目次
はじめに
毒親は子どもの幸せ吸い取り機
愛のない親は大切にしてはいけない
毒親が子どもを精神的なゴミ置き場にする理由
自分の心が「毒親」と判定すれば100%毒親で良い
毒親を相手にできる時間は0.1秒もない
親への激しい憎悪を否定してはいけない
なぜ毒親は子どもをバカにしたいのか?
親を「殺したい」と思ったとき、どうするのか?
親を責めたい子どもの気持ちは愛の権利
毒親に愛を求めてはいけない
子どもを愛せないのは100%親の責任
毒親を怨む気持ちは当たり前
息苦しい人間関係の原因は親からの劣等感
毒親は不幸の発見器
他人の「親を許しなさい!」は無視
「どうせ親は捨てられない」と子どもをなめる毒親
毒親の人生を背負うと不幸になる
毒親を守る世間は敵で良い
なぜ毒親は幸せになれないのか?
どうすれば子どもは毒親にならないのか?
毒親から仕返しされたときの正しい対処
弱く愛のある子どもを狙う毒親
毒親育ちは「なにもかも上手くいかない」が当たり前
毒親問題で疲れきった子どもは早く死ぬ
子どもは何一つ悪くない
毒親は捨てなければならない
毒親は絶対に責任をとらない
毒親の末路
毒親との正しい戦い方
親に奪われた自尊心を取りもどす
なぜ子どもは毒親が幼児だと気づけないのか?
教育ママ的な毒親の末路
親は好きにならなくて良い
「私なんて生きていても意味がない」は毒親の洗脳
毒親から奪われた「心のよりどころ」のつくりかた
毒親は魂の犯罪者
親の呪いから覚める前に死んではいけない。
血縁関係に執着して不幸になる毒親
毒親は誰よりも弱い存在
毒親はあなたを見ていない
毒親とつきあう必要はない
毒親に期待してはいけない
毒親と縁が切れると幸せな人と縁がつながる
孤独になる決意が毒親問題を解決させる
親から愛されなかった寂しさは宝に変えられる
毒親がすぐ感情的になる理由
親からの「良い子評価」はいらない
毒親との戦いのあとは人間関係が楽になる
なぜ毒親と戦わなければならないのか?
毒親が世界を地獄にしている
あとがき
奥付
プロフィール
奥付

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はじめに

毒親の定義は魂を失った人。そう私は判断しています。

 

なぜなら毒親は子どもに無関心な自分の心理に気づきたくないからです。

気づかないのではありません。「気づきたくない」のです。

 

気づきたくない心理は愚かな欲から生まれています。

 

毒親は決して認めませんが人生を愛ではなく、恐れ一色の生活をおくっています。

 

また子どもに無関心な自分を見つめる行為は、同時に等身大のあるがままの自分を見つめる作業になるため毒親はさけます。なぜなら、そのままの自分を見つめること以上に恐れを感じさせる心理は存在しないからです。

 

毒親は心の奥では力のない自分を知っており、感じています。

本当は非常に非力な存在なのです。

 

 

どんなにあなたの前で強がっていても、本当は恐れで泣いているのです。

 

子どもを愛していない事実に背をむけて、自身の未熟さをいなおって今日も生きている人。それが毒親です。

 

子どもを愛するとは自分の未熟さを認めて、向上する意思をもち心の成長をうながす毎日をおくることで手に入る結果です。しかし心が成長・成熟しない人は、自分も大切な家族さえも愛することは100%できません。愛がない人は物事にたいする客観性を完全に失っており、主観的のみの自己を肯定し感情(快・不快)ですべてを意思決定するからです。

 

心の成熟がない人は、自分の器が脅かされる問題がおきたとき「それが真実であっても認めたくない」という幼児性を発揮します。この人間性をもっている人が毒親であり、当然ですが、毒親は子どもの自尊心を尊重した子育てができません。

 

愛している「だろう」という盲目な錯覚に心の成長はいりません。依存関係をつくれば良いからです。

しかし「本当に愛している」には自分の人生にたいして常に「真実」を明らかにする姿勢が必須になるのです。

 

