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ショパンとオルヴィエートワイン

 

 

 


紀子と侑子

 私は、この物語を、ショパンのCDを聴きながら、オルヴィエート(Orvieto)ワインを、ほんの少しずつ舐めながら、書いてます。

 プロカニコ種と呼ばれるトレッビアーノ・トスカーノ種主体に、ヴエルデッロ、グレケット、マルヴアジア種などを加えて造られる辛口から甘口までの白ワイン。やや濃い麦藁色で上品な花の香りを含み、まろやかな味わいがある。

 

 なぜか、南会津の酒蔵で醸造される地酒、「花泉」を彷彿とさせる。

 

 

 

「あと何十年か、私が若かったら、多分私は、あなたにプロポーズしていたはずだ。いや、あの時、私は、きっとプロポーズしたはずだ。

あなたは、そのころどこにいたのかな。」

「私が生まれるのは、もっともっとずっと後のことです。まだ、私の父と母は結婚すらしておりません。

そのために、あなたにお目に掛ることできなかったのです。大変長らくお待たせして、申し訳ございません。・・・

『私は、確かにあなたに、プロポーズされました。しかも、私はそれを、お受けしました。』と、

母の紀子でしたら、多分、そうお答えしたでしょう。」

         一

 「私の母は、5年前に亡くなりましたが、私が上京してから、母はなんどか、私のアパートを訪れました。

そして、あなたのことは、寝物語に一度聞いておりました。

私はその瞬間、すべてを理解した。

 

「お母さんはどうして、・・・」

「乳がんでした。発見されたときは、もう肺やリンパ節に転移していて、手遅れでした。

 

 


侑子との出会い

十年位前、彼女は赤坂の私の店に、ピアノを探しに訪れた。

ドアが開き、彼女が入ってきた瞬間、この娘には、前に何度か出会ったことがあるような気がした。しかし、思い出せない。気のせいかとあきらめた。

 侑子は、何台かのアップライトを、弾き比べ、数時間後に、ドイツのベルリンで造られた、ベヒシュタインというメーカーの12nというモデルが気に入った。

  ベヒシュタインというピアノは、世界三大メーカーの一つに数えられ、透明感のある、美しい音色が特徴で、とても人気がある。

 ピアノ大国、ドイツを代表する名器だ。

 彼女は、契約書にサインをして、私に差し出した。

 「阿草…さん、阿草侑子さん、実家はどこですか。」

「広島県の尾道市です。」

「私の以前の、というより学生時代の知り合いの女性が阿草さんだった。同じ尾道の出身だった。」

「広島、というより尾道では、阿草という姓は多分は一番多い姓です。私が生まれ育った尾道市の郊外の集落は、ほとんどのお宅が阿草です。」

 瀬戸内海(対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる)に面し、古くから海運による物流の集散地として繁栄していた。明治時代には山陽鉄道が開通し鉄道と海運の接点ともなり、広島県東部(備後地方)で最大の都市となるが、昭和40年代初頭には福山市(工業都市化で急速に発展し旧城下町で平地に恵まれた)に中心地の座を明け渡した。ただし、現在も備後都市圏の有力都市のひとつとなっている。

 1999年(平成11年)5月のしまなみ海道開通によって四国の今治市と陸路で結ばれ、物流面での利便性が高まり、2015年(平成27年)3月には中国横断自動車道(尾道松江線)が全線開通し、「瀬戸内の十字路」として更なる利便性の向上が見込まれている。

「坂の街」「文学の街」「映画の街」として全国的に有名である。文学では林芙美子、志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表した。映画では小津安二郎監督の「東京物語」が尾道で撮影され、大林宣彦監督の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は『尾道三部作』として、若い世代にこの町を有名にした。

山間地域から沿岸地域、多くの島により、地域性豊かな農産物が多く栽培されている。わけぎ、いちじく、レモン、ネーブルオレンジは全国一の生産量を誇り、もも、ぶどう(デラウェア)、八朔、デコポン、みかん、串柿、すいか、葉たばこ、絹鞘エンドウなどの生産が盛んだ。

 

それから、私達は、どちらからともなく、電話やメールでやり取りし、時折、お昼を一緒に食べたり、たまには居酒屋に立ち寄ることもあった。

 

 

