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トランプが戦後体制を揺るがす

                 始めに

 


        トランプが戦後体制を揺るがす

 

 アメリカ大統領ドナルド・トランプは、就任する前から「TPPから離脱する」「メキシコとの国境に壁を作る」「イスラム教徒のアメリカへの入国を禁止する」などといった発言によって物議をかもしていた。それらの発言の中でも「日本政府が在日アメリカ軍の駐留経費を全額負担しなければ、アメリカ軍を日本から撤退させる。」という発言は、一時、日米安保体制を揺るがし、更に日米安保体制によって守られている日本の戦後体制をも揺るがすことになった。
 ただし、2017年(平成29年)2月4日、来日したアメリカのマティス国防長官が、在日米軍の駐留経費について、「日米の分担は、他国のモデルになる。」と発言したことと、2月10日に行われた安倍総理大臣とトランプ大統領の会談で在日米軍の駐留経費問題が議題にならなかったことによって、事実上、「日本政府が在日アメリカ軍の駐留経費を全額負担しなければ、アメリカ軍を日本から撤退させる。」という発言は撤回されたことが明らかになった。
 そもそも、アメリカ政府が、自らアメリカ軍を日本から撤退させることなどあり得ないのである。なぜなら、アメリカ政府の立場からすれば、アメリカ軍を日本から撤退させるわけにはいかない理由があるからである。
 その理由の一つは、アメリカの超大国の地位を維持するためである。超大国とは世界を制する国である。そして、アメリカは、世界の各地に軍事基地を持ち、それを拠点にして世界の国々に対して武力を行使する力を維持することによってアメリカの覇権を確立し、超大国としての地位を維持しているのである。そして、アメリカのアジアにおける最大の軍事基地が日本である。つまり、アメリカは、日本を軍事拠点にしてアジアにおける覇権を確立し、超大国の地位を維持しているのである。従って、アメリカ軍が日本から撤退したら、アメリカのアジアにおける覇権を維持することが困難になり、超大国の地位を揺るがすことになるのである。更に、アメリカによる国際秩序の維持が困難になり、「世界の警察官」としての役割に支障をきたすことになるのである。更に、もし、アメリカがアジアにおける覇権を失うような事態になったら、日本を始めとしたアジア諸国が中国の「属国」と化し、中国の手先としてアメリカと敵対する恐れもあるのである。
 アメリカ政府が、アメリカ軍を日本から撤退させるわけにはいかないもう一つの理由が、日本の戦後体制を守るためである。そして、アメリカが日本の戦後体制を守らなければならない最大の理由は、アメリカを日本の軍事的脅威から守るためである。
 日本の戦後体制は、アメリカの太平洋戦争の経験から始まっている。
 1941年12月7日(日本時間8日)に日本軍がハワイの真珠湾に駐留しているアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃した。この攻撃によってアメリカは2400人を超える将兵の命を失ってしまった。そして、この攻撃は、アメリカ国民に大きな屈辱感を与えることになった。フランクリン・ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃が行われた日を「屈辱の日」と呼び、日本に対して宣戦布告した。こうして、太平洋戦争が始まった。そしてアメリカ国民は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」という合い言葉の下、一丸となって日本と戦うことになった。
 太平洋戦争後の日本で戦後体制が長く続いた背景にあったのが、日本軍の真珠湾攻撃に対するアメリカ人の屈辱感だった。この屈辱感が、アメリカ人に、日本に二度と真珠湾攻撃のような先制攻撃をさせてはならないという決意をさせることになり、日本に戦後体制を成立させたのである。日本の占領政策の責任者であったマッカーサー元帥は、日本を二度と戦争ができない国にするため、日本国憲法の制定などの占領政策によって、日本を戦争ができない「平和国家」に作り替えたのである。このようにして戦後体制が成立したのである。更に、戦後体制を維持するため、日米安保体制が作られたのである。その結果、日本の戦後体制と日米安保体制を守ることが、超大国であるアメリカの最も重要な政策となったのである。
 真珠湾攻撃の屈辱感は、「リメンバー・パールハーバー」という言葉とともに、太平洋戦争後も長くアメリカ人の記憶に残り、日本の先制攻撃に対する警戒を怠ることは無かったのである。
 そもそも安全保障や危機管理というものは、考え得る最悪の事態を想定し、それを防ぐための最善の方法を考えるのが常識である。日本は世界でも有数の経済大国であるが、これは同時に、世界で有数の軍事大国になる可能性があるということでもある。そして、日本は核兵器を開発する能力があると見なされ、更に、大陸間弾道ミサイルに転用可能なロケット技術も持っている。従って、ワシントンやニューヨークなどのアメリカの主要都市が日本の核ミサイルの標的になる可能性もあるということである。可能性がある以上は、実際にそれを防ぐための手段を確立しなければならない。現在、日本がアメリカの軍事的脅威にならないのは、日米安保体制によって日本が事実上アメリカの軍事占領下に置かれているからである。しかし、もしアメリカ軍が日本から撤退し、その結果として日本が自立してしまったら状況は一変する。日本が自立するということは、日本が独自に軍事・外交政策を決定するということであり、日本がアメリカと敵対するような軍事・外交政策を選択することも可能になるということである。安全保障政策の基本は、自国の安全を脅かす可能性のある国に対して備えることである。いかに友好関係にある国といえども、いつ敵国になるかわからないのが国際政治の現実である。そのため、相手が友好国であっても、戦争になった場合を想定して、戦争の準備をしなければならないのである。従って、日本がアメリカから完全に自立するようなことになった場合、日本とアメリカの関係がいかに良好であっても、アメリカは対日戦争の準備を怠るわけにはいかなくなってしまうのである。そして、アメリカが対日戦争に備える以上、日本としても対米戦争に備えざるを得なくなってしまうのである。従って、日本がアメリカの敵国となってアメリカに対する先制攻撃をするような事態が二度と起きないようにするためには、アメリカは、日本がアメリカから自立できない状態を維持せざるを得ないのである。
