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なぜ日本の戦争が侵略と言われるのか

   なぜ日本の戦争が侵略と言われるのか

 

 ヤルタ会談に参加したアメリカ、ソビエト、イギリスの三国は、第二次世界大戦に勝利して国際秩序を確立した結果、国際秩序を維持する強力な政治力を持つことになった。政治力とは、国家権力や武力などの力の行使を正当化する力のことである。そして、国際社会において国際秩序を維持できるよう強力な政治力を持った国のことを大国や超大国と言うのである。
 ただし、第二次世界大戦の戦勝国は、アメリカ、ソビエト、イギリスにフランスと中国を加えて五ヶ国ということになっているが、フランスと中国は、第二次世界大戦の勝利に対する貢献度が低かったため、国際秩序を維持できるよう強力な政治力を持つことはできなかった。従って、フランスと中国は、本来の意味での大国とは言えないのである。
 また、第二次世界大戦が終わった時点では、アメリカ、ソビエト、イギリスの三国が大国であったが、イギリスは、第二次世界大戦が終わった直後からインド、パキスタン、ビルマといった植民地が次々と独立したため、大英帝国が崩壊して大国としての政治力を失ってしまった。更に、1991年にソビエトが崩壊したため、ロシアも大国としての政治力を失ってしまった。その結果、国際社会における大国と言えるような国は、アメリカ一国だけになってしまったのである。
 武力衝突や領土紛争などの、国際社会で起きた紛争を解決するためには、アメリカのような大国と呼ばれる国の政治力が必要である。国内で起きた紛争なら、法の手続きに従い権力が行使されれば問題は解決するが、国際社会で起きた紛争の場合は、そうはいかないのである。なぜなら、国際社会で起きた紛争を解決しようにも、国際社会には国内法のような法律が無いからである。国際法というものが存在するが、これは紳士協定のようなもので、これを破ったからと言って逮捕されるわけでも罰が与えられるわけでもない。しかし、これでは国際社会の秩序は成り立たない。そこで国際社会では、大国と呼ばれる強力な政治力を持った国によって、国際紛争の解決がなされることになる。
 領土の併合や戦争などをする場合も、たとえそれが、その国にとって、いかに正当な行為であっても、大国が主導する国際社会が正当と認めなければ、国際社会から孤立したり侵略行為のレッテルを貼られたりする場合がある。そうならないためには、大国の承認が必要になるのである。
 たとえば、1990年に勃発した湾岸危機の時、イラクはクウェートを軍事占領して併合してしまったが、これはイラクの立場からすれば、本来クウェートはイラクの領土なのだから、併合は正当な行為ということになる。ところが、イラクのサダム・フセイン大統領は、大国アメリカの承認を経ないでクウェートの併合をしてしまったため、アメリカを頂点とする国際社会から侵略行為と決めつけられ、世界から孤立して、湾岸戦争でアメリカを始めとした多国籍軍の攻撃を受けるはめになってしまったのである。
 更に、大国の承認が無ければ、実効支配している自国の領土すら、保有することを正当化できなくなることもある。本来なら自国の領土であるはずの地域が、大国の合意によって他国の領土にされてしまったことも実際にあったのである。たとえばドイツは、第二次世界大戦に敗れた時、東部の東プロイセン、ポンメルン、シュレジエンという三つの地域をアメリカ、イギリス、ソビエトの合意に従ってソビエトやポーランドに割譲させられてしまった。東プロイセン、ポンメルン、シュレジエンは、十八世紀の後半までには、後にドイツを統一するプロイセン王国の領土となっており、日本人の感覚からすればドイツ固有の領土である。これをドイツが他国へ割譲させられたということは、日本が北海道を他国へ割譲させられたようなものである。また日本も、ヤルタ会談でのルーズベルトとスターリンの合意によって、千島列島や南樺太を放棄させられてしまった。一度、大国の合意によって領土を所有する国が変更され、国際社会が他国の領土と認めてしまったら、その国の国民にとっては自国の固有の領土であっても、大国の主導する国際社会にとっては、他国の領土ということになってしまうのである。そして、大国の合意によって奪われた領土を大国の承認も無く武力によって奪い返そうとすると、自国民にとっては自衛戦争であっても、大国の主導する国際社会からは侵略行為と見なされてしまうのである。その結果、その国は世界から孤立してしまうのである。従って、今の日本も、うかうかしていると、千島列島どころか北海道や日本そのものまでが日本人や日本政府の知らぬ間に、どこかの国の領土にされてしまう可能性もあるのである。こういったことを防ぐためには、普段から、北は北方四島や北海道から南は沖縄に至る領土が日本のものであることをアメリカのような大国に認知させておかなければならない。それと同時に、万が一どこかの国が日本の領土を大国の合意を得て奪い取ろうとする行動を起こそうとしたら、アメリカのような大国に阻止してもらわなければならない。このような、大国による政治的な保護があって、初めて自国の領土の保有が正当化できるのである。
 現在でも、チベット人やウイグル人のように一民族がまるごと他国の支配下に組み入れられてしまっているにもかかわらず、国際社会から容認されている例はいくらでもある。従って、日本といえども北海道から沖縄に至る全ての領土が、永遠に日本人のものであり続けるという保証はどこにも無いのである。現在の日本の領土は、アメリカの政治力によって一時的に保障されているに過ぎないのである。
 このように、大国が戦争の是非を判定したり、各国の領土を保障したりすることによって国際秩序は成り立っているのである。従って、もし大国が、大国としての政治力を失い、戦争の是非の判定や、各国の領土の保障ができなくなったら、戦争や領土の保有の是非は、各国が自国の都合の良いように好き勝手に決めることになってしまう。そのようなことになったら、各国が戦国時代の戦国大名のように武力によって勝手に領土の奪い合いを始めるような事態も起き得るのである。つまり、大国が、その力を失うようなことになったら、国際秩序が失われ、国際社会は崩壊してしまうのである。
 たとえて言うなら、大国とは国際政治における審判である。しかし、スポーツの審判とは違い、「選手」である大国自身が「審判」を兼ねているのである。そのため、大国は、自国が関係する国際紛争や戦争に関しては、自国に有利な判定をしてしまうのが現実である。
 そして、大国が国際社会で起きた紛争等に対して判定を下す場合、その根拠となる客観的な基準や定義といったものは存在しないのである。従って、国際法なるものも関係ないのである。たとえば、国際法では戦時において一般市民に対して攻撃を加えることは禁じられている。従って、太平洋戦争中のアメリカによる広島と長崎への原爆投下は、明らかに一般市民に対する攻撃であり、国際法違反である。しかし、それにもかかわらず侵略行為だとはされていない。つまり、大国の判断のみが国際政治における判定の根拠なのである。
 第二次世界大戦が日本やドイツの侵略行為だとされているのは、あくまで、戦勝国となったアメリカなどの大国が、そのように判定したからであって、日本やドイツによる戦争中の行為とは関係ないのである。一般的には、第二次世界大戦が日本やドイツの侵略行為だとされている理由は、太平洋戦争が日本による先制攻撃によって始まったことや、ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺などの残虐行為によるものだと思われている。しかし、よく考えてみれば、たとえば残虐行為は戦勝国も行っているのである。その典型的な例は、何と言ってもアメリカ軍による広島と長崎に対する原爆投下であろう。二発の原爆によって二十万人以上の人間が殺戮されたのである。原爆投下についてアメリカは、太平洋戦争を早期に終わらせて百万人のアメリカ兵の命を救うために必要だったなどと言っているが、それは言い換えれば、アメリカは、理由さえあれば大量殺戮が許されると言っていることになるのである。そして、同じく戦勝国だったソビエトも、降伏したポーランドの将校を虐殺したカチンの森の事件や、日本兵捕虜をシベリアに連行して、過酷な労働によって五万人以上も死なせてしまった日本兵のシベリア抑留問題を起こしている。
