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五 奈落は天国か

 

良太は一番左端の、一番落ち着きのあるお菓子の大納言さんの席の方に行く。この人なら、枕草子や方丈記など、古典の知識が豊富だから、良太の今の状態に対して適切な助言を与えてくれそうな気がしたからだ。

 

「どちらさま、ですか?」

 

大納言さんが平安時代の絵巻から抜け出したかのような顔でこちらを見つめる。だが、目の焦点は合っていない。一瞬、たじろぐ良太。それでも意を決して

 

「どうです。進んでいますか?」

 

と、良太は以前から知り合いのように話し掛ける。目や鼻や口など、顔面を崩せば相手に好意を与えるものと確信した笑顔をする。

 

「何がですか?」

 

「作品ですよ」

 

「作品?ああ、この折り紙のことですか?」

 

大納言さんは机の上の折り鶴を手に取った。普通の、何の変哲もない折り紙だ。誰かが、良太の肩にそっと手を置いた。

 

「壊れてきているんだ」

 

五木ぶり尾氏だった。いつの間にか良太の隣に立っていた。

 

「才能が枯渇したというか、能力を超え過ぎたというか、プレッシャーに押しつぶされたというか、原因はどうであれ、頭と体がこの地下室から逃げ出そうとしているんだ」

 

 五木さんは「ふう」とため息を付くと自分の席に戻った。良太は大納言さんのパソコンの画面を覗き見る。

 

「早く書きなさい。書かないのであれば、追放です」

 

 ホッパーからの厳しい文面のメールが次々と画面に溢れんばかりに届いている。大納言さんはパソコンの画面を見ようともしない。いや、明らかに避けている。大納言さんは突然、椅子から立ち上がった。

 

「ちょうちょうよ。ちょうちょ。もんしろちょうちょ」と手で空中の何かを捕まえようとしている。だが、長い間、椅子に座っていたためか、右足が左足の足先を踏んでしまい、足がよろける。

 

「ちょうちょなんか、いませんよ。しっかりしてください。大納言さん」

 

良太は転びかけた大納言さんの肩を支える。そして。しっかりと肩を握り締める。ただし、相手に恐怖心を与えないように無理やりに笑顔を作る。大納言さんが振り返った。目は焦点が定まらず、空中遊泳をし、口からは一筋、よだれの滝が落ちていた。

 

「あげはちょう。みいつけたー」と良太に両手を伸ばとほっぺたをサンドイッチした。良太の笑顔はひょっとこの顔に変形した。これでは、自分が笑う顔でなく、相手が笑う顔だ。どうしてよいかわからず、そのまま体が固まる良太。

 

その瞬間、大納言さんが目の前から消えた。視線を下に向ける。ぱっくりと開いた足下の床はほの暗く、奥までは見通せない。しばらくすると、大納言さんを奈落の底に落とした蓋が持ち上がり、再び、何事もなかったかのように床となった。

 

「大納言さん。おーい。でてこい」

 

良太は、こんな切迫した状況にも関わらず、SFの大家星新一さんの名作をパロでってしまう。真似した作品ばかり書いていると、普段の行動まで何かの真似をしないと気がすまなくなってしまう悪癖なのだ。もっと恐ろしいことは、自分が他人の真似をしているということすら意識しなくなってしまうことだ。良太も同様に、無意識のまま、閉まった蓋に向かって、「おーい。でてこい」と叫び続けた。

 

「あんなふうになりたくなかったら、書き続けるしかないのよ」

 

そう言い放ったのは、笑顔を消して、画面と格闘している良太の左隣の村下さんだった。だけど、今は、村下さんじゃない。「林真理子」ならぬ森嘘子さんだった。

 

「でも・・・」

 

言いたいことが山ほどあるのに一本の草も口から出てこない良太。

 

「あたし、もう、ダメ」

 

