閉じる


はじまりの朝

 

 駅の改札を抜ける。若月アリスは少し先を行く辻理恵の姿を見つけた。追いついて声をかける。

「おはよっ! 理恵っ!」

「あ、おはよう、アリス! ねっ、ねっ、あれ見たっ?」」

「見た、見た。電車のでしょ。あの冬美がねぇ」

 通学路を歩きながら富山冬美の話題になった。

 

 アリスと理恵は中学からの親友。二人とも制服ありきでこの高校に決めた。

 有名デザイナーの制服は、男子が紺のブレザーとタータンチェックのズボン。女子は、男子と同色の可愛いセーラー服。スカート丈は短め。男子も女子も胸にヨーロッパの古代紋章もどきの重みのあるエンブレムがついている。雑誌やテレビに取り上げられることも多く、みんなこの制服を着たくて受験する。

 しかし、あまりにも目立つゆえの弊害。それが痴漢の世界でもダントツ1位の人気校になったということだ。この制服を着ていれば誰でも痴漢に会えるといっても過言ではなかった。通学電車の中の少女たちは飢えた狼の群れに放たれた羊だった。

 アリスと理恵が入学したての頃は、電車のドア際でサラリーマン風のおじさんから何度コートの中を見せられただろう。 だが、2年生ともなると多少の心得もできてきた。

 

  1.ドア近くに立たないこと。

  2.女生徒同志、かたまって乗ること。

  3.男性の挙動に気を付けること。

  4.臆さず声を出すこと。

  5.被害に遭った時は、周りの人に助けを乞うこと。

 

 この心得も、熟練した痴漢には叶わず、結局、痴漢におびえる日が続いていた。

 

 今日に限って、なぜ、クラスメートの富山冬美か。

 それは電車の中吊り広告に富山冬美が載っていたからだ。

 その広告というのは、いま話題沸騰中の『痴漢撃退講座』だ。

 

 広告の見出しは、

《やれるものなら、やってみな!》と、強気。

 

 そこに、三人の女性の写真と簡単なプロフィールが載っている。

 

  1人目は、『30代OL』。デスクワークをしている猫背のぽっちゃりした女性。

  2人目は、『大学生』。教室で講義を受けているが、かなりの老け顔だ。

  3人目が、富山冬美。入学願書に貼るような堅苦しい写真だ。

 

 会社名や学校名は出ていなくても写真があるのだ。知り合いならすぐにわかる。

 アリスと理恵が教室についた時にはすでに冬美はクラスの女子に囲まれていた。冬美はクラスでは目立つ存在ではない。その冬美が中吊り広告に載ったことで嫉妬と羨望がクラス中に渦巻いていた。

 アリスと理恵も鞄を置き、その輪の中に入った。

「ねぇ、冬美。本当にアレしたの?」

「よく、やったねぇ」

「わたしも講座、受けようかなぁ」

「この、有名人!」

 十人十色の声が飛ぶ。その中心で冬美が真っ赤な顔をしていた。

「で、どうなの? 効き目あった?」

 冬美が返事を急かされ、つぶやくように言った。

「わたし……。わたしは、人それぞれだと思うし、効果は未だ試してないから……」

 下を向くと、冬美は下校時間まで同じ言葉を繰り返した。

 

 帰宅電車は思いのほか空いていた。

「じゃ、お先ぃ!」

 手を振って理恵が先に電車を降りた。アリスの左横の席が空き、そこに30代前半の男性が座った。アリスの降りる駅まではまだ3駅ある。ちらりと横目で見る。男性が腕組みをして目を閉じた。どうも眠る気らしい。

(……警戒する癖がついちゃったな)

 苦笑いしてアリスは読みかけの小説を開いた。夢中で読んでいると左胸に何か当たっているのに気づいた。そっと目線を胸に移す。男が腕組みをしている下重なりの左手が、アリスの胸を触っていた。