 つまり、太平洋戦争におけるアメリカの日本に対する武力による戦いは、日本の敗戦によって一応終わったが、それでアメリカの日本に対する戦いが全て終わったわけではなかったのである。アメリカにとって、日本に対する武力による戦いの終わりは、新たな戦いの始まりだった。それは、日本が二度とアメリカと戦えないように日本を封じ込める戦いである。アメリカは、日本に対するマッカーサーの占領政策によって戦後体制を成立させた結果、日本を戦争ができない国にすることに成功した。更に、日米安保体制を成立させることによって日本をアメリカの武力による保護下に置いた結果、アメリカは日本の防衛の主導権を握ることになった。その結果、戦後体制と日米安保体制を日本に守らせることによって、日本をアメリカに従属させ続けることが、太平洋戦争後の日本に対するアメリカの戦いになったのである。従って、もし日本が、超大国であるアメリカから自立しようとしたら、アメリカは武力行使を含めた、あらゆる手段を使って日本の自立を阻止せざるを得ないことになる。
 ところが、近年、アメリカに変化が起き始めている。アメリカ国民は、アフガニスタンとイラクの二つの戦争に懲りて厭戦気分に陥り、アメリカが超大国としての役割を果たすことに嫌気が差し始めている。しかも、オバマ大統領が、「アメリカは世界の警察官ではない。」と述べ、超大国としての役割を果たすことに消極的な姿勢を示したのである。アメリカの超大国としての役割には、日米安保体制を守ることによって日本の戦後体制を守ることも含まれている。従って、アメリカが超大国としての役割を果たすことに消極的になることは、日米安保体制と戦後体制を揺るがすことになるのである。
 また、トランプ大統領も就任する前から「我々は世界の警察官にはなれない。」と言ってオバマ大統領と同様に超大国としての役割を果たすことに消極的な姿勢を示していた。そして、トランプ大統領は、環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱、北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し、地球温暖化対策の国際的取り決めであるパリ協定からの離脱、更に、エルサレムをイスラエルの首都と認定して国際社会から非難を浴びたり、イランと欧米・中国六カ国が結んだ核合意から離脱したりするなど、アメリカが築いてきた国際的地位や信用を失いかねないようなことを立て続けに行っている。
 更に、アメリカの国際的地位や信用を失いかねないことの極めつけが、対北朝鮮外交である。
 2018年6月12日、トランプ大統領はシンガポールで北朝鮮の最高指導者の金正恩と会談し、共同声明を発表した。その共同声明の中に「トランプ大統領は北朝鮮に対して安全の保証を提供することを約束した。金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化に向けた堅固で揺るぎない決意を再確認した。」と記されている。つまり、北朝鮮の非核化を条件に、アメリカは北朝鮮の体制を保証すると言うのである。
 そもそも、超大国たるアメリカにとって北朝鮮とは、いかなる国なのか。まず、アメリカにとって朝鮮半島における唯一合法的な国家は韓国である。従って、アメリカにとって北朝鮮は非合法な国家であり、存在してはならない国である。そして、アメリカが掲げる理念では、世界の全ての国はアメリカの言う民主主義国家にならなければいけないことになっている。従って、金一族の専制国家である北朝鮮の体制は、アメリカにとっては絶対に認められないものである。つまり、本来、超大国たるアメリカにとって北朝鮮は、消えて無くなるべき国なのである。従って、トランプ大統領が、北朝鮮の「安全の保証を提供する」ようなことを本気で実行したら、それは、超大国たるアメリカの政治的な敗北以外の何でも無いのである。従って、アメリカと北朝鮮との交渉次第では、アメリカの政治的な敗北があらわになり、アメリカが国際社会の信頼を失い、超大国としての政治力が低下する可能性もあるのである。このような外交をやりかねない人物が大統領では、アメリカの超大国としての地位がいつまで維持できるかわからない。従って、日米安保体制と戦後体制もいつまで続くのかわからないのである。
 戦後体制下の平和主義の理念によれば、日本の平和主義は、太平洋戦争など、過去の戦争の反省から生まれたということになっている。再び戦争の惨禍を招かないためには二度と戦争をしてはならないという反省に立ち、戦争を放棄して平和国家になったと言うのである。しかし、このような反省は、あくまでアメリカが日米安保条約に基づいて日本を防衛することを前提としたものである。平和主義だの平和国家だのと言ったところで、結局、日本の平和と安全を守るのはアメリカの役割なのである。日本国民がいかに戦後体制や平和主義の継続を望んだとしても、アメリカが日本の防衛をやめてしまったら、結局、日本政府や日本国民自身が、再び戦争の惨禍を招く危険を覚悟の上で日本を防衛するしか無くなってしまうのである。それは、戦後体制と平和主義の破綻である。つまり、戦後体制の存在も、平和主義の理念も、超大国であるアメリカが日本を防衛している間の一時的な現象に過ぎないのである。
 日本の平和主義は、日本をアメリカの軍事的保護下に置き、日本の防衛の主導権をアメリカが握ることによって日本に独自の戦争をさせないという、アメリカの対日政策の上に成り立っているのである。つまり、日本の平和主義は、日本の政策ではなくアメリカの政策なのである。日本政府は、アメリカの対日政策を、あたかも日本独自の政策のように装っているに過ぎないのである。従って、日本の平和主義を日本独自の政策として論じている言論人たちは、アメリカと日本の政治によって踊らされているに過ぎないのである。
 現在、アメリカの超大国としての力には限界が見え始めている。従って、近い将来、日米安保体制と戦後体制が破綻して日本が真の独立国家にならざるを得なくなる可能性が高まっているのである。その時、日本は、どの様な国になるのだろうか。


