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【試し読み版】 死への目撃者 (4/16)

 穂乃果は、ひとしきり百子と会話したら満足した様子で、「今日は夕食の後片付けの当番なの」と言って、奥の台所へと戻っていった。

 穂乃果が去ってすぐに、手前の部屋からこのホームの院長、桑原くわばらなみが顔を出した。

「先生、こちらへ。お忙しいのに、すみません」

 奥の部屋には、スタッフたちの居住スペースの他に、小さな4畳半の面会室が2つある。普段は、児童相談所とのミーティングや、児童とその親御さんとの面会などに使われる。そして、百子によるメンタルカウンセリングルームとしての用途もあった。

 通い慣れた手前の面会室のドアを開けると、テーブルを挟んだ窓際の椅子いすに、少女が座っていた。

 ストレートの黒髪に、透き通っているかのように白い肌。少しつり目で切れ上がった目。長いまつげ。白いワンピースを着ている。年齢は16か17だろう。だが正確なところは正直よく分からなかった。あまりの美しさが実年齢を判別しづらくさせていた。とにもかくにも、ファッション雑誌の表紙に登場してもおかしくないほどの美少女がそこにいた。

「きれい……」

 百子はわざと声に出した。もちろん、ファーストコンタクトで相手にいい印象を与える狙いもあった。心を閉ざす患者に初めて会う時、まずは、何かしらめると、その後の会話がスムーズに行くことを、百子は経験則として知っていた。だが、先ほどの感想は本心から思わず出た言葉でもあった。

 それぐらい、少女は美しかった。

 少女は、百子が入ってきたことを認識しているはずなのに、うつむいたままじっとしていた。

 向かいの席に腰を下ろす百子に、一緒に入ってきた桑原院長が小声でささやく。

「一昨日、田無たなし警察署の生活安全課の婦警さんが児童相談所の所長と一緒に彼女を連れてきたんです。2週間前、青梅おうめ街道沿いの児童公園で倒れていたそうです」

「公園で?」

「発見された時は素足に上下ジャージ姿だったみたい。すぐに市民病院に運ばれて精密検査を受けたら、身体的には全く異常なしだったけど……」

「記憶だけが、なかった?」

 桑原は小さくうなずいた。「病院でCTやMRI? そういったものも全部やったみたいです。だけど、外傷が原因ではないってことぐらいしか分からなかったみたいで、病院としても警察としても、病気ではないと診断された身元不明の児童をいつまでも入院させるわけにはいかないってことで……」


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最終更新日 : 2017-11-07 16:20:15

【試し読み版】 死への目撃者 (5/16)

「それで、ここに?」

「ええ」桑原は弱く微笑ほほえんだ。「本当だったら、もっと早く先生にご連絡差し上げて、診察に来てもらいたかったんですけど、警察から、『いつ、保護者が名乗り出てくるか分かりません。ここに入所をお願いしたのは、あくまでも暫定ざんてい的処置ということで』とか言って念押しされちゃったもので」

「そう、ですか」百子は納得した。

 桑原としても、彼女を他の入所児童同様、ホームの家族として迎えていいものかどうか迷っているようだ。

「名前とか年齢とか、どこから来たとかの手がかりって、まるでないんですか?」

 百子は、わざとテーブルの向こうの少女にも聞こえるように大きめの声で隣の桑原に質問する。桑原も、百子の意図することが分かったようで、同様にはっきりと聞こえる声で答えた。

「ええ。本人は全く記憶にないみたい。児童公園で発見された時の着衣には名前などの記載はなかったそうですし、身元を判別するモノも持ってなかったみたいです。裸足はだしの足の裏はほとんど泥も砂もついていなかったことから、警察としては、車でどこからか運んできたか、あるいは本人の意志で車から逃げ出した可能性が高いだろうって……事件事故の両方で捜査はしているようなんですけど、手がかりは全然みたいで……」

 百子と桑原の会話が聞こえているはずの少女の体がピクンと反応した。

 それを見て百子は、シメタ、と内心喜んだ。

 本当の記憶喪失だった場合、自分が何者でどこから来たのか知りたいと一番願っているのは本人なのだ。記憶を取り戻すには、何かしらのキッカケが必要である。しかし本人がそのキッカケが何であるかを見つけ出そうとする強い意志を持たない限り、記憶は簡単には取り戻すことができないというのが百子の考えだった。

