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寒い

 

   寒い        

                                      阿南 洸汰

                                  

 六畳一間の狭苦しい部屋の真ん中にどかりとこたつが置いてある。その周りには衣服やら何やらが散乱していた。薄汚れた青のどてらを着こんだ二十代前半くらいの女がそこで、つーつーと、やけに慎重にミカンの白い筋を取っている。その隣で同じようにこたつに入って、ばくりばくりと剥いたそばからみかんを食べる、これまた二十代前半ほどの男がいる。彼らの前にあるテレビはついてはいるが、虚しく騒がしいだけだった。

 「このみかん結構うまいな。良かったらいくつか持って帰ってくれないか、実家から山ほど送られてきたんだ」

 「んー」

 女は生返事をしてまだつーつーと、筋を取っていく。少女の髪は茶色に染まっていたが、もう頭頂部分がだいぶ黒くなってきている。どてらを着こんだ女は座りが悪いのか、頻繁に身をよじる。そのたびに彼女の短い髪が揺れ動いて、ちらり、ちらりと白い首筋がのぞいている。それを見た男は食べかけのみかんをうっちゃると、彼女の肩に手を置いた。テレビがどっと笑った。

 「もう、やめてよ」

 ぐいっと肩にかかった腕を振りほどくと、化粧をしていないせいで眉のないその顔を向けて、細い目で男を睨んだ。ぽってりとしている唇を変に尖がらせる。体を大きく動かしたせいか、服は乱れて、押さえつけられていた熱気が彼女から溢れる。男は引き下がらずに、それどころか余計興奮したようになって、半ば無理矢理に女を押し倒した。

 「ちょっと、やめてってば」

 そうはいいつつも、女は体をもぞもぞと動かすだけだった。男はさっと服を脱ぎ去る。その体は真っ白で、あばらが浮いている。女のどてらを布団のようにして、着ている服をたくし上げる。女の程よく脂肪の乗った体はじっとりと汗をかいていた。

「駄目だってば」

 もう一度、女は一応の抵抗をして、全てを相手に委ねる。それに男の荒かった息は少しだけ静まったが、結局は彼女の腹に自分の顔を押し付ける。ピクリと体を震わせた女は男の頭を抑える。男はそのまま女の下腹部へ顔を下ろしていった。

  

 女が乱れた髪を整えている。男はその背後で、ほとんど裸のままただぼんやりとしていた。

 「もう、いきなりこういうことするのやめてよ」

 女は口をまた変に尖らせるとそう咎めた。床に張り付いたようになっているどてらはぐしゃぐしゃになっている。テレビがまた笑う。

 「そうだ、あたし、明日は友達と飲みに行くから。男の子もいるけど別にいいでしょ。それからちゃんとバイト行きなさいよ」

 細い目をより細めて男を睨む。男はこくりと小さく頷くと、背中を向けている女に近づいて、着なおした女の服の中に手を入れる。女はまた手を退けようとしたが、その体に力は入っていないようだった。

 

 ピロピロピロピローン

 「いらっしゃいませー」

 コンビニに二人連れの女子高生が入ってくると、はしゃぎながらお菓子コーナーに直行していった。ちらちらとレジの男の方へ目を向けて、何かささやきあってキャッキャッとしているようだったが、男は男でずっと眠そうな目をして突っ立ったままだった。

