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民主主義の虚構

        民主主義の虚構

 

 私は、一般的に言われている民主主義国家は、虚構だと考えている。それは、次のような理由である。
 一般的に、民主主義国家と独裁者については、おおよそ次のような理論によって説明されている。
 「民主主義とは、主権者たる国民が政治に参加して自由に政策や国家のあり方を決めることができる国家体制であり、国民の自由や権利を守るための国家体制である。そして、国民の主権、自由、権利といったものを守るためには、国家の最高指導者が独裁者になることを防ぐ仕組みが必要である。独裁とは、強力なカリスマを持った最高指導者が、その強力カリスマの力によって国民の意識を変えて自由な思考をできなくしたり、憲法や法律に違反する権力を行使したり、憲法や法律によって定められた議会の承認による手続きが必要な権力の行使を議会の承認無しで行ったりすることによって、主権者たる国民の自由や権利を制限することである。このような独裁権力の行使から国民の自由と権利を守る仕組みが三権分立と議会政治である。まず、国家の最高指導者には、国民の意識を変えるような強力なカリスマは持たせない。そして、法的権限を法の執行権、立法権、司法権の三つに分割し、最高指導者には法の執行権のみを与える。更に、法を執行する最高指導者、立法府である議会、司法権を行使する裁判所に、それぞれ対等の力を与えて互いに監視させ、三者の中の一つが独走することを防ぐのである。また、最高指導者が権力の行使や法律の制定をする場合も、法律によって定められた議会の承認などの民主的な手続きに従わせなくてはならない。更に、国民には、言論の自由や思想の自由、そして知る権利などを与え、議会やジャーナリズムと共に最高指導者を監視するのである。このようにして、国家の最高指導者が独裁者になることを防ぎ、国民の自由と権利を守るのである。」
 しかし、本当に三権分立と議会政治によって独裁者の出現を防ぐことができるのなら、民主主義体制が独裁体制に取って代わられるようなことは起きないはずである。ところが、実際は、フランスの第一共和政がナポレオンの独裁体制に取って代わられたり、ドイツのワイマール体制がヒトラーの独裁体制に取って代わられたりしたように、民主主義体制が独裁体制に取って代わられた例は無数に存在するのである。これでは、民主主義国家なるものは虚構だと言われても仕方が無い。
 一体どうして、国家の最高指導者が独裁者となり、民主主義体制が独裁体制に取って代わられるようなことが起きるのか。このことについて、学者も言論人も、いまだに、まともな説明ができていないのである。それは、彼らが、国家の最高指導者の役割を理解していないからである。
 私が「第一章 国家には独裁者が必要だ」で述べていることは、国家の最高指導者の役割である。国家の最高指導者が、いかなる役割のために存在するのかを理解すれば、民主主義体制が独裁者に取って代わられる理由も理解できるのである。


最高指導者無くして戦争は不可能

 第一章 国家には独裁者が必要だ

 

 

        最高指導者無くして戦争は不可能

 

