知られていない地味な氏族と考えられているが、実際には国際的に大きな活躍をした。神氏は「シンガサリ王国」「シンガプール王国」を、金刺氏は「金朝」「アユタヤ朝」を築いている。

 


■AD10世紀 「木村氏誕生」

 

アンコール人が勢力を伸張しはじめた時期に、クメール人はカンボジア王国を後にした。カンボジア人の顔をしたクメール人は、日本人と混合して「木村」の名を成した。木村の名の由来はクメールである。クメール=クメラ=木村となる。

 


■AD10世紀 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD10世紀 「キャメロン誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したクメール人は、イングランドに上陸した。カンボジア人の顔をしたクメール人はイギリス人と混合して「キャメロン」の名を成した。キャメロンの名の由来はクメールである、クメール=クメーロン=キャメロンとなる。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD1009年 「ギムプタス誕生」

 

「東アジア王族のリトアニア大移住」に参加してリトアニアに移住した金氏からは「ギムプタス」が生まれた。ギムプタスの名の由来は金(キム)プタスである。リトアニア大公国を統治した王の一人である。

 


■AD1115年 「金朝誕生」

 

満州から来た「刀伊の賊」が、九州に侵攻した話を聞いて、金刺氏が諏訪国を出て満州に移住した。金刺氏は女真族を支配下に置いて「金朝」を開いた。金朝はチンギスを支援してモンゴル統一を援助したが、逆に成長著しいモンゴル軍に攻め込まれ、滅んでしまう。

 


■AD1222年 「シンガサリ王国誕生」

 

諏訪国を発ちインドネシアに移住した神氏は、朝鮮語で「神なら殺せる」を意味する「シンガサリ」を由来に「シンガサリ王国」を建てた。AD1293年、クディリ王家の残党の蜂起によって王国が滅ぶと、シンガサリ家はジャワを後にマレー半島に移住し、AD14世紀に「シンガプーラ王国」を建てた。

 


■AD1247年 「日本人町誕生」

 

日本仏教の連合軍にハメられた「宝知合戦」を機に、三浦氏は3組に分かれて日本を脱出した。1組目は東南アジア(ベトナム・カンボジア・フィリピン)に散って「日本人町」を建設した。

 


■AD1293年 「マジャパヒト王国誕生」

 

日本仏教の連合軍にハメられた「宝知合戦」を機に、三浦氏は3組に分かれて日本を脱出した。2組目はジャワ島に帰還して、AD1293年に「マジャパヒト王国」を建てた。マジャパヒトの名の由来は「真のジャワ人」である。真(マ)+ジャワ(ジャパ)+人(ヒト)=マジャパヒトとなる。

 


■AD13世紀 「マッラ朝誕生」

 

日本仏教の連合軍にハメられた「宝知合戦」を機に、三浦氏は3組に分かれて日本を脱出した。3組目はネパールに移住して、AD13世紀に「マッラ朝」を開いている。マッラの名の由来は三浦である。三浦=ミャッラ=マッラとなる。

 


■AD13世紀 「スパンブリー国誕生」

 

AD1234年、王朝の滅亡を機に、金刺氏は、満州からタイに落ち延びて「ムアンスパンブリー」に居住し、AD13世紀に「スパンブリー国」を建てている。スパンブリーとはタイ語で「金の町」を意味している。

 


■AD1305年 「加茂氏誕生」「徳川家誕生」

 

パラマーラ朝が滅ぶと、カーマルーパはインドから日本に向かい、三河に上陸した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「三河加茂氏」を形成した。その後、AD1542年、三河加茂氏は松平清康に接近して自身の血統を打ち立てる。この時に誕生したのが松平元康、後に天下泰平を実現した「徳川家康」である。パラマーラ朝は、デカン高原の川を境に北インドを支配していた。つまり、徳川の名の由来は「デカンの川」である。デカン+川=デカ川=徳川となる。

 


■AD1314年 「ムザッファル朝誕生」

 

マジャパヒト王国とマッラ朝の一部三浦氏が連合してイランに移住した。三浦氏は、イランに「ムザッファル朝」を開いた。ムザッファルの名の由来はマジャパヒトとマッラの組み合わせである。マジャパヒト+マッラ=マジャパッラ=ムザッファルとなる。

 


■AD1314年 「村上水軍誕生」

 

東南アジア各地の三浦氏の末裔はシンガポールの神氏を連れて日本に帰還し、瀬戸内海に集結した。瀬戸内海に集結した三浦氏は神氏と組んで「村上氏」を称した。村上の名の由来は三浦と神の組み合わせである。三浦+神(かみ)=ミュラカミ=村上となる。村上水軍は、因島、来島、能島の3拠点を所有していたが、それぞれの名にも由来がある。
因島(いんのしま)のことを現地人は「いんとう」と呼ぶが、いんとう(インド)は、マジャパヒトの拠点インドネシアを意味している。同様に、来島(クル)の名は「釜山倭館」が建てられた高麗(ゴリョ)に由来し、能島(の)の名は「マッラ朝」の拠点ネパールに由来している。因島村上氏はジャワ島と瀬戸内海を往来し、来島村上氏は朝鮮半島と瀬戸内海を往来し、能島村上氏はネパールと瀬戸内海を往来していた。

 


■AD1314年 「マーレイ誕生」

 

神氏は、マレー半島にシンガプーラ王国を築いたが、一部は三浦氏と共に瀬戸内海に赴いて「村上氏」を築いた。一方、一部の神氏は、単独で瀬戸内海から太平洋を横断してマヤを経てブリテン島に至った。東南アジア人の顔をした彼らはイギリス人と混合して「マーレイ」を称した。マーレイの名の由来はマレーである。

 


■AD1351年 ラーマティーボディー1世、初代王に即位 「アユタヤ朝誕生」

 

スパンブリーの王統に属するラーマティーボディー1世は満州語で金を意味する「アルチュフ」を由来に「アユタヤ朝」を開いた。アルチュフ=アユチャファ=アユタヤとなる。アユタヤ朝には、「大坂の陣」の残党が大挙して押し寄せ、アユタヤ日本人町を築いてアユタヤ朝の傭兵などを務めた。しかし、オランダ東インド会社が勇敢な日本人武士を目の敵にし、アユタヤ王に指示して山田長政の暗殺、及び日本人町の焼き討ちなどを行った。
しかし、ほとんどの日本人はオランダ人の悪意をものともせず、当地アユタヤに留まり続けた。AD1733年にアユタヤ朝が滅ぶと、アユタヤ家はタイを離れて統一新羅の時代以来となる、朝鮮半島への帰還を果たした。この系統からは大韓民国大5代大統領の金大中、俳優の松田優作(金優作)、映画監督の金基督、アニメ監督の今敏が輩出されている。

 


■AD14世紀 「シンガプーラ王国誕生」

 

AD1293年、クディリ王家の残党の蜂起によって王国が滅ぶと、シンガサリ家はジャワを後にマレー半島に移住し、AD14世紀に「シンガプーラ王国」を建てた。シンガプーラの名の由来は「シンガサリ」と南アジアで土地を意味する「プール」の組み合わせである。つまり、シンガプーラとは、「シンガサリの領土」を意味している。シンガプーラの名は後に「シンガポール」の名の由来となる。シンガプーラ王国は、AD1603年に「アホム王国」の王位を簒奪し、AD1833年までアホム王国の支配を続けた。

 


■AD1542年 「徳川家康(松平元康)誕生」

 

AD1542年、三河加茂氏は松平清康に接近して自身の血統を打ち立てる。この時に誕生したのが松平元康、後に天下泰平を実現した「徳川家康」である。パラマーラ朝は、デカン高原の川を境に北インドを支配していた。つまり、徳川の名の由来は「デカンの川」である。デカン+川=デカ川=徳川となる。

 


■AD1600年 「江戸幕府誕生」

 

「国家安康」の陰謀は大谷が考案したものである。これにより、豊臣家にいちゃもんをつけ、悪者扱いしたうえで排除することができた。「江戸」の命名は、過去に出雲国を共同で建国したエドム人の名に由来している。賀茂氏の同盟者エドム人は、安曇氏(出雲)、アーズミー(インド)、江戸氏(武蔵国)と変遷を遂げている。

 


■AD1615年 「戦国武士の大航海時代」

 


■AD1632年 「青幇誕生」

 

「戦国武士の大航海時代」に参加した来島村上氏は、浄土真宗が推進した「海賊禁止令」によって日本を出ることを決意し、海外に新天地を求めた。来島村上氏は、大坂の陣の残党と共にアユタヤに上陸し、日本人町を築いた。だが、アユタヤ日本人町の焼き討ち事件が起きると、来島村上氏は中国組とアフリカ組の2手に分かれてアユタヤを去った。中国組は上海に渡って海運労働に従事していたが、やがて村上水軍を祖とする労働者が集団化し「青幇(チンパン)」が設立された。

 


■AD1632年 「チャンガミレ族誕生」

 

「戦国武士の大航海時代」に参加した来島村上氏は、大坂の陣の残党と共にアユタヤに上陸し、日本人町を築いた。だが、アユタヤ日本人町の焼き討ち事件が起きると、来島村上氏は中国組とアフリカ組の2手に分かれてアユタヤを去った。アフリカ組はジンバブエに進出して「チャンガミレ族」を称した。チャンガミレの名の由来は「シャムの三浦」である。シャムが三浦=シャムガミレ=チャンガミレとなる。

 


■AD1722年 ミール・カマルッディーン・ハーン、宰相に就任 「ニザーム藩国誕生」

 

AD1722年、カーマルーパ王族の系統に属するミール・カマルッディーン・ハーンがムガール皇帝から宰相の地位を得て「ニザーム藩国」を手中にした。カーマルーパ王国の残党が「ニザーム藩国」を築いた。カマルッディーンの名の由来はカーマルーパである。

 


■AD1748年 「ケマル家誕生」

 

AD1748年にジャング家に王位を簒奪されると、ニザーム王家はインドを離れて東西に移住した。西方組はオスマン・トルコ帝国治世下のアナトリア半島に上陸した。彼らは「ケマル」を称した。ケマルの名の由来はカーマルーパである。カーマルーパ=ケーマルーパ=ケマルとなる。この系統からはムスタファ・ケマル・アタチュルクが輩出されている。

 


■AD1748年 「夏目氏誕生」

 

AD1748年にジャング家に王位を簒奪されると、ニザーム王家はインドを離れて東西に移住した。東方組は、インドを離れて江戸幕府治世下の日本を目指した。インド人の顔をしたニザーム王家は現地人と混合して「夏目」を称した。夏目の名の由来はニザームである。ニザーム=ニツァム=夏目となる。この系統からは昭和の大文豪「夏目漱石」が輩出されている。

 


■AD18世紀 「カウリスマキ誕生」

 

謎のングミ人、ンデベレ人がチャンガミレの領地に侵入してくると、チャンガミレ族は再度、ジンバブエを離れた。彼らは、遠くバルト海を目指した。フィンランドに移住したチャンガミレ族からは「カウリスマキ」の名が生まれた。カウリスマキの名の由来は「クルシマキ(来島人)」である。クルシマキ=クォルシマキ=カウリスマキとなる。

 


■AD1867年 夏目漱石生誕

 


■AD1881年 ムスタファ・ケマル・アタチュルク生誕 「トルコ共和国誕生」

 

ムスタファ・ケマル・アタチュルクは、AD1923年に初代トルコ共和国大統領に就任し、「トルコ共和国」を建国している。こうなると、アタチュルクと漱石は家族ということになるが、そういえば、アタチュルクと漱石の顔は似ていないこともない。

 


■AD1912年 金日成生誕 「北朝鮮人民民主主義共和国誕生」

 

東アジアの共産主義、共産党は、リトアニア大公国(唐、新羅の王族)の残党が築いたものである。つまり、金日成(キム・イルソン)はギムプタスの子孫である。

 


■AD1940年 フランク・ザッパ生誕 「マザーズ・オブ・インヴェンション誕生」

 

三浦氏(マジャパヒト王国)が築いたムザッファルの人々は、ヨーロッパに移住し「ザッパ」の名を生んでいる。ムザッファル=ムザッパル=ザッパとなる。ザッパの名からはフランク・ザッパが生まれている。

 


■AD1925年 金大中生誕

 


■AD1927年 金泳三生誕

 


■AD1941年 金正日生誕

 


■AD1944年 横山やすし(木村雄二)生誕

 


■AD1954年 ジェームズ・キャメロン生誕

 


■AD1949年 金優作生誕 「松田優作誕生」

 


■AD1956年 デイヴ・マーレイ生誕 「アイアン・メイデン誕生」

 


■AD1957年 アキ・カウリスマキ生誕

 


■AD1963年 今敏生誕

 


■AD1984年 金正恩生誕

 

 

 

◆児玉氏(コットス)の歴史

 


■30万年前 「ヘカトンケイル誕生」「コットス誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイは、「ヘカトンケイル」「コットス」を生んだ。ヘカトンケイルの名の由来はベカタン、キャラの組み合わせであり、コットスの名の由来はブカット+エウリュトスの組み合わせである。ベカタン+キャラ=ベカタンキャラー=ヘカトンケイルとなり、ブカット+エウリュトス=カットス=コットスとなる。コットスは、バントゥー族(ピグミー族の愛嬌のある顔と獣人の身体能力)の姿をしていた。当時のコットスの姿をした人々が未だに東南アジア、フィリピン辺りに住んでいる。好奇心の強い人々は、彼らを見て「なぜアフリカ人が東南アジアにいるんだ?」と不思議がっている。

 


■30万年前 「事代主神誕生」

 

ウラヌスと意気投合したコットスは、日本に移住した。彼らは、ティアマトの国ヤマトに入植して「事代主神」を祀った。コトシロヌシの名の由来はコットス、ウラヌスの組み合わせである。コットス+ウラヌス=コットスラヌス=コトシロヌシとなる。事代主神は、ボブ・サップ、またはマイク・タイソンのような姿をしていた。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したコットスは、ヘカトンケイルに属し、ティタン神族にも参加した。

 


■4万年前 「第2次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「バントゥー族誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したコットスは、ゼウスに敗北すると、クロノスの理不尽な支配を嫌い、アブク、ムワリの故地であるアフリカを目指した。現在、彼らは、バントゥー族(中でも体格が良い人々)としてアフリカ全域に暮らしている。バントゥー族は、ピュグマエイの愛嬌のある顔・陽気な性格・リズム感と、獣人のゴツい体格・高い身体能力を受け継いでいる。

 


