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.六 伝説で街おこしを

 

さて、今日の俺についての入力は終わったが、さあ、何から始めようか。

 

ここ最近、俺のミスでもないのに、職場の上司から怒鳴られてばかりいる。気が小さくて言い返せない俺としては、欲求不満が溜まり、今にも爆発しそうだ。だからと言って、三十歳のこの年で、海に向かって「バカヤロー」とか、山の頂上に立って「アホンダラー」と叫んで青春をするわけにもいかない。代わりに、コンビニのゴミ箱にチューインガムを捨て去るように、また、郵便ポストに手紙を入れる振りをして、クソッタレと叫んでも、周りからは危ない人か、単なる酔っ払いとしか思われない。

 

へたをすれば、警察に連絡されることだってある。自転車の酔っ払い運転でも捕まる御時世だ。そのうちに、挙動不審な行為だけでも、逮捕される時代になるかもしれない。何しろ、コンビニやスーパーなど街では警備のため、山の中では不法投棄を防止するため、監視カメラが二十四時間、三百六十五日稼働しているのだ。全くもって、気が抜けると言うか、休まる場所がない。常に、神経がゲゲゲの鬼太郎の髪の毛のように逆立っているのだ。そして、ちょっとしたことでも、すぐに過剰反応して、何も悪いことをしていないのに、すいません、すいませんと取りあえず謝ってしまうのだ。この際、この溜まりに溜まった欝憤を晴らすためにも、まずは、怒りのバージョンから始めるか。ばか、バカ、馬鹿、BAKA、口が滑らかになってきた。よし、今から、怒りまくるぞ!

 

「あほんだら、何さらしとんや。お前、どこに目えつけとんか、わかっとんのか。このどあほに、バカたれが」

 

画面に出てきたのは、どう見てもいわく因縁付きの、決して御友達にはなりたくないお顔。所謂、8さんである。決して、正義のヒーロー、エイトマンではない。Tシャツの隙間からは、紋白蝶々ではなくもんもんが見え隠れしている。透視能力はないけれど、多分、背中一面には、年がら年中牡丹の花が満開で、その花の下で竜と虎が戯れているのだろう。全てが露になるのでなく、幽かに見えることで、見えない部分が想像上忽然と浮かび上がって、より一層人に恐怖を感じさせる。

 

でも、いきなり、こういう展開が始まるとは思っていなかった。普通のストーリーなら、だんだんと盛り上がっていく起承転結や三幕構成じゃないのか。

 

「こういう展開とは、何だ。おまえ、わしをなめトンか、なめとったら承知せんぞ、くそぼっこが、内臓をえぐりだして、焼肉であぶり倒して、肉を喰ったその後の骨は、海に投げ込んだるで。これがほんまのホルモンや。いや、やっぱ、骨はラーメンのスープの出汁に使うから、ホオルモンはないわ」

 

画面の強面のおっさんがここぞとばかりに、にやっと笑う。歯は黒く、歯ぐきは赤黒い。思わず顔をそむける。それにしても、こんな場面でギャグを言うか。それに、これは俺の怒りバージョンじゃなくて、相手の怒り、いや、脅しのバージョンじゃないか。また、しゃべってもいないのに、おっさんは何でこちらの考えていることがわかるのだろう。

 

「何を、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ言うてけつかんねん。このボケナスが。束ねても立たんわずかなボーナスでも、包みにくるめてさっさと上納せんと、いてまうぞ。この、小心者のサラリーマンが」

 

おっさんの顔はこちらに近づいてきて、歯ぐきを通り過ぎ、いまや鼻の穴しか見えない。その鼻からは三匹のこぶたの家を吹き飛ばすぐらいの荒い鼻息が出ている。いや、あくまでも画面なので、その鼻息が飛んでくることはないけれど、ブラックホールのように鼻の穴の中に吸い込まれそうだ。一度吸い込まれると、魔の海サルガッソ海で難破した船のように、手入れのしていない鼻毛に絡め取られて、二度と抜けだせなくなってしまいそうだ。

 

もう、やめだ、やめだ、このバージョン。この怒りじゃなく、怒られバージョンはやめだ。日ごろのストレスの上に、更に重い石が膝の上に乗せられるという極刑のストレスが重ねられそうだ。こんなもののために、怒りのバージョンを選んだんじゃない。ええい。もう、別のバージョンにクリックだ。

 

「お前、待たんかい。ワイの承諾もなしに、何、勝手なことさらすんや。頭を刈上げさせたついでに、指も全部丸めさせてやるで。そうなりゃ、ジャンケンをしても、相手がパーを出せば、お前はいつも負けや。そうなってから、反省しても遅いで。わかっとんのか?

 

おい、待たんか、待たん、待た、待、まだ、言いたらんことがあるんや。お願いやから、もう少し、相手してやってえたあ」

 

 先ほどの勢いから、次第に猫撫で声に変わる8さん。だが、この猫撫で声が禁物だ。油断すると、ふいに猫パンチを喰らうこともある。単なるパンチならばいいけれど、ひょっと指の爪でも出ていれば、顔中、引っかき傷となり、画面の8さんと同じ仲間になってしまう。

 

そう言えば、最近、寝たきりのおばあさんが顔に引っかき傷で亡くなって、警察がすわ殺人事件と犯人捜しをしたところ、腹が減った野良猫がエサ欲しさにおばあさんの顔を引っ搔いたことが死因だと、ニュースが報道していた。ううん。窮猫おばあさんを引っ掻く。恐るべし。こんなことで納得してもしょうがない。

 

「いやあ。私は猫じゃありませんから、顔を引っ搔くなんてことはいたしませんがな。もちろん、パンチもいたしません。折角、久しぶりに、こうして画面に出てこられたから、もう少し、もう少し、お相手願いませんか。最近、誰も、怒りのバージョンを選んでくれはらしませんのや。このままいくと、このバージョンがなくなってしまうか、出演者も総入れ替えになってしまいます。そうなると、折角、手に入れた仕事もパーでんがな。なんとか、なんとか、神様、仏様、お代官様、お慈悲を・・・・」

 

なんや、こいつ。さっきまでの強気から一転して弱気や。そこまで言うなら、もう少し付き合ってやろうかな、と思うと

 

「お前も単純なやっちゃな。単細胞とは、まさにお前のことや。今まで、下手に出た分だけ、上乗せしてお仕置きしてやるから、心して待っとけ。こら、待っとけと言うとるやろ。待ってよ。待ってください。お待ち申し上げます。/・・・」と、画面の8さんの顔が七変化する。

 

 誰がお前なんか待つか。やめだ。やめだ。俺はマウスを掴んだ。何てこった。このまま続ければ、欲求不満の解消どころか、十倍返し、百倍返しの目に遭うところだった。何とか、傷口が浅いうちに撤退できてよかった。だが、慌てて、クリックしたため、次のバージョンがなんだったのか見忘れたぞ。おっと、すぐに始まった。

 

 

 


この本の内容は以上です。


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