 「ちょっと、山田君、山田君。君かな、トイレの掃除したの」

 小太りで、男よりもだいぶ背の小さい、眼鏡をかけた中年の男性が彼にそう訊ねる。どこか追い詰められたように目がきょろきょろとさせて、せわしなく動かす手が鬱陶しい。

 「いや、今日は僕の当番じゃないですよ」

 「僕の当番じゃないですよ、じゃないでしょ。ちょっと来てくれる」

 小馬鹿にしたように男の口真似をした中年の男はそこで一回、女子高生の方へ目線を向ける。

 「え、そしたらレジ誰もいなくなりますよ。いいんですか」

 「そんなのはいいの。いいの。いいから、早く来てよ。まったく君は屁理屈ばっかり言って」

 顔を赤くした男に随って、男はトイレについていった。放って置かれたレジには先ほど女子高生の笑い声が響いた。

 「ほら、見てよこれ、すごい汚れてるし、トイレットペーパーも補充していないじゃないか。こういう風にしてるから君は駄目なんだよ。良い、仕事ってね、こういう細かいところが一番大切なの。わかるでしょ。それとも僕はなんか間違ったこと言っているかな。どうなの」

 ところどころに奇妙に抑揚をつけて中年の男は粘つくような叱責をする。トイレには確かにトイレットペーパーはなく、誰かがはずしてしまったのだろうか、床がびたびたになっていた。男は怒るでも、憤るでもなくただ面倒くさそうに

 「はぁ」

 と、気の抜けた返事をした。

 「はぁ、じゃないでしょ。さっさとここ掃除してくれる。それに君いくつになったのこんなことも気が付かないようじゃね、これから先大変だよ。大体大学出てるか知らないけどね、こんなのは常識だから、ちゃんとやってくれないと困るよ。まったく、君は一体何を学んできたんでしょうね。それから―」

 そこまで言いかけたところでレジから「すいませーん」と、呼ぶ声がする。その中年の男は「はーいっ」と、うって変わって元気な返事をしてから「まったくなんで誰もレジにいないんだよ。じゃあこれしっかりやっておいてね、ちゃんとしてよ」と、ぶつぶつ漏らして小走りしていった。

 男はどこまでも面倒そうに掃除用具を引きずってくると、ごしごしとトイレにブラシをかけ始めた。

 

「お疲れ様です」

 男はかすかにそう挨拶をしてコンビニから出る。すると、先ほど彼にトイレ掃除を命じた中年の男が声を掛けた。

 「ちょっと、ちょっと、まだ帰らないで。山田君こっち来てくれる」

 レジに人が並んでいるにも関わらず、中年の男はわざわざコンビニの外まで出てきて、唇を震わせ、手をくいくいと動かしている。男は重い足取りでコンビニに戻って行った。

 コンビニの裏にある狭苦しく、雑然とした場所で、粗末な椅子に腰かけて向き合う。脂ぎり、てかてかした顔をした中年の男は座るとそのでっぷりとした腹がより強調される。くたびれた服を着て彼の前にちょこんと座った男は顔を前に向けずに、ずっと俯いていた。

 「なんていうかさ、君この仕事舐めてるでしょ。バイトだからってさ、手を抜いていいわけじゃないんだよ。こっちだって給料を払っているわけだから。せめてその分くらいはねぇ。それに今日トイレ掃除している間にも誰も代わりにレジに入ってなかったじゃない。そういう所が舐めてるよね。それに君全然誰とも仲良くしようとしないじゃないの。確かにいい大学は出てるかもしれないけど、やっぱりそういうところができないのはバカだからかな。ほんとに役に立たないよね。君。……聞いてるの」

 一息にそう言い切ってから勝ち誇ったように男の顔を覗き込む。

 「はぁ。そうですか」

 しかし、恐らく中年の男の思惑とは違って、男はそう手応えのない返事しかしなかった。中年の男の顔はより赤くなった。そんなときに、急に声を掛けられる。

 「あれ、店長何やってんすか。あー、また山田さんのこと叱ってるんすか。しかたないっすね、山田さんも」

 へらへらとした笑みを浮かべた長身の痩せた男がそう言うと、嘘のように中年の男はにっこりとして立ち上がった。

 「ああ、鈴木君。いやー参ったよ。この子にはさ。それにしても君はよく働くよね。今日もよろしく頼むよ」

 「余裕っすよって言いたい所なんすけど、ちょっとレジ手伝ってもらっていいすか。俺トイレ掃除しないといけないんで」

 「ああ、いいよ、いいよ。僕がトイレは掃除しておくから。君はレジ打っててくれる。この仕事は接客が一番大事だからね。そうだ、それよりこの間、一緒に行ったカラオケ楽しかったねぇ」