それから十年ほどして、侑子は、私の店に来ると、いつもとは違う思いつめた趣で「実は、」と前置きして、初めて私の赤坂の店を訪れた本当のいきさつを、漸く打ち明けてくれた。

「私は、ピアノを探していて、あなたの会社のホームぺージを何度も開いていました。

そのなかに、あなたのプロフィールを見つけて、運命的な衝撃を覚えました。

『あ、この人だ。』と、私は叫んでいたかもしれません。』

それほど私は、この発見に、胸を揺さぶられました。」

「・・・・・・・・・・・・・」

「私は、すぐにあなたにお会いしたいという気持ちもございました。

しかし、お会いして何をお話しすればよいのか、見当もつきまさせんでした。」

 

 

新宿通りから少し入ったいつものカフェには、込み合う昼食時を避けて、少し遅めのランチをとるために、この時間、よく立ち寄る。

、たまたま、私の新宿1丁目の店を、久しぶりに訪れた紀子を誘った。

 

私は、彼女に会うと、いま興味を持っていることなどを話す。

彼女に、いつも私のことを、知っていてほしいからだ。

 

「ここ数日、私は藤沢周平の原作の映画『たそがれ清兵衛』を繰り返し、繰り返し何度も観ている。」

あの映画は、藤沢の三作品、「たそがれ清兵衛」、「竹光始末」、「祝い人助八」を原作としている。

監督は山田洋二だ。

原作は何度も読んだが、低めの視点で下級武士のごくありふれた生活を描いた彼独自の武家ものと思っていた。

しかし、DVDで何度も観ているうちに、これは恋愛ものだったと思うようになった。

たぶん、「蝉しぐれ」が明らかな恋愛小説だったように、この「たそがれ清兵衛」も同じジャンルだ。

山田も、同じ視線で周平のこの作品を読んでいたのではないだろうか。

つまり、山田の演出は、今まで語られることなかった恋愛小説の大家として藤沢周平の新しい位置づけを示してくれたのだ。

事実、この映画の最大の見せ場であり、しかも最大の主題は、どう見てもあのエンディングの運命的なシーンであることは、誰にも異論はあるまい。

藩命により望まぬ討手の役目を果たし、傷つきながら帰宅した鄙びたあばら家の自宅に会津藩の武家にまもなく嫁ぐことが決まっている朋江が待っていたではないか。

清兵衛は、朋江の手をその両手で慈しむように包み取る。

朋江も同じように優しく握り返す。

「いがった。いがった」(よかった。よかった。)という、朋江の庄内弁が、それ以上、何も言うことがないほど、鮮烈に二人の心境を言い尽くしている。

私もそうだが、このシーンは誰もが、目頭を押さえるだけの、とても深い、しかも強い力を持ったものだ。

この演出は、山田がこの山場にこそ、すべてを集約させ、際立たせることにより、構想を練ってきたことをうかがわせる。

思い切り抱きしめるという演出も考えることできたろうに、山田の抑えに抑えた演出は清兵衛と朋江の心情をとてもとても大切に描きっている。

これこそまさに、ハリウッド映画にはない、日本映画のというよりも、山田映画の特筆すべき力量だ。

 

藤沢周平と山田洋二の世界は、まさにこのシーンを通して一つになった思う。

しかし、この最大の見せ所は、その前にすでに準備され、私も多分こうなるという確かな予感を抱いていた。

思い出して頂きたい。

激しい、決死の切り合いのシーンを挟んで、ますます濃密な愛情表現がより効果的に語られている。

あの、討手として余吾の屋敷に赴く直前、清兵衛の朋江への告白は、待ち受ける命を懸け決闘に向かう心境より、実直この上ない清兵衛にとっては、はるかに勇気が必要だったのではないかと思う。

私も、今あなたに話しおかないと、きっと消えてしまう思い出を、あなたに話しておこうと、思い始めている。

これは、私にとっては、とても勇気のいることだ。

私は今日こそは、あの頃の私と侑子の話をすべて話しておこうと決意した。

 そんな、遠くない時期に、いつか終わりを迎える私にとっては、青春時代の大切な思い出を誰かに伝えておきたかった。

 それに一番ふさわしいのは、今私の目の前にいる紀子の娘、侑子が一番ふさわしい。

 紀子は、私と侑子を会わせてくれたんだろうか。


この本の内容は以上です。


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