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花々を埋葬する 1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花々を埋葬する/波紋(カノン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通風孔越しの光は壁の高くから、その朝の光線が白澄んでいて、かすかに雨の降っているのを教えるのだった。ベッドから起き上がって、立ちずさんだあとに、わたしが庭のほうへ行くと、白濁した色彩の中で、その名前を未だ、わたしに知られてはいない樹木に咲いた花々が、蔦に垂れ下がるように咲き、小さな無数のそれらは白く見えた。樹木の陰の細かな雨の中に、妻は器用に身を曲げるようにして花々を選別していたが、いま、世界のすべてが、白く見える。外気を水の匂いが満たし、白の微細なグラデーションは、さまざまな陰影としてわたしの視界にあふれかえった。何してるの?

làm gì ?

君は?

em

わたしが

Làm gì ?

問いかけたのを、やわらかい逆光の中で一度無視して見せて、やがて、再びかけられた

…em làm gì ?

その声に

…em

振り向き見て、

Làm gì ?

彼女の名前はLê Văn Lệ Huệフェ、と言った。

レ・フェ、…Hoa Huệ 百合の花…Lệ Huệ フェ、白百合の麗姿。レ・フェ。レ・ヴァン・レ・フェ。

十歳年下の彼女は、微笑んで振り向き見たまま、なぜ?彼女の声を

tai sao ?

わたしは聞く。雨のなかに傘もささないまま、

Hoa đã chết rồi.

彼女は肺が悪い。にもかかわらず、

Trong mưa rơi

こまかい雨の線に触れられる触感を、いま、

nhưng không ai làm lễ tang.

彼女の身体は全身に感じているには違いない。ときに、

màu sách bao trơi

発作を起こしたように咳き込みながら。

đã chét nhưng

気管支炎か何か。

không ai làm

アレルギーか何か。

lễ tang.

医者が何か言っていた。たぶん、

khi em sẽ chét

何をやっても直らない。体質的な、

…Anh sẽ làm gì ?

とはいえ、ねぇ、...あなた、それによって花は死んで 

Trong mưa rơi

死んでしまうことは、...あなた、ない。ねぇ、あなた、花は死んでしまったのに、誰も埋葬しないのね。彼女は立ち上がって、空は雨の中で、彼女が

Anh à...

背を伸ばして、色彩をなくしてしまったのに、声を小さく立てて笑うのを、誰も埋葬しないのね。わたしは見る。どうするの?

わたしが死んだら、あなたは?わたしは、降りしきるいま、雨の中で?彼女が微笑んでいるのは知っている。綺麗に灼けた褐色の肌を動かして、さしのばされた両方の手のひらがわたしの頬に触れたとき、急に咳き込んでLệ Huệは、わたしが背中を撫ぜてやるままに、体をうずめた。ベトナム中部の町、ダナンという名の、tp. Đà Nẵng かつてフランス人たちはトゥーランと呼んで、その殖民地主義時代のはじめに、彼らが最初に上陸したのはここだった。この都市から殖民地化は始まり、やがては大日本帝国の進駐軍も拠点を作り、その東の島国の皇国が滅びたあとで、すぐ近くにベトミンの陸軍学校もつくられた。かつて、そこの教員たちはみんな残留日本兵たちだった。敗戦した大日本帝国の日本人兵士たちが、もっとも多く残留したのはベトナムだった。原爆投下以降に騒ぎ立った各国の多忙の中で後回しにされたベトナムの、終戦からなし崩しに再構築された白人たちの既存国家による再殖民地化までの一ヶ月の猶予は、ベトナム人にも日本兵たちにも、十分な猶予を与えた。決断のための猶予を。《ベトナム八月革命》はその間隙をついて勃発したのであり、その時すでに日本兵たちは彼らとの共闘を正当化すべき理由をさえ自分たちなりに見出し獲ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本兵たちは白人たちからのアジア殖民地圏解放闘争の、つまりは、第二次大東亜解放戦争の拠点に選んだのだった。彼らが敗戦によって(それは、ベトナム駐屯兵らがベトナムでは直接戦闘しなかった以上、彼らにとって遠く隔たった向こうのほうでの誰かの敗北に過ぎなかったのだが、)失った祖国は、彼らにとって必ずしも理想的な祖国ではなかったには違いない。北一輝から、フランス語で読まれたマルクスにいたるまでの、検閲と発禁に彩られた無数の野放図な言葉の群れに感染していた彼らの多くにとっては。かつてその名においてまとった軍服の、その祖国はいまや米国主権であって、もはや存在しないかつての祖国の土地に帰還するよりは、いま、自分が踏んでいる誰のものでもない土地の上の、新しい拠点で、新しい自分たちの戦争をしたほうがよかった。もはや祖国は夢の中にしか存在せず、ベトナム人たちに夢見られていた彼らの祖国も未だ存在していない。太平洋戦争と呼ばれることになる彼らの第一次戦闘の実態がどうだったのか、侵略戦争であったのか解放戦争であったのかは、この際問題にはならない。彼らはその兵士ではありながら、それは彼らの戦争ではなかったのだから。大本営が崩壊したいま、彼らは、彼ら自身の大東亜解放戦争を始めたのだった。井川省、この、多数の226事件連座者を出した陸士第47期の卒業生の将校は、いまだ大日本帝国の存立中から地元ベトミンと協定関係にあったらしいので、結局のところ、祖国にして皇国たる東の島国は、ベトナムにおける駐屯軍の《首謀者》たちによって、最初から裏切られてさえいたのかも知れない。すでに皇国は彼らを裏切っていた。それは彼らの望む祖国ではなく、その戦争も彼らの望む戦争ではない。故に、すでに彼らも皇国を裏切っていた。井川の義理の父、下元熊弥(陸軍中将)は、敗戦時、日本で割腹自殺を遂げている。井川はそれを知っていたのか、知らなかったのか。詳らかではない。いかなる意味においても井川には、割腹、殉死の必然は無い。祖国と添い遂げるつもりはさらさら無い。井川、やがて現地人に《新しいベトナム人Người Việt mời 》と呼ばれたベトナム名レ・チ・ゴにとって、彼が惹かれていたのは《大東亜戦争》であって、《大日本帝国》による国際覇権の獲得などではなかったはずだとは言える。その、すくなくとも1944年後半以降においては。さまざまな人々が、それぞれの必然において同時に行っていた、複数の戦争。わたしの視界の中で、すべては白い。何をしてたの?ふたたびLệ Huệに問いながら、彼女の背中をただ、撫ぜる。確かに、しおれた花の埋葬をなど誰もしてやらないままに、それらはただ放置されるのだった。わたしの頬に、その頬を擦り付けて、一度その肌の匂いをかいだあとで、彼女は指先で地面に小さくほった墓穴に、選別された、しおれた花々を埋葬した。自分だってそれらを弔う気もないくせに悲しとも楽しとも、

 浮世を知らぬみどりごの、

 いかなればこそ琵琶の手の、

 かつて、観光都市ダナンの夜の空は、地上の派手な照明に見事なまでに鮮やかに染まっていて、雲間の暗さ以外の、覆いかぶさった雲の層のうごくかたをば見凝るらむ。

 何を笑むなる、みどりごは、

それらのすべてが緋色から朱色への薄いグラデーションを刻み、その色彩の波立ちに他人事のように彩らせたまま、空は、ただ、月を浮かべていたものだった。川べりのわたしたちの住居は広く、築は半世紀以上前だというから、いわゆるベトナム戦争[第二次インドシナ戦争]末期の築には違いない。コンクリート造の古い建築で、三世帯の家族が住んでいたが、琵琶弾く人をみまもりて。

 何をか囁くみどりごは、

お決まりのem có「君は寒く、」Lạnh「ないの?」không ?資産分割問題で、彼らは長い長い係争中だった。東京オリンピックの前。つまり、このあたりの土地の価格が一気に急騰したピークの時点だったのだから、Không, emいいえ、」không lạnh 仕方ないのかも「わたしは、」知れない。ほんの…nhưng anh十年前までは、「でも、」町を「あなたはđi vào nhà家の中に」分断する、「ね。中に、」日本人にとっては「入り…điなさい」巨大な泥色の川にさえ、たった一本の華奢な橋しか「冷たいわ。」かけられては「冬のcon mưa lạnh」いなかった。Cảnh カンという名の少年のことは「雨は、」知っていた。Con mưa mua đongむしろ「冷たいから。」利発で、反抗的というわけでもないくせに、琵琶の音色を聞き澄みて。

 浮世を知らぬものさえも、

学校にさえ行かずに、終日彼はふらふら遊んでいるだけだった。だれからも注意を受けないままに。まだ、十二、三歳くらいだった。おそらくは。わたしはベトナム語に不自由だし、彼は、英語すらまだ、まともに話せない。そして浮世の外の声を聞く。

 ここに音づれ来し声を、

繊細に、どこまでも繊細に、言葉を介さないがゆえに心のうちを察し続けるしかない優しく希薄な交流は、けれど、具体的な会話をは与えない。とはいえ、かならずしも孤独の縁に落とすこともない。わたしたちはつねに触れあっていた。Cảnh が自分の家に火をつけたとき、その前後の時間、わたしは近所で、友人のÁnh たちと、名前は忘れた。彼の友人の誕生日のパーティをしていた。必ずしも人付き合いがいいわけではない妻は、家でわたしの帰りを待っているはずだった。いづこよりとは問ひもせで。

 破れし窓に月満ちて、

Ánh Ngọc 、苗字は忘れた。妻の親族には違いないのだから、Lệ  だか、Văn だか、それからお決まりの、Nguyên だか何だかの古い帝国の王様の苗字かがつくのかもしれない。相変わらず空は赤い。残り火のような、ほのかな、赤のグラデーションに、そして庭に出された赤いプラスティックのテーブルに缶ビールを山ほど並べてみせ、声を立てて笑い、向こうに回らない観覧車のライトアップされたきらめきが見えたが、埋火かすかになりゆけり、

 こよひ一夜はみどりごに、

飲め、兄貴、飲めよ、Ánh Ngọc が弟と呼ぶTiến は(本当に血がつながっているのかどうかは知らない。)派手な笑い声を立てながら言った。叔母は、開けっ放しの家の奥の、カラオケシステムを持ち出してきて、その娘の幼いYên がまじめくさって何分も選曲に費やした挙句に、やっと音楽を鳴らしはじめた  。長い長い伝統的なふしの、本来ゆったりとした曲調であるはずのそれが、アタックのきついハウス調のビートにアレンジされて、

琵琶のまことを語りあかさむ。1)

打ち込みのバスドラムが始終耳を打ち、いつ、日本に帰るんだ?もうテトだろう?Ánh Ngọc がベトナム語をわからせようとして、必死に耳元に繰り返し言うのを、わたしは、豚が

when pigs

空を飛んだら

will fly,

笑って、

Khi con Heo bay trên bầu trời.

