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小乱声

小乱声(1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陵王

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小乱声

 

この規模のものとしては十年ぶりになる私たちの同窓会に彼が不意に現れたとき、かつて誰かが彼を痛ましいほどに痛めつけてしまったのに違いなかった。その、水沢潤は美しい顔の半分を、あえて朽ちるにまかせるかのように喪失してさえいたのだから。毎年の夏の定例とはいっても、通年の小規模な飲み会とは違って、これは中山秀樹の発案だったのだが、フェイスブック等で連絡のつく限りの卒業生を集めることに成功し、出来のいい、悪いごちゃ混ぜの卒業生たちのささやかな集まりに、ほんの数人とはいえお集まりいただいた先生方にも、ご満足いただけたのではないか。思えばあれから二十年以上も経つが、高校卒業後も一度も地元を離れなかった中山や、高橋由紀子、旧姓原田、そうした地元の人間たちや、私のように大学の数年を離れただけで地元に帰ってきた出戻り組はともかく、生まれ故郷という以外には取り立てて特記すべきものもないはずの、井原市というこの広島周辺の地方の町に、わざわざ遠方から帰省していただいた同窓生たちには頭が下がる。いずれにしても、広島県と岡山県のちょうど県境にあって、平櫛田中という彫刻家の生地として有名なだけの小さな町の小さな居酒屋は、にわかの賑わいを見せたのである。また、卒業生の中には、話題の人物と言うか、風変わりな人物も何人かいて、旧聞を暖めるという以外に、新奇な、下世話な知的好奇心をくすぐる会合でもあった。私自身はといえば、地元の通信教育関係の企業に就職してみたり、親の建築内装・リフォーム会社の経理を担当してみたりの曲折を経て、市立図書館の図書館員に落ち着いた、取り立てて言うべきところもない一個人に過ぎなかったが、例えば女性格闘家のはしりとして引退後も、後進指導やメディア活動に積極的な活動を見せている藤原奈々恵の、豊富な海外経験の話は十分以上に興味深いものだったし、アメリカはカリフォルニア州のある要人警護の会社の要人に納まった青木裕也の要人警護における裏話など、聞き耳を立てさせるには十分だった。私たちは声をひそめさえして、テロの脅威などについて話し合ったものだった。なにより、その当時ゴシップまがいの話題を振り向いていた、平川雅巳の語る彼の国家ビジョンは十分に傾聴に値するものであって、雅巳がふと、グラスを置くのを私は見た。それは、思いつめたようないやに重いしぐさだったが、「重要なのは、」彼は言い、私は知っていた。雅巳は確かに、あの頃からそんな、意味もなく重々しいしぐさをする男だったことを思い出す。「それを実現できるかどうかではなくて、」音声の群れのざわめきが、この規模のものとしては十年ぶりになる私たちの同窓会に彼が不意に現れたとき、かつて誰かが彼を痛ましいほどに痛めつけてしまったのに違いなかった。その、水沢潤は美しい顔の半分を、あえて朽ちるにまかせるかのように喪失してさえいたのだから。毎年の夏の定例とはいっても、通年の小規模な飲み会とは違って、これは中山秀樹の発案えーと。だったのだが、同窓会と言うのをやりたいんじゃけど、参加できる方は下のリンクの《おっと。それって》サイトにアクセスして《何人規模予定?》それを《連絡》確認するために今《求む。》集計(いいね)してるんじゃけど笑《なに?》相変わらず(久しぶりに)馬鹿でごめん(会おうか。)それ、《いつなの?》差別用語だから笑(日時の《同窓会って?》連絡は追って)いや、それ、《予定だとね先だろ?《今のところ》(生きてた?)まだちょっと《会場はどこら辺なのかな?(いや、未確定でも)井原でやるの?(ありがたくはある。)《で。先生とかは?》福山?《どうする?(当たり前)呼ぶの?》多分(いや、むしろどっか、学校借りる?)市役所のところ《馬鹿?》それって《あー。行くね》フェイスブック等で連絡のつく限りの卒業生を集めることに成功し、出来のいい、悪いごちゃ混ぜの すまん。