 私が国家の最高指導者の役割について理解するきっかけになったのが、湾岸戦争である。
 1990年8月2日、イラク軍は突如クウェートへ侵攻し、占領下に置く。
 これに対して国連安全保障理事会はイラク軍の撤退を要求する決議をするが、イラクはこれを無視して占領を続ける。そして8月8日にイラク政府はクウェートのイラクへの併合を宣言する。
 このイラクの行為に対して国連の安全保障理事会は、8月25日に対イラク制裁限定武力行使決議を採択する。これを受けてアメリカのブッシュ政権は、ペルシャ湾岸へ、戦争のための兵員や物資の輸送と艦船の派遣を始める。アメリカは五十万人という、ベトナム戦争以来の大軍をペルシャ湾に送り込んだのである。
 そして11月29日、国連の安全保障理事会は、1991年1月15日の期限までにイラク軍がクウェートから撤退しない場合、国連加盟国がイラクに対して武力行使をすることを認める決議をする。
 この時のジャーナリズムや言論人の関心は、果たしてイラク軍は期限までに撤退するのか、そして撤退しなかった場合、アメリカは本当にイラクに対して武力行使をするのかという点にあった。特に懸念されたのが、クウェートの武力解放となると、兵士同士の地上戦になるということだった。もし、これが長期化して多くのアメリカ兵が犠牲になるようなことになると、最悪の場合はベトナム戦争の時のような政治の混乱が起きかねないのである。
 私は、この時、イラク軍が期限までに撤退しなくても、アメリカは武力行使をしないだろうと考えていたのである。それは次のような理由である。
 そもそも戦争をする為には、国民の一致団結した戦争への支持が必要である。ところが当時のアメリカの国民世論は、対イラク戦争を巡って分裂状態にあった。戦争に賛成が45%であるのに対して、戦争に反対もしくは慎重な意見がやはり45%であった。国民世論が政治に大きな影響を与えるアメリカでは、戦争をする場合、国民世論の支持が絶対に必要なのである。
 そのよい例が、アメリカが第二次世界大戦に参戦した時のことである。アメリカが第二次世界大戦に参戦する直前まで、アメリカ国民の大多数が参戦に反対していた。そもそもフランクリン・ルーズベルト大統領自身が、第二次世界大戦には参戦しないことを公約して大統領選挙に当選したのである。しかし、アメリカにとってのヨーロッパの戦局は日増しに悪化する一方だった。ナチスドイツはヨーロッパ諸国を次々に征服し、イギリス軍は命からがらダンケルクから撤退するという有様だった。アメリカが一刻も早く参戦してヨーロッパへ救援に駆けつけなければ、ヨーロッパどころか世界までがヒトラーによって征服されそうな状況だった。もし、そのような事態になったら、アメリカの安全さえ危うくなってしまう。そのため、ルーズベルト大統領は焦っていた。しかし、アメリカは国民世論が政治に大きな影響を与える国である。国民世論が参戦に反対である以上、ルーズベルト大統領としても、どうしようもなかった。そこへ突如、日本軍が真珠湾を攻撃して来た。その結果、アメリカの国民世論は一気に参戦支持に変わってしまった。これによって、ようやくルーズベルト大統領は、第二次世界大戦への参戦の決断が可能になったのである。
 戦争は軍隊だけですることではない。戦争は国家・国民が一体となって行う一大事業である。そのため、国家が戦争をする場合は、戦争に対する国民の一致団結した支持が必要不可欠である。国民の団結を欠いた状態で戦争が行われた結果、相手に対して圧倒的な武力や経済力を持ちながら、その力を十分に発揮できず、結局は敗れてしまった例がいくつもある。日露戦争の時のロシア帝国やベトナム戦争の時のアメリカがよい例である。日露戦争の時のロシア帝国は、既に革命寸前の状態にあり、血の日曜日事件のような混乱が起きていた。とても国民が一致団結して日本と戦争ができるような状態ではなかった。その結果、ロシア帝国は、日本に対して圧倒的な武力や経済力を持ちながら戦争に敗れてしまったのである。また、最前線で戦っている兵士たちにしてみれば、国民の一致団結した声援があってこそ、命がけで国家のために戦う意志を持ち続けることができるのである。ところがベトナム戦争の時のアメリカ国民は、自国の兵士や国家に対して、声援どころか戦争反対の罵詈雑言を浴びせていたのである。これでは兵士たちが国家のために戦う意志など持てるわけが無い。結局、アメリカは、北ベトナムに対して圧倒的な武力や経済力を持ちながら敗れてしまったのである。
 私は、こういった過去の歴史的事実から、湾岸戦争も、国民世論の一致団結した支持が十分得られていない状態で戦争を強行すれば、ベトナム戦争の二の舞になるだろうと考え、それを恐れてブッシュ大統領は武力行使をしないだろうと予想したのである。
 ところが結果は、私が全く予想しないものになってしまった。1991年1月17日、ブッシュ大統領は開戦を決断し、戦闘が始まってしまったのである。
 しかも、その時、私にとって開戦よりも遙かに驚くべきことが起きたのである。何と、開戦と同時にブッシュ大統領に対するアメリカ国民の支持率が89%にまで上昇したのである。つまり、それだけのアメリカ国民が開戦を支持したということである。
 ブッシュ大統領の決断によって戦闘が始まると、アメリカ軍は圧倒的な武力によってイラク軍をクウェートから駆逐して勝利したのである。
 私がこのように湾岸戦争の予想を間違えた理由は、当時の私が国家の最高指導者の役割を全く理解していなかったことにある。
 湾岸戦争の開戦以前は、開戦を巡って分裂状態にあったアメリカの国民世論が、開戦と同時に開戦支持に変わったのは、アメリカの最高指導者である大統領の役職に備わっている強力なカリスマの力によって、アメリカ国民の意識が変えられたからである。カリスマとは、多くの人間を無意識の内に従わせる力である。強力なカリスマを持つ者が意志表明をすると、多くの人間が無意識の内に、その意志を受け入れてしまうのである。つまり、実際はカリスマの力によって与えられた意志なのに、それを自分自身の意志だと思い込んでしまうのである。これがカリスマの力である。このように、国家の非常時に大統領のカリスマの力によって国民の意識が変えられてしまうということは、湾岸戦争以前の私にとっては全く考えられないことだった。私は、この湾岸戦争で、アメリカ大統領の恐るべき力を思い知らされたのである。
 ただし、湾岸戦争をアメリカの勝利に導いた要因としては、ブッシュ大統領個人の政治手腕もあったことは確かである。しかし、アメリカ大統領の役職に備わった強力なカリスマの力が無ければ、ブッシュ大統領は政治手腕を発揮することができなかったのである。従って、アメリカ大統領の役職に備わった強力なカリスマの力が、アメリカが湾岸戦争に勝利した最大の理由であったと言えるのである。
 私は、国家の最高指導者の決断が国民の意識を変えることもあるということを湾岸戦争で初めて認識したのである。
 国家の最高指導者とは、国家にとっての重大な決断をすることによって国民の意識を変えることができる強力なカリスマを持った指導者のことを言うのである。このような力を持った指導者が存在しなければ、国家の危機に対処することは困難である。国家の危機に直面した時に、国民の考えが一致せず世論が分列していたり、国民が何をやってよいのかわからなくなり混乱したりしていたのでは、国家としての秩序ある行動ができなくなり、危機に対処するどころではなくなってしまう。更に、国家の危機でも、武力行使が必要な場合は、国民が戦費の負担をしたり、戦争によって国民生活が圧迫されたり、場合によっては、空襲、ゲリラ攻撃、テロリズムなどにより一般国民が直接武力行使を受けたりするなど、国民に苦痛を強いることになりかねず、国民の反発を招きかねない。そのため、最高指導者のカリスマの力によって国民の意志を一つにまとめ、全国民が一致団結して最高指導者と共に危機に対処しなければならないのである。これができなければ、いくら強力な軍隊を持っていても、まともな戦争はできないのである。軍隊は、国家と国民が団結して一体となった状況でのみ機能するものである。つまり、国家の危機が発生した時、いつでも国家と国民を一致団結させることができる体制が整っていなければ、国家の危機に対処することはできないのである。そのため、国家には強力なカリスマを持った最高指導者が必要不可欠なのである。
 国家の非常時における国民の一致団結は、自然にできあがる場合がある一方で、人為的に作られる場合もあるのである。つまり、国家の最高指導者は、国家の非常時における国民の一致団結を人為的に作る役割のために存在するのである。
 湾岸戦争から十二年後の2003年3月に息子の方のブッシュ大統領が始めたイラク戦争でも、湾岸戦争の時と同様のことが起きている。イラク戦争開戦以前、イラク戦争に対するアメリカ国民の支持率は56%だったが、開戦後は74%へと上昇した。これは、このイラク戦争にアメリカと共に参戦したイギリスのブレア首相も同様だった。開戦以前は、イギリス国民の90%がイギリスのイラク戦争への参戦に反対し、支持する国民は存在しなかった。ところが、イラク戦争が始まると、戦争に対するイギリス国民の支持率は60%近くにまで上昇したのである。つまりイギリスの首相は、アメリカ大統領に匹敵する力を持っているのである。
 ただし、アメリカが戦争をする場合、いつでも湾岸戦争の時のようにうまくいくとは限らない。ベトナム戦争のような失敗例もある。
 アメリカのジョンソン大統領は、1964年8月2日に起きたトンキン湾事件をきっかけに、北ベトナムに対する武力行使を始めた。これによってベトナム戦争は本格的なものになった。この時点では、アメリカ国民の大多数が戦争を支持していたのである。ところが、当初三ヶ月ほどで片が付くと予想されていたベトナム戦争は、何年たっても終わらず、戦況は泥沼状態に陥る。更に、ジャーナリズムによってソンミ村の虐殺を始めとするアメリカ軍による残虐行為が報道され始める。すると、アメリカ国民は次第に戦争に懐疑的になり始め、ジョンソン大統領の指導力の低下もあって、ベトナム反戦運動が政治を揺るがすほどに激化してしまった。そのため、ベトナム戦争は政治的にも泥沼状態に陥ってしまった。その結果、アメリカ国内に厭戦気分が蔓延し、アメリカ国民の団結が失われてしまった。そして遂に、超大国アメリカは小国北ベトナムに敗れてしまったのである。このベトナム戦争の反省から、湾岸戦争の時、ブッシュ政権は短期間で戦争を終わらせることに全力を挙げたのである。


カリスマも権力だ

       カリスマも権力だ

 

