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民主主義国家の虚構

      民主主義国家の虚構

 

 世界の多くの人間は、民主主義と呼ばれる国家体制について、二つの誤った認識をしている。
 誤った認識の第一は、民主主義には普遍性があるということである。つまり、世界中どこの国にも民主主義が成立するという認識は、明らかに誤っているのである。
 アメリカは、世界中の国に対して民主主義国家になることを要求している。そして、アフガニスタンやイラクを、武力を背景に民主主義国家に作り変えようとした。しかし、このようなことは極めて非現実的な行為である。ヨーロッパ諸国の民主主義は、中世以来、数百年という長い年月をかけて、宗教改革や市民革命といった変革が起き、信仰の内面化、内面の自由、社会契約説、啓蒙主義、法の支配、政教分離など、民主主義が成立するために必要な様々な伝統・文化が確立された結果として成立が可能になったものである。アメリカの場合は、もともとアメリカを建国した人々が宗教改革を経たイギリス人の一部だったため、アメリカ人自身が宗教改革をする必要は無かった。そして、アメリカのイギリスからの独立戦争が、同時に市民革命でもあった。しかし、アフガニスタンやイラクに限らず、世界には宗教改革や市民革命が起きたことが一度も無く、民主主義が成立するために必要な伝統・文化も確立されていない国が数多く存在するのが現実である。従って、アメリカが、こういった国々を民主主義国家にすると言うのなら、まずは十六世紀のヨーロッパでマルチン・ルターが始めたような宗教改革から始めなければならないことになる。しかし、実際にアメリカが民主化と称して世界各地で行って来たことは、アフガニスタンやイラクのような、民主主義が成立するために必要な伝統・文化が確立されていない国で、宗教改革も市民革命も抜きにして、いきなり憲法や選挙制度や議会制度といったものを作るという行為である。このような歴史も現実も無視した行為が失敗するのは当然のことである。要するに、アメリカ人は、民主主義国家の成り立ちを全く理解していないのである。
 民主主義国家が成立するために最低限度必要な条件が、政教分離と法の支配の確立である。
 政教分離が確立されていなければ、宗教が政治に介入する可能性が生じることになる。特にキリスト教やイスラム教といった一神教は、この世の全てが神の意志によって成り立っていると考えているため、主権在民が否定されかねない。特に、同じ一神教でもイスラム教は、キリスト教とは違い、宗教改革を経ていないため、政教分離と言う考えが無いのである。そのため、イスラム教徒が多数を占める国で自由な選挙を行うと、イスラム教の宗教政党が台頭する例が多いのである。そして、イスラム教の宗教政党が政治の主導権を握ると、イランのような宗教国家となり、主権在民を否定する政治が行われる可能性が生じるのである。
 また、法の支配の確立も民主主義国家が成立するためには必要である。たとえば、国家の最高指導者や政治家を選ぶための選挙をする場合、法の支配が確立されていない国では、法の手続きによる権力の継承ができないため、選挙を行っても選ばれた者が国家の指導者になれるか否かわからないのである。更に、軍事クーデターなどによって選挙結果が否定されるようなこともある。また、国民に自由を与える場合も、法の支配が確立されていない国の国民には自ら進んで法・秩序に従う慣習が無いため、自由を与えたら犯罪行為が増加して治安が悪化したり、政治や社会が混乱したりするような場合が多いのである。
 政教分離や法の支配と言った民主主義国家が成立するための条件が確立されていないため民主化が行き詰まった例が、世界には数多く存在する。その典型的な例がエジプトである。
 2011年1月にチュニジアで起きた政変をきっかけに「アラブの春」と呼ばれる政変がアラブ諸国に波及していった。その影響によってエジプトでは2011年2月11日にムバラク政権が崩壊した。
 そして、エジプトでは2011年11月から翌年1月にかけて行われた下院議会選挙の結果、イスラム原理主義組織のムスリム同胞団の政党である自由公正党など、イスラム原理主義勢力の政党が議席の70%を占めることになった。そして2012年6月に行われた大統領選挙では、ムスリム同胞団が支援するモルシ氏が当選した。こうしてエジプトは、一旦は、イスラム原理主義勢力が政治の主導権を握ることになったのである。民主主義国家や近代国家を維持するためには、宗教を政治に介入させてはいけないにもかかわらず、エジプト国民は宗教政党を支持してしまったのである。従って、既に、この時点でエジプトの民主化は危機に瀕していたことになる。
 モルシ大統領は、イスラム法に基づいた国作りを行おうとしたが、経済や治安の悪化によって国民の不満が募っていった。そして、モルシ政権に不満を持つ民衆が、2013年の6月末から7月初めにかけて、モルシ大統領の退陣を要求する大規模なデモを行った。このデモを口実にして、シシ国防相を中心とした軍が2013年7月3日にクーデターを起こしてモルシ政権を打倒した。そして、モルシ政権に不満を持っていたエジプト国民の多くが、軍のクーデターを歓迎したのである。法の支配は民主主義にとって最も重要なものである。従って、時の政権に対していくら不満があろうと、軍事クーデターのような法の手続きによらない手段による政権交替など絶対に認めてはならないのが民主主義である。エジプト国民がモルシ大統領を辞めさせたいのなら、次の大統領選挙を待っているしか無かったのである。つまり、エジプトには法の支配が確立されていないのである。そのため、エジプトは、中国と同じく、軍や警察といった国家機関の力によって国民を法・秩序に従わせなければ法・秩序が維持できないのである。従って、エジプトも中国と同じく、武断政治によってのみ統治できる国であり、軍を制する者が国家を制する国なのである。モルシ大統領が軍のクーデターで倒されたのは、モルシ大統領が軍を制することができず、武断政治ができなかったからである。つまりエジプトでは、選挙といった民主的な手続きよって国家の最高指導者の役職に就任しても、軍を制して武断政治をすることができなければ国家の最高指導者は務まらないのである。このような国に民主主義が成立することは、あり得ないのである。
 エジプト軍を制する力を持っているのが、モルシ大統領をクーデターで倒したシシ氏である。そのシシ氏は、2014年5月に行われたエジプト大統領選挙に出馬して当選し、6月8日に大統領に就任した。軍を制する力を持っているシシ氏が大統領に就任したため、シシ氏は名実共にエジプトの最高指導者となった。しかし、シシ氏の大統領就任は、ムバラク政権時代と同様の武断政治への復帰を意味するものであり、エジプトの民主化の挫折を意味するのである。エジプト国民は民主化よりも、力による政治や社会の安定を選んだのである。