■4万年前 「カドモス誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したコットスは、ゼウスに敗北すると、クロノスの理不尽な支配を嫌い、新天地を求めて台湾を目指した。コットスは、ミマースと連合体を組んだ。この時にカドモスが生まれた。カドモスの名の由来はコットスとミマースの組み合わせである。コットス+ミマース=コットマース=カドモスとなる。カドモスは、アゲノールのもとで、ポイニクス、キリクス、エウロペと共にテュロス王国(オーストラリア東南部)を支配した。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「初代テーバイ王国誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したカドモスは、東南アジアを拠点にアゲノールが治めるテュロス(タルタロス)と交易を行っていた。しかし、大地殻変動により、エウローペーがヨーロッパから西アフリカに移住すると、カドモスは、これに倣って西アフリカに移った。エウローペーが築いたヨルバに身を寄せたカドモスは、そこから更にニジェール河を遡り、緑豊かだったサハラに入植し、科学の種族トバルカインと共に王国を築いた。この時に「テーバイ」が生まれた。

 


■BC32世紀 「第2代テーバイ王国誕生」

 

「インダス文明」にも名前があった。その名は「テーバイ」である。テーバイの名の由来は「デーヴァ(トバルカイン)」である。ソドムとゴモラを機に、サハラを捨てたトバルカインは、インダスに移住して第二テー梅雨王国を建設した。この時、カドモスの血統が引き続き、テーバイの王族として統治を任せられた。カドモスは、善神デーヴァと呼ばれたトバルカインと素晴らしい時を満喫した。しかし、テーバイ王国の栄光は、復讐心を原動力としている夜叉・羅刹(能登族・ダナーン人)たちの乱入によって終焉を迎えた。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「テーバイ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」によって荒廃に帰した故地を後に、カドモスは、ギリシアに移住して改めて「テーバイ」を建設した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「カトマンズ誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカドモスは、ガンジス流域からネパール方面に進出し、「カトマンズ」を建設した。カトマンズの名の由来はカドモスである。カドモス=カドモンス=カトマンズとなる。

 


■BC5世紀 「門真誕生」

 

カドモス族は「門真」を築いた。門真の名の由来はカドモスである。カドモス=カドマス=門真となる。「門松」の由来もカドモスかもしれない。

 


■BC5世紀 「児玉氏誕生」「多摩誕生」

 

ペー族と共に摂津を発ったカトマンズ人は、同盟者であるミマースが築いた武蔵国が位置する関東地方に入植した。彼らは、現地人と混合して「児玉氏」を形成した。更に、彼らは得た拠点を「多摩」と命名した。児玉、多摩の名の由来はカトマンズである。モーゼス=モセス=武蔵となり、カトマンズ=コタマンズ=児玉=多摩となる。

 


■AD10世紀 「角田氏誕生」

 

門真の民(カドモス族)が相模国に移住し、東京周辺を「武蔵野」と命名した。カドモスは「カド」に因んで「角田(かどた)」の名を成したが、角田の漢字表記のまま、読みだけが変遷を繰り返して「かくた」「つのだ」「すみだ」などの名を生んだ。

 


■AD11世紀 「有道氏誕生」「桂氏誕生」

 

児玉党に参加した四方田氏、庄氏、本庄氏の詳細は別項に記しているので割愛したい。「有道氏」の祖は、アルメニア人である。AD1045年、セルジューク軍がアルメニアに侵攻すると、これを機に、アルメニア人はシルクロードを渡って日本に移住した。有道の名の由来は「アルメニアの道」である。つまり、彼らはシルクロードイを経たことを示している。プラティハーラ朝が滅ぶと、カトマンズの人々が彼らと共に日本に移住した。ネパール人の顔をした彼らは有道惟能に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「児玉氏」の祖、児玉惟行である。児玉の名の由来はカトマンズである。カトマンズ=コダマンズ=児玉となる。この系統からは児玉源太郎が輩出されている。また、「桂氏」の祖は、カタール人である。カタール=カチャール=桂となる。

 


■AD11世紀 「栗栖氏誕生」「鳴瀬氏誕生」「端氏誕生」「西氏誕生」

 

AD1066年、ノルマン人がブリテン島に侵攻すると、「大和人の大航海時代」を経てブリテン島に入植した日本人の子孫、クリス、ニルス、ダニエルのイギリス人一族がイングランドを脱出して太平洋を横断してはるばる日本に帰還した。この時に、ニースの人々が参加していた。白人の姿をした一行は日本人と混合して「栗栖氏」「鳴瀬氏」「端氏」「西氏」を形成した。端の名の由来はダニエルの愛称ダンであり、西の名の由来はニースである。当時、フランク王国領であったニースは神聖ローマ帝国領になった。そのため、ニースの人々は地中海を脱出して日本に移住した。こうして見ると、「児玉党」はアルメニア人、ネパール人、ジャワ人、アラビア人、スペイン人、イギリス人で構成されていたことになる。

 


■AD1852年 児玉源太郎生誕

 


■AD1911年 児玉誉士夫生誕

 

児玉誉志夫の本名は山田だが、自分がコットス、或いはカドモスの血統であることを知り「児玉」に改名したと考えられる。

 


■AD1933年 児玉清生誕

 


■AD1942年 モハメド・アリ(カシアス・クレイJr)生誕

 


■AD1950年 スティーヴィー・ワンダー生誕

 


■AD1958年 マイケル・ジャクソン生誕

 


■AD1958年 プリンス(プリンス・ロジャー・ネルソン)生誕

 


■AD1961年 カール・ルイス生誕

 


■AD1961年 エディ・マーフィ生誕

 


■AD1963年 ホイットニー・ヒューストン生誕

 


■AD1966年 マイク・タイソン生誕

 


■AD1967年 テディ・ライリー生誕 「ガイ誕生」

 


■AD1968年 ウィル・スミス生誕

 


■AD1971年 2パック生誕

 


■AD1973年 ボブ・サップ生誕

 

 

 

◆百済(バクトリア)の歴史

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にハタミ人がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らは、グリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの祖モリモのことである。

 


■BC5千年 「ヘクトル誕生」

 

ブリテン島からアイルランドに渡ったヘカテは、デリーに「ヘクトル」を生んだ。ヘクトルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトラ=ヘクトルとなる。神話では、「トロイア戦争」でアキレウスに殺されている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「バクトリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したヘクトルの残党は、中央アジアに入植し「バクトリア」を築いた。バクトリアの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC250年 ディオドトス1世、初代王に即位 「バクトリア王国誕生」

 

ピクト人の子孫であるバクトリア人は、BC250年、セレウコス朝から独立して「バクトリア王国」を築いている。バクトリアの名の由来はピクトと同じく、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ビクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC139年 「カタール誕生」

 

王国が滅ぶと、バクトリア人はアラビア半島に移住した。彼らは「カタール」を築いた。カタールの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バクトーリア=クターリア=カタールとなる。

 


■AD年 「百済(前身)誕生」

 

サーサーン朝がアラビアを攻撃すると、カタールの人々はアラビア半島を離れて朝鮮半島に入植した。メキシコから来たケツァルコアトル(フォトラ)と連合すると、「百済」を生んだ。クダラの名の由来はケツアルコアトルとバクトリアの両方であり、ペクチェの名の由来はヘカテである。バクトリア=バクダリア=クダラとなり、ヘカテ=ヘカチェ=ペクチェとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ベック誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した百済人は、遅れて「大和人の大航海時代」の後を追い、マヤを通過してブリテン島に移住した。彼らは、現地人と混合して「ベック(BECK)」の名を生んだ。ベックの名の由来はペクチェ、或いはヘカテである。ペクチェ=ペックチェ=ベックとなる。

 


■AD346年 「百済誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加しなかった百済の人々は、朝鮮半島に「百済」を築いた。

 


■AD475年  朝鮮半島からキダーラに移住

 

高句麗が百済の首都漢城を陥落させると、これを機に一部の百済人が朝鮮半島を脱出し、名前が似ていると言うことで、ナパタエ人(ナフタリ族)が築いたキダーラ朝に移住した。

 


■AD663年 「カタリ派誕生」

 

キダーラ朝がAD500年に滅ぶと、キダーラ人はフランスに移り、キリスト教徒になった。しかし、人食い人種タナトスの団体クリュニー会、シトー会などが仕切るカトリックに嫌悪を覚えたキダーラ人は独自のキリスト教を切り拓いた。それが「カタリ派」である。カタリの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バカタリア=カタリとなる。
また、AD663年、新羅と唐の連合軍によって百済が滅ぶと、同盟者である百済人はカタリ派の下に亡命し、カタリ派に参加した。AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。

 


■AD1042年 「クディリ王国誕生」

 

AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。百済人はキダーラ人と袂を分かち、いち早くカタリ派を抜けて、フランスを後にジャワ島に入植した。フランス人の顔をした彼らは現地人と混合して、初代王サマラヴィジャヤを輩出し「クディリ王国」を建設した。クディリの名の由来は百済である。クダラ=クディ=クディリとなる。

 


■AD1222年 「クティ誕生」

 

新羅の系統の「シンガサリ王国」がジャワ島に台頭すると、クディリ王家はジャワ島を後に、一部がベンガルに、一部はピグミーの故地である遠くコンゴの地に落ち延びた。ジャワ人の顔をしたクディリ家は、アフリカ人と混合して「クティ」の名を成した。クティの名の由来はクディリである。この系統からはミュージシャンのフェラ・クティが輩出されている。

 


■AD1482年 「香取氏誕生」

 

クリュニー会に指揮されたポルトガル人がコンゴに上陸すると、これを嫌ったクティの人々はナイジェリアに逃亡し、一部はアフリカ大陸を離れて日本に移住した。コンゴ人の顔をしたクティの人々は、大中臣氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に「香取氏」が誕生した。香取の名の由来はクディリである。

 


■AD1835年 「福澤諭吉誕生」

 

イギリス人べックの一族は、2度に渡って日本を訪れている。1度目は、「薔薇戦争」を機にイングランドを離れ、戦国時代の日本に上陸した。信濃国に移住し、「信濃村上氏」の氏族に参加したベックは「福沢氏」を称した。福沢の名の由来はベックと諏訪の組み合わせである。ベック+諏訪=ベック(福)+諏訪(沢)=福沢となる。
2度目は、別のイギリス人ベックの一族が、非人間的な産業革命を嫌ってイギリスを後にし、「大和人の大航海時代」の子孫であるイギリス人たちが築いた「洪門」がいる東アジアを訪れた。その後、先祖の故地である朝鮮半島にしばらく居住していたベックの一族は儒教を体得し、その後に豊前国に渡って先発隊が築いた「福沢」の名を名乗り、「福澤諭吉」を生んだ。

 


■AD1859年 「金光教誕生」

 

AD1859年、香取家に生まれて「赤沢」に改姓した赤沢文治が現岡山県に「金光教」を創始している。彼らが祀る「金光大神(こんこうたいじん)」の名の由来はコンゴである。コンゴ=コンゴー=金光(こんこう)となる。赤沢の名も、ピグミー族に属するアカ族の名に因んでいる可能性がある。

 


■AD1916年 グレゴリー・ペック生誕

 


■AD1938年 フェラ・クティ生誕

 


■AD1944年 ジェフ・ベック生誕 「ジェフ・ベック・グループ誕生」

 

 

 

 

 

 

 


ムワリの歴史

◆毛利氏(ムワリ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ムワリ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。

 


■200万年前 「モリモの大移動時代」

 


■200万年前 「パグ族誕生」「ムユ族誕生」

 

「モリモの大移動時代」に参加したアブクとムワリは、チッタゴンからマレー、インドネシア、パプアに四散した。アブクはパプアに「パグ族」を残し、ムワリもパプアに「ムユ族」を残している。永年の時を経て彼らはパプア人に吸収されたが、当初は小人族だったと考えられる。パグの名の由来はアブクであり、ムユの名の由来はムワリである。両者はピュグマエイ(ピグミー)の前身である。パグ+ムユ=パグムユイ=ピュグマエイとなる。

 


■30万年前 「メーロポシス誕生」

 

メーロポシスの名の由来はムワリとパシスの組み合わせである。ムワリ+パシス=ムアリパシス=メーロポシスとなる。その後、メーロポシスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「モルディブ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したメーロポシスは、モルディブ諸島に入植した。モルディブの名の由来はムワリとトバルカインの組み合わせである。ムワリ+トバルカイン=ムワリトバ=モルディブとなる。しかし、トバルカインの登場はもっと後であるため、当時はモルディブではなく、ただ「ムワリ」と呼ばれていた可能性がある。

 


■4万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 鶴(ゲラノス)と戦う

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したメーロポシスは、パプアに帰還した。その後、クロノスはゼウスに敗北すると、パプア・ニューギニアに落ち延びて「ダニ族」となった。しかし、ピュグマエイは故地にやってきたクロノスに怒りをあらわにし、何度も戦闘を挑んだ。当時のパプアニューギニアは「ペガサス」と呼ばれていた。アブクとムシシの国という意味だ。アブク+ムシシ=ブクシシ=プグシシ=ペガサスとなる。
ホメロスは、ピュグマエイについて書き残している。「小人族である彼らは、鶴と戦っていた。鶴は毎年略奪に訪れるため、毎年春になると、小人族は矢を携え、羊に乗って大集団を成し、鶴の雛や卵を殺しに進軍する」という。ところで、この意味ありげな「鶴」とは何を意味するのだろう?疑問に思ったときは、ギリシア語で「鶴」を何と呼ぶのか知ることだ。何の意味も無く鶴と名づけたりはしないからだ。
しかして、鶴はギリシア語でゲラノスである。「ゲラノスってどこかで聞いたことあるな。どこで聞いたかな。クロノスだ!」ということで、ゲラノス(鶴)とは、クロノスのことを意味していると考えて良い。つまり、ピュグマエイが戦っていた「鶴」とは、人喰い人種のダニ族のことである。小人族と呼ばれたピュグマエイは、凶悪な新参者であるダニ族を嫌い、頻繁に戦火を交えていた勇敢な人々だったのだ。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「尾(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アフリカに上陸し、湖水地方に「尾」を生んだ。彼らは、「東方青龍」の建設に参加した。尾(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグアエイ=ウェイとなる。

 


■4万年前 「ビ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アジスアベベに「ビ」を生んだ。彼らは、「西方白虎」の建設に参加した。ピの名の由来はピュグマエイである。

 


■4万年前 「翼(イー)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現スワジに入植し「翼」を生んだ。彼らは、「南方朱雀」の建設に参加した。翼(イー)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマエイー=イーとなる。

 


■4万年前 「危(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現ケニアに入植し「危」を生んだ。彼らは「北方玄武」の建設に参加した。危(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマウェイ=ウェイとなる。

 


■3万年前 「ムプティ族誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したムワリは、故地であるアフリカに帰還し、現在知られているピグミー族の母体を築いた。この時にアブクの系統からは「バカ族」「アカ族」が生まれた。一方、ムワリの系統からは「ムプティ族」が生まれた。ムプティの名の由来はムワリとエウドーラーの組み合わせである。ムワリ+エウドーラー=ムワド=ムハト=ムプティとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千年 「神々の集団アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年前 「マウリ人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」を経て、モルディブ諸島からメソポタミアに来ていたムワリは、次に「アヌンナキの大移動時代」に参加してきたアフリカに移住した。彼らは現地人と混合し、「マウリ人」となる。マウリの名の由来はムワリである。ムワリ=マワリ=マウリとなる。

