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骨の軋む音


 静寂ではにおいだけが頼りだ。闇に孤立する瞬間に孤独はまたたくまに消え去り、谷閒にひそむ悪意にこころ奪われずに済むようにおまじないをかける必要性も無ければ、何かに悲観するよりも、瞬間を健気に生きようとする動植物や、気だるい山脈から流れるエレジーなどを吸い込む、自然の狂気にうちひしがれ、可憐な我が子を喪失するようなダメージを受けては、日が昇るまで、孤独をさいなむだけのこころをさえぎるような朝日に横溢するような景観だけが、我が身をほろぼすための夜に慟哭した小屋の中でひっそりとむかえる生きた心地としいたげられるために擁立し続ける絶え間ない故実から放たれ、関するほどにわずらわしいものから逃げだものに下される自然からの罪を一斉に受け、きたす物々しさに耽るだけの身体は誰が見ても汚れているだろうし、やがて浪費するだけの主観などは、思想を持つほどに破壊されるだけであるし、ゆっくり流れることほど残酷なものは無いのであるし、打開することもできずに、刻刻と迫る闇から逃げ惑うように、戸惑いを隠すように猟にかける思いは、今日という一日という脅威から逃げ惑い、誰にも捕らえられずに、囚われるのは、死への恐怖であり、生への渇望では無く、ただ滑落する瞬間からなんとか這い上がろうとすればするほどに自然とはただただ残酷な残骸をそこかしこに残し、恐怖のイメージを引き出していくのであるし、やがて果てるこの身体も骨の皮だけになりながらも誰も存在せずに、ただ我だけが刹那に嘆じ、嘆願することも無く、ひたすらに獣のように残り香を追いかけ、緩慢な作用をしみこませた弓や槍で畜生どもに接続される観念を引き裂き、そこで生きた証すらも自らの血肉に変えるのであるし、堕落した都会を捨てるなどと現を抜かす暇も無ければ、そこで生きるということは、どこで生きようが、ここでのさばるものなどは、すたれるものであるし、疲れても尚、ここで求められるものはごく自然なものであり、理屈も無ければ、ここで駆け引きするものは、生きるか、死ぬか、という短絡的な二択であり、理性も途切れ途切れで、自分の「ぜーぜー」と弱く吐き出される悲観的な息の音を聞きそびれては、怯えてふるえた身体を閉じ込めるような瞬間的な空間を加工するような法すらも無ければ、外面ばかりで虚飾でできた街が解き放つ贋物のときめきすらも懐かしく感じるような瞬間的な孤独に覆われながら、闇夜に媒介する破壊的なものが自らをもっと内側から破壊すべきである、と外から迫る自然が語るころには、すべてはうやむやになり、夜に消化されるための獲物として、貧寒な自分を責めるようなセンチメンタリズムなどは自然には存在する必要性すらも無ければ、そこでは制度すらも不潔であるし、不可欠なものは、ただ食べられるか、食べるかだけであり、代償も無ければ、内外に派生する真実に打ちのめされることも無く、ことごとくは、ここで鎮座し沈下し、誓いをたて、何かを垂れることも悪に変わり、加害者を演じ、被害者意識を加速させることも無ければ、内心に迫るものに外貨を支払うことも無いし、言葉も無く、ただ与えられるものを求めるだけのものにおちいることも無く、ここはどこでも無く、誰かでも無い自分をさいなむ暇すらもないでのあり、あらゆる原理とは、理解を求めるばかりで、ここでたたずむ一生に支障を加えるばかりで退屈であり、あらゆる苦痛とは、強調されることで、その痛みを増すのであり、痛みを認識するほどに屈する痛みに興じるだけの痛みなどは、痛みを認識する以前に痛みを破棄し、自らから乖離した辺りで沈積する意識にひずみを与え、リズミカルに消費されるだけの痛みは、他者が感じるような痛みのように感じ、そこで麻痺した実体は、存在すらも消し去るような夜に媒介する獣どものあくどいワルツが鳴り響き、自らの周囲を囲う遠吠えや、すぐそこでパチパチと聞こえる小枝を踏むたびに軋む音が鼓膜を超えて、心臓をばくばくと食べるような爆音を鳴り響かせる心音を立てないようにひたすらに息を潜め、絶対的な独裁者が通り過ぎるのを待つ夜に必要悪すら必要では無いし、灰燼と化することも無く、ただ地に帰る引き替えに、自らの命を肥やすような訓育から感覚すらも遠くで徳などをあざ笑い、ここで必要とされる正義などは存在せずに、犠牲になるか、犠牲を出すかという性悪説的な回答も無く、善悪などは、ここで抹殺され、慢性的な痛みを引き出すだけのスキームが吐き出す好き嫌いで決めた答えなどは、瞬時に消し去られ、そこで存在したことすらも損ないようにとがめられ、等閑な答えなどは、後悔を生み出し、何かを阻み、今を責め立てるだけに比するだけの価値などは森の中では役立たずであるし、あらがうほどに貧相な答えなどは、何かを組み立てるのに役立つだけで、後には何も残らぬような破壊を続け、つたない答えは、償いを求め、何かをもてあそぶための同情を生むためだけに自らを正当化し、防衛本能が生み出す進化を否定し、信用を謳うだけの戦利品を集めるだけの出来合の真実などを崇めるための神すらも、この深い森の中では必要では無い。あるのは、永遠的な孤独であり、あるのは、自らの鼓動が鳴る限りは、孤独であろうが、すべてと同化することを求める必要も無く、ただ現れるものと対峙する先に現れる自らの化身と対峙するような感覚に潜む姦悪を何度も打ち倒すような夜に不快感すらも瞬時に消え去り、うごめくものとの戦いを続ける。


獣たちの叫び


 世界自体がかかえる痛みと和解し、論理的な漁られるだけの彼方に憐憫を掛け合わせるだけの罪の意識などを排除し、どれも肯定的に乗り越えられるために絶えずドレスアップされ、リリカルに縫い付けられ、消耗させられるだけの儚さなどは、理性を保てずに、何かを出し抜くために何かをおとしいれる技法だけを習得し、そこで損得を測るためにいぶかり、手懐けられ、論理の天秤にのせるために絶えず進行する意識的なものを引きずるほどに魯鈍なものに変えられ、緩衝できずに対立を続け、つたない思いは、因果に引きずられ卑近なものに変化し、そこで用いられる善悪に左右されるほどに用いる罪の重さは計り知れないほどの痛みを送り込み、自らを放置し、論証される隙間に色彩を失い、性質を損なうためのためらいから、退廃的な呪詛を続けるほどにつながるものの法則に関わり、自らを解消できずに、対象とするものに預けられるだけの精神は、生死の境目を泳ぎ、徘徊する自由の中で破壊的なものを持ち寄り、何かを壊すほどに増していく快楽こそが道理へとみちびき、自らの理に築かれるものを傷つけながら堅持し、誇示するものだけが、物事の本質を称え、自らを正しくするようで、正しくさせられるだけに至るような原罪にもとづく迎合されるための答えを引きずることにより、絶えず寄りかかるものに価値観を奪われ、仮死化する精神は、憐憫にもとづき、何かと同調し、同情へといざなうものだけが本質を確かに捉え、よりどころを与えるほどに法則に偏りを示し、与えられる影響を迎合するほどに原動を操作され、あたかも自らが働きかけ肯定的に乗り越えるのだ、というジレンマから退化し続ける精神は、対価にもとづき何かを裁くことだけを目的に善悪を働きかけ、動機に不純なものを措置し、配される間に多目的に生まれる愛により敗残し続ける善悪にたぎるものが互いを清め祓いを用い、もたらされるものに罪を背負わせ、犠牲を用い、儀式へと昇華されるための生贄として現時点に注がれるための悪を捏造し、増幅する憎悪や、幸福を謳うほどに懸け離れていくしあわせを追い続けるために老いることだけが正解へと導くのだ、とうそぶくだけの性善説から、善悪を用いずに、ただ悪を利用し、自らの正当性を施すための性悪説にアクセスするだけの暇人どもの窮屈な境界線に持ち寄られる善悪の是非などを是認するほどに自らの正しさからは懸け離れていき、ただいじらしく提起されるものに託される正解などは、世界性を濁すためのためらいを謳い、物事を体系化し、体制へとこびへつらうための架け橋をつなげ、そこでつながれたままの飼い慣らされた意思は、何かを従え、しいたげるためだけに対するものを用い、何かを批判し、否定的に乗り越えようとする限りに正しさとは偏りを示し、そこに現れる正しさなどは、ただ偏りを示すためのコードとして行動に圧力を与え、自らを抑圧する限りに現れる快楽の傀儡として、あらゆる消費的なものに引っかかるための商法を生み出し、独占的に示され、閉め出されたら最後だ、と騙る者どもの至福などはしあわせなどにはみちびかずに、何かを枯れさせるためだけに対立を深め、終わらぬ軋轢から相対する先々で関連する状態に従属するための存在として、存在の軽さに持ち寄られる物事の重さに耐えかねずにタナトスに身を捧げるだけの人間的な終焉から周辺とは、汚穢を謳い、用いられるものすべては、汚れているものだ、と提起するほどに、定義は狂わされ、定期的に現れ帰任するものが着込んだものを着せられ、自らを着せ替え人形に変えるだけの倒錯から、淘汰されるための人間として、しがらみを敷衍させるだけに人間的な修復や、祝福を謳うだけの安易な神の化身が敬神するものなどは、物質的なものに寄りかかりながら、物質的なステージにのぼり、自らを高みへとのぼらせるような思い上がりを自らに生み出し、措置されるだけの自由にがんじがらめになり、担う意味など似合わぬのに、自らを正しいもののように着せ替えるためのものを崇めるほどに魯鈍な者に陥り、自らを物質化し、対価を求めることでしか、その存在価値すらも測らぬようでは、人間的なものにとどまり、超越を謳うほどに、魯鈍な者に変化し、用いられる善悪に作用を加えられ、自らを加速させているようで遡及するだけで、正しさを引きずり、過去から引き出すものにより卑近なものを抱え込み、混み合う意識は、何かを崇めることでしか枢要なものを見出せずに、脱線する精神が逸脱を続けることにより現れるよろこびを知らずに、そこに現れるものだけを崇めるために神秘的なものを捏造し、真理を牛耳り、共感を得るために普遍的な平静を装い、動乱へと導くために寂れた形式を用い、簡単に処理される奴隷と化することだけが、よろこびへの最短距離である、と形成されるものを描くだけの自己満足から紙幣的な自己啓発の軽薄さは、哲学に至らずに、自らを正当化するための張りぼての鎧を着込み、機関的なものに従属するための体系的なものに差し込まれるためのプラグとして存在することだけが、よろこびに導くのだ、と快楽の傀儡どもは大声で叫ぶことの羞恥心を知らずに、自らを正しく保つことだけが、清潔であり、この生活を快活に変えるなどとうそぶく馬鹿どもの鳴き声が反響し、重複し、氾濫している。


夜は雨


 心因に現れる闇を疎外させるための恒久的な理想に相似する存在が多目的に流動し、降り続けるリリカルな雨にフラクタルであり続ける論理的な夜が恐々としたものを晴れさせるために肯定する限りに、飛躍を遂げるのだ、と惰性にみちびかれるための安易な肯定へと接続される意識などは、外から働きかけるものに操作され、動機を不純なものに変えるのだ、と仏教的な諦観から、宗教的な指針などは、今をごまかすためのまやかしであり、絶えずシンクロしていく問題に凍てつく精神は、正否を求めるばかりで、そこで迎合されるものを引き取り引きずりながら、卑近なままに生きながらえ、絶え絶えになる思いは、集約されるための約束を交わし、不埒なものになりかわり、かけがえのないものを用いるほどに、かけちがえるものであり、限りあるものとは、そこで生まれるために契約された愛にもつれ、もたらされる痛みは、互いの理想により、端的に引き裂かれるための契約を急ぎ、そこで永続されるべき愛は、消費されるための空虚さへとみちびき、そこに現れる空白を埋めるための愛は依存的で、そこに孕むべき純粋な愛を取り違え、途端に苦しみだけを仮想する横柄さに巻き込まれ、愛とは幻想であり、そこで対価を生み出すための価値を持ちより、互いをとがめるための理想は、理性を失い、何かを恨むために偽装された愛は、互いを引き裂くためだけにためらわずに同調するだけの苦しみを引き取り、同じような答えの中でもがくだけの意識などのいっさいは投棄され、そこに溜め込まれる汚穢や、即席の自由が用いる闇に引き込まれるための悲観を植え付けるだけの答えにより、意識は、外から働きかけるものがみちびくものだけが真実であるなどとうながすような者どもが見下すような主観におちいる瞬間を流浪し、本質的なものを見失い、見くびる先におちいる闇は深まり、俯瞰を奪い、空間的な苦しみから、そこでかかえる屈辱的なものへと偽装される精神は、制限をもたらされ、用いられる苦しみを乱立させ、自らを苦しめることだけに快感をおぼえる。