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第4章 日本の風景

大分県中津・八面山とその周辺

八面山

 大分県中津市三光田口に位置する標高659.4mの卓状溶岩台地(メサ)。

 

令和1年9月3日、撮影。 八面山神護寺。

伝説では、大宝元年、法蓮上人により開山され、当時は猪山八幡宮の別当として創建されたという。明治期には衰退したが、昭和初期、覚瑞和尚が、神護寺を復興した。

 

令和1年9月3日、撮影。 神護寺境内脇の清流。

 

令和1年9月3日、撮影。 八面山平和公園見取図。

 昭和20年5月7日、北九州地区の上空に向かう途上の米軍のB­-­29に対して、八面山付近で防空に上がった陸軍の屠龍の一機が山の背後から体当たりして、日本軍機は三保村洞の上(現・中津市洞の上)に、米軍機は八面山3合目に墜落。米軍機搭乗員11名、日本軍機搭乗員1名が死亡した。

 また、同年8月12日、宇佐海軍航空隊所属の戦闘機が、米軍のグラマン戦闘機と交戦して被弾し、日本軍機搭乗員1名が死亡した。

 これらの日米の戦没者を慰霊するため、昭和45年5月7日に慰霊碑が建立され、昭和47年5月7日には、八面山平和公園記念館が開館した。

 公園には、実物のF86ジェット戦闘機などが展示されている。

 

令和1年9月3日、撮影。 八面山散作コース案内板。

 

(製作中)


国東市・小松神社とその周辺

小松神社

 

令和1年6月13日、撮影。小松神社鳥居。

 

令和1年6月13日、撮影。 小松神社解説板。

 (小松神社解説板)
「小松神社
祭神、小松内大臣平重盛、素戔嗚尊(すさのうのみこと)ほか十七社、
社記によれば寿永二年(一、一八三年)平家壇之浦に
滅亡の時、平宗盛、諸姫嬪(しょきひん)とともに帝を奉じて間道
から小松(今の尾崎)の山中に退き、鎮守社に重盛公の
靈を併祀し社号を小松神社とした。
平貞能(さだよし)が都落ちの時、重盛公の墓からその骨を
収めて西下と史上にあるから最埋骨したのが
この尾崎であろう。
一月一日裏白の葉で握り飯を巻いて供える古例が
ある。これは平家滅亡を聞き大いに悲歎、歳旦
餅つきもできず握り飯を餅の形にして供えたことに
始まるという。
明治三十四年郷社、尾崎の墓塔十二基
町指定有形文化財
五輪塔・板碑・宝塔群
伝平重盛墓ほか五基
町指定民俗文化財 手洗鉢
町指定記念物
クロガネモチ・ケンポナシ・ホルトの木
国東町教育委員会 」

 

令和1年6月13日、撮影。 小松神社鳥居。

右柱銘文 「神徳皇恩萬民長命」
左柱銘文 「風雨順時百穀豊饒」

 

(製作中)