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 タクシーを降りて、コゼット館のドアを開けてエントランス・ホールで

「いらっしゃい。随分遠回りしてきたのね。」

 なんていうカザリンの出迎えを受けた時、ケイトリアン伯母さんに似てきたって思ったね。お腹が大きくなって、全体にふっくらとしたからかな。

 

 なんてことを考えてるってこと悟られないように、必死で笑いを隠したんだけど。後から

「兄さん、変。」

ってソニアに背中を突かれたぐらいだから、ばれてるかもしれない。

 だとしても、そこで例の強烈な一発をお見舞いされなかったってことは、やっぱり変わったんだな。

 

 それにしても、なんて女性ばっかりの館だ。もともと家の中の使用人には女が多くなりがちだけど、それ以外にも出入りのお針子とか、なんだかんだいるんだろう。いちいち気にもとめてられないんだけど、向こうはなんとなく気になるようなんだな。

 ちょっと、デビュー直後のロンダールの夜会を思い出した。まあ、ロクでもない思い出だけどね。

 

 料理長のイングリッドの夕食は、味はもちろんのこと見かけも華やかで、、、料理に美しいなんていう表現が正当なのかどうかは知らないが、タヴロニアで生涯を終えていたら、一度も巡り会うことがなかっただろう。

 この街の住人全てがそんな食生活をしているはずもないんだけど、でも、パリっていう都会の洗練された社会でしか生まれ得ないものなんだろうな。

 

 もちろん夕食の席では、あの気が滅入るような話はしなくて、ロンダールの様子とか館の使用人たちが少しずつ入れ替わっているとか、ソニアにはバタンの結婚の話が一番お気に召したようだけど、そうした土産話に花を咲かせて終わった。

 

 今夜は意外に早く解放されて、こうやって客間にくつろいでいられるのは、カザリンが妊娠中だってこともあるんだろうと思うんだけど、ずっと汽車で窮屈な想いをしてたから、ベッドで手足を伸ばして寛げるのがありがたい。

 

、、、聞こえてくる。家にはその家独特の音がある。

 

 廊下が木だとか石材だとか、カーペット敷きだとか。そこを歩く人の癖だったり、スカートの裾が擦れる音かもしれない。家業の靴を叩く音かもしれないし、隣の工房で木材を切る音かもしれない。生活の中で繰り返し聞いて、記憶の底に積み重なる音だ。

 

 今聞こえてくるあの音も、きっとそういうものの一つだろう。床を叩く杖の音と、変拍子を刻む足音。

 

”入るよ、セルディック。”

お待ちしてました、っと。

 

「どうぞっ。」

こらしょ、っと。さすがに寝そべって出迎えるわけにはいかない。

 

軋み一つない。よく手入れされているな、この館は。


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「なんだ、随分くつろいでる様子じゃないか。」

「ロンダールから汽車で3日。駅からケーキ屋で1時間。扉からベッドまで4時間ばかし。」

「わかったわかった。そのまま倒れ込んでいいよ。」

 

と、いうわけにもいかないんだな。

まだ、肝心なものを旅行鞄に入れっぱなしだ。折れ曲がってなければいいんだけど。

 

「キミがどういう理由で急にパリに出てきたのか、みんな口にはしないが察しはついているんだけど、

 暗黙の了解ってやつで、僕が代表して拝聴しに来たってわけだ。

 いよいよ、開戦が近づいてきたのかい。」

「こっちは望みもしていないやつがね。」

 

 汽車の中で、もうちょっと丁寧に整理しとくべきだった。自分の整理能力の欠如にげっそりするような中身だな。コソ泥の方が、もっと丁寧にかき回しそうだ、、、あった。このバインダーだった。

 

「カラブリアからの物や情報の流れが悪くなってきた。商人たちが危険を感じて、旅を控えているんだろう。

 国内ではあちこちで騒動が起こっている。僕は、それには作られた扇動者がいると思っているんだ。

 そして遅かれ早かれ、、、いや、この冬には彼らはまたやってくるだろう。それが僕の予測。」

中はまたあとで片付けるとして。

 

「悪いがこの足では援軍になれそうもないよ。」

「その代わり、これを預かってもらおうと。」

 

 微妙な表情だな。いいとも、悪いとも、、、。若い頃は、もっと露骨に面倒ごとはまっぴらだ、って顔見せる人だったのに。僕ごときが言うことじゃないけど、いわゆる大人の責任、ってことなのかな。さっきも暗黙の了解とか言ってたし。

 

「両方嫌だ、と言える義理じゃあ無くなったからね。引き受けるよ。で、この場限りの話。

 どうする心算りなんだい。」

うーん。

 