 明治維新によって成立し、日本が太平洋戦争に敗れた後に否定されることになった国家体制を、とりあえず明治体制と呼ぶことにする。
 私の考えでは、この明治体制における国家の最高指導者の役職は天皇である。しかし、一部の学者や言論人は、明治体制下の天皇は自ら意志決定をしたことがほとんど無く、更に昭和天皇に関しては、自ら意志決定をしたのは二・二六事件と、太平洋戦争の終戦のためにポツダム宣言を受諾した時だけであるという理由で、明治体制下の天皇が戦後体制下の天皇と同様に権力を持たない象徴的な存在だったと主張している。しかし、明治体制下の天皇が自ら意志決定をしたことがほとんど無かったからと言って、天皇が権力を行使したことが無かったと考えるのは間違いである。
 明治維新から太平洋戦争の敗戦に至るまで、天皇は明治・大正・昭和と三代にわたり最高指導者として日本に君臨した。その間、軍事・外交上の重要政策は、最終的には天皇の裁可が無ければ決定できなかった。天皇の裁可が下る前の段階では、元老や大本営政府連絡会議による決定が行われた。しかし、元老や大本営政府連絡会議の決定は、国家の正式な決定ではなく、政府の実力者による非公式な合意に過ぎなかったのである。明治体制下の日本では、最高指導者である天皇の裁可があって初めて国家の公式な意志決定となるのである。そのため、軍事・外交上の重要政策を決定する場合は、天皇の臨席の下に御前会議が開かれたのである。この御前会議こそ、国家の最高指導者としての天皇が権力を行使する場だったと私は考えているのである。
 一般的に、権力の行使と言うと、法的権限の行使のことを言う場合が多い。しかし、国家の指導者が法的権限に基づいて重大な意志決定をしても、国民がこれに従わなければ、その決定は事実上無効になってしまう。特に、戦争のような国民に多大な負担や犠牲を強いる決定に対しては、国民が反発して従わないような事態が起きる可能性もある。そのため、アメリカ大統領やイギリスの首相のように、最高指導者のカリスマの力によって国民の意識を変えなければ、戦争のような国家の重大な意志決定に国民を従わせることができない場合もあるのである。つまり、国家の重大な意志決定は、法的権限の行使と同時に最高指導者のカリスマの力を行使することによって始めて可能になる場合もあるのである。要するに、最高指導者のカリスマの力も、法的権限と同様に国家を運営する上で必要不可欠な国家権力なのである。従って、カリスマの力の行使も権力の行使であり、法的権限の行使だけが権力の行使ではないと言えるのである。
 明治体制下の日本では、国家の最高指導者としての天皇が持っているカリスマの力によって国民の意識を変えることができて、始めて開戦の決定のような重大な決定に国民を従わせることができたのである。明治体制下の日本では、法的権限の行使は主に内閣総理大臣などの閣僚の役割であり、天皇が自ら法的権限を行使することはほとんど無かった。天皇の主たる役割は、国家の重大な意志決定において強大なカリスマの力を行使することだった。ところが学者や言論人の中には、法的権限の行使だけが権力の行使だと思い込んでいる者が数多く存在している。そのような学者や言論人から見れば、法的権限を行使することがほとんど無い明治体制下の天皇は、形だけの存在にしか見えないのである。そこで彼らは、明治体制下の天皇が権力を持たない象徴的な存在だったと主張しているのである。しかし、カリスマの力が権力である以上、天皇が持つ強大なカリスマの力を行使することは、天皇による権力の行使であると考えざるを得ない。従って、明治体制下の日本における御前会議は、天皇が権力を行使する場だったと言えるのである。
 ただし、明治体制下の最高指導者だった天皇は、明治維新が起きた時から国家の最高指導者としての強力な力を持っていたわけではなかった。明治維新の後、明治政府は、廃藩置県、徴兵制の導入、廃刀令、秩禄処分といった政治の大改革を断行するが、これらの改革は特権階級である武士から、あらゆる特権を剥奪し、最終的には武士階級を消滅させる政策である。従って、日本中の武士の反発を呼ぶことは避けられなかった。特に1871年(明治4年)の廃藩置県の時は、大久保利通や木戸孝允といった政府の実力者も、特権を奪われることに対する不満から武士の反乱が起きることを恐れていた。この非常事態を乗り切るため、明治政府は西郷隆盛の力を頼ることになった。本来なら、このような非常事態において国民を一つに団結させ、国家の秩序を維持するのは、最高指導者である明治天皇の役割である。しかし、明治政府が成立したばかりの頃は、まだ明治天皇の最高指導者としての力は不十分だった。一方、西郷隆盛は、明治維新の最大の功労者であり、強力なカリスマと指導力で薩摩・長州・土佐の八千人の兵からなる御親兵を率いていた。明治政府は、西郷隆盛のカリスマの力と武力で武士たちの不満を押さえつけて廃藩置県を断行したのである。このように、明治政府が成立したばかりの頃の西郷隆盛は、明治天皇に代わって最高指導者の役割を代行していたのである。更に明治政府は、1873年(明治6年)には徴兵制を導入した。これによって武士は、武力を担う役割を奪われてしまった。ところがその後、西郷隆盛は、大久保利通らとの権力闘争に敗れて下野してしまう。その結果、西郷隆盛という強力な指導者を失った明治政府は、指導力が低下してしまう。しかし、その後も明治政府は、廃刀令や秩禄処分といった改革を次々と断行していった。こうした一連の改革の結果、多くの武士が特権を奪われてしまった。しかし、西郷隆盛という強力な指導者を失い指導力が低下した明治政府に武士たちの不満を押さえつける力は無かった。その結果、1876年(明治9年)には、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などといった武士の反乱が相次ぐことになってしまった。そして1877年(明治10年)には、西郷隆盛までが薩摩の武士を率いて西南戦争を起こすに至ったのである。これに対して明治政府軍は、西郷隆盛の率いる薩摩の武士を武力で打ち破ることに成功した。明治政府軍は、明治天皇の軍である。明治政府軍が西郷隆盛の率いる武士を破ったと言うことは、明治天皇が、強力なカリスマを持つ西郷隆盛を破ったと言うことになるのである。その結果、明治天皇の最高指導者としてのカリスマの力が確立され、日本の政治は安定し始めるのである。これ以降、明治政府は、明治天皇の強力なカリスマの力を背景に富国強兵政策を推進することになるのである。西郷隆盛は、明治天皇の最高指導者としての力を確立して明治体制を完成させるための人柱になってしまったのである。
 日本が太平洋戦争でアメリカに敗れた理由は、日本の経済力や技術力がアメリカに劣っていたからだと言われている。確かに太平洋戦争に限って言えば、その通りだが、全ての戦争について、そのようなことが言えるわけではない。もし、経済力や技術力の優劣によって戦争の勝敗が決まると言うのなら、アメリカがベトナム戦争に敗れた理由が説明できない。つまり、経済力や技術力は、戦争の勝敗を左右する要因の一つではあるが、決定的な要因ではないということである。確かに、戦争には武力や経済力の戦いという側面もあるが、同時に、最高指導者のカリスマや政治能力によって国民の戦意と団結を維持する、言わば、指導力の戦いという側面もあるのである。いかに強大な武力や経済力を持った国家であっても、最高指導者のカリスマや政治能力の欠如によって指導力の戦いに敗れ、国民の戦意や団結を維持することができなくなったため、国民に厭戦気分が蔓延して社会が混乱し、武力や経済力を十分に発揮できなくなった結果、戦争に敗れてしまうこともある。その典型的な例がベトナム戦争なのである。戦争は、国民に多大な負担や犠牲を強いる行為である。その負担や犠牲に国民が耐えられなくなってしまったら、いかに強大な武力や経済力があっても戦争には勝てないのである。
 太平洋戦争の開戦の時、連合艦隊司令長官の山本五十六は、奇襲攻撃によってアメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えれば、アメリカ国民は戦意を喪失し、その結果、アメリカは早期に日本との講和に応じざるを得なくなるという戦略を立てていた。もし、太平洋戦争の時のアメリカ大統領が、ベトナム戦争の時のジョンソン大統領と同様に政治能力と指導力が欠如した無能な政治家だったなら、そのような結果になったかもしれない。しかし、太平洋戦争の時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、アメリカ史上最も強力な政治能力と指導力を持つ大統領だった。日本軍の真珠湾攻撃で軍事的に大打撃を受けても、ルーズベルト大統領の指導の下、アメリカ国民は戦意を喪失することは無く、一致団結して戦い抜き、日本に勝利することになったのである。日本はアメリカの経済力や技術力に勝てなかった以前に、ルーズベルト大統領の指導力に勝てなかったのである。ただし、太平洋戦争の時は、日本も最後まで国民の戦意や団結が失われることは無かった。つまり、アメリカも、日本の最高指導者である昭和天皇の指導力には勝てなかったのである。そのため、太平洋戦争は、ベトナム戦争とは違い、最高指導者の指導力の戦いでは勝負がつかなかったのである。その結果、武力、経済力、技術力の戦いで勝負をつけるしかなくなってしまったのである。これが、武力、経済力、技術力において日本に勝るアメリカが太平洋戦争に勝利できた理由である。
 このように戦争には、武力、経済力、技術力の戦いだけではなく、最高指導者の指導力の戦いという側面もあるのである。そして太平洋戦争のように、指導力の戦いで戦争の決着がつかない場合に、武力、経済力、技術力といった手段によって決着をつけることになるのである。つまり、武力、経済力、技術力で圧倒的な力を持っていても、指導力の戦いに敗れ、国民の戦意や団結が失われるような事態になってしまったら、その時点で事実上敗戦が決まってしまうこともあるのである。その典型的な例が、日露戦争に敗れたロシア帝国やベトナム戦争に敗れたアメリカなのである。
 戦争には最高指導者の指導力の戦いという側面もあるため、指導力の戦いができなければ、本格的な戦争をすることは不可能なのである。そして、指導力の戦いをするためには、アメリカ大統領や明治体制下の天皇のような、強力なカリスマを持った最高指導者が必要不可欠なのである。


