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目次

<目次>

 

 (1)   人間行き着くところまでいかにゃいけねぇよ

 

 (2) 神仏に許しを請おうと思っているのです

 

 (3) 僕たちはもっともっとやれるんだ

 

 (4) 待ち合わせの時迄


(1)人間行き着くところまでいかにゃいけねぇよ

 

 谷崎潤一郎という作家がいます。 

 

 日本的な美意識を追求し、それを小説作品に反映、また、随筆にもまとめて、日本的な美の意識というものを世に問うた作家であります。

 中でも、随筆『陰翳礼讃』なる一文は、高校の教科書にも載り、国語教師であった私は、この一連の美意識について、随分と調べ、そして、授業でその一端を披瀝していたのです。 

 

 そうした調べの中で、私は、この作家が、日本橋は蛎殻町の生まれであること、にも関わらず、その墓は京都にあったことを知り、殊の外、不思議に思ったのを覚えています。

 

 鹿ケ谷の法然院という境内の枝垂れ桜の樹の下の、自然石に「空(くう)」と掘られた墓がそれです。

 

 お江戸のど真ん中で生まれ、東京の何が嫌で、京都の雅に憧れたのか、そして、先祖代々の墓ではなく、自ら京都に墓を求め、都を望める場所に墓を作ったのか、実に興味深く、関心を持ったのです。 

 

 彼の作品の舞台である京の都に、それほどまでに執心する作家のありようは、確かに、私にこの作家への興味関心を強く抱かせたのです。

 

 私は、多くの人がそうであるように、人生では後悔の方が多い部類の人間に当てはまると思っているのですが、一つだけ、後悔をしていないと自負することがあります。

 

 それは、今暮らすつくばに家を建てたということです。

 

 私の祖父は、九十九里の田舎から、東京に出て来て、ガス会社に勤め、生計を立てて来ました。そして、父もまた、祖父と同じガス会社に勤めるというそんな人生を歩んで来ているのです。

 ただ、違うのは、祖父が退職金を一晩で飲んで無くしてしまったのとは対照的に、父はその金で家を買い、実直さが認められ、子会社で働き続けたという点です。

 しかし、父の建てた家には、私は住みませんでした。

 父は、母との二人だけの静かな生活を望んでいたことを私は知っていたからです。

 ただ、盆と正月に、帰る家ができたことは嬉しい限りでした。

 

 ですから、父の子である私も同じような考えを持つことは極めて必然的なことであると思っているのです。

 

 二人の娘が良好な環境の中で子供時代を過ごせること、さらに、それぞれが家庭を持って、別に住み、孫たちを連れて戻ってくる時、孫たちが来たがる家であること、自分の血をひくものたちが賑やかに集う場所としての家、それを作っておこうという思いから、家を建てたのです。

 

 そして、その思いは、まるで計算されたように果たされ、今、年に数回、血をひくものたちがうるさいくらいに賑わう家になっているのです。

 

 気の遠くなるような長い間。

 自分で建てた家にも関わらず、仕事が忙しく、暮らすというより、ちょっと体を休めるためにあった家が、今は、自分とともにあるのです。

 自分にいいように建てた家ですから、不満などあろうはずがありません、

 

 ですから、ここを「終の住処」などと公言して憚らないのは、まんざら嘘でもないのです。 

 

 先だって、私がウッドデッキに腰掛けて、仕事していましたら、一人の若い男が、ちょっとずるがしこそうに姿勢を低くして近寄って来ました。 

 外壁を塗り替えませんかというのです。 

 確かに、壁を塗り替える時期には来ているのですが、私はその方にこう言ってやったのです。 

 

 ご心配、かたじけなく候。

 然れども、わが命、余り十年、然る後、この館に住むものなし。

 我が館、その折、閉じられ、この土地平らかにされ、我が児孫へ分与せられん。

 かつまた、命ある間、我が館、英国的古風なる佇まいを標榜せんとし、我、日々、取り組まんとしつつあるなり。 

 