この、山城克己って人《キャンプとか笑》先生?《無理かも》山根は《若干、ね。》なつかしすぎて インスタで捕獲したね 会っても誰か たっちゃんが》わからん(回避って?)可能性《猪原さんには あります(会費)ラインで ゆみちゃん 言っといたけど》ありがと(回避はいくらですか?)いつも《大丈夫。問題なし》卒業生たちの《おっと。たっちゃん、(またまた)なつかしすぎて》ささやかな集まりに、ほんの数人とはいえお集まりいただいた先生方にも、ご満足いただけたのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えばあれから二十年以上も経つが、高校卒業後も一度も地元を離れなかった中山《4.23ツーリング、ぶち気持ち 今日も子どもの学芸会の ええから》練習につき合わされる(お世話になった)良き(お友達の)パパな(久代さんが)わし笑(なんと!)やっと来たー。(地元矢掛にうどん屋オープンされた)ついに九州(言うんで、)や、高橋由紀子、(お尋ねした次第)や、高橋由紀子、《花衣のイベントで出会った人脈(なんかいっぱい、素敵な)っていうか、(日々の)お友達の(出会いに、素敵な 感謝です。)輪的な(笑)》今日の日の出。《いつも》光の《明日から 美しさに 北海道行って 今日も《こころの掃除~》また感謝です 来る~》旧姓原田、そうした地元の人間たちや、私のように大学の数年を離れただけで地元に帰ってきた出戻り組はともかく、生まれ故郷という以外には取り立てて特記すべきものもないはずの、井原市というこの広島周辺の地方の町に、わざわざ遠方から帰省していただいた同窓生たちには頭が下がる。いずれにしても、広島県と岡山県のちょうど県境にあって、平櫛田中という(、ここの市民ならだれでも知っているが、ここを一歩はなれればよっぽどの美術マニアといった類の人間のうちの百人に一人程度しか知らないだろう)彫刻家の生地として有名なだけの(、と、地元の人間、つまりは私たちだけは思っていた。)小さな町の小さな居酒屋は、にわかの賑わいを見せたのである。また、卒業生の中には、話題の人物と言うか、風変わりな人物も何人かいて、旧聞を暖めるという以外に、新奇な、下世話な知的好奇心をくすぐる会合でもあった。私(は、祖父の死体を不思議なもののように、それが私)自身(のようにさえ錯覚しながら私)はといえば、地元の通信教育関係の企業に就職してみたり、(はその指先を見た。彼の長い認知症の果てのそれは)、親の建築内装・リフォーム会社の経理を(もう震えはしない。ずっと)担当してみたり(、生きていた間中)の曲折を経て(、振るわせ続けていた)、市立図書館の図書館員に(、それは。)落ち着いた、取り立てて言うべきところもない一個人に過ぎなかったが、例えば女性格闘家のはしりとして引退後も、後進指導やメディア活動に積極的な活動を見せている藤原奈々恵の(その、思い出された記憶と目の前のそれとの)豊富な(当然の)海外経験の話は(乖離に)十分以上に(興味を引かれ)興味深い((なが)ら)ものだったし(なにが彼女をあそこまで神経質な人間にしてしまったのだろう?つねに会話を仕掛けなければ気が済まず、会話を仕掛けられていることに敏感な、耳を澄まし、感覚器を済ませたような人間に?)、アメリカはカリフォルニア州のある要人警護の会社の要人に納まった青木裕也の、(「待てよ、」と彼は言い、注がれようとしたビールは拒絶されたが、)彼の要人警護における裏話など(、私たちは見る、その彼の甲高く笑って見せた、そして、彼のその、それらは)私たちに聞き耳を立てさせるには十分だった。私たちは声をひそめさえして、(やがては、自分には必ずしも関係があるとは言えない)テロの脅威などについて話し合ったものだった(。自分たちの、その単なる誇大妄想じみた会話を、真っ先に自分であざ笑いさえし乍ら)。なにより、その当時ゴシップまがいの話題を振り向いていた、平川雅巳の語る彼の国家ビジョンは十分に傾聴に値するものであって、雅巳がふと、グラスを置くのを私は見た。それは、思いつめたようないやに重いしぐさだったが、「重要なのは、」彼は言い、私は知っていた。