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七月十四日 昼 周庵先生の長屋

「わかった、わかったぜ!」

 昨日小森の旦那に脅されて、夜明けと同時にすっ飛んで出ていた万蔵親分が、

よぼよぼのお婆さんを背負うようにして飛んで帰ってきた。

「こう、おきたさん。ご苦労でも、仏の顔を、拝んでやっつくんねえ」

 言われて、おっかなびっくり首を伸ばしたおきたさんは、

「あっ、だ、旦那さまでございます。へえ、間違いございません」

 しょぼしょぼとした小さな目を、赤くした。

 仏さんは名を与太兵衛さんと言って、なんと蔵前の大きな札差、大口屋の主

の伯父にあたるお人だということだよ。

 だけど、若い時分に放蕩三昧で、その度が過ぎて危ないところへ出入りして、

挙げ句やくざ者のいざこざに巻き込まれ、危うく命を落としかけるような大怪

我を負って左足を駄目にしたらしい。

 大方、先の明石屋の馬鹿旦那みたいな人だったのかも知れないね。

 ともかく、それでお父っつぁん――当時の旦那はついに堪忍袋の緒を切って、

久離勘当を言い出したのだけれど、甘いおっ母さんが泣きついて、何とか若隠

居ということでおさまった。

 お上に届けをした本当の勘当は、肉親の縁を完全に切るということで、その

人が今後何をしても一切関わりなし、連座の咎めを受けることも無くなるのだ

けれど、勘当された当人は、人別を抜かれて無宿となってしまうんだ。

 巻き込まれたとは言っても、その中でまかり間違って人を傷つけていたりし

ようものなら大事で、お店にだって瑕が付く。そうで無くても、丸くおさめる

ためには随分お金も使ったに違いなく、無理はないことだけれどね。

 でも、こっちの馬鹿旦那は、さすがに一度死にかけて恐ろしくもなり、足も

不自由になってしまったことで、根岸の寮に逼塞して実家の仕送りを受けなが

ら、遊蕩の中でもたちの良かった部類の連句俳諧の才を活かして、選者のよう

なことでだんだん身を立てて細々と暮らしていたらしい。

 細々と言ったって、貧乏人からすりゃ、ずいぶんと結構な暮らしだけれどね。

 それでも、生涯お嫁さんももらわず、使用人と言って飯炊きと、ちょっとし

た身の回りの用を足す、おきたさんみたいなばあやさん一人しか置かず、こん

な年になるまでずうっと大人しく暮らしていたんだから、心を入れ替えたのだ

と言っていいと思う。

 だけど、大口屋では――

「当たり前に、畳の上で往生したなら良かったんだろうがなあ……なにしろ昔

のこともあるんで、人に斬られたと聞いて、すっかり怖気を振るっちまったら

しい。単なる物取り辻斬りの類かも知れねえんだからと言ったんだが、もうう

ちとは一切関わりないの一点張りよ」

 死体も引き取らない、先祖の墓に入れるなんてとんでもない――ということ

になっているそうで、なんだかちょっと可哀想だ。

「まいったね。一切関わりねえと言われちまうと、根岸の寮は大口屋の持ち物

だから、そこへ運び込むわけにもいかねえ」

 と、親分は、口をへの字に曲げた。