 低姿勢の営業マンも、この言葉に、あっけにとられたようで、また来ますと言って帰って行きました。 

 

 今年は、予想だにしない水まわりの事故で、親切にしてくれた業者さんへのお礼も兼ねて、いくつかの工事を発注しましたが、それは我が意ではなかったのです。 

 我が意は、まさに、イギリスの田舎にある民家のように、古きを価値として、雅の対にある侘び寂びの形を、この家には望んでいるのです。

 

 私の場合、このつくばの家は、今生で与えられた仕事の大部を終えて、自由に、誰にもなんとも言われずに、今度は自分の仕事をする場、暮らす場としてあるのです。

 

 そう思った時、私の耳に、谷崎の声が聞こえて来たのです。

 

 「もう少し、よぉ〜く、考えてみなはれ。」

 

 いや、京都の言葉ではなく、東京の言葉で、谷崎は私にもう一度囁いたのです。

 

 「終の住処なんぞ、そんなこと、考えちゃならねぇ。

  人間、行き着くところまでいかにゃ、いけねぇよ、お前さん。」

 


(2) 神仏に許しを請おうと思っているのです

 

 エジプトで、三百人以上が命を奪われるテロ攻撃が発生しました。

 

 これまでは、外国人、もしくは、キリスト教会などイスラム以外の人々が集う施設が攻撃対象であったのが、今回は、同じイスラム、そのモスクが狙われたのです。

 同じイスラムを信仰する兄弟たちを爆殺し、トイレに隠れたものも見つけ出し、銃殺したと言いますから、よほどの恨み、憎しみが、テロリストたちの背景にあったと思われます。 

 

 宗教への偏った忠誠心は、かくまで無慈悲なる振る舞いを、人に与えるものなのかと驚くばかりです。

 

 宗教は、人の心を穏やかにし、困っている人、さらには生きとし生けるものすべてに慈しみを与えるものではなかったのかとあらためて思案するのです。

 心の穏やかさを求め、アラーに祈りを捧げる善良なる民草に対して、爆弾を放り込み、銃で撃った、そのテロリストたちもまた、アラーに祈りを捧げていたに違いないのです。

 だとすると、アラーという神はなんと罪深い神であろうかと思うのです。

 アラーを罪深いと嘆く私は、はて、一体いかなる宗教の信徒であるのか、思案するも、答えは出てきません。

 

 パスポートとか、他国への入国に際して、宗教を問われる時があります。

 無宗教は危険思想の持ち主だと思われる危険があるから、そこに印をつけるなと旅行会社の係員から言われたことがあります。

 だから、信仰はしていませんが、家の墓がある寺、それは仏教だから、自分は仏教徒だと名乗っています。

 

 でも、仏教徒らしい事はなにもしていないのです。

 

 私は、寺や社を巡るのが好きです。

 つくばの街は新しい人工の街ですが、周辺には万葉の時代からの歴史ある寺社が多くあります。その寺に行って、ぶらぶらするのが好きで、よく出かけます。

 

 寺社の中は、やるせない世間とは隔絶した特別な空間だからかもしれません。

 俗世の汚れない、気持ちが洗われる空間なのです。

 古い石仏が置かれ、古木が命を永らえている空間は、気持ちを楽にさせてくれるのです。

 人間関係の煩わしさから抜け出た今も、人の心には様々な苦痛が押し寄せてきます。

 そんな気持ちを落ち着かせてくれるのもそうした空間なのです。

 

 だから、私はそこにいくです。

 

 それは純粋に宗教的なこころもちがそうさせているのかもしれませんが、自分の中では、そうだと断言できるものではないのです。

 と言うのは、そのような心持ち以上に、文化的な関心、さらに、詩的なもの、哲学的なものに対する思いが、強く、そこには出ているからなのです。

 つまり、寺や社へと、私が向かうのは宗教的な誘発からではなく、学際的な動機が強いということなのです。

 

 クアラルンプールで、イスラムのモスクに入ったことがあります。

 つくばにある寺の古風なありようと異なり、なんとけばけばしい色づかいであるのかと思いました。

 そして、寺や社にあるはずの像も飾りもなにもない殺風景なありように宗教の違いを知らされたのです。

 

 神や仏は、人が作り、信仰することを求めて来たものです。

 そのために、それらに仕えるものたちは、苦行を積み、神仏の境地に近づいていったのです。

 だから、奇跡さえも起こすことができたに違いないと思っているのです。世界の各地で起こったと言う奇跡はまんざら嘘でもないと思っているのです。

 

 今年、母が亡くなりました。

 墓のある寺の坊さんにお経をあげてもらいました。戒名もつけてもらいました。

 残されたものには、なにをどうしたらいいのか分かろうはずもありません。日頃から宗教活動をしているわけではないのですから当然と言えば当然です。

 

 だから、葬儀社のアドバイスを受け入れ、墓のある寺の坊さんの言葉を受け入れたのです。

 坊さんは、お布施は気持ちでいいと言います。しかし、戒名は金額を言いました。

 字引を引いて文字を選ばなくてはいけないからか。

 それとも、その宗派に内規みたいなものがあって決まっているものなのかはわかりません。

 私の中で、いくつかの文字に対して、何十万もの金を払うことに納得がいかなかったのは事実です。

 

 仏壇の中を久方ぶりに覗きました。 

 父や母の戒名に比べて、祖父のそれは、文字数が大幅に少ないものになっていることにそのとき気がつきました。

 戦後の貧しい時期に亡くなった祖父は退職金を一夜で飲んだと言います。

 だから、墓も、戒名も質素なもになったと思っているのです。

 母は、自分が死んだ時のために、いくばくかの金を残してありました。

 きっと、父の会社勤めのおかげでもらっていた年金は生活費として、そして、父のもう一つの年金、兵隊に行ったことでいただける年金を貯めていたに違いない、と思うのです。

 すでに父が亡くなった時、自分の戒名を彫って貰えばいいように、位牌まで用意していたのです。だったら、坊さんの言うようにするしかあるまいと思ったのです。

 

 先だって、新聞にこんな記事がありました。

 戒名は自分でつけていいと。

 なにィ〜、と目を丸くして読み入りました。

 各宗派には戒名のネタ本があり、坊さんはそれを参考に、字を選び、ありがたく、そして、厳かに渡すと言うのです。

 戒名などという、そんなものがあるのは、日本だけとも書いてありました。

 あの世に行って、そこで通用する名が戒名であるならば、なければ困ろうが、それが日本だけとは恐れ入った次第です。

 坊さんに体よくあしらわれているんじゃないか。

 坊さんが生活するために、爪に火を灯して暮らしてためた金を、与えていいはずがないと心の中では憤るのです。

 

 なんでもそうですが、今は曲がり角の時代です。

 それは、学校や産業ばかりではなく、宗教も同じなのです。

 

 私は、今までも、これからも、宗教活動に身を投じる気持ちはさらさらありません。

 神仏からすれば、そういう輩は不届きものであり、死後、何らかの罰を与えなくてはいけないと思っているかもしれません。

 

 しかし、宗教心がないこともないのです。

 

 寺社仏閣を訪れて、私は、その宗教的な雰囲気に心を穏やかにすることができます。そして、巡ることで手を合わせることも、手を打つことも何の躊躇もなくできるのです。

 

 それに免じて、来たるべき折には、神仏には許しを請おうと思っているのです。

 


(3) 僕たちはもっともっとやれるんだ

 

 いつものように、裏道を歩いていると、突然、ある歌の詞が心に響き渡りました。

 懐かしい、そして、かつて、私に力を与えてくれた言葉の数々が心にこだまします。 

 

 そうだ、子供の頃に聞いていた、いや、意味もわからず大きな声で歌っていた、あの歌だと思い出すのです。

 

 でも、歌詞はあやふやです。

 立ち止まり、iPhoneを使って、早速、検索してみます。 

 ありました。 

 