 戦後体制下の日本には、侵略行為という言葉の定義は「自国の領土の防衛を超えた軍事行動」であると主張する人たちが存在する。しかし、そのような定義をしたら、第二次世界大戦後のアメリカの軍事行動は、ほとんどが侵略行為ということになってしまう。なぜなら、第二次世界大戦後にアメリカが関与した戦争は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など、いずれもアメリカの領土を遙かに超えた地域で行われているからである。更に、アメリカが日本に軍隊を駐留させていることそのものが、日本に対する侵略行為ということになってしまう。もし、侵略行為という言葉を「自国の領土の防衛を超えた軍事行動」と定義したら、日本の同盟国であるアメリカの軍事行動のみならず、日米安保体制まで否定することになってしまう。結局、現実的に考えれば、侵略行為という言葉の定義をすることは不可能なのである。
 国際政治のルールは、基本的には、第二次世界大戦後も、それ以前と変わっていないのである。領土の獲得や戦争といった行為それ自体は、決して国際政治のルールに反するものではない。要するに、大国の承認という手続きを経ればよいのである。事実、現在もロシアや中国のように、多くの少数民族を支配下に置くことが認められている国は世界中にいくらでもある。第二次世界大戦後の国際政治は、ルールが変わったのではなく、戦争や新たな領土の獲得などを大国に認めさせることが難しくなったというだけのことである。帝国主義時代なら、国際政治を牛耳る欧米の大国も世界中で植民地の獲得競争をしていたため、1905年(明治38年)に日米の間で交わされた「桂・タフト協定」のように、欧米の大国と取り引きをすることによって、比較的容易に、新たな領土の獲得や支配権などを欧米の大国に認めさせることができたのである。ところが第二次世界大戦後は、欧米の大国が植民地の獲得競争をやめて、ほとんどの植民地を独立国家として認めてしまった結果、新たな領土の獲得などを欧米の大国に認めさせることが困難になってしまったのである。
 ある領土がどこの国に属するか、あるいは、軍隊を外国に送り込み、戦争をしたり軍隊を駐留させたりする行為が侵略行為にあたるか否かという判定は、その時代の大国の政治力よって決定される。侵略行為という言葉には定義は無いが、もし定義するとすれば、「国際社会の意志を決定する大国の承認を得ていない武力行使、または領土の所有」ということになる。しかし、ある時点で大国だった国も、政治状況の変化によっては大国の地位を失うこともある。従って、特定の大国によって正当と認められた領土の獲得や戦争が、その大国の地位が失われた結果、無効になってしまうこともあり得るのである。つまり、正当な武力行使、正当な領土の所有とされている行為も、政治状況の変化によっては侵略行為とされるようになってしまう可能性もあるということである。
 その一例が、日韓併合である。日本は、1905年(明治38年)に日露戦争に勝利して朝鮮半島に対する支配権を確立した。そして、国際社会の承認の下、1910年(明治43年)に日韓併合が実現した。日韓併合が当時の国際社会から承認された理由としては、当時の世界は帝国主義時代であり、国際政治を牛耳る欧米諸国自体が、日本と同様の領土獲得に奔走していたため、反対する理由が無かったということもあったが、それに加えて、日本が日露戦争に勝利した結果、政治力が強大化して欧米列強と並ぶ政治大国となり、自らの政治力によって領土の獲得や戦争を正当化できるだけの強力な政治力を確立した結果でもあったのである。ところが第二次世界大戦の結果、日本は敗戦国となり、それまで獲得した植民地や利権を全て失い、同時に政治力も失ってしまった。すると、今まで日本の政治力によって正当化されていた過去の領土の獲得や戦争を正当化することができなくなってしまった。その結果、日韓併合は侵略行為と言われるようになってしまったのである。
 更に、ベトナム戦争後の南北ベトナムの統一と、湾岸危機の時のイラクによるクウェートの併合を比べてみよう。1973年1月にパリで調印されたベトナム和平協定に基づき、アメリカ軍がベトナムから撤退した。その後、1975年に北ベトナム軍が南ベトナムに侵攻し、武力によって南ベトナムが北ベトナムに併合された結果、ベトナム戦争は終結した。当時、世界の多くの国は、同じベトナム人同士なのだから、南北ベトナムが一つの国になるのは当然だと考えた。そして、結果としてアメリカもこれを容認してしまった。しかし、同じ民族同士の国ならば武力によって併合してもよいと言うのなら、1990年の湾岸危機の時、同じアラブ人の国であるイラクによるクウェートの併合も容認しなければならなかったはずである。ところが、北ベトナムによる南ベトナムの併合が世界から容認されたのに対して、イラクによるクウェート併合は侵略行為とされてしまったのである。つまり、ベトナム戦争終了当時のアメリカは、ベトナム戦争の敗戦の結果、世界の大国としての政治力が一時的に低下していたのである。そのため、仮にアメリカが、北ベトナムによる南ベトナムに対する武力行使や国家の併合を侵略行為であると主張したとしても、世界に認めさせることができなかったのである。これに対して湾岸危機の時のアメリカは、世界の大国としての政治力を回復していたため、クウェートに対するイラクの武力行使を侵略行為と決めつけ、イラクに対して武力制裁をすることを世界に認めさせることができたのである。
 ベトナム戦争の前例から考えれば、現在のアメリカといえども、いつまでも大国でいられるという保証は無い。ベトナム戦争で失態を演じたように、国際紛争の解決に失敗するなどして国際社会の信用や政治力を失い、大国の地位を失う可能性もある。もし、そのようなことが起きたら、アメリカの軍事行動を正当化できなくなり、その結果として日本にアメリカ軍が駐留していることを日本国民の多くが疑問視するようなことも起き得るのである。そのような事態になったら、日本政府は日米安保体制を擁護することが困難になり、アメリカの保護によって成り立っている戦後体制は動揺することになってしまう。つまり、アメリカがいくら強力な武力を持っていても、それを行使することを正当化できる強力な政治力が失われてしまったら、武力行使を正当化することが困難になり、その結果として武力行使ができなくなってしまう可能性もあるのである。要するに、強力な武力を持っているだけでは軍事大国とは言えないのである。軍事大国とは、強力な武力を持っているのと同時に、武力行使を正当化できる強力な政治力を持った国のことである。
 更に、もし、アメリカの政治力が低下するようなことになれば、その強力な武力を持つことさえ困難になる可能性もある。たとえば、現在の日本の経済力や技術力からすれば、世界でも有数の規模の武力や核兵器を保有することも可能である。しかし、現在の日本が実際にそのようなことをしようとしたら、世界中から非難を浴びて孤立してしまうのは間違いない。なぜなら、戦後体制下の日本には、強力な武力の保有を国際社会に認めさせることができるような強力な政治力が無いからである。つまり、戦後体制下の日本は、自国の防衛ができるような強力な武力を持つことが経済的・技術的に可能であっても、それを正当化して国際社会に認めさせることができるような強力な政治力が無いため、強力な武力や核兵器を持つことができないのである。そのため、アメリカの政治力や武力の保護を受けざるを得ないのである。これも、戦後体制下の日本の安全保障に日米安保体制が不可欠な理由である。従って、アメリカが強力な経済力や技術力を維持できたとしても、大国としての強力な政治力を失ったら、戦後体制下の日本のように武力が大幅に低下してしまう可能性もあるのである。
 ところで、日本には、国連のような国際機関に国際秩序を維持する役割を期待している人たちが居るが、それは国連に対する過大な期待である。なぜなら、国連は、大国であるアメリカの存在を前提に成り立っているからである。そもそも国際紛争が起きても、それが侵略行為であるか否かを判定するのは大国であるアメリカである。更に、国連が国際紛争を解決するための武力行使を決定しても、それを実行するのは、やはり大国であるアメリカである。湾岸戦争の時のように、いくら国連決議という正当性を与えられても、アメリカのような強力な武力と政治力を持った国が中心にならなければ武力行使は不可能である。つまり、アメリカが大国としての強力な政治力を失うようなことになったら、国連も機能しなくなってしまうのである。