内閣総理大臣は最高指導者ではない

    内閣総理大臣は最高指導者ではない

 

 日本国憲法に記された議院内閣制は、イギリスの立憲君主制を手本にしているということになっている。そのイギリスの首相は、国家の中で一体どのような立場にあるのか。
 軍事・外交上の重大な意志決定をすることが国家の最高指導者の最も重要な役割である。従って、一体誰が軍事・外交上の重大な意志決定をしたかで、その国の最高指導者が誰なのか分かるのである。
 たとえば1982年に起きたフォークランド紛争の時の例である。アルゼンチン軍が突如、イギリスが実効支配するアルゼンチン沖のフォークランド諸島を占領した。これに対してイギリスは、サッチャー首相の決断により、空母機動部隊を派遣してフォークランド諸島を武力によって奪還することを決定したのである。また、2003年に始まったイラク戦争へのイギリス軍の参戦も、ブレア首相がイギリス国民の反対を押し切って独断で決定したものである。このようにイギリスでは、開戦のような国家の重大な意志決定は首相がするのである。従って、イギリスの首相は国家の最高指導者であると言えるのである。つまり、イギリスの首相は、事実上の大統領なのである。
 明治体制下の日本では1885年(明治18年)に内閣制度が創設された。しかし、この時は、内閣を主催する内閣総理大臣といえども、形式的には最高指導者たる天皇の補佐役に過ぎなかった。伊藤博文や山県有朋のような実力者が内閣総理大臣に就任しても、軍事・外交政策のような国家にとっての重大な意志決定には、最高指導者たる天皇の裁可が必要だった。
 これに対して、戦後体制下の日本の内閣総理大臣は、一体何なのか。太平洋戦争の敗戦と日本国憲法の制定によって天皇は政治の実権を失い「国家の象徴」となったため、明治体制下の内閣総理大臣のような最高指導者たる天皇の補佐役ということはあり得ない。それでは、イギリスの首相のような事実上の大統領になったのだろうか。もし、戦後体制下の日本の内閣総理大臣が国家の最高指導者であるとすれば、国家の重大な意志決定に国民を従わせることができる強力なカリスマを持っているはずである。果たして戦後体制下の内閣総理大臣が、そのような力を持っているのだろうか。
 一例として、日米安全保障条約が改定された時の岸信介総理大臣を見てみよう。
 1951年(昭和26年)に吉田茂総理大臣がアメリカとの間で結んだ日米安全保障条約の下では、アメリカによる日本の防衛の義務があるか否かが定かではなかったため、戦争をする能力が無い「平和国家」である戦後体制下の日本にとって安全保障上の不安があった。また、アメリカ軍が日本国内の軍事基地を使用する際に日本政府の了解を得る必要が無かったため、日本の独立国家としての体面を保つ上で問題があった。そこで岸信介総理大臣は、この問題を解決するため日米安全保障条約の改定を決意し、1958年(昭和33年)からアメリカとの交渉を始めた。
 ところが、社会党を始めとした野党勢力や総評などの労働団体は、日本とアメリカが安全保障上の結びつきを強めることをアメリカのアジア戦略に日本を巻き込む危険なものと考えて日米安保条約改定阻止国民会議を結成し、岸政権の安保条約改定に対する反対運動を開始した。そして、日米安保条約に反対する市民や学生が、国会の周辺で安保反対のデモを繰り広げた。
 一方、岸総理大臣は、1960年(昭和35年)1月にアメリカとの間で安保条約改定の調印をした。そして5月20日に、安保反対のデモが繰り広げられる中で、岸総理大臣は新安保条約の批准を決断し、衆議院本会議で採決した。
 そこで問題なのが、岸総理大臣による安保条約改定の決断により、安保条約に対する反対運動や世論がどうなったのかということである。何と、岸総理大臣の決断は、安保条約に対する反対運動を更に激化させてしまったのである。連日、数十万人のデモ隊が国会議事堂を取り囲み、安保反対と岸総理大臣の退陣を要求してデモを繰り広げた。更に、与党の自由民主党の中からも岸総理大臣の退陣を求める声が出て来るという有様だった。この騒動によって、予定されていたアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日が中止になってしまった。そして1960年(昭和35年)6月19日に新安保条約は自然承認され成立した。しかし、岸総理大臣は、政治の混乱を収拾するため、6月23日に辞意を表明するはめになってしまった。結局、岸総理大臣の決断は、安保条約に対する反対運動を激化させ、政治を混乱させただけであり、国民の意識を変えることはできなかったのである。やがて、岸総理大臣の退陣後に内閣総理大臣に就任した池田勇人が所得倍増論を打ち出した結果、国民の目を政治から経済に向けさせることができた。これによって国民に日米安保条約のことを忘れさせることに成功したため、とりあえず政治の混乱を収拾することができたのである。しかし、これによって安保条約反対の世論までが変わったわけではない。つまり、世論の分裂による政治の危機は収拾できても、世論の分裂状態は、その後も続いたのである。日米安保体制は、70年安保闘争や、1995年(平成7年)に沖縄で起きたアメリカ軍兵士による少女暴行事件、更に沖縄のアメリカ軍普天間基地の移転問題などを巡って動揺し続けたのである。
 岸総理大臣が国家の最高指導者だったなら、安保条約改定の決断の結果、国民の意識が変わり、安保を巡る世論の分列は、すみやかに収まっていたはずである。つまり、戦後体制下の内閣総理大臣の役職にはアメリカ大統領や明治体制下の天皇のような強力なカリスマが備わってはいないのである。従って、戦後体制下の内閣総理大臣は、国家の最高指導者ではないと言えるのである。だから岸総理大臣が安保条約改定の決断をしても国民の意識が変わることはなく、安保条約に対する国民の全面的な支持を得ることはできなかったのである。日米安保条約の改定により日本の経済発展の基礎を固めた岸信介は、有能な政治家ではあったが、決して国家の最高指導者ではなかったのである。要するに、戦後体制下の日本に最高指導者は存在しないのである。だから60年安保騒動の危機は、安保条約を国民に受け入れさせるのではなく、池田内閣の所得倍増論によって国民の目を経済にそらして安保問題を忘れさせることによって収拾するしか無かったのである。つまり、日本国民は、自由民主党政権の手練手管によって手なずけられてしまったのである。このように、結果として60年安保騒動の危機は乗り切ることができた。しかし、将来も国民世論の分裂による危機に際して、このような方法が通用するとは限らない。
 日本の戦後体制のような最高指導者が存在しない国家体制の下では、国家の防衛はできない。
 多くの人間は、軍隊さえあれば戦争ができると思い込んでいる。そして多くの日本人は、自衛隊と言う名の軍隊が日本の安全を守ってくれると思っている。しかし、自衛隊に日本の安全を守る能力は無いのである。なぜなら、戦争は軍隊がすることではなく国家がすることであり、国家が戦争をするためには、戦争を可能にする手段が整っていなければならないからである。
 戦争を可能にする手段とは次の三つである。
 第一の手段は、言うまでもなく軍隊である。
 第二の手段が、戦争を支えることが可能な経済力である。戦争とは、軍隊による戦闘に加えて、後方支援などの、戦闘を継続するために必要な行為全体を言うのである。後方支援とは、軍隊が戦闘をするために必要な武器弾薬や燃料などの物資や兵士の食料などを調達して戦場に輸送する補給活動、戦闘に必要な情報のやりとりをする通信、そして傷病兵の治療といった行為である。そして、戦闘や後方支援といった戦争行為を総合的に行うのが国家である。そのため国家は、戦争に必要な武器・弾薬の調達、兵士に支払う給料、そして後方支援といった行為のために、膨大な経費を負担しなければならない。そのため国家には、これらの負担をすることが可能な経済力が必要なのである。
 そして、戦争を可能にする第三の手段が、国家の非常時に国民を一致団結させ、戦争に協力させることができる、強力なカリスマを持った最高指導者である。
 最高指導者の力が発揮できず、戦争に対する国民の一致団結した支持が十分に得られなかったため、武力や経済力では敵国に対して圧倒的な力を持ちながら戦争に敗れてしまった例がいくつもある。日清戦争に敗れた中国の清朝、日露戦争に敗れたロシア帝国、そしてベトナム戦争に敗れたアメリカなどがよい例である。日清戦争の頃の清朝と日露戦争の頃のロシア帝国は、革命が起きる寸前の状態にあったため、清の皇帝もロシアの皇帝も、その指導力を十分に発揮することができなかった。その結果、日本との戦争に対して国民を団結させることができずに、戦争に敗れてしまったのである。そして清朝もロシア帝国も、日本に敗れてから十数年後に革命によって崩壊している。最高指導者のカリスマの力が失われた革命寸前の国家では、国民を戦争のために一致団結させることはできないのである。また、ベトナム戦争の長期化によってアメリカ国民に厭戦気分が蔓延し、反戦運動が激化し、国民の団結が失われた結果、アメリカはベトナム戦争に敗れてしまった。つまり、ベトナム戦争当時のアメリカのように、大統領という最高指導者が存在していても、戦争指導を誤り、戦況が悪化して国民の支持を失うようなことになれば、指導力が低下して最高指導者としての力が失われ、国民の団結が維持できなくなることもあるのである。ましてや、最高指導者がもともと存在しない戦後体制下の日本に、本格的な戦争など、到底できるわけがないのである。
 このように、軍隊、経済力、最高指導者といった戦争を可能にする手段がそろっていなければ国家の防衛は機能しないのである。戦後体制下の日本には国家の最高指導者が存在しないため、国家の危機に対処できないのである。そのため、自衛隊と言う名の軍隊を持っていても、独自に国家の防衛をすることは不可能なのである。だから、日米安全保障体制が必要なのである。戦後体制下の日本は、国家の危機に対処する能力が無い欠陥国家なのである。
 また、一部の改憲論者の中には、日本国憲法九条を、軍隊の保有や戦争を可能にするような内容に改正すれば、独自に国家を防衛することが可能になると考えている者が存在するが、最高指導者が存在しないために国家の危機に対処できない戦後体制下の日本においては、憲法をどのような内容に改正したところで独自の防衛など不可能である。
 最高指導者が存在しないために国家の危機に対処できない日本の戦後体制は、超大国たるアメリカの保護の下でしか成立しないのである。そのため、アメリカが超大国としての政治力を失ったり、日本の防衛から手を引いたりした場合、日本の戦後体制は破綻するしか無いのである。
 それでは、最高指導者の力や役割について、更に詳しく説明しよう。


