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サグバタの歴史

◆蘇我氏(サグバタ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「サグバタ誕生」「ソグボ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したキブウカは、現ベナンに「サグバタ」を生んだその後、サグバタからは「ソグボ」が生まれた。湖水地方時代のキブウカ同様、サグバタとソグボは、現ベナンの海岸で小魚、甲殻類、貝類、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」

 


■100万年前 「カッパドキア誕生」「ゲピード誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」に参加しサグバタは、北極圏であった黒海に入植した。これにより、肌は白くなり、金髪・碧眼となった。しかし、湖水地方時代同様、サグバタは小魚、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった。彼らは、黒海をはさんで、西側のパンノニアに後の「ゲピード」の前身、東側のアナトリア半島に後の「カッパドキア」の前身を築いた。
ゲピードの名の由来はサグバタであり、カッパドキアの名の由来はサグバタとダキアの組み合わせである。サグバタ=サグバータ=ゲピードとなり、サグバタ+ダキア=グバダキア=カッパドキアとなる。九千坊との戦争の際、サグバタは「西海坊」と呼ばれた。サイカイボ(西海坊)の名の由来はサグバタである。サグバタ=サイグイバタ=サイグイバ=サイカイボ(西海坊)となる。
河童の伝説では、西海坊が九千坊になったとされている。だが、実際には、亀慈の九千坊(カゾオバ)が、西海坊(サグバタ)が治めていたアナトリア半島を制圧したことを意味している。

 


■100万年前 「グプタ誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」に参加しサグバタは、インダス流域に入植した。湖水地方時代、人口密度の影響で各々が各々の獲物に特化していたが、新天地ではその必要がなくなり、小魚、昆虫を食べていたサグバタは、大型哺乳類、大型魚類など、好きな獲物を食べることで巨大化した。サグバタは、身長50cmから160cmほどになった。彼らは、キブウカと共にインド人の祖である。特に、サグバタはインドに「グプタ」の名を残した。グプタの名の由来はサグバタである。サグバタ=グバタ=グプタとなる。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「サキザヤ族誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したサグバタは、台湾に入植し、カゾオバと組んで「サキザヤ族」を生んだ。サキザヤの名の由来はサグバタとカゾオバの組み合わせである。サグバタ+カゾオバ=サグゾオ=サクゾオ=サキザヤとなる。

 


■30万年前 「クバラン族誕生」

 

台湾に移住したブロンテースは、サグバタ(サキザヤ族)と混合して「クバラン族」を成した。クバランの名の由来はサグバタとブロンテースの組み合わせである。サグバタ+ブロンテース=クバロン=クバランとなる。

 


■30万年前 「月読神誕生」

 

台湾に上陸したサグバタ(サキザヤ族)は、ニャメ(アミ族)と混合して「ツクヨミ」を成した。ツクヨミの名の由来はジョクとニャメの組み合わせである。ジョク+ニャメ=ジョクヤメ=ツクヨミとなる。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「ジョク」「スク」

 

「フッキとヌアの大航海時代」

 


■BC30世紀 「宿神誕生」

 

宿神の名の由来はサグバタとピュグマエイの組み合わせである。

 


■BC7世紀 「カッパドキア誕生」

 

湖水地方時代同様に、小魚、昆虫類を食べていたサグバタは、BC7世紀頃になって好きなものを獲って食べ始めた。これにより、身長50cmだったサグバタは。身長160cmほどに巨大化した。妖精としてとらえられていた彼らはカッパドキア人となる。その後、黒海の対岸パンノニアから、祖を同じくするゲピード族に誘われたダキア人が訪れると、サグバタはダキア人と組んで「カッパドキア」を称した。カッパドキアの名の由来はサグバタとダキアの組み合わせである。サグバタ+ダキア=グバダキア=カッパドキアとなる。

 


■BC7世紀 「スキタイ人誕生」

 

カッパドキア人は、中央アジアに移り、「スキタイ人」を称した。スキタイの名の由来はカッパドキアと同じ、サグバタとダキアの組み合わせである。サグバタ+ダキア=サグダ=サグダイ=スキタイとなる。カッパドキア人がいない時は、彼らはスキタイ人になり、スキタイ人がいない時は、彼らはカッパドキア人になっていた。
おもしろいことに、フリギア王国、ペルシア帝国、アレクサンドル帝国によってアナトリア半島が支配下に置かれる時には、スキタイ人が中央アジアに発生し、カッパドキア王国が栄えている時には、中央アジアにスキタイ人の姿はない。スキタイ人には、祖を同じくするサカ人も加わっていた。

 


■BC317年 チャンドラグプタ、マガダ王に即位 「マウリア朝誕生」

 

BC316年、カッパドキアがアレクサンドル大王の支配下に落ちると、サグバタはアレクサンドル大王の軍に混じってインドに移住した。「チャンドラグプタ」を名乗ったサグバタは、マウリア人と共同で「マウリア朝」を開いた。

 


■BC232年 「カッパドキア王国誕生」

 

第2代王アショーカがタナトスの宗教(仏教)によって支配され、マウリア朝が征服装置と化すと、サグバタはタナトスを嫌い、カッパドキアに帰還した。彼らは「カッパドキア王国」を築いた。

 


■BC133年 「カッパドキア人の大航海時代」

 


■BC133年 「ソグド人誕生」

 

「カッパドキア人の大航海時代」に参加したスキタイ人は、カッパドキアを諦め、中央アジアに永住を決めた。この時に「ソグド人」が生まれ、ソグディアナ王国が建てられた。ソグドの名の由来はスキタイである。スキタイ=スギダイ=スギダ=ソグドとなる。

 


■BC133年 「道氏誕生」

 

「カッパドキア人の大航海時代」に参加したカッパドキア人は、ローマ共和国属州と化した故地を離れ、インド洋を越えて日本に移住した。カッパドキア人は、祖を同じくする吉備氏の国に入植した。この時に「道氏」が生まれた。道氏(どう)の名の由来はカッパドキアである。カッパドキア=カッパドーキア=どう(道氏)となる。キアの部分からは「香夜氏」が生まれた。

 


■AD145年 「サカ王朝誕生」

 

ソグディアナの建設に協力していたサカ人は、中央アジアからパンジャブに移住した。彼らは、西インドに「サカ王朝」を築いた。サカ王著には、祖を同じくするソグド人も加わっていた。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD320年 チャンドラグプタ1世、マガダ王に即位 「グプタ朝誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した道氏は、賀茂氏、安曇氏、縣氏、熊襲武尊と共にインドに移住した。道氏はマガダ地方に侵入し、AD320年に「グプタ朝」を開いている。グプタの名の由来はサグバタである。サグバタ=グバタ=グプタとなる。グプタ朝初代王の名は、マウリア朝と同じくチャンドラグプタである。

 


■AD390年 「蘇我氏誕生」

 

AD390年にサカ王朝が滅ぶと、ソグド人とサカ人は「蘇我氏」を称した。蘇我の名の由来はソグドである。ソグド=ソガド=蘇我となる。蘇我氏からは蘇我馬子、蘇我入鹿などが輩出されている。

 


■AD451年 「コプト教誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した道氏は、エジプトに移住した。彼らからはコプト教を生むデイオスコロスが生まれた。デイオスコロスの名の由来は「デウスを殺す」である。デウスとはタナトスのクリュテイオスのことである。インドを経た彼らは、卑怯なダーサ族(デウス)を嫌い、デイオスコロスという名を選んだ。コプトの名の由来はサグバタ、或いはグプタである。グプタ=グプト=コプトとなる。

 


■AD454年 「ゲピード王国誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した道氏は、エジプトを発つと、故郷パンノニアに移り住んだ。彼らは「ゲピード」の名を復活させた。覇者フン族亡き後のパンノニアに君臨し、「ゲピード王国」を築いた。

 


■AD550年 「久保田氏誕生」「窪田氏誕生」

 

AD550年にグプタ朝が滅びると、道氏の子孫であるグプタ人は日本に帰還した。インド人の顔をした彼らは甲斐国で日本人と混合し「窪田氏」を称した。しばらくして、窪田氏は甲斐国を離れて現福島県に移住し、変遷を加えて「久保田」を称している。その後、久保田氏は日本中に拡散した。窪田、久保田の名の由来はグプタである。

 


■AD562年 蘇我堅塩媛、日本に移住

 

柔然がアヴァール王国を掌握すると、正統なアヴァールの王族カティアナとジョアンの姉妹が子供たちと数十騎の兵士を従えてシルクロードを渡り、満州に辿り着いた。カティアナはインドから落ち延びたソグド人蘇我稲目の養女となり、共に日本に上陸した。カティアナは「蘇我堅塩媛」を称し、ジョアンナは「小姉君」を称した。
カティアナは自身の名に堅塩(かたえん)と当て字し、ジョアンナは小姉(しょうあね)と当て字した。蘇我堅塩媛は欽明天皇と結婚したが子供たちは欽明天皇の血を引いてはいない。額田部皇女(アガタの当て字)を含めた全員がアヴァールからの連れ子である(つまり、白人の顔をしていた)。

 


■AD566年 「木幡氏誕生」「古畑氏誕生」「小畑氏誕生」「小畠氏誕生」

 

AD566年にゲピード王国が滅びると、道氏の子孫であるゲピード族は日本に帰還した。ヨーロッパ人の顔をした彼らは、日本人と混合し「木幡氏」を称した。しばらくして、木幡氏は日本各地に移住し、変遷を加えて「小畑」「小畠」を称している。木幡、小畠、古畑、小畑の名の由来はゲピードである。

 


■AD588年 蘇我馬子、法興寺創建

 


■AD593年 額田部皇女、第33代天皇に即位 「推古天皇誕生」

 

推古の名の由来はサグバタだと考えられる。サグバタ=サイグバタ=推古(すいこ)となる。アヴァール人のアガタ皇女は、蘇我氏由来の名を冠した。つまり、推古天皇の意志は、蘇我氏の意志であった。

 


■AD642年 蘇我入鹿、専権

 


■AD645年 「大化の改新」

 

タナトスの血統である中臣鎌足が指揮した「大化の改新」により、蘇我氏は滅亡した。その後、彼らは日本を脱出して故地であるソグディアナに一旦帰還した。

 


■AD645年 「スコットランド誕生」

 

「大化の改新」により、蘇我氏が滅亡すると、彼らは日本を脱出して故地であるソグディアナに一旦帰還した。だが、AD712年にイスラム軍にソグディアナを占領されると、蘇我氏はソグディアナを後に、南北に新天地を求めて旅立った。北方組蘇我氏は、ヨーロッパを通過してブリテン島に上陸し、「スコットランド」を築いた。スコットランドとは「ソグドの土地」を意味している。ソグド+ランド=ソゴドランド=スコットランドとなる。

 


■AD9??年 「カニク誕生」

 

ヴァイキングの活動が活発化すると、スコット人はブリテン島を離れた。彼らは、一旦ガンジス流域に移住したが、そこから遡り、中央アジアを訪れた。そこで、彼らはオグス24氏族に参加した。ガンジス流域(ガンガー)から来た彼らは「カニク」を名乗った。

 


■AD1243年 「金子氏誕生」

 

AD1243年、セルジューク朝が滅ぶと、セルジューク家は2手に分かれてオリエント地方を離れた。一部は、日本に移住した。日本人と混合した彼らは「金子氏」を生んだ。金子の名の由来はカニクである。カニク=カニコ=金子となる。一方、一部は故地であるスコットランドに帰還した。しかし、彼らが帰還した時期は、スコットランド征伐のため、アンジュー家が率いるイングランド軍がスコットランドに侵攻していた。

 


■AD1493年 「ソンガイ帝国誕生」

 

AD1480年、ヨーク朝のイングランド軍がスコットランドに侵攻すると、これを機に、スコット人は、新天地を求めてアフリカに逃亡した。彼らは「ソンガイ帝国」を築いた。ソンガイの名の由来は蘇我である。蘇我=ソンガ=ソンガイとなる。
ソンガイ帝国は、強力な水軍を組織し、ニジェール河大湾曲部に支配を拡大した。その象徴が、イスラム交易都市ジェンネとトンブクツの支配だった。また、ソンガイ帝国は、トンブクツのイスラム学者を弾圧し、虐殺した。だが、「明日香」を由来にした人物、アスキア・ムハンマドがクーデターを指揮し、AD1493年に「アスキア朝」を開いた。AD1590年、ソンガイ帝国のアスキア朝は、マリキ派に率いられたモロッコ軍の侵攻により滅亡した。

 


■AD1590年 「新貝氏誕生」「新谷氏誕生」

 

AD1590年、ソンガイ帝国が滅ぶと、ソンガイ帝国の人々は、インド洋を越えて日本に移住した。日本人と混合したソンガイ帝国の人々は「新貝氏」「新谷氏(しんがい)」を生んだ。新貝の名の由来はソンガイである。

 


■AD1804年 「ソコト帝国誕生」

 

大英帝国の成立を機に、これを嫌ったスコット人が新天地を求めて西アフリカを訪れた。白人の顔をした彼らは現地人と混合し、「ソコト族」を成した。ソコトの名の由来はスコット、或いはソグドである。ソコト族はフラニ族と連合し、ハウサ諸国を次々に攻略した。ウスマン・ダン・フォディオが初代帝王の座に就き、「ソコト帝国」が誕生した。ウスマン・ダン・フォディオは、多数の宗教的著作を著した文学者肌だった。

 


■AD1903年 「迫田氏誕生」「佐古田氏誕生」「坂田氏誕生」「酒田氏誕生」「阪田氏誕生」

 

ソコト帝国が滅ぶと、ソコト帝国の人々は日本に移住した。蘇我氏の子孫であるため、故地に帰還したということもできる。さかた、さこたの名の由来はソコトである。

 


■AD1883年 鳩山一郎生誕

 

第52・53・54代内閣総理大臣に就任。

 


■AD1935年 高畑勲生誕

 


■AD1944年 ダルダーノ・サケッティ生誕

 

サケッティの名の由来はスキタイである。スキタイ=スキッタイ=サケッティとなる。脚本家としてルチオ・フルチ、ランベルト・バーヴァらに脚本を書き、イタリアンホラー界を支えた。

 


■AD1947年 鳩山由紀夫生誕

 

 

 

 

◆ヤコブ(ソグボ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「サグバタ誕生」「ソグボ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したキブウカは、現ベナンに「サグバタ」を生んだその後、サグバタからは「ソグボ」が生まれた。湖水地方時代のキブウカ同様、サグバタとソグボは、現ベナンの海岸で小魚、甲殻類、貝類、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」

 


■100万年前 「サグウェ誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」に参加しソグボは、紅海に入植した。彼らは、古代エチオピアに「ザグウェ」を築いた。ザグウェの名の由来はソグボである。ソグボ=ソグホ=ソグオ=ザグウェとなる。湖水地方時代同様、ソグボは小魚、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった。

 


■100万年前 「サカ誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」に参加したソグボは、中央アジアに入植した。湖水地方時代、人口密度の影響で各々が各々の獲物に特化していたが、新天地ではその必要がなくなり、小魚、昆虫を食べていたソグボは、大型哺乳類など、好きな獲物を食べることで巨大化した。サカ人の身長は、1mから160cmほどになった。サカの名の由来はソグボである。ソグボ=ソガボ~サカとなる。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「セコ誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したサカは、オーストラリアには残らず、日本に移住した。河童に参加した彼らは「セコ」を名乗った。セコの名の由来はサカである。サカ=サコ=セコとなる。湖水地方時代同様、セコは小魚、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった。
セコは、人に対して様々ないたずらを働くという。石を割る音を立てたり、山小屋をゆすったり、人をだまして迷わせる、山に入るときに懐に焼き餅を入れていると欲しがるという。

 


■BC40世紀 「第1次シュメール人の大航海時代」

 


■BC40世紀 「ヤコブ誕生」

 

「第1次シュメール人の大航海時代」に参加したセコ(河童)は、ペルーに入植し「ヤコブ」を生んだ。ヤコブの名の由来はソグボである。ソグボ=ヨグボ=ヤコブとなる。チムール王国時代、ヤコブは、イサク(イサック)、アブラハム(フォモール人)と連合した。「聖書」の舞台はイスラエルとされているが、彼らが実際に活躍した舞台は古代ペルーの山岳地帯である。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「サカ人誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加して出羽国に移住し、その後に「モーゼスの大移動時代」に参加したヤコブは、エジプト(日本)からカナン(夏時代の中国)に移り、先祖の故地サカに赴き、「サカ人」を生んだ。

 


■BC32世紀 「サグウェ族誕生」

 

ヤコブは、エジプト(日本)からカナン(夏時代の中国)に移り、先祖の故地サカに赴き、「サカ人」を生んだ。その後、故地であるアビシニアに移住し「サグウェ族」を生んだ。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「大地の神ゲブ誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したヤコブは、大移動時代に侵入したミディアン人(司神タナトス)、シェルデン人と連合した。彼らは、エジプトに進出した。シェルデン人は「大気の神シュウ」を、司神タナトスは「天空女神ヌウト」を祀った。シュウの名の由来はシェルデンであり、ヌウトの名の由来はタナトスである。シェルデン=シュウルデン=シュウとなり、タナトス=タヌウトス=ヌウトとなる。
一方、ヤコブは「大地の神ゲブ」を祀った。ゲブの名の由来はヤコブである。ヤコブ=ヤゲブ=ゲブとなる。司神タナトス、シェルデン人とアカイワシャ人は「砂漠の神セト」「太陽神ホルス」「蛇神アトゥム」を退けた。「ヌウト」を、原初の神に据えてヘリオポリスの古株を退けて、古代エジプトに君臨したのである。

 


■BC7世紀 「スキタイ人誕生」

 

カッパドキア人は、中央アジアに移り、「スキタイ人」を称した。スキタイの名の由来はカッパドキアと同じ、サグバタとダキアの組み合わせである。サグバタ+ダキア=サヅダ=サグダイ=スキタイとなる。カッパドキア人がいない時は、彼らはスキタイ人になり、スキタイ人がいない時は、彼らはカッパドキア人になっていた。
おもしろいことに、フリギア王国、ペルシア帝国、アレクサンドル帝国によってアナトリア半島が支配下に置かれる時には、スキタイ人が中央アジアに発生し、カッパドキア王国が栄えている時には、中央アジアにスキタイ人の姿はない。スキタイ人には、祖を同じくするサカ人も加わっていた。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「霧島誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したヤコブは、南九州に上陸し、拠点を「霧島」と命名した。霧島の名の由来はイスラエルの聖地ゲリジム山である。ゲリジム=ゲリジマ=霧島となる。

 


■AD145年 「サカ王朝誕生」

 

ソグディアナの建設に協力していたサカ人は、中央アジアからパンジャブに移住した。彼らは、西インドに「サカ王朝」を築いた。サカ王著には、祖を同じくするソグド人も加わっていた。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ジェイコブズ誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加したサグウェ族は、ブリテン島に上陸し、イギリス人と混血して「ジェイコブス」を生んだ。ジェイコブスの名の由来はヤコブである。

 


■AD645年 「ザガワ族誕生」

 