超大国の迷走

        超大国の迷走

 

 大国や超大国と呼ばれる国の最大の役割は、国際秩序を維持することであり、そのためには積極的に国際紛争にかかわり、必要に応じては武力行使もしなければならない。ところが、息子の方のブッシュが大統領になった頃からアメリカの軍事・外交政策が迷走し始めたのである。
 息子の方のブッシュ大統領は、イラクのサダム・フセイン政権による大量破壊兵器の開発や保有などを理由に、2003年3月にイギリスと共にサダム・フセイン政権を打倒するためにイラク戦争を開始した。米英軍は3月20日にイラクに対して開戦を宣言し、4月9日にイラクの首都バグダッドが陥落したため、サダム・フセイン政権は崩壊し、イラクは米英軍などによる占領下に置かれた。ところが、ブッシュ政権がイラク戦争の理由としていた大量破壊兵器は、アメリカによる必死の捜索にもかかわらず遂に発見されなかった。そして2004年10月6日、CIA(中央情報局)主導のイラク大量破壊兵器調査団は、イラク戦争開戦の2003年3月の時点で、イラクには、いかなる大量破壊兵器も存在しなかったという結論をアメリカ議会に提出した。これによってイラク戦争の大義名分だったサダム・フセイン政権による大量破壊兵器の開発や保有は、ブッシュ政権によるでっち上げだったことが明らかになったのである。また、アメリカとイギリスなどによるイラクの占領統治において大きな問題だったのが、テロリストによる攻撃である。ブッシュ大統領が2003年5月1日にイラクにおける大規模な戦闘の終結を宣言した後も、アメリカ兵やイギリス兵などに対するテロ攻撃が毎日のように起き、一向に収まる様子が無いどころか、ますます激化し、死傷者は増える一方だった。そのため、開戦当初、ブッシュ大統領を熱烈に支持していたアメリカ国民も、一向に減らないアメリカ兵の死傷者や安定しないイラクの治安状況のため、次第にイラク戦争に対して懐疑的になり始めた。イラク戦争の開戦から三年たった2006年頃には、アメリカ兵の死者は二千数百人という数になり、アメリカ国内に厭戦気分が蔓延し始めた。そして2006年11月、イラク戦争が最大の争点となった中間選挙の結果、ブッシュ大統領の与党の共和党が上下両院で議席数が過半数割れをしたことによって、イラク戦争がブッシュ政権の失策と見なされて国民の支持を失っていることが明らかになった。この選挙結果を受け、ブッシュ大統領は、イラク戦争推進の中心人物であったラムズフェルド国防長官を解任した。これは事実上、イラク戦争が失敗だったことをブッシュ大統領が認めたものである。そして、ブッシュ大統領が始めたアフガニスタンとイラクの二つの戦争を終結させると公約して当選したオバマ大統領は、2011年12月14日にイラク戦争の終結を宣言し、12月18日にはイラクに駐留するアメリカ軍の撤収が完了した。ところが、「イラクとシリアのイスラム国」と称するイスラム教スンニ派の武装集団がシリアの内戦に乗じてシリア国内で勢力を拡大し、更に2014年になるとイラク国内にも勢力を拡大した。つまり、オバマ大統領は、イラク政府に統治能力が十分に備わっていないにもかかわらずアメリカ軍を撤収させてしまったのである。オバマ政権は、「イスラム国」と名を変えた武装集団を壊滅させるべく「有志連合」の国々と共に「イスラム国」に対する空爆を行ったが、「イスラム国」を壊滅させるには至らなかった。オバマ大統領には、本格的に戦闘部隊を派遣してまで「イスラム国」を壊滅させようという意志は無かったのである。これでは、超大国の役割を果たしていたとは言えない。2017年10月17日に「イスラム国」が首都と主張していたシリアの都市ラッカが陥落したことによって、「イスラム国」は壊滅的な打撃を受け弱体化したが、アメリカの存在感は低く、中東地域の政治状況は混沌としている。
 2001年9月11日に起きた同時多発テロをきっかけに、息子の方のブッシュ大統領は、同時多発テロを実行した国際テロ組織アルカーイダを擁護しているアフガニスタンのタリバン政権を壊滅させるため、戦争を開始した。その結果、アメリカはタリバン政権を打倒することには成功したが、その後もタリバンはアフガニスタン各地で戦闘行動を続けている。そして、ブッシュ大統領が始めたアフガニスタンとイラクの二つの戦争を終結させると公約して当選したオバマ大統領は、2016年の末までに、アフガニスタンに駐留するアメリカ軍を完全撤収させる計画を実行しようとした。しかし、タリバンは依然としてアフガニスタン南部を中心に戦闘行動を継続し、勢力を拡大していた。そしてアメリカ軍がアフガニスタンから撤収した後にタリバンとの戦闘や治安維持を引き継ぐアフガニスタン政府の治安部隊は、訓練不足や武器不足が指摘され、戦闘や治安維持の能力に疑問が持たれていた。更に、2015年9月にアフガニスタン北部の都市クンドゥズがタリバンの攻撃を受けて一時陥落するという事態になり、アフガニスタン政府の治安部隊の能力に対する更なる疑問が生じた。これらの問題のため、もし、アメリカ軍がアフガニスタンから完全に撤退したら、2011年にアメリカ軍が撤退した後のイラクで「イスラム国」の台頭を招いたように、タリバンなどの反政府勢力が勢力を拡大する懸念が生じた。そこでオバマ政権は、2016年の末までにアメリカ軍を完全に撤収させる計画を見直さざるを得なくなってしまった。そのため、2015年10月15日、オバマ政権は、2017年以降も、5500人のアメリカ兵をアフガニスタンに駐留させる計画を発表したのである。この措置は、オバマ政権の対テロ戦略の行き詰まりと見なされている。こうして、オバマ大統領が公約していたアフガニスタンにおける戦争の終結は、断念することになったのである。これはまさにオバマ政権の迷走である。
 2011年に始まったアラブの春と呼ばれるアラブ諸国の政変の影響を受けて、シリアではアサド政権の打倒を目指す反アサド勢力が武装蜂起して内戦状態になった。そして2013年8月21日に反アサド勢力が、アサド政権が化学兵器を使用して多くの死傷者を出したと発表した。これに対して8月26日、オバマ政権は、アサド政権が化学兵器を使用した可能性が高いとの見解を示し、シリアに対して武力制裁を加える方針を示した。ところがオバマ大統領は、8月31日になると「武力行使について議会の承認を求める。」と述べ、アメリカ議会上下両院に、シリアへの武力行使に対する承認を求める意志を表明した。これは、事実上、シリアに対する武力行使の先送りである。更に、9月9日にアメリカのケリー国務長官が、「シリアが化学兵器をすべて国際管理に委ねたら、アメリカの攻撃回避は可能。」と述べたことに対して、ロシアのラブロフ外相がシリアの化学兵器を廃棄する案を表明すると、オバマ政権はこれを支持し、シリアへの武力行使は行わない可能性を示した。このようにオバマ政権のシリア対策は二転三転したのである。オバマ政権のシリア対策が、このような迷走をしたのは、イラク戦争の失敗に懲りてアメリカ国民に厭戦気分が蔓延していたことに加えて、オバマ大統領がもともと武力行使には消極的だったからである。
 ウクライナでは2014年2月にEU(ヨーロッパ連合)との連合協定を締結するか否かを巡り与野党の対立が激化した結果、ヤヌコビッチ政権が崩壊し、政治が混乱状態に陥った。ロシアのプーチン大統領は、このウクライナの混乱に乗じて、独立の気運が高まっているクリミア半島にロシア軍を徐々に派遣し、3月の始め頃、クリミア半島をロシア軍の実効支配下に置いた。これに対して、オバマ大統領は、プーチン大統領に対してロシア軍の撤収を求めたが、プーチン大統領は、これを拒否した。そして2014年3月16日にクリミア自治共和国がウクライナから独立することに賛成するか否かを問う住民投票が行われた結果、圧倒的多数の支持を得てクリミア自治共和国の独立が承認された。これを受けてプーチン大統領は、3月17日にクリミア自治共和国を独立国家と認める大統領令に署名した。更に、プーチン大統領は、3月18日、ロシアの国会議員を前にした演説の中でクリミア半島のクリミア自治共和国とセバストポリ特別市をロシアに編入する意志を表明し、編入条約の署名式を行った。これに対してアメリカ政府は、既に行われていたロシアの政財界関係者への資産凍結やアメリカへの渡航禁止と言った制裁措置を更に強化する意志を表明した。ただし、オバマ大統領は、3月19日に「ウクライナで軍事行動に関わるつもりはない。」と発言し、ロシアに対する軍事的な行動には消極的な姿勢を示した。一方、ロシアでは、3月20日には下院が、3月21日には上院が、クリミア自治共和国とセバストポリ特別市のロシアへの編入条約を批准し、クリミア半島はロシアに併合されてしまった。ロシアのプーチン政権によるクリミア半島のロシアへの併合は、国際秩序を否定する重大な事態である。イラクのサダム・フセイン政権が、クウェートを武力によってイラクに併合しようとしたのと同じことである。ところがオバマ政権は、このような国際秩序を否定する行為に対して、これを阻止するための有効な手段を何も実行できなかったのである。
 これらの出来事は、明らかにアメリカの超大国としての政治力が低下したことの現れであり、迷走以外の何でもない。しかもオバマ大統領は、2013年9月10日に行われた演説の中で「アメリカは世界の警察官ではない。」「すべての悪を正すのは、われわれの手に余る。」などと述べたのである。これでは、アメリカが超大国としての政治力を失い、国際秩序が崩壊して、世界が混乱に陥る可能性も否定できない。
 ソビエトという共通の敵の消滅によって、同盟国を団結させることが難しくなったことも、アメリカの超大国としての政治力が低下した理由である。しかしアメリカは、かつてのソビエトとは違い、依然として武力、経済力、技術力といった面では圧倒的な国力を持っている。その国力を国際政治の場で十分に発揮できないのは、同盟国共通の敵が消滅したという理由だけではない。息子の方のブッシュやオバマのような、超大国の指導者にふさわしくない大統領の存在も、アメリカの国力を十分に発揮できない理由である。