首相公選論の誤り

       首相公選論の誤り

 

 かつて、政治家や知識人、あるいは学者の間で、首相公選論なるものが盛んに論じられたことがあった。首相公選論者の主張は、内閣総理大臣を直接選挙によって選ぶべきだと言うことであった。
 ただし、一口に首相公選論者と言っても、首相公選制を導入すべきだと言う理由には様々なものがあった。内閣総理大臣を直接選挙で選ぶことによって国民の政治に対する責任感や政治意識が強まると主張する者が居た一方で、首相公選制の導入によって、日本に実質的な大統領制が成立すると主張する者も居たのである。
 実質的な大統領制の成立を主張する首相公選論者によると、国民が直接内閣総理大臣を選べば、国民は自らの意志で自分たちが希望する者を内閣総理大臣に選ぶことになる。そして、国民が自らの意志で内閣総理大臣を選ぶと、内閣総理大臣に強い正統性を与えることになり、それによって内閣総理大臣に強力なカリスマや指導力が与えられると言うのであった。
 実質的な大統領制の成立を主張する首相公選論者が手本にしていたのが、アメリカの大統領選挙制度である。ただし、アメリカ大統領選挙における一般投票は、国民が大統領選挙人を選ぶ選挙であり、アメリカ大統領を直接選ぶのは大統領選挙人である。つまり、アメリカ大統領選挙は、形式的には国民に選ばれた大統領選挙人が大統領を選ぶ間接選挙なのである。ただし、実際に一般投票で国民が投票するのは大統領候補者の名前である。また、大統領選挙人になる者は、あらかじめ自分がどの大統領候補者を支持するのかを約束している。そして、アメリカのほとんどの州では、最も多くの票を集めた大統領候補者が、各州に割り当てられた数の全ての大統領選挙人に、自分を支持すると約束している者を選ぶという仕組みになっている。そして、大統領選挙人による投票において、29の州と首都ワシントンでは、大統領選挙人は自分が所属する政党以外の候補者に投票することが法律等で禁じられている。しかし、支持すると約束した大統領候補者に投票する法的な義務が無い州でも、大統領選挙人が、支持すると約束した候補者とは別の候補者に投票することはほとんど無い。そのため、事実上、国民による一般投票の結果が、そのまま大統領選挙の結果になっている。従って、アメリカ大統領選挙は、形式的には間接選挙であっても、実質的には直接選挙と言えるのである。
 実質的な大統領制の成立を主張する首相公選論者は、内閣総理大臣を直接選挙によって選べば、内閣総理大臣がアメリカ大統領のような強力なカリスマを持った最高指導者になると信じていたのである。しかし、考えてみれば、たとえば日本の都道府県知事は、有権者による直接選挙によって選ばれているのに、アメリカ大統領のような強力なカリスマを持っているわけではない。また、イギリスは日本と同じく議院内閣制であり、イギリスの首相は日本の内閣総理大臣と同じく国会議員によって選ばれているにもかかわらず、アメリカ大統領と同様の力を持つ国家の最高指導者である。つまり、最高指導者のカリスマの力が強いか否かは、その選び方によって決まるわけではないのである。要するに、大統領選挙とアメリカ大統領の強力なカリスマとの間には何の関係も無いのである。従って、日本の内閣総理大臣を直接選挙で選んでも、イギリスの首相のような実質的な大統領になれるわけではないのである。
 実質的な大統領制の成立を主張する首相公選論の前提になっていたのが、民主主義国家の指導者の正統性は、国民から支持され、選挙で選ばれることによって確立されるという考えである。確かに、一般的な民主主義国家の理念では、指導者の正統性は、選挙で選ばれることによって確立されるということになっているが、これはあくまで理念の上でのことであって、現実とは違うのである。多くの民主主義国家では、正統な法的手続きに従って最高指導者の役職に就任したことが最高指導者の正統性の根拠になっているのである。この点に関しては、アメリカ大統領も例外ではない。つまり、アメリカ合衆国憲法の定める正統な法的手続きに従って大統領に就任したことが、正統なアメリカ大統領であることの根拠なのである。
 アメリカ大統領の正統性が、国民の支持ではなく、法的な手続きによって確立されていることを示す例を挙げてみよう。
 アメリカの大統領制は、大統領が在職中、死亡、又は何らかの理由によって職務が遂行できなくなり辞職した場合、副大統領が大統領に昇格する制度になっている。ほとんどの副大統領は、大統領と共に大統領選挙を戦い勝利しているため、大統領と共に国民の支持を得たことになる。ところが、1974年8月9日にニクソン大統領がウォーターゲート事件の責任を取って辞任した後、副大統領から大統領へ昇格したジェラルド・フォードは、ニクソン大統領と共に大統領選挙を戦ってはいなかったのである。ニクソン大統領と共に大統領選挙を戦い勝利したのは、前副大統領のスピーロ・アグニューである。そのスピーロ・アグニューが州知事時代の収賄罪が確定したことを受けて副大統領を辞任した後、ジェラルド・フォードは合衆国憲法の規定により、ニクソン大統領の指名と議会の上下両院の過半数による承認によって副大統領に就任したのである。つまり、ジェラルド・フォードは、国民の支持によって副大統領や大統領に就任したのではなかったのである。従って、もし、国民の支持が大統領の正統性の根拠だとすれば、ジェラルド・フォードは正統な大統領ではなかったことになってしまう。
 また、2000年の大統領選挙では、フロリダ州におけるブッシュ候補とゴア候補の得票数がほぼ同数で、他の州の集計結果が確定した後も、なかなか集計結果が確定せず、しかも、このフロリダ州の勝者が大統領選挙の当選者になるという状況だったため、なかなか当選者が決まらなかった。最後は、ブッシュ候補が僅差でフロリダ州を制し、大統領選挙の当選者となった。もし、国民の支持によってアメリカ大統領の正統性が確立されるとすれば、2000年の大統領選挙で当選したブッシュ大統領のように、僅差で当選した大統領の正統性は極めて怪しいことになってしまう。しかも、2000年の大統領選挙では、総得票数ではゴア候補がブッシュ候補に勝っていたにもかかわらず、アメリカ独特の大統領選挙制度のためにブッシュ候補が当選者となった。つまり、国民の支持ではゴア候補がブッシュ候補に勝っていたにもかかわらず、法律上はブッシュ候補が大統領選挙に勝ったということである。更に、2016年の大統領選挙でも2000年の大統領選挙と同様に、総得票数ではクリントン候補がトランプ候補に勝っていたが、法律上はトランプ候補が勝利した。従って、アメリカ大統領の正統性は、国民の支持ではなく、法的な手続きによって確立されていると言えるのである。
