閉じる


  • アトラスの深層
  • アトラスの深層
  •  小説「アトラス・シリーズ」は、おかげさまで累計閲覧数が5200を超えました。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲで分けると、Ⅰが1809、Ⅱが1824、Ⅲが1577、です(2018、1、10現在)。本書は、その「アトラス・シリーズ」についての著者解説書であります。
  • 連載

  • 無料
  • 4回配信 ( 配信日を確認 » )
  • 正道正道

第5章 イースターを巡る物語

聖母被昇天教義
 
 第3章でも触れたが、キリスト教に「聖母被昇天」という教義がある。これは、


「マリアの死後、彼女の魂と肉体が、神のみちびきによって再び結合し、彼女は肉体のまま天に上げられ、キリストの祝福を受けた」という内容である。


 ちなみに「イエスは自ら天に昇った(アセンション)が、マリアにはその力がないので、キリストの力によって、天の側から彼女を引き上げた(アサンプション)」ということだ。


 ここでポイントになることは、マリアが肉体のまま天に上げられたという事と、その昇天が、純粋に受動的(=だから"被"昇天)だということである。


 そして『アトラス』のクライマックスは、


「天の底が地上に接近し、肉身のチェリア(主人公の名)を天界の中に取り込む」


 という形を取っているのだから、これはまさしく「肉体の被昇天」である。つまり聖母被昇天の教義そのものなのだ。
 

 

 

母と子の同時誕生
 
 そして、天界に取り込まれた結果、チェリアは、処女懐妊によって幼子を抱く。


 そもそもチェリアの身にアサンプション(被昇天)が起こったのは、彼女が母性(理性を超えた"愚かしさ"という名の叡智)を獲得したからなのだ。だから、この懐妊には確かな説得力があるだろう。


 さらには、母が母たりえるのは、彼女に子供がいるからである。よって、そのさいの「幼子の出現」は当然の流れと言えよう。そして、その幼子は、処女聖母の子供なのだから、きっとキリストなのだろう。


 聖母子像とは、言うまでもなく、処女聖母マリアが、幼児キリストを抱いている図像のことである。それが、ここに出現したのだ。
 
 さきわえ
 さきわえ
 いま御母が生まれ
 御子が生まれた
 この復活の島で
 この復活の島で
 
 という、本編に紛れ込ませた詩は、実はこのことを物語っていたのである。
 

 

 

復活とは何か
 
 では詩中にある「復活の島」とは、何のことだろう?


 まず「復活」について考察しよう。キリスト教では、十字架にかかって死んだはずのイエスが蘇ったことを、イースター(復活)と言う。


 処刑されてから三日後、イエスは、マグダラのマリアや、弟子たちの前に姿を現わす。そして、最終的には、大勢の信徒たちの前で、天へと昇っていった。このときの昇天が、先述した「アセンション」にあたる訳だ。


 だが、それは本当の終わりではない。イエスはもう一度復活することになっている。世の終わりに、再びこの世に現れること(再臨)を弟子たちに告げたからだ。


 つまり「復活」という言葉は、二重の意味を持っているのである。


 とはいえ、普通クリスチャンによって「イースター」「復活祭」として祝われるのは、明らかに第一の復活のほうだ。


 それはクリスマス(生誕祭)と並ぶ、キリスト教の二大祝日である。しかし、クリスマスが「12月25日」という日にちを決められているのに対して、イースターのほうは、何月何日という日にちが決まっていない。こちらは、


「春分の日のあとの、最初の満月の、つぎの日曜日」があてがわれる、移動祝日なのである。


 これが復活、イースターに関する説明である。
 

 

 

イースター島という名の由来
 
 では「復活の島」となると、どういう話になるのか。


 すでにお分かりのとおり、復活の島とは、イースター島のことである。イースターの島なのだから、それこそ復活の島であろう。


 しかし、もともとイースター島はイースター島ではなかった。


 なにしろ、ここはヨーロッパからは遠く離れた、南海の孤島である。当然のこと、長らくキリスト教文化の圏外だった。


 現地の人たちは、今(1977年当時)でもイースター島を「テ・ピト・テ・ヘヌア」と呼ぶ。『アトラス』の舞台となる「テピト・テアナ」は、もちろん、この「テ・ピト・テ・ヘヌア」から語感を頂戴している。これはポリネシア語で「世界のヘソ」という意味だ。


