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目次

<目次>

 

 (1) 日本人がものを綴るにはそれなりのわけがある

 

 (2) 意地を通せば窮屈だと古人も言っています

 

 (3) それでもあなたは私のこと<象牙の塔>というの?

 

 (4) 貫く「棒」とはなんぞや

 

 (5) 不思議な電話不思議な男


(1) 日本人がものを綴るにはそれなりのわけがある

 

 アメリカが、太平洋を舞台に、日本と戦争をしていた時、アメリカ軍は強固に抵抗する日本兵に立ち向かい、やっとの思いで上陸したその浜辺で、まず行ったことがあります。

 

 それは、波打ち際で抵抗し、勇敢に戦い、戦死した日本兵の胸ポケットから手帳を取り出すことでした。

 

 アメリカ軍には、日本語に堪能な兵士が伴われていました。

 自国の兵士の犠牲を最小限に抑えるため、日本兵の胸ポケットに入っている手帳から情報を引き出し、分析し、島の占領を効果的に行うためです。

 

 日本兵の多くが、各人に与えられた軍人手帳なるものに、鉛筆で、私的なこと、あるいは、上官の命令、挙句には、司令部の位置、味方の配置など几帳面に書き留めていたからだというのです。

 家族や子供たちを思って綴られた言葉に涙する米兵もいたと言います。

   しかし、涙する暇もなく、島を占領するために、日本兵が綴った軍の動向は、アメリカ軍の戦い方を有利な方向に、少なからず導いたというのですから、驚きです。

 

 私的なこと以外に、軍の動向をこと細かく綴っている軍隊など歴史上稀に見る出来事であったのではないかと思っているのです。

 そんなことを聞かされると、日本人は、よほど物を書くことが好きな民族であるようだと今更のように納得するのです。

 

 9世紀に著された『入唐求法巡礼行記』は、最後の遣唐使として、唐に渡った円仁という僧が認めた記録です。

 遣唐船の出発地や航路、また、唐の武宗の廃仏行為といった歴史的事項が記載されている貴重な歴史的資料にもなっているのです。

 

 平安時代には、天皇のお側に仕える貴族たちが、『実記(じっき)』として、宮中における出来事を忠実に記載していました。

 やがて、自分の身辺に起こる出来事も記載するようになり、『実記』がなまって『日記』になっていったといいます。

 これらの『実記』は、男性が漢文で書くというのが一般的でしたが、「男もすなるにきというものを女もしてみむとてするなり」との一文で始まる『土佐日記』が綴られます。

 女に仮託して書くのですから、文体は漢文からひらがなを使った和文になります。

 以後、『蜻蛉日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更級日記』『十六夜日記』と、宮中に暮らす女官たちの日記が綴られ、一大ブームが京の都の上流社会で起こるのです。

 

 妻問婚という制度のある世の中を妻の立場から疎ましく思う心理を綴った『蜻蛉日記』。

 宮中の女房たち、それも和泉式部や清少納言を辛辣に批評した『紫式部日記』。 

 夫がありながら他の男性を愛してしまうという今時、いや昔からその手の話はあったことを示してくれる『和泉式部日記』。

 また、源氏物語に憧れ、平凡な結婚生活から孤独な老境、そして、仏教に帰依するまでを綴った『更級日記』は、平安期のある女の一生を生々しく伝えてくれます。

 

 まだ、世の中には発掘されていない<日記文学>もきっとあるはずです。

 

 近代では永井荷風の『断腸亭日乗』が印象深くあります。

 彼をして、昭和20年3月10日の東京大空襲を記録するために、この一冊子があると言わしめたものです。

 

 今、ネットを見れば、それらの『にき』が氾濫しているといっても過言ではありません。

 私の『つくばの街であれこれ』も、それに近いものであると思っています。

 

 でも、なぜ、そうまでして綴るのかということです。

 何かを書きたい、書かないと落ち着かないという理由では、適切な根拠とは言えません。

 きっと日本人の中に、今ある心境を文章にして残そうという遺伝子があるようにしか思えないのです。

 

 ものを書くには、文字が書けること、文章を綴る力がなければなりません。

 そして、その力は、実は、当たり前のことではないのです。

 基本的な教育の力がないと、そして、それを学びたいという意欲がないと身につかないものなのです。

 私のような世代では、一つ上の世代の、ろくに学校にも行けなかった人たちが難しい漢字を書けたり、故事成語を知っていたりすることに驚かされますが、それはひと世代前の人々に、貧しくて学校には行けないけれど、ものを知りたいという意欲が強くあったことを示して余りあるものがあると思っているのです。