 


■BC7世紀 「ピグミー族の大航海時代」

 


■BC7世紀 「マプーチェ族誕生」

 

「ピグミー族の大航海時代」に参加したバカ族、ムプティ族は、コンゴから南アメリカに上陸し、ラプラタ地域に入植した。その後、バカ族はラ・プラタ地域を去って太平洋を横断し、故地である東南アジアを目指して、最終的にガンジス流域に入植している。一方、ムプティ族は現地人と混合して「マプーチェ族」を成した。マプーチェの名の由来はムプティである。ムプティ=ムプーティ=マプーチェとなる。

 


■BC7世紀 「サンガ誕生」「上座部仏教誕生」

 

「ピグミー族の大航海時代」に参加したバカ族・ムプティ族は、ガンジス流域に移住した。仏陀と出会ったサンガは、サトゥルヌスの種族であるアーナンダと袂を分かち、自身の「上座部仏教」を設立した。あらゆる面で底が浅い、俗物の集団である日本仏教は、一流の職人による彫刻、建築物、仏像、金細工で飾り付けて無い中身を隠しているが、上座部仏教は仏陀の生活を見習って質素を旨としている。そのため、彼らは小乗仏教と呼ばれて日本仏教などの大乗仏教から嘲られている。サンガの名の由来はサンガリオスである。

 


■BC317年 チャンドラグプタ、マウリヤ朝初代王に即位 「マウリヤ朝誕生」

 

「ポエニ戦争」を機に、北アフリカを離れたマウリ人はインドに進出した。マガダ王国に侵入したマウリ人からは、サグバタの系統であるチャンドラグプタと連合して「マウリア朝」を開いた。マウリアの名の由来はマワリである。マウリ=マウリアとなる。チャンドラグプタは、殷・能登族に属するサトゥルヌスの子孫であるダナナンダ王が支配するナンダ朝を滅ぼし、「マウリヤ朝」を開いた。しかし、能登族に属するジャイナ教に帰依したチャンドラグプタは、苦行に打ち込んで餓死したとされている。

 


■BC317年 「馬氏誕生」

 

「ポエニ戦争」を機に、北アフリカを離れたマウリ人はインドに進出した。その後、一部はインドから更に中国に進出した。北アフリカ人の顔をしたマウリ人は、現地人と混合して「馬氏(マー)」を成した。馬(マー)の名の由来はマウリである。この系統からは鄭和が輩出されている。

 


■BC268年 アショーカ、マウリヤ朝第3代王に即位

 

アショーカ王は、「カリンガ戦争」でカリンガ国を滅ぼし、多くのバラモンを殺害した。バラモンが有害であることを知っていたアショーカ王は、バラモンの根絶を目指していた。だが、狡猾なバラモンは、アショーカがバラモンを大量に殺害した事実を逆手に取り、罪悪感を刺激して、アショーカ王を思い通りに動かすことに成功した。罪悪感は人生の足かせであることを能登族は知っていた。ことあるごとに罪を刺激し続ければ(罪がない時は罪を作る)、どんなに強い者でも、ゴミのようなタナトスの言いなりになるのだ。
彼らは、アショーカ王に命じて「法(ダルマ)の政治」を宣言させた。ダルマの内容には、不殺生、正しい人間関係を保つこと、父母に従順であること、礼儀正しくあること、年長者を敬うこと、奴隷や貧民を虐待しないこと、バラモンを尊敬すること、布施を怠らないことなどが明記されていた。これらに違反すると、違反者は、ドルイド教のように不敬者として周囲から無視され、自滅していった。

 


■BC180年 「モロ誕生」

 

BC180年、マウリア朝が滅ぶと、マウリア人はガンジス流域からフィリピンに渡って「モロ」を築き、そこから更に冒険に出た人々は「ニュージーランド」を発見する。モロの名の由来はマウリアである。マウリア=マウラ=モロとなる。

 


■BC180年 「マオリ族誕生」

 

インド人の顔をしたマウリア人は、人跡未踏の地ニュージーランドに人類として初の上陸を果たした(科学の種族は知っていた可能性もあるが)、彼らは「マオリ」を称した。マオリの名の由来はマウリアである。マウリア=マウリ=マオリとなる。つまり、巨鳥モアを絶滅させたのはマウリア朝だったということになる。また、マオリ族は近世に人喰い人種として恐れられた。だが、ニュージーランドで実際に人々を虐殺して食べていたのは、パプアから移住してきたダニ族である。

 


■AD470年 「マイトラカ朝誕生」

 

ゴート族、フン族が乱入してきたため、トラキア人はバルカン半島を離れて、グジャラートに居つき、ニュージーランドからインドに来ていたマオリ族と連合して「マイトラカ帝国」を建国した。マイトラカの名の由来はマオリとトラキアの組み合わせである。マオリ+トラキア=マオトラカ=マイトラカとなる。マオリ族にとっては、全インドを支配下に置いた「マウリア朝」の再興だった。

 


■AD776年 「ワリ帝国誕生」

 

トラキア人と組んでいたマイトラカ朝が滅ぶと、マオリ族は、インドを離れてペルーに移住している。ワルメイ川のエラム人は、インドから来たマオリ族と組み、古代ペルーの地に「ワリ帝国」を打ち建てている。ワリの名の由来はムワリ、或いはマオリである。マオリ=マワリ=ワリとなる。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD12世紀 「細川氏誕生」「長谷川氏誕生」

 

インカ人との抗争を機に、マプーチェ族がパタゴニアを発ち、アリューシャン列島を経て日本に移住した。まず、三河国に立ち寄ったマプーチェ族は現地人と混合して「細川氏」を形成した。更に三河国から離れて大和国に移住したマプーチェ族は現地人と混合して「長谷川氏」を形成した。細川、長谷川の名の由来はマプーチェの川である。マプーチェ+川=プーチェ川=細川、長谷川となる。「マプーチェの川」とはラプラタ河のことである。この系統からは「応仁の乱」の口火を切った細川勝元、「天文法華の乱」の細川晴元、「本能寺の変」に誘われた細川幽斉、信長・秀吉に仕えた長谷川宗仁など多数の武将が輩出されている。

 


■AD1202年 大江季光生誕 「毛利氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したワリ帝国のマオリ族は、房総半島に上陸し、日本人と混合した。その後、エラム人は「有馬氏」を称し、「波多美氏」を称したハタミ人、「毛利氏」を称したマオリ族と共に北九州に向かった。マオリ族は大江氏に接近し、自身の血統を打ち立てた。そのときに誕生したのが大江季光である。この大江季光が毛利を名乗り「毛利氏」が誕生した。毛利の名の由来はマウリ、或いはマオリである。

 


■AD13年 毛利経光生誕

 

毛利経光は越後国に南条館を領有していたが、四男の時親に安芸国高田郡吉田荘を分与して分家を建てた。室町時代、毛利氏は有力な国人領主として勢力を伸張し、山名氏、大内氏の家臣として繁栄した。

 


■AD1371年 鄭和生誕 「鄭和の大航海時代」

 

鄭和の本名は「馬氏(マー)」である。つまり、彼はマウリ人の子孫である。そのため、故地への帰還に関心があった鄭和は、大航海時代を敢行してアラビア半島、東アフリカにまで航海を行った。

 


■AD1405年 鄭和、第1次大航海時代

 

永楽帝の命により、鄭和は全長42丈余りの大船62隻、乗組員総数2万7800名からなる大艦隊を組織した。ベトナム、ジャワ、マレー半島、セイロン島、カルカッタへと2年かけて到達した。

 


■AD1407年 鄭和、第2次大航海時代

 


■AD1409年 鄭和、第3次大航海時代

 


■AD1413年 鄭和、第4次大航海時代

 

第4次大航海時代では、鄭和の艦隊は、東南アジア、インドを抜けてペルシア湾、アラビア半島にたどり着き、ティムール朝、ラスール朝と交流した。

 


■AD1417年 鄭和、第5次大航海時代

 

第5次大航海時代では、鄭和の艦隊は、スワヒリ文明の中心地だったマリンディに到達した。この時、鄭和はキリン、サイ、ライオン、ヒョウ、ダチョウ、シマウマなどを中国に連れて帰った。

 


■AD1421年 鄭和、第6次大航海時代

 


■AD1430年  鄭和、第7次大航海時代

 

永楽帝が死去し、子息の洪熙帝が王位に就くと、大規模な外征中止を布告した。しかし、1年後に洪熙帝が死去すると、子息の宣徳帝は7回目の航海を計画し、鄭和にその指揮を命じた。この時、鄭和は東アフリカ、南アラビア、メッカを巡り、AD1433年に帰還した。

 


■AD1433年 「チェワ族誕生」

 

AD1433年に帰国した鄭和は、程なくして死んだと伝えられている。しかし、鄭和は死んだと見せかけて、兼ねてから魅了されていたアフリカの地へと旅立つ。これが片道切符となる第8次大航海時代である。この最後の航海の時に、鄭和はマレーに立ち寄り、ブラウ・マレー人を船団に迎えた。ブラウ・マレー人は故地であるマラウィに帰還し、鄭和もマラウィを終の棲家に決めた。中国人の顔をした鄭和は、現地人と混合して「チェワ族」を称した。チェワの名の由来は鄭和(チョンファ)である。チョンファ=チェンファ=チェワとなる。また、東南アジア人の顔をしたブラウ・マレー人は祖を同じくするマラウィ人と合流し、AD16世紀に「マラビ帝国」を建てた。

 


■AD1497年 毛利元就生誕

 


■AD1498年 「順朝樹立」

 

AD1464年、ガオ帝国が滅び、AD1490年にはポルトガル大布教団がコンゴを訪れ、AD1498年にはマラビ帝国が位置するスワヒリ地域にポルトガルが訪れている。鄭和の子孫、チェワ族はガオの張氏、コンゴ人(孔氏)、そしてケニアのルオ族を誘って中国への帰還を打診した。卑しいタナトスに指揮されたポルトガル人に嫌気が差した彼らは、喜んで船団に参加した。アフリカ人の顔をした一行は、中国人と交わってそれぞれの姓を復活させた。この時、ガオの張氏からは「張献忠」、コンゴの孔氏からは「孔有徳」、チェワの鄭氏からは「鄭芝龍」、ルオ族からは「李自成」が輩出された。また、コンゴ人は新規に「耽(ゲング)」の姓を作り、ここからは「耽仲明」が輩出された。

 


■AD1521年 「諸星氏誕生」

 

アステカ帝国の人身御供の種族(大谷)が日本に帰還する途上、彼らはメラネシアで、反自然の種族に属するメラネシア人を召使として連れ還った。この中に、大洋の娘たちに属するメーロポシスが混じっていた。メーロポシスは、日本(遠江国~駿河国)に上陸すると、日本人と混合して「諸星氏」を生んだ。諸星の名の由来はメーロポシスである。メーロポシス=メロポシ=諸星となる。

 


■AD1523年 毛利隆元生誕

 


■AD1553年 毛利輝元生誕

 


■AD1563年 「モロ戦争」

 

隆元は、謎の死を遂げたとされている。享年41歳、尼子攻めに参加する途上で急死した。死因は食中毒、毒殺とも言われているが、実際にはミンダナオ島でスペイン軍の侵略に苦しむ、祖を同じくするモロ人を加勢しに日本を離れたのだ。これに同意していた元就は、家族の秘密を守るためにオーバーな演技を行い、後世に「元就の悲嘆は尋常ではなかった」と記録されている。
スールー王国は、スペインが大規模な軍をミンダナオ島に駐留させることを認めていたが、ミンダナオ島に馳せ参じた隆元が率いる毛利軍は、モロの地を侵略しようとするスペイン軍を蹴散らした。これにより、モロは侵略を免れたが、スペイン軍が侵攻するたびに抵抗し、これを退けた。このモロによる抵抗はアメリカ侵略時にも行われた。

 


■AD1600年 「ムーレイ家誕生」

 

毛利輝元は、家康に「関ヶ原の戦い」の責任を追及され、長門国、周防国に厳封された。また、家康の約束反故に怒りを覚えた一部毛利氏が西南に分かれ、新天地を求めて旅立った。南方組は、故地ニュージーランドに帰還し、マオリ族との間に毛利輝永が誕生すると、輝永は「タルナキ」を称した。タルナキの名の由来は輝永である。一方、西方組はインド洋、地中海を越えてモロッコに至る。日本人の顔をした毛利氏は、現地人と交わって「ムーレイ家」を形成した。ムーレイの名の由来は毛利、或いはムワリである。ムワリ=ムアリー=ムーレイとなる。

 


■AD1604年 鄭芝龍生誕

 


■AD1624年 鄭成功生誕

 


■AD1631年 「李自成の乱」

 

AD1631年、李自成は孔有徳と共に「李自成の乱」を指揮し、AD1644年に北京を陥落させ、「大順国」を開いている。しかし、その年の内に李自成は清に討たれ、「順」は滅びている。その後、AD1673年に張献忠、耽仲明、孔有徳がイギリス帰還組の呉三桂、尚可喜と共に「三藩の乱」に参加し、清に対して蜂起する。だが、アフリカ帰還組の耽仲明、孔有徳は清に投降し、ホンタイジに快く迎えられ、その後は清に仕えた。

 


■AD1631年 ムーレイ・アル=ラシード生誕 「アラウィー朝誕生」

 

AD1666年、ムーレイ家のムーレイ・ラシードが、サトゥルヌスらのタナトス勢力を退けて「アラウィー朝」を開き、初代モロッコ王に即位して「モロッコ王国」を築いている。

 


■AD1661年 「鄭氏政権樹立」

 

スワヒリに位置するマラビ帝国に居住していたチェワ族の子孫、鄭成功は、明の正統と奉じて北伐軍を編成し、清に抵抗した。しかし、南京で大敗すると、台湾を拠点にしようとゼーランディア城包囲戦を勝ち抜き、オランダ軍を撃破した。こうして鄭成功は、台湾をタナトス率いる白人列強の手から解放した。アフリカ帰還組の鄭成功は、イギリス帰還組の「洪門」とも交流を持ち、利害を一にしていた。

 


■AD1840年 「ワイタンギ条約」

 


■AD1858年 ポタタウ王、初代マオリ王に即位 「キンギタンガ誕生」

 

