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SCENE1:ざわつく心|樫倉晟

 公演が始まる10分前。

 最後のトイレに行く者、パンフレットを手にこれから始まることに胸を躍らせる者、主催側の最後のチェックなど、このコンサートホールは様々な音で賑わっていた。

 200席ほど入りそうな広さの客席部分に、4人分の料理が並べられたテーブルが8つほどある。

 樫倉晟は用意された食事に手をつけることはせずに、椅子の背にもたれながら差出人不明で送られてきた招待状の中身を見る。もう何度読んだかわからない文面。既に暗記している内容だが、気にならないはずがなかった。

 

『親愛なる樫倉晟様

今までの感謝を込めて、これからあなたにお似合いのプレゼントを贈ります。まずはこのチケットから。特別席をご用意しました。どうぞ、私の気持ちをお受け取り下さい。喜んでもらえることを願って──あなたの友人より』

 

 そして、チケットと共に演目6番に丸印がつけられたパンフレットが同封されていたのだ。

 ご丁寧にどうも。軽く息を吐きながら招待状をテーブルの上に放り、代わりにパンフレットを手に取った。

 6番目に演奏される音楽は、今は亡き友(すみ)()明日香(あすか)が好んで弾いていたものだった──

 

「音楽って、その人の心が表れるのよ。ね、晟も弾いてみて」

 

 そう言って半ば強引にこの一曲だけ練習させられたっけ。曲の一部分でも、たどたどしくも旋律となって耳に届いた時は感動したものだった。明日香なんて、自分のことのように喜んでいた。

 

 そんな彼女が目の前で殺されてからおよそ一年。

 自分の腕の中で徐々にのしかかる彼女の体重が、恐怖だった。口から溢れ出てくる血と共に、何かを発しようとしていたことは、ついに言葉になることなく消えた。

 未だ記憶が鮮明に残る中、なぜこんな招待状が届いたのか。誰が送って来たのか。上等だ、のっかってやるよ。

 晟は怒りにも似た眼差しを招待状に向けた。

 

 開演の合図と共に、徐々に暗くなる視界。

 さあ、お手並み拝見といこうか。

 

 


SCENE2:アクシデント|伊藤智孝

D1だ。気をつけろよ」

「了解」

 

舞台の袖に裏方として様子を見ていた伊藤智孝は、簡単な英数字でそう指示を出した。

多種芸術講演会と称したイベントで、中国の舞を踊るような衣装を身に玖堂有羽(くどうゆば)山緒(やまお)里紗(りさ)は、扇子を手に、どこか艶やかな舞を披露しながらも、見えないように装着されたマイクで返事をする。 

二人が舞台の両端に分かれた時、それは起こった。キラリと客席から光が放たれた瞬間に、空気を裂くような速さでフォークが投げられたのだ。

何が起きたのか理解するまでの間に、もう一つ今度は有羽に向かってナイフが飛んでくる。ざわつき始めた会場内だが、先程の指示により、里紗は踊りの一部のように舞いながら『D1』と呼ばれたテーブルの前に立ち、バレーボールのレシーブをするかのように両手を組んだ。

刹那に宙を舞う踊り子。綺麗に弧を描いて着地すると、有羽は持っていた大きめの扇子を広げ、テーブルにあったフォークを『D1』の喉元に突き立てた。

 

「おじさま、私達を味見しようとしたって無理よ」

 

有羽に『おじさま』と呼ばれた男のやりとりは、照明の関係から扇子に映る影絵のようだった。イヤホンを装着している智孝や里紗、男の周辺にいる人物以外にその会話は聞こえていないだろう。妖しげな雰囲気も演出の一部と思われたかもしれない。

有羽の気迫におされた男は、降参の意を表すように両手を肩の位置まで上げる。

 

「は、はは、冗談だ」

「私ね、今すっごくお腹すいてるの。またこんなことしたら、これでおじさまを食べちゃうよ?」

 

クッと少しだけフォークを突き上げると、男は顔を引きつらせながら小さく呻いた。

重なり合う二つの影の間で、ほのかに光が発せられる。

あいつが今回の任務のターゲットか?訝しげながらも、今し方自分たちの仕事の一つを終わらせた有羽の様子を見つめた。

 

「ふふ、冗談よ」

 

パンと音を立てて扇子をたたむ有羽。反対側のテーブルで扇子の代わりに天女を思わせるような布で観客たちにパフォーマンスを広げていた里紗は、それを合図に舞台へと戻る。

演奏の終了と共に最終の立ち位置でポーズを決める二人は、お辞儀をした後に手を振りながら舞台の袖を後にした。

 