横溢する瞬間に持ち寄られる正義に偏るだけの正しさだけが示唆するものを正当化させるためだの正しさを植え付けられるための教育から離れ、枢要なものへと変化していくための正しさを捏造するだけの現時点からも放たれ、持ち寄られる正しさとは、悪を生み出し、自らの正当性を謳うだけの原理に基づき、そこでとめどなく現れる正しさなどは、何かに偏るための犠牲を生み出し、物事に制限を与え、現在を苦しめるだけに至り、貧寒な現在をたのしむような知を用いずに、そこで現れる苦しみへと引き込まれるための生贄として存在するのだ、と都市間に現れる悲観的な構想をひるがえすために体制的な発展などは、帝国の理想を叶えるための歯車として幼稚なたくらみの枠組の中で発散されるための犠牲を孕み、自らを正しく昇華させるための「照合」から、等差を生み、動作は不潔なものに変わり、不正を糺すための退廃的な理想から、理性は制限を用いられ、自らのいらだちに耐えかねずに、自らの苦しみを他者に移し替え、自らの苦しみを昇華させるか?はたまた、そこに現れる苦しんで居る他者に自らを重ね、自らの苦しみよりも、誰かがかかえる苦しみのが重いのだ、という法的な処理から、ただ苦しみと同化し、今に惜しむほどに、押し入られる苦しみにすべてを奪われ、そこで苦しむことだけが、正しい事のように語られることこそが、本質を捉えているのだ、と惰性にみちびかれるだけの宗教的な偽装から、そこで犠牲になることが正しいことのように語られることにより、自らの苦しみを浄化していくように思わされることにより、自らの正当性と同化し、何かに固執し続ける限りに渇する間に照合される正しさだけが、鬱積するものをとりはらうのだ、と達観する間に何かを見下すことでしか消費できない苦しみを利己的に浄化させることにより、自らの否定的な神を育てるだけに至るような対話から離れ、すべてから乖離し、理解を得るための闘争から、そこで統合される正当性などは、誠実さを謳うほどに嘘を重ね、自らを正しい者のように扱う先に厚かましく入り交じる正当性などは、制限を用い、自らが用いる密度により、有する価値に帰巣するための正しさをうそぶき、自らが用いる正しさだけが、正しいことにみちびくように思わされる間に去りゆく形式などを追いかけずに、自らの軽率さに敷衍する正しさとの照合などは、正しさへとみちびかずに、同じような答えに巻き込まれ、体系化していくだけに至らせるような正しさなどをシェアするための同化などは、道化を生み出し、対立を生み、介する間に理解すらもできずに、幼稚なままに判断し、未熟さに植え付けられるだけの正しさなどは、何の正しさにもみちびかずに、ただ正しいとされることだけに偏り勝ち誇るための価値から、ただロストしていくだけの正しさに追従し、自らを正しくしようと目論むほどに止揚できずに、生産的に現れるだけの正しさなどは、精算されるために持ち寄られる正しさの中で整合される闇を生成し、自らをもっとも暗い位置に置き、自らを見えにくくすることだけが、正しいことのように語られる深夜にもとづくものなどに迎合される者どもの卑屈で幼稚なギミックに算用されるために存在とは、存在として現れるのではなく、そこで持ち寄られるものを書き換えるために現れる。


靴底に磔にされた午後


 無口な電柱が道を塞ぎ、感情も表さないで良い日々に欠落するものもなく、ただひたすらに浄化し、待つ者もいなければ、いけ好かないから、と何かを否定する必要もない。ただ狩るか、狩られるかに差異はなく、いぶかることもない。願望すらも薄れ、とぎれとぎれの午後を愛でながら、妨げられることもなく、関連する風景に縫い付けられるだけの存在などは、瞬時に損なわれ、次々に迫る瞬間につぎはぎになりながら、次々に遅疑を重ね、倦怠感を流浪しながら、まさぐられる精神が偶像崇拝などに至らぬように、いたわる主観にあふれる心情などが、創造性を豊かに、過信することもなく、ここで正常さを謳うこともなければ、異常なほどに、瞬間とは、加算される存在を謳歌し、悲観せずに、関するほどに後続していく意識は、存在をそこなうことにより、そこでの行いに正しさを仕向けることもなく、現れるものをそのままに受け取る事に本質などはねじ曲がるだけに至るだけであり、あらゆる原理とは、そこであらがうこともできずに、現れるままに支配されることに背くこともできずに、そこで正しいとされるものを従え、何かを虐