「大化の改新」により、蘇我氏が滅亡すると、彼らは日本を脱出して故地であるソグディアナに一旦帰還した。だが、AD712年にイスラム軍にソグディアナを占領されると、蘇我氏はソグディアナを後に、南北に新天地を求めて旅立った。また、南方組蘇我氏は、コーカサスをずっと南下してアビシニアに侵入した。「ザガワ族」を称した彼らからは、マラ・テクレ・ハイマノートが輩出された。AD1137年、彼は初代皇帝に即位してエチオピアに「ザガウェ朝」を開いた。


※チェコ


■AD1036年 「犬目氏誕生」「稲毛氏誕生」

 

聖徳太子の子息の一行と共にインドに来ていた蘇我稲目の後裔は、プラティハーラ朝が滅ぶと、インドから日本に帰還した。インド人の顔をした彼らは日本人と混合して「犬目氏」「稲毛氏」を形成した。犬目の名の由来は稲目であり、稲毛の名の由来は「イナギ(稲目の人)」である。

 


■AD 「ヨハネスの大航海時代」

 


■AD11世紀 「横山氏誕生」

 

「ヨハネスの大航海時代」に参加したイギリス人ジェイコブスは、南九州に渡り、故地である「霧島」に帰還した。後に、武蔵国に移ると、マヤ人の顔をした彼らは日本人と混合して「横山氏」を称した。横山の名の由来は「ヤコブの山」である。ヤコブ+山=ヤコ+山=横山となる。横山氏は、「横山党」を組み、坂東八平氏登場以前の関東平野を統べた「武蔵七党」の一角を担った。

 


■AD11世紀 「横山党誕生」

 

「横山党」を結成した横山氏の仲間たちの歴史を説明したい。海老名氏、愛甲氏、成田氏、本間氏、小俣氏、平子氏がいる。まず、「海老名氏」の祖はアビニョン人である。アビニョン=アビニャン=海老名となる。当時、フランク王国領であったアビニョンは神聖ローマ帝国領になった。そのため、アビニョンの人々は地中海を脱出して日本に移住した。この系統からは落語家林家三平(海老名泰一郎)が輩出されている。「愛甲氏」の祖は、アイルランド人である。AD1171年、アンジュー家がアイルランドの侵略を開始する。これを機に、コナート居住のアイルランド人がアイルランドを脱出して遠い異邦の地、日本にまで足を伸ばした。愛甲の名の由来はアイルランドとコナートの組み合わせである。
「成田氏」の祖は、プラティハーラ朝の残党である。プラティハーラ朝が滅ぶと、一部プラティハーラ王家は陸路でモンゴルを経由して日本に向かった。インド人の顔をした彼らは日本人と混合して「成田氏」を称した。成田の名の由来は「ナラト(ヴァナラシの人)」である。「本間氏」の祖は、「偉大な精霊モディモ」を祀るコサ族(南アフリカ人)である。西廻りのコサ族はペルーを経て「木曽氏」となるが、東回りのコサ族は「偉大な精霊モディモ」に因んで「本間氏」を称した。本間の名の由来はモディモである。モディに「本(もと)」を当て字し、モに間(ま)を当て字し、2つを組み合わせて「本間」の漢字表記を組み立て、更にに、訓読みで「本間(ほんま)」と呼んだ。
「小俣氏」の祖は、マタラム王国の残党、山田氏である。小俣の名の由来は山田であり、やまだ(山田)=あまた=おまた(小俣)となる。「平子氏」の祖は、ウマイヤ家である。AD1031年、イベリア半島の後ウマイヤ朝が滅ぶと、ウマイヤ家はイベリア半島を発ち、陸路ではるばる日本に移住した。平子の名の由来はイベリアキ(イベリアの人)である。イベリアキ=ベラキ=平子となる。こうして見ると、「横山党」はマヤ人、フランス人、アイルランド人、インド人、南アフリカ人、ジャワ人、アラビア人で構成されていたことになる。

 


■AD1137年 マラ・テクレ・ハイマノート、初代皇帝に即位 「ザグエ朝誕生」

 

AD1137年、彼は初代皇帝に即位してエチオピアに「ザグエ朝」を開いた。

 


■AD1262年 「佐川氏誕生」「久保氏誕生」「大久保氏誕生」「小久保氏誕生」

 

ヘロデ朝の残党は、ザガワ族を退けて「サグエ朝」を廃し、エチオピアに「ソロモン朝」を開いた。これを機に、ザガワ族はエチオピアを後にし、新たな新天地の候補として日本を選んだ。日本に上陸したサガワ族は、「佐川氏」や「久保氏」のシリーズを生んだ。久保の名の由来はソグボである。ソグボ=グボ=久保となる。この久保氏はシリーズ化され、「大久保(大窪)」「小久保(小窪)」「中久保(中窪)」「西久保(西窪)」「荻窪」などの名が生まれた。

 


■AD1262年 「ロマノフ朝誕生」

 

ヘロデ朝の残党は、ザガワ族を退けて「サグエ朝」を廃し、エチオピアに「ソロモン朝」を開いた。これを機に、ザガワ族はエチオピアを後にし、新たな新天地の候補としてロシアを選んだ。褐色の肌を持つザガワ族は、ロシア人と混合して「ロマノフ家」を形成した。ロマノフの名の由来はソロモンである。自分たちを追放したソロモン朝に、畏怖の念を抱いていたザガワ族は、強い敵の威光を借りんとソロモンの名を拝借した。ソロモン=ソロモノフ=ロマノフとなる。

 


■AD14世紀 「シク教誕生」

 

ザクセン人として西ヨーロッパに居住していたサカ人は、黒死病の流行を機に、故地を離れてパンジャブに入植した。その後、グル・ナーナクが輩出された。ナーナクの名の由来はノニアク(パンノニアの人)である。ノニアク=ノーニャク=ナーナクとなる。グル・ナーナクは、AD1469年に「シク教」を創始した。シクの名の由来はスクである。スク=シクとなる。

 


■AD1613年 ミハイル・ロマノフ、初代ツアーリに即位 「ロシア帝国誕生」

 

AD1613年、ミハイル・ロマノフはイワン4世の後継者としてツァーリの冠を頂いた。ここに「ロシア帝国」が誕生した。

 


■AD1933年 ケン・ジェイコブス生誕

 


■AD1934年 横山光輝生誕

 

 

 

 

 


ナナブルクの歴史

◆ニンフ(ナナブルク)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ナナブルク誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したキブウカは、現ベナンに「ナナブルク」を生んだ。湖水地方時代のキブウカ同様、ナナブルクは、現ベナンの海岸で小魚、甲殻類、貝類、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」

 


■100万年前 「ナバラ誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」に参加したナナブルクは、北極圏であった地中海に入植した。これにより、肌は白くなり、金髪・碧眼の特徴を得た。湖水地方時代、各々が各々の獲物に特化していた。キブウカの場合は昆虫などに特化していたため、身長が低かった。しかし、新天地ではその必要性が無効化された。大型哺乳類、大型魚類など、大きめの獲物に特化すると、キブウカの身長はみるみる160cmほどになった。彼らは、ソロモン諸島に顕著な、金髪・碧眼のメラネシア人の祖である。逆に言えば、河童の顔はメラネシア人の小型化である。彼らは、イベリア半島にまで足を伸ばし、「ナバラ」を築いた。ナバラの名の由来はナナブルクである。ナナブルク=ナブル=ナバラとなる。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」

 


■100万年前 「ニップール誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」に参加したナナブルクは、「ニップール」に拠点を得た。ニップールの名の由来はナナブルクである。ナナブルク=ナブル=ナッブール=ニップールとなる。一部のナナブルクは、ニップールでも小魚、昆虫などを食べていたが、各々の獲物に特化という湖水地方時代の決めごとが無効化された。そのため、一部は大型哺乳類などを食べた。これにより、身長50cmのナナブルクは、みるみる160cmにまで巨大化した。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「ニンフ誕生」「ニネヴェ誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したナバラ人は、ニップールに移住し、「ニンフ(ニュンペー)」を称した。彼らは自身の拠点として「ニネヴェ」を築いた。ニンフ、ニネヴェの名の由来は。ナナブルクである。ナナブルク=ナンブルク=ナンブ=ニンフとなり、ナナブルク=ナナベルク=ナナベ=ニネヴェとなる。湖水地方時代のキブウカ同様、ナナブルクは、チグリス=ユーフラテス流域で小魚、甲殻類、貝類、昆虫類を獲って食べていた。そのため、身長は50cmのままであった。ニンフとは、水陸両生で、身長50cmほどの金髪・碧眼の白人であった。その後、獲物が大型哺乳類になると、彼らは巨大化した。彼らはカナン~メソポタミア人の祖である。

 


■30万年前 「ネパール誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したニップール人は、メソポタミアを発ってヒマラヤの麓に入植した。彼らは「ネパール」を築いた。ネパールの名の由来はニップールである。ニップール=ニプール=ネパールとなる。一部のナナブルクは、ネパールでも小魚、昆虫などを食べていたが、各々の獲物に特化という湖水地方時代の決めごとが無効化された。そのため、一部は大型哺乳類などを食べた。これにより、身長50cmのナナブルクは、みるみる160cmにまで巨大化した。彼らは、ネパール人の祖である。

 


■30万年前 「プレークサウラー誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したニップール人は、オーストラリアに移住し、アシェラーフと組んで「プレークサウラー」を生んだ。プレークサウラーの名の由来はナナブルクとアシェラーフの組み合わせである。ナナブルク+アシェラーフ=ブルクシェラ=プレークサウラーとなる。その後、プレークサウラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ハリアクモン誕生」

 

プレークサウラーは、イマナと組んで「ハリアクモン」を生んだ。ハリアクモンの名の由来はプレークサウラーとイマナの組み合わせである。プレークサウラー+イマナ=プレークマナ=ハリアクモンとなる。その後、ハリアクモンは河川の娘たちに参加した。

 


■1万3千年前 「大地殻変動」

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC5千年 「ナホル誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加し、オーストラリアからメソポタミアに移住していたハリアクモンは、「ナホル」を生んだ。ナホルの名の由来はナナブルクである。ナナブルク=ナブル=ナホルとなる。ナホルは、先祖の故地であるニップール、ニネヴェを継承し、シュメールの都市国家として発展させた。

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「因幡氏誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したナホルは、日本に上陸し、現地人と混合して「因幡氏」を称した。因幡の名の由来はニネヴェである。ニネヴェ=イネヴェ=因幡となる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「難波氏誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したラガシュの民は、日本に上陸し、摂津国に移住した。
また、彼らは摂津国のことを「難波・浪速(なにわ)」と呼んだ。難波の名の由来はシュメールの都市国家ニネヴェである。ニネヴェ=ニネウェ=難波(なにわ)となる。難波は「なんば」とも読まれるが、ナンバの名の由来もニネヴェである。ニネヴェ=ニンベ=ナンバとなる。難波(なにわ)から、後に「難波氏」が生まれ、難波(なんば)から「南波氏」が生まれた。

 


■BC327年 「ヴィシュヌの大航海時代」

 


■BC327年 「ナポリ誕生」

 

「ヴィシュヌの大航海時代」に参加したネパール人は、イタリアに「ナポリ」を残した。ナポリの名の由来はネパールである。ネパール=ネパーリ=ナポリとなる。ネパール人は、ネパール、ナポリ、ナバラと3つの拠点を頻繁に往来していたと考えられる。

 


■BC248年 「出雲国の大航海時代」

 


■AD488年 「ヴァルン族誕生」

 

AD488年に東ゴート王国が成立すると、ナポリ人はゴート族の故地バルト海に逃げ延び、「ヴァルン族」を称した。ヴァルンの名の由来はナホルである。ナホル=ナホルン=ヴァルンとなる。

 


■AD5世紀 「物部氏誕生」「ナイマン族誕生」

 

朝鮮半島が三国時代に入って騒々しくなったため、閔氏は「邇芸速日命」時代に統べていた大和国に帰還した。閔氏は、アメンに「物(もん)」を当て字して「部」を付け加えた。「物部氏」の誕生である。しかしAD587年、物部守屋は「丁未の乱」を機に、一族を率いて日本を脱出し、モンゴルに逃れた。この時に初めて当地は物(もん)を由来に「モンゴル」と呼ばれた。物部氏は先に来ていた因幡氏と連合して「ナイマン族」を形成した。ナイマンの名の由来はナホルとアメンの組み合わせである。ナホル+アメン=ナオメン=ナイマンとなる。また、この時に一部物部氏が朝鮮半島に帰還して「閔氏」の名を復活させている。

 


■AD727年 「ノルマン人誕生」

 

ウイグル人は、先祖の托跋部が「北魏」を支配していたことから「魏(ウェイ)の王」を由来に「ヴァイキング」を称した。ウェイ(魏)+キング=ヴァイキングとなる。また、ナイマン人は「ノルマン人」となり、大宛(黒人ダン族)は「デーン人」となった。ナイマン=ナリマン=ノルマンとなり、ダン=ダーン=デーンとなる。ヴァイキングの話になると、すべての名前がごっちゃになっていたが、ヴァイキングとは托跋部を指し、ノルマン人はナイマン人を指し、デーン人は大宛(黒人ダン族)を指している、と理解したい。ヴァイキングやノルマン人は、基本的に暴力的で残虐なデーン人とは対立していた。

 


■AD911年 ロロ、初代ノルマンディー公に就任 「ノルマンディー公国誕生」

 

デーン人は、AD866年に「デーンロー」を植民地として掌握したものの、アルフレッド大王率いるウェセックス王国がデーンローを侵食しながら拡大したため、ノルマンディーに逃げ込んだ。ノルマン人はデーン人と組んでシャルル3世を懐柔し、ノルマンディー分与に成功した。イングランドを諦めたデーン人は、次にノルマンディー公国を自分のものにすべく、「クラモール・ド・ハロー」を強いた。これによってデーン人は自分に寄与しない異分子を公的に排除した。デーン人は、敵に有罪判決を与えるための裁判所を用意し、クリュニー会の一般信者に被害者を演じさせ、敵であるノルマン人、ヴァイキング、フランク人などの有力者を被告に設定した。これにより、民を正しく導くことが出来る多くの有力者が死刑判決を受けるために裁判所に召喚され、灰燼に帰した。

 


■AD1043年 「ノルマン王国誕生」

 

ヴァルン族とノルマン人(ナイマン)は「ナホル」を祖とする同族である。ヴァルン族はノルマン人と共存しながら、故地ナポリを奪還せんと、地中海に向かい、シチリア島に移住する。グリエルモ1世がプッリャ伯に就任し、「オートヴィル朝」が開かれている。プッリャの名の由来はナホル、或いはナポリだと考えられる。ナポリ=ナポッリャ=プッリャとなる。AD1130年、ピッリャ伯のルッジェーロ2世が、シチリア国王に即位して「ノルマン王国」が誕生している。ノルマン王国(両シチリア王国)は、シチリア島とヴァルン族の故地ナポリを含む南イタリア半島を掌握した。

 


■AD1066年 ウイリアム1世、イングランド王に即位 「ノルマン朝誕生」

 


■AD114?年 「ナイマン王国誕生」

 

この短命な王朝はAD1135年に滅亡すると、ノルマン人は北極海ルートに乗って故地であるモンゴルに帰還した。イギリス人の顔をしたノルマン人は、モンゴル人と混合して「ナイマン族」として復活した。AD114?年、ナルクシュ・タヤン・カンが初代王に即位して「ナイマン王国」を建国している。

 


■AD1500年 「蜂須賀氏誕生」

 

ノルマン人は、南イタリア(ナポリ)とシチリア島を掌握し、AD1130年に「オートヴィル朝」を開き、「両シチリア王国(ナポリ王国)」を建設していた。その後、アンジュー家のシャルルがシチリア王位に就くと、ノルマン人はアルモハード朝の残党と共に「シチリアの晩鐘」と呼ばれた反乱を、AD1282年に指揮した。これにより、ノルマン人はシチリアとナポリの分離し成功し、シチリアの掌握を続けた。
しかし、AD1500年にハプスブルグ家の支配が確立したことで、シチリア島は、ハプスブルグ家がスペイン王位を喪失するまで、スペイン王国の支配下に置かれた。これを機に、ノルマン人はシチリア島を後にし、日本に移住した。イタリア人の顔をしたノルマン人は、日本人と交わり、「蜂須賀」の系譜を築いた。蜂須賀の名の由来は、バチカンとシカニ(シチリア)の組み合わせである。バチカン+シカニ=バチシカ=蜂須賀となる。蜂須賀の名前から、彼らがノルマン人の系統であることが分かる仕組みになっている。

 


■AD1833年 アルフレッド・ノーベル生誕

 

ノーベルの名の由来はナホルである。ナホル=ナーホル=ノーベルとなる。ノーベルは優れた科学者であるが、業績と成果、名声までをもタナトス(クリュニー会、シトー会、ドミニコ会、ルター派)に簒奪され、エクスプロイトされている。ノーベル賞は、エクスプロイトの際たるものである。タナトスは、味方を保護する盾として、または敵を攻撃する武器としてノーベル賞を用いる(ノーベルの意は介していない)。

 


■AD1889年 ジャワハラルール・ネルー生誕 「インド共和国誕生」

 

ネルー(NEHRU)の名の由来はナホルである。ナホル=NEHRU=ネルーとなる。ネルーは、インド共和国初代大統領に就任している。

 

 

 

 

◆ピラコチャ(プレークサウラー)の歴史

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「プレークサウラー誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したニップール人は、オーストラリアに移住し、アシェラーフと組んで「プレークサウラー」を生んだ。プレークサウラーの名の由来はナナブルクとアシェラーフの組み合わせである。ナナブルク+アシェラーフ=ブルクシェラ=プレークサウラーとなる。その後、プレークサウラーは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「ブリ族誕生」「ブル族誕生」

 

プレークサウラーは、マレー半島に「ブリ族」「ブル族」「ブルンガン族」「ベル族」「ヘロン族」「ホアウル族」を生んだ。いずれの名の由来もプレークサウラーである。

 


■30万年前 「ハリアクモン誕生」

 

イマナが訪れると、プレークサウラーは彼らと組んで「ハリアクモン」を生んだ。ハリアクモンの名の由来はプレークサウラーとイマナの組み合わせである。プレークサウラー+イマナ=プレークマナ=ハリアクモンとなる。その後、ハリアクモンは河川の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「サンガリオスの大移動時代」

 


■30万年前 「ピラコチャ誕生」

 

「サンガリオスの大移動時代」に参加したプレークサウラーは、北アメリカ、マヤを経て人類史上初の南アメリカに上陸した。現ペルーに入植した彼らは、「太陽神ピラコチャ」を生んだ。ピラコチャの名の由来はプレークサウラーである。プレークサウラー=プレークサ=ピラコチャとなる。

 


■3万年前 「活目入彦誕生」

 

「エノクの大航海時代」に参加したエラドが訪れると、ハリアクモンはエラド(エウリュトス)と組んで「イクメイリヒコ」を生んだ。イクメイリヒコの名の由来はハリアクモンとエウリュトスの組み合わせである。ハリアクモン+エウリュトス=アクモエウリュ=イクメイリヒコとなる。活目入彦は「垂仁天皇」として第11代天皇に即位している。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「蛭子神誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したピラコチャは、ペルーを離れて東北地方に入植した。この時、ピラコチャは「蛭子神」を生んだ。ヒルコの名の由来はピラコチャである。ピラコチャ=ヒラコチャ=ヒルコ(蛭子)となる。蛭子は「エビス」とも呼ばれるが、それは、彼らが最初に蝦夷(えびす)に入植していたからだ。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「バラク誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加した蛭子神は、夏時代の中国に移住して、イスラエルの師士として知られる「バラク」を生んだ。バラクの名の由来はプレークサウラーである。プレークサウラー=プレク=バラクとなる。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「ペレグ誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したバラクは、メソポタミアに移住して「ペレグ」を生んだ。ペレグの名の由来はバラクである。バラク=パラグ=ペレグとなる。