あるいは、

Or

サイゴンに

khi tuyết rơi ở Sài Gòn.

雪が

When

降ったら

snow will fall in Saigon.

答え、外国人のへたくそな発音を聞き取ろうとするときのÁnh Ngọc は、一瞬、必ず痴呆じみた目つきでわたしの唇だけを凝視し、口を半開きにしながら聞く。前歯が一本だけ欠けている。不意に笑い声はどこかでたって、それを誘発したのがわたしたちだったかどうかさえわからない。わたしたちは会話が成立したとはいえないままに、乾杯の渦の中に巻き込まれてしまう。やがて交通事故で半身不随になるTiến の息子も、まだ元気だった。明日も雨だよ、とTiến が言っているのは知っていたが、不意に土砂降りの雨が降って地面を叩き付けると、人々は身を丸めてひさしの中に寄り添ってみた。戯れにこれみよがしな喚声を立てて。路面に無数の水滴は撥ねて散る。夜の照明は砕き散らされながら反射し、無数の小さな波紋が路面に誰も聞き取らない無数のカノンを作る。ふと見れば、幼い少年のCảnh はうなだれるようにして向こうの歩道を歩き、濡れながら、いま、雨の中には通り過ぎるバイクすらいない。誰かの妻が立ち上がって、こっちに来い!そう苛立ったように叫んだのは、わたしにもわかった。地味な顔の下の体だけが、肥満すれすれに豊満な女だったが、まだ若い。二十代半ば、なのだろうか。動くたびに、雨の湿気を含んだ香水の匂いがまきたち、さらに重なる誰かの何度目かの声にCảnh は振り向くと、手を振って、何の屈託もなく笑う。雨に濡れることそれ自体が、いまは当然のことであるかのように。金色の液体が入ったペットボトルを二本左手にぶら下げて。すぐにやんだ雨が、未だに乾きさえしない夜の、十時を回ったあたりに、わたしの住んでいる家の空き地を二つ隔てた隣のCảnh の家は燃えた。

 

 

 

 

 

 


花々を埋葬する 2

雨に濡れるままの妻に傘さえさしてやらずに、わたしは彼女の傍らで、ときに声を立てて笑いながらその花々の選別を手伝うが、それは彼女の毎朝の日課だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しおれた花の塊りが彼女の左手の手のひらの上に纏まっていく。最早白いとはいえない薄穢れた色彩、いつだったか、夜の浅い暗がりで、部屋に舞い込んできた蝶を捕まえたことがあった。いそいで手のひらに包んで、Lệ Huệ を呼ぶ。シャワールームから出てきた彼女は、一度くしゃみをして、暗がりの中にわたしを見上げ、明かり、つけて。

Turn on

背後に回った彼女がつけた明かりが、

the light.

部屋の中を照らしだすが、パステルカラーのペンキが剥げかけた室内が、

anh à...

ただ、

anh à...

みすぼらしく、蝶って、

...sao anh

ベトナム語で、何?彼女の鼻先で

không nói tiếng Việt ?

手のひらを開くと、か弱く、空間に飛び立つでもなく指の腹に止まったまま、蝶の触手は動かされた。かすかにきらめく濃い紫地に、ラメがかった黒の縁取りの、朱と黄色の羽根。そのころLệ Huệ はわたしによく言った、ベトナムに来て3年もたつのに、何故、

tai sao

未だにベトナム語が話せないの?

...em không nhìn vậy ?

問い詰めるように、ふっと息を吹きかけても、飛び立とうともしないこの蝶に、勉強しないからよ、何故、勉強しないの?彼女は微笑んでわたしを見つめるばかりで、興味ないからだよ。なぜ、見ないの?好きじゃない。ねぇ、なんで?ベトナムが?そうじゃない。ねぇ、なぜ、好きだよ。見ないの?じゃ、何で、興味ないの?話すことに?なんで?...ねぇ、彼女にわたしは、なぜ?言った。なんで、見ないの?蝶を。と、おれを見つめてばかりで。

蝶、嫌い?

 

好き。

 

好き?じゃあ、なんで?

 

どうして?

 

なぜ、見ないの?

 

さっきから、目を逸らしてばかりで。

 

…言葉。

 

かならずしも満足に言葉をかわせるわけではなくても、わたしとLệ Huệは愛し合っていた。猫と猫が猫の流儀で、その可能な限りに愛し合うように、犬と犬が、時には、犬と猫でさえ、ならば、かならずしも、言葉は必要ではなかった。愛し合うため、あるいは、話し合うためには、言葉は。むしろ、それが、武器として、戦うための武器として生まれたのだとしたら?むしろ、言葉こそが人間らしい戦闘を可能にしたのだとしたら?人々に、人間らしく戦い、人間らしく殺し、人間らしく破壊することを可能にする為だけに獲得されたのだとしたら?人間種の固有性、そしてその、暴力としての、暴力的なまでの美しさを研ぎ澄ませられるだけ研ぎ澄まさせたのだとしたら?対話が尽きたことなどない。言葉を用いようが用いまいが、あらゆる意味での対話は。対話は何も解決しない。対話の終わりとは常に、暴力的中断による破壊にすぎない。暴力は、そしてそれ以外の暴力によってしか解消されない。脇から介入された不意の第三者による殴打か、それ以上の殺戮か、暴力的破綻によるそれ以上の殺戮の不可能か、あるいは、単に飽きてしまうか。そして、大規模な暴力行為にはかならず言葉による直接的な共謀が必要になる。昔、見たことがあった。歌舞伎町で、ヒンという名の下っ端のやくざは(彼のその愛称以外の名前は知らない)、下っ端の組長に向かって、いきなり発砲したのだった。ながい、不毛な対話のその果ての結果に(もっともその不毛さは、結果的にそう言わざるを獲ないだけで、その過程においては、それらはむしろ色とりどりの鮮やかささえ持っていた。嫌悪、笑い、軽蔑、嘲笑、不意の敬意の表明に、暗示的な沈黙)。視界の中に、雨はいよいよ、ただ白く、最早雪が降っているようにさえ見える。なぜ、こんなにも?とわたしは、白いのか?

白み、しろずんで、不意に途切れた会話の隙間に落ちたように、唐突に抜き出された銃がその弾丸を発砲し、至近距離の中に、どうしようもなく、白い空間の中に、街路のの樹木がしずかな列を作って、雨の白さの中に打たれていた。誰も殺せなかった銃弾は、翻ってヒンを殺してしまった。壁に食い込んだだけの、無能なヒンの銃弾は。彼らはヒンを殺した。

 