 では、どうしてテ・ピト・テ・ヘヌアは、イースター島になったのか。それは、ヨーロッパ人が、テ・ピト・テ・ヘヌアを発見したのが、イースターの日だったからである。


 もう少し詳しく言うと、1722年、オランダ人の、ヤコブ・ロッゲフェーンが、復活祭の夜に、テ・ピト・テ・ヘヌアを発見した。そこで、この島を「イースター島」と命名したのである。


 かくしてテ・ピト・テ・ヘヌアは「復活の島(Easter Island)」となった。
 
 


イースター島は世界のヘソだ
 
 そして、1977年(私は四歳)、漫画家の手塚治虫さんが、この島を訪れる。彼は、そこで見たものを『イースター島は世界のヘソだ』という紀行文にまとめた。


 そして、その紀行文を、のちに17歳の私が読むことになる。たぶん、よほどのファンでないと買わない本だが、『手塚治虫ランド2』という本に、それは収録されていた。そして、私は"よほどの手塚ファン"だった。


 ファン歴の始まりは、中学一年のときに、「24時間テレビ」のスペシャル・アニメ『三つ目が通る』が再放送された日だった。それを見たのがキッカケで、手塚治虫作品に親しむようになった形だ。


 それが、中学を卒業する頃には、すでに150冊の手塚漫画が、本棚に並ぶほどのファンになっていた。そして――ちょうどその頃だったのだが――手塚さんが亡くなった時には、実の父親が呆れるほどの涙を流し、一週間ぐらい喪服を着て塾に通うまでになっていた。


 まさに"よほどのファン"であるが、今思うと、


「もしかしたら『イースター島は世界のヘソだ』という文章に出会うために、自分はあんなにも熱心な手塚ファンになったのかな」という気もしてくる。


 つまり、運命の強制力によって「これぐらいのレベルのファンでないと『イースター島は世界のヘソ
だ』という文章には辿り着かないだろう」という所まで運ばれたような気がしてならないのである。


 真剣にそう思えるぐらい、『イースター島は世界のヘソだ』という文章は、私の人生を"このようにしかならない"という形に規定してしまった。なにせ、これを読まなかったら「少女の幻視」は起こらなかったのだし、それが無ければ、『アトラス』の執筆も、アルベドの悟りも無かったのだから。


 もっとも、手塚さん自身も、けっこう神秘の人だったらしい。


 かの『ブラック・ジャック』の中では、2008年に起きた「岩手・宮城内陸地震」を、日付、規模、位置に関して、ほぼ正確に書き残す、という離れ業を行っている。じつに驚くべき「予言者」としての一面が披露された訳だ。


 だから手塚さんも、かなり、霊的なインスピレーションは受けていたのだろう。ちなみに、予言となった『ブラック・ジャック』の「もらい水」が発表されたのが1978年。地震が起きたのは、それから30年後である。
 

 

 

『東方の物語』から『ウル・アトラス』まで
 
 話を戻すと、『イースター島は世界のヘソだ』との遭遇によって、私の中に「少女の幻視」という事態が引き起こされた。そして、この幻視を直接活かせないまでも、17歳の私は、『東方の物語』という絵物語を描くことになった訳である。この作品こそ『アトラス』の原型といえよう。


 ――ただし正直に言うと、この『東方の物語』の原題は、『THE EAST STORY』という英語だった。しかし私は英語が不得意で、この題名も英文としておかしい。正しくは『The story of the East』だろう。そして、かかる奇妙な英語を、読者に見せ続けるのは、私にとって実に苦痛である。そこで「いっそのこと」と日本語で『東方の物語』と書き換えさせてもらったのである――


 この作品成立の、複雑な事情に関しては、第四福音書を確認してもらうほかない。しかし、特筆すべきは、この当時の私が「イースター」という言葉の意味合いなど露ほども知らず、それを単なる「イースト」の変化だと思っていた点だろう。だからこそ"東方"の物語なわけである。