 


■BC1200年 「プリグ族誕生」

 

ソドムとゴモラを機に、メソポタミアからインドに移住したペレグは「プリグ族」を生み、アーリア人の軍団に参加した。プリグの名の由来はペレグである。ペレグ=ペリグ=プリグとなる。

 


■BC1000年 「フリギア王国誕生」

 

「十王戦争」を機に、アナトリア半島に移住したプリグ族は、ヒッタイト帝国の跡地に「フリギア王国」を建てた。フリギアの名の由来はプリグである。プリグ=プリグア=フリギアとなる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「生駒氏誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したラガシュの民は、日本に上陸し、摂津国に移住した。彼らは、大阪と奈良に跨る生駒山を、初めて「生駒」と呼んだ。生駒の名の由来は活目入彦である。活目入彦(イクメイリヒコ)=イクメ=イコマ(生駒)となる。生駒山に暮らした彼らは、後に「生駒氏」を名乗るようになる。

 


■BC7世紀 「フリージア誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したフリギア人は、ネザーラント地域に入植して「フリージア」を築いた。フリージアの名の由来はフリギアである。フリギア=フリーギア=フリージアとなる。

 


■BC7世紀 「女神フリッグ誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したフリギア人は、スカンジナビア半島に赴いて「女神フリッグ」を生んだ。フリッグの名の由来はフリギアである。フリギア=フリッギア=フリッグとなる。

 


■AD668年 「ブルガリア人誕生」「コーブルク誕生」

 

高句麗が滅亡するとククルカンは、柔然の創始者である長孫氏(ツァンスン)、日本から来た黒木氏(キルギス人)を率いて西方に向かった。彼らが中央アジアに到達して初めて当地は「コーカサス」と呼ばれた。コーカサスの名の由来はククルカンとツァンスンの組み合わせである。ククルカン+ツァンスン=ククツァンス=クークツァス=コーカサスとなる。
また、ククルカンはフリギア人と組んで「ブルガリア人」と「コーブルク」の2つの連合体を結成した。ブルガリアの名の由来はフリギアとゴグリョの組合わせであり、コーブルクの名の由来もゴグリョとフリギアの組み合わせである。フリギア+ゴグリョ=フリグリョ=ブルガリアとなり、ゴグリョ+フリギア=ゴーフリギ=コーブルクとなる。

 


■AD1525年 ペーテル・ブリューゲル(大)生誕

 

ブリューゲルの名の由来はブルガリアである。ブルガリア=ブリューガリア=ブリューゲルとなる。

 


■AD1564年 ペーテル・ブリューゲル(小)生誕

 


■AD1947年 蛭子能収生誕

 

 

 

 

 


ムンビの歴史

◆マニ教(ムンビ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ムンビ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したカゾオバは、現ケニアに「ムンビ」、現カメルーンに「エバシ」、中央アフリカに「ザムビ」を生んだ。ムンビは、現ケニアの海辺でも小魚、貝類、甲殻類に特化していたため、身長は1mのままであった。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」

 


■100万年前 「キジムナー(前身)誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(西方組)」に参加したカゾオバは、北極圏であった地中海に入植した。これにより、肌は白くなり、頭髪が赤くなった。これはキジムナーの特徴であるが、沖縄の妖怪キジムナーは古代ギリシアで生まれたことがわかる。カゾオバはムンビと組み、「キジムナー(キジムン)」を生んだ。
キジムナーの名の由来はカゾオバとムンビの組み合わせである。カゾオバ+ムンビ=カゾムン=キジムン=キジムナーとなる。キジムナーは地中海に於いても獲物を変えなかったため、身長は1mのまま暮らした。キジムナーの目撃談同様、彼らは、古代地中海でも小魚、貝などを獲って食べていたと考えられる。

 


■100万年前 「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」

 


■100万年前 「ムンバイ誕生」

 

「第1次キブウカの大移動時代(東方組)」に参加したムンビは、インドに移住して「ムンバイ(現ボンベイ)」に住んだ。ムンバイの名の由来はムンビである。ムンビ=ムンビイ=ムンバイとなる。湖水地方時代、人口密度の影響で各々が各々の獲物に特化していたが、新天地ではその必要がなくなり、小魚、昆虫を食べていたムンビは、大型哺乳類、大型魚類など、好きな獲物を食べることで巨大化した。身長1mから160cmほどになったムンビは、インド人の祖となった。

 


■30万年前 「第2次キブウカの大移動時代」

 


■30万年前 「キジムナー誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは、沖縄諸島に入植し、洞窟に居住しながら、川で魚、虫を捕って暮らしていた。彼らは「キジムナー」の名を復活した。白い肌、赤い頭髪は、地中海時代に得たものである。古代から日本人と共存し、漁の手伝いをすることもあるという。キジムナーは妖怪として知られているが、古来から目撃談が絶えず、現地人の間では実在していると信じられている。
キジムナーは、現地人の船に乗って共同で漁を行い、夕食時にはかまどの火を借りに来る。年の瀬は一緒に過ごすなど、人間の「隣人的」な扱いを受けている。人間の家に嫁ぐこともあるといわれているほどだ。基本的に品行法制だが、棲家の古木を切り倒すと、家畜を全滅させたり、船を沈めたりなど、一旦恨みを買うと徹底的に復讐をする。

 


■30万年前 「ケンムン誕生」

 

「第2次キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは、奄美大島に入植し、洞窟に居住しながら、川で魚、虫を捕って暮らしていた。彼らは「ケンムン」と呼ばれた。ケンムンの名の由来はキジムンである。キジムン=キンムン=ケンムンとなる。数々の目撃談から、ケンムンはキジムナーと同じ容姿であることがわかる。ケンムンは妖怪として知られているが、古来から目撃談が絶えず、現地人の間では実在していると信じられている。
ケンムンは相撲好きで、人に会えば挑戦するといわれている。薪を運ぶのを手伝ったりし、夜間は漁をする。特に魚の目玉が好き。カタツムリ、ナメクジの食べるという。キジムナーや河童に通ずる。部分も多いことから、同族だということがわかる。

 


■30万年前 「カワランベ(河童)誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したムンビは、日本に入植した。この時に、河童に参加していたムンビは「カワランベ」を生んだ。カワランベの名の由来は「河原のムンビ」である。河原+ムンビ=カワランビ=カワランベとなる。同じ河童でも、カアパコの身長は50cmであり、カワランベの身長は1mあった。

 


■30万年前 「山姥(ヤマンバ)誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したムンビは、日本に入植した。山岳部に移住した彼らは、この時に「山姥(ヤマンバ)」が生まれた。ヤマンバの名の由来は「山のムンビ」である。山+ムンビ=ヤマンビン=ヤマンバとなる。山姥は人間を獲って食うと言われ、一方では迷子の子供を助けるという。結局、彼らは干渉されるのを防ぐため、平穏な生活を守るために人を獲って食うとウソをついているのだろう。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「アーリマン誕生」

 

インドから「デウカリオンの大航海時代」に参加したムンバイ人は、メソポタミアに移住し、ワルムベと組んで「アーリマン」を生んだ。アーリマンの名の由来はワルムベとムンビの組み合わせである。ワルムベ+ムンビ=ワルムン=アーリマンとなる。

 


■BC11世紀 「ハヌマーン誕生」

 

ルハンガは、ムンバイのムンビと共に、マガン王国のラーマ皇子の要請でアラビア半島に渡った。スリランカを支配していたタナトスの一族、魔王ラーヴァナ、ラクシャサ(羅刹)を倒すためである。ハヌマーンの名の由来はルハンガとムンビの組み合わせである。ルハンガ+ムンビ=ハナムン=ハヌマーンとなる。実際には、ハヌマーンはオラン・ダラムそのままの姿をしていたと考えられる。ただ、ムンビと混合したため、身長は4mから3mに縮んだ。

 


■BC165年 「ハスモン朝誕生」

 

BC198年、セレウコス朝のアンティオコス3世がエジプト征伐を行った。彼らがヌビアに侵攻すると、メロエ王国のアプスーは、イスラエルに逃亡した。この時、彼らはムンバイ人と連合した。BC200年頃、ムンバイ人はアーンドラ朝成立を機にイスラエルに逃げていた。両社は共同で「ハスモン朝」を開いた。ハスモンの名の由来はアプスーとムンビの組み合わせである。アプスー+ムンビ=プスムン=ハスモンとなる。

 


■AD216年 預言者マニ生誕 「マニ教誕生」

 

AD67年、ユダヤ戦争を機にハスモン朝の残党はイランに逃亡した。その後、ハスモン朝(ムンビ)の残党から「マニ」が生まれた。マニの名の由来はムンビである。ムンビ=ムナビ=マニとなる。

 


■AD8世紀 マニ教、ウイグル汗国の国教に制定

 

中国からウイグル汗国に渡ると、マニ教は地元のタナトスと組み、念願の国教指定を受けた。

 


■AD883年 「惟宗氏誕生」

 

AD848年、ウイグル汗国が滅ぶと、マニ教は讃岐国に移住し、そこから京に移った。秦氏に接近した彼らは、自身の血統を打ち立てた。ここに「惟宗氏」の祖、惟宗直宗・直本の兄弟が生まれた。惟宗の名の由来は「ウイグルから来たマニ」である。ウイグル+マニ=グルマニ=クルマニ=惟宗となる。

 


■AD12世紀 「宗氏誕生」

 

AD845年、「会昌の廃仏」がはじまると、摩尼教は福建に逃れ、「福建海賊」として近海を荒らした。その福建海賊から、対馬に拠点を得た「宗氏」が生まれた。宗の名の由来は摩尼である。摩尼=マニ=宗(むね)となる。

 


■AD1290年 「香宗我部氏誕生」

 

香宗我部の名の由来は惟宗(ウイグルとマニ)とカペーの組み合わせである。惟宗+カペー=惟(香)+マニ(宗)+カペー(我部)=香宗我部(こうそかべ)となる。カペー家の残党と組んだ、惟宗氏の末裔部族である。

 


■AD1290年 「長宗我部氏誕生」

 

長宗我部の名の由来はナコタ、マニ、カペーの組み合わせである。ナコタ(長)+マニ(宗)+カペー(我部)=長宗我部(ちょうそかべ)となる。長宗我部氏は、カペー家の残党と組みつつ、マニトゥを祀ってナコタ族を支配した預言者マニの直系と、福建の摩尼教の直系宗氏による連合部族である。

 


■AD1386年 「ミナンカバウ族誕生」

 

長宗我部能重が吉原庄全域を支配下に置くと、香宗我部氏は土佐国を後にスマトラ島に移住した、彼らは「ミナンカバウ」を称した。ミナンカバウの名の由来は宗我部(ムネカベ)である。ムネカベ=ムネンカバエ=ミナンカバウとなる。AD1651年、オランダ東インド会社がミナンカバウ族の土地で金を発掘して以来、タナトスの家族ということで、ミナンカバウ族はオランダと親交をもった。その後、AD1585年、豊臣秀吉の四国征伐で敗北すると、長宗我部氏は土佐国を後に、兄弟であるミナンカバウの地に移住し、両者は連合した。

 


■AD1958年 「インドネシア共和国革命政府誕生」

 

近年では、ミナンカバウ族は「インドネシア共和国革命政府」を立ち上げて反乱を頻発し、ゲリラ戦を展開した。この反乱は、AD1961年に終焉を迎えているが、背後でオランダ王国、パプア系華僑と連合していた可能性も高い。

 

 

 

 

 


アブクの歴史

◆ピュグマエイ(アブク)の歴史

 


■400万年前 「第1次エスの大移動時代」

 


■400万年前 「アブク誕生」

 

「第1次エスの大移動時代」に参加したエスは、湖水地方に入植し、各々が各々の獲物に特化することで、バラエティに飛んだ人類を生み出した。その中に、オリジナル人類のひとつアブクがいる。彼らは、クウォスよりも小さい獲物に特化していたため、身長が140cmになり、現在のピグミー族に似た容姿をしていた。

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ムワリ誕生」「モリモ誕生」「モディモ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。

 


■200万年前 「モリモの大移動時代」

 


■200万年前 「パグ族誕生」「ムユ族誕生」

 

「モリモの大移動時代」に参加したアブクとムワリは、チッタゴンからマレー、インドネシア、パプアに四散した。アブクはパプアに「パグ族」を残し、ムワリもパプアに「ムユ族」を残している。永年の時を経て彼らはパプア人に吸収されたが、当初は小人族だったと考えられる。パグの名の由来はアブクであり、ムユの名の由来はムワリである。両者はピュグマエイ(ピグミー)の前身である。パグ+ムユ=パグムユイ=ピュグマエイとなる。

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■30万年前 「ヘカトンケイル誕生」「コットス誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイは、「ヘカトンケイル」「コットス」を生んだ。ヘカトンケイルの名の由来はベカタン、キャラの組み合わせであり、コットスの名の由来はブカット+エウリュトスの組み合わせである。ベカタン+キャラ=ベカタンキャラー=ヘカトンケイルとなり、ブカット+エウリュトス=カットス=コットスとなる。コットスは、バントゥー族(ピグミー族の愛嬌のある顔と獣人の身体能力)の姿をしていた。当時のコットスの姿をした人々が未だに東南アジア、フィリピン辺りに住んでいる。好奇心の強い人々は、彼らを見て「なぜアフリカ人が東南アジアにいるんだ?」と不思議がっている。

 


■30万年前 「日向国誕生」

 

ヘカトンケイルは、コットスと共に大和国に移住した。この時、ヘカトンケイルは九州に入植し「日向国」を築いた。日向(ひゅうが)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ヒュグマエイ=ひゅうが(日向)となる。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したコットスは、ヘカトンケイルに属し、ティタン神族にも参加した。

 


■4万年前 「第2次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 鶴(ゲラノス)と戦う

 

「第2次ウラヌスの大移動時代」を機に、クロノスの陰謀に巻き込まれたヘカトンケイルはパプアに帰還した。その後、クロノスはゼウスに敗北すると、パプア・ニューギニアに落ち延びて「ダニ族」となった。しかし、ピュグマエイは故地にやってきたクロノスに怒りをあらわにし、何度も戦闘を挑んだ。当時のパプアニューギニアは「ペガサス」と呼ばれていた。アブクとムシシの国という意味だ。アブク+ムシシ=ブクシシ=プグシシ=ペガサスとなる。
ホメロスは、ピュグマエイについて書き残している。「小人族である彼らは、鶴と戦っていた。鶴は毎年略奪に訪れるため、毎年春になると、小人族は矢を携え、羊に乗って大集団を成し、鶴の雛や卵を殺しに進軍する」という。ところで、この意味ありげな「鶴」とは何を意味するのだろう?疑問に思ったときは、ギリシア語で「鶴」を何と呼ぶのか知ることだ。何の意味も無く鶴と名づけたりはしないからだ。
しかして、鶴はギリシア語でゲラノスである。「ゲラノスってどこかで聞いたことあるな。どこで聞いたかな。クロノスだ!」ということで、ゲラノス(鶴)とは、クロノスのことを意味していると考えて良い。つまり、ピュグマエイが戦っていた「鶴」とは、人喰い人種のダニ族のことである。小人族と呼ばれたピュグマエイは、凶悪な新参者であるダニ族を嫌い、頻繁に戦火を交えていた勇敢な人々だったのだ。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ユカタン誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したヘカトンケイルは、ユカタン半島に上陸し、ヴァルハラ王国の建設に協力した。この時に、初めて「ユカタン半島」と呼ばれた。ユカタンの名の由来はベカタンである。ベカタン=エカタン=ユカタンとなる。

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にテミスを生んだディンカ族、マサイ族がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らはグリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの同盟者モリモのことである。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「尾(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アフリカに上陸し、湖水地方に「尾」を生んだ。彼らは、「東方青龍」の建設に参加した。尾(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグアエイ=ウェイとなる。

 


■4万年前 「ビ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アジスアベベに「ビ」を生んだ。彼らは、「西方白虎」の建設に参加した。ピの名の由来はピュグマエイである。

 


■4万年前 「翼(イー)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現スワジに入植し「翼」を生んだ。彼らは、「南方朱雀」の建設に参加した。翼(イー)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマエイー=イーとなる。

 


■4万年前 「危(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現ケニアに入植し「危」を生んだ。彼らは「北方玄武」の建設に参加した。危(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマウェイ=ウェイとなる。

 


■4万年前 「バカ族誕生」「アカ族誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、故地であるアフリカに帰還し、コンゴに入植した。彼らは、現在知られているピグミー族の母体を築いた。この時に「バカ族」「アカ族」が生まれた。バカ、アカの名の由来はピュグマエイである。ピクト=バカト=バカ=アカとなる。「バカ」と「馬鹿」は似ているため、バカ族はその名前のせいで日本人におもしろがられているが、実際には「バカ」の名は、オリジナル人類の名に起源を持つ高貴な名前である。

 


■2万年前 「武曲(ウーク)誕生」

 

オーディーンが、ヴァルハラから現ベナンに移住した際、ピグミー族は、「武曲」を生んだ。彼らは「北斗星君」の建設に参加した。武曲(ウーク)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピューグマエイ=ウークとなる。

 


■1万5千年前 「日子番能邇邇芸命誕生」

 

台湾に入植したエノクは、ピュグマエイと共にインドから来たヴァナラシ族と連合して「日子番能邇邇芸命」を誕生させた。ヒコホノニニギの名の由来はピュグマエイ(コロボックルの祖)、ヴァナラシとエノクの組み合わせである。ピュグマエイ+ヴァナラシ+エノク=ピュグヴァナ+ネノク=ヒコホノニニギとなる。

 


■1万5千年前 「天孫降臨の大航海時代」

 


■1万3千年前 「大地殻変動の時代」

 


■1万3千年前 「テングリの大航海時代」

 


■1万3千年前 「神武天皇誕生」

 

「テングリの大航海時代」に参加したピグミー族は、テングリと共に長江に移住した。その後、彼らは黒龍江に移った。ピグミー族は、そこでティアマト、エウリュトスと連合して初代天皇「神武天皇」を生んだ。御名カムヤマトイワレ彦の名の由来は、ピュグマエイ、ティアマト、エウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+ティアマト+エウリュトス=グマアマトエウリュ彦=カムヤマトイワレ彦となる。神武天皇は、大地殻変動後にモンゴルに集った亡命者をまとめ、統治した。神武天皇がはじめた「天皇家」は、獣人の王族でもあった。ピュグマエイの名は、日本語の「神(かみ)」の語源でもある。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千2百年 「ゴメル誕生」

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加した神武天皇の残党は、モンゴルからメソポタミアに移住して「ゴメル」を生んだ。ゴメルの名の由来はピュグマエイとエウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+エウリュトス=グマエウリュ=ゴメルとなる。ティアマトがいない以外は、ゴメルの名は神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)と同じ構成である。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「熊野国誕生」「ガド族誕生」