レ・チ・ゴたち、残留日本兵の存在を知ったのは、単純に、《ベトナム戦争》と日本人が呼ぶところの、その戦争を調べていたウィキペディアからだった。その、既存データのコピーとペーストから本質的に成立していて、たまにノイズとして出現する独自調査は、誰かによって批判されては削除されるウェブサイト。既存の誰かのコピーに過ぎないものの、壮大な残骸の群れ。自分が《コピー》であることによってのみ承認され、誰かがいつか書いたにすぎないオリジナルの歴史性を隠蔽した限りにおいて正当とされ、文献を再構築した自らの歴史性そのものの上品な隠蔽によって成立する公正なる言説。知性の公正性ということの、壮大で露悪的なカリカチュア。いずれにしても1940年代、国家として、既存国家の群れによって承認された、既存国家の群れによって、承認されるかされないかはともかくも、やがてベトナムという国名で呼ばれることになるその地表には多くの残留日本人たちがいた。そこはかつてのNguyênグイン朝という帝国が統治していたという記憶を口伝ないし書き言葉の中に残した地表の集合であって、かつ、フランス人たちの統治した仏領インドシナの一部であり、かつ、日本人たちが、フランス人からその統治権を簒奪した地表でもあり、(結局のところ、)簒奪された(誰に?-フランス人に?日本人に?いずれにせよ、すでに重層化されていた簒奪として)ベトナム人と呼ばれる、キン族を主体とする集合にとっては、失われた彼ら自身の地表だった。第二次大戦中、そこにおいて、日本兵たちは《現地人》、つまりフランスの軍人たちと民間人たち、ベトナム人のゲリラ兵たちと民間人たちと、小競り合い程度の戦闘を時に重ねただけで、黄色い、白くも無ければ褐色ですらない誰かも承認されていない現=宗主国の軍人たちにとって、大日本帝国の敗戦は、戦わずした無血敗戦に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らの残留にはいくつもの理由が存在する。一つには、帰国すべき祖国は戦勝国によって裁かれる対象であって、帰国は、彼らにとって留保なく処刑をしか意味しない。戦場が生と死をかけた巨大な賭博場だとするなら、祖国は不名誉な死だけが約束された徒刑場に過ぎない。賭博すらもが不可能だ。しかし、彼らは怖気づいていたのではない。残留されるべき場所ベトナムも、あくまでも、彼らに命がけの賭博を強制する場所にすぎない。彼らは敗北した旧=征服者なのだから、旧=被=征服者はその正当な憎しみにおいて彼らを扼殺する決断を下すかも知れない。あるいは彼らを抱擁するかも知れない。そんなことは誰にも分からない。9999人のベトナム人が彼を抱擁しても、たった一人のベトナム人が扼殺を決断してしまえば、結局、彼は死ぬのだ。とはいえ、決定された100%の徒刑場ではない。処刑という名の祖国への殉死を遂げるか、負ければ終わりの賭博に賭けるつづけるか。1945年8月に、そこに生きているということは、常なる決断の強制を意味した。彼らは毎日決断しなければならない。やがて彼らを殺すかも知れない人々が自分に銃口を向ける前に、彼らと運命を共にする友人になってしまうか、あるいは射殺してしまうか?振り向いて彼に微笑むかも知れないが、彼を殺すかもしれないその女を、振り向く前に殺してしまうか、許しを乞うか、逃げ出すか、それとも笑ってごまかすか。常なる賭博。彼らが朝、目覚め、現地人と顔をあわせてコンニチワ、と、あるいはシンチャオと、挨拶するとき、その現地人が彼らを射殺するか、誰かと共謀して集団リンチを食らわせるか、ただ微笑みかけるか、つまらない冗談を言って見せるのか、それともベトナム酒でも奢ってくれるのか。それは命がけの賭博であって、そこに何の保障された日常も無い。例え、彼らが現地の女性に愛され、彼女を抱きしめるときでさえも。彼らは決断し、賭博しなければならない。残留日本兵とは、彼らを殺したかも知れなかった人々との、あるいは、やがて殺すかもしれない人々との不穏な共生を選択した人々、を意味する。ベトミンへの協力・合流という彼個人の決断を伝えたときに、レ・チ・ゴの部下の大半は彼に言った。わたしたちも連れて行って欲しいと。レ・チ・ゴは答えて言う。自分で決断を下せ、と。上官から下された命令としてついて来てはならない。軍隊は基本的に命令の上に発砲する集団であって、兵士個人による自己決断は、本質的に存在しない。個人意志による発砲とは、クーデターあるいはテロ、あるいは単なる犯罪にすぎない。レ・チ・ゴは求める。大日本帝国の軍人ではなく、彼らは、彼ら自身の決断において、その発砲の先を決めなければならない。いずれにしても、彼らの総体は、可能性としていつ発砲するかもしれない銃口の群れに囲まれていた。とはいえ、すべてのベトナム人が敵対的だったわけではない。大日本帝国占領当時、ベトナム人たちが日本軍の登場をある解放軍の登場として捉えていた事実は、随所に痕跡を残す。もっとも、それによって日本帝国の植民地主義を否定することはできない。彼ら日本人の実態がどうだったか以前に、ベトミンであれ何であれ《祖国解放ゲリラ》の多くの首謀者たちは《ドン・ズー運動》で知られるファン・ボイ・チャウの、直接的な、或いは間接的な弟子たちなのであって、彼ら自身の勝手なイメージとして《日本》という国に、最初から解放のイメージがあったことも事実だった。彼らは直接的に日本軍の事績を讃えていたのではない。間接的にファン・ボイ・チャウという彼ら自身の英雄を讃えただけだ。まだ大日本帝国の被占領下の段階で、ベトミンのGuyên Vặn Ngọcグイン・ヴァン・ゴックはレ・チ・ゴに来るべき独立ゲリラ戦への協力を要請している。誰との戦争か?現在の、あるいは来るべきフランス軍との闘争への協力要請であって、まさか日本軍との闘争へのそれではない。太平洋戦争が終わった瞬間に発生した《ベトナム八月革命》のさなかに、多くの日本兵たちは《新しいベトナム人》になる。レ・チ・ゴはNgọcたちのために火薬を無人化し、フランス軍から押収した大量の兵器をすべて彼らに譲渡する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レ・チ・ゴたちを《残留日本兵》と呼ぶのは間違いだ。残留していた日本人がベトミン等《ベトナム祖国解放軍》に協力した、のではない。彼はすでに祖国を裏切っていた。彼はすでに国籍さえ失っていた。ある、すべてを捨て去った個人による決断に過ぎない。これは21世紀に入ってからの発言にすぎないが、生き残った《新しいベトナム人》たち自身の口によれば、彼らのそうした決意のもっとも大きい理由は、恋愛関係等ベトナム人たちとの交流の産物および、なにより《ベトナム人》たちの祖国独立にかける情熱に共感したからだ、という。事実、そうだっただろう。軍人は、常に何かを守るために生きる。フランス人が、叛旗をひるがえすベトナム人に対して軍人になったのは、ベトナム人たちから彼らの固有の殖民地領土を守るためであり、正当な植民地支配権を守護するためであって、彼らは、はたして一度でもそれを侵略だと思ったことなどあったのだろうか?なぜ、彼らはベトナムに来たのだろう?侵略された無数の人々は確かに存在したが、侵略した人間など、はたして存在したのだろうか?彼らの闘争が、例えばイギリスの覇権主義に対抗するための、生き残るための必死の防衛に他ならなかったならば?いずれにしても、大日本帝国の敗戦-被占領国化による解体は、むしろ、留保なき《大東亜解放戦線》を形成し、その戦線の傭兵かつ軍事的頭脳に、《新しいベトナム人》たちは、なったのだった。レ・チ・ゴが生きていたのは、そんな場所だった。そして彼がまだ陸軍学校の所属だったとき、彼はフランスにも留学したし、当時の文学、美術、音楽をそこで愛し、そしてより直接的には、軍隊において北一輝という流行の《危険思想家》に影響されていた。北と既存の国体論者の違いは唯一つ、いわゆる国体論者の群れが、既存の政体を正当化するために論を形成したのに反して、それらの論理矛盾を片っ端から批判し、と同時に、すでに皇国はすぐれて真性なる社会主義国家であると明言したことだ。社会主義革命?いや、革命はすでに果たされていたのだ。そもそも国体とは何か?北にとって、国体とは社会主義国家のことをのみ意味する。そして国体=社会主義国家の登場が歴史的必然に他ならない限りにおいて、国体=社会主義国家は何ものによっても正当化されない。正当化するためには、それが非歴史的なものとせざるを獲ないからだ。彼が歴史的存在に他ならない限りにおいて、万世一系の君主によってさえ、それは正当化できない。国体とはなにか?それはいま実現されている現状に過ぎない。では、なぜ、悲惨なのか?腐敗しているからだ。どうすればいいのか?直接武力によって改造すればよい。未来は?未来が歴史的に決めるだろう。知ったことか。古都フェで、レ・チ・ゴたちとベトミンたちの秘密会合の場所として、彼らに住居を貸し与えていたベトナム人姉妹は回想する。レ・チ・ゴが庭の木がつけた花をぼんやりと、飽きもせずに見ているので、花が好きなのかと聞くと、植物はどこからどこまでが個体なんだと思う?と言った。ミツバチによって受精し産卵する以上、ミツバチはその固有の生命機構の一部に取り込まれている。光も、土も、水も。それらなしではこの個体は生存できないばかりか、最初から既に自己の生命機構の中にそれらを取り込んでさえいるので、ならば、それらの総体が一つの生命機構なのだというしかない。もちろん、ミツバチにとってはそんな気もないし、そんなことに協力しているわけではないが。どう思う?この樹木は彼が手に触れたあらゆるものを簒奪さえし、取り込み、その確率論というノイズ(あのミツバチが受精させてくれるかどうか?のみならず、そもそもミツバチがその周囲を飛ぶかどうか?)および、戦闘というノイズ(かの花と、わたしの花のどちらをあのミツバチが選択するか)そのものさえ取り込んだ、この総体に対して、わたしたちは、それは彼固有の生命体であると言わざるを獲ない。それぞれの意志というノイズを組み込み、簒奪し、かつそれらがノイズに過ぎないことを無視した巨大な生命機構。フェンと言う名の姉は、レ・チ・ゴをハンサムで、非常に知的な、けれど、若干禁欲的過ぎる人物だったと、笑って回想した、と、花村省三『ベトナム戦争における残留日本兵の事跡-日本人教官によるクアンガイ陸軍学校を中心に』には、ある。


花々を埋葬する 3

Cảnhの姿を見た最後は、テレビの画像だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の放火事件からは既に5年以上、6年以上?たっていた。テレビの画像で見る彼は、明らかに、若い、たくましい、見事に美しい青年になっていた。綺麗に髪の毛は刈られ、醜いひげなど一度たりとも存在したことさえないとばかりに手入れされた顔立ちの、無慈悲なまでに留保なき美青年。その顔は、一瞬、《ぼかし》が連行される彼の顔から外れてしまったその瞬間に、わたしの視界に飛び込んできただけだったが、まだ、色彩を完全に捉えることができたわたしの視線が、それを見間違うはずもなかった。Cảnhは、さまざまな山間部の小さな商業圏を荒らしまわった、時に暴力あるいは殺人さえいとわなかった忌むべき窃盗団の一員として、逮捕・拘束されていたのだった。あわててLệ Huệを呼び、Cảnhの顛末を伝えると、彼女は彼のことなど記憶していなかったようだった。つまり、どもり、語彙を間違い、言いなおし、文法を、時制をしくじりながら、そして何度も発音を修正して説明するわたしの英語を、彼女は顔をしかめ、それは、本当に、聞き取りにくいわたしの音声だけのせいだったのか?何度もCảnhのことを話すと、やっと、彼女は言った、ああ、鶏泥棒の、と、彼女は思い出し、声を立てて笑い、隣の家の鶏を、何羽盗んだことか。勝手に殺して、毛をむしって食べちゃうんだもの。いつだったか、自分じゃ食べきれなかったからって、蒸した鶏を一羽まるごと持ってきたわよ。