「やりすぎだ」

「えへへ、ごめんなさーい」

 

呆れるように注意すると、有羽は悪びれる素振りも見せずに軽く謝った。

それよりもと、『D1』が今回のターゲットであったのかを尋ねると、有羽は少し考える仕草をとった。

 

「ほんの少しだけ(はく)の気配はしたけど、違うと思う。お酒の勢いを借りてって感じだった。それより気になるのは会場の雰囲気かな。建物全体がなんか異様だよね」

 

それは自分も思っていたことだった。会場内というよりは、建物自体がまるで生物であるかのように重苦しい空気を放っていた。

少し、調べてみるか。他にも会場内では仲間が潜入していることから、智孝は公演終了まで建物内を見て回ろうと思い、それを二人に告げる。

 

「じゃあ、着替え終わったら連絡するね! 兄ちゃんが調べられない所はお任せを」

 

有羽がおどけてそんなことを口走る中、演目6番が始まった──

 


SCENE3:恐怖の始まり|玖堂有羽

「くうー! 一仕事終えた後のスイーツはうまい!」

 

 ストレス解消に酒を飲むサラリーマンが言いそうなことを口にしながら有羽は目の前にあるチョコレート味のシフォンケーキを頬張った。疲れた後のこの甘味。たまらない。

 

「結局、何もなかったね」

 

 里紗の言葉に、もぐもぐとケーキを堪能しつつ自分の考えを言おうとした時だった。

 

「あなたはいいわよね、仕事がなくなる心配がなくて」

と、隣に座っている女性の声が聞こえた。ため息交じりに、どこか責めているような口調に最後の一口はフォークに刺さったままだ。

 ケーキと共に里紗に告げようとしていた言葉も呑み込み、女性に視線を向ける。二人の時間を楽しんでいるカップルのようだが、彼女の発言で男性の表情はこわばっている。

その後に「私の会社なんて、今月3人も辞めさせられたわ」と続き、どうやら自分がリストラされるのではないか?という悩みを打ち明けているようだった。

有羽の視線に気付いた里紗も、何も言わずにカップルの会話を盗み聞く。

 

「公務員なら、その点安泰だものね」

「えー、でもそれってさ、お医者さんに「あなたは足場から落ちる心配しなくていいわね」って言ってるようなものじゃない?」

……は? 何あなた」

 

 突然、横やりを入れられた彼女は不機嫌そうな顔で聞き返す。眉間にしわを寄せ、目は細められ怒りが伝わる。

 おお……怖い。そう思ったけど、睨まれたくらいで自分の考えを変えることはしない頑固者なので、そのまま構わず里紗に話しかけた。

 

「もしかして、心の声が漏れてた?」

「出てた出てた。かなりの音量だったわよ」

「いやーついペロッと。何か違うな―と思って。んー、しかもさ、その会社って自分で選んだんだから、そのことでお兄さんを責めるのも間違ってると思っちゃうんだよね」

「だから、さっきからダダ漏れしてるってば。しかも声でかい」

 

先程から自分への返答がこないことにも、その内容にも腹を立てた女性は「ちょっと!」と声を荒げて私を呼び掛ける。

 

「あ、お姉さん。ここに何かついてるよ」

 

 またも暖簾に腕押しの状態を続け、自分の左肩を人差し指でとんとんと叩いて見せた。

 素直に有羽の示した肩に視線を向ける彼女。その隙を待っていた有羽は無防備となった反対側の首筋に触れる。

 首なんて、人に触れられたら何らかのリアクションをしそうなものだが、彼女はぴくりとも動かなかった。

 やっぱり魄にとりつかれてた、か……。弱いけど、ちょっとな。

 眼が閉じている彼女を見つめたまま、有羽は魄にとりつかれたであろう原因を彼氏に告げた。

 

「お姉さん、不安なのかもね。仕事がなくなった後、自分はどうなってるのか。お兄さんとはどうなってるのか」

 

このお姉さんも違うみたい。だけど、おかしいな。こんなに魄が一度に出てくるものなの?そんな疑問を晴らすように、有羽は小さく「よし」と呟き、パチンと指を鳴らした。

それを合図に目を開く彼女は、一時(いっとき)の記憶を失っていたように「何を話していたんだっけ?」と彼に向かって質問した。

状況を理解できない彼に、里紗は一言だけ「一種の催眠術だと思って下さい」と怪しい言葉を残し、去ろうとする。

そこへ

ジリリリリリリリリリ

と、火災報知器が鳴り響いた。

一気に店内がざわめき始め、店員の指示にそって一旦外へと避難する。

 何か別の警告音のように鳴るサイレンは、これから起きることへの合図のようだった。

 気を引き締め、里紗を見る。彼女も自分と同様、何かを感じたらしく、目を見つめたまま小さく頷いた。

 代金をレジの上に置き、ひとまず智孝と連絡をとろうと試みるが、なぜかつながらなかった。スマートフォンといった類の電子機器も使えず、不安を覚えながら里紗の顔を見るが頭を横に振るだけだった。

そして後方で人々の叫ぶ声と、ガシャンと何かが割れた音がする。

一体、何が起こってるの?

