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目次

 

 月と太陽と大地に手を合わせて

 

 

  1.狂ったコンピューター

 

  2.宇宙とのきずな

 

  3.赤トンボの話

 

 

  ナーラーヤン内垣について

 


1.狂ったコンピューター

今から話す話は日本でも話したことがあるのですが、今までで一番良かったという人が多かったですね。だんだんシンプルになってくる。ものすごくシンプルで一番良かったらしいです。聞いている人も相当レベルが高かったように思います。十年以上前から私の話を聞いている人もおりましたが「一番良かった。シンプルになった」と口々に賞嘆の声を漏らしていました。聞いて分かる人がそれだけ増えているということです。

 

若い折から宗教とか哲学を志して、自分もいろんな経験をして、研究もしてきたその中で、どうも今までの宗教の説いてきたことに過ちがあるということの発見と、哲学の世界も同じくまだ未完成であるというそういうものに突き当たって、それでは自分で道を開くよりしかたないとそう決心をしてきたわけですが、その当時からもうコンピューターのことを考えていました。

 

 今コンピューターが沢山出回っていますが、それは人間というコンピューターを見本として作り出されたものです。そしてコンピューターは計算を人間がするより何千倍も何万倍も速く計算しておりますね。ところが計算は早くやれても人間が持っている情感的なものはコンピューターには出来ないんだということでしたが、そのうちに感情も扱えるコンピューターが現れてくるでしょう。

 

私が考えるのは、人間というのはコンピューターだから、そのコンピューターにかける記号を見つければいいのだ。そうすれば人間は放っておいても良くなる。宗教や哲学のお世話にならずに人間が良くなるはずだと、ずーっと昔から考えていたのです。そして人間というコンピューターにかける記号を探しておったわけですが、やっと見つけたのは半導体的なものです。半導体的なピンぼけの記号を一番初めに見つけたわけです。

 

 インドの宗教と哲学においてもブラフマンとの結合(宇宙の根源と人間との結合)について詳しく正確には教えていないわけです。それを私はもっと科学的にブラフマンという宇宙の根源に人間が合一する方法を見つけたわけです。それが光速瞑想でした。それは空間にあるエネルギー即ち距離が持つエネルギーを応用したものでした。その光速瞑想を発見して、ブラフマンに到達して、ブラフマン(宇宙の根源)はピュアーというものであるということを発見したのです。ところが少しも自分に変化が起きてこなかったわけです。インドの宗教ではブラフマンに合一したら一遍に変化が起きるとそういうように言われて人を魅惑し、人を引っ張っていますが、私がブラフマンに合一したが小鳥の声が分かるようになったぐらいの変化で、それ以外少しも自分に変化が起きなかった。それからしてもインドにおいて言われているブラフマンとの合一論が皆嘘だということが分かるわけです。そういうようにブラフマンに合一しても少しも変化がない。ただブラフマンというものがピュアーというものであるということを発見しただけで留まっていたわけです。

 

それを今振り返ってみると、何故ブラフマンに合一しても自己実現がやってこなかったかということが分かったわけです。どうして実現がやってこなかったかというと自分のコンピューターが壊れておったのだということがやっと分かったわけです。青年当時、自分のコンピューターに記号をかければ賢い人間が出来ると、そう想定したそのコンピューターというものは壊れていないコンピューターだったのですね。無論自分のコンピューターが壊れているとは夢にも思わなかった。これが一つの発見でした。

 

人間が自己実現するためには二つの大切なことがあります。一つは壊れたコンピューターを直すということ。次はコンピューターにかける記号を見つけること。もう一度言います。壊れたコンピューターを直すということ。いいですか。それと的確な記号を持つということ。この二つがなされてこないと人間がまともになってこないということです。

 

自分たちにかける記号というものはどんなものであるかというと、神話というものを自分たちのコンピューターにかける必要があるわけです。ではその神話というものはどんなものであるかという、神話を分析する必要があるわけです。神話を分析することによってそのエキスが抽出されるわけです。これが記号になります、分かりますね。それで最前も言ったように半導体的なピンぼけの記号というものを一番初めに見つけた。その次に見つけたのは透明であるということ。神話には汚れがない、透明なものであるということ、そういう発見がありましたね。これも記号の一つです。透明であること、汚れを持たないこと、これが記号の一つです。しかしその二つの記号を用いても動かなかった。なぜ動かなかったかと言うと機械が壊れていたからです。壊れていたから二つの記号をかけても自己実現がこなかったわけです。


