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第7章 ディエス・イレ


32 巫女の不在


 キンナラは、また嘲笑して言いました。


「アトラスなんて化け物も化け物、とんだ悪魔だよ。あいつらはね、ただ安っぽい恩を売って威張りたいのと、美味いもんが食いたいだけの悪魔なんだよ。


 奴らがこの島に来たのも、ホントつまらない理由からなんだ。つまり、北の大陸の食い物に飽きたっていう、単にそれだけの事情に依ってるんだよ。そんなだから、もし食い物の味に飽きちまったら、この島からだって、迷わずさっさと離れていっちまうはずさ」


 遠くラノ・ララク山の方角を眺めながら、老婆はその言葉を続けました。


「そりゃ、いまは島を動かないかもしれない。だって、奴ら山のような貢物を貰っているもの。なあ、お前たちが収穫した作物は、みんな化け物のところに運ばれてるって知ってるかい。そんなの、あたしの仲間にとっては周知の事実なんだよ」


 このキンナラの話は、もちろん嘘です。あるいは、かのお芝居における虚構です。空で出来ているアトラスがものを食べるはずもなく、そんな彼らに食べ物を貢いでも、何の意味もありません。


 しかし、普段ラノ・ララク山を行き来しているのは、チェリアを始めとする砦の人間たちぐらいのもので、一般の島民たちには、アトラスの食料事情など知る由もありませんでした。

 

 


「だけど、そこで勘違いするんじゃないよ。


 チェリアにとっては、それだって化け物のためにやってる事じゃない。あの女にとっては、いつだって自分の保身だけが問題なんだ。

 

 いいかい、貢ぎ物を献上しておけば化け物は喜ぶし、上機嫌の化け物を見ていりゃ、あたしたち島民だって油断する。油断してりゃこそ、今回そうであるように簡単に島を抜け出せるって訳で、ね、これまであった事は、残らず巫女と化け物が仕組んだ茶番だったって事なんだ」

 

「な、お前さんたちが可哀そう、気の毒だってのが理解できるだろう。そして、自分たちの愚かしさが身に沁みてくるはずだ。あたしの言葉を無視できなくなるぐらいにね」


 さっきまであれほど気炎を上げていた人々も、こうなると、とうとう黙らざるを得なくなってしまいました。キンナラの話をそのまま受け入れることは出来ませんが、今までの出来事を、キンナラが言ったように解釈することも、また出来えない事ではないからです。


 そして、その疑念に追い打ちをかけるようにして、


「巫女たちが、本当に島にいないらしい」


 と、押し黙っていた群衆の一人が呟きました。その言葉は伝染病のように人々の耳に行きわたり、その範囲を広げるごとに不穏な空気を煽ります。

 

 


 ざわめきが人々の不安を物語っていましたが、実は最初に「巫女たちが島にいない」と呟いたのは、キンナラにその情報を伝えた、あのタントリでした。彼は早くから群衆のなかに紛れ込み、あわよくば人々の不信に火をつけようと機会を見計らっていたのです。そして、その成果はまさに上々だと言えました。

 

 島民たちの"巫女への信仰の揺らぎ"を読みとり、すかさずキンナラが言い放ちます。


「お前たち、島に妙な病気が流行っているのは知っているだろう。巫女が何と言ったかは知らないが、あの病気が流行りだしたのは、あの巨人、化け物どもがこの島に来てからだ。確かにそれまでは無かった病気だったんだ。


 なあ、化け物どもが来るまで病気はなかったんだよ。


 だとしたら、チェリアが、島人たちを弱らせて、自分が速やかに島からズラかれるよう、あの化け物に病気を流行らせてもらったとは考えられないか。あの化け物だったら、きっとそれぐらいの事は出来るだろうし、お前たちを残して島から逃げ出すような女なら、それぐらいの事は企てられるはずさ」