 腕の位置をずらしたが、男はやめない。仕方なく席を立ち、二つ先の車両に移った。今度は中年女性の隣に座り本を開く。中年女性の態度が妙に落ち着かなくなったのに気づき、目を上げる。50過ぎの中年男性がズボンのチャックを下ろして前に立っている。目を伏せて本に没頭する。男はつまらなさそうにイチモツをしまって車両から出ていった。

(……こんなことじゃだめだ……おびえているだけじゃだめだ)

 家に辿り着く頃には、アリスの決意は固まっていた。

 

「ねぇ、あっちゃん。帰ってきたと思ったら、一生懸命、なにを探しているの?」

 家ではアリスはあっちゃんと呼ばれている。

「昨日の夜、今朝の朝刊に痴漢撃退講座のチラシが入るってテレビで言ってたよね。ママ知らない?」

「チラシ? 天ぷらを揚げるのに何枚か使ってるけど、これかしら?」

 油でベトベトになったチラシを母が持ち上げた。

「そう、これこれ」

 油まみれのチラシを広げながら、アリスは母におそるおそる言った。

「この通信講座に申し込みたいんだけど……ダメ?」

「ふぅぅん。いくらなの?」

 なかなかいい感触だ。値段もしっかり調べてある。

「3万円、やってみてもいいよね?」

「駄目っ、高すぎっ!」

 瞬殺だった。

 

「ふふふふーん♪ ただいまぁ」

 気まずい空気の中に父が鼻歌まじりで帰ってきた。今日の父はすこぶる機嫌がいい。その証拠に手には来々軒の餃子を持っている。父は会社でいいことがあると必ず来々軒の餃子を買ってくるのだ。

「今日はいいことがあってね。つい、買ってきちゃったよ。あっちゃん、一緒に食べような」

 アリスはうつむき黙っていた。

「ン、どうした? 元気がないな」

 父も気まずい空気をやっと感じたらしい。

「おいおい、どうしたんだ? あっちゃん、元気がないぞ」

「パパ、無視していいわよ。あっちゃんたらね、通信講座に3万円も出せって言うのよ」

「可愛い娘が、痴漢に会わないために必要な金額なの。お願い、パパ!」

「ええっ、なんのことだい?」

 アリスは『痴漢撃退講座』がどれほど必要かを説いた。

「仕方ないな。パパのポケットマネーから出すよ」

 あっさり言う父に驚いた。

「実は、会社の付き合いで買った馬券が大当たりしてね。今日、払い戻したんだ」

 母が怪訝な顔になった。

「あらぁ、パパ、競馬なんてしているのぉ」

「付き合いだよ、付き合い。まぁ、欲が無いから当たったんだろうね。配当として、ママには最新版だ。パパのいない時に存分に観てくれ」

 紙袋から、ブルーレイ全5巻『最強、プロレス大ワールド傑作選』が出てきた。

「きゃー、これ欲しかったのよう。嬉しいっ、パパ、ありがとう!」

 母は油だらけの手で父の首根っこを捕まえ、キスの嵐をお見舞いしている。

「おいおい、ママ、危ないよ。天ぷらを揚げてるんじゃないのかい?」

「そ、そうね。あとでゆっくり……おほほほほ」

 ゆるみきった顔で母が父から離れ天ぷら鍋に戻った。父がアリスに向かって二コリと笑った。

「あっちゃんは、受講料がいいんだろ?」

「ありがとう。パパ、大好きぃ!」

 アリスも父に抱きついた。

 

 

 翌朝、駅前のコンビニから受講料3万円を払い込む。

 1ヶ月の通信教育だから、効き目は1ヵ月後にはわかるのだ。ワクワクしながら講座からの連絡を待つ。

 

 1週間後、小さな小包が届いた。小包には、赤字で大きく、

【開封後の返却は、固くお断りします!】と、書かれている。

 

「よし、がんばるぞっ!」

 痴漢撃退への期待一杯で開封する。一番上には、3万円の領収書と短い手紙が入っている。

  

  

 残るはA4の茶封筒のみ。妙に軽い茶封筒を開く。

 