雅巳は確かに、あの頃からそんな、意味もなく重々しいしぐさをする男だったことを思い出す。「それを実現できるかどうかではなくて、」音声の群れのざわめきが、「それが実現しえるという事実のほうなんだ」彼のしぐさはいつでも思わせぶりだった。「って、いつも言うとる」意図しないにも拘らず、周囲のかすかな騒音に、それらの音声は消えていく。雅巳は数年間関西方面をうろついたあと、福山市で小さな小物のセレクトショップを経営していたが、もっとも、ウェブ販売主体のため、拠点がどこにあろうと関係ない。潰れない程度、と、雅巳は謙遜した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前から、ブロックチェーンを使って、ボランティア集金を主要な目的とした SMILE という仮想通貨のシステムを立ち上げていて、必ずしもメジャーとはいえなかったが、それなりの流通網を形成し、それに伴って、雅巳たちはある仮想国家のシステムを作り上げていた。彼がそのシステム作りにどれだけ関与しているのかは知らない。SMILE FOR LIFE というボランティア団体を主体とする自然発生的(とウィキペディアには書かれていたが、そもそも本人たちがそう書いたのかもしれないので、詳細はわからない)な立ち上げ同好の一人として、少なくともウィキペディアには二度だけ実名が出てくる。通貨単位は彼の、あるいは彼らの SMILE であって、自由な登録制による。国民登録すると税の徴収があり、同時に各種の補償も受けられる。実際には国籍を問わない保険会社のようなものだ。もともとは、《もっともダイレクトかつ有効なボランティアシステムとして構築された》ものだった。豊めるものの、剰余資金を、富まざるものの不足分に充当させる、《自由な個人対個人の現代的で最も有効なボランティアシステム》。簡単な基本法典《 SMILE MANNER 》と呼ばれるもの含めて、インターネット上の、多言語に対応する双子のAIを管理者としたインターネット上の討論・投票システムの中で自由に書き換えられる常に可変的な法規を持ち、いまや、雅巳の言う軍隊すらも持っていた。と、「国家の実態って何じゃ?」と雅巳の言う「所詮、軍隊と領土の相補的な実在。および、承認しようがしまいがどでもええ。他国家の反応。以上。でしかないんじゃ」この声を、私たちは聞き、「定義はいくらでもあるで。けどもな、本質的な絶対条件は、」やわらかい、幾分かは鼻にかかった「その二つであってじゃな、」それは私に懐かしさをすら感じさせた。「それ以外の定義はそれの隠蔽でしかない、と思うとる。」もちろん彼らの所有する軍隊とは、実態としては、武器を持った兵隊ではない。強烈な中央集権システムを持たない以上、任意の、というべきサイバーテロの集団であって、さまざまなヴィルスを生産、更新、かつ、売却し続けていた。あらゆる《非理性的なテロ国家ないし集団》に対して。ボランティア団体の資金面にかかわるダークサイド、とそれは呼ばれていた。結局は、プログラマーたちの野放図な趣味にすぎない。それらの《非理性的なテロ国家ないし集団》もまだ、表向きには彼らの国家を国家承認をはしていない。

 

 


小乱声(2)

「けど、日本の自衛隊の約半分は、国民だ」といつだったか、雅巳は、国民の一人と話したことがある、彼はそう言った、自衛隊員のね。いつだったか、(それって、日本の?日本以外に、自衛隊っていたっけか?)日本人は自衛隊について(ガラパゴス軍隊ってやつ)議論をするが、(確かに。)どうしても欠けている視点が(そうかな。)あるって。(日本にしかいないかもなそっか?)あれはあきらかな軍隊なんだ。(どっかの小国にあってもおかしくないけどな、島国とか、どこ?)例えば、(どっかの自治領とか)海外派遣についての意見を(つまり、忌憚のない本音ってことだよ、よくある、)一般の(よくある話だろ?)君のような(つまり、俺のことだよ)国民に聞かれるけど、行けといわれれば行く。行くなと言われれば行かない。そして、戦い始めたら敗北は許されない。何が何でも、日本国民以外のすべての人間を殺さなければならなかったとしても、それをやる。