 そこで一度男の方へじろりと目を向けた。男はずっと下を向いたままで頭頂部しか見えない。

 「ああ、結構よかったっすよね。店長結構歌うまいんすね。俺の彼女もびっくりしてましたよ。また今度行きましょうよ」

 「そんなこと言って、また僕におごらせるつもりだろう」

 「はははっ、そんなことないっすよ」

 中年の男はいっそう笑みを深めると、そのままトイレに向かおうとした。そこで、気が付いたように振り返って、

 「ああ、もういいや、山田君。さっさと帰ってね。いても残業代とかでないから」

 「はぁ」

 男の返事などもう誰も聞いていなかった。男は立ち上がって、この雑然とした部屋から出て行った。店は繁盛していて、とても忙しそうだった。

 

 きらきらと光るネオンをすいすいと後ろに流して、男は歩いている。道々にある居酒屋や飯屋からは白い煙とともに良い匂いが漏れ出ていた。

 角をいくつか曲がって、ホテル街に差し掛かった。一人ぼっちの男の足取りは特に早くもならず、遅くもならない。男以外の誰も彼も浮かれたように手を繋いで歩いていて、一人だけなのは彼だけだった。その道の終わり当たりのホテルから、男女が寄り添いあって出てくると、一人ぼっちの男の方へと向かってきた。ひっしと体を寄せ合った彼らのうちの女が、歩いている男に気が付くと意味ありげに顔を伏せた。頭頂部の黒いところはもうしっかりと染まっている。腕を掴まれた男の方は特段変わった様子はなかった。ただ、へらへらと体を預ける女に満足しているようだった。一人ぼっちの男はそのままの歩調で二人の隣を通り過ぎると、そのままホテル街を出て行った。女は何度もちらちらと振り向いたが、しなだれかかったままだった。

 

 六畳一間でこたつに入った男が薄汚れた青いどてらを着こんでみかんを食べている。こたつの周りには相変わらず物が散乱している。テレビからは騒がしい音が聞こえて、それが時折、爆発したように笑っている。

 がちゃがちゃと鍵を開ける音がする。男はこたつから出ようとせずに、剥いたみかんをはしから無造作に口に放り込んでいる。

 「……。居たの……」

 「……」

 「今日はバイトだと思ってた」

 「……」

 「荷物取りに来ただけだから……」

 そして、がさがさと部屋の中のものをひったくっては大きな鞄に詰めていく。その間、男の携帯電話がヴーヴーと何度も震えていた。男はそれを無視して、ずっとこたつから出ずにテレビに目を向けていた。どっとまた爆発したようにテレビが笑った。

 「……鍵、置いていくから。……、あっ、みかん……。いや、ごめん……。じゃ……」

 そうして、女が出ていった。扉を開いた時に、外の空気が一気に暖かい部屋に入ってくる。それからかちりと扉をしっかりと閉まった。鍵をかける音はしなかった。カンカンカンと鉄の階段の響きが鋭く響いては消えていった。まだテレビはついているが笑い声は聞こえない。しっかりと扉は閉められたはずなのにビュービューと風の音がした。男はずっとこたつに入ったままで、ほんの少しだけ身を縮こまらせると、目の前のみかんの筋をとても慎重につーつーと、取っていた。

 

                                    終わり

 


奥付


寒い


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著者 : 阿南洸汰
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謝辞 この度は「寒い」をお読み頂き誠にありがとうございました。1430円(税込み)の有料本になりますが、「少年少女とはらわた 少年少女編」、「少年少女とはらわた はらわた編」もお読みいただけましたら光栄です。

阿南 洸汰

 


この本の内容は以上です。


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