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 するとそのコーナーには、航空写真が展示してあって、あなたが入られた豪邸には、かつての網元・空穂坂邸と記されていた。網元はもう一軒あって、それが稲山田邸だったのだ。同じように大きな松の木があり、しかも空穂坂邸と同じくらいの豪邸で、これはきっとライバル関係にあると私は直感した。さらに調べると、その書棚に、同じ網元の稲山田家の青年が書いたエッセーがあった。読んでみると、これがなんと空穂坂家の娘さんのことが書いてあった。その娘さんは、このエッセーを書いた青年と恋仲にあり将来は結婚を誓っていたようだが、お互いの親から猛反対され、それで悲観して飛び降り自殺をしたと書いてあった。どこで飛び降りたかは書いていなかったがね……」
「この崖ですよ」と男は、吐き捨てるように言った。「ななみは殺されたのです。この崖から突き飛ばされたのです。奴が書いたエッセーはでたらめです。ななみは騙されたのです。奴はななみと結婚する気などなかったのです。それなのにななみと付き合い、そのあげく妊娠をして、困ったあげくに奴はこの崖からななみを突き落としたのです。夕闇の中で……」男は怒りにぶるぶる震えていた。
「よく知っているようだが、あなたとそのななみさんとは、どういう関係なのかね」
「妹ですよ。この近在の者は、誰もななみが自殺したとは思っていませんよ。実際奴がななみを突き落とすのを見た者もいるのです。しかし、それを公表することができず、こっそりわたくしの家に知らせてくれたのです。というのも稲山田はこの町の権力者ですから、報復を怖れたのでしょう。今でも町の役員をしています。先代から不動産業をやっていて、おそらくわたくしの家よりも羽振りはいいかもしれません」
「羽振りがいいと言えば、空穂坂邸も立派で、あなたがあそこの人間だとすれば、じゃああなたが養蜂家組合の発起人かね?」
「いえ、違います。発起人はわたくしの兄です。しかし、もうこれ以上は、何も話せません。あなたがすでに稲山田のことを知っていて、ななみのことを話したので、わたくしもつい余計なことをしゃべってしまいましたが──これはわたくしたちの問題ですから……」
 そう言うと、男は柿ノ倉の脇をすり抜けて、テント小屋の方に帰っていった。柿ノ倉はしばらくその崖にいて、稲山田邸を見下ろした。豪農のような立派な建物のその敷地内に、やはり空穂坂と同じように現代的な住宅が建っていたが、その壁に○○不動産と看板が掲げられていたのを見て、柿ノ倉はあれっと思った。柿ノ倉が高台の家を購入した不動産屋の名前だったからだ。と、その建物から一人のサングラスをした中年の男が現れた。恰幅のいい体格でスーツを着ていたこの男は、車庫に停めてある外車に乗り込むと、どこかへ出掛けていった。
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 柿ノ倉は、このとき想像を働かせた。養蜂家組合の男、いや、もう空穂坂と言おう。空穂坂はいったい何を双眼鏡で見ていたのだろうか。もちろん稲山田邸だが,稲山田の何を。──ここでおさらいをすると、稲山田と空穂坂は昔からライバル関係にある。それに加えてななみ事件がある。その事件があってすぐに、稲山田の次男坊は、一人この高台の別宅で暮らすことになるが、その別宅とは、とどのつまり柿ノ倉が今住んでいる家である。先ほどの看板を見て柿ノ倉はそう確信したのだが、そうなると家の軒で首を吊ったのは稲山田の次男坊ということになり、五年前のことだ。そのちょっと前に空穂坂の息子が、この崖の近くにテント小屋を作り、養蜂家組合なる珍妙な慈善事業を始めた。稲山田の次男坊と空穂坂の次男坊は、以前から知り合いだったのではないだろうか。家がライバル関係にあれば、お互いの情報はよく知っているものだ。だとすれば、養蜂家組合の男が、つまり空穂坂の息子があの家に来たとき、稲山田の息子は、まず警戒心を持って疑ったはずだ。空穂坂の妹ななみをこの崖から突き落としたというのが本当なら、正常な心理状態ではなかっただろう。それに日本蜜蜂の巣箱を置いたというのも疑わしい。稲山田の息子は、何か脅迫されていたのではないだろうか。ひょっとすると自殺したというのも、あるいは自殺に見せかけた殺人ではないのか。柿ノ倉はそんなことを考えながら、その崖を後にした。

                   