 痴漢撃退講座とネームの入った安物のボールペンが、1本。

 100枚つづりのA4の罫線入りレポート用紙、1冊。

 出題文の書かれた紙が1枚。 

 

 

「げぇぇ、何これ……詐欺ぃ?」

 つい、言葉が出た。

 

 富山冬美が赤面した顔でつぶやいた姿を思い出した。

「わたし……。わたしは、人それぞれだと思うし、効果は未だ試してないから……」

 冬美の言葉が頭の中でグルグル回る。

 

 しんとした部屋に母の雄たけびが聞こえてきた。母が居間で『最強、プロレス大ワールド傑作選』を観て燃えているのだ。

「そうだよ。がんばらなきゃ」

 動き出した以上、後戻りはできないのだ。筆ペンを握る。

「変なことするの、やめてください! 変なことするの、やめてください! やらなきゃ、やらなきゃ! 変なことするの、やめ……あー、もー、気が狂いそう!」

 2日で仕上げ、送らなければ抹消。自分が蒔いた種に、ため息が止まらなかった。

 目の下にクマ。指にはペンだこを作り、2日目の朝、駅のポストに投函した。

 

 

「ねぇねぇ、冬美、校長に呼び出されたって」

「え、あたし、他のクラスの人に囲まれているの見たよ」

「わたしも見た。なんかヤバい空気だったよ」

 噂では、校長に「広告に出るなんて、馬鹿なことはするな」とお小言をくらったらしい。他クラスの生徒からの呼び出しについては、冬美はにがく笑うだけで何も答えなかったという。

 生徒の話は、『痴漢撃退講座』を申し込む前か後かによって内容は違うだろう。だが、何を言われたのか察しはつく。

 アリスも冬美に文句を言いたかった。けれども、「私は人それぞれだと思うし……」と言った冬美の言葉が心に棘のように刺さっていた。なにより恥の上塗りをするのが嫌だった。いつもなら、何でも話す理恵にさえ言えずにいた。

 

 

 第2週の火曜日に、第2科のテキストと、1科のレポート用紙が返ってきた。

 レポート用紙の文章には赤色のボールペンで〇、△、✕の印がついている。

「ふぅぅん。嫌々やった割には、95点……」

 いい点数だが、気持ちは複雑だった。ため息をつきながら今回のテキストを開く。

  

 

 コピー用紙に質問が書かれている。

 

 問題は、1枚に10問づつ、全部で100枚だ。

「痴漢1000態。へぇぇ、なんかすごいわねぇ」

 後ろから突然、母の声がした。

「か、勝手に部屋に入ってこないでよ」

 悪事を見つかった子供のように、思わず問題用紙を体で隠す。

「あらぁ、スポンサーはパパよ。隠さないで見せてよぉ」

 アリスから用紙をひったくるや、母は熱心に読みはじめた。

「すごいわね。電車内、道路、公園……色々な場所設定になっているのね。あ、これどうかな。あっちゃんなら④の、男性の手がお尻にあたっています。こんな時は、どうする?」

「カバンを楯にするかなぁ」

 母は大袈裟なぐらい顔を横に振った。

「あら、そんなの当たり前すぎて駄目よぉ。だから、痴漢に遭うのよ」

「そんなこと言われても」

 理不尽な言葉にアリスはほかの問題用紙に目を落とした。

(これって……痴漢行為を通り越してるのでは?)

 問題は後になるに従い、痴漢行為がどんどんエスカレートしている。1000問目は、ホテルに連れ込まれ、強姦された後である。おそるおそる母の方を振り返った。

「エビ固め。ヘッドロック。あ、ここはラリアット。4の字固めに。ブレンバスターにぃ、ドロップキック、ミドルキック、ハイキック……エルボー……いやいや、ここはダイビングエルボーよね。あ、コブラツイストも捨てがたいわね。空手チョップ、腕ひしぎ逆十字固め、ジャーマンスープレックス,