 一般的に国力と言うと、経済力や武力のような物理的な力だけを指して言われることが多いが、それは大きな誤りである。なぜなら、国力というものは単に経済力や武力のような物理的な力だけで決まるものではなく、国家の指導者の政治や軍事の才能といったものも国力を決定する上で重要な要素であることが、歴史を見れば明らかだからである。本来なら辺境の弱小勢力に過ぎなかった国や民族が、政治や軍事に天才的な才能を持った指導者が登場した結果、巨大な帝国に発展した例が歴史上いくらでもある。その典型的な例が、マケドニアとモンゴルである。
 ギリシャ世界の辺境国家に過ぎなかったマケドニアは、紀元前四世紀の後半にフィリッポス二世の才能によってギリシャ世界の覇者となった。そして、フィリッポス二世の後継者となった息子のアレクサンドロスの才能によってペルシャ帝国を武力で征服して巨大な帝国となった。また、抗争を繰り返していたモンゴル高原の諸部族は、十三世紀の初め、モンゴル部族を率いるチンギス・ハーンの才能によって統一され、モンゴル帝国が成立した。そしてチンギス・ハーンの率いるモンゴル帝国は、金帝国やホラズムなどの強国を武力で次々と撃破して世界帝国へと発展していった。アレクサンドロスによって征服されたペルシャ帝国にしろ、チンギス・ハーンによって撃破された金帝国やホラズムにしろ、軍事的にも経済的にもマケドニアやモンゴルに勝るとも劣らぬ強国だった。そのような国を武力で打ち破ったり征服したりすることを可能にしたのが、アレクサンドロスやチンギス・ハーンの政治と軍事の才能だったのである。
 ただし、イギリスに始まった産業革命以降は、マケドニアやモンゴルのように、弱小勢力が天才的な指導者の才能によって強大な帝国に発展することは不可能になった。それは、資本主義経済と産業革命によって生み出される膨大な物量や優れた技術が、戦争の勝敗や国力を決定する大きな要因になってしまったからである。資本主義経済と産業革命によって強大な経済力や武力を持つに至った強国を、天才的な指導者の才能で一時的に打ち破ることができても、征服するのは不可能である。しかし、だからと言って、国力を決定する上で、指導者の政治や軍事の才能が全く無用になったわけではない。なぜなら、アメリカやソビエトが超大国の地位を確立する過程で、フランクリン・ルーズベルトやトルーマン、そしてスターリンといった指導者の政治能力が必要不可欠だったからである。しかし、有能な指導者の力によって超大国となった国も、無能な指導者が登場して政治や軍事で大きな失敗をした結果、政治力が低下してしまう可能性はある。従って、現在、唯一の超大国と言われているアメリカが、経済力や武力といった物理的な力を維持することができても、無能な指導者が政治や軍事で何か大きな失敗をして政治力が低下してしまったら、超大国の地位を失う可能性もあるのである。
 第二次世界大戦の時、アメリカがナチスドイツと日本を同時に戦争で打ち破るほどの超大国になったのは、フランクリン・ルーズベルト大統領の政治能力の賜物であったと言える。なぜなら、同じアメリカでも、ベトナム戦争の時は、ジョンソン大統領の無能のために小国北ベトナムに戦争で敗れるような弱小国になってしまったからである。つまり、アメリカの国力の強弱は、大統領の政治能力によって大きく左右されるのである。
 現在のアメリカ大統領の強大な力は、フランクリン・ルーズベルト大統領によって確立され、その後の大統領に継承されている。しかし、大統領に就任した者が前任者から継承するのは、あくまで大統領のカリスマや国家の権威といった、最高指導者の役割を果たすために最低限度必要な力であって、政治手腕や判断力といった政治家としての能力は、大統領個人の能力に頼らざるを得ないのである。いくら強大なカリスマや権威を持っていても、政治的な判断を誤り、ベトナム戦争やイラク戦争のような失敗をするようでは、超大国の最高指導者は務まらないのである。そのため、超大国アメリカの大統領は、高度な判断力や政治手腕といった超大国の最高指導者にふさわしい能力を持った政治家でなければならない。従って、前任者から大統領のカリスマや国家の権威を引き継いだだけでは、アメリカ一国の防衛のような最低限度のことができる大統領にはなれても、フランクリン・ルーズベルトのような偉大な大統領や超大国にふさわしい大統領になれるわけではない。つまり、アメリカが第二次世界大戦に勝利して超大国の地位を確立できたのは、ルーズベルト大統領やトルーマン大統領といった傑出した最高指導者の政治手腕や判断力によってもたらされた奇跡なのである。従って、傑出した大統領の存在しないアメリカには超大国と言えるほどの実力は無いのである。つまり、ジョンソンや息子の方のブッシュ、そしてオバマのような無能な大統領が指導するアメリカは、経済力や技術力と言った力に限れば圧倒的な力を持っていても、指導者の政治的な能力を含めた総合的な力では、超大国とは言えないのである。
 かつてアメリカは、ベトナム戦争の敗北とニクソン大統領がウォーターゲート事件の責任をとって辞任したことによる政治の混乱と国家の権威の低下によって、超大国としての政治力が低下してしまった。この時期のアメリカは、国家の権威も大統領のカリスマの力も低下し、国民は自信を失い、政治も経済も混迷を続けていた。軍事・外交上の意志決定には最高指導者の強力なカリスマの力が必要である。ところが、ニクソン大統領が辞任した後のアメリカは、政治の混乱によって大統領のカリスマの力が低下した結果、軍事・外交上の意志決定をする能力が低下したため、軍事面では、ほとんど何もできない状態が続いていた。それを象徴する出来事が、ベトナム戦争が終わった時の南ベトナムの崩壊である。
 アメリカはベトナム和平協定に基づき、ベトナムから全ての軍を撤退させたが、その後も南北ベトナム間の戦闘がやむことは無かった。そして1975年になると北ベトナムは攻勢を強め、1975年4月30日には南ベトナムの首都サイゴンを陥落させる。こうして南ベトナムは崩壊してしまった。これに対して、アメリカのフォード政権も議会も、同盟国だった南ベトナムを助けようとはせず、見殺しにしてしまったのである。その理由の一つには、当時のアメリカはベトナム戦争の敗戦と反戦運動の影響によって厭戦気分が蔓延し、もはや戦争をする気力を失っていたということもある。しかし、それ以上に大きな理由は、ベトナム戦争の敗戦とウォーターゲート事件によって引き起こされた政治の混乱によって国家の権威と大統領のカリスマの力が低下した結果、非常独裁権が行使できなくなってしまったことである。
 この時期のアメリカが、かろうじて超大国の地位を守ることができたのは、超大国ソビエトが存在したためだった。西ヨーロッパなどの自由主義諸国には、ソビエトの軍事的脅威から自由主義諸国の安全を守ってくれる盟主が必要だった。そして、自由主義諸国の盟主が務まるような力を持った国は、アメリカしか存在しなかった。そのため自由主義諸国は、ソビエトの軍事的脅威に対してアメリカを中心に団結せざるを得なかったため、アメリカの超大国の地位は守られたのである。
 アメリカの政治力とアメリカ大統領のカリスマの力が低下して軍事・外交政策が停滞した状況は、レーガン大統領の登場によって打破された。レーガン大統領の自信に満ちた態度が、アメリカ国民の自信を取り戻し、アメリカの政治力や大統領のカリスマの力も復活する。そして軍事的にも、グレナダ侵攻やリビア爆撃をやってのける。このようにして、ベトナム戦争の敗北とウォーターゲート事件以来、低下していたアメリカの政治力と大統領のカリスマの力をレーガン大統領が復活させたのである。そして、レーガン大統領が復活させた大統領の強大な力は、そのまま父親の方のブッシュ大統領に継承されたのである。ブッシュ大統領が湾岸戦争の時に非常独裁権を行使できたのは、低下していた大統領の力をレーガン大統領が復活させておいたからに他ならない。従って、レーガン大統領は、湾岸戦争勝利の陰の功労者と言えるのである。
 一方でレーガン大統領は、ソビエトを「悪の帝国」とののしり軍拡競争を挑んだ。これに対して、経済が破綻状態にあったソビエトは耐えられなくなってしまった。そして1991年、遂にソビエトは崩壊してしまった。その結果、アメリカは、唯一の超大国になったが、同時に、超大国ソビエトというアメリカの超大国の地位を守る手段を失ってしまったのである。ソビエトが崩壊した後、ロシアや中国といった新たな脅威が出現したが、これらの国はソビエトのような超大国ではないため、アメリカの超大国の地位を守る手段としては不十分である。
 息子の方のブッシュ大統領やオバマ大統領の時代のアメリカは、超大国ソビエトというアメリカの超大国の地位を守る手段が失われたことに加え、ブッシュ大統領やオバマ大統領の凡庸な政治能力のため、イラク戦争、シリア問題、そしてクリミア問題などの迷走をすることになり、超大国としての政治力を低下させてしまったのである。
 また、アメリカが唯一の超大国になってしまったことそれ自体も、アメリカの超大国としての力を低下させた一因である。当初、第二次世界大戦後の国際秩序は、ヤルタ会談に参加したアメリカ、イギリス、ソビエトの三つの超大国によって維持されることになっていた。ところが大英帝国やソビエトの崩壊によってイギリスもロシアも超大国としての政治力を失い、国際秩序を維持する役割から脱落してしまったため、国際秩序の維持は、唯一の超大国となったアメリカだけの役割になってしまった。その結果、国際秩序を維持する重責がアメリカ一国にのしかかることになったため、アメリカに無理を強いることになり、力の低下に拍車をかけることになったのである。
 アメリカの指導者が、今後も息子の方のブッシュ大統領やオバマ大統領のような迷走を繰り返すようなら、遠からずアメリカは超大国の地位を失うだろう。そして、一度、超大国の地位を失ってしまったら、取り戻すのは極めて困難である。なぜなら、再び超大国の地位に就くためには、フランクリン・ルーズベルトのように強力なカリスマや指導力があり、トルーマンのように優れた外交能力のある指導者が登場する必要があるからである。しかし、歴史を見ればわかるように、そのような指導者が登場するのは極めて稀なことなのである。