それが自衛隊だ。そう言うんだね、彼は。つまり、軍隊なんだよ。我々に意見はあっても意志はない。そこを、国民はわかっていない。そう、(じゃ、)雅巳は言った。(そいつにとって、自衛隊員ってのは国民じゃない《じゃあ、さ》ってことじゃのう《自衛隊って》)確か《何人(なにじん)?》それは、地元の田中公園でひらいた家族同士の花見の席だったが、雅巳はあるいは、酒を飲みすぎていたのかもしれない。「いずれにしても、自衛隊の中で、新国体論っていう、西さんって人が書いたっていう、『国体改造私案』っていう論文が(ネットで、誰でも読めるよ)影響力を(PDF)持ってるのは事実だ。西和輝さんといって、《ネオ・リュウキュウ》のシステムの細かいところを設計した人だよ」雅巳たちはその仮想国家を《ネオ・リュウキュウ》と名づけていたし、その通称名がその国家の《戦前・戦後期における国体論は、その論の趣旨にかかわらず》正式名称だった。日本が胚胎する外国、という《仮想的な妄想に過ぎなかったと断じざるをえない。そこにおいて国体に関わる一切の》ことなのだろうか。当時、各種の《個人の或いは国体としての決意、死、意思、性と生、それらは》メディアで、主に、週刊誌とインターネット上の《無駄死にであったに過ぎない。ところが今や、インターネットの仮想的と揶揄される各種言論の実態的存在が》各種サークルの範囲内ではあったが、スキャンダラスなゴシップとして《初めて国体を実態的存在たらしめたといってよい。》取り上げられていたものだった。本質的に閉鎖的なサークルには過ぎなくとも《もはや、国体は》、インターネット上にある《弱者あるいは異端者の妄想でも支配者のプロパガンダでもはない。それはまったき実態的存在として、我々に支配される限りにおいて我々を支配し、我々が決定する限りにおいて我々を決定する》限りオープンで公的なサークルにならざるを獲ないので、結局は、《ならば、独立的かつ自由なる国体のその空虚なる中央(=王座)に戴かれうるのは誰か?》誰も彼もが目にするスキャンダルには他ならなかった。《()直接武力(クーデター)による国会制圧。当該国家憲法および当該国家法規の停止。戒厳令。インターネットおよびマスメディアの一時完全停止。言論空間の完全一時破棄、これらの同時的実行。政府傀儡化。獲得した傀儡既存国家「日本国」維持。および、非国土仮想国家の国家承認。ビザ発行。全世界を非国土国家化し得た時点あるいは十年の期限を持って傀儡「日本国」破棄。》もっとも、「その西和輝って人」肯定するにしても、否定するにしても、単なる「お前の偽名だったりして」好奇な興味を引く(雅巳は笑う。そして)単なる流行事象(「まさか」、と)として、にすぎない。《既存国家の名目上の根拠は宗教か、民族性か、歴史性かヒューマニズムに過ぎない。とはいえ、我々は知っている。宗教は今日においていかなる妥当性もなく、人権乃至(ないし)固有文化維持の権利の名の下で保護される保護対象に過ぎないことを。あるいは民族性及び文化的一貫性が単なる現時点の政治的配慮による過去の歴史自称の再解釈あるいは捏造に過ぎないことを。あるいはヒューマニズムが、世界の一部を構成した局所の局所的権力闘争に過ぎない事象を世界全体として錯覚し、世界史そのものを階級間による権力闘争として見いだした錯覚の中で見いだされた、その錯覚そのものを成立させるための概念に過ぎないことを。彼らに言わせれば、我々は人間として等質である。だから、闘争し得るのだ。ある既存国家へのある既存国家の殖民地化はヒューマニズムに基づく侵略であり、脱殖民地闘争もまたしかりである。その本質においてはヒューマニズムとは等質な集合の中での権力分配の問題に過ぎない。()個人と国家と国体との乖離が二十世紀を推し進めた歴史的原動力だった。それは、もはや不可能になった。国家はすでに個人の無際限な言論の集合に飲み込まれ、統一された言論集団としては破綻しているからだ。真正なる国体の実現とは間接民主制から直接民主制の移行をのみ意味するのではない。それは純粋に精神的な体験である。自己が正に国体そのもであることの自覚、覚醒を強制し、無限の責任を負わしめるので、我々はそれに恐怖しながら打ち勝たなければならない。