「そんな......まさかチェリアさまが、そんな事までも......」


 民たちの動揺は、もはや完全に心の拠りどころを失って極限に達しようとしていました。


「はじめに言ったように、あたしあ、お前たちが気の毒だからここに来た。


 言いかえれば、お前さんたちを救いに来たんだ。化け物と巫女が強要した苦しみから、このあたしが助けてやろうって言うんだよ。

 

 だから、あたしは自分が救い主であることの証明として、あの病気の餌食となった者を治してやる。巫女が捨てていった病人を、あたしが治したならば、この老いぼれの誠意も少しは伝わってくれるだろうからね」

 

 そう言うとキンナラは、デルフィーを入れた器を持ちながら群衆のなかに分け入っていき、その中に一人の病人を見つけました。もちろん"あの病気"の患者であり、その表情は絶えまない苦痛に歪んでいます。
 そしてキンナラは、半ば強引に、その病人の口にデルフィーを流し込みました。


「みんな、よく見るんだ。こいつを飲めば、どんな病気だって即座に治っちまう」

 


 そして、このキンナラの言葉どおり、広場に集まった人々は、今しがたまで苦痛に顔を歪めていた男が、急に笑顔になるのを見ることになりました。さきほどまで病人だった男が、いまや、さも気持ちよさそうに、恍惚として笑っているのです。


「痛みが消えた......いや、いまは天国にいるような心地だ」

 

 


 島民たちにとって、それはまさに驚愕すべき光景でした。


「巫女は何もしてやれなかったのに、キンナラは、この男をアッサリと救っちまった......」


 と誰かが呟きます。


 ですが、もともと"デルフィー切れによる禁断症状"が苦しみの原因だったのですから、再びデルフィーを飲むことによって、患者の痛みが除かれることなど、病理上まったく当たり前のことなのです。

 

 しかも、このような一時的な治療と快感とが、やがて再来する苦痛の前置にしか過ぎないことは言うまでもありません。

 

 


 しかし今は、理屈よりも、その場の勢いの方が、はるかに大きな意味を持っていたようです。不治と思われていた病気が一瞬にして治ったのを見ると、群衆のあいだで、まずその薬を賛美する声があがり、続けざま、薬の持ち主であるキンナラへの歓声が沸き上がりました。これに伴って、巫女への不信も極限まで達し、


「島の巫女は、上っ面の誠実さで俺たちを騙してたんだ!」


「俺たちは欺かれていた。キンナラさまこそが、真に島を救ってくれるんだ」


 といった言葉が人々の口に登りました。信じていた人から裏切られる事ほど辛いものはありませんから、民たちがこのようになるのも、至極もっともなのかもしれません。

 

 

 

 ところが、その民たちに向かって叫ぶ者がありました。


「静まれ! そんな者の言葉に心を奪われてはならぬ。どんな事があろうとも、お前たちが治者と仰ぐべきは島の巫女だけなのだ!」


 声の主は、砦の従者たちに囲まれたバッティーヤでした。探索中のキンナラが出現、という通報を受けたバッティーヤが、たった今ここに到着したのです。


 ただし、通報者が見たのは"キンナラ出現"の場面までだったので、その通報を受けたバッティーヤも、


(どんなに探しても見つけられなかった薬売りが、今になって自ら姿を現わしてくるとは。よし、わしが行って、今日こそ奴を捕らえようぞ)


 という気持ちでいたのです。ですが、お分かりのとおり、この時ばかりは、まんまとその思惑がはずれてしまいました。


(どうしたのだ、この冷ややかな民たちの様子は)


 と、バッティーヤが広場に到着した時には、すでにキンナラへの歓声が沸き立っており、それを戒めたバッティーヤは、逆に、民たちから敵意を向けられることになったのです。

 


 しかもバッティーヤは、群衆たちから、さらに思いがけない質問を突きつけられることになりました。すなわち、


「バッティーヤ、本当に巫女は島にいないのか」と。

 

 