 世界には、エジプトと同様に、政教分離や法の支配と言った、民主主義国家が成立する条件を満たしていない国が数多く存在するのである。ところが欧米諸国は、そういった国々に対しても民主主義国家になることを要求しているのである。そのため、欧米諸国の言う通りに民主主義国家を作ろうとしている国の多くが、政治や社会の混乱、あるいは国家の機能の停滞といった事態に悩まされているのである。
 結局、人間は、国や民族固有の伝統・文化の枠の中でしか物事を理解することができないのである。そして国家体制は、国や民族固有の伝統・文化の産物なのである。民主主義国家にしてみても、所詮は欧米固有の伝統・文化の産物であり、欧米とは異なる伝統・文化を持つ国や民族には通用しないのである。日本や中国が民主主義国家になれないのは、結局、欧米の伝統・文化の産物である民主主義と日本や中国の伝統・文化が噛み合わないからである。中国には民主主義国家の実現のために命がけで活動している人たちが存在する。しかし、たとえ将来、彼らが政権を取ることがあっても、法の支配が確立されていない中国では、古代から連綿と続く、秦の始皇帝流の統治を継承するしか無いのである。従って、民主主義国家に普遍性があるという考えは虚構に過ぎないのである。
 民主主義についての誤った認識の第二は、民主主義は独裁者の存在と独裁権力の行使を否定しているということである。
 一般的に言われている民主主義国家は、国家の指導者が独裁者となることを防ぐことによって国民の主権・自由・権利といったものを守るための国家体制ということになっている。そして、一般的に言われている民主主義国家では、国家の最高指導者には人間の意識を変えるような強力なカリスマは持たせず、三権分立や議会政治によって最高指導者が独裁者になることを防ぐということになっている。
 ところが現実は、非常事態に対処する場合や国家の防衛のためには、強力なカリスマを持った最高指導者の指導の下、国民が一致団結して行動しなければならない場合もある。従って、一般的に言われている民主主義国家では、非常事態への対処や国家の防衛ができないことになる。これでは国家とは言えない。つまり、一般的に言われている民主主義国家とは、非常事態に対処する能力や国家を防衛する能力が無い、虚構の民主主義国家なのである。
 たとえて言うのなら、一般的に言われている民主主義国家の「設計図」には、非常事態に対処する機能や国家を防衛する機能が無いという、設計上の欠陥が存在するのである。フランス革命の指導者たちも、ドイツのワイマール共和国を作った指導者たちも、この一般的に言われている民主主義国家の設計上の欠陥に対して十分な処置を施さないままで民主主義体制を作ってしまったのである。そのため、フランスの第一共和政もドイツのワイマール共和国も、国家の非常事態に対処できず、国民の信用を失い崩壊してしまったのである。その結果、ナポレオンやヒトラーのような独裁者が登場することになったのである。
 一方、民主主義国家の確立に成功したアメリカとイギリスでは、一般的に言われている民主主義国家の「設計図」に対して「最高指導者のカリスマを継承する体制」や「独裁権力の行使を非常事態に限定する慣習」と言った「設計変更」を加えることによって非常独裁制を確立した結果、国家の非常事態に対処できる現実的な民主主義国家が完成したのである。ただし、その「設計変更」は、長い時間をかけ、いくつもの戦争や国家の危機を経験し、多くの人命を犠牲にした結果として行われたものである。そのため、欧米諸国のような民主主義の伝統・文化を持った国でも、現実的な民主主義国家は容易には成立しないのである。ところが、今日、世界で一般的に民主主義国家とされている国家は、「設計変更」によって非常独裁制が確立された現実的な民主主義国家ではなく、「設計変更」される以前の虚構の民主主義国家なのである。つまり、世界の多くの人間は、アメリカやイギリスのような現実の民主主義国家が、「設計変更」されたものであることに全く気がついていないのである。そして、欧米諸国が虚構の民主主義国家を世界中に広めてしまった結果、民主主義国家と言う名の欠陥国家が世界中で粗製濫造されることになってしまったのである。
 「設計変更」によって非常独裁制が確立され、現実的な民主主義国家になったアメリカとイギリスでは、平時における独裁権力の行使を禁じているだけであって、国家の非常時には独裁権力が行使されるのである。そして、国家の非常時に限るとは言え、独裁権力を行使するということは、独裁者が存在しているということである。従って、民主主義国家は独裁者の存在と独裁権力の行使を否定しているという認識は、虚構なのである。
 現在の世界には、アメリカやイギリスのような国家の非常事態に対処できる仕組みを確立した民主主義国家は、ほとんど存在しないのである。そのため、世界の民主主義国家の多くが、アメリカの政治力や武力によって保護してもらわなければ国家の非常事態に対処できず、民主主義体制を維持できないのである。従って、もし、アメリカが超大国としての政治力を失い、世界の警察官の役割を放棄するような事態になったら、世界の民主主義国家の多くが、国家を揺るがすような非常事態に陥った時、フランスの第一共和政やドイツのワイマール共和国のように破綻しかねないのである。
 つまり、「民主主義には普遍性がある」、「民主主義国家は独裁者の存在と独裁権力の行使を否定している」、「三権分立や議会政治によって独裁者の登場を阻止できる」と言った理念は、あくまでイデオロギー上のものであって、事実ではないのである。つまり、欧米諸国が掲げている民主主義は、かつてソビエトが掲げていた社会主義と同様の虚構なのである。
 一般的には、民主主義は世界の潮流であって、これからの世界の進むべき道であると思われている。しかし、思い出して欲しいのは、ソビエトの崩壊以前、世界の多くの人間が、社会主義のことを世界の潮流であり進歩であり歴史の到達点であると思っていたという事実であり、ソビエトが崩壊すると、ほとんどの人間が社会主義のことを世界の潮流だとも進歩だとも思わなくなってしまったという事実である。つまり、社会主義が進歩的であると思われていたのは、超大国であるソビエトの政治力の影響に過ぎなかったのである。これと同じことが、日本のような、民主主義国家が成立するために必要な伝統・文化が欠けている国にとっての民主主義にも言えるのである。つまり、日本における民主主義とは、超大国であるアメリカの政治力が、日本に形だけの民主主義を流行させているに過ぎないのである。従って、もし将来、アメリカの超大国としての政治力が低下するような事態になれば、日本人は、ソビエト崩壊後の社会主義と同様に民主主義を忘れてしまうだろう。