「しようがないよ、これも縁だもの。ここで、通夜の続きをすりゃあいいじゃ

ないの。ねえ、おきたさん」

「へえ、なにぶんよろしく願います」

 手をすり合わせて拝んでいるおきたさんを見る限り、与太兵衛さん、もうす

っかりいい人だったのに違いないよ。


 通夜の続き

 万蔵親分は、まだやることが残っているんだとか言って、おきたさんを置い

たぎり、またすっ飛んで出て行ってしまった。

 昨日とは打って変わって晴々と張り切っているところを見ると、どうやら先

生とつなぎが付いたんだろう。

 あたしだけが蚊帳の外かよ――と、面白くなかったけれど、やがてそれどこ

ろじゃなくなった。

 親分は、一昨日の与太兵衛さんの足取りを洗い、日本橋の酒問屋、三崎屋の

離れで行われた連句の会に出席していたことを突き止めていた。その帰り道に

奇禍に遭ったようで、脅されて逃げ出した駕籠屋さんも見つかったらしい。

 その辺りから話が広まって、俳諧のお仲間をはじめとしたいわゆる風流人っ

て人達が、ぞろぞろやって来だしたんだ。

 おかしなことに、誰もが先生の幽霊話からの一連の流れを、与太兵衛さんが

書いた何かの茶番なのではないかと思ってやって来るんだ。

 与太兵衛さんときたら、洒落や茶番、狂言の類が大好きで、よく頼まれて素

人芝居の台本を書いたりもしていたそうで、そういう人ならば、やっぱり、お

堅い一方の大店の人達とは、そりが合わなくても仕方がないような気もする。

どうやら、生まれる家を間違えたんじゃないかしらん。

 だけど――

 肉親は一人もいないから、ひどい愁嘆場にはならなかったけれど、亡くなっ

たのが本当だと知れると、みんな驚き悲しんだ。

 この人たちの間では、与太兵衛さんの評判は悪くなかった。

「田神さんは、愉快な人でしたよ――」

 と、みな口を揃えて言う。

 田神、というのは与太兵衛さんの俳号らしい。

 与太兵衛さんというのも、本当の名じゃないそうだ。

 勘当同然に若隠居した時に、大口屋の総領として名付けられたもとの名は捨

て、こう名乗ることにしたそうで、与太者ということと、足が悪くてよたよた

してるってことがかけてある。号の田神というのは田の神――案山子のことだ

よ。一本足ってことさ。

 これは単なる自虐ではなく、反省と悔恨のあらわれであって、それが証拠に、

もういい加減並みの遊びはし尽くして、おかしな方向へ道を踏み外しかけてる

かつての与太兵衛さんみたいな若い人に、説教するというのでもなしに、面白

おかしく自身の身の上を語って聞かせているうちに、不思議に改心すること実

に霊験あらたかだったのだ――なんて話を代わる代わる涙ながらに聞かされて、

あたしもせっせと相づちを打ったり、時には一緒に涙ぐんだりしていた。

 涙の中にも笑える愉快な話がいくつも飛び出してきて、狭い長屋の部屋は更

けるまで賑やかだった。

 今夜の通夜なら、与太兵衛さんも満足して成仏できるんじゃないかと思う。

 それにしても――

 随分な香典が集まったけど、一体どうしたらいいんだろう?

 