民主主義の虚構

        民主主義の虚構

 

 私は、一般的に言われている民主主義国家は、虚構だと考えている。それは、次のような理由である。
 一般的に、民主主義国家と独裁者については、おおよそ次のような理論によって説明されている。
 「民主主義とは、主権者たる国民が政治に参加して自由に政策や国家のあり方を決めることができる国家体制であり、国民の自由や権利を守るための国家体制である。そして、国民の主権、自由、権利といったものを守るためには、国家の最高指導者が独裁者になることを防ぐ仕組みが必要である。独裁とは、強力なカリスマを持った最高指導者が、その強力カリスマの力によって国民の意識を変えて自由な思考をできなくしたり、憲法や法律に違反する権力を行使したり、憲法や法律によって定められた議会の承認による手続きが必要な権力の行使を議会の承認無しで行ったりすることによって、主権者たる国民の自由や権利を制限することである。このような独裁権力の行使から国民の自由と権利を守る仕組みが三権分立と議会政治である。まず、国家の最高指導者には、国民の意識を変えるような強力なカリスマは持たせない。そして、法的権限を法の執行権、立法権、司法権の三つに分割し、最高指導者には法の執行権のみを与える。更に、法を執行する最高指導者、立法府である議会、司法権を行使する裁判所に、それぞれ対等の力を与えて互いに監視させ、三者の中の一つが独走することを防ぐのである。また、最高指導者が権力の行使や法律の制定をする場合も、法律によって定められた議会の承認などの民主的な手続きに従わせなくてはならない。更に、国民には、言論の自由や思想の自由、そして知る権利などを与え、議会やジャーナリズムと共に最高指導者を監視するのである。このようにして、国家の最高指導者が独裁者になることを防ぎ、国民の自由と権利を守るのである。」
 しかし、本当に三権分立と議会政治によって独裁者の出現を防ぐことができるのなら、民主主義体制が独裁体制に取って代わられるようなことは起きないはずである。ところが、実際は、フランスの第一共和政がナポレオンの独裁体制に取って代わられたり、ドイツのワイマール体制がヒトラーの独裁体制に取って代わられたりしたように、民主主義体制が独裁体制に取って代わられた例は無数に存在するのである。これでは、民主主義国家なるものは虚構だと言われても仕方が無い。
 一体どうして、国家の最高指導者が独裁者となり、民主主義体制が独裁体制に取って代わられるようなことが起きるのか。このことについて、学者も言論人も、いまだに、まともな説明ができないのである。それは、彼らが、国家の最高指導者の役割を理解していないからである。
 私が「第一章 国家には独裁者が必要だ」で述べていることは、国家の最高指導者の役割である。国家の最高指導者が、いかなる役割のために存在するのかを理解すれば、民主主義体制が独裁者に取って代わられる理由も理解できるのである。


最高指導者無くして戦争は不可能

 第一章 国家には独裁者が必要だ

 

 

        最高指導者無くして戦争は不可能

 