良太の右隣の童話作家の以前、太平洋子さんのペンネームだったが、今は、「あさのあつこ」ならぬ「ゆうどき うすこ」さんが立ち上がった。今は、童話から新境地の大人向けの作品を書いている。

 

ゆうどきさんはそう叫ぶと突然、部屋のドアにダッシュした。そして、ドアのノブを右手で掴んだ。もちろん、ノブを奪取するためではない。この地下室から脱出するためだ。

 

「あけてよ、あけてよ。もう、書けないわ。こんな所にいたくないわ。あたしの青春を返してよ」

 

ゆうどきさんはドアのノブを時計回りに、反時計回りにと壊さんばかりに回し続ける。すると、ドアのノブはのかずに、大納言さんが消えたときと同じように、ドアの下の床がポッコりと空いて、ゆうどきさんはあっ、の声を発することもなく奈落の底に落ちて行った。そして、奈落の底の上の床は蓋を閉じた。この上の世界が極楽なのか、天国なのかはわからない。ひょっとすると、ゆうどきさんにとっては、奈落の底が極楽かもしれない。

 

良太は、さすがに今度は「おーい。でてこい」とは叫ばなかった。いくら物真似が自然と出るにしても、同じことを二回繰り返すほど、軽薄ではなかった。

 

「これは、愉快だ」

 

歴史小説家の五馬さんが叫んだ。今は、「山本周五郎」をリスペクトした川本六三郎さんだ。歴史小説の中に、料理場面をふんだんに取り入れた境地で、じわじわだが人気を博してきている。これも、有名人の名前を真似したおかげだ、と悦に入っている。

 

「何が愉快なんですか。みんながこんなに苦しんでいるのに」

 

良太は川本さんを歌舞伎で見得を切る様にきりっと睨む。

 

「だって、そうじゃないか。7人の作家が一人ずつ、消えて行っているんだぞ。それこそ、推理小説の名作「誰もいなくなった」が字tこうされているんだよ。こんな愉快なことはないだろう。これは、アサガオ・モーニング君の得意分野じゃないのかね。そうだ。この、作家もどきの連中が、拘束され、AIにおだてられたり、命令されたりされて、小説を書くけれど、所詮、作家もどきで、自分の才能の無さに絶望すると同時に、AIにも才能を見切りされて、作家の館から追放され、七人の作家たちが一人ずつ、減って行くストーリーはどうだ。題名は「樅の木は残った」じゃなくて、「俺だけが残った」だ。俺だけは、ポッパーに題名や題材を与えられなくても、小説を書けるぞ。それに、俺には、まだまだ才能があるんだ。俺だけが、このAI書店の、AI出版の専属作家として、生き残れるんだ。うん。生き残るんだ」

 

川本さんは、どんな立ち上がり方かはわからないけれど、樅の木のように慎重に立ち上がった。座っていたから気がつかなかったけれど、川本さんはゆうに百八十センチは超えそうな身長だ。先ほどの深長な発言に加え、その顔は自信と狂気に満ち溢れていた。その時、ぐわっという叫び声か、雷が落ちた音なのか不明だが、大きな樅の木が右足の地盤とともに崩れ落ちた。

 

「あっ」

 

良太はやっと声は出したものの、突然のことなので体が動かない。そして、川本さんは斜めに傾きながら、ブラックホールに吸収されて百八十センチの身長が指先ぐらいの大きさのフィギュア人形のなるかのように暗黒の床の下に落ちていった。

 

「どうして、川本さんを消したんだよ。ちゃんと作品を書いていたんじゃないのか。ポッパー」

 

川本さんのパソコンには、「黒ひげ散髪屋」という題名の作品がほぼ完成されていた。良太は監視カメラに向かって叫んだ。

 

「変な自信家はこの出版社にはいりません。それよりも皆さん、早く、作品を書きあげてください」

 

「もう十分、書いたじゃないか」

 

 良太は、白旗ならぬ腱鞘炎になりかねの両手を振りながら、ポッパーに抗議する。

 