同日 夜半――

「もし、間辺様――」

 呼び止められて間辺新八郎は、ぎくりと足を止めた。

 その声は、自分の背後、それも至近から聞こえたからだ。

 声をかけられるまで、まったくその気配に気が付かなかったとは――

 しかし、体は自然に動いた。

 すぐさま刀を抜き放ち、振り向きざま大上段から斬り下げる。声で、おおよ

その位置は判っていた。

 限りなく望月に近い十四日の月に白刃がきらめき、その光芒の先には、確か

に小柄な老人が立っていたが、刃は届かなかった。

「おやおや。相変わらず乱暴ですな。よく相手も確かめずに、それは感心でき

ません」

 新八郎の必殺の一撃を苦も無く躱した直後の、柔らかく穏やかな語調は、か

えって不気味に響いた。

「柏木、周庵――?」

 痰が絡んだように声がうまく出せず、年寄りのようにしゃがれた声になった。

「やはり、ちゃんとわたしの名を、ご存じでしたね。わたしは、後悔していま

すよ。辻強盗じゃあるまいし、一度やり損なったから、すぐまた別の獲物を探

すとは、まさか思わない。だいたい、あんた、諦めが早すぎる。一度見つけた

獲物を、こうやすやすと――随分ご苦労なさったようですな。もう一人を探す

のに、一月かかったということでしょう」

「なんだと……」

「湯屋というものは、必ず町内に一つはある。多くの者は毎日入りますから顔

なじみで、よそ者が来れば、湯屋の主にはすぐに分かります。まして、人のこ

とを根掘り葉掘り探りを入れたりなされてはね。あんたの人相を伝えたら、江

戸中の湯屋で聞き込みがあったそうだよ。生き別れの父を探しているが、左足

に傷のある年よりはいないか――とね。親殺しは、いけねえなあ」

 急に伝法な口調になって周庵は、目を眇めた。

「ち、違う!」

「むろん、湯屋であんたが言ったことは、話を聞き出すための方便だろうが、

あんたのお家じゃ実際に、親殺しが起こりかけたそうな」

「貴様……一体どこまで――」

「この江戸では、武家のご家中の秘事を探り出すのは案外に簡単でね。上つ方

は、中間下郎の類を、同じ人間として見ておられない。そこにある物、命じれ

ば働く道具のように思っているが、実際には、目も耳も口も、それから心も、

ちゃんと備えているもんなんだ」

 根っからの殿様ではなかった彦四郎――坂崎彦太夫は、そのことを知ってい

たがために、かえって疑心暗鬼に囚われて道を誤ってしまったが、殿様の若様

のと呼ばれている者の大方は、そんなものだ。

 一方、江戸の武家奉公人の大半は、一季半季、時には日雇いの契約で口入れ

屋から派遣されるものだから、お家に対する忠誠心は薄く、まして人間並みに

扱われていなかったりすればなおのこと、うまく水を向けさえすればたいがい

のことを聞き出すことができる。

「一年ほど前、今の殿様が先の殿様を無理矢理隠居させて、御当主に直るとい

う事件があったそうだね。――おっと、大上段なんて、滅多に使うもんじゃな

いよ。腕が疲れて、かなわねえ。おまけに胴は、がら空きだ」

 のんびりと周庵が言い、新八郎は、その場にくずおれた。

 言葉通りに胴を打たれたのは判っている。それほど強くは無かった気がする

のだが、息が詰まって目が眩んだ。そして、それから先は何をどうされたのか

判らぬままに、体の自由が完全に奪われていた。

「やれやれ、気短かで乱暴なのは、そちらのお家芸なのかね。無理矢理隠居さ

せたというのはまだ穏やかな言いようで、実際は、御父君に半死半生の大怪我

を負わせて追い出したのだと言うから、ちょっとしたお家騒動だ。主命とお言

いなすったね。そのご主君が、今の御当主の殿様だとばかり思ったから少々こ

んぐらかったが――」

「違う! それがしが主君と仰ぐのは――」

「隠居に追い込まれた、元の殿様のほうだったわけだ。そのお方に会わせても