 私が国家の最高指導者の役割について理解するきっかけになったのが、湾岸戦争である。
 1990年8月2日、イラク軍は突如クウェートへ侵攻し、占領下に置く。
 これに対して国連安全保障理事会はイラク軍の撤退を要求する決議をするが、イラクはこれを無視して占領を続ける。そして8月8日にイラク政府はクウェートのイラクへの併合を宣言する。
 このイラクの行為に対して国連の安全保障理事会は、8月25日に対イラク制裁限定武力行使決議を採択する。これを受けてアメリカのブッシュ政権は、ペルシャ湾岸へ、戦争のための兵員や物資の輸送と艦船の派遣を始める。アメリカは五十万人という、ベトナム戦争以来の大軍をペルシャ湾に送り込んだのである。
 そして11月29日、国連の安全保障理事会は、1991年1月15日の期限までにイラク軍がクウェートから撤退しない場合、国連加盟国がイラクに対して武力行使をすることを認める決議をする。
 この時のジャーナリズムや言論人の関心は、果たしてイラク軍は期限までに撤退するのか、そして撤退しなかった場合、アメリカは本当にイラクに対して武力行使をするのかという点にあった。特に懸念されたのが、クウェートの武力解放となると、兵士同士の地上戦になるということだった。もし、これが長期化して多くのアメリカ兵が犠牲になるようなことになると、最悪の場合はベトナム戦争の時のような政治の混乱が起きかねないのである。
 私は、この時、イラク軍が期限までに撤退しなくても、アメリカは武力行使をしないだろうと考えていたのである。それは次のような理由である。
 そもそも戦争をする為には、国民の一致団結した戦争への支持が必要である。ところが当時のアメリカの国民世論は、対イラク戦争を巡って分裂状態にあった。戦争に賛成が45%であるのに対して、戦争に反対もしくは慎重な意見がやはり45%であった。国民世論が政治に大きな影響を与えるアメリカでは、戦争をする場合、国民世論の支持が絶対に必要なのである。
 そのよい例が、アメリカが第二次世界大戦に参戦した時のことである。アメリカが第二次世界大戦に参戦する直前まで、アメリカ国民の大多数が参戦に反対していた。そもそもフランクリン・ルーズベルト大統領自身が、第二次世界大戦には参戦しないことを公約して大統領選挙に当選したのである。しかし、アメリカにとってのヨーロッパの戦局は日増しに悪化する一方だった。ナチスドイツはヨーロッパ諸国を次々に征服し、イギリス軍は命からがらダンケルクから撤退するという有様だった。アメリカが一刻も早く参戦してヨーロッパへ救援に駆けつけなければ、ヨーロッパどころか世界までがヒトラーによって征服されそうな状況だった。もし、そのような事態になったら、アメリカの安全さえ危うくなってしまう。そのため、ルーズベルト大統領は焦っていた。しかし、アメリカは国民世論が政治に大きな影響を与える国である。国民世論が参戦に反対である以上、ルーズベルト大統領としても、どうしようもなかった。そこへ突如、日本軍が真珠湾を攻撃して来た。その結果、アメリカの国民世論は一気に参戦支持に変わってしまった。これによって、ようやくルーズベルト大統領は、第二次世界大戦への参戦の決断が可能になったのである。
 戦争は軍隊だけですることではない。戦争は国家・国民が一体となって行う一大事業である。そのため、国家が戦争をする場合は、戦争に対する国民の一致団結した支持が必要不可欠である。国民の団結を欠いた状態で戦争が行われた結果、相手に対して圧倒的な武力や経済力を持ちながら、その力を十分に発揮できず、結局は敗れてしまった例がいくつもある。日露戦争の時のロシア帝国やベトナム戦争の時のアメリカがよい例である。日露戦争の時のロシア帝国は、既に革命寸前の状態にあり、血の日曜日事件のような混乱が起きていた。とても国民が一致団結して日本と戦争ができるような状態ではなかった。その結果、ロシア帝国は、日本に対して圧倒的な武力や経済力を持ちながら戦争に敗れてしまったのである。また、最前線で戦っている兵士たちにしてみれば、国民の一致団結した声援があってこそ、命がけで国家のために戦う意志を持ち続けることができるのである。ところがベトナム戦争の時のアメリカ国民は、自国の兵士や国家に対して、声援どころか戦争反対の罵詈雑言を浴びせていたのである。これでは兵士たちが国家のために戦う意志など持てるわけが無い。結局、アメリカは、北ベトナムに対して圧倒的な武力や経済力を持ちながら敗れてしまったのである。
 私は、こういった過去の歴史的事実から、湾岸戦争も、国民世論の一致団結した支持が十分得られていない状態で戦争を強行すれば、ベトナム戦争の二の舞になるだろうと考え、それを恐れてブッシュ大統領は武力行使をしないだろうと予想したのである。
 ところが結果は、私が全く予想しないものになってしまった。1991年1月17日、ブッシュ大統領は開戦を決断し、戦闘が始まってしまったのである。
 しかも、その時、私にとって開戦よりも遙かに驚くべきことが起きたのである。何と、開戦と同時にブッシュ大統領に対するアメリカ国民の支持率が89%にまで上昇したのである。つまり、それだけのアメリカ国民が開戦を支持したということである。
