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 やはりこの町のことを知るには、地元の図書館へいって郷土の資料を調べるのが一番である。どの図書館にも、たいてい郷土の資料コーナーを設けている。とくにこの町は、古くから港町として栄えた歴史があるわけだから、それ相当の資料があるはずだ。
 図書館へいって調べよう。柿ノ倉は急にわくわくしてきた。これほどわくわくしたのは、久しぶりのことだった。
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 図書館の二階の片隅がこの地方の資料コーナーになっていた。窓際に長椅子が置いてあり、そこに座って柿ノ倉は、書棚の書籍を、手当たり次第に読むことにした。またこのコーナーには、この町の航空写真も展示されていた。例の空穂坂の家を見ると何やら番号が付されていて、その番号の説明を読むと、かつての網元・空穂坂邸、と書かれていた。また、かつての網元はもう一軒あって、それは空穂坂邸とは正反対のところに位置していた。詳しく言えば町の東の外れに空穂坂の屋敷があり、西の外れの方に、もう一つの網元の屋敷があったのだ。ここもかなりの豪邸で、やはり庭に松の大木があった。この両家の松は、遠くの海からでも確認できた。一つの目印となっていたのだろう。そして、この二本の松が、まるで競い合っているかのように天に向かって伸びていたことから、柿ノ倉はこの両家がこの町の権力者で、ライバル関係にあったのではないだろうか、と推測した。因みに、もう一軒のかつての網元は、稲山田邸と書かれていた。
 後になって繊維産業が盛んとなったこの町も、それまでは漁業と海運業が主体であり、船乗りからは廓のある港町として、その名を知られていた。
 柿ノ倉は興味を増した。空穂坂、そして稲山田の名前が出てくる資料を片っ端から集めた。そうして分かったのは、柿ノ倉が先ほど推測したとおり、この両家はライバル関係にあり、昔から事あるごとに争い、些細なことで揉め事を起こしていたことだ。この町は両家を対極として、二分され町の人間はたいていどちらかに属していた。確かに内海という限られた漁場で、漁を生業とするならば、自然とそこに競争が生まれ、小さなことでも比較せざるを得ないのだろう。しかし、それは昔のことであり、今は世代も変わり、業種も違っているはずだ。かつての網元と記されているのが、その証拠である。

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 書棚を調べるうちに、柿ノ倉は、一冊の面白い本を見つけた。それは稲山田家の御子息(次男坊)が書いたエッセーだった。二十代の若者らしいが、稲山田家の成り立ちから、自分の今いる立場、日常の細々としたことが書かれていた。また同じ網元であった空穂坂家とはライバル関係にあり、それは今も続いているとしたうえで、面白いことに自分は空穂坂の娘に恋をして、恋愛関係にまで発展したと赤裸々に綴っていた。二人は学校の同級生だったようだ。誰が読んでもいいエッセーだから、あまり詳しいことは書いていなかったが、将来結婚を誓っていたようだった。ところが、ライバル関係にある両家の親が猛反対をして、二人は駆け落ち寸前にまでいった。結局、空穂坂の娘が飛び降り自殺をして、叶わぬ夢となったが、それ以降、自分は空穂坂家から恨まれ、また稲山田の家にも居づらくなり、裏山の高台にある稲山田の別宅で、一人世捨て人のように暮らしているという。このエッセーはその別宅で書いたらしく、自費出版をして町の図書館に寄贈したのだ。本に寄贈とハンコが押されていた。が、わざわざ自分の恥部を曝け出してまで図書館に寄贈したのには、何かわけがあったに違いないと、柿ノ倉は思った。そこで柿ノ倉は、再び推理を働かせた。━━━━この本には、稲山田の成り立ちや、かつての網元の暮らしぶりが紹介されていた。それは網元の子孫として、何も問題はない。問題なのは空穂坂の娘との色恋沙汰である。とくに娘の自殺は、醜聞以外の何ものでもないだろう。そしてそのことは、この町の人にとっては周知の事実だったに違いない。懺悔の気持ちがあったのかもしれない。後悔して、今は、修行僧のように一人で暮らしていますよ、ということを世間に知らせたかったのかもしれない。しかし、と柿ノ倉は考えた。空穂坂の娘は、ひょっとすると自殺ではなかったのではないだろうか。もちろん、根拠があるわけではない。