 

「サムエルの大航海時代」に参加したユカタン人は、出羽国に移住した。その後、紀伊半島に移った。この時に「熊野国」を築いた。熊野の名の由来は「ピュグマエイの土地(野)」である。ピュグマエイ+野=グマ野=熊野となる。同時に、「ガド族」が生まれている。ガドの名の由来はユカタンである。ユカタン=ユガダン=ガドとなる。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC32世紀 「ヤクート族誕生」

 

「モーゼスの大移動時代」に参加したガド族は、ツングースで「ヤクート族」を生んだ。ヤクートの名の由来はユカタンである。ユカタン=ユカータン=ヤクートとなる。

 


■BC30世紀 「ヨシュアの大移動時代」

 


■BC30世紀 「アッカド人誕生」

 

「ヨシュアの大移動時代」に参加したヤクート族は、メソポタミアに入植し「アッカド人」を生んだ。アッカドの名の由来はヤクートである。ヤクート=ヤックート=アッカドとなる。

 


■BC30世紀 「安倍晴明誕生」

 

アブク(ピグミー族)から「安倍晴明」が生まれた。安倍の名の由来はウバンギである。ウバンギ=ウバノギ=あべの(安倍)となる。当時、イフェの神官(オニ)が「陰陽道」を築いた。陰陽道の名の由来は「モンゴル王国のオニ(神官)」である。オニ+モンゴル=オンモン=オンミョン=オンミョウ(陰陽道)となる。安倍(あべの)晴明を名乗っていたピグミー族(アブク)は、アテナイ王国を操る司神タナトスに支配され、蘆屋道満(アシル・ボグドー)と対立した。安倍晴明に関する全ての話は、アフリカに住んでいたツチ族(土御門家)が、日本に伝え、自分の格を上げるために利用した。

 


■BC30世紀 「弓削道鏡誕生」

 

陰陽道の人物として知られる「弓削道鏡」もアフリカで生まれた。弓削(ゆげ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピユゲマエイ=ユゲ(弓削)となる。

 


■BC2350年 サルゴン、初代アッカド王に即位 「アッカド帝国誕生」

 


■BC2150年 「ゲシル・ボグドー誕生」

 

BC2150年、グチウム族に王位を簒奪されると、アッカド人はアフリカに踏み入り、コンゴに移住した。この時、アッカド人は、バラク(プレークサウラー)と組み、「ゲシル・ボグドー」を生んだ。ゲシル・ボグドーの名の由来はプレークサウラーとピクドの組み合わせである。プレークサウラー+ピクト=クサウラ+ビグドー=ゲシル・ボグドーとなる。モンゴル国の英雄として知られるゲシル・ボグドーは、現アンゴラに「モンゴル王国」を築いた。

 


■BC1020年 「第2次黙示録アルマゲドン」

 


■BC1020年 「北イスラエル王国誕生」

 

「第2次アルマゲドン」により、モンゴル王国がナミブ砂漠、カラハリ砂漠と化すと、ガド族とアシェル族(アシル・ボグドー)は新しいイスラエル王国に移住した。

 


■BC11世紀 「衛誕生」

 

インド人の顔をした彼らは、中国人と混合して「衛氏(ウェイ)」を形成した。衛の名の由来はヤクートである。ヤクート=ウェイクート=ウェイ(衛)となる。衛は、後に魯(ルー)、韓(ハン)と共にソマリアに入植し、ラハンウェイン族を形成している。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「オック誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代/西方組」第1の拠点はフランス南部である。ここには、アッカド人が入植を決めている。アキタニア、オックの名の由来はアッカドである。アッカド=オックド=オックとなる。

 


■BC7世紀 「アケメネス家誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したマナセ族は、イランに移住した。マナセ族は、アッカド人と組んで「アケメネス家」を生んだ。アケメネスの名の由来はアッカドとマナセの組み合わせである。アッカド+マナセ=アッカマナセ=アケメネスとなる。アケメネス家は、後にダリウス大帝を輩出しているが、ダリウス大帝はタナトス(ミトラス教)に属していた。

 


■BC7世紀 「熊襲誕生」「日向国誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したガド族は、アシェル族と共に九州に入植した。この時に「熊襲」が生まれた。熊襲の名の由来はピュグマエイとアシェルの組み合わせである。ピュグマエイ+アシェル=グマアシェ=クマソ(熊襲)となる。また、ガド族は、単独で「日向国」を築いた。日向(ひゅうが)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ヒュウグマエイ=日向(ひゅうが)となる。更に、漢字表記の「日向」の由来はピュグマエイとマゴの組み合わせである。ピュグマエイ+マゴ=ピ(日)+ムカ(向)=日向となる。

 


■BC7世紀 「神武の東征」

 

熊襲から分離したガド族は、日向国にやってきた天孫族と組み、先祖の故地である熊野国に移った。更に、ガド族と天孫族は大和国を経て、満州に入植した。この時に「イエマック」が生まれた。これが所謂「神武天皇の東征」である。ガド族は、神武天皇を生んだ3部族(ピュグマエイ、ティアマト、エウリュトス)のひとつである。

 


■BC330年 「ペルシア人の大航海時代」

 


■BC330年 「縣氏誕生」

 

「ペルシア人の大航海時代」に参加したアケメネス家は、日本に上陸して分裂した。アッカド人は「縣氏」を生んだ。縣の名の由来はアッカドである。アッカド=アカド=縣となる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ヴァカタカ朝誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した縣氏は、熊襲武尊の残党と共にインドに移住した。彼らは「ヴァカタカ朝」を開いた。ヴァカタカの名の由来はアッカドとティカルの組み合わせである。アッカド+ティカル=アッカティカ=ヴァカタカとなる。

 


■AD500年 「岡田氏誕生」「芥川氏誕生」

 

ヴァカタカ朝が滅ぶと、インド人の顔をした縣氏は日本に帰還して現地人と交わり、「岡田氏」「芥川氏」を生んだ。岡田の名の由来はヴァカタカである。ヴァカタカ=ァカタ=岡田となる。芥川の名の由来は「ヴァカタカの川」である。ヴァカタカ朝は、デカン高原のド真ん中、マハナジ川からキストナ川までの間を統べていた。つまり、ヴァカタカの川とは、マハナジ川とキストナ川のことである。

 


■AD531年 「マクリア人の大移動時代」

 


■AD531年 「マクリア王国誕生」

 

「マクリア人の大移動時代」に参加したマクリア人は、アフリカ大陸に至り、エジプトを通過した。そして、彼らはナイル上流域ヌビアにまで足を伸ばした。モンゴル人の顔をした安閑天皇の一族はヌビア人と混合し、「マクリア王国」を建設した。

 


■AD753年 「ヴォキル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

AD641年頃、ヌビアにイスラム教が伝えられると、マクリア人はヌビアを離れて中央アジアに移住した。ブルガリア帝国が建つと、ガド族はブルガリアに侵入し、「ヴォキル王朝」を開いた。ヴォキルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグラ=ヴォキルとなる。この王朝は、AD762年まで続いた。

 


■AD825年 「クマン人誕生」

 

エクバードによるイングランド統一を機に、マーシア人がフォトラ(エフタル)を率いてイングランドを離れ、パンノニアに移住する。この時、マーシア人は安閑天皇の後裔マクリア人と合体し、「マジャール人」が誕生した。一方、天孫族とガド族は差別化のために「クマン人」を称した。クマンの名の由来は熊野国である。熊野=クマノ=クマンとなる。

 


■AD9??年 平将門生誕

 


■AD9??年 平将平生誕

 


■AD941年 「第1次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD941年 「トンガ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加した平将門は、死んだと見せかけて縣氏、藤原純友、多治経明、平将平の氏族を率いて太平洋に移住を試みた。この時に、平将門はトンガを発見し、「天下」と命名した。この天下島は変遷を重ねて「トンガ」と呼ばれるようになる。

 


■AD941年 「マフダリ家誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加した平将平は、インド洋を横断してマフィア島に入植した。この時に「マフダリ家」が生まれた。マフダリの名の由来は「マフィアの平(タイラ)」である。マフィア+タイラ=マフタラ=マフダリとなる。

 


■AD997年 「コメトプル朝(ブルガリア帝国)誕生」

 

クマン人に参加していたヴォキル家は、再度、ブルガリアに侵入し、「コメトプル朝」を開いた。コメトプルの名の由来はクマンとトバルカインの組み合わせである。クマン+トバルカイン=クマトバル=コメトプルとなる。コメトプルの名から察するに、クマン人は、ロシアに住んでいたトバルカインと交流をしていた可能性がある。この王朝は、AD1018年まで続いた。

 


■AD1040年 「スワヒリ人の大移動時代」

 


■AD10??年 「コムネーノス家誕生」

 

コメトプル朝が滅ぶと、クマン人が分裂した。天孫族は「ヒメノ」を名乗り、ガド族は「コムネーノス」を名乗った。コムネーノスの名の由来は熊野とウラヌスの組み合わせである。クマノ+ウラヌス=クマノーヌス=コムネーノスとなる。

 


■AD1081年 アレクシオス・コムネーノス、ビザンツ皇帝に即位 「コムネーノス朝誕生」

 

AD1081年、アレクシオス・コムネーノス将軍がビザンツ皇帝ニケフォロス3世を倒し、「コムネーノス朝」を開いている。ヒメノは天孫族が主導し、コムネーノスはガド族が主導していた。

 


■AD11世紀 「第2次ポリネシア人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「丹氏誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したトンガ人は、平安時代末期の日本に帰還した。トンガ人は、トンガを由来に「丹氏」を称した。トンガ=タンガ=丹となる。丹氏は「丹党」を結成して「武蔵七党」に参加する。

 


■AD11世紀 「丹治氏誕生」

 

丹党を結成した丹氏と勅使河原氏は連合して「丹治氏」を生んだ。丹治の名の由来は丹氏と多治氏の組み合わせである。

 


■AD11世紀 「タンガニーカ誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したトンガ人は、東アフリカに上陸した。この時に「タンガニーカ」が築かれた。タンガニーカの名の由来はトンガである。日本人の血を引くトンガ人は、タンザニアで得た土地に「バガモヨ」「キサワレ」「ムクランガ」などと命名した。これらの地名は日本語が由来である。「バガモヨ(ばか者)」「キサワレ(きさまら)」「ムクランガ(わからんか)」となる。つまり、将門の子孫は、言葉が通じないタンザニア人に対し、頻繁に怒っていたのだろう。

 


■AD11世紀 「プトゥン人誕生」

 

「ポリネシア人の大航海時代」に参加したトンガ人は、「プトゥン人」を生んだ。プトゥンの名の由来は超古代にヴァルハラ王国を治めていたヴォドゥン(オーディーン)の名に因んでいる。しかも、トンガの名にもかかっている。ヴォドゥン=プォトゥン==プトゥンとなる。

 


■AD11世紀 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD11世紀 「タイラー誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したプトゥン人は、ブリテン島に上陸して「タイラー」の名を生んだ。タイラーの名の由来は、平将門の平(タイラ)である。

 


■AD11世紀 「後藤氏誕生」「工藤氏誕生」「加藤氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加した縣氏は、縣を由来に「ゴドー」の姓を残した。アガタ=アガター=ゴドーとなる。その後、イングランドを発った縣氏は、フランスに移住した後、ヨーロッパを離れて西アフリカにまで足を伸ばした。現カメルーン辺りに上陸した縣氏は「コトー」の名を残している。更に、現カメルーンを発った縣氏は南アフリカを周航し、インド洋を越えて日本に戻ってきた。ヨーロッパ人、アフリカ人の顔を得た縣氏は、日本に上陸すると現地人と混合して「後藤」「工藤」「加藤」の名を生んだ。3つの名の由来はゴドー、或いはコトーである。

 


■AD11世紀 「生田氏誕生」「池田氏誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したユカタン人は、日本に上陸すると「生田氏」「池田氏」を生んだ。生田、池田の名の由来はユカタン半島である。ユカタン=イクタン=生田、池田となる。生田氏は「生田神社」を創建している。

 


■AD11世紀 「スワヒリ人の大移動時代」

 


■AD1130年 アブド・アルムーミンが初代アミールに即位 「アルモハード帝国誕生」

 

「スワヒリ人の大移動時代」に参加したマフダリ家は、アブド・アルムーミンを生んだ。彼が、初代アミールに即位して「アルモハード帝国」が誕生した。アルモハードの名の由来はアルと「マフィアート(マフィアの人)」の組み合わせである。アル+マフィアート=アルマフィアード=アルモハードとなる。アブド・アルムーミンは、アンダルシアを支配下に置き、ズイール朝、ハンマード朝を滅ぼした。

 


■AD12世紀 「コルシカ誕生」

 

AD12世紀、一部がアルモハード帝国を離れて、コルシカ島に移住した。コルシカの名の由来は日本語「殺す」である。コルシカ人もジェノヴァの支配に抵抗して蜂起をしばしば繰り返している。そんな中、コルシカ人はAD1769年にコルシカからマルセイユに移って「コルシカン・マフィア」を形成している。コルシカの人々は将門の末裔である。

 


■AD1269年 「マフィア誕生」

 

AD1269年にアルモハード朝がマリーン朝の台頭によって滅ぶと、マフダリ家はシチリア島に移った。この時に、「マフィア」の母体がシチリアに誕生した。マフィアの名の由来はマフィア島である。アルモハードの残党は、シチリアを掌握していたアンジュー家を追放するために「シチリアの晩鐘事件」を指揮し、アンジュー家の支配を弱体化した。
マフダリ家の子孫は、農地を管理するガベロットに転身し、マフィア組織の土台を形成した。シチリア・マフィアは、後にアメリカに移民し、AD1930年代から40年代にかけてラッキー・ルチアーノなどが登場し、ニューヨーク、シカゴに勢力を拡大させた。マフィアは、将平の末裔である。

 


■AD1381年 ワット・タイラーの乱

 


■AD1381年 「平岡氏誕生」「奥平氏誕生」

 

平将門の血を引くワット・タイラーは農民を指揮して「ワット・タイラーの乱」を指導したが、不発に終わった。これを機に、処刑に見せかけたワット・タイラーの一族郎党は、ブリテン島を脱出し、マヤを経て太平洋を横断した。一行は、プトゥン人の拠点トンガ島を通過して将門の故地、日本に上陸した。
イギリス人、マヤ人、ポリネシア人の血を引くワット・タイラーは日本人と混合して「平岡」「奥平」の名を生んだ。平岡の名の由来はタイラー(平)とアッカド(岡)の組み合わせであり、奥平はアッカド(奥)とタイラー(平)が反対になっている。奥平氏は、後に「児玉党」に参加している。

 


■AD1892年 芥川龍之介生誕

 


■AD1925年 三島由紀夫(平岡公威)生誕

 


■AD1945年 奥平剛士生誕 「日本赤軍誕生」

 


■AD1948年 スティーヴン・タイラー生誕 「エアロスミス誕生」

 


■AD1959年 ロザンナ・アークェット生誕

 

アークェットの名の由来はアッカドである。アッカド=アーグアッド=アークェットとなる。

 


■AD1964年 「タンザニア共和国誕生」

 

AD1964年、タンガニーカ人はザンジバル革命を指揮して「ザンジバル共和国」を建て、ジュリウス・ニエレレが汎アフリカ精神の下、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」を建設した。その後、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」は、改名して「タンザニア共和国」となった。

 


■AD1968年 パトリシア・アークェット生誕

 

 

 

 

◆賀茂氏(ゴメル)の歴史

 


■BC7千2百年 「ゴメル誕生」

 

「垂仁天皇の大移動時代」に参加した神武天皇の残党は、モンゴルからメソポタミアに移住して「ゴメル」を生んだ。ゴメルの名の由来はピュグマエイとエウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+エウリュトス=グマエウリュ=ゴメルとなる。ティアマトがいない以外は、ゴメルの名は神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)と同じ構成である。

 


■BC5千年 「天空神クマルビ誕生」「ゴモラ誕生」

 

ゴメルが、バルト海から来たセムの子アルパクシャデと組んで「最高神クマルビ」を祀った。クマルビの名の由来はゴメルとアルパクシャデの組み合わせである。ゴメル+アルパクシャデ=ゴメアルパ=クマルビとなる。ゴメルはカッパドキア周辺に「ゴモラ」を築いた。アルパクシャデは後にチャド方面に「ソドム」を築くが、「クマルビ」の名の由来によってソドム(アルパクシャデ)とゴモラ(ゴメル)は友好関係にあったことがわかる。

 


■BC32世紀 「ソドムとゴモラ滅亡」

 


■BC32世紀 「ドルイド教の大航海時代」

 


■BC32世紀 「賀茂氏誕生」

 

「ドルイド教の大航海時代」に参加したゴメルは、日本に移住して出雲国を建てた。現地人と混合し「賀茂氏」を称した。賀茂の名の由来はゴメルである。ゴメル=ガモル=賀茂となる。賀茂氏は、クマルビを祀り、伝説の国ゴモラを建設した人々の子孫である。

 


■BC248年 「出雲国の大航海時代」

 


■BC248年 「カーマルーパ誕生」

 

「出雲国の大航海時代」に参加した賀茂氏は、日本を発ってインドに達すると「カーマルーパ」を築いた。カーマルーパの名の由来はクマルビである。クマルビ=クーマルービ=カーマルーパとなる。

 


■BC248年 「巨摩誕生」

 

「出雲国の大航海時代」に参加した賀茂氏は、この後、すぐにインドからモンゴルに移ることを決意し、ミャンマーに立ち寄って、古のカイン族に出会い、彼らを船団に迎え入れた。モンゴルに辿り着く途中、彼らはで甲斐国に立ち寄った。一部カイン族が「甲斐国」に残留を申し出たが、この時に賀茂の名を由来に「巨摩(こま)」の名が甲斐国に残された。巨摩の名の由来はゴメルである。ゴメル=ゴマル=巨摩となる。

 


■BC248年 「姑墨(グモ)誕生」

 

「出雲国の大航海時代」に参加した賀茂氏は、甲斐国から黒龍江に進入し、モンゴルに入植した。一方、一部の賀茂氏はタリム盆地に及んで「姑墨(グモ)」を建てた。姑墨の名の由来は賀茂である。かも=がも=姑墨(ぐも)となる。

 


■AD262年 「金氏誕生」「統一新羅樹立」

 

後漢の西域侵入を機に、姑墨がタリムを離れて朝鮮半島に移住した。彼らは「金氏(キム)」を称した。キム(金)の名の由来はグモ(姑墨)である。新羅に足場を得た金氏から、AD262年に味スウ尼師今が第13代新羅王に即位して「金氏王朝」を新羅に開いた。AD602年、第29代新羅王、武烈が朝鮮半島を統一して「統一新羅」を成立させた。
朝鮮語には「コマ」という言葉があるが、これは小人族ピュグマエイに由来している。ピュグマエイ=グマ=コマとなる。コマの意味は「小さい」であり、年長の者が年少の者に「ちびっこ」などの意味合いで用いることがある。これは金氏が朝鮮半島を統一した際にもたらされたものだろう。また日本でも、広島弁では小さい子供を「こま」と呼ぶ。広島だけでなく、その周辺地域でも「こま」と呼ばれるなら、出雲国を建てた賀茂氏がもたらしたものだろう。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「カーマルーパ復活」

 