国体とは無慈悲なまでの克己心と、奴隷根性との無際限な精神的闘争である。この純粋に精神的な経験の場において、もはや農民型社会主義や、家畜型民主主義の出る幕ではないのだ。()我々は家畜による烏合会談にすぎない民主主義を否定する。()宗教にも民族性にもヒューマニズムによらない国体を、誰が象徴として承認するだろう?我々は知っている。ある東洋の島国に、万世一系と言う誰も承認していない仮想的な根拠の上に、人間として国体の一部に組み込まれながらもその権力のすべてを放棄させられ、ただ無限の沈黙だけを強制された上に何ものも正当化できない無根拠な尊敬をだけ受けてその国体を象徴していると称する(称させられている)王の存在を。()ある国体は一人の沈黙の王によってだけ象徴されるが、その沈黙の王が象徴する国体が一つでなければならない必然性はもとよりない。やがて彼は全ての国体を象徴するだろう。その王の、誰もが知る名前は、ここでは敬して沈黙しよう。》「夢見たいな話じゃが、ほんとうにやってしまうのがすげぇの」と中山は言うのを、「まだ、」一瞥することさえなく、「過程だよ。」雅巳は特に気にとめもせずに、「チェ・ゲバラがね」と、雅巳は「あのTシャツのデザインとして有名なゲバラが、」笑い、言うのだった、(それ、誰じゃ?)雅巳は、「言ってる、(革命家だよ)人々がどうしようもない(キューバの。)非現実的な夢を追っている(ひげ生やしてる)馬鹿者にすぎないというなら(葉巻加えてる人)千回でも繰り返そう(ベレー帽かぶって)その通りだ、と。」そう言っている。彼は、そう言った。山崎知美、私の知る限りの彼女は人見知りの激しい甲殻類のシェルに閉じこもったような少女だった記憶が《うえちって、銀色夏生って、好きなん?》あるが、彼女は今、短髪のいかにもよく出来た田舎の中年インテリになりおおせていて、むしろ、才気ばしって押し付けがましく、「平川くん、そのデザインになりたいん?」早口に言って笑うのを、私は奇妙なものを見るような思いで見る。《晴れた空って、見てるだけで》想わず私は《悲しくなるんじゃね》彼女を笑った。「Tシャツじゃったら、キーホルダーのほうがええの。俺、バイクに乗るから。」そういって雅巳は髪をかきあげるが、中山はただ、《平川君って》彼を見やっている《ゆうちゃんのこと、好きなん?》だけだった。「どっちにしても、新しい国家システムじゃけぇ。一回や二回つぶされても構やせんで。新しい時代の犠牲者になるんじゃったら、それも仕方ない思うとる。けど、新しい、合理的なシステムなんは間違いない。」「法律的には問題ないんか?」と言う藤田悠斗に軽く視線を投げるが、藤田は今や明らかに太りすぎだった。「どこの国の?日本の?あくまでも外国の法律だぜ。」言って笑い「法律は国家が国家内に制定するので、原則として世界そのものには法律は存在し得ない。」綺麗にそろえられた爪を「これからなんか問題でも出てくるんじゃない?」雅巳は指先で撫ぜる。「もちろん」雅巳は小さく声を立てて笑い、「革命ってあるじゃん。革命って、どこかの国でどこかの国の政権を取ることだったわけじゃ。けど、今、俺たちがやってるのは、先行する国がどこにもないところで、革命してるわけ。ようするに国家主権を奪うんじゃない。国家を生産するわけじゃ。これからの国家はそうなるよ。仮想国家とか、仮想革命とか人は言うけれどじゃな、これは現実の革命なわけじゃ。革命行為自体の革命。」雅巳は、「実際、ゲバラやカストロじゃないけど、命だってささげるよ。革命か、さもなくば死かってな。つまり、未来のために」めずらしく酔いつぶれかけた川田敏明が、宗教ごっこならやめたほうがええ、と言ったとき、雅巳は鼻で笑うようなそぶりを見せたが、もともと鼻にかかっていた《見てみて》知美の声を、《庭のバラの木の》私たちは《写真、アップしてみた》懐かしく耳元に聞く。「現実に何人おるん?」知美は口ごもり、その、なに?国民っていうの?それは?雅巳が言葉を継いだ。「日本人は千人ちょっとだよ。」日本が一番遅れてる。フランス人とイタリア人がなぜか多い。中国人が「まぁ、」一番多いね。「人口的に当たり前か。」ホワイトカラーだよ。