それと、さっきから気になっていたのだが、稲山田家の裏山の高台というのは、つまり柿ノ倉の住む高台のことある。航空写真でそれと分かったのだが、では別宅というのはどこにあるのだろうか、柿ノ倉の住んでいる家以外は、まったく見当たらないのだ。そういえば、前に住んでいた人間が、やはり独身の若者だったが、もしかするとその若者が稲山田の息子だったのだろうか。世捨て人のように暮らしていたというのが、何となく当てはまるような感じがした。であれば、養蜂家組合の男が何か知っているかもしれない。あの男は、最初にこの家を訪れ蜜蜂の巣箱を置いていったのだ。その際、契約書にサインするわけだし、あの男が空穂坂の人間なら、知らないはずがない。もっとも単なる使用人であれば、知らないかもしれないが、あの釣り船との奇妙な交信は、どうも稲山田と何か関係がありそうな気が柿ノ倉はして仕方なかった。因みに、稲山田邸は、あの崖の斜め下にあるのだ。

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 改めて柿ノ倉は、このエッセーの書籍を点検してみた。つまり何年に制作されたものか、また印刷所はどこなのか。するとそれは五年ほど前に地元の印刷所で作られたものだった。最近では自分史というものが、ちょっとしたブームになっていて、また詩や小説を書く人も昔から一定数いる。そういう人たちは、自分の本を持つのが夢であり目標でもある。しかし、その夢を叶えるとしたら、まず都会にある著名な出版社だろう。少々高くついても、その方が知り合いに配るときに自慢になる。稲山田のような分限者が、金額に拘る必要はない。もっとも、息子がどれだけ余裕があったか知らないが、それでも、あえて地元の小さな印刷所に依頼したところをみると、どうも地元の人間に読ませるのが目的ではなかったのか、と思えてくる。実際、素人が書いたエッセーを図書館に寄贈するというのも、普通はありえない。図書館側で拒否する場合もあるだろう。いちいち市民の著作を展示していたら、書棚がいくらあっても足りなくなるからだ。ただ稲山田の場合は、この町の名家であり、網元の歴史及び暮らしぶりを事細かに書いていたことで、図書館側は地元の資料として、そのコーナーに展示したのであろう。しかし、いったい何を地元の人間に読ませる必要があったのか。網元の歴史などは、おそらく地元の小中学校で教えているはずである。この町の住人の大半が、空穂坂と稲山田のどちらかに属しているというのならば、一番知りたいのは空穂坂家の娘のことだ。自殺の真相である。だが、世間が自殺と認めていれば、あえてその真相を明かす必要もなく、反対に世間の多くが自殺ではなく他殺だと考えていれば、それを否定しなければならなくなる。そのためにエッセーを書き、図書館に寄贈したのではないだろうか。柿ノ倉は、一度そのことを地元の人間に聞いてみる必要があると思った。ただ柿ノ倉は、地元に知り合いを持たなかった。あのブルーベリーの青年は、海沿いではなく柿ノ倉のいる山を越えた裏側の人間であるから、おそらく海沿いのことはあまり詳しくはないだろう。また、例の養蜂家組合の男にたずねるのも、どうかと思った。なぜなら、どうもあの男は、稲山田と何か関係があるようで、聞けば、なぜ地元の者しか知らないことを知っているのかと、不審に思われるのがオチだからだ。しかし、それとなくほのめかすのなら、あの男は何か手掛かりになるようなことを、口に漏らすかもしれない。たとえば、この前のことだ。男が空穂坂邸へ入っていくのを見かけたと言えば、どのような反応を示すだろうか。柿ノ倉は、そのことを試してみようと思った。

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 家に戻った柿ノ倉は、散歩がてら早速あの養蜂家組合の青いテント小屋へと向かった。こちらから出掛けなければ、男がいつ我が家に来るか分からないのだ。しかし、残念ながら男はいなかった。確かに男がいつもそこにいるわけではないから、これは仕方なかった。で柿ノ倉は、いったん家に戻った。
 何度目かの散歩で、ようやく柿ノ倉は養蜂家組合の男を見つけた。崖の方に向かって男は背中を見せて歩いていた。後ろにいる柿ノ倉には、まったく気づいていないようだった。手に何か持っていた。それは懐中電灯ではなく、双眼鏡であることが分かった。男は崖に着くと、その双眼鏡で下界を眺め始めたが、その方向は海ではなく、町中であった。あの稲山田の屋敷がある方角だったが、このことから柿ノ倉は、養蜂家組合の男はやはり稲山田と何か関係があるに違いないと確信した。やがて男は、今度は上着のポケットから懐中電灯を取り出して、海に向かって合図を出した。海にはあの釣り船が待機していて、やはり同じように合図を送ってきた。