2.宇宙とのきずな

ところがふとしたことでコンピューターを直す機会を得たわけです。それは太陽を拝み、月を拝み、大地を拝むという、そういうことをしてから機械が直り始めたのです。どうして月を拝み、太陽を拝み、大地を拝むことによって、コンピューターの機械が直るのかという話について、今から話をしていきます。

 

昔の人々は皆太陽が昇ると手を合わせたものです。そしてお月さんにも手を合わせて拝んだものです。ところがだんだん機械文明が発達して、今はもう太陽を拝むことも忘れたし、月を拝むことも忘れたし、大地を拝むことも忘れましたね。無論野菜なんかは光合成といって太陽の恩恵を受けて野菜が大きくなることも知っていますし、お月さんによって夜露を受けたりするのも知っています。お月さんが水に関係があって、潮の満ち引きにも関係があり、人間がお月さんにも関係があるということも知っていました。大地は無論野菜が大きくなるし、いろんなものがそこから生まれるのでその恩恵を知っていました。しかしだんだんそういうものを忘れるようになりました。

 

この太陽・月・大地というものは人間に一番近いものなのです。遠くには星もあります。しかし太陽と月と大地というものは一番密接に関係があるのです。例えば一人の人間がおったら、お父さんとお母さんというものが一番密接に関係があるように、それを切り離して考えることは出来ませんね。そういうように人間の体内にDNAがあって親から受け継いだものがあります。親の体と子供の体は位置的には離れて存在していますが本質的にはそういうものを受け継いでいます。だからそういうものとは引っ付いているとも言えるわけです。

 

そこで野菜を一つ考えることにしましょう。野菜は太陽の恩恵を受けて光合成で大きくなっていますね。ほうれん草があったとします。青いほうれん草があります。人間はこのほうれん草を見ます。これはほうれん草であるということは確かです。けれどもこれは月と太陽と大地だと言えるかもしれません。人間は感覚的にいつも大切なことを見失います。ほうれん草は青い、青いほうれん草、これは野菜だ。これはお月さんとも違うし、大地とも違う。無論それらの恩恵を受けて大きくなっているけれども、これはほうれん草であると、こう人間は言います。しかしそれは月であり太陽であり大地であるかも分かりません。そういうエネルギーによって、それらは成り立っておるわけです。

 

ここに一人の人間がおって、自由勝手に歩き回って、自由勝手にものを言い、自由勝手に働いておるから、太陽にも月にも大地にも何も関係がないと、こう人々は考えています。恩恵は受けておりますけれども、そんなものには大して関係ないのだと、自分でおいしいもの栄養のあるものを食べて生きているのだと、そう人間は言うかもしれません。こういうのがエゴというのかも分かりません。エゴイスト、それで人間は自由があるのだ、各自の自由とか、各自の平等があるのだという言い方は自己中心的に物事を考えている言い方ですね。自分は太陽と違う、月と違う、大地と違う、時には親とも関係あるものかと言って自分が自分のエゴで生きていっています。そういうふうにエゴというのは出来上がるわけです。そういう人間が、宗教や哲学やと騒いでいるのですから、ろくなことがやってきません。間違った黄金時代を築いてきたわけです。

 

そこで人間はそこから離れて一度平凡な人間になってみる必要があります。そして静かによく考えると、お月さんとのバイブレーションとも引っ付いている、太陽のバイブレーションとも引っ付いている、大地のバイブレーションとも引っ付いている自分が分かってきます。形の上の人間は独立しているから、そればかりを見ていると私は私だと言えるでしょうけれども、目に見えないところで引っ付いている自分が分かってくるわけです。そんな自分を少しも見ていなかったわけですね。恩恵を受けておるということは知っておっても、現にそこからエネルギーが流れてきて、そういうエネルギー人間であるという、エネルギー人間を知らなかったのです。宇宙そのものがエネルギーの固まりです。そういうものと一緒になって生き動き存在しているのが我々エネルギー人間なのです。

 

例えば子供が母親のお腹の中でへその緒を通じて栄養を受け取るように、自分たちがこうしてぴんぴん生きておっても、太陽と自分、月と自分、大地と自分の間に、へその緒のようにそういうものが引っ付いておる。そういう引っ付いておるバイブレーションを全部切って、今自分が生きておるわけです。そういうものを感じとる力がないわけです。そういうものを感じとる力がないと、そういうことを知る能力が減ってきます。能力がないと感じとる力が減ってくる、そうするとだんだんエゴとなります。そういうものから切り離された、弱い、いつ倒れるか分からないような人間になってしまいます。それが人間の迷いと苦を生んだのです。

 