超大国の破綻が戦後体制を消滅させる

   超大国の破綻が戦後体制を消滅させる

 

 戦後体制下の多くの日本人が信じている平和主義のイデオロギーを要約すれば、「第二次世界大戦は日本やドイツなどの枢軸国による残虐にして非道な侵略戦争であり、戦後の日本は侵略戦争を反省し、戦争を放棄して平和国家にならなければいけない。」ということになる。そして、日本の戦後体制は、このイデオロギーによって正当化されて維持されているのである。
 しかし、そもそも侵略戦争という言葉には客観的な基準や定義は無い。現在、第二次世界大戦が日本やドイツの侵略戦争だったと考えられている理由は、アメリカやソビエトが第二次世界大戦に勝利して強力な政治力を確立して超大国となった上で、第二次世界大戦は日本やドイツなどの枢軸国による侵略戦争だったと判定し、その判定結果を強力な政治力を背景にして日本人を含めた世界中の人間に受け入れさせているからである。従って、もし、ソビエトの崩壊によって唯一の超大国となったアメリカが、超大国としての政治力を失うようなことになれば、ある国の戦争が侵略であるか否かといった判定をする権限を持つ国は失われてしまう。そうなると、第二次世界大戦を含めたあらゆる戦争行為の是非は、各国が自国の都合の良いように好き勝手に決定することになる。その場合、中国や韓国のような日本を敵視する国々は、第二次世界大戦を日本の侵略戦争だと言い続けるだろうが、日本人自身が第二次世界大戦のことを日本の侵略戦争だと考える理由は無くなってしまうのである。そうなれば、日本が、「侵略戦争を反省して平和国家にならなければいけない」理由が無くなってしまうことになる。つまり、戦後体制下の平和主義のイデオロギーは、アメリカやソビエトなどの超大国の政治力を背景に成立し、正当化されているのである。従って、アメリカが超大国としての政治力を失うようなことになれば、平和主義のイデオロギーは正当性を失い消滅してしまうのである。そうなれば、戦後体制や戦後民主主義と呼ばれる日本の国家体制も正当性を失い消滅してしまうことになる。
 そもそも日本の戦後体制は、第二次世界大戦後にアメリカの軍事占領下で行われた占領政策によって作られた国家体制である。軍事占領は、国際法によって認められている正当な戦争行為ということになっているが、実際は、軍事占領をした国が敗戦国となったような場合、軍事占領が侵略行為というレッテルを貼られて否定されることが多い。つまり、戦争に敗れることによって政治力を失い、自らの戦争行為を正当化できなくなった結果、軍事占領を含めた戦争行為の正当性が失われ、その結果として侵略行為というレッテルを貼られて否定されてしまうのである。第二次世界大戦の敗戦国となった日本とドイツによる戦争中の軍事占領が侵略行為というレッテルを貼られて否定されているのが典型的な例である。逆に、戦勝国は、戦争に勝利することによって政治力が増大し、自らの戦争行為を正当化できるようになる。従って、アメリカによる第二次世界大戦後の日本に対する軍事占領が正当化されているのは、軍事占領が国際法によって認められている正当な戦争行為だからではなく、第二次世界大戦の戦勝国となり強力な政治力を確立したアメリカやソビエトの合意によって日本に対する軍事占領が正当化されているからなのである。
 軍事占領は、国際法によって認められている正当な戦争行為ではあるが、正式に講和条約が結ばれて法的に戦争が終結すれば、占領をやめて軍隊を撤退させなければならないことになっている。日本は、1951年(昭和26年)9月に自由主義諸国との講和条約であるサンフランシスコ平和条約に調印し、翌年の4月に発効した。その結果、日本は法的には独立国家となった。ところがアメリカ軍は、サンフランシスコ平和条約と同時に調印された日米安全保障条約に基づいて、その後も日本に駐留し続けることになったのである。戦後体制は、アメリカによる軍事占領を前提に作られたものである。従って、戦後体制を維持するためには、アメリカによる軍事占領を続けざるを得ないのである。そして、アメリカによる軍事占領の継続を法的に正当化する手段が日米安全保障条約なのである。つまりアメリカは、戦後体制と日米安全保障条約を作ることによって、日本を永久に軍事占領することが法的に可能になったのである。しかし、軍事占領が戦争行為である以上、日本とアメリカの間では、実質的には今でも戦争状態が続いていることになるのである。
 つまり、第二次世界大戦に勝利して強力な政治超大国となったアメリカやソビエトなどの強力な政治力によって日本に対する軍事占領が正当化されているのである。そしてアメリカは、その強力な政治力によって正当化された軍事占領を背景にして占領政策を行い、明治体制を否定して戦後体制を作ったのである。つまり、第二次世界大戦後のアメリカ軍による占領政策も、その占領政策の延長である戦後体制も、そして日米安保条約に基づくアメリカ軍の日本への駐留も、全て、超大国たるアメリカの強力な政治力によって正当化され、維持されているのである。
 第二次世界大戦後のアメリカ軍による日本に対する軍事占領や、日米安保条約に基づくアメリカ軍の日本への駐留を合法的で正当な行為と見るか、それともアメリカによる侵略行為と見るかは、各個人の主観の問題である。しかし、個人の主観には政治情勢の変化が決定的な影響を与えるという事実を忘れてはならない。たとえば、第二次世界大戦中は、ほとんどの日本国民が国家や天皇のために戦争に協力していたが、敗戦とそれに続くアメリカ軍による占領という政治情勢の変化によって、日本国民は、平和ぼけと言われるほどの平和主義者に変身してしまった。また、第二次世界大戦後の日本の政界や言論界で大きな影響力を持っていた社会主義のイデオロギーも、ソビエトの崩壊という政治情勢の変化によって影響力を失ってしまった。その結果、誰も社会主義国家を理想だとは思わなくなってしまった。これと同様に、もし将来、アメリカが超大国としての政治力を失うようなことが起きれば、日本人のアメリカに対する意識が激変し、アメリカ軍による日本の軍事占領が正当化できなくなり、アメリカの軍事占領下で行われた占領政策も、占領政策によって戦後体制を作ったことも、そして日米安保条約に基づくアメリカ軍の日本への駐留も、全て正当性が失われ、違法な行為と見なす人間が増え、侵略行為というレッテルを貼られて否定されてしまう可能性があるのである。このようなことになったら、日本政府も、アメリカ軍を日本に駐留させることを正当化できなくなり、日米安保体制も戦後体制も破綻するしか無くなってしまうのである。


