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小乱声(1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陵王

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小乱声

 

この規模のものとしては十年ぶりになる私たちの同窓会に彼が不意に現れたとき、かつて誰かが彼を痛ましいほどに痛めつけてしまったのに違いなかった。その、水沢潤は美しい顔の半分を、あえて朽ちるにまかせるかのように喪失してさえいたのだから。毎年の夏の定例とはいっても、通年の小規模な飲み会とは違って、これは中山秀樹の発案だったのだが、フェイスブック等で連絡のつく限りの卒業生を集めることに成功し、出来のいい、悪いごちゃ混ぜの卒業生たちのささやかな集まりに、ほんの数人とはいえお集まりいただいた先生方にも、ご満足いただけたのではないか。思えばあれから二十年以上も経つが、高校卒業後も一度も地元を離れなかった中山や、高橋由紀子、旧姓原田、そうした地元の人間たちや、私のように大学の数年を離れただけで地元に帰ってきた出戻り組はともかく、生まれ故郷という以外には取り立てて特記すべきものもないはずの、井原市というこの広島周辺の地方の町に、わざわざ遠方から帰省していただいた同窓生たちには頭が下がる。いずれにしても、広島県と岡山県のちょうど県境にあって、平櫛田中という彫刻家の生地として有名なだけの小さな町の小さな居酒屋は、にわかの賑わいを見せたのである。また、卒業生の中には、話題の人物と言うか、風変わりな人物も何人かいて、旧聞を暖めるという以外に、新奇な、下世話な知的好奇心をくすぐる会合でもあった。私自身はといえば、地元の通信教育関係の企業に就職してみたり、親の建築内装・リフォーム会社の経理を担当してみたりの曲折を経て、市立図書館の図書館員に落ち着いた、取り立てて言うべきところもない一個人に過ぎなかったが、例えば女性格闘家のはしりとして引退後も、後進指導やメディア活動に積極的な活動を見せている藤原奈々恵の、豊富な海外経験の話は十分以上に興味深いものだったし、アメリカはカリフォルニア州のある要人警護の会社の要人に納まった青木裕也の要人警護における裏話など、聞き耳を立てさせるには十分だった。私たちは声をひそめさえして、テロの脅威などについて話し合ったものだった。なにより、その当時ゴシップまがいの話題を振り向いていた、平川雅巳の語る彼の国家ビジョンは十分に傾聴に値するものであって、雅巳がふと、グラスを置くのを私は見た。それは、思いつめたようないやに重いしぐさだったが、「重要なのは、」彼は言い、私は知っていた。雅巳は確かに、あの頃からそんな、意味もなく重々しいしぐさをする男だったことを思い出す。「それを実現できるかどうかではなくて、」音声の群れのざわめきが、この規模のものとしては十年ぶりになる私たちの同窓会に彼が不意に現れたとき、かつて誰かが彼を痛ましいほどに痛めつけてしまったのに違いなかった。その、水沢潤は美しい顔の半分を、あえて朽ちるにまかせるかのように喪失してさえいたのだから。毎年の夏の定例とはいっても、通年の小規模な飲み会とは違って、これは中山秀樹の発案えーと。だったのだが、同窓会と言うのをやりたいんじゃけど、参加できる方は下のリンクの《おっと。それって》サイトにアクセスして《何人規模予定?》それを《連絡》確認するために今《求む。》集計(いいね)してるんじゃけど笑《なに?》相変わらず(久しぶりに)馬鹿でごめん(会おうか。)それ、《いつなの?》差別用語だから笑(日時の《同窓会って?》連絡は追って)いや、それ、《予定だとね先だろ?《今のところ》(生きてた?)まだちょっと《会場はどこら辺なのかな?(いや、未確定でも)井原でやるの?(ありがたくはある。)《で。先生とかは?》福山?《どうする?(当たり前)呼ぶの?》多分(いや、むしろどっか、学校借りる?)市役所のところ《馬鹿?》それって《あー。行くね》フェイスブック等で連絡のつく限りの卒業生を集めることに成功し、出来のいい、悪いごちゃ混ぜの すまん。この、山城克己って人《キャンプとか笑》先生?《無理かも》山根は《若干、ね。》なつかしすぎて インスタで捕獲したね 会っても誰か たっちゃんが》わからん(回避って?)可能性《猪原さんには あります(会費)ラインで ゆみちゃん 言っといたけど》ありがと(回避はいくらですか?)いつも《大丈夫。問題なし》卒業生たちの《おっと。たっちゃん、(またまた)なつかしすぎて》ささやかな集まりに、ほんの数人とはいえお集まりいただいた先生方にも、ご満足いただけたのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えばあれから二十年以上も経つが、高校卒業後も一度も地元を離れなかった中山《4.23ツーリング、ぶち気持ち 今日も子どもの学芸会の ええから》練習につき合わされる(お世話になった)良き(お友達の)パパな(久代さんが)わし笑(なんと!)やっと来たー。(地元矢掛にうどん屋オープンされた)ついに九州(言うんで、)や、高橋由紀子、(お尋ねした次第)や、高橋由紀子、《花衣のイベントで出会った人脈(なんかいっぱい、素敵な)っていうか、(日々の)お友達の(出会いに、素敵な 感謝です。)輪的な(笑)》今日の日の出。《いつも》光の《明日から 美しさに 北海道行って 今日も《こころの掃除~》また感謝です 来る~》旧姓原田、そうした地元の人間たちや、私のように大学の数年を離れただけで地元に帰ってきた出戻り組はともかく、生まれ故郷という以外には取り立てて特記すべきものもないはずの、井原市というこの広島周辺の地方の町に、わざわざ遠方から帰省していただいた同窓生たちには頭が下がる。いずれにしても、広島県と岡山県のちょうど県境にあって、平櫛田中という(、ここの市民ならだれでも知っているが、ここを一歩はなれればよっぽどの美術マニアといった類の人間のうちの百人に一人程度しか知らないだろう)彫刻家の生地として有名なだけの(、と、地元の人間、つまりは私たちだけは思っていた。)小さな町の小さな居酒屋は、にわかの賑わいを見せたのである。また、卒業生の中には、話題の人物と言うか、風変わりな人物も何人かいて、旧聞を暖めるという以外に、新奇な、下世話な知的好奇心をくすぐる会合でもあった。私(は、祖父の死体を不思議なもののように、それが私)自身(のようにさえ錯覚しながら私)はといえば、地元の通信教育関係の企業に就職してみたり、(はその指先を見た。彼の長い認知症の果てのそれは)、親の建築内装・リフォーム会社の経理を(もう震えはしない。ずっと)担当してみたり(、生きていた間中)の曲折を経て(、振るわせ続けていた)、市立図書館の図書館員に(、それは。)落ち着いた、取り立てて言うべきところもない一個人に過ぎなかったが、例えば女性格闘家のはしりとして引退後も、後進指導やメディア活動に積極的な活動を見せている藤原奈々恵の(その、思い出された記憶と目の前のそれとの)豊富な(当然の)海外経験の話は(乖離に)十分以上に(興味を引かれ)興味深い((なが)ら)ものだったし(なにが彼女をあそこまで神経質な人間にしてしまったのだろう?つねに会話を仕掛けなければ気が済まず、会話を仕掛けられていることに敏感な、耳を澄まし、感覚器を済ませたような人間に?)、アメリカはカリフォルニア州のある要人警護の会社の要人に納まった青木裕也の、(「待てよ、」と彼は言い、注がれようとしたビールは拒絶されたが、)彼の要人警護における裏話など(、私たちは見る、その彼の甲高く笑って見せた、そして、彼のその、それらは)私たちに聞き耳を立てさせるには十分だった。私たちは声をひそめさえして、(やがては、自分には必ずしも関係があるとは言えない)テロの脅威などについて話し合ったものだった(。自分たちの、その単なる誇大妄想じみた会話を、真っ先に自分であざ笑いさえし乍ら)。なにより、その当時ゴシップまがいの話題を振り向いていた、平川雅巳の語る彼の国家ビジョンは十分に傾聴に値するものであって、雅巳がふと、グラスを置くのを私は見た。それは、思いつめたようないやに重いしぐさだったが、「重要なのは、」彼は言い、私は知っていた。雅巳は確かに、あの頃からそんな、意味もなく重々しいしぐさをする男だったことを思い出す。「それを実現できるかどうかではなくて、」音声の群れのざわめきが、「それが実現しえるという事実のほうなんだ」彼のしぐさはいつでも思わせぶりだった。「って、いつも言うとる」意図しないにも拘らず、周囲のかすかな騒音に、それらの音声は消えていく。雅巳は数年間関西方面をうろついたあと、福山市で小さな小物のセレクトショップを経営していたが、もっとも、ウェブ販売主体のため、拠点がどこにあろうと関係ない。潰れない程度、と、雅巳は謙遜した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前から、ブロックチェーンを使って、ボランティア集金を主要な目的とした SMILE という仮想通貨のシステムを立ち上げていて、必ずしもメジャーとはいえなかったが、それなりの流通網を形成し、それに伴って、雅巳たちはある仮想国家のシステムを作り上げていた。彼がそのシステム作りにどれだけ関与しているのかは知らない。SMILE FOR LIFE というボランティア団体を主体とする自然発生的(とウィキペディアには書かれていたが、そもそも本人たちがそう書いたのかもしれないので、詳細はわからない)な立ち上げ同好の一人として、少なくともウィキペディアには二度だけ実名が出てくる。通貨単位は彼の、あるいは彼らの SMILE であって、自由な登録制による。国民登録すると税の徴収があり、同時に各種の補償も受けられる。実際には国籍を問わない保険会社のようなものだ。もともとは、《もっともダイレクトかつ有効なボランティアシステムとして構築された》ものだった。豊めるものの、剰余資金を、富まざるものの不足分に充当させる、《自由な個人対個人の現代的で最も有効なボランティアシステム》。簡単な基本法典《 SMILE MANNER 》と呼ばれるもの含めて、インターネット上の、多言語に対応する双子のAIを管理者としたインターネット上の討論・投票システムの中で自由に書き換えられる常に可変的な法規を持ち、いまや、雅巳の言う軍隊すらも持っていた。と、「国家の実態って何じゃ?」と雅巳の言う「所詮、軍隊と領土の相補的な実在。および、承認しようがしまいがどでもええ。他国家の反応。以上。でしかないんじゃ」この声を、私たちは聞き、「定義はいくらでもあるで。けどもな、本質的な絶対条件は、」やわらかい、幾分かは鼻にかかった「その二つであってじゃな、」それは私に懐かしさをすら感じさせた。「それ以外の定義はそれの隠蔽でしかない、と思うとる。」もちろん彼らの所有する軍隊とは、実態としては、武器を持った兵隊ではない。強烈な中央集権システムを持たない以上、任意の、というべきサイバーテロの集団であって、さまざまなヴィルスを生産、更新、かつ、売却し続けていた。あらゆる《非理性的なテロ国家ないし集団》に対して。ボランティア団体の資金面にかかわるダークサイド、とそれは呼ばれていた。結局は、プログラマーたちの野放図な趣味にすぎない。それらの《非理性的なテロ国家ないし集団》もまだ、表向きには彼らの国家を国家承認をはしていない。

 

 


小乱声(2)