 交信が終わった頃、柿ノ倉は男に近づいた。男は驚いて振り返ったが、その驚き加減が尋常ではなかった。まるで犯罪行為を見られたかのように、しまったという感じで、口を開けて柿ノ倉を見たのだ。
「やあ、あなたでしたか。驚きましたよ」とやがて男は言った。
「私も驚いたよ。あなたが双眼鏡で、まるで探偵のようなことをしていたので──」
すると男は笑って、「探偵ですか。確かにそう思われても仕方ありません。しかし、こんな見晴らしのいいところですから、双眼鏡で眼下を眺めるのは不思議ではないでしょう。よく展望台には有料の望遠鏡があったりしますし。それと同じですよ」
「それにしては、ある屋敷をじっと眺めていたようだが……」
「はははっ」と男は笑ったが、返答はなかった。
「稲山田邸を見ていたようだが……」
 と言うと男は、とたんに怯えたような顔をした。
「ど、どうしてその名前をご存知なんですか?」
 そこで柿ノ倉は言った。
「じつはこの前、私はあなたが空穂坂という表札のある屋敷に入っていくのを偶然見かけてね。珍しい名前だし、立派な屋敷だったので、これはこの町の名家に違いないと、地元の図書館で調べたのだよ。いや別に悪気があってしたことではない。私は読書が好きで図書館にはよく出掛けるのだが、そのついでに郷土の資料コーナーで、その名前を探したのだ。

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 するとそのコーナーには、航空写真が展示してあって、あなたが入られた豪邸には、かつての網元・空穂坂邸と記されていた。網元はもう一軒あって、それが稲山田邸だったのだ。同じように大きな松の木があり、しかも空穂坂邸と同じくらいの豪邸で、これはきっとライバル関係にあると私は直感した。さらに調べると、その書棚に、同じ網元の稲山田家の青年が書いたエッセーがあった。読んでみると、これがなんと空穂坂家の娘さんのことが書いてあった。その娘さんは、このエッセーを書いた青年と恋仲にあり将来は結婚を誓っていたようだが、お互いの親から猛反対され、それで悲観して飛び降り自殺をしたと書いてあった。どこで飛び降りたかは書いていなかったがね……」
「この崖ですよ」と男は、吐き捨てるように言った。「ななみは殺されたのです。この崖から突き飛ばされたのです。奴が書いたエッセーはでたらめです。ななみは騙されたのです。奴はななみと結婚する気などなかったのです。それなのにななみと付き合い、そのあげく妊娠をして、困ったあげくに奴はこの崖からななみを突き落としたのです。夕闇の中で……」男は怒りにぶるぶる震えていた。
「よく知っているようだが、あなたとそのななみさんとは、どういう関係なのかね」
「妹ですよ。この近在の者は、誰もななみが自殺したとは思っていませんよ。実際奴がななみを突き落とすのを見た者もいるのです。しかし、それを公表することができず、こっそりわたくしの家に知らせてくれたのです。というのも稲山田はこの町の権力者ですから、報復を怖れたのでしょう。今でも町の役員をしています。先代から不動産業をやっていて、おそらくわたくしの家よりも羽振りはいいかもしれません」
「羽振りがいいと言えば、空穂坂邸も立派で、あなたがあそこの人間だとすれば、じゃああなたが養蜂家組合の発起人かね?」
「いえ、違います。発起人はわたくしの兄です。しかし、もうこれ以上は、何も話せません。あなたがすでに稲山田のことを知っていて、ななみのことを話したので、わたくしもつい余計なことをしゃべってしまいましたが──これはわたくしたちの問題ですから……」
 そう言うと、男は柿ノ倉の脇をすり抜けて、テント小屋の方に帰っていった。柿ノ倉はしばらくその崖にいて、稲山田邸を見下ろした。豪農のような立派な建物のその敷地内に、やはり空穂坂と同じように現代的な住宅が建っていたが、その壁に○○不動産と看板が掲げられていたのを見て、柿ノ倉はあれっと思った。柿ノ倉が高台の家を購入した不動産屋の名前だったからだ。と、その建物から一人のサングラスをした中年の男が現れた。恰幅のいい体格でスーツを着ていたこの男は、車庫に停めてある外車に乗り込むと、どこかへ出掛けていった。
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