立派な青年になっていた、と、不意に、わたしは言おうとして、それは確かに不謹慎な感想には違いないので(ひと)語散(ごち)、かわりに妻の頭をなぜた。結婚して最初の数年は、結局のところ細かな、些細な、けれども、わたしたち自身にとっては、どうにもこうにも解消できない諍いが絶えなかったが、最初の子どもが死児として生まれてから、わたしたちは急速に誰もが認める仲のよい夫婦になった。わたしは、彼女の無意味に広い家の一角で、寿司とうどんの日本料理屋をやったり、無許可の日本語の塾をやったりしていた。中国と言う巨大帝国が存在して、日本と言う国がその対抗概念でありうる限り、この国での日本語需要が収まることは無い。どうしてなの?彼女は言った。わたしたちは貧しく風変わりな夫婦だった。ひょっとしたら一般的なベトナム人夫婦よりもどうして?貧しいかもしれないわたしたちは。...どうして、こんなにかわいいの? 相変わらず、彼らの土地の所有権問題は解消しない。そうだね、わたしは言った、彼女に、裁判、役所への出頭、そうこうしている間に、土地の人間による所有権がもはや無効になってさえいても、売り時を逃してしまったことをののしりながら、彼らは係争を続けていた。かわいいと、こんなにも。そう彼女は言って。初めて見たとき、わたしは思わず目を背けてしまったというのに。わたしたちが死ぬのが早いか、土地問題の解決が早いか、それとも、人類が死滅するのが早いか?死児の体を腕に抱いて、かわいすぎるわ、彼女が言って、思いあぐねたような、そして、ややあって、わたしを不意に見上げた彼女の両目から、涙が一気にあふれだすのをわたしは見つめる。パステルカラーの緑色の壁の病院の中で。不思議なものを見た気がする、と、そんな気がしたのをはっきりと意識する直前に、わたしはただ、内側に引き裂かれるような渇ききった悲しみに飲み込まれる。ただ、悲しくて仕方ないのは、何故なのだろう?生きたまま内臓を灼くような。まだ病みあがらない、ふらふら立ちの彼女を、その腕が抱いた奇形の頭の無い死児ごと抱きしめながら、わたしは、悲しい。ただ、悲しい。いま、肉体さえもが。肉体は悲しい、すべての書物は読みつくされた、というマラルメのフレーズを、レ・チ・ゴも留学先で読んだだろうか?密会したレ・チ・ゴを前にして、Guyên Vặn Ngọcは語ったには違いなかった、祖国独立への彼の思いのたけを。二人の共通言語はフランス語だった。思えば、さまざまなところから、さまざまな人々がこの肥沃な、貧しい地表の上に降り立ったのだった。フランス人、日本人、アメリカ人、この地表はかつて中国人と呼ばれた近くの巨大な帝国との抗争の歴史に他ならなかったし、やがて第二次インドシナ戦争のときは、韓国人の軍隊さえやってきて、彼らは彼らの何かを守るためにこの地表の上を荒らしまくった。彼らはその故国での余生を、異国の地で枯葉剤に苦しみながら戦った義士として生きた。Lai đản Hánライ・ダン・ハン と呼ばれた、暴力によって生まれた混血児たちの生誕。ある意味において、ここは、世界の中心ですらあるのではないか?世界史の中心ですら?世界中からやってきた無数の肌色の人々は彼らの歴史の重要な部分を、この地表の上に体験したのだった。レチゴはあの日、Guyên Vặn Ngọcに共感したから、いまだにかろうじて存続していた彼の皇国を裏切ったのだろうか?既に、皇国に彼自身が裏切られていたから、彼は裏切ったのだろうか?もともと、皇国に対する愛も希望も何も持ち合わせてなどいなかったのか?彼は、死後、靖国に英霊として祭られている。皇国の裏切り者たる皇国の英霊。それとも、旧=皇国はその戦争の内面的な正当化のために、裏切り者をさえ英霊にしなければならなかったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Cảnhの姉のPhậmファムは、確かに美しい少女だった。彼女はいつも学校から帰ったら一番下の弟のGiápヤップを連れて、Lệ Huệの家の前の、誰かの広大な廟の庭で遊んやっていたものだった。まるで、広場か公園のような庭。Giápが、Phậmの父親とは違う男が彼女の母に産ませた子どもであることくらいは、誰もが知っていた。生まさせられた、のか、生んだ、のか。いずれにしても彼女が当然のように選んだのは生むことだった。Lệ Huệは言ったものだった、遊ぶ彼女たちを見ながら、Ma、マー、とわたしを呼び、ねぇ、Ma、魔物或いは神、要するに、日本語で言う神=モノ(ときに、日本人たちはベトナムの神道、と呼びもする概念)を、その音声の類似だけから借用して、戯れにわたしをそう呼びながら、マー、Ma、あなたはいつパパになるの?

明日。明日だよ。

 

あなたの明日はいつ?

 

あなたの明日はいつ来るの?

 

明日来るよ、たぶんね、すねたようにいつもわたしを小突いて、ふてくされて見せて、彼女は既に知っていた。豚が空を飛んだら。わたしには、もはや勇気がなかった。サイゴンに雪が降ったら。確率論で言えば、次の子は《まとも》か最低でも《マシ》かもしれない。わたしには勇気がなかった。その、意志の問題以前に、内面的な理由から?わたしのそれは既に機能を失っていた。不安になって、シャワーを浴びながら手淫すれば、それは勃起し、射精したが、彼女の身体の中で、それは、ときに彼女の中に入る以前にさえ力を失い、もちろん、体内に射精することもなかった。いつ、

Khi nào ?

パパになるの? 

con trai có

こっけいなのは、

con trai ?

わたしが手淫を繰り返し続けたことだった。トイレと一体になった、ひろいタイル張りのシャワールームの中で。一人で。かならずしも性欲に駆られたわけではなくて、不安に駆られて?或いは、時に、たしかに、かすかに、はっきりとした性欲に駆られて。Âuアウと言う名の、Phậmの母親はいつも、週末にはいなくなる。橋を渡った先のHoàng Thị Phúホアン・ティ・フーの家に行くためだ。そこには、3人目の子どもの家族たちがいる。Âuの主人は、Huỳnh Thị Anhフイン・ティ・アンといって、Âuと結婚した後で、彼女と一緒にクアンガイからダナンに来た。わたしたちの家の横の、住み手をなくして空き家になっていた借家でカフェを営んで、ほそぼそと暮らしていた。誰もが知っている。彼らの奇妙な家庭環境をは。Anhの妻たるÂuPhúの内縁の妻で、籍は入っていない。Phúは交通事故で妻を亡くし、三人子どもがいたが、一人は母と同じ交通事故で、8歳で死んだ。大型トラックと衝突したのだった。その衝突音、そして喚声と叫喚、バイクを運転していたのは母親自身だった。真ん中の子は奇跡的に助かった。左手に不自由が残った。家族たちは涙に暮れたが、ただでさえ派手なベトナム人たちの葬式を、アメリカから帰ってきた叔父のNghĩaニアの、死者に対するアメリカ風の暗い葬送流儀は、葬儀をさらに、派手で、涙ぐましいものにした。不可解な怒りとともに花々を涙ながらに投げつけたような葬儀。レ・チ・ゴは日本に妻子もいたが、結局、彼らを省みることはなかった。彼は、彼の家族たちをさえ捨てたのだった。それには、大きな英雄的な決断と、卑怯者の無責任ささえ必要になる。なにかを決断することは、常に、その反面の巨大な責任放棄を意味とする。彼の義理の父は、敗戦の九月に、妻子らすべてを残して独り自決した。責任を取り、責任を放棄する。彼以外のものにとっては為すすべもない、彼以外のものにとっての一方的な断絶。雨上がりの空に一瞬だけ派手に燃え上がった火の手は、すぐに消し止められた。Cảnhたちの、コンクリート造の家屋の中に蓄えられた燃え獲る家財道具など、たかが知れていたからだ。彼らは、飢えはしなかったが、貧しかった。近くのガソリンスタンドで雨の中購入した、二本のペットボトルいっぱいのガソリンをぶちまけて、Cảnhが焼き獲たのは、彼ら自身のわずかな生活手段だったにすぎない。コンクリートはその程度の火力ではびくともしない。当たり前だが、カフェは現金やり取りだったから、衣類や家電製品や仏壇と共にそれら紙幣の大半は燃え、銀行にはほんのわずかな貯蓄しか残ってはいなかった。あまりにもしょぼい火の手と、命の危険を察知させずにおかないすさまじい臭気の、すさまじい黒煙を前に、大家のLê Vặn Khanhレ・ヴァン・カンが、Anhをののしった早口な怒声の群れが忘れられない。Lệ Huệ は見開かれた凝視する眼差しのうちに、黒目はかすかに震えるだけで何も捉えてはらず、その下で口を押さえていた両手はあふれそうになる声を制止するためだったのか、ただ、黒煙から肺を保護するためだったのか?彼女の病んだ肺腑を。彼女の傍らでCảnhは、無邪気に泣きじゃくっているだけだった。彼が火をつけたのは誰もが知っていた。みんながテレビを見ているときに入ってきた彼が、部屋中にガソリンをぶちまけて、不意に奪い取った、茫然としているだけの父親が咥えていた煙草を放り投げたのだから。今、目の前で世界が終わったときのように、Cảnhは、どうしようもない恐怖に駆られたように泣きじゃくっていた。逮捕拘束された今もまた、彼は泣くのだろうか?長いながい、世界の終焉の時の中に。白澄んだこの世界の中で。終末への、長い、ながい、猶予期間。人々は、時に喚声を上げながら、わたしをも含めて、何をするでもなく一時、彼らの燃えている家を取り囲んだが、それは喚声交じりの見物でしかない。ある若い小太りの女性がバケツで水をまこうとしたのをきっかけにして、思い出したように消火活動をしようとはするのものの、どうやって消すべきかもわからないわたしたちは、ただ、うろつくだけだった。消防はまだ来ない。Phậmは沈黙したまま一人で立って煙の行方を見やり、確かに、彼女の視線のうちに、町の照明に赤く染め上げられた夜の雲に、溶け合うことなくやがては煙りは消滅していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日だったから、Âuはいなかった。Lệ Huệの姪に当たるYênイエンという名の少女が、何かわたしに耳打ちした。それは早口のベトナム語で、わたしには聞き取れなかった。彼女はまだ八歳か、いくつか。あしたの、Lệ huệの母の命日のパーティーの料理の準備の手伝いに来ていただけだった。わたしは中腰になって、可愛らしい、まだあまりにも幼いYênの、幼く甘やいだ、香気なのか臭気なのか判断のつかない動物的な体臭と、煙だった破壊的で暴力的な臭気とを、同時にかいだ。わたしが外国人だったからなのか、だれも消火をなど、わたしには求めなかった。どうするという消火プランもない彼らに、必要なのは単に共通言語だった。彼らの消火活動とはただ、わさわさと立ち尽くして、がやがやと議論を交わすこと以外ではなかった。テレビをつければ、何ヶ月か前に、遠い中東で、イスラム国と呼ばれた国家集団が崩壊したというニュースが流れていて、何週間か前に遠くはない近くの、近くはない遠くの朝鮮半島の北部の国家集団が大陸弾道型の核爆弾の開発に成功したと、遠くはない近くの、近くはない遠くの日付のニュースを伝え、今、目の前の視界は煙っているばかりだった。まだ、人間たちの世界は未来を大量に持っていた。抱きしめあうにしても、殺戮しあうにしても。雨が降ればいいのに、Lệ huệが言い、もう雨は上がってしまったけど。彼女の独り語散るような声を聞きながら、もう一度、と、その日の夜も、すべてが終わった後で、わたしたちは試したのだった。火事騒ぎが終わったあとで、いつ、パパになるの?Anhの子どもたちはÂuが、Phúの家にとりあえず引き取って行った。AnhKhanhが連れて行った。損害補償をも含めて、これからの打ち合わせに、彼らは忙しい。わたしたちは、いつものように試してみる。Lệ huệは、彼女が裸にしたわたしの体の上で、わたしの胸に口付けて見せながら自分で服を脱いでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は、わたしの服を脱がせるのに忙しく、自分が裸になるのを忘れていた。十歳年下の彼女はまだ若かった。三十歳になるかならないかの彼女の身体は、痩せていて、おうとつのない曲線の、子どもじみた身体をくねらせて、彼女はわたしの体に触れた。高い小さな通風孔から、赤らんだ雲の光が、ときに、彼女の体の向こうに見える。半ば勃起したそれに強度を与えるために、それに唇を触れてみさえするが、わたしたちの両方は、わたしたちの息遣いの音声を聞いている。彼女の父も、弟も、Yênも、諍い中の親族たちも、眠っているのか、何をしているのか、照明は消され、音声は何も聞こえない。勃起しきらないままのそれを差し込もうとはするものの、軽く閉じられたそこに滑り込んでいくことのできないやわらかいそれは、かたちをまげて彼女のそこの周辺の皮膚をなすりつけるように愛撫する。初めて、子どものかたちを見たとき、わたしは一瞬目を逸らし、再び視線に入れるためには全力での決意が必要だった。なぜ、そんな風な形態が生まれたのだろう?彼女が家事をするのをやめなかったからだろうか?彼女が声を立てて笑ったからだろうか?彼女が菜食日に作る野菜炒めがいつも辛ら過ぎるからだろうか?彼女が魚が好きだからだろうか?