音がしたエントランスに着くと、辺りは騒然としていた。当たり前だ。電気が通っているはずの自動ドアは、何故か作動しなかったのだから。

頑丈に作られているそのガラスは、植え込みを投げつけようが割れることもヒビが入ることもなかった。

 誰かは非常口を探そうと、誰かはそこに留まって正常に作動する時を待ち、誰かは何か方法はないかと議論を始めた。

ものの10分足らずで一変した状況に恐怖を覚える。

 そこに更なる恐怖。

 男性とも女性とも判断ができない合成音のような声が、先程はどうにもつながらなかったイヤホンから届く。

 

字守(あざなかみ)たちよ、君たちは一体何人の犠牲者を出すのか楽しみだ」

 

まるで建物が自分の意志で動いているようだった。


 


SCENE4:出会い|樫倉晟

 非常ベルの音が鳴り響き、続いて何かがぶつかる音や物が壊れるような聞き慣れない衝突音がすれば、会場内はいよいよパニック状態になった。正面玄関へ向かおうと避難する人々が互いを押し合い、もつれるようにして会場を後にする。突然のことに周りは騒然としていて、スタッフもバタバタととりあえず動いているようだった。

 演目6番では何も起こらず拍子抜けしていたが、これが目的だったのだろうか? しかし未だに自分に対するアクションはない。スタッフに誘導されるギリギリまで会場内に留まり様子を見ていたが、それらしきものは何も感じられなかった。

 5番目に起きたアクシデントが、本来のプレゼントだったのだろうか?そもそも、この丸印には意味がない? そんなことを考えながらエントランスホールに出ると、マスクをした一人の女の子──と言っても、自分と同い年くらいの子が狂気にも似た奇声を発し暴れている人々を倒していた。

 あれは、扇子の子?

 間違いない。もう一人、マスクを装着した女の人が急におとなしくなった人達を静かに寝かせている。扇子の子が字守で、もう一人の子は補佐なのだろう。

 それならばと人波をかき分け、魄を鎮静化している中心人物へと走った。

 囲まれている彼女の背後に立ち声をかける。

 

「こいつら皆、魄にとりつかれたのか?」

 

 小さく「え?」と聞き返すものの、自分と同じ境遇であることを察した彼女は、肯定の言葉を返した。

 

「あの音声の後、ホール全体の空気が重くなったと思ったら、こんな感じに」

 

 あの音声? 一体何のことだろうか? そのことを尋ねても、うじゃうじゃと湧き出てくる魄に邪魔をされ会話を続けることができなかった。

 キリがねーな。

 ベルトに()してあった刀の(つか)を手に、数秒意識を集中させる。青白い炎のような塊が刀身を現すと、字守たちに向かって伏せるよう言葉を投げた。

 一瞬の出来事だった。

 その炎の刀を回転しながら横に振るうと同時に、かまいたちのような旋風が魄たちめがけて駆け抜けた。

 突風にあおられたと思った次の瞬間には、ぱたぱたと魄たちが倒れていく。

 

「すごいね。兄ちゃん以外では初めて見たかも」

 

 起きている者が自分たちしかいないことに安堵した彼女は、のんきにもそんなことを言った。炎の刀身が消えた柄を再びベルトに付けながらそれに応える。

 

「兄ちゃん?」

「あ、えっと、伊藤智孝……先生?」

「え、先生と兄弟なの?」

「ううん。私が小さい時から一緒にいるから勝手にそう呼んでる」

 

 この少しの会話でもころころと表情が変わる彼女に親しみを抱きながらも、先程聞けなかった質問をした。

 

「あの音声って何?」

「あれ? あなた字守だよね?」

「今日はプライベートで来た」

「へー……なんか、すごいね」

 

 依頼を受けている字守なら知ってて当然なことを聞いてきた晟を不思議に思ったのだろう。バカにした様子は見せずに質問し、答えにそう感嘆した。

 そんな反応を見せるってことは、きっと彼女もプライベートで演奏会といった観賞を嗜むことをしないはずだ。俺と同じで。

 