あ、これも外せないわね、ヒップアターック! あと、そうそう……」

 母がぶつぶつ言いながら、問題用紙にボールペンで書き込んでいる。

「わぁぁっ、3万円!」

 アリスは叫んで、用紙を取り返した。

「えーっ、まだオーソドックスな技しか書いてないのにぃ」

「もぉう、遊ばないでよ!」

「はいはーい。そうでしたー。宿題は自分でやらなきゃでしたー」

 悪びれもせず母はペロリと舌を出して部屋を出ていった。

 すでに2枚がプロレスの技で埋め尽くされている。

 今回もペンだこを作りながら送る。目の下の隈はより濃くなった。

 

 

「おはよう」

 教室に入り、挨拶を交わす。クラスの女子に活気がない。

(みんな『痴漢撃退講座』に入っているのでは?)と、つい馬鹿な考えを起こした。

「アリス、今朝はどうだった?」

「また、遭っちゃったよ」

 疲れを打ち消すように、理恵と恒例の会話をはじめた。

「近くにおかまの岡元がいたのに見て見ぬふりだよ。ひどくない?」

 おかまの岡元は同じクラスの男子だ。ナヨナヨ、ウジウジしているからそんなあだ名がついていたが、本物のおかまの方が潔くて凛々しいぐらいだ。

「まぁ、あいつに助けられる筈ないもんね」

 理恵がそう言って笑った。横を通り過ぎる岡元をアリスはチラリと見た。

「痴漢に遭ってる女子の気持ちなんてわかんないのよ」

 岡元の恨めしそうな目つきが、妙に気にかかった。

 

 

【痴漢1000態】の結果と、3週目の教材が届いた。

 母が、興味津々でのぞいてきた。

【痴漢1000態】には、赤いマジックペンで印がついている。

 今回は回答が添付してあった。驚いたことに母が書いたプロレス技の回答の横には称賛の言葉が添えられていた。点数はかなり甘く、998点とほとんどが正解だ。どうもこの講座は、『変なことするの、やめてください!』を基本と考えているらしい。回答のほとんどは、『変なことするの、やめてください!』が、正解とされていた。

「あっちゃん、ほらね。答え当たっていたでしょう。うふ、うふふ、うふふふふぅぅぅ」

 母は、褒められたのが大層嬉しかったらしい。

 教材を開ける。

 今まででも充分に呆れていたが、今度の教材はビニール製の人形である。

 空気を入れると等身大程になり、下部に重りが入っているため、倒しても倒しても起き上がってくる、起き上がりこぶしのような空気人形だ。

「これ、知ってるぅ!」

 母がうれしそうな声をあげた。

「知ってるって、なに?」

「これね、ママの子供の頃にはやった変身ヒーローなのよ。男の子の家に遊びに行くと、どの家にもこれがあってね。ものすごく売れたんだよ。ママも欲しかったなぁ」

 母は懐かしそうに見入っている。

「へぇぇ、知る人ぞ知るだね……え、あ、まさか売れ残り商品?」

 空気人形にくっついていた、テキストがぽろりと床に落ちた。

  

 

「なーにが、実用新案出願中よ。一週間、人形遊びをしろって言うの?」

「よぉし、ママがプロレス技を教えてあげる!」

 熱心な母に2時間もプロレス技のかけ方を教えられた。

 体の痛みが消えていくと同時に等身大人形もしぼんでいった。

 

 

 その間も、アリスと痴漢との日々は変わりなく続いていた。

 二度ほど、アリスも実戦を試みた。

 一度目は、満員電車でスカートがまくれ上がり、アリスのスカートの中に何かが入ってきた時だ。思い切って声をふり絞って、振り返った。

「変なことするの、や、やめてください!」

 60前後のおばさんが、アリスのスカートを引っかけながら、大きな花柄の鞄の中をかき回している最中だった。目が合った瞬間におばさんは鞄から手を放し、鞄の中身を床にぶちまけた。