「書き続けることで、読者にアピールできるのです。質よりも量です。一旦、読者に忘れられたら、思い出してもらうのには倍以上の労力がかかります。それは、無駄で、非効率です。みなさんには、効率的に作品を書いて、なおかつ売れて欲しいのです。さあ、書きなさい」

 

 監視カメラの横にあるスピーカーからは、ポッパーの感情のかけらも無い、また、抑揚のない、同じ音程の声がする。それこそ、上から目線で、上から声だ。

 

「仕方がない。われわれは書くだけだ」

 

五木さんはぼそっと画面に呟く。

 

「われわれじゃなくて、わたしだけじゃないの。五木さん。わたしたちの今後の行く末は、まるで、ポッパーに吹かれてね」

 

少し嫌味と自嘲気味に、森嘘子さんは呻吟する。太平洋やかましさんが転じた、剃髪から髪を肩まで伸ばした、東原理恵子さん(今は、ときどき、おばちゃん目線で社会を論ずるエッセーを書いている、だが、ポッパーへの非難、AI社会への批判はない。自ら髪を長く伸ばすことで、長いものに巻かれてしまったのだ)も何事もなかったかのように画面に向かっている。悟りとはこういうことなのかもしれない。

 

 ただ、一人残され、突っ立ったままの良太。

 

こんなんじゃない。こんなために、作家になったんじゃない。これでは、ポッパーのために、AIのために、意に沿うように書いているだけじゃないか。言論、思想、嗜好、統制以外の何ものでもない。ここで立ち上がらないと、反旗を翻さないと、この書店、この出版社、ひいては、この社会、この国はダメになる。意を決した良太は、椅子を掴み持ち上げると、部屋の四方に備え付けられた監視カメラとスピーカーを叩き壊した。

 

「何をするんですか。弁償してもらいますよ。早速、あなたの今月の原稿料から天引きします」

 

 すぐさま、良太のパソコンの画面に冷静かつビジネスライクの警告メッセージが届いた。

 

「何をするんだ、はこちらの言うセリフだ。人を、人間を、自分勝手にこの地下室、ブラックボックスに閉じ込め、作品を書かせるだけ書かせて、書けなくなるとお払い箱かよ。これこそ、ブラック企業の最先端じゃないのか」

 

 良太はどこに怒りをぶちまけていいのかわからず、ただ、嘔吐するかのように言葉を吐き続けた。

 

「みんな、どうしたんだよ。こんな、ロボット、人工知能に、唯々諾々と従っているだけでいいのかよ。チャップリンの映画のモダン・タイムスのように、機械を作った人間がその機械に使われているんだよ」

 

「だって・・・仕方がないでしょう。そうしないと、あたしたちは作品を生み出せないのよ。書いた作品が、パソコンやUSBの中だけで、とどまっているだけよ。それで、あたしたちが死んだら、これまで書いてきた作品も燃えないゴミとして捨てられちゃうのよ。あなたはそれでもいいの。あたしは嫌よ」

 

 あんなに気丈な森さんが、言葉が詰まりながらも、切々としゃべる。

 

「そうなんだよ、今は、良太君と言っていいかな。私たちはポッパーに見いだされたんだ。それに、ポッパーが人間だろうが、機械だろうが関係ないよ。私たちに仕事を与えてくれるし、私たちは喜んで、その仕事を行っている。それだけだ。嫌なら、やめればいいだけだ。やめる権利はわたしたちにあるんだ。ここを出て行く権利もわたしたちにある」

 

 五木さんはそうしゃべりながらも、画面に作品を打ち続けている。

 

「そんな・・・」

 

良太は返す言葉を失うと同時に、ここが自分の居場所じゃないと気付いた。誰も味方はいない。独りきりだ。そんな時、良太のパソコンの画面に一通のメールが届いた。

 

 

 


この本の内容は以上です。


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