げることにより、自らの正しさを認識させるための利己的な正義を押しつけ、応ずるほどに抑圧される精神は敬神に浸り、貧寒なものを愛し、物質主義的に思議する瞬間に妨げられるだけの精神は、正否を求め、制止を振り切ることもできずに、禁じられるほどに禁忌とされているものを自然に加算し、換算されるだけの精神は、清貧さを知らずに欲望のままに欲そのものを加速させるなどと性悪説がうながす正義などにさえぎられ、さいなまれることを恐れるばかりで、自らの正しさを過信するほどに監視されているように思わせるための抑制を加えるだけの原理などが打ち出す法という囲いから禍根を生み出すのは、悪である、という幻想から逃れるために森へと逃げ込み、奔走する意識は、儀式的な悪魔を改ざんしているだけに満たない正義こそが汚いものである、という認識を深めるほどに、深まる思いは、独善的な体系を生み出し、ルサンチマンを強固なものにし、憎むことにより、自らの痛みから逃げるための方法論を打ち出し、自分を疎外させるための更迭や、拘束から混淆される瞬間にジレンマが生まれ、蓄積される苦痛から逃れるための言葉がうそぶきながら、惨めさを枷に変えるために生活という幻想を記号に変えるための言葉という圧力から、さいなまれる精神は敬神に浸り、何かを崇拝し、枢要なものに変換するための犠牲的な飛躍をむかえるためだけに症状を悪化させ、不眠へとおちいるものに下克上を行うべく、取り込まれる前の精神がギミックに犯される以前に濾過されるべき意味に祝福を捧げ、重なるものに復讐を与えるためのスキームへと飲まれる景観から逃れ、状態とは、そこで孤立を続け、そこにとどまらぬから、淘汰されずに統監されるものから放たれ、瞬時に自己に帰還するよろこびを敷衍させ、膨張する意識を儀式に取り込ませずに、自らを解放するための融合を高らかに歌う。言葉はこの場に軋轢をもたらさせ、何かを保つための戦争を生み出し、あらゆるものを踏み台にし、意思を奪いながら、転換される苦しみに連動していくももに屈折させるための抑圧を与える。言葉とは、自由を奪うための取り組みであり、何かを取り込むために何かを距てるための不自由な結末を生み出すための道具であり、言葉こそが、偶像を生み出し、何かを語ることにより、継承してきたものが、今の自由を奪うための言葉を捏造し、増幅する憎悪やら、短絡的な証拠を用い、愛を欠落させるための愛という言葉が、語られた途端に愛とは幻想に変わり、利己的にまじわる先にリアリズムは損なわれ、相似する瞬間に循環すべき愛が純化させる結末に結合されるために愛とは何か、と知るべきなのにもかかわらず、関わるほどに、愛とは邪魔なものにもなるのだ、と打算するだけの主観なとは、瞬間的に妨げられるだけに至る瞬間にまじわるためだけに味も無いような瞬間的な結合のための愛に悶えるような妄想から、朦朧としていく意識は、途端に汚穢を重ね、応じるだけの結末などに捧げられる言葉に意思を奪われ、意思の奴隷として、言葉の兵士として、終わらぬ戦争に荷担する意識は、簡単に処理されるための結末に滑落していくだけの犠牲的な精神は、軽薄な瞬間の奴隷として、一生を最たるものすらなく、たださまようために言葉に騙される。詠じられる永遠などは懸隔を生み出し、今を阻めるだけであるし、いじけるだけの瞬間に循環していく永遠の愛などは、味気ないものであるし、背反すべき愛からひたすら逃げ惑うだけの毎日に枷に変わるだけの名ばかりの愛などを吐き捨てるだけの口を縫い付け、言葉を吐き出す前に、黙ることを知るべきである。


再生


 途端に偏執し、極まるだけの風貌にたずさえる理論的な圧力から、従属するだけの時間などは、その場を引き伸ばすための余力を残し、十全としたものをおののかせ、そこで補完され、管理されるだけの便利な身体として、背く限りに陰るのが、この生命に制限を生み、原生のものを疎外させ、いくばくかの可能性を孕むだけの現実から乖離し、理解を得る以前に全貌に長け、延々と演繹し続ける限りに懐疑的なものを取り払い、利己的に示され、高圧的に迫る接続とは、今に自らを傀儡に変え、溜め込む影が吐き出す欺瞞がうながす不満により忿怒し、何かを分離させ、離別の悲しみを敷衍させるだけの悲しみに派生していく機械的な悲しみに開花していく由縁が真理を