「けど、日本の自衛隊の約半分は、国民だ」といつだったか、雅巳は、国民の一人と話したことがある、彼はそう言った、自衛隊員のね。いつだったか、(それって、日本の?日本以外に、自衛隊っていたっけか?)日本人は自衛隊について(ガラパゴス軍隊ってやつ)議論をするが、(確かに。)どうしても欠けている視点が(そうかな。)あるって。(日本にしかいないかもなそっか?)あれはあきらかな軍隊なんだ。(どっかの小国にあってもおかしくないけどな、島国とか、どこ?)例えば、(どっかの自治領とか)海外派遣についての意見を(つまり、忌憚のない本音ってことだよ、よくある、)一般の(よくある話だろ?)君のような(つまり、俺のことだよ)国民に聞かれるけど、行けといわれれば行く。行くなと言われれば行かない。そして、戦い始めたら敗北は許されない。何が何でも、日本国民以外のすべての人間を殺さなければならなかったとしても、それをやる。それが自衛隊だ。そう言うんだね、彼は。つまり、軍隊なんだよ。我々に意見はあっても意志はない。そこを、国民はわかっていない。そう、(じゃ、)雅巳は言った。(そいつにとって、自衛隊員ってのは国民じゃない《じゃあ、さ》ってことじゃのう《自衛隊って》)確か《何人(なにじん)?》それは、地元の田中公園でひらいた家族同士の花見の席だったが、雅巳はあるいは、酒を飲みすぎていたのかもしれない。「いずれにしても、自衛隊の中で、新国体論っていう、西さんって人が書いたっていう、『国体改造私案』っていう論文が(ネットで、誰でも読めるよ)影響力を(PDF)持ってるのは事実だ。西和輝さんといって、《ネオ・リュウキュウ》のシステムの細かいところを設計した人だよ」雅巳たちはその仮想国家を《ネオ・リュウキュウ》と名づけていたし、その通称名がその国家の《戦前・戦後期における国体論は、その論の趣旨にかかわらず》正式名称だった。日本が胚胎する外国、という《仮想的な妄想に過ぎなかったと断じざるをえない。そこにおいて国体に関わる一切の》ことなのだろうか。当時、各種の《個人の或いは国体としての決意、死、意思、性と生、それらは》メディアで、主に、週刊誌とインターネット上の《無駄死にであったに過ぎない。ところが今や、インターネットの仮想的と揶揄される各種言論の実態的存在が》各種サークルの範囲内ではあったが、スキャンダラスなゴシップとして《初めて国体を実態的存在たらしめたといってよい。》取り上げられていたものだった。本質的に閉鎖的なサークルには過ぎなくとも《もはや、国体は》、インターネット上にある《弱者あるいは異端者の妄想でも支配者のプロパガンダでもはない。それはまったき実態的存在として、我々に支配される限りにおいて我々を支配し、我々が決定する限りにおいて我々を決定する》限りオープンで公的なサークルにならざるを獲ないので、結局は、《ならば、独立的かつ自由なる国体のその空虚なる中央(=王座)に戴かれうるのは誰か?》誰も彼もが目にするスキャンダルには他ならなかった。《()直接武力(クーデター)による国会制圧。当該国家憲法および当該国家法規の停止。戒厳令。インターネットおよびマスメディアの一時完全停止。言論空間の完全一時破棄、これらの同時的実行。政府傀儡化。獲得した傀儡既存国家「日本国」維持。および、非国土仮想国家の国家承認。ビザ発行。全世界を非国土国家化し得た時点あるいは十年の期限を持って傀儡「日本国」破棄。》もっとも、「その西和輝って人」肯定するにしても、否定するにしても、単なる「お前の偽名だったりして」好奇な興味を引く(雅巳は笑う。そして)単なる流行事象(「まさか」、と)として、にすぎない。《既存国家の名目上の根拠は宗教か、民族性か、歴史性かヒューマニズムに過ぎない。とはいえ、我々は知っている。宗教は今日においていかなる妥当性もなく、人権乃至(ないし)固有文化維持の権利の名の下で保護される保護対象に過ぎないことを。あるいは民族性及び文化的一貫性が単なる現時点の政治的配慮による過去の歴史自称の再解釈あるいは捏造に過ぎないことを。あるいはヒューマニズムが、世界の一部を構成した局所の局所的権力闘争に過ぎない事象を世界全体として錯覚し、世界史そのものを階級間による権力闘争として見いだした錯覚の中で見いだされた、その錯覚そのものを成立させるための概念に過ぎないことを。彼らに言わせれば、我々は人間として等質である。だから、闘争し得るのだ。ある既存国家へのある既存国家の殖民地化はヒューマニズムに基づく侵略であり、脱殖民地闘争もまたしかりである。その本質においてはヒューマニズムとは等質な集合の中での権力分配の問題に過ぎない。()個人と国家と国体との乖離が二十世紀を推し進めた歴史的原動力だった。それは、もはや不可能になった。国家はすでに個人の無際限な言論の集合に飲み込まれ、統一された言論集団としては破綻しているからだ。真正なる国体の実現とは間接民主制から直接民主制の移行をのみ意味するのではない。それは純粋に精神的な体験である。自己が正に国体そのもであることの自覚、覚醒を強制し、無限の責任を負わしめるので、我々はそれに恐怖しながら打ち勝たなければならない。国体とは無慈悲なまでの克己心と、奴隷根性との無際限な精神的闘争である。この純粋に精神的な経験の場において、もはや農民型社会主義や、家畜型民主主義の出る幕ではないのだ。()我々は家畜による烏合会談にすぎない民主主義を否定する。()宗教にも民族性にもヒューマニズムによらない国体を、誰が象徴として承認するだろう?我々は知っている。ある東洋の島国に、万世一系と言う誰も承認していない仮想的な根拠の上に、人間として国体の一部に組み込まれながらもその権力のすべてを放棄させられ、ただ無限の沈黙だけを強制された上に何ものも正当化できない無根拠な尊敬をだけ受けてその国体を象徴していると称する(称させられている)王の存在を。()ある国体は一人の沈黙の王によってだけ象徴されるが、その沈黙の王が象徴する国体が一つでなければならない必然性はもとよりない。やがて彼は全ての国体を象徴するだろう。その王の、誰もが知る名前は、ここでは敬して沈黙しよう。》「夢見たいな話じゃが、ほんとうにやってしまうのがすげぇの」と中山は言うのを、「まだ、」一瞥することさえなく、「過程だよ。」雅巳は特に気にとめもせずに、「チェ・ゲバラがね」と、雅巳は「あのTシャツのデザインとして有名なゲバラが、」笑い、言うのだった、(それ、誰じゃ?)雅巳は、「言ってる、(革命家だよ)人々がどうしようもない(キューバの。)非現実的な夢を追っている(ひげ生やしてる)馬鹿者にすぎないというなら(葉巻加えてる人)千回でも繰り返そう(ベレー帽かぶって)その通りだ、と。」そう言っている。彼は、そう言った。山崎知美、私の知る限りの彼女は人見知りの激しい甲殻類のシェルに閉じこもったような少女だった記憶が《うえちって、銀色夏生って、好きなん?》あるが、彼女は今、短髪のいかにもよく出来た田舎の中年インテリになりおおせていて、むしろ、才気ばしって押し付けがましく、「平川くん、そのデザインになりたいん?」早口に言って笑うのを、私は奇妙なものを見るような思いで見る。《晴れた空って、見てるだけで》想わず私は《悲しくなるんじゃね》彼女を笑った。「Tシャツじゃったら、キーホルダーのほうがええの。俺、バイクに乗るから。」そういって雅巳は髪をかきあげるが、中山はただ、《平川君って》彼を見やっている《ゆうちゃんのこと、好きなん?》だけだった。「どっちにしても、新しい国家システムじゃけぇ。一回や二回つぶされても構やせんで。新しい時代の犠牲者になるんじゃったら、それも仕方ない思うとる。けど、新しい、合理的なシステムなんは間違いない。」「法律的には問題ないんか?」と言う藤田悠斗に軽く視線を投げるが、藤田は今や明らかに太りすぎだった。「どこの国の?日本の?あくまでも外国の法律だぜ。」言って笑い「法律は国家が国家内に制定するので、原則として世界そのものには法律は存在し得ない。」綺麗にそろえられた爪を「これからなんか問題でも出てくるんじゃない?」雅巳は指先で撫ぜる。「もちろん」雅巳は小さく声を立てて笑い、「革命ってあるじゃん。革命って、どこかの国でどこかの国の政権を取ることだったわけじゃ。けど、今、俺たちがやってるのは、先行する国がどこにもないところで、革命してるわけ。ようするに国家主権を奪うんじゃない。国家を生産するわけじゃ。これからの国家はそうなるよ。仮想国家とか、仮想革命とか人は言うけれどじゃな、これは現実の革命なわけじゃ。革命行為自体の革命。」雅巳は、「実際、ゲバラやカストロじゃないけど、命だってささげるよ。革命か、さもなくば死かってな。つまり、未来のために」めずらしく酔いつぶれかけた川田敏明が、宗教ごっこならやめたほうがええ、と言ったとき、雅巳は鼻で笑うようなそぶりを見せたが、もともと鼻にかかっていた《見てみて》知美の声を、《庭のバラの木の》私たちは《写真、アップしてみた》懐かしく耳元に聞く。「現実に何人おるん?」知美は口ごもり、その、なに?国民っていうの?それは?雅巳が言葉を継いだ。「日本人は千人ちょっとだよ。」日本が一番遅れてる。フランス人とイタリア人がなぜか多い。中国人が「まぁ、」一番多いね。「人口的に当たり前か。」ホワイトカラーだよ。中国人独自の国家もある。面白いのは、雅巳は指先でグラスのふちをたたき、脱北者、北朝鮮のね、十何人いたな、確か。国家にあれほど痛めつけられたはずなのに。これは、もちろん、不意に雅巳は顔を上げて天井を見つめ、個人情報だから、機密なんだけどね、ほんとは。私は頬杖をついていたが、「おもしろいだろ?」興味深い話には違いなかったが、必ずしもそれを聞かなければならない理由があるわけでもない私たちは、結局のところ、聞くでもなく耳に入れていたに過ぎないが、不意に敏明が雅巳の胸倉を掴んで頭突きをしたとき、敏明の変形した、くの字に折れ曲がった体躯を一瞬、瞬いて雅巳は見上げた。ややあって、塊りになって怒号と悲鳴が一瞬だけ立つ。そのままの姿勢で池内彰久が喉を鳴らす。雅巳をにらみつけたまま、中山が敏明を後ろから引っつかんで投げ飛ばしたとき、彰久が声を立てて小さく笑うのを私は聞いた。何をやっとんじゃ、と中山が押し殺した声で、むしろ、敏明の耳元にささやくのだった。敏明は一瞬でわれに返ったような顔をして、周囲を見回した。胡坐をかいて座りこんだあと、本当のことを言うたらええ、言い、それは彼の口の中だけで呟かれた声だったが、私たちはみんなその声を聞いた。「本当じゃ、」と雅巳は言った。俺が言うたことは本当じゃけぇ、本当のことじゃと言うしかない。その言葉を耳にしたとき、私は、なにか意味を取り違った気がしたが、しかし、私は雅巳の肩をたたきながら、大人になったの、と言って笑う。何で?昔のお前じゃったら、今頃、殴りかかっとろうが。周囲の友人たちは笑って同意し、気のない思い出話を始めさえするが、彰久が何も言わないまま私を見つめながら首を振る。としくん(敏明)は相変わらずじゃ。まだ若いんじゃのぅ、誰かが言った。そしてもたらされる多くの同意と、囃し立てる声と、そして誰もが知っている。川田敏明(としくん)はむしろ引っ込み思案で、いじめの対象にさえならない、希薄な存在でしかなかった。主賓と言う名の単なる部外者に過ぎない教師たちは、何人かで固まって座っていたが、それぞれに目配せしあって退散の準備を始める。無理もなかった。私たちは急速にこの場が退屈になっていて、もうひと騒ぎでも起きないかという期待すら抱いていたくらいなのだから。会が始まって既に二時間くらい経っていた。長すぎたのかも知れない。奈々恵が口早に、雅巳と敏明に声をかけ、その当たり障りのない、かつ、その当たり障りもなさにおいて洗練されきった言葉の群れが心地よく、むしろ、彼女が荒れた場に慣れていることをみんなに気付かせた。人慣れない無口な少女だった記憶があるが、いずれにしても彼女は上質にこの場をさばく。マーシャルアーツで外人たちと渡り合ってきた彼女にとっては、た易いことなのかも知れない。共通言語を使い、あきらかに自分よりも素人の、体躯の使い方のイロハさえしらない中年の男たちの相手などは。中学生だったとき、彼女が教室に忍び込んで、私は、脱いでたたたまれた制服の中から彼女が何かを盗んだのを見たことがある。その、「どうしたん?」目が合った瞬間に、思わず私は言い、この、「ごめん、ちょっと忘れ物したの」奈々恵は言った。「なにを?」この、なぜか自分を苛む記憶。他人の、誰の制服の中に?言われた、或いは言われなかった整合性のない言葉を聞きながら、思い出す、私は、教室を出て行く彼女を一瞥して、あとは忘れることにした、屈辱感しかない記憶として、私は、体育の時間で、私は跳び箱の角に鼻をぶつけて鼻血を流していたのだった、後々までなぜ、思い出したのか?学校で窃盗が問題になったことはない。あれが何だったのか、私にはわからない。しらけた雰囲気が相変わらずこの場を支配していて、振り向くと、そのとき、女性店員が「お連れ様ですが」と連れてきた水沢潤がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しい男だった。無表情と言うわけではないが、何を考えているのかわからず、どんな言葉をかければいいのか思いつかない、彼の美しい顔の左半分は、年月の経過など感じさせないあのころのままの美しさを維持し、そしてその右半分は失われていた。まるで顔というものを(やすり)でかけてならしたように、それは人間の顔の模造品の原型をすら思わせ、要するに、失われていた。壊れた、という動詞が、ただ、頭の中に連想させれ、それらは小さく木魂し続け、しかし、壊れてはいない。顔として成立する以前の顔の原型のように、そこにはりついているばかりなのだから。潤ちゃんじゃねぇか、と彰久が呟くようにいうのを、中山も、敏明も耳にしたはずだ。誰かが彼の肩をたたき、席に迎え入れるべきものだろうが、誰もがタイミングを失って、あの奈々恵でさえもただ、彼を見つめるだけだった。確かに、彼は彼女の初恋の相手だった。私たちの視線を避けるように潤は席に着きながら、「ごめん、遅れちゃったね。場所がわからなかったんだ。」突きつけられていた銃口がはずされでもしたかのように、一瞬で、無言の拘束を解かれた雑談の音声が沸き立つ。声の群れの解放されたつらなりの中に、知美が身を乗り出すようにして、どうしたん?そう問いかけたときに、潤は、「何?顔?」微笑み乍ら、彼は言葉を継いでいく。「何てことないよ、ちょっとした事故、と言うか、」胸元まで上げた手のひらをはじくように開いて見せ、「Bomb ! 」、と、なにそれ?。戦争にでも行っとったん?「いや、そうじゃないけど、」潤は言葉を止めて、ところでさ。木村幸恵は鼻を一度すすり上げる。見回す。「誰か、とりあえずビールでもついでくれない?」周囲で笑い声が立ち、《じゃ、》かけつけ手酌で《じゃぁさ、ね。》乾杯なしじゃあさ、《じゃあ、》飲めないよな、《じゃあさ》「再会を《ね?》祝して」乾杯が終わると、むしろ、矢継ぎ早に潤の方が片っ端から近況を聞いていくので、それはむしろ彼が彼自身の近況を尋ねられる機会を封じ込めようとしているとしか思えない。誰もが、高校を卒業して以来、彼とは会っていないはずだった。東京の大学に行った。東京の、と言う以外に形容しようもない、東京と言うローカルのローカル大学に過ぎなかった。確かその六年くらいあとには、彼の父親の建築会社は倒産していた。実家は抵当に流れて、あれから今に至るまで放置されっぱなしのはずだし、その両親も今、どこにいるのか私は知らない。彼のフェイスブックは、まるで記事がなく、開設されてあるというだけに過ぎなかったが、そのくせ、メッセージを送ったらすぐに返答が来た、と知美が《じゅん様?久しぶり》言っていた《同窓会あるんじゃけど》誰もが《今回は来れたりするんかなぁ?》潤が来るなどとは思っていなかったので、思い出話に出てきはしても、みんな、彼の存在を忘れて仕舞っていた。不意に彰久が潤の手を一瞬強く握ったあと放し、潤は途中で言葉をとめた。彰久が彼の手を軽く三回叩き声を立てて笑った。潤は目を細め、彰久に微笑みかけた。それはわずかな一瞬だった。懐かしい笑顔だった。潤はいつも、気配を感じて振り向いたら、そこに微笑んでいる人がいたことに気付いたような、そんな笑い方をした。元気だった?潤は私を振り向き見て、その整ったほうの顔で微笑みながら「ずいぶん長い間、会わなかったね」私は言った。やわらかい、潤の少し鼻にかかった声は私の記憶を呼び覚まそうとする。その声は正に記憶されたままの声だったが、やわらかい、潤の少し鼻にかかった声は私の記憶を呼び覚まそうとするが、ほとんど毎日顔を合わせた膨大な記憶のどれをも鮮明に思い出さしめ得ずに、そして、潤の少し鼻にかかった声は私の記憶を呼び覚まそうとするが、ただ、存在する記憶の塊りに指先だけ触れて沈黙する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潤の少し鼻にかかった「もう何年?」二十年かな、私は言い、「ブラウン管のテレビは液晶になって、家電話は携帯になって今スマホだな。そんなもんか」彰久は飲みすぎているようだった。無意味に声を立てて笑い、ややあって、沈黙した。池内彰久も地元を離れなかったグループの一人だったが、この十年ほど、連絡も絶えていた。たぶん、SNSがなければ、二度と連絡をかわすことなどなかったかもしれない。あまりにも近くにいながら、長い年月のあとで私たちは再会したのだ。彰久には、あからさまな加齢が、残酷で、見苦しいほどに刻まれていた。酒を飲みすぎた彼は、その挙動の調子を少しくずしていて、彰久は今、私にとって奇矯で珍奇な何かに過ぎない。彼が十代の頃、私は彼を愛していた。それはある種の同性愛に近い感情だったと私は思う。彼は、その行動原理のすべてが確率論に過ぎない少年だった。今にして思えば、思春期の何らかの精神疾患の産物であったかも知れない。彼は不可解な変動係数にかけられて、唐突に誰かしらに牙を剥き、教師にも、年長者にも、同級生にも、年下にも、無差別に降りかかる彼の刹那的な暴力は、私たちに常に持て余されていた。あんな奴少年院でも入れればええんじゃ、とあるとき不意に思いついたように言った中山に、私もふくめて、その場の誰も何の口ごたえもできなかった記憶があった。彼の暴力性のその刹那性と、彼の若すぎる年齢によって、あのころ、彼は目をそむけたくなるほどに美しかった。高校は一年半で退学した。下級生の数十人に集団リンチを食らったのだが、結果的に、どちらが加害者なのかわからない結果になって仕舞った。処罰されたのは彰久のほうだった。泣きじゃくりながら、彰久を制裁する下級生たち。バイクに引きずられたあと、高校の前の路面に投げ捨てられていた彼の気絶した姿を覚えている。知美が伺うように「どこにいたん?」それはあきらかに潤に言ったものだったが、彰久が「俺はずっと、ここにいた」と言ったのが聞こえた。振り返った彰久が知美を見つけて、「外国」潤は答えた。「ベトナム。ベトナムと、ラオスの国境近くの。山間部のね。」潤は微笑んで、私を見ていた。「ベトナムだけじゃなくって、東南アジアのほうって、豊かになり始めたけど、やっぱり格差がすごくてね。貧しいところは、やっぱりすごく貧しい。とはいえ、美しいところだよ。少なくとも、自然はね。山が、でっかい山脈が、連なってね、どこまでも。」今、何やってるん?隙を突いて尋ねた私に潤は声を立てて笑うと、一度目を伏せ、「話が長くなるよ。で、俺、話の長い奴、嫌いなの。だから、また今度ね。」地元に、というよりも、日本に帰って来たこと自体が十年ぶりだった。方言などあきらかに忘れていた。日本語さえ呼び覚まされた記憶に過ぎなかったに違いない。あきらかに意識してしゃべられている日本語だった。潤はかつても美しい少年だった。女性的な印象を与えるが、実際にはあからさまに非女性的な無骨さによって構成された曲線のそれらは、いまや、その半分をこそいだかのように失ってしまってるせいで、むしろ、美しさに独特の洗練さえ与えているように見えた。対比の中でより自覚された美しさを。何か、凄惨な印象を与えるほどに。無言で微笑み続ける彼の顔を見つめ、変わったな、私はそう言いかけたものの、「と言うたらええんか、変わらんと言うたらええんか、わからんけど」それは、潤は言う、何も言っていないのと同じだ、微笑んだまま、「お互いにね」彼は言い、「乾杯しよう」こっちにはどのくらいいるの?知美が舌をかみ乍ら言った。もたげかかったグラスをそのままに、しばらく知美を見ていたが、「とりあえず、母の実家に行く。そのあとは、特に予定はない。こっちにいる限りは、こっちにいるとしか言いようがない」知美は伏目がちに、潤はその瞬間私に視線を投げて、「いろいろ問題のある同窓会じゃったけど、」二日後、北浦隆志は言った。それは彼の経営する病院のすぐ裏手の自宅だった。かつての井原市の山の手、今は、大きなショッピングモールが、国道の向こうにできたためにさびれきった、旧山の手と言うべきそこは、ほとんど人通りもない。地方にいると、人口減の現実がよくわかる。隆志は栓を抜いたビールを差し出し乍ら、「そう思わん?」妻方の両親から継いだ病院の経営者なのだから、それなりに隆志は潤ってはいるはずだった。むしろ質素にまとまった隆志の居住空間は、だが、よく見れば質のよいらしい家具や小物で構成されていることにた易く気付くので、隆志の、あるいはその妻の趣味を感じさせずにはおかない。高級品は見ればなんとなくわかるものだ、と、私は妙に関心して仕舞うのだが、関心して仕舞うのだが、いずれにせよ、居心地のよい居住空間ではあった。