マオリ族は、イギリス王室を参考に、マオリ王を擁立して一致団結してイギリスに対抗しようと考えた。だが、これにより、マオリ族はイギリスと衝突すると「マオリ戦争」が起きた。マウリ朝のアショーカ王、毛利隆元の血を引くマオリ族は、純粋に故地を守護するため、征服者に対して蜂起した。だが、インドからやってきた能登族の血を引く人々は、マオリ族を掌握しやすいように、ドサクサに紛れて戦争中に多くの異分子(優れた者、強い者、正直者)を殺害した。平和な日常で人が死ぬのは異常だが、戦時中に人が死ぬのは自然である。この言いわけを利用し、能登族は異分子を多く殺害した。つまり、マオリ族の敵はイギリス人だけでなく、マオリ族内部(パイ・マリレ、リンガトゥ教)にもいたのだ。

 


■AD1860年 「マオリ戦争」

 

AD1858年、ムガール帝国が滅んでインドが大英帝国の植民地になると。これを機に、ヒンドゥー教・シヴァ派に属するカーラームカ派がカーパーラ派、リンガーヤト派と共にインドを脱出し、ニュージーランドに移住した。彼らは、能登族の系統に属する、タナトスの一族である。
カーラームカ派は、「パイ・マリレ」という宗教を創始し、マオリ族を指揮下に置いた。パイ・マリレに属するマオリ族は、「ハパ、ハパ、パイマリレ、ハウ」と叫びながら大英帝国陸軍に突進した。彼らは手を高く上げ、手のひらを前に向けて前進した。そうすれば銃弾を避けられると教えられたのだ。しかし、それは「ゴーストシャツ」や「マジ(薬用の水)」同様、ただのウソである。マオリ族は殺した白人兵の首を持ち歩き、宣教師を惨殺したことから恐怖の対象となった。しかし教祖のテ・ウア・ハウメネが逮捕されると信者たちは四散した。その後、パイ・マリレの残党は、ニュージーランドを離れてジンバブエに渡った。
一方、リンガーヤト派は「リンガトゥ教」を築き、「宗教運動パイ・マリレ」と共にマオリ族を掌握した。リンガトゥの名の由来はリンガーヤトである。リンガーヤト=リンガート=リンガトゥとなる。AD1883年、特赦が出てリンガトゥ教は現在でも存続しているが、10年間の間に一部はパイ・マリレの残党と共にニュージーランドを離れ、インド洋を横断してジンバブエにまで落ち延びている。

 


■AD1899年 「モロの反乱」

 

この「モロの反乱」は、AD1913年まで続いたが、残念ながらデーン人が率いるアメリカ軍に侵略されてしまった。

 


■AD1902年 「山咼(サンカ)誕生」

 

タイ王国全土のサンガを管理する必要が出てきたため、ラーマ5世が僧侶の集団でしかなかったサンガを法人化した。全ての僧侶に僧籍を与えて寺院に所属させた。これを機に、この政策に不満を持った正統なサンガとタナトスのサンガがそれぞれ2手に分離し、新天地を求めて東西に旅立った。タナトスのサンガはケニアに移ったが、正統なサンガは、タイ王国から明治政府治世下の日本国に移住した。
彼らは「山咼(サンカ)」と呼ばれた。サンカの名の由来はサンガである。サンカは山窩、山家、三家、散家、傘下、燦下などと表記されることもあった。サンカは、独自な犯罪手口を用いる犯罪専科の単位集団として規定されたり、定住することなく仕事を求めて村々を移動する、回遊生活を営む人々である。地域によっては川漁、竹細工などを営んでいた。彼らは、タイ王国から来たのだ。

 


■AD1920年 長谷川町子生誕 「サザエさん誕生」

 


■AD1946年 長谷川和彦生誕

 


■AD1957年 ムハンマド5世、アラウィー朝第30代モロッコ王に即位

 


■AD1961年 ハサン2世、アラウィー朝第31代モロッコ王に即位

 


■AD1970年 ヌル・ミスアリ、ゲリラ組織を結成 「モロ民族解放戦線誕生」

 

ヌル・ミスアリは、毛利氏の子孫だろう。ミンダナオ島では正しい人々から期待されていたが、ミンダナオ島のタナトス勢力によって翻弄された。ミンダナオ島のタナトスは「鬼」と呼ばれ、平安時代に人喰い人種として日本にも来ていた。現在でも、時折、人肉食いの殺人事件がフィリピンでおきるが、これはタナトスの血を引く者の仕業である。
モロ民族解放戦線に参加していたタナトス(ダナーン族)は、ヌル・ミスアリに反発してテロ組織アブ・サヤフに合流し、AD1977年にはダナーンが主導する「モロ・イスラム解放戦線」が生まれた。フィリピンのタナトス政権と連合しているモロ・イスラム解放戦線を退けるべく、AD2013年にフィリピン軍と交戦した。

 


■AD1999年 ムハンマド6世、アラウィー朝第32代モロッコ王に即位

 


■AD2006年 「マオリは戦闘的な遺伝子を持つ」という報告が発表される

 

聖公会に操られたニュージーランドの科学者が、「マオリは戦闘的な遺伝子を持っている。そのため、暴力的であり、犯罪を犯しやすい」と発表した。これは明らかにタナトスによる伝統的な異分子排除の口実である。善人を殺すと悪となる。しかし、悪を殺せば正義となる。そのため、タナトスは敵であるマオリを悪に仕立てあげたいのだ。悪であれば殺しても構わない。これがタナトスの発想である。タナトスは、「マオリを殺したい」から、マオリを「悪者呼ばわりしている」のだ。

 

 

 

 

◆百地氏(ミマース)の歴史

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「ミマース誕生」

 

「オロクンの大移動時代」によってチッタゴンに新しい人類が訪れると、オロクンを代表する新しい人類とチュクウを代表する古い人類が共同体を組んだ。これにより「エピアルテース」「エンケラドス」「グラティオーン」「パッラース」「ヒッポリュトス」「ポリュポーテース」「ポルピュリオーン」「ミマース」「アグリオス」の獣人9部族が生まれた。
ミマースは、ムワリとムシシが連合することで生まれた。ミマースの名の由来はムワリとムシシの組み合わせである。ムワリ+ムシシ=ムワムシ=ミマースとなる。彼らはみな、サスカッチのような風貌をしていたと考えられる。ビッグフット目撃談によると、彼らは時速60キロで走り、3mの高さを跳躍し、片手で岩を投げ、素手でグリズリーを殺すという。「神統記」に於けるキュクロプス、ヘカトンケイル、ギガースなどの描写、そのままである。

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

「盤古の大移動時代」によってチッタゴンから中国、「獣人の大狩猟時代」によってモンゴル、シベリアに入植したイェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。
「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■45万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 「アイス族誕生」

 

「獣人の大狩猟時代」により、獣人部族はシベリアからアメリカ大陸に渡った。人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、南東部(現ミシシッピ~マイアミ)に居を構えたミマースは「アイス族」を称した。アイスの名の由来はミマースである。ミマース=ミマイス=アイスとなる。

 


■35万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「サンガリオスの大移動時代」

 


■30万年前 「パチャママ誕生」「ママクーナ誕生」「ママキーヤ誕生」「ママアルパ誕生」「ママザラ誕生」

 

「サンガリオスの大移動時代」によって古代アンデスに移住すると、ミマースは様々な種族と連合して「パチャママ」「ママクーナ」「ママキーヤ」「ママアルパ」「ママザラ」などの神々を誕生させた。ママの名の由来はミマースである。「パチャママ」はヴィディエとミマースの組み合わせ、「ママクーナ」はミマースとアルキュオネウスの組み合わせ、「ママキーヤ」はミマースとアルキュオネウスの組み合わせ、「ママアルパ」はミマースとエウローペーの組み合わせ、「ママザラ」はミマースとメトセラの組み合わせである。これらの神々は、インカ帝国の神々として知られている。

 


■7万年前 「ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「メンフィス誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加して古代ギリシアに移住し、3万年後に「ギガントマキア」に参加したミマースは、だが、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出してエジプトに移住した。彼らはエジプトの地に「聖地メンフィス」を建設した。メンフィスの名の由来はミマースである。ミマース=ミンマース=メンフィスとなる。

 


■4万年前 「高御産巣日神誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、ティケー、ニャメと組んで「タカミムスビ」を儲けた。タカミムスビ、カミムスビの名の由来はティケー、ミマース、日(ニャメ)の組み合わせである。ティケー+ミマース+日=ティケミマス日=タカミムスビ=カミムスビとなる。

 


■4万年前 「神産巣日神誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、ティケー、ニャメと組んで「カミムスビ」を儲けた。タカミムスビ、カミムスビの名の由来はティケー、ミマース、日(ニャメ)の組み合わせである。ティケー+ミマース+日=ティケミマス日=タカミムスビ=カミムスビとなる。

 


■4万年前 「宇摩志阿斯訶備比古遅神誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、ティケー、ニャメと組んで「ウマシアシカビヒコジ」の神々を儲けた。ウマシアシカビヒコジの名の由来はミマース、アシア、ティケーの組み合わせである。ミマース+アシア+ティケー+日=イマスアシティケ日=ウマシアシカビとなる。

 


■4万年前 「天忍穂耳命誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、イマナ、アシアーと混合して「アメノオシホミミ」を生んだ。アメノオシホミミの名の由来はイマナ、アシアー、ミマースの組み合わせである。イマナ+アシアー+ミマース=イマナアシアミマ=アメノオシホミミとなる。

 


■4万年前 「創造主クグマッツ誕生」

 

ミドガルド王国のスクルドは、古代アンデスのミマースと組んで「創造主クグマッツ」を生んだ。クグマッツの名の由来は、ギガースとミマースの組み合わせである。ギガース+ミマース=ギガマース=クグマッツとなる。ミマースは、ペルーから来たパチャママの片割れである。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「神淳名川耳(綏靖天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加したミマースは、黒龍江に天皇家に属する「神淳名川耳」を誕生させている。ヌナカワミミの名の由来はイナンナの河とミマースの組み合わせである。イナンナの河+ミマース=ナンナカワミマ=ヌナカワミミとなる。

 


■1万3千年前 「観松彦(孝昭天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加したミマースは、黒龍江に天皇家に属する「観松彦」を誕生させている。ミマツヒコの名の由来はミマースである。ミマース=ミマツ=ミマツヒコとなる。

 


■1万3千年前 「御間城入彦(祟神天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加したミマースは、黒龍江に天皇家に属する「御間城入彦」を誕生させている。ミマキイリヒコの名の由来はミマースとエウリュトスの組み合わせである。ミマース+エウリュトス=ミマスエウリュ=ミマキイリヒコとなる。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千年 「神々の集団アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ギルガメシュ誕生」

 

ギルガメシュの名の由来は獣人アルゲースと獣人ミマースの組み合わせである。アルゲース+ミマース=アルゲマース=カルゲマス=ギルガメシュとなる。このように不世出の偉大な英雄は常に獣人の血統から輩出されている。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「武蔵国誕生」

 

「サムエルの大航海時代」によって、ペルーから出羽国に移住したミマースは、単独で関東地方に移り「武蔵国」を築いた。武蔵の名の由来はミマースの先祖、オリジナル人類ムシシである。ムシシ=ムサシ=武蔵となる。

 


■BC32世紀 「モーゼス誕生」

 

「モーゼス」とは武蔵国の人々のことを指している。モーゼスの名の由来は武蔵である。武蔵=ムーサシ=モーゼスとなる。数万年前から八代湾に居を構える葦原中津国は、高天原(台湾)と同盟して「イスラエル」を、また、出羽国の十和田の縄文人と組んで「エジプト」と呼ばれる連合王国を形成していた。イスラエルの名の由来はアシアーとブリアレオースの組み合わせ、エジプトの名の由来はアシアーとプテの組み合わせである。
そこに、能登を追放され、パラオ諸島に拠点を移転したダニ族が日本列島に進撃し、九州(葦原中津国)から東北地方(出羽国、十和田)を支配下に置いた。ダニ族は、自らをファラオ(パラオ)と称し、圧政を敷いた。このため、人喰い人種の支配を嫌った武蔵国の人々が音頭を取り、日本中の縄文人を連れてエジプトからカナン(夏時代の中国)への脱出を試みた。それが「モーゼスの大移動時代」である。つまり、モーゼスの正体は武蔵国の人々、関東の縄文人である。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC30世紀 「マズダ神群の大移動時代」

 


■BC30世紀 「アムシャ・スプンタ誕生」

 

「マズダ神群の大移動時代」に参加したミマースは、シヴァ人、プント人と組んで「アムシャ・スプンタ」を生んだ。アムシャ・スプンタの名の由来はミマース、シヴァ、プントの組み合わせである。ミマース+シヴァ+プント=ミマシャ・シヴァント=アムシャ・スプンタとなる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「武蔵国復活」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したミマースは、故地である「武蔵国」に帰還した。

 


■AD413年 「百地氏生」

 

「大和人の大航海時代」が実施された時代、ミマースは日本に残り、修験道に属した。彼らは「百地氏」を生んだ。百地の名の由来はミマースである。ミマース=ミマーツ=ミマツ=百地となる。

 


■AD8世紀 「桃太郎誕生」

 

タナトスの子孫、黒人ダン族は、ナイジェリアを発ち、故国ダナーンを目指して東南アジアを訪れ、アンダマン諸島(ジャラワ族)、スラウェシ島、ミンダナオ島、台湾(サアロア族)に拠点を得ていた。この黒人ダン族は、それらの島を出撃し、日本にまで足を伸ばして盗賊行為を行い、奈良時代、平安時代の子女を拉致して食べていた。これに対し、得体の知れない盗賊集団に縄張りを荒らされたと感じた百地氏は、腕利きの山伏、修験者を集め、キジを食糧として船に積み込み、台湾、ミンダナオ島、スラウェシ島、アンダマン諸島にまで行脚し、人喰い人種の黒人ダン族を成敗した。
黒人ダン族は、イフェの神官「オニ」を称していたため、日本人に「鬼」と呼ばれていた。ある意味、これは百地氏による鬼退治であった。つまり、昔話「桃太郎」の原話である。桃太郎(百地氏)、犬(天狗=山伏)、猿(猿田彦の子孫=修験者)、キジ(遠征の際の食糧)、キビ団子(吉備国、丹後国)、鬼(黒人ダン族)ということになる。後山の修験者は吉備国を、比叡山の修験者は丹後国を出発したが、「吉備丹後」が変遷を重ねて「キビ団子」となった。或いは、鬼退治に参加した修験者に対する報奨として吉備国、丹後国が与えられる約束があったのかもしれない。

 


■AD8世紀 「モシ族誕生」

 

黒人ダン族がアフリカから来たことを耳にした百地氏はアフリカに関心を示し、黒人ダン族(鬼)を皆殺しにすると、アフリカ大陸に向かい、ケニアに上陸した。日本人の姿をした百地氏はマサイ族と混合して「モシ族」を形成した。モシの名の由来はミマース、或いは百地である。ミマース=ミマス=ミモシ=モシとなる。