 今、少女は、自分が発見された時の状況にしっかりと耳を傾けていた。その中に、自分が見落としたキッカケがないか、必死に探そうとしているからこそ、体が反応したのだ。とにもかくにも、少女自身は、記憶を取り戻したいと願っていることは明らかだった。

 人は誰でも、『自分は何者なのか』を必死に探し求める定めにある生き物なのだ。

 とはいえ……、

 百子はこの時点では、目の前の少女が本当に記憶を喪失してしまっているのか、あるいは、記憶喪失のフリをしているのか、その判断をする段階になかった。


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最終更新日 : 2017-11-07 16:20:25

【試し読み版】 死への目撃者 (6/16)

 ようやく百子は少女に向かって話し始めた。

「ごめんなさいね、自己紹介が遅れて。私は精神科医のイトカワモモコ。毛糸の糸に川、数字の百に子と書いて百子って言うの。近くのメンタルクリニックから呼ばれて来たの。ここのホームの悩み相談役も引き受けているから、これからもよろしくね」

 少女はコクンと頷いた。しかしまだ百子の目は見てくれない。

「今、院長さんからあなたがここに来たいきさつは聞いたわ。大変だったのね。自分が誰なのか分からないのって、すっごく不安だと思うし、昔のことが全然思い出せないっていうのも、つらいと思うわ」

 百子はフレンドリーな言い回しを心がけた。

「名前、どうしよっか? 本当の名前を思い出すまでの間、あなたのこと、なんて呼べばいいかな?」

 少女が、一瞬、戸惑ったように感じた。次の瞬間、ゆっくりと顔を上げ、百子ではなく桑原を見た。

 桑原が小さく頷いた。

 そして少女が初めて口を開く。

「……ミナ」それは小さな声だった。

「え?」百子は片手を耳に当て、問い返す。

「ミナ」少女がもう一度言った。

 百子は驚いて隣の桑原を振り向いた。

「すみません。私が仮につけた名前です。ほら、いくら短期間だけお預かりするとしても、やっぱり、名前がないと不便だから」

「ああ。そうだったんですか」百子は少しガッカリした。名前だけは覚えていたのだと勘違いしてしまったからだ。

「でも、どうしてミナちゃんって?」

「それが……」

 桑原が何故なぜか言いよどんだ。百子は怪訝けげんそうに首をかしげた。

「……タトゥーで37と……彼女の右の手首に」怒りのせいで顔を真っ赤にさせた桑原が絞り出すように言った。

「えっ!?」百子は耳を疑った。そして目の前の美少女の右手に視線を移す。しかしテーブルに隠れているので手首は見えない。

 ためらいもなくミナがスーッと自分の右腕を百子の前に差し出した。確かに、右手首の内側に、『37』と小さなタトゥーが彫られている。マジックインキとかで書かれたものではなく、明らかに彫られたもののようだ。

「……37だから、ミ(3)ナ(7)ですか……なるほど」

 百子はようやく名前の由来を理解した。と同時に、憤怒ふんぬで胸が苦しくなった。

「誰が一体、こんなひどいことを……」


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最終更新日 : 2017-11-07 16:20:35

【試し読み版】 死への目撃者 (7/16)

 年齢から推測して、自分自身で入れ墨を入れたとは考えにくい。となると、親なり友人なりが強制的に、または興味本位で、彼女の体にタトゥーを刻みつけたと推測するのが順当だろう。

「ただ、彼女の精密検査を担当したお医者さまによれば、このタトゥーは、若い人の間で最近流行っているヘナタトゥーと同じく、表皮だけを染めているようで、どれだけ長くとも、3ヶ月か半年もすれば消えていくだろうって……」

「そう……消えるんだ。よかった」百子は心から安堵あんどする。

「この数字、何なんでしょうか?」桑原が百子に尋ねる。

「さあ? ミナちゃんにも心当たりはないんですよね?」

 百子は、桑原とミナを交互に見やった。ミナはかすかに首を横に振った。

「警察の人は、不良グループの友人たちがグループ名にちなんだ数字を彫ったんじゃないかって言ってましたけど。別の警察の方は、数ヶ月で消えるヘナタトゥーだと分かっていたのなら、本人が自らの意思で、好きな数字をそういうお店で入れてもらった可能性もあるんじゃないかって」