らいたいな。わたしに、似てるんだろう?」

「だ、誰が――っ!」

「あんたみたいな下っ端じゃ、話にならねえと言ってるんだ。いざとなったら

てめえが腹でも切りゃあ済むことだとでも思っているか知らんが、おまえさん

が死のうが生きようが、失われた命は金輪際戻らないし、こんなことを続けて

いちゃあ、てきめんお家は潰れるだろうよ」

「…………」

「ま、わたしとしては、このままあんたを御番所へ引っ立てたって構わない。

あんたは口を割らないだろうし、もしかしたら、それこそ自害でもしてのける

かも知れないが、町奉行所の役人にだって目はあるんだ。あんたの立ち回り先

くらいはすぐに探り出すだろうし、身分を偽り市井に住み暮らしていれば、支

配違いは通用しない。姓名を明かせば、それはもちろん支配違いになるが、そ

れまでの一切の調べ書きを添えて、評定所へ引き継ぐことになるわけだ。そう

なれば、お家はずいぶん困ったことになると思うがね」

「……くっ、下郎が――っ!!」

「おおきにその通りだろう。だが、てめえらの都合で、町人風情の命なんぞど

うにでもして構わねえと思ってるような野郎に、言われたくはねえんだ。――

立て」

 ぐいと引き立てられた時には、どこをどうされたものか、さっきまで腰が抜

けたように足が立たなかったのに、もはや何事も無かった。

 到底敵わぬとは思ったが、それでもまだ新八郎は闘志を失ってはいなかった。

 脇差はまだ腰に残っているし、大刀も、奪われたわけでは無く、足下に転が

っている。

 しかし、その時――

「もう良い、新八……もう、良い……」

 蚊の鳴くような細い、弱々しい声で命ぜられて新八郎は、何もされてはいな

いにもかかわらず、今度こそ本当にその場にへたり込んだ。


 お家騒動

 その、痛々しく病みやつれた姿に周庵は、眉をひそめた。

 杖はぶるぶると震え、一人で立っていることすら危なっかしい。

 あまりの弱々しさに、直前まで気配を感じることが出来なかったほどだ。

 足の傷が元で全身が衰弱しきっている様子で、心の臓にも障りがありそうだ

った。

「そこもとの、申す通りじゃ。かような姿になり果てながらもなお、生き長ら

えようとしたのが誤りであった」

「しかし――っ! それでは、お家は一体どうなりまするかっ。我が殿のご無

念は?!」

 新八郎は悲痛に叫び、再び周庵の手から逃れようと抗った。

「……左様、その思い一つでこうして無様な姿をさらしてきたが、なんの関わ

りも無い民草の命を奪ったは、罪深いことであった……」

 震える声で涙を絞った老人の身体がぐらりと傾ぎ、思わず周庵は、新八郎を

放って駆け寄り、その身体を支えた。

 一体、何をやっているんだ――と、思わぬことも無い。

 体は枯れ木のように軽く、その身なりも、とてもかつて一国の主だった者の

姿とは思えない。よぼよぼの年寄りにも見えるが、それは心身共に痛めつけら

れた結果であって、実際には五十の声を聞いたかどうかといったところだろう。

 こんな姿で、先回りをして悔恨の言葉を聞かされては、それ以上言えること

など何も無い。

 喘ぎつつ、かさかさに乾いた唇を開こうとするのを、周庵が止めた。

「口はきかない方がいい。病人をどうこうしようなんて了見はありませんから、

気を静めて大人しくしておいでなさい――おっと、お名乗り遊ばさなくて結構

ですよ。これ以上巻き込まれるのは真っ平ごめんだ」

「……何もかも、承知しておるというわけだな」

「たいがいそのつもりだったが、どうやら間違えていたこともあるようだ」

 と、周庵は、いつの間にか這うようにしてにじり寄り、不安げな表情で二人

の様子を見つめている間辺新八郎を見やった。

「全ては、わしが不明から起こったこと……」

 結局老人は話し始め、周庵もそれ以上は止めなかった。

 