陵王乱序(1)

 

 

陵王乱序

 

高級品は見ればなんとなくわかるものだ、と、私は妙に関心して仕舞うのだが、いずれにせよ、居心地のよい居住空間ではあった。つけっぱなしのテレビの前の、彼の二人の、性別がはっきりしないほど幼い子どもに何度も視線を投げかけ乍ら、隆志は、そして私は言う「何が?問題って何が?会計が?」隆志は声を立てて笑い、「確かに。考えてみい、みんなから四千円集めたのに何で三千円足りんのじゃ。」肩をすくめてみせるしかない。それはええとして、と隆志は、まず第一にの、潤ちゃんが来たろうが。「来たね。」あいつぁ、ハンセン病で。知っとるか?「何?」それって、と、「らい病?」私が答えるのを、それは、差別用語じゃけどの「ほんとか?顔は、確かに、変になっとったけど」記憶をたどり乍ら、私が「初期なんか?」じゃあ、ないじゃろうな。あんなにまでなっとりゃあ、そうとう、悪い。私にそれは信じられず、「でも、腐ってくるんじゃろうが。らい言うたら」腐りゃあせん。らい自体じゃあ。神経をやられるからの、痛みがなくなるから。何かの傷が化膿して、衛生環境悪くて、そのまま放置しとれば、何か別の感染症でそんな風になることもあるかも知れん。診たことないから、俺はよく知らん。けど、そりゃあ、らい自体の症状じゃない。「あんなもんなんか、らいって」そうとう悪くなってるよ、あれは、と隆志は言うが、再び、私の視界の中に思い出される潤の顔の映像が「うつるんじゃないんか?らいは。大丈夫なんか?」うつる。けど、たいしたことない。ひ弱な菌じゃから。めったにない。子どもや死にかけの爺さん婆さんじゃったらわからんけど。それに、一回投薬したら、ほとんどの菌が死んでしまうから、ある意味、風邪よりも簡単な病気ではある。やられてしもうた患部の処理は別にして。昔は違うどな。もちろんじゃ、薬なんかなかったんじゃから、大変な病気じゃったはずじゃ「じゃあ、あいつ、もう治っとるんか?」昔、ピアノを習っていた私のピアノを、潤はよく聞いてくれた。治っとりゃせん。隆志が言葉を切り、それは姉が腱鞘炎になった後、「治らんのか?」私の為だけのものになったピアノだった。いや。と、隆志が言うのを聞く、治しとらんだけじゃ、たぶん、潤は自分では弾こうともしないくせに「レプラも生き物じゃから、突然変異くらいはするじゃろう、耐性くらいは身に付けるじゃろう」それどころか、一切指さえ触れようともしないで「たぶん。じゃから、薬の効かない固体くらいあるんかもしれん、地球上のどこかには」弾いてみろ、と言った。潤はいつも私の家に来ると、そのアップライトピアノを指さし、「ベトナムにはないということなんか?その治療薬が」そんなことはなかろう。国境なき医師団とかで、中東のほうにも行ったけど、あんなところでも、何にもないけど、思ってたよりは結構ある。今どきはな「けど」と、隆志は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんとのことを言うと、ほんとのところはわからんよ。診察しとらんから。」むかし、というか、一年も前じゃないんじゃけど、隆志は笑って、私の置かれたままのグラスに乾杯し、言った。「飛行機に乗ってて。コソボ紛争のとき。覚えとるか?飛行機でたぶん、喘息かなんかの発作なんかな。お医者さんいませんかって言うんじゃ。けど、俺は無視したね。病院の医療機器に囲まれてない状態の医者なんて、医者でもなんでもない。何にもわからんし、何にもできん。本当に。真由美(それは彼の妻の名前だったが、)があんた、何とかしたげ、言うたけど、無理じゃ、と。何も出来ん、と。」いずれにしても、じゃ、日本でも二年に一人くらいは感染しとるんじゃないかな?俺のは教科書で習った知識と言うだけじゃから、実は、何もわからん。ただ、不思議なんは、なんで、潤は、と、隆志が「何で潤は何の治療もせずに放置しとるんか、とうことじゃ。」不意に、髪をかきあげ、私は、奇妙な眼舞いのような感覚に襲われたが、死にたい?それは、飲みすぎただけかもしれない「死にたい、とか?」私は言う。冷えた感覚が喉の奥にあった。あり得る。隆志は答え、確かに、潤が何を考え始めても不思議ではない。けど、と、隆志の声を、まるでお前は彼の死を望んでさえいるようだ。私は「らい自体では、基本的には死ねない。」聞く。他の感染症を併発しない限り。死ぬとしても、長い時間がかかる。らいで死んだのか、それ以外で死んだのか、判断も出来ないほど、長い時間が。私はそれらの言葉を聞き流す。彼の死を私自身がどこかでねがってさえいる感覚に襲われ、打ち消すように、「本当に?」ビールを飲み干すが、「あと、彰久ね。」立ち上がって、振り向きざまに隆志が、彼は両手に新しい冷えたビール瓶を持っている。「ありゃ、アルツハイマーか認知症で。」その後の、警察所管の専門医による詳細な診断で、彰久の若年性アルツハイマーが証明されるにしても、私にも思うところがあった。少なくとも何らかの精神疾患をは抱えている雰囲気が確かにあって、記憶を手繰るまでもなく、一瞬の、冷たい氷で背筋を撫ぜられたような感覚とともに、なにか、いたたまれない気がする。隆志の家からすぐ近くの、旧市街地の端の山際の彰久の実家を訪ねたとき、「彰久に会ってくるか?」それは私が言い出したのだった。今?これから?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやか?