人間が迷い悩み苦しんでいるのは、自分が太陽と月と大地と縁を切って、そういう大事なものと縁を切って、栄養失調のいつ倒れるか分からないような人間になっておるから、精神的にも迷いがおき悩みがおきているわけです。もし人間がそのきずなを知ったら、そのきずなの線が太くなってきます。きずなの線が太くなってきますと見えない栄養が人間の中に流れ込んできます。そういうものが流れ込んできますと迷いがなくなってきます。エゴの人間が消えていきます。大きい大きい人間になってきます。分かりましたね。自分のコンピューターが・・・壊れたコンピューターが整い始めるのです。

 

今言っている話は、人間が宇宙の埃みたいになってしまっている。落ち葉みたいな人間に、東風が吹くと西に散ってしまうし、西風が吹くと東に散ってしまう。そういう哀れな人間になってしまっておると言うことです。どこかにいい宗教の教えがあると聞くとそっちへシュッと引っ付いてしまったり、また何か他にいい思想があると思ったらそっちへ引っ付いてみたり、興味がある話があるとそっちへフワフワ散ってしまう。そういうフラテンの人間に何が出来るのですか。今言ったように大地と月と太陽のバイブレーションを受けて、そのきずなを認識して、それを深めていくと、どっしりとした栄養を得て、軽い軽い葉っぱのような人間でなしに、大地に宇宙に根ざした人間になっていきます。そこからでないと社会を変革できないのです。

 

これは言い換えれば、自分たちのコンピューターが壊れてあったということ、壊れてあったコンピューターを先ず整えよということです。コンピューターの修正から始めなければなりません。そういうような意味で、コンピューターの壊れた人間は何をしても駄目だということです。それを知るともうそれに手を合わせざるを得なくなります。一日に一度でも二度でも手を合わすという行為をとる必要があります。行為をとるとその意識が復活します。復活すると顔や全身が生き生きしてきて、今まで前屈みに歩いていた人間が、胸を張って顔を上向けて歩けるようになります。訓練して訓練して、その三つとのつながりの線が切れないように、それを繋いでいく必要があります。そうするために朝でも昼でも出来るだけ、一日に三遍でも四遍でも五遍でも、その三つに対して手を合わせて拝むことが必要です。手を合わす度にその線が引っ付きます。そしてその度に壊れた線が修理されて引っ付いてきます。コンピューターが直ってきます。人間も穏やかになってきます。

 

今話しておる太陽と月と大地というのは、大地の中に神を見いだすとか、また信仰で太陽を拝むとか、そういう意味ではないのです。その線が繋がっておるというのが問題です。その線がバイブレーションが繋がっておるのだという、その繋がっているところにその線を見つけに行かないといけません。ああ繋がっているのだ、自分と月との関係はこんな関係があるのかと思うと自然と手が合わさるのです。宗教的に太陽が神様だということでそれを拝むのと違うのです。そういう線が繋がっておるのだというありがたさを感じるわけです。それが宗教にも繋がっております。宗教というのは人間がまともになるということです。

 

その線が自分の意識の中で感じられ見えてくると自然に手が合わさってくるのです。コンピューターが整ってくると、自分の体の中に安らかなものが湧いてくる。平安なもの・安らかなものが湧いてくる。そしていつ死んでもいいという、そういうふうな状態が、自分の体の中に、心臓の所に、胸に、増えていっているのが分かるようになる。いつ死んでもいいような満足感に満ちてくる。

 

これは知識の世界を超えているのです。知識の世界でなしに、人間はバイブレーションの世界で生きている生き物なのですから、バイブレーションがそういうふうに整ってくると、人間の中にあった平安なバイブレーションがいっぱい満ちて宇宙的になってくるのです。そしてその月と太陽と大地という、そういうものを結んだその線がもっともっとずーっと伸びていっているのが分かってきます。もっともっと遠方までその線が広がっていくのが感じられるようになります。


3.赤トンボの話

ある時、庭に赤トンボがやってきて、ああ嬉しいなぁと思った。自分の子供の当時、赤トンボがいっぱいおった。百匹も千匹もその辺を飛んでおった。平和で、子供たちはその赤トンボと遊んでおった。そういう赤トンボが一匹二匹、私が住むレディングの庭にやってきて木の枝に止まりました。嬉しいなぁと思って見ていました。また明くる日トンボが飛んできて、ああいいなぁ、小さい時の赤トンボと一緒やなぁと思っていました。その時ふと私の頭に閃きが走りました。トンボは透明やなぁ。今のトンボも、五十年前のトンボも、六十年前のトンボも同じやなぁ、透明やなぁ。ところが人間だけが汚れているなぁ。

