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私は長い間、芸術を過信していた

 

 は長い間、芸術を過信していたようだ。芸術が神の力をもって人に救いをもたらす、と私は信じていた。今もそれを信じたい。だが、現実には、無力な一人の女性はおろか、私自身さえ救い得ず、途方に暮れるより他にないのである。
 は中学時代に、富山から奈良へ移転した。
 山とはどこか人情の違う奈良の地で、私は孤独な日々を過ごすうちに、絵画の魅力に取り付かれていった。そして、ある芸術的開眼を得た。私の因果な運命の始まりであった。
 は世に言う秀才天才の類ではない。富山で過ごした小学校時代はともかくとして、奈良に移った後の中学・高校時代、成績はいつも平均以下であったのだから。
 校とは、お前はダメな奴、お前は頭が悪い、と言うことを、本人が絶望するまで、徹底的に教え込む所であった。したがって、私は学校と教師たちに強い反発を持ち、それが拍車となって一層成績を悪くして、ついにはバカでも下種(ゲス)でも入れると言われる三流の幸せ大学にも入学できなかった。
 かし、私は平気であった。その頃、私にはすでに生涯を賭けて取り組むべき芸術のテーマを持っていたからである。
 業で人の世に存在する価値を否定されたあとの私の関心は、被差別者、障害者たちであった。つまり、人の世の犠牲になっている人々が私の芸術のテーマとして現れた。

 し私が、頭脳優秀で一流大学を目指して勉強し、その目的を達成するほどの者であれば、決して気付く事がなかったであろう弱者の真実というものに私は開眼した、と信じた。

 よそ芸術のテーマとして、これ以上に崇高なものは有り得ないとまで確信したのである。この課題に取り組む限り、私はいずれ大芸術家として名を成すであろう。私の芸術に触れた障害者たちは、希望と救いを得、一方、健常者たちは、己の依って立つ存在理由を悟り、人類はここに有史以来、初めて真実な愛と平和を確立するであろう、とまで夢見たものである。
 になって思うと、恥ずかしい話ではある。
 もあれ、私は健康な者より病人や障害者、美人よりもブスと呼ばれる人、頭のいい者より頭の悪い者たちに深い感動を覚えた。

 は使命感のような情熱に駆られて、障害者やブスを夢中になって描いた。しかし、私の情熱の作品群は、一度も社会的価値を持つ賞には入選しなかった。

 れでも私は自分の芸術に不安は持たなかった。人々に無視されることで、一層、強固な信念を固めていった。

 

……次回へ つづく……



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