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 夕食後、柿ノ倉は日課のごとく二階の書斎から海を眺めていた。そのとき、ふとこの家を紹介した不動産屋のことが頭に浮かんだ。稲山田邸の壁に看板があった不動産屋のことだ。あちこちに支店があるようだが、この家を売りに出した理由を考えたのだ。というのは、この家が稲山田の別宅であれば、なぜ他人に売る必要があったのか。確かにあの嫌な事件から解消されたい、という気持ちは分かる。空穂坂の娘との一件は、稲山田家の汚点であり、しかもこの別宅は、次男坊が自殺した忌まわしい現場なのだ。家を売却することで、あの忌まわしい事件を忘却させたかったのかもしれない。が、だとすれば、なぜこの家を解体しなかったのか。この家を消滅させた方が、よりさっぱりするはずなのだ。他人に売ったところで、あの事件が消滅するわけではない。となると、解体できない理由が他にあったと考えるしかない。この家を消滅させては困るもの、何か重大なものが隠されていて、それで家を壊すことができなかった、と考える方が、柿ノ倉にはより自然に思えた。
 またこの家は、稲山田の息子と空穂坂の娘との密会の場所であった可能性がある。別荘風の建物は、若い二人にとっては、格好の逢引場所だったはずだ。しかし、重要なものが隠されているならば、他人に売ることはないはずであり、他人に売ったということは、それをカモフラージュするためではなかったのか。つまり自分が持っていては危険だから、他人に持たせる、という理屈だとすれば、格安で人に売ったのも理解できる。もちろん自殺現場という事故物件だから安いというのもあるだろうが。

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 柿ノ倉は、一度徹底的にこの家を調査してみなければならないと思った。しかし考えてみれば、購入するときに柿ノ倉は家全体をくまなく点検したのだ。それこそ押し入れまで。そして、目に見えるところは何も問題はないと判断したからこそ購入したのだ。であれば、問題は目に見えない部分である。たとえば床下だ。当然のことながら何があるのか分からない。そこまで懸念して家を購入する者はいないだろう。実際、調べるには家を壊さなければできないわけだから。そしてこのとき、柿ノ倉は、稲山田が家を壊さなかった理由が、やはりそこにあるような気がした。別に根拠があるわけではないが、人に知られてはまずいものが床下に埋めてあり、そのため家を壊すわけにはいかなかったのではないだろうか。また、他人に売った理由も先ほど言ったように、稲山田の人間は、空穂坂に命を狙われる危険性を感じて、ここに住めないと判断したからではないだろうか。実際、この家に住んでいた稲山田の次男坊が死んでいるのだ。しかし、このまま空き家にしていたら、いつなんどき空穂坂の人間が、家の中を勝手に調査するかわからない。それを稲山田は、危惧したのではないだろうか。
──そこまで考えたとき柿ノ倉は、そういえばキッチンの床が比較的新しくリフォームされていることに気がついた。この家は築三十年を超えているのだが、キッチンの床は、まだ十年も経っていないような感じがした。ひょっとするとそこで稲山田の息子が自殺したのではないか、あるいは殺されたのではないか、と柿ノ倉は考えたが、不動産屋の話でも空穂坂の話でも、軒で首を吊っていたということなので、それはないのだろう。
 いずれにしても、柿ノ倉は、改めて空穂坂家の歴史を調べる必要を感じた。というのは、過去にななみ事件以外にも、空穂坂と稲山田との間で何か重大な事件があったのではないか、でなければ、これほど執拗に稲山田家をマークしている理由が思いつかないからだ。柿ノ倉はまた図書館へいって調べようと思ったが、しかし、そんなうまい具合に資料が見つかるかどうか、はなはだ心もとなかった。
 星明りに照らされた海を眺めながら柿ノ倉は、今、自分が住んでいる家が、空穂坂にとっては解決すべき重要なキーポイントになっているような気がした。と同時に、図書館で調べるのもいいが、実際にこの町の人から直接話を聞く方が、より詳しいことが分かるのではないかとも考えた。
 もちろん、柿ノ倉は探偵ではない。だから詳しい調査はできない。が、簡単な聞き込み程度ならできるだろう。そこら辺の店で、たとえば飲食店で、空穂坂家のことを聞いてみるのだ。ただ真っ正直に聞いたのでは相手は不審に思うだろう。松の大木があるのだから、それを話のきっかけにすればいい。そういうものは、地元の人間にとって自慢の一つになっていることが多いものだ。居酒屋ならば、その店の主人が地元のことを詳しく知っているはずだし、たずねやすい。客と会話するのが居酒屋だからだ。

