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【試し読み版】 死への目撃者 (8/16)

 ミナは、百子から矢継ぎ早に質問される度に、決まって首を少し傾げ、考え込んだ。しかし、どの質問にも結局答えることができずに、「分からない」を繰り返した。

 それでも百子は、好きなモノ嫌いなモノの質問をしつこく繰り返した。それらの質問の何か一つでもいい、ミナの失われた記憶の鍵穴かぎあなに突き刺さる「キッカケ」がないか、それを探していた。

 27問目からは質問形式を変えた。

「じゃあ、今度は好き嫌いじゃなくて、得意か不得意かを教えて。お料理は得意?」

「……分からない」

「英語は得意?」

「……分からない」

「スポーツは得意?」

 ミナが初めてピクンと反応した。「得意かどうかは……分からない……けど、病院で体力測定みたいなことを何度かやった……いい成績だった」

「例えば?」

「50メートル、7秒5……立ち幅跳び、2メートル20」

 ミナは自分の記録を暗記していた。

 記憶を失う前の記憶は全て忘れてしまっているが、それ以降の記憶についてはよく覚えているということなのか。

「ちょっと待って。今、調べてみる」

 百子はトートバッグからスマホを取り出し、中高生女子の運動能力テストの全国平均値を検索する。

 ミナの正確な年齢は分からないが、見た目から高校一年生と推定し、その辺りの女子の平均値を見てみると、50メートル走では8秒後半から9秒頭、立ち幅跳びは170センチ前後だった。ミナの数値は同年代男子平均に匹敵していた。

「かなり運動神経はいいみたいね。記憶をなくす前は、運動部に入っていたのかもね」

「病院の先生や警察の人も同じこと、言ってた」

 ミナが少しだけ表情を緩めた。

「体育会系なのかもね。私とは反対ね。私なんかウンチだもん」

「ウンチ?」ミナが首を傾げた。

「運動音痴のこと。私なんか、勉強する他はからっきしなの。だから、スポーツができる人や音楽ができる人、あと、マンガ描けちゃう人とかにすっごくあこがれるのよ」

「マンガ!? そうだわ。先生! ミナも、絵、上手うまいんです! それもびっくりするぐらい」

 桑原が思い出したように大声を上げた。

「原本は警察の方に提出しちゃったんですけど、コピーがあるんです。見ていただけますか?」

 桑原はそう言うと、あわてて面会室を飛び出していった。そしてしばらくの後、クリアファイルに入った一枚のコピー用紙を持って戻ってきた。


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最終更新日 : 2017-11-07 16:20:58

【試し読み版】 死への目撃者 (9/16)

 桑原が百子に見せたその紙切れには、一人の若い女性のバストショットが鉛筆画で描かれてあった。デフォルメされた似顔絵ではなく、極めて写実的に描かれたデッサン人物画である。まるで一枚の写真を切り取ったような、それとも目の前の光景を直接見てデッサンしたかのような、そんな人物画だった。

 人物は、ショートカットでメガネ姿。OLっぽいブラウスにジャケットを着用している。歳は25から30前後だろうか。なかなかの美人であるが、驚いた時の顔だからか、眉間みけんにシワが寄っているのが玉にきずと言えば言えるかもしれない。外出先でのワンシーンをデッサンしたらしく、女性の背後の街路樹らしき木々までうっすらと描いている。

「上手ねぇ。もしかしてミナちゃん、美術系の学校に通っているの?」

「分からない」

「で、この人、どなた?」

「……誰だか……分からない」

「え?」

「急に、頭の中にこの人が出てきて。描かなきゃいけないって」

「描かなきゃいけない?」

「一昨日、ウチに来て、すぐでした。いきなりミナが、紙と鉛筆が欲しいって言い出して。だからこれの原本は、チラシの裏なんですよ」

 桑原によれば、ホームのリビングで、他の入所者の紹介をしている最中に、ミナが突然、頭を抱え込み、しゃがみこんだかと思いきや、すぐに紙と鉛筆を要求してきたのだという。ミナは何かに取りかれているかのように、ものすごい早さで鉛筆を動かし、このデッサンを仕上げたのだという。