 


■AD13世紀 「ニョロ帝国の大航海時代」

 


■AD13世紀 「松井氏誕生」

 

「ニョロ帝国の大航海時代」に参加したモシ族は、日本に帰還し、現地人と混合して「松井氏」を生んだ。松井の名の由来はマサイである。マサイ=マツァイ=松井となる。

 


■AD1521年 松井忠次生誕 「松平康親誕生」

 


■AD1556年 百地丹波生誕 「伊賀忍術誕生」

 

百地丹波の名、丹波の由来はニョロ帝国を築き、タンブジ朝を開いた丹波氏である。マサイ族の類まれな身体能力を受け継いだ百地丹波は、伊賀忍者として織田信長と渡り合い、その名を馳せた。伊賀の名士百地丹波は土豪であったが、伊賀忍術の祖とも呼ばれている。

 

 

 

◆守屋氏(モレヤ)の歴史

 


■BC7千年 「モレヤ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」を経て、モルディブ諸島からメソポタミアに来ていたムワリは、次に「アヌンナキの大移動時代」に参加してきたアフリカに移住した。ムワリはこの地で「エロヒム」を結成していたエロスと出会う。ムワリは、彼らと連合して「モレヤ」を生んだ。モレヤの名の由来はムワリとエロスの組み合わせである。ムワリ+エロス=マリエロ=モレヤとなる。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレスの戦い」

 


■BC5千年 「ミレー族誕生」

 

科学の種族はセネガルの地まで飛び、モレヤ人に、兄弟であるアイルランドの神々の惨状を伝えた。彼ら、モレヤの民が、ダーナ神族を倒す「ミレー族」となる。モレヤ=モレー=ミレーとなる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「モレヤ山誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したミレー族は、イスラエルに移住した。彼らは、拠点の山岳地帯に「モレヤ山」と命名し、先祖神「エロヒム」を祀った。

 


■BC829年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC829年 「マルワ誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したモレヤ族は、サバエ人と共にインドに上陸した。モレヤ族は「マルワ」をインドに築いた。マルワの名の由来はモレヤである。モレヤ=モレワ=マルワとなる。

 


■BC829年 「守屋氏誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したモレヤ族はシェルデン人と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人と混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。守屋、洩矢の名の由来はいずれもモレヤである。

 


■BC829年 「メロエ人誕生」

 

インドに「マルワ」を築いたモレヤ族は、インドを離れてクシュ人やヌビア人が治めるヌビアに進出した。彼らは、現地人と混合し「メロエ」を称した。メロエの名の由来はマルワである。マルワ=マルエ=メロエとなる。

 


■BC480年 「墨家(モー)誕生」

 

人身御供の種族である建御名方神が出雲国から諏訪国に移ってきた時、彼らを嫌った守屋氏は、中国に移り、斉・宋が支配していた土地に拠点を得た。この時に、墨家(モー)が生まれた、墨(モー)の名の由来はモリヤである。モリヤ=モーリヤ=モー(墨)となる。墨家は「諸子百家」に数えられた。

 


■BC480年 「ムラユ誕生」

 

また、一部はマレー半島に移り、「ムラユ族」を築いた。ムラユの名の由来は守屋、或いはモレヤである。モレヤ=モラヤ=ムラユとなる。

 


■BC480年 「マラウィ誕生」

 

更に西方に向かった人々はスワヒリに到来し、「マラウィ」を築いた。マラウィの名の由来は守屋、或いはモレヤである。モレヤ=ムラユ=マラウィとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ブラック誕生」「ムーア誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した墨家は、現地人と混合して「ブラック」を称した。ブラックの名の由来は「墨」である。また、墨家からは「ムーア」の名も誕生した。ムーアの名の由来は「墨(モー)」である。モー=モーア=ムーアとなる。ムーアからは「ブラックモア」「ギルモア」「デンズモア」などの姓も生まれた。

 


■AD350年 「マル誕生」「モロー誕生」

 

アクスム王国の侵攻によってメロエ王国が滅ぶと、メロエ人はヨーロッパに向けて旅立った。ヌビア人の顔をしたメロエ人は、フランスに上陸して現地人と交わり、「マル」「モロー」などの名を成した。メロエ=メロエー=モロー、ミラー=マルとなる。この系統からは映画監督ルイ・マル、女優ジャンヌ・モローが輩出されている。ルイ・マルとジャンヌ・モローは「死刑台のエレベーター」「鬼火」「黒衣の花嫁」で一緒に仕事をしている。

 


■AD350年 「ムーラー誕生」

 

フランスからスイスに移った人々は「現地人と混合してムーラー」の名を成した。ムーラーの名はメロエが由来である。メロエ=メロエー=ムーラーとなる。この系統からは映画監督フレディ・M・ムーラーが輩出されている。

 


■AD350年 「ミラー誕生」

 

フランスからブリテン島に上陸したメロエ人は、ダンフリーズに移って「ミラー」の名を成した。ミラーの名はメロエが由来である。メロエ=メロエー=ミラーとなる。この系統からは作家アーサー・ミラー、映画監督ジョナサン・ミラーが輩出されている。

 


■AD830年 「モラヴィア王国誕生」

 

AD4世紀頃、アザニアー海賊がスワヒリに登場すると、これを機に、マラウィ人がヨーロッパニ亡命した。アフリカ人の顔をしたマラウィ人はシレジアに上陸して現地人と混合し、「モラヴィア人」を称した。モラヴィアの名の由来はマラウィである。マラウィ=マラウィア=モラヴィアとなる。AD830年、モイミール1世が初代王に即位し、「モラヴィア王国」を築いた。突如、中央ヨーロッパに出現した謎の強国として知られているが、AD907年に滅亡すると、白人の顔をしたモラヴィア人はスワヒリに帰還し、故地マラウィの人々と合流した。

 


■AD1040年 「スワヒリ人の大移動時代」

 


■AD1040年 イブン・ヤースィン、初代皇帝に即位 「アルモラヴィド帝国誕生」

 

「スワヒリ人の大移動時代」に参加したマラウィ人は、マフダリ家、ハフス人と共に北アフリカに上陸し、現地のベルベル人を統率した彼らは、モロッコを支配し、イベリア半島に乗り込んだ。マラウィ人のイブン・ヤースィンは、西カリフ帝国を倒すと、初代皇帝に即位し「アルモラヴィド帝国(ムラービト王朝)」を建てた。アルモラヴィドの名の由来は「マラウィの人」である。アル+マラウィ+人(ト)=アルマラウィト=アルモラヴィドとなる。シレジアを統べた「モラヴィア王国」を再興したいという願望が、マラウィ人をイベリア半島支配に駆り立てたのかもしれない。

 


■AD11世紀  「村山氏誕生」

 

AD11世紀にノルマン人がスイスに進撃するとムーラー一族がスイスを脱出して日本に移住した。スイス人の顔をしたムーラーの一族は日本人と混合して「村山氏」を成した。村山の名の由来は「ムーラーの山」である。ムーラー+山=ムラ山=村山となる。ムーラーの山とは、アルプス山脈のことを示している。その後、村山氏は平頼任を輩出し、軍事集団「村山党」を結成して「武蔵七党」のメンバーに加わっている。

 


■AD1147年 「マレー誕生」

 

AD1147年、帝国が滅ぶと、マラウィ人はムラユ時代の故地のひとつであるマレー半島に渡り、「マレー」の名を残した。マレーの名の由来はマラウィである。マラウィ=マラエー=マレーとなる。また、統治していたイベリアを由来に「ブラウ・マレー」を称した。イベリア=イブラウ=ブラウとなる。彼らは、14世紀に「ブラウ・スルタン国」を建国した。

 


■AD1347年 「丸山氏誕生」「森山氏誕生」

 

AD1347年に「黒死病」が流行すると、マル、モローの一族人は、故地を脱出して日本に向かった。フランス人の顔をした彼らは日本人と混合し、「丸山」「森山」の名を成した。丸山の名の由来は「マルの山」であり、森山の名の由来は「モローの山」である。マル+山=丸山となり、モロー+山=森山となる。「マルの山」も「モローの山」も、どちらもムーラーの山と同じでアルプスを指している。この系統からは俳優・歌手の美輪明宏(丸山明宏)、歌手の森山良子、森山直太郎が輩出されている。

 


■AD1430年 「マラビ帝国誕生」

 

馬氏を祖とする鄭和は、永楽帝の命により、西方への航海を6回実施した。鄭和は、最後の航海の時にマレーに立ち寄り、ブラウ・マレー人を船団に迎えた。ブラウ・マレー人は故地であるマラウィに帰還し、鄭和もマラウィを終の棲家に決めた。中国人の顔をした鄭和は、現地人と混合して「チェワ族」を称した。チェワの名の由来は鄭和(チョンファ)である。また、東南アジア人の顔をしたブラウ・マレー人はマラウィ人と合流し、AD16世紀に「マラビ帝国」を建てた。マラビの名の由来はマラウィである。マラウィ=マラヴィ=マラビとなる。

 


■AD1600年 「アラウィー派誕生」

 

「マラビ帝国」の主導権はブラウ・マレー人が掌握していたため、不満を示した一部マラウィ人はアルモラヴィド帝国時代の故郷モロッコに返り咲くことを夢見て移住を開始した。その後、マラウィ人は日本を脱出した毛利氏と共にモロッコ王国で連合した。毛利氏は「ムーレイ家」を称してモロッコの王位を簒奪し、マラウィ人は「アラウィー派」を創始し、タナトスが指揮するマーリキー派を退けて、モロッコ人の精神・生活を支配した。アラウィー名の由来はマラウィ、或いはエロヒムである。マラウィ=アラウィ=アラウィーとなる。シリアのバアス党などがアラウィー派を信奉している。

 


■AD1891年 ヘンリー・ミラー生誕

 


■AD1928年 ジャンヌ・モロー生誕

 


■AD1932年 ルイ・マル生誕

 


■AD1935年 美輪明宏(丸山明宏)生誕

 


■AD1940年 フレディ・M・ムーラー生誕

 


■AD1941年 ローラ・マルヴィ生誕

 


■AD1945年 リッチー・ブラックモア生誕 「ディープ・パープル誕生」

 


■AD1952年 ゲイリー・ムーア生誕

 

 

 

 

 

 


モリモの歴史

◆モルモン教(モリモ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「モリモ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。オリジナル人類モリモはレソトの海岸に暮らし、現在のネグリトに似た容姿をしていた。

 


■200万年前 「モリモの大移動時代」

 


■200万年前 「マルマ族誕生」

 

「モリモの大移動時代」によってチッタゴンに入植したモリモは「マルマ族」を生んだ。マルマの名の由来はモリモである。永い時を経て、マルマ族はミャンマー人に吸収されたが、当初は小人族の容姿をしていた。

 


■45万年前 「オンゲ族誕生」

 

「オロクンの大移動時代」に参加したカアングは、マルマ族は彼らと連合して「オンゲ族」を生んだ。オンゲの名の由来はカアングである。カアング=カアンゲ=オンゲとなる。その後、オンゲ族は東南アジアからアンダマン諸島に移り住んだ。

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「セマン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって生まれたカリュプソーとメネステーは、モリモ(ネグリト)を人種母体に「セマン族」を生んだ。セマンの名の由来はカリュプソーとメネストーの組み合わせである。カリュプソー+メネストー=ソーメネ=セマンとなる。ネグリトを人種母体にを選んだたため、セマン族はネグリトの容姿をしていた。

 


■30万年前 「アエタ族誕生」「アティ族誕生」

 

「カオスの大移動時代」によって生まれたエウドーラーは、モリモと組んで「アエタ族」「アティ族」を生んだ。アエタ、アティの名の由来はエウドーラーである。エウドーラー=アエドーラー=アエド=アエタ=アエタイ=アティとなる。ネグリトを人種母体に選んだたため、アエタ族、アティ族はネグリトの容姿をしていた。

 


■30万年前 「エチオピア王国誕生」

 

アエテ族(ネグリト)は、エウローペーと組んで「エティオピア王国」を築いた。エティオピアの名の由来はアエテ族とエウローペーの組み合わせである。アエテ+エウローペー=アエテオーペー=エティオピアとなる。エティオピア王国は、マレー半島からインドネシア、ニューギニア、ソロモン諸島までを影響下に置いていたと考えられる。

 


■30万年前 「カシオペア誕生」「アンドロメダ誕生」

 

エチオピア王国の王族から、「カシオペア」「アンドロメダ」が生まれた。カシオペアの名の由来はカゾオバであり、アンドロメダの名の由来はマイアンドロスとメティスの組み合わせである。カゾオバ=カジュオビャ=カシオペアとなり、マイアンドロス+メティス=アンドロメティ=アンドロメダとなる。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「サンガ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したモリモは、現アンデス山脈でサンガリオスと出会った。モリモは、彼らと混合してピグミー族の神である「サンガ」を祀った。サンガの名の由来はサンガリオスである。

 


■4万年前 「モルモー誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したモリモは、ブカット族と共にブリテン島に入植し、「モルモー」を生んだ。モルモーの名の由来はモリモである。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、これは、ブカット族(またの名をピュグマエイ、ピクト人)とマルマ族(モリモ)の同盟である。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「マーラ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したモリモは、ブリテン島から日本に移住した。蝦夷地方に入植した彼らは「マーラ」を生んだ。マーラの名の由来はマルマである。マルマ=マラマ=マーラとなる。マーラとは「ラトビア神話」の神である。ラトビア神話の神々は、みな、蝦夷・出羽国に住んでいた人々の名前である。「ヨシュアの大移動時代」の際、ヨーロッパに移住した出羽国の人々が、現地人に偉大な先祖のことを伝えた。

 


■BC40世紀 「第1次シュメール人の大航海時代」

 


■BC40世紀  ムルムスラン、チムー王国第8代王に即位

 

「シュメール人の大航海時代」に参加したモリモ(マーラ)は、現ペルーに移住した。シュメール人が「チムー王国」を建設すると、モリモは「ムルムスラン」を生んだ。ムルムスランの名の由来はモリモとガラクサウラーの組み合わせである。モリモ+ガラクサウラー=モリモサウラー=ムルムスランとなる。ムルムスランは、チムー王国の第8代王に即位した。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 モリモ、ガンジス流域に移住

 

「サムエルの大航海時代」に参加して出羽国に帰還し、「モーゼスの大移動時代」に参加してモンゴルに移住したモリモ(ムルムスラン)は、アンダマン諸島に移住した。彼らは、祖を同じくするオンゲ族と混合し、その後、ガンジス流域に移住した。

 


■BC6世紀 「アンガ王国誕生」

 

ガンジス流域に移住したオンゲ族は、「アンガ王国」を築いた。アンガの名の由来はカアングである。カアング=アング=アンガとなる。

 


■BC551年 孔子生誕 「儒教誕生」

 