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 柿ノ倉は、酒は嗜まないが、焼き鳥などは好物である。そこで一度地元の赤提灯の店に入ってみようと決心した。あまり混まない店で、しかも夜遅くまでやっている店。柿ノ倉はそういう店はないか、昼間、車で探した。すると港の近くの公園脇に一軒ぽつんと居酒屋があった。周りが静かで、車を停める場所もそばにあった。柿ノ倉は、ここに夜来ることを決めて、家に戻った。
 夜。遅い時間帯に柿ノ倉は再びそこを訪れた。店に入ると客は二人いた。若い男女のカップルで、カウンターの隅の席で、二人だけの世界に入り込んでいるようだった。店の主人は頭を短く刈り込んだ、四十歳くらいの人だった。いらっしゃいませではなく、しゃい、と言って、すぐに顔をそむけた。地元民は、たいていそんな感じだった。もともと漁師町だから粗野で気性が荒い人が多いのだ。といって冷淡ではなく、道を聞けば分かるまで教えてくれた。
 柿ノ倉は、カウンターの席に腰を下ろした。もっとも、カウンターの席しかない狭い店なのだが、主人が一人で切り盛りをしていた。客でごった返すのは、かえって迷惑だと考えているのか、愛想はあまり良くない。おしぼりも黙って置いた。しかし、柿ノ倉は能弁な人間が苦手であるので、むしろこの方が良かった。それにこういう無愛想な人間の方が、一度ツボにハマれば調子に乗って余計なことまで、ペラペラしゃべることがあるものだ。
 柿ノ倉は焼き鳥を数種注文した。
 店の主人は、黙ってトリを焼いている。こちらから話しかけなければ、一切何もしゃべらないようだった。
 酒が飲めない柿ノ倉は、ジュースを飲みながら、焼き鳥が焼けるのを待った。そして頃合を見計らって、例の空穂坂家のことをたずねた。
「ところで大将、この町には大きな松の木があるね。あんな大きな松の木は初めて見たよ。しかも二箇所あったが、あの家は庄屋か何かかね?」
「庄屋!?」店の主人は、少し笑いながら、「ここは港町ですから、庄屋はありませんよ。二箇所といえば、空穂坂と稲山田の二軒ということなんでしょうが、あの二軒はどちらも昔は網元でした」
「網元」と柿ノ倉は、初めて知ったように言った。「この町には網元が二軒もあるのかね?」
「ええ、この町の二大権力者です。町の東西に分かれて、今なお競い合っていますよ」
「競い合うって何をかね?」柿ノ倉は内心、これはいきなり亭主のツボにはまったかな、と思いながらたずねた。

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「ですから、決まっているじゃないですか。勢力ですよ。稲山田が不動産業を始めると今度は空穂坂が貿易業を始め、さらにあちこちにレストランをやっています。稲山田はこの辺り一帯の地主でもあるので、空穂坂としては気が気ではないんです。というのも、一気に陣地を拡大される恐れがあるからです。お客さんはどこの人か知りませんが、この町の後ろに大きな高台がありまして、あの山の半分を稲山田は持っています。近いうちに大々的に宅地開発をする予定があると聞いています」
「その高台に私は住んでいるよ」と柿ノ倉は言った。
 とたんに主人は驚きの表情をした。
「あの高台に住んでいるのですかい、しかし、あそこまだ家があまり建っていないはずですが……」
「何十年と経った洋風の家が売りに出されていて、それを買ったのだ」
 と柿ノ倉が言うと、主人は口を開けて、呆れたように柿ノ倉を見た。
「あの家を買われたのですか、あの家こそ……いえ、こういうことを今住んでいる人に言うのは忍びないですが、じつは呪われた家でして、お客さんも気をつけた方がいいですよ」
「気をつけるって何をだね?」
「ですから命ですよ」
「命!?」
「ええ、あの家に前に住んだ人は、変な死に方をしています」
「知っているよ、自殺をしたのだろう」
 主人はさらに驚いたような顔をして、「お客さんはそのことを知っていながら、あの家を買われたわけですかい?」
「格安で見晴らしも良かったからね。で、自殺した人は稲山田の息子さんだそうだね?」と柿ノ倉は、かまをかけた。
「そこまで知っているのなら、詳しく教えてあげましょう。そのとおり稲山田の次男坊です。しかし、あれは自殺ではないとこの辺ではもっぱらの噂です。自殺する理由がないのです」
 柿ノ倉は、この調子なら事の真相を知ることができるかもしれないと期待を込めてこう言った。
「私はある人から聞いたのだが、稲山田の息子さんと空穂坂の娘さんが恋仲となって、結婚する気でいたのだが、双方の親から反対され、そのあげく娘さんがあの山の崖から飛び降り自殺をした。それで息子さんは精神状態がおかしくなり後追い自殺をしたのではないかと」
 すると主人は笑いながら「よくできた話ですが、真っ赤な嘘です。どちらも自殺ではありません。そのことはこの町の人なら誰でも知っています。というか感づいています」
「自殺ではないと言うのなら、じゃあ他殺かね?」

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