「本当の人生を選択するのか?」・「それとも虚像の人生を選択するのか?」で毒親は後者を選んでいます。

 

子どもを真剣に愛そうとする親は、必ず、無益でつまらない、恐れで構成されている世間の常識と闘う運命が待っています。毒親は非力なので世間に迎合するでしょう。

 

もしあなたが子育てをしていて一度も世間の常識とぶつからなかったのであれば、、、。

 

毒親は「心」や「命」を尊重する価値観よりも、「物」や「世間の評価」に自分の人生を支配されて生きてきました。

 

毒親は自分を信頼できず恐れをもち、常に「他者からどのように評価されているのか?」という価値観のなかで自分の人生を手放してきた存在。

 

絶望的な問題は人間らしさを失った親に搾取されている子どもは必ず人生を破壊されることです。

 

毒親はわが子の幸せを許せるほど成長していないのです。つまり、毒親に育てられた子どもが「毒親の正しい認識」を欠如しているかぎり、自分も毒親になる可能性があり、そしてたった一度の人生を愛で埋めつくすという命題も不可能になるのです。

 

「毒親に殺される」とは命だけではなく、実の親から魂を奪われる意味です。

 

毒親に苦しんでいる人や苦しめられた人が、少しでも早く「毒親の正しい認識」を得て、心の悶絶的な苦しみを解放し、大切な人を思いっきり抱きしめる幸せを手に入れて頂きたいと著者は真に願っています。

 

真実が明らかになった人を支配できる存在はいません。


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毒親は子どもの幸せ吸い取り機

毒親と一緒にいて幸せになれる子どもは存在しません。なぜなら人生を幸せにするためのエネルギーを毒親は吸いつくそうとするからです。エネルギーとは体の健康・精神的な力・時間・お金・運気などをさします。
 
毒親はそれらのエネルギーを子どもから奪うことで生きる存在です。
 
なぜ毒親は子どもからエネルギーを奪うのでしょうか?
 
答えは簡単です。毒親は不幸だからです。不幸な人はエネルギーがいつも足りない状態で生きています。
 
人はエネルギーがなくなったとき死ぬのです。ゆえに毒親は子どもからエネルギーを必死に奪おうとします。
 
社会問題となっているイジメも弱い子からエネルギーを奪うために行う犯罪です。
 
 
「毒親はエネルギー吸い取り機」であるという深刻な問題に気づけた人だけが毒親から解放されます。

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毒親を怨む気持ちは当たり前

子どもは親を怨む自分を責めます。なぜなら愛が深い存在だからです。
 
子どもが親にたいして怨みをもつのは「それだけの行い」を親にされたのです。
 
毒親を怨む気持ちは当然の気持ちです。
 
なぜなら人は自分の存在・気持ち・考えかた・行動を否定された状態で、指示をうけると自尊心が傷つくからです。
 
傷がついている自分の心に無関心な状態で、さらにアレコレと注意をされたり怒られたりすれば、誰であってもいつしか相手を怨む気持ちが生じます。
 
毒親は子どもの心によりそう努力よりも、世間や社会の常識で支配する存在。等身大の自分よりも世間をつかって子どもを動かそうとする時点で、不誠実な姿勢です。
 
自分の存在にたいして背を向けた親を子どもは絶対に尊敬しません。尊敬はしていないけれど、依存するしか生きられない状況のなかで、毒親の接しかたに「ぐっ」と我慢をしているため、怨む気持ちが生じるのです。
 
毒親を怨む気持ちは普通の話です。
 
世間や社会は真実を知らないため親を怨む人を「おかしい」・「異常」などの言葉・表情・雰囲気で責めてきました。しかしなに一つ気にする必要はありません。子どもの怨みには正当性があるからです。
 
今までは「親を怨む気持ち」は認められませんでした。しかしこれからは違います。
 
子どもの存在を否定する行為は魂の犯罪です。否定した状態でアレコレということを聞かせれば、子どもから怨まれるのは当たり前という常識が普通になっていきます。特別な問題ではなく全世界の人が「そのままの自分を否定」され怨む気持ちになっていたのです。現在は闇に光がさしこんでいます。
 