花々を埋葬する 4

驚いたのは、ヒンがそれなりの資産家の一人息子だったことだった。十代のうちに親子関係など崩壊するだけ崩壊していたわたしは、《近代兵器とホロコースと原爆と無差別大量破壊と世界大戦》の二十世紀の後半の、90年代の歌舞伎町でホストをやっていた。あまりにも日本的な職種。女たちはだまされたと自分にさえ嘘をついて、男たちを買っていく。倒錯した売春の一変形であるのは違いない。それでもLệ Huệはあくまで、諦めきれないままに、もう一度唇をつけるに違いない。萎えきったわたしのそれに。ヒンが時に知的障害を抱えているかのように見えたのは、当時合法ドラッグと呼ばれていた新手の未登録麻薬の障害だったのだろうか、単なる精神障害だったのだろうか?見事なまでに知性を感じさせない、けれどもその外観だけは美しい男だった。Lệ Huệはもはや決して勃起しようとはしないそれに、頬ずりさえしてみせ、もっと早くからわたしたちは気付くべきだったかもしれない。ヒンの育ちのよさを。彼は上品な貴族的なたたずまいさえ湛えた、女たちが見た夢のように美しい男だったのだから。とはいえ、その出自は単に彼の父親がお金持ちの社長だという以外の何ものをも保障しなかった。声をたてて、Lệ Huệが笑うのを、わたしは体の下のほうに聞いた。彼女の頭を手のひらに撫ぜてやりながら、病院の安置所の目の前に、ヒンの両親はただ、言葉をも見つけられないまま、うなだれているだけだった。父親のほうだけは、かすかに、すこしヒンに似ているように思った。ずっと、何も言葉は無かった。こっけいなものをもてあそぶように、やがてはいたずらをするように、Lệ Huệの愛撫は、ついに、惰性の手のひら遊びのように、至近距離の額の真ん中を打ち抜き、貫通した弾丸は、彼の死体の顔にびっくりした表情を残したまま、ヒンは固まっていた。最後までおちゃらけた死に方だな、と、彼の死体に最初に会ったとき、かたわらで有紀という、女のような名前の、沖縄生まれのやくざがわたしの耳もとに言った。出来損ないの木彫り彫刻のような、図太いだけがとりえの大きな体躯をわたしにくっつけるように接近させたまま。彼の口臭さえ感じ、今、ヒンの両親は沈黙のままに、息子の亡骸を見つめるが、わたしだって知っている、ヒンは中学の頃から手が付けられなかった。高校にさえ行かなかったが、彼の人生の中で、一度も《ボス》になど為ったことはない。中学のとき、彼が《おれの舎弟》と呼んだのは小学生たちだった。小さな、こっけいな私設暴力団。学校の中、あるいはその周辺では、学年下の集団にさえリンチされ、16歳の頃には前歯はなかった。それさえも、彼の美しさの個性になったが、彼の美しさは誰をも魅了することはなかった。それは単なる奇矯なまがい物だった。誰が彼を愛してやったことがあるだろう?夢見られたような美しささえ、奇矯な滑稽さにしてしまう彼のどうしようもない出来損ないの個性を?どちらかと言うと鈍重なだけの両親の顔を見比べると、その部分部分が微妙に重なり合った、奇跡的な均衡の結果に、彼の顔の美しさが成立したことがよくわかる。魔法にかかったように、両親のどちらとも本質的には似ていなかったが、確かに、あからさまに彼らを交配させた形姿に他ならない。彼らの何が気に入らなかったのか?それとも、彼が生息した世界の何が気に食わなかったのか、何もできはしないくせに、何かを破壊し、侮辱するためだけに彼は生きた。或いは、そう言えた。彼が見た風景を、わたしはかつて見たことはなく、彼が見た風景を、彼は記憶として忘却し、でたらめに消費しながら生きた。わたしと同じように。有紀と同じように。わたしたちと同じように。貧乏でヒモにさえなれない美しい馬鹿のヒン。不意に声を立てて笑う。口をいっぱいに広げて、最早、小さく萎えきってしまったそれを、Lệ Huệが全部くわえ込んだときに、ヒンの額を銃弾が打ち抜き、向こうに血が飛んだ。喚声が立つこともない。風林開館の喫茶店の中は、静止した時間が一瞬流れた。まばらな客も、店員も、まさかここで本当に人が死ぬとは思わなかった。夢のように、久原寿夫が言葉を切る前に発砲された銃弾は、彼の頭上のはるか上を打ちぬいただけで、しかし、至近距離のそれは威嚇射撃ではなかった。ヒンは久原の額を狙ったのに、それてしまったのだった。失敗に気付いたヒンが、一瞬笑ったように久原は思った。耳が痛い、と、久原も、ヒンも思っていた。空気を切る弾道と、火薬の耳元での音響が、触れてもいないのに、こんなにも鼓膜を傷つけることを、彼らは彼らそれぞれに知った。ややあって、すぐにヒンの手から銃を奪うと久原は、いや、とヒンは思った。触れたんだ。確かに、耳に。久原は撃った。振動する空気が、鼓膜に触れたんだから。それは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

...確かに。至近距離の発砲は、当然のようにヒイの額を撃ち抜いた。まだ、誰も叫びださない。いや、と久原は、むしろ、俺が叫びだす前に、Lệ Huệの口の中で、彼女の粘膜の柔らかさに、彼女はゆっくりと再び勃起しかけたそれを口から出していく。それ以上硬くはならない。そのまま、彼女が愛撫を続ければ、すぐに射精してしまうに違いない。

 

わたしは知っている、ずっと、わたしは彼女のいつもの愛撫に、背骨を溶かすような快感に包まれて、もはや、わたしは自分のかすかにあらい息遣いの音をしか、聞いていられないというのに。わたしのそれは、ずっと、快感の熱い温度で内側からいぶられているままだった。何の用もなさないそれは。最後にもう一度Lệ Huệはそれに口付けて、もう一度試すに違いない。飽きもせず、諦めもせず、そしてLệ huệが激しく咳き込んだので、白い雨の中からわたしたちは立ち去って、室内に入ったものの、花々の埋葬は中断された。退屈紛れの戯れのような、それは、その、細かい雨が降りやむことなく視界の向こうを白濁させ続け、

寒いでしょう?

Lệ Huệ

lạnh không ?

言った。寒くないですか?