 

 また、ものを書くには、それだけで可能とするものではありません。

 何かを感じる力、目の先のことをなんとかしたいという思いがなくてはなりません。そして、何よりもこれから何かが起こる、あるいは、起こさせるという予測可能な力がないといけないと思うのです。

 言うなれば、「展望」という魅力ある展開を予想する力です。

 

 兵士たちは、生きてきたという思いを書き残すことで、誰に託すということもない展望を一冊の手帳に書き残したのです。

 平安の女性たちもまた、今ある状況を綴りながら、もっと良い時代のありよう、女性のあり方を示してきたのです。

 荷風もまた、東京という巨大な街が燃え盛り、その中で自らがフランスやアメリカで買い求めてきた書籍が燃えていくのを見つめながら、新たな創造的な作品をものする気持ちを燃やしたに違いないのです。

 

 ネットを使って、多くの日本人がものを綴る背景には、そうした「文化」、ものを綴り、現状を伝え、各人の未来へ向けての展望がそこにあると思わねばならないのです。

 


(2) 意地を通せば窮屈だと古人も言っています

 

 新聞紙を持って、縦に切り裂くと綺麗に切れます。しかし、それを横に裂こうとすると、どうもうまくいきません。

 そんなことわかっているのに、片付けなどでものを包むのに新聞紙を使う時、新聞紙を横に引き裂き、やってしまったと口惜しく思うことがあります。

 当たり前のことですが、それは新聞紙を作っている繊維がなせる技です。

 新聞紙を製造する際に、漉き目を縦に通しているからです。

 だから、縦には切り裂きやすいけれど、横には破りにくいと言うことになるのです。

 

 そんなことから『横紙破り』と言う言葉が生まれてきたようです。

 

 もっとも、多くの現代人には、あまりなじみのない言葉ではあるようです。

 でも、『横車を押す』といえば、何度かは聞いたことがあるかと思います。

 車は、当たり前のことですが前後に動くものです。それを横に押そうとしても容易ではないことから、あえて無理なことを押し通そうとすることをそう言うのです。

 

 『横紙破り』と言うのも、同じ意味で、実は使われている言葉なのです。

 

 辞書を見ますと、<慣例に反して、あるいは、無視して、自分のしたい事を無理にもすること。我を通すこと。そういう性質の人。>とありました。

 

 実は、私、この『横紙破り』の典型的な具体例を知っているのです。

 

 これは私の知人のことなのですが、そいつは、私と同じ教師でした。

 大体は、教師というのはのほほんとして、かつまた、広く物事を受け入れることのできる人が多いのですが、彼はそうではない面を持つ異色の教師であったというわけです。

 例えば、悪さをした生徒に対しては、相手が子供であるにも関わらず、大人と同じように責任を求めて行くのです。だから、彼は生徒指導の怖い先生、融通のきかない先生ということで通っていたのです。

 その彼の娘が年頃になり、好きな男を連れてきました。結婚をするという話まではいっていなくて、単に、男友達というくらいであったということでした。

 ところが、それが彼には気に入らなかったのです。男友達を家に連れて来るなんてとボソッと彼が言ったことを私は覚えています。

 親に隠れて、他所で逢っているより、家に連れてきて友達付き合いするんだから余程いいだろうと彼に言うと、彼は一瞬目を光らせはしましたが、納得できないという風に憮然としていました。その後、彼の娘は結婚してもいいと言う相手を連れてきたのですが、彼はボロクソにその彼を罵倒したといいます。髪の毛のありよう、服装、言葉遣い、ありとあらゆる点で、難癖をつけたといいますから驚きです。

 娘さんには、かわいそうなことに、結局は、その男性とは結婚に至らなかったと言うのです。

 こういうことをする彼のような人間を、『横紙破り』というのです。

 娘さんからすれば、何と言う親父だと、どうしてどこまで横紙破りをするのかと呆れたことだろうと思います。その娘さん、いま、親元を離れ、シドニーで暮らしているといいます。

 私の知人も私と同じくらいの年齢ですから、きっと寂しい思いをしているのではないかと案じているのです。

 

 でも、私、最近、この『横紙破り』の人が多いなと思っているのです。

 