 ブッシュ大統領の決断によって戦闘が始まると、アメリカ軍は圧倒的な武力によってイラク軍をクウェートから駆逐して勝利したのである。
 私がこのように湾岸戦争の予想を間違えた理由は、当時の私が国家の最高指導者の役割を全く理解していなかったことにある。
 湾岸戦争の開戦以前は、開戦を巡って分裂状態にあったアメリカの国民世論が、開戦と同時に開戦支持に変わったのは、アメリカの最高指導者である大統領の役職に備わっている強力なカリスマの力によって、アメリカ国民の意識が変えられたからである。カリスマとは、多くの人間を無意識の内に従わせる力である。強力なカリスマを持つ者が意志表明をすると、多くの人間が無意識の内に、その意志を受け入れてしまうのである。つまり、実際はカリスマの力によって与えられた意志なのに、それを自分自身の意志だと思い込んでしまうのである。これがカリスマの力である。このように、国家の非常時に大統領のカリスマの力によって国民の意識が変えられてしまうということは、湾岸戦争以前の私にとっては全く考えられないことだった。私は、この湾岸戦争で、アメリカ大統領の恐るべき力を思い知らされたのである。
 ただし、湾岸戦争をアメリカの勝利に導いた要因としては、ブッシュ大統領個人の政治手腕もあったことは確かである。しかし、アメリカ大統領の役職に備わった強力なカリスマの力が無ければ、ブッシュ大統領は政治手腕を発揮することができなかったのである。従って、アメリカ大統領の役職に備わった強力なカリスマの力が、アメリカが湾岸戦争に勝利した最大の理由であったと言えるのである。
 私は、国家の最高指導者の決断が国民の意識を変えることもあるということを湾岸戦争で初めて認識したのである。
 国家の最高指導者とは、国家にとっての重大な決断をすることによって国民の意識を変えることができる強力なカリスマを持った指導者のことを言うのである。このような力を持った指導者が存在しなければ、国家の危機に対処することは困難である。国家の危機に直面した時に、国民の考えが一致せず世論が分列していたり、国民が何をやってよいのかわからなくなり混乱したりしていたのでは、国家としての秩序ある行動ができなくなり、危機に対処するどころではなくなってしまう。更に、国家の危機でも、武力行使が必要な場合は、国民が戦費の負担をしたり、戦争によって国民生活が圧迫されたり、場合によっては、空襲、ゲリラ攻撃、テロリズムなどにより一般国民が直接武力行使を受けたりするなど、国民に苦痛を強いることになりかねず、国民の反発を招きかねない。そのため、最高指導者のカリスマの力によって国民の意志を一つにまとめ、全国民が一致団結して最高指導者と共に危機に対処しなければならないのである。これができなければ、いくら強力な軍隊を持っていても、まともな戦争はできないのである。軍隊は、国家と国民が団結して一体となった状況でのみ機能するものである。つまり、国家の危機が発生した時、いつでも国家と国民を一致団結させることができる体制が整っていなければ、国家の危機に対処することはできないのである。そのため、国家には強力なカリスマを持った最高指導者が必要不可欠なのである。
 国家の非常時における国民の一致団結は、自然にできあがる場合がある一方で、人為的に作られる場合もあるのである。つまり、国家の最高指導者は、国家の非常時における国民の一致団結を人為的に作る役割のために存在するのである。
 湾岸戦争から十二年後の2003年3月に息子の方のブッシュ大統領が始めたイラク戦争でも、湾岸戦争の時と同様のことが起きている。イラク戦争開戦以前、イラク戦争に対するアメリカ国民の支持率は56%だったが、開戦後は74%へと上昇した。これは、このイラク戦争にアメリカと共に参戦したイギリスのブレア首相も同様だった。開戦以前は、イギリス国民の90%がイギリスのイラク戦争への参戦に反対し、支持する国民は存在しなかった。ところが、イラク戦争が始まると、戦争に対するイギリス国民の支持率は60%近くにまで上昇したのである。つまりイギリスの首相は、アメリカ大統領に匹敵する力を持っているのである。
 ただし、アメリカが戦争をする場合、いつでも湾岸戦争の時のようにうまくいくとは限らない。ベトナム戦争のような失敗例もある。
 アメリカのジョンソン大統領は、1964年8月2日に起きたトンキン湾事件をきっかけに、北ベトナムに対する武力行使を始めた。これによってベトナム戦争は本格的なものになった。この時点では、アメリカ国民の大多数が戦争を支持していたのである。ところが、当初三ヶ月ほどで片が付くと予想されていたベトナム戦争は、何年たっても終わらず、戦況は泥沼状態に陥る。更に、ジャーナリズムによってソンミ村の虐殺を始めとするアメリカ軍による残虐行為が報道され始める。すると、アメリカ国民は次第に戦争に懐疑的になり始め、ジョンソン大統領の指導力の低下もあって、ベトナム反戦運動が政治を揺るがすほどに激化してしまった。そのため、ベトナム戦争は政治的にも泥沼状態に陥ってしまった。その結果、アメリカ国内に厭戦気分が蔓延し、アメリカ国民の団結が失われてしまった。そして遂に、超大国アメリカは小国北ベトナムに敗れてしまったのである。このベトナム戦争の反省から、湾岸戦争の時、ブッシュ政権は短期間で戦争を終わらせることに全力を挙げたのである。