中国人独自の国家もある。面白いのは、雅巳は指先でグラスのふちをたたき、脱北者、北朝鮮のね、十何人いたな、確か。国家にあれほど痛めつけられたはずなのに。これは、もちろん、不意に雅巳は顔を上げて天井を見つめ、個人情報だから、機密なんだけどね、ほんとは。私は頬杖をついていたが、「おもしろいだろ?」興味深い話には違いなかったが、必ずしもそれを聞かなければならない理由があるわけでもない私たちは、結局のところ、聞くでもなく耳に入れていたに過ぎないが、不意に敏明が雅巳の胸倉を掴んで頭突きをしたとき、敏明の変形した、くの字に折れ曲がった体躯を一瞬、瞬いて雅巳は見上げた。ややあって、塊りになって怒号と悲鳴が一瞬だけ立つ。そのままの姿勢で池内彰久が喉を鳴らす。雅巳をにらみつけたまま、中山が敏明を後ろから引っつかんで投げ飛ばしたとき、彰久が声を立てて小さく笑うのを私は聞いた。何をやっとんじゃ、と中山が押し殺した声で、むしろ、敏明の耳元にささやくのだった。敏明は一瞬でわれに返ったような顔をして、周囲を見回した。胡坐をかいて座りこんだあと、本当のことを言うたらええ、言い、それは彼の口の中だけで呟かれた声だったが、私たちはみんなその声を聞いた。「本当じゃ、」と雅巳は言った。俺が言うたことは本当じゃけぇ、本当のことじゃと言うしかない。その言葉を耳にしたとき、私は、なにか意味を取り違った気がしたが、しかし、私は雅巳の肩をたたきながら、大人になったの、と言って笑う。何で?昔のお前じゃったら、今頃、殴りかかっとろうが。周囲の友人たちは笑って同意し、気のない思い出話を始めさえするが、彰久が何も言わないまま私を見つめながら首を振る。としくん(敏明)は相変わらずじゃ。まだ若いんじゃのぅ、誰かが言った。そしてもたらされる多くの同意と、囃し立てる声と、そして誰もが知っている。川田敏明(としくん)はむしろ引っ込み思案で、いじめの対象にさえならない、希薄な存在でしかなかった。主賓と言う名の単なる部外者に過ぎない教師たちは、何人かで固まって座っていたが、それぞれに目配せしあって退散の準備を始める。無理もなかった。私たちは急速にこの場が退屈になっていて、もうひと騒ぎでも起きないかという期待すら抱いていたくらいなのだから。会が始まって既に二時間くらい経っていた。長すぎたのかも知れない。奈々恵が口早に、雅巳と敏明に声をかけ、その当たり障りのない、かつ、その当たり障りもなさにおいて洗練されきった言葉の群れが心地よく、むしろ、彼女が荒れた場に慣れていることをみんなに気付かせた。人慣れない無口な少女だった記憶があるが、いずれにしても彼女は上質にこの場をさばく。マーシャルアーツで外人たちと渡り合ってきた彼女にとっては、た易いことなのかも知れない。共通言語を使い、あきらかに自分よりも素人の、体躯の使い方のイロハさえしらない中年の男たちの相手などは。中学生だったとき、彼女が教室に忍び込んで、私は、脱いでたたたまれた制服の中から彼女が何かを盗んだのを見たことがある。その、「どうしたん?」目が合った瞬間に、思わず私は言い、この、「ごめん、ちょっと忘れ物したの」奈々恵は言った。「なにを?」この、なぜか自分を苛む記憶。他人の、誰の制服の中に?言われた、或いは言われなかった整合性のない言葉を聞きながら、思い出す、私は、教室を出て行く彼女を一瞥して、あとは忘れることにした、屈辱感しかない記憶として、私は、体育の時間で、私は跳び箱の角に鼻をぶつけて鼻血を流していたのだった、後々までなぜ、思い出したのか?学校で窃盗が問題になったことはない。あれが何だったのか、私にはわからない。しらけた雰囲気が相変わらずこの場を支配していて、振り向くと、そのとき、女性店員が「お連れ様ですが」と連れてきた水沢潤がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しい男だった。無表情と言うわけではないが、何を考えているのかわからず、どんな言葉をかければいいのか思いつかない、彼の美しい顔の左半分は、年月の経過など感じさせないあのころのままの美しさを維持し、そしてその右半分は失われていた。