子どもが本気で尊敬している親であれば怨む感情は生じません。
 
怨みの原因はとても簡単でした。尊敬できない親に、自分の心を無視され、さらに嫌な目にあわされたから怨んだのです。

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子どもは何一つ悪くない

お花にいつも「ありがとう」・「生まれてきてくれて、うれしい」と毎日伝えれば、美しくさきます。野菜も「素敵だね」・「美しいね」といって育てれば、本当においしい野菜になります。

 

しかし「あなたは何をしてもダメ」・「〇〇ちゃん・〇〇君と比べてあなたは・・・。」や成績表をみて「はぁ~」という親のため息。存在を否定された子どもはどうなるのでしょう?

 

しかも毒親の家庭はさらに過酷を極めます。

 

現在は自分に自信がなく「生まれてこなければ良かった」・「私なんて生きても意味がない」・「私なんて価値がない」と心の傷を背負う子どもがたくさんいます。

 

しかしすべて子どもに責任はありません。

 

すべて劣等感をあたえた大人に責任があるのです。

 

幸せにならなければ、自分の問題と相手の責任は決して明確になりません。問題が明確にならなければ、どの方向が幸せな道・不幸の道かわかりません。

 

毒親問題により子どもが自信をなくす。その答えは親の未熟さが原因であり、無垢(むく)で純粋な子どもに責任はない、それが真実です。

 

大人になって自分の存在に苦しむ人は自信をもってください。あなたはなにひとつ悪くなかった。完全な被害者だったのです。

 

だからこそ幸せにならなければなりません。

 

毒親に責任を追及してもむなしい結果が待っています。それよりも「自分はなにも悪くなかった」と悟り、もっともっと幸せになるための行動するときです。

 

幸せをとおりこし至福の境地にいたった人は、過去のすべての悲しみが、なくてはならない体験だったことに気づきます。それまで自分の人生や自分を愛する道をあきらめてはいけません。必ず使命が見つかるからです。


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あとがき

毒親からの解放の意味とは「存在の肯定」・「感受性の蘇り」・「真実の幸せの体感」・「自己実現の始まり」・「奴隷人生から誇りの人生へ」、そして毒親性を「私の世代で終止符をうつ」です。

 

自分の心のなかに存在する毒親問題の清算は、自己にたいして揺るぎない信頼をもたらせます。つまり反転して考えれば、毒親の間違った価値観や観念を清算しないかぎり、人は幸福を体感できないということです。存在を否定された自分を受けいれていれば、なにを得ても真に満足できないからです。

 

「自己評価の欠損」のうえに積み重なる喜びや幸せは存在しません。

 

「自己の誇り」のうえに喜びや至福は確立するのです。

 

人は夢や目標をもちます。

 

その目指す先に進もうとする根源的な理由が「自己評価の欠損」であるかぎり、人生を破壊している意味と同じになります。

 

人は「あるがままの存在で偉大な価値がある」という自己を最大限に尊重する姿勢があって初めて、目標を達成し幸せになるのです。

 

毒親問題の解決は「本当の自分と対峙する」から始まります。

 

自分の本当の自己評価に気づき、毒親から植えつけられた間違った観念を放棄し、心の奥の奥に誇りを蘇らせて、そのうえに夢を達成する日常をおくる。これが毒親問題で苦しんでいる人・苦しかった人が幸せを手に入れられる生き方です。

 

この本を読んで頂ける人は、とても苦しい人生であったことでしょう。やり切れない悔しさに震えた日もあったでしょう。「死にたい」と思ってしまうほど凄惨な環境で育ってきたはずです。

 

しかしその悲しみは必ず心の財産になります。愛されなかった悲しみは、愛されなかった人と共感するための気持ちでした。もちろん、今も深刻な状況で苦しんでいる人にとってみれば戯言かもしれません。

 

しかしそれが真実です。

 

親から愛されなかった過去をのりこえた人は無敵。どんな状況でも乗りこえられる力があり、困っている人を助けられる偉大な力が手に入っているからです。

 

それまで、どうか、自分の人生を諦めず生きて頂きたいと僭越ながら真に願っております。

 

この度は最後までお読み頂き、深く感謝しております。

 

カウンセラー 本橋良太



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