カリスマも権力だ

       カリスマも権力だ

 

 明治維新によって成立し、日本が太平洋戦争に敗れた後に否定されることになった国家体制を、とりあえず明治体制と呼ぶことにする。
 私の考えでは、この明治体制における国家の最高指導者の役職は天皇である。しかし、一部の学者や言論人は、明治体制下の天皇は自ら意志決定をしたことがほとんど無く、更に昭和天皇に関しては、自ら意志決定をしたのは二・二六事件と、太平洋戦争の終戦のためにポツダム宣言を受諾した時だけであるという理由で、明治体制下の天皇が戦後体制下の天皇と同様に権力を持たない象徴的な存在だったと主張している。しかし、明治体制下の天皇が自ら意志決定をしたことがほとんど無かったからと言って、天皇が権力を行使したことが無かったと考えるのは間違いである。
 明治維新から太平洋戦争の敗戦に至るまで、天皇は明治・大正・昭和と三代にわたり最高指導者として日本に君臨した。その間、軍事・外交上の重要政策は、最終的には天皇の裁可が無ければ決定できなかった。天皇の裁可が下る前の段階では、元老や大本営政府連絡会議による決定が行われた。しかし、元老や大本営政府連絡会議の決定は、国家の正式な決定ではなく、政府の実力者による非公式な合意に過ぎなかったのである。明治体制下の日本では、最高指導者である天皇の裁可があって初めて国家の公式な意志決定となるのである。そのため、軍事・外交上の重要政策を決定する場合は、天皇の臨席の下に御前会議が開かれたのである。この御前会議こそ、国家の最高指導者としての天皇が権力を行使する場だったと私は考えているのである。
 一般的に、権力の行使と言うと、法的権限の行使のことを言う場合が多い。しかし、国家の指導者が法的権限に基づいて重大な意志決定をしても、国民がこれに従わなければ、その決定は事実上無効になってしまう。特に、戦争のような国民に多大な負担や犠牲を強いる決定に対しては、国民が反発して従わないような事態が起きる可能性もある。そのため、アメリカ大統領やイギリスの首相のように、最高指導者のカリスマの力によって国民の意識を変えなければ、戦争のような国家の重大な意志決定に国民を従わせることができない場合もあるのである。つまり、国家の重大な意志決定は、法的権限の行使と同時に最高指導者のカリスマの力を行使することによって始めて可能になる場合もあるのである。要するに、最高指導者のカリスマの力も、法的権限と同様に国家を運営する上で必要不可欠な国家権力なのである。従って、カリスマの力の行使も権力の行使であり、法的権限の行使だけが権力の行使ではないと言えるのである。
 明治体制下の日本では、国家の最高指導者としての天皇が持っているカリスマの力によって国民の意識を変えることができて、始めて開戦の決定のような重大な決定に国民を従わせることができたのである。明治体制下の日本では、法的権限の行使は主に内閣総理大臣などの閣僚の役割であり、天皇が自ら法的権限を行使することはほとんど無かった。天皇の主たる役割は、国家の重大な意志決定において強大なカリスマの力を行使することだった。ところが学者や言論人の中には、法的権限の行使だけが権力の行使だと思い込んでいる者が数多く存在している。そのような学者や言論人から見れば、法的権限を行使することがほとんど無い明治体制下の天皇は、形だけの存在にしか見えないのである。そこで彼らは、明治体制下の天皇が権力を持たない象徴的な存在だったと主張しているのである。しかし、カリスマの力が権力である以上、天皇が持つ強大なカリスマの力を行使することは、天皇による権力の行使であると考えざるを得ない。従って、明治体制下の日本における御前会議は、天皇が権力を行使する場だったと言えるのである。
 ただし、明治体制下の最高指導者だった天皇は、明治維新が起きた時から国家の最高指導者としての強力な力を持っていたわけではなかった。明治維新の後、明治政府は、廃藩置県、徴兵制の導入、廃刀令、秩禄処分といった政治の大改革を断行するが、これらの改革は特権階級である武士から、あらゆる特権を剥奪し、最終的には武士階級を消滅させる政策である。従って、日本中の武士の反発を呼ぶことは避けられなかった。特に1871年(明治4年)の廃藩置県の時は、大久保利通や木戸孝允といった政府の実力者も、特権を奪われることに対する不満から武士の反乱が起きることを恐れていた。この非常事態を乗り切るため、明治政府は西郷隆盛の力を頼ることになった。本来なら、このような非常事態において国民を一つに団結させ、国家の秩序を維持するのは、最高指導者である明治天皇の役割である。しかし、明治政府が成立したばかりの頃は、まだ明治天皇の最高指導者としての力は不十分だった。一方、西郷隆盛は、明治維新の最大の功労者であり、強力なカリスマと指導力で薩摩・長州・土佐の八千人の兵からなる御親兵を率いていた。明治政府は、西郷隆盛のカリスマの力と武力で武士たちの不満を押さえつけて廃藩置県を断行したのである。このように、明治政府が成立したばかりの頃の西郷隆盛は、明治天皇に代わって最高指導者の役割を代行していたのである。更に明治政府は、1873年(明治6年)には徴兵制を導入した。これによって武士は、武力を担う役割を奪われてしまった。ところがその後、西郷隆盛は、大久保利通らとの権力闘争に敗れて下野してしまう。その結果、西郷隆盛という強力な指導者を失った明治政府は、指導力が低下してしまう。しかし、その後も明治政府は、廃刀令や秩禄処分といった改革を次々と断行していった。こうした一連の改革の結果、多くの武士が特権を奪われてしまった。しかし、西郷隆盛という強力な指導者を失い指導力が低下した明治政府に武士たちの不満を押さえつける力は無かった。その結果、1876年(明治9年)には、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などといった武士の反乱が相次ぐことになってしまった。そして1877年(明治10年)には、西郷隆盛までが薩摩の武士を率いて西南戦争を起こすに至ったのである。これに対して明治政府軍は、西郷隆盛の率いる薩摩の武士を武力で打ち破ることに成功した。明治政府軍は、明治天皇の軍である。明治政府軍が西郷隆盛の率いる武士を破ったと言うことは、明治天皇が、強力なカリスマを持つ西郷隆盛を破ったと言うことになるのである。その結果、明治天皇の最高指導者としてのカリスマの力が確立され、日本の政治は安定し始めるのである。これ以降、明治政府は、明治天皇の強力なカリスマの力を背景に富国強兵政策を推進することになるのである。西郷隆盛は、明治天皇の最高指導者としての力を確立して明治体制を完成させるための人柱になってしまったのである。
 日本が太平洋戦争でアメリカに敗れた理由は、日本の経済力や技術力がアメリカに劣っていたからだと言われている。確かに太平洋戦争に限って言えば、その通りだが、全ての戦争について、そのようなことが言えるわけではない。もし、経済力や技術力の優劣によって戦争の勝敗が決まると言うのなら、アメリカがベトナム戦争に敗れた理由が説明できない。つまり、経済力や技術力は、戦争の勝敗を左右する要因の一つではあるが、決定的な要因ではないということである。確かに、戦争には武力や経済力の戦いという側面もあるが、同時に、最高指導者のカリスマや政治能力によって国民の戦意と団結を維持する、言わば、指導力の戦いという側面もあるのである。いかに強大な武力や経済力を持った国家であっても、最高指導者のカリスマや政治能力の欠如によって指導力の戦いに敗れ、国民の戦意や団結を維持することができなくなったため、国民に厭戦気分が蔓延して社会が混乱し、武力や経済力を十分に発揮できなくなった結果、戦争に敗れてしまうこともある。その典型的な例がベトナム戦争なのである。戦争は、国民に多大な負担や犠牲を強いる行為である。その負担や犠牲に国民が耐えられなくなってしまったら、いかに強大な武力や経済力があっても戦争には勝てないのである。
 太平洋戦争の開戦の時、連合艦隊司令長官の山本五十六は、奇襲攻撃によってアメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えれば、アメリカ国民は戦意を喪失し、その結果、アメリカは早期に日本との講和に応じざるを得なくなるという戦略を立てていた。もし、太平洋戦争の時のアメリカ大統領が、ベトナム戦争の時のジョンソン大統領と同様に政治能力と指導力が欠如した無能な政治家だったなら、そのような結果になったかもしれない。しかし、太平洋戦争の時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、アメリカ史上最も強力な政治能力と指導力を持つ大統領だった。日本軍の真珠湾攻撃で軍事的に大打撃を受けても、ルーズベルト大統領の指導の下、アメリカ国民は戦意を喪失することは無く、一致団結して戦い抜き、日本に勝利することになったのである。日本はアメリカの経済力や技術力に勝てなかった以前に、ルーズベルト大統領の指導力に勝てなかったのである。ただし、太平洋戦争の時は、日本も最後まで国民の戦意や団結が失われることは無かった。つまり、アメリカも、日本の最高指導者である昭和天皇の指導力には勝てなかったのである。そのため、太平洋戦争は、ベトナム戦争とは違い、最高指導者の指導力の戦いでは勝負がつかなかったのである。その結果、武力、経済力、技術力の戦いで勝負をつけるしかなくなってしまったのである。これが、武力、経済力、技術力において日本に勝るアメリカが太平洋戦争に勝利できた理由である。
 このように戦争には、武力、経済力、技術力の戦いだけではなく、最高指導者の指導力の戦いという側面もあるのである。そして太平洋戦争のように、指導力の戦いで戦争の決着がつかない場合に、武力、経済力、技術力といった手段によって決着をつけることになるのである。つまり、武力、経済力、技術力で圧倒的な力を持っていても、指導力の戦いに敗れ、国民の戦意や団結が失われるような事態になってしまったら、その時点で事実上敗戦が決まってしまうこともあるのである。その典型的な例が、日露戦争に敗れたロシア帝国やベトナム戦争に敗れたアメリカなのである。
 戦争には最高指導者の指導力の戦いという側面もあるため、指導力の戦いができなければ、本格的な戦争をすることは不可能なのである。そして、指導力の戦いをするためには、アメリカ大統領や明治体制下の天皇のような、強力なカリスマを持った最高指導者が必要不可欠なのである。