 このようにアメリカ大統領の正統性の根拠は、合衆国憲法の定める正統な法的手続きに従って大統領に就任したという点にあるのである。大統領選挙にしろ、副大統領からの昇格にしろ、合衆国憲法によって定められた大統領に就任するための法的手続きの一つなのである。大統領選挙を全く戦わず大統領に就任したジェラルド・フォードも、合衆国憲法の定める正統な法的手続きに従って大統領に就任した以上は、正統な大統領なのである。そして、大統領選挙に大差で当選しようが僅差で当選しようが、大統領選挙で勝利するという合衆国憲法の定める法的な手続きを経たことには変わりが無いのである。ただし、法的手続きに従って決定された大統領も、民主主義国家の理念の上では、国民に支持されたことによって正統性を与えられていることになっているのである。
 このように、アメリカ大統領の強力なカリスマの力は、大統領選挙とは何の関係も無いのである。それでは、一体どのようにして、アメリカ大統領は、国家の最高指導者が務まるような強力なカリスマを得ているのだろうか。
 カリスマの力も法的権限と同様に国家を運営する上で必要不可欠な国家権力である。従って、法的権限を継承しただけでは国家の最高指導者は務まらないのである。ところが、国家の最高指導者が務まるような強力なカリスマの持ち主など、滅多に登場することが無いのが現実である。なぜなら、国家・国民を指導できるような強力なカリスマを得るためには、その源となる「神話」が必要だからである。アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンは「独立戦争の英雄」であり「建国の父」である。これが彼の獲得した強力なカリスマの源となる「神話」である。ところが、ワシントンのような、強力なカリスマを得るための「神話」を持つ機会に恵まれた指導者など滅多に存在しないのが現実である。しかし、それでは国家の最高指導者が務まるような強力なカリスマの持ち主が登場することは滅多に無いことになってしまう。一体どうすれば、強力なカリスマを得るための「神話」を持つ機会が無かった者が、国家の最高指導者が務まるような強力なカリスマを得ることができるのだろうか。これを理解してもらうためには、カリスマというものについて、更に詳しい説明をしなければならない。
 カリスマを持つのは、アメリカ大統領、歴史上の英雄、そして有名人といった特別な人間だけではない。実は、一般庶民を含めた全ての人間がカリスマを持っているのである。ただし、一般庶民の持っているカリスマは、英雄や有名人の持つ強力なカリスマと比べると遙かに弱いのである。
 強力なカリスマを持った者が意志表明をすると、多くの人間が無意識のうちに、その意志を自分の意志として受け入れてしまう。人間を指導するということは、多くの人間を指導者の意志に従わせることである。そのため、アメリカ大統領に限らず、多くの人間を指導する立場にある者には、一般庶民が持っているような弱いカリスマではなく、多くの人間を従わせることができる強力なカリスマが必要である。そのため、指導的な立場にある者は、何らかの方法で強力なカリスマを得る必要がある。
 強力なカリスマを得る方法としては、仕事などで功績を挙げたり、偉業を達成したりすることによって自らのカリスマの力を強めるという方法があるが、これに加えて、他者から強力なカリスマを継承するという方法もあるのである。
 カリスマを持つのは個人だけではない。家族や大学や企業のような人間集団がカリスマを持つ場合もある。そして人間が集団に所属すると、その集団からカリスマが与えられることになる。
 たとえば、名家とか名門とか呼ばれる家族は、権力や財力や名誉ある地位などと共に、強力なカリスマを持った家族のことである。家族の中に強力なカリスマを持つ者が登場すると、その家族全体のカリスマも強まるのである。すると、その家族に生まれた人間も、生まれると同時に家族が持つ強力なカリスマが与えられることになる。これが俗に言う「親の七光り」である。この「親の七光り」によって先代から受け継いだカリスマの力を、同じく先代から受け継いだ権力や財力や名誉ある地位などによって補強し続けることにより、一つの家系が何代にもわたって強力なカリスマを継承して維持するのが名家とか名門とか呼ばれる家族なのである。
 一流大学や一流企業とは、強力なカリスマを持った大学や企業のことである。学生が一流大学に入学すると、その一流大学が持つ強力なカリスマが与えられる。一流大学の卒業生が優秀な人間と見なされる理由は、学校の成績が優秀だったからと言うよりも、むしろ一流大学から与えられた強力なカリスマの力のためである。また、有名な一流企業に就職して社員になると、企業から強力なカリスマを与えられるため、一流企業に勤めているだけで、その人間は、世間から立派な人間のように思われてしまうのである。これらは、言わば、「大学の七光り」「企業の七光り」である。
 また、カリスマには、負のカリスマと言うべきものもある。たとえば、親が犯罪行為をすると、子供までが社会から犯罪者の如く扱われてしまう。企業が犯罪行為をすると、犯罪行為に直接かかわっていない社員までが企業と同罪だと社会から見なされてしまう。これは、親や企業から負のカリスマを受け継いだ結果である。
 更に、カリスマを持つのは人間や人間集団だけではない。大統領や首相のような国家の役職や、社長や専務のような企業の役職などがカリスマを持つ場合もある。前任者から強力なカリスマを持った役職を継承すると、同時に、その役職が持っている強力なカリスマも前任者から継承することになる。こうすることによって、本来なら強力なカリスマを持つような資質や機会に恵まれない人間でも強力なカリスマを持つことが可能になるのである。
 これまで述べたことからすると、強力なカリスマを得るには、次の二つの方法があることになる。
 第一の方法は、ワシントンやチンギス・ハーンやナポレオンと言った英雄のように、偉大な功績を挙げることによって「神話」を作り、その「神話」によって自らのカリスマの力を強めるという方法である。
 そして第二の方法は、強力なカリスマを持った人物や人間集団から、その強力なカリスマを継承するという方法である。
 いかなる国家も、せっかく国民を指導するに足る強力なカリスマを持った最高指導者が登場しても、その人物が死んだり最高指導者を辞めたりしてしまったら、強力なカリスマを持った最高指導者が国家に存在しなくなってしてしまうことがある。そうなると、国民を指導して一致団結させることができなくなり、国家の非常事態に対処することができなくなってしまう。国家には国民を指導するに足る強力なカリスマを持つ最高指導者が常に必要である。そこで古今東西、多くの国家では、最高指導者の強力なカリスマを後継の最高指導者に継承する体制を確立しているのである。
 最高指導者の強力なカリスマを後継の最高指導者に継承する体制の一つが君主制である。君主制が強力なカリスマを継承する仕組みは、名家とか名門とか呼ばれる家族が強力なカリスマを継承する仕組みと同じである。つまり君主制とは、「親の七光り」によって先代の最高指導者から受け継いだカリスマの力を、同じく先代から受け継いだ最高指導者としての権力や名誉によって補強し続けることにより、一つの家系に属する人たちが何代にもわたって強力なカリスマを継承し、最高指導者として国家に君臨し続ける体制である。