 「丸い地球の水平線に何かがきっと待っている 

  苦しいこともあるだろうさ  

  悲しいこともあるだろうさ 

  だけど僕らはくじけない 

  泣くのは嫌だ 

  笑っちゃお」 

 

 そうだ、この詞を大きな声を出して、歌っていたんだ、と。 

 

 「時」というのは残酷なものだと、つくづく思います。

 「時」が過ぎ去って、初めて、あの「時」の良さがわかるのです。 

 

 あの「時」にはわからなかった素晴らしさが懐かしさとともに胸に迫ってくるのです。 

 子供の頃、私はあの歌の意味などお構いなく、歌っていたのです。

 でも、確かに、この詞から元気をもらっていたのです。 

 人生における苦しさなんて、知ったこっちゃないくらいのボンクラであった私です。それでも、大人たちをみて、人生というのは辛いものなんだ、だから、男たちは酒を飲み、女たちは倹約して、たまに豪勢な暮らしをしようとコロッケではなくメンチカツを買ってくるのだと。 

 

 子ども心に、心の奥底から、得体の知れない不安が湧き出してきました。 

 私は、世の中に出ていけるのだろうか、父のように働いて家族を養っていけるのだろうか、自分にはそんなことできないのではないかと、なんの根拠もなく、そんな不安が押し寄せてくるのです。 

 

 そんな時代、この歌を大きな声で歌っていたのです。

  

 だから、私はきっと、この詞が言うところの「苦しいこと」「悲しいこと」を抽象的だけれどわかっていたと思うようになったのです。 

 それゆえ、くじけてなるものか、泣いてたまるかと、歯をくいしばることができたのだと、そう思ったのです。 

 

 先ほど、「時」とは残酷だと語りました。 

 

 しかし、「時」と言うのは、あの「時」があって、今の「時」があるのだとも考えるのです。

 そう考えると「時」は残酷なのではなく、しかるべき段取りをとって、そこに各人の努力が加味されて、しかるべきあり方で眼前に現れている、だから、それは残酷でもなんでもなく、必然的な形でそこにあるだけのものだと思うようになるのです。 

 

 今、二十歳であれば、たった二十年の「時」を嘆くのではなく、これからの六十年のありようを笑って考えればいいのです。 

 今、四十路の歳であれば、自分の不甲斐なさを哀れむのではなく、急転直下打開していく方策を諦めずに笑って考えればいいのです。 

 そして、六十路の境に入った御仁もまた、丸い地球の向こうにあるだろう「何か」に思いを寄せて行けばいいのです。 

 

 僕たちは、いつ何時でも、もっともっとやれるだけの力を持っているのです。 

 いつ何時でも、その時点で、手を休めたならば、僕たちはそれでおしまいなのです。 

 誰がなんと言おうと、僕たちはくじけずに前へと進むだけなのです。 

 

 私は、そう思案し、裏道を急いで、書斎に戻ってきました。

 

 子供の頃に耳にしていた、そんな詞の影響が、今だにあると言うことは素晴らしいことです。 

 時代は刻々と変化し、あの時には想像もできなかったことが現実になり、段階を経て、それが成立しているので、画期的な変化とは捉えることが容易ではないのですが、あの時点から一挙に今に至ったと想像すれば、それはまさに驚くべき変化変容なのです。 

 

 まるで、タイムマシンで未来世界にやってきたかのような気持ちにもなるのです。

 

  書斎の椅子に深々と身を沈めて、さらに思案を続けます。

 人類は、あの蒸気機関を手にした時点で、肉体を酷使して働くことから解放されたのです。 

 蒸気機関は、やがて、さらにより高度な機関に取って代わり、私たちは過酷で、油まみれ、埃まみれの肉体労働とはますます縁遠くなっていったのです。 

 

 そして、コンピューターが私たちの生活に入り込んできたのは、つい先ごろのことです。

 

 計算すること、設計図を描くこと、契約書を書くこと、つまり、人間が頭を使って行う分野のことをコンピューターがしてくれるようになりました。 

 これにより、人間は、肉体ばかりではなく、頭脳労働からも解放されようとしているのです。

 