内閣総理大臣は最高指導者ではない

    内閣総理大臣は最高指導者ではない

 

 日本国憲法に記された議院内閣制は、イギリスの立憲君主制を手本にしているということになっている。そのイギリスの首相は、国家の中で一体どのような立場にあるのか。
 軍事・外交上の重大な意志決定をすることが国家の最高指導者の最も重要な役割である。従って、一体誰が軍事・外交上の重大な意志決定をしたかで、その国の最高指導者が誰なのか分かるのである。
 たとえば1982年に起きたフォークランド紛争の時の例である。アルゼンチン軍が突如、イギリスが実効支配するアルゼンチン沖のフォークランド諸島を占領した。これに対してイギリスは、サッチャー首相の決断により、空母機動部隊を派遣してフォークランド諸島を武力によって奪還することを決定したのである。また、2003年に始まったイラク戦争へのイギリス軍の参戦も、ブレア首相がイギリス国民の反対を押し切って独断で決定したものである。このようにイギリスでは、開戦のような国家の重大な意志決定は首相がするのである。従って、イギリスの首相は国家の最高指導者であると言えるのである。つまり、イギリスの首相は、事実上の大統領なのである。
 明治体制下の日本では1885年(明治18年)に内閣制度が創設された。しかし、この時は、内閣を主催する内閣総理大臣といえども、形式的には最高指導者たる天皇の補佐役に過ぎなかった。伊藤博文や山県有朋のような実力者が内閣総理大臣に就任しても、軍事・外交政策のような国家にとっての重大な意志決定には、最高指導者たる天皇の裁可が必要だった。
 これに対して、戦後体制下の日本の内閣総理大臣は、一体何なのか。太平洋戦争の敗戦と日本国憲法の制定によって天皇は政治の実権を失い「国家の象徴」となったため、明治体制下の内閣総理大臣のような最高指導者たる天皇の補佐役ということはあり得ない。それでは、イギリスの首相のような事実上の大統領になったのだろうか。もし、戦後体制下の日本の内閣総理大臣が国家の最高指導者であるとすれば、国家の重大な意志決定に国民を従わせることができる強力なカリスマを持っているはずである。果たして戦後体制下の内閣総理大臣が、そのような力を持っているのだろうか。
 一例として、日米安全保障条約が改定された時の岸信介総理大臣を見てみよう。
 1951年(昭和26年)に吉田茂総理大臣がアメリカとの間で結んだ日米安全保障条約の下では、アメリカによる日本の防衛の義務があるか否かが定かではなかったため、戦争をする能力が無い「平和国家」である戦後体制下の日本にとって安全保障上の不安があった。また、アメリカ軍が日本国内の軍事基地を使用する際に日本政府の了解を得る必要が無かったため、日本の独立国家としての体面を保つ上で問題があった。そこで岸信介総理大臣は、この問題を解決するため日米安全保障条約の改定を決意し、1958年(昭和33年)からアメリカとの交渉を始めた。
 ところが、社会党を始めとした野党勢力や総評などの労働団体は、日本とアメリカが安全保障上の結びつきを強めることをアメリカのアジア戦略に日本を巻き込む危険なものと考えて日米安保条約改定阻止国民会議を結成し、岸政権の安保条約改定に対する反対運動を開始した。そして、日米安保条約に反対する市民や学生が、国会の周辺で安保反対のデモを繰り広げた。
 一方、岸総理大臣は、1960年(昭和35年)1月にアメリカとの間で安保条約改定の調印をした。そして5月20日に、安保反対のデモが繰り広げられる中で、岸総理大臣は新安保条約の批准を決断し、衆議院本会議で採決した。
 そこで問題なのが、岸総理大臣による安保条約改定の決断により、安保条約に対する反対運動や世論がどうなったのかということである。何と、岸総理大臣の決断は、安保条約に対する反対運動を更に激化させてしまったのである。連日、数十万人のデモ隊が国会議事堂を取り囲み、安保反対と岸総理大臣の退陣を要求してデモを繰り広げた。更に、与党の自由民主党の中からも岸総理大臣の退陣を求める声が出て来るという有様だった。この騒動によって、予定されていたアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日が中止になってしまった。そして1960年(昭和35年)6月19日に新安保条約は自然承認され成立した。しかし、岸総理大臣は、政治の混乱を収拾するため、6月23日に辞意を表明するはめになってしまった。結局、岸総理大臣の決断は、安保条約に対する反対運動を激化させ、政治を混乱させただけであり、国民の意識を変えることはできなかったのである。やがて、岸総理大臣の退陣後に内閣総理大臣に就任した池田勇人が所得倍増論を打ち出した結果、国民の目を政治から経済に向けさせることができた。これによって国民に日米安保条約のことを忘れさせることに成功したため、とりあえず政治の混乱を収拾することができたのである。しかし、これによって安保条約反対の世論までが変わったわけではない。つまり、世論の分裂による政治の危機は収拾できても、世論の分裂状態は、その後も続いたのである。日米安保体制は、70年安保闘争や、1995年(平成7年)に沖縄で起きたアメリカ軍兵士による少女暴行事件、更に沖縄のアメリカ軍普天間基地の移転問題などを巡って動揺し続けたのである。
