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 柿ノ倉は、酒は嗜まないが、焼き鳥などは好物である。そこで一度地元の赤提灯の店に入ってみようと決心した。あまり混まない店で、しかも夜遅くまでやっている店。柿ノ倉はそういう店はないか、昼間、車で探した。すると港の近くの公園脇に一軒ぽつんと居酒屋があった。周りが静かで、車を停める場所もそばにあった。柿ノ倉は、ここに夜来ることを決めて、家に戻った。
 夜。遅い時間帯に柿ノ倉は再びそこを訪れた。店に入ると客は二人いた。若い男女のカップルで、カウンターの隅の席で、二人だけの世界に入り込んでいるようだった。店の主人は頭を短く刈り込んだ、四十歳くらいの人だった。いらっしゃいませではなく、しゃい、と言って、すぐに顔をそむけた。地元民は、たいていそんな感じだった。もともと漁師町だから粗野で気性が荒い人が多いのだ。といって冷淡ではなく、道を聞けば分かるまで教えてくれた。
 柿ノ倉は、カウンターの席に腰を下ろした。もっとも、カウンターの席しかない狭い店なのだが、主人が一人で切り盛りをしていた。客でごった返すのは、かえって迷惑だと考えているのか、愛想はあまり良くない。おしぼりも黙って置いた。しかし、柿ノ倉は能弁な人間が苦手であるので、むしろこの方が良かった。それにこういう無愛想な人間の方が、一度ツボにハマれば調子に乗って余計なことまで、ペラペラしゃべることがあるものだ。
 柿ノ倉は焼き鳥を数種注文した。
 店の主人は、黙ってトリを焼いている。こちらから話しかけなければ、一切何もしゃべらないようだった。
 酒が飲めない柿ノ倉は、ジュースを飲みながら、焼き鳥が焼けるのを待った。そして頃合を見計らって、例の空穂坂家のことをたずねた。
「ところで大将、この町には大きな松の木があるね。あんな大きな松の木は初めて見たよ。しかも二箇所あったが、あの家は庄屋か何かかね?」
「庄屋!?」店の主人は、少し笑いながら、「ここは港町ですから、庄屋はありませんよ。二箇所といえば、空穂坂と稲山田の二軒ということなんでしょうが、あの二軒はどちらも昔は網元でした」
「網元」と柿ノ倉は、初めて知ったように言った。「この町には網元が二軒もあるのかね?」
「ええ、この町の二大権力者です。町の東西に分かれて、今なお競い合っていますよ」
「競い合うって何をかね?」柿ノ倉は内心、これはいきなり亭主のツボにはまったかな、と思いながらたずねた。

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「ですから、決まっているじゃないですか。勢力ですよ。稲山田が不動産業を始めると今度は空穂坂が貿易業を始め、さらにあちこちにレストランをやっています。稲山田はこの辺り一帯の地主でもあるので、空穂坂としては気が気ではないんです。というのも、一気に陣地を拡大される恐れがあるからです。お客さんはどこの人か知りませんが、この町の後ろに大きな高台がありまして、あの山の半分を稲山田は持っています。近いうちに大々的に宅地開発をする予定があると聞いています」
「その高台に私は住んでいるよ」と柿ノ倉は言った。
 とたんに主人は驚きの表情をした。
「あの高台に住んでいるのですかい、しかし、あそこまだ家があまり建っていないはずですが……」
「何十年と経った洋風の家が売りに出されていて、それを買ったのだ」
 と柿ノ倉が言うと、主人は口を開けて、呆れたように柿ノ倉を見た。
「あの家を買われたのですか、あの家こそ……いえ、こういうことを今住んでいる人に言うのは忍びないですが、じつは呪われた家でして、お客さんも気をつけた方がいいですよ」
「気をつけるって何をだね?」
「ですから命ですよ」
「命!?」
「ええ、あの家に前に住んだ人は、変な死に方をしています」
「知っているよ、自殺をしたのだろう」
 主人はさらに驚いたような顔をして、「お客さんはそのことを知っていながら、あの家を買われたわけですかい?」
「格安で見晴らしも良かったからね。で、自殺した人は稲山田の息子さんだそうだね?」と柿ノ倉は、かまをかけた。
「そこまで知っているのなら、詳しく教えてあげましょう。そのとおり稲山田の次男坊です。しかし、あれは自殺ではないとこの辺ではもっぱらの噂です。自殺する理由がないのです」
 柿ノ倉は、この調子なら事の真相を知ることができるかもしれないと期待を込めてこう言った。
「私はある人から聞いたのだが、稲山田の息子さんと空穂坂の娘さんが恋仲となって、結婚する気でいたのだが、双方の親から反対され、そのあげく娘さんがあの山の崖から飛び降り自殺をした。それで息子さんは精神状態がおかしくなり後追い自殺をしたのではないかと」
 すると主人は笑いながら「よくできた話ですが、真っ赤な嘘です。どちらも自殺ではありません。そのことはこの町の人なら誰でも知っています。というか感づいています」
「自殺ではないと言うのなら、じゃあ他殺かね?」