擬態の民主主義国家

       擬態の民主主義国家

 

 私は、日本の戦後体制の問題点を指摘したが、第二次世界大戦後の日本が戦後体制以外の道を歩むべきだったと言うつもりは無い。それは、第二次世界大戦後の国際秩序の中で日本が生き残っていくためには、アメリカの意向や世界戦略に従わざるを得なかったからである。なぜなら、第二次世界大戦後の日本にとって、アメリカに逆らうことは自滅を意味するからである。第二次世界大戦の結果、アメリカ陣営に属することになった国々は、否応なしにアメリカの唱える正義を受け入れざるを得なくなってしまった。アメリカの唱える正義によれば、日本を含めた世界の全ての国は、最終的には欧米流の民主主義国家にならなければいけないことになっている。従って、第二次世界大戦の敗戦の結果としてアメリカに従属することになった日本は、明治体制のような天皇制国家になることも、社会主義国家になることも、超大国であるアメリカが容認しない以上は不可能だった。しかし、近代国家の伝統が無い日本には欧米流の民主主義国家など成立しない。そこで、第二次世界大戦後の日本がアメリカの支配する国際秩序に適応し、国民の利益を守るためには、戦後体制という欧米流の民主主義国家の「化けの皮」をかぶるしか無かったのである。戦後体制は、アメリカにとっては日本を軍事的・政治的に封じ込めて従属させるための手段であるが、日本にとってはアメリカを中心とした国際秩序の中で国家・国民が生き残るための手段だったのである。
 第二次世界大戦後の日本は、欧米流の民主主義国家を形だけ真似ただけの、擬態の民主主義国家に過ぎないのである。第二次世界大戦後の日本は、アメリカが超大国としての政治力を失い、アメリカを中心とした国際秩序が消滅するまでは、とりあえず、擬態の民主主義国家を演じ続けるしか無いのである。

 

 

 

 

 

                終わり

 

               令和元年8月15日

 


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                著者自己紹介

 

        氏名             宮本一也(みやもとかずや)
        性別             男
        居住地            山梨県
        生年月日           昭和37年3月3日
        職業             非正規社員   

        愛車       トヨタ の ビッツ  
          好きな食べ物   ラーメン

 

 

 

 

 

    

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