 岸総理大臣が国家の最高指導者だったなら、安保条約改定の決断の結果、国民の意識が変わり、安保を巡る世論の分列は、すみやかに収まっていたはずである。つまり、戦後体制下の内閣総理大臣の役職にはアメリカ大統領や明治体制下の天皇のような強力なカリスマが備わってはいないのである。従って、戦後体制下の内閣総理大臣は、国家の最高指導者ではないと言えるのである。だから岸総理大臣が安保条約改定の決断をしても国民の意識が変わることはなく、安保条約に対する国民の全面的な支持を得ることはできなかったのである。日米安保条約の改定により日本の経済発展の基礎を固めた岸信介は、有能な政治家ではあったが、決して国家の最高指導者ではなかったのである。要するに、戦後体制下の日本に最高指導者は存在しないのである。だから60年安保騒動の危機は、安保条約を国民に受け入れさせるのではなく、池田内閣の所得倍増論によって国民の目を経済にそらして安保問題を忘れさせることによって収拾するしか無かったのである。つまり、日本国民は、自由民主党政権の手練手管によって手なずけられてしまったのである。このように、結果として60年安保騒動の危機は乗り切ることができた。しかし、将来も国民世論の分裂による危機に際して、このような方法が通用するとは限らない。
 日本の戦後体制のような最高指導者が存在しない国家体制の下では、国家の防衛はできない。
 多くの人間は、軍隊さえあれば戦争ができると思い込んでいる。そして多くの日本人は、自衛隊と言う名の軍隊が日本の安全を守ってくれると思っている。しかし、自衛隊に日本の安全を守る能力は無いのである。なぜなら、戦争は軍隊がすることではなく国家がすることであり、国家が戦争をするためには戦争を可能にする手段が整っていなければならないからである。
 戦争を可能にする手段とは次の三つである。
 第一の手段は、言うまでもなく軍隊である。
 第二の手段が、戦争を支えることが可能な経済力である。戦争とは、軍隊による戦闘に加えて、後方支援などの、戦闘を継続するために必要な行為全体を言うのである。後方支援とは、軍隊が戦闘をするために必要な武器弾薬や燃料などの物資や兵士の食料などを調達して戦場に輸送する補給活動、戦闘に必要な情報のやりとりをする通信、そして傷病兵の治療といった行為である。そして、戦闘や後方支援といった戦争行為を総合的に行うのが国家である。そのため国家は、戦争に必要な武器・弾薬の調達、兵士に支払う給料、そして後方支援といった行為のために、膨大な経費を負担しなければならない。そのため国家には、これらの負担をすることが可能な経済力が必要なのである。
 そして、戦争を可能にする第三の手段が、国家の非常時に国民を一致団結させ、戦争に協力させることができる、強力なカリスマを持った最高指導者である。
 最高指導者の力が発揮できず、戦争に対する国民の一致団結した支持が十分に得られなかったため、武力や経済力では敵国に対して圧倒的な力を持ちながら戦争に敗れてしまった例がいくつもある。日清戦争に敗れた中国の清朝、日露戦争に敗れたロシア帝国、そしてベトナム戦争に敗れたアメリカなどがよい例である。日清戦争の頃の清朝と日露戦争の頃のロシア帝国は、革命が起きる寸前の状態にあったため、清の皇帝もロシアの皇帝も、その指導力を十分に発揮することができなかった。その結果、日本との戦争に対して国民を団結させることができずに、戦争に敗れてしまったのである。そして清朝もロシア帝国も、日本に敗れてから十数年後に革命によって崩壊している。最高指導者のカリスマの力が失われた革命寸前の国家では、国民を戦争のために一致団結させることはできないのである。また、ベトナム戦争の長期化によってアメリカ国民に厭戦気分が蔓延し、反戦運動が激化し、国民の団結が失われた結果、アメリカはベトナム戦争に敗れてしまった。つまり、ベトナム戦争当時のアメリカのように、大統領という最高指導者が存在していても、戦争指導を誤り、戦況が悪化して国民の支持を失うようなことになれば、指導力が低下して最高指導者としての力が失われ、国民の団結が維持できなくなることもあるのである。ましてや、最高指導者がもともと存在しない戦後体制下の日本に、本格的な戦争など、到底できるわけがないのである。
 このように、軍隊、経済力、最高指導者といった戦争を可能にする手段がそろっていなければ国家の防衛は機能しないのである。戦後体制下の日本には国家の最高指導者が存在しないため、国家の危機に対処できないのである。そのため、自衛隊と言う名の軍隊を持っていても、独自に国家の防衛をすることは不可能なのである。だから、日米安全保障体制が必要なのである。戦後体制下の日本は、国家の危機に対処する能力が無い欠陥国家なのである。
 また、一部の改憲論者の中には、日本国憲法九条を、軍隊の保有や戦争を可能にするような内容に改正すれば、独自に国家を防衛することが可能になると考えている者が存在するが、最高指導者が存在しないために国家の危機に対処できない戦後体制下の日本においては、憲法をどのような内容に改正したところで独自の防衛など不可能である。
 最高指導者が存在しないために国家の危機に対処できない日本の戦後体制は、超大国たるアメリカの保護の下でしか成立しないのである。そのため、アメリカが超大国としての政治力を失ったり、日本の防衛から手を引いたりした場合、日本の戦後体制は破綻するしか無いのである。
 それでは、最高指導者の力や役割について、更に詳しく説明しよう。



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