 ぞんざいな言葉づかいもさることながら、内容自体、バッティーヤを心底から困惑させずにはおかない質問でした。


 今チェリアは海上にあります。病人を救うための薬、サンゴの卵を手に入れるためです。しかし、巫女の第一律からすれば、民を救うためとはいえ、チェリアが海に出たことは、まさしく掟と民に対する裏切りに他なりませんでした。巫女の第一律とは、


「巫女が島を離れれば、その時には巫女に、そうでなければ巫女不在の島に、必ずや大きな災厄が降りかかるだろう」

 

 という事を意味していたからです。これを冒せば、形式上、島民を裏切ったことになるのは当然のことです。


 ですから「巫女は島にいないのか」という問いは、バッティーヤにとって、絶望的なまでに答える術のないものだったのです。

 

 

 

 そして、そうやって質問に答えられないバッティーヤを見たことは、群衆にとって、自分たちが進むべき道を明示されたも同然のことでした。


「答えられないということは、巫女は本当に俺たち島民を見捨てたんだ。俺たちが信じるべきなのは、やっぱりキンナラさまなんだ!」


 殺気をはらんだ島人たちを前に、バッティーヤは何も言えず、また何も為せぬまま、踵を返して逃げ出すしかありませんでした。少なくとも、ここに留まっていれば命の保証はありません。

 

 


 広場を離れ去っていくバッティーヤ一行を横目に、キンナラが意地悪くほくそ笑みました。


(あんな馬鹿もいるんだねえ。あのジジイったら、火を消すつもりでやってきたのに、見事に火に油を注いでくれたもの。まったく何しに来たんだか、ひひひ)


 そして老婆が、島民たちに対して一層の威厳を示しながら宣誓します。


「見な、砦の人間は逃げていっちまった。それが、奴らが島民を騙していた証拠だよ。


 残されたお前たちは実に可哀そうな立場にあるが、だからこそ、あたしがお前たちを救ってやる。あたしの言うことを聞けば間違いないから心配するな。これは新しい、そして素晴らしい関係の誕生なんだ。

 

 だから、祝杯にあの薬をやろう。さっき病人を救った万能薬だ。飲めば、お前たち全員が幸せになることを約束するよ」

 

 その言葉に、人々は何一つ疑いもせずデルフィーを飲み、誰もがその快楽に打ち震えました。そして、その快楽のために人々の頭が判然としなくなったところを見計らい、キンナラが催眠術師的ないかがわしさでもって言います。


「天が落ちてくるなんて話は全部ウソだ。


 あれは、天の底をアトラスが引っ張ったせいで起こったことさ。あの化け物たちは、以前から島の近くに隠れていて、あたしたちが苦しんでるのを、そこで、じっと伺ってやがったのさ。自分が島の救い主として現れるための、その絶好の機会を逃さないためにね。


 だからね、お前たちが苦しんだのも、テピト・テアナが滅びかかったのも、すべてはアトラスとチェリアのせいなんだ」


 ならば島の救いは、罪悪を犯した者たちへの制裁にこそあると、キンナラが、今度は尊大な口ぶりで民たちに命じました。


「巫女はいないが、アトラスたちはまだ島にいる。だから奴らを呪い殺してやろうじゃないか。いいかい、みんな輪になれ。太鼓を鳴らして火を燃やせ。そして唱えよ、アトラス憎しと。アトラス憎しと!」

 

 


 このキンナラの音頭が、やがて群衆たちの大合唱となったときのことです。


 その巨大な憎悪の念によって、かの洞窟から泥人形が這いだし、それらが一様にラノ・ララク山に向かっていきました。もちろんアトラスを倒すためにです。


 それだけではありません。さらに、広場でアトラスを呪っている者たちの人数分だけ、洞窟のなかでは、続々と新しい泥人形が量産されていったのです。そして、それら新しい泥人形が、間断なく洞窟から出ていっては、ラノ・ララク山への行軍に加わるのでした。


 それはまるで、うごめく闇が、光を呑み込みながらアトラスたちのもとへ忍び寄るようでもありました。

 

 


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奥付



【2017-11-17】アトラスⅢ


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著者 : 正道
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