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 空穂坂は言った。
「わたくしの妹ですよ。今日がその命日です。正確には昨日でしたが、わたくしは毎年その日は夜通し、こうして線香をたいて供養をしているのです」
 柿ノ倉は、どう言っていいのか迷った。
「さあ、ここに座ってください」と空穂坂は、ブルーシートの上にある座布団を指差して言った。周りには蜂の巣箱もたくさん置いてあったが、蜜蜂は箱の中で眠っているのか静かだった。あるいは空箱だったのかもしれない。なぜなら、線香の煙に燻されて、じっとしているのはオカシイからだ。
「眠たければ横になってもかまいません」と空穂坂は言った。
「いや、それより話を聞かせてもらえないかね」と柿ノ倉は言った。
「妹のことですか」
「ええ」
「ですからそれはこの前お話ししたように、稲山田の次男坊にあの崖から突き落とされて、それでわたくしはここに小屋を建てて、妹の霊を祀っているのです。よく事故現場に手向け花をするでしょう。それと同じ理屈です。また養蜂家組合を設立するにも、ここはちょうど良かったのです」
「それだけではないね」と柿ノ倉は言った。「私は港の近くの、ある居酒屋で、その亭主から話を聞いたのだが、あなたと釣り船の船頭さんは稲山田を脅すために、毎日あの崖の上で、合図を出し合っているというじゃないかね」
 空穂坂は、声を出さない薄気味の悪い笑い方をした。
「そこまでご存知でしたか。最初あなたを見たときから、ちょっと普通の人と違うと感じましたが、やはりわたくしのカンに狂いはありませんでした」
「どういう風に違うのだね」
「いえ、ですから悪い意味ではありません。普通の人が考えないようなことをあなたは考えることができる、という意味です」
柿ノ倉は、小説を趣味で書いているが、確かに普通の人が考えないようなことをいつも考えている。空穂坂は、そういったことを最初に会ったときに直感したのだろうか。反対に柿ノ倉も、最初に空穂坂を見たときに、やはりなんとなく普通と違うように感じたが、それは養蜂家組合という聞きなれない言葉があっただけではなく、空穂坂の体から発する霊気のようなものを感じたからだろう。蜜蜂を自分の思いのままに操ることができるのは、単にローヤルゼリーを服につけているだけではないように思った。
「また」と柿ノ倉は言った。「船頭さんの妹さんを捜索するためにここに拠点を構えたわけだね」

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 空穂坂は、処置なしといった風に、
「ええ、そのとおりです。彼の妹は、間違いなくこの辺りに眠っています。この高台で行方不明になり、他にいった形跡がないですから。もちろん現在あなたが住まわれている屋敷が、一番怪しいのですが……」
「あの家は呪われた家だと居酒屋の亭主が言っていたが、まさにそのようだ」
「なに、ご心配はいりませんよ。あの家の床下を調べれば、すべてが分かるでしょう。そうして、もしもそこに船頭さんの妹が見つかれば、あなたは稲山田がやっている不動産屋に文句を言って家を買い戻しさせればいいでしょう。従業員は知らないかもしれませんが、しかし社長は、そのことを知っていて、わざと他人に売ったわけですから、断ることはないと思います」
「いや、家自体は気に入っているんで、お祓いをしてすませるつもりだよ」
「そうですか。やはりあなたはちょっと変わっていますね。わたくしが思うに、あの家は稲山田兄弟の遊び場だったのです。あの兄弟は代々続いた家系の中でも、とりわけ好色だったようで、よく女をあの家に連れ込んでいたようです。船頭さんの妹もその中の一人で、何かの事情で殺害したのでしょう。稲山田の長男は、すぐカッとなる人間ですから」
「となると、これはますます気を付けないといけないね。今夜その手下が二人私を殺しに来たのだが、この後、もっと人数を増やして来るような気がするよ」
「朝になれば大丈夫です。わたくしのそばにいれば、蜂が守ってくれますから。しかし、暗い内はさすがに蜂も目が見えませんので、わたくしもどうしようもありません」
 柿ノ倉は、変なことを言うものだなあ、と思ったが、聞き返しはしなかった。おそらく蜂の巣箱をひっくり返して、それで相手が近づくのを防ぐつもりなのだろう。しかし、それでは蜂に慣れた空穂坂はいいが柿ノ倉にとっては恐怖でしかない。だがそれも、空穂坂がなんとかやってくれるような気もした。
 柿ノ倉は、最初にこの空穂坂を見たときの印象からすると、かなり変わってきていた。養蜂家組合のパンフレットを持ってきたときは、なんとなく胡散臭いイメージだったのが、しだいに好意を持つようになり、そして今は頼りにするほどになっていた。親子ほど歳が離れているのだが、この男がそばにいるだけで妙に安心感があった。それで柿ノ倉は、夜が明けるまで小屋の中でぐっすり眠ることができた。空穂坂も、ゴザの上に横になってうとうとしていた。昼には、あの家の床下を掘り返す重労働が待っているのだ。体を休めておく必要があった。