まるで顔というものを(やすり)でかけてならしたように、それは人間の顔の模造品の原型をすら思わせ、要するに、失われていた。壊れた、という動詞が、ただ、頭の中に連想させれ、それらは小さく木魂し続け、しかし、壊れてはいない。顔として成立する以前の顔の原型のように、そこにはりついているばかりなのだから。潤ちゃんじゃねぇか、と彰久が呟くようにいうのを、中山も、敏明も耳にしたはずだ。誰かが彼の肩をたたき、席に迎え入れるべきものだろうが、誰もがタイミングを失って、あの奈々恵でさえもただ、彼を見つめるだけだった。確かに、彼は彼女の初恋の相手だった。私たちの視線を避けるように潤は席に着きながら、「ごめん、遅れちゃったね。場所がわからなかったんだ。」突きつけられていた銃口がはずされでもしたかのように、一瞬で、無言の拘束を解かれた雑談の音声が沸き立つ。声の群れの解放されたつらなりの中に、知美が身を乗り出すようにして、どうしたん?そう問いかけたときに、潤は、「何?顔?」微笑み乍ら、彼は言葉を継いでいく。「何てことないよ、ちょっとした事故、と言うか、」胸元まで上げた手のひらをはじくように開いて見せ、「Bomb ! 」、と、なにそれ?。戦争にでも行っとったん?「いや、そうじゃないけど、」潤は言葉を止めて、ところでさ。木村幸恵は鼻を一度すすり上げる。見回す。「誰か、とりあえずビールでもついでくれない?」周囲で笑い声が立ち、《じゃ、》かけつけ手酌で《じゃぁさ、ね。》乾杯なしじゃあさ、《じゃあ、》飲めないよな、《じゃあさ》「再会を《ね?》祝して」乾杯が終わると、むしろ、矢継ぎ早に潤の方が片っ端から近況を聞いていくので、それはむしろ彼が彼自身の近況を尋ねられる機会を封じ込めようとしているとしか思えない。誰もが、高校を卒業して以来、彼とは会っていないはずだった。東京の大学に行った。東京の、と言う以外に形容しようもない、東京と言うローカルのローカル大学に過ぎなかった。確かその六年くらいあとには、彼の父親の建築会社は倒産していた。実家は抵当に流れて、あれから今に至るまで放置されっぱなしのはずだし、その両親も今、どこにいるのか私は知らない。彼のフェイスブックは、まるで記事がなく、開設されてあるというだけに過ぎなかったが、そのくせ、メッセージを送ったらすぐに返答が来た、と知美が《じゅん様?久しぶり》言っていた《同窓会あるんじゃけど》誰もが《今回は来れたりするんかなぁ?》潤が来るなどとは思っていなかったので、思い出話に出てきはしても、みんな、彼の存在を忘れて仕舞っていた。不意に彰久が潤の手を一瞬強く握ったあと放し、潤は途中で言葉をとめた。彰久が彼の手を軽く三回叩き声を立てて笑った。潤は目を細め、彰久に微笑みかけた。それはわずかな一瞬だった。懐かしい笑顔だった。潤はいつも、気配を感じて振り向いたら、そこに微笑んでいる人がいたことに気付いたような、そんな笑い方をした。元気だった?潤は私を振り向き見て、その整ったほうの顔で微笑みながら「ずいぶん長い間、会わなかったね」私は言った。やわらかい、潤の少し鼻にかかった声は私の記憶を呼び覚まそうとする。その声は正に記憶されたままの声だったが、やわらかい、潤の少し鼻にかかった声は私の記憶を呼び覚まそうとするが、ほとんど毎日顔を合わせた膨大な記憶のどれをも鮮明に思い出さしめ得ずに、そして、潤の少し鼻にかかった声は私の記憶を呼び覚まそうとするが、ただ、存在する記憶の塊りに指先だけ触れて沈黙する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潤の少し鼻にかかった「もう何年?」二十年かな、私は言い、「ブラウン管のテレビは液晶になって、家電話は携帯になって今スマホだな。そんなもんか」彰久は飲みすぎているようだった。無意味に声を立てて笑い、ややあって、沈黙した。池内彰久も地元を離れなかったグループの一人だったが、この十年ほど、連絡も絶えていた。たぶん、SNSがなければ、二度と連絡をかわすことなどなかったかもしれない。あまりにも近くにいながら、長い年月のあとで私たちは再会したのだ。彰久には、あからさまな加齢が、残酷で、見苦しいほどに刻まれていた。