ややあって、隆志は言った「ええよ。けど」全く人の気配のない薄暗い夜の空間を「何も出来ないよ、おれは」歩き、「専門じゃない」あらゆる夜の光源が、ほのかに空間と事物とを照らし出す。専門じゃない領域に関しては、ほんとに、わしら、色彩が、素人なんじゃ。暗さの中に埋没し乍ら空間に鮮明にうがたれ、鍵もかけられていない玄関から入ったときの、湿度をはらんだ臭気を、少なくとも私は忘れることができないのだった。今も。居間の向こうとこっちで、彰久の両親たちが死んでいた。彰久の両親らしい老人たちの明らかな死体が四肢を奇妙なあり得なさで折りまげて、血にまみれて倒れていた。激しく、何度も刺されたように見えた。大量に流れている血がこんなにも匂うことを、私は初めて知った。隆志もそうに違いない。彼の嗅ぐ血の匂いは、手術室の中の、あくまで新鮮な生きた血の匂いだったに過ぎない。私たちはむしろ、何も言わなかった。目線をさえ合わせず、引き戸を開けば見えてくる階段の半ばに、彰久はうずくまってスマホをいじるばかりで、私たちを振り向こうともしない。彼が、わたしと隆志に気付いていることは知っている。彰久は、LINE に、子どもの運動会の写真をアップしていたが、《先生方、役員の同級生たち、ご苦労さんでした。やっぱり、運動会はもりあがるのう!》そのキャプションを読んだのは、何日かあとのことだった。とっさに、隆志が彰久の襟首をつかんで投げ倒し、彰久は階段を転げ落ちていく。蛙のように四肢を開き、ばたつかせて。私は、そして隆志が、喉に鈍い音を鳴らしたのを聞いた。隆志は彰久に馬乗りになって、後ろから彼を殴りかかっている隆志を私は見ていた。彰久の左腕は自分で後ろでにねじ上げられたまま静止し、その無抵抗さの無意味さに、私は思わず目を逸らした。何を考えていたわけでもない。私は黙っていた。何もできないわけではなかったが、何をすればいいのかわからなかった。むしろ、それを探した。何をする気さえなく。彼らの周辺をうろつき、見上げた階段の上には彰久の、久しぶりに見かける姉の惨殺死体があって、その先の個室の開けっ放しのドアの向こうには、彰久の妻が首をつっていた。ドアは、薄いベニア板を二枚貼り付けたものだ。むかし、よく使われていた安価な素材だった。父の施工する内装にはいつもこれが使われていたものだった。何が起こっているのか、判断が出来ていないのは確かだった。他の何らかの事象を探して、私はドアというドアを片っ端から開けていく。何を探しているわけでもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隆志は一方的に彰久を殴っていた。他には何の死体も発見できない。子どもたちはどこへ行った?私は訝るが、ここにはなく、ここにはいない。最早、他に何もないことに気付いたときに、私が感じた奇妙な落胆は、そして私は自分が息を切らしていることに気付く。彰久が鼻から息を長く吹いて、血交じりの鼻水を床になすった。隆志は廊下の壁にもたれかかって、胡坐をかいたまま動かない。隆志が、まるで被害者のように見えた。うなだれ、もはや、体に力さえ入らない。頭を抱え、彼は、そして私は、隆志は今、すべてを失ってしまったのだと気付いた。何を?隆志が、誰の?床に転がっていた携帯電話に手を誰のすべてを?すべての何を?彰久は床に転がっていた携帯電話を取り、自分で警察に電話した。はっきりした口調で、家族がみんな死にました。すぐ来てください。それは何度となく私たちが耳にしてきた、あの若干甲高い声だったが、自分の氏名とアドレスのあと、奥さんを殺してしまいました、と彰久は言った。私はそれを聞き、足元の、彰久の姉の体躯が、まだ息づいていることには気付いていた。かすかな呼吸音があった。彼女は一度くぐもった咳のような音声をその肺の中で立て、なぜ、私は声を立てようとしなかったのか?すぐ近くに医者がいて、彼女の親族さえいるというのに?私はそれを黙殺しようとした。彼女はもう助かりようもないのだった。右の親指の指先さえ折れて、逆方向を向いているのが、痛い。その名前は忘れた。思い出そうともしなかった。漢字三文字で下は子だった。子どもは三人いたはずだ。子どもたちは今、別れた旦那の実家のほうに行っていたに違いない。彰久も三人兄弟だった。私は身を屈めたまま、専門学校のとき彼女は妊娠して、結婚して、私は彼女の口をふさいだ。看護学校だった。数年で離婚し、帰ってきた。彼女は死んでいるのだ。ある意味で、既に。もう助からないのだから。彰久が言っていた、看護学校じゃ、お互いにお互いの血を採血して、採血の練習をするらしいで。採った血と注射器は、もちろん特殊汚物として処理されるんじゃ。彼女が旦那と会ったのは看護学校だったのだから、もちろん、おたがいに、そうしあったに違いない。時に見つめあい乍ら、戯れるようにしてさえ、彼女は死んだ。さびいしいんよ、彼女は言った。一度採った血は、水洗トイレに流して、捨ててしまうんよ。あ、これは、ヒミツで。彼女は死んでいた。誰にも言っちゃいけんで。彼女は言った。怒られるから。冷え切った氷のような体温が私の皮膚と筋肉とのあいだをすべり、その下の体内が沸騰したように熱い。身をかがめて、私は自分の震える手を自分の震える手で押さえながら、潤は私にピアノを弾けと言った。触れようともしないまま、何でこんな音が出るん?弦を木がコンコン叩いとるだけなんじゃろ?香気がする。この美しい少年の体からは、塗りたてのニスに色気を混ぜたような、耐え難い香気が、福山にバスで行ったとき、それは私たちが中学生のときだったが、バスの中で、私はすぐ後ろの席にの潤をふりむいて覗き込み、私は思い出す、話しかけ、彼の隣に座っていた若い女性は明らかに性的な興奮状態にいて、それを押し留めていた。いつものことだった。思い出す。潤に魅了されない女性など存在しなかった。いつも、彼女は、いま、許しがたい暴力にさらされている被害者ででもあるかのような顔つきをして、むしろ無関係な私のほうに非難する目つきを見せた。私は小さく声を立てて笑い、潤は一度目を伏せた。潤は私たちの要求には既に気付いていた。おもむろにその女性を見つめ、のばされた指先は彼女の髪の毛に触れた。一瞬、体を震わせたあと、声を押し殺しながら、そして悲惨な状況の被害者であることを訴え、何かを懇願する眼差しを彼女は潤にむけ、彼女は何かを訴えていた。かすかな発汗が彼女の身体を薄く包んでいるのは知っていた。あなたは私を救わなければならない。薄く開かれた唇から彼女の呼吸の音が聞こえていた。彼女にできることは何もなかった。彼女は、はっきりしすぎたメイクで、田舎風の美人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、私はいつものように、毎日職場の図書館に通って、郷土史の編集をしたのだった。それは《歴史を知る。それは》市立図書館の開館五十周年記念の出版事業《ひるがえってわたしたちの現在を知ること》だった。私は《でもあります。》知っている。1960年代にデニム産業《先人たちの歩みを知り》が盛んになる。地元の有力企業の一つが、それは《先人たちの知恵を現在に》大手と呼ばれる繊維会社の《活かす、その中から》下請け企業にすぎなかったが、デニム生地生産に《未来の可能性が広がっていく。》特化するより他に生き残りうるすべを持たなかったに過ぎない。とはいえ、《わたしたちは市立図書館》それは成功し、いまだにアパレル系の人間《開設五十周年の今年、》にとっては、国産デニムの生産地として《先人たちの歩みの集大成として》記憶されている土地になりおおせた。1970年代の後半には《ここに郷土史の》染料等の公害問題が顕在化して、当該産業が下火になった、のではなくて、排水設備等ライフラインの充実が図られ始める。1980年代の前半から、すべての道路を引っ剥がして、下水設備の整備が始まる。それはすべての住居が配水管によってつながれることを意味する。と同時に、もはや土の道路は存在しなくなり、アスファルトか、コンクリートが路面と言う路面を多い尽くすのだが、これには、地元のPTA等の反対意見のほうが強かった。《「児童の健全育成と『土の地面』の保護について」》土の道路を守るべきである、と。90年外の前半期が、この町の消費のピークだったかも知れない。いうまでもなく、第二次ベビーブーマーによる消費の拡大による。さまざまな商業施設が、市街地郊外に設置され、とともに、市街地の所在自体が移動していく。一つの商業施設の設置は、地図の斬新を意味する。90年代の後半から、学校の維持の問題がゆっくりともちあがり、ゼロ年代に一気に顕在化するが、いまのところ、それに対する施政は何もない。不思議に、財政が逼迫することもない。予算を必要とする問題もとりあえずは何もないだけに過ぎない。および、ふるさと納税の、わずかな恩恵に。不在の、いわば、架空市民の税金が、その町の予算の30%をまかなった。もちろん、人口は減少していき、外国人留学生が増える。私が子どもだった頃、中国人さえ見たことがなかった町のコンビニに、今ではミャンマー人の留学生が働いている。いくつかの市町村が合併を繰り返し、地図はその名前と境界線の更新に忙しい。私は知っている、自殺するか、殺されるか、いずれにしても一度に四人もの人間が死んでしまったあの事件は、私たちの小さな町では大きな事件だった。かりに、その町の外側では、戒厳令下の中、もはや何の興味も示され獲ない、地方の小さな事件に過ぎなかったにしても。いたるところでそれがうわさになっているには違いないが、私の耳には聞こえてこない。耳をふさいでいるわけではないが、図書館の中にいて、図書館の仕事さえしていれば、ある程度遮断できるのも事実だった。この、慎み深い田舎町では、地元の知性の殿堂たる小さな古ぼけた図書館では、スキャンダラスな話など誰もがつつしみ、話を避けるのがマナーだ。むしろ、上原さん、大丈夫でしたか?と、六十代の女性の館長に、明けた初日に聞かれただけだ。この上ない、上品なやさしさをもって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻は言っている、とんでもないうわさになっていると、彼女は言い、さまざまな尾ひれがついているようだった。それは私の耳には聞こえない。それで、何か、わかったん?と妻は、「町中大騒ぎよ。ほんとに。」彼女は大学時代のサークルの後輩だった。ジャズサークルだった。彼女の声はいつも鼻にかかっている。知美と同じように。そして私は知美のことが好きではなかった。「町中大騒ぎよ。ほんまに。」嘘をつく気もなく、善良さの産物として、嘘を撒き散らす。悪意もないままに、致命的に人を傷つけてやまない不埒な善人。井口俊夫の父が神社で首をつって自殺したのも、「町中大騒ぎで。ほんとよ。」思えば、土地売買でもめていた井口親子の仲裁に入った知美のせいだとも言えた。あなたの少しのわがままが、今、あんなに仲がよかった家族をばらばらにしています。涙声で、「町中大騒ぎじゃが、ほんとに。」彼女は言った、と井口は言った。まるで、救いようのない回帰不能点をすでに突破して仕舞っていたかのように。もちろん、それがすべてではないかもしれない。いずれにしても、何も、わからない。何も、わかってはいない。三人の人間がほぼ同時に刺殺されたことには間違いがない。ほぼ同時に、一人の人間が首を吊ったことにも間違いがない。戒厳令下では、必ずしも外出制限がかかっているわけではないが、誰もが無用の外出は控えようとする。加害者らしい人間は、混乱しきっていて、埒が明かない。子どもたちはすべて生き残っていた。凶器となった包丁は、殺されたほうの指紋はいたるところについていたが、殺したほうの指紋はどこにもついていない。彰久は手袋はしていなかった。何かの布ごしにつかんでいたのかもしれない。何の?よく砥がれた刺身包丁で、それは一片の錆さえなく、彰久の父の趣味は釣りだった。目の細い、沖縄出身のボクサーのような、丸っこい顔の彼は、彰久とは似ても似つかない。小学校のときの、少年ソフトボールチームのコーチだった。毎週末、くわえ煙草でノックしていた。いまなら、犯罪者扱いだ。板金屋の跡取りだったが、その仕事の実質を、私はよく知らない。ミレニアム期以降における地方の板金零細工場(こうば)の経済的原理など私には想像もつかない。飢えて死んではいないのだから、仕事は何かしらあったのだ。「殺ったのは彰久じゃないよ」雅巳は言った。一週間近くたっていた。それは雅巳の店の中だった。窓越しの戒厳令下の国に、人通りはほとんどない。私にとっては、それは気乗りのしない話だった。「お前はどう想う?彰久が殺したって?」彰久だけじゃない、私は喉の奥だけで言った。おれも、あいつのお姉ちゃんを殺した。たぶん、彼女は「あいつじゃないよ」まだ生きていたのだから。俺が「殺したのが彰久じゃなったら、」私は言った、誰じゃ?「知らん」雅巳は声を立てて笑うが、それは私には不愉快なだけだ。「けど、久しぶりに同窓会で、こう、肌を触れ合った感じで、俺にはわかる。」何を?「今のあいつには殺せない。誰も。絶対に」