「驚いたわ。たった10分とかで描きあげちゃったのよ」

「もう一度、聞くけど、この女の人に見覚えはないのよね? ミナちゃんのお姉さんとか、学校の先生とか、知り合いじゃないのよね?」

「……分からない……本当に分からない」

 ミナは頭を抱えた。

「警察の人も、写真とかを見ずに、ここまで細かく描写できているっていうのは、ミナが過去に深く関わった人であることは間違いないから、この人物画が誰か、探してみますって言って、原本を持っていったの」

「そうですね。私も同感です。それどころか、この人が、ミナちゃんが記憶をなくすキッカケだった可能性も高いです」

「先生もそう思われますか?」桑原が飛びつくように言った。

「ええ。他の記憶を全てなくしているにもかかわらず、ここまで細かく人物描写ができるっていうことは、ミナちゃんの記憶障害のキーパーソンであることは間違いないと思います」

 百子は断言した。そしてもう一度、デッサン画に目を落とす。さっきは気づかなかったが、デッサン画の右下に、小さく『201X.9.7.17:15』の文字があった。


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最終更新日 : 2017-11-07 16:21:08

【試し読み版】 死への目撃者 (10/16)

「ああ、それね。ミナが日付と時間をわざわざ私に確認して、自分で書いたんです。几帳面きちょうめんな性格なのね。日付だけじゃなくて、デッサンした時間まで書くなんて。それも描き終わった後じゃなくて、書き始めに聞いてきたのよね。『今、何月何日ですか? 今、何時何分ですかっ?』って強い調子で聞かれたから、驚いちゃって、アタフタしちゃったの」

「……あの時、日付と時間をどうしても書かないといけないって……ごめんなさい」ミナは桑原に頭を下げた。

「なんで謝るの? ゼンゼン、ゼンゼン」桑原は笑い飛ばした。

 おそらく、記憶をなくす前の彼女は、デッサン画を描く際、日付と時間を明記するのをルールにしていたのだろう。それが無意識に出てしまったのだ。

 どうやら、ミナが美術系学校に通っていたか、もしくは、美術系の個人レッスンを受けていたという推理は、あながち外れてはいないのかもしれない。

 

 その後、2時間近くかけて、百子はミナの問診を続けた。

 結局、ミナの記憶が戻ることはなかったし、そのキッカケさえつかむことはできなかった。

 結論から言えば、百子はいまだ、彼女が正真正銘の記憶喪失患者なのか、それとも詐病なのかの判断をつけかねていた。

 だが、彼女が2日前に描いたデッサン画の存在が、詐病の疑い有りとする疑念を消し去りつつあった。記憶喪失をいつわろうとする人間が、逆に、過去の記憶の一部であるあの絵をわざわざ描くだろうか。

 あのデッサン画の女性は、ミナの過去に密接に関わったことのある人物であることは間違いない。百子はそう信じてみることにした。つまりは、デッサン画の女性が誰であるかが分かれば、自動的にミナが何者であるか判明するだろう。そうも確信していた。

 そして手首に彫られた37という数字。これも彼女の素性を明らかにする手がかりの一つとなるはずだ。

 面会室を出た時、時計の針はもう21時を過ぎていた。

 入居者たちの共有スペースを抜け、百子は玄関へと向かった。共有スペースの液晶テレビには、夜9時の報道ニュースが映し出されていた。

「チャンネル変えて! バラエティがいい!」入居者の誰かがそう言って、リモコンでチャンネルを変えようとしたその時、

「待って! そのまま! チャンネル、そのままにして!」


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最終更新日 : 2017-11-07 16:21:18

【試し読み版】 死への目撃者 (11/16)