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 柿ノ倉が目を覚ましたときには、空穂坂は小屋にいなかった。外はすでに明るくなっていた。ランタンの明かりも消えていた。柿ノ倉は小屋の外に出て辺りを見回したが、空穂坂の姿は見えなかった。家に帰ったのかもしれない。柿ノ倉も家に戻りたかったが、しかし、あの二人が家で待ち構えているような気がして戻れなかった。また二人ではなくもっと大勢で待ち構えているような気がした。なぜなら、稲山田としても、もう引くに引けない状態になっていて、総動員で来るに違いないからだ。また稲山田は、柿ノ倉が警察に駆け込むのを怖れているはずで、その前に捕まえようとするだろう。たぶんこの周辺の交番や警察署の近くに見張りを置いているのではないだろうか。もっとも単なる家宅侵入だけでは、稲山田に疑いが掛かるわけではない。実際、犯人が誰なのか分かっていないのだから。しかし、あの居酒屋で柿ノ倉がした会話─━━━家の床下を調べるというのを稲山田が耳にしていれば、それをさせないために手を施すだろう。それはつまりあの家の持ち主である柿ノ倉を抹殺することに他ならない。養蜂家組合の男つまり空穂坂の次男坊も、やはり稲山田から命を狙われることになるだろうが、空穂坂は、以前からそのことを自覚しているのか、小屋の中に一本の木刀が置いてあった。空穂坂も身の危険を感じていたのだ。そのことから柿ノ倉は、空穂坂が日本蜜蜂の巣箱をあちこちに設置しているのは、ひょっとすると自分のボディガードの役目をさせる意味もあったのではないかとさえ思えてきた。
 ふと柿ノ倉はあの崖へいってみる気になった。稲山田の屋敷が、今どういう状態なのか知りたくなったのだ。
 崖に近づくと、朝の爽やかな風が海の方から吹いていた。
 柿ノ倉は近くの木々の間に身をかがめて、こっそり稲山田邸を伺った。
 すると、稲山田の屋敷では四人ほど庭に出て何か立ち話をしていた。その中に不法侵入した二人がいるのだろうかと、柿ノ倉は目を凝らしたが、分からなかった。
 この前見た体格のいいサングラスをした者が、稲山田の大将のようだった。その大将が、突然、こちらを向いて崖の方を指差した。他の三人も一斉にこちらを見た。柿ノ倉はドキっとした。見つかったのかと思ったが、そうではなかった。たぶんこの崖のそばにある空穂坂のテント小屋を指し示したのだろう。そこに柿ノ倉がいるのではないかと噂しているのではないだろうか。ということは、まもなくこっちに来るということなのか。柿ノ倉は、ぞくぞくっと寒気がした。空穂坂がそばにいてくれればと、このときほどあの小男が頼りに思うことはなかった。
 これからどうしようかと考えながら、柿ノ倉は静かにその場を離れた。テント小屋に戻ったとき、嬉しいことに空穂坂がこっちに戻って来るのが目に映った。手に何か提げていた。
 空穂坂は言った。「コンビニで朝食を買ってきましたから、一緒に食べましょう。サンドイッチとおにぎりだけですが」