マガダ王国のビンドゥサーラ王が王位に就くと、アンガ人は魯国に移住した。この時に、「儒教(ルイ)」の創始者である「孔子(コン)」が生まれた。儒教の名の由来はモリモであり、孔(コン)の名の由来はカアングである。モリモ=モルイモ=ルイ(儒)となり、カアング=カアン=コンとなる。おもしろいことに「儒人」と書いて「こびと」を意味する。これは、ネグリトであるオンゲ族が「儒教」を興した証だ。

 


■BC497年 「康居(カンジュ)誕生」

 

BC497年、孔子は魯国を出て西域に向かい、「康居(カンジュ)」を築いた。カンジュの名の由来はガンガーである。ガンガー=ガンジャー=カンジュ(康居)となる。その後、AD1世紀頃に漢が西域に干渉を始めると、一部の康居はタリムを出てデカン高原に移住した。

 


■AD??年 「シモン・ペトロ誕生」「熱心党のシモン誕生」

 

中国から地中海に至る交易ルートの拠点にいたセマン族は、マレー半島からイスラエルに移住して「シモン」を称した。シモンの名の由来はセマンである。セマン=シマン=シモンとなる。シモン・ペトロは、後にイエス・キリストに出会い、十二使徒のリーダーとなる。

 


■AD317年 「東晋誕生」

 

キリスト教をアリウス派、アタナシウス派などのタナトスに簒奪されたセマン族は、イスラエルから中国に移住した。彼らは名前が似ている司馬氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「東晋」を開く元帝司馬睿である。

 


■AD350年 「西ガンガ朝誕生」

 

AD1世紀頃に漢が西域に干渉を始めると、一部の康居はタリムを出てデカン高原に移住した。彼らは、AD350年に「西ガンガ朝」を開いた。ガンガの名の由来はカアングである。カアング=カング=ガンガとなる。西ガンガ朝はAD11世紀頃に滅亡している。

 


■AD420年 「ハーシム家誕生」

 

AD420年に「東晋」が滅ぶと、司馬氏はシルクロードを介してコラズムに向かった。そこで司馬氏は、800年程前にコラズムの人々がアレキサンダー大王の魔手から逃れてアラビア半島に渡ったことを耳に入れた。アラビア半島に関心を抱いた司馬氏は、コラズムの人々を追って、そこからアラビア半島に移住し、クライシュ族に参加した。彼らは「ハーシム家」を称した。ハーシムの名の由来は好(ハオ)と司馬の組み合わせである。ハオ(好)+シマ(司馬)=ハオシマ=ハーシムとなる。

 


■AD571年 マホメット生誕 「イスラム教誕生」

 

AD571年、ハーシム家からは偉大なイスラム教の始祖「マホメット」が輩出される。マホメットは、人喰い人種がアラビア人に人身御供を強制する様子を見て、常々怒りを感じていた。商人として経済力を蓄えると、マホメットは人喰い人種の神「アラー」を簒奪し、「イスラム教」の頂点に君臨する絶対神として祀った。この時からアラーは正義の神となった。
タナトスは、キリスト教、仏教などを簒奪してきたが、ここでは反対のことが起きたのだ。マホメットは戦いによって人喰い人種を討伐し、イスラム教を限りなく広めることで、人身御供を強要する人喰い人種を駆逐した。マホメットは、悪魔ジン(能登族)に支配されていたメッカの人々を解放し、モレク(能登族)が支配する北アフリカの人々を解放した。

 


■AD875年 「サーマーン朝誕生」

 

イスラム教がオリエント地域を席巻して「イスラム帝国」が栄華を誇ると、シモンの系統がイスラエルを脱出してイランに向かった。この時、ナスル1世が「サーマーン朝」を開いている。サーマーンの名の由来はシモンであり、ナスルの名の由来はナザレである。シモン=シーモーン=サーマーンとなり、ナザレ=ナズレ=ナスルとなる。彼らは、タナトスが簒奪したキリスト教の巨大化に異を唱えて離反した、十二使徒時代の古いキリスト教の系譜に属する人々だ。

 


■AD999年 「ゼマン誕生」

 

サーマーン朝が滅ぶと、彼らはイランを離れてシレジアに入植した。イラン人の顔をした彼らは現地人と混合して「ゼマン」を称した。ゼマンの名の由来はサーマーン、或いはセマンである。セマン=ゼマンとなる。

 


■AD1342年 「ベンガル・スルターン朝誕生」

 

チョーラ人の侵攻によって西ガンガ朝が滅ぶと、西ガンガ朝の残党は故地アンガ(ベンガル)に移り、AD1342年に「ベンガル・スルターン朝」を開いている。ベンガルの名の由来はガンガである。ガンガ=バンガ(ハ行がカ行を兼ねる法則)=ベンガルとなる。

 


■AD1531年 「クウィル朝コンゴ王国誕生」

 

AD1531年、ムガール帝国の侵攻によってベンガル・スルターン朝が滅ぶと、ベンガル人(西ガンガ人)はガンジス下流域を後に、コンゴを訪れてコンゴ人(東ガンガ人)に習合した。彼らは、AD1558年に「クウィル朝コンゴ王国」を開いた。

 


■AD16??年 「ベンガル地方政権誕生」

 

コンゴを出たベンガル人は故地に帰還して、新たに「ベンガル地方政権」を開いた。ベンガル人は、ブルボン家と組んで大英帝国のベンガル征服に抵抗した。

 


■AD1889年 シモン・キンバング生誕 「キンバング教会誕生」

 

チェコ人は、ハプスブルグ家に自治を要求していたが、これを機に、一部のゼマンの人々はコンゴに向かった。チェコ人の顔をしたゼマンの人々はキンバング朝の王統と混合し、AD1889年に彼らの系統に属する「シモン・キンバング」が誕生している。「黒いメシア」と呼ばれた彼は、後に「キンバング教会」を創設している。

 


■AD1910年 カレル・ゼマン生誕

 


■AD1940年 ポール・アンカ生誕

 


■AD1944年 ミロシュ・ゼマン生誕

 

AD2013年、チェコ第3代大統領に就任。

 


■AD1950年 トニー・バンクス生誕 「ジェネシス誕生」

 


■AD1956年 トム・ハンクス生誕

 

 

 

 

 


ルハンガの歴史(ルハンガ)

◆ルーベン(ルハンガ)の歴史

 


■400万年前 「第1次エスの大移動時代」

 


■300万年前 「ルハンガ誕生」

 

湖水地方時代、クウォスからルハンガが枝分かれした。既に言葉を知っていた彼らは、自身を「ルハンガ」と呼んでいた。彼らは毛深く、体長は4mあった。現在でいうところの未確認生物オラン・ダラムのような姿をしていたと考えられる。それにしても、彼らは他の人類に比べ、なぜこれほどまでに巨大化したのだろうか?
概して、食物連鎖の頂点にいる動物はいずれも身体が大きい。そう考えるとルハンガが巨大なのは、彼らが食物連鎖の頂点にいたからと考えてよいだろう。ルハンガは、地球に選ばれた捕食者の王なのだ。生態系のバランスが崩れると、自然にバランスを回復する動きが出る。例えば、草食動物が増えすぎると、それを捕食する肉食動物が出現するという具合だ。これは地球の意志である。
地球の意志によって巨大化した動物の例としてコモドドラゴンが挙げられる。コモド島では、小さいカナヘビの一種が巨大化し、コモド島の食物連鎖の頂点に立つべくコモドドラゴンが生まれた。ルハンガも地球規模の必然性により、巨大化した。
代表的な捕食者にはグリズリ-、ライオン、トラ、シャチ、ワシ、ワニ、サメなどが挙げられる。捕食を行う動物は、強いことが自然の摂理として定められている。当然だ。弱ければ捕食はできない。そのため、ルハンガにも強大な身体能力が与えられた。目を見張るような、比類なき力は「獲得した」というよりは、天から「与えられた」と考えた方が自然だ。ルハンガは、人類だけでなく、地球の全ての種の王として選ばれた種族なのだ。

 


■200万年前 「第2次ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「チュクウ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したルハンガは、ナイジェリアに「チュクウ」を生んだ。陸を移動したルハンガの遺骸は、人類学者によってギガントピテクスと呼ばれた。チュクウは、ルハンガから身長4mの身体を受け継いでいたが、彼らはニジェール川で更に4.5mにまで身長が伸びた。その巨体で、彼らはニジェール流域の覇者となった。チュクウはまず、河川に於いて食物連鎖の頂点に位置づけられた。その後、チュクウはライオン、ハイエナ、ヒョウ、カバ、ゾウなど、天敵がいない動物の天敵として機能した。現在でも時折、集団でライオンを狩ったり、棍棒でゾウを殴り殺す巨大な猿の報告がある。これらの巨大な猿とはチュクウの子孫だろう。彼らは、現ナイジェリアの沖合いに出てサメなども素手で狩っただろう。
サスカッチ、ヨーウィ、アルマス、イエレン、ヒバゴンなどの未確認動物、獣人などは、間違いなく、ルハンガ、チュクウの子孫である。数々のUMA専門書やロバート・マイケル・パイル著「ビッグフットの謎」では、ビッグフットらは、3mの跳躍を見せ、時速60kmで走り、岩を投げ、素手で猛獣を殺すことができる。また、彼らは円形の闘技場を作り、拳闘に励み、アジアの言葉に似た独自の言葉をしゃべるとも報告されている。チュクウは非常に卓越した身体能力を持ち合わせ、それに見合った知性も秘めている。
ただ、どんなに優れた種にもできそこないは生まれる。チンパンジーの群れでは、子供をいじめるような個体は集団で無視され、挙句に群れを追放されることがある。これにより、できそこないは野垂れ死にを迎えるが、こうしてできそこないを淘汰することでチンパンジーは平和に暮らし、種を正しく存続することが可能なのだ。
これらのことは、現代人の間ではタナトスによって廃止されたが、ビッグフットの部族内では今でも実施されている。たまに、人を殺して食べたり、女性を誘拐してレイプするサスカッチの報告があるが、これは、群れを追放されたビッグフットのできそこない(凶暴、残虐、美徳を憎む、復讐心が強い、嘘つきなど問題がある)の仕業だろう。だが、できそこないであってもグリズリーでさえ素手で殺せるわけで、サスカッチのできそこないは野垂れ死にせず、ひとりで森の中で生きているのだ。運が悪ければ、このような個体に出くわし、恐ろしい思いをすることになるかもしれないし、運が良ければ、山奥に棲む地球の王に謁見することができるかもしれない。

 


■100万年前 「チュクウの大移動時代」

 


■100万年前 「ライ誕生」

 

「チュクウの大移動時代」に参加したルハンガは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「ライ族」を生んだ。ライの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルワンガ=ルア=ライとなる。当初、彼らは毛深く、4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがルハンガの名残りとなった。

 


■100万年前 「パンコー族誕生」

 

「チュクウの大移動時代」に参加したルハンガは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「パンコー族」を生んだ。パンコーの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ハンガ=パンコーとなる。当初、彼らは毛深く、4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがルハンガの名残りとなった。パンコーの名は、盤古(パングア)の由来となる。

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「アグリオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」に参加したルハンガは、チュクウ、クウォスと組んで「アグリオス」を生んだ。アグリオスの名の由来はチュクウ、ルハンガ、クウォスの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ+クウォス=ユクウルワォス=ユグルオス=アグリオスとなる。

 


■45万年前 「クリュテイオス誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、クウォスと共に「クリュテイオス」を生んでいる。クリュテイオスの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、クウォスの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。

 


■45万年前 「グラティオーン誕生」

 

「盤古の大移動時代」の際に生まれたアグリオスは、ヴィディエ、ウェネと共に「グラティオーン」を生んでいる。グラティオーンの名の由来はアグリオス、ヴィディエ、ウェネの組み合わせである。アグリオス+ヴィディエ+ウェネ=グリオディエウェネ=グラティオーンとなる。

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

イェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■40万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■40万年前 「キャリアー族誕生」

 

人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、亜北極圏(現アラスカ~カナダ北部)に居を構えたアグリオスは「キャリアー族」を称した。キャリアーの名の由来はアグリオスである。アグリオス=アグリアー=キャリアーとなる。

 


■40万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ロディア誕生」

 

「獣人の大移動時代」に参加し、その後に「カオスの大移動時代」に参加したクリュテイオスは、オーストラリアに移住すると「ロディア」を生んだ。ロディアの名の由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クロティアス=ロディアとなる。その後、ロディアは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ラドン誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加したグラティオーンは、ルワが分離することで「ラドン」を生んだ。ラドンの名の由来はグラティオーンである。グラティオーン=ラティオーン=ラドンとなる。その後、ラドンは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ペトライエー誕生」

 

「獣人の大移動時代」を経て「カオスの大移動時代」に参加し、オーストラリアに入植したルハンガは、ヴィディエと共にグラティオーンから抜け、新規に「ペトライエー」を生んだ。ペトライエーの名の由来はヴィディエとルワの組み合わせである。ヴィディエ+ルワ=ヴィデルワーヴィデルイワー=ペトライエーとなる。その後、ペトライエーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「カリロエー誕生」

 

「獣人の大移動時代」を経て「カオスの大移動時代」に参加し、オーストラリアに入植したルハンガは、クリュテイオスから抜け、新規に「カリロエー」を生んだ。カリロエーの名の由来は、クリュテイオスとルワの組み合わせである。クリュテイオス+ルワ=クリュルワ=カリロエーとなる。その後、カリロエーは、大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「クリュメネー誕生」

 

「カオスの大移動時代」に参加してオーストラリア大陸に移住したアグリオスは、河川の娘たちを母体にイマナと組んで「クリュメネー」を生んだ。クリュメネーの名の由来はアグリオス、イマナの組み合わせである。アグリオス+イマナ=グリオマナー=クリュメネーとなる。その後、クリュメネーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■7万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■7万年前 「ロア族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したカリロエーは台湾に移住し「ロア族」を生んだ。ロアの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルアンガ=ロアとなる。

 


■7万年前 「ボトル族誕生」

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したペトライエーはマレーに移住し「ボトル族」を生んだ。ボトルの名の由来はペトライエーである。ペトライエー=ペトル=ボトルとなる。

 


■4万年前 「テュポン(タイパン)誕生」

 

クロノスの姦計により、古代ギリシアを追放されたチュクウは、オーストラリアに帰還していた、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、チュクウ(ギガース)はクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成し、古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとルハンガの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。テュポンは、オーストラリアでは「虹蛇タイパン」と呼ばれた。

 


■4万年前 「モルディブ誕生」

 

古代ギリシアに向かう途上、怪物テュポンは現モルディブに仮りの拠点を作った。この時に初めて当地は「モルディブ」と呼ばれた。モルディブの名の由来はムワリとテュポンの組み合わせである。ムワリ+テュポン=ムワリテュポ=モルディブとなる。