自分のほうがより多く濡れたというのに。雨に大量に含まれているはずの放射能は、又再びわたしと彼女の遺伝子を破壊していくのだろうか?わたしの体を拭きながら咳き込み続ける彼女が、そのまにまに何か言おうとするのを制して、彼女の背中をなぜてやる。彼女は従うことなくわたしに言葉を投げ、それは咳の狭間のノイズになって、わたしは彼女を抱きしめるしかない。水滴を含んだ衣類も、身体も、すべてがつめたい。暖かいのは、皮膚の内側だけだった。お互いの、皮膚を擦り付けるようにして、PhậmAnhが肉体関係を重ねているのは誰もが知っていた。誰も彼らを非難することも、迫害することも、とりあえずはなかった。誰もが口を憚る由々しき問題に他ならなかったから。仕方がない、と、わたしたちはいつか思ったのだった。彼らは、幸せではないのだから。Phậmがまだ初潮を迎える前から、いずれにしても始まっていたそれらの日々の淡いふれあいの関係が、結局のところ、いわゆる最後の一線を越えたのがいつか、Cảnhにはわからない。秘密だから、とPhậmは彼に約束させた。知ってるでしょう?でも、秘密だから、と、それを彼に言うときの、彼女の、むしろ誇らしげな表情にCảnhは嫉妬する。彼の父を奪ったからか?彼女は、彼が知らないことを知っていた。性のことではない。或いは、それだけではない。Anhはもとから無口な世慣れない男だったから、何を思っていたのかは誰も知らない。誰に対しても無口な男だった。とはいえ、罪の意識に苛まれ続けていたのは知れた。彼はまるで罪人のような顔を曝して、一日中自分のカフェをうろついていた。ときに、店先にぶら下げられたかごの鳥の水を替えてやり、間接光に当ててやって。彼に、娘たちの名前を、

Phậm…

誰かが口にしたとき、彼は必ず顔を背け、

Phậm…

聞こえなかったふりをしようとしているのが

Phậm…

いつものことだった。たとえ、あなたの娘は何歳になったのか?あなたの娘の名前は何だっけ?あなたの娘にちょっと家事を手伝って欲しいんだが、それら、それとはまったく無関係な話の中で、彼女の名前が呼ばれたに過ぎないにも拘らず。Tシャツとショート・パンツだけで、その痩せた体の褐色の肌を直射日光にさらしたPhậmが、通りすがりに挨拶したので、わたしはこんにちは、と、わざと日本語で答えたら、彼女は声をたてて笑った。ヒンが発砲した理由はばかげていた。当時、彼の《ボス(そう、彼は久原のことを呼んでいた)》だった久原が、彼の女を《侮辱した(そう、彼は有紀に言った)》からだ。正論を言ったのは、むしろ久原のほうだった。千葉のフィリピン・パブの女に、乞われたわけでもなく有り金のすべてをつぎ込んでいた。あいつら金が目当てだから、金やらないと逃げる、と彼は言っていた。久原に助けを求めたのは女の方だった。彼の自分へののめり込み方は、金のつぎ込み方をも含めて、明らかに常軌を逸している。何とか助けてあげて欲しい。何度久原が諌めても納まらないばかりか、彼女の告げ口を、むしろ、裏切って自分を捨てようと画策していると言って、かならず不調に終わる久原との話し合いの後には、決まって凄惨な暴力が彼女に加えられた。あるいは、久原から電話やiメールで呼び出されるたびに。久原にも、救けてくんない?ヒンはわたしにも、有紀にも、彼の友人たちの誰かにも、ときに、電話してきたものだった。どうしたの?

 

シェリル、死にそうなんだよ。

 

ヒンの声はいつでも震えていた。どうして?わたしが言うのを、ヒンが携帯電話の向こうで聞く。息を殺して、耳を澄まし、彼は、あいつ、もう、二日間もトイレに閉じ込められてんの。救けてやってくんない?誰が彼女を監禁したのかはわかっている。ヒン以外にはいない。彼女はヒン以外に、少なくとも彼と出会ってからは、肌さえ許そうとしなかった。戯れに触ることをさえ。ヒンと待ち合わせ、彼に連れられて彼の部屋に行ったとき、ユニットバスのドアを開けると、鍵も掛けられていないそこに彼女は監禁され、衰弱し、それはしおれかかった植物のように。その身体は未だにふくよかに肉付いたまま、湿気た密室に汗ばんだ体臭の臭気さえ立てて、殴打の後の血痕すら顔から拭わないままに、ただ、その身体はわなないて、彼女は言った。救けて、と、片言のなまりの強い日本語で、たしけちぇ、ヒンさんは悪くないです。救けてください。シェリルと言う名の彼女はたしけちぇくじゃさいそれでも逃げ出すことなく、ヒンと同棲していたが、ヒンが死んだとき、彼女は彼の部屋を逃げ出してしまった。誰もが彼女を探した。見つからなかった。自殺してしまったのかも知れない。なぜ?多くのうわさが流れた。久原の情婦だった。あるいは、久原に金をわたして、ヒンの殺害を要求していた。あるいは、久原に殺されるのを恐れて、逃げたらしい。あるいは、フィリピンマフィアの女だった。あるいは、ヒンは、彼女のために久原の組の金にさえ手を出していたらしい。あるいは、東南アジアのマフィアが一斉拘束されたから、それと一緒に拘束されてしまった。あるいは、フィリピン製の覚醒剤を密売していたから。ヒロポン=覚醒剤をレ・チ・ゴはインドネシアで体験したが、体には合わなかった。いずれにしても、まだ、それは必要ではなかった。例えば左足が消し飛んでしまえば、大量のそれを必要とするには違いない。多くの兵士がそれを使用しているのは知っていた。たしかに、末端の、そして最前線の、自分の或いは他人の死と負傷とそれに伴う大量の苦痛とに常にすれすれに接近したところで、彼らからそれを奪い取ることなど絵空事に過ぎなかったが、それの極端な蔓延は自殺に等しい。苦痛と恐怖が人体から奪い去られたとき、人体の防衛機能は破綻する。とはいえ、わたしの腕が吹き飛んだとき、果たして、あの生臭い臭気に満ちた野戦病院で、群れをなすうめき声の中にのまれ、それを使用しないで済ますことなどできるものだろうか?死と負傷と苦痛にたいして、レ・チ・ゴには、一平卒とは違う距離があった。彼は将校だったから。たった一つの作戦の失敗と敗走が、彼を命の危険にさらすことはあっても、たった一回の射撃の失敗が、彼に死を即時与えることはない。基本的には。必ずしも。国体と呼ばれようが何と呼ばれようが、いかなるものであっても組織体に、その内部においてすら、こそ、平等はなく、階級的ではない国体などあり獲ない。かつ、ある国体とある国体が共存することは無い。それはそれそのものが闘争の装置だから。例えそれが対話しあうときであっても、まさにその瞬間にこそ。言葉こそはエレガントな殲滅装置だった。レ・チ・ゴは、多くの下層階級の兵士が血にまみれながら、むしろ一つの国体として死んで行こうとするのを見た。個人の死ではあってはならなかった。なぜ?個人の死であったならば、死は恐怖あるいは悲惨あるいは苦痛そのものに他ならなかったからなのか?救いようのない惨殺そのものに?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いずれにしても、皇国産の覚醒剤が、今や、インドシナのあらゆる傀儡政権の内部を冴え蝕んでいることくらいは、レ・チ・ゴだって知っている。差別的で下卑た哄笑とともに日本兵専用の売春施設で、あるいは街の中で、ときに軍旗に違反しながらも不名誉な性病をさえ移され、移し、そのバクテリアの繁栄にだけ貢献し、そして死ぬときは国体そのものとして死んで行く。ひとたび戦争が始まってしまえば、どうなるのだろう?まともな戦闘経験のない、このベトナムの日本兵たちは?八紘一宇も北一輝も等しく美しい。なぜならそれは詩だから。詩は、当然にして無数の死の可能性を背景にして、死をはついには孕みこまない、偽態としてで発生した、むしろ死の経験を一切拒否する仮想された花だ。死が、詩として偽装されなければならない困難さを伴ってさえいるのに、なぜ、わたしたちは死の可能性を求めたのか?銃を手にして。むしろ死そのものがついにわたしたちの生を完成するかのように。ノイズを排除した、夢見られた美しい空間の中で。血と泥と怒号と轟音にまみれて。

Cảnhは知っている。いつも、Anhに抱かれるときPhậmは、恐怖した丸太のように身を固めたまま、瞬間冷凍された蛙のように手足を広げて、人体の失敗した出来損ないのようにしゃくりあげるような呼吸をしながら、Cảnhは知っている、すぐにAnhは射精してしまうのに、妊娠しないのはどちらかに問題があるせいだ。だから、彼らは何も気にしないで、いつも求めるがままに愛し合っていられる。いつも、Phậmは、あまりの恐怖に表情が固まってしまった、そんな表情のままに。Thanhタンと結婚した後、Phậmはすぐに三人も子どもを生んだのだから、男のほうに問題があったに違いない。Anhの愛撫は明らかに性的な行為に他ならなかったが、彼はそれに性的な意味を自覚していたわけではなかった。娘が初潮を迎えたのは知っていた。娘の浴びた後に、ややあってシャワールームに入ったときに、片付けるのを忘れられた慣れない生理用品の包みが、水洗便器の上に放置してあったから。生理の血の匂いが、匂うような気さえした。ついに、我慢できなくなって、彼は彼女を強姦してしまうかも知れない、と思った。彼は既に知っていた、彼自身が彼女に感じているのは、男の性欲以外の何ものでもないことをなどは。仕切りと言うもののほとんどない不完全な壁にだけ遮られた家屋の中で、とはいえ、隠された秘密として彼らによって繰り返される行為の間中、彼女が、まるで破綻した機械のような、小さな、聞こえないほどの金属質の悲鳴をしかあげないことは、Cảnhはよく知っている。その後、わたしの家の裏のKhoaコア  の息子と結婚したPhậmとはよく一緒に家族で食事をしたものだった。翳りのない女だった。屈託もなく笑い、自分の意に染まないことには食って掛かるPhậm。小柄で痩せた、子供を生むと同時にすぐに太ってしまったPhậm。アメリカのアニメのかわいい豚に少し似たPhậm。暴君のPhậm。夫のThanhも為すすべもなく、笑って従うしかないのだった。間違っても美しいとはいえないないが、かわいらしいところのある女だった。豊満すぎる下半身と、シャープな上半身の、いかにも生産力ゆたかな哺乳類ヒト科雌種。犬が駆け回るように歩く女だった。多くの人間が昼寝している昼下がりに、眠らないわたしはときに道すがら、Anhの家で、彼女たちの部屋から聞こえる金属質の女の悲鳴のような声を聞いたものだった。わたしだって気付いてはいた。Thanhに愛される時にも、Phậmは硬直した蛙のように身を固めたのか?Cảnhの放火は刑事処理されなかった。火事のあと、Cảnhと姉はPhúの家に引き取られていったが、事実上、PhúÂuのやがて、すぐに破綻することになる実質的な夫婦生活は始まったのだった。数週間後にはPhúは家に寄り付かなくなり、毎日、町のどこかしらで彼に呼び出された誰かと飲んでいた。Anhは、借家を引き払ってどこかに行ってしまった。Lệ Huệは、Anhは実家に帰ったらしいと言っていたが、詳細は知らない。Cảnhも十六歳までPhúÂuのもとですごしていたが、サイゴンで就職すると言って、見かけなくなってしまった。あれから、町で見かけるCảnhは、まるで無表情な、人形のような表情を曝した抜け殻のようにしか見えなかった。何らかの精神疾患を疑ったほうが話の早い、どうしようもなく無気力な。たとえば彼が大声で笑うことなど、わたしたちの誰にも想像できないのだった。彼のいまが、放火するまでの過程の産物なのか、放火の結果なのか、新しい住居での、夫婦のののしりあいの絶えない環境の産物なのか、そのどちらなのか、わたしは疑うしかなかった。そのどちらでもあるとは思えなかった。そのどちらかでしかない気がした。どうしようもなく、彼はすべてを失っていた。風さえ、彼の体を通り抜けていきそうなCảnh。日差しさえ通過しそうなCảnh。影さえできそうにないCảnh。そして彼の褐色に日焼けした肌は瑞々しく、長身の、筋肉質の体躯は重力を軽蔑する権利を獲得したしなやかさで、

…Chú khỏe không ?