「招待状っていうか、挑戦状みたいなものが来たからね。受けてみた」

 

 眠っている人波を掻き分け、自分の元に来た補佐の子と視線で会話をした彼女は、小さく頷いた後、躊躇いがちに口を開いた。

 

「もしかして、樫倉晟……くん?」

 

 驚いた。確か、初めて会うはずなのに。名前が彼女の口から出てきたことに、やはりこのイベント自体が自分のために開かれたものだと思い、心の中でため息をついた。

 

「そうだよ。どこかで会った?」

「あ! そっか、ごめん。えーとね、どこから話す?」

 

 先程からちょっとずれた回答をしてくるなと吹き出した。依頼で来ていることはわかっているので、お互いの状況を確認しようととりあえずこの場から離れることにする。

 連絡のとれなくなった智孝がいるかもしれないということで、共に控室へと向かう。

 晟は差出人不明の招待状が送られてきたことと、まだ現状では特定できないことを伝え、非常ベルの後に連絡がとれなくなったことと、あの音声についてを聞いた。

 

「で、その音声の後に犠牲者を少なくするためのヒントがあったんだけど、それが『樫倉晟に会え』だったの。でも」

 

 ちらりと晟を見つめ、言葉を続ける。

 

「私たちは、樫倉くん?晟くん?を知らなかったし、あの状況だったからどうしようかと思ってた」

「晟でいいよ」

「じゃあお言葉に甘えて。だから晟が来てくれて助かったよ。ありがとう」

「いやそれは……俺もあの踊り見て、字守が関わってるってわかったから。えーと」

「有羽、私達も名前言わなきゃじゃない?」

 

 名前をまだ聞いてなかったと顔に出ていたのか、里紗がフォローをする。

 軽く自己紹介をし、お互いの年も近いことから名前で呼び合うことにした。その後、音声と招待状の意図するところは何かを考える。

 字守にそんなことを告げて自分を探させたとしても、自分自身がヒントを把握していないのならこのように行き詰ってしまうはずだ。

 依頼人の名前にも心当たりはなく、イベントホールとも(ゆかり)はなかった。招待状を難しい顔をしながら見つめる有羽も、ぶつぶつと脳内会話を口に出していた。

 

「うーん、音楽については私も詳しくないからなぁ。(あや)ちゃんやミーちゃんがこれに関わってるとしたら、前もって教えてくれるだろうし」

「彩ちゃんとミーちゃん?」

「6番目の演奏で、ピアノとバイオリン弾いてた人達だよ。あの二人も字守で──って、晟」

 

 笑みを浮かべていた顔が一瞬にしてこわばり、自分の腕を引く有羽の視線の先を辿ると、赤いドレスを身につけた女性が廊下に倒れていた。

 急いで駆け寄り、声をかける。

 すると、女性とは思えないような力で晟の腕をつかみ、乱れる呼吸の中言葉を紡いだ。

 

「あの人に……会わなきゃ」

 

 それだけを告げると、女性は全体重を晟に預け、そのまま目を閉じた。

 ズンと腕にのしかかる重さに、一年前の記憶が蘇る。

 

「お前は結局、明日香を助けることはできない。一人の女すら、守る力もない」

 

 それは呪文のように晟の感覚を麻痺させる。頭の奥で小さな(むし)がうごめいているようだった。払おうとしても払えないその蟲に、顔を歪める。

 明日香を殺した男が放った、最後の言葉だった。

 


SCENE5:飛行機ごっこ|伊藤智孝

 まずいな。あれは囮だったのかもしれない。

 建物が封鎖される10分前、スタッフ通用口から出たある男性を追って外に出た智孝は、通常ならば立ち寄らない配電装置の前で佇んでいるその様子を探っていた。

 魄がとりついてるのは間違いないが、一体何をしているんだ?

 そう不審に思うのも無理はなく、男性は装置をただ見つめている。暗がりの中、その男性が口元を緩めた時だった。あの音声が耳に届く。

 晟? 晟がここにいるのか?