 そして、アメリカなどの国で採用されている大統領制も、最高指導者の強力なカリスマを後継の最高指導者に継承する体制の一つである。大統領や首相と言った最高指導者の役職がカリスマを持つ場合もある。大統領の役職が持つカリスマは、偉大な功績を挙げて強力なカリスマを確立した大統領個人が持っていたカリスマが、大統領の役職が持つカリスマとなったものである。そして、強力なカリスマを持った大統領の役職を、法の手続きに従って後継者に継承する体制が大統領制なのである。アメリカ大統領の役職が持つ強力なカリスマは、初代大統領ワシントン個人が持っていたカリスマが、アメリカ大統領の役職が持つカリスマとなったものである。つまり、アメリカの歴代大統領のカリスマは、ワシントンが持っていたカリスマが、法の手続きによって大統領の役職と共に歴代大統領に継承されたものなのである。
 このように、強力なカリスマを得る機会の無かった者が、国家の最高指導者が務まるような強力なカリスマを持つためには、前任者が持つ強力なカリスマを継承するという方法しか無いのが現実である。
 現在のアメリカ大統領は、国民の意識を一変させるような強力なカリスマを持っているが、初代ワシントンの頃から、このような力を持っていたわけではない。アメリカ大統領のカリスマの力は、大統領の指導力によって国家の危機を乗り切ったり戦争に勝利したりする度に強大化していったのである。中でも、とりわけカリスマの力の強大化に貢献したのが、第十六代大統領エイブラハム・リンカーンと第三十二代大統領フランクリン・ルーズベルトである。この二人の偉大な大統領の登場によって、アメリカは大きく変質しているのである。
 南北戦争が終結した1865年以前のアメリカ合衆国は、国家と言うよりも国家の連合体と言った方がよい。日本人が「州」と呼ぶ、テキサス、カリフォルニア、フロリダ、ヴァージニアなどといった地方自治体は、本来は一つの独立国家である。つまり、本来のアメリカ合衆国とは、北米大陸版のEU(ヨーロッパ連合)とでも言うべきものであった。南北戦争の時、南部十一州が合衆国から独立してしまったが、南部十一州にしてみれば、国家の連合体からの離脱に過ぎなかったのである。イギリスがEUから離脱するのと同じことである。つまり、南北戦争以前のアメリカ大統領は、国家を統合する力が極めて弱かったため、合衆国の分裂を阻止できなかったのである。これが意味することは、南北戦争以前のアメリカ合衆国は、依然として国家の成立の途上にあったということである。
 ところがリンカーン大統領の指導によって南北戦争が北部の勝利に終わり合衆国が再統一された後は、合衆国から分離独立した州は、現在に至るまで一つも存在しなかった。これは、リンカーン大統領の指導力によって北部が勝利して合衆国が再統一されたことにより大統領のカリスマの力が強大化した結果、アメリカ大統領に国家を統合する力が確立されたからである。これによってアメリカ合衆国は国家が完成し、本当の意味での統一国家になったのである。言い換えれば、リンカーン大統領こそ、本当の意味でのアメリカ合衆国の建国者であると言っても過言ではないのである。
 次はフランクリン・ルーズベルト大統領の場合である。
 第二次世界大戦後のアメリカは、世界の至る所で戦争をしてきたが、第二次世界大戦以前は、そうはいかなかった。アメリカは、第一次世界大戦に参戦してみた結果、悲惨な戦争を目の当たりにしてアメリカ国内に厭戦気分が広がってしまった。しかも、伝統的なモンロー主義の影響も根強いものがあった。そのため、第一次世界大戦後のアメリカの世論や議会は、国際紛争への介入には極めて消極的だった。そのため当時のアメリカは、日本が中国へ攻め込もうが、ナチスドイツがポーランドやフランスへ攻め込もうが、軍事介入など不可能だった。当時のアメリカは、日本に対して経済制裁を行ったり、日本やドイツに敵対する国に兵器や軍事物資の支援を行ったりするのが精一杯だった。やがて日本軍の真珠湾攻撃をきっかけにアメリカは第二次世界大戦に参戦し、日本やドイツに勝利して世界の覇者となる。するとアメリカは、一転して大統領の指導の下に世界中で積極的に軍事介入をするようになる。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争といった具合である。これはルーズベルト大統領の指導力によってアメリカが第二次世界大戦に勝利したことにより、大統領のカリスマの力が更に強大化した結果、世論や議会が大統領の軍事・外交政策に対して容易に反対できなくなったためである。このルーズベルト大統領よって確立された大統領の強力なカリスマの力が、現在の大統領にまで継承されているのである。
 こうしてアメリカ大統領の役職には、強力なカリスマと、それを継承する体制が確立されたのである。その結果、アメリカ大統領は、アメリカの最高指導者の役職になったのである。
 もし、実質的な大統領制の導入を主張する首相公選論者の言うように、アメリカ大統領の強力なカリスマの力が大統領選挙によって与えられているとすれば、アメリカの歴史は全く別のものになっていたことになる。たとえば、南北戦争が勃発した理由は、当時のアメリカ大統領はカリスマの力が弱かったため、国家を統合する力が欠如していたからである。もし、アメリカ大統領のカリスマの力が大統領選挙によって与えられているとすれば、南北戦争以前からアメリカ大統領は現在の大統領と同等の強力なカリスマを持っていたことになり、国家を統合する力があったことになる。従って、南北戦争など最初から起きなかったはずである。また、アメリカ大統領が第二次世界大戦以前から現在の大統領と同等の強力なカリスマを持っていたなら、ルーズベルト政権は真珠湾攻撃を待つことは無く第二次世界大戦に参戦できたはずである。もし、そうなっていたら、第二次世界大戦は初期の段階で終わっていた可能性がある。従って、アメリカ大統領の強力なカリスマの力が大統領選挙によって与えられているとすれば、アメリカの歴史も世界の歴史も全く別のものになっていたことになるのである。
 アメリカの大統領制は、国民が大統領にしたい人物を選ぶ大統領選挙制度と、強力なカリスマを大統領の役職と共に前任者から後任者へと継承する体制の上に成り立っているのである。そのため、大統領の役職を引き継いだ人物に、最高指導者が務まるようなカリスマや指導力が欠けていても、大統領の役職に備わっている強力なカリスマの力を使いこなすことによって、最高指導者としての役割が、ある程度は務まるのである。もし、このような、カリスマを継承する体制が確立されていない国家で、カリスマや指導力が欠如した人物が最高指導者の役職に就いてしまったら、最高指導者が不在の欠陥国家となり、国家の非常事態に対処できなくなり、国家・国民の安全を守ることができなくなってしまうのである。