明治体制の復活

      終わりに

 

 

              明治体制の復活

 

 戦後体制下の日本には最高指導者が存在しないため国家の防衛ができないが、日米安保条約に基づきアメリカの保護下にあるため、最高指導者が不在の欠陥体制でも、どうにか国家が成り立っている。しかし、将来、何らかの理由で日米安保体制が消滅してアメリカの保護を受けられなくなり、独立国家にならざるを得なくなった場合、このような欠陥体制では国家が成り立たない。
 現在、日米安保体制が維持されているのは、今の所は、日本国民やアメリカ国民、そして国際社会が、アメリカに超大国としての政治力があると見なしているからである。武力や経済力がいくらあっても、力の行使を正当化できるような強力な政治力が無ければ、その力を十分に使いこなせないのである。ベトナム戦争の敗戦の後、一時的とは言え、アメリカの政治力が低下した結果、軍事・外交政策が停滞した時期があったのがよい例である。従って、アメリカがブッシュ政権やオバマ政権のような迷走を今後も続けるようなら、ベトナム戦争の敗戦のような大きな失敗をして国家の権威が低下したり、大統領の政治力の低下によって非常独裁権が行使できなくなったりした結果として、軍事・外交政策が停滞する可能性もあるのである。そして、その結果としてアメリカの超大国としての地位が失われる可能性もあるのである。
 歴史上、超大国や覇権国家と呼ばれた国はいくつもあった。ペルシャ帝国、ローマ帝国、中国の漢、唐帝国、モンゴル帝国、そして大英帝国といった国々である。これらの国々は、一時期、強力な政治力や武力によって繁栄したが、結局、最後は弱体化して滅亡したり小国になったりしている。このように、超大国や覇権国家が永久に続いた例は無いのである。このような過去の歴史から考えれば、現在、超大国として世界に君臨するアメリカも、いずれはその力を失う時がやってくる可能性はあるのである。従って、日本がいつまでも国家の安全保障をアメリカに依存できる保証は無いのである。
 もし、アメリカが超大国としての政治力を失い戦後体制が消滅すれば、日本は新たな国家体制を作らざるを得なくなる。そして、もはやアメリカに国家の安全保障を頼れない以上、国家の防衛は日本が自ら行わざるを得なくなる。そのため、日本は明治維新の時のように、国家の防衛が可能な強力な国家体制を作らざるを得なくなるのである。
 国家の防衛のためには、国家の非常時において国民を一致団結させ、国家の軍事・外交上の決定に国民を従わせることができる強力なカリスマを持った最高指導者が常に存在する必要がある。そのためには、強力なカリスマを前任者から後任者へと安定して継承できる体制が必要である。そして、世界には、強力なカリスマを安定して継承できる体制として、大統領制と君主制の二種類が存在する。しかし、日本の場合は、最高指導者が必要になっても大統領制が成立することは無い。その理由は、日本には天皇以外の者が最高指導者になることを否定する独特の伝統・文化が存在するからである。
 その伝統・文化の一つが、天皇以外の者は、行政機関を指導する「行政の責任者」になることはできても、正統な国家の最高指導者になることはできない天皇制の伝統である。明治体制下の日本でも戦後体制下の日本でも、内閣総理大臣は「行政の責任者」の役職であり、国家の最高指導者の役職ではない。従って、たとえ国家の最高指導者にふさわしい能力を持った政治家が登場しても、その政治家が「行政の責任者」である内閣総理大臣に就任したところで、非常独裁権のような国家の最高指導者としての権限を持つことは不可能である。実際、内閣総理大臣が、そのような権限を持ったことは無い。これは、憲法を改正して大統領制や首相公選制を導入してみたところで結果は同じことである。
 更に、天皇以外の者が最高指導者になること否定する伝統・文化として挙げられるのが、現人神を信仰する伝統である。
 天皇は、明治維新の頃から現人神となった。そして、明治維新から太平洋戦争の敗戦に至る七十年以上の間、現人神たる天皇が国家の最高指導者として日本に君臨した結果、日本の社会に現人神を信仰する伝統が定着してしまった。その結果、日本人は無意識の内に、現人神でなければ最高指導者ではないと思い込むようになってしまった。そのため日本では、いくら強力で有能な指導者でも、現人神になれなければ、国家の最高指導者にはなれないのである。
 天皇以外の者で現人神となったのはマッカーサーだけである。しかし、マッカーサーが現人神となった背景には、いくつもの要因があった。日本人の現人神を信仰する伝統の存在。そして、太平洋戦争に敗れた結果、天皇のカリスマの力が低下して現人神としての力が失われているという日本の政治状況。この日本の政治状況の下で、超大国アメリカの政治力と武力を背景にしてマッカーサーという強烈な個性を持った人物による占領統治が行われたこと。マッカーサーが現人神となったのは、このようないくつもの要因が重なった結果として偶然に起きた出来事であり、極めて例外的なことである。従って、日本の一政治家がマッカーサーと同じことをするのは不可能である。そのため、将来の日本に、天皇以外の者が現人神として君臨する可能性は極めて低いと考えざるを得ないのである。従って、現人神を信仰する伝統のため、現人神になれなければ国家の最高指導者にはなれないことも、天皇以外の者が日本の最高指導者になることを阻んでいると言えるのである。
 欧米の近代国家の原点である社会契約説の理念は、国家や社会は人間の自由な意志に基づく社会契約によって作られたものであるから、あらゆる国家や社会は人間の自由な意志により、社会契約をやり直すことによって変更できるというものである。従って、近代の欧米人の理念では国家のあり方は人間の自由な意志によって決定できるということになる。ところが、明治維新以降の日本人には近代の欧米人のような、人間が国家のあり方を自由に決定するという理念が無いのである。明治維新以降の日本では、国家のあり方は現人神という宗教的権威を持つ者が決定するという考えが国民の無意識の中に定着してしまっている。従って、明治維新以降の日本人は、何らかの理由によって既存の国家体制が行き詰まり、今までとは違う全く新しい発想の国家体制を作らざるを得なくなった時、現人神が必要になるのである。黒船事件によって、江戸幕府には国家を防衛する能力が無いことが明らかになり、日本の国家体制を国家の防衛が可能なものに作り替えることが必要となった。そこで現人神たる明治天皇の力を背景に明治維新が起きたのである。また、太平洋戦争後の日本でも、アメリカによる軍事占領の下、マッカーサーという現人神が登場して戦後体制が作られたのである。このように、明治維新以降の日本では、新たな国家体制を作るためには現人神が必要なのである。従って、もし将来、何らかの理由で、日本が今までとは違う全く新しい発想の国家体制を作らざるを得なくなった時、明治維新の時のように、現人神たる天皇が、新たな国家体制を決定するために登場する可能性があるのである。
 現人神や「聖典化」した憲法のような宗教的権威によって国家が統治されるのが現人神を信仰する伝統である。そして、明治体制も戦後体制も、現人神を信仰する伝統に基づいた国家体制であることには変わりが無いのである。日本人の現人神を信仰する伝統は、太平洋戦争の敗戦や、それに続くアメリカの占領統治という衝撃的な事態に陥っても揺らぐことが無いほど強く日本の社会に定着している。そのため、明治維新以降の日本には、現人神を信仰する伝統に基づいた国家体制しか成立しないのである。
 明治維新以降の日本では、法の支配が確立された結果、法的な正統性の無い者が実質的な国家の最高指導者になることは不可能になった。明治維新以降の日本のような法の支配が確立された国家では、征夷大将軍のような、国家を統治する法的な正統性が無い役職にある者が、実質的な最高指導者になることは通常あり得ないのである。ただし、戦後の日本では、マッカーサーが現人神になることによって実質的な日本の最高指導者となったが、これは極めて例外的なものである。そして、天皇制の伝統が確立された日本では、古来より天皇以外の法的に正統な最高指導者の役職が存在したことは無く、皇族以外の者が天皇になることは不可能である。従って、明治維新以降の日本では、皇族以外の者が、名実共に最高指導者と言える役職に就任することは不可能なのである。アメリカなどの国で採用されている大統領制は、法の手続きに従えば、誰もが法的に正統な最高指導者の役職に就任できる制度である。しかし、天皇制の伝統と現人神を信仰する伝統が確立された日本では、アメリカのような大統領制が成立することも、内閣総理大臣がイギリスの首相のような実質的な大統領になることもあり得ないのである。日本の内閣総理大臣は、あくまで「法的に正統な行政の責任者」の役職なのである。
 国家が自立するためには国家の防衛が可能な国家体制が必要である。そして国家の防衛が可能な国家体制には、国家の非常時に国民を一致団結させることが可能な強力なカリスマを持った最高指導者が必要不可欠である。日本の独立国家としての国家体制は、明治時代に、古代より続いて来た天皇制の伝統に加えて、法の支配や現人神を信仰する伝統が加わった形で確立された。天皇制の伝統のため、天皇以外の法的に正統な最高指導者の役職はありえない。法の支配が確立された結果、法的に正統な最高指導者の役職にない者が実質的な国家の最高指導者になることは、ほとんどあり得ない。現人神を信仰する伝統のため、国家の最高指導者は現人神でなければならない。従って、明治時代以降の日本における独立国家としての国家体制は、現人神たる天皇が最高指導者として君臨する国家体制、すなわち明治体制以外は成立しようが無いのである。明治体制は、明治時代に完全に日本の社会に定着してしまったため、明治時代以降の日本は、独立国家になるためにも、独立国家を維持するためにも、明治体制を継承するしか無いのである。
 太平洋戦争後の日本では、明治体制は消滅したのではなく、超大国アメリカの政治力を背景になり立っている戦後体制によって封じ込められて、一時的に機能を停止させられているに過ぎないのである。戦後体制は、アメリカの超大国としての強大な政治力を背景にしたイデオロギーによって正当化されている。そのイデオロギーによると、明治体制なるものは、太平洋戦争のような侵略戦争を起こした野蛮で凶悪な国家体制であり、否定すべきものだということになっている。太平洋戦争後の日本国民は、このイデオロギーによって、明治体制は否定すべきものだと思い込まされているため、明治体制は機能を停止し、表面的には存在しないように見えるのである。従って、アメリカが、超大国としての強大な政治力を失えば、戦後体制の正当性が失われ、日本国民が明治体制を否定する理由が無くなるのである。その結果、停止させられている明治体制の機能が復活して、天皇の非常独裁権が復活することになる。その結果として、日本は真の独立国家になれるのである。
 つまり、戦後体制や戦後民主主義と呼ばれる太平洋戦争後の日本の国家体制は、超大国たるアメリカの政治力によって明治体制が復活しないように日本を政治的に封じ込め、超大国たるアメリカの武力によって日本を防衛することを前提に成り立っているのである。
 日本の歴史上、天皇は何度も国家を統治する力を失ったり取り戻したりすることを繰り返して来た。諸外国なら、既存の国家体制が国家を統治する力を失った場合は、何らかの方法で国家体制が作り変えられるのが普通である。近代のヨーロッパなら市民革命が起き、中国なら王朝の交替が起きるのである。ところが日本の場合は、天皇が国家を統治する力を失っても、市民革命が起きるわけでも王朝の交替が起きるわけでもない。幕府や戦後体制のような臨時の国家体制の下で、再び天皇が国家を統治する力を取り戻す時が来るのを待っているしか無いのである。