酒を飲みすぎた彼は、その挙動の調子を少しくずしていて、彰久は今、私にとって奇矯で珍奇な何かに過ぎない。彼が十代の頃、私は彼を愛していた。それはある種の同性愛に近い感情だったと私は思う。彼は、その行動原理のすべてが確率論に過ぎない少年だった。今にして思えば、思春期の何らかの精神疾患の産物であったかも知れない。彼は不可解な変動係数にかけられて、唐突に誰かしらに牙を剥き、教師にも、年長者にも、同級生にも、年下にも、無差別に降りかかる彼の刹那的な暴力は、私たちに常に持て余されていた。あんな奴少年院でも入れればええんじゃ、とあるとき不意に思いついたように言った中山に、私もふくめて、その場の誰も何の口ごたえもできなかった記憶があった。彼の暴力性のその刹那性と、彼の若すぎる年齢によって、あのころ、彼は目をそむけたくなるほどに美しかった。高校は一年半で退学した。下級生の数十人に集団リンチを食らったのだが、結果的に、どちらが加害者なのかわからない結果になって仕舞った。処罰されたのは彰久のほうだった。泣きじゃくりながら、彰久を制裁する下級生たち。バイクに引きずられたあと、高校の前の路面に投げ捨てられていた彼の気絶した姿を覚えている。知美が伺うように「どこにいたん?」それはあきらかに潤に言ったものだったが、彰久が「俺はずっと、ここにいた」と言ったのが聞こえた。振り返った彰久が知美を見つけて、「外国」潤は答えた。「ベトナム。ベトナムと、ラオスの国境近くの。山間部のね。」潤は微笑んで、私を見ていた。「ベトナムだけじゃなくって、東南アジアのほうって、豊かになり始めたけど、やっぱり格差がすごくてね。貧しいところは、やっぱりすごく貧しい。とはいえ、美しいところだよ。少なくとも、自然はね。山が、でっかい山脈が、連なってね、どこまでも。」今、何やってるん?隙を突いて尋ねた私に潤は声を立てて笑うと、一度目を伏せ、「話が長くなるよ。で、俺、話の長い奴、嫌いなの。だから、また今度ね。」地元に、というよりも、日本に帰って来たこと自体が十年ぶりだった。方言などあきらかに忘れていた。日本語さえ呼び覚まされた記憶に過ぎなかったに違いない。あきらかに意識してしゃべられている日本語だった。潤はかつても美しい少年だった。女性的な印象を与えるが、実際にはあからさまに非女性的な無骨さによって構成された曲線のそれらは、いまや、その半分をこそいだかのように失ってしまってるせいで、むしろ、美しさに独特の洗練さえ与えているように見えた。対比の中でより自覚された美しさを。何か、凄惨な印象を与えるほどに。無言で微笑み続ける彼の顔を見つめ、変わったな、私はそう言いかけたものの、「と言うたらええんか、変わらんと言うたらええんか、わからんけど」それは、潤は言う、何も言っていないのと同じだ、微笑んだまま、「お互いにね」彼は言い、「乾杯しよう」こっちにはどのくらいいるの?知美が舌をかみ乍ら言った。もたげかかったグラスをそのままに、しばらく知美を見ていたが、「とりあえず、母の実家に行く。そのあとは、特に予定はない。こっちにいる限りは、こっちにいるとしか言いようがない」知美は伏目がちに、潤はその瞬間私に視線を投げて、「いろいろ問題のある同窓会じゃったけど、」二日後、北浦隆志は言った。それは彼の経営する病院のすぐ裏手の自宅だった。かつての井原市の山の手、今は、大きなショッピングモールが、国道の向こうにできたためにさびれきった、旧山の手と言うべきそこは、ほとんど人通りもない。地方にいると、人口減の現実がよくわかる。隆志は栓を抜いたビールを差し出し乍ら、「そう思わん?」妻方の両親から継いだ病院の経営者なのだから、それなりに隆志は潤ってはいるはずだった。むしろ質素にまとまった隆志の居住空間は、だが、よく見れば質のよいらしい家具や小物で構成されていることにた易く気付くので、隆志の、あるいはその妻の趣味を感じさせずにはおかない。高級品は見ればなんとなくわかるものだ、と、私は妙に関心して仕舞うのだが、関心して仕舞うのだが、いずれにせよ、居心地のよい居住空間ではあった。


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