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「亢誕生」「房誕生」

 

「ギガントマキア」を機にオセアニアに帰還し、その後「フッキとヌアの大航海時代」に参加したルハンガは、アフリカ湖水地方に入植した。この時、「亢(ハング)」「房(ファング)」などの都市を築いた。ハング、ファングの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ハンガ=ハング(亢)となり、ルハンガ=ルファング=ファング(房)となる。彼らは、ディンカの国「青龍(チンロン)」に参加している。

 


■2万年前 「禄存誕生」

 

ヴァルハラ王国を離れたオーディーンが現ベナンに入植すると、青龍のルハンガは、オーディーンの新しい国「北斗星君(ペイトーキンジュン)」の建設に協力した。ルハンガは、北斗星君に参加し、「禄存(ルワン)」を建設した。ルワンの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルワンガ=ルワンとなる。

 


■1万3千年前 「テングリの大移動時代」

 


■1万3千年前 「ローバ族誕生」「ラフ族誕生」「ハニ族誕生」「リス族誕生」「ユグル族誕生」

 

「テングリの大移動時代」に参加したルワンは、中国に入植した。彼らが、二十八宿神、北斗星君、フッキとヌア、東方青龍、西方白虎、南方朱雀、北方現部の伝説を中国の地にに伝えた。チベットに「ローバ族」、雲南に「ラフ族」「ハニ族」「リス族」、モンゴルに「ユグル族」を生んだ。ローバ、ラフ、ハニの名の由来はルハンガであり、リス、ユグルの名の由来はアグリオスである。ルハンガ=ルーハンガ=ローバ、ルハンガ=ラフンガ=ラフ、ルハンガ=ルハニガ=ハニとなり、アグリオス=アグリウス=リス、アグリオス=ユグリオス=ユグルとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ルーベン族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」によって縄文人が中国を訪れると、チベットのローバ族と、雲南のハニ族が連合して「ルーベン族」を生んだ。ルーベンの名の由来はローバとハニの組み合わせである。ローバ+ハニ=ローバニ=ルーベンとなる。その後、ルーベン族はイスラエルの12氏族に参加している。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「バンベド誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したルハンガ(ルーベン族)は、インダス流域からインド洋に出て、ボルネオ島に移住した。彼らはここに「バンベド」を生んだ。バンベドの名の由来はルーベンとビダユの組み合わせである。ルーベン+ビダユ=ベンビダ=バンベドとなる。

 


■BC30世紀 「ヤザダ神群の大移動時代」

 


■BC30世紀 バンベド、ボルネオ島からイランに移住

 

「ヤザダ神群の大移動時代」に参加したバンベドは、ボルネオ島からイランに移住し、「ヤザダ神群」に参加した。彼らは、同じイスラエル王国時代の仲間ガ築いたマズダー神群、ダエーワ神群と共存した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「韓誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したルーベン族は、現地人と混合して「韓(ハン)」を称した。韓(ハン)の名の由来はルーベンである。ルーベン=ルーハン=韓(ハン)となる。

 


■BC230年 「返氏誕生」

 

BC230年に韓が滅ぶと、韓氏は「返氏(ファン)」を生んだ。ファンの名の由来はルハンガ、或いは韓(ハン)である。

 


■BC209年 「ラハンウェイン族誕生」

 

BC249年に魯が滅び、BC230年に韓が滅び、BC209年に衛が滅びた。この3者は「秦」による統治を機に連合し、中国を脱出して遠くソマリアに落ち延びた。中国人の顔をした彼らはソマリア人と混合して「ラハンウェイン族」を形成した。ラハンウェインの名の由来は魯(ルー)、韓(ハン)、衛(ウェイ)の組み合わせである。ルー+ハン+ウェイ=ルハンウェイ=ラハンウェインとなる。

 


■BC202年 劉邦、初代皇帝に即位 「劉氏誕生」「漢誕生」

 

中国に残った韓氏は、ルーベンに因んで「劉邦(リューバン)」を生んだ。リューバンの名の由来はルーベンである。劉邦は「劉氏」の祖となり、初代皇帝に即位して「漢」を開いた。漢は、新を挟んでBC202年からAD220年まで続き、東アジアに大きな影響力を誇った。また、シルクロードを介してパルティア王国、ローマ帝国とも交易を行った。

 


■AD2??年 「三韓誕生」

 

ラハンウェイン族を生んだ韓氏は、ソマリアを離れて朝鮮半島に移住し、「三韓」を築いた。山間には「弁韓」「馬韓」「秦韓」があった。秦韓にはソマリアのハダメ族が参加し、秦氏(はた)を生んでいる。

 


■AD220年 「扶南国誕生」

 

王氏の「新」が台頭して「前漢」が滅ぶと、一部劉氏は海南島に赴き、古の神農の子孫であるチワン族と連合した。劉氏とチワンの連合体はカンボジアに上陸して扶南国を築いた。扶南の名の由来は海南(ハイナン)である。

 


■AD221年 劉備、初代皇帝に即位 「蜀誕生」

 

「大和人の大航海時代」を指揮する多氏の「呉」、倭人の「魏」と共存して、中国に三国時代を築いた。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ターナー誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した返氏は、ブリテン島に「ターナー」の名を生んだ。

 


■AD545年 「フォン人誕生」

 

扶南国の滅亡を機に、扶南人(チワン族+劉氏)はインド洋を超えて、喜望峰を周航し、遠く大西洋側に進出してニジェールに上陸した。東南アジア人の顔をした彼らは、現地人と混合して「ベナン人」「フォン人」を形成した。ベナンの名の由来は扶南であり、フォンの名の由来はルーベン(劉氏の祖)である。ルーベン=ルーヴェン=フォンとなる。

 


■AD1351年 「紅巾軍誕生」

 

アフリカ人の顔をしたフォン人は中国に帰還すると、現地人と混合して「韓林児」を称し、ルオ族は「白蓮教」を復活させて韓林児を首領に頂いた。褐色の肌を持ったフォン人(劉氏)、ルオ族(ラーオ族)が中心になって「白蓮教」を復活させ、紅巾族を指揮して大元に対して蜂起した。、リトアニア帰りの朱元璋と協力関係を結び、紅巾軍を指揮して「元朝」をモンゴル高原に追放した。

 


■AD1351年 「小西氏誕生」

 

だが、朱元璋は中国を掌握すると、同盟者であった白蓮教を邪教として弾圧した。これを機に、中国を脱出したルオ族は、フォン人と共にアフリカの故地に帰還した。また、四散した紅巾族を構成していたアフリカ人の一部は日本に移住し、日本人と混合して「小西氏」の祖、小西行正を生んでいる。小西の名の由来は中国のラテン名「チニーズ」である。チニーズ=キニーズ=キニシ=小西となる。

 


■AD1570年 「マルーン誕生」「パルマーレス誕生」

 

フォン人の逃亡奴隷が集団化して「マルーン」と呼ばれた。マルーンは「キロンボ」と呼ばれる集落を建設し、ブラジル北東部に逃亡奴隷の国家「キロンボ・ドス・パルマーレス」を建設した。AD16??年には、マルーンの首領ズンビが独立国家としての「パルマーレス」を繁栄させた。

 


■AD1592年 「文禄の役」「慶長の役」

 

朱元璋に弾圧を加えられると、紅巾族は中国を脱出して日本に落ち延びた。その紅巾族の子孫が小西氏と宗氏である。宗義智(マニ教)、小西行長(フォン族)は、倭寇を統べる松浦鎮信(マトゥーラ族)、有馬晴信(エラム人)、大村喜前、宇久純玄(ブギス族)と共に朝鮮出兵、第一軍の一番隊を担った。つまり、「文禄の役」「慶長の役」とは、秀吉の案ではなかった。
「文禄の役」「慶長の役」は小西氏、宗氏の案であり、中国大陸に改めて覇を唱え、朱氏に対する先祖の雪辱を晴らすのが目的だったのだ。二番隊は、加藤清正(イギリス人ゴドー)と鍋島直茂(ネパール人)、相良長毎(サカラバ族)が務めた。三番隊は、黒田長政(ケルト人)、大友吉統(ボルジギン家)が務めた。四番隊は、毛利勝信(マオリ族)、島津義弘(イギリス人スミス)が務めた。五番隊は、福島政則(ブギス族)、戸田勝信(ハルシュタット人)、長宗我部元親(カペー家)、蜂須賀家政(ノルマン人)、生駒親正(ユカタンのクメール人)、来島通行(釜山倭館の村上氏)が務めた。六番隊は、小早川隆景(マプングプエ人)、立花鎮虎(ニョロ人)、毛利秀包、高橋統増(ダキア人)、筑紫廣門(フェニキア人)、毛利輝元が務めた。
第二軍の七番隊は、宇喜多秀家(宇久+喜多川)、増田長盛。大谷吉継(ホータン)、加藤光泰、石田三成(ウァシュテペック家)、前野長康が務めた。八番隊以降は割愛するが、豊臣秀吉、木下氏などからしてキガ族の系統に連なっている。だが、「文禄の役」「慶長の役」に参加した面々も非常に国際色豊かであり、由緒正しい王統に属していた。また、受けて立った明の朱氏や李氏朝鮮の李氏も、リトアニア大公国の王統に連なる人々である。つまり、両者は東アジア人の姿をしてはいたものの、先祖の顔ぶれを一瞥すれば、「文禄の役」「慶長の役」が非常に国際的な戦争だったことが分かる。

 


■AD1658年 「コンバウン誕生」

 

オリバー・クロムウェルは、死んだと見せかけて一族を率いてイギリスを脱出し、カリブ海に及んだ。クロムウェルは逃亡奴隷マルーンに出会うと、その反骨気質にほれ込み、連合して太平洋を横断した。彼らは「コンバウン」を称した。コンバウンの名の由来はクロムウェルの祖キンブリとフォン(マルーンはフォン人が多い)の組み合わせである。キンブリ+フォン=キンフォウン=コンバウンとなる。

 


■AD1752年 「コンバウン朝誕生」

 

アジアに達すると、コンバウンの連合体はミャンマーに上陸した。彼らは、しばらくモン族の世話になり、その後に、ペグー(朴氏)のモン族(文氏)と共に「タウングー朝」に攻め込み、首都を陥落させた。AD1752年、クロムウェルとマルーンの異色の連合による「コンバウン朝」がミャンマーに開かれた。
その後、コンバウン朝は、AD1757年にモン王国の首都ペグーを占領し、AD1766年に「アユタヤ朝」を滅ぼしている。その後、クロムウェルは皮肉にも同郷の人々、大英帝国と相まみえることとなる。AD1824年、「第1次英緬戦争」が起こり、「第3次英緬戦争」を経て、AD1886年に大英帝国がミャンマーを英領インドに併合したため、コンバウン朝は滅亡した。

 


■AD1907年 フランソワ・デュヴァリエ生誕

 

クロムウェルとマルーンの連合体は、AD1886年の「コンバウン朝」滅亡と共に解散した。ミャンマー人の顔をしたマルーンは、単身太平洋を横断してハイチに至り、ハイチ共和国第32代大統領フランソワ・デュヴァリエを生む母体を形成する。そして、AD1907年にフランソワ・デュヴァリエは誕生した。ハイチ共和国第32代大統領に就任すると、デュヴァリエは秘密警察を母体にした準軍組織「トントン・マクート」を創設して憲法を廃止し、終身大統領を宣言してハイチに君臨した。

 


■AD1928年 ジャン=マリー・ル・ペン生誕

 

国民戦線創始者。

 


■AD1948年 ハサン・ロウハーニー生誕

 

イラン・イスラム共和国第7代大統領に就任している。

 


■AD19年 ジェイムズ・パンコウ生誕 「シカゴ誕生」

 


■AD1951年 ジョー・リン・ターナー生誕

 

 

 

◆トバルカイン(ルハンガ)の歴史

 


■4万年前 「テュポン(タイパン)誕生」

 

クロノスの姦計により、古代ギリシアを追放されたチュクウは、オーストラリアに帰還していた、その後、ゼウスに敗北したクロノスがオセアニアに亡命すると、チュクウ(ギガース)はクロノスに操られ、全能神ゼウスを倒すために「怪物テュポン」を結成し、古代ギリシアに侵攻した。テュポンの名の由来はチュクウとルハンガの組み合わせである。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。テュポンは、オーストラリアでは「虹蛇タイパン」と呼ばれた。

 


■4万年前 「天香語山命誕生」

 

「ギガントマキア」に敗北したテュポンは、ギリシアから台湾に上陸した。この時、台湾は初めて「台湾」と呼ばれた。台湾の名の由来はテュポンだが、テュポンの名は「ジャパン」の語源でもある。テュポンを解散したギガースは、イマナ、ニャメと混合して「アメノカグヤマ」を成した。アメノカグヤマの名の由来はイマナとギューゲースとニャメの組み合わせである。イマナ+ギューゲース+ニャメ=イマナギュゲヤメ=アメノカグヤマとなる。

 


■3万年前 「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」

 


■3万年前 「トバルカイン誕生」

 

「ティル・ナ・ノーグの大移民時代」に参加したテュポン(天香語山命)は、天津神の同僚であるアルキュオネウス(天之御中主神など)と共に「トバルカイン」を生んだ。トバルカインの名の由来はテュポンとアルキュオネウスの組み合わせである。テュポン+アルキュオネウス=テュポアルキュオネ=タパルキュオン=トバルカインとなる。

 


■3万年前 「エノクの大航海時代」

 


■3万年前 「テワ族誕生」「ティワ族誕生」「トワ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したトバルカインは、コロラド流域残留を決めた。彼らは現地人と混合して「テワ族」「ティワ族」「トワ族」など、後にプエブロ族に数えられる部族を生んでいる。トバルカイン=トワルカイン=トワ=テワ=ティワと変遷が加えられている。

 


■3万年前 「ルカイ族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したトバルカインは、台湾に移住した後、「ルカイ族」を生んだ。ルカイの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ルカイとなる。

 


■3万年前 「ラガイン族誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したトバルカインは、台湾に移住した後、ミャンマーに上陸して「ラガイン族」を生んだ。ラガインの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=ルカイン=ラガインとなる。

 


■2万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■2万5千年前 「南岳衡山誕生」「西岳崋山誕生」「北岳恒山誕生」

 

「天孫降臨の大航海時代」に参加したトバルカイン(ルハンガ)は、「南岳衡山(ヘンシャン)」「中岳崋山(ファシャン)」「北岳恒山(ヘンシャン)」を築いた。ヘン、ファの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルヘンガ=ヘン(衡)(恒)となり、ルハンガ=ルファンガ=ファ(崋)となる。これらの伝説的な山は中国にあるとされているが、実際には南極大陸にある。
「南岳衡山」はカークパトリック山(4528m)とマークハム山(4350m)のことであり、「西岳崋山」はシドリー山(4187m)のことであり、「北岳恒山」はプラトー山(4191m)のことである。