「大和人の大航海時代」に参加した賀茂氏はジャワを発ち、安曇氏、吉備氏、道氏、縣氏、熊襲武尊と共にインドに移住した。賀茂氏は「クマルビ」の名を復活させて「カーマルーパ王国」を築いた。クマルビ=クーマルービ=カーマルーパとなる。

 


■AD471年 「鮮卑の大航海時代」

 


■AD471年 「カーン王朝カラクムル誕生」

 

「鮮卑の大航海時代」に参加した姑墨は、慕容部(ムーロング)、乞伏部(キフ)と共にマヤに「カーン王朝カラクムル」を築いた。カーンの名の由来は乞伏部の祖キンブリ人から取り、カラクムルの名の由来はアングル人、姑墨、慕容部の組み合わせである。キンブリ=カーンブリ=カーンとなり、アングル+グモ+ムーロング=グルグムロン=カラクムルとなる。

 


■AD520年 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD520年 「クメール人誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加した姑墨は、アングル人、ドルヒユ族を連れてカンボジアを目指した。姑墨は、アングル人と共にカンボジアに入植し、両者は現地人と混合し、両者は「クメール人」「アンコール人」を生んだ。クメールの名の由来はゴメルである。ゴメル=ゴメール=クメールとなる。

 


■AD802年 「クメール王国誕生」

 

AD780年に金志良の乱が起きると、一部の金氏は朝鮮半島を脱出し、カンボジアに移住した。金氏は、アンコール人や祖を同じくするクメール人を統率し、「クメール王国」を築いた。クメール王国は、AD1431年まで続いた。

 


■AD832年 「スマトラ人の大航海時代」

 


■AD832年 「三浦氏誕生」

 

「スマトラ人の大航海時代」に参加した金氏は、ジャワを発って日本に上陸した。彼らは、平忠光に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に生まれたのが「三浦氏」の祖、三浦為通である。三浦の名の由来はゴメルと同じくピュグマエイと獣人エウリュトスの組み合わせである。ピュグマエイ+エウリュトス=マエイリュ=マエイリャ=三浦(みうら)となる。

 


■AD929年 「ジャワ人の大航海時代」

 


■AD929年 「鎌倉氏誕生」

 

「ジャワ人の大航海時代」に参加したカーマルーパ人は、平忠道に接近して自身の血統を打ち立てた。その時に誕生したのが、鎌倉章名である。鎌倉の名の由来は「アンコールから来たカーマルーパ」である。カーマルーパ+アンコール=カーマコール=鎌倉となる。

 


■AD935年 「神氏誕生」「金刺氏誕生」

 

新羅が滅亡すると、金氏は朝鮮半島を後に諏訪国に移住した。金氏は2つに分離して氏族を形成した。1組目は金(キム)に似た日本語、神(かみ)を当て字して「神氏(じん)」を生んだ。2組目は「金」と女真(ジュシャン)を意味する「刺(さし)」の組み合わせで、「金刺氏」を形成した。この2つの氏族は、あまり知られていない地味な氏族と考えられているが、実際には国際的に大きな活躍をした。神氏は「シンガサリ王国」「シンガプール王国」を、金刺氏は「金朝」「アユタヤ朝」を築いている。

 


■AD10世紀 「木村氏誕生」

 

アンコール人が勢力を伸張しはじめた時期に、クメール人はカンボジア王国を後にした。カンボジア人の顔をしたクメール人は、日本人と混合して「木村」の名を成した。木村の名の由来はクメールである。クメール=クメラ=木村となる。

 


■AD10世紀 「マヤ人の大航海時代」

 


■AD10世紀 「キャメロン誕生」

 

「マヤ人の大航海時代」に参加したクメール人は、イングランドに上陸した。カンボジア人の顔をしたクメール人はイギリス人と混合して「キャメロン」の名を成した。キャメロンの名の由来はクメールである、クメール=クメーロン=キャメロンとなる。

 


■AD1009年 「東アジア王族のリトアニア大移住」

 


■AD1009年 「ギムプタス誕生」

 

「東アジア王族のリトアニア大移住」に参加してリトアニアに移住した金氏からは「ギムプタス」が生まれた。ギムプタスの名の由来は金(キム)プタスである。リトアニア大公国を統治した王の一人である。

 


■AD1115年 「金朝誕生」

 

満州から来た「刀伊の賊」が、九州に侵攻した話を聞いて、金刺氏が諏訪国を出て満州に移住した。金刺氏は女真族を支配下に置いて「金朝」を開いた。金朝はチンギスを支援してモンゴル統一を援助したが、逆に成長著しいモンゴル軍に攻め込まれ、滅んでしまう。

 


■AD1222年 「シンガサリ王国誕生」

 

諏訪国を発ちインドネシアに移住した神氏は、朝鮮語で「神なら殺せる」を意味する「シンガサリ」を由来に「シンガサリ王国」を建てた。AD1293年、クディリ王家の残党の蜂起によって王国が滅ぶと、シンガサリ家はジャワを後にマレー半島に移住し、AD14世紀に「シンガプーラ王国」を建てた。

 


■AD1247年 「日本人町誕生」

 

日本仏教の連合軍にハメられた「宝知合戦」を機に、三浦氏は3組に分かれて日本を脱出した。1組目は東南アジア(ベトナム・カンボジア・フィリピン)に散って「日本人町」を建設した。

 


■AD1293年 「マジャパヒト王国誕生」

 

日本仏教の連合軍にハメられた「宝知合戦」を機に、三浦氏は3組に分かれて日本を脱出した。2組目はジャワ島に帰還して、AD1293年に「マジャパヒト王国」を建てた。マジャパヒトの名の由来は「真のジャワ人」である。真(マ)+ジャワ(ジャパ)+人(ヒト)=マジャパヒトとなる。

 


■AD13世紀 「マッラ朝誕生」

 

日本仏教の連合軍にハメられた「宝知合戦」を機に、三浦氏は3組に分かれて日本を脱出した。3組目はネパールに移住して、AD13世紀に「マッラ朝」を開いている。マッラの名の由来は三浦である。三浦=ミャッラ=マッラとなる。

 


■AD13世紀 「スパンブリー国誕生」

 

AD1234年、王朝の滅亡を機に、金刺氏は、満州からタイに落ち延びて「ムアンスパンブリー」に居住し、AD13世紀に「スパンブリー国」を建てている。スパンブリーとはタイ語で「金の町」を意味している。

 


■AD1305年 「加茂氏誕生」「徳川家誕生」

 

パラマーラ朝が滅ぶと、カーマルーパはインドから日本に向かい、三河に上陸した。インド人の顔をした彼らは現地人と混合して「三河加茂氏」を形成した。その後、AD1542年、三河加茂氏は松平清康に接近して自身の血統を打ち立てる。この時に誕生したのが松平元康、後に天下泰平を実現した「徳川家康」である。パラマーラ朝は、デカン高原の川を境に北インドを支配していた。つまり、徳川の名の由来は「デカンの川」である。デカン+川=デカ川=徳川となる。

 


■AD1314年 「ムザッファル朝誕生」

 

マジャパヒト王国とマッラ朝の一部三浦氏が連合してイランに移住した。三浦氏は、イランに「ムザッファル朝」を開いた。ムザッファルの名の由来はマジャパヒトとマッラの組み合わせである。マジャパヒト+マッラ=マジャパッラ=ムザッファルとなる。

 


■AD1314年 「村上水軍誕生」

 

東南アジア各地の三浦氏の末裔はシンガポールの神氏を連れて日本に帰還し、瀬戸内海に集結した。瀬戸内海に集結した三浦氏は神氏と組んで「村上氏」を称した。村上の名の由来は三浦と神の組み合わせである。三浦+神(かみ)=ミュラカミ=村上となる。村上水軍は、因島、来島、能島の3拠点を所有していたが、それぞれの名にも由来がある。
因島(いんのしま)のことを現地人は「いんとう」と呼ぶが、いんとう(インド)は、マジャパヒトの拠点インドネシアを意味している。同様に、来島(クル)の名は「釜山倭館」が建てられた高麗(ゴリョ)に由来し、能島(の)の名は「マッラ朝」の拠点ネパールに由来している。因島村上氏はジャワ島と瀬戸内海を往来し、来島村上氏は朝鮮半島と瀬戸内海を往来し、能島村上氏はネパールと瀬戸内海を往来していた。

 


■AD1314年 「マーレイ誕生」

 

神氏は、マレー半島にシンガプーラ王国を築いたが、一部は三浦氏と共に瀬戸内海に赴いて「村上氏」を築いた。一方、一部の神氏は、単独で瀬戸内海から太平洋を横断してマヤを経てブリテン島に至った。東南アジア人の顔をした彼らはイギリス人と混合して「マーレイ」を称した。マーレイの名の由来はマレーである。

 


■AD1351年 ラーマティーボディー1世、初代王に即位 「アユタヤ朝誕生」

 

スパンブリーの王統に属するラーマティーボディー1世は満州語で金を意味する「アルチュフ」を由来に「アユタヤ朝」を開いた。アルチュフ=アユチャファ=アユタヤとなる。アユタヤ朝には、「大坂の陣」の残党が大挙して押し寄せ、アユタヤ日本人町を築いてアユタヤ朝の傭兵などを務めた。しかし、オランダ東インド会社が勇敢な日本人武士を目の敵にし、アユタヤ王に指示して山田長政の暗殺、及び日本人町の焼き討ちなどを行った。
しかし、ほとんどの日本人はオランダ人の悪意をものともせず、当地アユタヤに留まり続けた。AD1733年にアユタヤ朝が滅ぶと、アユタヤ家はタイを離れて統一新羅の時代以来となる、朝鮮半島への帰還を果たした。この系統からは大韓民国大5代大統領の金大中、俳優の松田優作(金優作)、映画監督の金基督、アニメ監督の今敏が輩出されている。

 


■AD14世紀 「シンガプーラ王国誕生」

 

AD1293年、クディリ王家の残党の蜂起によって王国が滅ぶと、シンガサリ家はジャワを後にマレー半島に移住し、AD14世紀に「シンガプーラ王国」を建てた。シンガプーラの名の由来は「シンガサリ」と南アジアで土地を意味する「プール」の組み合わせである。つまり、シンガプーラとは、「シンガサリの領土」を意味している。シンガプーラの名は後に「シンガポール」の名の由来となる。シンガプーラ王国は、AD1603年に「アホム王国」の王位を簒奪し、AD1833年までアホム王国の支配を続けた。

 


■AD1542年 「徳川家康(松平元康)誕生」

 

AD1542年、三河加茂氏は松平清康に接近して自身の血統を打ち立てる。この時に誕生したのが松平元康、後に天下泰平を実現した「徳川家康」である。パラマーラ朝は、デカン高原の川を境に北インドを支配していた。つまり、徳川の名の由来は「デカンの川」である。デカン+川=デカ川=徳川となる。

 


■AD1600年 「江戸幕府誕生」

 

「国家安康」の陰謀は大谷が考案したものである。これにより、豊臣家にいちゃもんをつけ、悪者扱いしたうえで排除することができた。「江戸」の命名は、過去に出雲国を共同で建国したエドム人の名に由来している。賀茂氏の同盟者エドム人は、安曇氏(出雲)、アーズミー(インド)、江戸氏(武蔵国)と変遷を遂げている。

 


■AD1615年 「戦国武士の大航海時代」

 


■AD1632年 「青幇誕生」

 

「戦国武士の大航海時代」に参加した来島村上氏は、浄土真宗が推進した「海賊禁止令」によって日本を出ることを決意し、海外に新天地を求めた。来島村上氏は、大坂の陣の残党と共にアユタヤに上陸し、日本人町を築いた。だが、アユタヤ日本人町の焼き討ち事件が起きると、来島村上氏は中国組とアフリカ組の2手に分かれてアユタヤを去った。中国組は上海に渡って海運労働に従事していたが、やがて村上水軍を祖とする労働者が集団化し「青幇(チンパン)」が設立された。

 


■AD1632年 「チャンガミレ族誕生」

 

「戦国武士の大航海時代」に参加した来島村上氏は、大坂の陣の残党と共にアユタヤに上陸し、日本人町を築いた。だが、アユタヤ日本人町の焼き討ち事件が起きると、来島村上氏は中国組とアフリカ組の2手に分かれてアユタヤを去った。アフリカ組はジンバブエに進出して「チャンガミレ族」を称した。チャンガミレの名の由来は「シャムの三浦」である。シャムが三浦=シャムガミレ=チャンガミレとなる。

 


■AD1722年 ミール・カマルッディーン・ハーン、宰相に就任 「ニザーム藩国誕生」

 

AD1722年、カーマルーパ王族の系統に属するミール・カマルッディーン・ハーンがムガール皇帝から宰相の地位を得て「ニザーム藩国」を手中にした。カーマルーパ王国の残党が「ニザーム藩国」を築いた。カマルッディーンの名の由来はカーマルーパである。

 


■AD1748年 「ケマル家誕生」

 

AD1748年にジャング家に王位を簒奪されると、ニザーム王家はインドを離れて東西に移住した。西方組はオスマン・トルコ帝国治世下のアナトリア半島に上陸した。彼らは「ケマル」を称した。ケマルの名の由来はカーマルーパである。カーマルーパ=ケーマルーパ=ケマルとなる。この系統からはムスタファ・ケマル・アタチュルクが輩出されている。

 


■AD1748年 「夏目氏誕生」

 

AD1748年にジャング家に王位を簒奪されると、ニザーム王家はインドを離れて東西に移住した。東方組は、インドを離れて江戸幕府治世下の日本を目指した。インド人の顔をしたニザーム王家は現地人と混合して「夏目」を称した。夏目の名の由来はニザームである。ニザーム=ニツァム=夏目となる。この系統からは昭和の大文豪「夏目漱石」が輩出されている。

 


■AD18世紀 「カウリスマキ誕生」

 

謎のングミ人、ンデベレ人がチャンガミレの領地に侵入してくると、チャンガミレ族は再度、ジンバブエを離れた。彼らは、遠くバルト海を目指した。フィンランドに移住したチャンガミレ族からは「カウリスマキ」の名が生まれた。カウリスマキの名の由来は「クルシマキ(来島人)」である。クルシマキ=クォルシマキ=カウリスマキとなる。

 


■AD1867年 夏目漱石生誕

 


■AD1881年 ムスタファ・ケマル・アタチュルク生誕 「トルコ共和国誕生」

 

ムスタファ・ケマル・アタチュルクは、AD1923年に初代トルコ共和国大統領に就任し、「トルコ共和国」を建国している。こうなると、アタチュルクと漱石は家族ということになるが、そういえば、アタチュルクと漱石の顔は似ていないこともない。

 


■AD1912年 金日成生誕 「北朝鮮人民民主主義共和国誕生」

 

東アジアの共産主義、共産党は、リトアニア大公国(唐、新羅の王族)の残党が築いたものである。つまり、金日成(キム・イルソン)はギムプタスの子孫である。

 


■AD1940年 フランク・ザッパ生誕 「マザーズ・オブ・インヴェンション誕生」

 

三浦氏(マジャパヒト王国)が築いたムザッファルの人々は、ヨーロッパに移住し「ザッパ」の名を生んでいる。ムザッファル=ムザッパル=ザッパとなる。ザッパの名からはフランク・ザッパが生まれている。

 


■AD1925年 金大中生誕

 


■AD1927年 金泳三生誕

 


■AD1941年 金正日生誕

 


■AD1944年 横山やすし(木村雄二)生誕

 


■AD1954年 ジェームズ・キャメロン生誕

 


■AD1949年 金優作生誕 「松田優作誕生」

 


■AD1956年 デイヴ・マーレイ生誕 「アイアン・メイデン誕生」

 


■AD1957年 アキ・カウリスマキ生誕

 


■AD1963年 今敏生誕

 


■AD1984年 金正恩生誕

 

 

 

◆児玉氏(コットス)の歴史

 


■30万年前 「ヘカトンケイル誕生」「コットス誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイは、「ヘカトンケイル」「コットス」を生んだ。ヘカトンケイルの名の由来はベカタン、キャラの組み合わせであり、コットスの名の由来はブカット+エウリュトスの組み合わせである。ベカタン+キャラ=ベカタンキャラー=ヘカトンケイルとなり、ブカット+エウリュトス=カットス=コットスとなる。コットスは、バントゥー族(ピグミー族の愛嬌のある顔と獣人の身体能力)の姿をしていた。当時のコットスの姿をした人々が未だに東南アジア、フィリピン辺りに住んでいる。好奇心の強い人々は、彼らを見て「なぜアフリカ人が東南アジアにいるんだ?」と不思議がっている。

 


■30万年前 「事代主神誕生」

 

ウラヌスと意気投合したコットスは、日本に移住した。彼らは、ティアマトの国ヤマトに入植して「事代主神」を祀った。コトシロヌシの名の由来はコットス、ウラヌスの組み合わせである。コットス+ウラヌス=コットスラヌス=コトシロヌシとなる。事代主神は、ボブ・サップ、またはマイク・タイソンのような姿をしていた。

 


■7万年前 「第1次ウラヌスの大移動時代」

 


■7万年前 「ティタン神族誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加したコットスは、ヘカトンケイルに属し、ティタン神族にも参加した。

 


■4万年前 「第2次ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「バントゥー族誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したコットスは、ゼウスに敗北すると、クロノスの理不尽な支配を嫌い、アブク、ムワリの故地であるアフリカを目指した。現在、彼らは、バントゥー族(中でも体格が良い人々)としてアフリカ全域に暮らしている。バントゥー族は、ピュグマエイの愛嬌のある顔・陽気な性格・リズム感と、獣人のゴツい体格・高い身体能力を受け継いでいる。

 


■4万年前 「カドモス誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したコットスは、ゼウスに敗北すると、クロノスの理不尽な支配を嫌い、新天地を求めて台湾を目指した。コットスは、ミマースと連合体を組んだ。この時にカドモスが生まれた。カドモスの名の由来はコットスとミマースの組み合わせである。コットス+ミマース=コットマース=カドモスとなる。カドモスは、アゲノールのもとで、ポイニクス、キリクス、エウロペと共にテュロス王国(オーストラリア東南部)を支配した。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■1万3千年前 「初代テーバイ王国誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」に参加したカドモスは、東南アジアを拠点にアゲノールが治めるテュロス(タルタロス)と交易を行っていた。しかし、大地殻変動により、エウローペーがヨーロッパから西アフリカに移住すると、カドモスは、これに倣って西アフリカに移った。エウローペーが築いたヨルバに身を寄せたカドモスは、そこから更にニジェール河を遡り、緑豊かだったサハラに入植し、科学の種族トバルカインと共に王国を築いた。この時に「テーバイ」が生まれた。

 


■BC32世紀 「第2代テーバイ王国誕生」

 

「インダス文明」にも名前があった。その名は「テーバイ」である。テーバイの名の由来は「デーヴァ(トバルカイン)」である。ソドムとゴモラを機に、サハラを捨てたトバルカインは、インダスに移住して第二テー梅雨王国を建設した。この時、カドモスの血統が引き続き、テーバイの王族として統治を任せられた。カドモスは、善神デーヴァと呼ばれたトバルカインと素晴らしい時を満喫した。しかし、テーバイ王国の栄光は、復讐心を原動力としている夜叉・羅刹(能登族・ダナーン人)たちの乱入によって終焉を迎えた。