「そういうお店?」

「その警察官の話ですと、最近、ハワイの土産物屋とかでも簡単に入れられるんだそうです、ヘナタトゥーっていうのは」

「へえ」

 桑原の言葉に百子は一々感心したように頷いた。

「なるほどね。消えるタトゥーなら、気軽な気持ちで、好きな男子の生年月日とか交際を始めた記念日とかを入れちゃうってこと、あるのかも」

 さっきまでの怒りの感情が急速に消えていくのが分かった。半年で消えてしまうのならば、そこまで深刻に考える必要はないのかもしれない。百子は次の質問に移ることにした。

「これまでに何度も、警察や児童相談所で同じことを聞かれていると思うけど、改めて質問いいかしら? あなたの本当の名前や年齢、お父さんお母さんのこと、どこから来たとか、覚えていることってある?」百子は本題を切り出した。

「……ない」

 ミナは少しだけ考え込む仕草しぐさをして、ポツリと言った。ぶっきらぼうだが、決して怒っているわけでもないみたいだ。そして続けた。「本当に覚えてない……ごめんなさい」

「謝ることはないわ。だって記憶喪失ってそういうものだから」

 百子は笑顔をミナに向けた。

「質問変えようか。じゃあ、好きな色は何?」

「……分からない」

「好きな食べ物は? 反対に嫌いな食べ物でもいいわ」

「……分からない」

「じゃあ、好きなアイドルとか、いる?」

「……分からない」


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最終更新日 : 2017-11-07 16:20:45

【試し読み版】 死への目撃者 (8/16)

 ミナは、百子から矢継ぎ早に質問される度に、決まって首を少し傾げ、考え込んだ。しかし、どの質問にも結局答えることができずに、「分からない」を繰り返した。

 それでも百子は、好きなモノ嫌いなモノの質問をしつこく繰り返した。それらの質問の何か一つでもいい、ミナの失われた記憶の鍵穴かぎあなに突き刺さる「キッカケ」がないか、それを探していた。

 27問目からは質問形式を変えた。

「じゃあ、今度は好き嫌いじゃなくて、得意か不得意かを教えて。お料理は得意?」

「……分からない」

「英語は得意?」

「……分からない」

「スポーツは得意?」

 ミナが初めてピクンと反応した。「得意かどうかは……分からない……けど、病院で体力測定みたいなことを何度かやった……いい成績だった」

「例えば?」

「50メートル、7秒5……立ち幅跳び、2メートル20」

 ミナは自分の記録を暗記していた。

 記憶を失う前の記憶は全て忘れてしまっているが、それ以降の記憶についてはよく覚えているということなのか。

「ちょっと待って。今、調べてみる」

 百子はトートバッグからスマホを取り出し、中高生女子の運動能力テストの全国平均値を検索する。

 ミナの正確な年齢は分からないが、見た目から高校一年生と推定し、その辺りの女子の平均値を見てみると、50メートル走では8秒後半から9秒頭、立ち幅跳びは170センチ前後だった。ミナの数値は同年代男子平均に匹敵していた。

「かなり運動神経はいいみたいね。記憶をなくす前は、運動部に入っていたのかもね」

「病院の先生や警察の人も同じこと、言ってた」

 ミナが少しだけ表情を緩めた。

「体育会系なのかもね。私とは反対ね。私なんかウンチだもん」

「ウンチ?」ミナが首を傾げた。

「運動音痴のこと。私なんか、勉強する他はからっきしなの。だから、スポーツができる人や音楽ができる人、あと、マンガ描けちゃう人とかにすっごくあこがれるのよ」

「マンガ!? そうだわ。先生! ミナも、絵、上手うまいんです! それもびっくりするぐらい」

 桑原が思い出したように大声を上げた。

「原本は警察の方に提出しちゃったんですけど、コピーがあるんです。見ていただけますか?」

 桑原はそう言うと、あわてて面会室を飛び出していった。そしてしばらくの後、クリアファイルに入った一枚のコピー用紙を持って戻ってきた。


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最終更新日 : 2017-11-07 16:20:58


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