 


■2万年前 「ヴィマーナ誕生」

 

ヴィマナ(UFO)の開発には科学の種族だけでなく、ハムの一族が加わった。それは、ヴィマーナの名前でわかる。ヴィマーナの名前とハムの名前は成立過程が同じなのだ。ハムとヴィマーナの名は、新水生人ヴィディエとイマナの組み合わせである。ヴィディエ+イマナ=ヴィマナ=ヴィマーナとなる。

 


■2万年前 「羅ホウ山の大航海時代」

 


■2万年前 「ホウ都大帝誕生」「羅ホウ山誕生」

 

「羅ホウ山の大航海時代」に参加したヴィディエは、火星に降り立ち、冥府神「ホウ都大帝(フェンドゥ)」「太乙救苦天尊(タイイジュクウ)」を生んだ。フェンドゥの名の由来はルハンガとヴィディエの組み合わせであり、タイイジュクウの名の由来はヴィディエとチュクウの組み合わせである。ルハンガ+ヴィディエ=ハンディエ=フェンドゥとなり、ヴィディエ+チュクウ=ディエチュクウ=タイイジュクウとなる。
彼らは、高さが2万7000メートルもある火星の火山オリンポスを「羅ホウ山(ルオフェン)」と呼んだ。ルオフェンの名の由来はルハンガである。ルハンガ=ルオハンガ=ルオフェンとなる。「九幽地獄」「二十四獄」と呼ばれた施設で、反自然的な罪を裁かれたできそこないたちは、正統な種の存続を願いながら、巨大なピラミッドなどの建設に従事し、黙って死んでいった。

 


■2万年前 「変成王誕生」

 

「羅ホウ山の大航海時代」に参加したルハンガは、火星に降り立ち、十王に属する「変成王(ビァンチェン)」を築いた。ビァンチェンの名の由来はルハンガ、ジェンギの組み合わせである。ルハンガ+ジェンギ=ハンジェン=ビァンチェン(変成)となる。ルハンガは、ここに収容されたできそこないを裁き、強制労働を課していた。

 


■1万3千年前 科学の種族、核兵器を開発

 

順番としては、UFOよりも核兵器の方が先ではないか?と考える向きもあると思う。だが、科学の種族は大変平和的な人たちであるため、UFOの後に、タナトスを焼くために核兵器が開発された。

 


■1万3千年前 「アトランティス滅亡」

 

この頃、科学の種族は核爆弾を開発したが、当時、ゼウスがその一報を聞いて喜んだ。古代ギリシア・アトランティス王国(オーストラリア南)では、ディオニュソスが「エレウシス密儀」を布教する際、「入信しなければ殺す」と多くの人々を脅し、大量の信者を獲得していた。大量の信者獲得は、発言力の増大と共に、そのまま信者の離反防止につながる。そのため、タナトスの宗教は大量の信者の獲得を命題としている。
ディオニュソスは、その大量の信者たちをアトランティスのインフラ全般に送り込んで、これを掌握した。タナトスの発想では、王にならずとも、人民の生活を支配すれば、優れた王にも勝てるのだ。インフラ掌握により、ディオニュソスが何をしても人々は怒ることも暴れることも弾劾することなく、怒りを飲み込んで幸福を演じていた。人々は、悪と戦って自由を得るのではなく、自由と生活を保障してもらうために、戦いを放棄し、悪に服従していたのだ。本能・感受性・意志の放棄は、非常な罪である。
ディオニュソスの非人間じみた圧制により、多くの人々が苦しんでいた。国民は「幸福な国の国民」を演じさせられていたのだ。抑圧的な生活により、精神疾患が蔓延した。だが、精神疾患患者はディオニュソスの命を受けた信者たちよってことごとく排除されてしまった。なぜなら、幸福な国で精神疾患を患うということは、国家がウソをついている証だからだ。ギリシア神話では、ポセイドンとアテネが対立する説話が紹介されている。これは、ディオニュソスが簒奪したポセイドンの国アトランティスとアテネが君臨していた時代の古代ギリシアとの対立を意味している。
「太陽神アポロン」を祀っていたアベラム族や全能の神ゼウスも、このことを憂慮していたが、数で圧倒するディオニュソスには対抗できなかった。そこへ、科学の種族が核兵器を開発した。ゼウスは、ディオニュソスと彼らに追随する人々を皆殺しにするために、科学の種族に核兵器の使用を要請した。人喰い人種を嫌悪していた科学の種族はこれを快く承諾した。これにより、ディオニュソスが簒奪したアトランティスは滅亡した。オーストラリア南部には、テクタイトが散乱しているが、これは当地にアトランティスの都市が存在していたことを意味している。

 


■1万3千年前 科学の種族、南極大陸の北方引き上げを計画

 

虚言症を患うタナトスと共存することは不可能だと考えていた科学の種族(エラド、マハラエル、トバルカイン)は、旧世界から切り離された南極大陸の立地条件を高評価していた。そして、彼らは、半分凍結している南極大陸を有効活用すべく、核兵器で地軸を動かして南極をもっと北方に引き上げようという計画を立てた。だが、これに懸念を示したのはノア、セム、ハム、ヤペテ、メトセラ、レメク、エノス、エノクの面々であった。

 


■1万3千年前 「パンドラの箱」

 

ゼウスは、科学の種族が核爆弾によって地軸を揺らす計画を練っていることを知り、懸念を表明していた。しかし、強行組のルハンガのトバルカインはゼウスの懸念に反感を示した。ルハンガのトバルカインはタルタロス(オーストラリア東部)に隠れ、巨大核兵器の開発を進めた。この時の拠点が「パンドラ」と呼ばれた。
パンドラの名の由来はルハンガとタルタロスの組み合わせである。ルハンガ+タルタロス=ハンタル=パンドラとなる。「パンドラの箱」の説話は、世界中の王族の反対を押し切り、ルハンガのトバルカインを筆頭にチュクウ、オロクン、クウォスのトバルカインが地軸の移動計画を強行したことを意味している。つまり、パンドラの箱が開いたのだ。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「科学の種族の大移動時代」

 


■1万3千年前 科学の種族、スコットランドに移住

 

「科学の種族の大移動時代」に参加したエラド一行は、文明継承を胸に原動機付きの船舶、或いは飛行機でペルーやスコットランドに移住した。文明継承組のエラド、マハラエル、トバルカインは、いわゆる「宇宙人」の祖である。彼らは、このスコットランドに建てた基地にてUFOを発明し、科学の種族として科学文明を深化させたと考えられる。

 


■BC5千年 「初代テーバイ王国誕生」

 

火星から引き上げたルハンガは、現サハラに都市を築いた。その後、エウローペーがヨーロッパから西アフリカに移住し、カドモスも、これに倣って西アフリカに移った。エウローペーが築いたヨルバに身を寄せたカドモスは、そこから更にニジェール河を遡り、緑豊かだったサハラに入植し、科学の種族トバルカイン(ルハンガ)と共に王国を築いた。この時に「テーバイ」が生まれた。テーバイの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=トーバルカイン=テーベとなる。

 


■BC5千年 「方丈山誕生」

 

サンガリオスの招待を受けたルハンガは、現チリに移住し、「方丈山(ファンツァン)」を築いた。ファンツァンの名の由来はルハンガとジェンギの組み合わせである。ルハンガ+ジェンギ=ハンジェン=ファンツァン(方丈)となる。方丈山は中国にあるとされているが、アンデス山中に存在した。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ」

 


■BC32世紀 「第2代テーバイ王国誕生」

 

「ソドムとゴモラ」を機に、トバルカインはサハラ砂漠と化した故地から逃れてインダス流域に入植した。「ソドムとゴモラ」を実施した彼らは、科学放棄を決意し、出羽国から来たダヴィデの人々に託した。その代わり、彼らは「第2代テーバイ王国」を建設し、その後、彼らの生活の痕跡は「インダス文明」と呼ばれた。

 


■BC32世紀 「プント王国誕生」

 

更に、ルハンガのトバルカインは、「シバ王国」を築いたカゾオバのトバルカインと連合し「プント王国」を築いた。プントの名の由来はパンドラである。パンドラ=パンド=プントとなる。

 


■BC32世紀 「パンジャブ誕生」

 

シバ王国は、トバルカインの子孫であるテーバイ人が建設したプント王国と連合して「パンジャブ」を生んだ。パンジャブの名の由来はプントとシバの組み合わせである。プント+シバ=プンシバ=パンジャブとなる。

 


■BC1027年 「パーンダヴァ族誕生」

 

プント人とシバ人は連合して「パーンダヴァ族」を築いた。これは、伝説のプント王国とシバの国が密接に交流を行っていた証だ。しかし、残念ながら、夜叉・羅刹(能登族・ダナーン人)が、同じインダス流域に位置する科学の種族の国「テーバイ」の簒奪を狙っていた。夜叉・羅刹は、例によってインチキ宗教を創設し、最下層にいる多くのパーンダヴァ族を信者として獲得し、パーンダヴァ族のインフラを掌握して、数で圧倒する形でパーンダヴァの有力者を排除してしまった。

 


■BC1020年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC6世紀 「パンチャーラ王国誕生」

 

BC1027年の「マハーバーラタ戦争」でパンジャブが荒廃に帰した際、パンドラはガンジス流域に避難した。インドの6王国時代、彼らはそのまま、「パンチャーラ王国」を建設している。パンチャーラの名の由来はパンドラの組み合わせである。パンドラ=パンジャーラ=バンチャーラとなる。

 


■BC317年 「パンドヤ王国誕生」

 

マウリヤ朝がインドを統一すると、パンチャーラ人は、南インドに上陸した。彼らは「パンドヤ王国」を建てた。パンドヤの名の由来はプントである。プント=プントア=パンドヤとなる。

 


■AD230年 「ヴァンダル族誕生」

 

中央アジアからバルト海に移動したアント人は、現地人と混合して「ヴァンダル族」を成した。ヴァンダルの名の由来はパンドラである。パンドラ=ヴァンドラ=ヴァンダルとなる。

 


■AD428年 ガイゼリック、初代王に即位 「ヴァンダル王国誕生」

 

AD375年にゲルマン人の大移動が始まると、ヴァンダル人はスエビ人、アラン人などと共にイベリア半島になだれ込んだ。その後、ヴァンダル人は来たアフリカに移ってチュニジアを支配下に置き、「ヴァンダル王国」を築いた。当時、北アフリカには人喰いの神モレクを祀るタナトスの血統がいたが、ヴァンダル人は彼らを皆殺しにしながらチュニジアに進軍した。

 


■AD534年 「ヴァンダル人の大航海時代」

 


■AD534年 「ビントロ誕生」

 

「ヴァンダル人の大航海時代」に参加したヴァンダル人は、ジャワ島に「ビントロ」の名を残した。ビントロの名の由来はヴァンダルである。ヴァンダル=ヴァンドロ=ビントロとなる。

 


■AD534年 「バュンドゥル誕生」

 

日本からモンゴルに渡ったケルト人とマルコマンニ人は、現地人と混合して「ケレイト」「メルキト」を形成した。ケレイトの名の由来はケルトであり、メルキトの名の由来はマルコマンニの人である。ケルト=ケルイト=ケレイトとなり、マルコマンニの人(ト)=マルコト=マルキトとなる。一方、ヴァンダル族はオグズ24氏族に参加し、「バユゥンドゥル」を称した。バユゥンドゥルの名の由来はヴァンダルである。

 


■AD11世紀 「土肥氏誕生」

 

AD11世紀頃にチョーラ朝に飲み込まれてパンドヤ王国が消滅すると、パンドヤ人はインドを離れて日本に移住した。この時に、「坂東」「土肥」「土井」などの名前が生まれた。坂東、土肥の名の由来はパンドヤである。パンドヤ=パンドア=坂東となり、パンドヤ=パンドイ=土肥となる。坂東八平氏の代表格のひとつ「土肥氏」からは土肥実平が輩出されているが、彼は「鎌倉幕府」の始祖である源頼朝に兄として頼られていた。

 


■AD1378年 カラ・ユルク・オスマン、初代君主に即位 「白羊朝誕生」

 

AD1378年、バュンドゥルのカラ・ユルク・オスマンは初代君主に即位して「白羊朝」を東部アナトリアの地に開いた。AD1508年に白羊朝が滅ぶと、バュンドゥルはヨーロッパに移住して「ファスビンダー」「ピンター」などの名を成した。この系統からは作家ハロルド・ピンター、映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが輩出されている。

 


■AD1857年 メリー・ベーカー・エディ、教会を設立 「クリスチャン・サイエンス誕生」

 

AD1857年、ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派のパンジャブ人は、セポイの乱を機に、インドを離れてアメリカに移住した。この系統からはAD1879年に「クリスチャン・サイエンス」を創立するメリー・ベーカー・エディが輩出されている。一方、インドから中国に移住した一派から「幸福の科学」の創始者大川隆法が輩出されている。クリスチャン・サイエンスは、科学つながりで「サイエントロジー」「幸福の科学」と祖を同じくしていることがわかる。彼らが科学を付け足したのは、プント国、シバの王国(パンジャブ)時代に交流を重ねていた科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)に因んでいると考えられる。

 


■AD1857年 L・ロン・ハバード、教会を設立 「サイエントロジー誕生」

 

AD1857年、ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派のパンジャブ人は、セポイの乱を機に、インドを離れてアメリカに移住した。この系統からはAD1954年に「サイエントロジー」を創立するL・ロン・ハバードが輩出されている。彼らは、科学つながりで「クリスチャン・サイエンス」「幸福の科学」と祖を同じくしていることがわかる。彼らが科学を付け足したのは、プント国、シバの王国(パンジャブ)時代に交流を重ねていた科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)に因んでいると考えられる。

 


■AD1945年 ライナー=ヴェルナー・ファスビンダー生誕

 


■AD1986年 大川隆法、神理伝道機関を設立 「幸福の科学誕生」

 

インドを脱出してアメリカに渡った仲間とは別に、中国に移住したシェルデン人は、地下教会に属した。しかし、AD1966年に文化大革命がおきると、中国を脱出して日本に移住した。この時、大川隆法はまだ少年だったと考えられる。AD1981年、大川隆法は高級霊界から啓示を受けたという。その後、AD1986年に「幸福の科学」を設立している。ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派、中国の地下教会の影響下にあるため、幸福の科学からは、雑多だが近未来的な印象を受ける。彼らは、ヒンドゥー教・ヴィシュヌ派時代の家族であるクリスチャン・サイエンス、サイエントロジーに倣って、自身の名に「科学」を加えた。彼らが科学を付け足したのは、プント国、シバの王国(パンジャブ)時代に交流を重ねていた科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)に因んでいると考えられる。

 

 

 

 

 

 



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