「誰かにコーヒーでも持ってこさせようか。」

「おいおい、そんなに長い話でもないだろうに。」

 

いや、きっと長くなるね。ちょっと廊下に顔を突き出して。

「リュシー。リュシーー。」

って呼べば、きっと聞こえるはず。

 

 ほーら、足音がしてきた、って。やれやれ、走ってやってくるかな、この屋敷の中を。大声で呼んだ僕も僕だけど。この館の使用人知らないからな。

 

「なんですか。ご用事? コーヒー?」

やっぱりね。

「後者の方。僕とライリーの分。」

「すぐ持ってきます。」

 

「走らなくていいよ。」

「もうセットしてありますから。」

って、背中で返事するんじゃない。ロンダールで使用人がそんなことしたら、きっと首だ。でも、タブロニアだったら、まあ、普通だな。


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「お気に入りかい?」

てことは、ライリーはそうでもないんだ。

「パリで定宿にしてたホテルの時からの友人だから。」

「友人ね。」

で、なんの話だっけ。えーっと、そうそう。

 

「万が一の時は、ソニアかクリミアの男子に爵位を継がせる。

 タヴロニアの屋敷や領地については、もうそれを維持することに拘らなくてもいい。

 時代は変わったんだ。領地に縛り付けられて生きる必要なんてない。

 運営は農場頭のバタンがいいようにやってくれるだろう。

 貴族だけが世の中を動かす世界は、もう終わりにしないといけない。」

そうだよね、エイリー。

 

「ソニア、クリミア両方とも男子が生まれなかった時は、マディに継いでもらおうと思ってる。

 領地はともかくとしても、カストラルの家に続いた数百年の歴史と伝統は、

 僕の一存で亡くしてしまえるものじゃないから。」

「まあ、そんなとこだろうな。」

その紙にはもうちょっと詳しいことまで書いてある。

 

「年長者のお墨付きはありがたいなあ。」

「何言ってる。人を年寄り扱いするんじゃない。」

 

コンコン。

「入って。」

 

「コーヒーお持ちしまた、、、って、何年ぶりかなあ。」

 テーブルにカップを並べるのも、銀ポットから注ぐ手つきも、堂にいったものだ。まさに昔とった杵柄ってところだな。

「上手いでしょう。」

「僕だときっと今頃、廊下のカーペットはシミだらけだろうな。」

 

 ふと思ったんだけど、ひょっとしたら、リュシー。この家を出て行こうと思ってるのかもしれないな。

「じゃあ、ごゆっくり。」

「うん。朝までこのまんまにしておくから、下げに来なくていいからね。」

 

 カザリンは気が強いだけではなくて、理知的な女性だから。単なる思いつきや気まぐれでただの一人も知り合いの居ないこの街に来て、住み着いたわけではない。だが、孤独を友とするような人ではない。パリの友人もできただろうが、リュシーというオペールを得たことは、彼女にとっての一番の僥倖だったかもしれない。

 

 でも、ライリーが来て、子供も生まれる。リュシーを必要とする時間は少なくなるだろう。そういうことを彼女は感じているだろうな。余計なところに勘がいいんだから。


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「それで。キミがこんなものを書くほど、状況は酷いのかい?」

 

「あなたがマシンガンに突っ込んでいった時と、基本的には何にも変わっちゃいない。

 カラブリアがまた国境を越えてやってくるだろうと他の部隊の連中も想定はしているんだけれど、

 その時はその時さ、みたいな立派な覚悟でいらっしゃる。」

「キミがそう皮肉っぽく言うところを見ると、余程腹に据えかねていると見えるね。」

その通りだ。何もかもに腹が立つ。

 

「結局、僕は間に合わなかった。この冬にでも戦争が始まるかっていうときに、

 僕はいまだ大尉でしかない。部隊の一つすら動かす力を持たない。」

「おいおい。十分に驚異的な昇進スピードだと思うがね。」

自覚はしています。

 

「戦車って新兵器に飛びついてはみたものの、数万の敵を相手に戦うには全く不十分な戦力だ。

 それを承知の上で、僕は部隊に”前進”って、命令しなければならない。

 戦場の戦局を変えることはできても、戦争の帰趨を決せられるほどには遠い、、、

 もう一杯飲む?」

 

「いや、いい。夜はあまり水分を摂らないようにしているんだよ。

 ベッドから起きて、トイレに行くのも面倒なのでね。」

「年寄臭い。」

 笑うと涼やかな目元は以前のままだけどね。イテカレス少佐にぼやかれたっけ。

”お前がパリに連れてくるのは、厄介ごとの種だけだ。”って。

この二人、どこで出会ってるんだろう。

 