 


■BC1027年 「マハーバーラタ戦争」

 


■BC1027年 「テーバイ誕生」

 

「マハーバーラタ戦争」によって荒廃に帰した故地を後に、カドモスは、ギリシアに移住して改めて「テーバイ」を建設した。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「カトマンズ誕生」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したカドモスは、ガンジス流域からネパール方面に進出し、「カトマンズ」を建設した。カトマンズの名の由来はカドモスである。カドモス=カドモンス=カトマンズとなる。

 


■BC5世紀 「門真誕生」

 

カドモス族は「門真」を築いた。門真の名の由来はカドモスである。カドモス=カドマス=門真となる。「門松」の由来もカドモスかもしれない。

 


■BC5世紀 「児玉氏誕生」「多摩誕生」

 

ペー族と共に摂津を発ったカトマンズ人は、同盟者であるミマースが築いた武蔵国が位置する関東地方に入植した。彼らは、現地人と混合して「児玉氏」を形成した。更に、彼らは得た拠点を「多摩」と命名した。児玉、多摩の名の由来はカトマンズである。モーゼス=モセス=武蔵となり、カトマンズ=コタマンズ=児玉=多摩となる。

 


■AD10世紀 「角田氏誕生」

 

門真の民(カドモス族)が相模国に移住し、東京周辺を「武蔵野」と命名した。カドモスは「カド」に因んで「角田(かどた)」の名を成したが、角田の漢字表記のまま、読みだけが変遷を繰り返して「かくた」「つのだ」「すみだ」などの名を生んだ。

 


■AD11世紀 「有道氏誕生」「桂氏誕生」

 

児玉党に参加した四方田氏、庄氏、本庄氏の詳細は別項に記しているので割愛したい。「有道氏」の祖は、アルメニア人である。AD1045年、セルジューク軍がアルメニアに侵攻すると、これを機に、アルメニア人はシルクロードを渡って日本に移住した。有道の名の由来は「アルメニアの道」である。つまり、彼らはシルクロードイを経たことを示している。プラティハーラ朝が滅ぶと、カトマンズの人々が彼らと共に日本に移住した。ネパール人の顔をした彼らは有道惟能に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「児玉氏」の祖、児玉惟行である。児玉の名の由来はカトマンズである。カトマンズ=コダマンズ=児玉となる。この系統からは児玉源太郎が輩出されている。また、「桂氏」の祖は、カタール人である。カタール=カチャール=桂となる。

 


■AD11世紀 「栗栖氏誕生」「鳴瀬氏誕生」「端氏誕生」「西氏誕生」

 

AD1066年、ノルマン人がブリテン島に侵攻すると、「大和人の大航海時代」を経てブリテン島に入植した日本人の子孫、クリス、ニルス、ダニエルのイギリス人一族がイングランドを脱出して太平洋を横断してはるばる日本に帰還した。この時に、ニースの人々が参加していた。白人の姿をした一行は日本人と混合して「栗栖氏」「鳴瀬氏」「端氏」「西氏」を形成した。端の名の由来はダニエルの愛称ダンであり、西の名の由来はニースである。当時、フランク王国領であったニースは神聖ローマ帝国領になった。そのため、ニースの人々は地中海を脱出して日本に移住した。こうして見ると、「児玉党」はアルメニア人、ネパール人、ジャワ人、アラビア人、スペイン人、イギリス人で構成されていたことになる。

 


■AD1852年 児玉源太郎生誕

 


■AD1911年 児玉誉士夫生誕

 

児玉誉志夫の本名は山田だが、自分がコットス、或いはカドモスの血統であることを知り「児玉」に改名したと考えられる。

 


■AD1933年 児玉清生誕

 


■AD1942年 モハメド・アリ(カシアス・クレイJr)生誕

 


■AD1950年 スティーヴィー・ワンダー生誕

 


■AD1958年 マイケル・ジャクソン生誕

 


■AD1958年 プリンス(プリンス・ロジャー・ネルソン)生誕

 


■AD1961年 カール・ルイス生誕

 


■AD1961年 エディ・マーフィ生誕

 


■AD1963年 ホイットニー・ヒューストン生誕

 


■AD1966年 マイク・タイソン生誕

 


■AD1967年 テディ・ライリー生誕 「ガイ誕生」

 


■AD1968年 ウィル・スミス生誕

 


■AD1971年 2パック生誕

 


■AD1973年 ボブ・サップ生誕

 

 

 

◆百済(バクトリア)の歴史

 


■30万年前 「ブカット族誕生」「ベカタン族誕生」

 

「カオスの大移動時代」「第2次キブウカの大移動時代」を介して異なる人類がオーストラリアに到来し、混血時代が始まると、ピュグマエイはエウドーラーと意気投合し、連合した。この時に「ブカット族」「ベカタン族」がパプアに生まれた。ブカットの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせであり、ベカタンの名の由来はブカットである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグウドー=ブカットとなり、ブカット=ブカッタン=ベカタンとなる。このブカットの名は「ピクト」の語源でもある。

 


■4万年前 「第2次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 「ピクト人誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」に参加したブカット族、ベカタン族はブリテン島に辿り着いた。しかし、氷結を免れていたブリテン島南部にハタミ人がいたため、ブ厚い氷河に覆われたスコットランドに拠点を築き、エスキモーのような暮らしを始めた。彼らは当地を「ピクトランド」と呼んだ。ピクトの名の由来はブカット、或いはベカタンである。ブカット=ブカト=ピクトとなる。この時に、彼らは、グリーンランド、アイスランドに古来から伝わる小人の伝説を生んだ。イグルーを初めて建造したのも彼らだと考えられる。

 


■4万年前 「ヘカテ誕生」

 

「第2次アルゴス号の大航海時代」のピクト人は、氷上のピクトランドから陸地剥き出しのロンドン地域に移住し、「ヘカテ」を生んだ。ヘカテの名の由来はピクトと同じ、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ピュグド=ヘカテとなる。ヘカテは「モルモー」という魔物を従えていたが、モルモーはピュグマエイの祖モリモのことである。

 


■BC5千年 「ヘクトル誕生」

 

ブリテン島からアイルランドに渡ったヘカテは、デリーに「ヘクトル」を生んだ。ヘクトルの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトラ=ヘクトルとなる。神話では、「トロイア戦争」でアキレウスに殺されている。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「バクトリア誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したヘクトルの残党は、中央アジアに入植し「バクトリア」を築いた。バクトリアの名の由来はピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ヒュクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC250年 ディオドトス1世、初代王に即位 「バクトリア王国誕生」

 

ピクト人の子孫であるバクトリア人は、BC250年、セレウコス朝から独立して「バクトリア王国」を築いている。バクトリアの名の由来はピクトと同じく、ピュグマエイとエウドーラーの組み合わせである。ピュグマエイ+エウドーラー=ピュグドーラー=ビクトリア=バクトリアとなる。

 


■BC139年 「カタール誕生」

 

王国が滅ぶと、バクトリア人はアラビア半島に移住した。彼らは「カタール」を築いた。カタールの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バクトーリア=クターリア=カタールとなる。

 


■AD年 「百済(前身)誕生」

 

サーサーン朝がアラビアを攻撃すると、カタールの人々はアラビア半島を離れて朝鮮半島に入植した。メキシコから来たケツァルコアトル(フォトラ)と連合すると、「百済」を生んだ。クダラの名の由来はケツアルコアトルとバクトリアの両方であり、ペクチェの名の由来はヘカテである。バクトリア=バクダリア=クダラとなり、ヘカテ=ヘカチェ=ペクチェとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ベック誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した百済人は、遅れて「大和人の大航海時代」の後を追い、マヤを通過してブリテン島に移住した。彼らは、現地人と混合して「ベック(BECK)」の名を生んだ。ベックの名の由来はペクチェ、或いはヘカテである。ペクチェ=ペックチェ=ベックとなる。

 


■AD346年 「百済誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加しなかった百済の人々は、朝鮮半島に「百済」を築いた。

 


■AD475年  朝鮮半島からキダーラに移住

 

高句麗が百済の首都漢城を陥落させると、これを機に一部の百済人が朝鮮半島を脱出し、名前が似ていると言うことで、ナパタエ人(ナフタリ族)が築いたキダーラ朝に移住した。

 


■AD663年 「カタリ派誕生」

 

キダーラ朝がAD500年に滅ぶと、キダーラ人はフランスに移り、キリスト教徒になった。しかし、人食い人種タナトスの団体クリュニー会、シトー会などが仕切るカトリックに嫌悪を覚えたキダーラ人は独自のキリスト教を切り拓いた。それが「カタリ派」である。カタリの名の由来はバクトリアである。バクトリア=バカタリア=カタリとなる。
また、AD663年、新羅と唐の連合軍によって百済が滅ぶと、同盟者である百済人はカタリ派の下に亡命し、カタリ派に参加した。AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。

 


■AD1042年 「クディリ王国誕生」

 

AD1017年、タナトスのカトリックに発見されたカタリ派は異端の印を押され、受難の道を歩むことになる。百済人はキダーラ人と袂を分かち、いち早くカタリ派を抜けて、フランスを後にジャワ島に入植した。フランス人の顔をした彼らは現地人と混合して、初代王サマラヴィジャヤを輩出し「クディリ王国」を建設した。クディリの名の由来は百済である。クダラ=クディ=クディリとなる。

 


■AD1222年 「クティ誕生」

 

新羅の系統の「シンガサリ王国」がジャワ島に台頭すると、クディリ王家はジャワ島を後に、一部がベンガルに、一部はピグミーの故地である遠くコンゴの地に落ち延びた。ジャワ人の顔をしたクディリ家は、アフリカ人と混合して「クティ」の名を成した。クティの名の由来はクディリである。この系統からはミュージシャンのフェラ・クティが輩出されている。

 


■AD1482年 「香取氏誕生」

 

クリュニー会に指揮されたポルトガル人がコンゴに上陸すると、これを嫌ったクティの人々はナイジェリアに逃亡し、一部はアフリカ大陸を離れて日本に移住した。コンゴ人の顔をしたクティの人々は、大中臣氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に「香取氏」が誕生した。香取の名の由来はクディリである。

 


■AD1835年 「福澤諭吉誕生」

 

イギリス人べックの一族は、2度に渡って日本を訪れている。1度目は、「薔薇戦争」を機にイングランドを離れ、戦国時代の日本に上陸した。信濃国に移住し、「信濃村上氏」の氏族に参加したベックは「福沢氏」を称した。福沢の名の由来はベックと諏訪の組み合わせである。ベック+諏訪=ベック(福)+諏訪(沢)=福沢となる。
2度目は、別のイギリス人ベックの一族が、非人間的な産業革命を嫌ってイギリスを後にし、「大和人の大航海時代」の子孫であるイギリス人たちが築いた「洪門」がいる東アジアを訪れた。その後、先祖の故地である朝鮮半島にしばらく居住していたベックの一族は儒教を体得し、その後に豊前国に渡って先発隊が築いた「福沢」の名を名乗り、「福澤諭吉」を生んだ。

 


■AD1859年 「金光教誕生」

 

AD1859年、香取家に生まれて「赤沢」に改姓した赤沢文治が現岡山県に「金光教」を創始している。彼らが祀る「金光大神(こんこうたいじん)」の名の由来はコンゴである。コンゴ=コンゴー=金光(こんこう)となる。赤沢の名も、ピグミー族に属するアカ族の名に因んでいる可能性がある。

 


■AD1916年 グレゴリー・ペック生誕

 


■AD1938年 フェラ・クティ生誕

 


■AD1944年 ジェフ・ベック生誕 「ジェフ・ベック・グループ誕生」

 

 

 

 

 

 

 


ムワリの歴史

◆毛利氏(ムワリ)の歴史

 


■200万年前 「ビクトリア湖の大移動時代」

 


■200万年前 「ムワリ誕生」

 

「ビクトリア湖の大移動時代」に参加したアブクは、現ジンバブエに移住して「ムワリ」を、現レソトに移住して「モリモ」を生んだ。その後、モリモはボツワナに「モディモ」を生んだ。

 


■200万年前 「モリモの大移動時代」

 


■200万年前 「パグ族誕生」「ムユ族誕生」

 

「モリモの大移動時代」に参加したアブクとムワリは、チッタゴンからマレー、インドネシア、パプアに四散した。アブクはパプアに「パグ族」を残し、ムワリもパプアに「ムユ族」を残している。永年の時を経て彼らはパプア人に吸収されたが、当初は小人族だったと考えられる。パグの名の由来はアブクであり、ムユの名の由来はムワリである。両者はピュグマエイ(ピグミー)の前身である。パグ+ムユ=パグムユイ=ピュグマエイとなる。

 


■30万年前 「メーロポシス誕生」

 

メーロポシスの名の由来はムワリとパシスの組み合わせである。ムワリ+パシス=ムアリパシス=メーロポシスとなる。その後、メーロポシスは大洋の娘たちに参加した。

 


■30万年前 「オケアーニスの大移動時代」

 


■30万年前 「モルディブ誕生」

 

「オケアーニスの大移動時代」に参加したメーロポシスは、モルディブ諸島に入植した。モルディブの名の由来はムワリとトバルカインの組み合わせである。ムワリ+トバルカイン=ムワリトバ=モルディブとなる。しかし、トバルカインの登場はもっと後であるため、当時はモルディブではなく、ただ「ムワリ」と呼ばれていた可能性がある。

 


■4万年前 「第1次アルゴス号の大航海時代」

 


■4万年前 鶴(ゲラノス)と戦う

 

「第1次アルゴス号の大航海時代」に参加したメーロポシスは、パプアに帰還した。その後、クロノスはゼウスに敗北すると、パプア・ニューギニアに落ち延びて「ダニ族」となった。しかし、ピュグマエイは故地にやってきたクロノスに怒りをあらわにし、何度も戦闘を挑んだ。当時のパプアニューギニアは「ペガサス」と呼ばれていた。アブクとムシシの国という意味だ。アブク+ムシシ=ブクシシ=プグシシ=ペガサスとなる。
ホメロスは、ピュグマエイについて書き残している。「小人族である彼らは、鶴と戦っていた。鶴は毎年略奪に訪れるため、毎年春になると、小人族は矢を携え、羊に乗って大集団を成し、鶴の雛や卵を殺しに進軍する」という。ところで、この意味ありげな「鶴」とは何を意味するのだろう?疑問に思ったときは、ギリシア語で「鶴」を何と呼ぶのか知ることだ。何の意味も無く鶴と名づけたりはしないからだ。
しかして、鶴はギリシア語でゲラノスである。「ゲラノスってどこかで聞いたことあるな。どこで聞いたかな。クロノスだ!」ということで、ゲラノス(鶴)とは、クロノスのことを意味していると考えて良い。つまり、ピュグマエイが戦っていた「鶴」とは、人喰い人種のダニ族のことである。小人族と呼ばれたピュグマエイは、凶悪な新参者であるダニ族を嫌い、頻繁に戦火を交えていた勇敢な人々だったのだ。

 


■4万年前 「フッキとヌアの大航海時代」

 


■4万年前 「尾(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アフリカに上陸し、湖水地方に「尾」を生んだ。彼らは、「東方青龍」の建設に参加した。尾(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグアエイ=ウェイとなる。

 


■4万年前 「ビ誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、アジスアベベに「ビ」を生んだ。彼らは、「西方白虎」の建設に参加した。ピの名の由来はピュグマエイである。

 


■4万年前 「翼(イー)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現スワジに入植し「翼」を生んだ。彼らは、「南方朱雀」の建設に参加した。翼(イー)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマエイー=イーとなる。

 


■4万年前 「危(ウェイ)誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したピクト人は、現ケニアに入植し「危」を生んだ。彼らは「北方玄武」の建設に参加した。危(ウェイ)の名の由来はピュグマエイである。ピュグマエイ=ピュグマウェイ=ウェイとなる。

 


■3万年前 「ムプティ族誕生」

 

「フッキとヌアの大航海時代」に参加したムワリは、故地であるアフリカに帰還し、現在知られているピグミー族の母体を築いた。この時にアブクの系統からは「バカ族」「アカ族」が生まれた。一方、ムワリの系統からは「ムプティ族」が生まれた。ムプティの名の由来はムワリとエウドーラーの組み合わせである。ムワリ+エウドーラー=ムワド=ムハト=ムプティとなる。

 


■1万3千年前 「デウカリオンの大航海時代」

 


■BC7千年 「神々の集団アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年前 「マウリ人誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」を経て、モルディブ諸島からメソポタミアに来ていたムワリは、次に「アヌンナキの大移動時代」に参加してきたアフリカに移住した。彼らは現地人と混合し、「マウリ人」となる。マウリの名の由来はムワリである。ムワリ=マワリ=マウリとなる。

 


■BC7世紀 「ピグミー族の大航海時代」

 


■BC7世紀 「マプーチェ族誕生」

 

「ピグミー族の大航海時代」に参加したバカ族、ムプティ族は、コンゴから南アメリカに上陸し、ラプラタ地域に入植した。その後、バカ族はラ・プラタ地域を去って太平洋を横断し、故地である東南アジアを目指して、最終的にガンジス流域に入植している。一方、ムプティ族は現地人と混合して「マプーチェ族」を成した。マプーチェの名の由来はムプティである。ムプティ=ムプーティ=マプーチェとなる。

 


■BC7世紀 「サンガ誕生」「上座部仏教誕生」

 

「ピグミー族の大航海時代」に参加したバカ族・ムプティ族は、ガンジス流域に移住した。仏陀と出会ったサンガは、サトゥルヌスの種族であるアーナンダと袂を分かち、自身の「上座部仏教」を設立した。あらゆる面で底が浅い、俗物の集団である日本仏教は、一流の職人による彫刻、建築物、仏像、金細工で飾り付けて無い中身を隠しているが、上座部仏教は仏陀の生活を見習って質素を旨としている。そのため、彼らは小乗仏教と呼ばれて日本仏教などの大乗仏教から嘲られている。サンガの名の由来はサンガリオスである。

 


■BC317年 チャンドラグプタ、マウリヤ朝初代王に即位 「マウリヤ朝誕生」

 

「ポエニ戦争」を機に、北アフリカを離れたマウリ人はインドに進出した。マガダ王国に侵入したマウリ人からは、サグバタの系統であるチャンドラグプタと連合して「マウリア朝」を開いた。マウリアの名の由来はマワリである。マウリ=マウリアとなる。チャンドラグプタは、殷・能登族に属するサトゥルヌスの子孫であるダナナンダ王が支配するナンダ朝を滅ぼし、「マウリヤ朝」を開いた。しかし、能登族に属するジャイナ教に帰依したチャンドラグプタは、苦行に打ち込んで餓死したとされている。

 


■BC317年 「馬氏誕生」

 

「ポエニ戦争」を機に、北アフリカを離れたマウリ人はインドに進出した。その後、一部はインドから更に中国に進出した。北アフリカ人の顔をしたマウリ人は、現地人と混合して「馬氏(マー)」を成した。馬(マー)の名の由来はマウリである。この系統からは鄭和が輩出されている。

 


■BC268年 アショーカ、マウリヤ朝第3代王に即位

 