 社会生活というのは、ひとりの人間の<我>を通せるほど悠長なものではありません。

 歴史的な変遷を振り返れば、例えば王様のように<我>を通して、好き勝手にやっていた時代があり、それは困ったことであると人々が立ち上がり、ルールを決めて、すなわち、慣習を作り、円滑に、圧倒的多数の人が心地よく過ごせる社会を作ろうとしてきて、今があると言えるのです。

 それが今の民主主義を基調にする社会のありようだと思うのです。

 

 ところが、その社会のあり方に、あえて抗する人々がちょくちょく見てとれるのです。

 しかも、その行いが、「信念」という美名のもとになされるのですから困ったことだと思っているのです。

 

 私も「信念」という言葉を多く使いますが、相手の立場を無視したり、相手の利益を侵害したりすること、ましてや、「信念」を高々と掲げて民事裁判で慰謝料を請求したりすることなどは、それは「信念」の履き違えだと思っていますから、その分、幾分腹立しい思いもしているのです。

 

 例えば、相撲界の出来事、いろいろな意見が新聞を賑わしていますが、あの親方など『横紙破り』の最たるものであると思っているのです。

 ですから、協会がこの親方を処分したことは当然であると思っている一人であるのです。

 

 また、公用車で子供を幼稚園に送り迎えしたり、幼子を議会に連れてきたりとすることも『横紙破り』の典型であると思うのです。

 しかし、これらの行為は、もしかしたら、良い見方をすれば、<一石を投じる>という側面も持っているかもしれないと思っているのです。

 

 よその国では、昼間の仕事が終わってから、議員が集まって、夜、議会を開くというところもあるといいますから、女性議員が子育てをしながら、議員として仕事をすることが普通になれば、子供を議場に連れてくる、あるいは、併設された育児室に預けるということも当たり前になるはずです。

 そうしたことを考えれば、今は『横紙破り』であるかもしれませんが、時代が進めばそれはそうではなくなる可能性があるというわけです。

 

 ま、こういうのもなんですが、あえて、破りにくい方向で新聞紙を破ることなどしないほうがいいと思うのです。

 一石を投じるにも、大きな石で荒波を立てるよりは、順序立てて、話をし、皆に意見を述べて、判断をしてもらい、多くの人がそうだとなれば、それが一番いいわけです。

 そんなふうに考えると『横紙破り』というのは、無理に、強引に、有無も言わせずに、ことを図るということになるのですから、良いわけがありません。

 

 私の知人のように、娘に逃げられるのがせいぜいです。

 少し、頭を使って、『横紙破り』のないようにしていかなくてはと思っているのです。

 

 漱石先生は、『草枕』の冒頭で、「意地を通せば窮屈だ」と言っているではないですか。

 


(3) それでもあなたは私のこと<象牙の塔>というの?

 

 成人式の日、東京に出かける用事があったので、車でつくばの駅まで送ってもらいました。

 途中、筑波大学の構内を通過して駅まで行くのですが、あちらこちらに受験生向けの案内表示が出ていました。

 

 そうか、まもなく、センター試験だと思いながら、そこを通過していったのです。

 

 大阪大学で三十人の合格通知が発せられたというニュースが流されていたのはその頃のことでした。

 最初、随分早い入試があるものだと怪訝に思っていたところ、そうではなくて、昨年の試験での判定ミスから合格通知が送られてきたというのですから呆れてしまいます。

 

 なんでも、出題された物理の問題で、正解となる解答が複数出てしまうという、そんなことが原因であったというのです。

 外部からの指摘があったと言いますから、おそらく、予備校の優れた講師陣がその問題を吟味検討の上、問い合わせをしていたということでしょう。

 大学も、素直に、それを認め、すぐに手を打って入れば、問題もさほど大きくならずに済んでいたのでしょうが、それができないところに、根本的な問題があったようです。

 

 19世紀のフランスに、サント・ブーブという評論人がいました。

 詩人のビニーと論争した時、芸術至上主義を声高に述べるビニーに対して、あまりに現実とかけ離れていることを批判するために、あなたはまるで「象牙の塔(le tour d’ivoire)」のようだという言葉を用いました。

 まさに、世の中の現実とはあまりにかけ離れたあり方で、大阪大学は<象牙の塔>と言われても致し方ありません。

 

 ちょっと、話は変わりますが、MLBでビデオ判定が取り入れられ、最初は、ゲームの流れを阻害するのではないかと心配もしていたのですが、最近は、際どいプレーの判定が、監督の要請でビデオで再確認されると、テレビでは何度も何度もそのシーンが、しかも、あらゆる角度から示されて、審判の判定通りだとか、いや、これは違うと、結構楽しみな時間になってきたのですから、不思議に思います。