「まったくだ。

 今はパーティで、白くなったひげにスープがくっついてても気にしないジジイどもの気持ちがよくわかるよ。

 朝方にベッドからトイレに立つ葛藤に比べたら、スープの汁なんかどうでもいいことなんだ。」

ふふっ。カザリンには悪いけど、この人が一緒に行ってくれたらどんなに心強いだろうか。

 

「僕が前提にしていたことは、みんな実現不可能なことばかりだった。

 どれぐらい先のことかってことを考えればそんなことは分かったはずなのに。

 おもちゃの軍隊で遊ぶのとは違うんだ。ガキの頃の自分が本当に恨めしい。」

一番嫌な言い方をすると、あの頃は良かった、になるのかな。

 

「そうか。それは大変なことに気づいてしまったな。で、どうする。」

「ま。その時はその時だね。」

 

「じゃあ勝算は。」

「無い。」

「だからこの紙っ切れ?」

「そんなとこ。」

「やれやれ、情けない弟をもったもんだ、、、。」

 

 カラブリアがどうやって蹂躙されたのか。それを聞くと、とてもフィルマニアのような小国が対抗できるとは思えない。無尽蔵に湧いてくる軍団を相手に戦うすべなんてものは無いんだ。どんな戦術を駆使したとしても、砲弾と小銃弾が無くなった時点で終わりだ。戦闘で勝ったガリア人は、そうやってローマに屈した。

 

「パリにいるといろんな噂話が耳に入って来るんだ。

 大抵は、どうでもいいゴシップ話なんだけどね。

 時には国際情勢なんてものも聞いたりする。と言っても僕は素人だから。

 知ったからと言って、大したことは言えないんだけど。」

 

へぇー、そういうの誰と話すんだろうな。イテカレス少佐と? それはないかな。

 


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「ロシアの革命政府も1枚岩じゃない、らしい。」

そんなものの存在、考えたことなかった。皇帝を暗殺したってやつらか?

 

「彼らは、誰が権力を握るをかけて血みどろの争いをやっている。」

血みどろなんて、穏やかではないを通り越した尋常じゃない表現だな。

「誇張じゃなくて、本当に殺し合いをやってるんだよ。」

「まさか。」

フランス革命じゃあるまいに。

 

「この20世紀の世の中に、って意味かい?追放、流刑、暗殺。

 まるで16世紀のイギリス王家だ。負ければ粛清される。」

 フィルマニアも中世の頃はそんなこともあったって聞くけれど。革命を戦い抜いた仲間うちでそんなことをやっているのか。いや、実は仲間ですら無かったのか。それで?

 

「ロシアには、自国内の国家建設を優先する一派と、革命を世界に輸出するのが目的の一派があり、

 激しく対立しているらしい。路線闘争とか言ってたかなぁ?

 カラブリアに関わっているのは当然後者だろう。と、なればだ。」

 

いささか手前がってに好都合な考え方をすれば、

「勝てはしないまでも、相手の侵攻目的をある程度くじくことができれば。」

「それは、国内派にとって拡張派を攻撃する有利な材料となるだろうな。」

 

”勝てないまでも。”

 それは僕が想定している局面と、そう大きな乖離は無い。僕が危惧しているのは、ダラダラとした戦闘が終わりなく続くことだ。国力の小さなフィルマニアは、カレンダーをめくるのに合わせて弱体化していくだろう。

 

 そしてある日突然、すべての局面が急速に悪くなっていく時が訪れる。交渉の余地もなく、祖国を捨てて、どこかに逃れていかざるを得なくなる日だ。

 

「だがどうすれば、明白に相手の侵攻目的を挫いた状態になったと主張できるのか。

 それが課題だな。キミ、イメージできる?」

 

それもだけれど、

「あと、仲介に入ってくれるような奇特な国の存在。」

「確かに。仲介が巻き添えになってしまったら、ミイラ取りがミイラだからな。

 あの大きな戦争の記憶がまだ生々しいだけに、そういう労を取ってくれる国、、、。

 まあ、頑張っては見るけどね。祖国のことだから。

 キミ、まさかとは思うが、そのつもりでカザリンをこの国に送り込んだんじゃ無いだろうな。」

 

いや、

 

「好都合だとは思ったけれど、パリに行くっていうのはカザリンの思いつきで、

 僕も聞いた時は青天の霹靂だった。しかも投資しろってきたんだ。

 その時は、事業がこんなにうまくいくなんていうことも想像もしなかった。

 どっちかって言うと、親族連中に袋叩きにあうんじゃ無いかって心配したぐらい。」



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