 

 

 

 

 

「なぜ?」

 

 

 

 

 

「誰かに危害加えたとしても、最後まで行けない。途中でやめるか、続けられなくなるか。例えば、一人殺すのに何秒かかる?三十秒かかったとして、けど、今のあいつは十秒ももたんよ。途中で飽きちゃう。それを三人も?めった刺しじゃったんじゃろ?あいつなら、一回振り上げて、振り下ろすのが、精一杯じゃと思う。」なんで、お前がそんなことわかる?「いい加減なことなら言わない。」何も知らないだろ?「なんとなく、としか言えんけど、これは、確信なんじゃ。根拠はないけどの、確実に、そうじゃ」とはいえ、事実死体はあったには違いなく、少なくとも彼の両親は、誰が殺ったんじゃ?と言う私に、ややあって、「潤かもな」と雅巳は言い、かすかな鼻笑いの音さえ立てるのを、私は雅巳の胸倉をつかんだ。「待て」殴られるより早く「やめとけ」と雅巳は言い、雅巳は私の手の甲を軽く叩き乍ら言った。「殴り合ったら、まだ、お前には負けんよ」雅巳が、いやいやをするように首を振る。そんな表情を現実にしているわけではなかったが、私は、今、雅巳が私を見下し、見下しきった上に見下しぬいているのを感じた。お前はいつも部外者だった。彼は、息が出来ないかのように、いつでも、自分だけは無関係な顔をして。頭を振るばかりだった。「もう、やめよう。この話は」


陵王乱序(2)

私の声には、教え諭すような雰囲気があった。それが「埒が明かん。」私自身にさえ不愉快だった。雅巳は人を殴ったことも、殴られたこともなかったはずだった。6歳や7歳の頃のこと知らない。首を解かれた雅巳が言った。「隆志と会ったんか?あれから」雅巳は妙に、そんな気を起こさせることが出来ない人間だった。「いや。警察署にだって、呼び出されるのは別々じゃ」雅巳の周辺には、いつも、しらけた希薄な気配が漂っていた。彼の周囲は常に退屈なのだ。「会わせたくないんじゃろ。口裏合わせるかもしれんから」あのころも「何の?」今も、「知らんが」いつ?あの頃とは、「会ってやればええのに」いつなのか?「お前は?」あの頃とは?「俺?」雅巳はうなづき、「神辺の飲み屋で見つけた。」いつ?「二、三日前。消防団の集まりみたいじゃったけど。あいつ、一人で何にもしゃべらんで、座わっとった。周りの子らがかわいそうじゃった。あいつ、団長じゃろ?みんな、気を遣うて。かわいそうなほど。もちろん、何か話しかけたわけじゃないし、わからんで。そう見えただけなんかもしれん」ややあって、お前は?という雅巳の声を聞き流し、ふいに、雅巳は思いつめたような顔をして、言った。「みんなが、俺について、何を言うとるか、知ってるよ。だれも俺に向かっては何も言わんけどな。ネットの上でままごとばかりやっとると。けど、今にわかるよ。俺の、というか、俺たちの、」あわてて訂正し「俺たちの国家は仮想国家じゃない。お遊びでもない。現実にここに存在するし」ガラスのドア越しに、まだ午前の陽光がしずかに差込み「最終的に既存国家のすべてを無効化するまで、俺たちは、やる。」私はショップに陳列された小物の上の、陽光の複雑な反射光の点在を見る。「今はまだ二重国籍のままじゃけどな、どっかの国に《ネオ・リュウキュウ》を国家として認めさせたら、すぐに国籍は抜く。ビザが発行されさえすればいい。そこに入国する。そこで、仕事をするよ。どうせ、ほとんど、ウェブ店舗なんじゃ。拠点が変わるだけじゃ。いずれにしても、国土のない国家を成立させる」「どうやって?」「見とってくれ。もうちょっと、待っといてくれ」もうすでに「何を?」引き金は引かれてしまっていた。雅巳は引き出しの中に煙草を探したが、あいにく煙草は切れていた。「そのうち、すべての国家から国土境界線は消える。それらは土地の個人所有権の問題に過ぎない。或いは企業の。《ネオ・リュウキュウ》だけじゃない。もう、他に三つもある。同じ、非領土国家が。それらの国家が片っ端から既存国家から国民を引き抜いていく。既存国家は結果的に形骸化し、むしろ架空の存在に堕す。ここは日本国だ、国民は?さあ、まだ一万人くらいは残っていたかも知れないね、ってね。」「無茶言うな。」私は意図的に笑い声を立てて、「たとえば、単純に水道局ってどうなる?」中学のとき、雅巳が耳打ちした「ファンドとして独立させる。税金で省庁のサービスを買ってるよな、」潤って奈々恵とやっちゃったって「今。それと、どこが違う?全部そう。軍隊も、な、」うそじゃ。ありえん「ファンドとして独立させる。」いや、ほんと「そんな軍隊が戦争なんかするか?」おれ、見たもん「武器の管理するだけじゃ。殺しあうのは、」一緒に帰っとるし「現実に戦争したい奴らの有志どうしがすればええ。何の不都合がある?」ないない「正直言って、」私は雅巳を振り向き見、そのときの雅巳はじっと、私を覗き込むようにして見つめているばかりだった。さめた、しずかな、そのくせ留めようのない興奮が、雅巳の声を震わせていたのだが、そのかすかな震えに、私は何にも言わなかった人間のような無表情さで私を見つめる雅巳を見つめ返す。自分の表情はわからない。たぶん、眉間にしわくらい寄せているのではないか?「どうしても、行くところまで行かないと、おさまらん。もう、始めてしもうたしの。非領土国家が地表を追いつくす。地表は単なる地表に過ぎないが、それらは非領土国家にあまねく支配されていることを知っている」うそつきの「知っている?」ほらふきの「そう、ただ、知っている。」雅巳。ややあってわたしは、彰久は今何をしているのか?「いつ、そんなこと、思いついたんなら。」警官に拘束され、連行される彰久の後姿に、明らかに何らかの精神障害を抱えていることが見て取れたのは、私の気のせいだっただろうか?「イスラミック・ステイト。IS。ISIS。イスラム国。あれのモスクが、陥落した日。」彰久は、明らかにこちら側にはいなかった。「テレビやネットで見乍ら、思いついた。俺は、ね」少なくとも私の隣には。この、「他のやつらのことは知らないけど。」どうしようもない「ネットで、言ってたよ、現地の人間が」距離。いきなり、彼の視界は、同時的な数人の人間の死に「外人ばっかりになってから、あの国は変わったって。」さらされた。「むしろ最初は偉大で革命的な国家だったってね。そう」言うんだ、彼らは、そう「言っていた。とはいえ、あれを実態国家として成立させたのは、むしろ外人たちだ。じゃあ、国家って何だ?国家の実態は国籍ですらない。宗教?いったい何人のリアルなイスラム教徒たちがいた?人種、言語、そんなものは言うまでもなく、国家の根拠としては無効だ。結局は戦争と貨幣と領土と税金でしかない。けど、戦争なんて不可能だろ?いま。国家は戦争できない。できるとしたら自衛か制裁だけだ。名目上はね。そんなものは国家と国家の戦争じゃない。国家は戦争を失った。敗者を隷属させ占領し解体するところの破壊行為としての戦争を、だよ。貨幣は仮想通貨で代用すればいい。領土は国家の見せ掛けの根拠にすぎない。いくつの紛争地帯がある?領土の画定されない国家がいくつある?日本だってそうだろう?竹島は日本なのか?韓国なのか?その韓国と北朝鮮は本当に領土確定された国家なのか?税金はファンド投資として再構築する。じゃあ、何が否定されなかった?軍隊だけだ。領土さえなくして、軍隊は存在しうる。」かもしれない。領土があるから「なぜ、こんなこと、始めたんだ?」軍隊が存在するんじゃなくて、ほんとは「わからないの?まだ?」軍隊が存在するから「いや、頭の中で考えるのと、」領土が存在するんじゃないかって「現実化するのとは違うだろ?なぜ、」おれは思うとる「現実化したの?たとえば、論文書くので満足しなかったの?」書いたよ。西和輝さんの「お前、今着てる服好きか?」論文。でも、飽きたんだよ「答えになってない」書くことには。「地震あったろ。東北の。原発の。津波の」雅巳は、答えるのに飽き飽きしたかのように、椅子にもたれかかって、「あのとき、俺もボランティアに参加したんだよ」知ってる。「見たよ、お前のフェイスブックで。インスタも」画像と《海が、こんなに》「人間として重要な行為だし、」《悲しく見えるなんて。》せつせつとした「ショップの営業としても重要なんだよ《海を見るのが、》慈善事業ってな。《こんなに》とんでもない」キャプションの《怖いなんて。》「現場だった。戦争があった」文章「わけでもないのに。向こうの果てまで瓦礫。廃墟の群れ。泣いたよ。現地の人間と会って話すたびに。本気で。心から。俺は、人生観もなにも、根っこから変わると思った。変わらざるを得なかった。いろんな人が言ったろう?3.11以降、考え方、変わったって。あのとき。けど、そうじゃなかった。俺は。何も変わらなかった。新しいメモリは増えた。けど、古いメモリは書き換えられなかった。口では言った。心の中ででも言った。変わったって。けど、嘘だ。嘘じゃないかも知れない。ただ、本当じゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間だ」時計も見ずに、私は言った。話の腰を折りたかったわけではない。雅巳は、半ば茫然とした表情をさらして椅子に深くもたれたまま、「行こう。彰久が待ってる。」待っているはずなどなかった。誰も。まだ面会の許可すら取ってはいなかったのだから。警察署に行くと、雅巳は一瞬身構えたが、あっけなく面会の許可は取れる。もはや彰久の口から聞きだせることなど何もなく、彼は単なる保護対象に過ぎないのかも知れなかった。同行する警官に連れられて、私と雅巳は市民病院の窓口をくぐる。極端にこざっぱりとした空間に、かすかに消毒液のにおいが停滞している。警官が「失礼じゃけぇど、いつからなんじゃろうか?池内さんがあんなふうになられたんは」と、おそらくは私より十歳近くは年上の、その短髪の警官は言った。「何か、問題があるんですか?」彼はこめかみを叩いて、「かなり進行しとられる若年性アルツハイマーにかかられとるようですな。亡くなられたご両親もね、よく介護施設に行かれずに、自宅で面倒みとられとったもんじゃな、言うて」