 予測では、AIが人から仕事を奪っていくとことは確実で、今ある仕事の大半が消えてなくなると言います。

 

 AIに仕事を取られることを嘆いてはいけません。 

 AIを扱えるか否かで、差が出てしまうことを悔やんでもいけません。

 

 人類は、過去二度も、自らが作り出した機械によって、大きな<洗礼>を受けてきているではないですか。だとするならば、AIは三度目の洗礼であると考えればいいだけの話です。

 

 だから、あの詞のように「笑っちゃ」えばいいのです。 

 だって、肉体労働も頭脳労働から解放され、後は、精神の解放があるだけです。

 だとすると、より人間らしい、より自由で、より豊かな生活を送ることになるはずです。

 

 AIは、やがて、人間が持つ感情さえも持つようになるでしょうが、今の段階ではそこまでの感情レベルを持つことはできていません。

 それを持てるのは、人間だけなのです。

 

 感情は、想像の源泉であり、創造の活力となるものです。

 

 だったら、僕たちはもっともっとやれることがあるはずなのです。 

 もっともっとやれるんだと言う気持ちがあれば、丸い地球の地平線の向こうに何かを見つけることができるんだとそう思うのです。 

 


(4) 待ち合わせの時迄

 

 久しぶりに、銀座に出ました。

 

 相変わらず、家電量販店の近くには中国からの観光客が、幾分流行遅れの、それでも派手なダウンを着て、元気にたむろしていました。

 銀座の幅広い歩道には、広東語やら北京語が飛び交って、さながら、中国人街のようになっていました。

 

 アップルストアに立ち寄りました。 

 4階では、この日、講座は開かれていませんでした。

 その代わり、椅子の背もたれに足をあげた中年のおっさんが貧乏ゆすりをしていました。時間つぶしでしょうか、それとも、営業の途中、サボっているサラリーマンかもしれません。 

 その男、そうこうするうちに、隣の男に話かけました。 

 日本語でも中国語でもありません。

 何気に見た顔から判断すると、マレーシア人かもしれません。

 気づくと、そのフロアには随分と仲間がいたようで、一斉に立ち上がり、気持ちいいくらいに会場から出て行きました。 

 きっと、次の観光地に行くまでの空いた時間であったのでしょう。 

 

 銀座があまりに外国人ばかりなので、日比谷公園まで歩いて行きました。 

 伊達政宗の江戸上屋敷があった場所が今公園になっています。 

 

 1970年、大学生になった私はこの公園で開かれたいた安保反対の集会に参加していました。

 若き日の私は、政府のアメリカ寄りの政策を快く思っていなかったのです。そぼ降る雨の中を飯田橋から日比谷まで急ぎ足で歩いて会場に行ったことが思い出されます。 

 

 しかし、今日の日比谷は紅葉の真っ盛りです。

 

 雲形池を取り巻く紅葉スポットにも、たくさんの観光客がいました。盛んに自撮り棒を空高く掲げて、自分を入れて写真を取っています。 

 

 すみません、シャッターを押してもらえますかなどという言葉は、そのため日本人にはかかりません。

 

 外国に来て、その国の人々と会話の一つもしないで帰るなんてもったいないと思いながら、観光客の間を縫って池の周りを巡ります。 

 

 日比谷公園の北の端に結婚式場がありました。 

 寒空の中で、野外での結婚式でした。

 生垣から覗き見ると、大きなストーブが焚かれて、寒くはなさそうです。

 朗々としたオペラのアリアがゲストによって歌唱されています。 

 察すれところ、音楽家の誰ぞがめでたく式を挙げていると言うことでしょうか。 

 失礼とは思いながら、生垣の外に立って、その見事な声楽に耳を傾けます。

 終わると、酔っ払った男の声でアンコールと声がかかりました。

 これはいただけない、男はそれが礼儀だと思って声をかけたようですが、周りから止められていたような雰囲気が漏れ伝わって来ます。 

 どこでも、酔っ払いというのは困ったものです。 

 