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「そうなりますね。もちろん誰が犯人かは、ここではお話しできませんが……」と言って、亭主は隅のカップルに目をやった。
 他に客もいる居酒屋で、これ以上深く質問できないし、また主人もしゃべれるわけがなかった。それで柿ノ倉は、話題を変えることにした。
「ところで、養蜂家組合というのを大将は知っているかね?」
「養蜂家組合──知っていますよ。日本蜜蜂を守護するという団体でしょう。団体と言っては語弊がありますがね。じつは、あれは空穂坂家が稲山田家を見張るために始めたことです」
 柿ノ倉は、思わず背筋を伸ばした。
 どうやらこの質問も、店の主人のツボにハマったらしい。詳しいことが聞けそうだった。
 で柿ノ倉は、平常心を装って言った。「しかし、養蜂家組合は実際に日本蜜蜂の巣箱をあっちこっちに設置しているようだが……」
「それは誤魔化しですよ。さっきも言いましたが、稲山田はこの辺の大地主ですから、それに対抗しているのでしょう。蜂の巣箱を置けば、そこが自分の領土だと考えているんじゃないでしょうか。しかし、本当の目的は他にあります。その一つが脅しなんです」
 そう言って主人は、店の隅に座っている二人連れを再びちらっと見たが、若い男女のカップルは、自分たちだけの会話を楽しんでいるようだった。
「脅し?」と柿ノ倉は、聞き返した。
「ええ。お客さんは高台に住んでいるから分からないかもしれませんが、こっちの下界からはあの山の崖がよく見えます。あそこから空穂坂の人が、しょっちゅう稲山田の家を双眼鏡で眺めていますよ。また懐中電灯で合図を出したりしています。どこに合図を出しているかは言えませんが」
「釣り船……」と柿ノ倉は思わず声が出た。すると主人は、またしても驚いて柿ノ倉を見た。「お客さんは、何でもよく知っていますね。このことはこの町の者でも、そう多くは知っていません。私は飲み屋をやっているから、いろんな情報が入ってきますが、確かにあの合図はある釣り船に向かって発しています。しかしそれも、稲山田家の人間を脅すためにしていることです」
 このとき隅にいた例のカップルが席を立ち、主人に勘定を催促した。二人連れが店を出た後、主人は身を乗り出すようにして言った。
「ではお客さんは、いったいどこで、そのことを知ったのですかい?」
「どこでっ、て言われても、じつは自分の部屋から海が見えるので、しょっちゅう海を眺めていたのだが、すると妙な釣り船が一艘あることに気づいた。いや釣り船自体は妙ではないが、船にいる人が妙なことをしていたのだ。それは懐中電灯の明かりで、こちらの山の方を照らして円を描いたりしていた。ついでに言うと私はその船に乗って釣りをしたことがあるんだよ、ちょっと前だが」

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 主人は笑って、「頬に傷のある日焼けした男がいたでしょう」
「ええ、船頭さんだよね、その頬に傷のある人は」
「私の同級生です。この店にもよく飲みに来ます。それで私は彼からいろいろと話を聞くことができました」
「その船頭さんはもと漁師だと言うじゃないかね」
「そうです。代々漁師をしていました。空穂坂の網元に属していました。この変では昔から空穂坂と稲山田のどちらかに属さなければ、漁ができない仕組みになっていまして。いや勝手に自分の船で釣りをしてもいいのですが、その魚を売りさばくことが困難なのです。ルートがないですから。しかし、時代も変わり網元という制度も廃れ、網元の両家は商売替えをせざるを得なくなったのです。が、それでもライバル関係は今も続いています」
「それでお互いの情勢を監視し合っているというのだね」
「いえ監視しているのはもっぱら空穂坂の人間です。たとえて言えば、加害者と被害者のようなもので、加害者が被害者のことを思うことはありませんが、被害者は加害者のことを常に恨んでいるでしょう。それと同じです」
「じゃあ何かね。空穂坂は稲山田から何かひどいことをされたわけかね?」
「お客さんが先ほど言われた、空穂坂の娘があの山の崖から飛び降り自殺をしたというのがありますが、実際は稲山田の次男坊が突き落としたのです。このことは他のところにいって言わないでくださいよ。もっともこの辺の人たちはみんなそのことを知っていますがね。あなたがあの高台のあの家に住んでいるというので、特別にお話をしているだけです」
「しかし、だからといって四六時中稲山田家を見張る必要はないんじゃないかね」
「そう思うでしょう普通は。──稲山田の人間も次男坊が別邸で自殺したというのを信じていません。確かに軒で首を吊っていたようですが、それを発見したのは空穂坂の息子です。空穂坂の次男坊が養蜂家組合を名乗り、あの家の庭に蜂の巣箱を置いたというのは、稲山田の人間にとっては胡散臭い気味の悪いことです。また、毎日のようにあの崖の上からへんてこりんな合図をしているのを知っていますから、精神的にまいってきているのです。それが空穂坂の狙いでもあるのですが。しかし空穂坂が稲山田に恨みを持つのは、娘のことだけではないのです。それ以前にも空穂坂の人間は、稲山田の人間に殺られています。正確に言うと空穂坂に属する人間ですが、また殺られたかどうかはまだ分かっていません。──こうなったらすべてお話ししましょう。あの釣り船の船頭つまり私の同級生ですが、その妹がやはり稲山田の長男と交際していたのです。稲山田家というのはどうも放埒な血筋なようで、昔からよく女性関係でトラブルを起こしていますが、この長男もご多分に漏れず女癖が悪くいろんな女に手を出しています。しかもすぐに飽きるらしくて、捨てられた女性は一人や二人ではありません。船頭の妹も、その中の一人です」