「あなたが急に振り向いたせいよ!」

 文句を言われながら、彼女が落とした荷物を拾った。

 二度目は学校帰りの電車だ。お尻を触る手を母に教わった関節技で決めようとした。掴んだその手は、なんとおかまの岡元の手だった。おかまの岡元はしどろもどろだ。

「ぼ、ぼくじゃ、ぼくじゃない」

「他に誰がいるって言うのよ。あんたが痴漢だったのね!」

 岡元はブルブル震えていた。

「ぼ、ぼくは、痴漢じゃない。キミが好きなんだ。だから、嘘はつかない。だから、ぼ、ぼくと付き合ってください!」

 びっくり仰天である。この時ばかりは母に感謝した。

「岡元くんって、おもしろい人ね」

 煮えたぎる気持ちを抑え、電車を降りぎわに岡元の顎に肘撃ちをしてやった。渾身のエルボーだった。

 3日間、岡元は学校を休んだ。

 

 

 最終学科、第4科が届いた。

 

  

 第4科は続く。

 

 

 

 特大のハンマーで横殴りにあったように、頭がクラクラした。

「やられたら、やりかえせ」

 という言葉を聞いたことはあるが、それを講座で説くとは、見事あっぱれである。

 痴漢本人が、『痴漢撃退講座』を開設しているのではないか、という疑問がよぎった。

 

 今回は、白い封筒が入っている。白さがなぜか目にしみる。ごくりと生つばを飲んで封を切る。

 地獄に突き落とされる予感がした。

 今月修了者の名前とその獲得点数が載っており、その中に知っている名前がいくつかあった。

 そして、紙の最後にはこう書かれていた。

  

 

 世界が粉々に砕け散った気がした。

 

「あっちゃん、倒れていたのよ。今、パパがアイスノンを用意してくれているからね。具合どうぉ? 病院に行く?」

 おろおろしている母に紙を見せると、

「馬鹿ね」

 とだけ言って、母は部屋を出ていった。

 キッチンの方から、母と父の言い争う声が聞こえる。そして、地響きをあげるようなけたたましい大音響で『最強、プロレス大ワールド傑作選』が鳴り響いた。

  

 朝、父は早くに会社へ行ったようだ。母は部屋から出てこず、朝ご飯の用意もしていない。

 アリスは学校に行きたくなかった。けれど、寝室から『最強、プロレス大ワールド傑作選』の大音響が窓をビリビリ響かせている。家にいることに耐えられそうも無かった。

 

 

 電車の中には、張り替えたばかりの広告がぶら下がっていた。

 

 話題沸騰! 『痴漢撃退講座』第2弾!

《勇気がいったけれど、やってよかった!》

 

 見出し文字の下には、どうやって手に入れたのかアリスと理恵がピースサインをしている大写真。

 背景は消されているが、中学の修学旅行先の部屋での写真だ。

「あ、あれ、広告の……じゃない?」

「だよね」

「ほんとにいるんだ。へぇぇ……」

 ヒソヒソ聞こえる声。覗き込む、顔、顔、顔。

 

 神経が切れる一歩手前で、駅のホームに降り立った。

「アリスゥ、ひどかったぁ」

 待ち受けていたように辻理恵が泣き腫らした目をして抱きついてきた。しばらく、駅のベンチで二人はうなだれて座っていた。

「あのぉ……」

 上から聞こえた声に二人で顔を上げた。

 ブレザーに短いスカート。他校の女性徒がアリスと理恵の前に立っている。

「何か?」

「あのぅ、広告に出ていたお二人でしょう? あれ、よかったですか?」

 マジマジと顔を見られた。 アリスと理恵は、声を揃えて言った。

「人それぞれだと思うけれど、効果はまだ試してないから……」

「ありがとうございましたぁ!」

 その女性徒はおじぎして、嬉しそうに走り去った。

「悪人か……」

 理恵のぼやきにアリスは笑いを吹きだした。理恵もつられて笑う。二人でお腹がよじれるほど大笑いした。気分は少し晴れていた。

 「とほほ。あたし、写真撮られまくったよ」

 理恵がひと息ついてそう言った。

「わたしも。一生分、撮られた気分」

「でも、声かけてきたのはさっきの彼女だけだったね」

「ほんとだ。あっ、これって使えるんじゃない?」

 アリスの言葉に理恵がニヤリと笑った。

「うほほ、アリスちゃん、開き直る気?」

「この先、生き残るにはやるしかないしょ」

 アリスも理恵の顔を見て「うほほ」と笑った。

 