 非常によくある話だが、後を継ぐべき嫡男はあまり出来が良くなく、一方、

次男の方は才智に優れていた。

 しかし、ここで長幼の序を乱すのはお家騒動の元になること、古今の物語や

実例が、証明している。

 従って、嫡子は嫡子として家督をさせ、次男を家老として補佐させる心積り

でいたのだが、出来の悪い兄は、長ずるにつれてさらに悪くなり、次第に粗暴

の行動が目立つようにもなり、また、実の弟や父親さえ疎んじはじめるように

なった。

 家臣たちの中に、影であらぬ事を吹き込む者があったのだ。

 しっかりとした家臣が一丸となっていれば、主君が多少無能でも、まったく

問題ないものなのだが、そこにつけ込んで取り入り、利権を私しようという佞

臣が現れると、たちまち屋台骨が崩れる。

「そこでわしは……」

 早い段階で、実権を握ったまま隠居して、家督を譲った。

 男子が生まれるまでは、公儀への嫡子の届けは弟で出すより他なく、その間

になんらかの理由を付けて若隠居させるつもりであった。

 それは、廃嫡するよりも、その後の身分の保障から言っても穏便な手立てで、

愚かとは言え血を分けた我が子への情愛の現れでもあったのだが、やはり争い

は起こったのである。

 君主の座を手に入れた兄は暴走し、ある夜突然弟を討ち滅ぼし、父親にまで

刃を向けた。

 武家の建前から言えば、ひとたび家督を譲って隠居すれば、たとえ前藩主で

あり、実の父であっても当主の下になる。それが、当主の首をすげ替えようと

しているなどは謀反にも等しいという理屈だ。

 理としては、確かに間違ってはいない。

 それにしても乱心したかと思える行動で、佞臣どもの中にもさすがに驚いて

止める者があり、足に深手を負わされながら、からくも命は取り留めたものの、

それだけでは終わらなかった。

 はじめ、密かに傷を養っていた下屋敷にも、その後、仮に身を落ち着けた町

屋にも、刺客が現れた。気が付けば、側にいるのは、弟のほうに仕えていた側

近の、僅かばかり生き残った若者たちだけになっていた。間辺新八郎も、その

一人だ。

 江戸藩邸で起こった事件である。江戸で生まれ育ち、武家諸法度の既定で、

嫡子は国元に帰ることは許されないから、国元の侍はそこまで取り込まれては

いないはずだと、国家老をはじめ主だった者へ文を書いたが、使者に立った若

者はいまだ戻らず、どうなったのか分からない。

「出来ることなら、我が藩の中だけで片を付けたかったが、事ここに至っては

致し方が無い。公儀に目を付けられて改易の憂き目を見るよりはと、宗藩を頼

ろうと思うたが――」

 これまた、使者に立った者達はいずれも戻らなかった。どうやらそういった

ことを見越して、そこここに刺客の目が光っているらしい。

「宗藩に泣きつけば、宗藩の親戚筋から新しい藩主が送り込まれ、愚息は……

おそらく誅されるであろう。わしとても、のめのめと生きておられるものでは

ない」

 自身の血筋は、絶えてしまうことになるが、それでも――

 この件に関わりの無い多くの家臣たちの身分は、そのまま保証されるはずだ。

だが、万一改易となれば、千人を超す家臣と、数千のその家族がたちまち路頭

に迷うのだ。

「それだけは、なんとしても……」

 血を吐くような声を聞きながら周庵は、内心舌打ちをした。

 だから、聞きたくなかったんだ――


翌、七月十五日 朝――

 七月十五日は、霊送り。盆の間帰ってきていたご先祖さまの魂が、あの世へ

と戻っていく日だ。

 その朝、愛宕下のさる大名家の門前で、ちょっとした騒ぎがあった。

 お武家ではたいがい、霊迎えと霊送りの日は、表門を開放し、まるで生きて

いる人を迎え、また送り出すようにして、礼を尽くす。

 その門前へ、編み笠で顔を隠し、精悍な若侍に守られた小柄な老人が、とこ

とこと近づいていく。

 と――

 たちまち物陰からばらばらと、数人の侍が躍り出て、二人を取り囲んだ。

 若侍が抜刀する。侍たちは、はじめから、抜き身を下げている。

「なんだなんだ?! 御門前で狼藉は許さぬぞ!」

 驚いた門番たちも飛び出してきて、二人はじりじりと門前より離れるように

追い詰められていった。

 その時――

 一丁の町駕籠が飛ぶようにやって来て門前に止まり、中から白無垢に麻裃の

老武士が降り立ち、悠々と門をくぐった。駕籠は来た時と同様、あっという間

に逃げ去っていく。

 騒ぎを聞きつけて奥から駆け出してきた武士たちは、しかし、老武士の名乗

りを聞いて、雷に打たれたように驚き、丁重に扱った。分家筋の小藩とは言え、

元は歴とした殿様だった人物なのだ。

「閉門だ。門を、閉ざせ!」

 その声を聞きながら、老人が、ゆっくりと編み笠を取るのを見て、刺客達は

狼狽した。

「ああっ、ち、違う――っ」

 言うまでもなく周庵と、間辺新八郎が、囮をつとめていたのである。

「行け」

 と、周庵が言うと、新八郎は、生真面目らしく一礼して走り去る。

 門番と多少の小競り合いはあったようだが、無事に門内へと滑り込み、周庵

と刺客達だけが残った。

「さて、と。これでわたしは、お役御免だ。後のことなぞ、知った事じゃない。

……あんたがたも、早いところ帰ってようく身の振りを考えた方がいいな。こ

こで今さらわたしを斬ったところで、なんの足しにもならない」

「こ、このっ!」

 後も先も無く、怒りにまかせて闇雲に斬りかかって来たのを苦も無く躱し、

「この笠はな、損料屋から借りてるんだ。損じたら、弁済してもらうよ」

 言い捨てて周庵は、恐れ気も無くくるりと背を向けた。



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