破壊し、犠牲的なものをうながし、保身を用い、高揚感を損ない、さいなむ記憶に臆するだけの現在に対立を生み出し、今を阻むだけに至るような横溢から、収斂し、連動していく時間に指定されるだけの存在が蛇行し、自らの影を踏み続けるほどに不眠的に描く道理に立証されるための真実を捏造し、意思を虐げ、解体される意味の中で磔にされる自己である事を放棄した自らと重ねるための神が生み出した怠惰な紙幣から、観念的な貨幣が平衡を謳わずに、ただ用いられる価値にいらだつためのシステム的な管理から、連想されていくものとは絶えず汚いものである、と機械的な者が快適さを呪うころには、すべてはむしばまれ、破壊されるための闇を設立し、自らに統合されるべき正しさなどを用いながら、自らの苦しみに課せられる空白に仮泊する精神は誠実さを求めるばかりで、自らは正しくあろうともせずに、弔うべき過去が獣性を用い、自らを悪魔へと変えるための遡行から即席の自由などを求める限りに陰る本質は、自らを憎むためのコードから、誰かを支配するコードへと変換していくための行為にもとづくエゴだけが迎合されるべきだ、と惰性に導くための呪詛から、体制にこびへつらうほどに、行為は正しさを失い、継続されるものだけが正義であり、神であり、確かな意味である、と魑魅魍魎どもがおどけて踊る誠実さを謳うだけの体系的な正しさに派生していく答えだけが、正しいように崇められることほど残酷なものはなく、そこかしこに現れる闇を食い尽くすのが正義であるのに、自らの役目をうやむやにし、何かを支配することだけに生まれた快楽に溺れ、自らの快感を増すためだけに支配的に制する辺りに相対する元々の原理に生き急いだ価値は、即席の自由を求め、自らを利用することにより、価値も増すであろうとうながす自らの言葉に修復されずに、修繕されるために並ぶ行列で語られることだけが真実である、とそこで噂されるものがいずれ真実に変わるのだ、と惰性にみちびかれる彼や彼女らの至福などは、何かを祝福できずにいじらしく何かを緊縛し、自らをしばることにおぼえるよろこびに悶えることだけを目的に何かを蔑む。馬鹿げた言葉が飛来し、散漫な意識に儀式的な気配を伝える。怠慢な理念は対価を求め、暴利をむさぼり、ルールの墓地を荒らし、背面に帰属するだけの正しいとされるものを認識するほどに腐る精神は、自らを制止できずに、何かを破壊することを目的に何かにジェラシーを感じるだけの女性的な迫害から、示すための権力だけが自らの価値を生み出すのだ、と増していく快楽により昇華していくのだ、と勘違いを生み出すだけの位階序列に従属するほどに、自らを奴隷に変え、意思に虚飾を重ね、共存するために競合するのであり、強制的に孕ませる意味に阻まれることだけが、自由を受注し、確かなよろこびに近付くのだ、と宗教的なものがうながすカタルシスなどは、自己啓発的な軽薄さにとどまり、自らを解析できずに表面的なよろこびに浸り、薄いバリアを張り、襲いかかる苦しみを次々に破壊しながら、その苦しみをつぎはぎに縫い付け、同じような苦しみを苦しむことを反復し続けるだけのシステムの虜になり、利己的な支配から制される思いは聖戦をうながし、すべてを破壊するための闇を措置するための法から、そこに生まれる欠如から介する間に生まれる時間的な管理から、関連するほどに情報に統合され、整合されるものなどは、自らの余韻に陰惨な苦しみを設立し、あたかも既存のものであるかのように示され、それだけが正しいもののように扱われることにより、正しさとは偏りを生み出し、正しくあろうとする先に生まれる憎しみを犯され、自らの虚空を産出するだけに終えるような終わりと始まりに悶える今に犠牲を捧げるための正しさをもたらすような欺瞞から、空間を汚すための悪意を混在させるだけの浪費的な今に現れる悲観的な監視者がすべてに枷を嵌め、そこから逸脱すれば最後、そこで世界は終わりを償うための罪を立証し、自らと同化するための苦しみを捏造し、今に苦しむべきだ、と強制される精神は、自らの生死を世界の生死と関連させ、自らが終われば世界も終わるなどとうながすような利己的な修復を終えるための破壊を続ける。



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