 

 アリスと理恵のその後は、富山冬美がたどった状況とほぼ同じだったろう。

 少し違ったのは、校長に呼び出されたアリスと理恵が、痴漢の現状を熱心に語ったことだ。

   

 次の月曜日、全校朝礼で校長の話が終わった後、アリスと理恵は朝礼台にのぼった。

「わぁぁぁ!」

男子と女子からアイドル並みの声援が飛ぶ。電車の吊り広告にデカデカと二人で載っただけあって認知度は高い。朝礼台の上のマイクをアリスはぎゅっと握る。ここ数日、富山冬美は登校していない。

(……今やらなきゃ、確実に冬美と同じ地獄が待っている)

アリスと理恵は顔を見合わせうなずきあった。先生はもちろん、アリスたちに声をかけてきた生徒も巻き込み、この日のために一週間をついやしたのだ。アリスはごくりと唾を飲み込み、勇気を振り絞って第一声を発した。

「痴漢撃退講座、最高点のアリスです!」

「次点の理恵でーす!」

「きゃぁぁぁ!」「アリスー!」「理恵―!」

 叫び声が落ち着くのを待ち、アリスは話しだした。

「みなさぁん! 女子全般と一部男子が痴漢に遭っていることはご存知ですよねぇ!」

「知ってる、知ってるー!」と、声があがる。

「痴漢に遭っても怖くて声を出せない方が多いと思います。そこで、わたしたちは学校公認、痴漢撲滅クラブを結成することにいたしましたぁ!」

「うぉぉ、なんじゃそれー!」「なんかすごくない?」どよめきが走る。

「わたしたちは携帯電話を持っています。やめてください!と叫べなくても、写真を撮ることなら誰にでもできます。一人が撮り始めたらみんなで一緒に撮りましょう。そうすれば、その写真のどれかが証拠になりまぁす!」

アリスが携帯電話を頭上にかかげると、「わぁぁ!」とみんなが携帯をかかげた。

理恵が声を張りあげた。

 「面白半分で人にカメラを向けたり、写真をネットにあげないでくださいねぇ。そんなことをすると肖像権やプライバシーの侵害で、確実に損害賠償金を請求されまぁす。損害賠償金は学校からは出ませんよぉ。個人負担になりますから、くれぐれもご注意くださいねぇ!」

「わかったー!」「まかせろー!」「そんなバカいねぇよぉ!」と乱れ飛ぶ声を受けて、アリスは再び話しだした。

「写真は警察に証拠として提出しまぁす。どんどん写真を撮って、どんどん警察に協力しましょう。クラブアドレスに写真を送ってくだされば、警察への写真提出は痴漢撲滅クラブが行いまぁす。バンバン撮って、みんなで痴漢をやっつけましょう! わたしたちと一緒に痴漢撲滅運動にご協力くださる方も募集中です。よろしくお願いしまぁーす!」

 こうしてアリスと理恵は痴漢撲滅クラブを作り、それは後に学校最大規模の部活となって学校沿線の痴漢撲滅を成し遂げ、警察から感謝状を贈られたり、テレビ取材を受けたりするような優秀な広報部へと進化していった。

 

 アリスの母は、「未成年の娘の写真を断りも無く広告に載せた」と『痴漢撃退講座』に怒りの電話をかけた。はじめは怒りに任せて文句を言っていたが、最終的には『痴漢撃退講座』の講師とプロレスで意気投合したらしい。現在、母は、『痴漢撃退講座』の専任講師として働いている。

 

おしまい  


この本の内容は以上です。


読者登録

たきもと裕さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について