アショーカ王は、「カリンガ戦争」でカリンガ国を滅ぼし、多くのバラモンを殺害した。バラモンが有害であることを知っていたアショーカ王は、バラモンの根絶を目指していた。だが、狡猾なバラモンは、アショーカがバラモンを大量に殺害した事実を逆手に取り、罪悪感を刺激して、アショーカ王を思い通りに動かすことに成功した。罪悪感は人生の足かせであることを能登族は知っていた。ことあるごとに罪を刺激し続ければ(罪がない時は罪を作る)、どんなに強い者でも、ゴミのようなタナトスの言いなりになるのだ。
彼らは、アショーカ王に命じて「法(ダルマ)の政治」を宣言させた。ダルマの内容には、不殺生、正しい人間関係を保つこと、父母に従順であること、礼儀正しくあること、年長者を敬うこと、奴隷や貧民を虐待しないこと、バラモンを尊敬すること、布施を怠らないことなどが明記されていた。これらに違反すると、違反者は、ドルイド教のように不敬者として周囲から無視され、自滅していった。

 


■BC180年 「モロ誕生」

 

BC180年、マウリア朝が滅ぶと、マウリア人はガンジス流域からフィリピンに渡って「モロ」を築き、そこから更に冒険に出た人々は「ニュージーランド」を発見する。モロの名の由来はマウリアである。マウリア=マウラ=モロとなる。

 


■BC180年 「マオリ族誕生」

 

インド人の顔をしたマウリア人は、人跡未踏の地ニュージーランドに人類として初の上陸を果たした(科学の種族は知っていた可能性もあるが)、彼らは「マオリ」を称した。マオリの名の由来はマウリアである。マウリア=マウリ=マオリとなる。つまり、巨鳥モアを絶滅させたのはマウリア朝だったということになる。また、マオリ族は近世に人喰い人種として恐れられた。だが、ニュージーランドで実際に人々を虐殺して食べていたのは、パプアから移住してきたダニ族である。

 


■AD470年 「マイトラカ朝誕生」

 

ゴート族、フン族が乱入してきたため、トラキア人はバルカン半島を離れて、グジャラートに居つき、ニュージーランドからインドに来ていたマオリ族と連合して「マイトラカ帝国」を建国した。マイトラカの名の由来はマオリとトラキアの組み合わせである。マオリ+トラキア=マオトラカ=マイトラカとなる。マオリ族にとっては、全インドを支配下に置いた「マウリア朝」の再興だった。

 


■AD776年 「ワリ帝国誕生」

 

トラキア人と組んでいたマイトラカ朝が滅ぶと、マオリ族は、インドを離れてペルーに移住している。ワルメイ川のエラム人は、インドから来たマオリ族と組み、古代ペルーの地に「ワリ帝国」を打ち建てている。ワリの名の由来はムワリ、或いはマオリである。マオリ=マワリ=ワリとなる。

 


■AD8世紀 「鹿島神社の大航海時代」

 


■AD12世紀 「細川氏誕生」「長谷川氏誕生」

 

インカ人との抗争を機に、マプーチェ族がパタゴニアを発ち、アリューシャン列島を経て日本に移住した。まず、三河国に立ち寄ったマプーチェ族は現地人と混合して「細川氏」を形成した。更に三河国から離れて大和国に移住したマプーチェ族は現地人と混合して「長谷川氏」を形成した。細川、長谷川の名の由来はマプーチェの川である。マプーチェ+川=プーチェ川=細川、長谷川となる。「マプーチェの川」とはラプラタ河のことである。この系統からは「応仁の乱」の口火を切った細川勝元、「天文法華の乱」の細川晴元、「本能寺の変」に誘われた細川幽斉、信長・秀吉に仕えた長谷川宗仁など多数の武将が輩出されている。

 


■AD1202年 大江季光生誕 「毛利氏誕生」

 

「鹿島神社の大航海時代」に参加したワリ帝国のマオリ族は、房総半島に上陸し、日本人と混合した。その後、エラム人は「有馬氏」を称し、「波多美氏」を称したハタミ人、「毛利氏」を称したマオリ族と共に北九州に向かった。マオリ族は大江氏に接近し、自身の血統を打ち立てた。そのときに誕生したのが大江季光である。この大江季光が毛利を名乗り「毛利氏」が誕生した。毛利の名の由来はマウリ、或いはマオリである。

 


■AD13年 毛利経光生誕

 

毛利経光は越後国に南条館を領有していたが、四男の時親に安芸国高田郡吉田荘を分与して分家を建てた。室町時代、毛利氏は有力な国人領主として勢力を伸張し、山名氏、大内氏の家臣として繁栄した。

 


■AD1371年 鄭和生誕 「鄭和の大航海時代」

 

鄭和の本名は「馬氏(マー)」である。つまり、彼はマウリ人の子孫である。そのため、故地への帰還に関心があった鄭和は、大航海時代を敢行してアラビア半島、東アフリカにまで航海を行った。

 


■AD1405年 鄭和、第1次大航海時代

 

永楽帝の命により、鄭和は全長42丈余りの大船62隻、乗組員総数2万7800名からなる大艦隊を組織した。ベトナム、ジャワ、マレー半島、セイロン島、カルカッタへと2年かけて到達した。

 


■AD1407年 鄭和、第2次大航海時代

 


■AD1409年 鄭和、第3次大航海時代

 


■AD1413年 鄭和、第4次大航海時代

 

第4次大航海時代では、鄭和の艦隊は、東南アジア、インドを抜けてペルシア湾、アラビア半島にたどり着き、ティムール朝、ラスール朝と交流した。

 


■AD1417年 鄭和、第5次大航海時代

 

第5次大航海時代では、鄭和の艦隊は、スワヒリ文明の中心地だったマリンディに到達した。この時、鄭和はキリン、サイ、ライオン、ヒョウ、ダチョウ、シマウマなどを中国に連れて帰った。

 


■AD1421年 鄭和、第6次大航海時代

 


■AD1430年  鄭和、第7次大航海時代

 

永楽帝が死去し、子息の洪熙帝が王位に就くと、大規模な外征中止を布告した。しかし、1年後に洪熙帝が死去すると、子息の宣徳帝は7回目の航海を計画し、鄭和にその指揮を命じた。この時、鄭和は東アフリカ、南アラビア、メッカを巡り、AD1433年に帰還した。

 


■AD1433年 「チェワ族誕生」

 

AD1433年に帰国した鄭和は、程なくして死んだと伝えられている。しかし、鄭和は死んだと見せかけて、兼ねてから魅了されていたアフリカの地へと旅立つ。これが片道切符となる第8次大航海時代である。この最後の航海の時に、鄭和はマレーに立ち寄り、ブラウ・マレー人を船団に迎えた。ブラウ・マレー人は故地であるマラウィに帰還し、鄭和もマラウィを終の棲家に決めた。中国人の顔をした鄭和は、現地人と混合して「チェワ族」を称した。チェワの名の由来は鄭和(チョンファ)である。チョンファ=チェンファ=チェワとなる。また、東南アジア人の顔をしたブラウ・マレー人は祖を同じくするマラウィ人と合流し、AD16世紀に「マラビ帝国」を建てた。

 


■AD1497年 毛利元就生誕

 


■AD1498年 「順朝樹立」

 

AD1464年、ガオ帝国が滅び、AD1490年にはポルトガル大布教団がコンゴを訪れ、AD1498年にはマラビ帝国が位置するスワヒリ地域にポルトガルが訪れている。鄭和の子孫、チェワ族はガオの張氏、コンゴ人(孔氏)、そしてケニアのルオ族を誘って中国への帰還を打診した。卑しいタナトスに指揮されたポルトガル人に嫌気が差した彼らは、喜んで船団に参加した。アフリカ人の顔をした一行は、中国人と交わってそれぞれの姓を復活させた。この時、ガオの張氏からは「張献忠」、コンゴの孔氏からは「孔有徳」、チェワの鄭氏からは「鄭芝龍」、ルオ族からは「李自成」が輩出された。また、コンゴ人は新規に「耽(ゲング)」の姓を作り、ここからは「耽仲明」が輩出された。

 


■AD1521年 「諸星氏誕生」

 

アステカ帝国の人身御供の種族(大谷)が日本に帰還する途上、彼らはメラネシアで、反自然の種族に属するメラネシア人を召使として連れ還った。この中に、大洋の娘たちに属するメーロポシスが混じっていた。メーロポシスは、日本(遠江国~駿河国)に上陸すると、日本人と混合して「諸星氏」を生んだ。諸星の名の由来はメーロポシスである。メーロポシス=メロポシ=諸星となる。

 


■AD1523年 毛利隆元生誕

 


■AD1553年 毛利輝元生誕

 


■AD1563年 「モロ戦争」

 

隆元は、謎の死を遂げたとされている。享年41歳、尼子攻めに参加する途上で急死した。死因は食中毒、毒殺とも言われているが、実際にはミンダナオ島でスペイン軍の侵略に苦しむ、祖を同じくするモロ人を加勢しに日本を離れたのだ。これに同意していた元就は、家族の秘密を守るためにオーバーな演技を行い、後世に「元就の悲嘆は尋常ではなかった」と記録されている。
スールー王国は、スペインが大規模な軍をミンダナオ島に駐留させることを認めていたが、ミンダナオ島に馳せ参じた隆元が率いる毛利軍は、モロの地を侵略しようとするスペイン軍を蹴散らした。これにより、モロは侵略を免れたが、スペイン軍が侵攻するたびに抵抗し、これを退けた。このモロによる抵抗はアメリカ侵略時にも行われた。

 


■AD1600年 「ムーレイ家誕生」

 

毛利輝元は、家康に「関ヶ原の戦い」の責任を追及され、長門国、周防国に厳封された。また、家康の約束反故に怒りを覚えた一部毛利氏が西南に分かれ、新天地を求めて旅立った。南方組は、故地ニュージーランドに帰還し、マオリ族との間に毛利輝永が誕生すると、輝永は「タルナキ」を称した。タルナキの名の由来は輝永である。一方、西方組はインド洋、地中海を越えてモロッコに至る。日本人の顔をした毛利氏は、現地人と交わって「ムーレイ家」を形成した。ムーレイの名の由来は毛利、或いはムワリである。ムワリ=ムアリー=ムーレイとなる。

 


■AD1604年 鄭芝龍生誕

 


■AD1624年 鄭成功生誕

 


■AD1631年 「李自成の乱」

 

AD1631年、李自成は孔有徳と共に「李自成の乱」を指揮し、AD1644年に北京を陥落させ、「大順国」を開いている。しかし、その年の内に李自成は清に討たれ、「順」は滅びている。その後、AD1673年に張献忠、耽仲明、孔有徳がイギリス帰還組の呉三桂、尚可喜と共に「三藩の乱」に参加し、清に対して蜂起する。だが、アフリカ帰還組の耽仲明、孔有徳は清に投降し、ホンタイジに快く迎えられ、その後は清に仕えた。

 


■AD1631年 ムーレイ・アル=ラシード生誕 「アラウィー朝誕生」

 

AD1666年、ムーレイ家のムーレイ・ラシードが、サトゥルヌスらのタナトス勢力を退けて「アラウィー朝」を開き、初代モロッコ王に即位して「モロッコ王国」を築いている。

 


■AD1661年 「鄭氏政権樹立」

 

スワヒリに位置するマラビ帝国に居住していたチェワ族の子孫、鄭成功は、明の正統と奉じて北伐軍を編成し、清に抵抗した。しかし、南京で大敗すると、台湾を拠点にしようとゼーランディア城包囲戦を勝ち抜き、オランダ軍を撃破した。こうして鄭成功は、台湾をタナトス率いる白人列強の手から解放した。アフリカ帰還組の鄭成功は、イギリス帰還組の「洪門」とも交流を持ち、利害を一にしていた。

 


■AD1840年 「ワイタンギ条約」

 


■AD1858年 ポタタウ王、初代マオリ王に即位 「キンギタンガ誕生」

 

マオリ族は、イギリス王室を参考に、マオリ王を擁立して一致団結してイギリスに対抗しようと考えた。だが、これにより、マオリ族はイギリスと衝突すると「マオリ戦争」が起きた。マウリ朝のアショーカ王、毛利隆元の血を引くマオリ族は、純粋に故地を守護するため、征服者に対して蜂起した。だが、インドからやってきた能登族の血を引く人々は、マオリ族を掌握しやすいように、ドサクサに紛れて戦争中に多くの異分子(優れた者、強い者、正直者)を殺害した。平和な日常で人が死ぬのは異常だが、戦時中に人が死ぬのは自然である。この言いわけを利用し、能登族は異分子を多く殺害した。つまり、マオリ族の敵はイギリス人だけでなく、マオリ族内部(パイ・マリレ、リンガトゥ教)にもいたのだ。

 


■AD1860年 「マオリ戦争」

 

AD1858年、ムガール帝国が滅んでインドが大英帝国の植民地になると。これを機に、ヒンドゥー教・シヴァ派に属するカーラームカ派がカーパーラ派、リンガーヤト派と共にインドを脱出し、ニュージーランドに移住した。彼らは、能登族の系統に属する、タナトスの一族である。
カーラームカ派は、「パイ・マリレ」という宗教を創始し、マオリ族を指揮下に置いた。パイ・マリレに属するマオリ族は、「ハパ、ハパ、パイマリレ、ハウ」と叫びながら大英帝国陸軍に突進した。彼らは手を高く上げ、手のひらを前に向けて前進した。そうすれば銃弾を避けられると教えられたのだ。しかし、それは「ゴーストシャツ」や「マジ(薬用の水)」同様、ただのウソである。マオリ族は殺した白人兵の首を持ち歩き、宣教師を惨殺したことから恐怖の対象となった。しかし教祖のテ・ウア・ハウメネが逮捕されると信者たちは四散した。その後、パイ・マリレの残党は、ニュージーランドを離れてジンバブエに渡った。
一方、リンガーヤト派は「リンガトゥ教」を築き、「宗教運動パイ・マリレ」と共にマオリ族を掌握した。リンガトゥの名の由来はリンガーヤトである。リンガーヤト=リンガート=リンガトゥとなる。AD1883年、特赦が出てリンガトゥ教は現在でも存続しているが、10年間の間に一部はパイ・マリレの残党と共にニュージーランドを離れ、インド洋を横断してジンバブエにまで落ち延びている。

 


■AD1899年 「モロの反乱」

 

この「モロの反乱」は、AD1913年まで続いたが、残念ながらデーン人が率いるアメリカ軍に侵略されてしまった。

 


■AD1902年 「山咼(サンカ)誕生」

 

タイ王国全土のサンガを管理する必要が出てきたため、ラーマ5世が僧侶の集団でしかなかったサンガを法人化した。全ての僧侶に僧籍を与えて寺院に所属させた。これを機に、この政策に不満を持った正統なサンガとタナトスのサンガがそれぞれ2手に分離し、新天地を求めて東西に旅立った。タナトスのサンガはケニアに移ったが、正統なサンガは、タイ王国から明治政府治世下の日本国に移住した。
彼らは「山咼(サンカ)」と呼ばれた。サンカの名の由来はサンガである。サンカは山窩、山家、三家、散家、傘下、燦下などと表記されることもあった。サンカは、独自な犯罪手口を用いる犯罪専科の単位集団として規定されたり、定住することなく仕事を求めて村々を移動する、回遊生活を営む人々である。地域によっては川漁、竹細工などを営んでいた。彼らは、タイ王国から来たのだ。

 


■AD1920年 長谷川町子生誕 「サザエさん誕生」

 


■AD1946年 長谷川和彦生誕

 


■AD1957年 ムハンマド5世、アラウィー朝第30代モロッコ王に即位

 


■AD1961年 ハサン2世、アラウィー朝第31代モロッコ王に即位

 


■AD1970年 ヌル・ミスアリ、ゲリラ組織を結成 「モロ民族解放戦線誕生」

 

ヌル・ミスアリは、毛利氏の子孫だろう。ミンダナオ島では正しい人々から期待されていたが、ミンダナオ島のタナトス勢力によって翻弄された。ミンダナオ島のタナトスは「鬼」と呼ばれ、平安時代に人喰い人種として日本にも来ていた。現在でも、時折、人肉食いの殺人事件がフィリピンでおきるが、これはタナトスの血を引く者の仕業である。
モロ民族解放戦線に参加していたタナトス(ダナーン族)は、ヌル・ミスアリに反発してテロ組織アブ・サヤフに合流し、AD1977年にはダナーンが主導する「モロ・イスラム解放戦線」が生まれた。フィリピンのタナトス政権と連合しているモロ・イスラム解放戦線を退けるべく、AD2013年にフィリピン軍と交戦した。

 


■AD1999年 ムハンマド6世、アラウィー朝第32代モロッコ王に即位

 


■AD2006年 「マオリは戦闘的な遺伝子を持つ」という報告が発表される

 

聖公会に操られたニュージーランドの科学者が、「マオリは戦闘的な遺伝子を持っている。そのため、暴力的であり、犯罪を犯しやすい」と発表した。これは明らかにタナトスによる伝統的な異分子排除の口実である。善人を殺すと悪となる。しかし、悪を殺せば正義となる。そのため、タナトスは敵であるマオリを悪に仕立てあげたいのだ。悪であれば殺しても構わない。これがタナトスの発想である。タナトスは、「マオリを殺したい」から、マオリを「悪者呼ばわりしている」のだ。

 

 

 

 

◆百地氏(ミマース)の歴史

 


■45万年前 「盤古の大移動時代」

 


■45万年前 「ミマース誕生」

 

「オロクンの大移動時代」によってチッタゴンに新しい人類が訪れると、オロクンを代表する新しい人類とチュクウを代表する古い人類が共同体を組んだ。これにより「エピアルテース」「エンケラドス」「グラティオーン」「パッラース」「ヒッポリュトス」「ポリュポーテース」「ポルピュリオーン」「ミマース」「アグリオス」の獣人9部族が生まれた。
ミマースは、ムワリとムシシが連合することで生まれた。ミマースの名の由来はムワリとムシシの組み合わせである。ムワリ+ムシシ=ムワムシ=ミマースとなる。彼らはみな、サスカッチのような風貌をしていたと考えられる。ビッグフット目撃談によると、彼らは時速60キロで走り、3mの高さを跳躍し、片手で岩を投げ、素手でグリズリーを殺すという。「神統記」に於けるキュクロプス、ヘカトンケイル、ギガースなどの描写、そのままである。

 


■45万年前 「第1次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 シベリアでマンモス狩りを行う

 

「盤古の大移動時代」によってチッタゴンから中国、「獣人の大狩猟時代」によってモンゴル、シベリアに入植したイェティ、オラン・ダラムのように4m近い巨体を持っていたチュクウの部族は、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。
「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、獣人が人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。

 


■45万年前 「第2次獣人の大狩猟時代」

 


■45万年前 「アイス族誕生」

 

「獣人の大狩猟時代」により、獣人部族はシベリアからアメリカ大陸に渡った。人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、南東部(現ミシシッピ~マイアミ)に居を構えたミマースは「アイス族」を称した。アイスの名の由来はミマースである。ミマース=ミマイス=アイスとなる。

 


■35万年前 「獣人の大移動時代」

 


■30万年前 「カオスの大移動時代」

 


■30万年前 「サンガリオスの大移動時代」

 


■30万年前 「パチャママ誕生」「ママクーナ誕生」「ママキーヤ誕生」「ママアルパ誕生」「ママザラ誕生」

 