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「捨てられた、というとまさかあの崖から投げ落とされたのではないだろうね?」
「いえ、行方不明になったのです。十年近く前ですが、あの高台で……たまたま高台を散歩していた人が、偶然船頭の妹に似た女性を見かけたのです。こんな山の中に若い女性が来ることは希ですから、よく覚えていたようです。捜索願が出されたとき、女性は稲山田の長男と一緒だったとその目撃者は証言したのですが、もちろん長男はそれを否定しています。というか一緒にいたことはいたが、すぐに別れたと警察に言ったようです。あの別邸へ入ったという目撃はないですから、警察もそれ以上深く追求はできなかったようです。──以降、その妹の兄である船頭が、やっきとなって探していたのですが、それから数年経って、今度はさっき言った空穂坂の娘の事件があったのです。そこで彼は空穂坂に協力を求めました。同じ稲山田に恨みを持つということで、頼みやすかったのでしょう。じつは空穂坂の長男は、子供の頃よく私たちと一緒に遊んだ仲間でした。昆虫が好きで、蝉取りなどをして遊んだものです。そこで恨みもありライバルでもある稲山田を懲らしめてやろうと、あの養蜂家組合というのを思いついたのです。表向きは、日本蜜蜂の守護及び繁殖ですが、まあ確かに彼は日本蜜蜂の将来に懸念を持っていたことは持っていました。しかし本当の目的は、それにかこつけての船頭の妹の捜索であり、また稲山田に対する脅迫なのです。しかし長男は何かと忙しい人なので、弟にその任務を委ねたのです。次男坊は、崖から突き落とされた妹を大変可愛がっていましたから、進んで協力してくれました。彼自身稲山田の人間に復讐をしたいという思いが強かったのでしょう」
 そう言って主人は、薄ら笑いをしたが、その意味深な笑みは、ひょっとすると復讐はすでに終わっているという意味だったのだろうか。なるほど空穂坂の娘が自殺ではなく他殺であれば、犯人は稲山田の次男坊しかいない。目撃証言もある。目撃証言というのはあまり信用できないものだが、仮に自殺であったとしてもその原因は稲山田の息子にある。ライバル関係にあることを知りながら、妹に接近し誘惑した。それがなければ妹は死ぬことはなかったのだ。その恨みを晴らすために空穂坂の次男坊は稲山田の息子を殺害したのだろうか。であれば、ななみの方は一応それで決着がついた。が、船頭の妹は、まだ手がかりさえつかめていない状態だ。そして、その妹の行方を知っているのは、稲山田の長男しか考えられない。空穂坂としては、何とかして長男に、白状させる必要がある。そのために稲山田を四六時中監視して、ぼろが出るのを待っているのではないだろうか。
 柿ノ倉は言った。
「で、稲山田の長男は、そのことを知っているのかね」
「知ってる知ってる。だからいつもびくびくして暮らしていますよ。いつか自分も弟のように殺られるのではないかとね。間違ってもあの高台の家では暮らせない。なぜなら、周りに家がないので、何かあったときに助けを求めることができないから。たぶんあの家を売りに出した理由も、そういったことが関係すると私は思っとります。実際、一度他人に売ってしまえば、空穂坂の人間も、そう簡単には、その敷地に入ることができませんからね」

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