 この無知ぶりは、それ以降も継承され、21歳のときに『ウル・アトラス』を完成させた時も全く同様だった。しかも『ウル(初稿)アトラス』と、最終稿の『アトラス』のクライマックスは、ほとんど同一なのである。


 つまり私は、21歳の時点で、知らず知らずのうちに「イースター島(復活の島)における、キリストの復活(誕生)」の物語――つまり、聖母被昇天教義のトレースによって聖母が現れ、その聖母の"母"であることが"子キリスト"を現出させる、という内容――を書いていたのである。


 私がキリスト教の知識を求めだしたのは、ユング心理学を経由しての事だった。だから、どんなに早く見積もっても、「イースター」という言葉の意味を知ったのは、24歳を過ぎた頃だっただろう。
 

 

 

細いが堅い運命の糸
 
 終末のとき、再臨のキリストは現れる。それこそイースター(復活)によって。


 ただし、『アトラス』によって導かれたのはアルベドの悟りであり、象徴的には、処女聖母が幼子を抱いている姿である。


 この処女聖母をマリアとするならば、イエスは、まだ幼児ということになる。とすれば、私のなかに生まれたキリストもまた、やはり幼児に過ぎないということになるだろう。いな、象徴として「妊婦」を想定するならば、キリストは、幼児どころか胎児にさえ見立てられることになる。しかし、

 

 新たに生まれた神は幼児が最初の形であっても、たちまち成長して若者にならなくてはならぬ。
 佐々木理『ギリシア・ローマ神話』より
           
 というのが定めらしい。それは、太陽をまとった女と出会った時に果たされるだろう。ヒエロス・ガモス(聖婚=結婚)が、子供を男にするからである。

 

 最後に、


 イエスが「再臨、復活」の予言を言い残したこと――


 テ・ピト・テ・ヘヌアの発見日が、その年のイースターであったこと――


 手塚治虫さんが『イースター島は世界のヘソだ』を書き残したこと――


 私がその紀行文を読んで、「少女の幻視」を見たこと――


 そして、その「少女の幻視」が『アトラス』を生みだし、その中で処女懐妊、すなわちキリストの再生誕(イースター)が、象徴的に行われたこと―― 
 これらの事を眺めると、少しでもずれたら決して結びつかなかった、か細い「運命の糸」を見るような気がする。ただし、そこに神の意図を見出すならば、その糸は、どんなに細かろうとも堅いものだろうし、"絶対に"結び合わさずにはおかれなかったものでもあろう。


 そのように解すると、あまりにも壮大な神の計画を眺めるような心地がして、思わず気が遠のいてしまうほどだ。
 
 月も、星も、あなたが配置なさったもの。
 そのあなたが御心に留めてくださるとは
 人間は何者なのでしょう。
 人の子は何ものなのでしょう。
 あなたが顧みてくださるとは。
                               『詩篇』第8章より
 

 


おしらせ

既刊作品のご案内

 

 

 これは「再臨のキリスト」の自伝にあたります。現実に起こった何が、私をして、アルベドやルベドの悟りに導いたのか? それは決して純白のサクセス・ストーリーなどではありません。ここには幾重にも罪を犯してきた「罪人」が描かれています。その罪人が悟りに到るまでの軌跡が本書の内容なのです。

 

 

 

 

 神話と象徴の宝庫と言ってよいでしょう。これは「ギリシア神話」と「黙示録」と「現実」が織りなす神的な運命の物語です。福音書シリーズの中では、もっともミュトス(物語)の要素が強い一冊。そして、その物語のテーマは、キリスト教の中で取り残された「神の人間化」の完遂なのです。

 

 

 どうか「再臨の」で検索してみてください。


奥付



【2018-02-07】アトラスの深層


http://p.booklog.jp/book/119686


著者 : 正道
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/seidou1717/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/119686



電子書籍プラットフォーム : パブー(http://p.booklog.jp/)
運営会社:株式会社トゥ・ディファクト




この本の内容は以上です。


読者登録

正道さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について