 ヒントからよく知っている人物の名があげられ、一瞬気が削がれた時だった。装置の前にいた男性は、くるりと振り返り、いつの間にか手にしていた砂を投げつけてきた。

 幸いにも視界が遮られることはなく、智孝は装備していた銃を抜きとり、男性めがけて放った。

 銃弾の代わりに小さい火の玉が勢いよく飛び出し、男性の右足にくらいつく。男性はその衝撃というよりは、体からエネルギーが取り除かれる感覚に意識を閉じていった。

 何か音を立てれば即座に意識は戻るものの、放っておいても数分ほどで目が覚めることから眠っている男性に歩み寄り身元の確認をする。

 そろそろ有羽たちに連絡をとろうとするが、一向につながらないことに一抹の不安がよぎり正面玄関へと急いだ。

 的中しなくてもいい不安が起こっていることは、重く閉ざされているドアと、少々パニック状態になっている人達、鎮静化する有羽たちの姿を見てわかった。

 電気関係がアウトならば、その元をたどるか電気の通っていない出入口を探す他ない。

 先程眠った男性が傍目には何もしなかったのも、自分を外に出すためだったのかもしれないと思いながらも、依頼主からもらった地図を見て、先に手動で開く窓から入れないか試してみることにした。確か、1階の男性用トイレの窓の鍵があいていたはずだ。少々手荒な方法だが、物理的に窓を破壊することはできる。

 だが予想を裏切り、窓はいとも簡単に智孝を招き入れた。

 エントランスホールは既に大勢の人達が横たわっていて、意識も戻りつつあった。有羽と里紗だけで、この短時間この人数を相手にしたとは考えられない。

 晟だといいが。他の字守たちとの合流も考えて、有羽たちが向かったであろう控室へと足早に移動する。

 しかし、電気もついているのにこの人気(ひとけ)のなさは一体何だろう? 本当にここはイベントホールなのかと疑うほどに、通路も店内にも気配がしなかった。

 舞台まで辿り着いた頃、ピピッと小さく電子音が鳴った。それまで使えなかった通信が、突然息を吹き返したのである。

 

「智孝さん、彩です。よかった。これから合流できますか?」

 

 女性の安堵の声が耳に届いた。

 

「今、舞台袖の近くにいる。そっちは?」

「まだ控室です。こちらでは影クラスの人達も魄にとりつかれたため、負傷者が20名ほどいます。浄化は完了していますが、私がそちらに向かった方がいいですか?」

「いや、俺が行く。そういえば、有羽達とは会えたか?」

「いいえ、まだ。樫倉くんとも会っていません。というか、彼、ここにいるんですか?」

 

 彩の疑問ももっともだと思った。「恐らく」という言葉とエントランスの状況を伝え、通信を終える。

 視界の先に見えた男女三人組が、じりじりと何かと間合いをとるように後退していたからだ。

 

……赤いドレス? 演奏者か?

 三人の先には、立ち上がり方を忘れてしまったのか、はたまた力が入らないのか、例えがたい動きをしながら、何度も倒れ、起き上がろうとする女性がいた。

 

「か……しくら、せ……い」

 

 晟の名前を呼ぶと、それまでの動きは嘘のようにスーッと立ちあがった。まるで浮いているかのようにつま先立ちになる女性。

 

「な、何?」

 

 声を震わせて里紗が言った。そこにある恐怖を表すような声色だった。

 女性は蒼白になっている顔に、うっすらと笑みを浮かべているが、首をだらりと横に倒していた。折れていると言っていいくらいに、曲がっていたのだ。

 ゆらりと、子供が飛行機の真似をするように、彼女は手を後方に伸ばす──その瞬間だった。

 彼女は床を強く蹴って前に飛び出し、壁に激突した。

 痛みを感じないのか、ぶつかった衝撃で倒れても、すぐさま勢いよく飛び出してくる。狙いを誰とも定めぬまま、楽しそうに飛行機ごっこを始める彼女に晟たちはうろたえるばかりだった。

 

「晟! 有羽! しっかりしろ!」

 

 そう声をかけた後、4度目に倒れた彼女に向かって、先程よりも大きく真っ赤に燃える炎の塊を浴びせた。

 もう一度魄を浄化する力──(おぼろ)を出さなければならないかと思っていたが、5度目の飛行機ごっこは起こらず、その場にいた者の気持ちを代表するように里紗が呟く。

 

……終わった?」

 

 傍目にも魄が浄化されていくのがわかったが、確認のために近付こうと有羽の横を通り過ぎた時だった。

 

……っ、あああああああ!!」

 

 悲痛な叫び声をあげ、有羽は膝を折る。膝が床に着くと、必死でバラバラになりそうなのか、強く体を押さえるようにしてうずくまった。

 大丈夫か? と声をかけるも、耳に届かなかったのか、答える余裕がないのか、有羽は大きく呼吸を繰り返すだけだった。体から白く淡い光が放っているように見えた後、有羽は静かに意識を閉じた。

 



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