 所在ないまま、日比谷から有楽町に流れて行きます。 まだ、待ち合わせの時間には余裕があります。 

 有楽町駅の前にある家電専門店に、時間つぶしに入りました。 

 マックの製品を置いてあるところで、iPhone Xを手にしていると、私より背の低い欧米人の男性が、私に声をかけて来ました。

 流暢な日本語です。

 いいですね、欲しいですね、というのです。

 そうですねと答えます。

 続けて、お持ちではないのですかと問いかけて来ます。

 私のは iPhoneSEです、と胸ポケットから出して、それを私に見せます。

 私も同じですよ、とズボンのポケットからそれを出します。 

 ただそれだけの会話です。彼はニコッと笑みを浮かべて、そっと立ち去りました。 

 

 向かいに、これも欧米人の女性が所在ないまま立っています。やがて、店員が彼女の元にやって来ます。 

 この商品です、お客様、これはカバーだけで本体はありませんよと日本語で言っています。 

 その日本語を聞いた欧米人の女性はわかっています、とこれまた流暢な日本語で答えています。 

 

 昔、若かった頃、駅のホームや銀座の街角で欧米人から道を問われたことがあります。 

 片言の拙い英語で教えてやるのですが、心の中では、お前たち日本に来るなら少しは日本語を勉強してから来いと叫んでいました。

 私たちがお前さんたちの国に行くにはそれなりの準備をして行くんだとさらに心で叫ぶのです。 

 ところが、今、彼ら欧米人は日本語を喋ります。 

 しかも、楽しんでいます。

 先ほどのiPhoneSEを持っていた男性もきっと、私と日本語で話したかったに違いないとその時思ったのです。 

 しかし、目の前にいる女性に、私は語りかけることははばかりました。 

 神経質そうな彼女の眉間のシワが私を躊躇させたのです。 

 

 日本人との接触を避けるかのような中国の人たちと欧米人の違いがそこにあるなと思いながら、きっと、あと10年もすれば、中国の人たちはうるさいくらいに、銀座を歩く私たち日本人に話しかけて来るに違いない、そしたら、それはそれでうるさくてかなわないと思ったのです。 

 

 銀座口での待ち合わせまであと30分と迫りました。 

 雨が降って来ました。 

 随分と歩いて来たので、少々のどが渇きました。 

 私は、銀座口のそばにあるコーヒーショップに入り、一杯のコーヒーを注文しました。 

 隣のテーブルで男が二人熱心に話をしています。 

 いやでも、その会話が私の耳に入って来ます。

 

 一人が誘っているようです。もう一人はその誘いに興味を持っているようです。 

 あなたの職場で上司に反発しているような人がいたら、そっと声をかけるんです。よかったら転職を紹介しましょうかと。

 うして、一人紹介するたびに何がしかの金額がもらえるんです。

 私の友人なんか、それが副業で、月60万稼ぎますよ。

 60万と聞いて、誘いを受けている男は身を乗り出しています。 

 

 騙されるなよと私は心の中でそっと言葉をかけます。 

 事務所も何もいらない、名刺だけでいんですと、つまり、経費がかからず、人材派遣の仕事が成立するというようなことを言っています。

 

 そんなうまい話があるものかと、一人密かに反発をします。 

 

 とりあえず、明日にでも、社長にあわせますよと男は言います。

 すぐにでも、誘っている男は誘われている男をものにしたいようです。

 誘われている男は、興味はありますがと次第に言葉を濁して来ます。

 自分にはそのようなことはできないと踏んだようです。

 

 そうだ、その調子だ、この世にうまい話などないぞと心の底から激励をします。 

 

 紙コップに入ったコーヒーもすっかりとなくなり、アイフォーンSEをズボンのポケットが出して時刻を見ると、待ち合わせの時間が差し迫って来ました。

 

 私は、この男が騙されないことを願って、待ち合わせ場所の銀座口改札に向かっていきました。 

 



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