「そういえば、池内君のお父さんのお葬式はどうなさったんですか?」私は言い、あれから一週間、図書館の仕事もしなければならなかったし、警察の事情聴取にも行かなければならなかった。私は多忙で、その事件の最も近くにいたが、もっとも事件から離れ、隔たっていた。その後、何がどうなったのか、まるで、何も知らなかったことに気付く。「ご両親はね、お父さんの弟さんがいらっしゃるでしょう(私は知らなかった。でも、)。その人がね、(なぜあなたは)連れて行かれましたね。(すべてを)この三日の日にお通夜じゃった(当然のことのように)んじゃないん?お嫁さんのほうはね、姪御さんに(話すのでしょう?)当たられる方が手続きしに来られて、引き取って行かれたけども。あの方だけ、違う形じゃったから、いろいろと聞いて行かれたらしいけど、」今、「何をですか?」警官は一瞬口ごもっていて、彼は極端に人のいい人間には違いなかった。嘘がつけないのだ。「自殺じゃなくて、殺されたんじゃないかな、言われて。あちらのご家族はね、お嫁さんのほうが犯人じゃと思われておられるようで。介護とかにね、子どもの将来とか、まだ小さいお子さんじゃったから、思いつめて、あんなことして、それで自分も、ね。それじゃあんまりじゃからと。信じたくない、信じられん、と。誰かに殺されたんじゃと姪御さんは疑っとられましたね。知っとられたんじゃないんかな。ご主人さんのご病気のことを、お嫁さんのご家族さんは」廊下は「その可能性はあるんですか?」広い。「さあ。調査中じゃから」いまさらあわてて口を濁した。警官はエレベーターの中で、大柄な痩せた看護婦に軽く会釈し乍ら、「ただ、考えられんね。遺書には、ご主人さんの看護に疲れたと、そればっかり書いてあったんよ。身につまされますな。うちも、親父がね。まぁ、大変なもんです。お姉さんのご遺体にだけ、争った形跡があってね。そうとう逃げ回られたみたいじゃな。」病院ですから、と看護婦は振り向きざまに言い、「ご遠慮いただけますか」警官は一瞬声を立てて笑った。彼女は、確かに正しい。「ほんまですね」警官は照れたように笑う。彰久は、身柄を拘束さえされていなかった。一応の特殊病棟らしい小さな個室で、つい昨日盲腸の手術でもしたかのような顔をしていた。部屋は日当たりがよかった。窓は開け放たれ、これ見よがしに清潔な空間のなかに、こざっぱりとした格好で、ベッドの真ん中に胡坐をかいて座っている。私たちを見留めると、久しぶりじゃのう、他意もなく笑った。つられて笑いかけたが、あんな事件の真ん中にいた人物が、どうしてこんなにも他愛もなく自然に笑っていられるのか訝られ、彰久は、もう何年も前から、ここにこうして住んでいるかのようだった。私たちの後ろから、あの奥さんでも入ってきそうだった。バッグの中に、新しい着替えを詰め込んで、コンビニ袋でも片手に。まだ若かった。彰久が三十歳で結婚したとき、彼女は十九歳だったはずだ。そんな話を聞いた。名前は忘れた。必ずしも美しいとは言えないが、すっきりした、整った顔立ちではあった。目をつぶると、そのかたちを思い出せないほどには。朝から晩まで、半狂乱の彰久がわめき散らし乍ら、拘束服にがんじがらめになってもがき続けているのを望んでいたわけではないが、あまりにも意外なたたずまいだった。私は何を望んでいたのか?破滅?それはすでに一週間前に終わっていた。それは、もはやここには存在し獲ないのかもしれなかった。「元気じゃったか?」私は言い、たしかにあの日以来会っていなかった。私は何を言えばいいのか、戸惑っていた。口ごもったまま警官を一瞥したが、彼はただ、物静かに、生まれたばかりの他人の子どもを見るような無責任なやさしい眼差しに彰久を捉えているばかりだった。私と雅巳をさえ。「上原くんじゃろう?あの日は、すまんことでした。」彰久が言った。「上原には、本当に、迷惑かけたね。」彰久はベッドの上で、そのままの姿勢で頭を下げて見せ、「なんでもないよ」私は言うのだった。「幼馴染じゃからな。気にせんでええよ。」私が彼に何をしてやったというのか、「あれから、元気じゃったか?」自分の言葉に戸惑い、このどうしようもない違和感と同時に、正にあるべき会話があるべき形でなされている気の抜けた充実感がどうしても拭えない。おれたちは、こんな風に、ずっと会話して、こんな風に生きているべきだった、と、この、かたっぱしから整った清潔な空間の中で、と、私は、私たちは今、清潔で、完璧に整っていた。不意に、泣き出してしまいそうな気さえする。「元気じゃったとも。おかげさまで。お前は?」私が言うのを、彰久が細めた目の中で聞く。聞き取りづらいのかも知れない。「見ての通りじゃが。わしも、もう歳とってね、もう、駄目じゃが。」聞こえる?「何を言うとるん?」俺の声、「あんなことがあって、わしにも、ようくわかった」聞こえてる?彰久は、今、しずかに微笑み乍ら言っていたのだった。確かに、急速に彼に襲い掛かっている老いを、私は見ていた。まだ、四肢は、華奢ながら、たくましいままだった。衰えのない身体を、急激に老いが、しらけた気配とともに支配していく。この空間がそうさせるのかも、そう見させるのかも知れない。実際には、何度見ても、単なる手の行き届いた清潔な病室であるに過ぎない。「わしは、もう口をださんから、好きにしたらいい」醒めた緊張感が、空間に音を立てるように響いて、雅巳は何も言わないまま、彰久を見つめた。私は、一瞬で状況を理解できたが、それを雅巳に確認させるように、私は彰久と会話した。「そう。で、何と言うておられた?」雅巳を振り向きもせずに「あいつは何も言いわせんが。まだ、若いから。」

「そうか、しかし、心配じゃな」

「心配せんでもいいんじゃ、とわしは思う。わしも若い頃はそうじゃったからね。」

「そういえば、何歳になられたん?」

「もう、二十歳じゃが。お前のところは?」小さく声を立てて笑い、私は「まだ十二じゃが」

「まだ子どもじゃのう。一番、手のかかる頃じゃないか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしようもない居心地の良さの中で、私は、彰久の子どもが一番上でさえ、まだ十二歳にしかなり得ないことを知っていた。その子は二年前に交通事故で死んでいた。軽トラが自転車ごと轢ねたのだ。首の骨が折れていたという。即死には違いなかった。私は、彰久と、彼の二十歳になるという息子についての会話を重ね乍ら、もう一人子どもがいるはずだった、十歳くらいだろうか、彼、或いは、彼女はどこにいるのか?私は彰久にアドバイスをする、彼の二十歳の子どもの扱い方について。記憶として記憶された彼のぼんやりとした、しかし執拗な願望が、今、彼を支配する。願望なのか、複数の記憶の錯綜した混合なのか。いずれにしても、私は、私の目の前で、私の知らない、知らなかった現実が展開されているのを、見ていた。一気に、彼と彼の現実をぶち壊し打てしまいたい破壊的な欲望を何とか抑えながら、とはいえ、彼の現実をまるごと認めてしまいたい衝動にさえ駆られる。それらは私の中で並存し、私はしずかに彰久の手を叩き乍ら、彼の声に耳を澄まし続ける。私の声と、彼の声との連なりがもはや苦痛でしかなくなったとき、私は不意に自分の近況を一方的に語って聞かせ、私が怖かったのは、彼があくまでも純粋に知性的だったことに他ならなかった。彼は明らかに壊れていた、そして、彼の知性は明晰で、何の澱みもなく、すべてを明晰に処理していた。今、ナイフが目の前に突きつけられていたのを、私は感じた。それは比喩だが、もはや比喩ではない。私はいたたまれない。それは、恐怖そのものだった。あまりにも、単純な、怖さ。君は知っているか?無数の、それらのナイフが私を今、刺し貫いているに違いない。彼は知っていた。ちゃんと、彼がその手で家族を殺してしまったことを。にもかかわらず、なぜ君は今、どうして、例えば罪悪感に苛まれながら、毎日手ばかり洗ってみせるくらいのことが出来ないのだろう?悔恨の涙の中で錯乱した叫び声をあげたり、もう一人の自分とか『何とか神』とかが命じたの何だのとわめき散らしたり出来ないのだろうか?君の頭の中は、どうすれば再起動できるのだろう?君のバグった頭の中は?それとも、ハードディスクを丸ごと交換してやろうか?君の口の中に、CDRか中古のフリッピー・ディスクでもぶち込めば、君の頭の中のヴィルスは駆逐できるのだろうか?ファミコンのソフトでも?恐ろしいほどに明晰なきみの知性は?振り向き見ると、雅巳は目を両手で押さえ、声を殺しながら嗚咽を漏らしていた。泣いているのだった。それは、私には理解できなかった。本当のことを言え、と敏明は言った、あの時、そして、彼のそんな姿を私は初めて見た。それは私を安心させた。確かに、このとき、この状況なら、今正に、雅巳はあんなふうに泣きじゃくってしまうのが普通だった。私が安心し乍ら見ていたのは、こんな風景だった。今、私は知っている。生き残ったほうの、彰久の十歳の十歳の子どもはあの時、自分の部屋のベッドの下にうずくまって、震えることさえなく、身を固めて息をひそめていた。一人だけ生き残ったことを、彼は知っていた。彼は自分の存在を帰し去っていた。警察が発見したのすら、一晩開けたあとだった。早朝の現場検証の終わりかけに、のこのこ自分で部屋から出てきたところを保護されたのだった。見ず知らずの何人もの大人たちの、自宅への乱入に、不安に震えながら?おそらくは。何が、彼をそうさせたのか?言葉の群れが塗りたくり、言葉の群れに塗りたくられる。すでに言葉は塗りたくられていた。誰に?誰が?何を?私は彼に手をのばす。触れようとして。触れようとする彼が、彰久であることに気付く。何ものにもついに傷つけられることもなかったまま、私は今、生きている。彰久さえも。彼の子どもを、その名前を、私は忘れて仕舞った。会ったことがあるかどうかさえ思い出せない。自分の子どもと同じ小学校に通っていることは知っていた。身柄を確保されたとき、彰久の子どもは虐待された猫のように、暴力的なおびえた目で、彼らを見つめ、これは妻から聞いた伝聞情報に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が彰久の手を叩き乍ら見上げると、人のいい警官も看護婦も、今にも泣き出しそうな顔をしていた。みんなが、一様に泣きそうな顔をしている。その意味が私にはわからない。彰久は今犠牲者だった。彰久は自分の教育論を語っている。私はそれを聞くが、耳を貸してはいない。お前が殺したに違いない。私も泣きそうな顔をしているのに気付く。あの、姉でさえも。お前がその手で。いや、私はすでに泣いていた。涙を、隠しようもなく流していたのだから。激しく、呼吸をさえ乱し乍ら。十年以上も会わなかった。彰久など、私の知らない人間だった。今、始めて会うのと同じことだ。私は地域史の編纂をする。どこに存在する土地の歴史なのか?まるで私の知らない他人の土地の歴史のようにしか見えない。そんなものを、どうやって編纂すればいいのだろう?それはた易いことだった。私は毎日、資料を打ちなおし、エクセルに入力した。それは、私の重大な過失だったことには気付いていた。ごくごく単純に、ワードのほうがよかった。情報を並べ替え、編集するなら、エクセルのほうが結果的には楽な気がしたのだった。信じ難いミスだった。福山の保護施設管理下のもと、叔母の家におかれている彰久の子どもは、一人で生きていかなければならない。彰久は既に存在しない。目の前の、そして私は彰久の言葉にうなづいてやりながら、彼は一人で生きていかなければ成らない。何年も前からそうだったのかも知れない。彰久の症状が、一日二日のものだとは思えない。彼は、どこで、どうやって生きていたのか。ひとりで。あの家族の中に、毎日出入りし乍ら。彰久は近い記憶から忘れていくのだから、彰久に最も近いところにあるあの事件など、もはや消滅していたに違いなかった。彰久はすでに、あの事件にとって無関係な部外者に他ならなかった。彼はそれに、ついに、手を触れることさえできなかった。自分で殺しておきながら?すでに、それはむしろ外部の私たちの手の内にあって、今、私たちを泣かしめさえしているのだった。あるいは、彰久があの記憶を呼び覚まして仕舞ったとしたら、彼はどうするのか?この明晰な知性は、いかにそれを処理するのだろう?あるいは、彼の知っている事件の中で、彼は誰かを殺したのだろうか?彼は再び警察に電話するだろうか?自分が殺したことを知ったなら。あの、液晶画面に罅の入ったスマホで。殺したことを知っているなら、彼は殺そうとはしないのだろうか?加害者を、例えば、愛すべき家族の命を守るためにも。あるいは、報復のためにであっても。じゃあ、と、私は、ややあって、そのとき、立ち上がり乍ら言った。子どもは全部、見たんかな?あんなふうに、家族みんなが、言い澱んだ私に、それを打ち消すように妻は言ったものだった。知らんらしいよ、何にも。それがねぇ、それだけが、不幸中の幸いじゃねって、みんな、言ってるよ。物音がするからいうて、部屋から出てみたらね、あんなことになってて、あわてて布団のなかにもぐったらしいんよ。妻は言い、(ひと)語散(ごち)る、かわいそうにね。「ぼく、知らない」て言うんよ。いい子じゃったのに。そう言う。まるで、死んでしまった子どものようだ。妻は誰かに語って聞かせていた。聞いているのは、私だった。行くよ、私は言った。じゃあ、元気で。それは彰久だった。彰久が、私に別れを告げたのは知っていた。病院を出ると、その駐車場はこれほど人気のない町にもかかわらず、ほぼ満車状態だった。百台近くの車が止まっている。それは奇妙な光景にさえ見えた。


陵王乱序(3)

やわらかい陽光が、車体のパーツに、それぞれに異なった反射光を与える。これらの放置されたままの光の点在が、そして私は目をしばたたかせ、いつどこで入手したのか雅巳が煙草に火をつけていた。病院の裏手の低い山が、朝方降った雨の水滴をまだ乾ききらせないまま、かすかに潤った色彩としてたたずみ、二日前、潤に会いに行ったとき、潤は実家の家の前に出ていて、私を出迎えてくれたのだった。「どうするんなら」私は雅巳に言った。潤は、両親が月三万円で借りている借家に身を寄せていた。「これから、どうするんなら?」潤が大学を出る年に、両親の建築会社は倒産した。持ち家の土地は売り払われ、潤はこっちに帰っては来なかったし、両親は自分たちの気配を消したまま、どこかへ引っ越して仕舞った。久しぶりに見かける彼らは、確かに年齢を加えてはいるが、面影はそのままだった。見間違えることもない。私は彼らをすぐに見留めたし、彼らもそうだった。あいかわらず誰にでも愛想のいい、ということは、明確な悪意もなしに裏表のある、ということではあったが、潤のその母とひとしきり再会の挨拶をかわして、潤に導かれるまま狭いDKに行くと、彼の父は介護用のベッドに身を起こして、私に微笑むのだった。りっぱねぇ、と母親が言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