「サンガリオスの大移動時代」によって古代アンデスに移住すると、ミマースは様々な種族と連合して「パチャママ」「ママクーナ」「ママキーヤ」「ママアルパ」「ママザラ」などの神々を誕生させた。ママの名の由来はミマースである。「パチャママ」はヴィディエとミマースの組み合わせ、「ママクーナ」はミマースとアルキュオネウスの組み合わせ、「ママキーヤ」はミマースとアルキュオネウスの組み合わせ、「ママアルパ」はミマースとエウローペーの組み合わせ、「ママザラ」はミマースとメトセラの組み合わせである。これらの神々は、インカ帝国の神々として知られている。

 


■7万年前 「ウラヌスの大移動時代」

 


■4万年前 「ギガントマキア」

 


■4万年前 「メンフィス誕生」

 

「ウラヌスの大移動時代」に参加して古代ギリシアに移住し、3万年後に「ギガントマキア」に参加したミマースは、だが、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出してエジプトに移住した。彼らはエジプトの地に「聖地メンフィス」を建設した。メンフィスの名の由来はミマースである。ミマース=ミンマース=メンフィスとなる。

 


■4万年前 「高御産巣日神誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、ティケー、ニャメと組んで「タカミムスビ」を儲けた。タカミムスビ、カミムスビの名の由来はティケー、ミマース、日(ニャメ)の組み合わせである。ティケー+ミマース+日=ティケミマス日=タカミムスビ=カミムスビとなる。

 


■4万年前 「神産巣日神誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、ティケー、ニャメと組んで「カミムスビ」を儲けた。タカミムスビ、カミムスビの名の由来はティケー、ミマース、日(ニャメ)の組み合わせである。ティケー+ミマース+日=ティケミマス日=タカミムスビ=カミムスビとなる。

 


■4万年前 「宇摩志阿斯訶備比古遅神誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、ティケー、ニャメと組んで「ウマシアシカビヒコジ」の神々を儲けた。ウマシアシカビヒコジの名の由来はミマース、アシア、ティケーの組み合わせである。ミマース+アシア+ティケー+日=イマスアシティケ日=ウマシアシカビとなる。

 


■4万年前 「天忍穂耳命誕生」

 

「ギガントマキア」に参加したミマースは、ゼウスに敗北したため、ギリシアを脱出して台湾に移住した。ミマースは、イマナ、アシアーと混合して「アメノオシホミミ」を生んだ。アメノオシホミミの名の由来はイマナ、アシアー、ミマースの組み合わせである。イマナ+アシアー+ミマース=イマナアシアミマ=アメノオシホミミとなる。

 


■4万年前 「創造主クグマッツ誕生」

 

ミドガルド王国のスクルドは、古代アンデスのミマースと組んで「創造主クグマッツ」を生んだ。クグマッツの名の由来は、ギガースとミマースの組み合わせである。ギガース+ミマース=ギガマース=クグマッツとなる。ミマースは、ペルーから来たパチャママの片割れである。

 


■1万3千年前 「台湾人の大航海時代」

 


■1万3千年前 「神淳名川耳(綏靖天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加したミマースは、黒龍江に天皇家に属する「神淳名川耳」を誕生させている。ヌナカワミミの名の由来はイナンナの河とミマースの組み合わせである。イナンナの河+ミマース=ナンナカワミマ=ヌナカワミミとなる。

 


■1万3千年前 「観松彦(孝昭天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加したミマースは、黒龍江に天皇家に属する「観松彦」を誕生させている。ミマツヒコの名の由来はミマースである。ミマース=ミマツ=ミマツヒコとなる。

 


■1万3千年前 「御間城入彦(祟神天皇)誕生」

 

「台湾人の大航海時代」に参加したミマースは、黒龍江に天皇家に属する「御間城入彦」を誕生させている。ミマキイリヒコの名の由来はミマースとエウリュトスの組み合わせである。ミマース+エウリュトス=ミマスエウリュ=ミマキイリヒコとなる。

 


■1万千5百年前 「垂仁天皇の大移動時代」

 


■BC7千年 「神々の集団アヌンナキの大移動時代」

 


■BC7千年 「ギルガメシュ誕生」

 

ギルガメシュの名の由来は獣人アルゲースと獣人ミマースの組み合わせである。アルゲース+ミマース=アルゲマース=カルゲマス=ギルガメシュとなる。このように不世出の偉大な英雄は常に獣人の血統から輩出されている。

 


■BC35世紀 「サムエルの大航海時代」

 


■BC35世紀 「武蔵国誕生」

 

「サムエルの大航海時代」によって、ペルーから出羽国に移住したミマースは、単独で関東地方に移り「武蔵国」を築いた。武蔵の名の由来はミマースの先祖、オリジナル人類ムシシである。ムシシ=ムサシ=武蔵となる。

 


■BC32世紀 「モーゼス誕生」

 

「モーゼス」とは武蔵国の人々のことを指している。モーゼスの名の由来は武蔵である。武蔵=ムーサシ=モーゼスとなる。数万年前から八代湾に居を構える葦原中津国は、高天原(台湾)と同盟して「イスラエル」を、また、出羽国の十和田の縄文人と組んで「エジプト」と呼ばれる連合王国を形成していた。イスラエルの名の由来はアシアーとブリアレオースの組み合わせ、エジプトの名の由来はアシアーとプテの組み合わせである。
そこに、能登を追放され、パラオ諸島に拠点を移転したダニ族が日本列島に進撃し、九州(葦原中津国)から東北地方(出羽国、十和田)を支配下に置いた。ダニ族は、自らをファラオ(パラオ)と称し、圧政を敷いた。このため、人喰い人種の支配を嫌った武蔵国の人々が音頭を取り、日本中の縄文人を連れてエジプトからカナン(夏時代の中国)への脱出を試みた。それが「モーゼスの大移動時代」である。つまり、モーゼスの正体は武蔵国の人々、関東の縄文人である。

 


■BC32世紀 「モーゼスの大移動時代」

 


■BC30世紀 「マズダ神群の大移動時代」

 


■BC30世紀 「アムシャ・スプンタ誕生」

 

「マズダ神群の大移動時代」に参加したミマースは、シヴァ人、プント人と組んで「アムシャ・スプンタ」を生んだ。アムシャ・スプンタの名の由来はミマース、シヴァ、プントの組み合わせである。ミマース+シヴァ+プント=ミマシャ・シヴァント=アムシャ・スプンタとなる。

 


■BC7世紀 「フェニキア人の大航海時代」

 


■BC7世紀 「武蔵国復活」

 

「フェニキア人の大航海時代」に参加したミマースは、故地である「武蔵国」に帰還した。

 


■AD413年 「百地氏生」

 

「大和人の大航海時代」が実施された時代、ミマースは日本に残り、修験道に属した。彼らは「百地氏」を生んだ。百地の名の由来はミマースである。ミマース=ミマーツ=ミマツ=百地となる。

 


■AD8世紀 「桃太郎誕生」

 

タナトスの子孫、黒人ダン族は、ナイジェリアを発ち、故国ダナーンを目指して東南アジアを訪れ、アンダマン諸島(ジャラワ族)、スラウェシ島、ミンダナオ島、台湾(サアロア族)に拠点を得ていた。この黒人ダン族は、それらの島を出撃し、日本にまで足を伸ばして盗賊行為を行い、奈良時代、平安時代の子女を拉致して食べていた。これに対し、得体の知れない盗賊集団に縄張りを荒らされたと感じた百地氏は、腕利きの山伏、修験者を集め、キジを食糧として船に積み込み、台湾、ミンダナオ島、スラウェシ島、アンダマン諸島にまで行脚し、人喰い人種の黒人ダン族を成敗した。
黒人ダン族は、イフェの神官「オニ」を称していたため、日本人に「鬼」と呼ばれていた。ある意味、これは百地氏による鬼退治であった。つまり、昔話「桃太郎」の原話である。桃太郎(百地氏)、犬(天狗=山伏)、猿(猿田彦の子孫=修験者)、キジ(遠征の際の食糧)、キビ団子(吉備国、丹後国)、鬼(黒人ダン族)ということになる。後山の修験者は吉備国を、比叡山の修験者は丹後国を出発したが、「吉備丹後」が変遷を重ねて「キビ団子」となった。或いは、鬼退治に参加した修験者に対する報奨として吉備国、丹後国が与えられる約束があったのかもしれない。

 


■AD8世紀 「モシ族誕生」

 

黒人ダン族がアフリカから来たことを耳にした百地氏はアフリカに関心を示し、黒人ダン族(鬼)を皆殺しにすると、アフリカ大陸に向かい、ケニアに上陸した。日本人の姿をした百地氏はマサイ族と混合して「モシ族」を形成した。モシの名の由来はミマース、或いは百地である。ミマース=ミマス=ミモシ=モシとなる。

 


■AD13世紀 「ニョロ帝国の大航海時代」

 


■AD13世紀 「松井氏誕生」

 

「ニョロ帝国の大航海時代」に参加したモシ族は、日本に帰還し、現地人と混合して「松井氏」を生んだ。松井の名の由来はマサイである。マサイ=マツァイ=松井となる。

 


■AD1521年 松井忠次生誕 「松平康親誕生」

 


■AD1556年 百地丹波生誕 「伊賀忍術誕生」

 

百地丹波の名、丹波の由来はニョロ帝国を築き、タンブジ朝を開いた丹波氏である。マサイ族の類まれな身体能力を受け継いだ百地丹波は、伊賀忍者として織田信長と渡り合い、その名を馳せた。伊賀の名士百地丹波は土豪であったが、伊賀忍術の祖とも呼ばれている。

 

 

 

◆守屋氏(モレヤ)の歴史

 


■BC7千年 「モレヤ誕生」

 

「デウカリオンの大航海時代」を経て、モルディブ諸島からメソポタミアに来ていたムワリは、次に「アヌンナキの大移動時代」に参加してきたアフリカに移住した。ムワリはこの地で「エロヒム」を結成していたエロスと出会う。ムワリは、彼らと連合して「モレヤ」を生んだ。モレヤの名の由来はムワリとエロスの組み合わせである。ムワリ+エロス=マリエロ=モレヤとなる。

 


■BC5千年 「トロイア戦争」

 


■BC5千年 「マー・トゥーレスの戦い」

 


■BC5千年 「ミレー族誕生」

 

科学の種族はセネガルの地まで飛び、モレヤ人に、兄弟であるアイルランドの神々の惨状を伝えた。彼ら、モレヤの民が、ダーナ神族を倒す「ミレー族」となる。モレヤ=モレー=ミレーとなる。

 


■BC5千年 「アイルランドの神々の大航海時代」

 


■BC5千年 「モレヤ山誕生」

 

「アイルランドの神々の大航海時代」に参加したミレー族は、イスラエルに移住した。彼らは、拠点の山岳地帯に「モレヤ山」と命名し、先祖神「エロヒム」を祀った。

 


■BC829年 「アメン神官団の大航海時代」

 


■BC829年 「マルワ誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したモレヤ族は、サバエ人と共にインドに上陸した。モレヤ族は「マルワ」をインドに築いた。マルワの名の由来はモレヤである。モレヤ=モレワ=マルワとなる。

 


■BC829年 「守屋氏誕生」

 

「アメン神官団の大航海時代」に参加したモレヤ族はシェルデン人と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人と混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。守屋、洩矢の名の由来はいずれもモレヤである。

 


■BC829年 「メロエ人誕生」

 

インドに「マルワ」を築いたモレヤ族は、インドを離れてクシュ人やヌビア人が治めるヌビアに進出した。彼らは、現地人と混合し「メロエ」を称した。メロエの名の由来はマルワである。マルワ=マルエ=メロエとなる。

 


■BC480年 「墨家(モー)誕生」

 

人身御供の種族である建御名方神が出雲国から諏訪国に移ってきた時、彼らを嫌った守屋氏は、中国に移り、斉・宋が支配していた土地に拠点を得た。この時に、墨家(モー)が生まれた、墨(モー)の名の由来はモリヤである。モリヤ=モーリヤ=モー(墨)となる。墨家は「諸子百家」に数えられた。

 


■BC480年 「ムラユ誕生」

 

また、一部はマレー半島に移り、「ムラユ族」を築いた。ムラユの名の由来は守屋、或いはモレヤである。モレヤ=モラヤ=ムラユとなる。

 


■BC480年 「マラウィ誕生」

 

更に西方に向かった人々はスワヒリに到来し、「マラウィ」を築いた。マラウィの名の由来は守屋、或いはモレヤである。モレヤ=ムラユ=マラウィとなる。

 


■AD3世紀 「大和人の大航海時代」

 


■AD3世紀 「ブラック誕生」「ムーア誕生」

 

「大和人の大航海時代」に参加した墨家は、現地人と混合して「ブラック」を称した。ブラックの名の由来は「墨」である。また、墨家からは「ムーア」の名も誕生した。ムーアの名の由来は「墨(モー)」である。モー=モーア=ムーアとなる。ムーアからは「ブラックモア」「ギルモア」「デンズモア」などの姓も生まれた。

 


■AD350年 「マル誕生」「モロー誕生」

 

アクスム王国の侵攻によってメロエ王国が滅ぶと、メロエ人はヨーロッパに向けて旅立った。ヌビア人の顔をしたメロエ人は、フランスに上陸して現地人と交わり、「マル」「モロー」などの名を成した。メロエ=メロエー=モロー、ミラー=マルとなる。この系統からは映画監督ルイ・マル、女優ジャンヌ・モローが輩出されている。ルイ・マルとジャンヌ・モローは「死刑台のエレベーター」「鬼火」「黒衣の花嫁」で一緒に仕事をしている。

 


■AD350年 「ムーラー誕生」

 

フランスからスイスに移った人々は「現地人と混合してムーラー」の名を成した。ムーラーの名はメロエが由来である。メロエ=メロエー=ムーラーとなる。この系統からは映画監督フレディ・M・ムーラーが輩出されている。

 


■AD350年 「ミラー誕生」

 

フランスからブリテン島に上陸したメロエ人は、ダンフリーズに移って「ミラー」の名を成した。ミラーの名はメロエが由来である。メロエ=メロエー=ミラーとなる。この系統からは作家アーサー・ミラー、映画監督ジョナサン・ミラーが輩出されている。

 


■AD830年 「モラヴィア王国誕生」

 

AD4世紀頃、アザニアー海賊がスワヒリに登場すると、これを機に、マラウィ人がヨーロッパニ亡命した。アフリカ人の顔をしたマラウィ人はシレジアに上陸して現地人と混合し、「モラヴィア人」を称した。モラヴィアの名の由来はマラウィである。マラウィ=マラウィア=モラヴィアとなる。AD830年、モイミール1世が初代王に即位し、「モラヴィア王国」を築いた。突如、中央ヨーロッパに出現した謎の強国として知られているが、AD907年に滅亡すると、白人の顔をしたモラヴィア人はスワヒリに帰還し、故地マラウィの人々と合流した。

 


■AD1040年 「スワヒリ人の大移動時代」

 


■AD1040年 イブン・ヤースィン、初代皇帝に即位 「アルモラヴィド帝国誕生」

 

「スワヒリ人の大移動時代」に参加したマラウィ人は、マフダリ家、ハフス人と共に北アフリカに上陸し、現地のベルベル人を統率した彼らは、モロッコを支配し、イベリア半島に乗り込んだ。マラウィ人のイブン・ヤースィンは、西カリフ帝国を倒すと、初代皇帝に即位し「アルモラヴィド帝国(ムラービト王朝)」を建てた。アルモラヴィドの名の由来は「マラウィの人」である。アル+マラウィ+人(ト)=アルマラウィト=アルモラヴィドとなる。シレジアを統べた「モラヴィア王国」を再興したいという願望が、マラウィ人をイベリア半島支配に駆り立てたのかもしれない。

 


■AD11世紀  「村山氏誕生」

 

AD11世紀にノルマン人がスイスに進撃するとムーラー一族がスイスを脱出して日本に移住した。スイス人の顔をしたムーラーの一族は日本人と混合して「村山氏」を成した。村山の名の由来は「ムーラーの山」である。ムーラー+山=ムラ山=村山となる。ムーラーの山とは、アルプス山脈のことを示している。その後、村山氏は平頼任を輩出し、軍事集団「村山党」を結成して「武蔵七党」のメンバーに加わっている。

 


■AD1147年 「マレー誕生」

 

AD1147年、帝国が滅ぶと、マラウィ人はムラユ時代の故地のひとつであるマレー半島に渡り、「マレー」の名を残した。マレーの名の由来はマラウィである。マラウィ=マラエー=マレーとなる。また、統治していたイベリアを由来に「ブラウ・マレー」を称した。イベリア=イブラウ=ブラウとなる。彼らは、14世紀に「ブラウ・スルタン国」を建国した。

 


■AD1347年 「丸山氏誕生」「森山氏誕生」

 

AD1347年に「黒死病」が流行すると、マル、モローの一族人は、故地を脱出して日本に向かった。フランス人の顔をした彼らは日本人と混合し、「丸山」「森山」の名を成した。丸山の名の由来は「マルの山」であり、森山の名の由来は「モローの山」である。マル+山=丸山となり、モロー+山=森山となる。「マルの山」も「モローの山」も、どちらもムーラーの山と同じでアルプスを指している。この系統からは俳優・歌手の美輪明宏(丸山明宏)、歌手の森山良子、森山直太郎が輩出されている。

 


■AD1430年 「マラビ帝国誕生」

 

馬氏を祖とする鄭和は、永楽帝の命により、西方への航海を6回実施した。鄭和は、最後の航海の時にマレーに立ち寄り、ブラウ・マレー人を船団に迎えた。ブラウ・マレー人は故地であるマラウィに帰還し、鄭和もマラウィを終の棲家に決めた。中国人の顔をした鄭和は、現地人と混合して「チェワ族」を称した。チェワの名の由来は鄭和(チョンファ)である。また、東南アジア人の顔をしたブラウ・マレー人はマラウィ人と合流し、AD16世紀に「マラビ帝国」を建てた。マラビの名の由来はマラウィである。マラウィ=マラヴィ=マラビとなる。

 


■AD1600年 「アラウィー派誕生」

 

「マラビ帝国」の主導権はブラウ・マレー人が掌握していたため、不満を示した一部マラウィ人はアルモラヴィド帝国時代の故郷モロッコに返り咲くことを夢見て移住を開始した。その後、マラウィ人は日本を脱出した毛利氏と共にモロッコ王国で連合した。毛利氏は「ムーレイ家」を称してモロッコの王位を簒奪し、マラウィ人は「アラウィー派」を創始し、タナトスが指揮するマーリキー派を退けて、モロッコ人の精神・生活を支配した。アラウィー名の由来はマラウィ、或いはエロヒムである。マラウィ=アラウィ=アラウィーとなる。シリアのバアス党などがアラウィー派を信奉している。

 


■AD1891年 ヘンリー・ミラー生誕

 


■AD1928年 ジャンヌ・モロー生誕

 


■AD1932年 ルイ・マル生誕

 


■AD1935年 美輪明宏(丸山明宏)生誕

 


■AD1940年 フレディ・M・ムーラー生誕

 


■AD1941年 ローラ・マルヴィ生誕

 


■AD1945年 リッチー・ブラックモア生誕 「ディープ・パープル誕生」

 


■AD1952年 ゲイリー・ムーア生誕

 

 

 

 

 

 



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