彼は

お元気ですか?

見とれるずにはいられないほどに美しい男になっていた。最後に会った時だ。まだ十五、六で、子どもに過ぎないのだが、対等な友人として迎え入れなければ気がすまなくさせる、なにかの意図的なプロパガンダのような理想的な青年の香気さえ感じさせた。川沿いのカフェの中だった。わたしは彼の美しい真っ白い肌を盗み見た。町の中央部のカフェには外国人観光客がたむろした。Cảnhとすれ違ったとき、わたしにかけられた声に振り向いた彼は、そしてわたしは突き刺すような微笑を浮かべたCảnhを見た。わたしたちは挨拶を交わし、その時、その姉はもうThanhと結婚していたし、結婚式でのCảnhの美青年振りには、新婦などかすんで見る影もなかったものだった。

一緒に、コーヒーを、どう?

彼を誘うと、

いや、友達と一緒だから

断るが、

Uống rồi.

そのとき、初めて

Cám ơm chú.

わたしは

ありがとう、おじさん

彼を取り囲んだその友人たちの存在を意識した。Cảnhは草食動物のような顔を曝した取り巻きの少年たちに囲まれていた。そして、彼が美しい発音の英語でわたしに話しかけていたことに気付いた。それはわたしにどうしようもない違和感と、彼への喪失感を感じさせた。妙に痛々しい英語の会話の間中、彼の友人たちはわたしに媚びるような、脆弱な子どもの眼差しをなげて愛想笑いし、沈黙し、元気そうだね、と、やがてわたしはCảnhとベトナム風に握手して別れるのだが、確かに、彼は父親と似ているところがすこしもなかった。久しぶりに娘の結婚式に顔を出した、あのころと変わったところの何もないAnhは、相変わらず純粋な犠牲者のような伏目がちなたたずまいの中に、ただ、乾杯の酒を機械的に飲み続けているだけだった。彼は、あのPhậmとさえ、どこも似てはいない気がした。Anhがその能力を欠くなら、二人の子どもを彼が為したことは、つじつまが合わないのだった。あるいは、娘を愛した瞬間にその能力を失ったのか?それともひそかな避妊がなされ、毎日のような行為に一度も失敗はなかったのか?あるいは、単純に、父親は別なのか。結婚式のときに、久しぶりに会ったÂuは、笑顔で顔を崩しながら、相変わらず清楚で上品なたたずまいを見せるばかりで、周囲の、香水まみれで厚化粧の女たちの中にあって、しずかに一輪だけ咲いた百合の花のようにさえ見える。老いさらばえることなど細胞自体が許してくれないのだとばかりに、とてもわたしよりも年上であるようには思えない。変な冗談を言ったら、上品に、怒り狂った猫のように噛み付かれるか、少女のようにあられもなく泣き出してしまいそうだっだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