りっぱねぇ、と振り向き見乍ら彼女は言ったが、自分で起きたんじゃね。偉いねぇ。お客さんが来られる言うから、がんばったんじゃねぇ、潤の父親は笑った。彼女は、他人の子どもにかけるようなやさしい声で、潤の父は数年前に脳梗塞で半身不随になったと言っていた。そのわりには、はっきりした口調で私に言葉をかけ、潤の母がリハビリをしっかりさせていたのに違いない。お元気そうですね、私は寝癖が着いたままの太ったベッドの上の男に声をかける。動かないからねぇ、と、肥えて肥えて困ります、母親が言って、彼の膨らんだ腹を撫ぜた。うるさい、と彼は英語のRの発音で、戯れて言った。潤が十三歳のとき、潤は深夜私を起こした。私の家の外から、私の部屋の窓に石を投げたのだった。まるで、ロミオとジュリエットか、古典的なむくわれないラブストーリーのように。1980年代の終わりごろで、正確に逆算すれば、87年、ということになるその日、小さく不意にひび割れた窓ガラスの音響に驚き、目を覚まし、私はそこに窓を見上げる潤を見つけた。窓ガラスを割ってしまう、不器用なロミオ。私たちは上と下で、しばらく茫然と見詰め合っていたが、ややあって、隣の家の庭木を伝って部屋まで上がってきたとき、私は潤に、どうしたんなら?声をかけようとしたが、「お父さんが俺を殺しに来ちゃって」と潤は言った。悪びれもしないその言葉の正確な配列は、既に失われてしまった。私は思い出す。何度か思い出し、それはそのたびに、それ自らの言葉で記憶そのものを塗り替えていく。それはすでに、今、私の固有の記憶に過ぎなかった。「お父さんが?お前の?」私は言ったのだった。何で?彼が寝ていると、その母親が飛び込んでくる。部屋の中は、薄暗い夜の光を散在させていたに違いない。私は知らない。彼女は言った。確か美恵と言う名前だった記憶がある。子がついたかもしれない。彼は何度か目をこすったには違いない。彼女の言葉は、聞き取れなかったはずだった。彼はまだ、今、目を覚ましただけだ。彼女は言った。私は記憶していて、彼は目をしばたたかせさえしたかもしれなかった。私は思い出す。彼は美恵の荒い息遣いと、鼓動する心拍数を肌で感じた気がした。君は記憶しているだろうか?今も、私と同じように。彼は恵美の頭を撫ぜてみせた。長年連れそった妻には違いない。もう、七十歳近いのだろうか?窓越しのやわらかな日差しの中で、彼の流儀で、いい子いい子をするように。不随ではないほうの手で、半ばひらいたままのドアから不機嫌な彼の父が部屋を覗き込んだとき、恵美は小さい悲鳴のような声を喉の奥に立てたが、順次は何も言わずに、ややあって、すぐに立ち去った。それが彼の父の名前だった。若い頃の空手が、未だに彼の腕を丸太のように太く仕立て上げているままだった。どこかへ、順次が車で出て行ったことを、窓の外からその音響が伝えた。どうしたん?潤は言った。わからん、と、わからんが、恵美は言った。何にも、わからんが。錯乱した、彼女の起きぬけの夢だったのかも知れず、現実だったかも知れない。気配で身を覚ました気がする恵美の視界の中で、恐ろしいような無表情な顔をした順次が立っていたと彼女は言うのだった。手に刺身包丁を持っていたという、それはまるで、どこかで聞いたことがあるような話だ。鉄の、長い、少しだけ錆のある。母親は何でもない、夢じゃったんじゃろう、と言った。打ち消された言葉が、無意味に潤に絡みつき、いずれにしても、彼にできることなど何もない。君は、頼みもしないのに拒否され、飼ってくれとも言わないのに捨てられてしまった気がした。恵美が彼のベッドで寝付いてしまうと、いたたまれなくなった潤は、思えば、そのとき美恵はたぶん今の私とほぼ同い年だったはずなのだが、潤は近所と言うわけでもないそれなりに距離がある私の家に辿り着くのだった。まだ夜が明けるには時間がある。潤は、あのころ、ようやく舗装され始めた公道に、まばらに街灯設備が整備され始めた地方都市の、当時としては当然の発展途上の空間の中をかいくぐって来たに違いなかった。私は思い出した。暗さと明るさの共存した不均衡な空間を。「よく来てくださいました。」順次が言っていた。それは美恵の頭から手のひらをはずした瞬間に、だった。彼は長男のはずだった。なぜ、名前に次がつくのか、理解しかねた。そんな記憶があった。小学校のときの、青年消防団の名簿を見たときの記憶だった。「何もありやしませんが、どうか、ご遠慮なくの」丁寧に頭を下げてみせる障害を抱えた夫を、美恵は、お客さんなんか、もうずっと、来ないもんですからねぇ、すっかり、かしこまってしもうてからにね。何か哀れな目をして、口先で笑っているのだったが、小学校のホームルームで「お父さんの名前言える?」先生が私たちに言ったので、みんなはそれぞれにはいと手を上げながら返事をするのだが、それじゃあ、という先生が指したのは、手も上げずに先生を見ているだけの潤だった。潤君は、言えますか?「じゅんじと、みえです。」漢字は書けますか?まだそのころ、日本人の名前は当たり障りのない普通の読み方が当てられているだけだった。じゃあ、と、その先生、吉田先生と言う名の、五十代の独身女性が言った、おとうさんは、ご次男さんなんじゃね。長男です、と潤が言った、実は、五年ぶりなんだ。彼は、もはや標準語以外しゃべれない「こっち返ってくるの。父が、こんな風になったのは知ってたけど、遠くてさ」あまりにも「遠いって、どこが?」ベトナムだよ「ベトナムにいたんだから、ずっと」私はそれを思い出した。彼の父には、兄がいたのかもしれない。例えば生まれてすぐに死んでしまった兄が。彼らが生まれたのは1950年代だから、あきらかに、まだ、いわゆる戦後と言う時代のさなかではあったはずだ。とはいえ、疎開地でこそあれ、空襲もなかったこのあたりは、それほど逼迫した生活でもなかったはずだった。食事情が貧しかったにしても、それと、町ごと燃え尽きてしまい、あとには瓦礫しか残っていないこととの間には、遠い距離があった。少し離れたところに落ちた原爆を除いては。地方の地主の娘だった私の母の家には、建て直される前、土間の先の二十畳近くの部屋の壁のぐるりに、戦死者の遺影と賞状とが交互に飾られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英霊という、その当事者の家族たちに於いては、取り返しようもない喪失感と悔恨とともに呟かれてはしても、誇りも政治的正当性も一切帯びることのできなかった、この苦し紛れの概念が、その額の群れの列にだけ、張り付いて目覚め続けていた。ただ、沈黙し、沈黙を強制しさえして。その空間の中で、無関係な無数の言葉が飛び交い続けたものだったことをも、私は知っていた。無用の戯れ語と日々の言語の消費。いまや、地理的な問題として消滅して仕舞った被差別部落への陰口として、よっつぁんと言う言葉があった。私の父は酔っ払って機嫌がよくなるたびにその言葉をあおるように繰り返したものだった。再開発の流れの中で、一つの部落が鉄道の線路のために消滅した。市役所の人間にとっては、それは大きなビジネスには違いなかった。市役所づとめの祖父に言われて、父はよっちゃんたちに、自分のものとは言えない金銭をばら撒き、自分のものとは言えない土地を買収し、父はいつだったか言っていた。よっちゃんいうたら、ごうつくばりじゃけぇ、いちえんでもくれぇいうて、骨までしゃぶろうとするけぇなぁ。ありゃあほんまにあんごうでぇ、その地方鉄道が開通するまでに、結局は三十年近くがかかった。私はそれを知っている。地方史のなかで、もっとも大きな事件に他ならないそれは、そして父によっつぁんと呼ばれた彼らは少ないとはいえない金銭を口座の中に振り込まれ、新しい土地に散っていった。あるいは無償で提供された団地に。なぜか、非論理的で、かつ、ありがちな嫉妬とともによっつぁんマンションとよばれたそれ。潤が言った。「父は、酒を飲めないからね」庭に連れ出した私に、缶ビールをあけてくれながら、「飲めなかったっけ?酒豪じゃ言うて、よく飲まれとったんじゃないん?」「いや、脳梗塞で」確かに。彼の言うとおりだ。今、彼の父はテレビを見ていて、その妻は彼女の夫の介護ベッドの縁に腰かけて干した小魚のお菓子を時に口に運んでやる。テレビの音声は、ここまで漏れては来ない。庭に置かれた、何の意味があるのか、小さな木のベンチにすわって、この家のオーナーの趣味だろうには違いないが、この庭の装飾の目玉、だったのだろうか?雨に打たれ、白いペンキのほとんどを剥がれさせて仕舞っているそれは、「ベトナムには何年おった?」私が言った。なぜ、私は彼女を殺して仕舞ったのだろう?「十年ちょっとだね。」彰久の姉を?その前は東京じゃろ?うなづき、「大学で行ったからね、東京には。大学出るときに、ちょうど、親父の会社が」知っとる。なぜ、あんなことが、俺に可能だったんだろう?大変じゃったろう?「彼らにとってはね」潤は、私の缶に、乾杯して見せた。彼らにとっては。私は、顎をしゃくって窓の奥のほうを振り向き見る彼を、俺はそこにはいなかったからね、そう、けど、何回かは帰ってきたんじゃろうが、お前だって、いや、俺は、いや、一回くらいは?、一回も?、いや、うん、一回、うん、そう、ただ、俺の問題じゃないから、なかったから、なんか、彼らの、両親の問題で、なんというか、いや、わかるよ、いや、誤解しないでよ、変な意味じゃない、いや、立ち入れなかったんだよ、うん、息子としては、いや、わかるよ、わかる?潤の顔の半分は、まるで皮膚を一度はぎ落として、新しい腹部かどこかの皮膚を新たに貼り付けたような、人間の顔の原型というか、奇妙に個性を削ぎ落とされた風な崩れ方をしている。崩れてはいない。うまく言えない。失われた顔、とでも言うしかない。その失われた半面と、残された反面にはおそろしいほどの差異があって、同じものとは思えない。と同時に、それらが同じものであることを明示してやまない。まるで、仮面をかぶっているように見えるが、どっちが面だとも言えない。美しい反面を見れば失われた反面が面に見え、失われた半面を見れば、美しい反面が面に見える。しずかにはりついたらいの反面は、例えば日本の、意図された照明の下の能面のように、光の中で細かい陰影を刻む。あるいは、粗く削られたままいまだ仕上げられずに放置されている能面の、この表面に、いつから?ん?と、潤が、これ、いつからなん?ハンセン病じゃろ。隆志が言うとったで、一度、どちらからともなく口ごもりつつ、しかし、けど、ああ、と、あー、ね。潤は何かを思い出したように言った。「あいつ、同窓会のとき、一度も俺と視線合わさなかった。一度も、見向きもしない」爆弾じゃないじゃろ?《Bomb ! って、それだけ》わしも平和ぼけした日本人のひとりじゃけどな《記憶も何も吹っ飛んで》それくらいはすぐにわかるで《気付いたら》わかる、な、あれから、何やってきたのか、《どろっとした、血まみれ》知りたいんだろ?いや、《目の前に草原が見えた》わかるよ、いつから?《痛みは、気がついた後から襲ってきた》ややあって、「あれって、いつから?」私は言い、そのややかすれた声を私は聞く。潤とともに。一応大学は出たけど、とりあえず食わなきゃいけないから。大学院に行くつもりだったから、就職活動もしてなかったからね。水商売やってた。東京で。思わず私は声を立てて笑い、似合わんな、女になんか興味ないくせに、とはいえ、と、私は思う、適職には違いない、あれほど女を片っ端からとりこにしてしまう彼なのだから、とっさに、釣られて潤は笑い乍ら、他にできることなんかったから、とっさではあるけど、まあ、なんとか、まだ90年代だね。歌舞伎町はもう少し面白い町だった。まだしも、あのころから、つまらない退屈な町だったけど、まだしも、ね。ちょっといかがわしくて、雑然としていてね。あの有名なビル火災があって、あれから一気にそういう雑然としたところが粛清されていった。あとに残ったのは、薄汚れた発砲事件と、自分勝手な噂話だけだよ。今と変わらない。ネットでね、あの火事だって、中国人マフィアの抗争だの、そこの店長がわざとやったとか、人身売買やってたとかね。その抗争だの、隠蔽だの、その筋の人間からの情報だって言い乍ら、ぜんぶどうしようもない噂話なんだけど、話してる奴は本当の気がするんだ。話してる間は。いつの間にか、けど、有力な情報のひとつになってしまう、けど、何?え?けど。お前にはそう言う場所は似合わんで?そう?活花の先生とか?お琴の先生とか?