民主主義国家の虚構

      民主主義国家の虚構

 

 世界の多くの人間は、民主主義と呼ばれる国家体制について、二つの誤った認識をしている。
 誤った認識の第一は、民主主義には普遍性があるということである。つまり、世界中どこの国にも民主主義が成立するという認識は、明らかに誤っているのである。
 アメリカは、世界中の国に対して民主主義国家になることを要求している。そして、アフガニスタンやイラクを、武力を背景に民主主義国家に作り変えようとした。しかし、このようなことは極めて非現実的な行為である。ヨーロッパ諸国の民主主義は、中世以来、数百年という長い年月をかけて、宗教改革や市民革命といった変革が起き、信仰の内面化、内面の自由、社会契約説、啓蒙主義、法の支配、政教分離など、民主主義が成立するために必要な様々な伝統・文化が確立された結果として成立が可能になったものである。アメリカの場合は、もともとアメリカを建国した人々が宗教改革を経たイギリス人の一部だったため、アメリカ人自身が宗教改革をする必要は無かった。そして、アメリカのイギリスからの独立戦争が、同時に市民革命でもあった。しかし、アフガニスタンやイラクに限らず、世界には宗教改革や市民革命が起きたことが一度も無く、民主主義が成立するために必要な伝統・文化も確立されていない国が数多く存在するのが現実である。従って、アメリカが、こういった国々を民主主義国家にすると言うのなら、まずは十六世紀のヨーロッパでマルチン・ルターが始めたような宗教改革から始めなければならないことになる。しかし、実際にアメリカが民主化と称して世界各地で行って来たことは、アフガニスタンやイラクのような、民主主義が成立するために必要な伝統・文化が確立されていない国で、宗教改革も市民革命も抜きにして、いきなり憲法や選挙制度や議会制度といったものを作るという行為である。このような歴史も現実も無視した行為が失敗するのは当然のことである。要するに、アメリカ人は、民主主義国家の成り立ちを全く理解していないのである。
 民主主義国家が成立するために最低限度必要な条件が、政教分離と法の支配の確立である。
 政教分離が確立されていなければ、宗教が政治に介入する可能性が生じることになる。特にキリスト教やイスラム教といった一神教は、この世の全てが神の意志によって成り立っていると考えているため、主権在民が否定されかねない。特に、同じ一神教でもイスラム教は、キリスト教とは違い、宗教改革を経ていないため、政教分離と言う考えが無いのである。そのため、イスラム教徒が多数を占める国で自由な選挙を行うと、イスラム教の宗教政党が台頭する例が多いのである。そして、イスラム教の宗教政党が政治の主導権を握ると、イランのような宗教国家となり、主権在民を否定する政治が行われる可能性が生じるのである。
 また、法の支配の確立も民主主義国家が成立するためには必要である。たとえば、国家の最高指導者や政治家を選ぶための選挙をする場合、法の支配が確立されていない国では、法の手続きによる権力の継承ができないため、選挙を行っても選ばれた者が国家の指導者になれるか否かわからないのである。更に、軍事クーデターなどによって選挙結果が否定されるようなこともある。また、国民に自由を与える場合も、法の支配が確立されていない国の国民には自ら進んで法・秩序に従う慣習が無いため、自由を与えたら犯罪行為が増加して治安が悪化したり、政治や社会が混乱したりするような場合が多いのである。
 政教分離や法の支配と言った民主主義国家が成立するための条件が確立されていないため民主化が行き詰まった例が、世界には数多く存在する。その典型的な例がエジプトである。
 2011年1月にチュニジアで起きた政変をきっかけに「アラブの春」と呼ばれる政変がアラブ諸国に波及していった。その影響によってエジプトでは2011年2月11日にムバラク政権が崩壊した。
 そして、エジプトでは2011年11月から翌年1月にかけて行われた下院議会選挙の結果、イスラム原理主義組織のムスリム同胞団の政党である自由公正党など、イスラム原理主義勢力の政党が議席の70%を占めることになった。そして2012年6月に行われた大統領選挙では、ムスリム同胞団が支援するモルシ氏が当選した。こうしてエジプトは、一旦は、イスラム原理主義勢力が政治の主導権を握ることになったのである。民主主義国家や近代国家を維持するためには、宗教を政治に介入させてはいけないにもかかわらず、エジプト国民は宗教政党を支持してしまったのである。従って、既に、この時点でエジプトの民主化は危機に瀕していたことになる。
 モルシ大統領は、イスラム法に基づいた国作りを行おうとしたが、経済や治安の悪化によって国民の不満が募っていった。そして、モルシ政権に不満を持つ民衆が、2013年の6月末から7月初めにかけて、モルシ大統領の退陣を要求する大規模なデモを行った。このデモを口実にして、シシ国防相を中心とした軍が2013年7月3日にクーデターを起こしてモルシ政権を打倒した。そして、モルシ政権に不満を持っていたエジプト国民の多くが、軍のクーデターを歓迎したのである。法の支配は民主主義にとって最も重要なものである。従って、時の政権に対していくら不満があろうと、軍事クーデターのような法の手続きによらない手段による政権交替など絶対に認めてはならないのが民主主義である。エジプト国民がモルシ大統領を辞めさせたいのなら、次の大統領選挙を待っているしか無かったのである。つまり、エジプトには法の支配が確立されていないのである。そのため、エジプトは、中国と同じく、軍や警察といった国家機関の力によって国民を法・秩序に従わせなければ法・秩序が維持できないのである。従って、エジプトも中国と同じく、武断政治によってのみ統治できる国であり、軍を制する者が国家を制する国なのである。モルシ大統領が軍のクーデターで倒されたのは、モルシ大統領が軍を制することができず、武断政治ができなかったからである。つまりエジプトでは、選挙といった民主的な手続きよって国家の最高指導者の役職に就任しても、軍を制して武断政治をすることができなければ国家の最高指導者は務まらないのである。このような国に民主主義が成立することは、あり得ないのである。
 エジプト軍を制する力を持っているのが、モルシ大統領をクーデターで倒したシシ氏である。そのシシ氏は、2014年5月に行われたエジプト大統領選挙に出馬して当選し、6月8日に大統領に就任した。軍を制する力を持っているシシ氏が大統領に就任したため、シシ氏は名実共にエジプトの最高指導者となった。しかし、シシ氏の大統領就任は、ムバラク政権時代と同様の武断政治への復帰を意味するものであり、エジプトの民主化の挫折を意味するのである。エジプト国民は民主化よりも、力による政治や社会の安定を選んだのである。