花々を埋葬する 5

Lệ Huệが時に言う、雪を見てみたいと。日本へ行けば、見えるんでしょう?本当の雪を見たいの。本物の雪を。と、知らないくせに。わたしは言う、すべてが白い、白さのうちにすべてが白濁させられてしまった雪の色彩が持つ、あらゆる生命体にとって破壊的なあの凍りついた温度をなど?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いずれにしても、かつて、PhậmAnhは、あからさまに、関係があることを人々に気配で伝え続けてやまなかったのだった。雪さえ溶かしてしまいそうなほどに。彼らは夫婦だった。カフェの中にすれ違う一瞬の眼差しに、触れ合いそうになる体の接近の一瞬の皮膚感覚に、かけられそうになる声の開きかけた唇の一瞬に、掛けられた声に振り向き見た眼差しの交錯した一瞬のためらいに、明らかにPhậmAnhの幼い妻であって、彼はどうしようもなく何かの被害者だった。そして、ただ、自らを趣味のように、責めていた。皇国の消滅後、《新しいベトナム人》たちによる本格的な現地ゲリラ兵への教育が始まったが、ベトナム人側からの要求は、決して体罰を加えてはならない、と言うことだったという。日本で、サムライたり獲ない百姓上がりの兵士たちが、サムライたるべく繰り返した鉄拳制裁は有名だったのだ。多くの日本兵たちがベトミンへの合流を果たした。これから始まる戦闘の結果は、全く予想できなかった。正規軍隊とゲリラ兵の戦闘が、単純な火力の格差だけを考えても、非常な困難が付きまとうことなど誰にでも予想できた。レ・チ・ゴが彼の部下に残留を強制することは無かった。皇国の兵隊としての彼らの戦争はすでに終わっているのだ。残れ、とも、来い、とも、言えない。むしろレ・チ・ゴは志願者を拒絶する。彼らが来るにせよ、帰るにせよ、一度、彼らは拒絶されなければならない。そして、何の正当性も無く合流しなければならない。決断するのは、あくまでも自分自身でなければならない。軍人とゲリラとの違い。軍人は撃てと言われるまで撃ってはならない。撃ち始めたならば、何が何でも勝利しなければならない。常なる勝利は守られねばならない。軍人に敗北は許されない。ゲリラにおいて、発砲を選択するのは個人であって、例え一敗地にまみれようとも、それは、戦争が始まる前にすでに敗北していた彼らの敗地が、また一つ増えただけに過ぎない。勝利は、獲得された僥倖に他ならない。軍人は勝利を守るために戦い、ゲリラは敗北を帳消しにするために戦う。彼らは、軍人からゲリラ兵にならなければならなかった。何人もの離隊者が発生し、多くの顔見知りの合流を、レ・チ・ゴは見守る。やがてそれら独立戦線は国家を形成する政治団体となっていくが、ベトナムという国家が姿をあらわし始めたその時に、それに加担した《新しいベトナム人》たちの多くが、ベトナム人たちの社会主義国家についてどう思ったのか、肯定したのか懐疑したのか、それは、とはいえ、あるいは、それは話の枝葉にすぎないのかもしれない。戦争に参加したとき、統治する対象、確保された領土すら明確には持っていなかった組織に政治もなにもいまだなく、彼らは外国人傭兵として、あくまでゲリラ兵として参戦しただけなのだから。そもそも、それは政治的な問題ではなかった。フランスを相手に戦争を始めようとしている彼らにひそかに届けられた米軍製の新品のジープを試し乗りした後に、一個小隊をひきつれたレ・チ・ゴは少しは慣れた丘陵地に演習に出向く。やがて彼らが深刻な戦闘をそのジープの送り先と交えることなど、誰もいまだ予想してはいない。ジープを乗り回したときのベトナム人たちの鼻にかかった歓声がいまだ耳に残り、高い樹木は日差しを覆い隠し、それでももれてくる木漏れ日が彼らの粗末な軍服を灼いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樹木の、葉の、日差しの、汗の、皮膚の、粗い布生地の、あらゆる匂いが混濁したまま、鼻の中に入りこむ前に疾走する風が洗い流してしまう。何も持たざる彼らはごく貧しく、誰の目にも明らかに正規軍隊とはいえない。止まれ、と言ったレ・チ・ゴに部隊は従った。彼らは耳を澄まし、誰かが口笛を一瞬に鳴らしたのを、Nguyễn Hồ Baグイン・ホー・バーは威嚇するような眼差しに非難した。目の前に道をふさいだ倒木があって、途中までの鮮やかな切れ目が半ばから暴力的にへし折った明らかに人為的な倒木が、レ・チ・ゴの不審を呼ぶ。まだ、ここまでフランス兵が来ているとは思えなかった。来ていても不思議はなかった。そして、目の前の倒木は人為的なものに他ならなかった。倒木を排除しようとした何人かの兵隊を抑えて、一人だけ従えたレ・チ・ゴは倒木に近づき、人の気配はない。澄まされた耳にさまざまな音声が入り込み、その、かすかにつらなりあった森林地帯の音響は、巨大な騒音の塊として彼に知覚され、それらの狭間に彼が感じたのは、単なる何重にも重なり合う不安の気配に過ぎなかった。この樹木の名前はなんだろう?彼は思った。彼の傍らに繁茂する巨大な樹木の群れを、それは日本で見かけることのない、蔦に垂れ下がるような花を赤く、逆光に大量に茂らせたままだった。頭の上からも垂れ下がった根が地面を何重にも重なって穿つ。蝶が飛び立つ。退避、とレ・チ・ゴが命じた瞬間に、思ってもいなかった左の谷間から、殺到した銃弾が複数彼を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界はただ、白い色彩をだけ映し出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lệ Huệにとってはどうか、わたしは知らない。その色彩はわたしだけのものかも知れず、彼女とわたしだけのものなのかも知れるず、人間たちの視界固有の必然なのかもしれなければ、猫の視界にどんな風景は広がっているのかは、わたしもフェも知らない。庭を二匹の猫が互いに追いかけあうように距離の戯れを演じながら、疾走し、停滞し、細かな雨はその体毛にふれる。そして、はじかれて玉になる。黒地に斑らな三毛と、灰色に近い三毛の体毛。人間たちの、あるいは既存の生命体たちの世界が崩壊するのは、あっという間だった。2024年の、日本政府による核兵器の沖縄基地配備の政府決定の後、それは韓国政府の自国への核配備をも後押しする結果になったが、かの地の議会は紛糾し、それらの動きは北朝鮮のさらなる軍備拡大を誘発した。混乱する議論の果てに韓国政府が核配備の決定を先延ばしにし続ける中、誰もがアメリカ主導の決定だったと疑わなかった日本政府の決定が、その実態は、あくまで日本政府主導で推し進めたものだったことは、今や明らかにされている。それは結局のところ、いわゆる《核による均衡》を強制的にもたらしはしたように見えたものの、沖縄で何度もの暴動を誘発し、降って沸いた独立運動をくすぶらせ続けた。国連は組織としてすでに無効だったし、その解体および再構築の必要性さえ、議論されていた。核配備を容認する発言は二人の広島県知事を失脚させたが、北朝鮮の軍備拡大はその国内における経済的な圧迫をいよいよ強制せざるを獲なかったものの、中東への兵器輸出は《王朝》を潤しつづけた。中国はその巨大な人口によって繁栄したが、周辺諸国に対して彼らは政治的には何の実行力も持てなかった。2029年夏の、末端の軍人たちの蜂起した軍事クーデターが、北朝鮮の《王朝》の息の根を止めた。いまだロシアも中国も何の援助も弾圧も施し獲ないうちに、彼らはついには、世界の約半分を相手にした神経戦を演じるよりは、彼らの既存体制の革命のほうを選んだのだった。貧民の救済と言う美しい名目さえあった彼らを制止し獲るものは存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九月の缶詰工場視察を狙ったたった一人の首領の暗殺は、体制を見事に崩壊したが、直後の中国政府による、裏切りに他ならなかった鎮圧軍事介入は、わずかな局地戦だけを誘発したものの、そして韓国政府はむしろ《王朝》体制の維持を望んでいた。もはやそれは手遅れだったし、彼らにできることは何もなかった。彼らはいち早く軍事的・政治的非介入の声明を出しただけだった。アメリカと日本の連合部隊が海を取り囲んだ。日本でも《人民主導の革命の英雄たち》と呼ばれた一週間の後で、いまや、クーデター部隊は国際的ならず者と呼ばれ、《旧=北朝鮮》国内において社会主義革命の真正なる復興のスローガンの下に繰り広げられた反体制派の粛清は陰惨を極めたが、いずれにしても革命政府がいつか、誰かに制圧されるのは目に見えていた。日米連合軍は何もしなかった。それはむしろ単なる軍事演習を他人の海で繰り返しているように見えた。十月以降の《半島解放方針》によって、ピョンヤンにまでふたたび中国軍が迫ったときに、《朝鮮真性社会主義軍》の実質的リーダーだった金高文による《10.02決断》が下され、核兵器は北京に、ややおくれて東京に向けて発射された。中国は沈黙し、日本の核兵器は発射された。直後、金高文は《朝鮮真性社会主義軍》の非公式決議によるたった二時間の拘束および処刑に至る最期の瞬間まで、《10.02決断》の戦略的勝利を疑っていなかったという。それらは生態系の留保なき破綻をのみ意味した。わたしたちが最早生き残れないことは、わたしたちの誰もが知っていた。わたしの視界が、日に日に白濁していったのは、放射能のせいなのかも知れない。核兵器の応戦決断によって世界破壊の張本人として糾弾された日本の、その国土が極端に悲惨な状況に陥っているのは知っていた。その現状はほとんどまともに伝えられなかった。重度汚染地帯として、最早立ち入り獲ない場所に過ぎなかったから。日本、中国、朝鮮半島全土の石棺化さえ議論されたものだった。かつて日本と呼ばれた国家の政府は、オーストリアに貸与された日本国民避難領で、その後処理にだけ負われた。それだけがかれらの存在理由だった。重度汚染地帯化による国土の実質的崩壊は原子力発電所の維持の破綻をも意味し、結局のところ、すべては崩壊していくしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは驚いたのだった。世界の終わりが、まさか東アジアなどから来るなどとは。あんな、世界の周縁から。日に日に白んで行き、純白に近くなるわたしの視界が捉える世界の中で。Cảnhは時に思い出したに違いない。彼が無意味な放火をした日、夕方帰ってきたCảnhが不意に、上半身裸で眠り込んでいたAnhの首を絞めようとしたときに、Phậmはそれを制して、彼女は言った。どうして?、と、なぜ、みんなの幸せをあなたは壊してしまおうとするの?Anhの体臭を嗅ぐ。振り向いたすぐそばで、Phậmの呼吸さえもが彼の皮膚に触れ、彼女は涙さえ流しながら、なぜ?問いを返したCảnhに彼女はしゃくりあげながら言った。なぜ、なにもかも奪い去ろうとするの?なぜ、Cảnhは思った。涙はいつも薄汚れていて、みじめったらしいのか?目を背けたくなるほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げ出していくCảnhを振り返った眼差しの中に捉えた一瞬に、彼女はもう彼は二度と戻ってくることはないだろうと思った。それは間違いだった。ややあって、忘れた頃にその日、彼はガソリン入りのペットボトルを手に帰ってきたのだから。Phậmが、Anhを愛していたとは思えない。行為が終わるたびに体を執拗に洗い、自分の性器の中に指を突っ込んでまで、すべてを洗い流そうとせずにはいられなかったのだから。寝たふりをしたまま、目を閉じたままのAnhは思い出す。彼女は言った、彼女が初潮を迎えたことを知った彼の愛撫が明らかに、それまでとは違う気配を持ったことに気付いた彼女は、あなたは、することができる、と言った。複雑な命題のように。ついに、命令が下されたように、彼は彼女の男になることを許した。Phậmは知っていた。それを許可する以外に、自分が為すべき事など既に失われていたことを。まったき事実の一つとして。何ものによっても正当化などできないことなど既に知られていたにも拘らず。時に、雪のような白い破片が降ることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが放射能の影響なのか、何なのか、わたしにはわからない。雪が降るように、しかし、一切の潤いを持たないそれは、なにかに触れた先からすぐに崩壊していく。死の灰と呼ばれるものなのか、何なのか、わからない。本当のそれは、何年も前に既に降りしきった後だった。18歳になったYênが、2029年の10月、朝の早い時間に尋ねてきたとき、Yênは振り向くと、不意にわたしに口付け、はにかむように声を立てて笑った。四十歳を超えたわたしは、年齢的にも、身体の現実としても、すでに老いさらばえていた。呼吸をすることさえ、既に身体を酷使する行為に他ならないわたしは。Yênが何を求めているのかくらい、わたしにだってわかっていた。もはや、彼女は完成された女だった。わたしは、明らかに彼女の初恋の人間であって、彼女が恋から冷めていないことくらいは、誰もが知っていた。Lệ Huệは市場に買い物に行っていた。長い間、彼女が帰ってこないことは知っている。いつでも彼女の買い物は時間がかかる。わたしは思い出した。自分の結婚式に来たAnhを、糾弾するような目つきでPhậmが追い出そうとしたときのことを。つかみあげたビール瓶で、殴りつけるそぶりさえしたものだった。どの面を下げて、いま、ここに、と。人々は、彼女をなだめるのに精一杯だった。わたしは遠くで目を伏せた。Yênはわたしの胸顔をうずめて、わたしは彼女をベッドに寝かせると、彼女はわたしのそれを手のひらに包んでもてあそんだ。彼女も知っているのに違いなかった。わたしのそれの現実を。おしゃべりなLệ Huệから耳打ちされて。わたしたちの知っていた現実を裏切るように、勃起したそれが何度かの試みの後に彼女の身体の中に入ると、やがてわたしが射精してしまうのに時間はかからなかった。文字通り、あっと言う間に。まるで、初めて女を知ったような気さえした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yênは、すべてに満足した表情をみせた。幾重もの裏切りの感情だけが、わたしを苛んだ。Lệ Huệも知っていたかも知れない。彼女が彼女の男を知った、明らかな優位性を、Yênは身振りのうちに表現し続けたのだから。誰もに膨らんでいくおなかを指摘されながら、その父親が誰なのかは誰にも明かさないままに。ときに、その母親になじられさえしながらも。いつものように、朝、Lệ Huệと近くの川岸を散歩し、見慣れた、荒みかかった風景の中に、今日も《雪》は降って、樹木を、建築を、造築物を、路面を、《雪》の群れ。それらは一瞬だけ指先に触れてはすぐさま崩壊し、あとには何も残らない。あらゆるものが、今や、見えない力にしずかに破壊されつつあるのは知っている。《雪》はハン河の泥色の水にも触れて、消滅していく。Lệ Huệが倒れ掛かるように寄り添って、彼女を抱きしめていたときわたしの視界には、名前を知らない白い樹木の白い葉の先に咲いた白い、あるいは、白く見える小さな花々さえもが風にゆれる。今日も、わたしたちは試すに違いなかった。わたしたちの子どもを作るために。わたしたちだけの。もう既に十分知り尽くしている結果をは、十分予測されていたにも拘らず。白い樹木が白ずんだ大気の中に、向こうの青空さえ白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.11.28.-11.29.

Seno-Lê Ma

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1)北村透谷「弾琴」(透谷全集 第1巻 岩波書店 昭和257月)より引用

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベトナムに来て、ベトナム戦争について調べていたときに、

旧大日本帝国陸軍の、いわゆる《残留日本兵》が、ベトナム独立戦争~統一戦争に、

かなり深く関係していることを知りました。

クァン・ガイという中部の町に、ベトナムの陸軍学校がありますが、

そこの発足当時の先生はみんな、《残留日本兵》だったらしいのです。

異国、かつ、自分たちが植民地支配していた国で、

その国の独立のために戦う、という考えてみれば奇妙な体験だったはずなのですが、

非常に惹かれた史実でした。

それが、この作品のアイデアの一つです。

もう一つは、日本で起きた凄惨なリンチ事件の記憶なのですが、

 

この作品には直接関係ありません。

 

 

この作品は、中篇連作の第一編です。

作品全体を、仮に《flowers》と呼んでおくと、もっとも近い現在が舞台です。

この後、時間的には遡行して行く形になります。

三連作の中では、もっともおとなしい内容です。

 

2018.05.11. Seno-Lê Ma

 



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