言って、笑った、私は、そして、潤は笑い乍ら言った。うまくやってたぜ、それなりに。お前が?そう、マジで、ふつうにね、ほんとかよ、それなりに、だよ、もちろんね、ただ、つまらなくなって。何がってわけじゃなく、なんだろ?つまらなくなって。外国行こうかなって、どっか、で、ベトナムじゃったんか?いや、最初はフィリピン。歌舞伎町の、闇カジノの奴の紹介と言うか、関東連合のね、で、カンボジア行って、ベトナム行って、最初は、ボランティアの仕事がメインだったんだけど。カンボジアは。ボランティア?日本語教師。NPOの。なにそれ?おかしいだろ?笑える。ボランティアで、カンボジアで日本語教えてるんだ。あの頃の。ノストラダムスの実現しなかった予言の数年後。教科書も買えない子どもに。今日のパンが欲しい子どもに。日本的ボランティア精神の日常風景って感じ。NPOがつれてくる団体が金は出す、俺はただ、教えるだけ、みたいな。なぜ?って感じ。日本語を教えれば彼らは救われるのか?日本語は福音書なのか?自分で、自分のやってることがおかしかったな。ベトナムだってあの頃は、まだまだ貧しかった。第三次インドシナ戦争って言うのか、中越戦争って言うのか、カンボジア侵攻っていうのか、なんだか、あの、そういう戦争がおちついて、それほど日が経ってない。いくつもの。いくつもの戦争。ブノンペンからバスでサイゴンに入るとき、周辺の、ただっぴろい平原の風景が、今でも忘れられない。何回も行き来したけど。なぜか、そのたびに、そのたびの風景が、忘れられない。いやでも、何度も見なきゃならない風景なのに、だから?だからこそって?いや。いやでも、忘れられなくなる。明確な記憶さえ残らない。だって、何もないんだから。地平線さえ、遠くの樹木のぎざぎざに邪魔されて見えない。空と地面の接触面ってだけ。何もないというわけじゃない。そこにいて、そこにある、あらゆるものが、そこで目覚めている。バス休憩所に止まって、俺たちはそこで水を飲む。店の主人が飼い犬のわき腹をなぜか蹴り上げる。白人もアジア人も一緒くたになって、それを眺めてはいる。犬が甲高い悲鳴を上げる、やや遅れて。息が一瞬できなかったんじゃないか?空が美しい。とてつもなく、と、潤は言った。日本語教えてるのか?私は言い、ボランティアでね。たまに。ボランティア、と言いかけて、笑った後、人身売買っていうのがある。現実に、今も。知ってる。知ってる?ネットで見たことがあるの、いつか、そう、東南アジアでは、いまだに。書い手は、中国人だよ。ここ十年くらいそうらしい。私は潤の抑揚のない声を聞き、カンボジアでも、彼も同じ声を聞いているのに違いなかった。ベトナムでも。ベトナムのようなところでさえ、むしろ最近、山間部の貧困層の間で頻繁になってきた。そうなんか?親が娘を売る場合もあれば、娘が親を捨てる場合もある。そう。その両方が成立している場合もある。唯一確かなのは、売られる人間がいて、売る人間がいて、買う人間がいるということだけだ。お前が?そう、仲介。そう。ベトナム人たちと、一緒になってやってる。カンボジア人もいたな。二人、か。いい奴らだよ。陽気な。マフィア?その言葉の定義による。俺たちはイタリア移民じゃない。マーロン・ブランドも出てこない。血まみれの馬の頭も。信じられないな、ちょっと。何が?お前の今の話を疑ってるわけじゃなくて、お前は、と私が言いかけるが、私は記憶をよび覚まそうとし、あらゆる記憶が、まるで枯渇しきったかのように、散乱するばかりで、それは何の形姿さえおびないまま、今も?今も。ずっと?ずっと。ついでに言うと、潤は言った、「たぶん、これからも」そうか。そう、…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本が一番いい。やっぱり、住み慣れた国がね。そうだろう?」不意に潤は声を立てて笑っていた。潤の母がつまみに、と、野菜を炒めた小皿を持って来たのだった。「あんまり、飲んじゃあ、だめで。」言う。微笑みながら、彼女は知っているのだろうか?「あんなふうになるよ。お嫁さんが泣くよ」窓越しに彼女の夫を指し、彼女は知っているのだろうか?彼の現実を。「遺伝で?」潤は笑う。どんな現実を?確かに、彼の顔だけ見ればそれは彼固有の特異性そのものなのだが、両親と見比べてみれば、彼らを掛け合わせて成立したグラデーションの中の一点に過ぎなかった。すくなくとも、その美しい反面は。一人っ子だった。なぜ人類が DNA システムの発見にあれほどの時間がかかったのかが疑われるほどに、目の前に、それは明らからなロジックだった。雨上がりの庭に残った水滴が細かく、薄く、日差しの中にきらめき、乾きかけの大気の濡れた青草い臭気さえ伴って、初夏にはまだ早い。なま暖かさだけが皮膚を包む。彼も、これを感じているに違いない。ある女の子に会った、と潤は言った。まだ、十三、四だろう、たぶん、日本でいう、中学生くらい?山間部の、けど、キン族の子だね。ベトナム最大のマジョリティ。声をひそめさえし乍ら、潤がほとんど空いていない私のグラスにビールをそそぎ、その猫の手をのばすような手つきを、「悲しいくらい貧しい家庭だった。と、Quyên クインが言ってた。彼女を、連れてきた仲間がね。(彼は今逮捕されてる。どうなってるか知らない。誰も教えてくれないから)その少女は、やせた、(面白い奴だったよ、Quyên は、)特にかわいくもない少女だった(派手に遊ぶんだ、いつも)けど、安い(サイゴンの外れで)それ以外には(もっとも)何のとりえもない(一人の人間が遊びで出来ることなんて高が知れてるけどね。騒いで、馬鹿みたいに金遣って、それで終わりだ。時に何人かが犠牲になる。殴ったりはしない。みんな、こう、フレンドリーだから。小規模な、ちっちゃい、すこしだけの)笑っちゃうくらいに取り柄がないんだけど、買い手はすぐについたな。売買のアジトになってるホー・チ・ミン市の外れの一戸建ての家にも、仏間があるんだよ。日本で言う観音様が飾ってある(ベトナム語でなんていうか忘れたな、けど)祭壇があって、それに(漢字の訓読みに近い。つまり)売人たちは毎日線香を(越南漢字って言って)立てて《長い、》出て(むかし)行くんだ、(漢字、《長い、線香だ》使ってたからね、)仕事に《その、長い線香が(ベトナムも。)あるんだ。(住んでると)本当に》それは(唐突に、親しみやすい言葉にでくわす)ずっと細かい(漢語由来のベトナム語に、)煙を静かに上げ続ける《棒切れみたいに(ね。)長くて、》みんな、ね、いたわりあいながら《日本の小さな短い線香とは違う。ね、変な話だけど、》ね、生活してた《宗教の厚みの違いを感じたことがある。》少女たちも、売人たちも《間違っても、俺たちは仏教徒じゃないし、》俺は彼らの中で《ブッディズムなんて、》特別な存在だった。だって《知りもしない他人の文化なんだよ。》変だろ?《俺たちにとっては》人身売買やってる日本人なんて。ね、イメージじゃないだろ?」潤は小さく声を立てて笑った。確かにその通りだろう。お前は美しい。異形ですらあるほどには。お前は特別な存在だったろう、誰にとっても。目が覚めるほどに、そして、いまさら、らい病などに冒されている。「彼女は最初、物も食わない、最初、彼女は、おどおどしているばかりで、遠慮してるんだよ、物も食わない。怖いんじゃない、おどおどしてるばかりで、遠慮してるんだよ、彼女は最初、気を使って、遠慮がちな目で、小さくなってる、物も食わない、遠慮してるんだよ、最初、つつましく、彼女は、おどおどしているばかりで、遠慮がちな眼差しで、物も食わない、遠慮してるんだよ、多くの少女たちがそうだった。いつも、四、五人の少女たちがいて、買い手がつくを待つ。共同生活し乍ら。その子も、最初はずっと、遠慮してるんだよ、物も食べずに、遠慮してるんだよ、四、五人の少女たちがいて、売れたけど、その子もすぐに、売れたけど、物も食わない、買い手がつくを待つ、おどおどしてるばかりで、最初はずっと、その子も遠慮してるんだよ、すぐに、その子もずっと、売れたけど、その間に、ある女の子の誕生日パーティがあって、Quyên は律儀な奴だったから、俺たちのためのビールと、彼女たちのためのジュースと、お菓子とか、ケーキとか、買ってきて、わかるだろ、パーティだよ、Bia Sai Gon って言って、地元のビール。氷で割って飲むんだよ、地元のビールなんだけど、ある女の子が言う、Tiền ティエンっていう子、勝気な子でね。飲めもしないのに。ベトナムなんて、ビールなんか飲む女の人なんて珍しいのに、しかも未成年だからね。実家じゃ毎日飲んでたって、嘘を言う。食えない奴が、どうやって、ビールなんか毎日飲む?だろ?潤はベトナムの乾杯のジェスチャーをして、早口の、何、みんなの仲間になりたいだけ、それだけなの、早口に、彼らの会話の、喉と、舌とが音程とリズムを細かく刻んで、わかる?(刻まれたそれらが、俺の耳を打つ、正確な語彙の意味など知りもしないそれらが、それらの意味を撫ぜるように伝える。何を言っているのかわからないが、彼らが何をしゃべっているのか、彼にはわかっていた。彼らは、いつでも無防備だった、私が何もわかっていないと思って。私は聞いた、盗み聞くように)気付いたときには、Tiền は誰かのビールを奪って、自分で口に運んでいた、みんな、とめたけど、一気飲みしちゃって。みんなも囃し立てたし、でも、機嫌がよくなったのは一瞬だけ。酔いつぶれちゃって。何を言っているのかわからないし、そのくせ寝つきもしないし。俺たちは笑った(何が楽しいのかなんて)楽しかったな(わかりもしないくせに)思い出す。次の日、(みんな笑うんだ)彼女はみんなに謝って回ってたよ、ごめんなさいって。みんな、彼女を見つけてはお尻をひっぱたいてみせてね、彼女は媚を作って、彼女が言ったことがある、俺に、わたしがこんな風になったのはあなたのせいだって、ほんとは中国人のお嫁さんになるのなんかいやだけど、オッケーしたのはあなたがいい人だからだって、笑い乍ら、何の屈託もなくて、本当に、それが、少なくとも、そのときの、彼女にとっての論理だ。彼女には選択の余地などなかったのだ。あの痩せた少女は。そんなときも、ずっと、少し離れたところで、何も言わないままに、俺たちを見ているだけだった、あの痩せた少女は、遠慮してるんだよ、物も食わない。怖いんじゃない、おどおどしてるばかりで、遠慮してるんだよ、彼女は最初、気を使って、遠慮がちな目で、小さくなってる、物も食わない、遠慮してるんだよ、つつましく、彼女は、おどおどしているばかりで、彼女をタンソニャット空港に、他の二人と一緒に連れて行ったとき、中国に渡る日にね、そう、お別れ会のあとで、彼女たちはみんな綺麗に化粧されていた。したのは俺だけどさ、俺と、俺の妻、彼女たち、はにかんでね、彼女たちのひとりが言ったよ、ね、『謝謝』って、ね。そしたら別の子がたしなめる、違う、この人は『ありがとう』の人だって、ね。痩せた少女が、割り込むように私の目の前に来て、ね、俺は見つめた、綺麗に化粧されて、あいかわらず綺麗とはいえない彼女の顔を。不意に、ね、彼女は目に涙をいっぱいにためて、ひざまづくようにして、俺の手をとった。彼女は外国人風に、俺の手をとって、自分の頬に当てた。さびしくてしょうがないんだよ、と Tiền がみんなに言った、この子、さびしくてしょうがないんだよ、と Tiền が、さびしくてしょうがないんだよ、この子、昨日も、また、いつか、中国の旦那さんからお金をもらって、ここに帰ってきていいかって、聞いてたものって。旦那さんはいい人だし、お金持ちだから、大丈夫だと思うって。いいよって、みんな言う。いつでも帰ってきなよ、ここにいると思うよ、つかまらない限りはね、Tiền が言って、みんな笑った。彼女だって、すぐにいなくなるのに。次の便で。泣き笑いの声がやまない。忘れられない。あのときの、名前さえ覚えられなかった少女の頬の柔らかさと、」潤は右手を差し出した。「体温が。」彼女が触ったのは、その手なのだろう。「お前、ベトナム名ってあるんか?」あるよ。何?レ・ハン、「自分でつけた名前じゃない。みんながそう呼ぶだけだ。ベトナムの神道というか、月の神様が流した涙、だよ。Lệ Hằng つまり」潤が上方を指すのを、私は「雨。美しい名前だ」見た。「お前が、Lệ Hằng だったんか」



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