 世界には、エジプトと同様に、政教分離や法の支配と言った、民主主義国家が成立する条件を満たしていない国が数多く存在するのである。ところが欧米諸国は、そういった国々に対しても民主主義国家になることを要求しているのである。そのため、欧米諸国の言う通りに民主主義国家を作ろうとしている国の多くが、政治や社会の混乱、あるいは国家の機能の停滞といった事態に悩まされているのである。
 結局、人間は、国や民族固有の伝統・文化の枠の中でしか物事を理解することができないのである。そして国家体制は、国や民族固有の伝統・文化の産物なのである。民主主義国家にしてみても、所詮は欧米固有の伝統・文化の産物であり、欧米とは異なる伝統・文化を持つ国や民族には通用しないのである。日本や中国が民主主義国家になれないのは、結局、欧米の伝統・文化の産物である民主主義と日本や中国の伝統・文化が噛み合わないからである。中国には民主主義国家の実現のために命がけで活動している人たちが存在する。しかし、たとえ将来、彼らが政権を取ることがあっても、法の支配が確立されていない中国では、古代から連綿と続く、秦の始皇帝流の統治を継承するしか無いのである。従って、民主主義国家に普遍性があるという考えは虚構に過ぎないのである。
 民主主義についての誤った認識の第二は、民主主義は独裁者の存在と独裁権力の行使を否定しているということである。
 一般的に言われている民主主義国家は、国家の指導者が独裁者となることを防ぐことによって国民の主権・自由・権利といったものを守るための国家体制ということになっている。そして、一般的に言われている民主主義国家では、国家の最高指導者には人間の意識を変えるような強力なカリスマは持たせず、三権分立や議会政治によって最高指導者が独裁者になることを防ぐということになっている。
 ところが現実は、非常事態に対処する場合や国家の防衛のためには、強力なカリスマを持った最高指導者の指導の下、国民が一致団結して行動しなければならない場合もある。従って、一般的に言われている民主主義国家では、非常事態への対処や国家の防衛ができないことになる。これでは国家とは言えない。つまり、一般的に言われている民主主義国家とは、非常事態に対処する能力や国家を防衛する能力が無い、虚構の民主主義国家なのである。
 たとえて言うのなら、一般的に言われている民主主義国家の「設計図」には、非常事態に対処する機能や国家を防衛する機能が無いという、設計上の欠陥が存在するのである。フランス革命の指導者たちも、ドイツのワイマール共和国を作った指導者たちも、この一般的に言われている民主主義国家の設計上の欠陥に対して十分な処置を施さないままで民主主義体制を作ってしまったのである。そのため、フランスの第一共和政もドイツのワイマール共和国も、国家の非常事態に対処できず、国民の信用を失い崩壊してしまったのである。その結果、ナポレオンやヒトラーのような独裁者が登場することになったのである。
 一方、民主主義国家の確立に成功したアメリカとイギリスでは、一般的に言われている民主主義国家の「設計図」に対して「最高指導者のカリスマを継承する体制」や「独裁権力の行使を非常事態に限定する慣習」と言った「設計変更」を加えることによって非常独裁制を確立した結果、国家の非常事態に対処できる現実的な民主主義国家が完成したのである。ただし、その「設計変更」は、長い時間をかけ、いくつもの戦争や国家の危機を経験し、多くの人命を犠牲にした結果として行われたものである。そのため、欧米諸国のような民主主義の伝統・文化を持った国でも、現実的な民主主義国家は容易には成立しないのである。ところが、今日、世界で一般的に民主主義国家とされている国家は、「設計変更」によって非常独裁制が確立された現実的な民主主義国家ではなく、「設計変更」される以前の虚構の民主主義国家なのである。つまり、世界の多くの人間は、アメリカやイギリスのような現実の民主主義国家が、「設計変更」されたものであることに全く気がついていないのである。そして、欧米諸国が虚構の民主主義国家を世界中に広めてしまった結果、民主主義国家と言う名の欠陥国家が世界中で粗製濫造されることになってしまったのである。
 「設計変更」によって非常独裁制が確立され、現実的な民主主義国家になったアメリカとイギリスでは、平時における独裁権力の行使を禁じているだけであって、国家の非常時には独裁権力が行使されるのである。そして、国家の非常時に限るとは言え、独裁権力を行使するということは、独裁者が存在しているということである。従って、民主主義国家は独裁者の存在と独裁権力の行使を否定しているという認識は、虚構なのである。
 現在の世界には、アメリカやイギリスのような国家の非常事態に対処できる仕組みを確立した民主主義国家は、ほとんど存在しないのである。そのため、世界の民主主義国家の多くが、アメリカの政治力や武力によって保護してもらわなければ国家の非常事態に対処できず、民主主義体制を維持できないのである。従って、もし、アメリカが超大国としての政治力を失い、世界の警察官の役割を放棄するような事態になったら、世界の民主主義国家の多くが、国家を揺るがすような非常事態に陥った時、フランスの第一共和政やドイツのワイマール共和国のように破綻しかねないのである。
 つまり、「民主主義には普遍性がある」、「民主主義国家は独裁者の存在と独裁権力の行使を否定している」、「三権分立や議会政治によって独裁者の登場を阻止できる」と言った理念は、あくまでイデオロギー上のものであって、事実ではないのである。つまり、欧米諸国が掲げている民主主義は、かつてソビエトが掲げていた社会主義と同様の虚構なのである。
 一般的には、民主主義は世界の潮流であって、これからの世界の進むべき道であると思われている。しかし、思い出して欲しいのは、ソビエトの崩壊以前、世界の多くの人間が、社会主義のことを世界の潮流であり進歩であり歴史の到達点であると思っていたという事実であり、ソビエトが崩壊すると、ほとんどの人間が社会主義のことを世界の潮流だとも進歩だとも思わなくなってしまったという事実である。つまり、社会主義が進歩的であると思われていたのは、超大国であるソビエトの政治力の影響に過ぎなかったのである。これと同じことが、日本のような、民主主義国家が成立するために必要な伝統・文化が欠けている国にとっての民主主義にも言えるのである。つまり、日本における民主主義とは、超大国であるアメリカの政治力が、日本に形だけの民主主義を流行させているに過ぎないのである。従って、もし将来、アメリカの超大国としての政治力が低下するような事態になれば、日本人は、ソビエト崩壊後の社会主義と同様に民主主義を忘れてしまうだろう。



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