 誰かの悲鳴にも似た叫び声がした。

 ホームにいた一同が驚いて、声のした方を振り向いた。

 桑原院長だ。

 百子の見送りに玄関へと出て行こうとした桑原が、ニュースの画面を、愕然がくぜんとした面持ちで見入っている。

「先生……ミナ……あ、あれ……あれ見て」

 桑原が震える声で液晶テレビを指さした。

 玄関先でハイヒールを履こうとしていた百子と、彼女を見送ろうと玄関の手前で立っていたミナが、同時にテレビ画面を見た。そして同時に「あっ」と声を上げた。

「遺体で発見されたのは、東京都八王子はちおうじ市に住む、会社員山中やまなか友絵ともえさん、27歳です。警察の調べによりますと、山中さんは、本日午前6時過ぎ、出勤のため自宅マンションを出た後、行方が分からなくなっていましたが、本日昼過ぎ、自宅近くの公園で遺体となって発見されました。八王子警察署では殺人事件として、警視庁との合同捜査本部を設置し……」

 ニュース画面には、殺人事件の被害者の顔写真が大きく映し出されていた。

 その顔写真は、ミナが2日前にデッサンした人物画そのものだった。

「まさか……ミナちゃんの知り合いが……殺された」

 百子は呆然ぼうぜんつぶやきながら、目の前のミナを振り返った。

 ミナは顔面蒼白そうはくになりながら、必死にその場に立ち続けていた。


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最終更新日 : 2017-11-07 16:21:29

【試し読み版】 死への目撃者 (12/16)

《 第2章 》

 こいつは事件発生当初に考えていたより解決に時間がかかりそうだな、と和伊わい零士れいじはため息をつきながら警察署を出た。署の玄関を出て、大きく伸びをした。

 八王子市内で起きたOL絞殺こうさつ事件の捜査は、八王子警察署に警視庁捜査一課との合同捜査本部が設けられて早一週間が経過していたにもかかわらず、目ぼしい犯人像を特定できずにいた。

 八王子警察署から歩いてすぐのところにあるコンビニでドリップコーヒーを買い、駐車場でそれをすすっていると、背後から「和伊」と呼ぶ声がした。振り返ると、警視庁捜査一課3班の二見ふたみ班長がいかつい顔をさらにいかつかせるかのように眉間にシワを寄せたまま近寄ってきた。

「二見班長……」

 和伊は軽く目で会釈をした。

「なんだ、こんなところでコーヒーブレークか。コーヒーなら捜査本部でタダで飲めるじゃないか。タバコ吸いに逃げ出したのなら分かるが、お前は吸わなかったよな?」

 二見は胸のポケットからマルボロライトの箱を取り出し、一本を口にくわえた。

「二見さんこそ、喫煙ブース、署内にあるじゃないですか」

「バカヤロウ。あんな狭いガラス張りの中でのんびり吸えるかってんだ」

 二見はそう言いながらタバコに火をつけると、美味うまそうに煙を吸い込んだ。「悪い。オレもコーヒー飲みたいんだが」

「買ってきますよ」

 和伊はコンビニの店内に入り、慣れた手つきで入口付近に設置してあるセルフ式のドリップコーヒーマシンを操作し、自分のスマホをかざして料金精算をした。

 れたてのコーヒーを渡された二見は、「サンキュ」と礼を言いながら、「ハイテクだね。オレにはさっぱりついていけない」と感心したように後輩刑事を見た。駐車場から、和伊の一連の行動を観察していたのだろう。

「今時、スマホで買い物ができたり電車に乗れたりするのは常識ですよ。そういうのを毛嫌いしてたら、年々増加しているサイバー犯罪とかにも対応できなくなりますよ」

「バカにするな」と二見は毒づきながらコーヒーをすすった。

「空が青いねえ」二見が言った。「ですね」和伊が答えた。二人共、空なんか見てはいなかった。

「やっぱり、捜査本部は居心地悪いか?」

 視線を合わせないまま二見は言った。

「オレはそんなに気にはしてないんですが、他の連中が、どうしても、ね」和伊は苦笑いを浮かべる。

「ヤツラも悪気があるわけじゃねえ。お前に対して、どう話しかけたらいいか戸惑っているだけなんだ。それだけは分かってやってくれ」

「分かってますよ。オレだって2ヶ月前までは二見班の一員だったんですから」


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最終更新日 : 2017-11-07 16:21:39


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