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「それは大変ありがたいが、それよりも私はたった今、あの崖から稲山田の屋敷を見ていたのだが、すると大の男が四人庭に出て立ち話をしていた。その中で、サングラスをした男が突然崖の方を指差して何かしゃべっていたから、それはたぶん私がこのテント小屋に隠れているのではないかと話をしていたのに違いないのだ。だからここにいるのは非常に危険だよ。私はこのテントの中で木刀を目にしたので、これを拝借しようかと戻ってきたのだが──で、木刀を貸してもらえるかね」
「ええ。どうぞお使いください。もう明るいですから、わたくしには必要ありません。とにかく食事をしましょう。腹が減っては、戦はできないと言いますからね。小屋の外なら、誰か来れば、すぐ分かります」
 そこで、二人は小屋の前にシートを敷き、まるでピクニックのように辺りの様子を見ながら食事を取った。
 食事を終えた頃に、危惧していたことが起こった。稲山田の連中がこっちにやって来たのだ。サングラスの男を先頭にして、先ほど稲山田の庭で見た三人が後に続いていた。まだ遠い距離だったが、空穂坂はさっと立ち上がった。
「奴らに捕まってはただではすみません。さあ逃げましょう」
「逃げる?」
柿ノ倉はポカンとした。逃げるのなら何でこんなところにじっとしていたのか。柿ノ倉は少しむっとしたが、しかし、空穂坂の指示に従った。
「こっちです」
空穂坂は言って、獣道のようなところを走った。柿ノ倉もその後をついて走った。当然ながら、稲山田の連中もそれに気づいて追いかけて来た。
 林の中にぽかんと開けたところがあった。そこに空穂坂は逃げ込んだ。地面が岩で、それで樹木が育たなかったのだ。おかげで太陽が燦々と降り注いで、無数の巣箱が、そこらじゅう置かれていた。ここが養蜂家組合の一大拠点なのだろう、と柿ノ倉は思った。
 空穂坂は広場の真ん中で立ち止まると、すぐにオオオーという叫び声とともに、片手をぐるぐるとものすごい勢いで振り回し始めた。するとどうだろう、周辺にいた蜜蜂が一斉に飛び立って、空穂坂の頭上に集まり始めたのだ。それはまるで黒雲のようであった。さらに蜜蜂はこの地域一帯からも、どんどん空からやって来た。すさまじい羽音だった。 

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 空穂坂は片手を高く伸ばしていたが、もう一方の手で柿ノ倉に自分の後方にいるように指示した。柿ノ倉が空穂坂の後ろに控えると同時に、稲山田の四人組がこの広場に現れた。手にロープを持っている者もいた。それで柿ノ倉を捕らえるつもりなのだろう。しかし、稲山田にとって、空穂坂がいたことは誤算だったかもしれない。あるいはそれも計算に入れていて、空穂坂も一緒に料理するつもりで来たとなれば、稲山田の決心も相当なものに違いない。そして、それが本当なのだろう。なぜなら、稲山田自身がやって来たというのは、切羽詰っていることを意味していたからだ。実際、自分の過去の犯罪が今日暴露されるかどうかという瀬戸際に、じっとしていられるわけがなかった。またそれだけではなく、日頃、空穂坂から受けている脅迫の、その報復も兼ねていたのだろう。
「稲山田さんよ」と空穂坂が先に言った。「あんたがここに来た理由はちゃんと分かっています。これ以上近づくと、命の保証はできませんよ」
「何を抜かすか、この小倅が」と稲山田が返した。問答無用といった感じで、「おい、やってしまえ!」と子分たちに命じた。稲山田はサングラスをしていたから、空穂坂の頭上に待機していた蜜蜂の大群に気づかなかったようだ。しかし、子分たちは、蜜蜂が黒雲のようになって日光を遮断しているのを目にしていた。それで躊躇したが、親分の命令に背くわけにもいかなかったので、仕方なく前に進む形となった。
 と、「それ行け!」と空穂坂は号令を発し、天に伸ばしていた腕を四人組に向けて振り下ろした。すると蜜蜂の大群は、まるで爆撃機のような轟音をさせて四人の方に飛んでいった。
 あっという間に四人は、顔中蜂だらけになった。手で払っても払っても蜜蜂が群がってきた。目を開けることができない状態になっていた。稲山田もやっとここにきて事情が飲み込めたようだ。サングラスをとって目に集まる蜜蜂を取り去ろうとするのだが、無駄な抵抗だった。蜜蜂が次々と目の周辺に集まるのだ。もちろん顔や手は蜜蜂に刺され放題で、すぐに赤く腫れてきた。そればかりか息をするのも困難な状態になっていた。口を開ければ蜂が入り、鼻の穴さえ入り込もうとするからだ。                       

「分かった分かった」と稲山田が、やがて、うずくまって声も絶え絶えに言った。何が分かったのか判然としないが、空穂坂は「戻れ!」と号令を発した。すると蜜蜂の群れは、また一斉に空穂坂の頭上に集まった。
 空穂坂としては、稲山田を殺すつもりはないのだ。妹ななみの復讐は、すでに終わっているからだ。もちろん稲山田の出方によっては、再び蜜蜂に攻撃させる考えはあったが、しかし、その必要はなかった。顔中蜜蜂に刺された稲山田が、とつぜん倒れたからだ。アレルギーを起こしたのだろう。顔を赤く張らした子分たちも、これにはあわてふためいた。とても柿ノ倉たちにかまっていられなくなった。で、三人は稲山田を担ぐと、またもと来た方向へ戻っていった。おそらく車が通る道まで運んで、そこから自分たちの車で病院に運ぶか、あるいは救急車でも呼ぶつもりなのだろう。

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