 カリスマの継承が必要なのは、無能な政治家が最高指導者になった場合のためだけではない。偉大な大統領と言われているリンカーンやフランクリン・ルーズベルトは、大統領の在職中に偉大な功績を挙げた結果、後世の人々から偉大な大統領と言われるようになったのである。つまり、偉大な大統領になる素質を持った政治家といえども、大統領に就任したばかりの時は普通の指導者だったのである。従って、リンカーンやフランクリン・ルーズベルトのような偉大な大統領になる素質を持った政治家といえども、やはり前任者から強力なカリスマを継承しなければ最高指導者は務まらないのである。
 ところで、私が言う大統領制には、アメリカの大統領のように最高指導者が大統領を称している場合に限らず、イギリスの首相のような実質的な大統領制も含まれている。イギリスの首相が実質的な大統領となった過程は、アメリカ大統領とは異なるが、カリスマの継承の仕組みや権力の行使の仕方は同じである。従って、イギリスの首相も大統領制の一種と言えるのである。言わば「イギリス型大統領制」である。
 イギリス最初の首相と言われているのが、十八世紀前半のイギリス国王ジョージ一世の下で首相を務めたウォルポールである。しかし、ウォルポール首相の時代の首相は、国王の臨時代行や補佐役と言った存在であり、実質的な大統領と言えるようなものではなかった。その後、偉大な功績を挙げた大宰相たちによってイギリスの首相の力は強大化していったのである。ナポレオンと戦ったピット首相、クリミア戦争でロシア帝国を破りアロー戦争で清帝国を破ったパーマストン首相、スエズ運河を買収したりインドの植民地体制を確立したりするなどして帝国主義政策を推し進めたディズレーリ首相、と言った人たちである。そして、二十世紀の前半には、イギリスの首相は国王に代わってイギリスの最高指導者となった。
 ただし、これまで述べてきた最高指導者のカリスマを継承する体制は、あくまで国家の最高指導者にとって最低限度必要なものであって、これさえあれば国家の最高指導者としての役割が完全に務まるというわけではない。言うまでも無く、国家の指導者には判断力や政治手腕といったものも必要である。国家の最高指導者がいくら強力なカリスマを持っていても、政治的な判断を誤ったり政治手腕が欠如したりしていれば、戦争に敗れたり外交政策に失敗したりしてしまうこともある。
 また、現在のアメリカ大統領は、国際秩序の維持や同盟国の防衛といった超大国としての役割も果たさなければならない。そのためアメリカ大統領には、国際秩序を維持するための軍事・外交政策を成功させ、同盟国を守るための戦争を勝利に導くことができる高度な政治手腕や判断力が必要である。ところが、高度な政治手腕や判断力があるか否かということは、結局、政治家個人の能力の問題である。最高指導者のカリスマを継承する体制が確立されていても、超大国の最高指導者が務まるような高度な政治手腕や判断力まで継承するわけではない。従って、アメリカ大統領がいくら強力なカリスマを前任者から継承しても、ベトナム戦争当時のジョンソン大統領のような政治能力が欠如した人物が大統領となり、政治的な判断を誤り、ベトナム戦争のような失敗を繰り返すようでは、国際秩序の維持や同盟国の防衛が困難になり、超大国としての役割が果たせなくなってしまう可能性もあるのである。
 カリスマを継承する体制が確立されていなければ、最高指導者が不在の欠陥国家となり、政治が不安定になったり、場合によっては国家が崩壊したりしてしまうようなことさえ起きかねない。その典型的な例が、ユーゴスラビアである。
 ユーゴスラビアは、いくつもの民族による六つの共和国によって成り立つ連邦国家であった。そしてユーゴスラビアは、1980年に建国者であるチトー大統領が死去したことをきっかけに、民族間の対立が表面化し始める。そして1991年に、スロベニア、クロアチア、マケドニアといった各共和国がユーゴスラビア連邦からの独立を宣言し、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立に向かって動き出す。これに対してセルビア人を中心としたユーゴスラビア連邦政府が独立を認めなかったことから、1992年になると遂に内戦が勃発してしまう。そしてボスニア・ヘルツェゴビナでは「民族浄化」、更にコソボ自治州ではアルバニア系住民が難民となって国外に流出するなどの悲劇が起きてしまった。
 そもそもユーゴスラビアの六つの共和国を一つにまとめていたのは、チトー大統領が持つ強力なカリスマの力だった。そのチトー大統領の死去と共にチトー大統領のカリスマの力が失われてしまったことがユーゴスラビア崩壊の原因である。チトー大統領は第二次世界大戦中、パルチザンを率いてナチスドイツと戦いユーゴスラビアを解放し、戦後は共産主義国家でありながらソビエトの衛星国とはならず自主外交を貫いた。このようにチトー大統領は強力な指導者ではあったが、カリスマを継承する体制を確立するという国家にとって最も肝心なことをしなかったため、彼の死後、国家の最高指導者が務まるような強力なカリスマを持った指導者が存在しなくなり、そのために国家が崩壊するという最悪の事態を招いてしまったのである。ユーゴスラビアの内戦に伴って生じた様々な悲劇に対して、セルビア人やユーゴスラビア政府の指導者が国際社会から非難を浴びたが、真に非難されなければならないのは、カリスマを継承する体制を確立せず、国家の分裂の原因を作ってしまったチトー大統領なのである。
 アメリカの大統領制のように、前任者から強力なカリスマを継承することによって、指導力やカリスマに欠ける人物でも国家の最高指導者が務まるような体制が確立されていなければ、最高指導者が不在の欠陥国家となり、国家の非常事態に対処できなくなってしまうのである。ところが戦後体制下の日本には、アメリカの大統領制のような強力なカリスマを継承する体制は確立されていないのである。これが、戦後体制下の日本が最高指導者の存在しない欠陥国家になってしまった理由の一つである。
 国家の最高指導者とは、選ばれるものではなく、作られるものなのである。国家の最高指導者の大多数は、本来なら最高指導者など務まらない凡庸な政治家である。その凡庸な政治家に法的な権限や正統性を与え、強力なカリスマを前任者から継承させることによって最高指導者に作り上げるのである。これが「権力の継承」である。勿論、国家の最高指導者には、判断力や政治手腕といった能力も必要である。従って、「権力の継承」をしただけでは、無能な最高指導者が出現してしまう場合もある。しかし、ユーゴスラビアのように、最高指導者が存在しなくなったことが原因で国家が崩壊するようなことが起きるのが世界の現実である。従って、たとえ「権力の継承」によって無能な最高指導者が出現してしまったとしても、最高指導者が存在しない欠陥国家になってしまうよりは、ましなのである。



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