 

人間は時代がたつに従ってだんだん汚れていく。私の子供の当時の人間より、今の人間、今の人間より三十年後の人間の方が汚れていく。年がたてばたつ程いらん知識が付き、知識人間になるけれども、その反対にだんだん汚れていく。赤トンボは何年たっても同じ透明な赤トンボなのに・・・人間だけが汚れていくなぁと思った。それで「赤トンボ 今年も同じ赤トンボ 人間だけが汚れゆくなり」と詠んだのです。今から六十年前の赤トンボも同じであれば、二千年前の赤トンボも同じだったと思う。何故トンボが透明なのだろうか、何故人間が汚れていくのだろうか。それを考えてみると、トンボの全身には宇宙の透明なバイブレーションが流れているのです、貫き通している。あの小さいトンボの全身に宇宙の透明なバイブレーションが貫き通している。それでは人間の全身には何が貫き通しているのか。今までの知識、あるいは精神文明というものが人間の体の中にはいっぱい詰まっている。そして汚れている。

 

トンボはいろんな宗教の説教を聞いたこともない。しかし透明な宇宙のバイブレーションが貫き通しているのです。ところが人間は精神文明とか機械文明とか、いろんなものがいっぱい自分たちの頭の中にぎっしり入って、汚れて汚れて汚れているのです。またこれからもまだまだもっと汚れていきます。そしたら自分たちはどうしたらいいのかと言うと今までの精神文明というのを一切捨ててしまって、トンボのように宇宙の透明なバイブレーションを全身に流し込む必要があります。そして太陽・月・大地と自己とを結びつけてコンピューターが良くなっているのですから、それに透明な宇宙のバイブレーションを全身に流せば、汚れを取り除いた透明で超人的で神話的な人間になってきます。そういうことが自己実現されるということです。

 

今まではいいコンピューターを壊してしまって、そして悪い記号で動くコンピューターになっておったのです。そしてその悪い回答がいくらでもいくらでも作られていったのです。だから人間のコンピューターが汚れる一方だったのです。どうしようもない社会が出来上がるのが当然だったのです。


ナーラーヤン内垣

http://www.vedanta.or.jp/ナーラーヤン内垣公式サイト

 

 ナーラーヤン内垣は哲学・宗教・神話学の研究者であり詩人である。大阪高槻市に本拠を置き、アメリカのカリフォルア州に2ヶ所の拠点を持つ。インドにおいては、6ヵ所の文化交流センターを設置.医療活動と職業訓練活動を行う。バングラデッシュでは、戦災孤児と戦災未亡人のための母子寮を設立.教育,衣食住を与える。アメリカでは哲学者の記念式典などを行う。哲学・神話学を通し、文化・人種・宗教を超えて社会秩序の維持の必要性を説く。

 

Award

1995年 日本文化振興会より、社会文化功労賞を受賞

1997年 ケンジントン大学より哲学博士号を授与される

1998年 国際アカデミー教育よりFellowのタイトルを授与される

1998年 国連ユニセフとユネスコより世界平和賞を受賞

2007年 アメリカ大統領より大統領最優秀賞 金賞を受賞

 

プロフィール

 1924年、和歌山市の金光教の教会で生まれる。28歳のころ、ラーマクリシュナのヒンズー思想に出会う。その時生まれた詩情あふれる名著「仏陀再誕」の出版をきっかけに、日本における実践ヴェーダンタ運動の創始者としての活動が始まる。
 1957年、ラーマクリシュナ・ヴィーヴェーカーナンダ学園(日本ヴェーダンタソサイティの前身)を創立し終身会長となる。生涯を「人類はどうしたら救われるか」の探求と実践に捧げ、世界を舞台に活躍する。
 バングラデッシュでは、戦災孤児と戦災未亡人のための約百人収容できる母子寮を設立し衣食住と教育を与える。インドにおいては、7年間に渡り6箇所の文化交流センターを設置し、賎民部落において、奉仕による医療活動と、職業訓練活動を行う。
 インド滞在中の1974年、宇宙的存在との合一を体験する。この時編み出された光速瞑想は、宇宙合一の方法として大変ユニークなものである。その後思想の展開は「神話実現」に向けて、人間の真実への比類のない迫りを見せている。
 アメリカでは、広い荒地を少数の弟子とともに、自らがつるはしをふって開墾し、美しい日本庭園を創りながら、著作活動、その他文化交流に励んでいる。アメリカカリフォルニア在。

 

2012年8月逝去。

著書17冊(英訳本も有)

 



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