 

 変な話ですけれども、入試でも、そのようなことが行われるといいのではないかと思っているのです。 

 

 私も、私学の教師でしたから、入試の時期というのは神経をとても使います。

 まだ、小学生や中学生が必死の思いで受験に臨むわけです。いい加減にしていいわけがありません。でも、同時に、こちらの不手際がことさら強調されることもふせがなくてはなりません。例えば、どの教室も同じようにエアコンがかかるように、また、監督者が発する言葉が一言一句すべて同じようになるようにとか、誰もが起立して適切に監督に当たるというようなことです。

 

 こちらの教室は寒くて、あちらは暑すぎるでは、不公平というわけです。

 また、監督の教師が必要以上に机間巡視するのもいけません。

 すべて、同じでなければいけないのです。

 

 でも、ただ一つだけ、目隠しをする箇所があります。

 それが、採点です。

 

 公開は決してしません。採点に関わった教師にも余計なことを言わないように箝口令をだします。まさに、密室で、密かに、採点作業、集計作業はなされるのです。

 

 だからと言って、不正をしているわけではありません。

 

 試験の公平を保つための策であるのです。

 採点者が一人の受験生の採点を故意に変えることのないよう、複数の眼で採点をして行く、採点結果を個別および順位順に正確に作り上げるだけのことです。そのための環境が、非公開、密室、つまり、緊張感と雑念が排除された中での作業となるのです。

 

 しかし、こうもだらしない大学のあり方が出てくると、MLBのようにビデオカメラを採点室に設置して、受験生に公開し、さらには、出題された問題に対する外部の意見とそれに対する回答を一般公開するということも必要かと思ってしまうのです。

 

 でも、よくよく考えてみますと、試験というもの自体に、徹底した公平性を求めるというのは難しいようにも思えるのです。

 

 いつだったか、「ケンブリッジ大学の入学試験」という番組を教育テレビで見たことがあります。その学生の基礎学力は別の方法で図っていますから、ここでの試験は、大学が必要とする学生なのか、大学で教える先生がその学生と一緒に学問研究に当たることができるのかという査定をする、そんな試験であったと思います。

 ですから、たった一回ではなく、数回に分けて、非常にリラックスした環境でなされていました。

 学生も、足を組んでいますし、先生は、まるで大学の授業のような、かなり専門的なことを聞いてくるのです。この学生は天文学を学びたい学生で、彼も相当な知識をすでに持っていますから、傍目から見ると、これが受験であるとは到底思いえなかったことを思い出します。

 まさに、時間と労力をかけて、生徒を選抜し、選抜した以上責任を持って指導し、学生は責任を持って指導を受けるのです。

 この番組を見て、試験というのは公平性ではなく、ともに、研究活動ができるかいなか、この学生がケンブリッジの名に恥じることのない研究成果を挙げられるか、そこに重きが置かれているように思ったのです。

 

 日本では、2020年度から、「新テスト」が採用されます。これまでのマーク形式一辺倒から記述式問題が登場するようになるのです。もちろん、そのあとの個別試験でも「考える力」が重視されることになります。

 つまり、採点に一律制を求めるのが難しくなるということです。

 

 ですから、関係者はやきもきしていると思います。

 まして、合格を請け負う予備校では、大学側の対応についてこれまで以上に厳しい視線を送るはずです。

 人口も減少する日本ですから、今回の試験改革を端緒にして、ケンブリッジ大学が行なっているような、大学の好みで学生を選ぶ、学生もまた、自分のやりたい研究学問ができる大学を選べるそんな試験ができるようになればと考えるのです。

 

 こんな悠長なことを書いていると、それこそ、現実とかけ離れている考えであると批判をされてしまいそうです。

 お前さんこそ、<象牙の塔>だと、日本の確立された偏差値教育をぶっ潰すなど、大学も予備校も考えてはいやしない、ばかなことを言いなさんなと。

 

 そうかなぁ、たくさんの日本の子供が、あの化け物の数値で悔しい思いをしているんだけどな。

 

 数値だけに頼ってしまうと、この国の教育はおかしなことになってしまうと思っているんだけど、それでもあなたは私のこと<象牙の塔>というの?

 


(4) 貫く「棒」とはなんぞや

 

 大岡信が、「快作にして怪作というべきか」と評した一句があります。

 

  こぞことし 貫く棒の 如きもの

 

 これは、虚子七十六歳、昭和25年の作の句です。

 まだ、私の生まれていない時代のこの一句を知ったのは、私が国語教師で、この句が教科書に載っていたからであり、それを教材として教えるにあたり、大岡信の評を参考にしたのです。

 このような句は、実は、中国文学を勉強してきて、国語教師になった私にとっては、実に厄介なもので、ずいぶんと勉強をしなくてはならなかったものの一つであったのです。

 

 大岡はさらに綴っています。

 季語は、「去年今年」。

 去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いを詠じていると。

 

 もちろん、教壇に立って、生徒に教授するに十分な解説への参考になる一文ではありました。

 季語を明示し、そこに謳われている思いが通じれば、それで解説は終わりです。

 

 でも、中国文学を専攻してきた者にとって、不安は尽きません。

 生徒は何を言ってくるかわからないからです。

 日本文学への造詣深からざらもののこれは宿命みたいなものです。

 

 この句にある、その「棒なるもの」とはなんぞやと問われた場合、いかに答えるべきか、それを準備しておかなくてはなりません。

 実際、私にも、その「棒」がなんなのか、疑念が沸き起こっていたのです。

 

 「棒」という言葉で、即、思いつくのは、「犬も歩けば棒に当たる」「針小棒大」「箸にも棒にもかからない」と、一応は出てくるのですが、どれもしっくりとはいきません。

 せいぜい、「犬も歩けば棒に当たる」の「棒」が「災難」を意味していることくらいに注目がいくだけです。

 

 しかし、虚子のこの句にある「棒」を「災難」とするには、少々、難があります。

 また、不都合でもあります。

 年がら年中、災難ばかりで頭を巡らせているというのでは困りものです。そんなことを学校で教えるというのも問題です。

 

 あの当時のことですから、ネットではなく、辞書の付録としてついてきた『名句名詩解説』なる冊子の索引を見て調査を続けます。

 そうすると、与謝蕪村の句に、次のようなものがありました。

 

 年守や 乾鮭の太刀 鱈の棒

 

 しかも、同じように、年の境目に読んでいる句です。

 「年守」とは、大晦日に家族が集まって寝ることなく新年を迎えることを意味します。

 「乾鮭の太刀」とは、遡上してきた鮭を丸ごと一匹、腹を割いて内臓を取り出し、寒風にさらす新潟あたりでよく作られる鮭で、その形が太刀のようであったということです。

 「鱈の棒」とは、アメ横や築地へ行けば、あれが「棒だら」かとわかるのですが、近所のスーパーあたりでは、それを割いて、小さくして売っているので、そのイメージはそうそう簡単にわかないと思います。

 

 でも、イメージとしては生徒に教えても問題はなさそうです。

 で、虚子の「棒」が、干し鱈ということになると、どうも、それも違うような、いや、大先輩の蕪村の句をイメージして、いうならば、それを<本歌取り>みたいにして歌ったと言っても問題はなさそうです。

 しかし、それにしても無理があります。

 かえって、虚子の句を貶めかねません。

 無知無能、卑しき限りの句なりと言ってしまうようなものです。

 

 ということは、もっと単純に、「棒」というのは、信念とか、生きるための固く誓ったありようとか、そんなものを指していると考えた方がいいのではないかとも思うのですが、それなら、もうちょっと言い方もあったのではないかと、それを「棒」としたことに関する答えにはならないのだと思ったのです。

 

 そうそう、大岡信が、「快作にして怪作というべきか」と述べていたことも気になります。

 素晴らしい作品であるが、怪しい作でもあるというのです。

 

 あの時、教壇に立つ前、若き日の教師であった私は、棒を喉につかえさせたまま、この「怪作」を生徒の前で講義したのです。 

 実にありきたりの、表面を撫でただけのつまらない講義でした。

 心配していた生徒の質問もありませんでした。テストでは、季語を問わせる問題をだし、多くが正解ということもはっきりと覚えています。

 

 しかし、あれから幾度かの新年を迎えても、私の喉にはあの「棒」が突き刺さったままであるのです。

 

 あの虚子の句は、もしかしたら、なんの意味もなく、奇を衒うかたちで虚子が残したものではないか。

 さほどのことでもないことに、幾人か、幾十人、幾百人と迷わせるために図ったものであると。そうであるならば、それはそれですごい作品でもあると思うのです。

 

 今年も、私は、あの「棒」を喉元に刺したまま、「こぞことし貫く棒の如きもの」と唱えるばかりなのです。

 



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